2015年11月26日木曜日

お仕事お疲れ様です@2ちゃんねる

 以下の2ちゃんねる(sc)の板で、少し感心した一例があったので、紹介しておく。

【サヨク速報】 騒動の影響なのか、しばき隊界隈が荒れだしています
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1448369911
1 : マシンガンチョップ(岐阜県)@\(^o^)/:2015/11/24(火) 21:58:31.19 ID:YKOLjY0Y0.net ?PLT(13000) ポイント特典
(......略......)
2 : マシンガンチョップ(岐阜県)@\(^o^)/:2015/11/24(火) 21:59:02.94 ID:YKOLjY0Y0.net ?PLT(13000)
(......略......)
3 : ジャーマンスープレックス(WiMAX)@\(^o^)/:2015/11/24(火) 21:59:39.07 ID:WFubMXjz0.net
    山岳ベースまで発展するかな?

 1番および2番では、しばき隊メンバー2名の合計7ツイート、計661文字のやり取りが引用されている。各ツイートの文字数ならびにその合計は、メンションを抜いてある。
  1. 140
  2. 80
  3. 116
  4. 45
  5. 97
  6. 72
  7. 111

 この板が上げられた後、67秒以内に、3番の書き込み主は、新書本1ページ(羽生善治, (2005). 『決断力』, 角川書店.だと41*15=615文字)に相当する文字数を読み、14文字入力して送信する、という作業を進めたことになる。2番の書き込みを読まずとも、3番の書き込みに至る理解は十分に可能であるので、2番と3番の書き込みの時間差から導かれる36秒以内に書き込まれる必要はない。3番の書き込み内容は、極左の歴史を十分に理解した上で反射的になされたものである。日常的にこの種の分析を実施している人物が書き込んだ可能性も認められる。私の場合、はすみリスト以外の周辺事項については初見であり、上記引用部分のすべての文章を読み、2名のツイート主同士の関係性を理解するまでに1分程度を要した(ということにしておこう)。ただし、集中力を増すために向精神薬を常習的に摂取する研究者がいるという事実自体は以前から知っている(体験的には知らないので、念のため)。

 まじめに全ツイートラインを読み込むのには、30秒程度を要するだろうし、書き込みには、アプリを利用するにせよ、PCブラウザを利用するにせよ、10秒程度を要するだろう。新スレに気づく余裕は20秒程度しか残されていない。21時過ぎのリラックスする時間帯に、たまたまその20秒間内に気がつき、反射的に気の利いたことを書くことのできる人物がいるということは、まあ日本も広いと言えば広いのだろうか。1~3の書き込みがセットになっているとか、できるだけ早い時間帯にスレを伸ばす書き込みを行うことが仕事になっているという可能性も、ないわけではないだろうが。


2015年11月24日火曜日

著作権法の引用に係る硬直的解釈は、知識社会における「共有地の悲劇」を招く

#毎日、学術的な方法に基づき、正確かつ新規性のある内容を作成し、投稿しようとすることは、私にはとても無理なことである。学術的な方法を心がけると、難度が格段に上がる。今までの不勉強が、最も根の深い問題であり、基礎的な先行文献を収集して読み込むことに、多くの時間を取られている。また、過去、ブログに移行する前に作成してきたテキストファイルやデジタルノートなど、デジタル化した作業メモを成果に直結できていないことは、我ながら、もったいないことであるように思う。しかしながら、私を取り巻く外部環境に問題が全くないわけではない。本記事は、その外部環境を話題に取り上げる。

SNS中心のウェブ上で流通する(論文以外の)日本語情報の多くは、学識経験者の発信したものでも、含まれる情報密度が低めであるが、その背景は、三点の理由が考えられる。第一は、著作権法における引用の問題がある。第二に、現今の日本語ウェブ環境では、正確性よりも先取性を過度に重視する傾向、あるいは「言った者勝ち」の風潮がある。第三に、学術的な文章の読み書きの作法が日本語話者に浸透していないという現実がある。第二と第三の観点は、知識社会における「情報爆発」を舞台とした「共有地の悲劇」であり、相互に関連している。このほか、ウェブ上の書き手と出版業界における書き手は、両立していない場合が多いこと、また、ウェブ上で有名になり出版社からお呼びのかかるようになった論者の世代交代が「マタイ効果」によって進まなくなっていることなど、わが国の情報産業における固有の課題も挙げることができようが、これらの課題については、別稿で考察することとしたい。

第一点目の理由は、わが国の著作権法であるが、この法律は、硬直的に運用されると、ウェブ社会においては、学術的な文章作成過程とまことに相性の悪い存在となりうる。一つ一つの資料についてブログ記事を作成したとすれば、その主従関係において、ブログ主の主張が従たる関係にあるとみなされる虞を否定できないためである※1。自分の言葉で引用部分をパラフレーズしたとしても、文献についてのメモを掲載することは、著作権法違反の非親告罪化と、主従を総合的に判定するという従来からの引用に対する解釈との組合せをふまえれば、相当に危険な行為と化す。言うまでもなく、著作権法違反の非親告罪化は、ACTAひいてはTPPを見据えたものである。このような危険を承知しているかは不明だが、学術的な内容を含む匿名ブログには、自身の意見や情報が明らかに従たる関係にある記事をアップする形式が無視できない程度に多く見られる。

第二点目の理由は、正確性よりも先取性を重視しすぎであるという風潮であるが、この風潮は、文章の質を高めるための推敲作業を省略する誘因となりうる。査読制度は、先取性を優先する著者の焦りに対して、一定程度の質の文章を保持するための制度でもある。学術関係者は、査読を受けるならば、新規性が高いとみなされる部分の情報密度を一定以上に維持し、読者を新規性の高い情報へと誘導するように文章を整理するはずである。しかし、このような推敲作業は、現在のSNS+Googleという、拙速が限りなく尊ばれる環境下では、後手を踏む工程となるだけに終わる可能性が高い。

通信理論において、導入部分においては、「0を1と間違える」ことと「1を0と間違える」ことは、必ずしも異なる種類の誤りであるとはみなされないように思われる※Aが、実社会においては、これらの二種類の誤りは、まったく異なる結果を意味する。真犯人に無罪判決を下すことと冤罪を着せることは、異なる結果を異なる二人に及ぼす。わが国の法制度は、この二つの誤りのうち、冤罪を避けるように制度を整えてきた。ところが、犯人を捕まえるための警備システムは、あまりに誤報が多いと困りものではあるが、しかしそれでも、侵入者を見逃すことをより大きな問題だと見なす。テストの採点に不備があり不合格となった学生には、救済措置が与えられるのが常であるが、だからと言って、採点基準が改められたことにより、ギリギリ合格であった学生が不合格に落とされることは、まずないと言って良い。統計学は、数学を基礎におきつつ社会現象を対象とする学問体系であるが、主要なツールである(ネイマン=ピアソン流の統計学的)検定は、「見逃し」と「早とちり」とを区別して扱い、基本的に「早とちり」してしまう失敗(第I種の過誤)を一定に保とうとする。

近年のウェブ環境下の日本語言説は、短文や動画像中心のSNS情報が大量に流れゆくという特徴のために、(多義的な意味での)間違いを含むとしても、他人の興味を引く情報を速報することが優先される。この風潮が昂じて、ここ数年、アルバイト店員がいたずらをSNSにアップするという流行に至ったと理解することもできる。東欧諸国では、高所での曲芸(パルクール※2)がその代替物として流行しており、深刻な社会問題になった。有名な事例では、官邸ドローン事件も、JR東日本連続放火事件(2017年4月17日;今となってはこの呼称に誤りがあるとも言えるが、このままとしておく。)も、古くは秋葉原無差別殺傷事件もそうであるが、大きな事件後、容疑者のアップしたコンテンツに対するアクセスは、飛躍的に増加する。神戸連続児童殺傷事件の犯人の元少年がウェブサイトを開設したことも、この流れで見ることができる。村上直之, (2011). 『近代ジャーナリズムの誕生』[改訂版], 現代人文社.か、澤康臣,(2010). 『英国式事件報道 なぜ実名にこだわるのか』, 文藝春秋.がジャーナリズムも同様の側面を有することを指摘していたような覚えがある。私の記憶がこの点で正しいかどうかはともかく、これらの書籍は、それぞれ、犯罪予防研究者なら一読に値する。

いたずらや犯罪などの事実が炎上して本人の責任に見合う以上の(社会的)制裁が加えられがちである一方で、専門家として社会に認知されている学識経験者の言説が、明白に間違っていようとも、実際的な制裁に帰結しにくい※3という事実は、注目されて良い。学識経験者のコミュニティの成員が外部からの真正性に対する指摘・批判を無視し、コミュニティがその状態を黙認するようであれば、その状態は、専門外における比較的些細な話題に係るものであろうと、自らの存立基盤を蚕食しかねない。なぜなら、学識経験者に期待されている役割は、専門分野について是々非々で物事の真偽を検証することであり、間違いを訂正しないという態度は、この役割期待とは相容れないものだからである。

情報密度が低い理由の第三点目は、学術的な文章の読み書きの作法が日本語話者に浸透していないという現実に求められる。この現実は、中等教育にパラグラフリーディング(ライティング)の課程を導入すれば解消される問題である。問題は、洗練された教育を受けられなかった(あるいは、私のようにその機会を無駄にした)成人が多数存在してしまっていることである。飯田泰之・田中秀臣・麻木久仁子, (2015). 『「30万人都市」が日本を救う! 中国版「ブラックマンデー」と日本経済』, 藤原書店.は、ロスジェネが未熟練労働者の状態に置かれており、今後技能を向上させる見込みもないと断じているが、専門的な文章執筆および読解能力については、そのとおりであろう※4。パラグラフリーディング(ライティング)の未学習世代が大多数を占める環境下では、大多数の話者は、効率的に情報を摂取も提供もできないので、他言語のコミュニティの成員に比べ、思索を深める上で不利な立場に追いやられることになる。反対に、ある研究分野における文章がすべてパラグラフリーディングできるものとなっていれば、研究コミュニティ全体の効率は、そうでない分野に比べて高くなる。パラグラフリーディングできた(良い)書籍で直近のものは、清水克行, (2015). 『耳鼻削ぎの日本史』, 洋泉社.である。歴史研究は、(私にとっては、)随分と日進月歩の感がある。

本ブログの多くの記事は、パラグラフライティングを心がけており、段落の最初の文章さえ読めば、論理が追えるように作成されているはずである。

正確性よりも迅速性が優先されるあまり大量の文章が算出され、文章が構造化されていないために大量の文章の正確性を判定しにくいという状況の下では、専門家として周囲に認められるための条件は、いきおい、肩書きがあること、質は問わないので実績があること、というものになる。また、個々の文章に対する是非が問われない環境では、ある論者についての評判は、現状のものから変化しにくくなる。わが国では、論者の当初の評判は、議論の正しさよりも、しばしば肩書きや資格を元に形成される。物事の真偽を判定する上で、ほかに手がかりを持ちにくい状況では、このことは、やむを得ないことであろう。しかし、何より困ることは、わが国では肩書きと議論の正しさが本来あるべき関連を有さないことである。たとえば、教授職を勤める人物が平気で嘘を吐き、その嘘を訂正しないということは、社会の正常な機能からすると、考えにくいことである。しかし、わが国では、よほど道を外れた発言でなければ、公職を追われることはないし、正職員であれば、その発言が犯罪として扱われない限り、本職を追われることは無い。このため、わが国では、肩書きを得た正職員こそ、クビにおびえる非正規職員に比べて、やりたい放題となることが否めないのである。このような硬直的状態は、論者の肩書きをきっかけとする「マタイ効果」の亜型であるとみなすこともできる。

個々の言説の是非が十分に検討されないままに大量の文章が産出される学術コミュニティは、何が正しいことなのかやがて分からなくなり、存在意義を失うことになる。この状態は、正しい知識に価値を置く「知識社会」における「知識体系」を劣化させるという点で、一種の「共有地の悲劇」であると見なすことができる。人間の文章読解速度には限界がある。そのため、ルールに準拠しない文章は、読者側の時間という有限の資源を奪い、批評を甘くすることにつながりかねないのである。

※1 一度、この危険性を検証すべく、木走正水氏が村上春樹氏に辛辣な批評を加えているブログ記事(リンク)について、著作権法上の問題がないかどうか、文字数をカウントしてみたことがある。その結果、木走氏は、2分の1を超えないように他者の記事を引用していることが分かった。ただし、その記事における解決方法は、スマートとはいえないものであるようだ。木走氏は、著作権法における引用に係る解釈にこだわるあまり、引用する必然性のない自身の記事を多量に引用し、文字数を増やしたことが認められるのである。別記事で紹介することにしよう。法律が誰にも平等に適用されるものであるから、木走氏の措置は分からなくもないが、このように著作権法上の規定が硬直的に解釈される状態は、学問の発展にとっても、ウェブ資源の利用法からみても、もったいないことである。

※2 どこかで学識経験者とみなされる人物が「ゲームなんかしてないでリアルで楽しめ」なんて言っていたような記憶があるが、リアルで『Dying Light』のようなことができる(リンク)のは、ほんの一握りの人たちだけだろう。実在のパルクール集団『YAMAKASI』による『MAXX!!! 鳥人死闘篇』(2004, 2作目)のようなアクションは、誰もに可能な動きではない。

※3 社会的制裁が学識経験者に加えられようとした事例として、光市の母子殺害事件の弁護団に対する懲戒請求事件(リンク)を挙げることができる。本件懲戒請求が殊更に注目された理由は、殺害事件における弁護に大衆の感情を逆撫でするような内容が含まれたこと、弁護士が地方テレビ局の番組でこの方法に言及したこと、弁護士会という専門的職業における自治に直結したこと、被害者遺族が来るべき裁判員制度の創設と実施に大きな影響を与えたこと、が挙げられよう。

※4 なお、同書は、パラグラフリーディングできない書籍であることを申し添えておく。ともあれ、少なくとも一昔前の、中学・高校教育課程の国語(現代文)の授業は、一文一文を逐次的に読み進めなければ文意を追えない文章を許容するものである。そのような教授法は、間違いとは言えないが、今時の情報爆発に十分に対応したものではない。しかし、このような教育環境の下でも、2ちゃんねるの「今北三行(今来た、三行で説明をお願い、の意)」や、これに起源を持つLivedoorニュースの「三行まとめ」が生まれている。これらは、きわめて優れた大衆文化だと思う。時間を節約するという同じ理由から、行政分野では、いわゆる「一枚物」が流行している。この動き自体は否定されるものではないが、アクセス性という点では、機可読性を高める措置が望まれる。(日本語フォントを用いたPDFでは、余分な改行記号が含まれ得る。)




2016年10月20日追記・訂正

情報を追記し、文意を変えない訂正を行った。淡赤色で示した。




2017年05月29日追記・訂正

本文中の誤記を訂正し、レイアウトのタグをpタグへと変更した。淡橙色で示した。

※A 伊藤隆〔編〕(1956=2012).『情報の哲学 ロシア哲学者の情報論』(東洋書店)所収、イリヤ・ベンチオノビッチ・ノビクの「サイバネティクスの哲学的・社会学的諸問題」は、シャノンの『通信の数学的理論』に対して、次のように述べている。

現在の情報理論では、通信容量はそれを占有する記号の量(ビット数)だけで扱われており、(単位)情報はどれも同一の価値しか持っていない。したがって、これにたいしては質的な面から情報を考察するような、情報の内容に冠する理論敵研究がどうしても必要である。(pp.26-27)
ここでの私のこじつけは、素朴なものではあるが、情報理論の創生期においては、さほど外れたものではないであろう。ここからの発展状況については、十分に追えていない。

2015年11月22日日曜日

公的事業従事者は、集団移住の経験を日系企業社会から学ぶべきである

#本記事も、少し妄想の気が多めであるが、あくまで可能なシナリオとして、私なりの客観性をもって記述するものである。「世界的な悪意」をシミュレートしていけば、その動機は、(1)自分や家族やコミュニティの安全を図りたい、という基礎的な欲求に根ざしたものから、(2)旨い物をたらふく食べたい、(3)(オスなら)綺麗な女性を抱きたい、(4)良い環境、景色の場所に快適な住居を構えたい、(5)苦役は他人に任せ、楽しい(仕)事をしたい、といった贅沢なものにまで及ぶであろう。こうした普遍的な(?)欲求に即して内容を詰めていけば、ある程度、個人が何を動機とするのか、その動機がいかに国益に進化・転化しうるかを個別に予測することは、さほど難しいことではない。問題は、その内容の網羅性であり、その交渉に対応する(日本人の利益を代表する)人材の不足であろう。

 日本集団移住なる計画を構想(夢想)する際、日本人(日本語話者)の今までの経験の蓄積は、無視できないものがある。日本人は、世界各国からすれば人数が多く※1、高齢者世代であっても他人に自身の経験を伝達するのに十分な程度の中等教育を経ている※2上、無類の書き物好きの民族でもある※3。先達の経験を大局的な見地から収集して編纂する方法を日本社会が開発していたならば、何らかの教訓を多数の先達の経験から引き出すことも可能であったであろう。一部の掲示板やSNSでは、1990年代前半にはその機能が発揮されていたと目されるが、その機能は、日本国民の一部に限定されており、そこでの話題や議論は、あくまで同時代的なもの、当時の学問における先端的な興味に限定されていたように思われる※4。1990年代前半までのPC通信時代には、その(肯定的な意味での)オタク(またはギーク)なコミュニティに関与しなかった「日本国民すべての経験」を蓄積できているとはいえないだろう※5。そのころの情報資産は、あくまでアナログ出力(ビデオテープや写真、紙という媒体)に多くを負うていたのである。

※1~※4 仮に、この予想(妄想)をより訴求力のある内容に仕上げる暇があるのであれば、これらを補足していこうかと思う。しかし、あまり時間がなさそうである。
※5 本稿は、当初、いち日本国民としての海外滞在者の経験は、今後に活用できる形で蓄積されていないということを反例として指摘すべく用意したものであった。本記事は、末尾に付した関連サイトをメモするため(#つまりこれから本格的調査するため)の、「はてブ」風の記事のおまけとして構想していた。テルフォードは、英国の第3次ニュータウン計画におけるシュロップシャー州のニュータウンであるが、地元の土木事業に尽力したトーマス・テルフォードを顕彰して名付けられた街である。わが国では、東京湾岸のニュータウンが後藤新平を受けて後藤町と命名されるようなものである。しかし、テルフォードが石工修行だったというのは、改めて知った感がある。確かに、現地でそうであったと学んだ記憶がある。大学2年のときの教養課程のレポートを仕上げようとしていたときにも意識していなかった。改めて知る(意識してとらえる)べきことの多かったことを思い知らされる。

 しかるところ、わが国は福島第一原発事故のおかげで、小松左京『日本沈没』のような目に遭う可能性がきわめて高い。このとき、たとえば、国立国会図書館は、全機能を奈良県の関西館に移動することになるものと予想される。国会図書館の機能を全部関西へと移動する事業は、放射線検査という特殊事情に発する手続きまで含め、関西館の建設を超える規模となると思われる。各地方に大量に存在する民俗資料の扱いもまた、問題として浮上することが予測される。民間企業は勝手に移転してもらう(!)としても、公的組織の移転は、今まで都合よく塩漬けとされていた首都機能移転を一気呵成に行うだけの能力と意志を必要とするのである。国会図書館の事例を出してみた理由の一つは、私の研究手法上、大変重要な研究リソースであるためである。もう一つの理由は、事例として取り上げる価値があるためである。

 今後のハードランディングシナリオにおいては、企業が採算上の理由から関与を躊躇するような公的事業は、放置されるが、その間隙は、日本国に支援を申し出る諸国により「カバー」されることが予測できる。日本語文献のデータセンターの運営は、重要ではあるが、国外移転が容易であり、民間に任せても進む仕事であろう。他方、そのデジタル化の進まない文化・有形資産は、わが国に対して食指を伸ばしている諸国にとって、潜在的な懸賞品である。グレート・ゲーム時代の獲得物(英語だとgameで良いであろう)は、大英博物館やルーブル博物館に多数収蔵されている(されたままである)。パリ同時多発テロ事件後、ルーブル美術館のピラミッド前における重装備の警備部隊を、「先進国」に生きるわれわれ日本人は、さほどの違和感を有することなく眺めているが、ギリシア以西から地中海沿岸諸国の国民は、どのように、この写真を眺めるのだろうか。おそらく、撮影者の金川氏は、このことまで意図して撮影したのであろう(が、私は確認の努力をしていない)。この写真は、非常に興味深い。金川氏がこのルーブルのピラミッドがどのような文脈で陰謀論者に受容されているのかを理解しているか否かにより、読み方がさらに異なりうるという、とても意味深な写真でもある。

<厳戒警備続く> ルーブル美術館では厳戒警備が続いていた=19日午前、金川雄策撮影
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20151120000375_comm.jpg

 話を本流に戻す。

 産業分野における海外との関係構築は、官僚機構よりも民間企業の方が遙かに優れるが、その経験から得られる教訓は、民間企業のノウハウとしてのみ蓄積されているようである。1985年のプラザ合意後、急激な円高が進んだことに伴い、日本の製造業の海外進出の波が生じた。この時期の海外進出における主要な利害関係者は、研究者にあるまじき偏見から断定すると、相手国企業~相手国の行政機関~日本企業の三者のみに着目すれば十分である。政界の一部も関与していたことは、体験的に知っているものの、その検証は、研究者によっては十分に行われていないようである。日本の経済官僚の組織としての劣化は、この時期には十分に進んでおり、自身の利権に直接関連しないことに対しては、何事にも受身であった。(でなければ、組織として、むざむざバブルを弾けるに任せるということはなかったはずである。個人に対する論評でないことには、くれぐれも注意されたい。日本における企業・組織犯罪に対する私の研究上の興味は、なぜ、個人(=システムとしての入力・処理)が優秀であっても組織としての成果(=システムとしての出力)があまりにお粗末なものとなるのか、という点にある。

 してみると、一部の受入先国家と日本企業との交流が進行しつつあることは、ひとつの良い兆候ではある。しかし、本件のような国民性と国民益を保持しつつ海外進出(と融合あるいは同化)に成功するという高潔な目標を立てた場合、そこに関与する企業の中には、適格性を欠くものが含まれるようにも見受けられる。この点、私としては、個人的に存じ上げる方が在籍されていた時期の動きを注視してきた結果から、一部の公的団体の活躍にも期待したい。わが国は、公益から私益を掠取する者たちの活躍?によって、第二次世界大戦後の混乱期にも、現在のような惨状にも陥ったのであるから、現在進行中の日本脱出プロジェクトにおいても、同様の轍が踏まれないとは限らないのである。


山田 晴通, (2015). 英国テルフォード・ニュータウン地域における「第二のボーンヴィル」,ライトムア・ヴィレッジ(Lightmoor Village)の建設, 東京経済大学人文自然科学論集136, 17-44.
http://id.ndl.go.jp/bib/026401972

Home - Bournville Village Trust at Lightmoor Village
http://www.lightmoorvillage.org.uk/#

Lightmoor Village, Telford, Shropshire, TF4 3TX, U.K.
https://www.google.co.jp/maps/@52.6497817,-2.498479,14z

テルフォード補習授業校
http://www.telfordjs.org.uk/

知野 泰明, 大熊 孝, (1992). 英国土木学会初代会長トーマス・テルフォードに関する研究:テルフォードの事績とテルフォード賞を中心に, 『土木史研究』12, 97-110.
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005237623
http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/bitstream/10191/6170/1/5_0005.pdf

ジョン・リックマン[編], 永井厚[訳・著], (1985). 『自伝トーマス・テルフォードの生涯:その叙述的物語』, ニチマ.
付・日立マクセルテルフォード工場創設記.
http://id.ndl.go.jp/bib/000001819067

平成27(2015)年11月22日18時15分追記

パリ同時多発テロ:仏大統領、対テロ戦で憲法改正へ - 毎日新聞
http://sp.mainichi.jp/select/news/20151118k0000m030139000c.html
http://img.mainichi.jp/sp.mainichi.jp/select/images/20151118k0000m030140000p_size5.jpg

 先に引用した朝日新聞の金川氏の写真について追記する。毎日新聞(AP)の画角を見れば、金川氏の視野の広さがさらにはっきりするように思われる。被写体の兵士たちも兵士として必要な仕事の水準を満たしていることが分かる。奥の兵士が金川氏にも目線を配っている。読者にも、読者の仕事がある。私は、読者としての仕事を果たしただろうか。

2015年11月21日土曜日

経済原理主義者は顧客を選ばない

世界はなぜ「暴力の時代」に逆戻りしたのか? ターニングポイントは中・露の「無法行為」だった! 「話せば分かる」はもう通じない | 長谷川幸洋「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社]
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46454

 敵対思考に傾斜した相手に対して、いま相互依存思考で語りかけるのは間違っているだけでなく、効果もなく危険である。思考の原理そのものがまったく異なるからだ。
 敵対思考は基本的に相手を「敵か友人か」で判断する。これに対して、相互依存思考は基本的に相手を友人として扱う。

 長谷川幸洋氏は、自身を経済原理を重視するエコノミスト、つまり、上記の引用にある相互依存思考の論者であるかのように論じ、世界が混迷に陥った(と彼には見えるようだが、その)原因を中露二国に求めている。また、ロシアを米国と覇権を争い負けた国であり、中国がその二の舞を演じようとしていると指摘する。しかし、イラク・リビア・シリアは、中東諸国の中でも、21世紀に入り米国が外交上の関与の度合いを強めた国であった。長谷川氏の議論が正しければ、他の経済重視国と同様、相互の利益を増進させた結果、これらの3か国は、当時より豊かになっていて然るべきであった。しかし、奇妙なことに、これらの3か国は、現在、ロシアのプーチン大統領が指摘したように、国家主権を失い、従来の社会秩序が完全に崩壊した状態にある。この逆説は、何により生じたものであろうか。

 世界史の事例から見れば、帝国主義は、相手国が与しやすければ相手国を明白な敵として扱うかも知れないが、常にその費用と便益を冷静に計算し、帝国の規模に応じた効率性を重視し、他国との力の均衡に達しようとするものである。東西ローマ帝国は、分割により最適化を図った好例であるし、その片割れである東ローマ帝国は、サーサーン朝ペルシアと微妙な均衡を維持し続けることに成功した。現在のシリアの混迷の背景がサイクス=ピコ協定にあることは、有名なことであるが、同協定は、英仏という2つの帝国主義国家のグレート・ゲームの産物であり、私の主張を裏付けるものである。大日本帝国は、帝国と名乗った存在ではあるものの、その振る舞い方は、帝国主義の諸国の影響がグローバル化していた当時に、例を見ない形で急激な膨脹を経験したことをふまえれば、他列強との関係を論じる題材としては、特殊な存在であるとみなして良いように思う。大日本帝国の特殊性に無自覚であり過ぎると、帝国主義国家が他国と協調関係を取りうるという当然の可能性にも配意しないようになる。米国(の一部の政策)はもちろん、中国やロシアの所作も、帝国主義的な度合いを強めつつあるものである(が、日本でそのことを強く主張する論者は、マスメディアにおいては、佐藤優氏ひとりである)。

 通常の帝国主義は、戦争という行為に対する計算高さを持ち合わせているが、無節操な経済原理主義は、場合によってはマッチポンプに奔走することさえ厭わない。経済原理を重視すれば、戦争も商売となる。長谷川氏は、この当然の事実を認識していない。無節操な経済原理主義は、たとえば、南北戦争における武器供給にも、また南北戦争終結後の余剰兵器の輸出にも、看取することができる。南北戦争後に陳腐化し不良在庫と化したマスケット銃は、わが国の明治維新に役立てられたのである。この事実は、ひるがえって、セキュリティ産業にある種の節度が求められる所以となる。

 長谷川氏の錯誤が、本来独立である「敵味方を判別する能力」と「経済に対する考え方」とを無根拠に連関させた点に由来することは、以上の議論から明らかである。世界が「暴力の時代」に逆戻りしたと喧伝することは、無理筋である。その上、過度な危険の強調は、セキュリティ産業への需要を徒に喚起し、人々の相互不信を亢進させることになりかねない。もっとも、長谷川氏の仕事は、その辺にあるのかもしれないが。

#私の基本的な考え方は、米国とは仲良く(せざるを得ないが)、中国やロシアとの無用な摩擦は、双方のためにならないので、共存を図ることを目標にすべきである、というものである。福島第一原発事故がなかりせば、そうであるべきと考える、というのが正確な表現である。事故後は、いっそ米国の州となった方が事故の終息が図られるのではないかとさえ思うところである。正確には、事故の終息を図る上で協力を求めることができる相手国を慎重に見極めるべきである、としか言えず、対外関係がどのようにあるべきか、は正直分からない。

2015年11月20日金曜日

警視庁機動隊の辺野古警備任務における宿泊施設の予算はどこから?


沖縄県民“弾圧”のひと仕事を終えて警視庁機動隊ご一行さま、一泊ン万円の高級リゾートホテルにご帰還【週刊プレイボーイ】 : どこへ行く、日本。
http://blog.livedoor.jp/gataroclone/archives/46042879.html

カヌチャベイホテル&ヴィラズ - Google マップ
https://www.google.co.jp/maps/@26.5488014,128.0767652,15z

  私は、機動隊員がカヌチャベイホテル&ヴィラズに宿泊しているという事実自体は非難できず、非難されるべき者がいるとすれば、それは、現政権(の閣僚)のほかないと考える。第一に、宿泊する機動隊員には決定権がない。第二に、宿泊先の選定に従事した部署にとっても、宿泊先の選択の余地が少ない。第三に、この事実は、リゾートホテルに宿泊させてストレス緩和を図らなければならないほど、(誰にも心はあるのだが、思いやりの)心のある部下にとってストレスフルな仕事をさせているという自覚が上層部にあることを、図らずも暗示するものでもある。

 辺野古の新基地建設に係る警備任務の責任は、国内トップの政治上の要請から生じたものであるから、その要請を生じさせた者たちにのみ、帰することができる。この点において、政治的中立という観点についてはともかく、本件警備業務は、最近の警察政策上、きわめて興味深い案件である。突然、1970(1960)年代的課題が2010年代に浮上したようなものである。

 なお、カヌチャベイホテル&ヴィラズのグーグルマップに出てくる広告は、一泊21,000円などであり、通常のビジネスホテルの相場の3倍程度と考えて良いだろう。リゾートホテルと呼んだ『週刊プレイボーイ』の表現は、的確である。しかし、500名のコンベンションホールがあり、何かの大会などを開ける施設を備えているということは、団体割引もあると思われる。季節柄、秋雨など天候が比較的悪く、本土における紅葉と競合すること、宿泊が長期にわたること、の二点を考慮すれば、おそらく半値の10,000円程度ではないか、というのが私の勝手な(調べもしないでの)予想である。

 ところで、リゾートホテルに宿泊させなければならないという事情に起因する差額分は、どのように支弁されているのだろうか。東京都民としては、本件警備は、どこまでも沖縄県についての政府の事情によるものでしかないのだから、警視庁機動隊が沖縄県内で仕事すること自体は(、つまり、本件に係る機動隊員の給与を都民が負担することは)、許容されうることであるにせよ、リゾートホテルで宿泊せざるを得ないことから生じる宿泊費の差額分は、官房機密費などの国費から支弁されることが適切ではないか、と思う。本件警備任務に係る経費をすべて都民に回しているという公私混同状態は、いくらわが国が危機に瀕していようと、実務レベルで調整されたために生じていないであろう。せめて、経費の面だけでも、国家として正常に機能していることを、私は期待しているのである。

 なお、『週刊プレイボーイ』の「辺野古新基地建設が不可能なこれだけの理由」には、公務執行妨害で逮捕された者が「取り調べを受けて実感したのは、警察にも気持ちの通じる人たちが間違いなくいる」と述べたことが記されている。新基地建設は、現場に非常に微妙な舵取りを要求する案件であるが、わが国のトップ周辺の政策が降りてきた結果であり、その責任を現場に帰することのできるものではない。おそらく、その帰結を予測できていない利害関係者は、わが国のトップ周辺だけかもしれない。


平成27(2015)年12月21日17時台追記

石平太郎氏が「辺野古移設反対派が機動隊が泊まるホテルで座り込みをし、『機動隊を宿泊させるな』と拡声器で怒鳴り散らしているという。」とツイートしていたようだ。

https://twitter.com/liyonyon/status/670740851912515584

 この反対派の行為は、警察と反対派の双方ともの憎悪を招くのみである。反対派にとって、喧嘩の相手は、現政権の閣僚の面々と賛同者だけのはずである。警察を憎悪の対象とする必要はない。このことが分からない人物は、およそ(ロールズ風の定義に基づく)リベラルとはいえない。(東洋風)リベラルの要点は、孔子の説いた仁の精神、つまり、己の欲せざる事、人に施す事なかれ(『論語』(顏淵第十二)、己所不欲、勿施於人)、である。ただ、このような拡声器を用いる人物らは、対立を煽るべく然るべき筋に雇われた者であるかもしれない。わが国は、対立があるところに利益が生じると信じる不届きな者たち(陰謀論にいう「戦争屋」)に残された最後の楽園であるから、そのような可能性を見込まなくてはならない。

2015年11月19日木曜日

テロ対策としての非常事態法制は時期尚早である

非常事態宣言、日本は可能か 憲法に規定なし…「テロとの戦い」欠陥に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151119-00000073-san-pol

産経新聞 11月19日(木)7時55分配信
 フランスのオランド大統領(...のような...)対応が可能なのは、緊急事態に対応するため、一時的に国の権限を強化して国民の権利を制限する「国家緊急権」が、憲法や法律に設けられているからだ。国際テロの脅威は日本にとって対岸の火事ではないが、憲法には同様の規定は存在せず、「テロとの戦い」の欠陥となっている。

 産経新聞のこの主張は、日本人の国民性の良さを信頼しないものであり、非常事態宣言を論じる前に、現政権に正すべきことを指摘しない、欠陥のあるものである。第一に、現政権は、安保法案の審議を通じて、国民の信頼を失った。第二に、東日本大震災のような未曾有の非常事態においても、国民の多くがリアル社会においては総じて冷静に行動した一方で、エリートパニックがむしろ多く見られた。第三に、非常事態を宣言するという行為は、テロに対して「豊かな社会」が敗北した象徴となりうるという、諸刃の剣でもある。運用次第では、日本社会や経済の衰退を決定的に促進しかねない制度である。こうであるところ、産経新聞は、第一に、現政権が安保法案で失った信頼を取り戻すよう助言しておらず、第二に、「話せば分かる」国民を信頼せず、身勝手に、かつ混乱して行動しがちなエリートに全権を委ねることを推奨し、第三に、日本社会や経済が非常事態宣言の継続により著しく低下する危険性を指摘していない。

 第一の論点、現政権が安保法案の審議を通じて国民の信頼を失ったことについてのみ、補足しよう。間接民主制は、必ずしも個別の論点についての国民の賛否を反映しない。よって、現政権が非常事態宣言を法制化することに対して、国民が賛成しているかどうかは、国民に聞いてみなければ分からない。ところで、安保法案審議時、国民は、確実に大多数が反対していたが、現政権は、制定を強行した。現政権にとって困ることに、戦争という対外関係に係る安保法案の審議のあり方は、現政権に対する国民の信頼を著しく損なった。この事実をふまえると、パリの同時テロ事件があったとはいえ、非常事態法案に対しても、相応の割合の国民は、猜疑心を持つであろう。非常事態法制は、本来なら、国内事情に限定されるために国民の賛成を得やすいはずであるにもかかわらず、安保法案の審議の後となったために、成立へのハードルが上がることとなったのである。

 非常事態宣言つまり戒厳令は、無実の国民の権利を著しく制限するものであるから、立法府に信頼が寄せられていないときに制定すれば、必ず禍根を残すことになる。

 人災に対する危機対応が十分に可能となる法制の必要性は、かねがね司法関係者から提起された主張であり、テロ行為に十分に対応できる根拠法がない、という現実に基づくものではある。ただし、最も大事な課題は、現にある制度に基づいてテロ行為に有効に対応しうる態勢を整えることにある。有力な味方になり得たイスラム教徒全員を敵に回すような方法を取り続けることなく、経済や社会への影響を最小限に留める方策を、社会から広く探るべきである。



 蛇足であるが、国際社会の多くは、日本の基本的な課題を自称イスラム国によるテロへの対策ではなく、福島第一原発事故への対応であると考えている。この見方は、理性のある者から見れば当然の帰結であり、論証を要さない。

2015年11月18日水曜日

都市と地方:私論、メモ(1)


 地方が「モノの生産の場」であり都市が「情報の生産の場」である、と上田篤氏は指摘する。また、三浦展氏の言うことには、都市は「モノの消費の場」であるとも言う。歴史人口学においては、江戸は「人命の消費の場」であったと考えることもできる。都市居住人口が人口を再生産しない、少なくとも都心居住時に子どもを作ることを見送っているという事実があれば、この命題は、日本においては、時代を超えた普遍性があるということになる。

フーコーの「生権力」と実務

#以下、かなり生煮えだが、とりあえず公開してしまう。

フーコーの歴史敍述の問題、特に『監獄の誕生』のパノプティコンをめぐって (2ページ目) - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/894616?page=2

では、ベンサムのパノプティコンのデザインがなぜ実地に生かされなかったか、という議論になり、リンク先の通りのツイートラインが見受けられたが、ベンサム研究とフーコー研究を両方究めているような研究者が少ないからではないかとも思ったりした。それこそ、後に紹介する鈴木晃仁氏の指摘するように、二分野のケミストリーを堅実に(ソリッドに)研究する人が多く出てくればこそ、成し遂げられる仕事なのかも知れないが、どうやって、学際的研究に生じがちな「抜け」や「落ち」を除外できるのか、という実務的な面が問題だと思ったりする。

橋本一径
@KazumichiH
2015-10-31 23:16:58
@parages 生権力は壮大なフィクションなんです。例えば指紋による管理も地球上の人間全ての指紋が予め登録されていることが前提ですが、そんなことはできるはずがない。パノプティコンも同じではないでしょうか。あらゆる権力同様、生権力も擬制の上に定礎されているということだと思います。
https://twitter.com/KazumichiH/status/660460457329713152

土屋誠一
@seiichitsuchiya
2015-11-01 02:00:33
↓RT、なんでなんだろう。網走の刑務所跡に行ったことがあるが、一応中央に見張りの部屋があって、放射状にはなっているものの、ベンサムのパノプティコンと一緒とは全然言えない代物だった。やはり、看守になるような人物のポジションを、誂えたほうがよっぽど合理的、ということなのであろうか。
https://twitter.com/seiichitsuchiya/status/660501625061052416

橋本一径
@KazumichiH
2015-11-01 02:01:57
@seiichitsuchiya それもう僕が答えだしてるから( ・´ー・`)どや(そっちもRTしといて)
https://twitter.com/KazumichiH/status/660501975792926720



このような話も別ツイッタラーから指摘されており、

Heavy_Marcovich
@fewlirpcd645
2015-11-01 15:55:22
パノプティコン型の監獄は日本にもいくつか建設されて、今でも使われてる施設もあるんだけど、確かに空論感はあるよね
https://twitter.com/fewlirpcd645/status/660711714522972160

実際のところ、活用されている施設として、代表的なものに、小菅拘置所が挙げられる。Googleマップでは、次のような空中写真を見ることもできる。


https://www.google.co.jp/maps/@35.7581811,139.8163607,468m/data=!3m1!1e3?hl=ja

 先の土屋誠一氏のツイートのような印象が出てくるのは、まっとうな疑問だとは思うが、(1)限定的な人数で効率よく、(2)被収容者があまりに狂わない程度に、という条件を満たす実務的妥協の産物が上掲の平面図なのだと推測する。(監獄という)空間体験を経ず、この形であることが「常に見られていることにならない」と短絡することは、テクストをそのまま現実に落とし込もうとする教条主義に陥ってしまう虞があるのではないかと思う。橋本一径氏が「そんなことができるはずもない」とする指紋登録も、現に全国民のDNA登録を進めるべきであると信ずる実務者がいるという点には留意しておくべきである。ジョージア・ガイドストーンくらいに減少させた人数であれば、全世界を現実的に管理できる可能性が高くなることにも、である。いくら大きな組織でも、全世界における組織の人数は、せいぜい10万人単位である。ジョージア・ガイドストーンは、5億人まで人口削減することを示唆する。私は、もちろん、このようなディストピア的なアイデアに反対であるが、5億÷10万=5000人に1人で管理するのであれば、アクティブ生体タグの埋め込みなどにより、完全な支配は、実現不可能ではないように思う。一時期の共産主義諸国の現実では、3人に1人程度が管理者の側に積極的に与していたのだが。

 伊藤恭彦(2010)『貧困の放置は罪なのか』人文書院, p.53によれば、シンガー(Singer, 1993; 1996)は、ハーディン(Hardin, 1996)の「(地球上の各国における生まれつきの経済的格差についての)救命ボートの倫理」を批判し、人口過剰と食糧不足は神話に過ぎず、飢餓や疾病による人口統制は道徳的な悪である、人口統計学的推移をみれば貧困が解消されれば出生率が低下し、人口増加に歯止めがかかる、という。シンガーの原本は、自分自身で確認していないので、その点を含まれたい。なお、人口削減に対しては、BBCの番組で、地球の人口は110億人で頭打ちという異なる見解が示されていたはずである。自分の独断に過ぎないのだが、原因と構造についての理解は、現実と異なるものの、シンガーの指摘における「飢餓や疾病による人口統制は道徳的な悪」という部分は、正しい見解だと思う。

 実務者の道標ともなりうる道具的な思想を与えたという点で、フーコーは偉大だと思う。実務者は、(フーコーが望まなかったであろうと思われるような)逆説的な形で、フーコーにインスパイアされうるように思う。浅薄な道具主義に基づいて人間は世界を見ている、と考える浅薄な私は、このように考えるのだが、いかがだろうか。



 上の議論とは個別の論点となるが、鈴木晃仁氏のツイートは、フーコー研究の蓄積が進みつつあることをうかがわせるものであり、自分の知識を深める手がかりになりそうだ。フーコーはともすると誇大理論(grand theory)になりかねない扱いだという評価だと思われる。その通りだと思うけれども、相当にぶっ飛んでなければ、大きなテーマを取り扱いきれないのではなかろうか。もちろん、フーコーによる研究の長所と短所を含んだ上で、鈴木氏は、フーコーを偉大な思想家だと見ているのだと思う。このことは、「なぜあんなに深い根本的な問題をえぐることができるのだろう。良い子は決して...」というツイートの表現からもうかがうことができる。

akihito suzuki
@akihito_suzuki
2014-02-11 09:08:58
初期近代の病院や施療院の機能について、フーコーの大監禁説は、部分的な側面を誇張した著しく単純なモデルであるというのが、英語圏の医学史の研究者の合意です。Katharine Parkらが20年前から実証してきました。にもかかわらずフーコーは深く重要であると私は思っています。
https://twitter.com/akihito_suzuki/status/433029857790803968

akihito_suzuki
@akihito_suzuki
2014-06-10 08:46:07

今日はフーコー『狂気の歴史』の内容を教える日。いつも思うのだけれども、あんなにいい加減なリサーチと雑駁な資料の拾い読みと思いつきで、なぜあんなに深い根本的な問題をえぐることができるのだろう。良い子は決して真似してはいけませんとしか言えないのだけれども。
https://twitter.com/akihito_suzuki/status/476148264543084545


パリ同時テロに伴う南海・東南海地震デマツイート

 陰謀論ブロガーの「ふぐり玉蔵」氏※1が有名人のツイートでデマが拡散されていることを述べている。紹介されたジャスティン・ビーバー※2などのツイートを見ると、パリ同時テロと同時刻に、日本でも地震津波被害が生じたかのような表現である。確かに、パリ現地時間で13日21時51分に、鹿児島県の甑島西方でM7クラスの地震が生じている。私は、(これでも)犯罪予防の研究者であるので、あらかじめ読者に注意しておくが、ここで「ふぐり玉蔵」氏の講演ビジネスは、トラブル続きのようである。しかし他方で、私が本件を知ったのは同氏のサイトであり、私は、単に引用のルールを遵守している点に注意されたい。

 「ふぐり玉蔵」氏のサイトに引用されているツイートには、画像が添付されており、その画像は、書き起こすと、次のような文章である。
Earthquake and upcoming tsunami in Japan, 18k people dead/missing. ISIS attack in Lebanon. Bombings killing 40 in Baghdad. Hurricane in Mexico. Terrorist attacks undergoing in Paris. Friday 13th November 2015 remeber that day.
この文章をわざわざ画像にしたのは何故なのか、誰かのリツイートではないのか、などという疑問が次々に湧くのだが、随分と物騒な内容が列記されている。私でも後から確認できることとして、簡単なものは、レバノンにおける事件であり、およその発生時刻は、12日の現地時間18時頃(BBC)のようである。現時点で、パリ以外については、13日当日に生じたものではないことが分かっている※3

 一人の日本人研究者としては、1万8千人の被害と聞いて、穏やかではいられない。一体、何がどのようにして、このような、もっともらしい数値が出てくるのだろうか。私の見立てでは、このデマの背景には、近年の地震防災行政を解読することの難しさが隠れているように思える。以下、私の推理を、マメ知識とともに記すことにしよう。

 東日本大震災という従来の地震予測を超える被害を受け、わが国における被害予測手法は、大きく転換された。たとえば、鹿児島県は、2014(平成26)年2月、県の近傍を震源とする地震を想定し、その被害を予測した結果を公表している。鹿児島県は、『鹿児島県地域防災計画』※4を改訂するために『地震等災害被害予測調査』※5を実施しており、その作業の一環である。従来の被害想定においても、震源や地震の規模、被災の季節等は、幾通りか用意されていたが、東日本大震災後、それらの組合せ数は従来よりも格段に多くなり、複数の予測値が提示されるようになった。

 鹿児島県の被害想定(リンク)のうち、「表 4.2-1 鹿児島県における被災ケースごとの死者数【最大風速、早期避難率低】」は、17通りの地震、3通りの時間帯、計51通りの組合せを想定した上で、ほかの条件を最悪のケース※6に設定した場合の死者数を想定したものである。日本時間11月14日05時51分の地震の震源は、薩摩半島西方沖(枕崎の西南西160km付近)であり、被害想定における17通りの震源には、類似の地点が含まれない。あえて、私の独断に基づき、最も被害の性質が近くなると思われる「③甑島列島東方沖」を取り上げると、冬深夜440人、夏12時490人、冬18時410人という規模であり、いずれも津波被害によるものと予測されている。

 パリ現地時間13日に生じた鹿児島県西方沖の地震は、以上の被害想定をふまえても、1万8千人の被害には及ばない程度の規模の地震であった。M7.0※7は、エネルギーとしては、M9.0の1000分の1である※8ことに注意が必要である。すると、デマの元となった地震の1万8千人という数値は、どのようにして得られたのだろうか。こういうときには、Google様頼み一択が私のデフォルトではあるが、今回の場合、私には多少の前知識がある。

 デマの元となった数値は、平成15年度の「中央防災会議 東南海、南海地震等に関する専門調査会」による、東南海・南海地震の被害想定に基づく、17800人※9であると考えられる。この数値を広めた人物は、何らかの理由により、この数値を知ってはいたものの、東日本大震災後の被害想定の組合せのはっちゃけぶり※10に、ついていけなかったのであろう。こういう報告書を読んで、死者数を数値として表現するには、被害想定の「相場観」を習得する必要がある。しかし、このような学習は、高校生や文系の大学では得られない。この相場観をいかに伝えるかの難しさは、私の御用学者ピラミッド生活の経験において、痛感してきたことであった。しかしながら、2ちゃんねるに慣れた読者の皆様なら、「細けえことはいいんだよ!」という一言で、十分にお伝えできると思う。

 東日本大震災による直接の死者や、行方不明者(の届出数)の合計と見ることも可能ではあるが、そうだとすると、いくつかの疑問がかえって生じることになる。東日本大震災の被害者については、警察庁警備局の資料の値が広く流通しているようなので、これに従う場合、実数は18465名となる。事実、この見方が圧倒的に主流である。しかしながら、この数値は、わざわざ、計算したものであり、震災関連死も含まない。しかも、もちろん、災害が進行しつつあるときに、これだけ多くの被害者数が計上されるということもあり得ない。さらに、なぜ画像にしたのか、文字数に問題がなければ、over 18kと表現しなかったのは何故か、などという派生的な疑問も生まれてしまう値である。さらに、ツイッターで引用された画像だけでなく、Travis Barkerというミュージシャンのインスタグラムのサイト※11にも、流通している画像と類似した画像が掲載されている。これらの画像の原本がいずれであるのかの検討は省略するが、いずれの画像も、縦横比がほかの画像と微妙に異なっていたりする。画像の端の異なる部分にデータを埋め込むことは、基本的に可能ではある。

http://all.instagrammernews.com/detail/1117736546728239562
https://twitter.com/WORLDSTAR/status/665324515455463424

 埒が明かないので、以下、妄想をたくましくして1万8千人が東日本大震災でなかった場合を考察し、平成15年度被害想定における南海・東南海地震の被害者数であるという、自説の確かさの材料として提示してみよう。今回のデマに関与した日本側の人物は、現在の被害想定のような「幅を持った予測」を学ぶ課程に在籍せず、社会人になった後も勉強しなかった「日本の文系」ではないか。私は、仮に、自分がご注進する役であったとしたら、「悪の黒幕」であろう雇い主に対して、1万8千人なんて、報告者のお里が割れるような報告はしない。その代わり、雇い主が必ずや納得できる回答を用意する。もちろん、現実には、そのような事実も見込みもないからこそ、ここで、通りの良い説明を探索しているのである。こうしたとき、最新の被害想定では、複数の値が幅をもって示される。これらは、震源域と地震の規模を措定した上でなければ、どれを選択して良いのか、素人なら途方に暮れるに違いない数値である。それに対して、直前の被害想定では、一つだけの被害者数が分かりやすく示されている。前例踏襲を習い性とする者なら、どうするであろうか。

 仮に、今回のデマが単なるデマではなく、大がかりな暗闘の中、何らかの意図をもって発信されたものであったとするならば、このようなデマを流布した勢力は、負けが込んできており、手下の能力も、大きく低下しているのではないかと推測される。3.11の実数にせよ、平成15年12月の被害想定にせよ、ここまで頭の固い答えを結果として返しているからである。なお、直前の段落及び本段落は、あくまで思考実験の一つであり、実在の人物や組織等とは関係がありません(棒)。ただし、このような数値に係るコミュニケーションの断絶は、私の研究テーマに深く関与する話題であるので、その点についてだけは、幾分かの本気が混じっている。


※1 黄金の金玉を知らないか? パリテロと兵器産業の株価一覧について
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2145.html

※2 WORLDSTARHIPHOPさんはTwitterを使っています: "Friday the 13th hasn't been easy on the world 🙏 #PrayForParis #PrayForJapan #PrayForMexico #PrayForLebanon https://t.co/zD4X4kkCMm"
https://twitter.com/WORLDSTAR/status/665324515455463424

※3 Justin BieberさんはTwitterを使っています: "#PrayForParis #PrayForJapan"
https://twitter.com/justinbieber/status/665343111053230080

※4 鹿児島県地震等災害被害予測調査(報告書概要版)
https://www.pref.kagoshima.jp/aj01/bosai/sonae/yosokutyousa/tyuukanhoukoku20130325.html

わが国の防災行政は、国の中央防災会議、都道府県の地域(都道府県)防災会議、 市町村の地域防災会議、というように、三段のピラミッド状になっている。

※5 第3編 被害想定及び被害軽減効果の評価 1概要 2建物被害 3屋外転倒,落下物の発生 4人的被害想定(31180_20141030105132-1.pdf)
https://www.pref.kagoshima.jp/aj01/bosai/sonae/yosokutyousa/documents/31180_20141030105132-1.pdf

※6 もっとも、ここでいう「最悪のケース」よりも悪いケースは、自然界に存在するかも知れない。「より悪いケース」の例としては、地球が壊滅するほどの隕石等の衝突による地震・津波もあり得るわけだが、このような場合を想定しても、対策を講じる側には得るところがない。現実的にあり得る数値を設定することが科学に基づきつつも、一種の職人芸(#トランス・サイエンス問題の一種)になるのは、仕方がないことである。まとめると、ここでいう「最悪のケース」とは、対策を冷静に検討できる限りでの「最悪のケース」である、という程度に限界をふまえておくことが必要である。

※7 地震情報 2015年11月14日 5時51分頃発生 最大震度:4 震源地:薩摩半島西方沖(枕崎の西南西160km付近) - 日本気象協会 tenki.jp
http://www.tenki.jp/bousai/earthquake/detail-20151114055157.html

※8 気象庁 | 地震について
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq27.html#24

※9 中央防災会議議事次第
http://www.bousai.go.jp/kaigirep/chuobou/9/index.html
東南海、南海地震等に関する専門調査会(2003.12)東南海、南海地震に関する報告
http://www.bousai.go.jp/kaigirep/chuobou/9/pdf/haifu_2-2.pdf

※10 南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ - 内閣府
http://www.bousai.go.jp/jishin/nankai/taisaku_wg/
【別添資料2】 南海トラフ巨大地震で想定される被害
http://www.bousai.go.jp/jishin/nankai/taisaku_wg/pdf/20130528_houkoku_s2.pdf

※11 トラヴィス・バーカーのインスタグラム - 芸能人のInstagram 11月14日10時
http://all.instagrammernews.com/detail/1117736546728239562

NHKによるTPPの説明の更新状況

NHK NEWS WEB サービス分野などの主な合意内容|今さら聞けないTPP 基本がわかる14のカード
http://www3.nhk.or.jp/news/imasaratpp/article10.html

 当該項目の最終更新日は、2015年10月23日であり、10月20日の「大筋合意に関する説明会」を受けて更新されたものと予想される。本項目については、TPP英語案文公開後の11月5日以後、現時点までの更新はない。「9 サービス分野などの主な合意内容」に示されたNHKによる説明は、大略、
  • 小売流通業・金融については、規制緩和が進むことで、日本企業が海外進出しやすい環境が整う
  • 電気通信については、国内消費者へのサービスの低価格化が進む

というものであり、政府担当者の説明と完全に理解が一致していると評することができる。

 NHKによるほかのTPPについての「カード」の更新状況は、2015年(平成27)年11月18日3時時点で、次のとおりである。農業関係者への説明が重視されていることが良く分かる。前記事(リンク)で米国議会図書館報告を紹介したとおり、JAは、TPPにおける最重要の利害関係者として認識されていることがよく分かる。

カード番号見出し最終更新日(2015年11月18日確認)
15年越しの大筋合意2015年10月6日
2農業への影響2015年11月6日
3農産物重要5項目の合意内容2015年11月6日
4畜産・水産物への影響2015年11月4日
5林水産物約81%で関税撤廃2015年11月2日
6自動車分野の主な合意内容2015年10月16日
7工業製品99%の品目で関税撤廃2015年10月20日
8知的財産の主な合意内容2015年10月23日
9サービス分野などの主な合意内容2015年10月23日
10貿易ルールなどの主な合意内容2015年10月23日
11TPPは成長戦略の切り札2015年9月11日
12世界の中のTPP2015年9月11日
13日本から見たTPP2015年9月11日
14TPPから見た日本2015年9月11日

 わが国では、国立国会図書館が公的機関についてのウェブアーカイブ化を進めているが、NHKについてのタイミングは、(現時点で突っ込んだ調査をしていない)私には、良く分からない。国会図書館のウェブアーカイブは、「選択収集」をしているようである(リンク)。

2015年11月16日月曜日

人文教育のタイムスパンと経営のタイムスパンは100倍違う

No. 1128 人文社会系学部の廃止 | 耕助のブログ
http://kamogawakosuke.info/2015/10/19/no-1128-%E4%BA%BA%E6%96%87%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%81%AE%E5%BB%83%E6%AD%A2/

 賀茂川耕助氏の上記記事を読み、以下のように思った。企業経営者は、四半期を目処に業績を見通すことができれば、それで十分である。人文系の学問を修めて世の中を導く人は、四半世紀を見通さなければならない。拙劣な人文教育の結果、四半期先しか見通す能力のない人物が増加したとすれば、ますます四半世紀の先を見通すことが絶望視されるようになるのではないか。この感想が正しいならば、人文教育には、企業経営より100倍長期の視点が求められることになる。

 現在、竹内久美子(1996)『賭博と国家と男と女』文春文庫(初出1992)と、増川宏一(2012)『日本遊戯史 古代から現代までの遊びと社会』平凡社などを、同時に読んでいる。竹内氏の著書については、四半世紀ほどを迎えようとする現在の視点から見れば、動物社会の生存戦略についての前半部は、構成も良く練られており、世相を反映する資料としても後世に残るだろうが、対照的に、人間社会の男女関係に係る戦略についての後半部は、人文教育の貧困ゆえに疑似科学の一例として取り上げられるのではないかと懸念される水準である。他方、増川氏の著書は、半世紀経過したとしても、当時の遊戯研究の集大成として、きっと残るだろうと思われる。人文教育には、固有の水準と時間感覚がある。その時間感覚は、世代を超えて継承されることを前提にするものである。大事なことなので繰り返すと、世代を超えたとしても有効さを保つ知恵を継承できること、が人文教育の要点である。

2015(平成27)年11月18日追記

池内了, (2014). 『科学・技術と現代社会 上』, みすず書房.は、科学や技術の発展の加速と現在のビッグサイエンス化・収穫逓減状況に触れている。科学・技術の更新も、教育と同様の動因によるものと思われるので、別の機会に参照したい。

今さら日本のTPP参加についての米国議会図書館議会調査局文書を読む

William H. Cooper & Mark E. Manyin, (13 Aug. 2013). Japan Joins the Trans-Pacific Partnership: What Are the Implications?, (CRS Report for Congress)
http://www.fas.org/sgp/crs/row/R42676.pdf

 今さら、あるいは改めて、日本のTPP参加による影響を解説したクーパー=マニーン報告(2013)を読んでみると、米国で対日政策を策定することは、専門家冥利に尽きることなのだなあと思わされることしきりである。全19ページの報告書であるが、過不足なく大事なことが整頓されきっている観がある。「大筋合意」に至るまでの経緯をふまえて、日本における主要なプレイヤーが論壇から脱落させられていく経緯を見ると、同報告書の分析が活用されていることがよく分かる。

 いくつかの日本語サイトでは、(その時々の世相の興味に応じた)重要な解説が見つかるし、以下に紹介する「あまのじゅく」ウェブサイトには、和訳もある※1。今さらながら勧めるのは、自身の不勉強を告白することにもなり恥ずかしいことであるが、「(日本側の)失敗(について)の研究(、つまり、米国による対日外交の成功についての研究)」の一環として、原文あるいは訳文に目を通すことをお勧めしたい。

 同報告書には、TPPに日本を巻き込むことにより得られる米国側の利益として、市場の開放※2、ルール重視の枠組と公正な紛争解決による非関税障壁の解決※3、TPPのシェア拡大※4が挙げられている。また、2012年の初期から自動車関連分野や保険分野やそのほかの非関税障壁について、そしてTPPをより高い基準で達成するため、米国が日本と一対一の懇談会を開催してきた、とのマランティス米国通商代表の発言が引用されている※5

 個人的には、15ページ以降の「Japanese Politics and the TPP」という項目が気になった。JAがここ40~50年間の対日通商交渉における主要な論敵となってきたこと、多様な利益団体と連携する中核的存在となってきたこと、主要な提携者として日本医師会があること、などが的確に記されている。この分析が世に問われた後、奇しくも、2013年の秋、2011年の日本医師連盟の収支報告書の不透明さについて、複数のジャーナリストやブロガーらが追及を始めている。この動きは、民主主義社会である以上、基本的に止めることができないものであり、この点、実に良くできている。こうして主要な連携先を失ったJAは、根拠法をも改定され、求心力を失うことになった。

 JAを分断統治するという戦術は、民主主義社会における喧嘩の作法というものを知り尽くした動きである。手先となって働いた日本人に対しては、軽蔑の念しか湧かないのだが、本件に従事した米国人に対しては、それと同じだけの尊敬の念を覚える。また、そのような才能を適切に使いこなすことができる社会に対しても、感心することしきりである。ところで、わが国の研究者・専門家は、そのキャリア形成において、英語圏の存在を無視することができない。わが国は、かつてのインドのように、マハトマ・ガンジー級の偉人を待つほかないのだろうか。



※1 私は共著者のマニーン氏の読み(和文表記)が知りたくて、Google検索したところ、和訳があることを知っただけで、一応、英語で読んだ。(ので誤解があるかも知れない!爆)

2013年5月1日付-米議会調査局レポート-和訳-20130601.pdf(あまのじゅく)
http://amanojuku.com/wp-content/uploads/2013/06/2013%E5%B9%B45%E6%9C%881%E6%97%A5%E4%BB%98-%E7%B1%B3%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%B1%80%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88-%E5%92%8C%E8%A8%B3-20130601.pdf

※2 Overall U.S. Objectives > Market Access (p.11)

※3 Overall U.S. Objectives > Rules-based Trade Framework and Impartial Dispute Settlement (p.11)

※4 Overall U.S. Objectives > Enhanced TPP (p.11)

※5 Overall U.S. Objectives (p.10)



除染事業に内在する権力性:烏賀陽弘道氏のツイートラインより

 ジャーナリストの烏賀陽弘道氏のツイッターに、次のくだりがある。
https://twitter.com/hirougaya/status/664473824969146369

私は、報道記者だって人様の不幸をネタに仕事をする賤業だという謙虚さぐらいは持ち合わせている。

 ジャーナリズムや福島第一原発事故の除染事業と同様、人の不幸で飯を食うというのは、犯罪予防研究も同じことである。このように私は師匠に教わったが、事実そのような感覚を抱いてもいる。学問についての歴史学(あるいは科学史)では、近世以降における研究者(科学者)という専門的職能を、かつては金持ちに限定されていた余技であったところ、社会の発展に伴い、制度化が進んだものであると理解する※1。人の不幸に関する研究に限らず、研究一般は、他人の労苦の上に成立する業務である。そうである以上、研究者には、自らの専門分野への貢献のみならず、自らの所属する社会に対しても何らかの還元が求められることになる。

 烏賀陽氏は、続いて除染業務に従事するゼネコン担当者の横柄さを批判し、多くの反論を受ける(リンク)が、反論(の多さや正しさ)とは関係なく、この批判自体は本質を突いたものである。工学全般は、固有の目的があって初めて成立する「実学」であるが、その中でも、土木・建築学は、常に権力と不可分に存在して発展したという特殊な地位を有している。土木・建築の職能者たちは、洋の東西を問わず、専門家集団を形成し、独自の権力を形成し、現在に至っている。土木・建築学は、その歴史も長く、権力と特殊な(緊張)関係を有する存在であるという点で、ほかの工学分野と異なるという特徴を有しているのである※2

 土木・建築学に内在する権力性ゆえに、土木・建築学を修めた者の発言が大所高所からのものになることは、半ば必然である。問題は、自身の技術の権力性に自覚的であるかどうか、その発言が横柄にならないよう調整できるかどうかである。除染事業は、その由来からして、権力の(正統性の)維持という、伝統的な目的に奉仕する業務である。そうである以上、烏賀陽氏に批判された除染事業者は、少なくともジャーナリストに(余分な)批判を受けないように、表面上だけでも、対応を物腰柔らかなものとするべきであった。喧嘩上手は、喧嘩すべきでないところでは喧嘩しない。そういう抑えが利く者である。(そういう点では、私は随分と喧嘩下手であることを弁えている。あまり目をつけないで欲しい。)


※1 (平成27年11月17日)いったん書いてしまったので、「近世以降」という限定を付して言わんとするところを明確にしてみた。地中海沿岸から中東にかけての大きな地域における、古代から中世にかけての科学のあり方は、たとえば古代ギリシアのように上掲の文章を擁護する事例も含みうるも、たとえば中世の中東地域など、反例を多く含みすぎることになる。これでも大ざっぱ過ぎるかもしれないが、現代における研究という行為の特殊性・歴史性をふまえるべきだ、という趣旨で記したものである。だったらそう書けと言われれば、その通りであるが、一度に文章を書き上げてこの位の品質にしかならない私の能力の限界を示す上でも、残しておくことにした。

※2 土木・建築学は、歴史が長いために職能集団が国際的に移動できたという特徴を有しており、この点で、航空・宇宙工学、原子力工学、機械・化学工学とは異なる。地域移動という特徴を有するという点で、土木・建築学に最も性格が近いのは、船舶(工)学であろう。私の直感によれば、土木・建築学と船舶学では、権力に対する態度が異なるようにも思われるが、これは、主に私の不勉強に由来する誤解である可能性も高い。

パリ同時テロと食文化支援の意義

 東京都内の美味しいレストランは、それが他国の料理である場合、何だかおかしな形で閉店を迎えることがあるようだ。私は、外交の世界を知らない(ということにして欲しい)が、一例だけ、そうではないかと思われる事例を体験的に知っている。その店が閉店する間際になってようやく、私は、そのレストランがその国の御用達じゃないか?と気付いたのだが、返す返すも残念に思う。この一例もあり、東京都のいわゆる城南地区には多くの大使館があるから、美味しい料理にもありつきやすいのかな、と私は勝手に分かったつもりになっている。

 閑話休題。

 前記事で、パリ同時テロについて疑問点を列挙したが、その後、Twitterで「エリック ・C」氏が日本料理店が狙われたとツイートして以来(Togetterまとめ)、多くの反響があるようだ。これに対して、『リテラ』編集部は、ある記事で次のように述べている。
 じつは今年2月、政府は「対日テロ対応策」を密かに作成している。これは最悪の結果に終わったISによる邦人人質殺害事件を受けて、官邸が国家安全保障会議(NSC)に指示し、まとめられたものだ。この対応策のなかで「最大の危険事例予測」として挙げられているのが、「休日の午後、ヨーロッパ大都市にある〈日本食レストラン〉が、簡単にして効果絶大なターゲットになりかねない」というものだったのだ。
 この件について、「ZAITEN」(財界展望新社)2015年4月号が「イスラム国「対日戦争」 次の標的は〈日本食レストラン〉」とレポート。(...略...)

 日本国政府が在外の日本料理人を陰に陽に※1支援する形で、国益に資する活動を行うことは当然であるし、公的に予算を組むべきだとも、私は考える。クールジャパン関連予算は、このような外交分野にも充当されているものだと理解しており※2、使途次第で、高い外交力を発揮するのではないかとも思う。このような活動を支えるべく、日本人が勤務する在外レストランの安全性確保に留意することは、当然の措置である。ただし、他国における活動である以上、海外の日本食レストラン業界全体にまで支援の対象を広げるか否かは、慎重に判断されるべきだろう。要人の接待に利用するレストランについては、当事国との協力を通じて、安全確保を十分に行う必要があるといえるが、悪い立地で庶民的なサービスの店を運営する戦略もあるのだから、一律の支援というものは、却って自由な競争を阻害することになりかねない。「日本人」に対する支援と「日本料理店」に対する支援は、上手に捌き分ける必要があるだろう※3

 成果が目に見えにくい「食文化」という分野への支援を社会に訴えることは、御用学者ならではの仕事である。この話題を扱うには、外交×警備保障×食文化という、ニッチも良いところの専門性が必要となる。このような話題を扱うには、多方面に円熟した才能を発揮する「教養人」が必要とされるだろう。あるいは、必要に応じて的確な知識を調達できるだけの人脈を有するということが要件となるのかも知れない。いずれにしても、この仕事こそは、ノブレス・オブリージュを体現するものになるのだろう。しかしながら、わが国の御用学者に、どれほど、この種の難題に取り組めるだけの条件を満たす人物がいるだろうか。

 わが国に限ることではないだろうが、御用学者の資質に求められるものは、利益相反のないこと、真贋を判別できること、政府と国民の双方に諫言できる覚悟を持つことだろう。和を重んじ、人情を解する(ように見える)という資質は、日本社会では重要な資質とされているが、御用学者に求められる能力としては、副次的なものである。国家安全保障会議の委員名簿にある有識者のうちの一名は、国境及び地下資源や電源構成に係る話題では利益相反性に疑問符を付されている人物であるから、本来、政府と委員の双方とも、委任の際に「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」という孔子の教えを思い起こして身を処して欲しかったものである。それとも、そのような利益相反が見られるときには、その人物は、発言を控えるなどの措置を執っているのだろうか。

 再度脱線しかけたので、本題に戻り、御用学者ピラミッドの底辺としての仕事を果たすことにしよう。

 正統な日本食で饗応することに対する支援は、基本的には国内外で推進して欲しいことであるが、わが国で進行しつつある二極化によって、次の二点の問題を突きつけられることになる。一点目の問題は、貧困に伴う人心の荒廃により、国民の理解が得られなくなるというものである。「貧すれば鈍す」は、わが国に限らず、人類の標準的状態である。国民全員を富ませ、安全で美味しい食事に対する理解と欲求を増幅させてこそ、「丹精込めて育てた美味しい食事で釣る」という先進的な手段を理解してもらえるようになるのである。二点目の問題は、グローバル化した営利企業活動の妨げとみなされることである。一点目の問題と二点目の問題は、三点目の問題を派生する。現在のわが国では、エリート層に対する庶民層の尊敬の念がなく、また、エリート層の多くも尊敬の念を抱かれるような人物ではないわけであるが、この二つの現象は、相互に補強する関係にある。TPPの締結に際して、某公益団体の会長の所属する企業が某国際的食品企業と提携関係にあり、その企業が多大な利益を食品分野から見込んでいることは、衆知の事実である。エリート層とみなされる人物らの私欲は、報道機関の自粛・萎縮にもかかわらず、庶民の多くに気付かれてしまっていることである。わが国の問題の本質は、一部を除き、高い地位にいる人物がその地位にふさわしくない振舞いに及びがちなことである。

 庶民層がグローバル企業の食品政策に反発する心の根本には、庶民層が安全で美味しい食品にありつけていないという現実がある。安全な食品を摂取できることは、基本的な人権の一つである。大体において、良心的に栽培された食品は安全なものが多く、かつ違いが分かる程度に美味しい※4。低温殺菌牛乳は、味が分かりやすい例である。米国ではどうだか知らないが、少なくとも、欧州の多くの地域では、比較的安全な食品を安価に購入できる。欧州における物価は、日本人にとっては不当に高いものに思えるが、それは単に、わが国が長期のデフレを経験しており、給与所得が増加していないためである。欧州では、同じ労働に対して倍の給与があると考えると分かりやすい。

 安全で美味しい食事にありつけないという庶民の現実を、地味に、かつ確実に変えていかないことには、海外における日本食普及のために公金を支出するという考え方は、必要であるにもかかわらず、いつまで経っても国民の賛意を得ることがないだろう。ところで、現在のわが国の政府は、警察国家化することにより、テロ対策を推進しようとしている。セキュリティ産業は、必要ではあるけれども、その負担が過重になりすぎると、却って国の安定を損なう。この教訓は、わが国でも第二次世界大戦を通じて満天下に示されたことであり、また、現代では、ショック・ドクトリンという用語により理解されつつある話である。宮島みつや氏は、現政権の方向性がショック・ドクトリンを企図するものではないか、という疑いを述べている※5

 セキュリティ政策の導入には、バランス感覚が必要である。冒頭で紹介したエリック ・C氏の言及する日本料理店が果たして日本国政府にとってどのような位置付けにあったのかを知ることは、私の義務ではない。しかし仮に、被害店が外務省職員の接待のローテーションに組み込まれていたのであれば、関係者には、何らかの方法により支援する(道義上の)義務があろう。外務省では「海外勤務で家が建つ」のであれば、公務員が直接投資するわけにもいかないかもしれないが、何らかの方法で恩返しすべきであろう。また仮に、被害店が機密費等により直接運営されていたのであれば、フランス政府と緊密な連携の上、犯人の背後関係を厳しく追及すべきであろう。



※1 「陰に」というのは、 機密費などによる場合を念頭に置いているが、その実際を私は知らない。「陽に」というのは、お客として普通に利用するということもあるだろう、という程度の表現である。ここでの表現には、本注で示した以上の含みはない。

※2 ただし、私自身は、日本国内の食品を無理推しするよりも、他国で同等の製品を生産できるように技術協力を行うことが、日本と外国の双方の利益に適うことではないかと考える。福島第一原発事故について、安全を重んじる側の考え方に立てば、当然の措置である。技術協力に注力すれば、仮に、私が懸念しているように低放射線の実害が広く生じないとしても、外国からの尊敬の念を得ることができる点では変わりはなく、いずれは富裕層が本物の日本産食品を求める、という流れになるに違いないからである。

※3 この点、日本食レストランを認証するという制度は、それほど筋が良いとはいえない。客によってサービスの質を変えるということは、日本国内の料理店ではもちろん自由だが、海外において日本国政府が支援したりお墨付きを与えたりした料理店が客の扱いを変えたという形で騒がれたとすれば、いかがだろうか。

※4 福島第一原発事故もそうであるが、現代における公害と食品安全との関係における問題点は、この原則が該当しないことにも起因する。人間の五感が食品の安全を判定できないという、素朴といえば素朴な生物(学)上の問題が、これだけの深みを有する社会問題へと転化するのである。

※5 (5ページ目)パリのテロは日本も標的だった? 佐藤優も警告! 安倍政権と安保法制が国内にイスラム過激派テロを呼び寄せる|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見
http://lite-ra.com/2015/11/post-1683_5.html

なお、正確な引用は次のとおりである。
(...略...)もしかすると、安倍政権はむしろ「テロ」を積極的に招き入れ、それを奇貨として、「緊急事態条項」を軸にした改憲世論を盛り上げるというシナリオを持っているのではないか。そんな陰謀論めいた不安さえ頭をもたげてくる。

2015年11月15日日曜日

パリ同時テロ事件についての私の疑問

 現時点では、分からないことが多い。備忘録として記す。
  1. なぜ、これらの場所が狙われたのか。
    • 北東や東南東方面の移民率が高い(マリ=クロード・ブラン=シャレアール, 西岡芳彦[訳], 「パリの外国人空間、過去と現在」, 中野隆生[編], (2006). 『都市空間と民衆 日本とフランス』, 山川出版社. p.205の図3)。
      • 犯人の一部は自動車で移動したということなので、渋滞はともかく、移動の困難は小さい。
      • 自爆という手段で犯人の多くが死亡した以上、逃走を考慮する必要がない。
    • なぜ、日本人が観光で多く訪れるような地区が狙われなかったのか。
      • エジプト・ルクソール(1997年)のような事件と性質が異なるのか。
      • ナイトライフの繁華街はオベルカンフ(Oberkampf)のほかにもシャンゼリゼ通り(Avenue des Champs-Élysées)があるようだ(参考)。銀座でなく新宿というノリか。
  2. 犯行に使用された銃器や爆発物はどのように用意されたのか。
    • 日工組社会安全財団の報告書(リンク)にはフランスについても説明がある(リンク)。
    • 旧共産圏諸国からの武器が流入し、非合法取引がかなり盛んであることは、ブライアン・フリーマントル, (1998). 『ユーロマフィア』, 新潮文庫.に詳しい。
      • (平成27年11月17日追記) AK47が使用されたというテレビ報道が昨日あった。シリアで計画されベルギーで準備されたという話もある。まとめサイト(リンク)に使用されたとされる装備の写真あり。
    • フランスは食糧輸出国であり、化学肥料の入手経路が複雑そうだ。
  3. 劇場の被害が非常に大きいが、スタッフやバンドが安全であったのは、どういう理由によるのか。
    • もっとも分からないことのひとつ。立地は、東京にあえて例えるなら池袋か渋谷か。
    • バンド付きのSPが活躍したのか。国際的な警備保障サービスは、ショック・ドクトリンを推進する側のビジネスである。
    • フランスの公共安全関係者は、国際的な通信傍受ネットワークを管理する国々の関係者から、事前に警告を受けなかったのか。受けることができなかった理由は、わが国の報道では明らかにされていない。

 なお、G20の当初の議題を変更することが犯行グループの本当の狙いであったとも考えることは、可能である。現在のわが国の政府は、警察国家化することによりテロ対策を推進しようとしている。この方向性は、江戸時代以来のわが国のデフォルトではあるが、先進国として胸を張ることのできるものではない。今回のテロ事件は、EU各国の警察国家化を推進するために仕組まれたものであると考えることも無理筋ではない。

 マスコミ報道には、数ある可能性や現在のテロ対策の欠陥を不当に無視することのないように望む。マスコミ報道を一色に染め上げ、問題の構造を報道させないことは、テロ行為を利用する者たちの狙いの一つである。9.11については、今では、ブッシュ政権に相当の不備があったことが判明しており、ブッシュ政権の要人たちとビンラディン家との金銭上の関係も衆知のものとなっている。しかしながら、このような構造的問題の明示は、現在のマスコミの利益と真っ向から対立する。よって、本事件についてのマスコミ報道も、通り一遍のものとなる可能性が高い。しかし、そのような通り一遍の解釈は、わが国の国民の利益には決してならない。

平成27(2015)年11月16日01時追記

パリで、更なる偽旗攻撃?: マスコミに載らない海外記事
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-833e.html

 Paul Craig Roberts氏の記事の邦訳であるが、ブログ主の記述も興味深いので、翻訳記事の方を掲載した。ポール・クレイグ・ロバーツ氏は、本事件がフランス政府自身(正確に引用すると「フランス支配層」)による偽旗作戦であるという可能性を指摘しているが、本事件についての同氏の説明は、前例となる事件を挙げるに留まり、本事件がフランス政府による偽旗作戦であることを十分に示すものではない。本事件が広く報道されているように既遂である※1とすれば(、また私も既遂であると考えるが)、フランス政府がその予防を果たせなかったことにより失ったものは、かなり大きい。パリは、観光で食べている町でもあるので、先に示した疑問1のように、いわゆるお上りさん系の観光客が行く場所が狙われた訳ではないものの、大きな経済的打撃を受けるであろうことは間違いない。犯罪の企図者は、このような副次的な被害も事前に想定することができる存在である。仮に、フランス政府に所属する複数の人物が、直接的な被害だけでなく波及的な被害を見越してでもこのような悲劇を起こしたとすれば、その理由は、それを上回るだけの利益を彼らが得ることが見込まれたからであろう。私には、本事件によって、何らかの利益がフランス社会の中で生活する者にもたらされると考えることができない。逆に、何らかの利益が得られる構図を整合的に説明できるのであれば、本事件が偽旗作戦であると考えることもできよう。

 私は、他国民(あるいは無国籍的な存在)ならば、本事件から利益を得る余地があると考える。それゆえ、あえて真相を予想するならば、本事件は他国民により計画が主導されたものであり、仏国民の不心得者を実行犯として利用したと見るのが妥当であろう。この予想は、本事件について、オランド大統領が「仏国外で組織・計画された」(平成27年11月15日、日本経済新聞1面)と強調したことを踏まえたものである。また、たとえ黒幕が仏国民であったとしても、その者は、祖国への愛着を有さず、いざとなれば他国で生活することが容易であるという特徴を有するのではないか。

 ただ、政府が自国民を守らないことは、わが国において現時点で大々的に見られる現象ではある。しかしながら、他国がその事例に該当するかどうかは、慎重な検討が必要となるのである。

※1 Crisis Actorと呼ばれる職業があると言われる。惨事を演出するための役者であると言う。パリ同時テロ事件においても、そのような役者が報道に取り上げられていると指摘されている(リンク)。



2015年11月13日金曜日

平成27年版『犯罪白書』の報道に接して

性犯罪後の講習が効果、再犯率5分の1に…白書 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/national/20151113-OYT1T50125.html
特別調査では、08年7月~09年6月、性犯罪で懲役の有罪判決が確定した1791人の再犯状況を調べた。
 このうち実刑となった731人の出所後3年間の性犯罪再犯率を 分析したところ、刑務所と、仮釈放後の保護観察の両方で再犯防止プログラムを受講した120人では5・6%だった。これに対し、受講経験のない満期出所者 は25・5%。仮釈放されたが受講経験のない人は16・8%で、受講者とは大きな差が出た。
2015年11月13日 15時23分

 新プログラムの割り当て方が要点である。私の知る限り、日本のマスメディアのすべての犯罪報道は、このような観点にまで踏み込むことはしていない。官庁付きの仕事は、比較的キャリアの浅い(=わが国では若い)記者の仕事だと思うが、そのとき、文系が出身母体の記者は、よほど大学で研鑽を積んでいないと、実験計画(学)について学習するということはないのではないだろうか。社会学系の学部で社会調査に従事したのであれば別だろうが、法学や経済学に在籍していたのでは、よほどのことがなければ履修することはないだろう。(それでなくとも、それぞれの学問体系は、相当に奥が深いだろうから、とても四年では足りないだろう。)

 新プログラムの効果が本当にあるのかどうかを調べるためには、原則的には、旧来の処遇方法と新規の処遇方法とを受刑者に無作為に割り当てなければいけない。このとき、社会の同意が得られるかどうかと問うてみれば、それは無理だろう。法務省の分析結果をそのまま受け容れるだけでは、外部の研究者の活躍する余地がない(<本音)。読売新聞は、TPPを歓迎しているのだから、米国でこのような研究手法が強力に主張され、現在では揺り戻しがあるという背景にまで踏み込んで、広報して欲しい。

落合莞爾, (2012).『明治維新の極秘計画』, 成甲書房.

蜷川新氏は、幕末の忠臣として名高い小栗忠順氏(小栗上野介)の義理の甥である。『維新正観』は、同志社大学の国際法の教授などを務めた蜷川氏による明治維新再考論である。昭和27年、つまりわが国の独立後の間もない時期に世に問われた同書※1は、薩長史観ともいうべき教科書的記述に真っ向から対立するものであった。同書で、蜷川氏は、蜷川氏の義理の伯父※2であった小栗氏が暗殺されたと述べ、犯人の原保太郎氏から、直接そのことを聞いたと記している。このような証言は、一次資料であり、学問分野により取扱に差が見られるが、一般には、その真偽が慎重に検証されるべきであるとされる。

実は、今回の書評(というかメモ)の対象は、蜷川氏の『維新正観』ではなく、落合莞爾氏の『明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」』(2012年, 成甲書房)である。星は★★★★☆(4つ)、学校で日本史を学んだ日本人なら、異説として楽しく読めると申し上げたい。「落合史観」の特徴として挙げておくべきことは、事の真偽はともかく、前の記事で紹介した鬼塚英昭氏の『日本の本当の黒幕(上・下)』に比べ、流血の量がかなり少ないことである。しかも、落合史観では、英王室スキャンダルにインスパイアされた英国の映画『バンク・ジョブ』※3もびっくりのどんでん返しが大盤振る舞いされる。

ネタバレを防ぐためにも『明治維新の極秘計画』の説明は、以上で十分なのだが、「陰謀論」の業界地図を作成するための作業の一環として、あえて、落合氏の説明で最も説明が苦しい点、つまり蜷川新氏が原保太郎氏から小栗忠順氏の殺害を直接聞いたことに触れず、「"官製史学"では」小栗氏が斬殺されたと記す〔p.263の写真題字〕点を指摘しておこう。鬼塚氏の描いた田中光顕伝は、多くの要人の血に塗れたダーク・ファンタジー風であるが、鬼塚説に対して、落合氏の描く明治維新は、要所要所に「義経伝説」を取り入れたことにより、よりロマン溢れるものとなっている。落合氏は、明治維新期に殺害されたとされる要人には、自身の死を偽装して、日本国の将来のために益々貢献した者も含まれるというのである。小栗氏は、まさにその一人であり※4、落合氏の予測では、榎本武揚の準備の後、塚原昌義が誘導し、フィラデルフィアに亡命したという〔p.269〕。本書には、小栗氏が旧三井物産の米国支社を立ち上げたとする「さる筋」からの解説がある〔p.262〕。

落合氏は、小栗忠順氏をこれほどに維新の立役者として顕彰するのだから、ぜひ、この点については、証拠を「さる筋」からの伝聞だけに頼ることをせず、本書でも探究の跡を示し、一次証拠である蜷川氏の主張を論駁して欲しかった。小栗氏は、Guido Fridolin Verbeck氏(フルベッキ博士)の1868(明治元#落合氏の説〔pp.289-290〕)年の「フルベッキ群像写真」に唯一写されていない維新の立役者ともいう〔p.290〕ほどであるから、なおさらである。この点の説明不足が手抜き過ぎるので評価の星を減じたが、しかし、私は、鬼塚説よりも落合説の方が好きである。ノブレス・オブリージュという語には、賢明さが含まれているべきであり、落合説に示された内容が本当であれば、鬼塚説に比べ、日本国には、まだまだ希望が残されているように思うからである

※1 今回参照したのは、昭和28年第5版を底本とした、2015年の礫川全次氏による復刻版であり、「秘められた日本史・明治篇」という副題がある。礫川氏の校注は、大変丁寧で参照する価値があると思う。

※2 叔父かも知れないが、確認は別の機会があればとしたい。

※3 ここの部分も書き飛ばしであるので、ここの確認も別の機会があればとしたい。最近、某ケーブルテレビでヘビーローテーションだったので見たのだが、これも大人の皆様にはお勧め、星は★★★★★(5つ)。

※4 ほかの事例は、落合書の要点なので、ここでは述べない。


例によって、以下、落ち穂拾いを記す。

#これでようやく、鬼塚史観だけではない、わが国の陰謀論の奥深さを示すことができたように思う。陰謀論者がまったく説明を試みないことのうち、私が訝しんでいる点は、次のとおりである:なぜ、伝統的な史学者が陰謀論に示された学説を一顧だにしないのか、また、蜷川氏のような「知るべき立場の人」にも「事実」が開示されないのか。これらは、現在の学問の広がりから言えば、相当フレッシュな課題である。科学・技術・社会論(STS)によっても説明できる題材とも思われる。これらの疑問は、あまりにもハイブロー過ぎるものであろうか。私の頭がイカれているのか?どうか、私の頭がイカれているだけであって欲しい。なぜなら、陰謀論の幾分かが史実であるとすれば、なぜ、現在の史学コミュニティがその誤りを追究できなかったのか、という議論に必ず行き着くはずであるし、また、そうした議論が行われるとき、念頭に置かれる構造は、フクイチ事故と同型のものになるであろうからである

#興味がある話題をGoogle検索したとき、「れんだいこ」氏のサイトの記事がよく上位に来る。密かに、素晴らしい先達だと思っている。本件でも出てきたが、あえてほかのところで出典を求めるようにしている。そうすれば、逆説的に、れんだいこ氏の言うことがほかの信憑性の高い資料を基に練られており、多くの範囲をカバーしていることが分かるからである

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_40_1_furubekkico.htm




2017年11月8日修正・追記

レイアウトをbrタグからpタグ中心に変えた。

以下、ネタバレ注意であるが、本ブログの読者なら、とっくにご存じのことであろう。

落合氏は、現時点までの間に、フルベッキ写真の中央に写された人物を大室寅之祐とする自説を撤回している。ただし、落合氏は、この自説と『明治維新の極秘計画』の主題である「大室寅之祐=明治天皇説」を別個に取扱うべきである旨を、斎藤充功氏との共著[1]に述べている。落合氏は、法人類学(forensic anthropology)研究に基づく写真鑑定の結果を「これに遵うほか」[2]ないと結論する一方で、落合史観の要諦である「大室寅之祐=明治天皇説」については、2016年7月の『ワンワールドと明治日本』に至るまで、見方を変えていない(ものと判断できる)。「落合・吉薗秘史」シリーズ3巻を確認できてもいないので、これらに対する私自身の見解は、宿題としておきたい。


[1] NDL-OPAC - 書誌情報
(落合莞爾・斎藤充功, (2014.9). 『明治天皇"すり替え"説の真相 近代史最大の謎にして、最大の禁忌』, 東京: 学研パブリッシング.)
http://id.ndl.go.jp/bib/025623363

[2] 明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌 - 落合莞爾, 斎藤充功 - Google ブックス
(2017年11月8日リンク確認)
https://books.google.co.jp/books?id=DZgSBgAAQBAJ&hl=ja&pg=PT6

2015年11月11日水曜日

デ・メスキータ、スミス, (2011=2013). 『独裁者のためのハンドブック』, 亜紀書房.

 モデルに基づく研究について多少なりとも造詣のある者は、本書を面白く読めると思う。読者層を限定すれば、星は、★★★★★(5つ)で、一読の価値がある。しかし、読者は、本書のモデルについて、限定的なものととらえて読むべきであろう。

 デ・メスキータとスミスは、独裁者の権力維持を説明するセレクトレート・セオリー(Selectorate Theory, 権力支持基盤理論)を提唱した。権力者ないし独裁者を支えるモデルは、盟友集団、影響力のある者、名目的有権者の三層からなるとする。前者の二層が「権力支持基盤」であるとする。権力者は、権力支持基盤の規模が比較的小さな場合には独裁者として、権力支持基盤の規模が大きな場合には、民主主義に基づく正統な権力者と認められる。このようにデ・メスキータとスミスは指摘し、いかなる権力者も独力では権力を維持し得ないという仮定から、独裁と正統な権力とが権力支持基盤の規模という連続性のある量により曖昧に区別されるものでしかないことを導出した。なお、(訳者である四本健二氏と浅野宜之氏の要約によれば、)三層の例は、次のとおりである。

盟友集団
独裁者を失脚させるだけの力を有する側近。
例:与党や軍の幹部、閣僚、部族集団や地域社会の長、企業の取締役。
影響力のある者
独裁者の権力掌握と支配に貢献し、影響力を有する集団。独裁者は、彼らに配慮し、彼らの好む政策を選択せざるを得ない。
例:当選者への投票者、与党党員・有力支持団体、大口投資機関家、軍、独裁者の出身部族、会社の幹部社員など。
名目的有権者
独裁者の選択に影響力を与えない集団。
例:一般の国民、選挙で落選した有権者に投票した有権者、小口の株主など。

 デ・メスキータとスミスのモデルは、静的な国際関係の下での独裁的な一国の定常状態を説明するものとして、適切なものであるように思う。他方で、このモデルは、動的な国際関係や国際的企業群の営利活動下において、それらの独裁的な、あるいは民主的な国々がいかに機能しているのかという点を捨象している。国際的な営利活動の影響を切り捨てているために、このモデルは、今現在の(わが国を含めての)混迷を説明するには役立つものではない。最も賛同を得やすい事例だけに留めておくと、一時期までの南米諸国における「保守的」軍事政権を理解するには、デ・メスキータとスミスのモデルよりもナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』の方がよほど通りが良い。過去のクーデターから現在の穏健的な体制への移行の結果、現時点で、南米諸国の苦境から多大な利益を上げて勝ち抜けているのは、主に米国に本拠地を置く国際的企業群であり、当の国民ではないのである。

※ デ・メスキータとスミスも、第8章において、災害等のショックが反乱または支配の契機になりうると述べているが、クラインは、企業群がそのような機会を常に窺うものだと見ている。この点、デ・メスキータとスミスは、ショックを例外状態と見ているのに対し、クラインのスコープは、ショックそのものにあり、両者には大きな違いがある。

※ 第9章における孫子への言及には、明らかに誤解が含まれる。ワインバーガー元米国防長官?に先立ち、戦わずして勝つことが上策であることを述べているのは、日本人にとって常識の範囲内だと思ったのだが(#この文は、ここまでまったく何も参照しないで書いている)、デ・メスキータとスミスは、孫子のテクストを戦争を前提にしているものと批判している。この明らかな誤りは、修正されるべきであろう。

2015年11月8日日曜日

『エコノミスト』の二本の矢「11.3」「11.5」を解呪する(ネタ気味)

#本記事は、陰謀論を真面目に扱うネタ気味のものなので、その心づもりをお願いします。

 TPPの案文が2015(平成27)年11月5日に公開された。翌日の読売・朝日・日経とも、TPPの案文公開自体には、言及していたように思う。しかし、TPPの影響を予測する上で、各紙の記事は、(少なくとも私の専門に係る犯罪予防分野については、)当てになるものではない。調査報道の充実を望みたいところであるが、記者の怠惰と商業主義、読者の見識、ブログという(一見)競合するメディアの存在という三者の関わり合いを考慮すれば、無理筋であろう※1

 唐突な話になるが、私は、11月5日のTPP案文公開が『エコノミスト』誌の二本の矢のうちの「11.5」を示すとは思わない。イギリスの『エコノミスト』誌の『2015 世界はこうなる The World in 2015』(amazon.co.jpへのリンク)表紙には、二本の矢が右下に描かれている。一本には「11.5」、もう一本には「11.3」の数字が記されている。「11.3」は、イギリス式※2に読むと3月11日であり、東日本大震災を想起させる。二本の矢が日本列島に擬せられた島に刺さっているように見えることや、「矢」という表現が「アベノミクスの三本の矢」を連想させることから、日本語の陰謀論コミュニティ界隈では、これら二本の矢は、日本に対する攻撃を示唆するものではないかとみなされてきた。

 陰謀論者たちの懸念にもかかわらず、『エコノミスト』誌の「預言※3」が日本国内で実現したと解釈することは、かなりの無理筋である。まず、今年の3月11日、5月11日、11月3日のいずれにも、われわれ一般人の目に分かるだけの破局的な出来事は、ひとつも生じていない。すると、まず、「11.3」の解釈が問題となる。では、「11.3」が東日本大震災であると解釈しよう。すると、「11.5」は、東日本大震災と釣り合うだけの出来事でなければならなくなる。しかし、東日本大震災に匹敵するだけの出来事は、11月5日にも、5月11日にも生じていない。さらに、「11.3」が3月11日であると解釈した以上、「11.5」は、5月11日でなければならなくなる。以上の整理から、対になる出来事が生じていないがゆえに「11.5」は失敗したとみなすことが、最も筋の良い解釈となる。

 このような私の主張は、再帰的な観点から、その論拠の正否にかかわらず、「11.5」は呪術ではないかという恐れを抱く人々に対する解呪作用を持つので、呪術の世界のルールからすれば、厄介なものである。「私には何も生じていないように見えるから、お前の呪術は失敗した」という主張は、呪術をかけた側からすると、一種の悪魔の証明となる。この呪詛返しに対抗するために、術者は、何かの出来事が生じたことを論駁しなければならなくなるが、この作業は、術者がただの人間に過ぎないことを暴露する契機となりかねない。術者は、その術中に陥った他人が枯れススキを勝手に幽霊と見誤ることを期待している。私のここでの主張は、いわば、『オズの魔法使い』でドロシーが幕を開けたような効果を引き起こすのである(ネタバレ失礼)。

 現在の世の中における「預言=大がかりな呪術」は、準備に要する労力の割※4に大きな影響力を発揮してくれない。これに対して、呪詛返しの効果は、呪詛返しを執り行った人物の影響力にも影響されるが、しかしなお、誰によるものであっても、最小の労力で最大の効果が発揮されかねないものである。現代は、五島勉氏が『ノストラダムスの大予言』を世に問うた当時から見れば、誰もが気軽に反論をネットで流布させることが可能になっている。1999年を無事に越えた現在は、大がかりな呪術を営む者にとって、確実に生き辛い世の中になっている。その反面、小グループによる呪術が個人に届き易くなっているという点には、注意が必要である。

 大がかりな「11.5」詐欺は失敗したが、しかしなお、呪術を取り仕切った側の立場から想像してみると、いくつかの解釈は可能ではある。「11.5」は来年かもしれないし、「11.3」は英国がAIIBへの参加を決定した日かもしれない。英国政府がAIIBへの参加を広報した日は、3月12日である(リンク)。米国まで視野を広げると、連邦政府債務上限が11月3日であったという話もあるが、この話は、いわゆる両面待ちという手口に過ぎず、「11.5」についても十分な説明ができてもいない。しかし、いずれもこじつけに過ぎない。

 ほかの陰謀論者の諸賢たちも当該の現象を探し当てていない以上、やはり、『エコノミスト』が放った二本の矢は、呪術としては大きく的を外したのである。



 以上で、予想される反論も封じたので、落ち穂拾いしておこう。

(1) 疑似科学の典型的な方法に、何通りにもこじつけの可能な抽象的命題をふっかけるというものがある。『エコノミスト』の二本の矢も、相当に範囲が限定されてはいるが、幾通りかの解釈を許すものとなっている。しかし、上記で検討したように、数字に対する解釈は事実と整合しない。陰謀論における主要なツールは、アブダクションであるが、『エコノミスト』の二本の矢は、アブダクションとしても破綻している。

(2) ビジネス書のような観点からみると、数字をあらかじめ挙げておくことは、「自分で期限を切って自分を追い込む」という効果がありそうだ。こういうところに商売っ気が見えるところは憎めない。

(3) わが国の国民益に対するTPPの問題性は、陰謀論者とみなされる者の間でも、つとに指摘されてきたことである。わざわざ国民益と記したのは、国益として有益か否かは、(近代)国(家)の定義の検証から始めなければならないほどの作業を必要とするためである。TPPは、圧倒的多数の国民にとって害となるから、陰謀論者の皆がTPPを国民にとって有害であると説くことは、問題なく正しいことである。

 『エコノミスト』の二本の矢とTPPとの関連は、陰謀論者への試金石となる。TPPについて検討を加えていく過程で、必ず、TPPは特定組織等による日本社会支配のツールである、といった極論が提起されるであろう。それに付随して、案文が11月5日に公表されたことをもって、『エコノミスト』に先見の明があったなどという意見が生じるであろう。両者を関連させて冷静に記述することまでは許容されようが、『エコノミスト』を称揚することは、国民益を損なうことであり、厳に慎むべきである。(分かった上で無視したり知らないふりをするのは、賢い態度だと思う。ディスるのはご自由に、とも思う。)




※1 わが国のマスメディアへの信頼感は、他国に比べて際立っている。その理由について、私は、わが国における戦中世代以後のマスメディア教育が不成功に終わっているためという仮説を有しているのだが、もちろん、これは床屋政談の類に過ぎない。以下、この仮説を補強すべく、近年の関連記事を非系統的に収集しておいた。
 たとえば、一般財団法人経済広報センターは、不定期的に、マスコミやSNSなどの情報源の利用についてのインターネット調査を行っており、最新の調査結果は、今年10月13日にウェブで公開されている。情報源の正確さについては、「とても正確である」から「とても正確でない」までの5件法で尋ねられており(p.19, 図8)、新聞は「「とても正確である」が11%、「やや正確である」が40%と、半数以上が正確だという印象を持っている」という。「ふつう」まで加えると実に回答者の9割に達する。逆に、商業性の低いメディアであるソーシャルメディアやインターネットの正確性に対しては、半数以上の回答者が疑問視している。

社会広聴会員の皆様へ | 経済広報センター
https://www.kkc.or.jp/society/survey.php?mode=survey_show&id=100

表 経済広報センター2015年10月13日公表『情報源に関する意識・実態調査報告書』図8の数値
メディアとても正確であるやや正確であるふつうやや正確でないとても正確でない
新聞(インターネットを除く)11403991
テレビ32345245
ラジオ42164102
雑誌(インターネット版を除く)11246356
マスコミのニュースサイト(電子版の新聞・雑誌など)22255202
ソーシャルメディア(SNS、ブログなど)04244824
インターネット(マスコミのニュースサイト、ソーシャルメディアを除く)11343358

 舞田敏彦氏は、『The World Values Survey(世界価値観調査)』のデータを再併合して「マスメディアへの信頼度の国際比較」(リンク)というグラフを提示し、日本やアジア諸国におけるマスメディアへの信頼度が高いと述べている。続報にあたるwave 6についてのエッセイにおいても、舞田氏は、鵜呑みにする危険性を強調している。wave 6については、ほかにも本山勝寛氏や「不破雷蔵」氏がブログで言及している。葉山哲平氏は、朝日新聞の調査に触れ、読者が紙面に対して不満を有している旨を述べている。以上は、(誤りを含みうる)記述統計的な手法である。

 北村智氏は、 2012年9~10月に独自に実施した質問紙調査に基づき、政治に対する信頼を三群に分けて、メディアの利用・メディアへの信頼を被説明変数とする(多重)ロジット回帰を実施している。その際、世界価値観調査が参照されている。先行して、小笠原盛浩氏は、2005年の調査に基づき、次の式からなるSEMのモデルを提示した。
  • 一般的信頼→一般メディア信頼→各メディアへの信頼→時間
  • 時間→各メディアへの信頼
  • 情報選択・自己効力感→各メディアの信頼


The World Values Survey
http://www.worldvaluessurvey.org

データえっせい: マスメディアへの信頼度の国際比較(舞田敏彦氏、#wave 5, 2005-2009)
http://tmaita77.blogspot.jp/2013/06/blog-post_25.html

メディアへの信頼度が高いだけに世論誘導されやすい日本 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト(舞田敏彦氏、#wave 6, 2010-2014)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/10/post-4034_1.php

先進国で最もマスコミを鵜呑みにする日本人 - 本山勝寛: 学びのすすめ(#wave 6,)
http://d.hatena.ne.jp/theternal/20140913/1410567951

世界各国の「新聞・雑誌」や「テレビ」への信頼度をグラフ化してみる(2010-2014年)(最新) - ガベージニュース(不破雷蔵氏、#wave 6)
http://www.garbagenews.net/archives/1102258.html

報道の自由度61位…日本人が新聞に求めるものはスクープ記事よりも洗剤だった!? - デイリーニュースオンライン(葉山哲平氏)
http://dailynewsonline.jp/article/918370/?page=all

北村智, (2014). 「情報源としてのメディアの利用・信頼と行政信頼の関係に関する一検討:政治的有効性感覚との交互作用に着目して」, 『コミュニケーション科学』40, 27-42.
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005521298
http://repository.tku.ac.jp/dspace/bitstream/11150/6540/1/komyu40-04.pdf

小笠原盛浩, (2008). 「インターネットのメディア信頼性形成モデルに関する実証分析」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006865170

※2 『エコノミスト』誌の出版社は、所在地である

※3 誰?からの預言であるかは、本記事では検討しないし、私の興味の向くところではない。

※4 たとえば、スティーブ・ジャクソン・ゲームズによるカードゲーム『Illuminati』の初版カード「Combined Disaster」の検証は、1994年あたりには予想もできなかったレベルで画像検索が可能となった現在、きわめて簡単なものである。ビッグ・ベン:大穴、ソチ駅:対抗、リオ:問題外(時計塔はあるがまるで異なる)、平昌:問題外(時計塔自体がなさげ)、和光の時計塔:本命、といった比較が一個人でも可能となっている。ソチの時計塔は改修時(1952年)に用意されたほどの熱の入れられようであるが、和光の時計塔も二代目(1932年)というから、なかなかのものである。11月11日という日付が書き込まれているという解釈もあるが、『エコノミスト』の二本の矢と矛盾することになる。

2015年11月7日土曜日

わが国におけるTPP第10章と賭博サービスとの関係の検討


#TPPの案文が11月5日に公開された。

 TPPは、第10章(国境を越えるサービス業および同分野への投資)について、ネガティブリスト制を採用している。ネガティブリスト方式では、従来の規制を続ける分野を附属書(Annex)に列挙し、記載されなかった分野をすべて自由化の対象とする。現時点の第10章の附属書は、わが国についても英語で示されており※1、その日本語訳は、前日(平成27年11月6日)の時点で政府により公開されていない。以下の議論は、私訳によるものであることに留意されたい。

 第10章に係るわが国の留保分は、「日本国は、電信サービス、賭博サービス、たばこ製品の製造、日本銀行券の製造、硬貨の鋳造及び販売、郵便サービスの(#それぞれについて、その)供給または投資に関するあらゆる手段を採用または維持する権利を保持する。」という文により示されている。注記が2つある。その1は、条約発効時の参入主体を下記の法律に示されたものに制限するという趣旨である。その2は、郵便事業の定義を示すものであり、私の論旨には影響しないので、検討を省略する。

 実のところ、わが国の留保に係る先の文言は、わが国への国際的なブックメイキングサービスやオンラインゲーミングの提供を妨げない。なぜなら、「すでに存在する規制手法」(Existing Measures)として、刑法第185条(賭博)及び186条(常習賭博及び賭博場開張等図利)が明記されていないためである。現在のわが国において運営されており、ブックメイキングという分野に含めることができる賭博サービスは、競馬・モーターボート・競輪・オート(オートバイ)・totoくじ(サッカー)のみに限定されており※2、これらの運営には外国企業等が新規参入することは許されない。しかしながら、わが国のTPP担当者が刑法を留保の対象にまったく含めなかったために、TPP第10章及び第19章は、最悪の展開の場合には※3、スポーツや選挙等の結果を賭博の対象として認める上での根拠となる。逆に言えば、刑法第185条及び第186条は、参入障壁とみなされる可能性が極めて高い存在なのである。

 また、TPPは、雀荘やぱちんこ店、オンラインゲームにおける「ガチャ」※4といったサービスの門戸を外国企業等にも開放する。正確には、TPPは、いずれかの加盟国の法律がある形態の賭博を許容するのであれば、その賭博の運営を加盟国に認めるよう強制するという効果を有する。ブックメイキングは、論理上、公的な社会現象のすべてを対象に取るものであり、また、オンラインゲーミングは、複数の個人間のゲームという私的な関係において生じた事実を元に賭金を分配するものである。これらの賭博の形式は、雀荘やぱちんこ店の営業を非犯罪化するという波及効果をもたらすだろう※5

 わが国では、すべての賭博行為の取締りが困難であるという理由などから、賭博とみなされる行為が広く黙認されてきた。公営賭博を除けば、わが国の賭博営業システムは、属人的な方法で統制されてきた。ぱちんこ店に係る「三店方式」に代表されるように、「儲かるしくみ」の要点を立法行為に基づくコントロール下に置く代わり、高級官僚から末端の退職者までを要所に天下りさせ、それらのOBが経験的にシステムを調整してきたのである。これはこれで一つの統治の形態であったのだが、TPPは、ここに不確定要素をもたらしたと言える。

 しかしながら、外国の賭博サービスは、言語の壁※6やゲームの好み※7などの問題を解決しない限り、従来非合法に行われてきた以上には伸長しないだろう。他面、野球賭博や相撲賭博は、今後公然化するだろう。これは、従来の地下経済を正常化する契機ともなり、原理的には望ましいことである。ただし、野球賭博や相撲賭博は、ハンディキャップの妙が要点だと聞いており、この点への配慮が必要である。ギャンブルの妙味を確保するという機能だけに着目すれば、野球賭博等におけるハンデ師たちは、ぱちんこ台における保安通信協会と同等の役割を果たしている。あるゲーミング分野を正常化する際には、その分野の魅力そのものを減じない工夫が必要となる。

※0 原文は、以下のとおり。
Japan reserves the right to adopt or maintain any measure relating to investments in or the supply of telegraph services, betting and gambling services, manufacture of tobacco products, manufacture of Bank of Japan notes, minting and sale of coinage, and postal servicesin Japan. 1, 2


※1 11月5日の案文の公開状態をふまえれば、TPPは、明らかに英語を第一言語としている。スペイン語・フランス語が第二言語である。日本語は、TPPの正式文書の言語として認められていない。また、TPPの策定に従事した日本国を代表した組織・人物や、それら組織等に所属する人物の英語力が不明な状態にある以上、TPPについては、性悪説に立ち、英文を読解すべきである。なぜなら、わが国では、UNの訳語が連合国であったり国際連合であったりするように、二枚舌とも言いうる訳出が提示されることがあるためである。

※2 "Existing Measures"(すでに存在する規制手法)として、次の条文が挙げられている。末尾に、日本語での条文を挙げる。
競馬法(昭和23年法律第158号)Horse Racing Law (Law No. 158 of 1948), Article 1
モーターボート競走法(昭和26年法律第242号)Law relating to Motorboat Racing (Law No. 242 of 1951), Article 2
自転車競技法(昭和23年法律第209号)Bicycle Racing Law (Law No. 209 of 1948), Article 1
小型自動車競走法(昭和25年法律第208号)Auto Racing Law (Law No. 208 of 1950), Article 3
当せん金付証票法(昭和23年法律第144号)Lottery Law (Law No. 144 of 1948), Article 4
スポーツ振興投票の実施等に関する法律(平成10年法律第63号)Sports Promotion Lottery Law (Law No. 63 of 1998), Article 3


※3 作家の柳田国男氏の指摘にもあるように、最悪の展開は基本的に起こるものである。

※4 いわゆる「ガチャ」は、リアルマネートレード、略してRMTに含めることができる。私の知る限り、RMTは、1997年の『Ultima Online』や『Diablo』が流行していたころに始まったように思う。『Diablo』については、1998年初期から体験的にRMTが存在していたことを知っている。2001年に現・インディアナ大学教授のエドワード・カストロノヴァ(Edward Castronova)氏が1999年サービス開始の『EverQuest』を題材に、Eコマースやインターネットの将来そのものであるかもしれないと述べた(リンク)ほどの分野である。

※5 前の記事(2015年10月23日)で、私は、このようなグズグズなことになる前に、法制化を図ることが結果として国民の利益に適うのではという趣旨でブックメイキングの「法制化(断じて非犯罪化ではない!)」が必要と述べた。TPPの発効が日米二カ国の署名を必要とする以上、私は、TPP署名前に、今からブックメイキングの法制化の検討を数年かけて進めても、日本国民には何ら不都合は生じない、と現時点でも考えている。

※6 従来の懸念に見られたような「参入障壁としての日本語」は、ここで示した「言葉の壁」と同一である。しかし今後、※1に示した「法制度の英語化」こそが、問題として顕在化するのではないか。

※7 私は、『Red Dead Redemption』というゲーム内で、初めてテキサス・ホールデムというポーカーの一種があることを知ったほどに、ギャンブルをしてこなかった。私は、わが国のコイン落としの方がよほど面白く、小遣いを払うに足るゲームだと思っている。



参考


競馬法(昭和23年法律第158号)
第一条  日本中央競馬会又は都道府県は、この法律により、競馬を行なうことができる。
2  次の各号のいずれかに該当する市町村(特別区を含む。以下同じ。)で、その財政上の特別の必要を考慮して総務大臣が農林水産大臣と協議して指定するもの(以下「指定市町村」という。)は、その指定のあつた日から、その特別の必要がやむ時期としてその指定に付した期限が到来する日までの間に限り、この法律により、競馬を行うことができる。
一  著しく災害を受けた市町村
二  その区域内に地方競馬場が存在する市町村
3  総務大臣は、前項の規定により市町村を指定しようとするときは、地方財政審議会の意見を聴かなければならない。
4  第二項の規定による指定には、条件を付することができる。
5  日本中央競馬会が行う競馬は、中央競馬といい、都道府県又は指定市町村が行う競馬は、地方競馬という。
6  日本中央競馬会、都道府県又は指定市町村以外の者は、勝馬投票券その他これに類似するものを発売して、競馬を行つてはならない。

モーターボート競走法(昭和26年法律第242号)
(競走の施行)
第二条
 都道府県及び人口、財政等を考慮して総務大臣が指定する市町村(以下「施行者」という。)は、その議会の議決を経て、この法律の規定により、モーターボート競走(以下「競走」という。)を行うことができる。
2 総務大臣は、必要があると認めるときは、前項の指定に期限又は条件を附することができる。
3 総務大臣は、第一項の規定により指定された市町村が一年以上引き続き競走を行わなかつたとき、又はこれらの市町村について指定の理由がなくなつたと認めるときは、その指定を取り消すことができる。
4 総務大臣は、第一項の規定による指定をし、又は前項の規定による指定の取消しをしようとするときは、国土交通大臣に協議するとともに、地方財政審議会の意見を聴かなければならない。
5 施行者以外の者は、勝舟投票券(以下「舟券」という。)その他これに類似するものを発売して、競走を行つてはならない。

自転車競技法(昭和23年法律第209号)
(競輪の施行)
第一条  都道府県及び人口、財政等を勘案して総務大臣が指定する市町村(以下「指定市町村」という。)は、自転車その他の機械の改良及び輸出の振興、機械工業の合理化並びに体育事業その他の公益の増進を目的とする事業の振興に寄与するとともに、地方財政の健全化を図るため、この法律により、自転車競走を行うことができる。
2  総務大臣は、必要があると認めるときは、前項の規定により市町村を指定するに当たり、その指定に期限又は条件を付することができる。
3  総務大臣は、指定市町村が一年以上引き続きこの法律による自転車競走(以下「競輪」という。)を開催しなかつたとき、又は指定市町村について指定の理由がなくなつたと認めるときは、その指定を取り消すことができる。
4  総務大臣は、第一項の規定による指定をし、又は前項の規定による指定の取消しをしようとするときは、経済産業大臣に協議するとともに、地方財政審議会の意見を聴かなければならない。
5  第一項に掲げる者(以下「競輪施行者」という。)以外の者は、勝者投票券(以下「車券」という。)その他これに類似するものを発売して、自転車競走を行つてはならない。

小型自動車競走法(昭和25年法律第208号)
(小型自動車競走の施行)
第三条  都道府県並びに京都市、大阪市、横浜市、神戸市、名古屋市、都のすべての特別区の組織する組合及びその区域内に小型自動車競走場が存在する市町村(以下「小型自動車競走施行者」という。)は、その議会の議決を経て、この法律により、小型自動車競走を行うことができる。
2  小型自動車競走施行者以外の者は、勝車投票券その他これに類似するものを発売して、小型自動車競走を行つてはならない。

当せん金付証票法(昭和23年法律第144号)
第四条  都道府県並びに地方自治法 (昭和二十二年法律第六十七号)第二百五十二条の十九第一項 の指定都市及び地方財政法 (昭和二十三年法律第百九号)第三十二条 の規定により戦災による財政上の特別の必要を勘案して総務大臣が指定する市(以下これらの市を特定市という。)は、同条 に規定する公共事業その他公益の増進を目的とする事業で地方行政の運営上緊急に推進する必要があるものとして総務省令で定める事業(次項及び第六条第三項において「公共事業等」という。)の費用の財源に充てるため必要があると認めたときは、都道府県及び特定市の議会が議決した金額の範囲内において、この法律の定めるところに従い、総務大臣の許可を受けて、当せん金付証票を発売することができる。
2  前項の許可を受けようとする都道府県及び特定市は、第七条第一項に掲げる事項及び当せん金付証票の発売により調達する資金を財源とする公共事業等の計画を記載した申請書を、総務大臣に提出しなければならない。
3  総務大臣は、第一項の規定による市の指定及び同項の許可については、地方財政審議会の意見を聴かなければならない。
4  当せん金付証票については、これに記載すべき情報を記録した電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて、電子計算機による情報処理の用に供されるものとして総務省令で定めるものをいう。以下この項において同じ。)の作成をもつて、その作成に代えることができる。この場合においては、当該電磁的記録は当せん金付証票と、当該電磁的記録に記録された情報の内容は当せん金付証票に表示された記載とみなす。

スポーツ振興投票の実施等に関する法律(平成10年法律第63号)
(スポーツ振興投票の施行)
第三条  独立行政法人日本スポーツ振興センター(以下「センター」という。)は、この法律で定めるところにより、スポーツ振興投票を行うことができる。


Treaties and International Law - Treaties for which NZ is Depositary - Trans-Pacific Strategic Economic Partnership - NZ Ministry of Foreign Affairs and Trade
http://www.mfat.govt.nz/Treaties-and-International-Law/01-Treaties-for-which-NZ-is-Depositary/0-Trans-Pacific-Partnership-Text.php

Treaties and International Law - Treaties for which NZ is Depositary - Trans-Pacific Strategic Economic Partnership - NZ Ministry of Foreign Affairs and Trade
http://www.mfat.govt.nz/Treaties-and-International-Law/01-Treaties-for-which-NZ-is-Depositary/0-Trans-Pacific-Partnership-Annexes.php

Annex II - Cross-Border Trade in Services and Investment Non-Conforming Measures, Japan [PDF, 88KB]
http://www.mfat.govt.nz/downloads/trade-agreement/transpacific/TPP-text/Annex%20II.%20Japan.pdf


2016(平成28)年10月25日追記・修正


 久しぶりにTPPの動向を確認してみて、Annexの訳語に附属書が充てられていたので、これに変えた。リンク先についても一部調整した。

 なお、日本国に係る「附属書II」の「十一」に示された「法の執行及び矯正に係るサービス並びに社会事業サービス」は、以下のような包括的な表記を取るが、いざ「投資家」に訴えられたときには、わが国の国民益を保護するようには機能しないであろう。
日本国は、法の執行及び矯正に係るサービスへの投資又はこれらのサービスに係るサービスの提供に関する措置並びに公共の目的のために創設され、若しくは維持される社会事業サービス(所得に関する保障又は保険、社会保障又は社会保険、社会福祉、公衆のための訓練、保健、保育及び公営住宅)への投資又はこれらのサービスに係るサービスの提供に関する措置を採用し、又は維持する権利を留保する〔pp.2883-2884〕
附属書に列挙することが可能であったにもかかわらず、列挙しなかったからである。たとえ、注釈に「留保事項の解釈に当たっては、当該留保事項に関する全ての事項を考慮する。「概要」が他の全ての事項に優先する。〔p.2872〕」と記されていてもである。どのように考慮するのかが規定されていないのである。既存の各国の法体系を尊重する方向で考慮する、とは言っていない。TPPを企画・推進した側の論理は、徹底して自由なグローバルビジネスの側に立つものである。

 警備業は、警察が専管する生活安全行政に関連するビジネスの中では例外的に、「十二」に明記される。条文は、警備業法第4条と第5条が挙げられている〔p.2884〕。TPPを利用して警備業に不当に参入しようとする試みは、阻止されたと考えて良いかも知れない。とはいえ、銃器の取締に係る明確な規定はTPPの文言には見られないから、警備業は、大きな変革を迫られるかも知れない。警備業についても、包括的留保は、日本国民の利益の保護に役立たないであろう。

 別記事にある『環太平洋パートナーシップ協定(TPP協定)の概要』には、「法の執行及び矯正に係るサービス」の文言が引用部分に見られない(2015年10月19日)。これは、少なくとも現時点の、つまりTPP調印セレモニーより後に示された文書には、一応盛り込まれている。一体、いつ、いかなる形で盛り込まれたのであろうか。興味は尽きない。Internet Archivesに収録されている2015年11月5日付の文書は、メルボルン・ラウンド後(つまり2012年)となっているが。

 なお、追記した部分に見られる脆弱性が存在するとはいえ、TPP自体は発効しないであろうから、ここに示された虞がTPP加盟国のすべてにおいて実現する訳ではない。国内法でTPPに向けた地ならしは行われ得る。TPPに係るわが国の動きがわが国だけを規制緩和に走らせることになるという予想は、本ブログで明記こそしてこなかった。しかし、何度か利用してきた「戦争屋のラスト・リゾート」という表現は、当然ながら、TPPの成り行きに係る予想を見込むものである。


Annex-II.-Japan.pdf
(作成2016年01月20日10:35:42)
https://www.mfat.govt.nz/assets/_securedfiles/Trans-Pacific-Partnership/Annexes/Annex-II.-Japan.pdf

Ⅱ.附属書Ⅱ 投資・サービスに関する留保(包括的留保)(日本国の表)【PDF:388KB】
(作成2016年03月08日19:45、変更2016年03月09日00:43)
http://www.cas.go.jp/jp/tpp/naiyou/pdf/text_yakubun/160308_yakubun_annex02-2.pdf

Microsoft Word - TPP NCMs - Consolidated formatting note - Annex II - Post Melbourne Round (clean).docx - Annex II. Japan.pdf
(作成2015年11月05日13:50:19、変更2015年11月05日13:50:23)
https://web.archive.org/web/20151117165019/http://www.mfat.govt.nz/downloads/trade-agreement/transpacific/TPP-text/Annex%20II.%20Japan.pdf

2015年11月5日木曜日

アスベストが放射性ラジウムを蓄積する誘因となる(メモ)

Accumulation of radium in ferruginous protein bodies formed in lung tissue: association of resulting radiation hotspots with malignant mesothelioma and other malignancies
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pjab/85/7/85_7_229/

 中村ら(2009)は、アスベスト吸引から悪性中皮腫等が生じるメカニズムを調べるため、6名の被験者について、病理学的な方法により、40種程度の物質の蓄積状況等を調査した。2009年7月28日付の毎日新聞によると、その機序は、次のようなものであるという。
石綿やたばこ、粉じんに含まれる鉄が肺に入ると、鉄を含む「フェリチン」というたんぱく質が形成される。フェリチンは大気中などにある放射性物質ラジウムを集めて蓄積させ、がんを引き起こすという。
このような機序は、私の専門である(犯罪統計についての)疫学的手法に比べ、アスベスト吸引が発癌リスクを増加させるという因果関係を明快に説明するものとなる。程度問題はともかく、この研究からは、アスベスト吸引とその後の放射性ラジウムの吸引が確実に発癌リスクを増加させる、と主張できるのである。

2015年11月4日水曜日

JR東日本の中央線に対する自転車の投げ込みについて

中央線の電車が自転車と衝突、一時運転見合わせ:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASHC37TSBHC3UTIL02B.html

2015(平成27)年11月4日23時09分ごろ、JR中央線御茶ノ水―四ツ谷駅間で、快速電車が自転車と衝突したが、自転車は投げ込まれた可能性があるという。本事件は、今年8月の連続不審火と比べて、より刑罰が重い往来危険罪とみなされ得る。私の憶測に過ぎないが、本事件は、犯行声明も見られず、従来型の極左グループによるサボタージュ型の手口でもないように見える。個人が激情に任せた結果※1の犯行なのではないかとも想像してみたりする。

本事件の手口には、東京の社会基盤が江戸時代の社会基盤を食いつぶす形で建設されたという事実が深く関係している。江戸は、水路ともなる濠が、上空から見て時計回りに外側に向かう渦巻き状に配置されている。中央線及び総武線は、現場付近では、江戸城外堀の内側に1894(明治27)年までに建設されている※2。濠の利用は、用地取得が簡単であったためであるが、関東大震災も戦災後も都市改造が計画通りに進まなかったことを思えば、この方法は、一概に責めることはできない。しかし、低い位置に線路があるということは、本事件のような手口を防ぐ上で、大変に困難な事態をもたらす。

また、地方自治体(ここでは特別区)によるごみ収集が、サービス受益者にとってきわめて円滑に運営されていることは、本事件の手口を想起させるような不法投棄の危険性を一般の人たちの意識の外へと追いやることにもなる。私の偏った海外経験では、世界の鉄道全般について議論を進める訳にもいかないが、わが国では、ほかに不法投棄可能な場所が多いためか、少なくとも、線路めがけて運行を妨害するほどのゴミを不法投棄するということにはなっていないようである

先の記事(リンク)などにおいて、さんざん指摘してきたことであるが、鉄道事業者が率先する形で、比較的安価かつ有効に類似事件を防止することは、可能である。もちろん、その結果として、(本来の意味の)確信犯がより困難な手口を実行しようとするという相互亢進が引き起こされる虞は、十分に認められる。しかしながら、司法関係者は、いったん事件が起こされる前であれば、簡単に起こされてしまった事件への対応に追われる前に、より実効的な対策へと労力を向ける余地を有する。一罰百戒、あるいは、検挙を通じた防犯といったスローガンは、素人には一理あるものに聞こえるが、確実に実施されない限り、模倣犯を生まない保証はないのである※3


※1 奇しくも昨日から、飯田橋に支社のある企業エフセキュアの従業員がその不法行為を咎められており、2ちゃんねるでは、事件当時も、祭りの最中(リンク)である。現時点では、Amazon.co.jpにおける製品のレビューにまで影響が波及している(リンク)。本日19時時点で、1つ星評価が多く付けられ、平均1.5程度まで評価が低下している。従業員の非違行為を理由に製品レビューに低評価を付けることは、先走り過ぎであり、偽計業務妨害罪に問われかねない行為である。エフセキュア社もプレス・リリースにおいて同社のサービスには影響しないと明言している(リンク)。事実関係を区別できない市井の声が短期間に大きく反映され、結果として不当な損害が企業に与えられるという事態は、わが国に限らず、危機管理上の難問になっている。

※2 [中央線開業120年]東京の中央を貫く、オレンジ電車の今昔
http://www.token.or.jp/magazine/g200911.html

※3 にもかかわらず、本事件について、犯人が先の私の想像通りだったとすれば、本事件への注力は、結果として報われるものになるだろう。




平成27年11月4日23時06分追記

視聴中のTBSのNews23でも事件が取り上げられた。事件の場所は、外堀の内側に当たる。番組に示された地図からは、以下の地点だと思われる。JR東日本代表取締役社長の冨田哲郎氏は、「今後一層の検討が必要」と発言したようである。千代田区立公園であるようなので、区との協議などを通じ、実効的な対策を進めることが望まれよう。

Google マップ
https://www.google.co.jp/maps/@35.697689,139.741508,17z




平成29年04月15日追記

詳しくは、2016年1月23日付の記事に追記した内容に譲るが、2016年2月4日に犯人が麹町署に逮捕されていることを昨日知った。明記して、後々の反省材料などにしたい。なお、本追記に際し、本文のbrタグをpタグに変更するなど、主として体裁に係る修正を実施した。内容については、エフセキュア社のナカグロと淡赤色部分の修正を除き、手を付けていない。

2015年11月3日火曜日

陰謀論者同士が相食むという平常(メモ)

 某掲示板で長く続いたある話題のために、参考のため、以下を引用しておく。

歴史 — 東京大学 大学院理学系研究科・理学部
http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/overview/history/
昭和24年(1949年) 国立学校設置法公布。東京大学理学部となり、数学科、物理学科、化学科、生物学科、地学科の5学科が置かれた。 昭和33年(1958年) 生物化学科設置。地球物理観測所設置。 昭和42年(1967年) 物理学科物理学課程、天文学課程及び地球物理学科課程は物理学科の拡充改組に伴い物理学科、天文学科並びに地球物理学科と改称された。 昭和45年(1970年) 情報科学研究施設設置。

 なお、私としては、文章の主部と述部が対応していないという点だけでも、かの人物は、批判に値すると考える。また、彼は、彼自身が炎上方法を狙っていたのかも知れない。または、彼は、この混乱を通じて、かの事件が生じるまでの間、某掲示板における福島第一原発事故に係る現状認識の信憑性が一定以上に保たれていたところを狙い、信憑性のない解決方法を紹介したことにより、事故そのものに対する現状認識までディスられた形になるように、投入された人物かも知れない。
 蛇足だが、科学的である装いを見せかけようとするという点では、私の初書き込み以後の、あるコアメンバーによる一見科学的であるかに見える記述も、私は好きではない。ソーカル事件を想起させる記述のように見えてしまう。私が書き込んで以来、その記述に張り切り具合が増したところがさらに困りものである。そのコアメンバーには、学歴コンプレックスが認められ、それが張り切り具合の原因の一部をなしている以上、その解決は容易ではなさそうだ。それは、私の望む展開ではないが、ありがちなオチではある。

2015年11月2日月曜日

放射性廃棄物の最終処分地としての日本への道筋を予測する

#読者諸賢は、本記事の内容に不愉快さを覚えるかも知れない。この点を、あらかじめお断りしておく。なお、最終処分場の是非をめぐる構造を理解する上で、本記事よりも、松本三和夫氏の『構造災』第4章が優れていると思う。最終処分場の建設を巡る構図を的確に理解するために、ぜひ一読を勧めたい。本記事は、松本氏の論考とは別の項目を扱うように、わが国の悪い側面を記したつもりであるので、松本氏の議論に納得がいったとすれば、読んでおいても損はないはずである。

 日本が今後、世界各国の放射性廃棄物の最終処分地となるという話は、陰謀論界隈では常識の部類に入る。この説を公益に役立つように流通させるためには、いつ・どのように、という経緯の推定が必要となるが、この予測を正確に行うには、相当の知恵が必要となろう。しかし、学術上の正確さを期するあまり、何が生じるのか、今後の予測をまったく行わなければ、99%の国民は、最期の日までも、1%の仕掛けるマッチポンプに容易に騙され続けることになる。本記事執筆の動機は、玉石混淆の公開情報の分析を通じて、陰謀論とのラベリングにより不当に貶められてきた「日本=最終処分地説」を、より正統な地位へと引き上げることが可能ではないか、と考えたことにある。

 本記事は、日本が今後、世界各国の放射性廃棄物の最終処分地となるに至る最もあり得る経緯(シナリオ)を、定性的に予測するものである。そのシナリオとは、福島第一原発事故による放射能被害を受けて、今後の数年間のうち、3~8年後には受入れが進むという流れである。

 近いうち、チェルノブイリ原発事故と同様、宮城から首都圏に至る広範な地域で、低放射線に起因する疾患までもが顕在化し、その結果、労働集約的な産業において、労働力不足に起因する機能不全が目に見える形で生じる。それらの産業として、介護業や土建業、配送業が例に挙げられる。介護業の人手不足は、十分に知られている。サービス需要者=高齢者の地域流動性が供給者=企業の地域流動性よりも低いため、その需給のギャップは、家族が負担するしかない。家族の成員の一人以上が非正規雇用者へと変わることを通じて、労働力不足は、間接的に促進される。土建業の人手不足の理由は、復興事業と東京オリンピック関連建設事業が重複したこととされているが、汚染地域で埃を巻き上げる中で十分な防護なしに仕事している以上、現在より1~6年の後には、建設労働者の健康問題が顕在化し始めると予測される。配送業については、国交省(旧運輸省)の検討会の提言をマスコミも報道しており、現在の需要(つまり荷物量)が全就業者の処理容量を超えつつあるものと思われる。

物流:「物流問題調査検討会」について - 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/seisakutokatsu/freight/seisakutokatsu_freight_tk1_000048.html

 人手不足がマスコミで喧伝された結果、大量の移民を受け入れるべきという論調が支持を得るであろう。人口減少の推移をふまえれば、介護業や土建業や配送業の労働力確保を図るよりも、コンパクトシティという名の下に、現在の日本人人口の分布に合わせて都市を集約した方が、効率という点で遙かに優れるが、不動産から利益を得る企業や地主は当然のこと、日本国民の大半も、そのような縮小再生産的な動きを許容しないであろう。最初は、東京オリンピック関連事業のために数万~十数万という規模で建設労働者の就労が認可されるであろうが、最終的には、許可人数は、不動産需要を喚起するため、数百万人単位に達する場合さえあり得る。同時に、門戸を広く開放しないと男女比が著しく偏ることから、「移民による性犯罪」などの報道をフックとして、移民女性に対して、介護業を始めとして、彼女たちが働きやすい多くの業種が開放されるようになるであろう。現実には、女性の興行ビザが多く下りており、彼女らが本国から家族を呼ぶという流れが定着しているとともに、彼女らの多くが東京近郊の食品工場など(女性に取っつきやすく、資格が求められない分野)で働くなどしているようである。海外の移民社会をみる限り、出身民族同士の結婚が多いように見受けられる。介護業は、わが国における結婚において、今なお家族の意向が影響するという現実ゆえに、国際結婚を増やす可能性があるものの、同時に、移民との軋轢を増やすだけに終わる可能性がある。このような形で、おそらくわが国では、移民社会が成立することになる。現に、移民の多い地方自治体では、3.11前から、エスニック化が加速しつつあった。

 移民の是非を本格的に議論し始めたころから、3.11以降にわが国で就労・留学した外国人にも健康障害が出て、それらの外国人への賠償が各国で相次ぐ可能性が認められる。先行する事例として、トモダチ作戦の被害者の集団訴訟を挙げることができるが、この訴訟は、2014年10月28日にカリフォルニア州で本格審理に入った。この訴訟では、10億ドルの基金設立の仮判決?が示されているが、結審はしていない。ほかの外国人の被害者も、トモダチ作戦における被害者より低線量被曝である可能性が高いものの、トモダチ作戦の集団訴訟の判決が世界に周知された後には、各国で訴訟を起こす可能性が認められる。

トモダチ作戦2名が死亡~東電訴訟、本格弁論へ | OurPlanet-TV:特定非営利活動法人 アワープラネット・ティービー
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1863

※その後の進展については、英語でもめぼしい記事がGoogle検索にヒットしない。おそらく、審理中ということだと考える。

 福島第一原発事故の賠償については、「原子力損害の補完的な補償に関する条約(CSC条約)」への加盟により(2015年4月15日発効)、原則として、事故発生国であるわが国で裁判が管轄されるようになり、賠償の原資は拠出金で賄われるようになったが、これにもかかわらず、トモダチ作戦の集団訴訟の判決に続く形で各国の被害者が多数の提訴をなした場合、CSC条約に係る多くの不備が明らかになることが容易に予想できる。トモダチ作戦の集団訴訟の判決は、米国というわが国に多大な影響力を有する国におけるものであるため、日本国政府のCSC条約加盟に係る目算とは関係なく、多くの判決がこの集団訴訟に倣う形で下されるようになるであろう。CSC条約加盟国は、アメリカ合衆国、アルゼンチン、モロッコ、ルーマニア、アラブ首長国連邦、日本の六カ国であり、その拠出金は、結局、日本国が大部分を負担することになるであろう。結果として、加盟にあたり日本国政府が期待したような効果は、賠償金についてはきわめて小さなものに留まる。

※CSC条約への加盟は、2014年以前は慎重に進められていたように見受けられるところ、トモダチ作戦の集団訴訟を受けてなのか、2014年6月末に加盟が本格的に検討されていることが明らかとなり、2014年11月19日に国会承認、2015年1月15日に署名ならびに受諾書の寄託という流れで急ピッチで進められた。CSC条約は、日本の加盟により、条件が満たされるようになり、発効した。東京新聞によると、日本国政府は、賠償請求額が青天井となることを防ぐと同時に、原発輸出への障害を取り除くことを目的として、CSC条約に加盟したと見られている。

asahi.com(朝日新聞社):原発賠償条約、加盟を検討 海外から巨額請求の恐れ - 東日本大震災
2011年5月29日3時5分(松田京平)
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105280573.html

東京新聞:原発事故 メーカー免責 政府が加盟目指す「原子力賠償条約」:社会(TOKYO Web)
2014年6月30日 朝刊(Internet Archive Wayback Machine収録分)
https://web.archive.org/web/20140702180456/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014063002000107.html

原子力損害補完的補償条約 | 外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/ila/trt/page22_001625.html

 外国人の放射能被害の患者は、同一期間内に一般の日本人が被曝した線量に比べ、より多量に被曝していた可能性が十分に認められる。もともと、CSC条約は、被曝地や被曝線量の多寡について差別しないという規定を有してはいる。それとは別に、外国人単純労働者こそ、被害の顕在化しやすい高リスクの生活を送っている虞が認められるのである。現在のわが国では、高度人材のみ外国人を受け入れるとしているところ、研修制度や留学を利用して、多数の外国人が多様な3K業務に就労している。彼らの多くは、放射能の危険性を十分に理解していなかったり、あるいはその影響を軽視したからこそ、日本に就労・留学したとも推測される。このような者たちは、コストを優先するために、食事や吸入防止に留意しない可能性が高い。騙されたり積極的に身分を偽ったりして、福島第一原発で働いているという可能性さえ、否定することはできない。少なくとも、いわゆる日本人浮浪者が氏名等を偽り、短期間のうちに福島第一原発で年間許容範囲を超えて従業していることは、何層もの請負ピラミッドに隠されてはいるが、公然の秘密となっている。

※研修制度で3年、留学で5年程度(修士2年+博士3年など)と思われる。

 いずれ、外国人患者に対する賠償金は、原子力事業者である東京電力が最終処分場の建設と運営を願い出て、これを政府が認めるという形で、捻出されることになるであろう。外国人患者の賠償金請求を無視することは、トモダチ作戦裁判という前例に加え、日本の立場の弱さを考慮すれば、不可能である。国際社会も、その前例に便乗して、汚染地域の復興が無理であること、最終処分場の建設と運営を通じて賠償金を確保すべきこと、の2点を主張するであろう。わが国では、原子力発電所の再稼働の是非とは関わりなく、最終処分ビジネスも、賠償金の負担を相殺するために並行して進められることになるであろう。トモダチ作戦従事者ではない外国人患者の存在が顕在化するときには、日本人労働者の多くも各種の疾病を患っているであろうから、競争力のある産業分野でさえも、国内労働力に基づく競争力だけでは、外貨を稼いで賠償に充てるための税金を支払うことが困難になっているかも知れない。#今日(11月2日)の読売・朝日・日経の三紙のいずれかには、製造業の就労者さえ減少しているという記事があったはずである。

 おそらく、こうした動きの中で、日本国政府と一部の外国政府との間で、日本国内の外国人労働者に対する就労条件として、健康被害を訴えないことという合意がなされる可能性が認められる。外貨の欲しい貧しい外国政府の指導者の中には、国内の貧しい失業者にインセンティブを与え、日本で就労させる代わりに、日本国政府から援助を取り付けるといった取引を持ちかける者が出てくるかも知れない。安価な使い捨ての労働力ならいくらでも欲しい日本国政府は、国内で貧困層の再生産すら期待できなくなることから、このような動きを大歓迎するはずである。チェルノブイリの生態系では、汚染地域に周辺から生物が流入し続けて短命で死ぬ結果、個体数に平衡が生じているように見えるという状態が続いている。わが国でも、外国人単純労働者を巻き込んで、このような非人間的な処遇の流れが生じることは、絵空事とは言えないのである。

 こうして、かつて、各種のビジネスの名の下に大量の産業廃棄物を発展途上国に輸出していたわが国は、放射性廃棄物については、逆に場所を提供することになる。実際のところ、10万年以上の期間にわたり放射性廃棄物を管理し続けるという作業は、とてつもない挑戦となる。ゆえに、管理事業は、安価に比較的高度な教育を受けた人材を継続的に必要とする。日本人貧困層は、そのためにも再生産され、教育されるであろう。こうして、米国におけるネイティブ・アメリカンに対する仕打ちと相似形のディストピアは、わが国にも出現するのである。



 以上の素描は、まったく当たらずとも遠からずだと考えている。以下は、より多くの悪念が入る想定である。その正確性は、上記とは別個に評価されたい。

 福島県の浜通り地方はもちろんのこと、私の住む東京都城南部でさえも、チェルノブイリ事故後のウクライナ共和国の基準に従えば、居住制限地域であるために、最終処分場の候補地として適地であるとみなされるであろう。利害のない第三者は、放射性廃棄物の最終処分場は、すでに汚染されている福島第一原発周辺かチェルノブイリ原発周辺とすべきであると主張するはずである。最終処分場の立地にあたっては、地層や地下水等についての慎重な選定が必要なことはもちろんであるが、世界中の大半に人類が分布し、全世界のほぼすべての地域に国家主権が及んでいる以上、すでに汚染地域であるという条件は、最終処分場の候補地として、あまりに有力である。チェルノブイリ原発所在地のウクライナ共和国の国情は、安定しているとは言いがたいが、わが国の状態は、そこまで深刻ではない。この点も、わが国が最終処分場とされる可能性を増加させている。

 最終処分場の建設と運営は、ビジネスとして見れば、原子力発電を再稼働する方向とも、廃炉とする方向とも併存可能である。最終処分場は、すでに廃棄物が存在するという現状があり、超長期的な観点が必要とされるがゆえに、原発の是非に関わりなく検討されなければならない。この独自の論理があるために、最終処分場に対する賛否は、個人の信念とも関係なく、決定されるべきものとなる。この性質と決定に伴う責任の重大さゆえに、最終処分場に係る決定は、わが国では放置され続けるであろう。

 ここで、冒頭の松本氏の『構造災』4章の議論にはない、私が指摘しておきたい最悪のケースがある。それは、最終処分場ビジネスの推進に伴い、日本人が一般に有する価値観の競合状態が悪用されるという虞である。生命・健康を大切に思う価値観と、故郷や土地を大切に思う価値観は、日本型リベラリストの中で、あるいは日本人全般の中で共存している。これらの価値観は、もちろん、同一ではないし、分割不可能でもない。他方で、最終処分場の選定に先立ち、福島第一原発事故そのものに係る賠償を抑制するために、帰還政策が推進されている。帰還政策とともに、あるいは政策の推進後に最終処分場の受入れを進めることは、最悪の政策の組合せである。帰還者の故郷に対する愛着を悪用し、その健康や生命を損なわせるばかりか、その後のその機に乗じて三里塚闘争のような長期を要する土地収用を避けるかのように、人々の目には映るからである。