平成30年05月29日:大幅に改訂する予定でしたが、なかなか更新できません。
ようこそ、Google様で探してもなかなか出てこない辺境の地へいらっしゃいました。菅田寛と申します。
#平成27年10月14日、初めて自分の名前をブログに織り込んでみました。どうなるでしょうか。公正な扱いをしてもらえるのか、楽しみです。
#平成28年10月1日現在、いくつかの工夫によって、低空飛行を続けることができているようであることを確認していますので、文章を修正しました。
#平成29年9月9日、リンク切れを修正しました。
#平成28年2月11日現在、このページのインデックスすら作成していただけないようです。平成30年05月29日現在、久々エゴサーチしてみたところ、トップに本ブログが出ることを知りました。へぇ~。
#RBSS制度について言明したことを受けて、本ブログに限らず、私自身の専門について所信表明しておく必要があるように思いましたので、以下、記すことにしました。文意を変えない限りで文面を修正する可能性はありますが、文意を変えるような内容である場合には、原則、修正日をコメントなどとして追記することにします。本ブログでは、基本的に、存命の人物の呼称には「氏」を付すことにしました。「氏」の付属は、私の好悪とは関係ありません。企業などの場合には「社」などをつけることがあります。
私の専門分野は、今のところ、犯罪対策に係る計量的手法です。ところが近年、国内の社会事情や国際的な力関係など、犯罪対策を計量的に考察するための前提条件が大きく変化しています。その例として、2015年5月現在、TPP、あるいは集団的自衛権についてのニュースを挙げることができますが、これらのいずれもが、実現した場合に犯罪情勢や犯罪対策に不可逆的な影響を与うえることが考えられます。
研究分野の外部環境の変化を受けて、これら専門外の事象についても、一定の見識を備えておき、専門分野に考察の成果を反映する必要が生じています。しかしながら、この種の話は、良い研究を通じて社会貢献するためには必須の作業であるものの、論文にはなりにくいのです。高名な学識経験者などであれば、たとえその内容が稚拙で読むに値しないものであっても、その名前を生かして出版物にねじ込んで原稿料もいただいてウハウハなんて好循環を期待できたりするのでしょうが、残念ながら、私はそうではありません。そこで、ブログにおける論評を通じて、物の見方を鍛えることにしたわけです。
このため、本ブログの論評は、主に自身の見識を鍛えるためにもなされるものです。ただし同時に、同業者の頭の中身や社会システムの改善を企図するためになされるものでもあります。いわば、「売り手良し、買い手良し、世間良し」の近江商人の精神が背景にあります。第一の「買い手」は、文章が読みにくいものかも知れませんが、実務の担当者を念頭に置いています。同業者である理系出身の犯罪予防関連の研究者も対象に含まれます。国内の言論市場をシマとする当該分野の研究者コミュニティは、国民の生命と財産が叩き売られようとしている現在の国情を拱手するばかりです。福島第一原発事故に対して、御用学者と呼ばれる人たちがどのように行動したのかは、後世の歴史家が有り余るSNS資料を通じて検証してくれるものと思います。もちろん、私自身が今まで公的には沈黙を守ってきたことも、私的な事情から生じたことでもありますので、十分に批判されるべきことであると思います。
なお、2016年4月1日以降の記事作成・訂正作業において、本ブログの話題や出典に係る情報源は、ウェブにさえつながるのであれば、年齢以外の格別の利用資格を必要としないものに限定しています(分析道具については後述)。ウェブ上の出典に係るリンクは、作成日(か、少なくとも、記事の執筆期間中)に確認できたものに限定しています。環境を制限している理由は、成人の日本人であれば、同じ情報に接したときに同じ解答を導く理路さえ備えていれば、再現可能であることを暗に主張するためです。なお、積極的な情報公開請求制度の利用は、非常に強力なツールですので、睨まれ過ぎないために避けています。あくまで「出されたものを美味しくいただく」という態度で、記事を世に問うています。
以上の環境整備に係る自粛制度は、私なりの非常に強固な予防線です。誰もがアクセス可能な情報から、アブダクションによって紡がれた推論を一線を越えたものと解することは、情報の自由が死んだことになってしまいます。それに早晩、公開情報を用いた人工知能による精緻な推論は、私のポンコツ文章の参照する文献数を遙かに超える良質な文献を元に、私のポンコツ思考の射程を遙かに凌駕する結果を高速に導くようになるでしょう。人工知能の基本的な判定基準の根底に、性悪説と(社会)契約説と「cui bono」という格言と限定的合理性とほんの少しの希望を据えた場合には、尚更のことでしょう。蛇足ですが、慎重に本ブログを分析する読者であれば、ここに明記した以上に、厳格なルールを私が採用していることに気が付くかも知れません。
随所に人名が挙げられるとはいえ、本ブログの論評は、特定の個人に対して、結果責任を帰する意図を殊更に有するものではありません。ただし、マックス・ヴェーバーが政治には結果責任が伴うと看破したことには注意する必要があります。また、学識経験者は、その主張(の当否)のみが商売道具ではありますが、社会科学系の研究者の場合には、政治家が結果責任を自覚すべきことと同様に、自身の言説が再帰的に作用しうることに自覚的であるべきです。優れた御用学者は、ご本人の名前を挙げて称揚するわけにはいきませんが、その点に自覚的であることに言及しておきたいと思います。なお、言うまでもないことですが、本ブログは、個人の責任の下、個人の資産のみを利用して執筆しており、所属する組織等の見解とは何ら関係するものではありません。このため、本ブログのスコープには、自然とオープンデータやフリーソフトウェアなどが含まれることになります。
本ブログの直接の動機やスコープは、以上のようなところにあるわけですが、同時に、私がどのような規範に基づいて、記事を執筆しようとしているのかについても、明らかにしておきたいと思います。
本ブログにおける私の言論は、第一には、日本国民の利益となることを願い、提示されるものです。私は、日本国民ですし、大学に長く在籍し続け、日本国の国費で育成されてきた以上、その分くらいは還元しないと罰が当たると信じています。
#ただ、恥ずかしながら、私は法律の専門家ではありませんので、コンテンツに係る許諾のあり方などについて、整理しきれておりません。この点、本ブログに掲載するコンテンツの利用にあたっては、各自でご注意ください。
第二に、わが国が貿易なしに成立しない現状と、また、第二次世界大戦後、長くアメリカ合衆国の戦力の下にあってはじめて繁栄したという事実をふまえたいと思います。これら二点から引き出される結論は、人によって異なるものになり得ます。私は、国際的に通用する規範に照らして恥ずかしくないことが、わが国の行動規範であるべきと考えます。少し変わった歴史を有するわが国でも、国際的に通用する規範を保持できるよう努力できているという事実があれば、他国に良い刺激を与えるかもしれないと期待しているのです。
#ここにいう「規範」は、やはり人によって程度や内容が違いますので、そこは議論が生じるところだとは考えます。私の理想とする規範は、関連する実務者には、やや厳しいものに聞こえるものと考えますが、その実現が無理なものではないとも思います。
最後に、私は、皆が同じ情報を得て、同じように理性を働かせれば、おおよそ同じ結論に至るものと信じます。この信条は、学問に由来するものですが、リベラル的な考え方であると表現できます。他方、人には分からないことが多すぎる割に、この世の中がうまく出来過ぎていることから、超越的な存在がある、人の才能に序列を付けることは可能だけれども、その差は超越的な存在と人類との差に比べれば絶対的なものといえない、と考える点で、私は、保守的であるともいえます。
#人の合理性を信じることは、本来のリベラルの定義に含まれうるようです。また、以上のように絶対者がいると思う割に、謙虚にならず、人を食った表現が多くなりがちではあります。その点は、ご容赦ください。また、後者については、折を見て説明や考察を重ねたいと思います。
以上の考え方で記事を執筆していることは、まだまだ記事が少ないのですが、2015年5月現在の本ブログをご覧いただければ、ご納得いただけるものと考えます。
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