2015年11月19日木曜日

テロ対策としての非常事態法制は時期尚早である

非常事態宣言、日本は可能か 憲法に規定なし…「テロとの戦い」欠陥に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151119-00000073-san-pol

産経新聞 11月19日(木)7時55分配信
 フランスのオランド大統領(...のような...)対応が可能なのは、緊急事態に対応するため、一時的に国の権限を強化して国民の権利を制限する「国家緊急権」が、憲法や法律に設けられているからだ。国際テロの脅威は日本にとって対岸の火事ではないが、憲法には同様の規定は存在せず、「テロとの戦い」の欠陥となっている。

 産経新聞のこの主張は、日本人の国民性の良さを信頼しないものであり、非常事態宣言を論じる前に、現政権に正すべきことを指摘しない、欠陥のあるものである。第一に、現政権は、安保法案の審議を通じて、国民の信頼を失った。第二に、東日本大震災のような未曾有の非常事態においても、国民の多くがリアル社会においては総じて冷静に行動した一方で、エリートパニックがむしろ多く見られた。第三に、非常事態を宣言するという行為は、テロに対して「豊かな社会」が敗北した象徴となりうるという、諸刃の剣でもある。運用次第では、日本社会や経済の衰退を決定的に促進しかねない制度である。こうであるところ、産経新聞は、第一に、現政権が安保法案で失った信頼を取り戻すよう助言しておらず、第二に、「話せば分かる」国民を信頼せず、身勝手に、かつ混乱して行動しがちなエリートに全権を委ねることを推奨し、第三に、日本社会や経済が非常事態宣言の継続により著しく低下する危険性を指摘していない。

 第一の論点、現政権が安保法案の審議を通じて国民の信頼を失ったことについてのみ、補足しよう。間接民主制は、必ずしも個別の論点についての国民の賛否を反映しない。よって、現政権が非常事態宣言を法制化することに対して、国民が賛成しているかどうかは、国民に聞いてみなければ分からない。ところで、安保法案審議時、国民は、確実に大多数が反対していたが、現政権は、制定を強行した。現政権にとって困ることに、戦争という対外関係に係る安保法案の審議のあり方は、現政権に対する国民の信頼を著しく損なった。この事実をふまえると、パリの同時テロ事件があったとはいえ、非常事態法案に対しても、相応の割合の国民は、猜疑心を持つであろう。非常事態法制は、本来なら、国内事情に限定されるために国民の賛成を得やすいはずであるにもかかわらず、安保法案の審議の後となったために、成立へのハードルが上がることとなったのである。

 非常事態宣言つまり戒厳令は、無実の国民の権利を著しく制限するものであるから、立法府に信頼が寄せられていないときに制定すれば、必ず禍根を残すことになる。

 人災に対する危機対応が十分に可能となる法制の必要性は、かねがね司法関係者から提起された主張であり、テロ行為に十分に対応できる根拠法がない、という現実に基づくものではある。ただし、最も大事な課題は、現にある制度に基づいてテロ行為に有効に対応しうる態勢を整えることにある。有力な味方になり得たイスラム教徒全員を敵に回すような方法を取り続けることなく、経済や社会への影響を最小限に留める方策を、社会から広く探るべきである。



 蛇足であるが、国際社会の多くは、日本の基本的な課題を自称イスラム国によるテロへの対策ではなく、福島第一原発事故への対応であると考えている。この見方は、理性のある者から見れば当然の帰結であり、論証を要さない。

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