http://www.47news.jp/CN/201510/CN2015100801001587.html
南相馬市立総合病院、ひらた中央病院、いわき泌尿器科の実施した検査という。内部被ばくがないというのは、にわかに信じがたいものがあった。関与した病院名から、おそらく、その筋で有名な坪倉正治氏が関与した調査ではないかと考え、Google様にお伺いを立ててみたらば、2ちゃんねる経由で次の記事が見つかった。この記事で、ようやく疑問がいろいろ解けたので、次にまとめておきたい。
子供2700人の内部被爆なし 福島など、病院グループ調査
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08HCL_Y5A001C1CR8000/
記事には、次のようなくだりが含まれる。
装置の検出限界値は50ベクレル。不検出だったことで、1年間の被曝量は16マイクロシーベルト以下と推計できる検出限界が50ベクレルという低い値で抑えられていても、計測時間が短かったり、バックグラウンド値を高く設定したり、あるいは機器と被計測者との間に遮蔽物を置いたりすることにより、放射線が検出されにくいように調整することは可能である。これらのイカサマに近い手口を初めて指摘した者を調べることは大変であり、ここでは行う余裕がない。しかし、多くの人たちによって指摘されてきたことであるから、取り立てて私が初出を調べる手間を冒す必要はないだろう。
私が指摘したいことは、ただ一点、わが国で統計を偽るようになったときは、すでに破局が見えているときである、ということである。昭和史に詳しい作家の保阪正康氏は、大本営発表について、「官僚の嘘」の典型例であり、次の段階を踏む展開を経たと述べている。(2009年の『官僚亡国』pp.23-24、初出は『文藝春秋』2008年11月号)
- 事実を伝える(戦果の上がっているときは頻繁に)
- 事実の表現を歪める
- 事実とは異なる表現に変わる(「撤退」を「転進」)
- まったくの虚偽のを情報を伝える
- 沈黙する
保阪氏は、佐藤優氏との対話もふまえ、「官僚は間違える」「(#公益や省益ではなく)個益を追及する」という前提に立ち、個別の事例について担当者の無能力や無責任を問うていくという、「冷めた官僚論」を築く必要がある、と指摘している(pp.38-40)。
統計の操作が破局を目の前にした官僚の弥縫策の表れであるという主張も、すでに多くの人が指摘したことである。なので、ここには私のオリジナリティはほとんどない。私は、私なりに「枯れたアイデア」の変奏曲を演奏しているに過ぎない。しかしながら、なぜ、われわれは、この種の愚行を十分に防いでこれなかったのか、と考えることは、失敗の本質を突き止めるためにも必要なことである。また、その考察と、考察から得られた教訓の実践は、福島第一原発事故という新たな破局を経験し、かつ、その破局に責任を有する世代の責務でもある。
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメントありがとうございます。お返事にはお時間いただくかもしれません。気長にお待ちいただけると幸いです。