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2021年4月18日日曜日

クリストファー・レイFBI長官の四度の"Boom"発言を検証する

本稿では、Qドロップにいう「軍事ルート」に対置される「司法ルート」の観点から、2021年4月14日のクリストファー・レイ(Wray)FBI長官による、四度にわたる"Boom"発言を検証する。なお、本稿は、Qの〈計画〉を「硬軟両様」「〈両建〉の応用・逆用」とする私見の延長上に記されている。私のQに対する見解は、複数の手段を用いて示して来た所である。現時点で、日本人で私と同様の見解に私への参照なしに達したと認められる者を私は知らないが、仮に、大抵の大学卒業程度の学力を有する日本人が誠実にQドロップを読み解けば、私と同種の結論に達するであろうとは言えるはずである(が、残念ながら、殆どの日本人は、たとえそれが仕事の範囲に含まれようとも、Qドロップを誠実に読み解くという簡単な一事にすら取り組んでこなかったし、Qドロップを誠実に読み解いた結果を誠実に記そうとしている者は、この検閲環境の下では一層少ない存在である上、Qに顕名で言及し当人の業績・名誉・生命・家族を危険に晒すような火遊びを行う人物は、16~17日にオクラホマ州タルサで行われた"Health & Freedom Conference 2021"で講演したリン・ウッド弁護士のような例外を除けば、ほぼ皆無であろう)。

件の発言は次段落に示す通りであるが、これは2021年4月14日に氏米国上院・国家安全保障及びグローバルな脅威に係るインテリジェンス選抜委員会において答弁したものの一つであり、ダイアン・フェインスタイン議員(民主党・カリフォルニア州)の質問に答えたものである。同議員の質問は、概ね、「米国のインフラに対する外国勢力等によるサイバー攻撃が深刻なものであると、二年前の、非公開の委員会で答申があったが、現在までの間に、対応能力は向上したのか?その際、民間業者にとっての重要事項は何か?」というものである。この質問もまた妥当であるが、これに対するレイ氏の答弁は、一見、安全保障政策に係る非常に真っ当なものに過ぎない。まずは、読者がどれほど〈陰謀論〉の世界に明るいかの腕試しも兼ねられるよう、答弁を丸ごと引用しよう。

I often am talking to CEOs and CISOs is to focus their cyber security more than they have in the past inwardly. The key is how fast you detect the compromise and how fast you remediate it. That's and then secondly the importance of reaching out and coordinating with Government Public-Private Partnership is at a premium because we often use in the threat context the expression left of boom you know we all want to get left of boom. Well, in the cyber arena, one company's right of boom is left of everybody else in the same industries boom and so we need that first company and someday you're going to be the first company if you're the CEO someday you're going to be the second or third or fourth company. We need in every instance those companies to be stepping forward promptly reaching out to government so that we can prevent the threat from metastasizing across the rest of the industry.

〔以上、2021年4月14日米国上院・国家安全保障及びグローバルな脅威に係るインテリジェンス選抜委員会の公開録画、00h45m40s[1]、00h45m55s[2]より。〕

レイ氏は、妙なことに、内容を損なわぬ形でありつつも、答弁中、"Boom"の語を四度にわたり繰り返しており、これが本稿における検証の中心となる。フェインスタイン議員への回答は、ITセキュリティという専門領域を扱うものである割には十分に平易な内容であり、"Boom"の語を用いたこと自体も、完全に不自然であると断定するには及ばない。インフラ企業に対してサイバー攻撃の被害がひとたび発生すれば、そこで用いられた攻撃が同業者に対しても直ちに試みられ、被害が拡大しうる、という現象を強調しただけのようにも聞こえる。とはいえ、レイ氏には、この表現を一度も取る必然性がなく、二度に留めても十分に意図は通じたはずである。単に「被害が連鎖する」ことは、ほかの手段によっても表現できたはずでもある。実際、"Boom"の語感には、中二病めいたものさえ感じ取ることができる。わが国では成人が漫画を普通に読むし、漫画を軸にした文化は米国においても徐々に広がりを見せているとは言えようが、この語は、ポリコレ連中にはおバカ扱いされる隙と見えてしまう。わが国では、警察庁長官に相当する超一流のキャリア官僚が「あちらでひとたびボンと事態が起きれば、こちらでもボンと起きるのです。」といった答弁を行うようなものである。麻生太郎氏のような毒舌キャラを押し出した政治家の率直な発言であったのなら、少しも不自然ではなかったのかも知れないが。この語の語感をどう扱うかはともかくとして、レイ氏は、一度のみならず、合計四度にわたり、生意気盛りの中学生のような表現を繰り返したのである。四度も同じ語を繰り返すのは、英米エリートにとり、語彙力の不足を表すとの誤解を招きかねない失態とも言いうる。

他方、4953個あるQドロップ(=Qによる掲示板への投稿)の内、合計32回の投稿に、"Boom"という爆発を表現する単語※1が含まれており、"Boom"の語が含まれる投稿の内訳を見ると、一度の投稿に四個の"Boom"が含まれる頻度は、一個の"Boom"のみを含む場合に次いで二番目に高い。とりあえず、デフォルトと見做されているドロップの数え方に基づき、大文字・小文字を問わず、その数を集計してみると、下表のようになっている。"Boom"の語の綴りは、"Boomerang"の語にも含まれるが、これは除いてある。複数形の"Booms"は含めた。Qが引用したユーザネームの一部は除外した。これらの判断基準は、「Qによるコントロールの範囲内に収まるべき語の中から、爆発表現と見做せる"Boom"を抜き出したもの」と言い換えても良かろう。

1ドロップ中の"Boom"の回数当該のドロップ数ドロップ番号
117520, 830, 833, 838, 860, 878, 947, 958, 1037, 1169, 1294, 1579, 2362, 3332, 4072, 4133, 4924
211174
33946, 954, 2420
411844, 1170, 1440, 1468, 1846, 1855, 1872, 1920, 2352, 2377, 2668

ここで、とりあえず「4953ドロップ中、Qは確かに"Boom"の語を読者に対して印象付けるように多用しているし、Boomの語が四度繰り返されることもままある」ものと認めてしまおう。無論、4953ドロップ中、一度も"Boom"の語が含まれぬドロップは圧倒的多数ではあるが、いかなポンコツの私でも、細かい論証を重ねようと思えば、もう少しは「Qが"Boom"の語を多用している」との主張を固めることはできる。が、その作業を進めた結果、この方面の才能に乏しい道化に遅れを取るのもアホらしい。また、このような些末な論証を要求するのは、道化が良く取る戦法でもある。これに対し、我々は、先に単純集計であるとはいえ、反証可能な論拠を示したのであるから、これを否定する向きに対しては、否定する作業の責任を、当の否定する者の側に投げてしまうこともできる。上記の単純集計で十分でないと考える者は、自ら手を動かし「Qが"Boom"の語を読者に意識させるように多用しているとはいえない」ことを証明する必要※2がある。挙証責任の所在が否定する側に移るのは、フェアに行われる議論のルールである。大体において、日本語環境下においては、条件付き確率の考え方すら知らぬ道化が多数であろうから、我々は安心して、先の"Boom"の語がQの用いるキーワードであり、四度繰り返されることも多いと見做して良かろう。

レイ氏は、当の会合の席上、上記のように答弁した、米民主党ニューメキシコ州選出のマーティン・ハインリック上院議員(Martin Trevor Heinrich)の要請に対し、「Qアノンに係る公開用の分析書を、非常に近いうちに提供する」旨を答弁している。この前後関係、より詳しく説明すれば「Qアノンに係る分析書を公開させるか否かの権利が、議会多数派である米民主党議員らの側に留保されていたギリギリ直前の時点」において、レイ氏は、上記のように、気付く者なら気付くであろう形で、"Boom"の語を繰り返したのである。「気付く者なら気付くであろう」という論拠には、当然、本稿を根拠として私を含めることができるし、また、Qが唯一投稿する掲示板の8kun.top(8君)における「qresearch」グループでの反応[3]を挙げることができる。

ここで留意すべきは、レイ氏に対するアノンらの非常に錯綜した評価である。リアル社会での連絡先の交換に適したSNSである『Telegram』における「We The Media」チャンネルで行われたアンケート[4]では、レイ氏の本心を分からないとする意見がおよそ半数を占めている。また、彼を信頼できないとする意見は、信頼できるとする意見よりも確実に優勢である。このアンケートは、ユニバースを偏りなく反映していないとの欠点を補うことができないものではあるが、携帯電話に紐付けられたSNSである『Telegram』上でQの言論を主題に扱うチャンネルにおいて行われたものであるという事情を酌めば、十分に参考に足る。

We The Media, [2021.Apr.18 00:32 JST] [Poll: Do we trust Wray or not. We were told to.] - Yes 25%, - No 30%, - Idk 45%, 8613 votes
図 Telegram; We The Media, [2021.Apr.18 00:32 JST][4]

レイ氏の"Boom"発言は、偶然であると片付けたり、また悪玉がアノンらをとことん追い込むために発した嗜虐的なものと解せるものではない。まず、レイ氏自身は、偶然に"Boom"の語を発したと言い逃れることができるものの、これを偶然と片付ける評価は、愚鈍の産物である。なぜ、"Boom"が四回も繰り返されたのか、そもそも、米議会に対する高級官僚の答弁として"Boom"は相応しい表現であるのか。これらの質問への適切な回答を与えぬままに、偶然と片付けようとする評者は、それなりに手を動かして材料を揃え、聞き手を説得する努力が求められよう。次に、レイ氏が自身でQドロップを読み込んだ上で、"Boom"の語を悪意から発した場合を考えてみよう。アノンらの標準的な考え方には、「ウソはいずれバレる(Every lie will be revealed.)」というものがある。既に悪意があると一部のアノンらに疑われているレイ氏は、この委員会の場において、わざわざ、自らの疑惑を深めるような発言を口にするであろうか。仮に悪意があるとしても、矢面に立たされることを避けるため、余計な波風を立てぬ形で委員会での答弁を終えようとするものではあるまいか。さらに、当人に悪意がなくとも、"Boom"と4回発言するようにDSの側から強要されていた場合を考えてみよう。DSがこの種の強制を行うことが仮にあるとすれば、その目的は、何らかの材料を元にレイ氏を脅迫しているか、レイ氏を心から隷従させた上で、警察トップをも好きなように動かせる力を持つことを、DSが誇示するというものであろう。が、我々一般人が知りうることではないが、このような戯れを行えるほど、現在の政治状況は、見た目にもDSに有利なものとは言えまい※3

ここで、私が考える限りにおいてではあるが、Qの計画の一部である「不正選挙(ここでは、米大統領職の不正による簒奪という世界最大級の権力犯罪)の追及」を実現する際に必要となる三要件を紹介しておく。要件の一点目は、Qの計画においては、DSが一度は大統領選挙の不正を完遂させる必要があった、というものである。二点目は、事後に問われることになる罪(反逆罪)の重さを考慮して、自白や転向の機会を可能な限り設ける必要があったというものである。三点目は、トランプ大統領やトランプ陣営・選対関係者とは距離を置く、中立的な地位と誰もが認めざるを得ない地位の人物が最低でも一人実在し、少なくとも、その彼ないし彼女がDSによる不正選挙の既遂事件の捜査に着手することを国内外にわたり宣言する必要があったというものである。これら三要件の説明は、これ以上、現時点で誰にでも分かるように説明してしまうと、現在進行中のQの計画に影響を与えうるものになる。残念ながら、その知識を悪用する道化が現れることにつながるから、これ以上の説明は加えない。(私としては、小悪党といえども相応の制裁を受けるべきであると考えており、また、本件考察に係る私の先取権を指摘するとともに、誠実な研究者なら同じ見解に到達していたはずであることを指摘できれば、それで良いからである。Qの方法論は、明らかに教養豊かなものであり、「知らなかったとは言わせない」ための方策に満ち満ちている。)

米国の愛国者でもあるアノンらの大勢がレイ氏の本心を掴み損ねたままであるという現状と、「不正選挙」の捜査指揮に誰かが着手せねばならないという要請(前述三要件の第三)とを併せ考えたとき、レイ氏の"Boom"発言は、氏が不正選挙の追及を率先して実行しており捜査過程において浮上した米民主党議員らに対してこれ以上の罪を重ねぬように促すために発したシグナルであると考えた方が、遙かに整合的なものとして考えることができる。まず、現時点でレイ氏が不正選挙の捜査に着手しても、バイデン一味には高級官僚を交替させるチャンスがあったから、彼ら被告になりうる連中にとって、機会が公平に与えられていなかったとは言えない。また、今現在の時点でレイ氏をクビにすれば、それこそ憲法の最後の擁護者である軍が動く大義名分が生じることになる。この場合も、バイデン一味らは、自らのクビを自ら切り落とした格好となる。ゆえにレイ氏をその地位に留めておくことは、現時点の彼らにとり、最大限の譲歩・牛歩戦術を意味することになる。このバイデン一味とレイ氏との関係性を考慮した上で、レイ氏が囮捜査を自ら進めるプレイングマネジャーであると仮定すると、"Boom"発言の意味合いは、立ち所に変わって見えてくる。前述した通り、ハインリック議員が「Qアノンの公開用の分析書」を要請する前に、"Boom"の語が繰り返されたことがポイントである。つまり、レイ氏がQグループ中の「3名しか全容を知らぬ文民」[5]の一人であり、その一員として、囮捜査を実行中であるとすれば、レイ氏の発言は「オマエらは、自身の不正選挙の既遂を棚に上げ、あろうことか自分たちの見解をFBIのものであるかのように、米国民に押しつけようとしているが、それでよろしいか」と問うているものと化すのである。このレバレッジの効き具合を考慮したとき、レイ氏の役どころは、Qドロップにおいて複数回言及されている「善玉側のスリーパー」[6]であると考えた方が、遙かにしっくり来るのである。映像を確認すれば明らかであるが、レイ氏は、同等の才能と実績を有するであろうインテリジェンスコミュニティの同僚に囲まれつつ、答弁書をそのまま読み上げるスタイルを取るでもなく、Qの決まり文句とも言える"Boom"の語を四度も自身の答弁に挟みこんでいる。これは、氏のQに対する真意が敵味方のいずれであるにせよ、相当にQのスタイルを自分のものとしている傍証と見ることができよう。このとき、Qが米軍の良識派の意思を伝える存在であると少なからぬ米国民に認識されていることを考慮すべきであろう。仮に、レイ氏がQの敵であるならば、レイ氏は、相当に図太く優秀なタマであると言わざるを得まい。どの階級にどれだけ潜んでいるかも分からない親トランプ派の面前で、大見得を切ってみせているのであるから。こう考えてみれば、レイ氏は、アホな米DSの向こうを張る形で、まんまとバイデン「政権」内において不正選挙を追及するための最重要ポストに潜り込んだものと考えるのが適切であろう。

(私としては論証したつもりであるが、)レイ氏が善玉であると仮定した上で、"Boom"の繰返し回数が四度であるのは「一石四鳥」であるからとの推測を示しておこう。そもそも、Qが"Boom"の語を意図的に四度繰り返してみせてきたのには、それなりの理由があるものとも考えられる。もっとも簡単に考えつける理由は、四回・四方面への壊滅的打撃を予告しているから、というものである。あるいは、四度繰り返せば(私のようなニブチンでも)気付くからかも知れない。第四幕までの展開を構想・策定してあるからかも知れない(。大統領の任期で四期にわたる期間=16年ということかも知れない。これは、考えてみれば、大抵の若人にはとても幸運なことで、これから人類の歴史でも特筆すべき16年間の5年目を過ごしつつある、ということを意味するのかも知れない)。金融・戦争・違法薬物・人身売買の四大問題を解決する試みであるからかも知れない。DC・シティ・バチカン・上海またはスイス等々、四大金融都市(または国家)をヤるからかも知れない。今回の「Qアノンの分析評価」がアノンらの濡れ衣を晴らすものとなるとすれば、結果的には、BLM・腐敗議員・極右団体・金主(=「+」=GS)の四方面がヤられることになる。後世において、レイ氏が"Boom"を四回繰り返したことは、妥当であったということになるやも知れないが、これはあくまで、(世間一般に比べれば、それなりの知識に基づくものであるとは自覚するが)私の想に過ぎない。

なお、Qドロップとの関係性は、"Wray of Light"等、ほかにも認められる。ただ、本稿では、むしろ従来の指摘に見られない重要箇所を狙って指摘したため、これで十分にリッチな内容になったものと考える。これで、オリジナル性は十分であるものと判断し、むしろ話を早くまとめて終えることとしたい。別に気付いた項目は、別稿にまとめることとする。

最後に一言だけ:題名では、"Q-a-Boom"などと駄洒落を試みたが、自分でも全く面白くないので、不発ってことで冒頭の通りとした。ここで披瀝してしまったことについても、お許し願いたい。「ドカン」というオノマトペの英語版は、"ka-boom"である。


※1オノマトペでもあり、爆発の意を持つ語でもある。

※2蛇足ながら、私が知る限り、Qの正体について、この手の挙証責任を独力でやり遂げている道化はいない。道化がやっていることは、単にゴミ情報を手当たり次第に投げ付けて「Qは○○である」というレッテルを貼ろうとするものに過ぎず、大抵のアノンが考えるように「Qは米国の軍隊に所属し米環境省のQクリアランスを保持する愛国者達である」とのQ自身の主張と、その主張の根拠としてQが提示した各種の材料を、真っ向から反駁してはいない。

※3確かに現在の米国政治は、「オールブルー(上下院とも民主党、大統領も民主党)」にはあるが、この状況下で、DSに有利と見える法整備が進められつつあるように見える理由は、人々が顕名で活動する愛国者達の言を受け容れ、非暴力的に草の根の政治運動に徹しているためであるまいか。現状は、バイデン「政権」に権力が掌握されているのではなく、単に、人民(We the People)の側が、トランプ氏の主張を受け容れて、遵法的に振る舞っているだけではあるまいか。米国の愛国者達が真にブチ切れたときは、BLMのような人工芝による暴力よりも、遙かに効率良く、DSを駆逐してしまうのではあるまいか。それが、「1月6日米議事堂暴動」にも現れた事の本質ではあるまいか。


[1] Top Intelligence Officials Testify on Global Threats to U.S. | LIVE(NowThis News、2021年04月14日)
https://www.youtube.com/watch?v=PuD7KbRFZzk

[2] Senate Select Intelligence Committee Hearing on National Security and Global Threats(C-SPAN、2021年04月14日)
https://www.c-span.org/video/?510592-1/senate-select-intelligence-committee-hearing-national-security-global-threats

[3] 〔Q1170(2018年04月17日07:53:02 EST)等との関連性を指摘する8kunの投稿〕 https://8kun.top/qresearch/res/13430021.html#13430672

[4] We The Media, [Poll :Do we trust Wray or not. We were told to.](IET、2021年04月18日00:32 JST)
https://t.me/WeTheMedia/16766

[5] Q60(No.147679416 at 4chan、2017年11月2日18:03:36 EST)
https://archive.4plebs.org/pol/thread/147675249/#147679416

You can count the people who have the full picture on two hands.
Of those (less than 10 people) only three are non-military.
Why is this relevant?
Game theory.
Outside of a potential operator who has been dialed-in w/ orders (specific to his/her mission) nobody else has this information.
Operators never divulge.
Alice & Wonderland.

[6] Q3957(No.8791878 at 8kun.top、2020年4月14日14:36:22 EST)
https://8kun.top/qresearch/res/8791820.html#8791878

When does NDA expire re: DrudgeR sale to foreign entity?
Think 2020_P election +1.
[removal [blackout] coming of pro_POTUS accounts]
Win by any means necessary.
All assets will be deployed this election.
Sleepers [Pro] will shift position [Nay].
[Paul Ryan_Fox]
Q




2021(令和3)年04月20日訂正

文章の主旨を変えることのないよう、表現等を改めた。なお、後日、答弁の前後の書き起こしを追加する予定ではある。

2018年8月3日金曜日

(メモ)異常気象の偏在は続いているようである

北朝鮮で干魃被害があり[1]※1、韓国でも111年振りの猛暑だという[2]。前稿(2018年7月30日)では、陰謀論者たる者、気象兵器を論じるからには、世界のどこが異常気象に晒されているのかを把握せねばならない旨を指摘した。朝鮮半島においても熱波の被害があることは、彼らが犯人と言いにくい事情があることが示唆される。仮に、極東アジア全般を襲う異常気象を、すべて気象兵器によるものと考えると、その犯人として相応しい連中は、北朝鮮問題を契機として、極東アジアに戦争を起こしたい者たちだけが残されることになる。なぜなら、極東アジアの関係各国は、すべて異常気象に見舞われており、どの国も、戦争を起こす気などないからである。私の見立ては、本ブログに散々示したとおりであるが、わが国の官僚組織も、表向きこそ意気軒昂であれども、内心では戦争に賛同していないようである。このため、関係各国が異常気象の影響下にあることは、北朝鮮ともども、両建てAチーム側の企画=最終戦争には乗るつもりがない、と解釈できる証拠となろう。私を含むパンピーは、冷房をエコモードで付けることを厭わずに、気楽に過ごすのが吉ということであろう。

なお、山の高いところは涼しそうである。ただ、大陸ヨーロッパは、国境を越えた電力網が形成されているから、そこでの電力収支が分からないことには、特定国を切り取って犯人として名指しする訳にもいくまい。逆にいえば、各国の電力事業関係者は、分離された電源によって現今の気象操作が行われていない限り、犯人に気が付く余地があることになる。犯人の特定と追込みは、その筋の人々の仕事である。二次情報(又聞き)しか得られない一般庶民の考察では、ここまでがせいぜいである。


※1 BBC World Serviceの『Global News Podcast』でも、北朝鮮の干魃について、放送されていたはずなのだが、一覧性が悪いので、ここ数日間の番組の一つだとしか言えない。8月3日早版(earlier version)?では、ポルトガルとイギリスも、熱波の影響下にあるという。なお、BBCの表現では、ヨーロッパ全体が熱波の影響下にあるかのように聞こえてしまったが、調べてみると、パリはまだ過ごしやすそうである[3]

[1] 北朝鮮でも猛暑、40度超も=干ばつ被害、警戒呼び掛け:時事ドットコム
(2018年08月02日17:54)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080201024&g=prk

[2] 韓国、111年ぶりの猛暑…各地で停電事故など「安全な生活」に脅威(1) | Joongang Ilbo | 中央日報
(記名なし、2018年08月02日10時13分)
http://japanese.joins.com/article/676/243676.html?servcode=400§code=400

[3] Paris, France 10-Day Weather Forecast - The Weather Channel | Weather.com
(2018年08月03日確認)
https://weather.com/weather/tenday/l/FRXX0076:1:FR

2018年7月30日月曜日

気象改変技術の存在を前提とした考察が求められている

#本稿は、「たられば」の世界で、考えを深めてみただけの話である。最近の本ブログの内容とは、大きく異なる。この種の前提を置いて、考えを展開し、その結果を表明することは、私生活にも悪影響を及ぼしうる。本稿は、このリスクを踏まえた上で、世に問うたものである。どれも私自身の心の働きであるが、それでも、少しばかり悩むところがある。


わが国の陰謀論者たちは、今般の台風12号などを気象操作によるものと考え、その責めを、彼ら自身が疑いを掛けた相手だけにぶつけてきているようであるが、世界の多くの地域で異常気象が同時的に発生していることを考えると、この作戦の実行犯たちの正体については(、私が賛同できる意見も見られるとはいえ)、慎重に考えるべきであろう。気象操作技術が現実のものであるにせよ、また、一部に放火などの犯罪の痕跡を認めることができ、そこには、単なる個人の嗜癖以上のものが認められる可能性が残るにせよ、である。たとえば、7月26日、ギリシャのニコス・トスカス(Nikos Toskas)副内務相は、7月23日の森林火災の原因が放火とみられると公表した[1]が、同時に、スクオッター(不法占拠地区)が焼失したことにも、注意が払われて良いであろう。わが国でも、バブル期、退去を拒む都心部の住宅に対する放火火災が見られたことを想起せよ。また先月25日、カリフォルニアの森林火災に関連し、複数の放火の容疑で、32歳のブランドン・N・マクグロバー(Brandon N. McGlover)が逮捕された[2]。いずれの放火も、折からの猛暑により、被害が拡大したとみられている。イギリスでも摂氏35度、熱波と呼べる状態が到来したと聞く(29日のNHK『日曜討論』だが、私は、この番組に落胆した。一般向けの番組にしては、説明が分かりにく過ぎる)。

興味深いことに、今般の異常気象は、国際秘密力集団の最終戦争というアジェンダの下にあるように見える国に対しては、認められない。エマニュエル・マクロン氏のパリ[3]は、それなりに快適そうであるし、(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地の)エルサレム[4]も、平年並みのように見える。これらの二か国は、中東におけるシリア紛争に積極的に関与し、シリア国軍を攻撃してもきた。しかしながら、これら二か国についても、シリアを支援するイラン・ロシアの二か国を相手に、先制攻撃を通じた全面戦争に踏み切る姿勢までは、認められない。

消極的にしか説明できないが、主要な被害国と本稿に挙げた非被害国との差異は、ほとんど、ハルマゲドン(最終戦争=第三次世界大戦)志向に(表向き)従っているのか、そうでないかの違いしか、ありそうにない。超・大雑把な理解では、また、一般人にはこれ以上の確認のしようもないのであるが、ハルマゲドン=核戦争を通じた人口削減は、国際秘密力集団による両建て構造におけるAチームのアジェンダとされる。シリアを舞台とした仕込みに対して、アメリカは、今現在のところ、同地から撤退する気満々であるし、わが国も、南スーダンからのフェイドアウトに成功して※1、中東地域における戦闘に参加する必然性を失ったように見える。北朝鮮についても、雪解けムードが演出されており、この点、少なくとも、トランプ大統領は、Aチームのアジェンダを上手くいなしたように見える。(大規模な放火火災を起こされた)ギリシャは、キプロスを巡り、トルコと対立関係にあり続けてきたし、EU諸国からはお荷物に見られてきた。なお、放火といえば、安藤ハザマが施工していたビルの火災も、万が一、近年の大放火ラッシュに関係しているやも知れないが、そうでないことも十分に考えられよう(。ギリシャやカリフォルニア州について明言されたように、許容できない程にお粗末な施工管理により生じたものと確定されなければ、一般人には、何とも判定できない種類の話である)。(この緯度にしては、例外的な)熱波に襲われたイギリス(の金融街シティ)は、ブレクジットにより、EUと金融政策における競合関係に入りそうである(ということになっている)。この書きぶりだと、何だかEUが悪者に見えてしまうが、しかし、EUは、わが国とEPA調印式を東京にて実施した(2018年7月17日[5])ばかりで、しかも、平成30年7月豪雨のため、ブリュッセルでの調印式が見送られたという経緯がある。つまり、国際秘密力集団の諸アジェンダのうち、一時的にせよ、Bチーム系の目標が邪魔されたことになる。このため、今般の異常気象の原因が気象兵器によるものであるとすれば、その犯人は、素直に考えると、Aチームによるものと推論できる。アメリカとわが国も、経済的な利益において(、少なくともトランプ大統領の側から見れば)、競合関係にあるが、この競合性は、両国ともが異常気象の影響下にある理由にはならない。中国は、豪雨を迎えており、ロシアは、酷暑にある。これらの状況は、中東地域における大戦争というアジェンダに後ろ向きな諸国に対して、気象攻撃が仕掛けられているかに見えるという(、世界に目を向ける陰謀論者から見れば、お粗末な)結果を生み出している。マクロン氏がシリア攻撃を明言して実行したことを想起せよ。気象兵器を利用可能な各国が、お互いに鞘当てしているという場合も想定できるが、そうであるなら、被害の様相は、より全球的に予期されない結果を生み出しているであろう。北極の氷が溶け出しているという話もあるが。これ以上、ハルマゲドンを志向するAチームの一部による仕業という見立てを否定するような証拠を探すこともしないが、Aチームの仕業を否定する証拠がない、という点は重要である。

地球温暖化だけを今般の異常気象の原因としたい者は、上に見たような形で、世界の各国に異なる結果が(偶然)生じた理由までを説明する必要があろう。2018年7月時点で、マスコミが喧伝するようには、地球の全陸地が異常気象に晒された訳でもないからである。結局、わが国の異常気象については、気象改変技術の存在を認め、HAARPなり、これに類する機器により、瀬戸内海を中心とする地域の大気が上空に押し上げられたとの説明を受け入れた方が、素直な説明になろう。偶然のアンサンブルによって、台風12号が東から西へと逆行するかのコースを辿ったと説明するよりは、そのような形で高気圧が形成されるように電磁波が照射されたと考えた方が、説明がし易いであろう。どのくらいの確率で、このような狙った形の逆コースが偶然生まれるのかは、何百万回もの大気シミュレーションを実行すれば、検証可能であろう。当然、大気が押し上げられるメカニズムを込みにして、である。私は、いったん気象改変技術の存在を認めた上で、それを否定してみせるという、自称「デバンク筋」や「御用学者」のロジックを、見かけたことがない。私が指摘した方法までを考慮に入れて、分析を設計して実施してくれていたとすれば、誰もが、異常気象の原因を、地球温暖化だけによるものと認めざるを得ないことになる、と思うのであるが。なお、私は、人間の活動に伴う地球温暖化そのものを否定しているのではなく、気象改変技術の影響をも込みにせよ、(つまり、どちらとも否定するのではなく、どちらとも肯定した上で研究せよ、)と述べているだけである。

「環境改変技術の軍事的使用その他の敵対的使用の禁止に関する条約」[6]の存在は、気象兵器を現実に使用する相手がより強大な武力、つまり大量破壊兵器を保有していることを示唆する。わが国についても、1982年6月9日に効力が発生しているが、わが国でも気象改変技術が運用されているとすれば、これらの技術を防御的に利用することまでは、(国民の目には見えにくい形の)自衛権の行使として認められよう。大阪北部地震(本年6月18日午前7時58分)や平成30年7月豪雨災害や台風12号が、これらの技術によって惹起されたとすれば、それは、すでに攻撃と見做して良いものであろう。他国に属する組織・人物らによって、これらの技術が悪用されてきたとすれば、すでに、わが国は、ステルス戦争状態にあると言って良い。それとは別に、他国籍を有する組織や人物が、わが国に対して被害を与える結果を生じるように地球上の特定地域に気象改変技術を適用する事態は、可能性として想定しておくべきことである。しかし同時に、わが国の周辺諸国(米国、中国、韓国、北朝鮮、ロシア)は、条約に加盟している※2。気象改変技術をわが国に対して悪用することは、目に見える反撃の虞がないにせよ、気象改変技術の存在を肯定する(ごく一部の)日本人からの敵意を得ることになるから、どの集団がこの技術を悪用するにせよ、そこには、敵方であるわれわれ日本人にも納得できそうな、何らかの確固たる理由がなければなるまい。上掲の諸外国については、確固たる理由を挙げることができないという消極的な理由から、ここ最近の「天災」の数々の実行ではない、と認めることができよう。そうでなくとも、これらの周辺諸国は、わが国を締め上げる方法をいくらでも用意できよう(し、わが国は、天災によらない圧力に対して、効果的な反撃を統御的に実行できていないように見える)。人命への損害を現実に与える気象兵器の使用は、一般人には気付かれにくいとはいえども、この存在を前提とする人々にとっては、大量破壊兵器の使用(や、それに準ずるR攻撃にもなり得る原発への攻撃)を次なる脅しとして匂わせることにもつながろう。でなければ、これだけの被害を生じさせた武力攻撃に対して、いくらわが国といえども、攻撃者を特定できた場合には、各種の(非戦闘行為を通じた)反撃を講じることもできようからである。気象兵器の実行犯が次なる(、同時に最終的)手段である大量破壊兵器を保有しているからこそ、これほどのあからさまな気象攻撃も可能となる。このように考えた方が、通りが良くなろう。現に、一般人の人命が数百人単位で失われているのであるから、現時点でも、気象兵器を利用した連中は、許されないことをしたことになる。この一方で、大量破壊兵器に対しては、大量破壊兵器による報復という恐怖の均衡が成立する。ここまで考察を進めると、ようやく、わが国は、いわゆる国連の敵国条項も込みにして考えると、反撃可能であるという意思表示を公にすることすら、躊躇してしまうという状況に落とし込まれていることが明らかになる、と言えそうである※3

ただ同時に、現実に人命に影響するまでの天候による攻撃は、気象改変技術を悪用した相手(両建てAチーム)が追い詰められている兆候であるとも考えられる。現実に人命に被害を及ぼした以上、これを償う方法は、人命によってしかあり得ないからである。「戦後」処理において、このジュネーブ条約違反は、重大な戦争犯罪として処断されるであろう。その時に下される罰の重さを考えると、この種の一般人には気付かれにくい技術の実行は、次なる攻撃を予告する意味合いを有するものと考えられる。脅しとなるような犯人からの言明は、間違いなく、届けられるべき所には届けられているのであろう。公開の連絡伝達手段としてのわが国のBチーム系メディアを見れば、この予想は、間違いないものと言える。これら(何故か)Bチームメディアは、今般の政争に絡めて、自民党内のA2チーム(同党内ではBチーム、しかし、このチームがかつてのハト派とは異なる位置付けにあることは、わが国の困難をいよいよ深めている。)の声を借りる形で、防災政策上の不備を指弾しているのである。しかしながら、わが国の防災体制は、一応、基礎的自治体が第一義的に対応するものとなっており、広域的な対応は、都道府県が第二義的に対応することとなっている。3.11を経て、国からの働きかけが制度化されたが、それでも、対処の順序を大きく変えるものとまでは言えない。それに、水害については、平成30年7月豪雨災害に際して予想された数百年に一度という頻度よりも苛烈なものとして、千年に一度という頻度のものもある。この点、他国のAチーム系に使嗾された、わが国ではBチーム系に見えるメディアが発した非難は、阪神・淡路大震災における対応への非難と共通しており、わが国の危機管理のあり方を説明しないまま、こじつけた感を拭えないものである。政治は、結果責任を免れないであろうが、結果責任と故意の不作為とは、切り分けるべきである

ところで、電磁波の利用を基本とする環境改変技術を大規模に適用可能な国は、大規模な発電能力を運用できる国に限定されるものと認められる。言い換えれば、原発を保有している国か、好き放題に火力=石油を利用可能な国に限定されよう。原発による電力は、ベースロード電源という名を冠せられており、あたかも常に有効活用されてきたかのような印象を与えてきたが、かつてのわが国については、夜間、余剰気味であった。各国とも、原発による電力について、このような側面を否定できないとすれば、この部分の電力が秘密作戦に活用可能であることは、言うまでもなかろう。電力会社を黙らせれば良いだけであるし、原発は、民営であるとしても、例外なく国策の一環として運用されており、国家的な情報管理の対象となっている。出力を少しだけ変えることは、上手く隠蔽されることであろう。


以上の推論は、我ながら雑駁であるが、どの国に対して戦争屋が影響力を保持できており、気象改変技術を未だに悪用しているのかのヒントを与えるものであると思う。どの国にも、完全に国(民の利)益に逆らう売国奴が存在する一方で、それに対峙する勢力もいるものである。外部からは静かに見える対決を通じて、異常気象を巡る問題も、一部は解決されることになるのであろう。われわれは、一国主義が台頭する中では、自国内の安全を確保しながら、他国の良心的な勢力を自国に許された方法で支援するほかなかろう※4。日本の庶民が日々の生活を頑張るほかに可能なことは、異常気象を巡る言説について、大マスコミに二枚舌がないか否かを批判的に検証することであろう。本稿の読者に対しては繰り返すことでもなかろうが、マスコミに対する批判的な態度こそは、わが国を草の根から良い方向へと変えるための確かな第一歩である。


※1 私には、実相を把握するだけのリソースがないが、実務サイドが上手いことフェイドアウトするように仕組んだような印象を受ける。政治主導であったのか否かの経緯は、遠い将来の(わが国の「文系」の研究業界では、希少種である誠実な)研究者が「発見」することであろう。

※2 台湾は、国連における地位ゆえに、私には、調べ切れていない。台湾は、核兵器保有を目指したことがあり、また、ベースロード電源を保有しているという、気象改変技術にも手を出すだけの履歴を有しているが、わが国に喧嘩を売ることまでは、考えにくい。すごく適当な表現に頼れば、台湾の利益は、わが国の利益とまあまあベクトルを同じくするものと考えられるためである。それに、台湾も地震国であり、水害国である。

※3 核武装論は、この八方塞がりをふまえ、すべてを見通した上で、より狡猾に提案されるべきであるのだが、そのような悪知恵を発揮できるだけのキレッキレな日本人の核武装論者を、私は、今現在、見出せていない。彼(女)には、もちろん、勇気も清廉さも公正さも必要となる。狭き道である。それゆえに、私は、核武装不要論を通じて独立を志向した方が、遙かに楽だとも思うのである。すでに、わが国は、核武装を後戻りできない程度に進めてしまっていると認められもするのであるが。

※4 実は、私も、先月辺りに、自分の中長期的な投資ポジションを通じて、その協力をなしたつもりである、が、2018年7月30日現在、反対側の勢いが強すぎて、おいおい待ってくれという気持ちでもいる。


[1] 83人死亡のギリシャ森林火災、放火の「重大な兆候」=閣僚 - BBCニュース
(記名なし、2018年07月27日)
https://www.bbc.com/japanese/44976556

[2] California Wildfires: Arson Suspect Arrested, TV Anchors Flee | PEOPLE.com
(Dave Quinn、2018年07月27日16:31)
https://people.com/human-interest/california-wildfires-brandon-mcglover-arson-suspect-arrested/

[3] Paris 04 Hotel-de-Ville, France 10-Day Weather Forecast - The Weather Channel | Weather.com
(2018年07月29日確認)
https://weather.com/weather/tenday/l/FRIF1168:1:FR

[4] Jerusalem, Israel 10-Day Weather Forecast - The Weather Channel | Weather.com
(2018年07月29日確認)
https://weather.com/weather/tenday/l/ISXX0010:1:IS

[5] 平成30年7月17日 日EU共同記者会見 | 平成30年 | 総理の演説・記者会見など | 記者会見 | 首相官邸ホームページ
(2018年07月17日、2018年07月29日確認)
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2018/0717eu_kaiken.html

[6] 環境改変技術の軍事的使用その他の敵対的使用の禁止に関する条約 - Wikipedia
(2018年07月29日確認)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E5%A2%83%E6%94%B9%E5%A4%89%E6%8A%80%E8%A1%93%E3%81%AE%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E7%9A%84%E4%BD%BF%E7%94%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E6%95%B5%E5%AF%BE%E7%9A%84%E4%BD%BF%E7%94%A8%E3%81%AE%E7%A6%81%E6%AD%A2%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84
#とりあえず調査の入口としては十分であろう。




2018(平成30)年7月30日9時35分・15時30分訂正

文章を一部訂正した(が、訂正しただけの価値はないかも知れない)。なお、イラン国営放送麾下の『Pars Today』は、特に異常気象を伝えてはいない[7]。気象庁は、世界の季節毎の異常気象をまとめて公開している[8]が、ここ2か月の異常気象については、まだ公表時期ではないようである。

[7] ホーム - Pars Today
(2018年07月30日確認)
http://parstoday.com/ja

[8] 世界の季節ごとの異常気象
(2018年07月30日確認)
http://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/monitor/seasonal/

2018年6月30日土曜日

私事に発する個人的な疑問(2018年6月29日)

ごく一部、別記事(私信、削除済み)を反映・加筆している。まとまっていないが、まあまあ面白くなってきたように我ながら思うので、これでとりあえずアップする。


私は、先日の電話で、思いを寄せる人にこれ以上なくフラれたにもかかわらず、かの人の設定した枠を勝手に変えた挙げ句、お電話お待ちしていますと取次の人に言付けてしまったのだが、そこでの問題は、私がいつまで待てば、誠意を尽くしたと言えるのかである。私の状況に置かれた男という生き物は、果たして、どのような待ち時間分布を形成するのであろうか。きっと、平均値一日未満の、裾のきわめて軽い分布になりそうである。言い換えれば、ほとんどの男性は、すぐに根を上げるに違いない。私も、その例に漏れず、余程の集中力が必要とされる時間以外は、身が擂り潰される思いでいる。私は、一日たりとも、この思いを持ちたくないし、この状況を適正な状況に戻すだけの警告・逮捕のリスクを冒してでも、努力を重ねるという選択肢をどうしても取りたくもなってしまうのである。

私の状況を説明する上で、何ら役に立たないものの、一旦、脱線しよう;NHK朝の連ドラ『半分、青い。』の今週の律くん(萩尾律役は、佐藤健氏)は、若い時期の四年を待ちきれなかったようであるが、世の多くの男性は、この流れに対して、十分な理解を示すのではなかろうか。別の女性に思いを寄せられることがあっての四年間であるし、大体、四年前にフラれているのだから、私としては、何ら責めを負うところがないと思ったりもする。もっとも、世界に名を轟かすような実績の研究室に所属する大学院生は、わが国では、まともに自活できないにも関わらず、多忙に過ぎようから、ポスドクの職を得るまで(、そして、大抵のポスドクは、今までの彼らの努力と成果に見合わない給与で働いているのであるが)、結婚しようにもできなかったのかも知れない。

カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの『共産党宣言』[1]は、家族の解体をブルジョア(=巨大金融資本家層)の策略として認識し、そのために売春と自由恋愛(有り体には不倫)が利用されることを指摘している〔pp.69-71〕。また、この部分では、婦人の家庭内における地位向上(有り体には「産む機械」扱いから対等なパートナーへ)が家族制度の破壊を意味しないことが強調されている〔p.70〕。ヘテロセクシャルのまあまあ多くの男性は、一旦結ばれた女性に対して、それなりに責任を覚えるであろうから、先に見たような『半分、青い。』の話の流れは妥当だとも思うし、家族制度を強化するものが何であるのかを良く暗示するものとも考えられる。もっとも、既婚者であっても、火遊びを厭わないアホな労働者の男は多いから、世の性風俗関連特殊営業や浮気を促進するツールが繁盛しているのであろう(。念のため、いくら給与が高くても、労働を対価として賃金を得ており、個人の責任ですべてのカネを取ってこなければ、労働者である。売春を初めとする性風俗産業は、この点、労働そのものである。さらには、髙木仁三郎氏のような組織の意向を反映するための人工芝ではない希有な例を除けば、わが国には、独立した気概を持つ研究者が少ないものと評して良いかも知れない)。

マルクスとエンゲルスらの指摘した、家族内での両性の平等と社会構造との相互依存的な関係性は、現代日本社会の主流メディアにおいて、十分に強調されておらず、私の見たり聞いたり読んだりした範囲では、わが国の学術上の共通の知識基盤とはなっていない。性愛行動と社会関係との相補的な因果関係は、ヴェルナー・ゾンバルトのよう誠実で優秀な学者には、必ずや気付かれることであろう(。私は、『陰謀論の正体!』の著者の田中聡氏に、ウソ吐き呼ばわりされるような陰謀論者であるからこそ、偶々気が付いたに過ぎない)。だからこそ、ゾンバルトは、自由恋愛が贅沢品への需要を産み、セヴィル・ロウのような特定地区への豪奢品産業集積を促進し、ショッピングという行動様式を形成した、という論理展開を、まるで出来過ぎた物語のように描写できたのであろう[2]

今では、これら両書を顧みること自体に政治性がつきまとうが、それらの指摘を虚心坦懐に受容すれば、個人の自由意思を前提として性風俗産業を肯定すると、却って抑圧的な社会が実現・維持・強化されるという皮肉な構造が存在し得るという気付きに、読者の多くが、至ることができよう。陰謀論者は、ぜひ、両書に触れて、そこでの論理展開を堪能すべきである。いち陰謀論者としては、彼らの指摘した内容がなぜ人々から忘れ去られるに至ったのかを考えるとき、従来からの陰謀論者の主流の見方が世間一般の見方よりも的を射たものであるように思えてしまう。つまり、これらの知識は、支配する側にとって有用なものだからこそ、人々の興味を引かないような形で、公開され続けてきたのである。

また、「利用可能な脆弱性は、世の中における不公正な構造を維持強化するために、必ずや利用される」という陰謀論者風味のセキュリティ上の考え方に経てば、平等な家族・社会制度と性風俗産業との調和し難い関係性を軸とすると、現代の労働者階級と一部リベラル論者は、この軸上で対立的な関係にあるものと指摘することもできる。この対立関係自体は、これだけでは、一部リベラル論者を非難するに及ばない材料である。しかし、その一部論者が、対立関係の含む意味のすべてを、現代の労働者階級に対して分かりやすく説明していないとすれば、その説明不足こそは、彼ないし彼女が(無意識的には)イヌであり、あるいは国際秘密力集団のアドボケイト(婢)に過ぎないという消極的な証拠として認めることができよう。この論理は、簡単に、次段落にまとめよう。

家族制度が解体し、労働者階級が心身ともに結束できない状態は、分断統治がきわめて容易である。家族という単位は、私が言えたことではないが、上手く回れば、一対一の信頼関係を多対多の信頼関係へと発展させる上できわめて効果的な社会装置であり、人間という生物に必須の社会単位である。個々の家庭の成員がこの信頼関係の構築に成功して、支配者階級を人数比で圧倒することこそ、本来の左翼に必要な革命の作法ではないのかと考えることもできよう。この一方で、このように固い絆で結ばれた家庭は、右翼にとっても理想的な家族像として映ることであろう。この点、幸せな家庭像を考察するとき、そのあり方は、特段、左右の別なく、了解可能なものであるかも知れないのである。であるにもかかわらず、自称リベラル系の論者がこの論点に言及しないとすれば、そこには何らかの理由があるとしか言えなくなるのである。この規範そのものが社会的に構築されたものであるだなんて、ごく当然のことである。問題は、人間の十全な発達にとって、この規範ならびに制度の実際が、有に機能しているか否かである。仮に、一部「リベラル系」論者が自身の理想こそ正しいと信ずるのであれば、それを実証するとともに、彼らの主張が現在の抑圧的な経済体制を強化しているという古典的な批判にしっかり反論を提示すべきであろう。そこに不備があるとすれば、それは、彼ないし彼女が無能であるか、悪意があるかのいずれであるためである(としか言えない)。

なお、エーリッヒ・フロムは、カール・マルクスの思想を、ジークムント・フロイトの思想と同様、ヒューマニズムに発するものと理解すると同時に、共産主義の理想が誤解された形で当時の社会で応用された旨を指摘している[3]。このフロムの意見は、いち陰謀論者から見れば、フロムを含めたこれらの先達の意見があまりにもおかしな形に加工されて流通していることをふまえれば、国際秘密力集団の狡猾さを浮き彫りにするものとして理解することができる。この一点だけでも、フロムは、学術界における、私が譬えるところの仮面ライダー的存在であると指摘できよう。

これまた、学術上の実績が極小である私と比較するには最大限に不適切な事例であるが、セーレン・キルケゴールは、おそらく男性機能の不能のために、思い人のレギーネとの結婚を諦め、婚約を解消したと解釈されている。このとき、キルケゴールの思い人・レギーネは、果たして幸せだったであろうか。不勉強ゆえに、先人の研究成果を十分に把握していないが、少なくとも、後の旦那は出世してるし、客観的に見れば、当時の家庭人を基準とすれば、幸せであったのではと言えそうな気がする。また、キルケゴールとレギーネは、教会で挨拶し合うも、最後の別れまでは言葉を交わさない仲であったという。なお、ここら辺の話は、ポール・ストラザーンの『90分でわかるキルケゴール』[4]を参考にして、うろ覚えで書いている。以下、キルケゴールについては、同氏の解釈を参考にして記述を続ける点、また、誤解があれば、それは私によるものであることを、お断りしておく。

キルケゴールは、他者の幸せを願う気持ちを持ち続け、道化のように振舞い、短い一生を悔いなく生き抜くことにより、後世の人々に、自分自身という存在が何者であるかを考え抜くことが大切であると説いた。キルケゴールのレギーネを想う気持ちが本物であると言えそうなことは、私自身に真似できることではないが、私にも分かる。相手が幸せであるのなら、自分がほかに幸せを求めざるを得ないことも、悲しいこととはいえ、まあ分かる。しかし、お互いが客観的に不幸な状態で待ち続けることは、ヒューマン(人間)というよりもエコン(経済的合理人)である私には、どうにも違和感の残ることでしかない

ところで、ジャン・ポール・サルトルが性に奔放な生き方を通じて「実存主義」を謳い、生存中に時代の寵児となったことは、かつての婚約者を偲ぶキルケゴールの一途さを思うとき、あまりにも皮肉なことである。陰謀論者であれば、この換骨奪胎ぶりに、何らかのカネの臭いを嗅ぎ付けることは、さほど難しくはないであろう。家族という制度・構造・規範に着目するとき、サルトルの行為は、実存主義という語の「背乗り」であるとも解釈できる。なぜ、サルトルがキルケゴールをサルトル自身の「実存主義」の先駆者であると認めなかったのかは、陰謀論者風に解釈を進めることもできる。サルトルが自身を作られた偶像であると認識していたとすれば、また、家族という伝統を軸に置いたとき、キルケゴールの主張とは異なり、サルトルの主張が権力集団に傅く方向で作用することにサルトル自身が自覚的であったとすれば、サルトル自身の強弁は、彼の学問に対する悪行を、ひねくれた形で懺悔したものと解釈することも可能である。私は、初めて彼らの思想に接したときの違和感を、ようやく、陰謀論という思惟形式の助けを借りて、整合的に解釈できたように思うところである。

刹那の快楽に慰めを見出すサルトルの姿勢は、待ち時間モデルの時間に係るパラメータが限りなくゼロに近いものと評することができようし、その対極に、キルケゴールの一生という待ち時間を対置することができよう。人間の一生は有限であるから、時間パラメータも有限でしかなく、人間は、せいぜい、その時間に見合うだけの誠意しか見せることができない。ただ、自身の残り時間のすべてを同じ人に捧げることができる人は、幸いというほかなかろう。このとき、私は、どうしたものかと考え込んでしまう程度に、ダメ男なのである。

これら先達の思想を並べてみたとき、ある意味、合理的(=非人間的)でもある私は、今の状態からの脱却を図る上で、どうしても既存の法秩序に違和感を覚えてしまい、何とかして、キルケゴールの「正」とサルトルの「反」を経て、「止揚」を果たすことができないのか、と思ってしまったりもするのである。その一つとして、自由な性風俗産業という市場を改造するという、ちゃぶ台返しを空想してしまったりもするのである。この考え方は、空想的社会科学主義者でポリアモリーのはしりとも言うべきフーリエ(、建築・土木・都市計画分野では、ファランステールの構想と監督で有名、資金をブルジョアにねだるなと『共産党宣言』で批判される)のライフスタイルとは対極にあり、カルト宗教のいくつかに酷似した思想でもある。

20世紀後半以降の哲学は、ソクラテスの時代に立ち戻り、二人(2集団)が、お互い納得できるまでの対話を大前提とするようになったが、この流れには、非暴力主義の目標である「和解」が深く影響しているようにも思われる。古代ギリシャでは、奴隷や男女格差を前提とした「市民」同士の対等な関係の構築が目指された。これに対して、非暴力抵抗の教えは、黒﨑真氏の説明を借りると、差別の解消というゴールに至るために、お互いが相手を打ち負かして上下関係を作ろうとするのではなく、異なる条件を持つ両者がお互いを対等な人間と認め、和解するほかないことを強調する〔pp.72-75〕[5]。武力・暴力は、勝ち負けを通じて、敗者には覆しようのない上下関係を人間社会に作り出す。国際連合で主唱されてきた「差異ある平等」は、この理念を前提として編み出されたキーワードであるが、この組織のはしりが第二次世界大戦の戦勝国すなわち連合国であったことは、善い意味で捻れた話である。

当然ながら、和解しようとする二人(2集団)が求める内容は、お互いが納得できるだけの幸せな状態であるはずであろうが、しかし対話がなければ、お互いに損な状態を続けてしまうという誤謬がある。ゲーム理論にいう「囚人のジレンマ」である。囚人のジレンマでは、被疑者(あるいは被告)の二人がお互いに申し合わせることができないからこそ、疑心暗鬼に陥り、お互いをチクリ合い、重罪に処せられることになる。現在の世界もまた、それぞれに不幸せな国民が分断統治された状態にあると言うことができるかも知れない。もっとも、TPP11のように、強者である無国籍大企業群が自由に国境を超えることができる現在では、国民国家が強化されることは、ほぼ唯一の、同毒療法の前提でもある。

カネの力で好き放題する連中がのさばってきた中、大勢の弱者に与えられた対抗手段は、本稿に示した解体されつつある家族制度に留意して、共通の成熟した意識を持ち、圧倒的な人数比で、カネの力で靡かせようとする人物たちの影響力を封じ込めることしかなかろう。人権という概念が世界的に認知されるようにはなった(、ただし、わが国では、実践されていない)という事実を前提とすれば、現代における人海戦術は、現代的な権力構造に対する必要十分な理解を前提とした上で、パートナー間の愛情によって実践される必要があるのであろう。このとき、人間の弱さ・愚かさに配慮するなら、人権を自ら損なう種類の個人の自由は、対話を通じて、抑制される必要があろう。対話でもダメであれば、そのときどうするのかは、私には分かりかねるのであるが。

私は、身勝手にも、以上のように考えみたが、結局、冒頭の疑問に対して、自分の答えを見つけられないでいる。結局、待つことについては、頑張れるだけ頑張ろうとも思うが、早くもメンタル崩壊寸前であることも自覚している。本稿は、自身の執着心(のみ)から生じた自身への責め苦に対する、せめてもの気晴らしから編まれたものでもある。完成度に難があることは自覚しているが、陰謀論者がこの辺の考察を行った形跡はないから、ここら辺の悩みをきちんと整理して提示した先行研究が存在するものかを後ほど探した後、有用であるかどうかの結論を出すことにしよう。キルケゴールによれば、私自身が考え抜くことが大事ということになるが、それを公開してしまうことは、また別の機会に考察すべき話にもなろう。


おまけ

戦後のわが国においては、日本人女性への性暴力を低減するという建前で、売春制度が整備・運用される一方で、残る国民に対しては、夫婦関係における貞節が強調され、明示的・非明示的な方法を通じて、人口増が奨励された。この取合せは、二枚舌というに相応しいものであり、女性全般に対する官民共同型の性の管理と搾取の両輪であったと言うべきであろう(。ここでも、従軍慰安婦と同じく、官民パートナーシップ(PPP)が機能している)。その後の経済成長を通じて、色町の発展は継続した。色町における人間関係は、被差別民であった民族集団の一部の特権集団化を補助線として、日本の権力構造を裏から規定した(。誰がどう言おうが、これは事実に近い表現である)。その世界の様子の一端は、古くは松本清張により、近年では多くの優れた劇画やノンフィクションにより良好に表現されているから、その筋の人間の言葉を直接に聞かずとも、一般人でも、十分に警戒心を抱くことができるであろう。

このやり口の問題は、夜の街を構成する私的な社会集団に(進んで)身を投じた経験のある人々は、インサイダーとみなされ、いつまでも搾取の対象とされる羽目に陥ることである。前稿で指摘した「いつまでも記録の残る社会」において、この種の関係性は、よほどの飛躍によらなければ、いついつまでも、個人を縛ることになる。この実例として、政界を例にとれば、小池百合子氏に対する文藝春秋の記事や、朝日新聞による細野豪志氏の記事を挙げることができる。これと同様の搾取が裏社会に近い業界で行われていることは、単に知られることなく、細く長く、認知されない犯罪として行われているものと容易に推測できるし、脆弱性として現実に存在するものであることは、否定しようのない事実である。搾取的な社会構造を変えることを個人が願うのであれば、その個人は、できる限り狡猾であらねばならないのであろう。


[1] カール・マルクス, フリードリヒ・エンゲルス, 大内兵衛・向坂逸郎〔訳〕, (1848=2007). 『共産党宣言』(改訳改版), 東京:岩波書店(岩波文庫).

[2] ヴェルナー・ゾンバルト, 金森誠也〔訳〕,(和書・たしか改訳2000).『恋愛と贅沢と資本主義』, 東京:講談社(講談社学術文庫版).

[3] エーリッヒ・フロム, 阪本健二・志貴春彦〔共訳〕,(1962=1965).『疑惑と行動 マルクスとフロイトとわたくし』, 東京:創元新社.

[4] ポール・ストラザーン, 浅見昇吾〔訳〕, (1997=1998). 『90分でわかるキルケゴール』, 東京:青山出版社.

[5] 黒﨑真, (2018). 『マーティン・ルーサー・キング 非暴力の闘士』, 東京:岩波書店(岩波新書).




2018(平成30)年6月30日12時35分追記・訂正

本文の表現を一部改めるなどした。

本日、自由民主党幹事長の二階俊博氏の少子化に係る発言を批判する記事を見かけたが、この二階氏の発言に対する林泰人氏の批判には、性と経済との抜き差しならない関係への言及がない[6]。この欠如は、林氏が忠誠を誓う勢力を推量する上で、確定的な材料とはならない。しかし、林氏が引用する外国人の意見を並べてみる限り、この記事は、両建て構造のBチームとしての機能を果たし、対立を煽るだけに終わっている。少なくとも、林氏の記事には、この解釈そのものを許す余地が認められる。

両建て構造において、Aチームの支配原理は、強者の論理を反映したものであり、暴力・金力こそが正義を体現しているが、この一方で、Bチームの支配原理は、愛と公正を連帯により求めるという弱者の論理を反映したものである。ときにBチームは、Aチームの支配を打ち砕こうとするあまり、性の解放を過剰に主張する論者の意見をそのまま利用することがある。この陥穽は、もちろん、『共産党宣言』の当初から気付かれていたことであるが、またもや、過ちが繰り返されようとしているということもできよう。それに、同書にも元ネタがあることは、陰謀論者なら、良く知るところであろう。


なお、本稿に関連して、生煮えであるが、指摘しておきたい;赤尾光春・向井直己の両氏の編集による『ユダヤ人と自治 中東欧・ロシアにおけるディアスポラ共同体の興亡』[7]は、11章「「捕囚の中の捕囚」の地としてのロシア――ソ連邦におけるユダヤ教の自治とハバド・ハシディズムの地神学」(赤尾光春)を含むが、同章は、ソヴィエト・ロシアにおけるユダヤ人の弾圧を加速したのが、ユダヤ人社会の革命化を目的として1918年に共産党内に設置されたユダヤ人部会(Yevsektsiia、イェフセクツィヤ)であったことを指摘する〔p.303〕。他方で、この弾圧は、同書の序章に見る限り、ロシア革命当初時点では、必ずしも予定されていなかったもののようにも読めてしまうものである。つまり、同書の

一九十七年の二度にわたる革命によってようやく市民として解放されたロシアのユダヤ人は、歴史上類を見ない特異な状況に置かれた。ヘブライ語を基盤とするラビ・ユダヤ教とシオニズムが「ブルジョワ的反動」という烙印を押されて過酷な弾圧に晒される一方で、イディッシュ語を母語とするユダヤ人の世俗的な大衆文化は公的に認められたばかりか、国家の後援によって発展を保証されたのである。内戦の終結と諸共和国の編入を契機に、ソヴィエト政権は、「土地に根差すこと」という意味の「土着化(korenizatsiia)」政策を採り、「形式においては民族的、内容においては社会主義的」という党路線に沿う限りにおいて、ロシア以外の諸共和国における民族文化の自治政策を推し進めた。〔以上、p.14〕このような政治的背景の中で問題となったのは、この民族文化が根差すべき土地をもたないユダヤ人大衆であった。そこでソヴィエト当局の間で浮上したのが、極東のビロビジャン地方にユダヤ人の自治州を創設し、移住を促進するという計画だった。〔…略…〕縁もゆかりもない土地に、ほとんど開拓者のようにして送り出されたユダヤ人が、ビロビジャンを「乳と蜜の流れる地」へと変容させていくという、メシアニズムともユートピアニズムとも呼べるようなモチーフは、「ディアスポラへの定住」という、シオニズムとはおよそ対極の理想の表現でもあった。

「ディアスポラへの定住」、ないしは「ディアスポラのユダヤ化」ともいうべきこの思想は、無論、ビロビジャン自治州の構想を受けて突然作られたものではない。第一一章〔…略…〕は、ハバド=ルバーヴィチと呼ばれるハシディズムの一派において、ロシアというディアスポラの地への固着・愛着がいかに形成されてきたかを跡づける。著名ではあれ必ずしも主流とは言えないこの一派が帝政ロシアからソヴィエト体制にかけて採ってきた生存のためのしたたかな闘争――それは今日のロシアでの活動にも形を変えて継承されている――は、アシュケナージの近代における「自治」の歴史を再考する上で示唆に富むものである。

〔pp.14-15、序章「隷属と独立のはざまで」(赤尾光春・向井直己)〕
という記述は、民族や宗教によって画一的に個人を規定してしまう人種・宗教プロファイリングの恐ろしさを示唆する材料になりこそすれども、ユダヤ人社会の全体が世界的な陰謀を企画実行してきたという見解を肯定する材料には、到底なり得ないものである。

しばしば、陰謀論を批判する側の論者の記述は、陰謀論者が一面的で雑駁な見方をするものと決めつけるようなものとして公表され、その雑駁さにもかかわらず、なぜか大いに流通し、受容されている。この種の論者の手になる書籍の中では、田中聡氏の『陰謀論の正体!』は、まだ、陰謀論の中身に多様性があることを指摘している分、マシというべきではあろう。しかし、本稿でいち陰謀論者である私が示すことができたものと思うように、最早、陰謀論者を画一的に規定すること自体、時代遅れというべきであろう。もちろん、私の田中氏に対する評価が二段底であることは、言うまでもないのであるが、それは、またまた次の機会ということにしておきたい。


[6] 日本が抱える少子化問題の真の原因が海外に拡散。二階幹事長の“身勝手”発言 | ハーバービジネスオンライン
(2018年06月29日、取材・文・訳/林泰人)
https://hbol.jp/169324

[7] 赤尾光春・向井直己〔編〕, (20170315). 『ユダヤ人と自治 中東欧・ロシアにおけるディアスポラ共同体の興亡』, 東京:岩波書店.




2018(平成30)年7月2日訂正

誤字・脱字の多さが気になったので、一部訂正した。まだ、新規性や面白さについては自己評価を下せていないが、本稿の射程が陰謀論と呼ばれる分野の範囲に留まることは、間違いのない事実である。




2018(平成30)年8月2日12時10分訂正

一部を訂正し、淡い橙色で示したが、本筋には影響ないはずである。

2018年2月17日土曜日

(一言・感想文)相似象の語は比喩として適切だと思う

「相似象」とは

「相似象」とは、落合莞爾氏の用語であり、その定義は『天皇と黄金ファンド』(成甲書房, 2016年4月)のpp.22-23のとおりである。本稿では、著作権法違反を恐れるために紹介しない。将来、主従の逆転を主張できない位に材料が蓄積されたら、紹介しない意向がない訳ではない(。本稿も、まあまあの分量であろう)。「相似象」は、テキスト化して共有するだけの価値がある、国際秘密力集団に使い慣わされた概念である。本記事は感想文であるゆえ、印象論を押し進めるが、「変奏曲」「転調」という音楽用語は、「相似象」に代替可能な比喩となろう。このうち前者は、私も以前に使用したことがあるし、使用に耐えるだけの合理的な理由があるとも思う。コード進行が同一であり、メロディ(=構造)を最初に示されると、そのアレンジ(=実例)にも大抵の人が不都合なくついてゆける、などの類似性が存在するからである。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『きらきら星変奏曲』を想起せよ。オブジェクト指向の用語で言えば、クラスの一種ということになろうか。これもまた、比喩の一つである。

他方、世の中には、自然科学の概念を拝借して失敗した比喩が良く見られる。他者の失敗した比喩を、殊更に批判するつもりはないので、ここで実例を挙げることはしない。それに、いわゆる「ソーカル事件」に対するポストモダン思想の批判の中には、実験的な思考を無下にしたというものが含まれていたはずである。それらの再反論は、中河伸俊氏の『社会問題の社会学 構築主義アプローチの新展開』(世界思想社, 1999年4月)の第1章に整理されていたような記憶がある。何より、比喩について、私自身が大概な失敗を重ね続けているとの主張に対しては、本ブログの読者なら、大いにヘッドバンキングされることであろう。加えて、何の違いが比喩の成否を分けるのかは、残念ながら、自分には言語化できていない。対策を強いて挙げるなら、商業出版における自然科学用語による比喩の誤りに対しては、編集者が介入可能である、とだけは言えようか。大事なのは、素直に呑み込めない種類の比喩を利用し続けるという間違いを早期に改めることである(。これこそは、工学的・バーク流の保守的な精神の発露であろう)。ただ、私には、その誤りを正す機会がない(。というのは、前振りの一つである。カルト宗教の信者は、このような文脈依存型の話に追随できているのであろうか。出来ていないのは、馬鹿の証拠である)。


「相似象」は「両建て構造」を雛型とする

『国際秘密力研究』の「菊池」氏の主唱する「両建て構造」は、「相似象」の雛型として、大変に良く機能している。ただ、この一般理論(general theory)は、現状への適用方法いかんによっては、誇大理論(grand theory)の表出と見做されかねない虞を有する。適用の妙こそがポイントであろう。たとえば、安倍晋三氏の第四次自公政権は、内部に公明党=創価学会という「サブ両建て構造」を抱える一方で、内外にわたる「希望~石破・小泉(・岸田・中曽根)」ラインとも(、表面的には穏やかであるが、)対峙している、と読むこともできよう。

「両建て構造」と言えば、最近、ハインリヒ・マイアーの『シュミットとシュトラウス』(栗原隆・滝口清栄〔訳〕, 1988=1993, 法政大学出版会)で、レオ・シュトラウスが「二軸の両建て」に言及していた※1ことを偶然に知り、洋の東西を問わず、仮面ライダー的な人物は散在しているものだ、との思いを強くしたものである。なお、私の興味のど真ん中を行く資料が地元の図書館に配架されていることは、どうしても偶然とは思えない。ここで、どなたか?に、勝手に感謝?を申し上げたい。なお、前掲マイアー氏の書籍の題名を直訳すると、

『カール・シュミット、レオ・シュトラウス、そして「政治的なものの概念」――〈その場に居合わせない者たち〉の対話のために』
となるそうであるが、これもまた、意味深である。


おまけ1;近年(2016年・2017年)のヒカルランドのアンソロジーは、講演者の顔触れによって、「あからさまな嘘」を散りばめながら、読者が真実と思うところを選び取ることができるようにするという高等戦術に出ているものと解される。ある話者の内容を否定する人物に対しては、「だって、(空飛ぶ何とかみたいなことを言う)あの人も一緒に講演しているんですよ?当局のお墨付きというやつでは?」と言わんばかりである。「企画者は...、できるな!!」という印象しか出てこない。もちろん、これは、あくまで私の解釈であり、私自身としては、高度な知性の発露だと感心しているつもりである。

おまけ2;最近、元警察官を称する匿名者が『5ちゃんねる』で色々話をした後に、「これはすべて嘘松」として落ちたスレ(ググれば、出てこよう)を見たが、これもまた、ヒカルランド同様に「自己言及のパラドクス」のイチ事例である。使い方は、とてもシンプルではあるが。もっとも、中野学校の伝統は、ニセ情報を濫用しすぎて、自家中毒にしばしば陥るようであるから、これくらいの方が良い。辻田真佐憲氏の『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』(幻冬舎新書, 2016.7)は、組織に生じた軋轢が大本営発表をあらぬ方向へと導いたことを指摘しているが、今般の大本営発表も、同様の弊に陥らないのであろうか。

おまけ3;嘘を散りばめると、相似象を発見することは、とたんに困難になる。三角関係である場合、基本的には、6通りの関係性を評価しなくてはならない。1通り以上の関係に嘘が混ぜ込まれているとすれば、分析作業は、$2^6=64$倍が必要になる。基本、嘘は吐かない方が良い所以である。


#以上、記憶に頼り、一種の棚卸しを実施した次第である。出典など、間違っていたら、ごめんなさい。


※1 1932年9月4日付シュミット宛てのシュトラウスの第II書簡である。タイプ原稿で、シュトラウスが手元に置いた複製は、現在、シカゴ大学に収蔵されているという〔マイアー, p.172〕。

〔p.168〕

先生の著作をより詳細に分析しようとするならば、そうした人は、〔…略…〕二つの相入れない、少なくとも異質な思想系列に分かれる、という印象を持つでしょう。左翼と右翼の対立は、(1)国際主義的平和主義と好戦主義的ナショナリズムの対立として、そして、(2)無政府主義的社会と権威主義的社会との対立として現われます。これら二つの対立は互いに一致しない、これにはいかなる証明も要りません。

2018年2月16日金曜日

(一言・メモ)陰謀論に係るベイズの定理

ベイズの定理(Theorem of Bayes)は、次の式で表される。 \begin{equation} Pr(H \mid O) = \dfrac{Pr(O \mid H) Pr(H)}{Pr(O)} \nonumber \end{equation} ただし、
$H$: 仮説(hypothesis)
$O$: 観察(observation)
$Pr(O \mid H)$: $H$の尤度ゆうど(likelyhood)

陰謀論界隈では、しばしば、$Pr(O \mid H)$は高いものの$Pr(H \mid O)$が低くなる種類の説明が取り沙汰される。以前にも引用したが、エリオット・ソーバー『科学と証拠 統計の哲学入門』(名古屋大学出版会, 2008=2012)は、$Pr(O \mid H)$が高く$Pr(H \mid O)$が低い事例として、$H$が「グレムリンが屋根裏でボーリングしている」、$O$が「屋根裏から音がする」というものを挙げている〔p.15〕。グレムリンがボーリング大会に興じていれば、確かに騒々しい物音がするであろう。しかし、グレムリンが屋根裏でボーリングしているとは、わざわざ考えにくいのである。

複数種類の独立した仮説があり、それらの仮説が漏れなく挙げられているときには、下式が示されよう。上式と下式は、分母が一致するとき、同形となる。このことから、複数の仮説が成立しているとき、それらの仮説を出し惜しみせずに列挙することが大事である。これが、重大事件を考察する場合において、陰謀説と誹謗される種類の説にも注意を払うべき理由である。 \begin{equation} Pr(H_i \mid O) = \dfrac{Pr(O \mid H_i) Pr(H_i)}{\sum_{j=1}^k Pr(O \mid H_j) Pr(H_j)} \nonumber \end{equation} ただし、$H_i$: $i$番目の仮説($1 \leq i \leq k$)

陰謀論者(と誹謗される人々)は、この$H_j$の集合から故意に外された(、しかも、分母の項が無視してはいけない大きさとなる種類の)仮説がないかどうかを確認し、あるいは指摘しているのである。9.11を例に挙げると分かりやすい。NISTの、すなわち当時の連邦政府の見解は、WTCツインタワーについて、「衝突(による火災)原因説」だけでなく、「制御解体説」が成立(または並立)し得ることを真面目に検討した様子がない。それどころか、現場は、捜査に必要十分な期間、保全されなかったが、この事情についても、両説ともが適合的である。「衝突原因説」は、$Pr(O \mid H)$が限りなくゼロに近いことが反論として提起されているが、当然、「制御解体説」は、$Pr(O \mid H)$が限りなくイチに近いものとなる(。制御解体の失敗例がどれほどあるのか、私は調べていないが)。$Pr(H)$の大きさも、利権の大きさを考慮すれば、なかなかのものであろう。


2018年2月18日00時10分追記

弘前大学教授夫人殺人事件(1949年8月6日)[1]の公判の際、古畑種基氏は、ベイズ統計を誤用して血液鑑定書を作成しているようである。本件は、元々この話を知り、メモしておきつつMathJax用の数式をテキスト化しておくために用意したものである。既往論文がいくつかあるようなので、本件については、後日、追記するやも知れない。

が、ベイズ統計は、「新たに得られた証拠に基づいて、事前確率を事後確率へと更新する手続きが何度も行える」という環境下で適用されるべき方法である。得られた証拠によって、事後確率が事前確率よりもゼロに近付いたなら、その証拠は、仮説を望み薄にする材料ということになるし、逆に1に近付いたなら、その証拠は、仮説を有望なものとする材料ということになる。9.11には、沢山の論点が存在している。それらを検討すればするほど、子ブッシュの(消極的)関与が認められるという結論に近付くことになろう。トランプ大統領を誕生させた選挙戦と、その後のブッシュ一族の行動は、複数の証拠として利用可能である(から、ますますクロに近くなったということになる)。

これに対して、古畑鑑定は、一件の証拠を扱うのみである。当時の(冤罪であった)被告が犯人となる事後確率は、確かに、血液鑑定の結果、事前確率よりも上昇したことであろう。しかし、無事前情報分布を設定するのであれば、五分五分ではなく、弘前市の人口6万人を考慮して、6万分の1と置く方が正しかったであろうし、事後確率は、約千分の1(0.00111)に上昇はしているが、やはり千分の1としての扱いを受けるべきであったろう。古畑氏が何を目標としていたのか、私には良く分からない。


[1] 弘前大学教授夫人殺人事件 - Wikipedia
(2018年02月17日確認)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%98%E5%89%8D%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E6%95%99%E6%8E%88%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

2018年1月25日木曜日

(感想文)ヘーゲルのニュートン力学に対する批判は難癖に近い

『ヘーゲル初期哲学論集』(平凡社ライブラリー、2013年)所収の教授資格取得論文「惑星の軌道に関する哲学的論文」(1801年)[1]は、予断を以て臨むと、従来指摘されてきたような致命的な誤りを補論に含むだけでなく、どうにも、ニュートン力学全体に対する敵意を払拭できていないように読めてしまう。訳者の村上恭一氏の解説によると、この論文に対する後世の批判は、補論に対して集中しており、論文全体が不問に付せられることとなった〔p.519〕という。その補論は、太陽系における惑星同士の距離が等比級数状となっているとの主張を、思弁的に展開するものである。ニュートン力学に対するヘーゲルの誤解・難癖は、ほかにも本文中に複数を認めることができるが、それらは、現代の中等理科教育を修めた者からすれば、何とも据わりの悪いものである。万有引力による円運動における慣性力の方向が円の接線上、進行方向であるとする誤り〔p.329〕は、訳注にも指摘されており、これは翻訳書のミスを引き継いだものではないかと、村上氏は解説している〔pp.389-392の訳注34〕※1。また、完全に誤りとまでは言えないが、天体の質点を仮構的な存在とするモデリングの有用性を一旦は認めながら〔p.324、注20〕も、ニュートン力学が力を分割して考察するという方法を否定する辺り〔pp.327-329〕は、およそ、整合的な態度ではない。ヘーゲルがいかなる合理的な理由に基づいてこのような記述に至ったのか、私には(、モーメントを意図していたの?などと、適当には理由を予想できるものの)、その思考を追い切れない。

本ブログが考えるヘーゲルの失敗の理由は、もちろん、高校物理に係るものではない;ヘーゲルは、実のところ、フリーメーソンのグランドマスターでもあったというニュートンに対して敵意を有していたために、ニュートン力学に対しても個人攻撃を試みるあまり、『プリンピキア』に対する誤読が甚だしく、突飛な補論についても、自己検証を欠いたのではないか。これが、下衆(である私)の勘繰りというものである(。つまり、これが、ヘーゲルの誤りの原因として、採用可能なアブダクションの一つである)。以前も触れた(2017年8月28日)が、改めて考えてみ(て、一部の内容を微妙に変更す)ると、弁証法が提唱された事情について、彼が単なる走狗であった場合、(昭和の)仮面ライダー的なキャラであった※2場合、国際秘密力集団とは無関係ながらも弁証法のアイデア自体が偶然に一致した場合、という三通りを、仮想的には考えることができる。本記事に見たヘーゲルの誤りは、このうちの残念なものが真実であったという可能性を高めている。とりわけ、先に言及した補論の内容は、現代においても有神論的な神秘主義者が良く主張する種類の宇宙観に良く類似する。悪感情と先入観に基づき、先人の思考を追っているからこそ(、私がヘーゲルの思考を追い切れないのと同様に)、ヘーゲルは、ニュートン力学の全体を捉え損なったのではないか。ヘーゲルの思考のうちに、オカルトが入り込む余地は存在しなかったのか。

このような読み方は、真面目に科学史に取り組んでいる研究者たちにとって、迷惑この上ないことかも知れないが、これでも私は、組織犯罪・権力犯罪における最重要事例の歴史を追究しているつもりである。国際的な権力ネットワーク(=国際秘密力集団)の存在自体は、現代においては、間違いなく真である(と、私は考えている)。ただ、その歴史と悪意の範囲がどこまで広がりを有するのかについては、人により見解が異なるようである(。ただ、いわゆる啓蒙時代における西欧貴族社会や、西欧の秘密結社のうち、著名なものについては、その内実が闘争か協力かを問わなければ、これまた関係が深いものと確実に主張できそうである)。彼らの影響力の範囲を大掴みしておくことは、現代の様相を理解する上でも、必ず役に立つ種類の作業であろう。ただ、わが国の倫理教育を見るに、高校までの教科書に留まる内容だけでは、この種の興味を満たすことはできない(。ただし、わが国の倫理教育は、国際秘密力集団の全貌を理解する上で、必要な内容を網羅している)。私が抱いている種類の疑いを確認するためには、疑いのかけられている人物について、原文と当時の事情に通じた解説書が必要である。日本語でこのような書籍に安価に接することができるということは、大変に恵まれたことである。逆に、仮に、この種の悪意を有する権力集団が現実のものであるとするならば、日本人の大多数は、世界の実相を理解するための材料を十分に手にしながら、みすみす、その機会を逃しているということになる。

#通常、好き嫌いという感情は、社会科学において言及すること自体を避けられがちであるように見える。しかし、この感情は、ヘイトについては主題として取り上げられるように、世界を動かす大きな要因の一つである。犯罪や戦争を考察する場合にも、必ず考慮されるべき要素である。STS研究においては、特定個人の他者に対する好悪が科学研究という活動に影響するという可能性は、考慮されているのかも知れないが、この話を前面に押し出した議論を展開し過ぎると、自らの土台を掘り崩すことにもなろう(。ラポールと社会的身分は、どの研究でも重要である)。

もちろん、ヘーゲルの立ち位置についての私の疑いは、(私の中でこそ、鉄板レベルであるが、)仮説に過ぎない。ただ、神意によって(←適当)惑星が等比級数状の距離で分布しているなどという考え方は、自然科学に馴染んだ者であれば、当時の思考水準であっても、一蹴できそうに思われる。当時の実態こそ私には分かりかねるものの、仮に、ヘーゲルが現役であるうちに、当時の知識人がこの論文に対する決定的な反駁を加えることが定性的に可能であったとすれば、この補論は、国際秘密力集団によって、ヘーゲルの裏切りを抑制するために加えられた一種の保険であったという場合をも可能性に含むことができる。自分でも、相当に猜疑心の強い理解であるとは思うが、現代における国際秘密力集団のリサイクル手法(2017年9月7日)を参照すれば、可能性がまったくのゼロという訳でもあるまい。逆に、自然科学の発展に比べれば、人々を脅す技術は、200年以上が経過しても、ほとんど進歩していないとも言えそうである。


※1 これは、一応、私にも一回目通読したときに指摘できたことであるので、訳注だけに頼らない形で提示しても構わないであろう。また、この誤りは、些末かつしばしば起こる誤りではあるが、飯山一郎氏の掲示板『放知技』における佐野千遥氏と「木枯し紋次郎」氏との論戦において、「木枯し紋次郎」氏が提示した誤り(リンク)と同種である。この誤りを佐野氏が指摘しなかったことは、佐野氏の古典物理学に対する理解の程度を暴露するものである。時の経つのは早いものである。

※2 いわゆる平成ライダーは、残念ながら、現在、小学館『ビッグコミック・スピリッツ』で連載中の『風都探偵』を含め、一番大事な構図を強調する姿勢に欠けているように見えてしまう。その重要な構図とは、人類の敵に育成された主人公が、人類という種に味方して、同族に立ち向かうというところである。


[1] G.W.F.ヘーゲル〔著〕, 村上恭一〔訳〕, (2013). 『ヘーゲル初期哲学論集』, 平凡社ライブラリー.


#本記事のファイル名については、市村操一氏の「Publish, or perish!「出版せよ、しからずんば死を」」, 『東京成徳大学臨床心理学研究』, 13,2013年.を参考とした。





2018(平成30)年1月27日追記

ニュートンとヘーゲルは、本人の器量を示すのに、うってつけの先人のようである;文春新書の池上彰氏と佐藤優氏の対談本『新・戦争論』(2014)[2]は、「新帝国主義」に係る佐藤氏の次の発言を掲載している。

〔p.243〕

外交面においては、ニュートン的な力学モデルです。すなわち力による均衡。新帝国主義国は、相手国の立場を考えずに自国の立場を最大限に主張する。相手国が怯み、国際社会が沈黙するなら、そのまま権益を強化していく。他方、相手国が必死に抵抗し、国際社会も「やり過ぎだ」と言う場合には譲歩する。それは心を入れ替えたからではなくて、譲歩をしたほうが結果として、自己の利益を極大化できるという判断によるものです。

これは、非常に古典的な力学モデルで、ある意味では、新自由主義的、新古典派的な市場モデルと似ています。強いて言うと、動学的均衡モデルに似ている国際関係です。そういうことを強調したいので、「新帝国主義」という言葉を打ち出したわけなのです。

この後、佐藤氏は、カール・マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』[3]の冒頭を引用しながら、世界大戦を避けるべく活動したいと抱負を述べる〔p.250〕。世界大戦を避けるという目的には全面的に賛同できるし、「新帝国主義」の時代であるという佐藤氏の説明には、先の説明の不確かさを除けば、納得できる。しかし、dynamic equilibrium modelの内容が何を意図しているのか、私にはとんと分からない。おおよそ、各国の力関係で交渉の内容が決まるということを意図しているのであろうとまでは分かる(。ある1つの物体に対して、互いに逆向きの2つの力を加えるということであろうか。そうであるなら、完全に2つの力が同じ大きさでない限り、力を加えられた物体は、どこまでも等加速度運動をしてしまうことになるし、力の向きが真逆でなければ、やはり合力の方向にどこまでも等加速度運動することになる(。これこそ、パートナーシップというやつである)。もちろん、ここでは、古典力学の範囲内で、意地悪になるように、モデルを想定してみている)。

この見当外れの比喩がなかりせば、佐藤優氏の主張をより受容しやすくなるのにと思う「理系」の皆様は、圧倒的に多数派ではなかろうか。もっとも、ここで提言された改善策(=物理学なり経済学なり、数学を利用する学問分野の喩えを用いて見当外れとなることを避けよ)は、実行されないものと予測できる。現に、佐藤氏の理系に係る記述に対して、多くの批判がインターネット上に見られるが、それらが顧みられた形跡は、佐藤氏の近著から読み取れない。

一例だけ、佐藤優氏が外野の批判に対して過剰とも形容できる形で反応した事例が存在するが、これこそが日本の論壇の不毛を象徴する事例でもある;金光翔氏による「〈佐藤優現象〉批判」である。論文自体の出来は、2007年往時の私には、真似できない高度な内容ではある(。良くできているために、金氏の論文は、宣伝工作の一種として、佐藤氏には認定されたのではないか。この疑いを、私は、捨てきれていない)。佐藤氏には、自身の執筆活動を「召命」と見做している節がある。この佐藤氏の使命感は、金氏の論文を、文字通りの挑戦として受け取る理由として機能したように思われる。国=日本語の言論界を守る戦いという訳である。金氏が事後に岩波書店を解雇された話は、それなりに知られているし、加えて、それ以後、インターネット上で、金氏が論客として活躍できているという形跡を、私は見付けることができていない。この点、佐藤氏の意図がいかなるものであれ、佐藤氏が出版業界に対して築き上げた彼自身の影響力は、日本語の論壇を豊かにしたものとは、私には思えないのである。加えて、佐藤氏自身が、自己の評判を維持するためにも自己の誤りを修正するという習慣を職業的に形成したとは読めない辺り、つまり、出版業界が佐藤氏を従来以上に支援しているとは見えない辺り、出版不況には、何らかの構造的な問題が潜んでいるとしか思えないのである。金氏を社会的に排除して生じた結果が論壇の不毛さを増したという批判こそは、実は、私が未完としていた昨年の記事(2017年4月26日)のトリに持ってくる予定の話であった(。このため、本記事を以て、先の記事の続きとさせてもらう)。

佐藤優氏は、両建て構造を日本の出版業界に打ち立てたが、その後の日本語の論壇は、結果的には不毛さを増した。この点を示唆するヒントとして、私は、以前の論考(2017年3月28日)において、孫崎享氏も佐藤優氏も読める日本語論壇こそが良い旨を述べたことがある。日本(語)の出版界は、道義的にも、経済上も、また国家安全保障上も、金光翔氏を発掘し直す努力を払う義務がある。佐藤氏が金氏を排除するよう要請した当時の事情も、その努力によって、一層明らかになろうというものである。


#蛇足であるが、近々言及するつもりの話を、一段落だけで言及しておく。

池上氏は、ジャーナリストとしては優秀であると思う。佐藤氏が「ジャーナリストの職業的良心に基づいて、一貫して行動する〔p.252〕」と評することは、正当であると思う。知識人としては、語らなければならないことを語るべきときに語っていないので、失格である。エドワード・サイード氏※3やハンナ・アーレント氏の主張やその顛末を考慮すると、わが国の大多数の学者・研究者は、何とも意気地のない人物で多くが占められている。ジャーナリストは、(取材源について、)語りたくないことを語らなくとも良いという例外を認められているので、ジャーナリストとして、池上氏が優秀であるとすることはできるであろう。なお、『新・戦争論』においては、私から見て大事と思えることは、ほとんどすべて、佐藤氏が語っている。


※3 年末年始に、『知識人とは何か』[4]を超・久しぶりに読み返した。内容をすっかり忘れていたものの、本ブログが同書の劣化コピー的な内容となっていたことに気が付き、恥じ入った次第である(。異なる環境下で、同様の結論・心情に達する個人がいたということは、サイード氏の主張が普遍的な内容を有し得ることを意味する。逆(=私の主張が一般性を有する)は、必ずしも成立しないが、していたとすれば、それは嬉しいことである)。和訳書の解説は、姜尚中氏によるが、最近のテレビ・コメンテータとしての氏から受ける無力な印象は、この解説を記した頃の気持ちを忘れてるんじゃね?とも見えてしまう。ついでであるが、アマゾンの書評に☆1つを付けた連中で、現今の構造的暴力について声を上げ、自分でケツを拭いた(=経済的に独立した)人物がいるとすれば、大変な驚きである。ま、そんな奴は、これらのアマゾンの書評者の中には、一人もいないであろう(。ここでの根拠は、アマゾンの日本語サイトにおいて私の知る顕名の批評者が小谷野敦氏くらいである、というものである)。これは、図らずも、日本国民の限界というものを示しているのであろう。言論や知識の正確性に対して責任を有している人物たちの、生活上の要請から生じた小市民(たいじんの反対語の意味での小人)振りが、わが国の生存に係る主要なボトルネックである。この点、西部邁氏は、自身の主張を通すために、アカデミック・キャリアからドロップアウトした時点で、東京大学の助教授という十分な肩書きを利用できたとはいえ、見習うべき経済上の経歴を辿ったのではなかろうか。これは、どのような理由があろうとも自殺がアホらしい行為であると思う私としては、精一杯のお悔やみのつもりである(。終末期の痛みを除くための麻薬なら、私は使用を認容する。あと、トランプ政権以後も西部氏が日米同盟を許容しなかった理由も疑問である。追々、調べる可能性はゼロではないが、私に言わせれば、知識が足りない)。


[2] 池上彰・佐藤優, (2014.11). 『新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方』, (文春新書 1000), 東京:文藝春秋.

[3] ルイ・ボナパルトのブリュメール18日 - Wikipedia
(2018年1月26日閲覧)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%8A%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%88%E3%81%AE%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB18%E6%97%A5

[4] Edward W. Said〔著〕,‎大橋洋一〔訳〕, (1993=1998).『知識人とは何か』(平凡社ライブラリー), 東京:平凡社.




2018(平成30)年1月27日訂正

一部、事実関係に係る誤りを訂正した(というより、自己発見した)。




2018(平成30)年1月31日修正

一部、文言を修正した。

2017年12月15日金曜日

(一言)陰謀説を語る上で、どこまで文章を正確に記述すべきか

私の考えでは、表題の答えは、「A氏は「B氏がCをDであると言う」と言う」などと記述すれば、ほぼ十分ではないかというものである。動詞は、もちろん変更可能である。A氏やB氏などの個人は、組織に置換えもできる。十分な知識もないので言語学への深入りは避けるが、ここまで記述しておけば、陰謀論・陰謀説に係るほぼ全ての社会関係を正確に記述することができようし、厄介な再帰性の問題も、必要なだけ記述することができよう。


#この種の短文の発信方法は、ツイッターとすべきかも知れないが、そうすると、著作権の問題も含めて新たな問題が生じるので、本ブログを利用することとした。

2017年9月16日土曜日

(メモ)「憑依系」の隣接概念

国際秘密力集団の採用する方法論のうち、「憑依系」は、下記のいずれの表現にも隣接する概念であるように思われる。「憑依系」とは、組織や活動の本来の目的に対して、異なる目的を抱いた人物が加入・潜入し、内部で力を得て、活動を変容させるという方法論である。「憑依系」に類似した表現は、ほかにもまだまだあろうし、そもそも「背乗り」という用語で広く知られた悪事の手口でもある。「憑依系」は、『国際秘密力研究』の菊池氏により命名されたが、「憑依系」が「両建て構造」の一翼を準備する方法であるという点こそは、全体の絵図を描くために必要な認識である。「両建て」の使用場面こそは、(現在では)菊池氏(のみ)が指摘する「国際秘密力集団」の「秘密」の要点であろう。


  • 諺や故事成語などとして、「換骨奪胎」「庇を貸して母屋を取られる」「本歌取り」
  • オスヴァルト・シュペングラー(Oswald Arnold Gottfried Spengler)氏の「仮像(かぞう、pseudomorph)」。鉱物が外形を保持したまま、ほかの種類の鉱物に置換されること。ガナシア『そろそろ、人工知能の真実を話そう』(2017, 早川書房)にも引用されている。
  • 山本七平氏の「対象の物神化」あるいは「臨在感的把握」。山本氏は直接に「乗り移る」という表現を利用する。
  • 宮台真司氏の「ネタがベタになる」。オウム事件にも応用されている(はず)。
  • ジョエル・ベスト(Joel Best)氏のモラル・パニックにおいて機能する、メディア・活動家・専門家・公的機関の相互作用からなる)「鉄の四角形」。佐々木俊尚氏の「マイノリティ憑依」は、これの劣化コピーと理解して構わない。



2017年9月17日追記・訂正

本文を一部訂正した。「背乗り」と「スナッチャー(コナミの同名のゲームが最初である、はず。本来は、snatchingとかになろう。)」と「子取り」と「アイデンティティ窃盗」のいずれが古い概念であるのか、全然把握していなかったことに気が付いた。随分と心寒く思っているところであるが、そこは怠惰が勝るので、あえて宿題として放置する。




2017年9月23日追記

裏取りが進んでいないので、これを確定的に記して良いものかは悩ましいところであるが、落合莞爾氏の『天皇とワンワールド:京都皇統の解禁秘史』(成甲書房, 2015年10月)は、マニ教が他宗教に自身の性格を混淆させることを、強く主張している。落合氏の説は、人類がかなり以前から活発に移住・移動していたことを前提に置いて展開するものであるが、この前提を認めれば、それなりに信憑性があるように思う。人類が短期間に大きく移住しているとする落合氏の前提自体は、演繹的には無理のないものである。また、経験的にも、私の(少なくなっている記憶容量の)頭の中に入っているものを、とりあえず出すだけでも、次の4点の経験的研究(活動)によって肯定できる。文化人類学の古典であるが、レヴィ・ストロースが「発見」した南太平洋の島々に係る社会・親族関係の精緻さは、この前提を肯定する材料である。考古学に関連しては、最近の葦船に着目する動きは、これに連なるものであると言える[2]。ロシアの歴史学者であるレフ・グリミョフのパッシオナールノスチ(ラテン語のパッシオに由来、故事成語風に言えば、臥薪嘗胆)は、プーチン大統領の思想に多大な影響を与えたとされているが、グリミョフ自身は、キャリアの初期において、匈奴を研究しており、匈奴が鮮卑の檀石槐に敗れてから西に大移動しフン族となったという説を提唱した[3]。マーティン・バナールの『黒いアテナ』第二部は、環地中海文化圏が航海技術に裏打ちされたものであることを指摘する[4]。後者の2点は、実証主義者の中では、少数説であるようにも見受けられるが、各研究分野において蓄積された従来の成果が横断的に結合されることにより、初めて提唱することが可能となった種類の研究成果であると思われる(。この種の横断的研究は、エンリッチメント教育の最上の成果からしか得られないものでもあり、実を結びにくいということでもあろう)。

落合氏の説の学術的な課題は、個別の命題の当否もさることながら、その説のほぼすべての論拠が、アブダクションによるものであり、かつ、その説の正当性を、他人にはアクセスできない種類のヒュミントに基づき主張している点である。このスタイルは、わが国の社会科学研究者の正統派となっている実証主義とは、真っ向から対立する。また(、先に挙げた書籍三冊とは異なり)、落合氏の記述のスタイルが書籍であるにも関わらず、相当にとっちらかっていることも、同書の学術上の信憑性を著しく低める要因である。もっとも、この断片的な記述自体、刊行を「さる筋」が認めるに当たり、提示した条件であるものと好意的に解釈することはできる(が、それでも、ねぇ…と言いたくなるほどの構成である)。


#以下、書籍のリンクは、NDL-OPACの固定リンクである。

[1] レヴィ=ストロース〔著〕, 川田順造〔訳〕, (2001). 『悲しき熱帯 1(中公クラシックス)』, 東京: 中央公論新社.

[2] 太平洋横断プロジェクト | カムナ葦船プロジェクト
(2017年9月23日)
http://kamuna.net/?cat=10

[3] チャールズ・クローヴァー〔著〕, 越智道雄〔訳〕, (2016?=2016).『ユーラシアニズム ロシア新ナショナリズムの台頭』, NHK出版, 第7章.

[4] マーティン・バナール〔著〕, 金井和子〔訳〕, 小田実〔解説〕, (2004). 『黒いアテナ 古典文明のアフロ・アジア的ルーツ(2〔上〕)』, 藤原書店.




2017年9月25日訂正

9月23日分を訂正した。




2017年11月8日追記

鈴木真治氏の『巨大数』を読み、アルキメデスが宇宙を埋め尽くすだけの砂粒の数を概算により求めた話が、仏教やジャイナ教に伝播していることを知った。同書でも言及されていた『巨大数研究 Wiki』に、この数の具体的な内容が示されている[2]ので、参照されたい。鈴木氏は、巨大な数が聞き手の判断を麻痺させる旨を指摘していた。巨大な数が人を魅惑するという点は、鈴木氏の指摘のとおりであろう。この点まで含めれば、仏教やジャイナ教における巨大数の導入は、国際秘密力ネットワークの事跡として数えることができるのではなどと、つい、考えを押し進めてしまいそうになる。


[1] 鈴木真治, (2016.9). 『巨大数』(岩波科学ライブラリー 253), 東京: 岩波書店.
http://id.ndl.go.jp/bib/027556890

[2] 砂粒を数えるもの | 巨大数研究 Wiki | FANDOM powered by Wikia
(2017年11月8日確認)
http://ja.googology.wikia.com/wiki/%E7%A0%82%E7%B2%92%E3%82%92%E6%95%B0%E3%81%88%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE

2019年5月20日訂正

明らかな誤りを訂正した。




2017年9月13日水曜日

命の危険を感じる人物が嘘を吐くのは仕方がない(のか)(1)

「エクストリーム自殺」における「遺書」の信憑性は、生前の意向に左右される

殺すぞと脅されながら書かれた文章に、果たして真意が込められているかどうか。甚だ難しい問題である。エクストリーム自殺した人物の懐に「自殺するのはやむを得ない」と書かれた遺書があったとしても、読者は、その「遺書」を信用するであろうか。その文書の「作成者」に直接問いかけることは、もはや適わないのである(。蛇足であるが、死者から応答の不在というテーマは、自殺そのものについての研究にも付随することは、2015年10月28日の拙稿で指摘した)。

わが国では、政治家なり有名人が疑問を感じさせるような形で「自殺」して、自殺として片付けられてしまうことは、結構な割合で存在する。「自殺」した政治家に殺される可能性が少しでも認められるにもかかわらず、自殺と断定してしまうことは、真の犯人に対して、刑事司法機関が敗北を最初から認めたようなものである。そうでなければ、完全な現場保全の後、世界の環境が変化した直後、その仇を速やかに討てるように、怠りなく準備を進めておくべきであろう。そのような話は、2017年9月現在、世人には、全く分かるように聞こえてきてはいないのであるが。

「自殺」における「遺書」の信憑性は、死者の普段の言動のブレ・揺れが少なければ、著しく高まるか低められるかの両極端な方向性を取る。平素から自殺念慮を強く訴える人々を、周りの人々は、放置してはいけない。本当に自殺してしまうからである。逆に、そのような素振りを見せない人が実は悩んでいたというケースは、良く言われることがあるが、偽情報だと思った方が良い(。「自殺の前に、本人からの訴えがない」というのは、自殺にまつわる誤解の一つである)。「自殺」者が「実は悩んでいた」という言明が周囲からなされるとき、何らかの不都合な真実が潜んでいるものと考えた方が、色々と据わりが良い。

わが国では、殺人事件に対する捜査のハードルが相対的に高い。ほかの事件に比べて、極端に多くの人的リソースを用いる。捜査が失敗したときの責任問題など、組織上の影響も大きい。犯人が見つからないという結果に対して、国民の側が極端に不安に駆られるという構造も認められる。これらの事情は、犯人を発見できる見込みが立たないエクストリーム自殺について、警察が捜査に踏み切れない障害となる。マスメディアの視聴者も、「へぇ~自殺だって」と大本営発表を鵜呑みにするのではなく、「また殺人か?何やってんだ警察は?」と思うべきである。警察も、このようなプレッシャーが厳然として存在してこそ、犯人を発見できる見込みの薄い捜査にも取り組めるようになる。社会防衛主義がファシズムに対抗するような活動を作り出しうることも、論理的には認められるのである。また、「陰謀論」を信じる庶民の心性は、健全に発揮されれば、政治犯罪に対して、謂われのない自殺を予防するという信じられないような効能を発揮しうるのである。

最終的に死のリスクを覚悟すべき人たちが突然「自殺」したとき、その死によって「利益を得る」者がいる場合、この「自殺」が殺人であったという可能性は、当然高まることになる。この「利益を得る者」が普段から死(に直結する物質で、犯行がバレにくいもの)を扱う者である場合、なおさら、自殺ではなく、殺人が疑われるべきである。人は習慣の生物でもあり、大抵の物事には慣れるようにできている。「エクストリーム自殺」がドアノブにタオルを掛けての首吊りというパターンは、このような手口に習熟した殺人集団が跋扈してきたことを窺わせる証拠である。米国において、この種の首吊りが非常に少ないことは、銃社会であることの長短が表れていると解釈もできる。足の付かない銃で殺すのが楽であるという事情もあれば、首吊りに見せかけて殺そうとする前に、警戒しているターゲットから反撃を受ける可能性も高いという訳である。


政党政治が機能してこそ「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もありや」も成立する

「政治家なり有名人なりが、自分の信念なり仕事なりを後続に託すことが期待できているとき、未練を持たずに身を捨てる」という行為は、わが国においては、比較的良く見られるものである。ここでの最大の要因は、武士道と家制度の組合せであると言えよう。このようなことを記しながら、私が己を犠牲にできるかと問われると、様々な理由から甚だ怪しいが(、それに、本ブログでは、己を犠牲にするような方法論をまったく採用していないが)、それは置いておこう。とにかく、出処進退に対する相場観は、勝俣恒久氏などの原発ムラに係る現在進行形の事例を除けば、わが国では、統一されているものと思われる。それにしても、インラック氏とタクシン氏の兄妹と言い、ドバイは、国外逃亡者に優しい都市である。バビロン?ねえバビロンなの?とか思ってしまうのである。

わが国には沢山のタブーがあるから、政治家は、結構な割合で、身の危険に晒されていよう。このとき、大抵の政党政治家は、自らが身を退きながら、その危険を訴えるということがない。この理由は、与野党の別、政党の警察との距離、脅す者、の三種の組合せによる場合分けを行えば、まあまあ論理的に説明できる。ただ、本稿で興味があるのは、国際秘密力集団による政治上の脅迫のみであるから、それ以外は省略しよう。

わが国の与党政治家に対する国際秘密力集団の脅迫は、従来であれば、アメリカ合衆国に権力の源泉を有していた旧・ジャパン・ハンドラーズによるものが典型的であった。というより、基本的には、わが国の政治家全般に対する脅迫において、旧・ハンドラーズが関与しなかったものは、なかったものと考えて良い。この事実を踏まえれば、皮肉とも言えようが、旧・ハンドラーズによる一連の攻撃を除けば、公安事件について、わが国の警察が優秀であり続けてきたという実績を認めることができよう。1960年10月12日の日本社会党委員長の浅沼稲次郎氏の刺殺事件も、国際秘密力集団の指示に基づき、各種右翼団体に資金提供がなされた結果、生じたものと解釈できる。実に、活動的なアホほど、カネで釣られるものである。わが国の職業右翼の大多数は、カネを基本原理として動き、言論には言論で対抗するなどの基本的な社会のルールを知らない。

わが国の政治家にとって、旧・ハンドラーズによる自身への脅迫は、結局、しぶしぶ受け入れるか、文字通り「身命を賭す」事態に至るまで撥ね除けるかしか、対処の方法がなかった。というのも、旧・ハンドラーズの飼主が強欲であるがゆえに、交渉(ディール)・妥協の余地は、大抵存在しなかったからである。与党政治家(ほとんど自民党)の場合には、自分が身を退いても、派閥の力関係のために、席を他派閥に譲らなければならなかったであろうから、派閥内からの突き上げを食らうことにもなる。警察もいざというときには動けない(ように、治外法権が使われたと指摘されている。「横田からアラスカ行、パンツ一丁」というやつである)。野党政治家の場合には、端から警察を当てにできないし、警察を頼ったこと自体、公安警察に対して弱味を見せたことになる(と解釈されていよう)。何より、大抵の政治家は、わが国の法律に抵触せずには生きていけないから、いずれは、東京地検特捜部が待ち受けている。公職選挙に係る連座制は、政治家本人への危険を著しく高めてもいる。裁判の公正さに期待しても、裁判官の中にも出世などに目が眩む人物が必ずいようから、彼ら「イヌ」が使われて、ベルトコンベアで一丁上がりである。命令を受け入れることができない(勇敢な)政治家たちは、疑獄で失脚するか、突然死するか、エクストリーム自殺するか、あからさまな場合には暗殺されるという結果となっているのである。もっとも、国際秘密力集団の本拠である米国においても、政府紙幣の発行を企画した大統領は、実現の前に暗殺されている。事情は、どの国でも同様であるのかも知れない。

「陰謀論」を信じない民主主義体制において、大抵の政治家は、「背負うもの」が大きく、かつ、選挙民の「身命を賭した」忠誠を当てにできないために、国際秘密力集団の「命令」を聞かざるを得ない。政治は、家族総掛かりの商売であり、世襲の商売でもあるから、ハンドラーズの要求を断るには、家族(の最年少者まで)が(いずれは)経緯を了承でき(るものと見込め)なければならないであろう。要求を撥ねつければ、一家は、揃って路頭に迷うことになりかねない。選挙民の一部は、事情を知れば、国際秘密力集団の要求を拒否した政治家に投票し続けるであろうが、四六時中、彼らがボランティアで護衛するという訳にはいかないであろう。それに、「活動的な」連中にこそ、二心持つ者が混じりがちであるのは、職業右翼の大多数によって、良く証明されていることである。

また、家族意識により、きわめて強く結ばれた支持母体がなければ、政治家は、国際秘密力集団からの脅迫を、何とかやり過ごすのが安牌ということになる。国際秘密力集団から脅迫を受けるとき、政治家は、彼らが暴力を必要に応じて段階的に振るうことを知ることになる。ターゲットとなった政治家は、いずれは家族も被害を受けるのでは、と心配せずにはいられないであろう。家族を手にかけると脅すことは、将来において、お互い様となるがゆえに、わが国の戦国時代においてさえも、最後の手段であった。社会の「記憶」と「手」が長ければ、国際秘密力集団は、脅迫相手の子孫を手にかける前に、犯人たちの子孫に対する追及を正当化することになるものと覚悟しなければならない。ただ、これには、例外がない訳ではない。太平洋を横断したチャールズ・リンドバーグの息子の誘拐殺人事件は、彼に対する脅迫の一環であったと一部に指摘されてはいる(が、私には、十分に肯定するだけの材料がない)。わが国における類似の話は、田中角栄氏と眞紀子氏の親子関係に見出すことができる。田中角栄氏は、娘の田中眞紀子氏にまで至るほどの地元の熱烈な支持を得ていたが、国際秘密力集団に対抗した結果、立花隆氏からの「筆誅」を始めとする、手厳しい制裁を受けることになった。また、田中眞紀子氏への小泉純一郎氏のアプローチと裏切りを見れば、国際秘密力集団の振付方法は、少なくとも、当人が政治家として活動する場合には、子孫の代までも「祟る」ように作られるものである。

本来ならば、政党とは、志を同じくする人々が結成する組織である。一人が倒れても、仲間に意志を継いでもらえるという期待があってこそ、政党は、十分に機能し、内部の結束は高まるものである。ただし、現代社会は十分複雑であるから、大義を一つとしていても、個々の議題に対して複数の方略を採りうることがある。このとき、「セット思考」(2016年7月26日)の弊害に陥ることを避けるため、政党内部では、個々の議題について意思統一を図るための擦合せ作業が行われるべきであり、明確な党議拘束がなくとも、決められたことには党員が従うことは、当然でもある。わが国では、個々の議題について意思統一を図るための擦合せ作業は、野党や小政党でしか機能していない。政党政治の本来の機能は、公明党を除けば、わが国では、与党サイドにおいては、全く混沌の内にある。与党の成員は、権力の維持を目的とするために、元々、変節しやすい性質を有する。それに加えて、国際秘密力集団の関与があるために、公約違反や造反が度々生じるのである。

昨秋までのドナルド・J・トランプ氏の選挙戦は、結束の固いファミリー意識を有する有権者層と、「陰謀論」とのレッテルに対する健全な懐疑精神という、二つの要件を満たすものでもあった。この双方の条件が揃って初めて、国際秘密力集団(=1%)に対する異議申立てが可能となったのである。もっとも、陰謀論そのものを信じる心性は、健全な民主主義には不要である。必要なのは、国民の健全な懐疑心であり、候補者・政治家周辺の強力な警護体制である。これらの条件は、犯罪組織の付け入る隙を与えないという形で、民主主義が健全に機能する上で、必須の(、ただし消極的な)条件である。


次回予定(#本ブログの例に漏れず、予定は未定)

「分かりやすい嘘」については、本ブログで何度か述べてきたが、「死の危険」まで取り上げることにより、ようやく、わが国特有の「左側」からの「皇室批判」という「陰謀論」の存在に対して、批判する準備ができたように思う。その事例として、鬼塚英昭氏が挙げられる(拙稿2015年10月25日2016年10月31日)。この「皇室批判」を論駁するためには、ここまでに見たように、政治家を例に取り、「役職に代わりがいること」の価値を述べた上で、次いで、「生き残るために必要なこと」を考察するという段取りが必要であった。この段取りは、「エア御用」的でもあるが、この種の「忖度」が「国体の守り方」のデフォルト状態であるのは、戦前の天皇機関説と天皇主権説を巡る議論や、現今の皇室制度に対する議論の外形を思えば、同形であるから、何ら恥に思うこともなかろう。

2017年9月10日日曜日

(妄想)安倍=トランプ「ディール」の中身を「自主核武装の黙認」であるとすると蜜月に合点がいく

本稿も、題名で意を尽くしている。昨年(2016年)11月・今年(2017年)2月の会談において、特に、1度目の会談において、この消極的な「密約」が成立したのではないか。なお、この推測は、ようやく辿り着いた感のあるものであるが、仮説に過ぎない。つくづく、私は、察しが悪いものである。ただ、ようやく得心のいったこの仮説から、到底、逃げられそうにはない。2016年11月までにおける、私自身の推測の延長でもあるためである。直接の契機は、石破茂氏の最近の核武装論議のディテールに違和感を覚えたことであるが、陰謀論に類する話題を真面目に取り上げているブロガーのどなたかが、選挙キャンペーン中のトランプ氏の日本・韓国に対する発言のうち、核武装を容認していたことを再度指摘していたことから、ようやく色々とつながった感があるというものである。

この仮説によって、たとえば、半田滋氏が昨年11月に指摘していた[1]方向性は、真逆のものであることが分かる。日本国は、原材料一式を数兆円で購入し、自主核武装へと邁進する。米国は、在日米軍を撤退させ、核兵器に係る調達を(ロシア・中国・フランスに負けない程度に)高値で請負い、その代わり、日本国政府の「自主防衛」政策を黙認する。日米ともに、「ウィン=ウィン」の関係性である。自主的な核武装の黙認という項目を第三者に置けば、安倍氏・トランプ氏・自主核武装の黙認は、安定的な三角関係を構成する。わが国では、対米自立派の賛成を得ることができ、国際的戦争屋(『新ベンチャー革命』のH.Y.氏のいう「旧・戦争屋」)の影響力を削ぎながら、核武装という利権を、安倍政権ならびに旧財閥(系戦争屋)が独占できることになる。アメリカでは、あからさまに高められた北朝鮮との戦争の危機を回避しながら、アメリカ・ファーストの理念に立ち戻ることができ、しかも、「Made in U.S.」である核兵器オペレーション一式を、パッケージとして売り込むことができる。材料の一部は、もちろん、原発ムラを潤す。

北朝鮮にとっても、この日米間の「密約=deal」は、対日関係・対米関係、それぞれについて、天恵となる。「北朝鮮から核兵器を購入して核武装」は、冗談としてちょくちょく見かけるが、マスコミ全般の見解に比べれば、はるかに正解に近いのではないか。8月29日のミサイル発射について、日本国政府は、宇宙空間の存在に言及することなく北朝鮮を非難することにより、また、北朝鮮も安倍政権の設定した「非難の土俵」に上がることにより、「領空内の飛行」というフィクションに立脚し、宇宙条約違反の責めを逃れている。メキシコのICAOとIMOに対して、事前に通告があったという『フェイスブック』の未確認情報があると言われているが、現実の軌道とされる政府発表の限りでは、飛行空域および落下海域は、相当に限定されるはずである(から、何らかの目的を以て、また、メキシコと北朝鮮との外交問題のフックとして、この未確認情報が流された可能性も認められる。話者の氏名までセットにされた上で、この種の情報は、流布されるべきである)。この真偽不明の情報は、本稿の興味に限定して解釈すると、宇宙空間から思考を反らすという効果を有するものと言える。北朝鮮のミサイル問題の本来の焦点は、宇宙空間の平和利用に違反することであるが、その検討は、日朝両国政府によって、意図的にずらされてようとしているのである。米国政府はと言えば、国内に対しては、北朝鮮の脅威がかつてなく高まったため、戦争には踏み切れなくなったと、トランプ大統領が突然宣言する。同時に、電撃的な米朝会談が実現され、戦闘なく終戦が実現する。和平条約が実現するのかは分からない。

戦争屋のうち、米朝緊張関係を煽っていた人物たちは、ハシゴを外され、新たな緊張関係において供給されるべき兵器の種別が異なるがゆえに、権力の座から失墜する。かくして、新・戦争屋と旧・戦争屋の世代交代が生じるのである。日本国は、米国と北朝鮮との「和解」を尻目に、日朝の緊張関係を理由として、公然と、自主核武装へと舵を切る。問題は、その後であるが、この解釈の前に、南北朝鮮関係を検討しよう。

南北朝鮮関係については、分かりかねるところが大きいが、おおよそ、次のような流れではないか。韓国には、また、北朝鮮にも、半島の統一を志向するグループがある。南北朝鮮は、平和裏に統一する可能性も認められる。このとき、日本国民のマジョリティは、半島統一の衝撃によって、核武装を志向する。この筋が有力そうに思える。南北統一には、中国の認可が必要であるが、習金平国家主席の権力が強化されると同時に、一部の人民軍幹部の権力交替が生じたことは、消極的な形による黙認のサインである可能性が高い。中国共産党政権にとっても、北朝鮮と一部軍部の癒着を牽制することは、中国の統一という国是を維持・強化することにつながる。ロシアは、極東については、それぞれのプレイヤーと「仲良く商売ができる」ということと、従来から国民に予測されている以上に領土を縮小しないこと、の二点を落とし所であると考えているのであろう。

新しいパワーバランスにおいては、緊張関係の維持を前提とした、軍事産業に係る市場の再編がポイントとなろう。ロシア・中国の二国については、実際には、領土的な野心は存在しないものと考えられる。しかしながら、中ロの二国が現時点よりも「割を食う」ことは、大国となった両国の国民が許さないであろう。他方で、統一が成るにせよ成らないにせよ、朝鮮半島と日本の大衆は、敵を必要とする心性を育んでしまっている。副島隆彦氏の言う「アジア人同士争わない」は、墨守すべき大義であるが、この大義と軍需産業の軟着陸は、切り分けて考慮すべきことになろう。戦争屋の暴発を防ぐためである。このとき、「局限せらる四島」以外は、創出された緊張関係ゆえに、「政争の具」にされる可能性が非常に高く認められる。それゆえに、わが国では、核武装が必要であるのだという論調が沸騰し、アメリカが核兵器を供給するという段取りが取られよう。ロシアの(中東や南アジアやインドにおける)ビジネスも、中国の(アフリカにおける)ビジネスも、軍需産業であるが、両国は、日本を市場として開拓することまでは、アメリカとの関係を考慮して、控えるであろう。かくして、わが国は、実験的なものまで含めて、兵器に溢れるという状況に陥る可能性が認められる。わが国は、軍事兵器の一大輸入国として、他国に貢献することになろう。この道行きを間違えると、わが国と朝鮮半島は、旧来の戦争屋の勢力を温存し、第三次世界大戦計画の再来を企図する勢力の楽園と化すことになる。

ここまでに見た予測(妄想とも呼べる)における、最大の問題点は、日本人・統一朝鮮人それぞれの無知な庶民の吹き上がりであり、民主主義が衆愚主義に堕する危険性である。国際的戦争屋は、必ず、パワーバランスの変化に付け込み、従来においてわが国から得ていた利益を奪還しようとするに違いない。都民ファーストの会の隆盛ぶりなどを見るにつけ、わが国は、リーチがかけられた状態である。ただ、アメリカが内需主導型・公共事業型の方向へと転向することは、トランプ大統領によって宣言されている。よって、在韓米軍・在日米軍の撤退について、公共事業の雄であるベクテル社あたりからの横槍というものは、存在しない(ように、ディールすべきである)。通常兵器のブローカーからの横車や、これだけの絵図を描けなかった情報関係者(つまりは、学識経験者)の嫉妬、変化に乗り損ねた金融関係者によるねじ込みは、盛大に生じるであろう。

この大変化に対して、頭の切り替えができない人間は、圧倒的大多数であろうが、彼らの振舞いこそが、日・韓・朝の三か国関係の鍵となる。最大の問題となるのが、日本列島と朝鮮半島との(、米中露を含まない、3カ国のみの)緊張関係である。この関係性は、十分に制御されていない。安倍晋三氏・文在寅氏・金正恩氏の良好な三角関係(の強固さ)に対する各国民の承認や信頼は、存在しない。また、わが国のマスコミは、末期的症状を呈している。福島第一原発事故によってボロボロとなった日本人一般の認知能力は、他国に不信を抱かれている。このとっちらかった状況は、国際的戦争屋(旧・戦争屋)にとって、最大の利用資源・機会である。

幸い、北朝鮮の攻撃能力は、アホにでも分かるくらいに増大しつつある。アメリカ国民が冷静に北朝鮮情勢を判断し、DPRKとは戦争ができないと理解し、そのように動くことができれば、各国民の状態も、アメリカに倣えとばかり、沈静化へと向かうであろう。さらなるポイントは、この北朝鮮の事例を、「北朝鮮に倣い、(主権ならびに通貨発行権の確立ではなく、)パワーバランスの転覆を目論む国がある」というガセを主張するための材料として、マスコミに悪用させないことである。「北朝鮮の台頭は、戦争屋の勢力を削ぐために必要な措置であり、許容せざるを得なかった」としながら、北朝鮮が核「強大国」に相応しい、節度ある行動へと移行するように求めなければならないし、北朝鮮も、態度の変化を内外に明示しなければならないであろう。北朝鮮の豹変ぶりは、予想できなくもないが、わが国と韓国の庶民は、その豹変ぶりについて行けず、モロに吹き上がることになろう。

安倍氏がトランプ氏から核武装を容認されたとしても、国際的戦争屋(旧・戦争屋)の影響力を排して、核武装を実現できるか否かは、まったく見通しが立たない。本ブログに示された私の見解も、大概、人を見る目がないものである。しかし、それにも増して、マスコミに登場する「有識者」の顔触れを思い浮かべれば、マスコミの人を見る目のなさは、日本国民の知性の発現状況を推量する上で、致命的に危ういものである。マスコミ自身、多くの走狗を抱えているから、仕方がないとは言える。走狗たちは、走狗同士の付き合いゆえに、最後の最後まで、アホな解説に終始し、一蓮托生となるのであろう。

わが国が自主的に核兵器を維持・管理できるかを考えた場合、まったく無理と考えるべきである。福島第一原発事故という、明らかな先例がある。日本国民は、失敗に向き合い、学ぶことがない。わが国の政策分野には、PDCAが定着していない。核兵器の運用に当たり、失敗は許されない。目黒区立図書館の蔵書の書込みのレベルが大変に低いことは、何度か指摘した通りである。それらの書込みは、利用者の相互作用の結果、生じ、放置されているものである。防衛省の「頭脳」や、東大(駒場)・東工大が所在するにもかかわらず、その程度なのである。

日本人の相互作用の結果は、大概、その組織における「一番のアホ」に左右される。誰もが、責めを負うべきほどのアホという訳ではない。大概の人々は、むしろ優秀である。しかし、どのレベルのアホにでも扱えるレベルの道具でなければ、組織内では、必ず、その道具を使った事故が起きる。そのアホが道具を適当に使用する機会が必ず訪れるためである。加えて、アホ同士が集まると、思いも寄らない低レベルの展開が生じる。福島第一原発事故における[中曽根康弘]×[正力松太郎]が戦後まもなく「つき」、[安倍晋三]×[勝俣恒久]が非常用電源装置について「こね」、[武黒一郎]×[菅直人]が官邸で食らった「天下餅」を想起すれば、私の主張の前には、誰もが沈黙せざるを得ないであろう。それぞれの掛合せによって実現された結果は、個人の賢愚はさておき、確実に、ここに集められた全員のパフォーマンスを下回るような、アホの塊である。この点、前稿(2017年9月10日)でも紹介した書籍であるが、ガナシア『そろそろ、人工知能の真実を話そう』(2017=2017、早川書房)[3]は、良著ではあるが、同書133ページ以降の福島第一原発事故に対する解釈は、偶然性を強調し過ぎるものである。個人の能力低下に係る非線形性や、人間の平常運転としての非力さを失念しているのである。とにかく、(アホに合わせて)核兵器を運用することは、現今の日本語環境に身を置く限り、戦争屋の軛を脱してもなお、世界を核戦争に導きたいのかと、危惧を覚えずにいられないことである。

こうなってくると、「自主核武装」をポスト戦争屋の米国に容認されたとしても、わが国の運命は、壮大な自爆事故へと至りそうなものである。その結論は、私(の懐具合や将来)にとっても、悲しいものである。このため、その詳細を述べることはせず、「妄想」は、ここいらで打ち止めとしておこう。本件も、「共有地の悲劇」の典型的な事例である。

付言しておくと、ここで念頭に置く「ディール」の中身は、田母神俊雄氏の構想した「ニュークリア・シェアリング(nuclear sharing)」が前例として想起されるが、その具体的なあり方は、相当に異なる種類の安全保障上の均衡を生み出すものと予想される。今夏、田母神氏の公的な発言を防ぐことには、相当に切迫した事情があったというべきであろう。田母神氏の自前主義も、もちろん、田母神氏への苛烈な制裁に影響しているものと考えて、間違いはない。核の傘の共有方法は、「神は細部に宿り給う」典型例である。


[1] アメリカが「駐留費全額負担」を求めてきたら、こう言ってやればいい(半田 滋) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
(半田滋、2016年11月20日)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50232

100%なら1兆217億円

〔...略...〕

米軍を「日本の傭兵」にする

[2]ジャン=ガブリエル・ガナシア, 伊藤直子監訳, (2017=2017)『そろそろ、人工知能の真実を話そう』, 早川書房.

〔p.133〕

カタストロフィーの商人は、カタストロフィーを「納得できる(plausibule)」ものとするように腐心してきた。〔...略...〕

賢明なカタストロフィー論

ここまで一般的なカタストロフィーについて説明してきたが、実は今、カタストロフィー〔p.134〕の新しい予想形が登場している。新しいカタストロフィー論は、単なる想像に基づくのではなく、論理的な計算に基づき、未曾有の大事件が突発的に発生する蓋然性を測ろうというものである。〔...略...〕しかし、突発的な事故に関しては、過去に起こったことがないために、備えるのが難しい。たとえばチェルノブイリや福島の原発事故は、予測可能な原因によって引き起こされたのではなく、さまざまな出来事が連鎖した結果、引き起こされたものである。一連の出来事は、確かに起こりうる蓋然性があった。しかし、それらの出来事が重なって、ひとつの大きな結果に至ることは、予測を超えたことだったのだ。福島の例では、マグニチュード八・九の地震が起こった際、原子力発電所の原子炉が自動停止した。だが、停止後も核崩壊による熱が発生し続けたため、原子炉を急速に冷やす必要性があった。それなのに、地震により冷却に必要な電力の供給はストップしていた。加えて、堤防は六メートル以下の津波しか想定していなかったのに、一四メートルを超える津波が起こった。その結果、非常用のディーゼル発電機が津波による浸水で故障した。本来ならこの非常用ディーゼル発電機が、通常の電源が止まった際も電気を供給し、注水冷却用のポンプを動かすことになっていたのだが、それが不可能になってしまったのだ。その結果、長い時間、原子炉の温度は上がり続けていたにもかかわらず、冷却用〔p.135〕の水を送ることができなくなっていた。それに加えて、地震の揺れや津波によって生じた混乱で、救援の到着も遅れてしまった。こうして地震の発生から数日間、温度の上昇が続き、それが原子炉格納容器の気密性の喪失、燃料棒の熔解、放射性ガスの拡散を次々と引き起こし、いくつもの爆発事故が誘発された。このような悲惨な事態が連続して起こることなど、人々はまったく予測せず、何の備えもしていなかったのだ。予測できていれば、ここまでの事態にはならなかっただろう。こういった事態の連鎖は、原発事故だけではなく、たとえば、飛行機の事故など、現在のさまざまなカタストロフィーに当てはまる。

数学者、経済学、哲学者であるジャン=ピエール・デュピュイは、この種のカタストロフィーに対して、科学的なアプローチを試みる必要性を主張している。〔...略...〕そしてテクノロジーの進化によって起こるとされるカタストロフィーに対する心構えとして、「賢明なカタストロフィー論」129の必要性を訴えた。〔...略...〕

#私も、ここで批判される「カタストロフィーの商人」かも知れないが、私は、ガナシア氏よりは、下っ端として「日本人のエリート」に直に接した経験を通じて、「目上」の人間の何割かがその地位に相応しくない振舞いに及ぶ様を目の当たりにしている。また、そのような逸話に興味があるがゆえに、説明に十分なだけの事例を収集できている。もっとも、この辺は、個人攻撃になるから、話す訳にはいかない。会社員であるなら、誰しも、これは駄目だという上司の顔を、一人以上は、思い浮かべられるのではなかろうか。ガナシア氏の主張は、人間の善性を過度に仮定するものである。私は、人の関与する要素については、生起確率を何なら1と置け、と述べているだけである。部品の破断・破損確率は、確率のアプローチに乗るが、人は、ときには悪意を以て、システムにダメージを与えるものである。ガナシア氏の主張自体、フランス政府による核パッケージの売込み材料の一つとして使われない訳ではないのである。




2017年9月13日22時追記

ウォルター・ラッセル・ミード氏(Walter Russell Mead)がウォール・ストリート・ジャーナルに2017年9月5日付で寄稿していることを知ったが、題名を見る限りでは、「核武装ドミノ」を煽る側であるものと解釈できる。この存在を知ったのはつい先程である。この点は、一応、強く主張しておきたい。ミード氏の論考を参照せずとも、国際秘密力集団という手がかりを得ていれば、同じ結論に至ることができるという結果は、むしろ、ミード氏の理解の枠組みが何らかの影響を国際秘密力集団(の存在)から受けていることを、窺わせるものである。

論評の前に、ミード氏の記事を参照しなかった言い訳を記しておく。デジタル媒体は、現在はキャンペーン中であるが、高額である。無料でないことは、私のルールから外れることである。ただし、目黒区立図書館ではアジア版本紙を閲覧できる。とはいえ、費用対効果もあり、また、余分な支出の増加は、現行のスタイルを大きく変えることにもなる。しかも、本文において示したとおり、「神は細部に宿る」タイプの話であるから、論説が有料であることは、たとえ、事前に存在を知っていたとしても、検討の対象にはならないということである。

トランプ氏のアメリカが覇権を「損切り」して極東アジアから手を引けば、近代になって初めて、アジア人自身による勢力均衡が成立することになるが、それのどこが悪いのであろうか。その結果が愚かにも、アジア人同士の戦争となろうと、新・華夷秩序の出現であろうと、あるいは大東亜共栄圏の再来であろうと、それはそれで、アメリカという外部者の影響が抜けているという点で、民族自決の理念が実現しているのである。この点、ミード氏の論考の題名にあるような、「「米国第一主義」かアジアの平和維持か」というような二者択一は、二者択一である必要がない。本来、議論の構成要素は、「米国第一主義か否か」と「アジアの平和維持に関与するか否か」に二分される。題名だけから、ミード氏がダブルバインドを狙っていることは、丸分かりなのである。

もちろん、極東アジアにおける勢力再編の過程において、戦争が起こされてはならない。しかし、ロシアのプーチン大統領のおかげで、極東アジアにおける権力のプレイヤーたちは、旧・戦争屋が手ぐすねを引いて待っていることを理解できる程度には、理性的であろう。旧・戦争屋がアジア人同士を殺し合わせ、人口削減と利益拡大を一挙両得として狙っていることは、広く知られているであろう。陰謀は、公知となった時点で、半ば失敗したようなものである。ここで仕込まれている陰謀は、「アジア人同士を争わせて、何なら核の危機を引き起こす」である。


[1] 【寄稿】トランプ氏は日本の核武装を望むのか - WSJ
(Walter Russell Mead、2017年9月5日14:58JST、「【寄稿】トランプ氏は日本の核武装を望むのか:「米国第一主義」かアジアの平和維持か、戦略的ジレンマに陥る米政権」)
http://jp.wsj.com/articles/SB12810352159357984435504583373462788943602

現代の帝国主義は走狗を育むために貧困と差別を用意する

要約

先進諸国において、貧富の差が二極化し、差別が奨励されつつあるのは、権力の走狗を恒常的に育成し、飼い慣らした状況を維持する上で、二極化した環境が適しているからでもある。「支配する側」に信用や高潔さが求められる社会であれば、社会の二極化は、走狗を「貧乏農場」へと逆戻りさせるぞと「躾ける」上で、都合が良い。「臑の傷」を持つ走狗は、いざとなれば「使い捨て」できる。走狗の「使い捨て」という「リサイクル」行為は、他の走狗に対して一罰百戒を意識させるためにも喧伝される。

#例によって、要約と本文の対応状態が甘々であり、しかも、十分な下調べがないのは、ご容赦いただきたい。また、本稿は、「従来の記事作成で得た知識を踏まえた上で、できるだけ独力で新規性の高そうな内容を考案してみよう」という実験的な方法により、作成している。このため、先人が発明したはずの「国際秘密力集団のアジェンダを乗りこなす」ための「車輪を重ねて発明」した形になっている(はずである)。私が自身に課したテストの答案のようなものであるので、答えが先人の考察に見られるからと言うだけで、パクリと短絡することは避けられたい。


社会上昇を志すサイコパスは、走狗の候補となり得る

他者に冷淡で、目的を達成するために手段を問わない人物は、どの社会階層にも誕生するものであろう。残念ながら、私の不勉強もあり、社会階層の移動者に含まれるサイコパスの割合を定量化した最新の研究(の有無)の紹介はできかねるが、現代のような社会のあり方では、サイコパスが社会上昇を果たした層に含まれていても、全く不思議ではない(。むしろ多いとする研究があることは承知しているが、一般化の方法に問題があるような記憶があるので、いずれ、再度確認してみたい)。サイコパスであるがゆえに階層を下降することも当然あるが、含意に乏しい話題であるし、本稿の興味からは、微妙に外れることである。

社会上昇を果たした層の中にサイコパスが含まれるという言明は、サイコパスでなければ社会上昇を果たせないという言明と全く別物である。前者の言明が実現する確率は、ほぼ1であると見なせるが、後者の言明が実現する確率は、ほぼゼロである。社会上昇の意味が私の思うところと一致する読者は、私の個人的な体験からも、前者の確率をゼロ、後者の確率をゼロであると考えても良かろう。後者の確率は、社会上昇した人が多数に上ることを思えば、論理的にもほぼゼロである。以上によって、ここまで(の本文部分)における主張は、論理的にも倫理的にも、全く問題ないであろう。

一般的に、貧困層の環境は厳しく、謂われのない差別は被差別者の心をも荒ませる。その苦境を脱するために何でもする人物は、走狗の候補者として目を付けられる機会も多くなろうし、自ら望んで違法(すれすれの)領域の活動に身を投じることもあろう。目上の知己に悪しきロールモデルがあれば、それを真似る機会も多くなろう。各国において、組織犯罪集団に特定地域の出身者が多いと指摘されがちであることは、コネクションというものの重要性を鑑みれば、理由のないことではない。しかしながら、特定コミュニティ出身の個人が暴力に手を染めるものであるとか、特定コミュニティに「犯罪性向がある」といった主張は、原因と結果を(意図的にか)混同している。この種の「犯罪傾向が集団に現れる」とする議論は、20世紀初頭に流行した素朴な種類のものである。ある個人が(構造的)暴力に訴える属性を有しており、かつ、身の周りの重要な先達に(構造的)暴力を振るう前例がいると、その個人は、そうでない環境に置かれた個人よりも(構造的)暴力に訴える機会に巻き込まれがちである、という定性的な関係があるだけである。この定性的な因果関係を、特定民族・特定人種の全体に敷衍することは、過度の一般化というものである。


安定的な組織社会は、個人の制裁に対する予測を可視化し、部下の弱味を悪用し易くする

人は、一旦得た(他人も欲しがる)ものを失いたくないものであり、組織内の関係においても、その心性は維持される。人間の執着心は、哺乳類の多くに見られる本能に根差すものであるから、人間社会にとっての前提条件である。となると、ポイントは、組織において、不正の予防がいかに研究・実行されるかということになろう。上下関係のある組織において、下位の人物は、本人に咎められる理由がなくとも、上位の人物の失敗や犯罪を引き受けるという理不尽を通じて、上位の人物の寵愛を受けるという役回りを得ることもあろう。上司の失態を上手に尻拭いした部下が出世するのは、暴力団においても同様であるし、歴史上、茶坊主や宦官の成功例には、この主張を裏付ける事例が良く見られる。制裁を受ける謂われのない「カタにはめられた」個人も、この応用例である。(良い意味で)古典とも呼べようが、『新宿鮫』シリーズの「鮫島警部」は、この応用例の中でも、傑出した創作物の先例である。

加えて、多くの組織が安定的に維持されている社会において、人は、「通常のコースから外れたときに失うもの」を可視化し易い。従来の日本式株式会社のような横並び的な環境においては、追放処分や降格処分(後者は、一般的ではないが)は、周囲の人物によって、失われたものをかなり細かく査定できよう。将来が予測し易いためである。わが国においては、減点主義によって一人の官僚の出世が閉ざされたとき、彼(女)の全生涯における機会損失費用は、数%内の誤差で計算することも可能であろう。このような可視性は、失敗におけるリスクを(失敗の確率か、ハザードの大きさか、具体的なパラメータについては分かりかねるが、)多めに見積もる要素として機能する上、失敗したときには、保身へと人を駆り立てる原動力となる。

組織内における権力関係に、擬似的な家族関係・友人関係・同胞意識が加われば、個人が不正に手を染める余地は、フラットな社会関係よりも増加するものであろう。組織における指揮・命令関係は、その存在自体が、部下の意思決定に対して、不正を行う方向へと影響を与える。拒否しようと思うとき、部下は、クビになることを思う必要がある。同意するとき、上司の命令は、不正に対する部下の合理化を促進する。上司にとって、部下に命令するという行為は、自分自身で不正を働くことに比べ、ハードルを低くするという機制を有する。

弱味を抱えながらも(、あるいは、「汚れた」身となったとしても)、社会的身分の上昇・維持を志す人物は、上位の人物からみれば、利用しやすいものである。「箪笥の中の骸骨(skeleton in the closet)」は、公衆に提示すると脅すことでこそ、役立つものである。履歴書の「賞罰」欄は、法律により規定されている職種であれば、必要ではあろうが、悪用されないとも限らない。それに何より、「前科者」が余分に苦労する話は、枚挙に暇がない。加害者が被害者に対して(、あるいは、その代わりに社会に対して、)償うことは必要である。しかし、たとえば、オーバーステイの外国人を搾取する雇用主は、不法滞在という犯罪を現に犯している外国人よりも、弱味に付け込み、同国人からの制裁を逃れ易いという点で、一段と犯罪的である。「飴と鞭」は、普遍的な使役の方法ではあるが、使い方によっては、大変に卑劣なものとなるのである。


わが国の企業社会文化の変容は、個人を企業犯罪に荷担させんとする圧力を高めている

そもそも、わが国の企業風土ならびに社会生活は、明治期以降、財閥化・大企業化が進んだ後、健全な状態であり続けてきた訳ではない。企業間・国際競争の激し過ぎる現代において、生き残りのためには、企業風土そのものが、健全とは程遠い状態とならざるを得ないのかも知れない。上場企業であっても、その来歴がグレーなものや、その経営者に良くない風聞がまとわりつくものは、それなりの数に上る(。上場市場に対する国際秘密力集団の関与を思えば、ゆえなきことでもない)。汚された企業イメージは、容易に払拭できないために、(優秀ではなかったり、箍の外れた)特殊な人材をますます引き寄せることになる。そうなると、士気の低い成員の忠誠を無理矢理にでも維持するために、マッチョなノリが要求されたり、擬似的な家族関係が強調される。部下に言うことを聞かせるために、パワハラが横行することにもなる。このような組織内部における関係性は、広く国民一般に理解が共有されているために、(別の企業の従業員として、同様の圧力下にある、オフタイム中の)顧客の横柄な態度を増長させる。

この点、わが国の会社主義は、とりわけ、バブル崩壊後、リストラによって社員の終身雇用制という「底」が取り払われたために、リストラの利益を上回る形で、成員が構造的不正に荷担する素地を多く作り出したと言えよう。ブラック企業においては、バレなければ何でもあり・何ならバレても政治力や実力行使でねじ伏せる・そのために従業員を使い捨てることを厭わない、という風潮が決定的となって久しい(。このような体質は、相当の昔から変化していないが、マスコミが取り上げないだけである)。加えて、高度技能を要求する一部の業界を除けば、終身雇用制の下で就業状態(キャリア)を継続させてきた人物に比べて、一定年齢以降の再就職がきわめて不利なものとなるという状態は、相変わらず継続している(。たとえば、女性の出産後の就業条件を想起すれば、戦後を通じてこの指摘が該当することは、大体において正しかろう)。これらの条件の組合せは、個人差こそあれ、確実に、個人が企業活動における組織的不正に荷担せざるを得ない環境を強化している。

企業犯罪というとき、個人による職務・職階を悪用した犯罪と、組織犯罪との二種に大別できようが、後者こそ、コンプライアンスの対象とする上で、公の工夫が求められる分野である。個人の企業内犯罪は、従来のコンプライアンス体制によって効率的に予防され得る。しかし、現今の「何でもあり」の「自由」主義国家においては、一旦覇権を制した企業のコントロールを、いかんともし難くなっている。TPP11が宣言されていることは、その証左である。「国際的」企業に対するトランプ政権の「飴と鞭」は、評者によって評価が二分されるであろうが、少なくとも、アメリカ国民の利益を増進させるという建前については、間違ってはいない。

なお、コンプライアンスの度合いを定量的に論じる場合、福島第一原発事故を鑑みれば、わが国の企業犯罪は、警察の認知活動はともかく、3.11によって、決定的に顕在化・増加し、放置されていると結論付けられる。京円という単位の損害など、通貨発行権でも有している存在でなければ、生み出せる種類の不正ではないし、度重なる違法行為が黙認されているからである。何度でも繰り返すが、福島第一原発事故は、東京電力だけを見ても、世界史上、最大規模の企業犯罪であり、権力犯罪である。

福島第一原発事故の放置状態は、わが国社会のモラルハザードを確実に悪化させている。ただし、個人が企業犯罪に荷担せざるを得ない圧力は、脱原発に係る社会活動のテンプレ的な失敗からも生じている。三宅洋平氏周辺に対する角本ゆり氏の告発(2017年9月9日記事参照)は、その典型例である。人工芝運動は、至るところに存在し得る。われわれは、個人として、何事につけても判断を下す必要がある。この点は、伊丹万作氏の『戦争責任者の問題』にも、善き前例を見出すことができる[1]


[1] 伊丹万作 戦争責任者の問題
(青空文庫所収、2017年9月10日確認)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html

ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。


竹中平蔵氏は、わが国における国際秘密力集団の「走狗」としてのロールモデルである(が...)

竹中平蔵氏は、現在の「従業員使い捨て社会」を用意した人物であり、「貧乏になる自由がある」との旨を語ったことが広く批判されているが、彼の言葉には、彼を駆動させる原動力が端的に示されている。つまり、貧乏こそが竹中氏の恐れる「自由の双貌」の「片面」である。竹中氏は、今の生活の維持・向上のためには、努力を惜しまないであろう。この点、竹中氏と暴力団構成員の動機付けと行動原理は、彼(ら)の財産を維持・増加させるという目的に対して、同一のものと見なせよう。より正確に表現すれば、竹中氏の今までの言動と実績は、今後、彼が不法な行動に手を染めないという確信を一般の大衆に与えるものではない。竹中氏の行動原理が暴力団のものと同一であると気が付けば、素行の悪い弁護士や銀行員を暴力団が「カタにはめて」利用することがあるのと同様、竹中氏や彼を使嗾する存在が「臑に傷持つ」者たちを利用しており、竹中氏自身も「臑の傷」を放置されている可能性を認めることもできよう。

竹中氏自身の「臑の傷」が放置されている状態は、彼を凋落への不安に基づき駆動させるために必要な措置ではあるが、一般的には、「何でもあり」というメッセージを世間に与え、さらなるモラルハザードを誘発する。竹中氏については、相当に信憑性のある(現在では)職務違反行為(となる過去の行為)や利益相反行為が指摘されているが、これらの指摘は、竹中氏の「アキレスの踵」となっている。(常温核融合や宇宙エレベータやSTAP細胞に係る)学術的な醜聞が処罰される一方で、単なる剽窃が学術コミュニティの成員に放置されていることは、一般に対して、「竹中氏が本業に対して重大な背信をしでかしながら、大きな顔をしていられるのであるから、国際秘密力集団に対しても何をしても良い」という思想を正当化する危険性がある。この点、誰の目にもあからさまに悪人に見える走狗を国際秘密力集団が飼い続けることは、国際秘密力集団にとっても、そのつながりがバレることを思えば、弊害が大きいはずである。ただ、この種の社会的な懸念は、現時点のわが国では、ごくごく一部の差別主義的な言辞を弄する若~中年世代の「極右」や「極左」にしか表れていないようである(。それに、『国際秘密力研究』の菊池氏の考察のとおり、あるいは、「ᴹ 」氏(@q_MW_p、文字コード変換の問題から、正確な表記ではないかも知れない)の写真付きツイートに示されるとおり、彼ら「極右」や「極左」が両建て戦術の一翼でない保証は、どこにもない)。

国際秘密力集団にとって、アメリカ合衆国は、世界各国における走狗の候補を見繕うのに適した国である。移民社会であり、金融、先端的産業、学術研究の中心地でもある。かろうじてアメリカンドリームという経済的成功も夢見ることもできる。このため、各国の優秀で野心的な若者が、自ら挑戦の機会を求めてやって来る。ただ、競争が激しいために、何でもする人間は、何でもすることを余儀なくされることもあろう。同国のホワイトカラー社会は、マウンティング社会でもある。一般に、アメリカは、失敗を恐れずチャレンジする心性を賞賛すると指摘されているが、社会保障の底が抜けていることも事実であるから、元の貧困に逆戻りすることを恐れる心性の持主ならば、なおのこと、不正への誘惑に抗し難くもなろう。その環境は、東洋的伝統に譬えるならば、蠱毒を育成する過程のようなものである。(貴志祐介氏の『悪の教典』は、悪人たちのマウンティング社会=蠱毒を描くことが目的であるようにも思われる。)

私が密かに驚嘆しているのは、わが国において、竹中氏を筆頭とするような洋行帰りの(国際的な)戦争屋の手下たちが、悪しきロールモデルとして、長らくのさばってきているにもかかわらず、この前例に積極的に倣おうという若年層が、竹中氏の横溢振りに比べれば、IT業界を舞台にしたマッチポンプを除けば、増加し続けるようには見受けられないことである。それとも、彼(ら)のような、日本人らしからぬ印象を与える悪人に、日本語話者の人々が感化されるのには、もう少し、特殊な条件があるのであろうか。ロスジェネは、竹中氏の思想によって割を食うことになった世代であるが、この世代は、社会人となった時期に、竹中氏の台頭とやりたい放題を目の当たりにすることとなった。会社内においては、当時の中高年世代がリストラに遭ったために、先輩に鍛えられる中で人の良さに触れる機会も、相対的に少なかったと言えよう。堀江貴文氏に代表されるように、ロスジェネが、世の中、やったもん勝ちの風潮に染まるのも仕方がないことである。他方、赤木智彦氏の最近までの思想の変遷は、竹中流の「構造改革」のしわ寄せを蒙った「負け組」から脱しようと苦闘する人物の視点を反映したものであった。堀江氏と(デビュー当時の)赤木氏の両者の「身分」に対比されるような(私も含めた)中年世代の階層意識は、「勝ち」と「負け」を峻別し、一部の「勝ち組」に加われなければ生きる意味がないと短絡するような、救われないものである。しかし一方で、中年世代の階層意識は、競争に対しては、「同じアホなら踊らにゃ損々」といわんばかりに統一されたものでもある。しかし、現在の20代・30代(の高学歴者たち)は、(若年世代を悪く言うつもりは全くないが、)もう少し、ナチュラルに保守的であり、内発的であり、周囲の環境に(何なれば、過剰)適応しているように思われる。橋下徹氏がワシントンDCで開陳するも(詳しい解説は、2017年6月10日記事)、橋下氏の言う「第三世代」は、微妙な年代差によって、相当に異なる様相を見せているように思われるのである。


「ミーイズムの極致」を「消極的なファシズム」として認めれば、現今のファシズムは完成済みである

わが国では、福島第一原発事故という「破局」を迎えても、社会運動が機能しなかったほどであるが、これは、ファシズム化の現れと言うよりも、ミーイズム(利己主義)が極致にあったからと言うべきである。若者が粛々と個人の生活に勤しみ、福島第一原発事故を我が事として引き受けないのは、「生活ファシズム」と呼べる現象かも知れない。もっとも、同事故を当事者として引き受けた人々の多くは、当事者としての活動に留まる傾向が認められよう。この状態は、「それはそれで」問題のある状態である。いとも簡単に、己の経験のみにとらわれ、自ら分断統治状態を引き起こしうるからである。

大多数の人々が反原発運動を継続しきれなかったという実態は、「安全厨」に代表される層への同化圧力というよりも、単に、関心を持続させる姿勢が欠如してきたからである、と考えた方が良い。(マザー・テレサの言う「愛情の反対は無関心」に似ている。)ファシズムは、同化への圧力を指すが、その「同化」の内実は、「タブーのリストに載せられたことをしない限りは放置される」という、消極的な形式を取る。現時点のわが国における生活者が関心を向けることのできる対象は、彼らの人生の持ち時間に対して、はるかに多い。それに、大多数の人々が従来通りに生活していかなければ、3.11の影響に対する「軟着陸」もあり得ない。「軟着陸」などとフェビアン主義者(を自覚すれども相互承認されていない私)が主張するとき、すでに、彼らは、「両建て」の陥穽に落ちているのかも知れない。

ともかく、現時点において、わが国のファシズムは、従来の一般的なイメージにあるような同一性を強要していないという点では、究極的段階には到達していない。現今のファシズムは、「庶民は、勤労し、庶民らしい生活に集中せよ」という一つの命令を等しく国民に強要する点では、紛れもなくファシズムである。しかし、「権力の米櫃に手を突っ込まない」限りは「権力が牙を剥かない」という点で、消極的な段階に留まるのである。「ブラック企業で景気良く働いてもらって株価を上げてもらって皆ハッピー」という点では、また、「貧乏になり野垂れ死ぬという自由」を選択肢として提示する点では、つまり、「奴隷か死か」という選択肢を与えているだけ、単に「お国のために死ね」というよりもマシである、と強弁しうるのである。

逆に考えれば、現在のわが国は、すでに「消極的なファシズム」の完成形を楽しんでいることになる。どういうことか。重複を多く含むことになるが、項を変えて、いくつかの事例を考えよう。


「消極的なファシズム」=「フィール・グッド政策」=「マトリックス」が完成した形跡は、方々に認められる

一部の研究者が大規模災害・事件の後に一時だけ関心を示すのは、それが彼らの研究費を増加させる機会であるためであり、研究生活を生き残る上で、有用そうに見えるからである。しかし、わが国の社会にとっては大変に不幸なことに、福島第一原発事故は、総じて、「その影響がない」というアジェンダに基づく研究者のみに対して、研究費の割当を増加させた。福島第一原発事故の探究に係る「タブーのリスト」は重層的である。特に、「核開発」と「北朝鮮」との掛け合いは、最も底に沈められた種類のタブーである。これらを取扱わんとする誠実な研究者は、キャリア形成に勤しみ、テニュア(在職権)を獲得するなどして、安定的な地位を占めなければならない。この道程を思えば、ノーム・チョムスキー氏のような存在は、「超人」とも形容すべき成功例である。

「経済活動」を個人に応じて盛り上げているという条件を満たす限りは文句を言われないという点で、わが国の二度に渡るファシズム経験は、「多様性と自由」を許容する。現在のファシズムは、経済的苦境に発した(とされる)第二次世界大戦前のファシズムと、同形の道程にある。当時の経済においても、裸一貫からスタートした個人には、「真の経済活動の自由」とは、「野垂れ死ぬか搾取されるかの自由」の別名に他ならなかった。また、通貨発行権の統合過程は、「国際秘密力集団」との確執抜きに語ることはできない。つまり、経済活動の自由とは、現実に保障された存在ではなかった。当時のアントレプレナーから見れば、まず最初に、「中央銀行制度ありき」であった。その下に、圧倒的な経済的格差が存在した。金融工学技術の発展は著しいが、「「信用」供与の方法」と(手持ちの)資本の非対称性、という金融の基本的な仕組みは、むしろ強化されている。当時も今も、経済学の発展とは関係ないかのように、政商が幅を利かせ、常人では望み得ない安定さで、庶民と数桁は異なる利益を上げているのである。

経済活動の外面的な「自由」に比較して、不倫・LGBTに係る性向・煙草(や大麻)等の嗜好品・肥満は、厳しい制裁を受ける傾向にあるが、その理由は、これらの生活習慣がいずれもファシズムの「母体」となる「純血の人口集団」を縮小しうるためである。この傾向は、ミシェル・フーコーの指摘した「生=権力」の表出であり、ナチス・ドイツにおいて実行されたことは、周知の事実である。これらマイノリティの志向は、現代の日本においても、一種の贅沢品と見做されている。その好ましさに対する判断は置くとして、不倫に対する非難(2017年9月7日)は、思考を省略しがちな「マジョリティ」の相互承認の度合いを高めるという副作用も生起させる。現実には、マジョリティが幻想に過ぎなかったり、切り分け方によって容易に他者の判定が変わる危険性が認められる可能性があるにもかかわらず、である。「セット思考(2016年7月26日2017年6月4日記事の注も参照)」の恐ろしさは、本ブログの方々の記事で指摘したところである。単なる2×2の4通りの区分方法によっても、大衆という存在は、二段階の二者択一を強いられることにより、容易に一つの結論へと扇動される危険性を有しているのである。

第二次世界大戦前のわが国においても、現在の格差社会においても、個人が経済的に成功する上での「覇道」は、政商となるか、投機で一山当てるというものである。両者の方法は、同一人物の内部で結合すれば、より効率的に利益を生むものとなる。インサイダー情報が利用できるからである。さすがに現時点では、このような稚拙な方法が用いられないと思いきや、特区制度に係る各種の醜聞は、竹中氏を筆頭とする「学識経験者」が利益相反を承知で特定企業に有利な決定を下すという形で進められていることを明らかにした。特区制度は、見方を変えれば、企業にとっての租界」である。この方面に係る悪事の手口は、自然犯や庶民一人一人を相手とする詐欺とは異なり、100年経過しても、さほど進化することがないようではある。犯罪者同士の競争や、刑事司法機関との知恵比べが存在せず、後世への継承が限定されているためであろう。

金融取引市場という「鉄火場」の周辺で、若くて野心的な人物が「経済的成功を収めた人物」の役割を演じるフロント要員として、国際秘密力集団にリクルートされることは、暴走族が暴力団員の供給源であることと、まあまあ相似する。ただ、国際秘密力集団の権力の源泉は、多岐に渡る権力を利用した二項対立構造にある。このため、彼らは、たとえば、政・官・財・軍・学、各界の出世街道においても、彼らの役に立つ「犬」を見つけなければならない。国際秘密力集団という権力ネットワークが存在すると仮定すれば(、そう考えて良いだけの材料もあるが)、このような徴募ルートも存在すると考えること自体、特に不自然なものではない。われわれは、社会に組織があることや、それらの組織に固有の目的があることを疑問に思わない(ように教育されている)し、「高度に発達した組織」を「専門家が運営・自治」するというスタイルにも、疑問を抱かない。ポイントは、リクルートされた「フロント要員」の才能次第で、「支配」が「善き人間牧場」にもなり得れば、「地獄」にもなり得るという点である。

国際秘密力集団の主要ツールの一つは、通貨発行権と、この権利の「(国家権力からの)独立性」である。2017年9月8日朝刊の『日本経済新聞』「デジタル通貨 中銀に待望論/英中など構想 日本も研究/金融政策 効力堅持へ」(1面14版)で、仮想通貨に中央銀行が取り組もうとしていることが1面で報じられたが、その記述は、欺瞞に満ちている。一時期、ビットコインは、Torを利用したアングラ仮想市場である『Silk Road』を通じて、薬物や武器等の違法な取引にも使用されていた。この仮想通貨に「信用」を与えたのは、地下経済とそのネットワークでもある。これに中央銀行が新規に介入することは、中央銀行が違法取引に対しても積極的に信用を供与したということになる。犯罪者たちが不換紙幣を使用するのは、一国の社会に承認された道具を利用している(ただ乗りしている)だけであり、これは、やむを得ない種類の脆弱性である。他方、犯罪者たちが形成した信用供与のネットワークに中央銀行や主要都市銀行が介入しようとすることは、順序が逆となるのである。それとも、両者は、同一種類の道徳的主体であるのであろうか(棒)。


明らかに、ウォシャウスキーきょうだい(平仮名なのは故意)の『マトリックス』は、違和感に発する「ファシズム」をモチーフに作り込まれている。なお、『アノニマス』を産んだ『V・フォー・ヴァンデッタ』へと続く流れは、明らかに、一つの啓蒙的集団を意図している。なお、『マトリックス』第3作の機械を『未来少年コナン』だと思った観客は、きっと中年世代に違いない。というので、「緩い絆」からの連想オチになるが、宮崎駿氏の人となりを知らなかった(2016年11月13日)川上量生氏が「人工知能をして回帰分析を語らしめることが面白い」という旨[2]を、組合せ爆発の恐ろしさを知らずに宣い(2015年5月14日記事も参照)、挙げ句に、(両建ての古典でもある)グノーシス主義に由来する、「仮像された(=換骨奪胎された)」種類のシンギュラリティ仮説[3]を無邪気に肯定することは、これまた『マトリックス』ばりに入り組んだ「誤解の迷宮」というべきであろう。耳学問であるにしても、川上氏の理解は、どうにも、「知恵のある側近」から得られたものではないという印象を受けるものである。地位と知恵とが連動していないのは、「わが国」のITビジネスが「他国」のものに太刀打ちできない理由であるように思われる。藤井太洋氏の『ビッグデータ・コネクト』(2015年4月, 文春文庫)のディテールは、完全に「中の人」のそれであって、CCCの図書館業務を彷彿とさせるような、同時代的な危険性を、文字コードというネタまで織り込んで、的確に提示したものであるが、藤井氏の著作に見られるような知恵が、一体どうして、トップに到達しないのであろうか。そう言えば、川上氏が宮崎氏から叱責を買ったのも、ゾンビのような動きの人工知能をプレゼンした場であった。人工知能というバズワードは、図らずも、当人の器量を明らかにしてしまうようである。


#本稿は、尻切れトンボであるが、ここまで。まだ手を付ける余裕がないが、藤井氏の話を取り上げたので、ここに開陳しておくが、ペンネームそのものの効用や、小説の形を取り現実の危険を指摘するという方法も、「分かりやすい嘘」の一つであることは間違いない。若杉冽氏の紡ぐ物語も、ここでの指摘に含まれる好例である。山本七平=イザヤ・ベンダサン氏の問題点は、読者の誤解をペンネームによって誘ったことであり、対照的に、(意向を尊重して名寄せしないが)賀茂川耕助氏のブログは、このペンネームに派生する原則に忠実であるがゆえに、傾聴されるべきである。


[2] 川上量生「中国のネット管理政策は正しい」 | 最新の週刊東洋経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
(長瀧菜摘、2017年08月22日)
http://toyokeizai.net/articles/-/185263

僕は手法として面白いと思った。ただ、あれはAIではなく普通の統計技術を使っているだけで、番組制作者が言いたいことをAIが言った体にして、「AIがそう言っているんだから、しょうがないじゃん」みたいな話にしていて、それが斬新ではある。

たぶん、機械に主導権を奪われる未来は来る。〔後略〕

[3]ジャン=ガブリエル・ガナシア, 伊藤直子監訳, (2017=2017)『そろそろ、人工知能の真実を話そう』, 早川書房.の第5章ならびに第8章は、川上氏への反論ならびに批判として、時宜に適った好著である。ガナシア氏の筆致からは、「国際秘密力集団を誠実に語る上でのルールを知る」学識経験者として、貴重であるという印象を受ける。




2017年9月10日13時15分追記

本文中の日本経済新聞の記事名を出典として明示した。

また、道化や漫才師が笑い(冗談)を通じて真実を伝えることも、「嘘に託して真実を語る」種類の事例として挙げることができよう。ウーマン村本氏がネット右翼に「おもろない」と評されることは、笑いの品質だけが貶められることであって、ウーマン村本氏の批判そのものが無効化される訳ではない。とにかく、フィクションに真実を織り交ぜるという方法論は、自己言及のパラドクスの応用例であり、真実を伝えようとするときの人類の知恵である。最初からこれらの意義を否定しきることは、色々と理解を貧しくする。しかし、この方法は、多用し過ぎると、真実と虚偽の弁別ができなくなるという点で、まことに厄介ではある。




2017年9月11日00時40分修正・追記

修正箇所を、淡赤色で示した。「ᴹ 」氏(@q_MW_p)の写真付きツイートの所在を確認、追記した。

『国際秘密力研究』の「菊池」氏が、「臑の傷」について、先行研究に忠実にツイートしているが、菊池氏の表現は、山尾志桜里氏まで権力の走狗であったように受け取れる程、「傾向」という表現によって一般化されたものとなっている。しかし、実際に山尾氏がそうであったかを判定することは、もう少し時間を置く必要があると考える。というのも、原発ムラとの確執を含め、山尾氏による結構な種類の発言が、国際秘密力集団の推進する政策に逆行するものとなってきたからである。山尾氏による原発ムラやTPP等への批判は、国際秘密力集団に許された範囲内なのかも知れないが、山尾氏の政治家としての実績を評価するには、物事の順序というものを考慮しなければならない。山尾氏が国際秘密力集団と何ら関わりのない善玉としてデビューし、頭角を現した後に、初めて国際秘密力集団からの接触があり、その要求をはねた後に、スケコマシのお相手が一種の「刺客」として送られてきたという場合も、論理的には成立し得る。もっとも、山尾氏が前原誠司氏を支持してきたことは、私の見立てに逆行する一つの材料ではある。ただ、国際秘密力集団とその権力の源泉という「おとぎ話」は、知る機会がなければ、一生知ることのない高学歴者もいるものと思われる(。この高学歴者の無知に係る主張は、体験的な印象から発するものであるから、一般化を必要とする)。

他者を国際秘密力集団の走狗と言挙げする例として、メイコウ氏の『イルミナティ』の巻末にある太田龍氏の「監訳者解説」による、五名の作家・ジャーナリストに対する言明〔p.443〕を挙げることができるが、このような言明は、複数の現象に対してある個人が国際秘密力集団を利する動きをしていなければ、避けられるべきことである。私から見れば、太田氏こそが前科者(テロ犯)であり、積極的な理由なく、名前の表記を変更するような、最大の走狗である。名前を変えるには、合理的印象を与える各種の方法がある。走狗であると判断できる行動の一種類に、通常人が変えない場合に、名前や読みの表記を変更するというものを挙げることができる。また、太田氏は、走狗の割合を過大推計しており、数量的感覚に欠けるようにも思われる。太田氏の「余計な一言」があるゆえに、『イルミナティ』という良著は、わが国では、かなり複雑な立ち位置を占めるに至った。太田氏の批判は、一種の自己言及のパラドックスである。成甲書房は、太田氏の「裏切り」によって、まんまと「米櫃に砂を撒かれた」のではないか。何より、名指しされた古歩道ベンジャミン氏が「世の中には、複数の秘密結社が存在しており、協力・敵対関係を変化させている」旨を指摘しているところである。以上が、太田氏の『イルミナティ』監訳業務に係る、現時点の私の見立てである。この見立てを変えるには、相当程度に衝撃的な内容の、確定的な情報が必要となる。(太田氏の実績に言及する前に、もう少し、余裕を見ておきたかったが、仕方ない。いずれは、言及せねばならなかったことでもある。)

つまり、世の中は、国際秘密力集団の走狗で満ちている訳ではなく、突出した事例が幅を利かせているに過ぎないのではないか。これが、私の見立てである。友軍誤射は避けるべきことであるというのが、私のポリシーの一つでもある。自然と記述が保守的になるのは、ご容赦いただきたい。





2017年9月12日訂正・追記

11日追記分を訂正・追記した。




2017年9月23日追記

22日、東京大学の古沢明教授と武田俊太郎助教による、汎用の量子コンピュータの基本原理を示した論文が、Physical Review Letters電子版に掲載された。私がこの話を最初に知ったのは、時事通信の記事[1]であるが、残念ながら、この記事は、何が大発明であるのか、読者に的確に情報提供するものではない。代わりに、メディアであれば『EE Times Japan』の記事[2]を、あるいは、直接、東大と科学技術振興機構(JST)の共同発表ページ[3]を参照すべきであろう。後者は、堅めの文章であるが、必要十分にどのようなブレイクスルーが生じるのかを理解させてくれる文章であり、サイエンス・コミュニケーションの好例であると評価できよう。

量子コンピュータには、いくつかの計算スタイルがあるが、その中で、量子アニーリングという手法は、組合せ最適化の計算を高速に行えるという特徴を有しており、実用化が進められている[4]。汎用量子コンピュータであれば、もちろん、組合せ最適化の計算にも高速に対応できる。この計算こそが、本文中で言及した「人工知能による回帰分析」にも活用できるということになる(。使用場面は、データのスクレイピングならびにクレンジング、各データのモデルへの投入・除外ならびに当てはまりの良さの計算、の二段階に分類できようが、いずれにも応用可能なものと考えることができる。後者については、確実であるが、前者については、不勉強のために、断言はできかねる)。

量子コンピュータもここ数年のバズワードであるのだから、川上量生氏の口からこの語が語られていた場合、東洋経済の記者は記事に組み込んでいたであろう。逆に、このような連関は、川上氏の中では生じていなかったということになる。拙稿では、微妙な表現であるが、人工知能の自律性を否定する論考において、量子コンピュータに触れてはいる(2015年12月3日)。なお、この記事では明記していなかったが、茂木健一郎氏が「アハ体験」に量子効果が関係している可能性を指摘したのは、ロジャー・ペンローズ氏の量子脳(仮説)を受けてのことである[5]。川上氏は、人間の脳と人工知能研究と量子コンピュータとの関係性を解説してくれる側近に恵まれなかったということである。なお、忘れない内に一言だけ触れておくが、苫米地英人氏は、いずれかのYouTube動画で、専門でもある人工知能の話を、ざっくりかつ的確に解説していたはずである。


[1] 大規模計算、効率良く=新方式の光量子コンピューター―東大 (時事通信) - Yahoo!ニュース
(2017年9月22日22:23)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170922-00000068-jij-sctch

[2] 究極の大規模汎用量子コンピュータ実現法を発明 (1/2) - EE Times Japan
(竹本達哉、2017年09月22日13時01分)
http://eetimes.jp/ee/articles/1709/22/news018.html

[3] 共同発表:究極の大規模光量子コンピュータ実現法を発明~1つの量子テレポーテーション回路を繰り返し利用~
(2017年9月22日)
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20170922/index.html

[4] 量子コンピュータ開発が加速、用途は人工知能:日経ビジネスオンライン
(中田敦、2015年12月18日)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/061700004/121600061/?P=1

[5] 『ペンローズの量子脳理論:21世紀を動かす心とコンピュータのサイエンス』
(ロジャー・ペンローズ〔著〕、竹内薫・茂木健一郎〔訳・解説〕、徳間書店、1997年)
http://id.ndl.go.jp/bib/000002595352
#リンクは国会図書館。

2017年8月28日月曜日

佐高信氏の「クリーン・ダーティ」×「タカ・ハト」分類を現在の混迷にも当てはめてみる

「両建て戦術=弁証法」は国際秘密力集団の得意技である

『国際秘密力研究』の菊池氏の指摘する「両建て構造」は、この説を受容すれば、様々な場面にその痕跡を見出すことができるようになる。この方法論に通じていない人々にとって、国際秘密力集団の存在と活動は、歴史の動きにおける「盲点」である。ただし、「両建て」は、証拠の種類としてはアブダクションであるから、因果関係を厳密にとらえようとする学究者にとっては、疑わしさが残るものではあろう。ただ、現代における多くの出来事であっても、現今の研究者の圧倒的大多数は、当事者に直接取材することなく、事実を確定している。このとき、マスコミの提示した見解によらずに、別の読み方が許されるとき、この別の読み方を試すことに、何の問題があろうか。これこそが、アブダクションを論理として採用するときの強みである(。2016年11月1日の記事の注4は、その強みが発揮された事例と自負している)。本ブログの記事の一つ一つは、国際秘密力集団の存在と活動を論証する上では、「屋根裏にグレムリンがいる」レベルの小さな確率の可能性を取扱うものかも知れないが、類似したプロットが何度も続くとき、そこに人為を見出すのは、危機管理を扱う学術分野であれば、当然の警戒心というものである。

ただし、「対比」という思考の技術は、「両建て」よりも、はるかに一般的であるために、ある論者によって「対比」が行われるとき、それが単に両者を比較しているのか、それとも、「両建て戦術」を秘めたものであるのか、見分けが付かないこともある。「両建て」と「単なる対比」との違いは、ヘーゲルの弁証法に言う「止揚」が用意されているか、あるいは、アンソニー・ギデンズ氏の用語を借りれば「第三の道」が用意されているか否かである。ここでの「第三の道」とは、単なる妥協や落とし所の産物ではなく、あらかじめ用意された、通常人には思いも寄らない代替案を指す。「第三の道」が実現したときには、警戒が必要である(と、1998年のブレア政権の実現を驚いて観ていた当時の自分に言ってやりたいものである)。

ヘーゲルの「正・反・合」の図式自体が、長らく秘密にされてきた「両建て構造」を哲学の世界に持ち込んだだけであるとも考えられよう。仮に、ヘーゲルが弁証法や歴史理解の図式を国際秘密力集団から剽窃したのだとすれば、彼の行動は、彼らにとって二重に許せない犯罪※1ということになろう。あるいは、ヘーゲルがこの方法論をまったく独自に考案したのであれば、国際秘密力集団の方法論を暴くためのヒントを、後世の人々に残したことになる。あるいは、このような概念を流布するメッセンジャーとして、国際秘密力集団がヘーゲルを育成した、という場合も想定することができる。何が真実であるにせよ、現在の私には、ヘーゲルに係る真実を追究するリソースなど全くない(、つまり、無知ながら駄文を書き連ねている)が、ヘーゲルの主張の来歴については、将来、誰かが事実を決定的に解明する日も来よう(。愚かにも、すでに到来したことを私が知らないだけなのかも知れない)。

一つだけ言えそうなことは、現時点で、ヘーゲルの弁証法を弄び、国際秘密力集団への言及抜きに、政治分野に対して適用しようとする人物は、警戒するに値するということである。日本語を操る「識者」の圧倒的大多数は、知ってか知らずしてか、「両建て構造」をスモークする役割を果たしてしまっている。彼らが愚鈍なふりをしているだけという場合も考えられるが、そうであるなら、それらの「識者」は、真に日本国民を裏切る者であるか、あるいはピースミール工学的な精神に基づき「死んだふり」や「知らんぷり」をしているか、いずれかということになろう。国際秘密力集団の存在に気が付いている「識者」の真意を量ることは困難であるが、彼らが自身の「罪」に自覚的であることだけは間違いなかろう。外部者は、個別の事例に即して、その「識者」の表出に係る正邪を判定するほかない。

「弁証法=両建て戦術」に留意すれば、現実社会における対立関係を把握しようとするとき、思いもよらない展開へと事態が展開する可能性や、対立する二者以外の第三者にも、意識が向くようになる。第三の存在のうち、二項対立の結果がどちらに転んでも利益を得たり、あるいは「止揚」によって利益を得ることになる者は、「両建て」の「黒幕」やその手下であるための条件を満たしている。この方法論は、ヘンリー・メイコウ氏の『イルミナティ 世界を強奪したカルト』において、二度の世界大戦を検証する際にも利用されている。メイコウ氏は、第二次世界大戦における陣営の多くが、国際秘密力集団※2によって支援され、その結果、対立が激化した様子を解説している。ただ、わが国の幕末の混乱期において、「公武合体論」が台頭したという事実と過程をふまえれば、「両建て構造からの止揚」という「どんでん返し」は、わが国の指導者層によっても、かなり以前から自覚的に使いこなされてきた方法論であるようにも思われる(。塾などにおいて教えられている幕末思想の分類方法が参考になる[1])。この逸話は、市井の人々には、十分にその凄さが知覚されていないようにも思えるが、多くの人が高校までの歴史の授業で学習したことではある。エラそうに記す私自身、本記事を執筆しながら、人文系の学問が対象とする出来事に係る先人の知恵の奥行きに、改めて感心しているところである。泰平の世であったとされる徳川の治世の間にも、これだけの知恵が伝承されていたとすれば、その理由は、皇室が徳川家というむきだしの権力に対抗する知恵を絶えず必要としていたからではないか、とも想像される。むろん、国際秘密力集団の関与があったものとも考えられなくはないが、豊臣秀吉のキリシタン禁令の経緯は、当時の社会においても前提となる共通知識であったろうから、日本列島に住む諸民族の奴隷化計画に対抗するため、公武合体論が採用されたと観ることは、自然な思考の流れである(。←この文章は、もちろん、二項対立的な考え方に基づき記されている)。

「両建て」の「落とし所」が見えていない第三者的な観察者から見れば、進行中の出来事が単なる二項対立であるのか、それとも「両建て戦術」であるのか、これを明確に切り分けていくことは難しい。相当に時間が経過した後であれば、その対立の真相を理解することは、比較的易しいように思われる。物事の結末がある程度明かされ、また、双方の陣営における不平不満の内容が出揃い、検討できるようになるからである。ある対立関係が本当に抜き差しならないものであるとすれば、それら2つの勢力の落とし所や妥協は、両陣営の誰にとっても目に見える形で折り合ったことが分かるものになるはずである。このとき、ある対立が妥協や全面戦争に終わることなく、思いも寄らない展開を迎えたとき、そこに弁証法を駆使する国際秘密力集団の仕込みを見出すことは、突飛な考え方ではない。ただ、国際秘密力集団の一部である戦争屋の目標は、全面戦争ならびにその結果としての人口削減、究極的には人類の支配であるから、妥協に終わらず、多数の死者を伴う結果に終わった対立関係を研究する場合には、十分な猜疑心を以てかかるべきである。

インサイダーではない観察者にとって、さらなる問題は、国際秘密力集団との関連があると見做される人物が突飛な構想を提示したとき、この概念をいかに解釈するのかであるが、この問題の難しさは、わが国の創作物を現実に対比させることによって、際立たせることができる。石ノ森章太郎氏の生み出したヒーローたちは、ダークに対するキカイダーや、ショッカーに対する仮面ライダーというように、悪の組織によって生み出されたが、何らかの理由でこれら悪の組織と対峙するに至っている。永井豪氏のデビルマンは、人への愛情ゆえに、人類に味方し、それまでの仲間から裏切ったとみなされた。周囲の人間は、彼らダークヒーローが悪の組織の手先から人間たちを守る様子を目の当たりにして、彼らを信頼するようになる。国際秘密力集団の方法論を暴露したものとして、ヘーゲルの弁証法を評価するのであれば、それと同様、「国際秘密力集団に対抗する、国際秘密力集団から生まれ出た英雄」という物語を広めることに成功した点について、石ノ森章太郎氏や永井豪氏らの創作物は、日本国民の貴重な財産であるとして、評価することができよう(。これは、小沢内閣待望論氏の慧眼である)。これに対して、現実は、もう少し複雑である。

現実において、物語よりも状況が錯綜した暗闘が存在するという事情を知らない人々は、人物や物事の見かけによって、容易に騙される。ごくごく最近の事例では、笹川陽平氏がブログで森喜朗・小泉純一郎・麻生太郎・安倍晋三の四氏と撮影した別荘での写真をアップしたことが挙げられよう[2]。同時に写真に収まっているほかの人々が誰であるのか、私には分からないし、この問題は、相当の広がりを背景に有しているので、ここでは、いずれ検討してみたいと述べるに留めておこう。ただ、国際秘密力集団があえて自分たちを批判する人材を用意することがあるというメイコウ氏のヒントは、この事例でも利用できそうである。このために、天木直人氏による笹川氏が軽率であるとする批判[3]は、笹川氏の意図や動機を余すところなく評価するものとはなっていないように思われる。

現実において、国際秘密力集団と暗闘していると認められる人物が何かを主張したとしても、人々がその主張を受け入れない例の一つとして、小沢一郎氏が仕掛けたとされる、3.11後の自民・民主の大連立を挙げることができる。この主張自体、読売新聞の関与ゆえに、マッチポンプの感が否めない。ただ、この報道の真実性自体は、小沢氏が国際秘密力集団から迫害を受けてきたこととは、無関係である。国際秘密力集団のやり方を理解している人物たちは、国際秘密力集団に攻撃されながらも、その仕掛けを逆用しているが、それは、彼らが「ダークヒーロー」であって、出自ゆえにゲームのルールに通暁しているからである。小沢氏は、『日本改造計画』を世に問うた時点において、国際秘密力集団との深い関係を有していたものと目される。しかし、小沢氏は、その後のマスコミからの事実無根とも呼べる中傷の数々を見れば、いつの頃からか、国際秘密力集団の子飼いであるマスコミの敵となったものと解される。「敵の敵は少なくとも共闘の余地がある」という点において、小沢氏は、庶民の味方である。現に、庶民の得になることの実績として、鳩山由起夫・小沢一郎体制において、初めて記者会見が開放された。この事実は、大マスコミから小沢氏や鳩山氏がストーキングされる理由のひとつとなっている。この制度変更がなければ、3.11に関しては、より深刻な情報隠しが行われたであろう。

ダークヒーローの外見が悪人を想起させる場合、現実においては、人は、その見かけに容易に惑わされてしまう。小沢氏がマスコミによって悪人であるかのような「画(え)」を撮られがちであるのは、偶然ではない。大マスコミは、どうしても彼らを悪人に見せかけたいのである。米国では、ドナルド・J・トランプ氏がこのようなマスコミの攻撃に晒されている最中である。スティーヴ・バノン氏やセヴァスチャン・ゴルカ氏[4]の辞任は、マスコミを始めとする国際秘密力集団の手下たちの溜飲を下げさせるという効果を有しているため、深く追及されることがない。それにしても、ジャレド・クシュナー氏への圧力がマスコミにおいて高まらないことは、国際秘密力集団にとって、都合が良過ぎることである。ここから、我々は、「イケメンにこそ気をつけよ」という普遍的な教訓を導くことができる。

#ここまでが話の枕であり、まだまだ古い話が続くが、ようやく最近の話題に入るための準備作業へと取りかかることができる。

「クリーンでイケメンな」政治家は国民を戦争へと導く

現在の日本人は、容姿端麗かつクリーンというイメージを有する政治家に、容易に騙されるようになっている。家族と職場以外で、様々な話題を聞かされる相手がマスコミだけであれば、そうなってしまうのも無理はない。今世紀だけの動きを見ても、日本国民は、マスコミに見事に踊らされている。松村謙三氏による中曽根康弘氏への「緋縅の鎧を着けた若武者」という表現は、この部類に入る。また、いわゆる抱合せ販売ではあるが、石原慎太郎氏は、裕次郎氏のイメージを存分に活用してきた。小泉純一郎氏も、イケメン枠のの好例である。あえて過去のイケメン評にこだわっているのは、現時点における回答が容易に導けることを示唆しながら、私自身のリスクを低減するためである。もっとも、ここまで詳しく「イケメンの騙しのテクニック」を示せば、誰がそうであるのかを類推することは、誰にでもできることであろう。

小泉純一郎氏は、佐高信氏によって「クリーンなタカ」と評された[5]が、この人物評は、図らずも、国際秘密力集団の「正・反・合」図式による戦争への道筋をうまく言い当てている。小泉氏は、マスコミによる演出ではイケメン枠であり、(族議員という)国民に気付かれていた種類の利権を持たず、対外的には強行的であるというスタイルで、権力の舞台に躍り出た。このスタイルは、マスコミの宣伝も功を奏したためか、総じて清廉なものと一般には受け止められた。小泉氏は、郵政(特に郵貯)を主張通りにぶっ壊し(、その過程を通じて構造改革という利権を実現させ)たが、郵政事業に係る数々の不祥事がダーティな印象をマスコミの聴衆に与えたことは、小泉氏の主張に大いに信憑性を持たせた。

佐高氏は、人々が「クリーンさ」を求めるあまり、「戦争上等」となることを警告したが、結果として、人々は、この忠告を受け入れなかった。イラクに自衛隊が派遣されたという結果は、紛れもなく、人々が「クリーンなタカ」を良く調べもせずに認証した結果である。小泉氏は、「タカ派」の安倍晋三氏を起用し、現在の第二次安倍政権への道をも拓いた。小泉氏が何でもありの金融市場をわが国においても実現したことは、将来においても評価の対象となることであろう。この実績ゆえに、小泉氏の脱原発は、彼なりの贖罪の範疇にあるものとも考えることができる。

人々が「イケメン」に騙されたのは、21世紀だけに限定しても、「小泉劇場」だけに収まらないし、自民党政権だけにも留まらない。民主党政権において、「イケメン」キャラの前原誠司氏が外務大臣の折に、尖閣諸島における中国漁船の海自艦艇への体当たり事件が生じたことは、決して偶然とは片付けられない。前原氏の外面的な強硬さは、仙谷由人氏のダーティな柔軟さと対比される形で、彼の外務大臣としての責任を相対的に軽減化した(。もっとも、私は、この事例において仙谷氏が善玉だとも考えない)。

現時点の安倍氏の評価は、現時点の「リベラル」側から見れば、とてつもなく「ダーティなタカ」であるが、少なくとも、旧民主党から政権を奪取した直後の安倍氏は、「保守系のマスコミ」によって、相対的にクリーンなイメージを付与されていた。2014年、御厨貴氏は、小沢一郎氏名義の『日本改造計画』の執筆作業に、自身や竹中平蔵氏が従事していたと述べた[6]が、この発言は、安倍氏を相対的にクリーンに見せかける効果を有するものである。御厨氏の暴露話は、竹中平蔵氏から小沢一郎氏を連想させるという効果を生じさせ、当時における竹中氏の暗躍振りへの批判を相対的に鈍らせるという効果を生じさせたと言えよう。ただ、御厨氏の発言自体は、事実を指摘したものであり、小沢氏も常に公人であり続けてきたから、御厨氏が学者としての本分を決定的に逸脱した訳ではない。他方、竹中平蔵氏は、小泉劇場や第二次・第三次安倍政権を通じて、汚名を引き受けつつ、国際秘密力集団のアジェンダを実務畑において達成しつつある。現時点においても、竹中氏が失脚しておらず、彼の関与の深い企業が隆盛を極める一方で、法の支配を脱却するかのごとき政策が進められていることは、現政権の究極の目的が公益ではないとの批判を許すものとなっている。

なお、竹中平蔵氏という悪人のイメージを『日本改造計画』を通じて小沢一郎氏に連関させ、小沢氏のイメージ悪化を図るという手管は、国際秘密力集団ならではのリサイクル法である。御厨氏が気が付いているか否かは、別としてであるが。また、このリサイクル法の直近の事例として、菅野完氏が女性に訴えられた民事訴訟裁判をマスコミが大々的に報じたこと、を挙げることもできる。裁判自体は、当事者の女性の権利を保護・被害を回復するために必要な活動である。しかし同時に、仮に、菅野氏が大マスコミ企業に勤務していたならば、本件は、放送されることがなかったであろう。この機序を思えば、本件に係る報道は、マスコミが菅野氏を使い捨て要員として最後まで活用し尽くしたことを示す好例ということになろう。末尾に出典とともに引用したが、佐高氏と城山三郎氏の対談には、フリーの言論者に対する官僚の敵意が述べられている。この「庶民」への敵意は、マスコミにも共通するものである。わが国では、マスコミ向けに「汚れ仕事」を引き受けて「悪名」を冠せられるのは、フリーランスであり、「官」とは言い難い部門に属する人物なのである。

二種類の対立する価値観の組合せは「止揚」への前振りかもしれない

平面上に二軸を置いて、四つの象限に特徴的な類型を当てはめるという方法自体は、社会学やマーケティングなどにも共通し、普遍的であるが、これらの方法のいくつかは、動的な構造(ダイナミクス)を仮定するものである。4種の類型への当てはめ作業は、必ずしも、分類対象が4種の類型の間を一定の法則に従って移動するといった仮定を置くものではない。動的な構造を念頭に置く分類手法は、むしろ例外であり、「両建て」に近い性質を有しているものと言えよう。マーケティング分野における有名な分類方法として、ボストン・コンサルティング・グループによるプロダクト・ポートフォリオ・マネジメント(PPM)があるが、この分類方法は、事業の市場成長率の高低と、自社事業のシェアの大小によって自社事業を分類(「花形」「金のなる木」「問題児」「負け犬」)し、将来への戦略を考案するというものであるから、動的な構造を前提としている。

政治評論においても、対立する二つの陣営が二種類の価値観について対極にあるという理解は、それなりに見受けられる。たとえば、「ノーラン・チャート」は、個人的自由の度合いと経済的自由の度合いの高低によって、個人の政治的信条を4種に分類するが、「保守」と「リベラル」の良いとこ取りとして、「リバタリアニズム」が対置される※3。最近の事例(のひとつ)として、加藤典洋氏は、永井陽之助氏の「日本の防衛論争の配置図」をベースに、「同盟・自立」×「軍事・福祉」の二軸を、現代の勢力にも拡張し、対立軸の設定方法を論じている[7])(が、そのさらなる検証を私が行うには、準備が必要である)。言うまでもないことであろうが、政治的姿勢を平面上へと布置した論者が、この状態を「両建て」と見抜いているか否かは、やはり、個別の検討を要する(が、ノーラン氏と加藤氏は、明らかにこれらのマッピングを動態的なものと見ているものと解釈できる)。「両建て」は、動的構造を必然的に伴う。他方、ダイナミクスを考慮していない評論は、参考になるものではない。静的なマッピングが国際秘密力集団の行為対象について適用される場合、何となれば、重要な観点をわざと欠落させた国際秘密力集団の仕込みであると疑っても良いし、そうでなくとも、その分類が無知の産物であるとして批判しても良かろう。

佐高信氏は、「クリーン・ダーティ」×「タカ・ハト」分類と併せて、「人々は、クリーンさを選ぶ」というメカニズムを指摘している。「ダーティなハト」よりも「クリーンなタカ」が「クリーンさ」ゆえに有利であると明確に主張した点で、佐高氏の解説は、二次元に各論者の立ち位置を描いたという平面的な図解ではなく、「正・反・合」のダイナミズムへと一歩近づいたものである。なお、政治的清廉さに係る二元的な対立構造が巧妙に利用されるという指摘のオリジナリティは、佐高氏に帰属させるべきであろうが、私の過去の記事(2016年7月26日2017年4月26日)も、佐高氏への言及を失念したまま、「セット思考」と名付けた強制力に触れてはいる。2012年12月の衆院選における自民党支持者に係るTPPと原発に対する賛否への転換や、2017年5月のフランス大統領選挙に係る朝日新聞の解説は、ともに、この2軸上・4グループの対立関係を利用するものであった。

「クリーンさ」を求める庶民の心性は、「穢れ」思想の裏返しでもある。この理解は通俗的ではあるが、論証の必要はなかろう。大事なことは、この潔癖さが日本人に付け入るときのリソースとして利用可能であると、国際秘密力集団に気付かれていることである。この潔癖さへの志向性を悪用するかのように、「国際秘密力集団が進めようとするアジェンダに、表向き、反対してみせる」という役どころをこなす人材は、雇われて方々に配置されている。これは、人工芝運動の一種である。人工芝運動では、自分たちにとって都合の良い主張を行う団体だけが設立されるのではなく、都合の悪い主張を行う団体もリスクヘッジとして設立されるのである。このとき、潔癖さだけを重視していると、庶民は、味方を失いかねないことになる。先般、ノースカロライナ州シャーロットヴィルにおいて、左右の「デモ団体」の衝突があったとされるが、このとき、偶然にも、「デモ活動」を有償で請負う人材派遣会社の『Crowds on Demand』が、この地方でのアルバイトを時給25ドルで募集したという。この話については、和訳もある[8]。トランプ大統領の声明だけを批判して、この事情を全く報道しないマスコミは、信用に値しない。撤去に反対する「右翼」の側に、たった一人の不心得者(加害者)が含まれていたがゆえに、シャーロットヴィルの事件は大々的に報道されたが、挑発的な撤去作業を実行するために集められた「左翼」は、僅かなカネのためにここまで卑怯な真似をしながらも、大マスコミによって、そのさもしさを暴露されない。このとき、トランプ氏が双方の陣営を批判したが、その批判は、「両建て」の危険性を暴くという意味も含んでいたものと解することもできる。

現今の「小池新党」を通じた「野党再編」は「両建て戦術」である

「止揚」の別名でもある「第三の道」は、ときには、周囲からすれば「それはないだろよ」とツッコミを受けるほどに不自然であるが、現在のわが国における「小池新党」の立上げに係る「情報戦」は、その好例である。現今、わが国では野党の勢力再編が促進されつつあるが、若狭勝氏による新政党の立上げを含め、これらの活動は、「両建て」の一環ではなく、ガチの権力闘争から生じたものである。そうでなければ、マスコミが森友学園疑惑・加計学園疑惑を唐突に焚き付ける必要はなかったはずである。旧・ジャパン・ハンドラーズの言うことを聞く限り、「安倍一強」は、旧ハンドラーズにも都合が良かったはずである。このため、現今の権力闘争において、「両建て戦術」は、自民党の非主流派をいかに切り崩すか、また、穏健派の野党支持勢力をいかに旧ハンドラーズと提携させるか、という目的を達成すべく、仕込まれつつある。ガチの権力闘争を生き抜くために、バレバレの八百長を仕込むことは、戦術として破綻しているように思われるが、旧ハンドラーズにとって幸いなことに、この不自然さは、多くの人々には、まだ気付かれていないようである。

板垣英憲氏は、ぱっと見、小沢一郎氏を随分と推す「ジャーナリスト」であるように見えるが、現実には、その言説は、小沢支持者の期待を裏切るように機能している。というのも、私から見れば、その主張の多くは、にわかに信じ難いもので、実現したようにも見えず、何より、検証不可能なためである。ヒュミントによる具体的な裏取りは、私の手法ではないので、板垣氏の主張が各当事者への取材を通じた確実なものである可能性は、ゼロではない。つまり、私には、板垣氏が嘘を吐いているとまでは確定できない。しかしながら、多くの公知となったほかの情報と突合させてみると、板垣氏の主張は、整合性に乏しいものが圧倒的に多い。最近の事例を確認しよう。

板垣氏は、若狭勝氏に新党結成を指南しているのが小沢一郎氏である[8]と解説しているが、これは、周辺情報と突き合わせると、相当に疑わしい。先の都議選における各陣営の公式ウェブ上の公開情報は、小沢氏が先の都議選で支援したのが共産党や社民党の候補であったことを伝えている。小沢一郎氏は、世田谷区で社民党の桜井純子氏を[9]、杉並区で民進党の西村まさみ氏を(選挙公報上で)応援した。北区では、自由党の共同代表の山本太郎氏が共産党の曽根肇氏を応援演説した[10]。いずれも、都民ファーストの会とは競合する候補であった。これらの確定的な情報に対比すれば、板垣氏の主張は、小沢氏と若狭氏の双方に、著しい心変わりを要求するものである。その無理筋さは、演劇の手法にいう「機械仕掛けの神(Deus ex machina)」によって、両者が和解するものとも形容できるほどである。

若狭氏と小沢氏は、現在、両名ともに野党であるという点では共通するが、一般人から見たイメージは、「クリーンなタカ(若狭氏)」と「ダーティなハト(小沢氏)」という点において対極である。若狭氏に言わせれば、タカとハトの区別は、相対的なものに過ぎないが、都民ファーストの会に所属する面々の極東アジア諸国に対する姿勢は、小沢氏の(たとえば、日中友好に係る)実績とは正反対のものである。旧・民主党が「タカ」と「ハト」の寄り合い所帯でもあったことも確かである。しかし、小沢氏が旧民主党を割ったとき、党内の「タカ」派がこぞって歓迎したことも事実であった。加えて、若狭氏が東京地検特捜部に配置された経歴を、清廉さを連想させるセールスポイントとしている一方で、小沢氏は、この組織から執拗に狙われてきたという経歴を有する。小沢氏と若狭氏との直接の関係は、私には調べ切れていないが、双方が所属してきた組織同士の確執は、確実に存在する。小沢氏と若狭氏が「昨日の敵は今日の友」とするのであれば、それはそれで理屈は通るが、旧ハンドラーズとの円満な三角関係抜きに、都民ファーストの会系列の若狭氏と小沢氏が連携することは、不可能であろう。

板垣氏の主張の数々は、小沢氏を何についても「褒め殺し」する体裁により、小沢氏に対する一般の信頼を削ぎ、何となれば、旧ハンドラーズの軍門へと再び下らせることを目的としているものと疑うことも可能である。板垣氏によって示されたニュースのひとつでも実現されていたとすれば、社会は、現在の状況に比べて、相当に良い方向に変化していたであろう。「「嘘吐き」に支持される人」は、一般人にも支持されるのであろうか。これもまた、小沢氏に対して「ダーティさ」を連想させる国際秘密力集団の中傷戦術と考えられないか。「機械仕掛けの神」が唐突に登場する劇は、展開としては陳腐な印象を受けるが、劇作家か監督の意図ゆえに、このような展開を迎えることになる。せっかくカラクリを制作したのであるから、使い倒そうという訳である。この点、「機械仕掛けの神」の登場は、常にある人物の作為によるものであって、偶然に生起したものではない。

「クリーンなタカ」に加わるようにと唐突に働きかけられた「ダーティなハト」は、果たして「小池新党」に合流して、「(マスコミが表向き言うところの、実のところは、旧ハンドラーズ仕込みの)野党連合」という「止揚」を実現するのであろうか。私には、そのような展開が生じるものとは思えない。山本太郎氏は、旧ハンドラーズと安倍政権双方の手口を、明快に暴いている。その国会論議は、「山本劇場」と呼ばれるべき内容であるが、マスコミに取り上げられることがない。若狭氏の国会における発言は、取り調べ可視化に係るものに見るように、その経歴に根差すものであり、一部には穏当という印象を受けるものとはいえ、旧ハンドラーズの利権と意向の範囲を出るものではない(。司法という場におけるゲームのルールが変更され、旧ハンドラーズがより良く知る制度へと同一化されたとき、そのゲームのルールは、旧ハンドラーズにとって有利になる)。


※1 情報は、誰でも分け合えることができる(非競争性)し、消費するとなくなってしまうということもない(非排他性)し、現在では伝達も相当に容易である(再生産性)。情報のこれらの特別な性質のために、一旦広められた情報は、容易には消えることがない。わが国の著作権法は、この再生産性に係る大きなハードルである。調べ切れていないが、ある社会集団において、成員の大半が自在にインプット=アウトプットできる知識の分量は、言語化されている知識の分量に比べて、さほど多くはないはずである。

※2 メイコウ氏は、この集団がイルミナティの名を騙っているとも指摘している。従来から存在している同名の結社は、拠点であったドイツの地方名を冠して「バヴァーリアン(バーバリアン)・イルミナティ」とも呼ばれるが、この結社自身は、われこそが本家である旨を明言している。公式サイトとされるものが存在はする。ただ、メイコウ氏に対するこの結社からの批判が存在することも指摘されており、なかなか込み入っている。本記事では、イルミナティの名を僭称するとされる集団(=メイコウ氏の批判の対象となっている集団)、つまり、戦争屋に連なる国際的な権力集団を、『国際秘密力研究』の「菊池」氏の用法に倣い、国際秘密力集団と呼ぶ。ただし、この「国際秘密力」という用語は、第二次世界大戦期までの間、わが国では専らユダヤ人にのみ帰属するものと理解されてきたが、私は、この語が特定の宗教や民族に包含されるものとは思わない。この集団の意図に基づき、この集団の利益のために働く人物を、単に国際秘密力集団と呼ぶに過ぎず、それらの人物の肌の色や母語や信仰してきた宗教は、国際秘密力集団とは必ずしも関係しない。竹中平蔵氏は明らかに国際秘密力集団の(下部人員かも知れないが)一員であるが、竹中氏を例として「日本人は皆が国際秘密力集団の手先である」と一般化することは明らかに誤りである。

※3 たとえば、保守主義は個人的自由を認めない一方で経済的自由を重視するが、リベラルは個人的自由を重視する一方で経済的自由を制限する、といった具合である。ただ、概念の変遷があり、論者により、第3象限の命名がポピュリズム(populism)であったり共同体主義(communitarianism)であったりするので、深入りするのはやめておきたい。そもそも、ノーランは、個人的・経済的、双方の自由を重視するリバタリアニズム(libertarianism)を称揚するためにこの分類を導入した節があるので、第3象限は、ディスられる対象であったものとも考えられる。


[1] 攘夷派について - 歴史学 解決済 | 教えて!goo
(caesar-x、2005年07月21日00:08)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1527212.html

要するに当時の政治派閥は大別すると 開国派と攘夷派、尊皇派と佐幕派と公武派のミックスで6パターンあります。

[2] 「短い夏季休暇」―安倍首相と三人の元首相―-日本財団会長 笹川陽平ブログ
(2017年08月23日)
http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/5970

[3] 国民一揆がおきてもおかしくない一枚の写真 | 新党憲法9条
(天木直人、2017年08月27日)
http://kenpo9.com/archives/2166

[4] 米国:大統領副補佐官、ゴルカ氏辞任 解任のバノン氏寄り - 毎日新聞
(ワシントン=高本耕太、2017年8月26日、東京夕刊)
https://mainichi.jp/articles/20170826/dde/018/030/014000c

[5] (城山三郎氏と佐高信氏の対談)「小泉首相に出した手紙」『小泉純一郎の思想』(岩波ブックレット546)所収, 『週刊現代』二〇〇一年六月二日号初出.

佐高 〔...略...〕私は、小泉さんは実は一番厄介で、手強い存在だとも思います。というのも、私は政治家をダーティなタカとハト、クリーンなタカとハトの四つに分けて考えるのですが、小泉さんは「クリーンなタカ派」。クリーンだから人気はある。しかし、その政策は本質的にはゴリゴリのタカ派そのものです。高い支持率を背景に、ロクな議論を経ないまま、なし崩し的に憲法を改正する危険性があると懸念しています。

城山 小泉さんはクリーンなタカ派、ですか。なるほど……。僕の持つ小泉さんのイメージといえば、やはりお祖父さん(又次郎)のほうに近い。小泉又次郎は、きわめて進歩的な政権だった浜口内閣で大臣(逓信省)を務め、しかも浜口首相から絶大な信頼を寄せられていました。その又次郎の孫である淳一郎氏が新聞の報道などで「タカ派」といわれたり、小泉政権が「憲法改正も視野に入れる」と語ったりするのを聞くと、ちょっとびっくりしてしまいます。

佐高 しかし、小泉さんの政権成立までの歩みを見ると、タカ派色が濃いのは十分に納得はできます。〔...略...〕〔以上、p.56〕

p.59 個人情報保護法反対について、城山氏は、「官僚はいつもそうだ。行政簡素化と言いながら、自分の仕事を増やすことしか考えてない。結局、縄張りと天下り先を増やしたいということでしょう。公務員の数を減らそうという時期に、こんな無駄な法案を作ろうとするとはねえ……。役人が余っているということですね。〔...略...〕」

佐高 〔個人情報保護法への反対を議論する中で、〕鑑札などは要らないからこそ、城山さんも私もフリーで活動しているわけでしょう。われわれからすれば無位無官、ノンセクトであることは誇るべきことです。だが、役人はそうは見ない。作家もジャーナリストも含めて、フリーの人間はむしろ「いかがわしい」と考えているのではないでしょうか。

城山 そうか、僕たちは治安を乱す人間とみられているわけですか。これでは、まさに治安維持法ですよ。

佐高 官僚が管理できない人間というのは、不埒な国民なのでしょう。このような連中を野放しにしておくと治安が維持できないというのが、この法案を作ったそもそもの真意だと思います。〔以上、p.60〕

[6] 御厨貴・芹川洋一, (2014.4.8).『日本政治ひざ打ち問答』, 日経プレミアシリーズ, 日本経済新聞出版社, pp.88-93.

[7] 加藤典洋, (2015.10), 『戦後入門』(ちくま新書), 東京:筑摩書房, pp.564-586.

[8] シャーロッツビルの暴動の演技者には時給25ドル : 日本や世界や宇宙の動向
(2017年8月17日)
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52013066.html

[9] 【ご案内】8月26日(土)「板垣英憲『情報局』オフレコ懇談会」 - 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
(2017年08月22日03時29分16秒)
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/1177a8f84fcb199634eae2df4113b05a

[10]

[11] 2017.06.30「そねはじめ街頭演説@十条駅西口」: 自由党・山本太郎 参議院議員【4/6】 - YouTube
(The River、2017年06月30日)
https://www.youtube.com/watch?v=VukwcBOfIoc




2017年8月29日訂正

タイトルの「現行」を「現在」に、また、本文のいくつかの表現を、文章の意図を変えないように訂正した。




2017年8月30日訂正

本文の一部を訂正し、因果関係を明確化した。「野党再編」は、八百長であるが、森友・加計問題は、ガチの権力闘争の一環であると考えられる。