http://kamogawakosuke.info/2015/10/19/no-1128-%E4%BA%BA%E6%96%87%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%81%AE%E5%BB%83%E6%AD%A2/
賀茂川耕助氏の上記記事を読み、以下のように思った。企業経営者は、四半期を目処に業績を見通すことができれば、それで十分である。人文系の学問を修めて世の中を導く人は、四半世紀を見通さなければならない。拙劣な人文教育の結果、四半期先しか見通す能力のない人物が増加したとすれば、ますます四半世紀の先を見通すことが絶望視されるようになるのではないか。この感想が正しいならば、人文教育には、企業経営より100倍長期の視点が求められることになる。
現在、竹内久美子(1996)『賭博と国家と男と女』文春文庫(初出1992)と、増川宏一(2012)『日本遊戯史 古代から現代までの遊びと社会』平凡社などを、同時に読んでいる。竹内氏の著書については、四半世紀ほどを迎えようとする現在の視点から見れば、動物社会の生存戦略についての前半部は、構成も良く練られており、世相を反映する資料としても後世に残るだろうが、対照的に、人間社会の男女関係に係る戦略についての後半部は、人文教育の貧困ゆえに疑似科学の一例として取り上げられるのではないかと懸念される水準である。他方、増川氏の著書は、半世紀経過したとしても、当時の遊戯研究の集大成として、きっと残るだろうと思われる。人文教育には、固有の水準と時間感覚がある。その時間感覚は、世代を超えて継承されることを前提にするものである。大事なことなので繰り返すと、世代を超えたとしても有効さを保つ知恵を継承できること、が人文教育の要点である。
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