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2015年10月28日水曜日

JR東日本連続不審火容疑者起訴について(メモ、感想文)

今朝(平成27年10月28日)読売新聞朝刊社会面(東京13版 37ページ)に、「JR連続不審火 野田容疑者起訴」の記事がある。新聞記事の常であるが、それなりに気をつけて見ていないと、見逃してしまう扱いである。一ヶ月ほどすると公判のよう(参考リンク)であるから、気を付けてみる必要がありそうだ。官報に公告する内容ではないので、フィードなどで確認する必要がある。

東京地検は27日、自称ミュージシャン野田容疑者(43)を器物損壊と威力業務尾妨害の罪で東京地裁に起訴した。
 念のため見てみたところ、今日は、官邸ドローン事件の第n回(n>1、おそらく3)公判のようだ。


傍聴券交付情報(東京地方裁判所)
http://www.courts.go.jp/app/botyokoufu_jp/list?id=15
裁判所名東京地方裁判所  刑事第10部
日時・場所平成27年10月28日 午後1時0分 東京地方裁判所1番交付所
事件名威力業務妨害,火薬類取締法違反 平成27年刑(わ)第1109号等
備考<抽選>当日午後1時00分までに指定場所に来られた方を対象に抽選します。開廷時間は午後1時30分です。

 私にとって、両事件とも、リアルタイムで見ていなければならない必然性はない。が、偶然は一種の必然でもある。司法を「ベルトコンベア」と最初に呼び習わした方はどなたか存じ上げないが、リアルタイムで見ていなければ、担当者以外が見逃してしまう辺り、秀逸な喩えだと思う。初公判では、被告は起訴事実を否認したようであるが、抽選だとはいえ、傍聴者も少ないだろう。世の中の裁判傍聴ブームも一段落したようだし、のそっと見に行くかな?という気になった。

【官邸ドローン事件】被告が初公判で無罪主張 「落下を確認していない」 東京地裁 - 産経ニュース
http://www.sankei.com/affairs/news/150813/afr1508130016-n1.html

2015年10月12日月曜日

NHKクローズアップ現代(10月1日放送分)について

“世界一の鉄道”に何が ~多発する事件・トラブル~ - NHK クローズアップ現代
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3710_all.html

 上記リンクは、聞き書き(トランスクリプト)のサイトにつながります。
 番組に対して、ツイッターでは、そのような対策は現実的ではない、実務を知らない者の主張だという趣旨の反論が多く見られましたが、自殺等に対して、「列車を止めれば数千万円」のような記述が多く見られる一方で、数千万円に及ばない対策を怠ってきたことは、どのように解釈すれば良いのでしょうか。
 手の届くところに燃える物を置かない、というのは、放火対策の基本です。一坪数百万円以上の土地に多くの物体を置けないことはわかりますが、より目の細かな金網を使うですとか、とりあえず二重に金網を張り、手を出すことを難しくするということは可能だったはずです。30kmくらいだったかとアタリをつけて調べてみると、34.5kmということですから、全周に金網を張っても、数億円で済むわけです。実際のところ、ケーブルのつなぎ目など、手の届きそうなところだけでも被覆すれば、数百万円単位で済んだはずです。

山手線一周の時間と距離はコレ!実際に測ってきました!! | ALL You NeeD is InformaTion Blog
http://bibibits-of-knowledge.com/archives/2048.html

 すると、今回のJR東日本連続不審火事件が生じる前までに、JR東日本の防犯・テロ対策担当者は、その者に課せられた責任や与えられた報酬に対して、結果的にも、道義的にも、基本的な業務としても、十分な仕事をなしてきたとは評価できないことになります。反論があれば、どうぞお願いしたいところです。
 結果的、道義的、基本的、という表現の並びは、この順に業務内容の難易度が低くなるように並べたものです。結果責任は、背負うものが重大な役職に伴うものであって、通常は、政治家や大企業の経営陣など、多くの人々に対して責任を負うべき者しか負わなくとも良いものです。道義的な責任は、役職に付随する理想から生じるもので、倫理上こうすべきものです。道義的な責任を果たせなかったとしても、必ずしも非難の対象となるわけではありません。今回の事件は、責任者が当然なすべき業務を果たしていなかったために生じたもので、言い換えれば基本的な業務を果たしていなかったために生じたものですので、事件に対して、担当者は、責任を免れません。
 今回の事件にあたり、仮に、事件前に何らかの対策が施されていたとするならば、その対策が却って事件の深刻化を招いた可能性は、それなりに存在します。本事件は、慎重な捜査が必要とされる種類のテロ事件である疑いが未だにぬぐえないためです。架線に対する攻撃は、より深刻な被害と相当深刻な別の罪名とを招いた虞があります。しかしながら、JR東日本の防犯・テロ対策担当者は、無策ゆえに、安全というボールを容疑者の手に委ねるほかなかった訳でして、今回の被害が小さかった理由は、容疑者がより破壊的な行動に出なかったことのみに起因するのです。
 鉄道機関の安全性は、主として、運輸安全委員会以下の組織に委ねられています。主として、旧運輸省、現国土交通省の縄張りです。私は、鉄道行政からはまったくお声のかからない小物ですが、これだけは言えます。犯罪をいかに行おうかなどと物騒なことを常々考えることは、持続性・継続性はもちろん、悪い方面への才能を必要とする営みです。私は、悪い方面への才能はそれほどなさそうですが、それでも、まだ、一般の優秀な鉄道運輸関係の研究者に比べて、悪業へのセンスはあるように自負しています。鉄道研究者の誰か一人でも、現時点までの間に、ここで私の指摘したような、容疑者が罪名を考慮して手口を選択していた可能性を考慮したことがあったでしょうか。世の中は広いので、それこそ対外情報機関に採用されるような優秀な人材ならば、本事件に接して、このような可能性を検討したこととは思いますが、こと研究者に限定すれば、鉄道運輸関係の研究者として、ここまで思考を到達させた人はいないものと思います。悪行の研究は、それなりに専門性があるものなのです。

 さて、危機管理という観点からは、セキュリティ産業界の「手の者」が焼け太りを狙ってわざと事件を起こさせたというシナリオを考慮しておかなければなりません。しかし、今回に限って言えば、仮に、このシナリオが正しく、セキュリティ産業界により多くの経費を割かなければいけないとしても、それは、正当な経費です。経営陣の給与を削減した上で、セキュリティに費用をかけても良いくらいの話です。経営陣は、本当に東京オリンピックを実現したいと考えているのであれば、もっと費用をかけるべきことが山積しています。本件の責任を経営陣に負わせた上で、10円程度の運賃の値上げも、やむを得ないかもしれません。
 これ以上の専門的な知識は、本来、正当な対価や報酬(=私にとっては研究者としての身分を獲得できる程度の研究予算と研究上の成果)を得る確約を得た上であれば、提供したいと思います。とにかく、わが国は、防衛産業に対しても、セキュリティ産業に対しても、基礎的な研究・報道の予算が欠如しています。効率的な使用も課題ではありますが、問題としては副次的なものに過ぎません。この方面の実務レベルや流通する情報のレベルが低いのは、産業界が十分な研究等のコストをかけてこなかったことに原因がある、と私は考えています。防衛産業は、私の守備範囲外ではありますが、問題は、非核三原則や武器輸出三原則が問題になるとしても、防衛研究の目利きができる情報産業関係者(日本人の研究者や日本人のジャーナリスト)に乏しいこと、それらの関係者に社会が適切な報酬を用意してこなかったことなどにあります。「外国に売ることができないのなら、防衛装備品の価格が高くなるのは当然である。にもかかわらず、専守防衛のためにも、より高いレベルの防衛装備品が必要である」という、経済学上の基本に逆らうジレンマがある、という事実に対して、日本国民は、長らく無視してきたのだと思います。戦争をしないためには、戦争という(悪)手を取りうる諸外国に比べて、相当高度なレベルで、外交と戦争についての思考を深めなければならない、というジレンマも無視されてきたと思います。言葉に出さなければ問題が存在しないという言霊論の世界に、私たちは生きてきたのです。

2015年10月7日水曜日

JR東日本連続不審火の容疑者の再逮捕について(感想文)

 本事件は、インスタグラムが容疑者への助言に使われていた可能性を残すものとなっている。本記事は、その理由をメモしたものである。

 容疑者は、6日、威力業務妨害罪及び器物損壊罪で再逮捕されたとのことだが、朝日新聞は、記事を次のように結び、放火罪は適用されないと判断されたことを伝えている。(読売新聞と日本経済新聞には、同様の説明は見られない。)
JR不審火 容疑者再逮捕 「山手線を廃線にしたかった」 渋谷事件で(朝日新聞夕刊2015年10月6日(火) 11面)
(略)
警視庁は一連の不審火は火災の規模が小さく、住居などの建造物以外への放火罪を問う要件となる「公共の危険」を生じさせたとはいえないと判断している。(記事終わり)
本事件では、往来危険罪は検討されなかったのか?と思い、調べてみた。すると、信号系統を停止させたとしても、往来に対する危険にまでは至らないから、往来危険罪には問えないとした裁判例があるという。

参考:往来危険罪
http://park.geocities.jp/funotch/keiho/kakuron/shakaihoueki1/koukyounoheion/ouraibougai/ouraikiken.html

以下は、裁判所ウェブサイトの裁判例の検索結果の転載である。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=51256


事件番号 昭和27(あ)43
事件名 建造物侵入、業務妨害、往来危険
裁判年月日 昭和35年2月18日
法廷名 最高裁判所第一小法廷
原審裁判所名 福岡高等裁判所
原審裁判年月日 昭和26年10月29日
判示事項 一 汽車電車の往来危険罪の成立要件
二 電車の往来の危険を生ぜしめた場合にあたらないとされた事例
裁判要旨 一 汽車電車の往来危険罪は、鉄道またはその標識を損壊し、またはその他の方法を以つて、汽車または電車の脱線、顛覆、衝突、破壊等、これら交通機関の往来に危険な結果を生ずる虞のある状態を発生させることにより成立する。
二 本件の場合(判文参照)、駅の信号操作を放置しても、直ちに電車の往来に危険な結果を生ずる虞ある状態を発生させたものということはできない。
参照法条 刑法125条1項
本文 リンク

 容疑者の用意周到さからすれば、容疑者が責任能力を備えていることは明らかである。通常人の判断能力によれば、線路脇のケーブルや架線を燃やせば、少なくとも、走行中の車両を停止させることになると予想できるはずである。ただし、線路脇のケーブルや架線を燃やしたことにより、列車が転覆したり衝突したりするなどという展開は、通常人では予想できないように思われる。

 ところで、私に引っかかるのは、以下にあるインスタグラムで、容疑者は、架線を支える絶縁体(ガイシ)の上に液体の入ったペットボトルを置いた写真を載せ、「150本おじゃん」と記しているが、この形で架線に被害を出していないことである。「150本おじゃん」という表現は、運休させてやるという趣旨で記しているものと思われ、「脱線、顛覆、衝突、破壊」を起こそうとしているのではないものと思われる。緊急停止時のブレーキにはモーターブレーキが使われるかも知れないが、モーターブレーキの仕組み上、電源は必要とされないように思われる。本段落における鉄道の仕組みについての推測は、調査していないものであるので、容疑者が専門的な調査を進めていないのであれば、容疑者の理解も、おおむね類似したものになったと思われる。

zonegeriyangnodaさんはInstagramを利用しています:「シリーズ【電化バリア戦争】 これ焼き切ると下品盗賊150本おじゃん。。。ゆうか、そんなカヨワイカヨワイ電化バリアやで。TT」
https://instagram.com/p/6AVzQRPplU/

 しかしながら、結果としてではあるが、容疑者は、上記のような写真などを撮りながらも、この種の犯行に着手しなかった。その上で、線路脇ケーブルに執着したのである。そこで考えられる最悪の想定が、冒頭に記したように、インスタグラムが刑法に詳しい専門家への相談の手段として用いられたという可能性である。私個人としては、ペットボトルに点火してから架線にまでペットボトルを下ろすという方法がなかった、長い針金の持ち合わせがなかったのではないかと思う。しかし他方で、線路上に火炎ビン(火炎ペットボトル)を投げつけた形になり、往来危険罪を問われる危険を避けたという可能性を完全に否定しきることもできないと思うのである。

 本事件の態様が公開情報により明らかにされるほど、本事件は高度な手口であるということが垣間見えてくる。本事件は、「よい子の皆さんは、真似を絶対にしてはいけません」というメッセージを与えるかのごときものである。本事件が組織的なものであるとすれば、攻撃は高度で洗練されているし、個人的なものであったとするならば、素人の恐ろしさを思い知らされるものである。対策は、本当に急務である。事件直後から、JR東日本及び警備受託企業がどのような対策を取ったのかは、今後、本格的に問われることになると思われる。

2015年10月1日木曜日

JR東日本連続不審火事件の模倣犯の予防は急務である

#容疑者逮捕から2週間が経過して、新たな(おかしな)展開が社会で生まれつつあるので、コメントしておきたい。

 JR東日本への連続不審火事件の容疑者は、世界情勢の「裏側」をレポートしてきた日本人ジャーナリスト、古歩道(フルフォード)ベンジャミン氏のお隣さんであるという(リンク※1)。私は、このことをTwitterまとめサイトのTogetter(リンク※1)で翌16日に知り、色々と考えて執筆した上で、17日に先の記事(リンク※2)をアップした。古歩道氏がインタビューを受けたのは、逮捕直後の9月15日であり、マスメディアがコンビニ帰りの古歩道氏を捕まえた(リンク※3)のだという。18日にアップされたネット番組(リンク※3)と24日の番組(リンク※4)で、古歩道氏は、インタビューに応じた経緯と自身の所見を述べている。この日の前後関係は分からないが、18日、容疑者は、威力業務妨害等の容疑で東京地検に送検されている(リンク※5)。

 古歩道氏は、本件放火がイスラエルのモサドの工作活動であると断定し、容疑者が古歩道氏の隣に住み始めたことも怪しいと述べている。古歩道氏は、日本社会の権力構造について、優れた分析を示している※6が、現在、陰謀論業界のスターとみなされている。そのために、今回の主張は、結果として、陰謀論業界以外ではトンデモ扱いされている。今回の古歩道氏の主張は、容疑者の両親の国籍等を理由に、事件をモサドの仕業とするものであり、あたかも、いずれも日本にいるという理由で、在特会と日本政府を確たる理由抜きに同一視するかのごときのものである。古歩道氏の今回の主張は、短絡的に過ぎる。

 しかしながら、古歩道氏の主張の真偽自体は、(そもそも私には確かめようもないものであるが、)今後の犯罪を予防する上で、重要な論点ではない。本事件が報道され、「いざとなれば、自分にも事件を起こせる」という印象が広まってしまい、テロ活動に対してJR東日本が脆弱であると思われていることこそが問題なのである。全世界の視聴者は、JR東日本の列車を止めることが簡単だという印象を植え付けられてしまっている。本事件の犯人が誰であるか、なぜやったのかが解明されたとしても、将来の事件を予防するためのハードルは、最早、下がることがないのである。一部マスメディアは、容疑者の逮捕前、プロフェッショナルの仕業ではないかとの観測記事を流したが、放火の手口自体は、それほど難しいものではない。火炎ビンのような装置で、敷地外から届きそうなところにあった可燃物に着火した、というだけである。どの設備が燃えそうかという判断は、多くの国民が下せるものである。「なぜ犯罪が行われたのか」という動機の解明は、専門知識を必要とするかもしれないが、「どこでいつ犯罪が行われるのか」という判定は、小学生にも行えるものである。以前、私は、放火を防ぐためには、公衆の手の届くところに可燃物を放置しないようにすれば良い、とNHKの情報番組『あさイチ』で解説したことがある。事件の多くが私の指摘と整合するものであったため、事件の報道に接して、私は、多くの事件についてアリバイがあることをありがたく思ったほどである。

 前記事の繰り返しになるが、テロ対策は、単なる放火対策に比べて、途方もないリソースを必要とする。本事件を単独犯として片付けてしまうと、テロ対策への準備が疎かにされかねない。放火対策だけであれは、オリンピック終了までの期間、各会場周辺を警備することに集中すれば、数十億円程度の費用ですむかもしれないし、対外的な活動も、私程度のカタコトの語学力で十分間に合う。しかし、テロ対策には、二カ国語以上を母語として使いこなせる程度の語学力を有し、母国に変わらぬ忠誠心を捧げることのでき、人間としての魅力にあふれた人材が要求される。資金面についてみると、本年の自称イスラム国による邦人誘拐殺人事件の折、中東の安定のために拠出すると安倍首相が演説した2億ドルでは、とうてい足りない。240億円では、100人が活動できるだけである(100人×4000万円×6年)。事件によって、テロ対策の必要性が満天下に示された以上、事件に備える体制づくりが欠かせない。これは、新国立競技場の建設計画に言及するまでもなく、当然のことである。わが国の指導者層や企業の経営陣が、現状に甘んじていて良いとするのであれば、その理由を積極的に示すべきときが来ている。

落ち穂拾い(1) テロ対策を念頭に置いたリソース配分が必要な理由

蛇足になるが、テロ対策にリソースを十分に割かなければ、本事件が背景のあるテロ活動であったのか、それとも真に単独犯であったのかの区別は付けられないだろう。そして、単なる放火犯として片付けた場合、今後のテロ事件は防ぎ得ない。とすれば、本事件はテロ事件であると考えた上で、対策に十分なリソースを注いだ方が良い。それが無理なら、目的と手段が転倒したものになるが、いっそのこと、現時点でオリンピックを返上し、より有益な方面にリソースを配分するというのも、テロを予防する一つの手ではある。

落ち穂拾い(2) 新国立競技場建設計画には防犯環境設計上の確認が必要

さらに蛇足。精査していないので想像で記すけれども、おそらく、新国立競技場の建設計画は、犯罪やテロ、混雑からの安全性という観点から検討されてはいないだろう。何せ、周辺部の歩行者デッキは、費用分担からして都と国の言い分が異なるほどである。官公庁は、予算がなければ動かない。民間企業に企画を丸投げなんてことも、あってはならないのに、まま聞くことである。ということは、予算で揉める前には、ほとんど検討がなされていないと見るべきである。周辺施設と連携した混雑対策・警備計画は、一顧だにされていない虞がある。実際、ザハ案は、周辺の混雑なんぞは知りませんといった具合に、デザイン重視、曲線を多用した形状である。スタジアムにおけるテロ対策は、かなり歴史がある分野である(。私も、ということを心得ているだけではある)。しかし、わが国のトップの頭の中には、総合的な安全面を検証できるだけのプロフェッショナルを招待しようというアイデア自体がない。でなければ、Jリーグやスターのコンサート後、新横浜駅や浦和美園駅が大混雑し、事故が懸念される状況を毎度経験するなどという事態は、ないはずである。

落ち穂拾い(3) 事件の発生地と古歩道ベンジャミンメルマガ発刊地はまあまあ近い

山手線南西部に事件が集中していたことは、古歩道氏のメルマガ発刊地が品川区内にあることもあり、古歩道氏にとっても警戒材料になったように思われる。渋谷や恵比寿など、ライブハウスの集中する?地域にも自転車であれば通える範囲である。なぜ知っているかって?これは偶然であろうが、発刊地が私の近所だから。ついでだが、古歩道氏は、『江戸前・あ・めーりかん』の作者の藤波俊彦氏によって、ママチャリに乗る人として描かれていた。

落ち穂拾い(4) 掲示板『阿修羅』に見られた怪しい書込み

具体的には示さないが、本事件とは別の手段によって業務妨害できるのではないかと指摘する記述が、陰謀論者や過激派やカルト宗教信者の集まる掲示板『阿修羅』に書き込まれたことがある。また、JR東日本に対しては、過激派による業務妨害が生じたことがある。わが国の安全は、何かと危うい均衡の上に成立しているのである。

注記・出典

※1 JR不審火インタビュー ご近所さんとして登場したのがベンジャミン・フルフォードではないかと朝から混乱するTL - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/874341

※2 JR東日本における本年8月の連続不審火事件の容疑者逮捕について
http://hiroshisugata.blogspot.jp/2015/09/suspect-arrested-serial-arsons-on-East-Japan-Railway-premises.html

※3 JR放火事件の犯人は工作員?【NET TV ニュース.報道】国家非常事態対策委員会 2015/09/18 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Ip9dn0SoJIA

※4 【NET TV ニュース.報道】国家非常事態対策委員会 2015/09/24 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IXxGhp09rCU

※5 JR不審火、容疑者「まだやるつもりだった」 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150917-OYT1T50045.html

※6 彼の著書『日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日』(2002年, 光文社)などによると、古歩道氏が世の中の「裏側」に深く関与するに至った契機は、経済誌『フォーブス』の太平洋支局長時代、不動産等の不良債権に暴力団 が深く関与していたことを知り、外国人としての強みを生かした取材を進めたことに始まる。古歩道氏が陰謀論者扱いされるようになったのは、いわゆる911 がインサイドジョブであったという点を、当時から著名な陰謀論者であった中丸薫に指摘され、その調査を進めて以来のことであると思う。

2015年9月17日木曜日

JR東日本における本年8月の連続不審火事件の容疑者逮捕について

#誰も見ていないようなので、寂しくなり、3ヶ月ほど放置してしまいましたが、JR東日本敷地内における連続不審火事件の容疑者が逮捕されたとの報道があり、本事件自体は終息する見込みが高いものと思われましたので、本事件の容疑者の逮捕を区切りとして、専門家としての意見を述べておきたいと思い、更新することにしました。

本事件の容疑者の犯行の動機は、桐生正幸氏がNHKの18時台のニュースのインタビューに回答した内容(つまり、不満の発散)とは異なり、通常の連続放火事件の枠を超えて扱うべきものである可能性が残されている。実際、報道記事の多くが「連続放火」ではなく、いまだに「不審火」という表現を用いており、これらの報道機関の表現は、本事件が一種のテロ事件であるという可能性を見越したものであると解釈するのが適当である。私も、テロ事件としての可能性を見越した捜査が行われることが適切であると考えるとともに、本事件を教訓として、テロ対策を含め、今後の犯罪対策が着実に進められることを期待している。JR東日本の安全担当者にとっては、定時運行、安全運輸が優先順位の首位を占めることはもちろんであろうが、今後の数年間、悪意により起こされる事件に対する備えこそ、積極的に進めてほしいものである。実は、昨年から今春までの間に、オリンピックに向けて本格的なテロ対策が必要であることをJR東日本グループに所属する複数の人物に人を通じて忠告したことが二度以上あるだけに、本事件までの担当者の感度が鈍く、また報道による限りではその印象が今も拭えないことは、返す返すも残念なことである。幸い、報道による限り、本事件は人的被害に直結していないようである。本事件を機に、安全対策を十分かつ確実なものに拡充することを期待する。(蛇足であるが、地下鉄サリン事件を通じて、東京メトロは、比較的、この種の対策に関心を払っていることを聞いている。また、地下の路線は、本事件のような一匹狼による犯行を比較的防御しやすい環境にあると考えて良いであろう。)

ところで、唐突であり、私の専門分野から外れることであるが、本事件がテロ事件であるかという可能性を探ることができ、かつ、報道可能なポイントは、容疑者に妻子がいるかどうかであろう。捜査関係者には、この点を丁寧かつ十分に調べてほしい。妻子の有無という事実関係は、容疑者の行動の背景が複雑なものであるかどうか、それとも、容疑者のSNSに示された日本国内における生活から受ける印象のような組織色の薄いものであるかどうかの判断基準となりうる。仮に容疑者が犯人であり、かつ、彼に妻子がいたとすればであるが、本事件をテロ事件だとして対策に資源を注ぐことは、回り回って大多数の日本国民の利益に適うものとなる。(この結論に至る論理と、この点から派生する課題は省略するが、これらを要望される方は、直接ご連絡いただきたい。)

桐生氏の専門分野(ここでは、動機の解明)に踏み込むことを承知で、容疑者の身上についてもあえて言及することは、私自身の考える専門家としてのルールに違反するが、「本事件を多くの可能性を含めたものとしてとらえ、テロ事件をも見据えて今後の安全対策を進めるべきである」という主張のために必要なことであった。というのは、本件不審火を専門家が単純な連続放火事件に落とし込むことは、次に生じうる事態への備えを阻害するためである。本事件を一個人による単独事件としてのみとらえると、「今後このような特殊な事件は起こらない」といった矮小化もが肯定されかねず、ひいては、実務家(JR東日本の警備業務委託担当者や警備業務受託企業等)が現状に留まることを黙認することになりかねない。反対に、本事件にテロ事件の含みを残してこそ、テロ対策を所掌とする諸関係者が今後の対策に関与し続ける理由が確保できる。いずれにしても、桐生氏の専門家としての今回の説明は、「大きく構えて小さく納める」という、佐々敦行氏の指摘する『後藤田五訓』のひとつにも反しており、かえって公益を損なう内容である。犯罪対策を的確に進める上で、今回の場合には、考えられる動機の範囲を広く取り、事件の性格を把握することはもちろん、対策も広く構想すべきである。

私は、専門家や実務家が定められた各人の持ち場・守備範囲をしっかり守っていたならば、事件・事故の際、免責されるものと考えるが、しかし同時に、事件の経緯、JR東日本の資源・重要性等を考え合わせると、JR東日本の犯罪予防業務の担当者に課せられた業務内容自体は、今後、現状よりもJR東日本という企業にふさわしいものに向上させる必要があるものと考える。犯罪の素人が単独でこのような連続放火事件を起こし、複数回にわたり鉄道の運行を停止させ得たとするならば、犯罪のプロ集団ならばどれほどの被害となったのやらと想像することは、誰にとっても自然に思いつける。(本事件では、過激派グループによる伝統的な犯行によるという線も、もちろん検討されたことであろう。)仮に、本事件を受けて従来の対策をJR東日本という人員と資源に恵まれた大企業が改善しようとしなかったとすれば、次の事件の際、その不作為の責めを受けることはやむを得ないであろう。もちろん、わが国において公共安全という分野で禄を食む者が本事件を重く見なかったとすれば、程度こそあれ、私を含めて、同様に不作為・無能力の責めを負うことになる。

本事件が一種のテロ事件であるかどうかにかかわらず、本事件から学習した潜在的な犯罪者は多数生じたであろうから、今後の同種の事件への対応は、予算上は経営判断が必要な程度の課題と化しており、また、国内外の犯罪予防関係者とのより緊密な連携・協力を必要とする状態が生じている。品川における事件の対象となった施設は、おそらく、重要施設であったがゆえに、逮捕の決め手となった防犯カメラが警備業者により設置されていたのであろうが、JR東日本も警備業者も営利企業であるから、民間に任せきりでは、おそらく、警備体制が一気に拡充されることはないであろう。かと言って、警備体制が現状程度であるならば、次の類似事件は、まず確実に予防できない。加えて、有楽町駅近くのぱちんこ店から出火した火災や、王子駅近辺の飲食店街から出火した火災、最近では京浜東北線?沿線の住宅火災などで明らかになっていることであるが、鉄道の円滑な運行には、相隣関係がそれなりに重要であるにもかかわらず、この点は、現在まで、それほど重要視されてはいない。(蛇足であるが、私が大学で学んだ都市工学は、この相隣関係や、ネットワークという観点に重点を置く分野でもある。)

日本社会がここ数年以上の大きな変動を経験しない限り、東京オリンピックの安全かつ円滑な開催に向けて官民が対応すべき業務は、社会のリソースを目一杯使い切る程までに、広範かつ深刻な状態で存在する。オリンピックの開催という大事業は、先進・成熟した社会にとっては、慎重な社会配分を必要とする難事業である。ロンドンオリンピックでは、移民や労働者階級が労働力としての緩衝材となり、需要が一段落した後には社会不安要因としての扱いを受けるなど、公正な社会という観点から見て、問題のある処遇を受けたという経緯がある。本事件については、容疑者の動機に着目するよりも、事件後の対策に注力すべきであること、社会における資源および負担の適正配分まで含んだ対策を考案・実行すべきこと、という二点に配慮した指摘をなすことが、わが国の公共放送に出演する学識経験者たる者の本分である。

2015年5月15日金曜日

放火研究の動向(私家版、パート2)

前回より


放火の環境犯罪学的研究と火災研究との精度感の違いは問題にはならない

不穏当な表現になるが、従来型の回帰分析を用いた政策科学系の放火研究は、火災研究者には、実に怪しげなものであると、適切に理解されてきたようである。少なくとも、その精度が低いことを理解してもらえてはいるようではある。自然現象を相手にするための道具立てを学習する課程は、モデルというものを利用する場合の相場観を養う機会となる。ある研究の正当性は、その研究を評価する研究コミュニティを離れて成立することはないから、怪しげな環境犯罪学研究が「放火に対する建築防火政策の効果はまったくない」と主張しても、火災研究コミュニティからは、健全な反論が提起されることが期待されよう。つまり、環境犯罪学者は、研究上の努力を節約していても、いずれは、それぞれの研究の正しさが見極められることを期待しても良いということになる。将来において、環境犯罪学上の誤りは、自然に淘汰されるものと期待できるということである。

ところがそもそも、火災そのものを研究対象とする研究者の承認は、環境犯罪学的な放火研究の成功条件には含まれない。つまり、従来の統計的手法を利用した、環境犯罪学的な放火研究が内包する限界について、共通の理解に至る必要性は、端から存在しない。放火研究という学際的研究において、知識の相違により軋轢が生じる蓋然性は、十分に高い。にもかかわらず、現実には、この辺の難しさを通過しなければならないことは、第一点目の「もったいない」事実である。「放火犯がまさに火を点けようとする環境」の空間スケールは、「可燃物及び着火源が容易に入手可能な現代」というマクロ環境をふまえると、直感的には「放火犯のパーソナルスペース」程度である。その空間スケールは、大きなものであるとしても「放火犯の視界の範囲」程度である。清永賢二氏らの「侵入盗の目の付け所」に関する研究にいう「向こう三軒両隣」程度の大きさの空間が最大のスケール感である。その「向こう三軒両隣」内に可燃物がないという状況は、わが国の「都市空間」では、きわめて考えにくいことである。放火犯になったつもりで考えれば、可燃物は身の周りにあふれているし、マッチやライターもありふれているから、われわれは、誰もが「放火しようと思えばいつでもできる環境」に囲まれて生活していると言っても良い。マンションが立ち並ぶ地域でも、オフィス街でさえも、可燃物はそこかしこに見つかるし、ホームレスを糾弾する気はないが、彼らがしばしば可燃物を不燃建築物の周辺に持ち込むこと自体は、事実である。

「いつ・誰が・何を用いて・どの物品に最初に火を点けたのか」という点の解明は、火災調査の焦点であり、火災研究者の腕の見せ所であろうが、環境犯罪学者の興味を満たすには、「現実の都市のミクロ空間下に火を点けるものがあるかどうか」が分かれば、十分である。両者の興味には、一種の断絶が存在するのである。このため、火災調査に見られるような厳密性は、正確な放火地点の把握に必須ではあるが、仮に、火災調査に現在ほどの厳密性がなかったとしても、環境犯罪学研究に必要な精度感が左右されることはない。(消防署の)予防課の担当者の説明は、信用できるものとして受け入れられ、そのまま研究に利用されて構わないであろう。その上、放火事件の現場には、素人目にも分かるほど、数ヶ月前もの燃焼地点の痕跡が残されていることがあるから、回顧的に放火地点を特定することは、不可能とは言えない。


警察側の情報が研究の精度感を決定的に左右する

その一方で、放火の統計的研究や、あるいは(地理的)プロファイリングなどの成否を決定的に左右するのは、犯人と事件のリンク分析、つまり、どの事件がどの犯人によるものであるのかを紐付ける作業である。にもかかわらず、警察の犯罪統計やリンク分析結果が外部の研究者に公開される公的な仕組みは、存在しない。外部の研究者は、裁判を傍聴し続けるという方法により、データを収集することが原理的には可能であるものの、現実的な手段ではない。次善の方法として、裁判記録を入手するよう努力するというものもあるが、これも系統性という点では、難がある。結局、回顧調査の枠組みに基づき、不完全な報道記事を元に、連続犯と事件との対応関係を調査するしかない。この作業も面倒くさいし、何より、リンク分析としての正確性を保証する役目が研究者に課せられるため、再現性に問題がある。

この事情は、「警察外部の研究者が放火犯と事件の対応関係を知るために報道記事を利用するしかない」という第二点目の「もったいない」事実を生起させる。警察関係者は、警察のデータが権力の源泉となり得ることを、報道関係者とのやりとりを通じて、重々承知している。私のブログ記事は、報道関係者への批判に満ちているが、それでもなお、通常の研究者に比べて、共生関係という観点から見て、彼ら報道関係者が多大な成功を組織として収めていることに、間違いはない。他方で、研究者にデータを公開(あるいは提供)して、彼らからの信頼と社会からの名声を獲得するという警察の作法は、お世辞にも洗練されたものとはなっていないし、現実に、そのような努力に見合う利益もごく小さなものである。「データの共有を進めれば、犯罪学はより進歩するのに」という研究者の嘆息は、数十年前から見出すことができる。これらの諫言は、研究者当人にとって、このような表出が利益にならないことを思えば、相当に根深い事情を指すものであり、社会が傾聴すべきものであると理解すべきであろう。




2017年9月9日修正

多くの理由から、一旦公開を見合わせていたところ、再度公開することとした。これに伴い、若干の修正を加えているが、大意に変更はない。合わせて、タグの体裁も変更した。

2015年5月14日木曜日

放火研究の動向(私家版、パート1)

#放火(火災)研究の動向を、通常のレビュー論文よりもメタな観点から、自戒を込めて短時間で不遜に記したいと思います。レビューとしても落第点の手抜き状態で、先進性もなく、生煮え状態のくせに、明日のわが身を考えずに顕名で各業界に喧嘩を売りまくりました。しかし、含みを持たせて表現しない方がわが国と後進のためになると都合良く考えてみましたので、ブログに記すことにしました。なお、括弧書きは、学術的な用法ではない(誰かの引用を表さない)ので、その点、ご容赦ください。


放火「火災」という表現

放火「火災」とは、消防法の所管する(消火活動の専門家でなければ手の付けられなくなった状態の)現象である。「放火火災」を「放火」と記しても、おそらく、消防関係者のほかは、気に留めることはあるまい。消防関係者も、(私の存じ上げる方々は、相対的に心が広めで熱いので、)問題視することはあるまいとも思われる。しかし、このように説明した上で、改めて「放火火災」と表記すると、読者の皆様には、研究者の自主規制を含みうる表現なのだなあ、とご賢察いただけるものと期待するのである。

社会学では、構築主義の観点から、この種の表現(の経緯や差異)を研究対象の範囲に含めている。「放火罪」と記すと、これは、法学者の専門領域になる。精神医学は、抽象的な意味での「放火犯」を相手にする。「放火犯」というように、表現を括弧書きとしたのは、精神疾患などによる責任無能力状態の者も含むためである。「放火火災」と「放火罪」という表現の違いは、実務についてみれば、「消火活動を優先させる」消防関係者と、「放火犯の検挙を目的とする」警察関係者との違いでもある。

「放火」や、その上位概念の「防犯」のような、組織間の連携・協調が必要な研究分野では、表現ひとつにも留意することが必要であるし、また、そうして初めて、総合的で効率的な対策の糸口も開けようというものである。しかし、幸か不幸か、これらの要素にまんべんなく目配りし、総合的に実務への還元効率を測定できるまでに入念に実施された放火の(また防犯の)政策評価研究は、今までに存在しない。放火犯一人や不燃建築物一棟についての限界効用を計測できるようになってしまうと、個別の研究分野には都合が悪い。放火に関わる多くの学問分野では、手弁当で実施可能な研究は限られており、追加的な研究予算を獲得することが必須業務であるためである


放火に係る政策評価研究の袋小路

困ったことに、私が学んだ環境犯罪学は、このような要素間の兼ね合いを理解の基本に据えている。環境犯罪学に基づく放火研究では、放火を、「放火犯が、放火しやすいところで、放火しやすい物品に火を点ける」というイベントとして理解して予防しようとする。「放火犯(犯行企図者)、放火対象物及び着火物(潜在的な対象物)、ご近所の目(抑止する存在の欠如)」という三要素のいずれに公的な資源を集中すべきかという問題は、それほど話題に上らないものの、実際、解答が必要である。人口減を受けて経済が(ほぼ必然的に)縮小する中、公共が支出できる予算も人員も減少するのが当然であるからである。

ただ、「こうした三種類の要素のうち、どの要素が効果的であるのか」という問いを立てることは、今のところ、現在のわが国の犯罪学界隈で利用されている標準的な回帰分析による限り、かなり無謀である。本点に係る現時点の環境犯罪学研究では、要素の組合せ(交互作用という。)に対する考察が不十分である。この課題を解決するためには、従来使われてきた手法を新規性のあるものに変えるか、または、優れた考察によって不要な交互作用を捨象するという作業が必要とされている。そもそも、従来の回帰分析による環境犯罪学研究では、交互作用は、ほぼ忘れ去られている。

従来型の回帰分析により先の問いを力押しで解くことが無理なことを、数字で示そう。ABC三種の要素を挙げた場合、ABCすべての組合せによる交互作用項(A:B:C,1種※1)、要素2種類からなる交互作用項(A:B,B:C,C:Aの3種)+要素一種のみの独立項(A,B,Cの3種)という、計7種類の影響を考えることができる。しかし、3種の要素に正確に対応する統計を収集することは、無理な話であるから、適当に3種類の統計によって各要素を代表させることを考えてみよう。すると、計9種類の要素では、合計で511(=2の9乗-1)通りの項が式に含まれることになる。これだけの項を含む式を十分な精度で分析するには、伝統的な方法では、2の511乗の個数以上のデータが欲しいところである。しかし、これは、約6.7*10^153であり、とても用意することができない数である。

従来型の方法では、程度の差こそあれ、どのみち直感に頼って作り上げられたモデルを元にする以上、利用する統計の種類が分析の見た目を左右する。もはや統計分析ソフトウェアを一から開発する必要はないし、そのような必要を強く主張する研究者もいないであろうから、誰でも、同じ統計を用いれば、同じような結果に辿り着ける※2。良心的に先行研究を読み込んで変数の集合を選択しても、分析結果は大差ないように見える。結局、使える統計が同じだと、事前の考察の深浅にかかわらず、誰もが同じような結果を得ることになりがちである。

疎行列を取り扱うことができる統計パッケージを用いたり、マルコフ連鎖モンテカルロ法を援用して交互作用を絞り込む統計パッケージを用いれば、ここで見たような直感的なモデル構築を避けられるかもしれない。ただし、期待されるような結果が得られるかどうかは、試してみなければ分からないし、後者は、人間の頭脳で交互作用を取捨選択した結果と比べて優れているかどうか、保証されるわけではなさそうである。新規性のある手法が成功したように見えるか否かは、分析したい現象の構造が事前に知られているかどうかに依存しそうである。

放火研究の評価というよりも、より包括的に、犯罪研究の評価について語っている塩梅になってきたが、これでようやく説明のお膳立ての元となる「政策科学系の放火研究の怪しさ・相場観」の説明が終わったと思うので、次回は、放火研究の評価に話の焦点を戻すことにしたい。繰り返しになるが、ルーティン・アクティビティ理論がいくら直感的に優れているように見えても、これを従来の統計的手法により説明しようとする試みは、いかにも無謀である。しかし、少なくとも、わが国における環境犯罪学界隈で、この事実は真剣かつ深刻に受け止められていない。これは、新規性のある知見ではなく、どちらかといえば常識の部類に入る。


※1 ここでの表記は、Rの記法に従う。Rのlm関数では、A*B*Cと表記すると、全交互作用項を自動的に推定してくれる。個別に交互作用項を設定したい場合は、A:Bのように表記する。

※2 だからこそ、GNUライセンスであるRは、大変ありがたいプラットフォームであり、今や、必須の研究インフラであると思う。しかし、それだけに、青木繁伸先生がRやExcelの関数におかしなところがある場合に警告されてきたことには、注意しておきたいとも思う。

次回に続く


2017年9月9日訂正

語尾の「だ」と「である」の混在を解消した。brタグをpタグに変更した。リンク切れを解消した。