2015年11月13日金曜日

落合莞爾, (2012).『明治維新の極秘計画』, 成甲書房.

蜷川新氏は、幕末の忠臣として名高い小栗忠順氏(小栗上野介)の義理の甥である。『維新正観』は、同志社大学の国際法の教授などを務めた蜷川氏による明治維新再考論である。昭和27年、つまりわが国の独立後の間もない時期に世に問われた同書※1は、薩長史観ともいうべき教科書的記述に真っ向から対立するものであった。同書で、蜷川氏は、蜷川氏の義理の伯父※2であった小栗氏が暗殺されたと述べ、犯人の原保太郎氏から、直接そのことを聞いたと記している。このような証言は、一次資料であり、学問分野により取扱に差が見られるが、一般には、その真偽が慎重に検証されるべきであるとされる。

実は、今回の書評(というかメモ)の対象は、蜷川氏の『維新正観』ではなく、落合莞爾氏の『明治維新の極秘計画 「堀川政略」と「ウラ天皇」』(2012年, 成甲書房)である。星は★★★★☆(4つ)、学校で日本史を学んだ日本人なら、異説として楽しく読めると申し上げたい。「落合史観」の特徴として挙げておくべきことは、事の真偽はともかく、前の記事で紹介した鬼塚英昭氏の『日本の本当の黒幕(上・下)』に比べ、流血の量がかなり少ないことである。しかも、落合史観では、英王室スキャンダルにインスパイアされた英国の映画『バンク・ジョブ』※3もびっくりのどんでん返しが大盤振る舞いされる。

ネタバレを防ぐためにも『明治維新の極秘計画』の説明は、以上で十分なのだが、「陰謀論」の業界地図を作成するための作業の一環として、あえて、落合氏の説明で最も説明が苦しい点、つまり蜷川新氏が原保太郎氏から小栗忠順氏の殺害を直接聞いたことに触れず、「"官製史学"では」小栗氏が斬殺されたと記す〔p.263の写真題字〕点を指摘しておこう。鬼塚氏の描いた田中光顕伝は、多くの要人の血に塗れたダーク・ファンタジー風であるが、鬼塚説に対して、落合氏の描く明治維新は、要所要所に「義経伝説」を取り入れたことにより、よりロマン溢れるものとなっている。落合氏は、明治維新期に殺害されたとされる要人には、自身の死を偽装して、日本国の将来のために益々貢献した者も含まれるというのである。小栗氏は、まさにその一人であり※4、落合氏の予測では、榎本武揚の準備の後、塚原昌義が誘導し、フィラデルフィアに亡命したという〔p.269〕。本書には、小栗氏が旧三井物産の米国支社を立ち上げたとする「さる筋」からの解説がある〔p.262〕。

落合氏は、小栗忠順氏をこれほどに維新の立役者として顕彰するのだから、ぜひ、この点については、証拠を「さる筋」からの伝聞だけに頼ることをせず、本書でも探究の跡を示し、一次証拠である蜷川氏の主張を論駁して欲しかった。小栗氏は、Guido Fridolin Verbeck氏(フルベッキ博士)の1868(明治元#落合氏の説〔pp.289-290〕)年の「フルベッキ群像写真」に唯一写されていない維新の立役者ともいう〔p.290〕ほどであるから、なおさらである。この点の説明不足が手抜き過ぎるので評価の星を減じたが、しかし、私は、鬼塚説よりも落合説の方が好きである。ノブレス・オブリージュという語には、賢明さが含まれているべきであり、落合説に示された内容が本当であれば、鬼塚説に比べ、日本国には、まだまだ希望が残されているように思うからである

※1 今回参照したのは、昭和28年第5版を底本とした、2015年の礫川全次氏による復刻版であり、「秘められた日本史・明治篇」という副題がある。礫川氏の校注は、大変丁寧で参照する価値があると思う。

※2 叔父かも知れないが、確認は別の機会があればとしたい。

※3 ここの部分も書き飛ばしであるので、ここの確認も別の機会があればとしたい。最近、某ケーブルテレビでヘビーローテーションだったので見たのだが、これも大人の皆様にはお勧め、星は★★★★★(5つ)。

※4 ほかの事例は、落合書の要点なので、ここでは述べない。


例によって、以下、落ち穂拾いを記す。

#これでようやく、鬼塚史観だけではない、わが国の陰謀論の奥深さを示すことができたように思う。陰謀論者がまったく説明を試みないことのうち、私が訝しんでいる点は、次のとおりである:なぜ、伝統的な史学者が陰謀論に示された学説を一顧だにしないのか、また、蜷川氏のような「知るべき立場の人」にも「事実」が開示されないのか。これらは、現在の学問の広がりから言えば、相当フレッシュな課題である。科学・技術・社会論(STS)によっても説明できる題材とも思われる。これらの疑問は、あまりにもハイブロー過ぎるものであろうか。私の頭がイカれているのか?どうか、私の頭がイカれているだけであって欲しい。なぜなら、陰謀論の幾分かが史実であるとすれば、なぜ、現在の史学コミュニティがその誤りを追究できなかったのか、という議論に必ず行き着くはずであるし、また、そうした議論が行われるとき、念頭に置かれる構造は、フクイチ事故と同型のものになるであろうからである

#興味がある話題をGoogle検索したとき、「れんだいこ」氏のサイトの記事がよく上位に来る。密かに、素晴らしい先達だと思っている。本件でも出てきたが、あえてほかのところで出典を求めるようにしている。そうすれば、逆説的に、れんだいこ氏の言うことがほかの信憑性の高い資料を基に練られており、多くの範囲をカバーしていることが分かるからである

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_40_1_furubekkico.htm




2017年11月8日修正・追記

レイアウトをbrタグからpタグ中心に変えた。

以下、ネタバレ注意であるが、本ブログの読者なら、とっくにご存じのことであろう。

落合氏は、現時点までの間に、フルベッキ写真の中央に写された人物を大室寅之祐とする自説を撤回している。ただし、落合氏は、この自説と『明治維新の極秘計画』の主題である「大室寅之祐=明治天皇説」を別個に取扱うべきである旨を、斎藤充功氏との共著[1]に述べている。落合氏は、法人類学(forensic anthropology)研究に基づく写真鑑定の結果を「これに遵うほか」[2]ないと結論する一方で、落合史観の要諦である「大室寅之祐=明治天皇説」については、2016年7月の『ワンワールドと明治日本』に至るまで、見方を変えていない(ものと判断できる)。「落合・吉薗秘史」シリーズ3巻を確認できてもいないので、これらに対する私自身の見解は、宿題としておきたい。


[1] NDL-OPAC - 書誌情報
(落合莞爾・斎藤充功, (2014.9). 『明治天皇"すり替え"説の真相 近代史最大の謎にして、最大の禁忌』, 東京: 学研パブリッシング.)
http://id.ndl.go.jp/bib/025623363

[2] 明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌 - 落合莞爾, 斎藤充功 - Google ブックス
(2017年11月8日リンク確認)
https://books.google.co.jp/books?id=DZgSBgAAQBAJ&hl=ja&pg=PT6

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