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2018年10月15日月曜日

(メモ)ソフトバンク株の急落(2018年10月15日)

ブルームバーグ[1]やロイター[2]は、アドナン・カショーギ氏の甥であるジャーナリストのジャマル・カショーギ(Jamal Khashoggi)氏が在トルコ共和国サウジアラビア王国総領事館内で殺害されたとされる事件を受けて、ソフトバンク株が急落していると伝えている。2018年10月15日(月)の日経平均株価は、ソフトバンク(9983)やファーストリテイリング(9984)が、午前の寄付直後から大きく売り込まれ、これら値嵩株の影響を被り、下落した※1。これら2銘柄は、本日、とりわけ念入りに売り込まれ、指数プレイの出汁にされたといえるのではないか。

「サウジアラビア王国関係者が犯人だ」と言わんかのような殺人劇を通じて、サウジアラビア王国に対して汚名を被せ、トルコ共和国との過剰な緊張関係を生じさせ、その影響の名の下に、アメリカへの投資も宣言しているソフトバンク株を急落させることによって、誰が得をするのであろうか。ソフトバンクの株価そのものは、とんだとばっちりである。悪影響は、それのみに留まらない。同社株が、日本の株式証券市場を代表する銘柄であるためである。

サウジアラビア王国において、権力闘争があることは事実であろうが、これらの事件をあたかも同国を専らの犯人であるかのように報道することは、日本経済全体に対する重大な挑戦と了解することも可能である。ソフトバンク株の下落を受けて、値嵩株である日経平均株価が連動して下落すると、日経平均株価に連動するETFを通じて、日経平均採用銘柄全体の株価も低下する。サウジの権力闘争の実際を正確に知らせもせずに、ソフトバンクに対する不安感を煽るだけでは、単一銘柄の株価の不正操縦に留まらない波及効果が生み出されることになる。サウジアラビア王国に見られるようなネポティズムに係る報道は、誰と誰が組んでおり、権力を掌握しているのかの分析と、事件の真犯人と下手人が誰であるのかの追及までが併せられなければ、いたずらに投資家の不安を煽るだけに終わる。わが国でも、真のジャーナリズム魂を有した人物は、相応の危険に晒されている(が、申し訳ない表現ではあるが、株価に影響を与え、一国の経済を傾かせるまでのことはなかろう)。カショーギ氏の「保険」は、サウジ関係者の躊躇を生まなかったのか。他国の介入は、単に通信傍受のみなのか。これらの疑問が追求されてもいないという事実を鑑みれば、マスゴミの影響力は、総じて、悪い方向にしか機能しておらず、命を張る(ごく少数の)同業者や彼らの安全を軽んじているとしか言いようがない。


※1 『株探』のウェブサイト[3]から、日経平均の当日引け後の当該の寄与度上位5銘柄を下に示した。

コード銘柄寄与度
9983ファストリ -93.73
9984ソフトバンク -80.56
6367ダイキン -17.78
4543テルモ -16.3
4911資生堂 -10.11

[1] ソフトバンク株が急落、サウジ記者の行方不明問題への懸念増大 - Bloomberg
(古川有希・中村友治・Peter Elstrom、2018年10月15日14:42JST、更新日時 2018年10月15日19:47JST )
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-10-15/PGMIEH6S972801

今後のビジョン・ファンドに潜在的なリスク-アナリスト
孫氏、シリコンバレーで冷遇される可能性も-キングストン教授

[2] ソフトバンクG株が反落、サウジ記者不明問題で売り圧力
(記名なし、2018年10月15日09:44)
https://jp.reuters.com/article/softbank-stock-idJPKCN1MP014

「(記者の行方不明問題について)サウジ政府の関与の疑惑が出ており、株価もネガティブに反応している」(国内証券)との声

[3] 株探 | 株価注意報 - 日経平均の寄与度ランキング
(2018年10月15日16:00)
https://kabutan.jp/warning/?mode=8_1

2018年4月1日日曜日

(感想文)TPP11の報道量が少ないとの麻生太郎氏の発言は意味深長である

(平成30年3月)29日財政金融委員会において、TPP11の報道量が少ないと麻生太郎氏が発言したことは、麻生氏が国際秘密力集団による両建て構造を良く理解しており、国民への注意喚起を図るべく「火に油を注いだ」ものと観ることもできる。マスメディアは、発言そのものも、この「炎上」[1]も、森友学園疑惑ほどには取り上げてはいない。日本語メディアは、本件についても、日本国民の側ではなく、国際秘密力集団の側に立っている。麻生氏については、ロスチャイルド傘下のラファルジュと麻生セメントとの提携関係を敷衍して、水道事業において、ロスチャイルド系列である仏ヴォエリアとの利益相反関係を有するとの意見が、懐疑論者(=陰謀論者)から提起されている。事実関係はその通りであろうが、しかしながら、麻生氏は、両建て構造の原則(次段落以降)を良く理解した上で、物議を醸すように放言しているものとも考えられる。この見方をふまえ、麻生氏については、トランプ大統領と同キャラである可能性を見込むべきであろう。女婿のジャレド・クシュナー氏も不動産業であり、彼は、私から見れば、敵方にいる人物であるが、彼は、トランプ氏にとって、一種の保険として機能している。

麻生氏の発言は、いくつかを並べてみると、両建て構造を乗りこなそうとする意志を有しているものと読める。この点、懐疑論者の大勢は、却って(わが国で名が知られており、TPP11に対して注意喚起を図ろうとしている)味方を失っている可能性もある。懐疑論者は、いつも、あらゆる可能性を最初から排除せず、個別の話題に臨むべきである(。もっとも、いつもマスゴミの意見の逆を張るという方法は、思考停止状態ではあるが、大抵の場合に正しいところが難点である)。今回については、麻生氏の指摘こそが正しいと認めるべきである(。現に、TPP11の中身や広範な影響について、大マスコミは、まともな論評を加えた節がない。反論は、生活安全分野に係る本ブログ中の拙稿を確認してから寄せられたい)。

日本社会が両建て構造の下で生存するためには、同キャラ対決を総力戦体制で勝ち抜くことが必要であり、その過程においては、泥を被ることも避けられないかも知れない。総力戦体制下における同キャラ対決とは、次の内容を意味する;個々の産業分野について、国際秘密力集団と資本関係が薄い同種の企業を、「わが方」の企業として用意する;この企業が競争を勝ち抜けるよう、社会に配置されたそれぞれの組織が活動を強化する;戦争は、基本的に国際秘密力集団(とりわけ戦争屋)を富ますことになるので、全力で避ける。競争が激しすぎると庶民に対する搾取の度合いが増すし、「わが方」の企業が国外に不当な利潤を求め出すようになれば、結果的に、われわれも両建て構造に飲み込まれたことになるが、「わが方」の企業の提供する財・サービスが優れており、かつ、各国の庶民の利益を考慮しつつ新たな経済的フロンティアを求めている限りは、両建て構造を許容しながらも、99%に対して誠実であるということもできる。「わが方」の企業は、企業であるがゆえに資本を支配されるという脆弱性を有しているが、かつてのわが国の金融経済政策のように、外国人の資本を制限する各種の手立てを講じていれば、一線を超えられないように防御できる(。正確には、防御できていた時期もあった)。現時点において、国際秘密力集団との資本関係を極小化する形態は、非上場ということになろうが、これは、自らの規模を相対的に小さく留めることになるから、痛し痒しである。現在における公共機関の役割は、国際秘密力集団により考案された経済的慣習が世界的に普及してしまった状況を前提としながらも、国民益を最大化するように、かつ、どの国民も無理なく食っていけるように、能動的に諸制度・諸機能を管理していくことである。両建て構造を否定しながらも、その基本を形成する経済システムを突然死させないためには、相当に高度な知性が必要であり、その過程において、企業人が敵方と結ぶこともやむを得ないのかも知れない。

他方で、堺市の水道事業に係る横領事件を念頭に置くが、地方公務員や国家公務員が怠惰でなく、かつ、日本国民に対して忠誠を誓ってきたのであれば、委託先の外国籍企業に職務上の犯罪を犯した職員が現れたとき、その事実を利用して、地方公共団体がその企業に対する締付けを強化し、よりマシな「わが方」の企業へと今後の委託事業を独占させることは、さほど難しいものではなかったはずである。私自身の少ない経験を根拠に置けば、官僚が主導できる政策については、彼ら官僚の働き次第で、今よりもずっと良い結果を実現できる見込みがある。堺市の水道事業についても、ヴォエリア社が選定される経緯が情報公開請求の対象となるために、私の現時点の検証対象からは外れるが、職員が様々な障壁を設けてよりマシな企業に委託することは、たとえ市長や議員が敵方にあったとしても、十分に可能である(。あるいは、政治力が働いた場合には、政治力が働いたことを全国レベルで知らしめれば良いし、その方法は、いくつかある)。もっとも、堺市の市議会議員選挙について、立候補者による告発・提訴があったように、より上位の環境から仕込みがあったことは、事実である。それに、このような環境下においては、公務員であっても、不自然な「自殺」を遂げない訳でもなかろう。とは言いながらも、大阪府警察(、特に刑事二課)がずば抜けて有能であったならば、この悲劇の連鎖に対して、楔を打込むことができたはずである※1。ただ、選挙の仕込みがあるにせよないにせよ、地方議員の脇が甘く、同時に選挙民の意識も低いことは、近年の富山市議会議員選挙の結果が良く示すところである。人間の弱さを前提にすれば、選挙民の利益を最大化するには、選挙民の多数派自身の意識を変えるという難関が待ち受けている。それでも、ヴォエリア社に委託するという経緯に対して、堺市に関係する地方公務員・国家公務員は、現実の結果以上に大きな役割を果たすことができたはずである。

この点、麻生氏は、山本太郎氏の質問に対して、わが国の水道技術があれば、外国勢=水メジャーに乗っ取られることはないと答弁した(第193回国会 参議院予算委員会 平成29年3月15日 第13号 議事録参照[2])が、この質疑は、両建て構造を乗りこなすためのヒントを公示するために仕組まれたかのようでもある(。山本氏と彼の軍師は、間違いなく、両建て構造に気が付いており、この打破のために活動している)。この質疑に係る議事録は、長らく公開されてこなかったが、昨年末になり、ひっそり公開されたようである。PDFのタイムスタンプは、2017年12月18日11:00:03である。公開までに9ヶ月を要した理由が、仮に官僚のサボタージュによるものであるとするならば、その官僚は、売国的である。淡々と衆院選前に公表するという方法もあり得たからである。もっとも、この事実の公表によって大勢が変化したとは言えない。なぜなら、山本氏のウェブサイト[3]は、公開され続けており、水道に関連する質疑については、議事録も山本氏の記事と基本的に変わりないからである。自分たちの保身のために、官僚がこっそりとグレーなことをやらかすことは、日常茶飯事である。政治家の関与があろうがなかろうが、本件は、民主主義の基本的視座からすれば、グレーな事例である。なお、2017年7月15日の拙稿では、公開時の文言に注目する必要があると述べたが、(字句の異同を確認した訳ではないものの、)基本的な答弁のあり方には、変化が見られない。このことから、水道に係る答弁については、麻生氏と山本氏の両名が、議事録を修正せずに後世に残す決断を下したと考えて良かろう。この事実関係は、間接民主主義の一側面が正常に機能していたことを示す証拠である。水道事業を売国勢力に売り渡すもそうしないも、99%の選挙民がこの事実を知ろうとしたか、良識的に投票行動に移したか、という結果に左右されることになる(。理念上、民主主義は、このような狭隘な内容に収まるものではないが、現時点の99%がこのように考えている以上、その状況を前提に置かないと、なかなか有効な手立てを講じることはできない。山本氏の追求は、この点、政治家の本分を果たしている。社会のほかの部分が、不具合を起こしているのである)。

いわゆる水道民営化について、山本氏が指摘する制度上の問題点に対しては、すべて官僚である北島智子氏(厚生労働省 医薬・生活衛生局 生活衛生・食品安全部長;当時)が回答しており、麻生氏は、本点について責任を負った形とはなっていない。この点、「内閣」対「官僚組織」という、飯山一郎氏と『放知技』の常連諸氏の指摘する構図において、厚生労働省の一部は、官僚組織側に位置付けられることになろう※2。なお、以前の拙稿(2017年4月20日)においては、「日本国官僚集団」と「安倍政権」の仲が良いと表現してしまっているが、この記述は、私の不明によるものである。別稿(2017年6月10日)にて提示した「武官系官僚」と「安倍政権」の仲が良いという見立ては、現時点においても変化していないが、「安倍政権」と「一部の官僚集団」の仲が良い、という内容に、愚見を訂正したい※3(。ただ、この誤りは、必ずしも、謝罪を伴わなければならない程度に深刻なものではない、とも思う)。

私見では、水道事業の運営方法の問題は、高い技術力がありながらも、これを公益のために活用する社会制度に欠如していることにある。住民が少なく、水質が良く、ボトリングして販売可能なブランド名を有する水源に恵まれた水道事業体が、その事業を維持するために、住民を最優先しながらも、水源の一部を商売に利用するなどの工夫を重ねることは、公益の範囲内に留まる種類の経営努力であろう。本来、このような事業制度は、上級公務員が率先して調査・研究・構想して、国際秘密力集団の走狗である学識経験者の我欲に歪曲されることなく、政治家に直言すべき課題である。要約すれば、彼等の実力不足が原因となって、現在の「水の安全」に係る危機が生じている。彼らは、食っていけるしクビにもならんのだから、もっと死ぬ気で頑張る余地がある。なお、彼らに何が最も不足しているかを体験的に述べれば、それは、専門性と勉強不足である※4(。官僚が勉強しないことは、多くの先人によって指摘されたことであるから、本稿で証明せずとも、読者諸賢の経験に照らして、納得いただけることであろう)。

ところで、ある言語・民族集団に根差して形成されている財閥は、国際秘密力集団の方法論に習熟しながらも、その言語・民族集団に貢献するという役割を果たしうる。トルコ・インドネシア・韓国などの小財閥は、それぞれの国民に対して、わが国の財閥と同様の役割を発揮してきていた。無論、例外は存在する;わが国の大財閥として三菱が例外的な位置付けにあることは、明治維新期に創業され、かつ、ロゴが変遷しているという歴史からも首肯できる(。シンボルや言葉の力を舐めてはいけない)。フォードというアメリカの(当時の)新興財閥は、ナチスに献金していた。それに、南米諸国の諸財閥は、現時点でも地域性が強いが、同時に、国際秘密力集団の走狗としての機能を強く有する。また、誰を食わせるのかという点について、財閥という組織が及ぼしうる多方面への影響力は、常に、「学者」の勝手な解釈によって、隠蔽され・曲解されるという危険に晒されている。古典的な事例としては、かつてのNIES(新興工業経済地域;韓国・台湾・香港・シンガポール)というくくり方を挙げることができる。この区分は、当時の香港・シンガポールの企業社会の性格が、韓国・台湾とは別キャラであることを隠蔽する点で、両建て構造を気付かれにくくするという役割を果たす。台湾も中国本土との関係について、両建て構造を捨象されてしまうことになる。グルーピング・分類という思考の技術は、両建て構造を運用するための基礎技術である。

残念ながら、日本国民が独力で両建て構造から脱出可能かと問うてみれば、それは無理である。事実上の米軍の(占領とも読める)影響下にあり、官僚の多くはTPP11を主導する勢力に唯々諾々と従い、マスコミはTPP11が国内の食・水・医療の持続的発展を阻害することを報じようともせず、「学識経験者」の圧倒的多数は沈黙するか誤解を招く発言をなすばかりである。この状態で、TPP11が勝手に止まることを期待することは、到底無理であろう。実際、種苗法の改悪が実現した※5一方で、(農作物の)多様性と持続可能性を保障するための国家的支援は、なおざりにされたままである(。このような押付けを行いながら、ビル・ゲイツ氏を始めとする国際秘密力集団のフロントは、種を保存するプロジェクトを精力的に進めている(スヴァールバル世界種子貯蔵庫)。これは、生物種を独占せんとする意思としても解釈できる)。仮に、国際秘密力集団の走狗によって仕込まれた森友学園疑惑という毒によって、TPP11という毒を呼び込む上で必要な法案が可決されていなかったとすれば、わが国の与野党の政治家たちは、阿吽の呼吸によって、両建て構造を乗りこなしたと評価することができたであろう。しかし現実には、水道法についても、ヴォエリアのような低質な企業の参入を拡大してしまうような改悪がなされようとしている。

このとき、麻生氏の発言は、TPP11を推進しようとするものとも、あるいは一種の褒め殺し的な方法によって、国民の関心を呼び起こそうとするものとも、受け取ることができる。麻生氏の本心が明かされることは、現状の予断を許さない状況をふまえれば、ないものと考えて良かろう。しかし、過去の発言を並べてみると、麻生氏は、奔放に見えながらも、TPP11を頓挫させようとする可能性を秘めた発言を口にしているという点では、一貫しているものと読むこともできる。このような穿った見方も、価値がない訳ではなかろう。麻生氏の「ナチスに学べ」発言は、わが国の状況が状況であるだけに、甚だ不穏当に聞こえたかもしれないが、もしかすると、敵に学べという意味であったのであろうかと考えることもできる。仮に、この発言が、吉田茂氏の口によるものであったとすれば、敵に学べという意味に聞こえた日本人も増えていたことであろう。


希望の党の江田憲司氏は、麻生氏のこの「失言」に対して、31日深夜、連続ツイートで麻生氏に係る逸話を示した[4・5]が、これらのツイートのタイミングは、「改革派」である江田氏が権力を掌握したとき、彼が庶民に不利な政策を推進するであろうことを窺わせる材料となる。国会における主導権を喪失した状態にある希望の党について検証作業を進めることは、有用とは思えないが、万が一もあるから、TPP11に対する同党の隠れた意思を明らかにして、本段落の主張を強化しておこう。まず、希望の党の綱領[6]は、「TPP11」ないし「包括的環太平洋パートナーシップ協定」の語を含まないが、東京都の「国際金融都市・東京」構想を支援する(2.経済に希望を)一方で、食料自給率50%を目指す(7.地方に希望を)といった、TPP11との相性が完全に異なる内容を含む。希望の党は、先の衆院選から一貫して、TPP11そのものに対して洞ヶ峠を決め込んでいるが、この結果、個々の政策が相互に矛盾することについてまでは、配慮できていない(2017年10月1日拙稿も参照)。これらの基礎的事実を踏まえた上で、希望の党所属議員によるTPP11への言及を国会の議事録に求めてみると、5件しか存在しない※6。うち3件は、TPP対策予算が補正予算で組まれていることの適正さを問うものであり、これらの批判は、お役所の手続き論の域を出るものではない。次の1件はアニマルウェルフェアに係る質問において、TPPの語が出たものであるが、TPPの語は、枕詞としての意味しか有していないものと読める。これら4件の発言は、TPPそのものについての賛否を表明するものではない。残る1件は、玉木雄一郎氏による第195回衆議院本会議第5号(平成29年11月20日)の安倍晋三総理の所信表明演説に対する質疑における、以下の批判である。

TPP11ですが、まだ調印もできていないのに、早くも補正予算での対策の話が出ていました。アメリカ入りの十二カ国のTPPで一兆円以上もの対策を打ったはずなのに、アメリカが離脱したら、なぜもっとお金が必要になるんですか。補正予算をぶち上げる前に、国内農家にどういう影響が出るのか、影響試算を出すのが先ではないでしょうか。試算なき対策は、TPP11を口実にした単なるばらまきだと断ぜざるを得ません。

この批判は、TPP11によるわが国農業への影響試算がお手盛りで計算されてきたことを考慮すれば、出てくるはずがない。また、食料安全保障を謳う希望の党がTPPの影響に関する試算を提出せよと求めることは、正当ではある。しかし、従来のTPPに係る試算に対して、同党の見解が提示されていないことは、欺瞞的である。TPP11の内容は、基本的にTPPと大差ないから、TPP11を議論する際、TPPを下敷きとすれば良いだけのところ、にもかかわらず、希望の党は、TPP11について、何ら態度表明していないからである。この玉木氏の発言内容によって、希望の党がTPP11を政争の具としてのみ利用する方向にあることは、図らずも暴露されたことになる。この経緯を考慮したとき、麻生氏に対する江田氏の批判は、TPP11の是非そのものには言及しないという希望の党の方針に対する私の見立てを強化する証拠となる。この推論は、マスコミによって「クリーンなイケメン」というイメージを付与された政治家は、庶民のためにならないから、気を付けよという愚見(2017年8月28日拙稿)とも整合的である。


※1 あるいは、ここまでのグダグダぶりは、散々、売国勢力を油断させておいた上で、一挙に追い込むための布石と観ることも不可能ではない。しかし、その過程における犠牲は、福島第一原発事故による被曝の長期的影響による犠牲者数が津波による犠牲者数を上回ったと考えることのできる現在、結構大きなものがある。年間3000人が上積みされたと概算すれば良い。この人数であれば、統計の改竄も、比較的容易である。原票の分量にして、ロッカー1台?1棹?分程度であるし、1年あたり、全国の1歳(1学年)あたりに換算して、50人程度である。津波による犠牲者だけを3.11の犠牲者と考えるべき時期は、過ぎ去ったと言えよう。

※2 内閣のバックに警察・自衛隊があるという点において、上掲の構図は、核武装への意思(を諸外国に見切られても、なお継続せんとする)という要素を見逃すことになる。切断方法としては、やや問題ありと指摘することができよう。なお、脱線すれば、核武装は、朝鮮半島の非核化が言葉として放たれている現在、わが国の真の独立に対して、逆に作用するものと考えられる。とすれば、原子力産業についても、わが国が次に何をなすべきかは明らかである。原発ゼロを実現し、最終処分について従来よりも長期間(今後10年以上)の検討期間を設けて、福島第一原発事故の影響を顕在化させ(、しかも原発ムラの面々がそれらを隠しきれなくなっ)たときに論じるほかなかろう(。また、つまりは、最終処分を現実化するための作業は、凍結するということになる)。

※3 この「安倍政権・実力系官僚組織」対「そのほかの官僚組織」という構図は、ネーミングとしても微妙に問題がある。というのも、厚生労働省は、その所掌分野については、相当に強力な監督・指導を実施可能なためである。

※4 本件は、個人的体験に根拠を置くために言及しにくいことであるが、相談に応じるべき水研究のコミュニティでは、ここで指摘したような国際秘密力集団の影響力は、基本的に考慮されていない(。せいぜい、原発ムラへの忖度とおねだりが見られる程度である)。このために、研究業界は、庶民の利益を図ることを目的としようと思うのであれば、各国の市民社会の持続的な発展こそを第一の研究成果として、それを阻害する阿漕な大企業の悪影響についても積極的に検証すべき、という国際的な気風を醸成することから始めなければならない。ここに示した表現の前段部分は、もちろん、持続的な開発目標(SDGs)を念頭に置いている(から、これまた、両建て構造に相乗りすることを意図している)。これに対して、文部科学省のやり方は、事務手続の適正さから見た硬直的なものであり、ただでさえ多忙な研究者の足を引張るドケチなものである。国際交流を実現・維持するためには、その実務に長けた(高度な交渉・事務能力を有するバイリンガルの)大学職員が必要であ(り、このような人物こそを正職員として処遇すべきであるが、現実には、そのような人材は、無国籍大企業では年収1000万オーバーになるであろうところ、正職員でなかったりもす)る(。念のため、私がそのような人物であったことは、一度もない。印鑑もまともに押せたことがない)。名声を博している研究者を招聘するには、どう見ても、デフォルトの経費がおかしい。舛添要一氏がファーストクラスというのは、国際的には、一流の学者については、当然の処遇であるのだが、これを庶民が理解できないのは、その間に適切な通訳がいないからである。もちろん、シカゴ・ボーイズのような存在に対する餌は、このような処遇にもある。両建て構造を乗りこなすには、庶民の許可が必要であるが、この点は、悩ましいところである。

※5 もっとも、優良な品種は、その品種自体の持つ市場価値によって、遺伝子組換技術が適用されないまま、世界的に流通する可能性が認められる。平昌冬季オリンピックの報道に付随して、甘くて美味しく大きく栽培し易い「韓国」の苺が話題となったが、同時に、その品種の元となった一代前の両親に当たる品種とも、日本から流出して保護されていないことも(この場合には真に)保守界隈では話題となった。種苗の窃盗は、知的財産権における海賊版と同様の問題であり、日本の農家にとって大打撃である。農家の努力と創意工夫を保護する仕組みが必要とされている。しかし他方で、二種の作物を交配(F1化)した種子や、ターミネーター遺伝子を組み込んだ種子を独占的に農家に供給することにより、農家からの種苗の流出を防止するという方法は、モンサント社を始めとする無国籍大企業群のやり口そのものである。この長短を見極めながら、韓国の不心得者に対する制裁が必要ということになろう。対策を愚考すると、盗人の提供する製品は粗悪品である(何をして育成しているか分かったものではない)という主張を流布することは、良識的な購買層に対する歯止めになるものと考える。もちろん、「わが方」の農作物の品質が現実に消費者が満足できるものになっているという裏付けがなければ、この方策は機能しない。

※6 『国会会議録検索システム』における検索条件は、次の通り。「詳細検索」において、次の条件を指定した。
開会日付:平成29年9月25日~平成30年03月29日
院名:すべて
所属会派:希望の党 希望の党・無所属クラブ
検索語(|;OR検索):TPP 環太平洋パートナー
結果は、次表となった。

NO国会回次院名会議名号数開会日付
001196衆予算委員会3号平成30年01月30日
002196衆本会議4号平成30年01月30日
003196衆予算委員会2号平成30年01月29日
004195衆農林水産委員会6号平成29年12月12日
005195衆本会議5号平成29年11月20日

[1] 森友文書改ざん:麻生氏発言に非難集中 TPP比較で - 毎日新聞
(井出晋平、2018年03月30日21時24分、最終更新03月30日22時12分)
https://mainichi.jp/articles/20180331/k00/00m/010/087000c

麻生氏は29日の参院財政金融委員会で、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の新聞報道が少ないと指摘し、「森友の方がTPP11より重大だと考えているのが日本のレベル」と批判した。

[2] 国会会議録検索システム
(2018年3月31日確認)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/193/0014/main.html
#本リンクから左側のリストより選択すれば良い。直リンクは、以下のとおり。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/193/0014/19303150014013a.html

[3] 「参議院議員 山本太郎」オフィシャルサイト | 2017.3.15 予算委員会「美しいポエムの裏にある、米国で勝手に水道民営化宣言」
(2017年03月22日)
http://www.taro-yamamoto.jp/national-diet/6868

[4][5]

[6] 希望の党
(トップ > 政策について、2018年4月1日確認)
https://kibounotou.jp/policy

[7] 国会会議録検索システム
(2018年4月1日確認)
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_logout.cgi

2018年3月28日水曜日

(感想文)トランプ大統領は北朝鮮向けの「悪い警官」役を欲したのではないか

でないと、トランプ氏は、北朝鮮から手を引くための「良い警官」役を務められない

これが、2018年4月9日に予定されたマクマスター大統領補佐官(国家安保担当)の退任(3月22日トランプ大統領のツイート[1])、同3月13日のティラーソン国務長官の解任の両件に係る私の解釈である。私事都合のために情報収集をサボっているので、私は、自身の見立てを確実なものとは考えない。(誤りを重ねる危険を冒して)本件に言及した理由は、二点ある。一点目は、本件が、従来の私の見解(2017年5月12日記事)を訂正する根拠となる可能性を指摘することである。二点目は、この拙稿に示した主張の真偽にかかわらず、トランプ氏・マクマスター氏・ティラーソン氏の各人がアメリカに対して忠誠を誓う人物であると見立てたことの正当性を主張するためである。ジョン・ボルトン氏については、良く分からないと述べておく(。これは、単に、私が納得行くまで調べていないだけであるが、巷間の懐疑論者によれば、ボルトン氏は、大抵、クロ扱いされている)。

先に、本件とは直接関係のない話にはなるが、河野太郎外相が昨年11月にトランプ大統領について「良い警官と悪い警官のタッグ(Good cop/bad cop)」の比喩を用いた[2]ことを紹介しておく必要があろう。このバディ(buddy)システムの効用は、最早、誰もが知るところであろうから、説明を省略する。また、米国の大統領制が副大統領との組合せによって同様の効果を生じさせてきたことや、ロシアのプーチン大統領・メドベージェフ首相の体制が類似の構造を有していることは、広く指摘され支持されている社会的事実であろう。先の全人代(全国人民代表大会)において、中国政府も、習近平・王岐山の両氏による体制を明らかとした。例によって、典拠の検索と提示はサボるが、河野氏自身、官邸外交との相乗効果について指摘していたはずであり、この相乗効果が存在するという主張は、間違いなく正しかろう。ただ、この構造について河野氏自身が言及すべきではないことは、冷泉彰彦氏によって指摘されており、この点も、その通りであろう。河野氏は、日本語マスメディアに身を置く人物の中から、自身の信念に協力可能な人物を見出して、彼(女)の口を借りるべきであった。ただ、日本語メディアは、通信社を含めて、一個の企業だけで米国大統領府と世界の動きを理解するための必要十分な情報源とはなってこなかったから、河野氏の発言(あるいは失言)にも理由がない訳ではない。

トランプ氏が部下に自身の本音と異なる見解を押し立てさせながら、その事実を北朝鮮との交渉において利用するという手管は、米国内向けの方法として、有効かつ必要である。金正恩氏とトランプ氏の両者とも、武力行使があり得ないことを理解している。主要関係国のうち、ロシアと中国と北朝鮮の各国については、その関係は、安定的に推移するであろう(と、当事者たちが主張しているかのような、平穏な当局の報道ぶりである)。韓国は、米朝会談への足掛かりを構築した功績を認められてか、北朝鮮との交渉のためか、鉄鋼・アルミニウムともに関税の発動を免除された(が、この優遇措置は、日本との対比においてこそ、日韓両国内の世論を有効に喚起する)。日本は、従来の六カ国協議において、蚊帳の外であり、どの国に対しても、自身の望む影響力を発揮することができていない。以上の雑駁な状況理解を前提とすれば、北朝鮮「問題」の「解決」を左右する要素のうち、多くは、アメリカの国内政治「問題」に所在する。より踏み込んで解釈すれば、北朝鮮の「核配備」を「解決」するための主要課題は、「北朝鮮の現状を追認するようになるまで、アメリカ国内の政治論議・世論を沈静化させること」となる。このプロセスは、アメリカが単独覇権から降りるための儀式とも観ることができる。トランプ氏の腹積もりは、「狂犬」役に吠えさせながら、手綱を引きつつ後退するというものであろう。

以上のように考えると、あれこれ考え過ぎて「狂犬」役に徹しきれない(ようなキャラを故意に演じてきた)穏健派のサイドキック(=脇役的な相棒)であるマクマスター氏やティラーソン氏を、トランプ氏が「クビ」にせざるを得ないことは、アメリカ国内の事情に限定して配慮すれば、当然と言えよう。クビになった人々は、基本的には、皆がその処遇に納得していることであろう(。今後もクビになる人たちは出続けるであろうが、当人たちが戦争屋の走狗ではない限り、同様に納得ずくのことであろう。その割に、ティラーソン氏は沈痛な面持ちであった。が、これが諒解の上であるとすれば、役者として、ティラーソン氏はマスゴミの上手を行く)。クビは、トランプ氏の政治ショーを演出する上で、必要な「犠牲」である。この「犠牲」は、汚名を伴うが、人命が必要とされていない点、ヒューマニズムの極致であるということもできる(。この見立てが正解であるとすれば、両建て構造は、乗りこなされていることになる)。

トランプ氏の相棒は、北朝鮮に対しては強硬派として振る舞いながらも一線を超えず、同時に、国内世論に対しては米国に対する北朝鮮のリスクを冷静に説明しなければならない。上司であるトランプ氏がトリックスターとしてのキャラを確立してしまっている以上、部下である彼(女)たちは、そのキャラに見合うように、ボケとツッコミの役割を目まぐるしく、柔軟に切替えなければならない。昨年冬辺りから台頭した日本のお笑い芸人の若手たちは、ボケとツッコミが目まぐるしく変わる高度な漫才を披露しているが、彼らレベルの技芸がホワイトハウス高官に要求されている。これは、相当に難易度が高いことであり、それがムリなら「クビ」という手がある、となる。なお、河野太郎氏の「トランプ氏=悪い警官」説と私の見解は、真逆のように見えるのであるが、河野氏の発言の根拠がアメリカ国内の情報源から得られたものであり、アメリカ国民向けには部下が「良い警官」として振る舞わなければならないと考えれば、そうそう矛盾するものではない。

トランプ氏の「お前はクビだ(You're fired!)」は、両建てを乗りこなすための手段である。北朝鮮とのチキンレースから降りることは、自分からハンドルを切った弱虫(chicken)であると国民から見られる危険がある。他方、対北強硬派とされる人物に部下のクビを挿げ替えていくことは、なぜか、トランプ氏も強硬派であるような見かけを大衆に与えるという効果を生じさせる(。もっとも、マクマスター氏に対する日本語マスコミの解説は、極めて好戦的というものであったが、この違和感は、私の従来からの主張にとって、有利に作用する)。この結果、なぜか、トランプ氏には、国内向けに切ることのできるカードが増えることになる。本稿に示した逆説は、シリアにおける昨年のトランプ氏の巡航ミサイル攻撃命令と同型である。北朝鮮に対しては、一方的な攻撃を加えることが不可能である。このため、アメリカとしては、国内問題において強行策(に見せかけた方針)を取ることが代替案となる。加えて、北朝鮮との交渉については、アメリカの理念の一つである「他者への寛容」を米国民向けの切り札に使う、という隘路を観取することもできる。「今まで我々アメリカ国民は、北朝鮮政府に騙されてきたが、今一度、恩赦を与えよう」というノリである。

頻繁な更迭劇は、トランプ氏に対しても、クビになった各氏に対しても、黒歴史感・ダーティな印象を与える。しかし、真に国益・国民益のためであることを各人が理解していれば、マスゴミに囲まれたホワイトハウスであるから、純情な陰謀論者の失望を買ったとしても、マスゴミを騙しながら、各人が職分を果たすべきというプリンシプルは、十分に共有されているであろう。この目的の共有という仮定は、高官における「アメリカ・ファースト」のスローガンの有効性によって、オシント使いにも検証可能である。シリアにおけるアメリカ軍の空爆は、このスローガンに対する背信行為であるように見える(が、このようなイレギュラーな事態は、軍の統制が取れていないか、戦争屋による偽旗作戦のために生じたと観ることも可能である)が、それ以外については、相撲で言えば、俵一枚というところであろう。彼ら真のエリートは、戦争屋との政争ゆえに、俵一枚のふりを続けるほかないのであろう。しかし、われわれ下々の者は、「ポスト米英時代」氏の言うとおり、スリルを楽しみながら、カウチポテトでマスゴミの狂騒ぶりを見ていれば良い(。日本国内の事情も同様である。日本は、全体としては、TPP11を考慮すれば、強固な国際秘密力集団のフロント兼生贄として機能しつつある。しかし、わが国の与党政治家たちについてはともかく、表に出ない権力者たちは、どこに居を構えるのであろうか。というのも、彼らは、わが国の実力組織とは、本来的には対立関係にあることが十分に認められるからである。この対立関係は、現在の内閣と財務省の対立にも反映されており、実力組織を所掌する省庁は、内閣の側にある)。


ボルトン氏の登用は、国内向けのブラフである、が...。

ジョン・ボルトン(John Robert Bolton)氏の登用は、トランプ政権にとって、北朝鮮に向けて強硬姿勢を示すためのシグナルとして機能するとともに、ボルトン氏本人に対してメディアの矛先を向けさせるという効用を有する。ボルトン氏は、共和党がトランプ氏を大統領選候補に指名して以来、外交政策を指南してきたとされる[3]。ボルトン氏は、イラク戦争へと子ブッシュ政権を主導した一人と強く批判されており、金正日氏に対する暴言でも知られる。当人は元来から「保守」主義者であると言うが、「ネオコン」と表現されることがしばしばである。米国単独行動主義と対になる形の国連不要論で知られ、2005年、国連大使に指名されたが、民主党の議事妨害等により指名を辞退している(が、辞任と表現されている)。

ボルトン氏の就任は、大量破壊兵器の拡散防止の観点において、わが国に影響を与える可能性があり、その場合、福島第一原発事故の真相を考察する手掛かりをもたらすかも知れない。ボルトン氏は、子ブッシュ政権の『拡散に対する安全保障構想』(PSI)成立に尽力したとされる。その実効性や、イラクに対する判定の誤りについてはともかく、である。同時に、ボルトン氏の思想は、主に批判者によって、親イスラエル・ロビーであるとされてきた。このとき、ボルトン氏の指揮下における対日安全保障政策のあり方は、「ボルトン氏の立ち位置」・「福島第一原発事故の真相」・「トランプ政権の戦争屋との力関係」の三要素について、特定の組合せのみが整合的となるという結果を与える、と考えることができる。いかなる意味合いかを、生煮えであるが、提示しておこう。

福島第一原発「事故」後、大量の使用済み核燃料棒の所在は、「陰謀論」者によって、常に疑問視され続けてきたが、この好奇心は、ボルトン氏にも共有される可能性がある。ボルトン氏の登用は、このような日本向けの布石としての意味をも兼ね備えている。3号機の使用済燃料プールは、陰謀論者たちから、早く見せろとツッコまれてきた。3号機の使用済燃料プールの写真(とされるもの)は、偽装のために、福島第二原発において撮影されたとも疑われてきた。現実の使用済み核燃料が地下深くに落ち込んでしまっているにせよ、どこか遠い外国に所在して利活用されているにせよ、ここらの機微がボルトン氏のチームによって、利用される可能性は、十分に認められる。わが国の現政権の核武装への意志に対して、ボルトン氏がストップをかける可能性は、マクマスター氏の就任時よりも上昇したと見て良かろう。わが国政府が先方の望む回答を提示することができなければ、イラク戦争は、わが国に対して再現されるやも知れない。この疑いに連座することになる外国政府がほかに存在するのか、という点は、かなり多くの世界の情報機関にとって、かなりの興味を持たれていよう。実際、このような興味を日本人に対して喚起するために、いくつかの国の情報機関は、日本語で情報を提供しているものと考えることもできる。本ブログは、一応、「福島第一原発事故の真相と影響と対策を提出するために、タブー抜きで考究する」という目的を有している。このため、本段落には、「福島第一原発事故の真相」についてだけ、勝手な妄想を付記した次第であるが、この妄想は、ボルトン氏の就任に先立ち形成されたものであるが、氏の就任によって、一層強化されたものでもある。


日経は、相変わらず日本国民を偏向させんとするかのようである

なお、アメリカが単独覇権を降りようとする様子に対して、日本経済新聞の古川英治氏は、今月(2018年3月)20日の解説記事[4]において、ロビン・ニブレット(Robin Niblett)氏の言を借りて、暴力が支配する「ポリセントリック世界」が到来したと表現していた。ニブレット氏は、英王立国際問題研究所(The Royal Institute of International Affairs、いわゆるChatham House)所長である。記者が繊細な概念を自身の主張の良いように曲解することは、研究者なら体験したこともあろう※1が、古川氏は、この残念なカテゴリーに含まれる可能性が高い。というのも、この「多元(=多極)的世界」の語は、少なくとも「多元化」そのものは、ニブレット氏自身の名を冠した資料では、多元的チャンネルや国際的組織(=連合国=国際連合)を通じて外交力が発揮されるという肯定的な文脈によっても[5]、使用されているからである(。念のため、他者のいくつかの文書を確認もしてはいるが、そこはそれ、適当である)。古川氏は、2015年にウクライナ内戦とロシアのクリミア半島併合について、ニブレット氏の言によるとしながら、「多元化」を、前述の日経解説記事と同様、悲観的な意味で使用している[6]。

この一方で、田中宇氏は、2004年当初[7]こそ、「多極化」の語を悲観的なニュアンスを含む用語として、そのまま使用しているが、古川氏の論説に先立つ時期に、この語のニュアンスを中立的なものに徐々に変更してきた。当初、田中氏は、(これまた、チャタム・ハウスの)ニオール・ファーガソン(Niall Ferguson)氏に倣い、国連などを中心とする「国際協調主義(multilateralism)」に対置する概念として、「多極化(multipolarizm)」の語を使用した[7]が、現時点では、その限りではない(というようにしか読めない)。オバマ大統領からトランプ大統領にかけての時期においては、田中氏は、「多極化」の語に込められた不安定性を認めながらも、その先行きに対して、悲観的なニュアンスだけを込めるということはしていない。この点、田中氏は、使用の時期・ニュアンスともに、古川氏よりも、読者に対して、正確な理解を提供している。

古川氏の「多極化」の「誤用」は、古川氏自身またはニブレット氏が、各自の業務に係る過失または故意を犯したことを示す。ニブレット氏の研究者としての怠慢または能力不足は、言うまでもない(。日本人向けに、「多極化」の語に込められた意味合いを詳しく説明させるよう、古川氏を訓導すべきであった)。しかし、ニブレット氏と日本語読者との間に、古川氏がいる以上、ニブレット氏がいかなる心情を有しても、今回の「誤用」は、避けられなかったであろう。英国民の利益を考慮すれば、ニブレット氏の説明は、日本国民に対しても、複数のルートから提供されるべきであったろう(。日本人の弟子は、いないのか?というのは、皮肉のつもりである。日本語という辺境の地で編まれた「尖った」思索が、英語帝国の心臓部において気付かれないことは、ままあることではある)。田中氏の主張に先取権があることは、ネット上の無料のオープンソースだけによれば、揺るがすことのできない事実である。古川氏は、「日本でもこういう指摘がありますよ」とタレ込むべきであったろう。いずれにせよ、古川氏は、「ジャーナリスト」であるから、最悪、好き(で費用対効果を考慮してアクセス可能)な情報源(だけ)に依拠していれば良いのであるが、その場合、公正中立を建前とする「日本のメディア」の社是とは、相容れない行為に及んだことになる。良く言っても、古川氏の論説記事は、田中氏の「多極化」に背乗りした格好になっている。


※1 個人的体験によれば、7分の5、これは確率としてはゼロではないと主張するには厳しい数値であるが、他者からの見聞を合わせれば、ベイジアン的には確定的な事実であると主張して良かろう。ここでの言明は、「記者の中に、研究者の話を曲解する者が含まれる」というだけであって、「記者の皆が研究者の話を曲解する」訳ではない。念のため。


[1]

[2] 河野太郎外相「普通は親分が良い警官をやるのだが…」 米国は大統領が机をたたき、国務長官がカツ丼を出す-と比喩 - 産経ニュース
(記名なし、2017年11月10日18:28)
http://www.sankei.com/politics/news/171110/plt1711100030-n1.html

[3] 日刊ベリタ : 記事 : トランプの次期国務長官?  ジョン・ボルトン元米国連大使  平田伊都子
(平田伊都子、2016年11月16日15時04分)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201611161504103

[4] 共振する国家主義 中ロ、強権支配固める 民主政・自由経済に試練 :日本経済新聞
(モスクワ支局長=古川英治、2018年3月20日)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO28320640Z10C18A3MM8000/

英王立国際問題研究所のロビン・ニブレット所長は多元的を意味する「ポリセントリック世界」の到来を指摘する。超大国・米国の指導力が薄れ、各国が国益次第でときにぶつかり、ときに場当たり的に合従連衡する。自国の利益優先がはびこり、イデオロギーで二分された冷戦時代よりも世界は複雑さを増した。

[5] 20151019BritainEuropeWorldNiblettFinal.pdf
(Robin Niblett, 2015年10月20日, Britain, Europe and the World: Rethinking the UK's Circles of Influence)
https://www.chathamhouse.org/sites/files/chathamhouse/20151019BritainEuropeWorldNiblettFinal.pdf

[6] One year on: Ukraine crisis reveals changing global order- Nikkei Asian Review
(Eiji FURUKAWA、2015年2月23日03:33JST)
https://asia.nikkei.com/Politics-Economy/International-Relations/Ukraine-crisis-reveals-changing-global-order

The director of U.K. think tank Chatham House, Robin Niblett, points out that the world is entering a polycentric era, where countries act not on ideals or values, but shift their allegiance based on immediate national interests. The U.S. is losing its dominance on the global stage, and the Ukraine crisis is the embodiment of a new, chaotic system that is beginning to emerge.

[7] 岐路に立つアメリカの世界戦略
(田中宇、2004年10月27日)
http://tanakanews.com/e1027america.htm




平成30(2018)年3月28日10時20分頃修正

文言を多少修正したが、内容に大きな変更はないつもりである。

2018年2月22日木曜日

(一言)TPP11=CPTPPを読みこなせる日本人はどれだけいるのか

TPP11=CPTPPの案文が2018年2月21日に公開されたこと[1]を『スプートニク日本』経由で知った。ニュージーランド政府のウェブサイトを確認したが、確かに公開日が21日である[2]。私は、数週間前に気になり、条文を探しまくってみたことがあるが、徒労だったことになる。

CPTPPについては、発効条件自体、長らく秘密にされてきた。発効条件は、従来のマスコミ報道による限りでは、11カ国中6カ国以上の承認を必要とするというもの[3]であった。一応、その条件は、この度公開された英語版[4]の第3条第1項に継承されている。しかしながら、従来の根拠のうち、国民に対して全くのオープンアクセスであったものは、茂木敏充大臣(内閣府特命担当大臣(経済財政政策))の会見資料くらいしか[5]存在しなかった(。国民向け説明会の資料もあるが、やはり、条文そのものを掲載していなかったために、根拠とはいえない)。しかも、茂木氏は、TPP11=CPTPPの条文の「Annex I」の「Article 3」に記されていると明言していた[5]が、今回、ようやく公開された条文と対比する限り、いつの間にか、Annexが一つ消え失せたことになる。およそ、「子供たちのごっこ遊び」と呼べる頻度で、ルールが変更されている。

しかも、CPTPPの英語は、(厳密ではあろうが、)構文上、難読と呼べる程度のものであって、大学入試で出された日には、「ムーミン谷はフィンランドにある」説どころではない阿鼻叫喚状態が生じそうである。しかしながら、一般的な日本人が到達可能な理解がいかなるものになるのかを検証するため、また、個人的な答え合わせを兼ねて、第3条第2項をGoogle翻訳[6]にぶち込んでみたところ、予期せぬ程に内容を理解できるような回答が帰ってきたので、その翻訳結果を引用しておく;

本契約が第1項の下で効力を生じていない本契約の署名者については、本契約は、その署名者が適用される法的手続きの完了を書面で預託者に通知した日の60日後に効力を生ずる。
もっとも、22日08時35分の時点で、なぜ、Google翻訳が正確といえるレベルの答えを返したのかは、謎である。


CPTPPに見る秘密主義・選民主義は、官僚・大企業・学術研究機関に所属する自称エリートたちの平常運転モードであるとはいえ、全くの他人事ながら、心配になるものである。CPTPPの下に展開されるであろう構造的不正は、CPTPPの制定に関与して恩恵を受けてきた人物たちの連帯責任となって、必ずや、応報的に機能するためである。CPTPPは、末代まで祟る(庶民にとっての)不平等条約であり、他民族にも恨まれることにもなる。この時空間上の広がりゆえに、どのようなフィードバックが生じるのかは、誰にも予想できまい。大体、渡されもしないし読めもしない契約書に、誰が判を付くというのであろうか。悪徳商法そのものと同一の構図である。わが国の成人であっても、約款を実際に読むか否かは別として、約款が提示されたこと自体を信頼し、契約を進めていよう。CPTPPに対する国民感情は、お手盛りの世論調査では汲み取れないものであろう(。内容を理解している国民は、CPTPPが一種の「国策」であることをも理解しているであろうから、やんわりと調査拒否するであろう)。その辺をよくよく弁えておかなければ、自称エリートたちは、思わぬ事態を迎えることになるやも知れない。


[1] TPP11の条文が公表される 3月に署名へ - Sputnik 日本
(記名なし、2018年02月21日21:54、更新2018年02月22日00:46)
https://jp.sputniknews.com/business/201802214603609

[2] Comprehensive and Progressive Agreement for Trans-Pacific Partnership text | New Zealand Ministry of Foreign Affairs and Trade
(2018年02月22日確認)
https://www.mfat.govt.nz/en/trade/free-trade-agreements/free-trade-agreements-concluded-but-not-in-force/cptpp/comprehensive-and-progressive-agreement-for-trans-pacific-partnership-text/

[3] TPP11、6か国承認なら発効…大筋合意
(読売新聞・ダナン=田中宏幸、2017年11月12日)
https://www.msn.com/ja-jp/news/money/%EF%BD%94%EF%BD%90%EF%BD%90%EF%BC%91%EF%BC%91%E3%80%81%EF%BC%96%E3%81%8B%E5%9B%BD%E6%89%BF%E8%AA%8D%E3%81%AA%E3%82%89%E7%99%BA%E5%8A%B9%E2%80%A6%E5%A4%A7%E7%AD%8B%E5%90%88%E6%84%8F/ar-BBER65Y

〔…略…〕新協定の発効条件は、11か国のうち6か国の国内手続きが完了してから60日後と定めた。

[4] COMPREHENSIVE AND PROGRESSIVE AGREEMENT FOR TRANS-PACIFIC PARTNERSHIP
(2018年02月20日18:48:41作成、21日11:07:39変更、22日閲覧)
https://www.mfat.govt.nz/assets/CPTPP/Comprehensive-and-Progressive-Agreement-for-Trans-Pacific-Partnership-CPTPP-English.pdf

[5] 茂木大臣による記者会見の概要【PDF:85KB】
(2018年01月25日)
https://www.cas.go.jp/jp/tpp/naiyou/pdf/tokyo1801/180123_tpp_tokyo_kaiken.pdf

[6] Google 翻訳
(2018年02月22日確認)
https://translate.google.co.jp


#多忙のため、引き続き、ブログ更新をサボりがちとする予定。世界の動きも速すぎて、追随するので精一杯。




2018年02月25日追記

念のため、21日夕刊と22日朝刊の『読売新聞』『朝日新聞』『日本経済新聞』を確認したが、『読売新聞』22日朝刊のみが、CPTPP条文の公開を2面で報じていた。およそ300字程度の小さな扱いである[1]。『Yahoo!トピックス』[2]を見ても、『日本農業新聞』と『ロイター』くらいしか、本件をタイムリーに報じていないようである。23日、トランプ大統領がターンブル豪首相と会談後の記者会見でTPP復帰を示唆した。ひょっとして、トランプ氏が各国国民に対する情報提供を企図したのではないかと思えてしまう程に、主流マスコミは沈黙している。


[1] 記名なし, 「新TPP 発効条件緩和/7条の協定文を公表」, 『読売新聞』2018年2月22日朝刊14版, 2面総合.

[2] 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の関連情報 - フォロー - Yahoo! JAPAN
(2018年02月25日確認)
https://follow.yahoo.co.jp/themes/0f7c5fc9f157e88c2731/

2018年2月3日土曜日

(一言)物凄い大ニュースが続いている

のに、わが国のフェイク・メディアは、独自性に乏しく、よほどの大ニュースを報道していない。「#ReleaseTheMemo」のツイッターのハッシュタグは、文字通りの大ニュースである。茂木俊充氏が秘書の物品配布を承知していた話(2月2日朝日夕刊)は、国内で問題になるというよりも、TPPを所掌する大臣が賄賂に関与していたという形式で、海外において報道されることのインパクトが大きくなるものと予測される(。無論、その意図で、本件報道に関与した良心あるジャーナリストがいるということであろう。ただ、彼(女)たちの究極的な目的が単に現政権の打倒にあるものか、あるいは、真に国民益の増進を目指しているものかは、分かりかねる。まあ、途中まで道が同じであるから、呉越同舟で良いのであろう)。

山本太郎氏の籠池夫妻に係る国会発言もまた、一部のネット上のみで話題となっている。真に国民を思う政権であれば、国益とのバランスを考えて、勾留せざるを得なかった(という理屈自体もおかしいが、)籠池夫妻の居住環境は、他者を大幅に超える厚遇としているはずである(が、このような話は、一応のところ、考えにくいし、この考えにくい話がたとえ成立しているとしても、箝口令が厳重に引かれることになろう)。暖房なしの室内で上着を着て執筆しながら、以上のように、私は考えたところである。




2018年02月03日06時15分修正

修正中にアクセスがあったようであるが、今回の修正結果が、当座の結論である。




2018年02月03日07時45分追記

茂木氏の話は、本文だけでは誤解を招くので、追記したい;違法性を国内で認められようが認められまいが、茂木氏の秘書の事件は、国際的に利用される方向にある;この報道をなした記者は、TPP11を潰そうという意図の有無に限定すれば、潰そうという意図を有しているし、その点では、人間としての良心を有している。もちろん、それ以上の意図は、私には分からない(し、ここに示した彼(女・たち)の意図は、私が勝手に推測したものである)。

2018年1月2日火曜日

(メモ)安倍総理のゴルフ友達はお互いに仲が良いのだろうか

安倍晋三氏が平成30年1月2日に御手洗冨士夫・経団連名誉会長、榊原定征・会長、渡文明・JXTGホールディングス名誉顧問とゴルフした(07:38~14:55)と、時事通信は伝えている[1]。会場となった「スリーハンドレッドクラブ」(は、「政財界一流人300人だけの会員で組織されている」とのことである[2]。

私は、先のトランプ大統領訪問時の安倍氏のゴルフ接待を想起して、安倍氏が本当に仲の良いのは誰か、日本国民をどこに導くつもりか、を訝しんだ。安倍氏は、「財界天皇」(笑)と米大統領との間でバランスを取ることに苦心したのかも知れないし、双方の顔を立てることに簡単に成功するような人たらしなのかも知れない。「全員、元からグル」というオチも、あり得ることではある。松山英樹氏の本日の成績は、思わしくないようであるが、昨年11月の松山氏の接待は、日本国民にとって、大変に有難い功績ではある。

仲の良さを測る指標として、食事の回数の多さや一緒に過ごした時間の長さは、間違いなく利用できようが、それでも、ここでの予測については、そのまま利用できる情報ではない。食事回数及び一緒にいた時間の長さは、仲の良さとは、間違いなく正の相関関係を有しよう。つまり、長く付き合い続け、一緒に食事する回数が多ければ多いほど、仲が良いのであろう。しかしながら、今回のプレイ時間の長さは、1ラウンドという材料を与える情報に過ぎない。今回の「接待ゴルフ」に係る背景・文脈が分からなければ、結論は出せない。

どちらの側から誘ったのか、何を話したのかは、もちろんヒュミントの領域であるが、日本語を話す一般大衆(、ほぼすなわち日本国民)の大多数は、特別な伝手によらなければ、この情報を得ることは適わないであろう。理想的なジャーナリストとは、この内実を推測できる手掛かりを、その報道に接した誰もが理解できるように、消費者に提供しようと努力する存在であろう(、とジャーナリズムに対するハードルを上げておこう)。しかしながら、BBC(による安倍氏の転倒の映像[3])以上にメッセージ性のあるニュースを、日本語主流メディアが放送することは、当面の間(、数ヶ月間程度は)、あり得ないであろう。もちろん、会話の内容を四名以外も耳にしたであろうが、その情報が利用されないことは、世界的なお約束ではある。


ところで、日本人(あるいは日本語話者)である我々は、2018年頭、世界が全体として良い方向へと確実な変化を続けていることを示す報道に取り囲まれてはいる。ただし、それらの情報を日本語主流メディアが消費者の利益になるように提供しているか否かは、別の話である。どれほど良心的な個人であっても、大マスコミの内部において可能な仕事(あるいは工作)は、たとえば、デスクであれば重要な記事を隣接して配置する程度がせいぜいであろう。「分かる者には分かる」程度の仕事が果たして消費者の利益になるのかという疑問をマスメディア従業員の良識派に突き付けることは、可能ではある。しかし同時に、この疑問を解決しようとした個人に対する制裁が苛烈であり、それに対する他者の支援が欠落しがちであることも、また事実である。この構造的な隘路が解決される条件が生じなければ、主流マスコミの走狗ぶりは変化しないであろうし、わが国でその条件が生じるためには、もう暫くの時間を要することにはなろう。


#数少ない本ブログの読者の皆様におかれましては、今年が幸多き一年となりますよう。


[1] 首相動静(1月2日):時事ドットコム
(2018年01月02日16時24分)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018010200112&g=pol

[2] スリーハンドレッドクラブ のゴルフ場詳細【GDO】
(2018年01月02日閲覧)
http://reserve.golfdigest.co.jp/golf-course/detail/372301

[3] Trump carries on golfing as Japan's Shinzo Abe falls into bunker - BBC News
(2017年11月10日)
http://www.bbc.com/news/av/world-us-canada-41939359/trump-carries-on-golfing-as-japan-s-shinzo-abe-falls-into-bunker

2017年10月28日土曜日

「決められない」という「知恵」は、意思と信頼の産物である

健全な陰謀論者であれば、尖閣諸島における2010年以来の日中関係の軋轢は、石原慎太郎氏と前原誠司氏による、旧・ジャパン・ハンドラーズ仕込みのコラボレーションから生じたことをご存じであろうが、これらの稚拙なナショナリズムの発露は、かえって、現在の日中関係の礎を築いた田中角栄氏と周恩来氏の双方、加えて、当時の日中外交関係者(で両者の合意をお膳立てした人物たち)の優秀さを引き立たせるものである。まず最初に、尖閣問題を棚上げにするという方向性は、低レベルな知能からは、決して生まれなかったであろう。関係者の誰かが、当時に至るまでの経緯を十分に理解して、入念に将来を設計することは、必要条件である。次いで、双方のトップのそれぞれに、将来への善き意思がなければ、交渉が成立しない。加えて、日中双方に、(少なくとも、この交渉については、)相手に対する強固な信頼が必要となる。私という個人にとって、10回以上は輪廻転生しなければ到達できなさそうな種類の条件の厳しさである。

このような偉業を到底望み得ないであろう私が、今頃(2017年10月28日)になって、尖閣諸島棚上げ論を賞賛する理由は、現状への屁理屈の根拠としたいからである;つまり、安倍晋三氏率いる自公政権は、今回も勝ち過ぎたために、高度な駆け引きを演じる余地を失ったのである。彼らは、今回も「大勝利」したが、今回も「決められる」ことが継続する政治は、相当に高度な知性によって、細心の注意を以て運営されなければ、日本国民の99%にとっての大敗北という結果へと直結する。衆院三分の二を大きく超える改憲議員数は、色々な動きを「棚上げ」できなくする勢いをも意味するのである。

国際関係を見れば、米中露の三か国は、普通選挙の有無に関係なく、いずれも対外的には知性ある帝国主義者として行動しており、わが国は、その政争の具でしかない。自公政権に関わりの深い誰かさんの大好きな『三国志』の世界の、一脇役に過ぎないのである。対外関係を考慮した場合、日本が「決められない」政治によって右往左往しているように見える方が、下手を打った挙げ句、三か国のいずれかまたは複数による武力行使(、または武力による威嚇)を経験せずに済む。停滞するという選択肢を理由抜きに取ることができないことは、わが国が繊細な政策の舵取りを必要とすることを思えば、意思決定上の制約条件となる。

かつての「護憲」・「安全保障法制」を良しとする自民党の「ハト派」には、このような地球規模の『三国志』を生き抜く上で、十分な狡猾さと、懐の広さがあった。戦後から80年代前半までに至るわが国の経済成長の歩みは、彼らがタカ派とともに共存していたという事実に負うところが大きい。一帯一路は、中国経済の新たなフロンティアであるが、この構想は、「日本列島改造計画」のユーラシア版である。トランプ政権も、軍人の膨大な食い扶持を内政から捻り出すため、新たなニューディール政策として、この前例を参照しているものと認められる。JICAの開発途上国における支援の中でも、ゼネコンの寄与は目に見えるものであるだけに、大きなものがあるが、彼ら土木関係者は、「日本列島改造計画」を通じて、日本国内を練習台として、実力を涵養できたのである。「熊しか通らない」高速道路は、わが国では利用されなかったとしても、やがては、より極寒の地における舗装技術に活用されることになる(と期待しよう。それは、「三か国」の一角に食い込む材料にもなる)。

「ハト派」の知恵は、刑事司法機関が法の下の平等を歪曲したために、継承されなくなった。ハト派がバランサーとなってわが国の政治を誘導してきたことは、矢部宏治氏が選挙前に指摘した[1]通りである。彼らに「ダーティ」な印象を付与して壊滅させることに成功した主力は、旧ジャパン・ハンドラーズのイヌである東京地検特捜部であった。ただし、この特定部署の経験者だけが悪人という訳ではない。この部署の存在がテコ(=悪しき前例)となって、刑事司法機関全体が平等な法の適用を怠り、場合によっては、ハンドラーズのイヌとなって、政治家の品行を探り、それをハンドラーズに売ってきたことが、問題の根幹にある。逮捕されるべき犯罪者たちが放置され、報道に圧力が掛けられるという現状は、平成11年以後の数年間に比べて、わが国の警察行政が大幅に後退したことを示す大々的な証拠となってしまっている※1。

このような中、今回の(第48回衆議院)選挙において、若狭勝氏が政治生活を引退するに至った[2]理由は、興味深く検討される必要があるが、直感的には、安倍晋三氏ら自民党の「民族独立派」と刑事司法機関が、ネオコンと暗闘を繰り広げた結果ではあろうと思われる。若狭氏落選の事実は、必ずしも、国際秘密力集団の両建てが思うように進むわけではないという状況証拠ではあろう。「民族独立派」からすれば、若狭氏は、「対米従属派」の番頭であり、裏切者の身内という訳である。ただ、自公大勝という事実は、「決められる政治」がネトウヨや創価学会や警察や自衛隊からの突上げに応じて暴走できるようになった状態をも意味する。新・日中戦争という誰も望まない結末へと進みやすくなると言う点で、自公大勝は、「リベラルと自公との痛み分け」という結果よりも、一段、望ましさが落ちるものである。

脱線するが、本稿において、今回の選挙戦の明暗を分けたと考えられる要素のうち、私が重視するものは、安倍晋三氏が公明党にも猶予を与えずに解散を強行したという本澤二郎氏の指摘[3]である。本澤氏の推認は、「元自民党本部職員」の話だけを元にするものであるが、首肯できるものである。この指摘を下敷きに、色々な現象を見ていくと、どれも説明が通るのではという見通しが得られる。その一例が、若狭氏の引退という訳である。


ところで、わが国には「ハト派」をテコとした「決められない政治」の成功体験があるが、現政権の「盟友集団」である武官組織は、この成功体験の恩恵を受けたという意識が希薄なこともあり、この「決められない政治」の成否を分ける知恵を、組織として体得していない。「決められない政治」には、リベラルと保守の双方が知性と信頼を以て行動することが必要となる。言い換えると、一つの国家の内部において、異なる組織を超えるところに、また、敵方となる組織に、ゴールを共有できる同志がいるということが必要条件となる。その同志と活動を棲み分けることが、パートナーシップというものである。『週刊少年ジャンプ』のキャッチフレーズである「友情、努力、勝利」の「友情」は、ライバル関係について発揮されるとき、「パートナーシップ」と読替え可能な表現となろう。吉田茂氏による防衛大学校の卒業式の訓示とされる(自衛隊が日陰者である時の方が、国民は幸せであるという旨の)発言[4]は、発言の場の正確性がいかなるものであれ、内容自体が真実を衝いている。しかし同時に、「日陰者」の状態から脱却しようとする心性は、誰にとっても、自然なものであろう。二律相反する心性は、何も手当がなければ、いわば、祟り神の状態となる。「祟り神」の兆候は、湾岸戦争当時、日本国民がバブルに踊る中、現れたものと推定される(が、これは、仮説である)。本来、国民は、これらの「守り手」の成員に対して、彼らが感謝されていることを実感できるように、敬意を示し続けるべきであった。とりわけ、「左派」であり、内ゲバを行う極左と自分たちとが違うと考える人物らは、安保反対運動という実績ゆえに、この「祟り神」を「鎮める」ための「祈り」を積極的に行うべきであった(が、お互い、敵視し合っていたために、このような感謝を示すことができないのは、当然とも言えよう)。他方で、経済状況の変遷のために、現業公務員の金銭的待遇は、一流無国籍大企業の正社員とでも比較しなければ、現在では、相当に好条件である(。かつては、十分な保障がなかったことも事実である)。しかしながら、現在、これらの組織が国民に提供するパフォーマンスの低さは、社会(の穏当さ)がなければ、到底、現在の厚遇に相応しくないものである。わが国が開発独裁国家であり、健全な批判をも許さないように振舞うことは、武官官僚たちの失敗を端的に示す証拠である。先進諸国の理念を体現できていればこそ、武官は、先進国に相応しい処遇を要求できる。現状は、国民と実力組織の双方が、お互いへの感謝を忘れたものであると指摘することができる。しかし、武官組織の側から見れば、成功体験に与らなかったという錯誤が継続しており、その勘違いが、彼らの考える「ファシズム」へと、彼らを導く原動力となっているのであろう。ただ、「ファシズムの成否は、反対派をどれだけ(切り崩すのではなく)取り込めるのかによる」という点に思いが至らないところは、何とも皮肉である。反対派を切り崩すことは、ファシズムの必要条件であっても、十分条件にならない。良くも悪くも、わが国は、国内政治については、「すべてが金目」の無党派層が最大勢力なのである。

加計学園疑惑には、「武官組織の高級官僚が文科省の縄張りである大学への天下りを企図し、大学という植民地への足掛かりを得て、「予備役」を増やそうとしている」という伏線があるが、この伏線自体、彼ら「青年将校」らを忘恩の徒であると批判できる材料である。評価というものは、本来、「テロ対策・犯罪対策においては、一方的なラベリングが忌避されるべき」というリベラルの主張と同様、受動的なものである。「自分たちは良くやっている」と、警察や自衛隊がお手盛りで評価すること自体が、彼ら自身の評判を醜いものへと変えてしまいかねないことである。評価という作業は、「相手」を必要とする相互作用なのである。

これと同様の原因から、現政権の「盟友集団」である警察と自衛隊は、習性上、組織の外部にスパイを養成することはできても、友人や、対等の立場で取引できる相手を作ることができない。これらの実力組織において、建前では、上の命令は絶対である。また、極限状態において、職務上接する相手は、味方と敵の二種類しかいない(。ここに民間人が巻き込まれると、悲劇が生まれることになる。占領という行為は、常に悲劇と憎悪を発生させるリスクを伴う)。この組織上の基本的機能が、何にでも序列や順位を付け、敵味方を峻別するという無意識的な習慣へと敷衍されている。「クリーンなタカ」の代表である中曽根康弘氏の下で、後藤田正晴氏が辣腕を振るったことは、象徴的なエピソードの一つである。中曽根内閣の一員としての後藤田氏の業績は、佐々淳行氏による警察官僚から見たときの好評価を鵜呑みにするのではなく、別の観点からも、評価にかけられる必要がある。危機に備えることは、本来、平時を維持することにも寄与するはずの行為であるが、その備え方が拙ければ、自ら危機を招来することにもなりかねない余計事ともなる。

わが国のファシズムは、「同化圧力」よりも「異分子排除」に力点が置かれており、成員の内心に対して、総力を結集できない方向に作用する。いじめられたくないからいじめる側に回るという成員の内心は、消極的な理由に基づくものである。丸山眞男氏は、わが国のファシズムを自己暗示的なものとして理解しているから、この小心者の心性は、近代から現代に至る日本人について、通時的なものと解釈することができよう。ただ、この心性自体、卑小なものであることは間違いなく、このスネ夫的心性こそ、多くの日本人が避けるべき悪(=利己性)である。

小沢一郎氏に対する攻撃は、「異分子排除」の実例でありながらも、わが国において例外的にパートナーシップが発揮された事例として、特筆すべきものである。小沢氏への人格攻撃もまた、東京地検特捜部という実力組織を中心に機能した。小沢氏に対する人物破壊工作は、特定の個人をいじめ抜く、つまり、排除するという目的を通じて、組織を超えて、官僚や報道人の連帯意識が機能したという点で、特殊である。この一連の動きは、わが国の実力組織がパートナーシップを体得できないことを端的に示している。意見を掬う(人を救う)ことを目的としてこそ、連帯が生じるべきであるのに、排除する場面においてのみ、権力を裁量的に行使できる組織が仲間意識を発揮できるという状態は、日本人の悪弊の中でも、最も醜いものであろう。小池百合子氏の「希望の党」が惨敗に終わったことは、国際情勢を考慮すれば、言祝ぐべき事実ではあるが、しかしながら、これもまた、日本人が仲間外れを行う場合にのみ結束するという特徴を明らかにする事例である。

逆に考えれば、指揮命令系統を前提とする組織に備わる階層性に十分注意して、各人を対等と見る「法の下の平等」の原則を貫徹すれば、ここに批判される実力組織らの成員は、今後の難局を乗り切ることができるやも知れない。その具体的な現れは、たとえば、言論については、検閲を実施したり、実力行使をほのめかして沈黙を強いるのではなく、単に無視するに留めるというものとなる。これは、最低限の嗜みというものである。もちろん、批判に耳を傾け、謙虚に受け止めるという姿勢は、それがたとえ形だけに終わるとしても、品格を保つ(ように見せかける)上で必要な、一段上の所作である。こうしてみれば、現今の実力組織が主導する情報環境下における言論操作は、あからさまな暴力よりはマシに見えると考える者もいるかもしれないが、精神性において、後進国である。

わが国の伝統的価値観に即せば、また、効果性・効率性という観点からも、権力を持つ側には、品格までが求められる。品格は、言論の正しさや行動の美しさによって担保される。前稿(2017年10月26日)にも挙げた書籍であるが、山本豊津氏の『アートは資本主義の行方を予言する』[5]は、美が武力によらずに人々を心服させることを指摘している〔pp.42-49〕。これと同じく※2、『花戦さ』は、私は(今夏の)映画しか観ていないのであるが、美と武との緊張関係を余すところなく表現しているように思う。また、『Civilization V』という文明同士が覇を競うコンピュータゲームにおいても、文化的勝利が楽であることは、拙稿(2017年4月22日)に述べた通りである。他方、ナチス・ドイツによる1936年のベルリン・オリンピックは、美や畏怖感を利用(悪用)した事例として、突出している。映像を見るだけでは想像しにくいことであるが、同大会において、ビッグネスというスケール感が利用されたことに対しては、注意が払われるべきである。北朝鮮などにおけるマス・ゲームは、この効果の正統な後継者である。パリ占領軍がココ・シャネル氏を取り立てるなどして(、そして、その贔屓を受け入れなければ、当然、シャネルというブランドは、今の形ではあり得なかったであろうが)、パリ市民の文化を曲がりなりにも尊重したことを思えば、自公政権は、美の力で競争相手を心服させるという方法が下手であるし、秋葉原駅前程度で街頭演説を終わらせており、十分なスケール感によって威容を誇ろうともしない。この点において、彼らは、「ナチスに学ぶ」と言いながら、余力を残している。つまり、自公政権は、実力を悪しき方面にも伸ばす余地がまだまだあるという点で、リベラルの側には、従来以上の狡猾さが必要とされているのである。


※1 当時、批判的な声を上げた犯罪学者たちの、現時点の批判の声は、驚くばかりに小さなものである。いずれの被害も、正当な刑事司法手続の対象となるべき事件であるが、当時よりは今現在の方が、学者が沈黙を保つことにより生じる政治的な悪影響は、大きなものがある。

ところで、今回の選挙戦の前には、男女関係を暴いてダーティなイメージを与える戦術こそ、現在の政体の側によって、政敵に対して利用されたが、この一方で、疑獄や犯罪と呼べる種類の事実を挙げて中傷するという戦術は、ハンドラーズの側によってのみ、政体に対して利用されている。この圧倒的な「悪さ」の差が、政体の側でネタ不足であっただけなのか、それとも、政体の側が最低限の矜恃を保ったためであるのかは、断定しかねる部分が残る。しかし、公知の行いを素直に敷衍して解釈すれば、前者が真実に近いものとなろう。これこそが、普段の行いにおいて、政権の側にこそ、「横綱相撲」が必要な理由である。

なお、この暴露合戦こそは、既報(2017年9月30日)において、謎めいた表現になってしまったが、私が「どっちもどっち」と呼んだ対象である。なお、大事なのは、今回の場合においても、選挙の候補者本人がこの種の暗闘を直接了承しているかと問われれば、そうではない場合もあり得るということである。何なれば、選挙陣営に関与できない国家公務員や地方公務員が暴露合戦に従事しているという可能性は、相当に高そうである。そして、それらの作戦は、別稿(2017年6月10日)で指摘したとおり、従事する人物らの中では、国益に資するものとして正当化されているはずである。

※2 山本氏の著書は、2011年の鬼塚忠氏の原作に言及していないようであるので、偶然、同じテーマを扱ったものと思われる。


[1] 誰が首相になっても、総選挙後に必ず起こる「2つの重大な出来事」(矢部 宏治) | 現代ビジネス | 講談社(2/5)
(矢部宏治、2017年10月8日)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53127?page=2

けれども、そうした米軍支配の構造のなかで、反対勢力を非民主主義的な手段で壊滅させるのは、これ以上ないほど愚かな行為である。なぜなら日本の戦後政治には、ながらく、
① 自民党・右派          (安保賛成・改憲)
② 自民党・リベラル派(保守本流) (安保賛成・護憲)
③ 社会党他の革新政党       (安保反対・護憲)
という3つのグループが、それぞれ約3分の1ずつの議席をもつという構造のなかで、①と②が安保体制を維持しながらも、あまりにひどい要求に対しては、②と③があうんの呼吸で連携して、それを拒否するという政治的な知恵が存在したからである。

けれどもいま、この②と③の勢力の多くが、一度民主党(民進党)に集められたのち、野田・前原の2度の自爆選挙によって壊滅しようとしている。その結果、訪れるのは、「朝鮮戦争レジーム」の最終形態である「100パーセントの軍事従属体制」に他ならない。

[2] 若狭勝氏、衆院選の落選で政界引退へ「年齢もある」 (希望の党)
(別宮潤一、朝日新聞デジタル、2017年10月26日21時27分)
http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/26/wakasa_a_23257683/

[3] 「ジャーナリスト同盟」通信:勝者前原・敗者山口<本澤二郎の「日本の風景」(2776) - livedoor Blog(ブログ)
(本澤二郎、2017年10月26日)
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52190355.html

今回の敗者は、公明党創価学会である。自民党を勝たせた原動力は、各選挙区に散らばる創価学会の固い自民支持票だった。これに異論をさしはさむ余地はない。

〔...略...〕

元自民党本部職員は「公明党は神奈川の小選挙区でも落選している。これは急な解散で、住民表の移動が間に合わなかったためだ」と決めつけている。昔よく聞いた話である。

このことは、今回の違憲解散が、友党に対しても秘密裏に強行したものであることを証明している。

[4] 「自衛隊が冷遇されている時の方が国民にとっては幸せだ」という趣旨の吉田茂の名言は、何時どのような場所... | レファレンス協同データベース
(2014年4月25日)
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000152686

[5] 山本豊津, (2015.10). 『アートは資本主義の行方を予言する 画商が語る戦後七〇年の美術潮流』(PHP新書 1009), 東京: PHP研究所.
http://id.ndl.go.jp/bib/026719224


#なお、新聞記事の引用が偏り気味であるのは、『読売新聞』と『産経新聞』が大半の記事を数週間も残さないからである。両紙の作法は、新聞社としての要件を満たさない。両紙が引用されないのは、仕方がないことである。私とて、読者の利便を図りたいし、リンク切れを起こしてSEO上のペナルティを受けたくないのである。両紙は、この点だけでも、フェイク・ニュース未満である。

#また、今回の記事によって、ようやく、第48回衆院選に係る私の理解を共有するための大枠を提供できたように思う。考えるべきは、公明党と自民党主流派の関係、不正選挙の手段を有する主体、戦争屋と手を切ることができている組織、二度の台風における「民族派(に連なるトランプ政権ならびに米軍)」対「戦争屋」の確執、といったところがある。自公は、三種類に区分すると分かりやすいし、時期外れの二つの台風がおかしな進路を取ったのは、二つの力が影響したから、と考えるのが妥当であろう。一回目は、民族派によるものであるのに対し、二回目は、戦争屋によるものであり、これが民族派により妨害された、というものが、価値観をできるだけ当事者のものに近付けたときに得られる結論である。二回目については、低気圧となる状態を南方で続け過ぎたということも考えられなくもない。




2017年10月28日21時・11月1日訂正

本文で曖昧な箇所を訂正し、若干の記述を追加した。

2017年10月11日水曜日

国際秘密力集団の「三つ巴」は二種の両建てにより構成される(2)

本稿は、前稿の続きである。


「三極化」と「二軸の両建て」は異なるメカニズムを有する

別稿(2017年9月30日)の追記(2017年10月2日訂正)において、「三極化」と「二軸の両建て」とは異なることを主張したが、この主張には、一応、根拠らしきものがある。これは、アンケート調査で「3つの選択肢から1つを選ぶ」という方法と、「それぞれ2つの選択肢を持つ設問を、2つ回答する」という方法の違いに当たる。後者については、設問の順番を入れ替えると分析結果が変わり得る(response order effect)ことが指摘されている。もっとも、この効果が確認できないとする研究も見られるようではある。ただ、政治の世界では、「朝三暮四」という故事成語が普通に用いられているし、この効果が実際に影響しているとの研究が実在する以上、これを信じた人物が政治に参画するという事態は、あるものと考えても構わないであろう。

「三極化ではなく、二次元配置」という手管が分析上厄介なものとなり得ることは、今年のノーベル経済学賞の受賞者がリチャード・セイラー氏であることにも現れている。設問の順序が効く可能性があるだけでなく、オプトイン(加入に意思の明示が必要となる制度)・オプトアウト(脱退に意思の明示が必要となる制度)の違いは、政策上、効果を有する(と選考委員会が認定したから、受賞が実現している)。投票者に対して「一番目(二番目)に重視する政策は何ですか」という質問の仕方は、現に世論調査に認められる。この考え方を進めると、AHP(Analytic Hierarchy Process、階層分析法)という方法になる。AHPは、複数の価値(安全保障、社会保障、経済、教育...)を提示して、それらを二種類ずつ、どちらがどれくらい望ましいのか比較した(一対比較という)上で、それぞれの価値について、政党や候補者を採点すれば、望ましい候補者の解が得られるという方法論である。「上位2位分の重視する価値」を尋ねることは、実のところ、さほど有用な方法ではない。ほかの価値を実現する上で有力そうな候補が脱落することになりかねないからである。それに、回答者ごとのデータを扱うことができなければ、外部者が後から分析する上で(二次分析)も問題が残る(。集計問題が生じる。それにAHPにも転用可能ではない)。

以上の考え方を一歩進めて、「取上げ方に、順位・順番あるところ、恣意性あり」と考えても、極論という訳ではない。恣意性が極力排除されているか否かは、別の話である。これは、仮想反実的な思考を重ねれば、私の言わんとするところが良く理解できるようになろう。読売新聞の与党党首インタビューは、10月5日から開始されたが、自民党、希望の党、公明党の順番であった。企画時期が立憲民主党の設立以後か否かは、微妙なところであるが、改選前議席の順番から言うと、一面、妥当であるとは主張できよう。しかしながら、これを逆順でも構わないのではと考える私は、果たして、捻くれすぎなのであろうか。希望の党も、立憲民主党も、前回の選挙において、政党としては国民から負託を受けた訳ではない。この点を考慮すれば、前回の衆議院選挙に参画した政党で、所属議員が落選した政党は、順序からすれば、先に取り上げられるべきではないか、と考えることも可能である。われわれの思考の枠組みは、ここに挙げた順番に対する検討を読売新聞社が公的には省略していることからも認められるように、案外、ユルユルなものである。結局、順番を問題とする場合、各自(ここでは、読売新聞社)が妥当と考えられる順番を明示的に言語化した上で、その是非を問うていくほかない。調べもしないままに疑問を書き連ねておくが、公職選挙法は、この辺の事情をより突っ込んで考慮したことがあるのであろうか。政見放送については、事前の抽選によるという点、間違いなくこの点を考慮しており、公正であると評価できるが、あらゆる報道が恣意性から逃れることができないという点については、考えが甘いように思われてしまうのである。


「三極化」は、経済的・個人的自由への態度によっても「二次元配置」できる

ところで、今回の選挙(2017年10月10日告示・22日執行、衆議院)の「三極化」は、ノーラン・チャート上にも配置可能である。自民党は、近年に限定すれば、個人的自由を制限するが、経済的自由を尊重するという位置付けにある。立憲・共産・社民は、個人的自由を尊重するが、明らかに経済的自由を制限する方向にある。希望は、個人的自由と経済的自由を尊重するかに見える。公明は、動機が特殊であると考えられるので、ここでは論じない。ほかの政党や無所属の立候補者については、ここまでのヒントに基づけば、相応の区分に位置付けることが容易であろうから、省略する。もっとも、希望の党の公約の曖昧さは、個人的自由に対する同党の見解について、十分な手がかりを選挙民に与えないものである。


#とりあえず、尻切れトンボの感で一杯だが、本記事は、シリーズとしては、これでおしまいであるので、次回の記事を執筆した(2017年10月24日追記)。選挙後、(遅すぎることになるとは思われるが、)書き残した点を再度追究する。

2017年9月22日金曜日

今週吹いた「解散風」は理解できないものである

今週のマスコミは、揃って「解散風」を報じているが、現時点の国会における政党の外面的な勢力図を考慮すれば、本当に理解できないことである。「モリ・カケ隠し」との野党側の非難は正しいが、これだけが理由であるとは、到底納得できない。読売などが指摘する消費税の使途の限定化という目的は、真面目に検討する気にもなれない程に、取って付けた感がある。しかも、前週の15日、株式会社ムサシ(7521)の株価は、14日に比較して、一段、上昇した状態から取引が開始され、一日中、14日とは異なる価格帯での値動きを見せている。

「解散風」の違和感の理由として、現状、与党が両院で絶対多数であり、しかも衆院三分の二を押さえているという事情を挙げることができる。あと1年3ヶ月の間、与党の全議員が法案に賛成するという前提さえ成立していれば、法律は通し放題である。安倍首相の立場から想像してみると、戒厳令を臨時国会で強行採決しても良いくらいである。これに対して、安倍氏が解散に踏み切った場合、確実に、マスコミの報じる「情勢」は、現与党への逆風となる。10月下旬までは、森友学園疑惑・加計学園疑惑だけでも、マスコミのネタは十分に保つであろうから、「無党派層」の他罰的な投票行動は、マスコミに踊らされたものになるであろう。選挙に係る不正が全くなかったとすれば、「2017年10月の衆院選」も、2009年と同様、大規模な「反動」が生じよう。

与党内部に実は深刻な亀裂が存在すると考えると、解散する理由も多少はあるように思われるが、それでもなお、説明不足の感がある。9月20日には、何故か、石破茂氏がフジ『めざましテレビ』に出演して、自民党の立場を説明していた(。念のため、私は、この番組を流し見した)。株式会社ワイヤーアクションは、この点について、石破茂氏が「不快感を示す」と記述している[1]が、この表現は、妥当である。問題は、なぜ、フジテレビが石破氏に意見を求めたのかという点である。石破氏の肩書きは「元幹事長」である。与党ベッタリのフジ・産経グループなのに、現・幹事長の二階俊博氏にアポが取れないというのは面妖である。二階氏は先の内閣改造を経ても、党幹事長に留任しており、この点、盤石に役目を務めてきていると解釈することができる。二階氏からは、フジテレビの期待する「画」が得られなかったものと考えるのが妥当であろう。本ブログでは、この手がかりに認められる亀裂を、「クリーンなイケメンに注意せよ」という佐高信氏の小泉純一郎氏への批判に連関させて述べてきた(2017年8月28日)。二階氏も石破氏も、イケメンというイメージからは程遠い。ただ、「クリーン・ダーティ」の別で言えば、二階氏は、西松建設事件において、小沢一郎氏と並び指摘されたことからも想起できるとおり、明確に「ダーティ枠」に分類できる。他方、石破氏は、目立ったスキャンダルに相対的に欠如しているという消極的な理由から、「クリーン枠」に対置できよう。2017年現在、日本語マスコミに付与された「ダーティな」イメージは、日本国民一般にとって、一周回って信頼すべき証として機能している。仮に、解散が行われ、自民党が議席を減らすということがあれば、石破氏がマスコミに披瀝した「建前」の「正しさ」は、石破氏の党内における地位を向上させることになろう。この虞からしても、勝てる見込みがなければ、安倍氏が解散に踏み切ることは、自滅的な行為というべきである。公平に見て、望み薄ではあるが、逆に、安倍氏が現在以上の党勢を実現できたとすれば、緊急事態条項の創設に向けて、党内の結束を固めることができるというものである。

先の内閣改造においては、マスコミの「推しメン」である「クリーンな政治家」の入閣の噂が飛び、三宅雪子氏がこれを諫めたものである[2]が、この見込みが実現しなかったことを思えば、マスコミが主導型の解散報道は、一層怪しく見えるものである。解散が報じられれば、衆議院議員は、ただでさえ制限されているリソースを選挙に投入しなければならない。参議院議員も、応援演説に忙しくなろう。解散が報じられるだけで、野党政治家も、与党の造反分子も、人的資源を具体的な政策に投入することが難しくなる。この「解散風」は、偽計であるとすれば、野党を振り回すことにもなり、マスコミ報道が当てにならないことも示せるという点で、一石二鳥の効果を有するものである。

『リテラ』が報じる「自民党独自の世論調査」[3](の怪しさ)は、補助線の一つにはなりそうである。世論調査は、必ず系統誤差が出るものである。もしかすると、自民党の発注担当者には理解できない種類の変更や、人為的な工作のために、結果を自民党有利と誤認させるような系統誤差が生じているのかも知れない。たとえば、RDD方式(電話番号を無作為に選択、自動的にダイヤルする仕組み)に携帯電話が加えられたというケースを考えることができるが、これは、今月中に切り替えられたというものでもなかろう。読売新聞は2016年4月[3]、朝日新聞は2016年7月[4]、日本経済新聞は2016年4月末[5]、RDD方式の対象に携帯電話番号を加えている。この携帯電話や、固定電話番号のいくつかが、サクラにより用意されたものであるという可能性は、十分に考えられる。「飛ばし」の携帯電話がどれほど存在するのか、また、これらの携帯電話にどれほどのRDD方式の着信が実現するのかは、なかなか読み切れないが、あからさまな作為がなければ、かなり小さな確率の話ではあろう。世論調査市場は、事実上、寡占状態にある。月例の世論調査におけるRDD方式については、独占とみなせるものと考えることもできる(が、それを具体的に確定する作業は、本ブログのスタイルを超え、ヒュミントの領域である)。「RDD方式」と言えども、(層化無作為二段抽出は当然としても、特定地域内に存在する全ての番号に等しい抽出確率を付して)ランダムな番号をいつも取得している訳ではなかろう。前回までに判明した電話の名義の別(企業・個人)などは、データベース化され、RDDを運用する企業の資産として、「ランダムな電話番号を発生させる」際に、活用されているはずである。この「RDD発生器」に「サクラへの発信サブルーチン」が仕込まれているというケースは、可能な脆弱性として、考えておくべきであろう。最近、内閣支持率が劇的にV字回復したようであるが、このV字回復を果たすのに必要な番号数は、都道府県ごとに3件もあれば、十分に間に合う。従業員数10名程度の世論工作企業が世論調査企業をクラックした場合、かなりのことが可能になる。マスコミの飼い主は、従来の人的資産を現在も活用できる状態にあれば、安倍氏を自滅的な解散に踏み切らせるために、自民党執行部を錯誤に陥らせるための情報を仕込ませるという工作を命令し、実行させることも可能であろう。

現在の「解散風」を、「マスコミとその黒幕」対「内閣+武官組織」の苛烈な騙し合いの一環から生じたものと捉えてみると、事情が分かったような気になってくる(が、本当のところは、私には、なお分からない)。「マスコミとその黒幕」は、CIAのスパイであった正力松太郎氏が読売新聞社という新聞企業の頂点を勤め、原子力政策を推進してきたことに代表されるように、日本社会において、(無国籍大企業群のための)対日情報機関そのものと言っても良い機能を果たしてきており、「嘘」を多用してきた。他面、現政権の盟友集団(2017年6月10日)である警察・自衛隊の情報機関も、3.11以後はとりわけ、偽計と秘密とを濫用してきた。本ブログは、ここ半年ほど、これらの勢力の暗闘を支持する結論を採用してきている。このような集団同士の騙し合いにおいては、今まで嘘を吐いてこなかった人々(スリーパー)までもが、ここぞとばかりに偽計を講じることもあろう。100%嘘を吐かないという存在は、大変貴重である。しかし、今回の検討においては、大マスコミ(に所属してきた人たち)は、嘘を吐くものと考えた方が良いであろう。

仮に、現政体の選挙における切り札があるとすれば、それは、「現実には死亡しているが、行政実務上は死亡が登録されていない人たちの票を上乗せする」という手段である。これは、「生・権力」の応用技である。死者数が改竄されている可能性については、以前にも、定性的に脆弱性を検討したことがある(2016年7月29日※1)。ただ、この不正は、死亡数を改竄するという作業だけではなく、具体的な投票行動を偽装するという作業をも必要とするものである。従来、指摘されてきた不正の方法には、自動開票読取装置への不正アクセス、投票箱(の中身)のすり替え、開票時の票の交換などがあるが、これらに比べ、組織的な死者の隠蔽は、ハードルが高い。同一人物が別人になりすまして何度も期日前投票するという不正の方法は、すでに噂されてきたところではあるが、これ自体が、なかなか困難である。故人の不在を隠蔽し続けられるだけの人的資源を期待できない組織、つまり、公的機関がこの種の不正を組織的に行う場合、相当の連携と機転とが必要になる。他面、故人が高齢者であるならば、年金詐欺により利益を獲得できるという誘因もあるから、組織的に実行される可能性も、なくもない。

選挙における不正な方法のうち、自動開票読取機の悪用という方法は、非・自民党に連なる組織に現時点で占有されている。この推定の正しさは、過去の二度の都議選を通じて、明白に裏打ちされている。統計的手法では到底説明できない先の都知事選の大差は、『MS Excel』の基本的な加減乗除だけで、見事に、裏社会における過大な見積の結果として示されているのである(2016年8月21日、8月30日)。この脆弱性は、最優先で塞ぐべき抜け道であるが、この不正な方法は、同時に、管理者を常に貼り付けておくという(不正の実行者にとっての)弱味を有する。解散が行われた場合、その開票業務の入札結果は、とんでもなく面白い安値競争になる可能性が認められそうである。


とりあえず、今のところ、私にも分かると言えそうなことは、以上である。


※12016年2月25日の拙稿は、この不正が実際にあり得るのかを検討するためにも利用可能な方法論を実際に使用してみたものである。


[1] [めざましテレビ (2017年9月20日放送回) ]の番組概要ページ - gooテレビ番組(関東版)
(株式会社ワイヤーアクション、2017年9月20日か)
https://tvtopic.goo.ne.jp/program/cx/105/1097753/

〔...略...〕解散については自民党の石破茂元幹事長が「解散は総理の専権」と述べつつ不快感を示す、民進党・那谷屋参院国対委員長が〔...略...〕非難するなど、与野党から批判や戸惑いの声が聞かれている。〔...略...〕

[2]

[3] 自民党独自の世論調査で、いまなら議席を増やせるとの結果が|LITERA/リテラ
(記名なし、2017年09月18日)
http://lite-ra.com/2017/09/post-3461_2.html

しかも、決め手になったのが、自民党が独自で行った世論調査だったという。

「自民党は独自で定期的に世論調査を行っているんですが、9月はじめの調査で、いま、選挙をやれば、現状維持は確実。情勢によっては議席を大幅に増やすことができるとの結果が出た。〔...略...〕」(全国紙政治部記者)

[4] 内閣支持 50% : 選挙 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
(記名なし、2016年04月04日15時05分)
http://www.yomiuri.co.jp/election/poll/20160404-OYT8T50146.html

[5] asahi.com(朝日新聞社):世論調査 - ニュース特集
(記名なし、2017年9月21日確認)
http://www.asahi.com/special/08003/rdd.html

[6] 内閣支持53%に上昇 本社世論調査、地震対応「評価」  :日本経済新聞
(2016年5月1日22:00 日本経済新聞電子版)
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS01H2G_R00C16A5MM8000/

日本経済新聞社とテレビ東京による4月29日~5月1日の世論調査で、〔...略...〕

調査の方法 日本経済新聞社とテレビ東京の世論調査は、今回から対象年齢を18歳以上にするとともに、これまでの固定電話に加え携帯電話にかける方式を始めた。〔...略...〕




おまけ:嘘を嘘と指摘しない「情報戦争」の弊害について

「情報戦争」は、一般の(情報探索の手段と資源が限定された)国民にとって、弊害の方が大きい。嘘が嘘を呼び、誤報がさらなる誤解を招くからである。マスコミや政体により示される情報に対して、処理できないほど多くの割合で嘘が混入するようになると、一般人は、何を信用できるものなのか、手がかりを失ってしまう。2017年現在、個別具体的な事実に対する国民の認識は、互いにいがみ合う二種類の勢力の「対立」ゆえに、相当におかしなものと化している。

情報戦争の帰結のアホさ加減は、たとえば、ポリコレ(Political Correctness)運動が中国共産党による扇動活動であるとする『2ちゃんねる(sc)』のスレ主の理解[1]に表れている。この理解の枠組は、タヴィストック人間関係研究所を悪魔化する「陰謀論者」の意見と、ほとんど同一である。問題なのは、この板のほとんど誰もが、この類似性に無自覚であるものと見えることである。一般の陰謀論者に比べて、一部の『2ちゃんねる』住民の認識の歪みは、無自覚であるだけに、病的な度合いを強めている。この無自覚性の遠因には、学識経験者の無知と臆病がある。

日本語社会は、徹底的な価値相対主義に陥って久しいが、少なくとも、犯罪学研究を対象に取る限り、その弊害は、悪しき方向へと作用している。山本七平氏は、「独自」の「聖書研究」からこのような結論を提示した。安富歩氏は、3.11以後、「立場主義」を精力的に「分析」している。彼らの指摘する相対主義は、「両建て」から「止揚」への伏線であるとも解釈できる。犯罪学(というアカデミズムの場)においても、今世紀初頭以来、規範性が軽視され、実証性が重視されている。このとき、竹中平蔵氏のような「知の裏切者」を規範的な観点から非難しないことは、誤情報を積極的に産出・流通させる行為をも黙認したことにもなりかねない。規範主義に対しては、怠惰という非難が冠せられてきたが、他面、実証主義に対しては、臆病という批判が冠せられることはなかった。しかしながら、組織犯罪・企業犯罪は、計量的研究に馴染みにくいという理由を付すことができるため、実証主義者は、この喫緊の課題から逃れることが容易となっているのである。


[1] 【画像】 アメリカのポリコレ騒動が某国の文化大革命と瓜二つと一部で話題に
(2017年08月20日16時31分01秒~)
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1503214244




2017年9月22日23時00分追記

朝日新聞が今朝の朝刊で、解散および公約についての石破氏の批判を取り上げていた[1]。この批判は、本文中で述べたように、石破氏の選挙後の立ち位置を左右するものとなる。

同じ紙面で、中曽根康弘氏の孫で、弘文氏の長男の康隆氏が立候補する考えを表明したことも伝えられている[2]。この報道も「マスコミのイケメン報道にこそ気を付けよ」という黄金則を補強するものであり、また、下半身ネタに日本国民が弱いこと、また、自民党が割られんとする動きが存在すること、を指摘する事例となる。陰謀論だけで、ほとんど用が足りてしまうほどの簡明さである。

[1] 『朝日新聞』2017年9月22日朝刊14版4面総合4「「何のための解散か」石破氏が批判/公約にも反発」(岩尾真宏)

[2] 『朝日新聞』2017年9月22日朝刊14版4面総合4「■群馬1区 中曽根元首相の孫も出馬表明/自民票奪い合いか」(記名なし)

〔...略...〕1区の候補者をめぐっては、県連が週刊誌で女性問題などが報じられたことを理由に、1区支部長の佐田〔玄一郎〕氏に代わる候補者に尾身〔朝子〕氏を選んだ。この選考の際、康隆氏も名乗りを上げていたが、選ばれなかった。

2017年9月15日金曜日

(メモ)2017年9月15日の北朝鮮のミサイル発射の報道に際しても、三大紙は、宇宙空間に言及しなかった

本日(2017年9月15日)夕刊の読売・朝日・日経の三紙は、いずれも、1面記事において、今朝の北朝鮮が発射した弾道ミサイルの軌道の最高高度が約800kmであったと明記しながらも、この高度が宇宙空間と呼べるものであることに何ら触れていない。『読売新聞』は、防衛省などの話として高度を明記する[1]。『朝日新聞』は、情報源を明記しない[2]。『日本経済新聞』は、官房長官の菅義偉氏の談話を引用する[3]。

唯一、『朝日新聞』は、社会面記事[4]において、インタビュイーの言葉を借りて、高度に係るタブーが存在することを示唆している。引用のとおり、回答者は、不安・安心の別を述べているに過ぎない。公務員の言明としては、優秀である。細部の取扱を間違えると、責任問題になりかねないがために、朝日新聞も、必要十分な情報を掲載したものと認められる(。また、このために、私も、必要十分と認められる部分を引用した)。

今回の軌道の最高高度も、事実関係に係る政府関係者の言明だけに注目すれば、本来であれば、「日本の上空」と言うよりも「宇宙空間」と言うべきである。高度に応じた空間の区分に従えば、北朝鮮への批判は、本来、「宇宙空間を軍事的に利用した」とするのが正しい。この点に言及せずに、政府関係者が「日本の上空」というフィクションに拘泥する理由には、対立関係を強調するという意図があるものと言えようが、マスコミ関係者がこのフィクションに付き合う必要性はない。日本語の大マスコミは、平和を愛好する人々の正確な理解を妨げるという点で、平和主義者の敵であると言うべきであろう。

読売新聞は、今回も大張り切りの感がある。安倍首相の声明全文をはじめ、大本営発表の細かい経緯を知りたいのであれば、参照するに値しよう。自ら号外を配布したとも言う[5]ほどである。号外を発行する決定を下した同社の幹部は、確実に騒ぎを大きく見せたい意思を有していたものと断定できよう。


[1] 『読売新聞』2017年9月15日夕刊4版1面「北ミサイルまた日本通過/襟裳岬東2200㌔に落下/「グアム射程内」誇示か」(記名なし)

防衛省などによると、ミサイルは約19分間、約3700㌔・㍍非行史、最高高度は約800㌔・㍍だった。〔...略...〕

[2] 『朝日新聞』2017年9月15日夕刊4版1面「ミサイル再び日本通過/飛距離最長 3700㌔/北朝鮮 グアム射程実証か」(ソウル=武田肇、牧野愛博)

最大高度は約800㌔、飛行距離は過去最長の3700㌔に達したとみられる。小野寺五典防衛相は「米領グアムに十分届く飛距離」とし、〔...略...〕

[3] 『日本経済新聞』2017年9月15日夕刊4版1面「ミサイル再び日本通過/飛距離3700㌔/北太平洋へ グアムも射程に」(記名なし)

菅氏は記者会見で、最高高度は約800㌔㍍と推定されると表明。「(発射高度を通常より高くする)ロフテッド軌道ではなかった」と述べた。大陸間弾道ミサイル(ICBM)かどうかについては「必ずしもそうではない」と指摘した。

[4] 『朝日新聞』2017年9月15日夕刊4版17面「発射「またか」早朝当惑/運転見合わせ、広範囲で」(記名なし)

各地の自治体は早朝から対応に追われた。〔...略...〕落下位置を示す起点として前回同様、名指しされた北海道えりも町では企画課の荒井傑(すぐる)さん(30)が午前7時10分ごろに庁舎に到着。〔...略...〕「はるか上空を飛んでいるようなので怖さは感じないが、もうやめてほしい」

[5] 『読売新聞』2017年9月15日夕刊4版13面「本紙が号外発行」

〔...略...〕号外約1万8000部を発行し、全国の主要駅などで配布した。

2017年9月10日日曜日

(メモ)三大紙の中では、今朝は何かが起きたはずであった

今朝(2017年9月10日・日曜日)は、どうやら、大マスコミの予定では、何かが起きるはずであったらしい。というのも、読売・朝日・日経の三紙とも、1面に掲げられる予定であった記事が流れたことを窺わせるレベルの記事によって、1面の全てが埋められているからである。桐生祥秀氏の9秒98という記録は、当人には大変申し訳なく感じるけれども、斉一的で意図的な空白を埋める上では、完璧な話題という訳にはいかない。それだけの金銭上の対価も、桐生氏自身に行かないようにも思われる。『読売新聞』の1面(14版)は、「桐生9秒98/100㍍ 日本人初/苦闘4年 体幹鍛え終盤強く」が2/3を占め、「対北制裁/中露 協議応じる構え/11日採決 米、安保理に通告」、同じ並びに「空自・米空軍 共同訓練」であった。『朝日新聞』の1面(14版)は、「桐生9秒98/100㍍ 日本選手初の9秒台/重圧も挫折も突き破った」が約6割、「尖閣へ出漁「中国政府の命令」/国有化5年」が約4割である。『日本経済新聞』1面(14版)は、「介護費膨張 3つの温床/25年に20兆円/ムダの解消 急務」という小川和広氏の調査報道記事が上段の半分を占め、下段に「電波の民間開放促進/公共機関利用料上げ/規制改革会議」、「桐生9秒98/陸上100/日本人初9秒台」、「スズキ、インド配車と提携/運転教習4万人、購入促す」が順に並ぶ。桐生氏の記事が小さめだが、まあ三等分の範囲内であり、いずれも記名なしである。

わが国の「三大紙」は、ほとんど、『トカナ(tocana.jp)』に出てくる「情報筋」[1]とノリが同じである。むしろ、『トカナ』の方が話題が早いだけ、ニュースとして価値があるということにもなろう。本稿は、もちろん、三大マスコミ紙のデスクが揃いも揃って戦争屋の手羽先であったというオチを示すために、編まれたものである。9日までに戦争など起こらない(2017年8月19日)と主張していた私からすれば、「ねえねえどんな気持ち?」のアスキーアートのノリである。


[1] 【緊急警告】「8月15日~9月7日に米朝戦争勃発の可能性大」政治関係者が衝撃暴露! 日本に難民が3千万人以上押し寄せる!
(2017年08月04日、記名なし)
http://tocana.jp/2017/08/post_14055_entry.html




2017年9月10日23時45分追記

読者の中には、紙面の制作ルーティンから言えば、9月9日に何かが起きるはずだったのでは?とツッコまれた方もおられよう。9+9=18=3×6=666だというやつである。それは、私もそう思う。表現に微妙なものがあったことをお詫びするが、しかし同時に、それは察していただけると幸いである。一応、考えていた理屈は、「午前1時台に何かが起こっても、それはそれで何かが起こったことになる」というものであった。それに、3.11のように、秒の単位まで組み込んだ「小町算」を行えば、「獣の数字」に係る解釈は、何とでもなる。数字カルトに変な「言い訳を与えない」(R.V.クラーク氏の「状況的犯罪予防」)ために、このような否定方法は、常に用意されておく必要があるとは言える。もっとも、この理路は、一旦、「数字遊びによってカルトの強大さを信じ込んでしまっている人たち」の言説を無効化し、その上で、「数字なぞ、どうとでも解釈できるのであるから、トリックの本質に目を向けよ」と指摘して、「カルトの宣伝を行う人たちが裏で手でもタマでも握ってんじゃね?」と暗示するという、数字カルト以上に、捻くれたものである。つまり、数字カルトの権力の本質は、数字カルトを指摘する「間主観性」あるいは「相互作用」に由来するのである。呪いは、基本的には、信じている人にしか効果がないのである。




2017年9月11日修正・追記

現時点までのケアレスミスを修正し、淡赤色で示した。


宮島みつや氏が『リテラ』において、『真相深入り!虎ノ門ニュース』における青山繁晴氏による、2017年9月4日から9日にかけて米軍が北朝鮮を攻撃するという発言を批判していた(ことを本日に知った)。宮島氏の書き起こしと表現を信用すれば(、そして、私には信用できるものに思えるが)、9日の建国記念日における北朝鮮への攻撃を期待していた一派がおり、その中に、青山氏が含まれることになる。過半の「信者」は、今回についても、青山氏の「大外れ」を都合良く忘却するか、無視することになるのであろう。あるいは、わざとガセを流した人物に青山氏が騙されたか、はたまた、青山氏がこのように主張したから北朝鮮が自重したなどと、都合良く解釈するのかも知れない。が、依然として、青山氏に託された「預言」が成就しなかったことは、よくよく記憶されるべきであろう。

期限を切って戦争を期待する発言を公開の場で述べることは、「トランプ時代」における将来予測の方法としては、相当に下策である。予言を外そうとする「敵」の諸力が働くからである。それらの「敵」とされた中国の国力は、トランプ時代において、米国に伍し、あるいは、北朝鮮の軍事力のバックボーンともなっているロシアの軍事力は、米軍に勝るとも劣らないものとなっている。ただ、『新ベンチャー革命』のH.Y.氏の言うところの「旧・戦争屋」の手下たちは、散り散りとなっているために、期限を指定して活動しなければ、思うような連携が取れないほどの状態に追い詰められているものとも認められる。9月11日の現在、旧・戦争屋たちは、逃亡しなければ、16年前の報いを受けるということになっているのではなかろうか、などとも想像できる。

トランプ大統領の「治世」の様相は、田中宇氏の「隠れ多極主義」という表現により、的確に指摘されている。隠れ多極主義においては、権力の空白域が方々で産まれたが、その空白は、「ディール」を経て、「西側」に含まれるシリアにおいては、今春までに、確実かつ迅速に埋められた。その空白域を埋めたグループは、現実の全面戦争を避けるように、(しかし、何度も指摘しているように、)緊張悪化は避けずに、「旧・戦争屋」を放逐するように活動している。このチキンレースによって、多くの解釈は、同一方向にあるように見えながら、戦争に対する話者の意志は、隠されながらも、厳然と二分されているのである。現時点の国際情勢は、まるで、道教の世界であって、緊張を治めようとしないにもかかわらず、自然に納まったかのような様相を呈している(。が、もちろん、そこには、たとえば、入念な米軍のサボタージュなどが存在する)。

各国のリーダーを始め、現今の国際情勢について言及する話者が戦争に対していかなる意志を有しているのかは、最後の最後まで、あるいは、方向性をあらかじめ弁えて解釈しなければ、区別できないように隠されている。米国民は、当人たちの多くが気が付いていないのかも知れないが、トランプ氏を選出したというチャンスに賭けて、「覇権」を「損切り」する※1ことに成功したように見える。後世において、トランプ大統領の「極東情勢に対する責任の欠如」を非難する声がどこかから出るかも知れないが、アメリカ国民からすれば、「アメリカ合衆国をリストラして軟着陸させた名経営者」という評価が下されることになるものと予測される。他方、日本国民は、アメリカが「狭き門をくぐり抜けた」という外部条件が満たされたとはいえ、その上で、福島第一原発事故を起こして私益に邁進する「政体」を信頼しなければならないという、さらなる「狭き門」に直面している。付言しておけば、トランプ氏の当選に関して、日本人の言論は、大勢としては妨害する方向にしか機能しなかった。この中、青山氏がトランプ氏の当選を「予言」していたのは、親族に係る固有のビジネスを通じた「預言」であるようにも解釈できる。ただし、本件を確定することは、ヒュミントの領域であるし、青山氏の発言が奔放であるがため、「両賭け」「両建て」の一環として、青山氏に「トランプ氏当選」を宣伝する役割を与えたものと観ることもできる。青山氏の発言の奔放さについては、後ほど説明する。

国際情勢を論じる者の、各アクターに対する「評価」は、各アクターの勢力を変化させようとする意図をも兼ね備えている。というよりも、現実を変化させようとする意思の強弱に関わらず、発話すること自体が、各アクターの勢力に影響を与える。これが「情報戦」の本質である。アホが発話すること自体、友軍誤射となりかねないし、アホが集団で発話すれば、大誤爆ということにもなりかねない。当然、青山氏も、ここでの「話者」にも含まれ、しかも、今や公人である。青山氏の発話の影響力※2は、かつてなく、金銭的な利益のみならず、日本国民の生命にも直結するものとなっている。

青山氏の発言のすべては、「9日までの米軍による北朝鮮への攻撃」発言に至るまで、旧・戦争屋を第一義的に利するように一貫してきたが、「隠れ多極主義」の方法論が『国際秘密力研究』の菊池氏の言うところの「憑依系」であるために、旧・戦争屋を放逐する方向にも機能している。この点、青山氏は、旧・戦争屋の影響力を測る上での「炭鉱のカナリア」であって、大変に「使いやすい」。「カルロストシユキ」氏(@CarlosToshiyuki)のツイートラインは、青山氏の発言の奔放さをウォッチし続けているが、その良質なまとめを見る限り、青山氏本人のジャーナリストとしての裏取り能力は、残念ながら、誰もが疑問を抱くことができるものである。たとえば、青山氏の新宿歌舞伎町の出会い系バーに係る発言[2]を挙げることができる。「カルロストシユキ」氏の提示する資料は、いずれもMAD動画であるから、恣意的な切出しが含まれるかも知れないが、少なくとも、青山氏には、ほかにも前例がある。『リテラ』は、『週刊文春』2016年06月30日発売の青山氏に係る記事を紹介している[3]が、そこでも、在ペルー日本大使公邸占拠人質事件に係る青山氏の取材交渉能力が揶揄されている。

なお、『週刊文春』に青山繁晴氏が攻撃されたケースは、『週刊文春』に係る拙稿(2017年9月7日)の主張を覆すものであるようにも見えるが、この事例は、応用例の一つであるから、順序良く(、私にとっては都合良く)、解釈を進めていく必要がある。『週刊文春』は、本来、青山氏と戦列を同じくする。私が敵味方の区別を誤っていなければ、『週刊文春』の飼主は、青山氏について、「常々の言動の危うさ」と「参議院議員という身分を得たことによる、敵方からの諜報上の接触」を警戒する必要があったということになる。この二点ゆえに、『週刊文春』は、警告と周知を兼ねて、青山氏の「戸棚の中の骸骨」を公知としたものと認めることができる。『週刊文春』と青山氏とのやり取りは、「導火線に火の点いた汚名という名の爆弾をキャッチボールし合う」ようなものであり、直前にキャッチするのは、もちろん、青山氏なのである。これが、国際秘密力集団の走狗操縦法の現在形という訳である。念のため、明記しておくと、本ブログの読者には当然であろうが、本段落の表現は、可能な解釈を提示しただけである。※3

これに対して、9月11日の『スーパーJチャンネル』では(18時頃、北京空港において)、アントニオ猪木氏の北朝鮮からの帰国途中が報道されており、おおよそ、「北朝鮮は最後まで計画を続けると述べていた、また、来年の建国祭は盛大に行う予定であるらしい」との談話があった。猪木氏の話は、来年の建国祭までに、北朝鮮がワシントンDCを射程に含める核弾道ミサイルを実装する意図があることを伝えるものである。つまり、それまでの間、彼らが敗北に直結するような選択肢を取ることはない、とも解釈できる。猪木氏の談話は、猪木氏がわが国で最高クラスのインタビュー能力を有することを示す例であり、ニュースと呼ぶに値する。青山氏の話や、青山氏の意見に同調する種類の報道は、果たして、ニュースと呼ぶに値するのであろうか。この点を鑑みれば、数多のネトウヨに対して、私の表現が皮肉さを抑えきれないものになるのは、やむを得ないことである。


※1 私のいう「トランプ政権の覇権に対する損切り」とは、「覇権に骨絡みとなっている国際秘密力集団からの影響力を減じる」ことでもある。国際秘密力集団の利益集団を分割し、その一部とのみ、外部者として付合うことにより、その影響力を相対的に減じるのである。現在までの極東情勢の推移は、古歩道ベンジャミン氏の系統の、一般的な陰謀論に指摘されるところの「ロックフェラー(旧・戦争屋、軍事・石油系)対ロスチャイルド(金融・原子力系)」でいえば、ロスチャイルド系のアジェンダに沿うように推移している。その推移に対して、アメリカは、「従来のように、旧・ハンドラーズを通じて、宗主国として関与することがない」と宣言しているものと考えられるのである。

※2 多くの「学識経験者」、とりわけ「御用学者」も、この魅力の虜である。この点をふまえ、不肖の「エア御用」系ブロガーとしては、「よりマシな方を応援する」という方針で、思想を表明しているつもりである。また、この反面、影響力の範囲を考慮しているつもりでもある。真のプロフェッショナルは、すでに、ここで見るような指摘を、本ブログよりも高度に実践し、現実社会において活動を行い、現実への大きなフィードバックを果たしているはずである※4。

※3 「私企業」への問合せは、社会関係(担当者との人間関係)を生じる。つまり、ヒュミントの領域である。相手が公人であっても、問合せは、ヒュミントの領域へと立ち入ることになる。

※4 オシント(公開情報の継続的な分析、私に言わせれば解釈、Open Source INTelligence)における危険は、相手が出してくる情報を組み立てた結果、相手の狙ったような絵図を描いてしまうことであると言われている。この危険は、個人の能力と方法に起因して、かなり大きな確率のものとして、厳然と存在するものである。私も、解釈を誤るという危険から逃れることはできないが、私にも、無料のブログを紡ぐ当座の意図があり、誤りは、その意図の下に発生するものと解釈されたい。私の意図とは、「私自身が、福島第一原発事故という犯罪の分析、ならびに時事問題に係る各種の解釈について、どの犯罪学者よりも、タブーを省略せずに、事件の探究を行った」という「実績」を、無料で公開の媒体によって、公知のものとしておくことである。この意図は、固定ページに示したように、三方良しを目的としているつもりではある。オシントに限定して記事を公開する意図については、前日(2017年9月10日)のネトウヨ×ニセ科学批判に係る拙稿を併せて参照すれば、不用意に発言するアカポスに対する「ググれカス」地雷として機能するよう企図していることも、ご理解いただけよう。


[1] 青山繁晴が「今週、戦争が始まる」とトンデモ解説で北朝鮮危機を煽りまくり! でも月末のサイン会はやるよ!|LITERA/リテラ
(宮島みつや、2017年09月08日)
http://lite-ra.com/2017/09/post-3441.html

〔...略...〕こんな軍事シミュレーション(?)をまくし立てていた。

「〔...略...〕金一族が地上に出てきているときに(アメリカは軍事作戦を)やりたいんですよ。〔...略...〕9月9日、北朝鮮の記念日、ひょっとしたら出てくるんだったら、そのときも(米軍の攻撃が)ゼロとは言えないんですよ。で、金一族の暗殺だけっていう限定攻撃もないので全部込みでやるんですよ。斬首作戦込みで(飽和攻撃を仕掛ける)」〔...略...〕

[2]

[3] 「文春砲」に疑惑を追及された参院選候補・青山繁晴の珍発言集! 外交の専門家なのに「タックスヘイブン」の意味を知らず…|LITERA/リテラ
(2016年06月30日)
http://lite-ra.com/2016/06/post-2377.html




2017年9月12日修正

11日分の追記を、当初の意図を変えないよう修正した。

2017年9月6日水曜日

(メモ)『LA 92』にも暴動を悪化させた「X」ロゴの野球帽の男たちが映り込んでいる

カネで雇われた工作員が平和的なデモを暴動へと激化させるという筋書きは、近年の「カラー革命」に良く見るパターンであるが、ナショナル・ジオグラフィック日本語版で最近放送された『LA 92』[1](日本における初回放送は、2017年8月29日22時、次回放送は、9月10日19時~[2])にも、そのような走狗と思しき人物たちが映り込んでいる。ロスの中心部に係るテレビ中継を再編集した「Parker Center: Downtown Los Angeles」の章では、徐々にエスカレートする抗議の様子が映されるが、その中で、黒地に白字の「X」のロゴが入った野球帽を被った人物たちは、警官への挑発を最前列で行い(録画開始時間から01:04:28、途中、1分40秒分のCM含む)、騒ぎの中心に陣取り※(01:04:39)、星条旗を燃やし(01:04:44)、公園の守衛所に殺到する人々の最前列に身を置き※(01:04:52)、ゴミ箱を守衛所に投げつけ※(01:04:59)、裁判所?に火の付いた紙の束を投げ込んで(01:06:39)いる。※印は、同一人物のようにも認められる。例外的に、立木に放火した肌の浅黒い男(ネイティヴ・アメリカン?)は、単独でカメラに写り、率先して犯罪を犯しながら、この野球帽を被ってはいない(01:05:11~)。撮影クルーは、極端な行動に興味を持つであろうから、極端な行動を取る者ほど、カメラに撮られることになる。撮影クルーの一部に、彼らと知り合いであったりグルであるという人物は含まれるかも知れないが、全員がそういう訳ではなかろう。Xロゴの野球帽を被った人物たちは、総勢100名を超える一般人が映像に示される中、極端な行動を取る一方、このキャップを被った人物たちが後ろの方で佇んでいたり、ほかの抗議者と同程度の(口だけの)抗議を行うことはない。彼ら「Xメン」に触発された人々が過激な行動に走るようになると、映画の流れの中では、彼ら「Xメン」は掻き消えてしまう。「X」ロゴは、マルコムX氏の暴力による抵抗を想起させるが、彼らが何者であったのかは、2022年以降に調べるなどしなければ、分からないのではと予想する。

パーカー・センター地区の中継映像に映し出された民衆が、「X」帽子を着用していたか否かと、他者を犯罪へと誘導するように犯罪を率先して実行したか否かは、次表のとおりにまとめられる。合計人数が100人というのは適当ではあるが、100人以上が合計で映されているように判断できるので、合計100人と仮定しても、主張の根拠は揺るがない。もとより、同一人物であるか否かを同定するのも困難な(暗所で撮影された)映像群であるから、顔認証などによる人物同定を試みるということは(、現時点ではできないし、)しない。一つだけ言えることは、明確に目的意識を持って犯罪を行おうとして同所に集合した人物というものは、それほどいないということである。


〔表頭〕犯罪を率先→
〔表側〕「X」帽子の着用↓
率先あり率先なし
帽子あり40
帽子なし1$\geq$95

日和見的な犯罪者たちは、結果として、この作品の中、至るところに映し出されているが、彼らを焚き付ける者がいなかったとすれば、必ずしも大暴動が生じなかった可能性も認められる。印象深いのは、韓国系の中年女性が「ここはアメリカだ」と叫び、素手で店舗の窓に立ちはだかるところ、あえて中に押し入ろうとした人物は、その場にいたうちの二人だけ(特に一人だけ)であったというシーンである。そのほかの暴徒は、押し入るか否かを躊躇しかねていたようにも見えたのである。58名の死者、2383名の負傷者が生じたという結果は、厳然たるものではある。ただ、個別の状況がいかに変化したのかは、なお、その場のなりゆきによるものとも思われるのである。

このキュレーションは、もちろん、監督のダン・リンゼイ氏とT・J・マーティン氏の観察眼によるものである。この「人工芝運動」を確定的に提示して見せた先取権は、簡単にググってみた限りでは、彼らのものである。(本当のところは、深掘りしてみないと確定できないが。)視聴者である我々の側にも「見る目」があれば、この理解に至ることは容易である。本作は、わが国の探偵ドラマよりも、はるかに物事の真相を見抜くことができるという点で、ミステリ映像であると言えよう。本作が2017年の現時点で放映されることには、当然、シャーロッツヴィルで同様の計画が進んでいたことを暴くという意味があろう。

『LA 92』では、終盤の映像を通じて、非暴力の重要性が訴えられる。戦争屋の計略に乗せられないために、非暴力は有用であるが、非暴力は無抵抗を意味しない。この点、わが国には、非暴力を阻害するような構造的暴力=組織性が非常に強固に存在しており、なおかつ、『LA 92』にも見たような、ある種の計略の存在については、これを組織的に否定する数々の勢力が認められる(。原発ムラは、その端的な事例である。「トンデモ」ウオッチャーに係る前稿2017年9月3日の解説も参照されたい)。わが国から単に目に見える暴力を排除するだけでは、なかなか、非暴力を貫くことは困難と見える。私が色々と先回りして予測しておくと、日本国民は、一時代において、大抵が百姓だったのだから、逃散という方法論を深く学び、応用すべきであろう。

『ナショナル ジオグラフィック』は、以前にも言及した(2017年11月6日)ように、放送局の中では、良心的?に放送する組織である。読者が適切に解釈すれば、風見鶏代わりになるとも言えよう。解読を必要とするところは、一般人向けとは言えないかも知れない。ナショジオも、『LA 92』のような番組を放送するからには、天網恢々という考え方を信じている節があるようにも思えてしまう。劇中では、パパ・ブッシュが何もしなかったという批判が示される一方、ビル・クリントン氏も登場し、アメリカの多様性が力とも分断ともなると訴えている。



[1] LA 92|番組紹介|ナショナル ジオグラフィック (TV)
(2017年9月6日確認)
http://natgeotv.jp/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/2285

[2] 日本語版PDF(ナショナル ジオグラフィック(TV)番組表 2017年9月)
http://natgeotv.jp/files/pdf/timetable/tv/201709/ngtv_201709_mnt_jp.pdf

2017年8月25日金曜日

(メモ)BBCワールドニュースによるインラック支持者の「中継」映像は不自然である

本日(2017年8月25日)15時~15時半(日本時間)のBBCワールドニュースは、タイ王国のインラック・シナワトラ前首相が裁判に出頭せず、副首相によると彼女が国外逃亡したのではないかと報道していたが、その際、併せて「中継」された映像は、極めて不自然であった。高速道路下に集合するインラック支持者を中継したというが、映像の背景、特に空に対して、右上から左下にかかる白黒の斜め線がずっと掛かっていた。集会者の後ろが木々となっていた映像では、さらに後方の背景(空?)に馴染むように、白黒の斜め線も滲んでいた。別の角度からのショットも同様であった。15時半からのニュースは、サムスントップの李在鎔(Lee Jae-yong)氏に懲役五年の判決というものと、ロンドン動物園のライオンの話だけであり、15時半~40分のニュースの冒頭で、少しだけ話が出たにもかかわらず、結局、それだけで終わってしまった。

#スクショがあれば良かったが、あいにく、驚愕していて録画し損ねた。ただ、日本の著作権法は悪法であり、スクショをアップすることにはリスクが伴う。今後、映像のスクショをゲットできたとしても、アップしないことをお許しいただきたい。

このような映像が報道された理由として、撮影された場所を特定されないため、あるいは後方が撮影禁止対象であるため、などを考えることができるが、ほかにもちろん、何らかの悪意、端的には集会を捏造する目的で編集された可能性も認められる。天下のBBCが、映像をCG映画ばりに編集する理由には、ほかに何があろうか。撮影禁止対象の施設前で集会していたとしても、アングルを変えるだけで良い。アングル大きく変えた映像にも斜め線が入る理由は、何とも理解しがたい。支持者が迫害されるから支持者の顔にモザイクを入れるというのは、十分に理解できることであるが、この一方で、背景を修正しなければならない理由があるとすれば、それは相当に不穏当なものである。我々はすでにシャーロッツヴィルにおいて、時給25ドルで雇われた左翼系「デモ隊」がいることを知っている。もちろん、BBCの編集局が集会の主催者サイドに騙されたという可能性もある(。そこまで真剣に観ていなかったし、中継クルーの素性など、私が分かろうはずもない)。




2017年8月25日16時07分追記

16時のニュースでも、インラック氏についてのニュースは、後回しにすると男性キャスターが述べていた。まったくもって、何かがあったとしか思えない。




2017年8月25日16時51分追記

その後、件の映像が再度放映されたので、確認し直したところ、撮影当時の天空の色と類似した色域を、映像修正ソフトによって一括選択し、削除したために、同系色が透明化された状態のままとなっていたようである。特定の色域が抜けたままの映像を報道したということであるが、これは、撮影時刻や当時の天候を知られないようにする措置であろう。いつ・どこで、という出来事の要件が曖昧にされたことになり、ニュースとしては、甚だ怪しさ満点である。見栄えを良くしたかったという主張は、映像の信憑性を低めることになるから、この作業の理由にはならないであろう。




2017年8月27日追記

CNNは、インラック氏が兄のタクシン・チナワット氏を頼りドバイに逃亡したことを伝えている。引用のとおり、タクシン氏がロンドンに滞在できているということは、BBCとて決して無関係ではない可能性を示す。ただ、これ以上の経緯に言及するには、私には知識が足りないため、よくよく調べてみる必要がある。かろうじて、客家系であるというタクシン氏の出自によって、どこぞの「便所の落書き」レベルの解説が中国共産党の関与を臭わせていたという記憶はあるが、その記述の主こそが信用ならないということになる。かくも、わが国の「右翼(の識者)」は、ディスインフォーメーションを躊躇しない存在である。語りたくないときには沈黙しても良いが、あからさまな嘘はいけない。

[1] CNN.co.jp : インラック前タイ首相、ドバイに逃亡 党幹部
(記名なし、2017年08月26日13時46分 JST)
https://www.cnn.co.jp/world/35106341.html

インラック氏の兄のタクシン元首相は現在、汚職での裁判から逃れるため、ドバイと英ロンドンで亡命生活を送っている。

2017年8月19日土曜日

ミサイルの軌道に係る北朝鮮の発表が愛媛県に言及しなかったのは同県を通る必要がなかったからかも知れない

先週辺り、北朝鮮が発表したグアム行「弾道ミサイル」の軌道は、おおよそ、「島根県、広島県、高知県の上空」と翻訳されていたようである。出典の確認や表現に手抜きがある理由は、私(自身とその生活)に起因する怠惰である。ほかには、無料ブログでもあり読者が少ないという油断を除けば、含むところはない。ただし、私は、朝鮮語を話せず、かつ、出典の確認を厳密に行え(、しかも、このような難しい含みのある翻訳をビジネスライクに依頼でき)るだけのリソースを持たないので、いざ原典から内容を正確に確認しようと思うと、途端に困ったことになる。

ところで、『Yahoo!知恵袋』[1]をはじめとするインターネット上では、これら三県のみに言及したのは何故であろうかという真っ当な疑問こそ見られるものの、この疑問にまともに回答した人物は、ぱっと見、いないようである。この疑問は、誰でも(相当に大きく正確な)地球儀さえあれば、夏休みの宿題レベルの作業で、誰もが納得できそうな回答(推測)を得られるものである。ただ、そんな奇特な問題に取り組む『プレジデントファミリー』を愛読されるようなご家庭は存在しないものと思われる。そこで、私が昨夜(2017年8月18日)の『ロンドンハーツ』を観るなどしながら、漫然と、計1時間程度で作業して確認した結果を、回答として呈示する。

お断りしておくと、以下の地図では、この作業が行えるだけの技量を持つ者から見れば、問題のある手抜きを沢山している。たとえば、既稿(2017年5月31日)で採用した金日成広場中心の正距方位図法を利用している。にもかかわらず、数百kmは離れた地域にも発射地点を想定している。このため、地図に示された軌道や200海里水域の正確さには、それなりに難がある。また、現時点では再製可能性(replicability)が失われたデータを利用している。しかしながら、地図データの精度や、現実の諸要素、とりわけミサイルの現実の軌道と姿勢制御能力とを考慮した場合、実用上、この程度の手抜きは問題にはならないものと根拠を詰めることなく確信している。北マリアナ諸島についても、無視しているに等しい(が、これもまた、200海里のバッファを作成する条件を厳しくとれば良いだけである。とはいえ、200海里ものバッファを広範な地域について作成する方法は、なかなかに面倒である。このため、『ArcGIS』に採用されているバッファの生成方法上、投影法が問題とならないであろうグアムのみについて、バッファを作成した)。

この地図を提示する目的の一つは、日本語空間に無責任な言論が蔓延しており、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」状態が続いているという事実(のみ)を批判することである。本稿では、ネット上の日本語空間という環境を無責任に汚染し(て、私の言論が検索システムによって発見される余地を狭め)た人物たちと、戦争屋以外の何者をも、批判するつもりはない。私が批判しているものと誤解を与えそうな要素を注記しておくと、この地図に例示した軌道では、鬱陵島(ウルルン島)のほとんど上空、領海内を飛翔することになるが、鬱陵島に係る話については、立ち入るつもりはないのである。鬱陵島ならびにその周囲12海里は、制約条件に過ぎない。韓国の領土・領海への「侵犯」を、北朝鮮が避けようとするのであれば、一度、日本の三県を名指ししてしまった以上、航路とならないように避ける工夫が求められるということであろう。見送られたとはいえ、ミサイルをグアムに向けて発射するのであれば、韓国の排他的経済水域に進入すること自体は、避けられないであろう。このため、鬱陵島を避けたとしても、依然として、ミサイル発射を問題視することは、韓国人にも可能である。むろん、韓国の領土・領海の上空を避けないという選択肢も存在しているが、この結果がどのような結末を生むものか、私には予測し難い。

本稿に示した作業は、一国の安全を預かる部門では、とっくのとうに、しかも私よりも迅速に行われたことであろう。この上で、情報部門の担当者は、この地図と可能性のある軌道を検討しながら、三県のみが言及された意図を推量する作業に従事できたことであろう。もちろん、本段落に示した「ことであろう」の中身は、推測でもあり、期待でもある。よりあからさまに言えば、本稿の作業は、この程度の作業がシロウトにも短時間で行えるという事実を例示するためにも、実施されたものである。私の作業は、ネットのゴミ掃除のようなものであるが、日本国政府は、はたして、そのリソースを十全に活用しているのであろうか。


図1 島根・広島・高知三県上空を通り、愛媛県を通らない、ほぼ一直線の航路の例(全体)
図1 島根・広島・高知三県上空を通り、愛媛県を通らない、ほぼ一直線の航路の例(全体)

図2 島根・広島・高知三県上空を通り、愛媛県を通らない、ほぼ一直線の航路の例(拡大図:鬱陵島)
図2 島根・広島・高知三県上空を通り、愛媛県を通らない、ほぼ一直線の航路の例(拡大図:鬱陵島)

図3 島根・広島・高知三県上空を通り、愛媛県を通らない、ほぼ一直線の航路の例(拡大図:日本)
図3 島根・広島・高知三県上空を通り、愛媛県を通らない、ほぼ一直線の航路の例(拡大図:日本)

[1] 北朝鮮のミサイルですが、島根、広島、高知上空を通過すると報道されてい... - Yahoo!知恵袋
(ID非公開、2017年08月12日07:32:31)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11177901556




おまけ

六カ国協議の当事国の指導者層は、現時点では、いずれも、明確な被害を受けたという理由を抜きにして、確実に大きな報復が待ち受けていることが分かっている戦争を開始したり、宣戦布告の口実を相手方に与えてしまうようなことはしないであろう。いずれの国の指導者についても、戦争屋の箍は、戦争を避けられる程度には、緩んでいるようである。このような中、米国と北朝鮮との戦争を無理であると指摘したスティーブ・バノン氏が解任されたことは、不安材料の一つではある。良くも悪くも、アメリカの国内事情こそは、極東有事の可能性を左右する最大の要素である。しかしなお、戦争屋の走狗であるマスコミが煽るようには、極東有事は生起しないであろう。もはや、戦争に対する嫌悪と、戦争屋による両建構造自体は、アメリカ国内でもそれなりに知れ渡ってしまっている。

なお、グアムといえば、ミサイル騒ぎに前後して、『USA Today』が一面で取り扱っていたが、カソリック聖職者の非行は、日本語では全く話題に上らなかったようである。この点についても、日本語マスコミは、マスコミとしての義務を十分に果たしていない。




2017(平成29)年8月20日追記・訂正

文意を変えないよう、題名を訂正した。

現時点の指導者たちの顔触れで事態が推移する場合、『tocana.jp』に出てくる「情報筋」が煽る[2]ようには、有事は起こらないであろう。ただし、本文ならびにおまけでは明記していなかった(ので、ここで追記した)のだが、緊張状態を煽ることは、当然のように行われるであろう。現時点のいくつかの国の指導者は、真に戦争を避けようとしていても、国内の軍事関係企業の従業員など、事情を十分に知らない末端の国民の支持を得る必要がある。ゆえに、これらの指導者たちは、事情を知らない庶民を間に挟んだ形で、戦争屋と「情報戦争」を、綱引きのように繰り広げる必要もあろう。この「情報戦争」は、同キャラ対決であり、実際に戦端を開くという「崖」までの「チキンレース」でもあるので、双方から繰り出された「技(情報)」が何を意味しているのかを理解するためには、その都度、解釈が必要である(。この解釈という作業は、出身畑によっては、分析と表現されるが、一応、私個人としては、科学的とみなされる用法に固執したいので、あえて解釈という側面を強調した表現としている)。

本稿に限らず、最近の国際情勢を理解する上で、私が利用している思考の補助線のうち、最大のものは、「ドナルド・J・トランプ氏、金正恩氏の双方が(、それぞれが統率する組織のバックアップもあれども、大多数の人々よりも圧倒的に)、合理的かつ合目的的である」という仮定である。また、トランプ氏の命令に基づくシリアの空軍基地へのミサイル攻撃という事実ならびにその経過も、その実例の一つとして、相当に参照している。この事例と、この事例を報じたときのマスコミの変節振りをふまえれば、(マスコミという)敵も自ずから見えてくるというものである。北朝鮮の指導者、とりわけ金正恩氏とその周辺の行動の合理性に対する多くの時事解説は、日本語コミュニティにおいては、飯山一郎氏の功績である。この合理性・合目的性をトランプ氏と米軍にも敷衍すれば、米朝関係は理解しやすくなる。


[2] 【緊急警告】「8月15日~9月7日に米朝戦争勃発の可能性大」政治関係者が衝撃暴露! 日本に難民が3千万人以上押し寄せる!
(2017年08月04日、記名なし)
http://tocana.jp/2017/08/post_14055_entry.html

2017年7月26日水曜日

(メモ)わが国の大メディアも「必ず嘘をつく」

本稿も、タイトルだけで、意を尽くしている。言い換えれば、近い将来の動向を占う上で、「ここ四半世紀ほどの間、わが国では、マスコミが一番のワルである」と解釈しておけば、それほど道を誤ることはない。「マスコミが全力を以て叩く相手は、まず間違いなく、マスコミよりは支持すべき存在である」というルールも生成される。「マスコミの金主が最悪である」という最終ルールも派生する。これら現今の日本語マスコミの特徴は、構造的ではあるが、改善可能な問題であって、堤未果氏が権力構造に係る必然的な帰結として『政府は必ず嘘をつく』と主張するような、回避不能なものではない。

クロスオーナーシップ・押し紙・記者クラブ(とそれに伴うメディアスクラム)は、いずれも「真の金主」から生じる構造的問題であると考えられる。本日朝刊の読売[1]・朝日[2]は、ともに今日から「フェイクメディア特集」を開始しているが、これら競合する(プロレスにいう)アングルを形成する二紙の相似的な行動は、これらの構造的問題から生起したものであると認められる。法律を適用可能かどうかはともかく、このような協調的行動の背景に、通常人が共謀の影を読み取ったとしても仕方ない。「陰謀論者」と指弾される言論者が、「国際秘密力集団」という「共通の背景要因」を「大メディアの統一的行動」の影に認めてしまうのには、相応の理由がある。これがトランプ氏に対する一回こっきりの一大キャンペーンであるなら、偶然と片付けることもできようが、わが国の政治家だけについて見ても、田中角栄氏、竹下登氏、金丸信氏、福田康夫氏、(首相時の)麻生太郎氏、小沢一郎氏、鳩山由紀夫氏、(改心?後?の)安倍晋三氏というように、メディアの協調的な行動は、常に横並びという機制だけでは説明できないほどに、斉一的である。


[1] 『読売新聞』2017年7月26日朝刊13版6面国際「メディア 米国のいま 上/都合のいい情報が「真実」/偽ニュース SNSで拡散」

[2] 『朝日新聞』2017年7月26日朝刊13版6面国際「広がる「うそ」 世界は 上/世界発 2017/偽ニュース 悩める欧州/世論刺激 選挙に影響も/ロシア対策 摘発次々に/メディア協同で真偽判定」




2017年8月18日訂正・追記

本文を意図を変えない程度に訂正した。ただし、鳩山一郎氏というのは、(首相在任時の当時の表記では)由起夫氏の間違いである。ここに記して、お詫びする。表記した順番あたりから読み取っていただけていれば、というのは、当方の甘い期待である。

なお、宇野宗佑氏や橋本龍太郎氏を上掲の列に加えるか否かを検討したが、特に橋本氏のハニートラップについての記述が膨らみかねないものであったので、その煩雑さを避けるべく、上記の表記に留めた。実例を列挙するという問題は、意思決定理論にいうところの「アローの(不可能性)定理」が当てはまる種類の問題である。ほかの人には、ほかの人の芸風があろう。私の表現の未熟さは、その難しさに免じて、大目に見ていただけるとありがたい。




2017年8月22日追記

日本の首相経験者を遡ると、石橋湛山氏も実例の中に含めうる。ただ、不勉強のため、実際のところ、石橋氏の引退が何らかの工作によるものかは、現時点では分かりかねる。っていうか、機密解除されるなどしているはずである(し、それを調査したジャーナリストやノンフィクション作家などもおられよう)から、私の不勉強振りが良く分かるというものである。




2017年8月27日追記

22日の追記分で「日本の首相経験者」などと書いてしまったが、そうなると、金丸信氏を含めたことの整合性が取れなくなるし、小渕恵三氏についても言及すべきであったということになってくる。ここに挙げた実例に関する数々の不具合は、私の不注意の産物に過ぎない。ただ、わが国の首相のスキャンダルに係るマスコミ報道が信用ならないことだけは、間違いないものと主張できよう。

2017年7月22日土曜日

(メモ)CNNの根性は変わらない(ので不正選挙の追究者は注意せよ)

カーネギー・メロン大学の社会学?ポスドクのDov H. Levin氏(以下、インタビュアーの発音からレヴァン氏と表記)が、CNNの番組[1]に登場して自身の研究内容を述べたことに対して、陰謀論界隈がざわついている。番組中[1]では、1946~2000年に、47ヵ国で実施された81回の選挙に対して、米国が介入したと述べるとともに、公然工作(overt intel/campaigns)が約3分の1、非公然工作(covert intel/campaigns)が約3分の2で、まあまあ成功しており、公然工作の方が効果ありなどと解説している。同じ話題に係る報告は、英文であるが、オックスフォード大学出版のサイトで読むことができる[2]。根拠は、昨秋に『Conflict Management and Peace Science』に登載された論文[3]などのようである。イラン・イスラム共和国放送系列の『ParsToday』(日本語版)が報じた[4]ために、日本語の陰謀論界隈にも話が広まったものと思われる。

CNNの番組中で特筆しておくべきは、2000年以後、「ハッキングは実行したのか(Have we ever hacked?)」というインタビュアーの問いに対して、レヴァン氏が「不正アクセスはしていない(We did not use computer hacking, no.)」と回答したことである〔回答は2:55から〕。この質疑こそが、このニュースの核心的な利益と思われる。ただ、『ParsToday』は、自国に対する責任があるためであろうが、日本語では言及していない。一般の日本人は、日本人に利益があるようにこのニュースを消化・解釈するためには、これを自前で分析する必要がある。なお、自前でニュースに当たる者が現れることは、イランの日本担当には、織り込み済みのことであろう。

レヴァン氏の発言は、『弁財天』のMakoto Shibata氏が従来指摘してきたような、わが国の自動投票用紙読取分類機の脆弱性が米国によって悪用されてこなかったことを明言するという効果を有している。もっとも、レヴァン氏の言明の正誤を追究することは、私には、実力やリソース上の制限のために、無理なことである。レヴァン氏は、正確な部署や人物について言及していないが、同時に、「日本国内の選挙に対するアメリカの介入」自体については明言している。

CNNは、ここに登場するアクターの中で、自身が最も下劣であることを忘れているかのようである。CNNは、アメリカ大統領選挙に対して、ロシアがハッキングしてきたとの指摘を、明快な根拠を提示せずに大々的に報道してきた。この事実を考え合わせると、CNNは、「ロシアは、アメリカよりも汚い手を使う」と宣伝することを目的に、また、その宣伝を通じて自己を正当化するために、アメリカによる他国への介入という、あまり褒められたことではない行為を大々的に報道した。ここでの登場人物や組織は、CNNを除けば、いずれも、課せられた目的のために正当に与えられたと推認される手段を駆使している。CNNだけが、社会から容認された手段から逸脱しているために、トランプ大統領から強い調子で非難されているのである。


[1] How often has US meddled in others' elections?
(2017年07月15日)
http://www.cnn.com/videos/tv/2017/07/15/how-often-has-us-meddled-in-others-elections.cnn

[2] Does foreign meddling in elections matter? | OUPblog
(Dov H. Levin、2017年05月18日)
https://blog.oup.com/2017/05/foreign-intervention-election-results/

[3] Partisan electoral interventions by the great powers: Introducing the PEIG DatasetConflict Management and Peace Science - Dov H. Levin, 2016
(2016年09月19日)
http://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/0738894216661190

[4] アメリカが47カ国の選挙に干渉 - Pars Today
(2017年07月16日18時25分)
http://parstoday.com/ja/news/world-i32790

2017年7月20日木曜日

日野原重明氏の「生涯現役」主義は取扱を誤るとナチズムへと転化する

本記事も、題名で意を尽くしている。が、それでは私自身の弁明にもならないので、縷々説明しよう。


マスメディアは、使用言語のコミュニティに対する社会的責任を果たそうとするのであれば、キュレーション機能を高いレベルで発揮し続けるべきである。キュレーション機能は、情報を取捨選択した上で構成して提供する能力であり、惰性に流されずに最善の情報源を確保し、それらの取材先から最善と思われる情報を受け手に提供することである。この機能が正しく発揮されていれば、事後にインターネット上の別の情報源によって重大な過ちを指摘されて信用を損なうといった事態に陥ることはない。このキュレーション機能と速報機能は、情報伝達の中間業者としてのマスメディアが生き残るため、従来以上に向上させなければならない能力である。(図書館・博物館)情報学では、キュレーション機能が強調されて久しいが、これらの専門職の役割を乗っ取るかのように、日本のマスメディア関係者は、日本語環境において、「皆が知るべきこと」の「門番(gatekeeper)」として機能している。この役割期待は、マスメディア関係者の能力に対して過大であるが、新聞さえ読んでいれば知的活動は十分であると考えるという、日本語話者コミュニティにまま見られる怠惰に起因するものであり、マスメディアと消費者の相互依存関係を解消しないことには、何ともならないものである。

この半面、マスメディアに知識人枠として重宝される人物は、自身の発言の機会の陰には他者の発言の機会があり得たことに、思いを致すべきである。この地位まで登りつめた言論人は、その影響力に対して倫理的であろうとするならば、自身の言説が他者のものに比べて常に報道される価値があるように、努力を続けることが要求される。その任に耐えられなくなったときには、その職責を適任者と分かち合うか、これと見込んだ後進に道を譲るべきである。現在の年長者を尊重することが外形的に求められる日本語文化圏において、自身の説に正面から異を唱える顕名の人物が現れることを期待していてはならない。表舞台に立つ人物の「能力の限界」は、たとえば、発出された言論の正しさや、主張の内容と社会の期待との乖離具合を検証することによって、明らかにできよう。マスメディアに露出する「識者」の発言は、その逐一が批判的な検討の対象となって然るべきであるし、聞き手の側から提起された批判は、重く受け止められるべきである。ただ、当人がいかに自発的に出処進退を決定するのか(別人から見れば、いかに介錯に立ち会うのか)は、なかなか難しい話である。

日野原重明氏の影響は、危機管理・被害者学という、氏から見れば派生的な学術分野の実相にも及ぶほどである。よど号ハイジャック事件の人質となり、その経験から、大規模テロ事件を予期し、被害者の受入態勢をかねてから準備していた(ということを、確か、村上春樹氏の『アンダーグラウンド』で読んだ記憶がある)。地下鉄サリン事件において、日野原氏の采配は、目を見張るものであったとされる。本点は、故人の功績として特筆されるべきことであろう。筋金入りの陰謀論者であれば、ここにも陰謀の影を読み取ることができようが、今のところ、私には、ここに陰謀の余地を見出すことはできていない※1。

しかしながら、日野原氏の影響力は、(長寿を含めた)氏の卓抜した才能のみによるものではなく、マスコミをはじめとする社会環境との相互依存関係から形成されたものである。追悼記事をこぞって組んだ19日の新聞報道の横並びを見れば、この指摘は、十分に裏付けられる。19日の『朝日新聞』の寺下真理加氏の署名記事[1]は、この中で、私の指摘を際立たせてくれる材料となる。この記事は、週イチで日野原氏の「生涯現役」論に賛同し、論説を掲載し続けてきたことを、「生涯現役」を体現するものとして肯定している。この記事は、朝日新聞のキュレーション機能と日野原氏のネームバリューが相互に補強し合う関係にあることを示すだけでなく、日野原氏が『朝日新聞』からの仕事を自分自身の生きがいとしていた節をも窺わせるものである。この見解が正しいものであれば、日野原氏の「生涯現役」論を補強したのは、当の『朝日新聞』自身ということにもなる。日野原氏の「生涯現役」論は、『朝日新聞』からの仕事を引き受けたことによって説得性を帯びるに至ったものであり、不穏当な表現を用いれば、「共犯関係」の果実と見ることも不可能ではないのである。

この相互作用ゆえ、マスメディアは、自らの社会性を考慮するならば、日野原氏の追悼記事によって大々的に紙面を埋める前に、日野原氏を含めた一握りの人物のみを識者として重用し続け、その名声を高めることに弊害がなかったかどうかを熟慮すべきであった。具体的には、使いやすく人気のある日野原氏を使い続けるだけではなく、若年世代に対して、適宜、格差是正的な措置を講じるべきであった。わが国のマスメディアは、現今のトランプ大統領についての報道も同様であるが、「地位が人を造る」という考え方を欠きがちであり、常に焼き畑農業的であり続けてきた。マスメディアは、「生涯現役」を言い訳として、若年世代の言論を豊かなものにするという(派生的な)責務を放棄しており、自らのキュレーション機能の乏しさを露呈している。SEALDSがいるではないかという話が聞こえてきそうなので、予め指摘しておけば、彼らは、戦争屋によるカラー革命の仕込みによるものであって、マスメディアが継続的に使用すべく育成した次世代の言論人ではない。

私に言われたくはなかろうが、日野原氏の「生涯現役」論は、語られ方やほかの思想との組合せによって、故人の意図※2とは異なり、「自己実現できなければ生きている価値がない」などの怪しい議論へと転化しうる。この点、「生涯現役」論は、危うい主張である。「生涯現役」論は、揺るぎない自己肯定感を最初から宿しており、生命に対する敬意を常に備えた魂に対してはともかく、自分がそうしたいからそうするという刹那主義(ミーイズム)に囚われた不健全な精神に注ぎ込まれた場合、惨事を引き起こしかねない。悪しき功利主義と合流した場合、「生涯現役」論からは、「役に立たない者には生きる価値がない」という優生主義が導出されるのである。経済学まがいに表現すれば、「個人の生産能力や他人に与える便益が、その個人の消費能力や他人から与えられる便益を上回るようになったら、用済みである」ということにもなろう。この考え方は、経済活動の範疇に留まる限り、正しいようにも聞こえるものであるが、経済活動においてさえも、金持やリーダー格の人物こそが、大衆を潤すように消費しなければならないという「ポトラッチの倫理」(ケインズ主義)を思えば、正しくはない。いずれにせよ、「生涯現役」論は、無定見に発揮されれば、「定年迎えたら、即、栄養ドリンク製造工場の原材料になります」(『クラウド・アトラス』)などといった、年金問題の「最終的解決」へと直結しかねないのである。西本英雄氏の『ポチのへなちょこ大作戦』にも(おそらく『Z』)同様の悪い冗談が見られたが、この思想の極限形態は、言うまでもなく、ナチズムである。もっとも、ここに示した疑念や諧謔の数々は、横田弘氏の『障害者殺しの思想』(1979=2015, 現代書館)によって、四半世紀前に、より切実な形で指摘されている。現時点の私自身の発言は、怠惰に過ごしているニートに過ぎないと片付けられるかも知れないので、ここでは、横田氏の表現を借りて〔pp.37-38〕、ここでの私の疑問に故なしとしないだけの論拠としておきたい。

現体制を支えている日本的資本主義の下にあっては、物を作り出すことができる者、物を作り出して資本家を喜ばせる力をもっている者だけが正しい存在であり、その力の無い者は「悪」だとされる。現国家権力はそうした日本資〔p.38〕本主義の論理を守っていかない限り、その体制を保つことができないのだ。それだから彼らは障害者を殺した親兄弟を実質的な無罪にしたり、障害児を胎内からチェックしていく「優生保護法改定案」を考えついたりする。それでなくてもこの二、三年来、心中を含めた障害者殺しは急速に増えつつあることは確かな事実なのだ。

「生涯現役」という個人の善意は、よほど上手く取り扱わないと、優生主義という全体悪へと、容易に変貌するのである。

ところで、「生涯現役」という思想は、その思想が示される情報という市場において、その市場の持続可能性を阻害しうることにもなり得る。このロジックは、情報という財を消費者側の視点から眺めてみると良く分かる。ここでの議論は、既存の議論を十分に調べた上で述べたものではなく、私の乏しい知識からあり合わせで繕ったものであるので、おそらく、先行する優れた見解が存在するはずである。先人の業績を都合良く忘れているという可能性もある。その虞が正しい場合に備え、先回りしてゴメンと言っておく。

情報(特にデジタルデータ)は、ときに、非競合性・非排他性・不可逆性という、財としての特性を指摘されることがあるものの、これは、供給者側(サプライサイド)からみた場合の特徴を述べたものに過ぎない。念のため、非競合性とは、複数の需要者が同時に利用できることを指す。非排他性とは、一人の利用者だけに利用を制限できないことを指す。不可逆性とは、いったん入手してしまった情報は、知らなかったことにはできないという性質を指す。返品不可とも言い換えても良かろう。この点、書籍というメディアとそのメディアから得られる情報は、財として、異なる性質を有する。

財としての情報は、一人の需要者(デマンドサイド)の内面に着目した場合には、競合的である。情報の受け手は、自分たちの有限の時間、すなわちリソースを使用しなければ、一つ一つの情報の真偽や良否を吟味することができない。このため、消費者は、多数の供給者から提供される情報を選択して消費していることになる。にもかかわらず、たとえば放送事業者のような供給者から見れば、財としての情報に係る従来の指摘は正しいものである。つまり、一人の供給者から見れば、一つの情報は、複数の需要者に対して、非競合的に配信できるし、フリーライダーを排除することが難しいし、いったん消費されてしまうと、その結果は、元には戻らない。書籍・新聞・ネット等を通じた、テクストベースの情報送信は、映像情報に比べ※3、読者の側で柔軟に時間配分を変更できるため、消費者側のリソースに左右される側面が小さい。それでも、あるひとまとまりの情報は、読者の予算が一定であり、かつ、彼ら消費者の時間が有限であるという制約から逃れることはできない。これと同じ理由により、情報は、需要者の情報探索法次第では、供給者側にとって、排他的にも機能しうる。私のように陰謀論にも食いつくダボハゼのような供給者は、ほかの供給者の情報を事前に摂取している需要者にとって、選好されにくいという性質を有する。着目する主体を消費者に置く限り、情報という財に関する従来の議論は、何だか一方的なものであるように思える。この疑問を探究する作業は、例によって進んでいないが、私は、わが国における自主検閲の後遺症によるものではないかとも疑っている。

情報という財の消費と生産(・再生産)は、ソクラテス・メソッドを想起すれば分かりやすいが、消費者(である生徒)にとって、なじみの薄い思想や情報が消費者(である生徒)自身によって入出力されることを通じて、初めて可能となる。この思想の「出し入れ」に伴い、知識が定着するという過程は、一種の弁証法に他ならない。優生学がナチズムを用意した過程も、この弁証法に基づく「運動」が悪しき形で発現された結果である。「生涯現役」論は、一介の市井の人物にとっては、成果発表の場まで周到に用意されていなければ、実現不可能な理想ということができそうである。

マスコミによる日野原氏への賞讃の声は、日野原氏の「生きがい」が「一言言いたい高齢者」の全国デビューの機会を間接的に侵害することによって成立してきた、という事実を覆い隠してしまう。(私自身は、決して投書したことはないが、)投書欄という狭き門によって、無数のハガキ職人の「生きがい」が構造的に制限されていることは、ここでは無視されている。投書欄は、読者の声を取り上げるふりをしながら、その実、マスコミの主張を提示する場としても機能しうる。日野原氏の「生涯現役」論は、果たして、投書欄という競争率の高い環境を経なければならなかったとしても、これほど流通したのであろうか。(あり得なくはなさそうではある。)しかし、仮に、私に与えられた(そしてそれを良しとしている)座敷牢のようなネット環境下において、誰にも伝達されることがないかも知れないという恐怖の下に、彼の思想が編まれなければならなかったとすれば、「生涯現役」論は、果たして「普遍的」と見做されるような「健全な」理論たり得たであろうか。(これは、意地悪な想定ではあるが、私には否定的に思える。内田樹氏の『最終講義 生き延びるための七講』(2011, 技術評論社)には、内田氏が生徒を待ち続けながら、一種の悟りに至る境地を語るくだりがあるが、この部分は、私の悲観的観測を裏付ける証拠として使えそうである。)

齋藤和紀氏の『シンギュラリティ・ビジネス』(2017, 幻冬舎新書)は、人工知能による知識の産出が不可逆の様相を呈する(=シンギュラリティが迫る)中、働くことそのものに対し、現在、根本的な問いが投げ掛けられていると指摘する。齋藤氏は、近未来に現出するであろう「仕事をしなくとも良い状況」についても、「技術の発展により、人類の課題は必ず解決できる」という「シンギュラリティ大学」の信条が当てはまると宣教している。この技術楽観論に対し、ルチアーノ・フロリディ氏の『第四の革命』(2014=2017, 新曜社)は、この技術万能主義が、両極端の態度のうちの一つであると指摘している〔和書p.51〕。本記事では、それぞれの命題の当否を検討しないが、いずれにしても、日野原氏の「生涯現役」論は、2017年の時点では、生涯を通じて自己実現可能であるような、既成のエリートについてのみ当てはまるものであろう※4。

成人病を生活習慣病と命名した精神は、疫学上、必要な考え方ではあるが、健康美のみを称揚したナチズムと通底する。生活習慣のコントロール自体は、誰にとっても「善い」ことのように響くものであり、同時に、社会防衛的でもある。また、不健康である人を、自らの怠慢によって自らを下劣な状態に追いやった敗残者として、暗黙裏に貶める機能を有する。このように、すべてを自己責任としながら、通常人の怠慢を責めるかの姿勢は、たとえば、アメリカにおける肥満が貧困層の食環境と抜き差しならぬ関係にあることを見落とした議論と同程度である。われわれ現代人は、「健康に満ちた良き生」を全うせよとの絶えざる圧力の下にあるが、これを誰もが同じような条件で達成できる訳ではない。健康で苦痛のない老いを迎えることは、人にとって目的たり得ることであるが、自身の肩書や長寿を誇示して他人に同一の努力を強制するとすれば、その姿勢は、全体主義と呼ぶことができる。パターナリズムは、やり方次第で「押しつけられたもの」とも「納得されたもの」ともなり得る。この言論を通じた圧力と、監視社会とは、大変に親和性が高いものとは言えまいか。


おまけを二点。その1:宮台真司氏も『14歳からの社会学』で「仕事を通じた自己実現」なんて考えはやめておけ、と述べている〔たとえば、pp.112-114〕。その2:本記事は、私なりの「失敗学」でもある。


※1 いわゆる地下鉄サリン事件については、サリンによる被害ではないという指摘がある(が、この物質同定に係る議論自体に、まず間違いなく、誤解を招くような一部の仕込みを読み取ることができる。私は、この点に係る事実関係を納得できるまで把握しきれていない)。なお、よど号事件については、共産主義自体、「両建て」構造の一陣営と見ることができる。なお、赤色過激派という存在は、「両建て」を指弾する陰謀論者から見れば、この罠に落ちるだけの知性しか有していない。

※2 ここでは、そのように解釈したが、別の読みも成立しうるであろう。

※3 YouTubeで試すと、便利で分かりやすいが、私は、2倍だと集中して聞き取る必要があるため、なかなか映像を効率的に理解することができていない。

※4 この隘路を突破する方法として、自らがフリークとなるという手段が、マスコミによって用意・提示されている。『マツコの知らない世界』は、マスメディアのコンテンツに登場する「素人」には何が求められているのかを端的に示す番組の一例である。この番組のドミノの回(2017年7月11日)は、この点について、大変示唆的である。マスメディアによって祭り上げられたことのあるアイコンは、ほかの候補を探すのが難しいという理由から、また、過去の映像を使い回せるという都合の良さから、ほかに特段の不都合がなければ、ほかの若年の候補と比べて少々質が劣るものであっても、再利用されることになるのである。


[1] 「命ある限り」続けた日野原さんエッセー 最終回も準備:朝日新聞デジタル
(寺下真理加、2017年7月19日17時00分、本紙2017年7月19日朝刊14版1面)
http://www.asahi.com/articles/ASK7M41M0K7MUBQU009.html




2017年7月21日訂正・追記

一部訂正したが、大意は損なわれていないはずである。

為末大氏のブログ記事は、世界のデフォルトが競争であること、勝負と自己肯定感情が別物であることを述べているが、素朴に過ぎる。この記事に対するいくつかのツイートが契機となり、為末氏のツイートラインは、少々「盛り上がった」ようである。ここで、為末氏は、生態系と人間社会とを同一視しており、かつ、自然界における生存競争と人間社会における社会内イベントとして用意された(オリンピック)ゲームとを同一視している。為末氏の理解は、生態系と現代社会の双方に競争が存在するという点では共通するものの、現代社会が、ギリシア古典哲学を思想の源流に持ち、ホッブズ・ロック・ルソーらの思索を経て形成された社会契約(説)という理念の確立を経て形成された、「自然のルール」よりも一段精妙な機構であることを見逃している。これは、高校生の社会の授業で学ぶことである。為末氏がオリンピックを推進する力となっているのは、彼のような元アスリートで、かつ、素朴な競争主義への信仰を有する(に至った)人物が「使いやすい」からである※1。日本人の大半にアクセス可能となっている知識を元に、「今ある競争」に係る考察を錬磨しようとするにあたり、為末氏の言説は、日本語コミュニティ全体のリソースを浪費するという機能を果たしている。

なお、本文中でソクラテスによる対話法に触れたが、この表現では、一対一の関係における人格の陶冶という点について、何ら語っていないに等しい。これは単に言い訳に過ぎないが、私が本文中で念頭においていたのは、単に認知科学における入出力を通じた記憶の定着過程である。これに対して、マルティン・ブーバーは、自身のユダヤ教徒としてのアイデンティティから、知識(知恵というべきか)の涵養は、神との対話も含め、全人格を注いだ二者による対話を通じて生まれるものであると指摘している。ユダヤ教は、唯一の存在との対話から生じる知恵の相当部分を、非ユダヤ教の世界に、弁証法的に波及させている。端的な例がキリスト教であり、イスラム教である。ソクラテス・メソッドも、もちろん、人格への(善い)影響(宮台真司氏の強調するミメーシス)を重視する。


※1 国民総背番号制を実用化しても支配を貫徹することが困難であることは、以前に指摘したことがある(2016年2月12日)。それでもなお、オリンピックが人に序列を付けるための『ヨハネの黙示録』に登場する「獣の数字」の刻印システムと同様の機能を有するという議論に、私は同意する。だからこそ、「安倍マリオ」に1980年代からの陰謀の影を読み取ることは、国際秘密力集団の実力を過大評価することになりかねないために、避けるべきである(2016年8月27日)。


[1] 競争と格差 | 為末大・侍オフィシャルサイト
(為末大、2017年07月18日)
http://tamesue.jp/blog/archives/think/20170718

[2]

[3]