TPPの案文が2015(平成27)年11月5日に公開された。翌日の読売・朝日・日経とも、TPPの案文公開自体には、言及していたように思う。しかし、TPPの影響を予測する上で、各紙の記事は、(少なくとも私の専門に係る犯罪予防分野については、)当てになるものではない。調査報道の充実を望みたいところであるが、記者の怠惰と商業主義、読者の見識、ブログという(一見)競合するメディアの存在という三者の関わり合いを考慮すれば、無理筋であろう※1。
唐突な話になるが、私は、11月5日のTPP案文公開が『エコノミスト』誌の二本の矢のうちの「11.5」を示すとは思わない。イギリスの『エコノミスト』誌の『2015 世界はこうなる The World in 2015』(amazon.co.jpへのリンク)表紙には、二本の矢が右下に描かれている。一本には「11.5」、もう一本には「11.3」の数字が記されている。「11.3」は、イギリス式※2に読むと3月11日であり、東日本大震災を想起させる。二本の矢が日本列島に擬せられた島に刺さっているように見えることや、「矢」という表現が「アベノミクスの三本の矢」を連想させることから、日本語の陰謀論コミュニティ界隈では、これら二本の矢は、日本に対する攻撃を示唆するものではないかとみなされてきた。
陰謀論者たちの懸念にもかかわらず、『エコノミスト』誌の「預言※3」が日本国内で実現したと解釈することは、かなりの無理筋である。まず、今年の3月11日、5月11日、11月3日のいずれにも、われわれ一般人の目に分かるだけの破局的な出来事は、ひとつも生じていない。すると、まず、「11.3」の解釈が問題となる。では、「11.3」が東日本大震災であると解釈しよう。すると、「11.5」は、東日本大震災と釣り合うだけの出来事でなければならなくなる。しかし、東日本大震災に匹敵するだけの出来事は、11月5日にも、5月11日にも生じていない。さらに、「11.3」が3月11日であると解釈した以上、「11.5」は、5月11日でなければならなくなる。以上の整理から、対になる出来事が生じていないがゆえに「11.5」は失敗したとみなすことが、最も筋の良い解釈となる。
このような私の主張は、再帰的な観点から、その論拠の正否にかかわらず、「11.5」は呪術ではないかという恐れを抱く人々に対する解呪作用を持つので、呪術の世界のルールからすれば、厄介なものである。「私には何も生じていないように見えるから、お前の呪術は失敗した」という主張は、呪術をかけた側からすると、一種の悪魔の証明となる。この呪詛返しに対抗するために、術者は、何かの出来事が生じたことを論駁しなければならなくなるが、この作業は、術者がただの人間に過ぎないことを暴露する契機となりかねない。術者は、その術中に陥った他人が枯れススキを勝手に幽霊と見誤ることを期待している。私のここでの主張は、いわば、『オズの魔法使い』でドロシーが幕を開けたような効果を引き起こすのである(ネタバレ失礼)。
現在の世の中における「預言=大がかりな呪術」は、準備に要する労力の割※4に大きな影響力を発揮してくれない。これに対して、呪詛返しの効果は、呪詛返しを執り行った人物の影響力にも影響されるが、しかしなお、誰によるものであっても、最小の労力で最大の効果が発揮されかねないものである。現代は、五島勉氏が『ノストラダムスの大予言』を世に問うた当時から見れば、誰もが気軽に反論をネットで流布させることが可能になっている。1999年を無事に越えた現在は、大がかりな呪術を営む者にとって、確実に生き辛い世の中になっている。その反面、小グループによる呪術が個人に届き易くなっているという点には、注意が必要である。
大がかりな「11.5」詐欺は失敗したが、しかしなお、呪術を取り仕切った側の立場から想像してみると、いくつかの解釈は可能ではある。「11.5」は来年かもしれないし、「11.3」は英国がAIIBへの参加を決定した日かもしれない。英国政府がAIIBへの参加を広報した日は、3月12日である(リンク)。米国まで視野を広げると、連邦政府債務上限が11月3日であったという話もあるが、この話は、いわゆる両面待ちという手口に過ぎず、「11.5」についても十分な説明ができてもいない。しかし、いずれもこじつけに過ぎない。
ほかの陰謀論者の諸賢たちも当該の現象を探し当てていない以上、やはり、『エコノミスト』が放った二本の矢は、呪術としては大きく的を外したのである。
以上で、予想される反論も封じたので、落ち穂拾いしておこう。
(1) 疑似科学の典型的な方法に、何通りにもこじつけの可能な抽象的命題をふっかけるというものがある。『エコノミスト』の二本の矢も、相当に範囲が限定されてはいるが、幾通りかの解釈を許すものとなっている。しかし、上記で検討したように、数字に対する解釈は事実と整合しない。陰謀論における主要なツールは、アブダクションであるが、『エコノミスト』の二本の矢は、アブダクションとしても破綻している。
(2) ビジネス書のような観点からみると、数字をあらかじめ挙げておくことは、「自分で期限を切って自分を追い込む」という効果がありそうだ。こういうところに商売っ気が見えるところは憎めない。
(3) わが国の国民益に対するTPPの問題性は、陰謀論者とみなされる者の間でも、つとに指摘されてきたことである。わざわざ国民益と記したのは、国益として有益か否かは、(近代)国(家)の定義の検証から始めなければならないほどの作業を必要とするためである。TPPは、圧倒的多数の国民にとって害となるから、陰謀論者の皆がTPPを国民にとって有害であると説くことは、問題なく正しいことである。
『エコノミスト』の二本の矢とTPPとの関連は、陰謀論者への試金石となる。TPPについて検討を加えていく過程で、必ず、TPPは特定組織等による日本社会支配のツールである、といった極論が提起されるであろう。それに付随して、案文が11月5日に公表されたことをもって、『エコノミスト』に先見の明があったなどという意見が生じるであろう。両者を関連させて冷静に記述することまでは許容されようが、『エコノミスト』を称揚することは、国民益を損なうことであり、厳に慎むべきである。(分かった上で無視したり知らないふりをするのは、賢い態度だと思う。ディスるのはご自由に、とも思う。)
※1 わが国のマスメディアへの信頼感は、他国に比べて際立っている。その理由について、私は、わが国における戦中世代以後のマスメディア教育が不成功に終わっているためという仮説を有しているのだが、もちろん、これは床屋政談の類に過ぎない。以下、この仮説を補強すべく、近年の関連記事を非系統的に収集しておいた。
たとえば、一般財団法人経済広報センターは、不定期的に、マスコミやSNSなどの情報源の利用についてのインターネット調査を行っており、最新の調査結果は、今年10月13日にウェブで公開されている。情報源の正確さについては、「とても正確である」から「とても正確でない」までの5件法で尋ねられており(p.19, 図8)、新聞は「「とても正確である」が11%、「やや正確である」が40%と、半数以上が正確だという印象を持っている」という。「ふつう」まで加えると実に回答者の9割に達する。逆に、商業性の低いメディアであるソーシャルメディアやインターネットの正確性に対しては、半数以上の回答者が疑問視している。
社会広聴会員の皆様へ | 経済広報センター
https://www.kkc.or.jp/society/survey.php?mode=survey_show&id=100
表 経済広報センター2015年10月13日公表『情報源に関する意識・実態調査報告書』図8の数値
メディア | とても正確である | やや正確である | ふつう | やや正確でない | とても正確でない |
新聞(インターネットを除く) | 11 | 40 | 39 | 9 | 1 |
テレビ | 3 | 23 | 45 | 24 | 5 |
ラジオ | 4 | 21 | 64 | 10 | 2 |
雑誌(インターネット版を除く) | 1 | 12 | 46 | 35 | 6 |
マスコミのニュースサイト(電子版の新聞・雑誌など) | 2 | 22 | 55 | 20 | 2 |
ソーシャルメディア(SNS、ブログなど) | 0 | 4 | 24 | 48 | 24 |
インターネット(マスコミのニュースサイト、ソーシャルメディアを除く) | 1 | 13 | 43 | 35 | 8 |
舞田敏彦氏は、『The World Values Survey(世界価値観調査)』のデータを再併合して「マスメディアへの信頼度の国際比較」(リンク)というグラフを提示し、日本やアジア諸国におけるマスメディアへの信頼度が高いと述べている。続報にあたるwave 6についてのエッセイにおいても、舞田氏は、鵜呑みにする危険性を強調している。wave 6については、ほかにも本山勝寛氏や「不破雷蔵」氏がブログで言及している。葉山哲平氏は、朝日新聞の調査に触れ、読者が紙面に対して不満を有している旨を述べている。以上は、(誤りを含みうる)記述統計的な手法である。
北村智氏は、 2012年9~10月に独自に実施した質問紙調査に基づき、政治に対する信頼を三群に分けて、メディアの利用・メディアへの信頼を被説明変数とする(多重)ロジット回帰を実施している。その際、世界価値観調査が参照されている。先行して、小笠原盛浩氏は、2005年の調査に基づき、次の式からなるSEMのモデルを提示した。
- 一般的信頼→一般メディア信頼→各メディアへの信頼→時間
- 時間→各メディアへの信頼
- 情報選択・自己効力感→各メディアの信頼
The World Values Survey
http://www.worldvaluessurvey.org
データえっせい: マスメディアへの信頼度の国際比較(舞田敏彦氏、#wave 5, 2005-2009)
http://tmaita77.blogspot.jp/2013/06/blog-post_25.html
メディアへの信頼度が高いだけに世論誘導されやすい日本 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト(舞田敏彦氏、#wave 6, 2010-2014)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/10/post-4034_1.php
先進国で最もマスコミを鵜呑みにする日本人 - 本山勝寛: 学びのすすめ(#wave 6,)
http://d.hatena.ne.jp/theternal/20140913/1410567951
世界各国の「新聞・雑誌」や「テレビ」への信頼度をグラフ化してみる(2010-2014年)(最新) - ガベージニュース(不破雷蔵氏、#wave 6)
http://www.garbagenews.net/archives/1102258.html
報道の自由度61位…日本人が新聞に求めるものはスクープ記事よりも洗剤だった!? - デイリーニュースオンライン(葉山哲平氏)
http://dailynewsonline.jp/article/918370/?page=all
北村智, (2014). 「情報源としてのメディアの利用・信頼と行政信頼の関係に関する一検討:政治的有効性感覚との交互作用に着目して」, 『コミュニケーション科学』40, 27-42.
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005521298
http://repository.tku.ac.jp/dspace/bitstream/11150/6540/1/komyu40-04.pdf
小笠原盛浩, (2008). 「インターネットのメディア信頼性形成モデルに関する実証分析」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006865170
※2 『エコノミスト』誌の出版社は、所在地である
※3 誰?からの預言であるかは、本記事では検討しないし、私の興味の向くところではない。
※4 たとえば、スティーブ・ジャクソン・ゲームズによるカードゲーム『Illuminati』の初版カード「Combined Disaster」の検証は、1994年あたりには予想もできなかったレベルで画像検索が可能となった現在、きわめて簡単なものである。ビッグ・ベン:大穴、ソチ駅:対抗、リオ:問題外(時計塔はあるがまるで異なる)、平昌:問題外(時計塔自体がなさげ)、和光の時計塔:本命、といった比較が一個人でも可能となっている。ソチの時計塔は改修時(1952年)に用意されたほどの熱の入れられようであるが、和光の時計塔も二代目(1932年)というから、なかなかのものである。11月11日という日付が書き込まれているという解釈もあるが、『エコノミスト』の二本の矢と矛盾することになる。
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