2015年11月22日日曜日

公的事業従事者は、集団移住の経験を日系企業社会から学ぶべきである

#本記事も、少し妄想の気が多めであるが、あくまで可能なシナリオとして、私なりの客観性をもって記述するものである。「世界的な悪意」をシミュレートしていけば、その動機は、(1)自分や家族やコミュニティの安全を図りたい、という基礎的な欲求に根ざしたものから、(2)旨い物をたらふく食べたい、(3)(オスなら)綺麗な女性を抱きたい、(4)良い環境、景色の場所に快適な住居を構えたい、(5)苦役は他人に任せ、楽しい(仕)事をしたい、といった贅沢なものにまで及ぶであろう。こうした普遍的な(?)欲求に即して内容を詰めていけば、ある程度、個人が何を動機とするのか、その動機がいかに国益に進化・転化しうるかを個別に予測することは、さほど難しいことではない。問題は、その内容の網羅性であり、その交渉に対応する(日本人の利益を代表する)人材の不足であろう。

 日本集団移住なる計画を構想(夢想)する際、日本人(日本語話者)の今までの経験の蓄積は、無視できないものがある。日本人は、世界各国からすれば人数が多く※1、高齢者世代であっても他人に自身の経験を伝達するのに十分な程度の中等教育を経ている※2上、無類の書き物好きの民族でもある※3。先達の経験を大局的な見地から収集して編纂する方法を日本社会が開発していたならば、何らかの教訓を多数の先達の経験から引き出すことも可能であったであろう。一部の掲示板やSNSでは、1990年代前半にはその機能が発揮されていたと目されるが、その機能は、日本国民の一部に限定されており、そこでの話題や議論は、あくまで同時代的なもの、当時の学問における先端的な興味に限定されていたように思われる※4。1990年代前半までのPC通信時代には、その(肯定的な意味での)オタク(またはギーク)なコミュニティに関与しなかった「日本国民すべての経験」を蓄積できているとはいえないだろう※5。そのころの情報資産は、あくまでアナログ出力(ビデオテープや写真、紙という媒体)に多くを負うていたのである。

※1~※4 仮に、この予想(妄想)をより訴求力のある内容に仕上げる暇があるのであれば、これらを補足していこうかと思う。しかし、あまり時間がなさそうである。
※5 本稿は、当初、いち日本国民としての海外滞在者の経験は、今後に活用できる形で蓄積されていないということを反例として指摘すべく用意したものであった。本記事は、末尾に付した関連サイトをメモするため(#つまりこれから本格的調査するため)の、「はてブ」風の記事のおまけとして構想していた。テルフォードは、英国の第3次ニュータウン計画におけるシュロップシャー州のニュータウンであるが、地元の土木事業に尽力したトーマス・テルフォードを顕彰して名付けられた街である。わが国では、東京湾岸のニュータウンが後藤新平を受けて後藤町と命名されるようなものである。しかし、テルフォードが石工修行だったというのは、改めて知った感がある。確かに、現地でそうであったと学んだ記憶がある。大学2年のときの教養課程のレポートを仕上げようとしていたときにも意識していなかった。改めて知る(意識してとらえる)べきことの多かったことを思い知らされる。

 しかるところ、わが国は福島第一原発事故のおかげで、小松左京『日本沈没』のような目に遭う可能性がきわめて高い。このとき、たとえば、国立国会図書館は、全機能を奈良県の関西館に移動することになるものと予想される。国会図書館の機能を全部関西へと移動する事業は、放射線検査という特殊事情に発する手続きまで含め、関西館の建設を超える規模となると思われる。各地方に大量に存在する民俗資料の扱いもまた、問題として浮上することが予測される。民間企業は勝手に移転してもらう(!)としても、公的組織の移転は、今まで都合よく塩漬けとされていた首都機能移転を一気呵成に行うだけの能力と意志を必要とするのである。国会図書館の事例を出してみた理由の一つは、私の研究手法上、大変重要な研究リソースであるためである。もう一つの理由は、事例として取り上げる価値があるためである。

 今後のハードランディングシナリオにおいては、企業が採算上の理由から関与を躊躇するような公的事業は、放置されるが、その間隙は、日本国に支援を申し出る諸国により「カバー」されることが予測できる。日本語文献のデータセンターの運営は、重要ではあるが、国外移転が容易であり、民間に任せても進む仕事であろう。他方、そのデジタル化の進まない文化・有形資産は、わが国に対して食指を伸ばしている諸国にとって、潜在的な懸賞品である。グレート・ゲーム時代の獲得物(英語だとgameで良いであろう)は、大英博物館やルーブル博物館に多数収蔵されている(されたままである)。パリ同時多発テロ事件後、ルーブル美術館のピラミッド前における重装備の警備部隊を、「先進国」に生きるわれわれ日本人は、さほどの違和感を有することなく眺めているが、ギリシア以西から地中海沿岸諸国の国民は、どのように、この写真を眺めるのだろうか。おそらく、撮影者の金川氏は、このことまで意図して撮影したのであろう(が、私は確認の努力をしていない)。この写真は、非常に興味深い。金川氏がこのルーブルのピラミッドがどのような文脈で陰謀論者に受容されているのかを理解しているか否かにより、読み方がさらに異なりうるという、とても意味深な写真でもある。

<厳戒警備続く> ルーブル美術館では厳戒警備が続いていた=19日午前、金川雄策撮影
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20151120000375_comm.jpg

 話を本流に戻す。

 産業分野における海外との関係構築は、官僚機構よりも民間企業の方が遙かに優れるが、その経験から得られる教訓は、民間企業のノウハウとしてのみ蓄積されているようである。1985年のプラザ合意後、急激な円高が進んだことに伴い、日本の製造業の海外進出の波が生じた。この時期の海外進出における主要な利害関係者は、研究者にあるまじき偏見から断定すると、相手国企業~相手国の行政機関~日本企業の三者のみに着目すれば十分である。政界の一部も関与していたことは、体験的に知っているものの、その検証は、研究者によっては十分に行われていないようである。日本の経済官僚の組織としての劣化は、この時期には十分に進んでおり、自身の利権に直接関連しないことに対しては、何事にも受身であった。(でなければ、組織として、むざむざバブルを弾けるに任せるということはなかったはずである。個人に対する論評でないことには、くれぐれも注意されたい。日本における企業・組織犯罪に対する私の研究上の興味は、なぜ、個人(=システムとしての入力・処理)が優秀であっても組織としての成果(=システムとしての出力)があまりにお粗末なものとなるのか、という点にある。

 してみると、一部の受入先国家と日本企業との交流が進行しつつあることは、ひとつの良い兆候ではある。しかし、本件のような国民性と国民益を保持しつつ海外進出(と融合あるいは同化)に成功するという高潔な目標を立てた場合、そこに関与する企業の中には、適格性を欠くものが含まれるようにも見受けられる。この点、私としては、個人的に存じ上げる方が在籍されていた時期の動きを注視してきた結果から、一部の公的団体の活躍にも期待したい。わが国は、公益から私益を掠取する者たちの活躍?によって、第二次世界大戦後の混乱期にも、現在のような惨状にも陥ったのであるから、現在進行中の日本脱出プロジェクトにおいても、同様の轍が踏まれないとは限らないのである。


山田 晴通, (2015). 英国テルフォード・ニュータウン地域における「第二のボーンヴィル」,ライトムア・ヴィレッジ(Lightmoor Village)の建設, 東京経済大学人文自然科学論集136, 17-44.
http://id.ndl.go.jp/bib/026401972

Home - Bournville Village Trust at Lightmoor Village
http://www.lightmoorvillage.org.uk/#

Lightmoor Village, Telford, Shropshire, TF4 3TX, U.K.
https://www.google.co.jp/maps/@52.6497817,-2.498479,14z

テルフォード補習授業校
http://www.telfordjs.org.uk/

知野 泰明, 大熊 孝, (1992). 英国土木学会初代会長トーマス・テルフォードに関する研究:テルフォードの事績とテルフォード賞を中心に, 『土木史研究』12, 97-110.
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005237623
http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/bitstream/10191/6170/1/5_0005.pdf

ジョン・リックマン[編], 永井厚[訳・著], (1985). 『自伝トーマス・テルフォードの生涯:その叙述的物語』, ニチマ.
付・日立マクセルテルフォード工場創設記.
http://id.ndl.go.jp/bib/000001819067

平成27(2015)年11月22日18時15分追記

パリ同時多発テロ:仏大統領、対テロ戦で憲法改正へ - 毎日新聞
http://sp.mainichi.jp/select/news/20151118k0000m030139000c.html
http://img.mainichi.jp/sp.mainichi.jp/select/images/20151118k0000m030140000p_size5.jpg

 先に引用した朝日新聞の金川氏の写真について追記する。毎日新聞(AP)の画角を見れば、金川氏の視野の広さがさらにはっきりするように思われる。被写体の兵士たちも兵士として必要な仕事の水準を満たしていることが分かる。奥の兵士が金川氏にも目線を配っている。読者にも、読者の仕事がある。私は、読者としての仕事を果たしただろうか。

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