2015年11月2日月曜日

放射性廃棄物の最終処分地としての日本への道筋を予測する

#読者諸賢は、本記事の内容に不愉快さを覚えるかも知れない。この点を、あらかじめお断りしておく。なお、最終処分場の是非をめぐる構造を理解する上で、本記事よりも、松本三和夫氏の『構造災』第4章が優れていると思う。最終処分場の建設を巡る構図を的確に理解するために、ぜひ一読を勧めたい。本記事は、松本氏の論考とは別の項目を扱うように、わが国の悪い側面を記したつもりであるので、松本氏の議論に納得がいったとすれば、読んでおいても損はないはずである。

 日本が今後、世界各国の放射性廃棄物の最終処分地となるという話は、陰謀論界隈では常識の部類に入る。この説を公益に役立つように流通させるためには、いつ・どのように、という経緯の推定が必要となるが、この予測を正確に行うには、相当の知恵が必要となろう。しかし、学術上の正確さを期するあまり、何が生じるのか、今後の予測をまったく行わなければ、99%の国民は、最期の日までも、1%の仕掛けるマッチポンプに容易に騙され続けることになる。本記事執筆の動機は、玉石混淆の公開情報の分析を通じて、陰謀論とのラベリングにより不当に貶められてきた「日本=最終処分地説」を、より正統な地位へと引き上げることが可能ではないか、と考えたことにある。

 本記事は、日本が今後、世界各国の放射性廃棄物の最終処分地となるに至る最もあり得る経緯(シナリオ)を、定性的に予測するものである。そのシナリオとは、福島第一原発事故による放射能被害を受けて、今後の数年間のうち、3~8年後には受入れが進むという流れである。

 近いうち、チェルノブイリ原発事故と同様、宮城から首都圏に至る広範な地域で、低放射線に起因する疾患までもが顕在化し、その結果、労働集約的な産業において、労働力不足に起因する機能不全が目に見える形で生じる。それらの産業として、介護業や土建業、配送業が例に挙げられる。介護業の人手不足は、十分に知られている。サービス需要者=高齢者の地域流動性が供給者=企業の地域流動性よりも低いため、その需給のギャップは、家族が負担するしかない。家族の成員の一人以上が非正規雇用者へと変わることを通じて、労働力不足は、間接的に促進される。土建業の人手不足の理由は、復興事業と東京オリンピック関連建設事業が重複したこととされているが、汚染地域で埃を巻き上げる中で十分な防護なしに仕事している以上、現在より1~6年の後には、建設労働者の健康問題が顕在化し始めると予測される。配送業については、国交省(旧運輸省)の検討会の提言をマスコミも報道しており、現在の需要(つまり荷物量)が全就業者の処理容量を超えつつあるものと思われる。

物流:「物流問題調査検討会」について - 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/seisakutokatsu/freight/seisakutokatsu_freight_tk1_000048.html

 人手不足がマスコミで喧伝された結果、大量の移民を受け入れるべきという論調が支持を得るであろう。人口減少の推移をふまえれば、介護業や土建業や配送業の労働力確保を図るよりも、コンパクトシティという名の下に、現在の日本人人口の分布に合わせて都市を集約した方が、効率という点で遙かに優れるが、不動産から利益を得る企業や地主は当然のこと、日本国民の大半も、そのような縮小再生産的な動きを許容しないであろう。最初は、東京オリンピック関連事業のために数万~十数万という規模で建設労働者の就労が認可されるであろうが、最終的には、許可人数は、不動産需要を喚起するため、数百万人単位に達する場合さえあり得る。同時に、門戸を広く開放しないと男女比が著しく偏ることから、「移民による性犯罪」などの報道をフックとして、移民女性に対して、介護業を始めとして、彼女たちが働きやすい多くの業種が開放されるようになるであろう。現実には、女性の興行ビザが多く下りており、彼女らが本国から家族を呼ぶという流れが定着しているとともに、彼女らの多くが東京近郊の食品工場など(女性に取っつきやすく、資格が求められない分野)で働くなどしているようである。海外の移民社会をみる限り、出身民族同士の結婚が多いように見受けられる。介護業は、わが国における結婚において、今なお家族の意向が影響するという現実ゆえに、国際結婚を増やす可能性があるものの、同時に、移民との軋轢を増やすだけに終わる可能性がある。このような形で、おそらくわが国では、移民社会が成立することになる。現に、移民の多い地方自治体では、3.11前から、エスニック化が加速しつつあった。

 移民の是非を本格的に議論し始めたころから、3.11以降にわが国で就労・留学した外国人にも健康障害が出て、それらの外国人への賠償が各国で相次ぐ可能性が認められる。先行する事例として、トモダチ作戦の被害者の集団訴訟を挙げることができるが、この訴訟は、2014年10月28日にカリフォルニア州で本格審理に入った。この訴訟では、10億ドルの基金設立の仮判決?が示されているが、結審はしていない。ほかの外国人の被害者も、トモダチ作戦における被害者より低線量被曝である可能性が高いものの、トモダチ作戦の集団訴訟の判決が世界に周知された後には、各国で訴訟を起こす可能性が認められる。

トモダチ作戦2名が死亡~東電訴訟、本格弁論へ | OurPlanet-TV:特定非営利活動法人 アワープラネット・ティービー
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1863

※その後の進展については、英語でもめぼしい記事がGoogle検索にヒットしない。おそらく、審理中ということだと考える。

 福島第一原発事故の賠償については、「原子力損害の補完的な補償に関する条約(CSC条約)」への加盟により(2015年4月15日発効)、原則として、事故発生国であるわが国で裁判が管轄されるようになり、賠償の原資は拠出金で賄われるようになったが、これにもかかわらず、トモダチ作戦の集団訴訟の判決に続く形で各国の被害者が多数の提訴をなした場合、CSC条約に係る多くの不備が明らかになることが容易に予想できる。トモダチ作戦の集団訴訟の判決は、米国というわが国に多大な影響力を有する国におけるものであるため、日本国政府のCSC条約加盟に係る目算とは関係なく、多くの判決がこの集団訴訟に倣う形で下されるようになるであろう。CSC条約加盟国は、アメリカ合衆国、アルゼンチン、モロッコ、ルーマニア、アラブ首長国連邦、日本の六カ国であり、その拠出金は、結局、日本国が大部分を負担することになるであろう。結果として、加盟にあたり日本国政府が期待したような効果は、賠償金についてはきわめて小さなものに留まる。

※CSC条約への加盟は、2014年以前は慎重に進められていたように見受けられるところ、トモダチ作戦の集団訴訟を受けてなのか、2014年6月末に加盟が本格的に検討されていることが明らかとなり、2014年11月19日に国会承認、2015年1月15日に署名ならびに受諾書の寄託という流れで急ピッチで進められた。CSC条約は、日本の加盟により、条件が満たされるようになり、発効した。東京新聞によると、日本国政府は、賠償請求額が青天井となることを防ぐと同時に、原発輸出への障害を取り除くことを目的として、CSC条約に加盟したと見られている。

asahi.com(朝日新聞社):原発賠償条約、加盟を検討 海外から巨額請求の恐れ - 東日本大震災
2011年5月29日3時5分(松田京平)
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105280573.html

東京新聞:原発事故 メーカー免責 政府が加盟目指す「原子力賠償条約」:社会(TOKYO Web)
2014年6月30日 朝刊(Internet Archive Wayback Machine収録分)
https://web.archive.org/web/20140702180456/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014063002000107.html

原子力損害補完的補償条約 | 外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/ila/trt/page22_001625.html

 外国人の放射能被害の患者は、同一期間内に一般の日本人が被曝した線量に比べ、より多量に被曝していた可能性が十分に認められる。もともと、CSC条約は、被曝地や被曝線量の多寡について差別しないという規定を有してはいる。それとは別に、外国人単純労働者こそ、被害の顕在化しやすい高リスクの生活を送っている虞が認められるのである。現在のわが国では、高度人材のみ外国人を受け入れるとしているところ、研修制度や留学を利用して、多数の外国人が多様な3K業務に就労している。彼らの多くは、放射能の危険性を十分に理解していなかったり、あるいはその影響を軽視したからこそ、日本に就労・留学したとも推測される。このような者たちは、コストを優先するために、食事や吸入防止に留意しない可能性が高い。騙されたり積極的に身分を偽ったりして、福島第一原発で働いているという可能性さえ、否定することはできない。少なくとも、いわゆる日本人浮浪者が氏名等を偽り、短期間のうちに福島第一原発で年間許容範囲を超えて従業していることは、何層もの請負ピラミッドに隠されてはいるが、公然の秘密となっている。

※研修制度で3年、留学で5年程度(修士2年+博士3年など)と思われる。

 いずれ、外国人患者に対する賠償金は、原子力事業者である東京電力が最終処分場の建設と運営を願い出て、これを政府が認めるという形で、捻出されることになるであろう。外国人患者の賠償金請求を無視することは、トモダチ作戦裁判という前例に加え、日本の立場の弱さを考慮すれば、不可能である。国際社会も、その前例に便乗して、汚染地域の復興が無理であること、最終処分場の建設と運営を通じて賠償金を確保すべきこと、の2点を主張するであろう。わが国では、原子力発電所の再稼働の是非とは関わりなく、最終処分ビジネスも、賠償金の負担を相殺するために並行して進められることになるであろう。トモダチ作戦従事者ではない外国人患者の存在が顕在化するときには、日本人労働者の多くも各種の疾病を患っているであろうから、競争力のある産業分野でさえも、国内労働力に基づく競争力だけでは、外貨を稼いで賠償に充てるための税金を支払うことが困難になっているかも知れない。#今日(11月2日)の読売・朝日・日経の三紙のいずれかには、製造業の就労者さえ減少しているという記事があったはずである。

 おそらく、こうした動きの中で、日本国政府と一部の外国政府との間で、日本国内の外国人労働者に対する就労条件として、健康被害を訴えないことという合意がなされる可能性が認められる。外貨の欲しい貧しい外国政府の指導者の中には、国内の貧しい失業者にインセンティブを与え、日本で就労させる代わりに、日本国政府から援助を取り付けるといった取引を持ちかける者が出てくるかも知れない。安価な使い捨ての労働力ならいくらでも欲しい日本国政府は、国内で貧困層の再生産すら期待できなくなることから、このような動きを大歓迎するはずである。チェルノブイリの生態系では、汚染地域に周辺から生物が流入し続けて短命で死ぬ結果、個体数に平衡が生じているように見えるという状態が続いている。わが国でも、外国人単純労働者を巻き込んで、このような非人間的な処遇の流れが生じることは、絵空事とは言えないのである。

 こうして、かつて、各種のビジネスの名の下に大量の産業廃棄物を発展途上国に輸出していたわが国は、放射性廃棄物については、逆に場所を提供することになる。実際のところ、10万年以上の期間にわたり放射性廃棄物を管理し続けるという作業は、とてつもない挑戦となる。ゆえに、管理事業は、安価に比較的高度な教育を受けた人材を継続的に必要とする。日本人貧困層は、そのためにも再生産され、教育されるであろう。こうして、米国におけるネイティブ・アメリカンに対する仕打ちと相似形のディストピアは、わが国にも出現するのである。



 以上の素描は、まったく当たらずとも遠からずだと考えている。以下は、より多くの悪念が入る想定である。その正確性は、上記とは別個に評価されたい。

 福島県の浜通り地方はもちろんのこと、私の住む東京都城南部でさえも、チェルノブイリ事故後のウクライナ共和国の基準に従えば、居住制限地域であるために、最終処分場の候補地として適地であるとみなされるであろう。利害のない第三者は、放射性廃棄物の最終処分場は、すでに汚染されている福島第一原発周辺かチェルノブイリ原発周辺とすべきであると主張するはずである。最終処分場の立地にあたっては、地層や地下水等についての慎重な選定が必要なことはもちろんであるが、世界中の大半に人類が分布し、全世界のほぼすべての地域に国家主権が及んでいる以上、すでに汚染地域であるという条件は、最終処分場の候補地として、あまりに有力である。チェルノブイリ原発所在地のウクライナ共和国の国情は、安定しているとは言いがたいが、わが国の状態は、そこまで深刻ではない。この点も、わが国が最終処分場とされる可能性を増加させている。

 最終処分場の建設と運営は、ビジネスとして見れば、原子力発電を再稼働する方向とも、廃炉とする方向とも併存可能である。最終処分場は、すでに廃棄物が存在するという現状があり、超長期的な観点が必要とされるがゆえに、原発の是非に関わりなく検討されなければならない。この独自の論理があるために、最終処分場に対する賛否は、個人の信念とも関係なく、決定されるべきものとなる。この性質と決定に伴う責任の重大さゆえに、最終処分場に係る決定は、わが国では放置され続けるであろう。

 ここで、冒頭の松本氏の『構造災』4章の議論にはない、私が指摘しておきたい最悪のケースがある。それは、最終処分場ビジネスの推進に伴い、日本人が一般に有する価値観の競合状態が悪用されるという虞である。生命・健康を大切に思う価値観と、故郷や土地を大切に思う価値観は、日本型リベラリストの中で、あるいは日本人全般の中で共存している。これらの価値観は、もちろん、同一ではないし、分割不可能でもない。他方で、最終処分場の選定に先立ち、福島第一原発事故そのものに係る賠償を抑制するために、帰還政策が推進されている。帰還政策とともに、あるいは政策の推進後に最終処分場の受入れを進めることは、最悪の政策の組合せである。帰還者の故郷に対する愛着を悪用し、その健康や生命を損なわせるばかりか、その後のその機に乗じて三里塚闘争のような長期を要する土地収用を避けるかのように、人々の目には映るからである。

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