2015年10月25日日曜日

良著の条件(感想文)

 私が勝手に思い描く専門分野の良著とは、
  1. 【必須】漏れなく・重複ダブリなく(MECE; Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)、
  2. 【必須】想定される読者の知識をベースにしたときにスムーズに分かる内容を、
  3. 【必須】順序立てて、
  4. 【推奨】次に読むべき書籍へのステップとなるように、
  5. 【推奨】隣接分野の動向も併せて、
示してくれるものです※1。重要語句の索引や章立てならびにその見せ方の工夫も欲しいところです。また、当面しか通用しないかもしれないが、当面は役に立つような知識については、賞味期限や限界点などと共に示してくれると、そんなものかと思えるので、とても便利かと思います。

 このような理想の書籍を執筆するためには、その書籍に含まれる学習内容が通年の授業(4コマ分)に相当するとして、真面目 にやっても、20年はかかりそうです。私は、(この点は断言できるけれど、)真面目にやってきてないので、あと10年はかかりそうな気がします。困ったも のです。

 かつての新書には、このような条件を満たす書籍が多く含まれていたように思います。コンパクトに数時間でまとまった鉄板系の知識が得られるので、"浅く広く"のEnrichment教育を旨とする私にとっては、大変ありがたい情報源でした。しかし昨今、新刊の新書の相当数は、信憑性という点で困りものです。その点、英語版Wikipediaの記述は、(私が閲覧するものの多くについては、)記述も信憑性の高いものとなっています。これがタダですから、翻訳の問題は残るにしても、新書が駄目になるわけです。

※1 私がドロップアウトへの道を歩み始めた大学学部生の授業は、まず、2番目の要件がほぼ欠落していたように思います。特に高校3年生から大学1年生における飛躍が大きすぎたかと思います。この点が満たされている教科書は、当時、『The Universe of English』や「知の三部作」シリーズだけでした。統計学教科書は、ややこの条件から外れるかも知れません。このギャップは、かつては、学生の能力不足に求められていました。学生たちは、そのギャップを超えるべく、背伸びをするようにと強要されていたように思います。そのような姿勢は、大学の授業も、部分的にはサービス業であるという自覚に著しく欠ける姿勢であり、今の私には、教員の怠慢の言い訳に過ぎないと言えます。仮に、そのギャップを教員の側から埋めることを潔しとせずとするなら、その間を独習できるよう、ブックガイドだけは用意するなど、何らかの措置を用意すべきだったのでしょう。私が高校生から大学学部生のころ、そのようなブックガイドとして、AERA増刊号の「○○学が分かる」シリーズが刊行され始めました。総じて良い内容だったかとは思いますが、初学者に優しい内容ではない書籍を最初の方に含むような、順序立てられていないものも含んでいたように記憶しています。ここで指摘したギャップは、一言で言えば、"縦割りの弊害"によるものかと思います。つまり、大学教員が高校教育課程までの教育内容を把握しておらず、高校教員や教科書検定委員会の"有識者"が大学の教養課程における教育内容を十分に把握していなかったために生じたものです。

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