2015年10月12日月曜日

NHKクローズアップ現代(10月1日放送分)について

“世界一の鉄道”に何が ~多発する事件・トラブル~ - NHK クローズアップ現代
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3710_all.html

 上記リンクは、聞き書き(トランスクリプト)のサイトにつながります。
 番組に対して、ツイッターでは、そのような対策は現実的ではない、実務を知らない者の主張だという趣旨の反論が多く見られましたが、自殺等に対して、「列車を止めれば数千万円」のような記述が多く見られる一方で、数千万円に及ばない対策を怠ってきたことは、どのように解釈すれば良いのでしょうか。
 手の届くところに燃える物を置かない、というのは、放火対策の基本です。一坪数百万円以上の土地に多くの物体を置けないことはわかりますが、より目の細かな金網を使うですとか、とりあえず二重に金網を張り、手を出すことを難しくするということは可能だったはずです。30kmくらいだったかとアタリをつけて調べてみると、34.5kmということですから、全周に金網を張っても、数億円で済むわけです。実際のところ、ケーブルのつなぎ目など、手の届きそうなところだけでも被覆すれば、数百万円単位で済んだはずです。

山手線一周の時間と距離はコレ!実際に測ってきました!! | ALL You NeeD is InformaTion Blog
http://bibibits-of-knowledge.com/archives/2048.html

 すると、今回のJR東日本連続不審火事件が生じる前までに、JR東日本の防犯・テロ対策担当者は、その者に課せられた責任や与えられた報酬に対して、結果的にも、道義的にも、基本的な業務としても、十分な仕事をなしてきたとは評価できないことになります。反論があれば、どうぞお願いしたいところです。
 結果的、道義的、基本的、という表現の並びは、この順に業務内容の難易度が低くなるように並べたものです。結果責任は、背負うものが重大な役職に伴うものであって、通常は、政治家や大企業の経営陣など、多くの人々に対して責任を負うべき者しか負わなくとも良いものです。道義的な責任は、役職に付随する理想から生じるもので、倫理上こうすべきものです。道義的な責任を果たせなかったとしても、必ずしも非難の対象となるわけではありません。今回の事件は、責任者が当然なすべき業務を果たしていなかったために生じたもので、言い換えれば基本的な業務を果たしていなかったために生じたものですので、事件に対して、担当者は、責任を免れません。
 今回の事件にあたり、仮に、事件前に何らかの対策が施されていたとするならば、その対策が却って事件の深刻化を招いた可能性は、それなりに存在します。本事件は、慎重な捜査が必要とされる種類のテロ事件である疑いが未だにぬぐえないためです。架線に対する攻撃は、より深刻な被害と相当深刻な別の罪名とを招いた虞があります。しかしながら、JR東日本の防犯・テロ対策担当者は、無策ゆえに、安全というボールを容疑者の手に委ねるほかなかった訳でして、今回の被害が小さかった理由は、容疑者がより破壊的な行動に出なかったことのみに起因するのです。
 鉄道機関の安全性は、主として、運輸安全委員会以下の組織に委ねられています。主として、旧運輸省、現国土交通省の縄張りです。私は、鉄道行政からはまったくお声のかからない小物ですが、これだけは言えます。犯罪をいかに行おうかなどと物騒なことを常々考えることは、持続性・継続性はもちろん、悪い方面への才能を必要とする営みです。私は、悪い方面への才能はそれほどなさそうですが、それでも、まだ、一般の優秀な鉄道運輸関係の研究者に比べて、悪業へのセンスはあるように自負しています。鉄道研究者の誰か一人でも、現時点までの間に、ここで私の指摘したような、容疑者が罪名を考慮して手口を選択していた可能性を考慮したことがあったでしょうか。世の中は広いので、それこそ対外情報機関に採用されるような優秀な人材ならば、本事件に接して、このような可能性を検討したこととは思いますが、こと研究者に限定すれば、鉄道運輸関係の研究者として、ここまで思考を到達させた人はいないものと思います。悪行の研究は、それなりに専門性があるものなのです。

 さて、危機管理という観点からは、セキュリティ産業界の「手の者」が焼け太りを狙ってわざと事件を起こさせたというシナリオを考慮しておかなければなりません。しかし、今回に限って言えば、仮に、このシナリオが正しく、セキュリティ産業界により多くの経費を割かなければいけないとしても、それは、正当な経費です。経営陣の給与を削減した上で、セキュリティに費用をかけても良いくらいの話です。経営陣は、本当に東京オリンピックを実現したいと考えているのであれば、もっと費用をかけるべきことが山積しています。本件の責任を経営陣に負わせた上で、10円程度の運賃の値上げも、やむを得ないかもしれません。
 これ以上の専門的な知識は、本来、正当な対価や報酬(=私にとっては研究者としての身分を獲得できる程度の研究予算と研究上の成果)を得る確約を得た上であれば、提供したいと思います。とにかく、わが国は、防衛産業に対しても、セキュリティ産業に対しても、基礎的な研究・報道の予算が欠如しています。効率的な使用も課題ではありますが、問題としては副次的なものに過ぎません。この方面の実務レベルや流通する情報のレベルが低いのは、産業界が十分な研究等のコストをかけてこなかったことに原因がある、と私は考えています。防衛産業は、私の守備範囲外ではありますが、問題は、非核三原則や武器輸出三原則が問題になるとしても、防衛研究の目利きができる情報産業関係者(日本人の研究者や日本人のジャーナリスト)に乏しいこと、それらの関係者に社会が適切な報酬を用意してこなかったことなどにあります。「外国に売ることができないのなら、防衛装備品の価格が高くなるのは当然である。にもかかわらず、専守防衛のためにも、より高いレベルの防衛装備品が必要である」という、経済学上の基本に逆らうジレンマがある、という事実に対して、日本国民は、長らく無視してきたのだと思います。戦争をしないためには、戦争という(悪)手を取りうる諸外国に比べて、相当高度なレベルで、外交と戦争についての思考を深めなければならない、というジレンマも無視されてきたと思います。言葉に出さなければ問題が存在しないという言霊論の世界に、私たちは生きてきたのです。

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