TPPの最重要点は関税ではなく「ルール統一」にある|今週のキーワード 真壁昭夫|ダイヤモンド・オンライン
http://diamond.jp/articles/-/79803
また、TPPのような格好で、世界の主要国が経済活動に一定のルールを定める方向に進む可能性もあるだろう。それが実現すると、TPPで決めたルールが世界のデファクトスタンダードになることも考えられる。真壁昭夫氏は、上掲リンクの記事の末尾において、先のように結論しているが、TPPのような形で経済活動に実定法型のルールを課す方法は、今後、次段落以降に示す3点の理由により、これ以上は浸透しない可能性が高い。よって、創業者利得もないし、デファクトスタンダードも生じないだろう。むしろ、足抜けを図る国が出てきても、おかしくない。ただし、今後の日米関係は、TPPの成立不成立と関係なく、似た方向に進むと考えられる。
その場合には、TPP参加国は、世界の経済活動ルールの創業者利得を手にすることができるかもしれない。(略)
第一の理由は、現在のTPPが、加盟国中で第一位の経済力を有する米国が加盟国中で第二位の日本の市場開放を主眼に据えるものであり、わが国(日本)や韓国ほどに(それ以外の他国から見て、)米国の影響下にある国がほかには見られないためである。米国の影響力とは、駐留米軍の存在、アメリカ文化の影響、国内政治家等とのコネクションなど、多方面に渡るが、そのいずれもがTPPへの加盟に欠かせない要素であった。その傍証としては、フィリピンを想起すると良い。イラク、リビア、アフガニスタンについては、事実上、米国に本拠を置く大企業に多くのビジネスを牛耳られており、TPPのようなルール形成は、すでに不要である。韓国は、アメリカとFTAを締結している一方で、中国からの関与を積極的に受容しつつある。今後、日本(や他の加盟国)が没落する様子を目の当たりにした他国が加盟を希望するかを考えてみると、TPPのルールが世界のデファクトスタンダードとなるためには、外患や内乱などの恐怖や不自然な政変がそれらの非加盟国(のみ)に蔓延するという、極めて不可解な状況を必要とするであろう。EUやTPP加盟国以外の各国は、WTOやEUやTPPの現状を参考としながら、代替的な貿易ルールの構築を模索するに違いない。TPP加盟に前向きと見える国として、インドネシアを挙げることができるが、発効条件が示された後の宣言であることに注意を要する。米国内における反対論も存在し、その推移によっては、TPP自体が不成立となる公算も十分認められるのである。(中国の発言も同様のロジックによると思われる。これら大国の加盟検討に前向きな発言は、国際関係の軟化を図る方便だと考えた方が良い。)
インドネシアがTPP参加の意向表明、貿易相「2年以内に」 | Reuters
http://jp.reuters.com/article/2015/10/09/trade-tpp-indonesia-idJPKCN0S31AE20151009
第二の理由は、TPPが母語や輸送距離(の長さ)などの非関税障壁の撤廃をも求めることで、TPPの不寛容さが他国に知れ渡ることになり、それゆえに他国が加盟を見送ることになるからである。非関税障壁は、通常の貿易による限りでは、ゼロにすることが不可能である。TPPを世界の経済活動ルールのデファクト・スタンダードとするには、これらの非関税障壁に対して、新規加盟国が納得できるような公正さに基づき、ルールを整備する必要がある。残念なことに、最も規制の緩やかな一国の事情を他国に強要するという形で、これらの非関税障壁の撤廃が図られるという懸念は、現実のものである。医療における母語と農産物の輸送距離とに限定して、以下、その懸念を素描しよう。これらの懸念が現実のものであるならば、新規に加盟を検討する諸国は、おそらく、TPPが国民を解体し、国家の主権を脅かすものと認識し、加盟を見送ることになるだろう。
わが国では、母語が非関税障壁とされて利用できなくなるという懸念は、普遍的なものである。医療分野については、加藤文子氏が、以下のように非関税障壁として日本語が扱われる懸念を報告している。
加藤文子, (2011). 「TPP参加議論をめぐる一考察―医療分野を中心に ―欧米の労働市場との現状比較をふまえて―」, 『実践女子大学人間社会学部紀要』7, 77-88.
(KJ00006995579.pdf)
日本語という言葉の壁が大きくたちはだかり、さらにはわが国特有の文化や習慣・医療現場でのルールや患者との接し方なども障害となると考えられるからである。 事実、看護および介護の現場ではEPAに基づき数百人の外国人を候補者として受け入れたが、わが国で資格を取得して就労に到った者はごくわずかである(。)医療における言語の問題は、単に患者と医者との関係に留まるものではないが、患者と医者の関係に限定しても、外国で患者となることは、なかなか難儀なことである。専門用語辞書に容易にアクセスできるようになった現在なら、ひと頃に比べてその困難さは、軽減されているかもしれない。しかし、全員が最低限の医療を受けられるという普遍的な人権の確保を目標とした場合、かかりつけ医を支えるITシステムのバックヤードがたとえ英語で動作していようとも、そのフロントエンドは、地域の母語に全対応していなければならない。かかりつけ医で対応できない難病でさえも、小国であればともかく、まだ1億人の人口を抱えるわが国においては、日本語で受診でき、十分な治療が公正な価格で受けられる権利が確保されているべきである。高額でも良いからオプションとなる手術等を受けたい患者には、加盟国間での自由な渡航と必要なだけの滞在が許可され、治療が市場価格で提供される、ということがあって良いだろう。TPPとは関係なく、この種のオプション自体は、制限されるべきことではない。しかし同時に、基礎医療を守ることは、このオプションの認可と両立する施策であるはずである。基礎医療にまで手を付けようとする強欲ぶりは、批判の対象となって当然である。
農産物の輸送距離という非関税障壁は、流通業というビジネスのあり方と密接に関係する。個別の生産者や消費者にとって、関税の自由化は、必ずしも致命傷になるわけではない。ただし、日本国内の農業や流通業を大所高所から見るのであれば、関税の自由化は、(1)大多数の消費者が消費行動を変化させず、(2)流通業者もその変化を反映するビジネスを向上させず、(3)多数の生産者がその変化に追随できずに脱落するという経路を通じて、わが国の農業にとって致命的な結果をもたらすと容易に予測できる。経済活動が統一化されたルールに従っていようがいまいが、ある地域における経済の状態は、ルールや外部環境に変化がない限り、ある状態で安定する。いくら野菜の単位当たりの生産量が外国では安価であり、かつ、野菜が食用に適さなくなるまでの間に輸送可能であるとしても、その輸送費は、価格に反映せざるを得ない。米国産の農産物としては、根菜類の多くや果物、一部の葉物(ブロッコリーやアスパラガスなど)が流通しており、大変な競争力がある。しかしながら、国産品を求める消費者にとって、米国産品との価格差は、太刀打ちできないものではない。事実、米、緑茶、ジャガ芋、サツマ芋、乾物、チーズの多くは、私の家では、国内品を取寄せや現地等で購入している。問題を生産者、流津業者、消費者の三者からなる問題として定式化した場合、価格を最優先する家計がどれほど存在するのかが、消費者に起因する問題の本質である。より大きな問題は、流通業者の介在によって、生産者と消費者が相互に匿名化されており、その状況がときに悪用されていることにある。生活協同組合は、長らくその空隙を埋める形で流通経路の明瞭化という機能を果たしてきたが、今や、インターネットという販売機会もある。生半可なGoogle検索では、なかなかヒットしないのだが、大西洋やインド洋の青魚から取れたことが確実なDHAサプリがあれば、私は、それを購入したいと思っていたところである。個人的な話に終始するのは論理的でないように思えるが、真壁氏の議論は、自分で買物もしないかのような生活感のないものに読めたため、このような方法で攻めてみるのも有用かと思った次第である。
三点目の理由は、大企業に有利な自由主義の行き過ぎは、必ずしも資産家やエリートにとってゴキゲンな生活を保障しないために、国によってルールが異なる方が、結果として、資産家やエリートに快適な生活を提供することになる、という逆説である。生活は、単に大企業の経済活動によってのみ実現するものではない。EUという枠組は、焼き畑農業的なTPPとは異なり、今後も残ると私は考えている。なぜなら、EU加盟国における富裕層自身が、その快適な生活を支える社会基盤がEU加盟国における生活の伝統にあることを理解していると見えるためである。EU諸国における移民の問題は、域内の東側諸国からの移民も問題視されているが、それ以上に、域外からの異なる文化的ルーツを有する移民こそが問題視されている。(その点、ドイツにおけるトルコ系移民は、域内移動において文化的摩擦が顕在化した例外的事例と見ることも可能である。)EU加盟国における上流階級の生活は、加盟国内の多数の熟練労働者により支えられている。安全な食品の生産者や高級料理人、各種の高品質な日用品の職人など、専門性の高い労働者たちが安定的に生活できる社会環境こそが富裕層の生活を担保しているという認識は、当該社会のエリートの共通認識であろう。それゆえ、シリア難民の問題も、難民に隠れて悪事を企む過激派の活動も、やがては適正に解決されるものと、私は予測している。
下記のニュースは、大企業に有利な自由主義が快適な上流階級の生活を保障しないという、端的な事例である。上記の真壁氏の論説自体は、今月(平成27年10月)13日付であるが、今日(25日)、本記事を執筆しようと思ったところにこのタイムリーさは、新自由主義が快適な上流階級の生活を保証しないことを示す何よりの証拠である。真に上流階級慣れした社会なら、後日会計に伺うとしてその場はツケにするというのが、まず考えられる流れであろう。本記事は、夫人のカードで決済できたと伝えるが、カード会社の不手際であることは間違いないのだから、私が担当者なら、店舗で立て替えたことにする。カード会社の端的な出方は、支払う/支払わないの二通りあるが、どちらに転んでも店舗の名声には傷が付くことはないし、カード会社も汚名を被ることはなかったかもしれない。
CNN.co.jp : オバマ氏、料理店でカード使用拒まれる
http://www.cnn.co.jp/fringe/35055344.html
現在のわが国の店舗であれば、オバマ大統領を迎えるほどの格式を有する料理店の従業員が、記事にあるように、その店の名声に関わるような対応を行うことはないであろう。しかし、TPPにより、ガタガタになった後のわが国では、どうであろうか。大きな国の中で、文化的な生活を享受するためには、その文化を支える国民にも相応の教養が求められるのであり、その国の国力以上のものを期待することは、不可能なのである。ブルース・ブエノ・デ・メスキータ、アラスター・スミス(2009=2013)『独裁者のためのハンドブック』(リンク)は、独裁者にも少数の忠実な友人や、さらに周囲を取り巻く影響力のある集団を必要とすると観察しているが、移動、旅行、観光の自由まで含めた、真に高度で文化的な生活を享受しようと思うのであれば、国内の「取り替え可能な者たち」も、それなりに満足して生活を送ることができている、という条件が満たされる必要があるのである。
以下は、感想である。わが国の地方部の宿泊業においても、大企業が高級会員制ホテルの経営に乗り出したり、地方の有力観光企業がM&Aなどにより地場の有力ホテルを購入したりという流れが、今世紀初頭から形成されつつあるようだ。しかし、あくまで客の意見に過ぎないが、中小の宿泊施設にも決して商機がないわけではないと思う。(それがおおむねすべての企業にチャンスのあるものであるかどうかは、大変難しい問題であると感じる。)事実、宿泊先として中小企業を選択する割合は、わが家の実績では費用にして2倍強に達する。このような特殊な客がいないわけではないだろう。そこでの課題は、やはり、需要と供給を結び付ける情報の的確さと、客に問題ないと思わせるサービス水準と価格設定との調整であろう。
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