あえてアマゾン風に星を付けるなら、★★★★★、星5つである。
本書では、天海の都市計画がいずれも江戸幕府の興隆を持続させ、天皇家の影響を減じるべく慎重に計算されたものであったことが、著者の明快な説明によって示される。
序章では、天台宗の学僧から幕府の宗教的ブレーンに取り立てられたという「納豆坊主」天海の生涯と、その人物像が簡潔に描かれる。第一章では、風水における基本、四神相応(p.35図)と鬼門・裏鬼門(p.44図)の説明とともに、江戸の置かれた環境との対応関係が説明される。第二章では、後水尾院と智仁天皇の離宮が京都の鬼門・裏鬼門に配置された理由が説明される。第三章では、平将門の鎮魂とその助力を企図して将門公の遺構が「の」の字型に発達した堀と街道筋と関連付けられて配置されたことが提示される。第四章では、幕府を守護する神として家康公を復活させるという目的に沿うよう、東照宮が江戸の北辰に配置、改築されたことが説明される。終章では、ごく短く、寛永寺の戦いを経て、天海により設計された江戸の結界が明治維新時に破壊されたと結ばれる。
このほか、田村麻呂が東北遠征時に建立した7つの神社の配置図(p.50)、天皇家ゆかりの神社と山岳との関係図(pp.186-189)など、本書には、この方面に興味を持つ者なら必見の図が多く収録されている。 ただ一点、苦言するならば、ローマが7つの丘の下に建設されたという事実を、江戸と類似したものとして見る(p.40)ことは、牽強付会であると思う。ローマという都市の配置が軍事上の選択肢としてあり得ないと考えた当時の軍事関係者が多かったこと、そのことがローマ帝国へと至る軍事的拡張主義を育んだとする現在の有力説は、十分な説得力を持つためである。ただし、この一事は、本書の価値を些かでも減じるものではない。
蛇足だが、宮元氏の前書『江戸の都市計画』(1996)は、おおむね『江戸の陰陽師』と同様の構成で記されているが、その前書によれば、「の」の字型に堀を配する都市計画という考えは、内藤昌,(1967). 『江戸と江戸城』, 鹿島研究所出版会(SD選書).で提示された考えであるという。この方法は、次の5点で利点を有する(1996, pp.21-22, 一部文言改変)。
- 線形状に開発可能
- 騎馬戦主体の攻撃に強い
- 堀による延焼防止(#おそらく街道や広小路も堀に合わせて配置されたのでは)
- 水路が建設物資の運搬路に
- 浚渫から生じた土砂の再利用
さらに、江戸が7つの台地に囲まれた「仙掌格」であることをローマと類似すると指摘したのは、武光誠,(1991). 『呪術が動かした日本史』, ネスコ.であるようだ(1996, p.109)。
ほか、田村麻呂の7つの神社についてもより詳しい説明がある(1996, pp.132-136)。
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