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2018年9月8日土曜日

(メモ)正義を自認する者にどこまでの嘘は許されるのか

#手抜きも良いところであるが、とりあえず公開する。【】は、段落を構成する要素として、成立しているであろうが、文としては、放置したままのものである。


一国の国民の安全を預かる者からすれば、単なる平和主義者は楽な立場だと、プーチン大統領は、オリバー・ストーン監督に語っている(。『オリバー・ストーン・オン・プーチン』〔pp.168-169〕、ここでは「親ロシア」という用語で説明されている)。平和主義者の国民の側に、「権力者とは、何をしてでも一国の安全を維持するという任務を背負うものであり、結果で判定されざるを得ない存在である」という認識があれば、平和主義者の国民と権力者との間には、権力者がプラトンのいう「哲人王」を目指す限りにおいて、共通の了解も生まれるのかも知れないとは思う。殺されることに甘んじて耐えるということは、普通の人間には可能なことではない。私からすれば、筋金入りの平和主義者の国民もまた、その領分に留ま(り、殺されることを覚悟す)る限りにおいて、(場合によっては、権力者よりも)偉大になり得る存在であるとは思うのであるが、この考えは、下々のものであって、甘いものなのだろうか。

話の枕としては、あまり適当な事例ではなかったが、私の考察の対象は、NHK『NHKスペシャル選 未解決事件File07』「警察庁長官狙撃事件」(2018年9月2日21時、8日(本日)16時~)において紹介された、青木五郎・警視庁公安部長によるオウム真理教を犯人として名指ししたことの理由である。この発言は、警察行政に対してかねてから批判的であった言論人や組織からの反発を大きく招くものとなった。これらの批判(を無料の本ブログで収集して取り上げる努力はしないが、それら)は、至極、妥当なものである。青木氏の発言は、推定無罪の原則などの刑事司法の基礎的な考え方を知る者なら誰でも、直ちに違和感を覚えることができるほどに踏み込んだものである。結局、東京都は、オウム真理教の後継団体であるアレフに裁判を起こされて、損害賠償まで支払うことになった

【概要の説明;警察庁長官の國松孝次氏が1995年に狙撃された事件。オウム真理教関係者が教団への捜査を攪乱するために起こしたものと見立てられた。ところが、中村泰という警察官殺害事件の犯人でもあるローン・ウルフ型の犯罪者が、刑務所で誰?に向かって告白した。これを受けて、警視庁公安部・刑事部は、捜査に着手するも、中村の自供に基づく拳銃を発見することはできなかった。大島行きフェリーから海中に投棄したとするため。青色のティップを持つホローポイント弾は、LAの貸倉庫に保管していたものの、借用期限がきたために処分され、銃砲店に売却された。中村は、接触を図ってきた弁護士に対して、決定的な何かを埋めた地点に係る資料を提供、撮影班は宝探し中とのこと。】

落ち着いて状況を考えてみても、青木氏の発言は、明らかに異常さが際立つものである。【常識から外れているのは二点。刑事司法の理念である推定無罪の原則に違背していること。時効にあたってとはいえ、注意喚起としてのタイミングがあまりに遅く、不合理なこと。】

この異常な状況ゆえに、合理的な精神を持つ批判者は、なぜ、青木氏がここまで発言したのか、という疑問にも至ることができる。【さすがに、キャリアの青木氏がここまで法律の常識を知らないとは言えまい。なぜ、オウム真理教にすべての責を負わせなければならなかったのか。】青木氏自身の「テロ事件の危険性を喚起し続けるため」という趣旨の発言は、彼の意図の全部を説明するものではないが、彼の意図すべてを把握しようと努力する際のヒントとして利用可能ではある。

青木発言の意図が、警察庁長官狙撃事件ほどの重大事件を一個の個人が起こせるだけの脆弱性がわが国に存在し続けてきているという事実から日本人の聞き手の注意を逸らすために仕組まれたものだと考えてみると、このお粗末過ぎる発言の理由にも、それなりの合理性を認めることができるようになる。青木氏は、あえて、近代社会の法理念に悖る迂闊さを全面的に押し出すことによって、日本の安全を維持するための汚れ役を一身に引き受けようとしたのではないか、とも考えることができる。しかし、青木氏の発言にもかかわらず、日本社会の安全性にぽっかりと開いた深淵は、残念ながらそのままである。たとえば、着の身着のまま、今年8月12日夜に(、この表現は、正確ではないかも知れないが)脱走した樋田淳也を、大阪府警察は、今に至るまで確保できていない。中村泰にせよ、樋田にせよ、これらの個人犯罪者たちは、彼ら犯罪者個人の目的に照らせば、今も警察を出し抜いたままである。また、彼らから発せられているメッセージは、およそ30万人を擁し、自賛するのも理解できなくはない水準の治安を実現しているはずのわが国の警察組織に対して、重大な疑義を突き付けるものとなってしまっている。

犯罪者の声明・犯行に対する警察のコメント、すなわち広報活動は、単に警察の体面を維持するという問題に留まらず対テロ戦争の一環でもある。重大事件を起こした犯罪者個人の目的が売名行為にあるとすれば、彼らの意図は、犯行を通じた一種のテロ活動と言える。これら犯罪者たちの目的は、汚名とマスメディアの(真実を世に広めるという建前の下での、実際のところは経済的な利潤を目的とする)下世話趣味とをテコとした「不死の名誉」とも言い換えられる。この機能を考慮すると、犯罪者なりの「名誉」と、それらを毀損するための行政府・司法機関の組織的活動と、それらの事件から教訓を引き出すという正当な犯罪予防活動との間には、緊張関係がある(犯罪者の実名報道(の是非)は、この緊張関係に含まれる、より一般の意識が向いている話題である)。この売名行為に対して不用意に共感的な言説を寄せることは、テロへの協力にもなりかねないし、非難に値することもあろう。この危険に対する私個人の研究者としてのかつての答えは、「大文字の物語」を構成しかねない(日本国民に大きな心的影響を与えうる)重大事件についての言及をわざと欠落させ、犯罪対策と個別の事件とを分離するというものであった(。「体感治安」は、この種の言説をまぜこぜにしてしまうという点で、諸刃の剣であった。この点、一般人でしかない今の私には、この種の縛りはない)。


なお、樋田淳也の逃走に関して指摘しておけば、全防犯カメラのネットワーク化およびその映像を利用した自動人物同定システムは、技術的な問題解決を必要とすることなく、十分に実装可能である。少なくとも、十分に多数の防犯カメラをネットワーク化し、自動認識システムに対して、常時、映像なり(容貌または歩容の)特徴量を送信すべき時が来ているという意見に対して、(光学、電気・機械・情報工学に含まれる種類の)技術は、十分に対応できる程度に成熟しきっている。問題は、社会実装に(のみ)ある。この主張を補強するため、憲法上の懸念を解決する上での最も有力な(私の考えた)方法論を提示しておく;それは、防犯カメラ単体の性能を向上させ、その製品の内部で、個体に係る特徴量までを計算し、その特徴量のみを送信するというものである。ワンチップといった「一体化していて製品から分離できない」部品によって、個人の容貌を(このように呼んでしまうことにするが)ハッシュ化してしまうことにより、カメラ本体内部で、データから個人への紐付けを防ぐ作業を完結できる。複数のデータ源から収集された同一個人に係るハッシュの同一性は、常に問題となるが、時空間上で近接するという基本を考慮すれば、十分な数の画像が複数のカメラから取得できている場合、大して問題にならない。社会的な課題は、このハッシュ計算を標準化する際に、利権が生じうることである。




2018(平成30)年9月8日22時30分追記

再現ドラマにおいて、小日向文世氏が演じる警視総監は、國村隼氏の演じる刑事に対して、「オウムを叩くことと真実を追求することのどちらが大事か」という趣旨の言葉を投げ掛ける。この台詞は、どちらかと言えば、当局の意向を汲んで、脚本家が採用したものと理解して良かろう。社会安全をタブー抜きで追究している(つもりの)人物からすれば、この台詞は、問題を矮小化してしまうという点で、社会に与える影響を限定化しているために、物足りなく感じてしまう。ただし、この台詞は、底が抜けていない分、これを真に受けてしまう愚かな同業者が出てくるのではないかとも危惧してしまう程度には、良く出来てもいる。あと、嘘と真実との割合について受刑中の中村が語る台詞は、実際の発言を下敷きにしたものであろうが、統計的な考察に欠ける。




2018(平成30)年9月9日1時43分訂正

一部の表現を改めた。




2018(平成30)年9月11日8時23分追記・訂正

一部の表現を改めて、淡い橙色で示したが、意図は変えていないつもりである。

なお、単なる疑問だが、時効成立当時の報道発表において、青木五郎氏は、沈黙を保つよう試みるという方法も取り得たのではなかろうか。しかしながら、記者は、当然、中村泰の話を聞こうとしたであろうし、現時点の私には確認する術がないが、聞いていたであろう。これらの記者の質問は、職務上期待される役割から当然に生じるものであるから、それ自体を止めることはできない。中村について聞かれたらノーコメントを貫くという方法は、取り得なかったのであろうか。こればかりは、複数人が知恵を出し合わないことには、何とも言えなさそうである。今の私は、私事ゆえに想像力が減退しており、マスコミの視聴者・読者に対して、中村が本ボシであったという印象を与えてしまったのではないか、としか結論できないが、この見解が正しいなら、青木氏の選び取った言葉は、一種のノリツッコミを心に秘めて発せられたものかも知れない。

2018年2月3日土曜日

犯罪者たちは「下手な鉄砲も数撃てば当たる」ビジネスモデルを良く理解している

#以下は手習いであり、刑法学などにおける蓄積を考慮・参照していないし、整理されてもいない。しかし、本記事は、本ブログを利用する際の注意点ともなることから、とり急ぎアップした。また、理論に係る新規性が認められないことは承知している(ので、法律家の卵の読者の方々には、大変申し訳ないが、典拠のないまま、既出の議論が展開されていることになり、読むのに苦労するかも知れない)が、切り口が法律家とは異なるであろうから、そのために、面白い観点が含まれているかも知れない。

#私がブログで取り上げる人物たちの中には、必ずしも完全に遵法的な人物たちだけが含まれる訳ではないが、彼らのすべての活動が違法という訳でもない(。それに、日本人は、咎められる機会に乏しいけれども、日常生活において微罪を犯しがちであるから、ネット上の行動が合法であるからと言って、現実社会における生活がいかなるものかまでは、保証の限りではない)。以上の説明と最近の記事を良く読めば、注意深い読者であれば、私が何を言わんとしているのかを、ご理解いただけるものと思う。


詐欺犯罪についても、ルーティン・アクティビティ理論は有用である

わが国における現在の詐欺犯を考察するにあたっても、「日常生活理論(routine activity theory、ルーティン・アクティビティ理論などとも)」は、利用可能である。この理論は、現在、「環境犯罪学(environmental criminology)」の根幹に据えられている。この理論は、犯罪を、①被害を抑止できる能力を持つ保護者がいない状態(the absence of capable guardians)、②被害対象としやすい個人・物品(suitable target)、③犯罪を今まさに行おうとしている犯罪企図者(motivated offenders)の三つの要素が同時に揃ったときに生じる「出来事(event)」であると考える。逆に、揃わないようにすることで、犯罪を防げるものと考える。以後、丸数字は、上記の説明に対応している。この理論は、フェルソンとコーエンにより1979年に提唱され、近年では、これら三要素に対応して責務を担う組織等の所掌(①にはManager、②にはGuardian、③にはHandler)が合わせて示されるようになり、「犯罪の三角形(The crime triangle)」と呼び習わされている[1](。ただし、順序については、スティーブン・ラブ『犯罪予防』に示された一次予防・二次予防・三次予防の考え方を元に変更している)。


一般の詐欺師によるビジネスモデルは、多数者に向けての情報発信・少数者からの搾取という二段構えである

現代的な詐欺のビジネスモデルは、詐欺師たち(③)が情報通信技術(①)を悪用して、大量の人々(②)を相手に情報発信し、情報不足である少数の被害者を獲得したら、重点的にその被害者を狙うというものであり、つまりは、「下手な鉄砲も数撃てば当たる」というスタイルを第一段階とする。現代の特殊詐欺($\supset$振り込め詐欺$\supseteq$オレオレ詐欺)は、この諺を地で行くものであるが、電話という「足の付きやすい」手段ゆえに、これらの犯罪においては、いかに警察の追跡をかわしながら被害者から金品をせしめるのかという点に、工夫が施されている。郵便・小荷物を悪用する方法が効果的に抑止されるようになった後は、直接の手渡しを試みたり、電話の発信拠点を外国に移したり(、インターネット通信を外国経由としたり)などと、通常の生活人が追跡・警戒する手段を超えるだけの(悪しき)努力が重ねられている。情報通信技術の悪用の仕方は、なかなかバラエティに富んでおり、それゆえに、受け手にはリテラシーが求められる。

加害者(③)・被害者(②)双方に備わる情報の非対称性は、詐欺という犯罪を考察する上で、キーポイントである。被害者になりうる人々は、詐欺師たちの手口を、さほど知らないままに生きている。他方、詐欺師たちにとっても、犯罪に手を染め始めた時点では、誰が騙されやすいのかを知らない。そこで、彼ら犯罪集団は、付け入ることのできそうな弱味を抱える人たちの名簿を入手したり、撒き餌を用意して、個人情報を獲得する。被害者候補の名簿と加害の実績は、複数の詐欺師集団に共有され、特定の被害者を重点的に狙うという結果を引き起こす。この方法は、悪徳販売については、次々販売と名付けられている[2]。昨今の仮想通貨ブームは、この点にも注意する必要がある。仮想通貨の顧客に限らず、あらゆる経済活動は、名簿化されている場合、詐欺に悪用される余地を有するとも考えられる(。多くの名簿が組み合わされて悪用されていることは、巷間、指摘されたことである)。

詐欺のビジネスモデルは、被害の対象となり得る人々(②)に注目すれば、次の被害を予防しにくい(①)ものとなっており、また、時には、最初の被害者が加害者となり、連鎖的に被害者を作り出すように設計されていることもある(②、③)。多くの人々は、これらの犯罪に遭遇した時点で、気が付き、巻き込まれないように行動できるが、通報したり、身内の連絡を密にしたり、友人をたしなめたりする以外、効果的に次の犯罪を予防するための行動を取りにくい。情報・通信環境の発展(①)は、犯罪者たちが一度に沢山の人々に対して連絡を取ることを可能としている。詐欺のビジネスモデルにおいては、詐欺師たちの活動の旺盛さに比べれば、ごく少数の人々が被害に遭う。しかし、その被害金額は、犯罪者たちにとって、身バレ・逮捕のリスクを冒しても割の合うものとして理解されているほどに、高額なものとなりがちである(。悪徳商法の被害は、被害者一人につき、数百万円・数千万円にも達する)。それだけでなく、当面の間、被害者たちが被害を受けた状態に満足したり、彼らが新たな被害者を紹介するようにインセンティブが設けられたりすることもある。無限連鎖講(ネズミ講)、無尽講で配当者に仕込みがあるもの、カルト宗教で高額商品の販売を信者に課すものなどは、この典型例である。ネズミ講においては、末端の被害者たちは、自分たちが満足した結果、あるいは、被害を受けたと内心感じているにもかかわらず、その被害を回復できるだけの見込みをシステムの元締め(や高位者)から与えられることによって、次なる被害者を探すように、加害者として動き始めてしまう。いわゆるマルチ商法(のうち、合法とは見做されているもの)も、末端の販売者が外部者の加入を促進しようとするという点において、共通した性質を備えている。無尽講で配当者に仕込みがあるものは、本ブログを隅々まで確認すれば、類似したシステムが現存することに、読者も気が付かれるはずである。また、一時期、統一協会が霊感商法によって大きな社会問題を引き起こしたことは、中年世代や高齢世代であれば、覚えておられることであろう。かなり多くの大学生活をカルト宗教が台無しにしていることは、大学関係者によって、真剣に憂慮されるべきことである(が、当のカルト宗教関係者が大学経営の実権を握る地位にいたりすることは、わが国において、戦争屋系の国際秘密力集団が暗躍していることの、またとない証拠である)。

被害者が新たな加害者になるという特徴を有する詐欺(的)システムは、しばしば、性愛の搾取をもたらす(③)。新たに女性を騙すために、被害者である女性が上位者により使役される(。同性による化粧品やサプリメントの販売は、安心感と共感を相手にもたらす)。被害の末端に位置する女性が、新規の被害者を開拓できないために、自身の性的魅力を利用して男性を誘惑することもあろう。ホストクラブ通いのために風俗産業に勤務する女性は、詐欺に引っ掛かっているとは言えないが、類似の構造に落とし込まれている(が、今のところ、いくら支払われる金額が多額であっても、ボッタクリという店舗の営業システムに係る行為でない限り、有効な規制は存在していない)。


賭博と詐欺との違いは、情報の取扱に対する公正さにもある

通信・広告手段(①)は、歴史的には大きく発展しているが、詐欺師集団、とりわけ、そのトップクラスに位置する国際秘密力集団(③)は、これらの手段を有効に利用する方法を、同時代の他者(②・③)を上回る形で身につけてきた。「情報を制する者が世界を制す」という訳である。「黄金の国・ジパング」というキャッチフレーズが西回り航路について使用された経緯は、当時に立ち返ってみれば、搾取できる大陸と人々を、結果的に「発見」したとはいえ、当初の目標である日本には到達できなかったのであるから、欺瞞的であると評することもできよう。チューリップ・バブルと南海泡沫事件といった古典的事件においても、人々を後から投資に走らせるように、宣伝と誇張が使用されている。故意に創出された市場の乱高下を通じて、たまたま儲かった被害者たち(の一部)は、むしろ、この構造を乗りこなそうと考えるようになり、しばしば、このような混乱を是認する経済制度の信奉者(advocate)ともなる。彼らは、国際秘密力集団の走狗ともなり、その栄光と没落さえもが「(スーパークラスについての)階級間の流動性が高い」(デヴィッド・ロスコフ, (2008=2009).『超・階級』, 光文社. p.163)ことの証拠として悪用されたりもする2018年1月28日

詐欺における被害者(②)・加害者(③)の関係性を考慮すれば、現代の市場経済システム(①)は、被害者・加害者双方の共認的な構造の上に成立している壮大な詐欺(的)システムである。現代の市場経済システムが現状を維持し続けていられるのは、加害者だけでなく、被害者である99%も、マスメディア報道と義務教育課程を通じて、その仕組みを認めたことになっているからである。被害者の大多数が、御用経済学者の言うことを理解せずに拝聴し、この社会システムが詐欺ではないと考え、日本経済新聞の一面記事の多くに見られる恣意性を見逃しているからこそ、この社会システムは、成立していられるのである(。大事なことであるので、ついつい、重複した内容を3回パラフレーズしてしまった)。

現代の資本主義システム(①)は、被害者たちの黙認・誤認(②)という不安定な思弁の上に成立している。このシステムへの信認は、リーマン・ショック以前の数々の大恐慌や、最近の仮想通貨に対する信認の乱高下に見るように、容易かつ決定的に変化する(。なお、現状の仮想通貨は、理論的には、同一主体が多数の口座を通じて多数の取引を実行することによって、値を動かし始めることができるようにも見える)。この不安定さゆえに、ジャーナリズムと高等教育(のうちの経済学)は、最も優秀な詐欺師集団である国際秘密力集団によって、積極的な操作の対象とされ続けてきている。この点、文字通りの国営放送は、国益を最大化するという目的によって駆動されている限り、詐欺師たちを明るみに出し、国民の利益をも増進する上で、計り知れない潜在力を有している。現在では、一国の利益が国際秘密力集団の利益と衝突しがちであるから、この潜在力は、従来以上に増大している。マスメディアに接する人々が彼らの内心を逐一疑うことは、この詐欺における主要な舞台装置を打破することにつながる(から、推奨されることである)。不買運動は、もちろん、一つの方法である。ただ、痩せた土地に生まれるあらたな言論統制環境が人々のためになるものか否かは、私の手に余る考察となるが、甚だ疑わしい。現在のシステムを利用して、流され続けている言論の内容を変質させる方が、よほど効果的かつ効率的であろう。

なお、ギャンブル(賭博)は、情報の特性を余すところなく活用した、一種のサンドボックス的システム(①)である;参加者(②・③)がいなければ成立しないが、そのシステムは、社会一般に比べて透明性が高く(①)、参加前の誰(②・③)にでも理解できる内容であり(①)、参加を検討する人物(②・③)が勝てる見込みを持てるように、寺銭が設定されている(①・③)。この仕組みは、イカサマ・チートさえなければという前提があるにせよ、契約を重んじる現代社会の特性から見れば、倫理的に何ら問題のないものである(「買わなければ、当たらない」)。現行の賭博が詐欺と究極的に異なる点は、競争の仕組みが合法であると社会に認められており、常に勝つことになる主催者が公的主体であるか否かにあるが、そこから派生して、競争の仕組みが比較的分かりやすく単純にできているという点にも、ギャンブルという経済活動の特徴があろう。違法とされている種類の賭博行為が摘発・処罰されることは、ままあることではあるが、参画する顧客たちからすれば、それらの違法なギャンブルも、公正な仕組みによって運営されているものと受け取られていよう。野球賭博について想起せよ。ハンデ師は、非合法な存在ではあるが、賭けを面白くする上で、なくてはならない職人的な存在であったと言われているではないか(。ぱちんこは、グレー扱いであるが、釘師も、同様の職人である)。違法・グレーなギャンブルにおける開帳者・参加者の間の了解は、合意の有無という点では、先に言及したマルチ商法における中間販売者に近いものがある(。違法なギャンブルは、罰の重さこそ違えど、開催者・参加者の双方を罰するのであるが)。

詐欺という一連の出来事を考察するときには、具体的な対人関係の発生時点における被害者・加害者の情報の非対称性と、両者の立場を逆転させたときの不公平感を考慮する必要がある。先に考察したが、公営ギャンブルについては、システムが法律により規定され、その仕組みが万人に向けて、必要十分な程度に開示されている(という建前である)。この担保ゆえに、公営賭博で身を持ち崩す個人(②)は、今でこそ治療の対象として見做されるようになったものの、従来であれば、自己責任と片付けられていた(③)。この自己責任という建前は、現在、金融取引のみならず、経済行為全般について、敷衍されている。他方で、論理をはしょるが、詐欺犯を非難すべき理由は、平たく言えば、「法律で許されている範囲を超えて騙しているから」である。法律で許されている方法に則っているのであれば、あるいは、法律の規制の対象となっていなければ、被害者は、たとえば、いくら多額の金融商品が暴落しようが、いくら土地のバブルが弾けようが、売主を詐欺師として責めることができない。特に、合法とされるシステムについては、「騙す」側に知恵も経験も技術も集中しているという非対称性は、法律において、相当に軽視されがちである。


脱線;需要者=黒幕は「下手な鉄砲も数撃てば当たる」システムから決定論的に一人以上の走狗を得ることができる

なお、参加費用が分かりにくく個人の人生を大きく左右しうる(②・③)点を除けば、知的なスポーツ(①、囲碁・将棋・チェス)も、参加者の同意が存在するという点、同一の枠に入れることもできる。最近、海外では、eスポーツも該当しよう※1。ただし、これを敷衍していくと、事前の合意の有無こそが問題となることにもなり、決闘や肉体的なスポーツ、あらゆる競争にも話が及んでしまうことになる。どこかで歯止めを掛けた考察が必要となろう。

ただ、合意に基づく参加者が存在するという点に注目しておくことは、詐欺(的)な「下手な鉄砲も数撃てば当たる」システムの「犯罪性」を考察する上で、重要である。わが身(=人生における時間という点では、労働と同価)を供給する参加者がいる限り、需要者である芸能界は、人材に事欠かない。同じ事は、走狗の人選にも言える。成功を夢見る・何でもする若者は、彼(女)の人生と良心を供給しており、この供物に対して、番頭としての権力とカネが支払われるのである。人材(走狗)供給システムが存在し、潤沢な買付資金があり、貧乏が広く存在する限り、黒幕=主人は、イヌに事欠くことがない。

「下手な鉄砲も数撃てば当たる」式の走狗供給システムは、人材供給だけに留まらない機能を有している。多数の走狗候補者は、互いに成功を求めて争うから、成功が「努力しても叶うものとは限らない」という「冷徹な現実」を提示し、その提示された事実を通じて、人々を余計に努力に駆り立てるという機能を発揮する。しかし他方で、このシステムを用意した黒幕たちは、決定論的に、言い換えれば努力抜きに、一名以上の走狗を得ることができる。さらに、この選考過程そのものからも、黒幕たちは、利益を絞り出すことができる。大企業のピラミッド型形状がある程度高いと、中間管理職がムダに思えるかも知れないが、走狗としての性向を強く有する(奴隷根性の)人物の割合が高い場合には、この階梯は、彼らの向上心を呼び起こすことになる。なお、走狗供給システムにおける非対称性は、(供給側に多数の労働者がおり、需要側に黒幕集団がいるという)供給過多の労働市場から生まれるものであるこの状態を脱する上で、大事なことは、このようなシステムを用意する人物たちが余程のバカでなければ、供給過多を続けようと努力することに、使われる側の圧倒的大多数が、気が付くことである(。いわゆる「マトリックス」の存在に、気が付くことである)

これらの機能を考慮したとき、現在の経済システムへと「望んで参加した訳ではない」多数の参加者に対する現在の経済システムの詐欺師ぶりは、詐欺における加害者・被害者の非対称性と非常に近い様相を見せるものとなる。現代型の詐欺は、突然、被害者に対して、不意打ち的に仕掛けられる。しかも、その際、不意打ちを仕掛ける側の方が、被害者よりも、状況に対する経験と対応力を有している。状況を制御する力に乏しく、相手の方が上手になりがちであるという点で、現今の資本主義システムと詐欺師は、類似した力関係を、相手に対して振るっているのである(。この点、ナンパも、藤沢数希氏が小説で「モテ=ヒットレシオ×試行回数」[3]と語り、宮台真司氏も同種の話を方々で語っているが、経験と実績を表す「モテ」が試行回数に比例するというモデルに基づくようである。つまり、(彼らの主張が正しければ、)ナンパにも、非対称的システムの側面がある)。

このとき、ベーシック・インカム(収入保証制度)は、イヌ候補である個人の内面において、同一貨幣単位の限界効用を低減させるという効果を有するものとして機能する。他人も等しく、しかも気楽に生活できる様子を見せつけられていたら、よほどの餌で釣らないと、あるいはよほどの嗜虐趣味の人物でなければ、非道を嬉々として実行しなくなるというものである。このように考えると、ベーシック・インカムを提唱していたエーリッヒ・フロム氏が、ナチス・ドイツの心性をサド・マゾ関係で説明していたことは、偶然とは思えないのである(。このように書かれていた訳ではないが、貧乏を防ぐことが平和を達成する上で役に立つことは、指摘していたような。いずれにしても、この効果まで見越した上で、ベーシック・インカムを提言していたのではないかとも思えてしまう)。


現代社会における知識の増大は、詐欺全般の機会を増大させている

詐欺のビジネスモデルの全体(event)と詐欺師の機転(③)は、それこそ、15世紀から大きく変化していないが、この一方で、日常生活を維持する科学・技術の発展が著しく、法律や行政制度が大量でありながらも詐欺の予防に全力を傾けていないために、被害者になりうる人々の一般的な知識が追いついておらず(①)、人々の騙される機会が増加している。この構図に係る説明は、極論である。しかし、極論である方が、程度問題という詐欺の本質を理解する上で分かりやすいので、極論を続けよう。仮に、全てのマスコミが、つまらないニュースと娯楽番組(記事)を、全て、詐欺の類型と予防に係る広報に振り向けていたとすれば、いかな視聴者(読者)と言えども、相当の耐性を身につけることとなっていたであろう。同時に、この結果、たとえば、日本経済新聞の一面記事は、現行で掲載されているような記事の多くが掲載の余地を失うこととなっていたであろうし、読者は、その結果に接し、同紙に対して常に警戒を以て接するようになったであろう(。現代社会においては、記事の発表のタイミングが1日ずれれば、インサイダーの危険が常に生じる)。究極的には、あらゆるメディア=情報の流通業者は、詐欺の片棒を担ぎかねない危険を抱えながら、日々の業務を続けている(。むろん、本ブログもその危険を免れてはいない)。

現在のマスメディア(③)、SNSまたはインターネット(①・②・③)、双方の環境において、詐欺師と呼ばれている人物の異同を比較すると、面白い結果が得られる。ネットにおいて詐欺師と指摘されたことのある人物が、マスメディアにおける露出の機会を有しており、または、職務上の継続的な関係をマスコミ関係者と結んでいるために、結果としては、マスメディアから排除されていないという事例を、相当に見かけることができる。詐欺と呼べるだけの実績を(裁判官ではなく)一般人から見た場合に認めることができる人物たちであってもである。この異同は、現時点では、マスコミ関係者に気が付かれていないようにも見える。ただ、元・受刑者であっても、従来名が売れていた芸能人であれば、非・芸能人枠でマスコミに露出する機会の職業に比べて、マスコミへの復帰が比較的容易であるようにも見える点は、この辺の機微を反映しているようにも見える(。元・受刑者の発信する情報の種類が、演技であったり、演芸であったり、音楽であったりすれば、言論に比べ、不問に付されやすいという構造があろう)。言論を本業とする人物が詐欺師と認定された場合とは、扱いが異なるのは当然ではあろう(。言論人が嘘を吐くと、自己言及のパラドクスが生じてしまう)。しかし、そこに例外が見られるとすれば、それは、いかなる理由に基づくものであろうか。芸能事務所の存在は、要因として認められるであろう(が、今回、これに立ち入る暇は、ほとんどない)。

現代の詐欺師たちは、被害に引っ掛かることのない多数の人たちに犯行を重ねていることを気付かれ、指摘を受けながらも、逃げおおせることができる手段と理屈を用意した上で、ごく少数の騙されがちな人たちから、多量の金品(や性愛上のリソース)をせしめることを目的に、日々、積極的に活動している。新手の手口であっても、早晩、警察や消費生活センターに認知され、警告が始まることになる。騙されやすい人々の数も限定されているから、彼らをとことん搾取するにせよ、未開拓の顧客を絶えず獲得する必要がある。このために、詐欺という犯罪は、「よほど確立された状態」にシステムを持って行かなければ、結果としては、自転車操業的な業態、焼き畑農業的な業態に陥りやすいものとなる。マルチ商法という業態は、「よほど確立された状態」に至る過程までの道半ばにあると言えようし、一部のカルト宗教は、「よほど確立された状態」を確立している。多くの国に係る中央銀行制度は、「よほど確立された状態」の究極形にある。私には、仮想通貨もこの究極状態を維持・強化するためのツールの一つとして、アングラ界から引き上げられたものである、と見えてしまっている(。一般の社会からすれば、私の見方がおかしいことは、重々承知している)。


詐欺への有効な対策は、言論と経済活動との関係を追究することから始まる

詐欺に対する焼き畑農業という比喩は、詐欺の究極的な予防について、一つの示唆を与える;つまり、全員が詐欺師の手法に通暁していれば、詐欺を働くことは難しい(。読者諸賢からは、どうすれば良いのかを早く教えろ、とツッコまれそうであるが、例によって、「知は力なり」を繰り返すほか、私には有効な策がない)。市場原理がネット言論およびネット広告に浸透していなければ、「質問に答えてくれるスピーカー」が参照するデータベースを整備しておくという手が考えられる。「この人誰?」と聞いたときの答えを用意しておくのである(。「御用学者の一覧」は、同様の効果を有するが、原子力ムラが総力を挙げて潰してしまった)。しかしながら、警察や消費生活センターが注意喚起する種類の詐欺については、対象となりやすい人々の多くが、メディアリテラシーも経済的余裕もとっさの判断力も、持ち合わせていないであろうから、これについては、事後的に契約を無効とするような昨今の方策しか、有効には機能しないであろう。中央銀行制度に基本を置く現在の詐欺的資本主義システムをマシな方向に持って行くためには、トマ・ピケティ氏の指摘を、小学生のときから徹底的に教え込むしかなかろう(。ただし、だからといって、金融教育を拡充する従来の方向性は、基本的に間違いである。全生徒に数学IIおよび数学B修得させることが先であり、これらの科目が分かれば、金融屋の狡さが基本的に分かることになろう)。

唐突であるが、コインチェック社の顧客口座の運用形態に係る外野の指摘について、これが六本木・青山という繁華街で遊んでいる種類の人々の口から出てきたことは、覚えておくべきかも知れない(。この話は、一応、本項に係る話の前振りである)。仮想通貨に対する信用毀損の程度を軽減しようという目的があるやも知れず、そこには、外部者との協力関係が存在する可能性も認められる(。ジャーナリストは、取材源を秘匿できるが、取材源が存在するときには、本来、その存在自体は公表しなければならない)。仮に、指摘した人物らが仮想通貨の取引に従事していたとすれば、それは、金融関係の法律には違反していなくとも、相場に何らかの影響を与える行為である(。この点、金融関係の法律が、そもそも、カネの論理に押しまくられている)。彼らが研究者を名乗り、研究として指摘をするにしても、その行為は、立派な利益相反行為である。まあ、せせこましい世の中であると言えば、それまでであるが、カネも(言論を通じた)名誉も欲しいという欲張りな姿勢自体が、贅沢である、というのが、私の基本的な意見である。言論活動と経済活動との間に明解な一線を引くことが、現在の経済界には求められていると思うのである。

言論活動と経済活動との間に一線を引くという考え方は、実行されれば、有効に機能する。構造的でない詐欺を防ぐ上で、情報を流通させる条件・主体に制限を設けることは、マッチポンプを抑制することになるから、有効な歯止めを作ることにつながる。広告業においては、いわゆるステルス・マーケティング(ステマ)は、一切禁止され、刑事罰の対象とされるべきであろう。文筆家については、具体的な金銭の授受を伴う利益相反関係があることが証明され、平均的な国民所得を明らかに上回る効率のものであったときには、数倍返しというのも考えられよう。ウェブ広告収入に係る最高金額の規定は、アフィリエイトなどの個人の広告収入にダメージを与えないために必要であろうし、同時に、まとめサイトなどの中で問題のあるものを効果的に制限する役割も果たすことができよう。広告収入アップを狙うあまりに敢行される反社会的行為も、有効に抑止されるであろう。表現の自由は、この制限によって、全然、損なわれる訳ではない。反社会的行為をテコとする広告収入が激減するだけであり、(収入減によるため申立されるであろう)生存権も、ここでは当たらない。SNSは、マスメディアに対する登竜門として機能させれば良いし、同時に、マスメディアを現在のあり方から大きく変えれば良い(。フェイク・ニュースは、Aチーム用であれ、Bチーム用であれ、大きく変える必要がある)。

#色々とアイデアはあるものの、基本的な考え方は、広告・宣伝のスタイルを各メディア黎明期の原則的なものに戻す、というものである。これに対しては、大きな反発が予想されよう。


※1 一般社団法人日本eスポーツ連合(JeSU)が2月1日に発足したという。ゲームを対象とするプロライセンスを発効する[4]とのことであるが、そのメインイベントであると認められる『闘会議』[5]の大会種目では、非日本ネィティブのゲームは、『レインボーシックス シージ』くらいであり、ライセンス対象の中では、『コール オブ デューティ ワールドウォーII』だけであると見受けられる。もっとも、ほかのタイトルの海外における展開は、目覚ましいものがあるので、それで良いのであろうと思うのであるが、同団体は、他団体のライセンスの代理業務などを実施したり、ライセンス対象を拡充したりするのであろうか。囲碁・将棋・チェス・麻雀・MtGなどの対戦型カードゲームと比較すると興味深いように思うが、彼らプロeゲーマーがどうやって老眼を克服するのかは、考慮すべき要素であろう。勝手な意見であるが、できるだけシンプルで、プレイヤーの地位の対称性が高く、技量によって序列を明確にできる手番を有しており、偶然性が排除されていることが(、後者2点は重複気味であるが)、良いプロを育てるゲームプラットフォームの条件であるように思う。PCワードであることを祈るが、「インディアンポーカー」などのより単純な複数人によるカードゲームは、凝縮された心理戦を展開できるので、面白いのではないかと思ったりもする。


[1] A Theory of Crime Problems
(2018年02月02日閲覧)
http://www.popcenter.org/learning/pam/help/theory.cfm

[2] 高齢者への次々販売(各種相談の件数や傾向)_国民生活センター
(2018年02月02日閲覧)
http://www.kokusen.go.jp/soudan_topics/data/old.html

[3] 藤沢数希, (2015.6). 『ぼくは愛を証明しようと思う』, 幻冬舎, p.52.(リンクはNDL-OPAC)
http://id.ndl.go.jp/bib/026449984

[4] ライセンス制度 | 一般社団法人日本eスポーツ連合オフィシャルサイト
(2018年02月03日閲覧)
https://jesu.or.jp/contents/license_system/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%8D%E5%AE%9A%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB

[5] 闘会議 ~ゲームファンとゲーム大会の祭典~
(2018年02月03日閲覧)
http://tokaigi.jp/




おまけ;人々を駆動する原理に係る適当な見解

カネと酒と異性は、人々を(時と場合によっては違法に)籠絡するための手段と良く言われる。ただ、カネで酒を合法的に買うことができる時空間は多いから、カネと異性を目的としているというべきかも知れない。あるいは、現代社会においては、違法薬物・薬物乱用が、酒の代わりというべきかも知れない。この話は、戦争屋などによって悪用されていることが明白である以上、少なくとも、彼ら犯罪傾向の高い人物たちに成り代わり、車輪を二度以上発明していることを意味するが、例によって、怠惰に基づき、指摘するに留め、調査は行わないでおく。もちろん、この原理を指摘したことによって、国際秘密力集団(の少なくとも一部)は、おかんむりかも知れない(が、同時に、痛痒を感じることも少なかろう)。なお、以上の誘因は、いわゆる両建て構造においては、Aチームに対して用意されるものであろう。

他方で、性愛関係のない、あらゆる好意・執着・愛着は、現代社会において、経済上の誘因・リソースとなり得るが、それらに対する規制は存在せず、むしろ、現代社会を成立させる上では、不可侵の情念と見做されている。知への愛(=哲学)、「人気商売」における人気、ある宗教における至高の存在に対する崇拝などは、ほとんどが一方向の愛着と言えようが、一組の男女における愛情と同様、「自由・平等・博愛」という理念に基づき形成された社会を望ましいとする態度などは、循環的・相補的な関係を生じさせ、当人の対象への愛着を強化する機能を有している。この関係性に伴う執着心は、違法なもの(たとえば不倫関係)などであればもちろん、そうでないものも、国際秘密力集団によって使役される弱味になり得る。性(交渉を通じた)愛(情)はもちろん、好意・友情・民主主義的信念などといった、通常は好ましいと見做される心の動きも、場合によっては、悪用されることになる。以上の誘因は、いわゆる両建て構造においては、(Aチームよりは見劣りするカネとともに、)Bチームに用意されるものであろう。


#以上の見解は、『国際秘密力研究』の菊池氏の考察の存在にも気が付きながら、自身の知識に基づいて記してみたものである。他者の意見をほとんど直接参照せず、自分の考え方を記してみたものであるから、劣化コピーであるかも知れないが、パラフレーズされた知識としては、役に立つものであろう。AチームとBチームを駆動させるものの違いは、氏も触れていたが、こんな感じではなかったような。とにかく、建前のきれいさがBチームを成立させるために必要とされることは、特筆されて良かろう。




2018(平成30)年02月03日22時10分訂正・追記

本文の分かりにくく思われる記述を訂正した。一般社団法人日本eスポーツ連合の発足について、追記した。




2018(平成30)年02月04日追記

一部、拙稿へのリンクを追記した。

創価学会は、今でこそAチームと見做される現政権の第一の補完勢力として機能しているが、昭和中期、信者を多数獲得するに至った求心力は、Bチーム向けの駆動力によるものであった。1980年代までの公明党は、明らかにBチーム型であった。連立政権内における公明党の役割は、常にBチーム向けである。この役割は、連立政権内におけるキャスティングボードを握るという目的を内包しており、55年体制時の自民党内の多様性の代替的機能を果たしてもいる(。分割統治の一類型でもある)。

公明党および創価学会に係る以上の考察からは、国なり民族集団なりの生存のためには、おおよそ、世代に合わせた地域・文化考察が必要とされるという教訓が得られるように思う。橋下徹氏の三世代論も想起せよ(2017年6月10日)。言い換えると、この種の考察は、四半世紀ごとにはアップデートされていなければ、具体的な事例が現実に即したものとならないことを意味する。考察に使用する方法論は、現代においても、国際秘密力集団の方法論がモダンなものではないから、モダンやポストモダンではなく、近代的なものでも構わないように思われる。

2017年9月9日土曜日

(メモ)角本ゆり氏による三宅洋平氏周辺の大麻使用に対する公衆への告発は真実と認められる

角本ゆり氏による告発[1]は、私が「大袈裟太郎氏のゆうちょ銀行口座凍結は国際的な大ブーメランになり得る」と題する記事(2017年6月12日11時)をアップした後に、『Facebook』に投稿されたものである。非会員に向けて公開された時期は、私には確認できていない。告発が騒がれ出したのは、今月(2017年9月)の5日頃である。角本氏による「告白(以下、法律用語には当たらない意図で使用する。)」は、

大袈裟太郎氏のように、昨年の夏からジャーナリズム活動を始めた(本名と思しき氏名等でもググってみても逮捕歴を報じるニュースの見られない)人物を犠牲者として、しかも、それが外国メディアからはレイシストと見做されかねない人物のグレーゾーンな活動によって惹起されたものであるとすれば、弾圧の方法としては、相当の下策である。
と私が記したことの前段部分(特にカッコ書きの部分)に対して、決定的な反証として機能する。角本氏の指摘が事実であるとすれば、単に有罪に持ち込めるだけの条件が整わなかったが、三宅洋平氏やほかの人物は、少なくとも一度は、テロ等準備罪の適用対象となる犯罪に手を染めたことになる。しかしながら、私の指摘も、執筆当時であれば、妥当であったことには変わりがない。事情を知った現在は、三宅氏と仲間たちも、渡邉哲也氏と仲間たちも、いずれも、それぞれの行為に対して、批判すべきであると考える。

大袈裟氏は、角本氏の指摘が当たらないと否定しているようではある。しかしながら、両者のコミュニケーションは、ツイッターにおけるブロック合戦のような様相を呈しているようであり、その詳細を私が詳らかに検討することは適わない。素朴に考えれば、大袈裟氏と角本氏のいずれかが、公に対して嘘を吐いていると考えることになる。この話題の真偽について、最終的な判断を下すには、私にも、世間一般の人々も、なお時間を必要とするであろう。また、大袈裟氏に対する私自身の前記事は、凍結して、本記事と併せて、読者からの評価を待つほかなかろう。

角本氏の告白は、私には、真実であると思われる。角本氏の告白が一種の讒訴であるとすれば、顕名で提起される必要性はない。虚偽であるとすれば、よほどの理由があるに違いない。(その告白が虚偽である場合の)よほどの理由としては、たとえば、顕名で脱原発活動に従事しているために家族を抱えるという脆弱性を狙われたというもの、三宅氏を最適なタイミングで裏切るために近付いたというもの、の二通りを考えることができる。ただし、後者の場合は、相当に強固な後ろ盾を必要とする。いくら「左」側が相手であり、生活に余裕があろうと、幼い子供たちを抱えながら、社会に多大な影響を与える種類の嘘を吐くことは、まったくもって、非整合的である。

角本氏のツイッターにおける言論のスタイルは、総じて、是々非々である。(リツイートではない)角本氏自身の言葉によるツイートを遡及して、今年6月27日分まで遡及した結果、そのように判定した。是々非々というスタイルは、「両建て」を見抜き真実を追うという目的に対して、三宅氏周辺に見られるニューエイジ思想(信仰)という「セット思考(2016年7月26日)」に比べ、遙かに有効である。「集団内の力学」に左右される大袈裟氏や三宅氏の主張より、角本氏の言論は、信用できるという印象を与えるものである。仮に、角本氏が嘘を吐いているとすれば、その計略は、近年のわが国のツイッター界隈では見たことがない程、高度に作り込まれたものである。

角本氏の指摘は、一見、三宅洋平氏による不正選挙に係る主張を無効化するもののように見えるが、実際には、「両建て」構造の暴露を通じて、わが国の宿痾を相対的に可視化する方向に作用する。不正選挙の虞が三宅氏によって指摘されてきたことは、本ブログでも言及したことである。ゆえに、私にとって、角本氏の指摘を採用することは、私の言説の全体までが無効化されかねない危険性を有することになる。にもかかわらず、私には、角本氏の指摘は、それだけを見れば整合的に思える。というのは、私も触発された大袈裟氏の口座凍結騒ぎによって、角本氏が告に踏み切ったものと解釈できるからである。角本氏は、私とは異なる観点から、つまり、三宅氏や大袈裟氏を信用するなという意図だけに基づいて、記事を執筆したのであろう。しかし、角本氏の指摘は、たとえ、片務的な意図に発したものであったとしても、角本氏とごく一部の人物たちしか知らなかった事実を公にした結果、お互いに「臑に傷を持つ」人物たちの「両建て」を暴露するという、予期せぬ結果をもたらしたのである。私にとって都合良く角本氏の告を解釈すると、そういうことになる。

不正選挙や大麻解禁(2016年1月19日)は、いずれも、(国際秘密力集団の)ビジネス(チャンス)である。「誰が利益を得るのか」という原則は、ここでも適用可能である。角本氏の指摘は、真実であった場合、「左」側にとっては思わぬ打撃となるが、日本社会を正常化する過程においては、必要なものであったということになろう。ニューエイジ思想は、「大麻やLSDなどの違法薬物に対する信仰」と「抱き合わせ販売」されることで、いざとなれば、「薬物の違法使用」を成員の「臑の傷」として利用できるよう、社会工学風に言えば、「設計」されている。かくして、ニューエイジ思想は、「両建て」の一翼としての「人工芝運動」として駆動し始めるのである。

角本氏よりも、私の方が「運動」全般に対して、過度に臆病であるが、組織的運動というものに対する私の不信は、大学新入生時代、田舎出のぼっちのためにオウム真理教の学生信者から勧誘を受けたという、私の経験に骨絡みのものである。私が大学生の頃には、カルト宗教の勧誘競争が喧しかったものである。ロスジェネの世代体験は、オウム真理教事件という相当に悪い形で顕在化した結果、角本氏の世代における一部カルト宗教に対する経験の欠如につながるべく、大学行政に反映された。角本氏と思しきブログには、自身が役に立つか否かを悩む文章が見られるが、役に立たないものなどないのである。それが超越的存在というものの摂理である(棒)。

角本氏の顕名での告発は、三宅氏周辺の大麻の違法?な使用に対する事実の摘示を「裏切り者」に対する不信感抜きに成功させたものとして、テロ対策上、高く評価できる。「組織の中に警察のスパイがいる」という不信感(と、実際にスパイがいたとされる事実と)は、内ゲバ(集団リンチ)を通じて、連合赤軍をわが国史上最大の極左テロリスト集団へと変貌せしめた。角本氏は、自身のSNS上の言論(とそこから窺うことのできる現実の活動)を通じて、(明らかに生活レベルは「上」のものであるように思われるが、)一人の母親としての議論を誠実に編んできたように見える。その言論は、少なくとも、言論だけで判定する限り、自身の安穏とした生活をリスクに晒してでも、社会的に訴えるべきことを訴えたように、私には思われる。「この人が言うなら、三宅氏周辺には、そのような疑いがあるのであろう」という印象を与えたのである。この指摘は、三宅氏周辺グループを孤立させ、極端な方向へと走らせる懸念こそ残るものの、三宅氏の仲間たちが極度の不信感を相互に抱きながら、「裏切り者」を探すという作業を不要なものとした。それゆえ、三宅氏らがきっぱりと大麻の使用を中止し、合法化を訴えるに留まるように変わるのであれば、関係者全員が結局は利益を得るという「結末」を迎える可能性を残すものとなっているのである。実に、理に適った告発の方法である。仮に、角本氏の告発が、一種の(警察の不作為をテコとした)工作活動であり、ここに示した「結末」へと至った場合、私が行政警察活動(生活安全警察活動とも呼ばれている)として考える理想型の一つを実現したものと言えよう。現実に刑事司法機関を動かすことなく、あるべき安定的状態へと、関係者全員を軟着陸させたことになるからである。

もっとも、角本氏の告は、彼女なりの熟慮に基づき、なされたものと主張されているとはいえ、その帰結に対する考察は、主観の域を出なかった可能性が認められる。たとえば、山尾志桜里氏に対する角本氏の評価は、角本氏自身の環境と主観に根差したものである。この角本氏の評価は、前稿において、たとえば、私が

現時点の日本文化が不倫に対して不寛容なこと自体が問題の核心ではない。日本国民が己を知らないがために、『週刊文春』ごときに良いように振り回されていることが問題なのである。
と評価した(2017年9月7日)ほどには、周辺の環境を考慮したものではないものとも認められる。もっとも、自身への好印象がそれぞれの言説から形成されることを見越した上で、今回の告発・山尾氏への評価を、現在見られる形に調整した可能性も十分に残る。[山尾氏の不倫(への非難)]を[三宅氏への告発(への信憑性)]につなげ、同時に、[三宅氏への告発(への信頼性)]を[山尾氏の不倫(に対する批判への同意)]につなげる、という「双方向」の印象強化である。(私は、考え過ぎだと思うものの、)この可能性が妥当するとすれば、角本氏は、読者を完全に手玉に取るレベルの政治巧者ということになる。『たびレジ』に登録するくらいの御仁であるからには、この可能性は、ない訳ではなかろう。ぱっと見、夫君の職業も分からないし。


[1] Kakumoto Yuri - よくよく考えたんですが、やっぱり書きます。... | Facebook
(Kakumoto Yuri、2017年06月13日12時40分 JST)
https://www.facebook.com/yuri.sakuma.39/posts/1403045166453493




2017年9月11日・14日修正

当初の意図を変えないよう、文面を変更した。

2017年6月5日月曜日

(メモ・感想)ヤフコメの「共感順」は「そう思う」確率の点推定値ではない

『Yahoo!ニュース』のコメント欄(通称ヤフコメ)の表示のトップから、ネトウヨの表示が消えたようであるとの記事が『のんきに介護』というブログにある[1]が、その理由を「ネトウヨがいなくなった」と喜ぶことは、早計であると思う。その理由が、機密費の予算が底を付いたからネトウヨを雇えなくなったためなのか、それとも順位の表示方法のデフォルトである「共感順」の設定に何らかの変更があったためなのかは、私には分からない。「共感順」とはいうが、私は、一度たりとも、数千の得票済みのコメントを抑えて、「そう思う」に10票、「そう思わない」に0票といった、「完封ペース」の弱小コメントが並んでいるところを見たことがない。私は、概算で、数千の『Yahoo!ニュース』を一年間に閲覧していることになる。ゆえに、「共感順」は必ずしも「そう思う」確率の点推定値ではないと結論付けられる。私はユーザ登録しておらず、不定期的にクッキーの削除も実行しているために、リベラルな固定ユーザよりも、通常の読者に近い閲覧結果を得られているはずである。何らかの理由があって、ネトウヨ風のコメントが一部の読者のコメント欄に並ばなくなったことは事実なのであろうが、それが単にインターネット上の分割統治の結果であるとすると、検閲の度合いは昂進していることになる。リベラルな固定ユーザや、本当のところを知りたい読者にとっては、むしろ、望ましくない展開を迎えているものと考えられる。

今更であるが、この種のインターネット上の情報環境とその設計のあり方は、「アーキテクチャ」と呼び習わされており、われわれ(特に日本人)の情報摂取に多大な影響を与えている。このアーキテクチャの問題は、わが国の犯罪予防対策についても、警察国家化を引き起こすとして概念が輸入された経緯がある。この移入において大きな役割を果たしたのは、東浩紀氏の著作と、宮崎哲弥・宮台真司の両氏(雑誌『サイゾー』に連載されていた『M2』)であるように思うが、結局のところ、それらの論考に示唆されたソフトなアプローチは、現今の警察行政に対して強い影響力を及ぼすことはなかった。でなければ、前川喜平氏のパパラッチ写真もなしに、下半身ネタで攻勢をかけるという判断が下されたはずもないからである。


[1] ネトウヨに報酬が支払われなくなったようだ。安倍のラジオ出演のニュースから、一斉にネトウヨたちが姿を消す。逆に、いよいよ本物の民意がネット上、観察できるようになった。これは、凄いことだよ - のんきに介護
(2017年06月04日20時08分16秒)
http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/4e6ecd0bca44d6e48b06b0faec665a61

2016年10月1日土曜日

豊洲市場カジノ転用説に係る落ち穂拾い(メモ)

 庶民・社会から見たカジノの構造的な脆弱性とは、このビジネスが賭け金・勝ち金の上限なしに認可されることである。カジノの基本的な儲けは寺銭によるものであり、賭けられた金額が高額になればなるほど、カジノの取り分(の期待値)も増大する。それゆえ、気風良くも細かく賭け続けてくれる資産家のプレイヤーはカジノにとって有難い存在である。この上客から「大きく負ける代わりに他の客を勝たせてやってくれ」という八百長の申入れがあったとき、この申入れに抗うことは、カジノにとって構造的に難しい。不心得者のディーラーを巻き込む形であろうが、ディーラーの上司に当たる者を籠絡する形であろうが、この不正が発覚しない限り、八百長の当事者とカジノにとって、この不正は「三方良し」の「被害者のいない犯罪」となるためである。このとき、カジノは資金の流れを不明瞭にしたまま金銭の授受を実現するという、贈収賄の装置として機能することになる。この構造的な脆弱性は、賭け金・勝ち金の上限が撤廃されることで決定的なものとなる。

 社会構造上の脆弱性が定性的に指摘されていることは、カジノという業態の開拓を企図する先駆者にとって、クリーンなビジネスを展開することを主張するチャンスともなる。新規に法体系に手を入れるからには、カジノという新規業態が厳しい査定に遭うことは当然である。しかし他方で、ほかのギャンブルにおける構造的な脆弱性は、根強く囁かれてきた。主催者を巻き込めば巨額の贈収賄が簡単に実現できるという構造は、ギャンブルビジネスの最大の弱点である。これらの脆弱性がないシステムを考案し、既存のギャンブルとの比較を行い、既存のビジネスよりも公正な運営を実現するシステムを用意できるのであれば、カジノに対する庶民の拒否感はむしろ後押しに変わるであろう。

焦点:日本カジノに米サンズが100億ドルの賭け、巨大市場にらみ先陣争い | ロイター
2014年02月28日18:20 JST
http://jp.reuters.com/article/l3n0lv3rw-analysis-casino-idJPTYEA1R08O20140228
アデルソン氏は、〔2013年11月、〕超党派議員で構成するカジノ議連(国際観光産業振興議員連盟=IR議連)の細田博之会長(自民党幹事長代行)に、熱のこもったプレゼンテーションを行う。関係筋によると、アデルソン氏は、東京の台場エリアの複合リゾート施設構想の模型を披露しながら、スライドを1枚1枚使って説明した。ただ、政財界には、日本の国内企業がカジノ解禁で重要な役割を果たすよう望む声が少なくない。アデルソン氏の積極戦略とは一定の距離を置いている様子もある。
 アデルソン氏の熱心なPRに対し、細田氏はシンガポールのIR施設と全く同じようなものを東京お台場に作っても成功すると限らないと話している。そして、東京には歌舞伎座などさまざまな文化があり、それらを有効的に活用した方がいいではないか、とのアドバイスをしたという。



 カジノの運営におけるクリーンさを確保する上で、人工知能研究は、かなりの貢献が見込める分野である。顔画像認識への人工知能による支援は、すでに実用化されているが、各ゲームの手番と勝ち負けを詳細に記録するためにも利用できることが見込まれる。カジノの利用者が四方八方からカメラで撮影されていることを否定する者は、もはやいないであろうし、それを嫌うがためにカジノの利用を見合わせる客もいる訳ではなかろう。問題は、手番ごとの取引の一部始終を正確に記録することが人間では難しいという状況にある。理論上、すべての手番を正確に記録することができれば、誰が実力の割に大勝しているのかを把握することが可能となる。

 もちろん、それとは別に、カジノでしか対戦できない高度なAIディーラーは、一つの集客力のあるコンテンツとなり得る。IBMのDeep Blue(チェス)やDeepMindのAlpha Go(囲碁)の成功は有名であるが、ディープマインド社は、コンピュータゲームを自律的に習得して高得点を出すAI「DQN(Deep-Q-Network)」も開発している。十分に強力で人間のような動きをするeスポーツの相手がいるのであれば、私もノコノコ出かけてしまうかも知れない。

DQN (コンピュータ) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/DQN_(%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF)



 築地市場では、三輪のターレット式構内運搬自動車(turret truck)※1が荷物の運搬に利用されている。この自動車は、ハンドル・ハンドル型アクセル・機関部・駆動前輪等からなる前方の円筒形の部分が回転式砲塔(turret)に似ているために、ターレー等とも呼ばれる。運転者が機関部の後ろに立ち、機関部上部のハンドル、ハンドル型のアクセル、フットブレーキ、ハンドブレーキを用いて運転する。ターレーを製造してきた国内企業には、株式会社朝霞製作所、富士重工業株式会社、ニチユ三菱フォークリフト株式会社、株式会社関東機械センターがあったが、平成28年9月時点で、ターレーの性能をウェブ上で公表している企業は、ニチユ三菱フォークリフトと関東機械センターの2社のみである※2

 豊洲市場では、複数階を荷物を搭載したターレーが移動することになるため、ターレーの仕様と実際の用いられ方は、通常の設計プロセスにおいて、考慮されるべき要素となる※3。関東機械センターとニチユ三菱フォークリフトの水産市場仕様のターレーは、カタログによれば、いずれも3輪で、積載時の重量の合計が2トン近くになる。関東機械センターの電動型上位機種の「MightyCar BN-5」は、車両重量940kg、最大積載量1000kg、1000kg搭載時の最大登坂力が9度である。他方、ニチユ三菱フォークリフト株式会社のHT10F-70は、標準積載量1000kgで登坂能力の負荷は1/8であり、ラインナップ中の最大重量車種(HT10F-70-191・HT10F-70-182)の車両重量は、750kgである。

※1 築地市場で用いられている車両は、道路運送車両法施行規則(昭和26年8月16日運輸省令第74号)にいう「ターレット式構内運搬自動車」のうち、長さ4.70m×幅1.70m×高さ2.80m以下かつ最高時速15km以下の、小型特殊自動車のようである。

※2 現在では、ウェブの公開情報だけによっては、朝霞製作所の破産(2012年)に係る事実を確認できない。富士重工業のエコテクノロジーカンパニー(事業部門)の終了(2013年3月31日)は、第82期(2013年3月期)有価証券報告書及び内部統制報告書によって確認できるが、同社のブランドである「モートラック」シリーズの生産については、明記されていない。

※3 少なくとも、ターレーの実際の使われ方を検討せずに、基本設計と構造設計を行うことは、考えにくいことである。

※4 ターレーのタイヤについてのウェブ情報は、ニチユ三菱フォークリフトのカタログのみであり、「ノーパンク4.00-8」が3個である。


道路運送車両法施行規則
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26F03901000074.html

株式会社関東機械センター
(MightyCar BN-5の製品案内)
http://www.kantokikai.co.jp/products/b2.html

バッテリー式構内搬送車 エレトラックHTシリーズ カタログ(…G…„…g…›…b…N_3.3.qxd - catlg_13.pdf)
(2015年03月18日)
http://www.nmf.co.jp/product/img/catlg_13.pdf

ターレットトラック - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF

富士重工業株式会社 有価証券報告書及び内部統制報告書(第82期、2012年4月1日~2013年3月31日)
(富士重工業株式会社 - ms_82.pdf)
http://www.fhi.co.jp/ir/report/pdf/ms/ms_82.pdf

2016年8月4日木曜日

相模原事件の教訓は情報の共有ではなく情報の評価こそ重要というものである

予兆、危機共有に溝 相模原殺傷事件から1週間:朝日新聞デジタル(2016年8月3日朝刊39面)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12493090.html

前記事において(リンク)、私は、朝日新聞7月31日の記事を高く評価した。今朝(8月3日)の記事に対しては、新聞社の取りがちな誘導策、すなわち「わざと論点を記さない」点が見られるため、指摘して批判しておきたい。以下で私が指摘する内容を、田村正博氏が新聞記者に対して指摘していなかった場合、田村氏は、自ら元の職場に忖度したか、または、不見識を晒したということになろう。なお、本点は、以前の記事の繰り返しでもある。

 まず、田村氏の解説に係る部分を引用しておく。ほぼ全ての文に異論があるためである。

■情報の共有、限界ある
 京都産業大法学部の田村正博・客員教授(社会安全政策)の話 まだ犯罪を起こしていない個人の情報を共有することには限界がある【1】。措置入院の解除から事件までに約5カ月あり【2】、植松容疑者を警察が常に監視することや【3】、市や園が危険人物とみなして広く情報共有することには【4】、人権上も法律上も別の問題が生じる可能性がある【5】。報じられている事実以上の予兆がなかったとすれば【6】、より踏み込んだ対応をするためには、社会的な議論が必要だろう【7】。
【1】に対しては、インターネット上にすでに表明された批判的意見の中に、犯罪として対応できたはずなのに、見過ごしたというものを見ることができる。国民の側からこのような意見が提起されているにもかかわらず、警察を代表すると見なされうる田村氏がこのような解説を掲載することを承諾したことは、予防線を張るものと見なされても、仕方のないことである。犯罪であるか否かの解釈と対応については、相当の裁量が警察官個人に委ねられている状態にある。国民の多くも、積極的・消極的かはともかくとして、この状態に同意している。防犯カメラの導入を認容するに際して、批判が提起されたとき、多くの国民が賛意を示したのは、本事件のような重大犯罪を防ぐことまで期待したためではなかったか。

 確かに、田村氏の指摘のとおり、容疑者の数々の前兆行動を犯罪と捉えなければ、個人に係る情報を共有することには限界も生じよう。しかし他方で、われわれは、テロ対策と称して、宗教プロファイリングとも呼べる、イスラム教徒全員に対する監視が行われていたことを知っている。この大規模かつ組織的な活動自体は、明らかに憲法の理念に違背する行為であり、イスラム教徒の反発を通じて、かえってテロを深めるという危険性を有していた。しかし他方で、暴露された、イスラム教徒に対する監視行動は、この種の監視が容疑者に対しても実行可能であったことの紛れもない証明となっている。

 【2】については、5ヶ月間を継続して監視することの必要性を、結果として判断できなかった、という点に問題が認められよう。ヒュミント(人間同士)、シギント(通信監視)の手段を通じた人物評定がなされなかった(後述)のは、おそらく、担当部署に必要な手段を調達できなかったためであろう。確認できるだけの手段もないし、ローン・ウルフに分類される容疑者を積極的に監視するだけの組織上の要請もなかったであろうから、5ヶ月間、放置したということになるのかも知れない。結論は、詳細な内部調査を経ないことには得られないであろうが、「5ヶ月間の監視は、資源上、さすがに無理であった」という解釈と、「5ヶ月間も猶予があったのに、監視しなかった」という解釈との2通りの結論のいずれかを得る余地が残る。結果が重大であるのに、調査をしないとすれば、十全に仕事をしているのかについて、疑問視されても、やむを得ないであろう。

 【3】についてであるが、現状のヒュミントの態勢では、本事件の容疑者の危険性を判断することは不可能であったであろう。容疑者は比較的若く、また、その活動範囲もかなりの広域かつ特殊なものであったようであるから、容疑者と直接コミュニケーションを取れるだけの人材を調達することは、困難であったであろう。腹を割って聞き出せるだけの人物を用意して、2月以降、容疑者の信念がぶれていないことを確認することは、現実的には、無理であったであろう。暴力団との個人的な付き合いが職務上許容されていた時期であれば、少しは勝手が変わっていたかも知れないと想像するが、この可能性は、私が分析するには手に余る分野である。

 仮に、容疑者の信念を探るとすれば、警察は、現在の社会環境下では、自力に頼るほかなかったであろう。本事件は、この手の容疑者に対して、現在の警備警察が効果的に接触できるだけのヒュミントを育成できていないことを示唆するものであるようにも思われる。人選にあたっては、高橋のぼる氏の『土竜の唄』の主人公、日浦匡也のような人物が候補者としてワンダース以上必要であったであろうが、彼らは、本来、暴力団対策に奔走しなければならなかったであろうから、これらの人物が警察にいたとしても、リソース不足の感は否めないところであったろう。20代後半に見え、刺青を入れた容疑者にも自然に接触でき、かつ、不信感を抱かれずに容疑者の信念の固さを確認できる警察官は、超・エース級である。なお、このような人物が内部で調達できない場合に、警察は、協力者を外部から調達することができるが、容疑者の属するコミュニティから調達する態勢は整えていなかったであろう。仮に、整備済みであり、運用中であるとすれば、その状態は、私の先入観を訂正するものであり、高く評価されるべきことである。ただし、私の先入観は、故なきことではない。わが国は、一億総活躍と言いながら、まったく、そのスローガンとは相異なる状態となっている。

 他方、【3】に係る方法には、シギントも考えられるが、現状で可能となっているシギントの態勢を機能させたとすれば、容疑者は、十分に監視可能であった。容疑者のインターネット上の活動について、私は調査していないが、十分に危険性を示す兆候が公知のものとなっていても、何らおかしくない。本人名義で危険な思想が表明され、その意見が削除されていなければ、普通の人ならば、その人物を危険視する材料と見るであろう。この辺の機微は、インターネット上でも検証可能であろうから、警察も、真剣に調査を進めなければ、後に仕事をサボっていたことを咎められることにもなろう。(つまり、しっかり調べておくべきである。)

 【4】において指摘されている情報共有の難しさは、要素としては存在するが、副次的なものである。少なくとも、本事件の抑止に必要とされる程度には、情報が関係者に共有されていた。措置入院に至る情報伝達が的確であったか否かは、検証の対象となって良い。しかし、問題は、各組織が得た犯人の危険性を的確に評価できたかという点にこそ、求めることができる。

 情報の共有ではなく、情報の評価こそ、本事件を予防できたか否かの分かれ目であった。防犯設備だけについて見ると、施設は、警察と警備員という、施設から見れば専門家へのアクセスを有していた。これら2つのルートは、施設からすれば、防犯上の助言を的確に与えられることが期待できるものではあった。ただし、以前から言及しているように、これらの職務に従事する人物に、的確な防犯設備に対する評価が行えたかと考えると、そうではない。これらの職務に従事する人物の中でも傑出した人物(スーパー生活安全警察官レベル、スーパー警備員レベル)でなければ、的確な評価を行うだけの心構えには至っていなかったであろう。このため、防犯設備を拡充して本事件を予防できたかと問うてみても、困難であったことが推測される。

 ただ、警備員の雇用形態は、場合によっては、本事件を予防する材料となりえた。警備員が大手企業に所属する者であり、大手企業が本格的に対応に取り組んだとすれば、施設側が予算を捻出できたか否かにもよるが(そして、経営判断上、合理的ではなかったと予測されるが)、見込みは小さいものであるが、本事件を予防することができたかも知れない。施設が大手企業と契約していた場合、積極的に相談を求めなかったとすれば、この点は、悔やまれることである。

 警察内部で情報共有が適切になされていたか否かについては、疑問がある。当初に連絡を受けた津久井署の部門は、名称が明示されていないようにも思う。ここに、警備部(公安部門)が関係していたのであれば、公安部門の責任が慎重に回避されようとしている可能性を見て取ることができる。本事件は、ストレートに公共安全を対象とするものであって、ヨーロッパで実行されたとすれば、わが国でも直ちにテロ事件として報道される種類の事件である。

 テロ対策は、警察の警備部門のど真ん中の仕事である。ドイツ・ミュンヘンにおける7月22日の銃撃事件は、当初、テロの可能性があるものとして捜査されたという報道がある※1。なお、イスラム過激派との関連を疑ったのは、マスコミであろう。でなければ、イスラム過激派との関連について、報道記事においても、わざわざ言及しない。また、この見込みは、後に捜査を通じて否定されている※2。自称イスラム国の影響は、これらの職業的テロ集団に留まらず、マスコミ報道を通じて、世界中に影響を与える。自称イスラム国は、国際関係を攪乱するために情報機関によって育成された側面があるために、関係各国の優先的な統制の対象となっている。つまり、かつての教え子が管理不能な状態にあるという側面もあるために、これらの集団が起こした事件は、そうでない事件から区別され、その責任についても、協議される必要が生じていると見ても、さほど間違いではないであろう。新約聖書風に言えば、「カエサルのものはカエサルに」という訳である。このように、現在の国際テロ集団の一部と情報機関の一部とには、すでに関係性が生じていたがゆえに、国際テロ集団が直接関与する事件は、テロの被害国によっては、新たな国際緊張を生み出すものと考えて良い。このとき、ローン・ウルフという背後関係のない個人により引き起こされる事件は、国際関係への影響が小さなために、抑止対象として、脇に置かれがちになる。しかも、そもそも、ある程度の理性的な個人により、個人の可能な範囲内で実施されるために、予防が難しいという側面も認められる。ホームセンターで買物したら即連行された、というのは、自由な社会に生きる個人にとって、まったく望ましい展開とは言えないが、それでも、ローン・ウルフの犯行を抑止するためには、必要となる可能性が高いのである。

 情報の共有ではなく、情報の評価こそ、今回の事件を抑止する上でのポイントであったということに気が付きながら、その指摘を欠落させたのであれば、朝日新聞社の今回の記事執筆担当者たちは、忖度が過ぎたと言いうるかも知れない。私が顕名で指摘することを必要とした分、私は、ちょいおこである。(これ以上、余分に目を付けられたくないっての。)他方で、この点に気が付かなかったとすれば、その内実は、新聞社としての要件を欠くことを示すものになりかねないため、慎重に検討されるべきであろう。この種の情報を通じた誘導は、上手か下手かを問わず、警察官僚なら、半ば無意識の習慣になっていると言いうる。朝日の記者がコンタクトを試みた経緯については、知る由もないが、田村氏の経歴や実績等、色々と承知の上でコンタクトを取ったのであれば、情報の評価こそ重要であるという点にまで、記者も薄々気が付いていた可能性が高い。その上で、バーターということに相成った、と考えても良いかも知れない。この場合であれば、本事件に係る微妙なバランスを取る上で、報道機関として必要な取引を行ったということで、朝日新聞社の記事を許容する向きも出てこよう。他方、気が付いていなかったとすれば、記者の総合的な力量が取材対象に比較して不足していたということである。不用意であったと結論付けられよう。

 【5】についてであるが、本事件に係る以上に詳細な情報が共有されたとすれば、人権上、法律上の問題は生じたであろうが、【4】に対する説明に示したように、これ以上のディテールに係る情報共有は、必要ではなかったであろう。それよりも、警察内で容疑者の動向を評価できていれば、警察の側での警備を増員したり、常駐するなどの対策も取り得たであろう。また、警備の際には、施設に対して、たとえば、「容疑者の件で、警備が必要と認められましたので、今から○日間、○名で警備します。施設の側でも3名警備員を増員してください」のように必要なだけの情報提供を行えば良かっただけである。

 【6】については、報道されている事実以上の予兆がなかったとしても、危険性の判定は十分であったであろう。容疑者の手紙は、掲示板に殺害予告を行う人物以上に、はるかに具体的な犯行予告である。警備部門において、1名を専従で評価に当たらせれば良かっただけである。容疑者の危険性を判定できた部署は、手紙を託されたこと部署と、手紙の内容を把握していた部署である。

 【7】については、もちろん、その通りではあるが、前提となる【6】に係る事実認識が異なり、これだけの情報を得ているにもかかわらず放置したと見なされる可能性が高い以上、警察内部における情報流通過程を(内部で)真摯に検証した後でなければ、国民一般の理解を得ることが適わないであろう。私の考えるところでは、警備警察は、わが国では最も予算も人員も潤沢な情報機関である。他国の情報機関が実施可能なほどの権限を付与されてはいないものの、今回の容疑者を監視して、必要に応じて拘束するという作業は、特に問題なく行えていたはずである。他方、このような作戦が成功したとしても、その成功を社会的に賞賛する仕組みは、整っていない。この偏りのある状態は、警備警察がこの種の行動にリソースを割くことを疎かにするという要因となっているものと考えられる。政治的な情報収集に邁進した方が、組織として有用な結果を得ることができるという現状も、反社会的な微罪での前科を持つ犯罪者を放置するという傾向に拍車をかけているものと推測できる。つまりは、天下りにならないこと、カネにならないことに対して、仕事をしていないのではないか、という疑いがある。これについては、話が逆である。社会が上手く回っている限り、世間は、天下りのことをとやかく言わないであろう。上手く回らない時勢においてこそ、公務員は、奮起すべきである。いざというときのために働くのが公務員の本質であろう。(歴史は、いつも「いざというとき」であることを教えてくれるものであるが)

 自称イスラム国にとっても、ほかの危険団体にとっても、私がここで指摘したことは、公知の事実に近いものである。敵の上を行くための適切な理解は、私の指摘の上をゆくだけの正確な知識の上に構築されるべきである。このとき、社会の支持は、誤解の上に成立させるべきではない。揺り戻しが酷いからである。私の吹き上がった表現も、ある意味、揺り戻しの一つの表出であると見ても良いであろう。対策を練る上で、国の総力を結集しなかった事実は、次の失敗において、要因として見なされる。今回の事件を機に、全範囲にわたる検討を行わなければ、その結果は、後の事件に報いることになろう。そのときもまた、慎重に責任を回避しようとしても、同じ種類の過ちを繰り返した組織を、国民は、軽蔑するであろう。(日本国民は、健忘症気味ではあるが。)

 私が自身の知識と少ない経験に照らして言えることは、おおむね本稿でも素直に表現した。このように私は考えている。犯罪予防に係る考え方のすべてを、社会の全員が理解することは、なかなか難しいところであるが、それでも、どの考え方が直球であって、どの考え方が変化球であるのかを知っておくことは、社会が基本から逸脱しないために必要なことである。今回、私は、情報の評価過程こそが検証されるべきであって、最低限の情報共有が行われていたことを主張した。この主張こそが基本線である。そこから外れる意見については、何かの利益が存在すると見て、何らおかしくない。


※1 独ミュンヘンで銃乱射事件発生、8人が死亡 | ロイター | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
http://toyokeizai.net/articles/-/128605
警察の報道官はイスラム過激派による攻撃であることを示す証拠はないとしているが、テロ事件として捜査していることを明らかにした。

※2 ミュンヘン銃乱射事件 メルケル首相も参列して追悼式 | NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160801/k10010616461000.html
警察などのこれまでの調べによりますと、死亡した18歳の男は、イスラム過激派との関連は見られないものの、市民を無差別に狙った事件に強い関心を抱いていたことなどが分かっています。



 なお、同じ(8月3日の)記事の中に、容疑者のガラスを割る音がインターホンを通じて聞こえたために、事件に職員が気付いたという記述が見られた。施設において、ガラスが割れるという事態がどれほどの頻度で生じていたのかにもよるが、この事実は、事件の分岐点になり得たであろう。



大分県警別府署:隠しカメラ、「民進党」関連建物敷地内に - 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160803/k00/00e/040/195000c

 上記事件で、違法に隠しカメラを設置した可能性が認められるのは、刑事課員であるという。この種のカメラ設置は、タレコミに相当の信憑性があったという前提の下で、設置場所はともかくとして、認容されている。相模原事件においても、自宅を監視するために、同様にカメラを設置すること自体は、容疑者の行為を犯罪と見ることができた以上、刑事警察としてはともかく、警備警察としては、何ら問題なかったはずである。



(ニュースQ3)警察がイスラム教徒監視 「やむを得ない」?:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/DA3S12491207.html

Japan's top court has approved blanket surveillance of the country's Muslims | Asia | News | The Independent
http://www.independent.co.uk/news/world/asia/muslims-japan-government-surveillance-top-court-green-lit-islamaphobia-a7109761.html

 The Independentの記事は、6月29日付、アル・ジャジーラの報道を受けたものである。イスラム教徒のリーダーと協力関係を構築し、合理的な疑いをかけることのできる、真に悪意のある人物をマークするという手順が王道である。邪道である方法を、最高裁判所が最初から許容するようでは、何が規範として正しいのかを、国民が理解できなくなろう。

 あらかじめ指摘しておくと、今後にイスラム教徒とされる人物が重大事件を日本国内で敢行して、2名以上の死者を生じてしまった場合、相当にセンシティブなデータを多量に公開しなければ、定量的方法による場合、「イスラム信仰を理由とする監視は、わが国では、犯罪予防上、有害である」という結論を得ることになってしまう。『悪魔の詩』の翻訳者殺害事件のほかには、国内犯で明確にイスラム過激派による犯行であることが認められる事件が見られないためである。今回の決定は、結果として、使える手法を少なくしてしまうことになろう。

平成28(2016)年9月24日修正

レイアウトを一部修正し、<hr />タグを挿入した。文章に一部不明な箇所が見られたために、訂正し、淡赤色で示した。

2015年11月13日金曜日

平成27年版『犯罪白書』の報道に接して

性犯罪後の講習が効果、再犯率5分の1に…白書 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/national/20151113-OYT1T50125.html
特別調査では、08年7月~09年6月、性犯罪で懲役の有罪判決が確定した1791人の再犯状況を調べた。
 このうち実刑となった731人の出所後3年間の性犯罪再犯率を 分析したところ、刑務所と、仮釈放後の保護観察の両方で再犯防止プログラムを受講した120人では5・6%だった。これに対し、受講経験のない満期出所者 は25・5%。仮釈放されたが受講経験のない人は16・8%で、受講者とは大きな差が出た。
2015年11月13日 15時23分

 新プログラムの割り当て方が要点である。私の知る限り、日本のマスメディアのすべての犯罪報道は、このような観点にまで踏み込むことはしていない。官庁付きの仕事は、比較的キャリアの浅い(=わが国では若い)記者の仕事だと思うが、そのとき、文系が出身母体の記者は、よほど大学で研鑽を積んでいないと、実験計画(学)について学習するということはないのではないだろうか。社会学系の学部で社会調査に従事したのであれば別だろうが、法学や経済学に在籍していたのでは、よほどのことがなければ履修することはないだろう。(それでなくとも、それぞれの学問体系は、相当に奥が深いだろうから、とても四年では足りないだろう。)

 新プログラムの効果が本当にあるのかどうかを調べるためには、原則的には、旧来の処遇方法と新規の処遇方法とを受刑者に無作為に割り当てなければいけない。このとき、社会の同意が得られるかどうかと問うてみれば、それは無理だろう。法務省の分析結果をそのまま受け容れるだけでは、外部の研究者の活躍する余地がない(<本音)。読売新聞は、TPPを歓迎しているのだから、米国でこのような研究手法が強力に主張され、現在では揺り戻しがあるという背景にまで踏み込んで、広報して欲しい。

2015年10月23日金曜日

振り込め詐欺が壮大な節税システムであるとする陰謀論は考え過ぎである

 陰謀論の世界には、ときに、自分の考えが遠く及ばないアイデアが転がっていたりする。もちろん、それらのアイデアをそのまま無断借用するなんてことは、自分の良心やプライドにかけてすることはないが※1、ともあれ、その想像力の豊かさに(色々な意味で)恐れ入ることがある。以下の考察は、その想像(妄想)力のたくましさに敬意を表するため、真面目に、その意見を否定するものである。本記事は、大多数の読者にとっては駄文であることを、あらかじめお断りしておく。

 以下のブログは、陰謀論(者)の世界(観)の奥深さを感じさせる一例である。FATF加盟に伴い、わが国でも、金融口座の開設や海外振込等が厳しく監視されるようになったが、それに伴う銀行の対応に憤るツイートを収集し、預金封鎖が始まっていると推測した上で、次のように考察を進めている。

預金封鎖、実はすでにゆっくり始まりつつある…? – すべては気づき
http://sekaitabi.com/furikome.html
 また、以下は100%推測の域を出ないあくまで想像の話ですが、振り込め詐欺自体が、預金移動防止のためにセットアップされた自作自演である疑いさえ持ってます。本当に詐欺行為自体はされてるとして、自演が含まれているのではという疑いが(実は裏社会を通して犯人役が配置されているのでは、という)。
 東芝の粉飾決算の金額の大きさ(1500億円超)や海外バラマキの額と比べると、振り込め詐欺の被害額(昨年で559億円)が小さいにもかかわらず、振り込め詐欺の方は膨大なコストをかけ、東芝の方は「不適切会計」などと言ってごまかし刑事罰も与えない甘い対応。
 振り込め詐欺の振込先の口座情報を銀行側が突き止められないはずがないことも、大きな預金を持っている人の情報をつかめていることも不審に思ってました。
 推測だけでまったく根拠はありません。しかし同じように勘ぐっている方々はいました。以下は元警官の方とのこと。(後略)
例示されていたツイートのみから預金封鎖の虞を読み取ることの是非は、個人の表現の自由の範囲内にあるように見える。ただし、現実に、昭和48年の豊川信用金庫の取り付け騒ぎをふまえれば※2、その種の再帰性、自己予言成就機能のようなものが、この種の発言について回ることには注意すべきである。この事例は、情報社会学などの分野では著名な事例である。付言するなら、おそらく、最近(平成27年9月ころ)のインターネット銀行における小口で取引事例が多い顧客の普通口座に対する銀行側の処置は、普通口座である以上、適切なものと思われるが、他方で、顧客一般の知識も試されていることであるようにも思われる。わが国における金融教育の必要性は、作家の横田濱夫氏がかねてから指摘してきたことであるように(うろ覚えで)記憶しているが、今回の逸話は、かなり基本的なところから教育が必要な人が多いことをうかがわせるものである。(私自身もその対象に含まれる。)

※2 豊川信用金庫事件 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%B7%9D%E4%BF%A1%E7%94%A8%E9%87%91%E5%BA%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 閑話休題。

 振り込め詐欺の既遂を装い、資産家が節税しているという指摘であるが、これは、ごくごく一部の例外を除き、まったくの思い違いであると断定して良い。なぜなら、第一に、資産家が節税する場合、複数の企業を設立、投資し、トントンの経営状態にするという、合法、安全かつ鉄板の方法が存在するためである。というより、この方法は、ゴールデンスタンダードである。嘘だ!と思う方は、景気の良い中小企業経営者の邸宅周りに、いったい何の会社だろう?と思うような企業名の看板が複数出ていないかどうか、確認されると良い。ほぼ必ず、場合によっては資産家の邸宅の表札とともに、それらの企業名が掲げられているはずである。税理士との密な付き合いが必要なほどに儲かっている企業の経営者ならば、この方法の最大の障害である税理士とのコンタクトという点をクリアしているはずである。第二に、資産家だけでなく、グルになっているとされる犯罪集団も、振り込め詐欺を演出するなどという、危険な橋を渡ることをしない。資産家は、数百万円程度の資産の保全のために、わざわざ弱みを見せるような形で、犯罪集団に接触を図るなどということはしない。もちろん、例外は存在しており、その例外とは、当初から犯罪集団と関係している場合である。このような例外的な場合には、万が一にであるが、そのようなことが行われる、かも知れない。しかし、そのような仕事を持ちかけられた犯罪集団は、まっとうな判断を下せる状態であれば、わざわざ警察の捜査を余分に受けるようなことをすることはしない。グルになって何かするにしても、ほかの方法を採用するはずである。暴力団の資金が海外のプライベート・バンクで貯蓄・運用されていたり、外国人犯罪集団の資金が地下銀行を通じて海外の家族の元に届けられて安全に運用されていることは、相当に有名な事実である。犯罪者にしても、海外のタックス・ヘイブン等において、合法的に資産を運用できるのであれば、それらの安全・確実な方法を採用するのである。合理性という主要概念は、振り込め詐欺や組織犯罪についての研究にも通用する一般化可能なものなのである。

 警察までを巻き込んだ形で、振り込め詐欺において、壮大な自作自演が進められているという可能性も、限りなく無理筋である。お金は、まったくの無からは生じない。何かの裏付けなりが必要である。振り込め詐欺という財産犯の被害金(原資)は、個人の財産である。企業資産に比べて保護の手厚い個人資産を、節税のために「警察まで巻き込んだ巨大振り込め詐欺虚構システム」に投入して、安全に口座から引き出すという過程には、三つの点で問題が生じる。第一に、関係者が多すぎて、正義感に由来する内部告発の阻止が困難である。第二に、このシステムの作動は、銀行等の金融機関関係者の反発を食らう。金融機関は、振り込め詐欺を防げないと、運用資金と評判の双方に悪影響を被る上、振り込め詐欺被害の抑止(今まさに行われようとするときの防止)が唯一可能な状態にあるプレイヤーでもある。思う存分妄想の翼を広げれば、警察OBの銀行顧問などが圧力を掛けて内部告発や反発を封じるという構図も湧いてくるが、この構図は、明らかに社会正義に反する状態である上、(こちらが何より重要だが、)関係者の大部分にとって一文の得にもならないものである。それどころか、システムが明るみに出され、落とし前を付けなければならなくなったとき、関係者の大多数が連座することになり、即実刑を食らう可能性さえ認められるものである。このような状況下で、関係者の誰もが沈黙するということは考えにくい。わが国においては、明らかに悪と見える行為を積極的に行うことに対しては、抵抗が強い。半面、制度の欠陥を放置するという不作為に対しては、相当に抵抗が弱い。この特性をふまえたとき、積極的な悪のシステムを公然と構築するようなことになる、「振り込め詐欺虚構システム」説は、まず間違いなく、筋の通らない話である。

 なお、上記引用は、東芝の不正会計事件と振り込め詐欺の年間被害額を比較しているが、これは、明らかな誤りである。東芝の第三者委員会は、次の表1の金額を修正するよう求めている※2。まず、第一に、振り込め詐欺の被害額は、これらの金額と比較されるべきである。

表1 東芝第三者委員会の指摘による過年度決算の修正金額
2008年度▲282
2009年度▲400
2010年度+84
2011年度▲312
2012年度▲858
2013年度▲54
2014年度(1-3Q累計)+304


※1 なので、私は、アイデアを借用した場合には、私自身が彼岸に到達してしまった人と思われる虞を冒してでも、その旨を示している。

※2 第三者委員会調査報告書の受領及び判明した過年度決算の修正における今後の当社の対応についてのお知らせ(2015年7月20日)
https://www.toshiba.co.jp/about/ir/jp/news/20150720_1.pdf



おまけ

 今現在の私個人には、東芝の不正会計事件(以下、本事件)を分析できるだけの知識や経験がないので、以下は、感想に過ぎない。

 本事件は、第三者委員会報告書にあるG案件のように、大型かつ長期の原子力発電関連プロジェクトが含まれており、福島第一原発事故と問題が一体化しているという構図がうかがえるものである。本事件は、その構図ゆえに、後世において、大きな批判を浴びるものとなるだろう。仮に、東芝が福島第一原発事故を機に脱原発産業へと歩を進めることができていれば、それが廃炉ビジネス分野であろうと、再生可能エネルギー分野であろうと、方針変更に伴う問題であったという点についてのみ、道義的責任を追求されることになったであろう。しかしながら、本事件は、原発推進を社是として突き進んだかのような図式を提示することになってしまっている。言い換えると、「原発推進を強行するあまりに行われた犯罪である」という非難が妥当するかのような外見となっているのである。(私も、ともすればそのようなステレオタイプで本事件をとらえてしまいそうになる。)探せば、このような形式での非難は、たちどころに見つけることができるであろう。この点で、東芝の経営陣は、二重に失策を犯したことになる。

 なお、私は、日本人が非競争的分野である原子力発電産業をなおも推進することに反対する。なぜなら、責任を取ることのできない経営者層に、国を傾かせるレベルの影響を生じさせる経営判断を強いることになるためである。無限責任を取ることのできる経営者が現在のわが国には絶無である、と私は思う。ポツダム宣言受諾に臨んでさえ、無限責任を有するはずの多数の人物のうち、その結果にふさわしい進退のあり方を見せた者は、きわめて少数派であった。一千万人単位の犠牲者を生じうる原子力事故の責任を取ることのできる人物を大企業の経営者という小集団から見出すことは、不可能である。東京電力の管理職の職にあり、その(結果)責任に対して、日本人がふさわしいと考える最期を(結果として)遂げた(果たしている)人物は、現時点では、元所長の吉田昌郎氏だけであろう。(辛辣な表現になるが、仮にいたとすれば、大々的なマスコミ報道のレールに乗せられないはずがなかろう。)

東芝「粉飾」決算問題が浮き彫りにした 大手マスコミの「粉飾」体質 『週刊現代』「官々愕々」より | 古賀茂明「日本再生に挑む」 | 現代ビジネス [講談社]
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44421


 古賀茂明氏は、「歴代経営陣の刑事責任についても、元検察の弁護士のコメントなどを使って、今回の事件では「責任を追及するのは難しい」という相場観作りまでしている」とマスコミ報道を批判している。


山村尚志・小寺功朗「社会動向 先行する米国の状況と日本の動き」『東芝ソリューション テクニカルニュース』2006年夏季号
http://efm.toshiba.co.jp/tech/technews/vol6/pdf/tsoltn200607_trend01.pdf

 山村尚志氏と小寺功朗氏は、SOX法(上場企業会計改革および投資家保護法)についての米国の最新状況と、日本版SOX法の動向を紹介している。日本版SOX法(#金融商品取引法の規定ならびにその実施基準)では、内部統制が確保されやすいよう「トップダウン型リスクアプローチ」を採用していると説明している。


芳澤光政, (2009). 「巻頭言 企業の責任とコンプライアンス」, 『東芝ソリューション テクニカルニュース』, 2009年秋季号, p.1.
http://efm.toshiba.co.jp/tech/technews/vol19/pdf/tsoltn200910_top01.pdf

 東芝ソリューション株式会社金融ソリューション事業部長の芳澤光政氏は、福沢諭吉『学問のすすめ』を引用し「法の本質を軽視する事件が後を絶」たない中、同社では、コンプライアンスを満たすだけに留まらず、CSRまで射程に含めた独自のソリューションを用意してきたという。

2015年10月12日月曜日

NHKクローズアップ現代(10月1日放送分)について

“世界一の鉄道”に何が ~多発する事件・トラブル~ - NHK クローズアップ現代
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3710_all.html

 上記リンクは、聞き書き(トランスクリプト)のサイトにつながります。
 番組に対して、ツイッターでは、そのような対策は現実的ではない、実務を知らない者の主張だという趣旨の反論が多く見られましたが、自殺等に対して、「列車を止めれば数千万円」のような記述が多く見られる一方で、数千万円に及ばない対策を怠ってきたことは、どのように解釈すれば良いのでしょうか。
 手の届くところに燃える物を置かない、というのは、放火対策の基本です。一坪数百万円以上の土地に多くの物体を置けないことはわかりますが、より目の細かな金網を使うですとか、とりあえず二重に金網を張り、手を出すことを難しくするということは可能だったはずです。30kmくらいだったかとアタリをつけて調べてみると、34.5kmということですから、全周に金網を張っても、数億円で済むわけです。実際のところ、ケーブルのつなぎ目など、手の届きそうなところだけでも被覆すれば、数百万円単位で済んだはずです。

山手線一周の時間と距離はコレ!実際に測ってきました!! | ALL You NeeD is InformaTion Blog
http://bibibits-of-knowledge.com/archives/2048.html

 すると、今回のJR東日本連続不審火事件が生じる前までに、JR東日本の防犯・テロ対策担当者は、その者に課せられた責任や与えられた報酬に対して、結果的にも、道義的にも、基本的な業務としても、十分な仕事をなしてきたとは評価できないことになります。反論があれば、どうぞお願いしたいところです。
 結果的、道義的、基本的、という表現の並びは、この順に業務内容の難易度が低くなるように並べたものです。結果責任は、背負うものが重大な役職に伴うものであって、通常は、政治家や大企業の経営陣など、多くの人々に対して責任を負うべき者しか負わなくとも良いものです。道義的な責任は、役職に付随する理想から生じるもので、倫理上こうすべきものです。道義的な責任を果たせなかったとしても、必ずしも非難の対象となるわけではありません。今回の事件は、責任者が当然なすべき業務を果たしていなかったために生じたもので、言い換えれば基本的な業務を果たしていなかったために生じたものですので、事件に対して、担当者は、責任を免れません。
 今回の事件にあたり、仮に、事件前に何らかの対策が施されていたとするならば、その対策が却って事件の深刻化を招いた可能性は、それなりに存在します。本事件は、慎重な捜査が必要とされる種類のテロ事件である疑いが未だにぬぐえないためです。架線に対する攻撃は、より深刻な被害と相当深刻な別の罪名とを招いた虞があります。しかしながら、JR東日本の防犯・テロ対策担当者は、無策ゆえに、安全というボールを容疑者の手に委ねるほかなかった訳でして、今回の被害が小さかった理由は、容疑者がより破壊的な行動に出なかったことのみに起因するのです。
 鉄道機関の安全性は、主として、運輸安全委員会以下の組織に委ねられています。主として、旧運輸省、現国土交通省の縄張りです。私は、鉄道行政からはまったくお声のかからない小物ですが、これだけは言えます。犯罪をいかに行おうかなどと物騒なことを常々考えることは、持続性・継続性はもちろん、悪い方面への才能を必要とする営みです。私は、悪い方面への才能はそれほどなさそうですが、それでも、まだ、一般の優秀な鉄道運輸関係の研究者に比べて、悪業へのセンスはあるように自負しています。鉄道研究者の誰か一人でも、現時点までの間に、ここで私の指摘したような、容疑者が罪名を考慮して手口を選択していた可能性を考慮したことがあったでしょうか。世の中は広いので、それこそ対外情報機関に採用されるような優秀な人材ならば、本事件に接して、このような可能性を検討したこととは思いますが、こと研究者に限定すれば、鉄道運輸関係の研究者として、ここまで思考を到達させた人はいないものと思います。悪行の研究は、それなりに専門性があるものなのです。

 さて、危機管理という観点からは、セキュリティ産業界の「手の者」が焼け太りを狙ってわざと事件を起こさせたというシナリオを考慮しておかなければなりません。しかし、今回に限って言えば、仮に、このシナリオが正しく、セキュリティ産業界により多くの経費を割かなければいけないとしても、それは、正当な経費です。経営陣の給与を削減した上で、セキュリティに費用をかけても良いくらいの話です。経営陣は、本当に東京オリンピックを実現したいと考えているのであれば、もっと費用をかけるべきことが山積しています。本件の責任を経営陣に負わせた上で、10円程度の運賃の値上げも、やむを得ないかもしれません。
 これ以上の専門的な知識は、本来、正当な対価や報酬(=私にとっては研究者としての身分を獲得できる程度の研究予算と研究上の成果)を得る確約を得た上であれば、提供したいと思います。とにかく、わが国は、防衛産業に対しても、セキュリティ産業に対しても、基礎的な研究・報道の予算が欠如しています。効率的な使用も課題ではありますが、問題としては副次的なものに過ぎません。この方面の実務レベルや流通する情報のレベルが低いのは、産業界が十分な研究等のコストをかけてこなかったことに原因がある、と私は考えています。防衛産業は、私の守備範囲外ではありますが、問題は、非核三原則や武器輸出三原則が問題になるとしても、防衛研究の目利きができる情報産業関係者(日本人の研究者や日本人のジャーナリスト)に乏しいこと、それらの関係者に社会が適切な報酬を用意してこなかったことなどにあります。「外国に売ることができないのなら、防衛装備品の価格が高くなるのは当然である。にもかかわらず、専守防衛のためにも、より高いレベルの防衛装備品が必要である」という、経済学上の基本に逆らうジレンマがある、という事実に対して、日本国民は、長らく無視してきたのだと思います。戦争をしないためには、戦争という(悪)手を取りうる諸外国に比べて、相当高度なレベルで、外交と戦争についての思考を深めなければならない、というジレンマも無視されてきたと思います。言葉に出さなければ問題が存在しないという言霊論の世界に、私たちは生きてきたのです。

2015年10月7日水曜日

JR東日本連続不審火の容疑者の再逮捕について(感想文)

 本事件は、インスタグラムが容疑者への助言に使われていた可能性を残すものとなっている。本記事は、その理由をメモしたものである。

 容疑者は、6日、威力業務妨害罪及び器物損壊罪で再逮捕されたとのことだが、朝日新聞は、記事を次のように結び、放火罪は適用されないと判断されたことを伝えている。(読売新聞と日本経済新聞には、同様の説明は見られない。)
JR不審火 容疑者再逮捕 「山手線を廃線にしたかった」 渋谷事件で(朝日新聞夕刊2015年10月6日(火) 11面)
(略)
警視庁は一連の不審火は火災の規模が小さく、住居などの建造物以外への放火罪を問う要件となる「公共の危険」を生じさせたとはいえないと判断している。(記事終わり)
本事件では、往来危険罪は検討されなかったのか?と思い、調べてみた。すると、信号系統を停止させたとしても、往来に対する危険にまでは至らないから、往来危険罪には問えないとした裁判例があるという。

参考:往来危険罪
http://park.geocities.jp/funotch/keiho/kakuron/shakaihoueki1/koukyounoheion/ouraibougai/ouraikiken.html

以下は、裁判所ウェブサイトの裁判例の検索結果の転載である。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=51256


事件番号 昭和27(あ)43
事件名 建造物侵入、業務妨害、往来危険
裁判年月日 昭和35年2月18日
法廷名 最高裁判所第一小法廷
原審裁判所名 福岡高等裁判所
原審裁判年月日 昭和26年10月29日
判示事項 一 汽車電車の往来危険罪の成立要件
二 電車の往来の危険を生ぜしめた場合にあたらないとされた事例
裁判要旨 一 汽車電車の往来危険罪は、鉄道またはその標識を損壊し、またはその他の方法を以つて、汽車または電車の脱線、顛覆、衝突、破壊等、これら交通機関の往来に危険な結果を生ずる虞のある状態を発生させることにより成立する。
二 本件の場合(判文参照)、駅の信号操作を放置しても、直ちに電車の往来に危険な結果を生ずる虞ある状態を発生させたものということはできない。
参照法条 刑法125条1項
本文 リンク

 容疑者の用意周到さからすれば、容疑者が責任能力を備えていることは明らかである。通常人の判断能力によれば、線路脇のケーブルや架線を燃やせば、少なくとも、走行中の車両を停止させることになると予想できるはずである。ただし、線路脇のケーブルや架線を燃やしたことにより、列車が転覆したり衝突したりするなどという展開は、通常人では予想できないように思われる。

 ところで、私に引っかかるのは、以下にあるインスタグラムで、容疑者は、架線を支える絶縁体(ガイシ)の上に液体の入ったペットボトルを置いた写真を載せ、「150本おじゃん」と記しているが、この形で架線に被害を出していないことである。「150本おじゃん」という表現は、運休させてやるという趣旨で記しているものと思われ、「脱線、顛覆、衝突、破壊」を起こそうとしているのではないものと思われる。緊急停止時のブレーキにはモーターブレーキが使われるかも知れないが、モーターブレーキの仕組み上、電源は必要とされないように思われる。本段落における鉄道の仕組みについての推測は、調査していないものであるので、容疑者が専門的な調査を進めていないのであれば、容疑者の理解も、おおむね類似したものになったと思われる。

zonegeriyangnodaさんはInstagramを利用しています:「シリーズ【電化バリア戦争】 これ焼き切ると下品盗賊150本おじゃん。。。ゆうか、そんなカヨワイカヨワイ電化バリアやで。TT」
https://instagram.com/p/6AVzQRPplU/

 しかしながら、結果としてではあるが、容疑者は、上記のような写真などを撮りながらも、この種の犯行に着手しなかった。その上で、線路脇ケーブルに執着したのである。そこで考えられる最悪の想定が、冒頭に記したように、インスタグラムが刑法に詳しい専門家への相談の手段として用いられたという可能性である。私個人としては、ペットボトルに点火してから架線にまでペットボトルを下ろすという方法がなかった、長い針金の持ち合わせがなかったのではないかと思う。しかし他方で、線路上に火炎ビン(火炎ペットボトル)を投げつけた形になり、往来危険罪を問われる危険を避けたという可能性を完全に否定しきることもできないと思うのである。

 本事件の態様が公開情報により明らかにされるほど、本事件は高度な手口であるということが垣間見えてくる。本事件は、「よい子の皆さんは、真似を絶対にしてはいけません」というメッセージを与えるかのごときものである。本事件が組織的なものであるとすれば、攻撃は高度で洗練されているし、個人的なものであったとするならば、素人の恐ろしさを思い知らされるものである。対策は、本当に急務である。事件直後から、JR東日本及び警備受託企業がどのような対策を取ったのかは、今後、本格的に問われることになると思われる。

2015年10月6日火曜日

TPPの効果を検証するために公的統計の多言語化対応と統一が急務である

 今夜は、TPPの締結が進められるか否か、という瀬戸際にあるわけだが、米国通商代表公式アカウントのストリーミングサイト(リンク)は、22時15分現在も、まもなく始まりますという通知だけが流れている。このまま全部流れてしまってもらえると、少なくとも世界のためにはなることなので、と思っていたら、成功裏に締結しました、という米国代表のフロマン氏のアナウンスが22時20分過ぎから始まった。右隣のマレーシア代表の表情が険しいことが印象的である。

#というか、フロマン氏以外の全代表の表情が険しいように見える。ある意味、歴史に残る会見である。

 つい先日、私は、TPPが拙速であり、現状では反対すべき内容であると、遅まきながら旗幟を鮮明にしたばかりであった。締結されたという現在でも、その考えは変わらない。TPPは、日本の没落を早めるだけである。日本人としてTPPの締結に関与した人物たちは、長く記憶・記録されて良い。

 ある時、私は、助言を必要としていたある公的な組織に対して、TPPの締結まで見越し、(公的)統計分野には、英語だけではなく、多言語対応が今後必要となると回答したことがある。これは、佐藤優氏のTPPにおいて日本語が「悪魔の言語」として機能するという議論に触発されたものである(注:本文は2016年1月9日追記)。TPPの加盟国の人口動向をふまえると、英語人口だけでなく、西語人口への対応も必要となる。次いで、マレー語が多いのではないか。いずれにしても、英語と同様の簡便さで、英語以外の他言語ともコミュニケーションが取れるようにならないと、多くの反対の識者が予想したように、日本の国益が図られるということにならない。

 多言語対応を図る時点で、各国の関係者は、必ず、単に言語の壁だけではなく、各国の法制度と(法)文化の多様性に、ひいては参入障壁とは何であるのかという定義に、直面せざるを得ないことになる。異なる制度の下に作成された統計を比較するにあたり、どのように統計を加工し、あるいは今後整備していくかという観点は欠かせない。こうした準備があって初めて、ある制度が参入障壁であるかを計測する準備が整うことになる。交渉担当者の力量をふまえると、数年前から、わが国がTPPに応じざるを得なかったことは、彼我の力関係全体からすれば明らかであったのだから、その頃から対策を練るべきではあったのだが、遅まきながらであっても、関係者は、いわゆるISD条項を盾とした不合理な要求に対応できるような知恵を出していかねばならない。

#この点、典型的な将来を見越して知恵を出しておくことは、官僚の仕事のはずである。この点、私は、防衛省がいろいろなケースを想定していたこと自体については、評価したい。(法案が成立しなかったという場合も、ゼロではなかったのであろうが、その場合は、現状維持になるわけであるから、法案の不成立を前提とした用意は、それほど必要とはされなかったであろう。)

 なお、TPPの効果・弊害をいう場合、従前の国内状況と比較することはもちろん必要であるが、それだけではなく、TPP枠外の諸国とも状況を比較することが必要となる。中国との比較や、EU諸国やロシアを中核とする独立国家共同体(CIS)諸国との比較も欠かせないであろう。数年後にも、メキシコ・ペルー・チリの三か国は、依然として、地理や言語上の制約から、中南米の非加盟国との結びつきの方が強いかもしれない。EU諸国は、EuroStatという統一的な地域統計を用意するに至っており、EuroStatは、国連の発行する地域統計地図にも多用されている。TPPを好意的に受け止めるにせよ、否定的に受け止めるにせよ、比較のためには、EuroStatなどと同様の枠組が必要なのである。

 先日、言及したように、TPPが、銃器・麻薬・風俗(わいせつ物)・賭博という、犯罪情勢に影響を及ぼす制度に不可逆の変化を及ぼすことは、必定である。これらに係る制度変更のうち、とりわけ、賭博については、各種の公営競技等が運営されてきており、多くのファンがいるという現実がある以上、本格的なカジノの建設・運用は、当然の流れであろう。ただ、本来の筋道は、既存の公営競技等について、より慎重で正確な検討が加えられ、後にカジノの是非を検討するというものであるべきだったが、そのような慎重な検討は、今となっては遅いということであろう。

 なお、公営カジノについては、開設・運営までは避けられないであろうが、わが国では前例がない「無作為統制実験」という方法によって、その影響を計測することは可能である。カジノ設立に立候補した複数の都市でくじ引きを行い、当選したところから期間を置いて順次運営を始めることにより、真に地元で犯罪が増加したか否かを検証するのである。これは、アメリカ本国で流行りの方法なので、実行は妨げられないはずである。むしろ、この手法よりも不正確な方法によって計測が実施された場合、犯罪分析等に係るシンクタンク等は、不正確な方法の実行によって参入を妨害しているという訴えを起こすこともできるはずである。

#無作為統制実験については、正確に内容を把握している研究者もいることは確かであるが、わが国の犯罪学関係の研究者の中では、まだ誤解が残るように見受ける。

 蛇足であるが、TPPについての議論を精査したわけではないが、成功者を素直に賞賛できる態度の欠如は、特にわが国において、今後の治安情勢に多大な影響を及ぼすことになろう。米国には、アメリカンドリームという哲学があり、結果としての二極化は、近年のオキュパイ運動などの例外もあろうが、一定程度許容されてきたと思う。マレーシアとの関係を抜きには考察できないが、シンガポール国民は、アメリカンドリームという考え方が国策ともリンクしており、格差を許容しているようにも見える。TPP締結国では、治安情勢は、同程度のものに収斂することが予測され、厳格な治安管理(シンガポールやアメリカの高級住宅地等)や成功者の努力を賞賛するという思潮(アメリカ)が、最悪のレベルにまで治安状態を低下させることを食い止めているように見える。他方、成功者を賞賛するという態度を醸成しなければ、わが国の治安情勢は、アメリカやシンガポールよりも遙かに悪いものとなることも十分にありうる。それは、第二次世界大戦前の数十年間を思い起こせば良い。

#今まで、私の話を聞いたことのある関係者は、私の考えが那辺にあったのかを訝しんできたであろうが、以上で、その真意を理解できたはずである。私が公的な場で話してきた内容は、基本的に撤退戦・緩やかな衰退を前提としたものであり、その衰退をハードランディングにはしない、という目的を持ったものである。

平成28(2016)年1月9日追記

別記事(リンク)の執筆中、多言語化対応についての着想が佐藤優氏の議論にあることを明記していなかったことに気が付いたので、ここに記して、お詫びします。(言い訳を記すと、後で出典を調べようと思い、そのまま忘れて公開してしまっていた。現在でも、紙媒体であるはずなので、探しきれていないが、いずれにしても、佐藤氏の議論によることは、間違いなく事実である。)

平成28(2016)年9月8日追記

カジノが犯罪を助長するか否かを検討する上で、無作為統制実験が有用であることを本文中で述べたが、企業犯罪という点に着目すると、カジノは、従来からの賭け事を取扱う施設とは、大きく異なる存在となりうる。従来の施設と同等の社会的機能のみを持たせるには、一晩で勝つことのできる・負けることの金額の双方に、たとえば20万円などの上限を設けることに加え、客を同定することが必要となろう。特に、勝ち負けに係る金額に上限を設けることで、随分と様相は異なることになる。立法者がこの点を考慮したか否か、専門家がこの点に言及したか否かは、大きな分かれ目にはなろう。(#昨年と今年では、私の立場は異なる。)

2015年10月1日木曜日

JR東日本連続不審火事件の模倣犯の予防は急務である

#容疑者逮捕から2週間が経過して、新たな(おかしな)展開が社会で生まれつつあるので、コメントしておきたい。

 JR東日本への連続不審火事件の容疑者は、世界情勢の「裏側」をレポートしてきた日本人ジャーナリスト、古歩道(フルフォード)ベンジャミン氏のお隣さんであるという(リンク※1)。私は、このことをTwitterまとめサイトのTogetter(リンク※1)で翌16日に知り、色々と考えて執筆した上で、17日に先の記事(リンク※2)をアップした。古歩道氏がインタビューを受けたのは、逮捕直後の9月15日であり、マスメディアがコンビニ帰りの古歩道氏を捕まえた(リンク※3)のだという。18日にアップされたネット番組(リンク※3)と24日の番組(リンク※4)で、古歩道氏は、インタビューに応じた経緯と自身の所見を述べている。この日の前後関係は分からないが、18日、容疑者は、威力業務妨害等の容疑で東京地検に送検されている(リンク※5)。

 古歩道氏は、本件放火がイスラエルのモサドの工作活動であると断定し、容疑者が古歩道氏の隣に住み始めたことも怪しいと述べている。古歩道氏は、日本社会の権力構造について、優れた分析を示している※6が、現在、陰謀論業界のスターとみなされている。そのために、今回の主張は、結果として、陰謀論業界以外ではトンデモ扱いされている。今回の古歩道氏の主張は、容疑者の両親の国籍等を理由に、事件をモサドの仕業とするものであり、あたかも、いずれも日本にいるという理由で、在特会と日本政府を確たる理由抜きに同一視するかのごときのものである。古歩道氏の今回の主張は、短絡的に過ぎる。

 しかしながら、古歩道氏の主張の真偽自体は、(そもそも私には確かめようもないものであるが、)今後の犯罪を予防する上で、重要な論点ではない。本事件が報道され、「いざとなれば、自分にも事件を起こせる」という印象が広まってしまい、テロ活動に対してJR東日本が脆弱であると思われていることこそが問題なのである。全世界の視聴者は、JR東日本の列車を止めることが簡単だという印象を植え付けられてしまっている。本事件の犯人が誰であるか、なぜやったのかが解明されたとしても、将来の事件を予防するためのハードルは、最早、下がることがないのである。一部マスメディアは、容疑者の逮捕前、プロフェッショナルの仕業ではないかとの観測記事を流したが、放火の手口自体は、それほど難しいものではない。火炎ビンのような装置で、敷地外から届きそうなところにあった可燃物に着火した、というだけである。どの設備が燃えそうかという判断は、多くの国民が下せるものである。「なぜ犯罪が行われたのか」という動機の解明は、専門知識を必要とするかもしれないが、「どこでいつ犯罪が行われるのか」という判定は、小学生にも行えるものである。以前、私は、放火を防ぐためには、公衆の手の届くところに可燃物を放置しないようにすれば良い、とNHKの情報番組『あさイチ』で解説したことがある。事件の多くが私の指摘と整合するものであったため、事件の報道に接して、私は、多くの事件についてアリバイがあることをありがたく思ったほどである。

 前記事の繰り返しになるが、テロ対策は、単なる放火対策に比べて、途方もないリソースを必要とする。本事件を単独犯として片付けてしまうと、テロ対策への準備が疎かにされかねない。放火対策だけであれは、オリンピック終了までの期間、各会場周辺を警備することに集中すれば、数十億円程度の費用ですむかもしれないし、対外的な活動も、私程度のカタコトの語学力で十分間に合う。しかし、テロ対策には、二カ国語以上を母語として使いこなせる程度の語学力を有し、母国に変わらぬ忠誠心を捧げることのでき、人間としての魅力にあふれた人材が要求される。資金面についてみると、本年の自称イスラム国による邦人誘拐殺人事件の折、中東の安定のために拠出すると安倍首相が演説した2億ドルでは、とうてい足りない。240億円では、100人が活動できるだけである(100人×4000万円×6年)。事件によって、テロ対策の必要性が満天下に示された以上、事件に備える体制づくりが欠かせない。これは、新国立競技場の建設計画に言及するまでもなく、当然のことである。わが国の指導者層や企業の経営陣が、現状に甘んじていて良いとするのであれば、その理由を積極的に示すべきときが来ている。

落ち穂拾い(1) テロ対策を念頭に置いたリソース配分が必要な理由

蛇足になるが、テロ対策にリソースを十分に割かなければ、本事件が背景のあるテロ活動であったのか、それとも真に単独犯であったのかの区別は付けられないだろう。そして、単なる放火犯として片付けた場合、今後のテロ事件は防ぎ得ない。とすれば、本事件はテロ事件であると考えた上で、対策に十分なリソースを注いだ方が良い。それが無理なら、目的と手段が転倒したものになるが、いっそのこと、現時点でオリンピックを返上し、より有益な方面にリソースを配分するというのも、テロを予防する一つの手ではある。

落ち穂拾い(2) 新国立競技場建設計画には防犯環境設計上の確認が必要

さらに蛇足。精査していないので想像で記すけれども、おそらく、新国立競技場の建設計画は、犯罪やテロ、混雑からの安全性という観点から検討されてはいないだろう。何せ、周辺部の歩行者デッキは、費用分担からして都と国の言い分が異なるほどである。官公庁は、予算がなければ動かない。民間企業に企画を丸投げなんてことも、あってはならないのに、まま聞くことである。ということは、予算で揉める前には、ほとんど検討がなされていないと見るべきである。周辺施設と連携した混雑対策・警備計画は、一顧だにされていない虞がある。実際、ザハ案は、周辺の混雑なんぞは知りませんといった具合に、デザイン重視、曲線を多用した形状である。スタジアムにおけるテロ対策は、かなり歴史がある分野である(。私も、ということを心得ているだけではある)。しかし、わが国のトップの頭の中には、総合的な安全面を検証できるだけのプロフェッショナルを招待しようというアイデア自体がない。でなければ、Jリーグやスターのコンサート後、新横浜駅や浦和美園駅が大混雑し、事故が懸念される状況を毎度経験するなどという事態は、ないはずである。

落ち穂拾い(3) 事件の発生地と古歩道ベンジャミンメルマガ発刊地はまあまあ近い

山手線南西部に事件が集中していたことは、古歩道氏のメルマガ発刊地が品川区内にあることもあり、古歩道氏にとっても警戒材料になったように思われる。渋谷や恵比寿など、ライブハウスの集中する?地域にも自転車であれば通える範囲である。なぜ知っているかって?これは偶然であろうが、発刊地が私の近所だから。ついでだが、古歩道氏は、『江戸前・あ・めーりかん』の作者の藤波俊彦氏によって、ママチャリに乗る人として描かれていた。

落ち穂拾い(4) 掲示板『阿修羅』に見られた怪しい書込み

具体的には示さないが、本事件とは別の手段によって業務妨害できるのではないかと指摘する記述が、陰謀論者や過激派やカルト宗教信者の集まる掲示板『阿修羅』に書き込まれたことがある。また、JR東日本に対しては、過激派による業務妨害が生じたことがある。わが国の安全は、何かと危うい均衡の上に成立しているのである。

注記・出典

※1 JR不審火インタビュー ご近所さんとして登場したのがベンジャミン・フルフォードではないかと朝から混乱するTL - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/874341

※2 JR東日本における本年8月の連続不審火事件の容疑者逮捕について
http://hiroshisugata.blogspot.jp/2015/09/suspect-arrested-serial-arsons-on-East-Japan-Railway-premises.html

※3 JR放火事件の犯人は工作員?【NET TV ニュース.報道】国家非常事態対策委員会 2015/09/18 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Ip9dn0SoJIA

※4 【NET TV ニュース.報道】国家非常事態対策委員会 2015/09/24 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IXxGhp09rCU

※5 JR不審火、容疑者「まだやるつもりだった」 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150917-OYT1T50045.html

※6 彼の著書『日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日』(2002年, 光文社)などによると、古歩道氏が世の中の「裏側」に深く関与するに至った契機は、経済誌『フォーブス』の太平洋支局長時代、不動産等の不良債権に暴力団 が深く関与していたことを知り、外国人としての強みを生かした取材を進めたことに始まる。古歩道氏が陰謀論者扱いされるようになったのは、いわゆる911 がインサイドジョブであったという点を、当時から著名な陰謀論者であった中丸薫に指摘され、その調査を進めて以来のことであると思う。

2015年9月17日木曜日

JR東日本における本年8月の連続不審火事件の容疑者逮捕について

#誰も見ていないようなので、寂しくなり、3ヶ月ほど放置してしまいましたが、JR東日本敷地内における連続不審火事件の容疑者が逮捕されたとの報道があり、本事件自体は終息する見込みが高いものと思われましたので、本事件の容疑者の逮捕を区切りとして、専門家としての意見を述べておきたいと思い、更新することにしました。

本事件の容疑者の犯行の動機は、桐生正幸氏がNHKの18時台のニュースのインタビューに回答した内容(つまり、不満の発散)とは異なり、通常の連続放火事件の枠を超えて扱うべきものである可能性が残されている。実際、報道記事の多くが「連続放火」ではなく、いまだに「不審火」という表現を用いており、これらの報道機関の表現は、本事件が一種のテロ事件であるという可能性を見越したものであると解釈するのが適当である。私も、テロ事件としての可能性を見越した捜査が行われることが適切であると考えるとともに、本事件を教訓として、テロ対策を含め、今後の犯罪対策が着実に進められることを期待している。JR東日本の安全担当者にとっては、定時運行、安全運輸が優先順位の首位を占めることはもちろんであろうが、今後の数年間、悪意により起こされる事件に対する備えこそ、積極的に進めてほしいものである。実は、昨年から今春までの間に、オリンピックに向けて本格的なテロ対策が必要であることをJR東日本グループに所属する複数の人物に人を通じて忠告したことが二度以上あるだけに、本事件までの担当者の感度が鈍く、また報道による限りではその印象が今も拭えないことは、返す返すも残念なことである。幸い、報道による限り、本事件は人的被害に直結していないようである。本事件を機に、安全対策を十分かつ確実なものに拡充することを期待する。(蛇足であるが、地下鉄サリン事件を通じて、東京メトロは、比較的、この種の対策に関心を払っていることを聞いている。また、地下の路線は、本事件のような一匹狼による犯行を比較的防御しやすい環境にあると考えて良いであろう。)

ところで、唐突であり、私の専門分野から外れることであるが、本事件がテロ事件であるかという可能性を探ることができ、かつ、報道可能なポイントは、容疑者に妻子がいるかどうかであろう。捜査関係者には、この点を丁寧かつ十分に調べてほしい。妻子の有無という事実関係は、容疑者の行動の背景が複雑なものであるかどうか、それとも、容疑者のSNSに示された日本国内における生活から受ける印象のような組織色の薄いものであるかどうかの判断基準となりうる。仮に容疑者が犯人であり、かつ、彼に妻子がいたとすればであるが、本事件をテロ事件だとして対策に資源を注ぐことは、回り回って大多数の日本国民の利益に適うものとなる。(この結論に至る論理と、この点から派生する課題は省略するが、これらを要望される方は、直接ご連絡いただきたい。)

桐生氏の専門分野(ここでは、動機の解明)に踏み込むことを承知で、容疑者の身上についてもあえて言及することは、私自身の考える専門家としてのルールに違反するが、「本事件を多くの可能性を含めたものとしてとらえ、テロ事件をも見据えて今後の安全対策を進めるべきである」という主張のために必要なことであった。というのは、本件不審火を専門家が単純な連続放火事件に落とし込むことは、次に生じうる事態への備えを阻害するためである。本事件を一個人による単独事件としてのみとらえると、「今後このような特殊な事件は起こらない」といった矮小化もが肯定されかねず、ひいては、実務家(JR東日本の警備業務委託担当者や警備業務受託企業等)が現状に留まることを黙認することになりかねない。反対に、本事件にテロ事件の含みを残してこそ、テロ対策を所掌とする諸関係者が今後の対策に関与し続ける理由が確保できる。いずれにしても、桐生氏の専門家としての今回の説明は、「大きく構えて小さく納める」という、佐々敦行氏の指摘する『後藤田五訓』のひとつにも反しており、かえって公益を損なう内容である。犯罪対策を的確に進める上で、今回の場合には、考えられる動機の範囲を広く取り、事件の性格を把握することはもちろん、対策も広く構想すべきである。

私は、専門家や実務家が定められた各人の持ち場・守備範囲をしっかり守っていたならば、事件・事故の際、免責されるものと考えるが、しかし同時に、事件の経緯、JR東日本の資源・重要性等を考え合わせると、JR東日本の犯罪予防業務の担当者に課せられた業務内容自体は、今後、現状よりもJR東日本という企業にふさわしいものに向上させる必要があるものと考える。犯罪の素人が単独でこのような連続放火事件を起こし、複数回にわたり鉄道の運行を停止させ得たとするならば、犯罪のプロ集団ならばどれほどの被害となったのやらと想像することは、誰にとっても自然に思いつける。(本事件では、過激派グループによる伝統的な犯行によるという線も、もちろん検討されたことであろう。)仮に、本事件を受けて従来の対策をJR東日本という人員と資源に恵まれた大企業が改善しようとしなかったとすれば、次の事件の際、その不作為の責めを受けることはやむを得ないであろう。もちろん、わが国において公共安全という分野で禄を食む者が本事件を重く見なかったとすれば、程度こそあれ、私を含めて、同様に不作為・無能力の責めを負うことになる。

本事件が一種のテロ事件であるかどうかにかかわらず、本事件から学習した潜在的な犯罪者は多数生じたであろうから、今後の同種の事件への対応は、予算上は経営判断が必要な程度の課題と化しており、また、国内外の犯罪予防関係者とのより緊密な連携・協力を必要とする状態が生じている。品川における事件の対象となった施設は、おそらく、重要施設であったがゆえに、逮捕の決め手となった防犯カメラが警備業者により設置されていたのであろうが、JR東日本も警備業者も営利企業であるから、民間に任せきりでは、おそらく、警備体制が一気に拡充されることはないであろう。かと言って、警備体制が現状程度であるならば、次の類似事件は、まず確実に予防できない。加えて、有楽町駅近くのぱちんこ店から出火した火災や、王子駅近辺の飲食店街から出火した火災、最近では京浜東北線?沿線の住宅火災などで明らかになっていることであるが、鉄道の円滑な運行には、相隣関係がそれなりに重要であるにもかかわらず、この点は、現在まで、それほど重要視されてはいない。(蛇足であるが、私が大学で学んだ都市工学は、この相隣関係や、ネットワークという観点に重点を置く分野でもある。)

日本社会がここ数年以上の大きな変動を経験しない限り、東京オリンピックの安全かつ円滑な開催に向けて官民が対応すべき業務は、社会のリソースを目一杯使い切る程までに、広範かつ深刻な状態で存在する。オリンピックの開催という大事業は、先進・成熟した社会にとっては、慎重な社会配分を必要とする難事業である。ロンドンオリンピックでは、移民や労働者階級が労働力としての緩衝材となり、需要が一段落した後には社会不安要因としての扱いを受けるなど、公正な社会という観点から見て、問題のある処遇を受けたという経緯がある。本事件については、容疑者の動機に着目するよりも、事件後の対策に注力すべきであること、社会における資源および負担の適正配分まで含んだ対策を考案・実行すべきこと、という二点に配慮した指摘をなすことが、わが国の公共放送に出演する学識経験者たる者の本分である。