2016年10月31日月曜日

(書評)鬼塚英昭, (200708). 『日本のいちばん醜い日 8・15宮城事件は偽装クーデターだった』, 成甲書房.

 せっかく論文調に仕上げたので、この種の表現は避けたいところであるが、読者のために、私の感想を冒頭に述べておこう:私の中では、鬼塚の以下の主張のうち、3と4はガセである。他方、主張1と2は、落合莞爾の『明治維新の極秘計画』(2012年、成甲書房)と同様の高度な政略を見立てれば、それなりの蓋然性を認めることが可能である。本書は、「セット思考」(2016年7月26日)の怖さを認めることができるという事例として有用であり、「ノンフィクションなら、嘘を書くにも作法がある」ということを知る上での練習帳にはなる。この点と主張1と2の蓋然性の高さを買って、評価は★★☆☆☆、星2つとしたい。
 以下、本書の評価に併せて材料を提示していこう。

 本書は、終戦間際、14~15日の陸軍クーデター未遂事件が三笠宮崇仁親王の主導された「偽装クーデター」であり〔主張1〕、昭和天皇の御裁可により遂行され〔主張2〕、三笠宮が流血に直接関与し〔主張3〕、昭和天皇の身の安全を専らの目的としたもの〔主張4〕である、という非難を提起するものである。この見解は、クーデターが戦争継続派によるものという一般の解釈とは、まるで異なるものである。この非難は、半藤一利の『昭和のいちばん長い日(改訂版)』における「某中佐」の記述から説き起こされ、デイヴィッド・バーガミニの『天皇の陰謀』を導き手として追求される。「某中佐」が三笠宮であるという根拠は、もっぱらバーガミニの推測に乗るものである。

〔以下は、バーガミニの又引きとなる〕
 ゴシップの多い日本では、天皇の血族の成員の私的な行為に無名性を与える天皇タブーだけが、日本歴史上のかかる危機的瞬間にかかる氏名の不詳の人物が内宮の構内にいたことを、説明しうる。推測では、某中佐とは天皇の末弟である三笠宮中佐であったというのが強い。三笠宮は、その夜クーデターに参加した若手将校たちの級友であった〔p.157〕。


 しかし、クーデター未遂に伴う流血劇の犯人とされる人物たちの行為が、もっぱら鬼塚の推測のみに依拠して説明されることは、注意深い読み手には直ちに了解できることである。「殺害」の現場に居合わせた人々の名前から、「某中佐」の存在を認めるところまでは、推理として許容されよう。しかし、複数の資料を対置してみせた後、鬼塚は、「某中佐」が現場を主導したに違いないと断定する。登場人物の心中は、鬼塚の「暗殺史観」(後述)により、無前提に確定されてしまうのである。この作法は、同書に繰り返し用いられており、上に又引きしたように、鬼塚が道標とするバーガミニの著書にも共通するものである。共通の話題を扱う複数の資料を並置するところまでは、通常の論証の形式であると言える。しかし、本書の問題点は、その後の考察の過程にある。提示された資料から構成できるはずの別の見解を対置することなく、鬼塚は、自身に都合の良い見解を採用するという飛躍を度々行うのである。

 鬼塚の論理の飛躍は、第三章において、「殺人」の「被害者」である森赳近衛師団長の14日朝の行動を説明するとき、端的に表れる。鬼塚は、クーデター未遂における森の死が自殺であるという可能性をあっさり捨象し、また、森が同意殺人の犠牲者である可能性に迫りながらも、その可能性をほとんど無視する。鬼塚は、有末誠三の『終戦秘史 有末機関長の手記』を引用〔pp.233-235〕し、14日の朝に、森が同期である有末と宮崎周一作戦部長を訪ねて「死ね」と言い帰ったことを記す。鬼塚は、有末の記述に基づき、次のように自らの見解をまとめる。
 十四日の朝までは確かに森赳は生きていた。そして監禁もされていない。しかし、それから十五日午前二時に殺害されるまでの森の姿は、近衛兵が疑問に思うほどにはっきりしない。
 十四日の朝、森は阿南〔惟幾・陸軍大臣〕と大城戸〔三治・憲兵司令官〕に会う。ここで、大城戸はあることを伝える。それは、彼の上司である内大臣もしくは某中佐経由のものであろう。その前日の十三日の午後、三笠宮は有末に「実は今朝、陛下から直々に『おたのみ』のお言葉があった」と語っている。
 森の反対にかかわらず、近衛兵は、古賀〔秀正・近衛師団〕参謀(中佐)の指揮のもと続々と皇居内に入っている。森は大城戸にこの中止を申し入れたにちがいない。そして逆に大城戸を介して、上位のある者からの通告を受けた。大城戸は内大臣または某中佐に報告するために宮中に消えた。森は自分の運命を即座に知ったにちがいない。それで最後の別れの言葉を言おうと、参謀本部に行き、有末中将と宮崎中将に会いに行く。彼ら三人は同期の桜だ。そして、二人に、「貴様は死〔以上、p.235〕ね」と言う。この森の最後の言葉は激しい。しかし、深い愛情にあふれる言葉ではないのか。有末も宮崎も口には出さないが森の立場を理解している。二人は三笠宮の下で終戦工作をする立場にある。
 「憚りながら禁闕守衛については指一本指させぬから、その点は心配するな」
 この捨てセリフほど悲しいものはない。もう禁闕守衛の命令一本、森は出せない立場にいたのである〔以上、p.236〕。

 鬼塚は無視しているが、この記述からは、クーデターを防ぎ得ずに惨殺されるという無能者の汚名を、森が自ら進んで引き受けたという可能性を認めることができる。自らの死によって、陸軍関係者の意思を昭和天皇の御心に沿うように変革・統一しようとした、という可能性は、モーリス・パンゲによる『自死の日本史』(1986年, 和書2011年, 講談社学術文庫)を参照し、わが国の伝統である現世主義を認めれば、「自死」を決意表明の機会とするわが国の伝統にも沿うものとなる。現世を重視するがために、現世利益の最大の要件である生命を捨てるという転倒は、日常生活においては恐ろしいものととらえられるが、戦争犯罪者として近未来に断罪され処刑されるという展開を予見できたはずの人物が、仮に、祖国に殉ずる機会を与えられたとすれば、この機会を活用することが救いに至る道であると考えたとしても、不思議ではない。鬼塚の著書では、「偽装クーデター」の可能性は論じられたが、「偽装クーデター」のために必要とされた「殺人偽装」の可能性は、登場人物全員の心中を推量する作業を省略することにより、完全に無視されるのである。

 鬼塚が森の心中を軽視した結果は、第二章の記述との非整合性という形で表れる。まずは引用しよう。
 では、森はどうして畑中からピストルで撃たれたのか。某中佐が偽装クーデターにリアリティを求めたからである、と私〔鬼塚〕は思っている。森の義弟の白石通教中佐(第二総軍参謀)は偶然にそこにいたのではない、と思うのである。確証はない。しかし、偶然はおかしい。彼は森の切腹を助ける介添人として登場した人物と思う。しかし、リアリティの前に、彼も惨殺されたのである。私は五・一五事件と二・二六事件の延長線上にこの第三次が起きたことのみ記しておく。〔p.196〕

 鬼塚は、いったんは森の義弟である白石の登場を、介錯人として想定する。しかし、もっぱら二次資料(文学作品等)に依拠して、これをすべて流血の惨事として描くことに同意してしまうのである。

 ここでの鬼塚の安易な解釈に対しては、ほかの読みを並存させることが可能である。私が小説家なら、森が「私の首を手土産にしないとクーデターの体裁が付かないであろう?」と諭し、若手将校の前で自決して果てたという場面を描くこともできる。想像を逞しくすると、この森と白石の自決は、若手将校には当初に想定されなかったものである。想像を続けよう;二人の遺体を目の前に、何らかの協議が行われ、若手将校たちは「われわれが殺害したことにする」という森と白石の「遺言」を受け入れる。このように、鬼塚の著書に挙げられた材料を元に、異なる想像力を働かせるだけで、クーデター未遂における森と白石の死亡に係る異説を提示することは、十分に可能なのであるが、この想像(妄想かもしれないが)は、鬼塚には最後まで検討されないままに終わるのである。

 異なる見方が成立するにもかかわらず、現場に居合わせた者の証言すら十分に一致しない状態で、犯人を特定し名指しすることは、各証言を等価とする限り、無理がある。推定無罪の原則が周知されている現代において、鬼塚の記述は、「故意に、いかがわしい視点に立って歴史の真実を曲解する〔p.165〕」ものであると、読者に誤解されることにもなろう。もっとも、クーデター中に森の「殺人」が行われたとする理解は、繰り返しになるが、半藤の『日本のいちばん長い日』など、ほぼすべての著書に共通する記述である。その上で、もっぱら、犯人が単独であるか複数であるかが争われている。

 同書では、事実と判定できる出来事と著者の意見とは、一応のところ、分別されている。このため、著者があらかじめ皇室を貶める目的で本書を作出した意図を疑いながら読めば、同書は、嘘が嘘であると見分けられるように記されているとは認めることができる。鬼塚は、このノンフィクション作品を、事実の摘示までは注意して事実に即するように記述しながら、本事件に係る意見と推測を、全て皇室の仕組んだ『真夏の夜の悪夢』〔p.66〕として振り向けることに全力投球している。この芸風は、著者に骨がらみのものであり、却って彼の背景が何であるのかへの目を向けさせるものであるが、出版物としての最低限のルールには依拠するものとも評価することができる。

 本記事の冒頭に示した鬼塚の主張のうち、〔主張1〕と〔主張2〕は正しいように思われるが、〔主張3〕と〔主張4〕は、彼の先入観によるものか、故意によるものであろう。つまり、同書は、3と4への誤誘導を図るべく、1と2について記述した可能性も認められるのである。本日のところ、これら4点の主張を、以下の段落より詳しく論証することはしないが、今後、追記・改稿する予定はある(期日未定)。

 私がなぜ、鬼塚の主張の1・2と3・4とを切り分け、後者を嘘と考えるのかという理由は、このように切り分けることが、鬼塚自身を含めた、それぞれの人物の生き方に最も整合するからである。鬼塚の著書の徹底した特徴は、(その評価は措くとして、)反皇室である。鬼塚はすでに故人であり、応答する声は期待できないから、私の一存と責任において、このように評価を確定しても良いであろう。他方、三笠宮の戦後は、徹底して平和志向であられた。クーデターにおける流血を率先することは、その意思の強さこそ共通するが、方向が真逆である。また、戦後の人生に汚名を被ることを潔しとした軍人たちが、敬慕すべき対象でもある友人が殺人犯となろうとする瞬間を、拱手して見逃すことがあろうか。さらには、殺害されたとされる高官たちは、自分たちの近未来を十分に理解していたであろうし、数ヶ月先の自らの死を今捧げることにより、お国のためとなることが容易に確信できるとき、同意殺人に進んで身を投じた可能性すら考えられるのである。(この考え方が、現代に通用するものであるか、倫理的に見ていかがか、などという考察は控えることとしたい。あくまで、私が彼らの心中を想像してみたところを述べたまでである。)

 クーデターの成り行きが当初の予定とは異なるものになった可能性は、先に触れた森と白石の「殺害」のように、十分に認められる。しかしなお、クーデター未遂は、皇室が能動的に個人の身の安全を企図したのではなく、各個人の「立場主義」が貫徹された事例の一つであると解釈した方が、合理的に説明できるように思うのである。遅きに失したことは疑いようもないが、また、そもそも満州事変を始めるべきではなかったが、それでも、『日本のいちばん長い日』にかかるクーデター未遂劇は、登場人物の個人の「忖度」が歯車として噛み合ったレアケースではなかったか、と読むことも可能なのである。

 鬼塚は、森の遺体の所在が不問に付されてきたことにも言及する〔p.3など〕。#後日、追記予定。

 最後に、物覚えの良い本ブログの読者に向けて、田中光顕についての鬼塚の著作 『日本の本当の黒幕(上・下)』(2013年、成甲書房)に係る私の書評が、なぜ四つ星であったのかを説明しておこう(2015年10月25日)。それは、田中が暗殺者としては稀代の成功者であることを論証するところまでは、十分に成功しているように考えたためである。『…黒幕』の皇室批判は、比較的後景に退いているが、それでも牽強付会である点が否めないものである。ただし、本点は、同書の本筋に懸かるものではない。このため、過度の皇室批判を理由に星を減じることも、また主観的な判定となるものと思われたのである。

 ところが本作『…醜い日』は、皇室批判を主目的としており、鬼塚独特の「暗殺史観」は『日本の本当の黒幕』のように暗殺者の論理を明快に説明するものとして機能しない。彼の「暗殺史観」(前稿では「鬼塚史観」)とは、大要、わが国における近現代史において、暗殺が重要な転機をなしてきた、というものである。鬼塚の「暗殺史観」は、近現代における「黒幕」を皇室とその周辺に見出すものである。この徹底ぶりは、陰謀論者としての一つの芸風と言い切れば、それまでである。しかし、本作『…醜い日』に限れば、彼固有の動機付けは、この大目的の客観的な論証を妨げるものとなっている。本書に見られるすべてのアブダクションには、「皇室は徹底してマキャベリスティックであり、アジア・太平洋戦争の流血の責任はすべて皇室にある」という前件(前提)が潜む。この命題を何としても論証しようという鬼塚の姿勢は、バーガミニおよびレスター・ブルークスの著書に対する、批判的検証の矛先を鈍らせるものと認められる。バーガミニとブルークスの間に見られる齟齬は、鬼塚によって詳しく検討されない。その理由は、鬼塚の目的がバーガミニの目的と同一のものであったためではないか、と予想できるのである。鬼塚は、バーガミニの少年期の強制収容所体験を、森山尚美とピーター・ウエッツラーの『ゆがめられた昭和天皇像』(2006、原書房)から引用する〔pp.160-161〕。鬼塚自身の体験がいかなるものであったのかは、ルポタージュ的な調査が必要となるであろうから、これ以上は追究しない。


 いろいろと補足すべきこと・追加で調査すべきことはあるが、本書に係る批評の根拠は、以上で十分であろう。本稿における私の意見は、基本的に推測に基づくものであるが、それでも推測の整合性に自信を有している。ただ、今後、勉強を進めて、周辺事項を埋めていく予定であることも確かである。敬称等を省略したのは、表現の分裂を避けるためであり、一時的な措置である。

2016年10月27日木曜日

『二階堂ドットコム』によるWikiLeaks設立者死亡の噂を検証する

要旨(必読)

『二階堂ドットコム』は、いわゆる愛国ネットジャーナリズムの老舗と呼べるサイトであるが、2016年10月24日付「投稿メモ」は、ガセであると判定できる。本論の内容は、ほぼこの点に集約されるが、本稿では、これを長々と検討する。

本文(任意)

『二階堂ドットコム』の主張を覆すために確認すべき事項は、大別して4点となる。これらの全てに間違いと呼べる内容が含まれる。まずは主張を引用しよう。亀甲括弧〔〕は論点整理のために私が付記したものである。
〔1〕ナポリターノ判事によれば、〔2〕ウイキリークスは解散され、〔3〕アサンジは殺害されている。
〔4〕情報のリークは、現在、NSAが行っているとのこと。[1]

 この文は、次の4点の確認事項を含むものと整理できる。1点目は最後に検討する。
  1. アンドリュー・ピーター・ナポリターノ判事は〔2〕から〔4〕を報じたのか
  2. ウィキリークスは解散されたのか
  3. ジュリアン・アサンジ氏は殺害されたのか
  4. 米民主党メール流出に係る情報は〔4〕の文面通りに解釈できるか

 2点目、つまり〔2〕そのものであるが、WikiLeaksが解散させられたという事実は、2点の傍証によって、認めることができない。最初に、公式ツイッターは平常に機能しているようである。17日に、ある国の政府によりジュリアン・アサンジ氏のネット接続が厳しく制限されていること[2]、18日にアサンジ氏をロンドン大使館で匿っているエクアドルが米国の選挙に係るアサンジ氏の活動を「制限」していることを認めたこと[3]をツイートしている。次に、ヒラリー・クリントン氏の選挙対策キャンペーンの長であるジョン・ポデスタ氏(John Podesta)の電子メールは、24日から26日の間も暴露され続けている[4]。(タイムスタンプがアメリカ国内のものであろうことに注意。)仮に参加者が「解散」させられた後であるにしても、サーバの運営企業が機能し続けている限り、契約期間が終了するまでサーバ自体は運営されるであろうから、サーバが閲覧可能であるというだけでは、WikiLeaksが解散させられたという主張を覆すことはできない。しかし、ポデスタ氏の電子メールが流出し続けていることは、WikiLeaksのキュレーション機能[5]が存在し続けていることを示す。

 仮に、『二階堂ドットコム』の主張〔2〕と〔4〕の双方を容れて、かつ、上掲の2点の傍証を認めるなら、NSAがすべてのキュレーション機能を代替わりし始めた、という事実を導くことができる。ところが、NSAは、機密性の高い外交公電の公開を中止していない。この事実は、『二階堂ドットコム』の主張とは非整合的な事実として提示できる。NSAは、WikiLeaksのサーバ管理権限と公式ツイッターアカウントの双方を同時に乗っ取る実力を備えているものと思われるし、外交公電の公開中止を入念に実施するであろうということは想像はできる。しかし、この想像を事実として指摘するのであれば、『二階堂ドットコム』は、NSAが世界中の観客に疑いを抱かせることなく、かつ、WikiLeaksのネットワーク参加者の全員に気付かれないうちに全権限を奪取したことを、具体的な事実を挙げて論証する必要がある。インターネット後の世界において、WikiLeaksに類する手段によって権力を相手にする覚悟を固めた者が何の予備的手法・内容も用意していないと考えることには、かなりの無理がある。

 以上の議論によって、『二階堂ドットコム』が十分な根拠なしにWikiLeaksの解散を報じたものと判定することは、どの証拠も等価な価値を持つと見做せば、十分に許容されることである。論破したというには及ばないが、『二階堂ドットコム』を信じるよりは、WikiLeaks公式ツイッターの内容に怪しげなところが見受けられない分、公式ツイッターを信じる方がマシであろう。今回は、まるで、私の方が「平均人」であるかのような思考を持つことになるが、事実はそうではない。単に、ネット上の複数の動きを検討することにより、『二階堂ドットコム』の筆が滑ったことを説明できるだけである。

 3点目、〔3〕についてであるが、WikiLeaks公式ツイッターやYouTubeにアップされた国際会議の映像を見る限りでは、誤りである。公式ツイッターは、日本時間の21日[6]にはアサンジ氏が生きていると公言し、各所へのサイバー攻撃を中止するよう呼びかけている。23日には、関係者が3名死亡していること[7]、亡くなったのがガーヴィン・マクファデン氏(Gavin Macfadyen)であること[8]を主張している。この報道は、わが国では陰謀論と見做されうる内容をも取り扱う『Veterans Today』にも言及されている[9]

 本ブログでは、何度か(佐藤優氏式の)諜報のルールとされるものに言及しているが、WikiLeaks公式ツイッターによるアサンジ氏生存の言明が仮に誤りであるならば、WikiLeaksは「嘘は吐いてはいけない」という諜報のルールに明確に違反したことになる。WikiLeaksに対して生存の証拠が要求されるのは当然の成り行きであるが、WikiLeaks公式ツイッター自身、アサンジ氏の生存を示す証拠として何を要求するかをリサーチしている[10]。『Heavy.com』は、アサンジ氏の生存に疑問を呈する記事の続報として、ソフトウェアの自由に関する国際会議『UMET 2016』の席上でアサンジ氏の音声が公開されたことを前日付(26日)で報じている[11]。アサンジ氏の音声[12]は、当日までに生存しているという証拠を分かりやすく示すものではないが(たとえば、テレビ番組や新聞の1面記事のタイトルに言及する)、少なくとも、『UMET 2016』の席上の人々と電話で話をしているように聞こえる。『UMET 2016』のクリップ[12]のYouTubeユーザのmisssammy8氏のコメントにあるとおり、およそ3:15:00頃から会話が始まる。この映像は、他のユーザのPCでも確認できている[13]。以上の材料は、『二階堂ドットコム』の証拠のない記事よりも情報源に近く、信用しても良いと言えよう。

 4点目、〔4〕については、ナポリターノ氏の冠コーナーの一部[14]がネットにアップされているため、より正確なニュアンスを確認できる。ナポリターノ判事(Judge Andrew Peter Napolitano)は、FOXテレビに冠コーナーを持つ司法解説者である。テレビ番組全体は、後追いできないようであるが、ナポリターノ氏が〔4〕に言及する部分は、複数の映像ファイルから確認できる。ナポリターノ氏は、米民主党のメール流出がロシアのサイバー攻撃ではなくNSAによるものであること、ヒラリー・クリントン氏の大統領就任を妨げるためにハッキングが実行されたことを、元NSAの高官の推測として伝えている。その理由は、高官によれば、クリントン氏が国家機密を口にして関係者の海外活動を危険にさらしたことであるという。ナポリターノ氏の口ぶりでは、WikiLeaksにNSAがデータを提供したことは否定されていないが、WikiLeaksをNSAが主導して米民主党のメールをリークさせているというニュアンスは含まれない。あくまで、従来のWikiLeaksのスタンスに介入しない形で、リークが行われていると理解できる。以上によって、『二階堂ドットコム』の〔4〕に係る主張は、誤りとまでは言えないものの、正確とも言えないことが分かる。『Before Its News』の投稿[15]のタイトルにあるように、「NSAがWikiLeaksにリーク材料を与えている」と見る方が正確である。

 最後に1点目を確認しよう。〔2〕ウイキリークスは解散され、〔3〕アサンジは殺害されているというナポリターノ氏の言葉は、先の番組には見られないが、これは番組の一部に過ぎないであろうから、否定しきることはできない。ただし、これら2点が正確ではないことは、すでに述べたとおりである。それに、ナポリターノ氏がFOXテレビにコーナーを持つといえども、公式ツイッターが否定していることを覆す材料がないのに、その主張を真っ向から否定することもなかろう。わざわざバレる嘘を吐く理由がない。もっとも、この「嘘を吐く理由がない」という消極的な理由は、『二階堂ドットコム』にも該当する。しかし、ナポリターノ氏の公式ツイッター(@Judgenap)にも、公式ブログ[16]にも、〔2〕や〔3〕に係るフレーズは見当たらない。続報も訂正もされていないという意味では、〔2〕〔3〕をナポリターノ氏が明言したとすることは、根拠が薄弱である。それに、ナポリターノ氏は、FOXという共和党側のテレビ局の有名人でもある。WikiLeaksが題材であっても、仮に同氏が嘘を吐いたということになれば、攻撃の材料に利用されない訳がない。


 以上の材料から、上掲1.~4.の言明は、いずれもナポリターノ氏の発言を『二階堂ドットコム』が聞き間違えた結果、提示されたものではないかと推測することができる。『二階堂ドットコム』は、WikiLeaksの公式ツイッターも確認しておらず、故意ではないにせよ、重過失を犯していると言えよう。これを覆す材料は、実際のクリップくらいしかない。これが提示されれば、もちろん、私が間違っていたことになるが、おそらく、今後も訂正されることもないであろう。

 おまけ。リチャード・コシミズ氏も「WikiLeaksの創設者が死亡」[17]と述べている。引用元がスクリーンショットとして提示されるようになっただけ、新ブログのクオリティは、進歩したとは言えよう。通説は、WikiLeaksの創設者をアサンジ氏であると見做している。ここに事実誤認があるかも知れないが、『Before Its News』の検証記事[15]にもあるように、元々事実誤認が広まっていたために、『二階堂ドットコム』にせよコシミズ氏にせよ、容易に間違えたということであろう。



[1] 【投稿メモ】 - 二階堂ドットコム
(2016年10月24日12時04分)
http://www.nikaidou.com/archives/86629

[2] WikiLeaks(@wikileaks)
https://twitter.com/wikileaks/status/787889195507417088


[3] WikiLeaks(@wikileaks)
https://twitter.com/wikileaks/status/788514288315068417


[4] WikiLeaks - The Podesta Emails
https://wikileaks.org/podesta-emails/

[5] WikiLeaks:About - WikiLeaks
https://www.wikileaks.org/wiki/Wikileaks:About#How_does_WikiLeaks_test_document_authenticity.3F


[6] WikiLeaks(@wikileaks)
https://twitter.com/wikileaks/status/789574436219449345/photo/1 

[7] WikiLeaks(@wikileaks)
https://twitter.com/wikileaks/status/790004642038050816
[8]WikiLeaks(@wikileaks)
 https://twitter.com/wikileaks/status/790278989596295170
#日付・時刻は、2016年10月24日04時49分JST(1477252168)。

[9] Updated: Who Killed Gavin MacFadyen? | Veterans Today
(Katherine Frisk、2016年10月24日)
http://www.veteranstoday.com/2016/10/24/updated-who-killed-gavin-macfayden/

[10] WikiLeaks(@wikileaks)
https://twitter.com/wikileaks/status/790406530738913285
[11] Is Julian Assange Missing? Supporters Want Proof of Life | Heavy.com
(Stephanie Dube Dwilson、2016年10月26日15:56 EDT、更新2016年10月26日17:22 EDT)
http://heavy.com/news/2016/10/where-is-julian-assange-missing-wikileaks-proof-of-life-escaped-kidnapped-extradited-alive-dead-what-happened/

[12] CISL2016: UMET 26-10-2016 | Teleconferencia con Julian Assange - YouTube
(CISL 2016、2016年10月26日)
https://www.youtube.com/watch?v=ndUYXZMNlBU

[13] Julian Assange Alive? Teleconference, 26 Oct 2016, Part 1 - YouTube
(Caity Johnstone、2016年10月26日)
https://www.youtube.com/watch?v=0RRYw0uheeY

[14] Judge Napolitano Exposes Hillary Debate Lies! NSA Hacked DNC Not Russia! Trump Knows Truth! - YouTube
(アップロード:ProjectClarity、2016年10月11日)
https://youtu.be/tTWOu_UX7R0?t=112


[15] Confirmed: The NSA Was Feeding Wikileaks | Alternative(By NESARA、2016年10月27日11時18分)
http://beforeitsnews.com/alternative/2016/10/confirmed-the-nsa-was-feeding-wikileaks-3428886.html

[16] www.judgenap.com
http://www.judgenap.com/

[17] Wikileaks創設者、死体で見つかる。死因、不明。 – richardkoshimizu official website
(リチャード・コシミズ、2016年10月24日13時05分)
https://richardkoshimizu.wordpress.com/2016/10/24/wikileaks%e5%89%b5%e8%a8%ad%e8%80%85%e3%80%81%e6%ad%bb%e4%bd%93%e3%81%a7%e8%a6%8b%e3%81%a4%e3%81%8b%e3%82%8b%e3%80%82%e6%ad%bb%e5%9b%a0%e3%80%81%e4%b8%8d%e6%98%8e%e3%80%82/


2016年11月3日訂正


題名を訂正した。また、段落読みを正確に行えるよう言葉を追加した。
  • 新:『二階堂ドットコム』のWikiLeaks設立者死亡の噂を検証する
  • 旧:『二階堂ドットコム』によるWikiLeaks設立者死亡の噂を検証する

2016年10月26日水曜日

ドゥテルテ大統領訪日報道と比国の麻薬対策への言及を「あらたにす」風で確認する(メモ)

 朝日新聞2016年10月26日朝刊4面14版「過激発言のドゥテルテ大統領来日/南シナ海・対米 真意は」(マニラ=鈴木暁子)は、ドゥテルテ比大統領の「売春婦の息子」発言をオバマ米大統領に向けたものとして確定した表現を取る。この表現が誤りである可能性がきわめて高いことは、フィリピン共和国を本拠とする英語報道等により検証済みである(2016年9月16日)。
9月には、この問題に批判的なオバマ米大統領のことを「売春婦の息子」などと呼んで、米国に首脳会談を延期されてしまった。
並びの記事「日米比協力の重要性 共有焦点」(武田肇)は、以下のように麻薬対策と人権問題との関係に対する申入方針を報じている。この記事に言及されていないこととして、中国政府もフィリピン・ミャンマー両国に重点的に経済支援を実施してきたことを挙げるべきであろう。ミャンマーは、中国にとって、陸路によるインド洋への出口となる。中国からの支援と日本からの支援は、フィリピンにおいても、天秤にかけられることになる。その結果は、ミャンマーを見れば良い、ということになろう。もちろん、支援のあり方は、超長期的なものもあり得るから、拙速に評価を下すことは、政治的な波紋を引き起こすことにはなる。同じ記事は、岸田文雄外相が25日夜、ドゥテルテ氏一行を銀座の高級料亭『吉兆』でもてなしたと報じている。
 〔...略...〕外務省幹部は「米国への依存を脱却し、外交の多角化を目指しているのは間違いない」と分析する。〔...略...〕会談では麻薬対策への協力を表明s筒、人権問題への直接的な言及は避ける構え。その代わり、薬物対策への協力の中で人権問題の改善を促す考えだ。
 日本側の念頭にあるのは、ミャンマーへの対応。〔...略...〕

 日本経済新聞1面コラム「春秋」(2016年10月26日朝刊14版)は、「オバマ米大統領をこき下ろし」と評している。大新聞のコラムニストは、いつもディテールを読み間違う幇間であるので、油断ならない。ただ、4日のドゥテルテ氏の発言がオバマ氏に向けられていたという解釈が正しければ、このように評価されてもやむを得ないのかもしれない。

 読売新聞(2016年10月26日朝刊14版国際面7面)「米比改善へ仲介探る/ドゥテルテ氏来日/首相、米軍の意義伝達へ」(マニラ 向井ゆう子、池田慶太)は、10月内の発言をまとめているが、9月中の発言には言及していない。一部を以下に引用するが、それぞれを正しく報じているかの検証は、省略したい。この記事の図中には、中国政府による「240億ドルの経済支援」とフィリピン産バナナの輸入制限撤廃が明記されている。蛇足になるが、1面は『吉兆』における会食開始前の様子がカラー写真で示されている。
  •  対米関係
    • (米軍が)我々のためにやってくれているのは知っているが、多くの問題も生んでいる(10月24日)
    • 米国からの決別を宣言する。米国は軍事面でも経済面でも(フィリピンとのつながりを)失った(20日)
    • →釈明 外交政策の「決別」だ。(米国との)関係維持が国民にとって最善の利益(21日)
    • (オバマ大統領は)地獄に落ちろ(4日)

論評

三紙とも、麻薬対策の論評を控え、経済支援を行い、米国政府との仲介を企図するという日本政府の方針を伝えてはいる。経済支援については、三紙とも、部分的には中国政府との「支援合戦」を伝えるものの、南シナ海におけるフィリピンと中国の対立を強調するように読める(論拠は省略)。経済支援するにせよ、その見込み額がいくらで、中国政府による支援額が240億ドルであるという話は、朝日・日経には示されていない。日本政府の方針を伝えるだけでは、国際記事は役に立たない。この点、意図が奈辺にあるにせよ、読売新聞は、中国との関係を前提に記事を構成していると判定できる。

 三紙とも、麻薬対策に限らず、両国関係にとってプラスになる具体的な提言が見られない。このような提言が社説やコラムの守備範囲であるにしても、朝日・日経の社説の海外ネタは、南スーダンPKOである。「春秋」は、ドゥテルテ大統領訪日を取り扱う唯一の論説記事であるが、雰囲気としてはダメダメである。今後の日比外交において麻薬対策へのわが国の貢献がいかなるものになり得るかをオシントにより考察することは、自らの力によるほかなかろう。


平成28年10月26日21時28分追記


 『NHKニュース9』は、少人数会合はマスコミ禁止であったために分かりかねるとしながらも、麻薬対策には言及しなかったことを伝えている。この事実だけを見れば、第三次安倍政権の風向きが変わったものと考えることもできるが、同政権が一手先までなら見通せる存在であると仮定すると、このNHKの報道は、依然としてわが国が開発独裁型であるという状態を示唆するものとなる。今回、フィリピン共和国の麻薬対策に言及しないことは、人権を掲げる米オバマ政権を苛立たせると同時に、人権を抑圧する日本の現状を比政府側から逆に指摘されることを防ぐことになる。この位の手管は、帝国主義的な現今、許容されようが、それは、国民の安全を第一に据えてこそである。


平成28年10月27日深夜追記


 読売新聞2016年10月26日夕刊4版1面「比の麻薬更正策 支援/首相、大統領に午後表明」は、中国側が20日に「リハビリ施設建設などに1500万ドル」の支援を提示したと報じている。ネット上で誰かが「半分中抜きする者たちがいるので、4倍プッシュしないと、日本はフィリピンから感謝されない」旨を述べていた記憶があるが、どうしても見つけられない。ただ、『スプートニク』は、共同通信の報道として「もし証拠があるならば、訴えを出しに行ってください。私は自国のために刑務所で朽ち果てることができる」とドゥテルテ氏が26日に述べたと伝えている。とすれば、ドゥテルテ氏がカウンターパートのトップにいる限り、同額以上を支援すれば、同等以上に感謝される見込みは十分にあろう。

 なお、私がここで無謀とも思える支援額に言及するのは、福島第一原発事故の影響後の日本の生き残り策の一環になり得ると見てのことである。無い袖は振れないとなる前に、借款という形ではなく近隣諸国に実質的な資産を移転することは、リスクヘッジになるからである。なお、インフラ整備をフィリピン国内で実施することは、技術移転にもなれば英語を話す土木系人材の即戦力養成にも繋がるであろう(が、この種の技術交流は、ODA等を通じて、かなりの程度進んでいるように仄聞する)。

フィリピン大統領、自国のために「刑務所で朽ち果てる」用意があるー共同通信
(記名なし、2016年10月26日08:09)
https://jp.sputniknews.com/politics/201610262943187/



平成28年10月27日23時追記

10月27日日本経済新聞朝刊1面14版「日・フィリピン首脳会談/南シナ海 平和解決で一致/ドゥテルテ氏「法の支配重要」」は、骨子として、「日本が大型巡視船2隻を供与し、海上自衛隊の練習機「TC90」を貸与すると確認」「農業支援への約50億円の円借款や首都圏や地方都市でのインフラ整備の支援を伝達」を挙げているが、どれだけケチなのか、というのが第一印象である。2兆5000億円対50億円である。しかも先に虞を示したように、円借款である。思い切ったことができないのが官僚の習性であるが、この習性を御し切れていないことが示されている点、わが国政府の風向きは変化していないと判断することもできよう。

(メモ)TPPには大麻取締法の明記がないが大麻製品の関税は撤廃される

 本日(2016年10月25日)の厚生労働省麻薬取締部による有名人らの現行犯逮捕に係る報道は、TPP成立後であれば、生じるものではなかったかも知れない。この種の事件は、わが国における大麻の大幅な規制緩和を仕掛ける目的にも、規制を訴える目的にも、両方の目的に利用されるものとなり得る。日本国に係るTPP10章の附属書[1a, 2a, 1b, 2b]に、大麻取締法の名が具体的に挙げられている訳ではない。TPP成立を睨み、いわゆるISDS条項を盾に、大麻の栽培・製造・販売に係る規制緩和を実現するために、不当逮捕であるという主張が提起される可能性がある。

 なお、続報では、使用者の一人が使用を認めたと報じられているが、逮捕された有名人は認めていないともいう。現時点でマスメディアが競い合い、報道の洪水を起こすことは、有罪であるかのような印象を視聴者に与え、後戻りのできない風評被害を容疑者に対してもたらすことになる。即断は慎まなければならない。この点を考慮して、現時点ではマスメディアへのリンクを張らない。また、現時点の本ブログの影響力は極小化されているので、本記事の公開が被疑者への現時点における中傷に荷担するということもないと判断する。本記事における私の批判の矛先は、もっぱら、TPPに係る重要論点を報道しない、マスメディア報道のみに対して向けられている。

 この事件がロドリゴ・デゥテルテ比大統領の訪問日に報道されたことは、逮捕日がいつであるのか明確に示されていないという点から見ても、示唆的である。わが国においては大麻も許さない、という厳罰姿勢を示して友好性を強調するという側面も、否定しきることはできないであろう。我ながら、いつもの考え過ぎであるようにも思えるが。

 容疑者が無罪であると判明した場合、本件報道は、大麻の大幅な規制緩和の論拠のひとつに利用されるであろう。安全性に対して取締りが過重であり過ぎたために、今回の誤認逮捕が生じた、というロジックが利用される可能性が認められるのである。大麻の危険性または安全性については、今回も立ち入らないが、メディア上のイメージ操作が本件報道を通じて行われるという点については、指摘しておく。

 なお、TPPの「譲許表」[4a, 4b]つまり関税撤廃リストには、大麻草自身や大麻由来の製品がいくつか含まれるが、吸引用と認められる物も含め、全製品の関税が撤廃される。従来から「無税」の枠に含まれるものもリストに含まれている。このリスト入りの理由は、私には調べ切れていない。つまり、輸入が禁止されていたためであるのか、元々関税がないためであるのかの区別は、まだ付いていない。

[1a] Annex I Japan (英文、Chapter 10, Annex I Cross-Border Trade in Services and Investment Non-Conforming Measures, Party-specific Annexes)
 (作成2016年01月20日10:35:42)
http://www.mfat.govt.nz/downloads/trade-agreement/transpacific/TPP-text/Annex%20I.%20Japan.pdf

[1b] Ⅰ.附属書Ⅰ 投資・サービスに関する留保(現在留保)(日本国の表)【PDF:559KB】
(作成2016年03月08日19:43:51、変更2016年03月09日00:34:34)
http://www.cas.go.jp/jp/tpp/naiyou/pdf/text_yakubun/160308_yakubun_annex01-2.pdf

[2a] Annex-II.-Japan.pdf(英文、Chapter 10, Annex II Cross-Border Trade in Services and Investment Non-Conforming Measures)
(作成2016年01月20日10:35:42)
https://www.mfat.govt.nz/assets/_securedfiles/Trans-Pacific-Partnership/Annexes/Annex-II.-Japan.pdf

[2b] Ⅱ.附属書Ⅱ 投資・サービスに関する留保(包括的留保)(日本国の表)【PDF:388KB】
(作成2016年03月08日19:45、変更2016年03月09日00:43)
http://www.cas.go.jp/jp/tpp/naiyou/pdf/text_yakubun/160308_yakubun_annex02-2.pdf


[3] 大麻取締法
(昭和23年7月10日法律第124号、最終改正:平成11年12月22日法律第160号)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO124.html

[4a] 2-D: Japan Tariff Elimination Schedule (英文、Chapter 2, Annex 2-D: Tariff Elimination, Party-specific Annexes)
(2016年01月27日18:58:43)
http://www.mfat.govt.nz/downloads/trade-agreement/transpacific/TPP-text/2-D.%20Japan%20Tariff%20Elimination%20Schedule.pdf

[4b] ・附属書2-D(日本国の関税率表:譲許表)【PDF:10,188KB】(和文)
(作成2016年03月08日19:00:25、変更2016年03月08日23:39:30)
http://www.cas.go.jp/jp/tpp/naiyou/pdf/text_yakubun/160308_yakubun_02-3.pdf

2016年10月25日火曜日

(メモ)ブログ説明文の変更とレイアウト

 ブログ開設以来の説明文を短いものに変更した。モバイル端末対応を考慮したためである。モバイル端末対応を考慮するに至ったきっかけは、AMPへの対応が呼びかけられた[1]頃と同時期に、本ブログのインデックス登録数が急落するという状態が生じたことである※1。いずれにしても、モバイル対応すべきではあろうと考えていたので、これを好機と考え、デザイン上の改善を図った次第である。なお、AMPとは、「モバイル端末でウェブページを高速表示するためのプロジェクト、またはそのためのフレームワーク(AMP HTML)」[2]である。

 ただ、説明文を変更しても、本ブログがモバイル端末向けであるとは言えない。私の文章は、iPhoneの画面の横幅では非常に読みにくい。一つの文章が長いためである。トピックセンテンス(主題文)の多くが複文であることも問題である。ただ、主題文の複雑さは、扱う話題ゆえのことでもある。約40文字の幅で文章作成していることも、文章の長さに影響していよう。

 作業に併せて、タイトルのCSSを変更した。タイトルの空隙が多くなったためである。タイトルの空隙は、次の作業で縮めることができる。『Blogger』のダッシュボードから、
  1. 「テンプレート」メニュー(▽ボタンから)
  2. 「カスタマイズ」ボタン
  3. 「上級者向け」メニュー
  4. 「CSSを追加」メニュー
を順に選択して、CSSを記述する。私の場合、3つの記事[3, 4, 5]を参照して、次のコードを記入した。

.titlewrapper {
position: relative;
height: 1em;
}
.descriptionwrapper {
position: relative;
height: 1em;
}
.Header h1 {
top: -0.25em;
font-size: 400%;
}


 最後に、当初の説明文を引用しておく。説明文には、変更履歴がないので、いつ変更したのかが分からなくなる。自身による履歴を記憶できない性質なので、記事に併記しておくことにした。
専門の計量犯罪学的な手法に係る話をかなり適当に記します。日本社会が大きく変わろうとしている現在、専門外の事柄にもふれないわけにいきませんので、勉強がてら、メモを取ります。役に立つ程度まで仕上げた統計ソフトウェアR用のスクリプトもあります。
文章は、大体パラグラフリーディング(段落読み)ができます。段落の最初の文だけ追って読めば、大要がつかめます。

※1 ただし、インデックス登録数の急落の原因は特定できていない。ググってみると、いろいろな要因が考えられるとのことであり、ほかに思い当たる作業がない訳ではない。

[1] AMPとは | A~Z [SEO HACKS]
http://www.seohacks.net/basic/terms/amp/

[2] Google ウェブマスター向け公式ブログ: AMP について #AMPlify キャンペーン スタート!
(2016年9月13日)
https://webmaster-ja.googleblog.com/2016/09/what-is-amp.html

[3] Repositioning Blogger Title and Description | Southern Speakers v3.0
(Yoga、2010年12月11日)
http://www.southernspeakers.net/2010/12/repositioning-blogger-title-and.html

[4] Reducing The Header Size in Blogger – John Pile Jr
(John Pile Jr、2013年01月20日)
http://prof.johnpile.com/2013/01/20/reducing-the-header-size-in-blogger/

[5] Bloggerの本文見出しをカスタマイズする - デジタル小噺
http://ryoh1212.blogspot.jp/2012/10/blogger.html
2012年10月15日

2016年10月24日月曜日

続・不正選挙に係る落ち穂拾い

調査設計の重要性と選択バイアス

サンプリングの不味さから生じる選択バイアスは、予測を大きく外すことになる主要な原因である。選挙予測に係る選択バイアスの有名な事例は、リテラリー・ダイジェスト社による、1936年アメリカ大統領選挙の予測が挙げられる。この失敗とは対照的に、ルーズヴェルト大統領の当選予測により、ギャラップ社は躍進した※1(と日本語では見做されている)。この教訓が世に知られているはずの今でも、多くの選挙予測(めいたもの)が選択バイアスを軽視していることは、前稿(2016年9月30日)で触れたとおりである。

 調査に先立ち問題の構造化が大切であるという理解は、決定的に重要である。別記事で紹介した(2016年10月14日)林知己夫氏の『調査の科学 社会調査の考え方と方法』(1984年)や『計量行動学序説』(1993年)、丹後俊郎氏の『統計学のセンス』(1998年)は、この作業の大切さを指摘している。イアン・ハッキング氏は、統計学的手法を利用する場面の全体を、「モデリング」とこれに引き続く「データ分析」に二分して、前者の重要性を指摘している。ハッキング氏の理解は、林知己夫氏による非標本誤差の説明を加味することにより
  1. モデリングの段階では、非標本誤差をデータ分析に乗る状態に留めること
  2. 後のデータ分析の過程では、非標本誤差は前提条件となるので、これをふまえた考察を行うこと
と理解できるようになる※2

 非標本誤差の存在は、統計学を多少は理解しつつも、主題とする専門分野に詳しい研究者の必要性を明らかにする。同時に、統計学者もまた、それらの専門分野に存在するはずの非標本誤差を良く理解して、専門的な見地から非統計学者の統計学の誤用を気兼ねなく検討すべきである。つまり、自由に物を言える環境が必要である。このとき、非統計学者が統計学的手法を誤るにしても、古典的な方法を使い続けているなどの統計学上の誤りを犯す方が、非標本誤差を無視することに比べれば、統計学者から見れば、許容されるべき誤りかも知れない。その反面、非標本誤差の見落としは、その専門領域に即してとらえなければならない分※3、厄介であろう。

選挙関連調査に係る非標本誤差と選挙報道の責任

選挙の事前に行われる情勢調査は、読者の投票行動を通じて、選挙結果にも影響するため、その結果を分析するにあたっては、この影響まで見据えた慎重な表現が必要とされる。本番前の選挙予測に対しては、多くの現象が発見・命名されており、選挙報道に対する批判にも、それら研究由来の概念が利用されている。この成果を利用すれば、悪事すら企図できよう。例えば、勝ちそうな候補に便乗するというバンドワゴン効果は、勝たせたい候補が多く含まれるように調査を行うことにより、勝たせたい候補に有利な結果を示すという形で利用できる(2016年9月30日)。もちろん、調査方法まで確認する慎重な読者ならば、調査主体による誤魔化しを一目で見抜くことができるが、ここまで調べるマスメディアの読者は、それほど多くはない。これは、選択バイアス、つまり、調査設計に不備があるために生じた系統誤差(非標本誤差の一種)を悪用した方法である。

 出口調査は、当該の選挙に対して何らかの動きを与える訳ではないが、それでも、注意深く分析される必要がある。選挙予測と同様、調査方法をふまえて解釈されない限り、次回や将来に向けての禍根を残す結論を導く虞がある(2016年7月11日)ためである。また、ある政党の支持候補がその政党の支持者によって指示されなかったと報じることは、その政党内部に対立をもたらし得る。2016年8月1日の読売新聞の出口調査は、共産党や公明党といった「熱心な」政党の支持者までもが小池氏に投票したことを伝えたが、この報道は、「犯人探し」をこれらの組織票を抱える政党に対してけしかけるものである。これらの理由から、出口調査もまた、非標本誤差やその他の影響について、注意深い検討を加えられる必要がある。

 そもそも、マスメディアの読者は、当該分野を十分に知る多数のプロフェッショナルによって、的確に要約された情報を期待して、マスメディア情報を購買していると考えられる。これに対して、非標本誤差を考慮せずにマスメディアが選挙報道を垂れ流すことは、ほとんど企業犯罪・権力犯罪である。例としては、CNNの杜撰な調査を日本語マスコミが出典を省略して引用したことが挙げられる(2016年9月30日)。読者は、原典に当たらなければ、クリントン氏が大優勢と誤認したであろう。

 マスコミが非標本誤差を悪用して生じさせた誤解を詳しく分析することは、統計学を利用する個別の研究分野である犯罪学の知見に、一つの事例を積み上げることになろう。新古典派の犯罪学の根幹をなす日常行動理論(routine activity theory)から見ると、犯罪企図者であるマスメディアによる虚報や誤報は、潜在的な被害の対象となる読者・視聴者のリテラシーや、そのリテラシーを左右する学識経験者等により、軽減可能である。学識経験者等、マスコミに関わりの薄い人物の解説は、日常行動理論にいう「有能な保護者(capable guardians)」となり得る。この最後の要因は、読者からの信頼を必要とするものであり、これらの人物による介入は、総じて、新聞やテレビという虚報を流す当のメディアには掲載されないか、されたとしても陰謀論として根拠なしにラベルを張られるという構造が認められる。このため、マスコミによる誤報の被害の予防には、被害者たり得る読者・視聴者のリテラシーが第一に重要となる。日常行動理論の構図こそ当てはまるものの、その予防・抑止は、わが国のように、マスコミが寡占状態にある中では、なかなか難しいというのが実情である。

選挙結果そのものの公正性への疑問


 選挙結果そのものに対しても、選挙開票・読取機器を通じた不正の虞を見出すことが可能である。本点は、犯罪の予防という観点から見ると、一民間企業が外部の検証を入れずに旧来の技術を利用し続けており、ほかの方法による副次的な検証も見られないことから、十分に疑惑を持たれる状態にある。また、立会人の映像撮影が不許可であったり、開票所の一般人の立会い場所からの映像が結果全体と明らかに異なる傾向を示すという実例もある。複数の調査と投票結果との不整合は、本ブログで示してきたとおりである。

 公職選挙は、効率性ではなく、公正性を追求すべき公務である。投票箱の南京錠の交換費や人件費を含め、公職選挙に係る資機材に対しては、より正当な費用が支弁されるべきである。また、選挙開票・読取機器を抜き打ち検査する第三者機関が存在して然るべきであるし、開票作業に係るトランザクションは、すべて後世の検証に耐えられるように整備されていて当然である。しかし、これらの規範的観点に基づく技術上の指摘は、さしたる理由によらずに陰謀論と誹謗されることさえある。

 不正選挙という概念は、2016年アメリカ大統領選においても大きな話題となっているが、この話題に対するとらえ方は様々である。先に紹介した選挙予測の老舗となったギャラップ社は、近年の選挙に対する18歳以上のアメリカ居住者に対する電話調査を実施しており、およそ6割が開票結果を信頼していると回答したことを報告している[1]。選挙の内実はどうあれ、脆弱性がある限り犯罪の虞があると考えることは、犯罪予防政策の基本である。それゆえ、この脆弱性が悪用される可能性を追求し、既存の選挙に対してもその危険性をゼロではないと認めることは、民主主義の根幹を保護するために必要な作業である。

 ところで、本記事の執筆にあたり、賛否両論ある話題について資料を収集し提示する『ProCon.org』において、電子投票機器に対する賛否がまとめられている[2]ことに、遅まきながら気が付いた。相当な人数の論者の論点がまとめられている。私も述べたが「プロプライエタリな機器を信頼することはナンセンス」という話は、(私自身は新規性を主張していなかったとはいえ)Nathaniel Polish博士の言(『Forbes』2012年11月6日号)として紹介されている※4。なお、同サイトにおいて、私の意見は、星一つで評価されることになると申し添えておく。

 実は、本ブログでは、『WikiLeaks』ならびにそこに示される流出書類は、扱いきれないものと考え、このサイトにはメタにしか言及してこなかった。公開の方法・時期に、手続き上のリソースや労力を超える程度の作為が認められると判断したためである。分かりやすい最近の事例でいえば、最初がパナマで、次は英連邦の一員であるバハマというところに、あまり感心できないものを感じてきた。現在のシリアにおける戦争やアメリカにおける政争はやるかやられるかという状態にあり、戦争屋が相当のルール違反をしていることも周知の事実である。ヒラリー・クリントン氏の陣営に対抗する側が合目的的に振る舞うことは、許容されて然るべきであろう。ただ、このとき、『WikiLeaks』に公開された米国公電を大々的に利用して、日本人である私が何らかの知識を日本語で産出することは、善と呼べることであろうか、という問題意識からどうしても脱却できないのである。

 『thegatewaypundit.com』というサイトに掲載された記事[4]は、『WikiLeaks』に掲載されていた元の公電[5]を都合良く解釈するものであり、誤報と呼べるレベルのものであるが、この一方で、公電は良く整理されていて、この件についての知識の宝庫と呼べる。しかし、この電子投票機器に係る総合的な知識は、元々、人類の共有財産と呼べるものであろうか。無法な戦争屋が相手といえども、この知識の利用は、2031年まで待つべきではなかったか、と思えて仕方がないのである。他面、JFK暗殺の事実が通常のルールを超えて2030年にしか開示されないことに、私は大いに疑義を呈する。オバマ大統領がこの経緯や9.11に係る経緯を全面的に開示するのであれば、最後の大仕事となろう。もし実現されるとすれば、賛辞を送りたい。とにかく、『WikiLeaks』については、当面、メタにしか触れないようにしたいと考えている。


※1 この事例自体については、別記事において述べた悪意ある構図(2016年08月19日)とまでは言えないが、留意すべき事項が存在する。

※2 過去に、この部分に係る批評で、ハッキング氏の分類に対しての異議申立てを読んだ記憶がある。『偶然を飼いならす』以後のハッキング氏の訳書についての書評であると思うが、それ以上の材料が残っていない。

※3 「犯罪の件数」を論じる際に最も注意すべき非標本誤差は、犯罪認知件数が警察の認知した件数を指し、暗数を含まないこと、というものである。この理解を無視した研究は、いくら上等な手法を用いていても、大目に見ることができないものである。

※4 同サイトにおいて利用されている理論的専門性ランキング(Theoretical Expertise Rankings、星1~5つによる評価)[3]は、8割合っていれば良いという観点で作成されたシステムであるとのことだが、単に論者をいくつかのカテゴリに分類すれば良かったのではないかとも考える。(カテゴライズする利便性は認められても、序数化する必然性がない。)電子投票機器に対する同一の非検証性は、Voters UniteやVerified Voting Foundationといった団体(advocates)によっても指摘されているが、『ProCon.org』は、これらの団体に星一つを付している。同サイトの運営法人もNPOである以上、星一つなのではという疑問もあるが、それは措こう。有用なサイトであることは間違いなさそうであるためである。

 専門性が犠牲にされても私益が優先される社会においては、専門性は意見の評価に役に立たない。また、意見の部分的な引用は、コンテクスト全体の見通しを悪くする(これは上掲サイトに評価方法の瑕疵として取り上げられていた)。発言状況は、多少補足されているが、各人の専門分野・利害関係が併せて提示されていない。提示された意見を評価するには、同サイトを入口として、本人の言動をもう少し把握する必要があると言えよう。


[1] About Six in 10 Confident in Accuracy of U.S. Vote Count | Gallup
(Justin McCarthy、2016年9月9日)
(http://www.gallup.com/poll/195371/six-confident-accuracy-vote-count.aspx)

[2] Do Electronic Voting Machines Improve the Voting Process? - Voting Machines - ProCon.org
(2013年2月8日11:24 PST)

http://votingmachines.procon.org/view.answers.php?questionID=1290

[3] Theoretical Expertise - Voting Machines - ProCon.org
http://votingmachines.procon.org/credibility-ranking.php


[4] Wikileaks: Soros-Linked Voting Machines Now Used in 16 States Rigged 2004 Venezuela Elections
(Jim Hoft、2016年10月22日08:43)
http://www.thegatewaypundit.com/2016/10/wikileaks-soros-linked-voting-machines-now-used-16-states-rigged-2004-venezuela-elections/

[5] Cable: 06CARACAS2063_a
(2006年07月10日)
https://wikileaks.org/plusd/cables/06CARACAS2063_a.html

以下、リンクはいずれもNDL-OPACへのもの。
 林知己夫, (1984). 『調査の科学 社会調査の考え方と方法』(講談社ブルーバックス), 東京:講談社.
 林知己夫, (1993). 『行動計量学序説』(行動計量学シリーズ1), 東京:朝倉書店.
 丹後俊郎, (1998).『統計学のセンス デザインする視点・データを見る目』, 東京:朝倉書店.

イアン・ハッキング氏の論文は、次のもの。
Haking, I., (1984). Historical Models for Justice: What is Probably the Best Jury System?, Epistemologia VII,  pp.191-212.

2016年10月23日日曜日

(メモ・補足)孫崎享氏の読売新聞7月24日情勢調査に対する理解と「次はユリコね」ツイートについて


#以下は、平成28年7月31日執行東京都知事選挙に関する落ち穂拾いである。東京10区補選は、本記事に関連しないとも言えないから、大事を取って、20時に公表するよう設定した。

 読売新聞7月24日情勢調査に何らかの意味を見出そうとする見解は、まったくない訳ではない。たとえば、孫崎享氏は、2016年7月24日に次のツイートを発信している。ただし、同氏のツイートは、この時点では、「鉛筆を舐める」すなわち「何らかの意図を以て調整した」数字であることを指摘するものに留まる。孫崎氏が次に都知事選について発信したツイートは、一部で有名になった投票日前日の「次はユリコね」ツイートである。



 孫崎氏の「次はユリコね」ツイートに対して、私は、複数の読み方が可能であることを指摘した(リンク)が、『謎の真相ブログ』(リンク;記事表示はJavaScriptオンが必要)と題するブログによって、このたび、他の読みが許されることに気付かされた。このブログ主は、不正選挙を企図する勢力が増田寛也氏の当選を目論んでおり、小池百合子氏を牽制するために孫崎氏を用いて「次はユリコね」と言わしめたというのである。「次はユリコね」という発言は、確かにこのブログ主の見方を包含しうる。同ブログの関係する部分を末尾に引用する。

 『謎の真相』ブログに接して、私は、「次はユリコね」ツイートの解釈の幅が自分の思う以上に広いものとなり得ていたことを思い知らされた。孫崎氏のツイートに対して私が試みた限りの多義的な解釈は、今でも、私の挙げた内容すべてが該当するとは思うものの、少なくとも、より多義的な解釈が可能であったという訳である。分析能力の涵養という観点からは、大変に反省すべきことである。これは、今のところ、自らの分析能力の未熟が原因としか言いようがない。先の記事は、事の真偽を問うたものではない。それゆえに、考え方を見落としがあったことは、私の想像力不足ということになる。

 確かに、小池氏を応援していた者で、かつ、不正選挙なる事象があり得ると考える者にとって、不正がほかの候補によって行われることは、具体的な危険であった。「それまでの都知事選の勝者に親しい者が不正の権利を手にしている」という仮定を置けば、自民党の公認を得た増田氏に不正選挙を実行するだけの勢力が関与していたとみることも可能ではあった。また、選挙結果にかかわらず、不正が行われていたと考えることも可能ではあった。投票用紙読取分類機を悪用した勢力は落選候補に与していたが、不正の力及ばず落選したという見方である。

 ただ、こうして考え方を広げてみると、鳥越氏の支援者が投票機器に係る不正に関与し得たとする議論は、『謎の真相』ブログ氏によっても、見られないということに気付く。何を以て選挙を不正と指弾するのかという話には、国にもよるが、選挙区の区割りと一票の格差、選挙人・被選挙人となる資格と識字能力、投票所の設営場所や開場期間や本人確認の方法、選挙に要する資金と会計といった、選挙の仕組みならびにその派生事項(行政面)、伝統的な得票者の買収や抱き込み、公職選挙法による規制、司法機関の関与と態度といった司法面に係る事項(司法面)、マスコミの関与と偏向報道(報道面)、といった要素を列挙することができる。ここ数年内、わが国において、不正選挙の語は、投票用紙読取分類機と集計システムという機器システムに向けられてきた。私も、不正選挙の語をこの機器に係るものとして利用している。この機器の悪用の余地が(当時の最先端の学識に照らして、つまり、特許等の知的財産権を認める際の審査のような)真剣さを以て検討された形跡がないから、また、開票結果に最も大きな影響を与えうるからである。とはいえ、開票所に自力で到達困難な高齢者を介助して期日前投票させるといった活動や、グループで順番に投票して投票結果をグループについて確実なものとするという工作や、地方選の前に投票権を持てるように大挙して移住するという荒技もまた、不正と呼びうる内実を有し得る。いずれも、詳細次第では、アウトにもセーフにもなる内容を含む組織的行動である。これらの個人を基礎とする組織的投票行動は、鳥越氏の支持政党にも見られた実績のある行動である(7月の都知事選についても実施されたか否かは、分かりかねる)。いずれにしても、ここに挙げたセーフ・アウトの難しい行動が不正選挙ではないかという申立ては、ウェブ上で大きく取り上げられることはなかったようである。まして、鳥越氏を指示する政党によって開票機器システムにおける不正選挙が行われたとする指摘は、見当たらないのである。


 技術は中立であるから、どの陣営によっても悪用される余地がある。しかしながら、投票機器の企業は、決して無主物ではないのであるから、今のところは、一人か複数かの人間に意思決定の大部分を負うはずである。このため、機器にバックドアを設けるか否か、その仕組みをどこまで共有するか、どの選挙を所掌する組織に販売するよう営業をかけるか、入札にあたりどこまでダンピングするか、などの多くの企業経営上の決定は、通常、経営陣に多くを負っているはずである。これらの人物がどの候補と何次のコネクションを有するのか、そのコネクションの深さは、と問うていくと、なかなか興味深い結果を引き起こす。


 2016年アメリカ大統領選挙では、二大候補の支持者の両方ともから、不正選挙の危険性が指摘されている。アメリカ大統領選挙における選挙機器の不正に対する批判は、常に、利益を伴う人間関係が指摘され批判されるという構図で共通する。選挙機器を取扱う企業そのものが片方の陣営に資金援助するという構図は、明白な不正である。しかし、このような形でなくとも、選挙機器企業の経営者が、ある陣営の金主の企業に経営者として迎えられていたという事実のように、間接的であっても十分に問題視できる構図は存在する。昔のことであっても、経営者として獲得した報酬額が莫大なものである限り、不正が行われなかったと見ることは、到底不可能である。

 孫崎氏のツイートにどれほどの多様な読みが許されようとも、外形的な事実を詰めていけば、不正が行われたか否か、行われたとすればいかなる構図によるものかは、おおよそ明らかになろう。このとき、『謎の真相』ブログが正しいか否か、私が正しいか否かのそれぞれも、ある程度の確信に基づいて述べることが可能になろう。孫崎氏のツイートの真意は、期日前投票期間中でもあったという事情もあるために、相当の反応を引き起こしたが、このことも含め、明らかになる日が来るかも知れない。





#なお、以下に紹介する『謎の真相ブログ』は、fc2.comのJavaScriptをオンにしないと記事が表示されないようになっている。また、引用部分では、二行分の改行を一行分に直している。

謎の真相ブログはピンポイントで通信妨害を受けています-Docomoオペレーターが認める - 謎の真相
2016年08月05日02:59
http://asvaghosa.blog.fc2.com/blog-entry-355.html
今回の都知事選にした所で、今話題の小池と親しい丸川が党の命令であそこまで小池を叩き増田をヨイショしていたことからもわかる様、「増田不正選挙当選」はガチガチの確定事項だったわけである。
もし、「次はユリコね」ということならば、増田ヨイショはさておき、あれ程の都連の側に立った小池叩きは明らかに余計なはずである。
それを見破って釘を刺す《作業》抜きには小池の当選は断じてなかっただろう。



党本部マター発言の闇の深さ-《次はユリコね》-←すぐに引っ掛かる思慮浅薄な低脳どもよ、少しは行動を起こしてみろ。行動を起こせば色んなことが見えてくる - 謎の真相
(2016年08月08日03:52)
http://asvaghosa.blog.fc2.com/blog-entry-356.html

党本部マター発言の闇の深さ-《次はユリコね》-←すぐに引っ掛かる思慮浅薄な低脳どもよ、少しは行動を起こしてみろ。行動を起こせば色んなことが見えてくる



2016都知事選不正選挙、現在進行中。増田当選がおかしくないことを今から《埋め合わす》読売新聞の創作記事 - 謎の真相
2016年07月25日05:20
http://asvaghosa.blog.fc2.com/blog-entry-349.html

しかし、今回の都知事選で裏社会の不正工作によって、勝たせる予定の候補者は、ムサシ&パソナの自民党の公認候補で内田茂が仕切る自民党東京都連推薦の増田ひろやなのである。
さあ、これは困った……
街頭演説の様子でこんな差が露呈してしまっては…
つまり、こうなると作戦は、投票日一週間前において、こんな世論調査の結果が出てたのだという、時計を遡った不正選挙のアリバイ作りである。だから、増田が当選しても何ら不思議はなかったんだと……
それが、この読売CIA新聞の創作記事だ↓

小池・増田氏競り合い、鳥越氏が追う…都知事選
2016年07月24日06時00分

2016年10月21日金曜日

機動隊員の暴言は警察官としての自覚の欠如を示す権力犯罪である

 危険と相対する可能性のある職業人には絶えざる訓練が必須である。個々人が反射的に危険に対応し、さらなる危機の発生を抑止するためである。これらは、私が指摘するまでもない常識である。ただ、次の主張に係る論拠を積み上げるためには、どうしても必要な前振りである。

 米軍と政府に対する沖縄県民の不信が決定的に上昇し、辺野古に県外警察の機動隊が大規模に投入されてから、一年が経過しようと[1]している折に、大阪府警察の警察官による暴言[2]が目取真俊氏により撮影[3]、公開されるとともに、警察官が抗議人を外国人呼ばわりする別の映像[4]も公開された。二本の映像において認められる警察官たちの暴言に、擁護すべき点は何もない。たとえ事実の摘示であっても、いずれの暴言も、あの状況下においては犯罪となる。公式の処分を受けるか否かは置くとしても、これらの暴言は、権力による犯罪の一種である。

 暴言を吐いた個人たちは、警察官としての自覚を明らかに欠いていた。これらの個人の言動や思想を警察全体に敷衍することは、論理上、明白な誤りであるが、政治的なレトリックとしては大変有効である。このとき、2名の警察官たちに、組織を代表する人物の一人であるという自覚があれば、これらの暴言がマスメディアを通じて取り扱われ、現地の警察活動がたとえ適正であったとしても、これらの活動全体を窮地に追い込むことになる、という予想も付いたかもしれない。暴言を口にすることが愛国的な態度ではないことは、順序立てて考察すれば、ごく一部を除いた警察官には理解できるはずである。

 同僚の中に暴言の中身そのものには賛同する者がいるであろうという事実は、問題を起こした個人の組織上の処分を困難なものとする。国際関係をリアリズムでとらえる者が、沖縄を巡る現況に外国の関与の可能性を認めること自体は、何の問題もない。とはいえ、一国の関与を名指しして公言するとは、国際関係を論じるにはナイーブな限りである。一国の中にも多様な考え方が存在することを理解し、第三の存在の関与がないものかを警戒すべきである。具体的には、戦争屋につながる利害関係を辿ることが必要である。そして、責任を追求されるべき存在は、国ではなく個人に求められるものと理解することが肝要である。今後の警察において、名指しされた外国の意向までをも見据えた組織上の対処が必要となることは、おそらく、暴言の当人には理解されていなかったことであろう。

 不幸中の幸いは、二点ある。

 一点目は、沖縄の声を代弁する新聞記事[5]が、本件を沖縄と本土の問題に限定する見方を提示したことである。現時点の差別構造を琉球処分と同列に見立てることは、問題の構造を、本土と沖縄との二項対立により表現するものとなる。この理解の枠組は、問題の根本的な解決に立ち入ることなく、当座の局所的な解決(ピースミール・エンジニアリング)を可能とする。私は、あと数ヶ月の間、この見方を通用させることに対しては、賛成する。その間には世界の方向性も見定まるであろうから、その方向性をふまえて、沖縄と本土との関係を、誰もが対等に思えるように変えていかなければならない。

 二点目は、現場のひとつで、居合わせた警察官が当人に自制を求めていたこと[4]である。この点は、良識ある警察官がゼロではないことを視聴者に示すものではある。結果として暴言自体を抑止できなかったことは確かでもあるし、警察官が取調べにおいて役割分担を行う状況に喩えられなくもない。それでも、現場において警察官による働きかけが撮影されていたことは、最悪の状態ではないことを図らずも示す材料である。

 警察官が同僚を強く制止できなかったことは、冒頭に述べた訓練の重要性を明らかにする。先に説明した理路によって、暴言が大きな政治的問題を生じうることは、機動隊員の一人に至るまで「体得」されている必要がある。仮に、暴言を吐き始めた同僚がいたとすれば、それを直ちに制止することを半ば無意識的に可能とする訓練が必要である。本来、この能力は、各自が組織を代表するという自覚によって裏付けられる必要がある。

 次に生じる事件の前に、わが国は、沖縄をめぐる現況の根本に分け入り、解決の道筋を提示する必要がある。また、警察官個人の暴言については、改善策が十分に定着するか否かが重要(というよりも、すべて)ではあるが、警察が組織としてこの種の差別意識を有していないことを明示するためには、改善方法の経過が何らかの形によって公示される必要があろう※1。本土の大メディアについては、制止する様子のない映像だけが報道され、暴言だけがカットされて報道されるとすれば、その状態は、警察全体に対して殊更に悪印象を与えるイメージ操作である。最後になるが、大阪府知事は、本件について[7]、暴言を吐いた当人らを擁護しているつもりであろうが、彼らともども、職位に求められる自覚と常識(権力側の挑発が対立を昂進させること)を欠くことを自ら暴露していることになる。


※1 警察庁の通達のうち、全国に対して教養のあり方を統一的に指示するものは、「警察庁訓令・通達公表基準の改正について」(警察庁丙総発第21号、平成19年6月5日)[6]の(2)の①の例外に相当する。いずれ、改善の過程が公知のものとなると期待される。

[1] 警視庁の機動隊が沖縄入り 辺野古警備に100人規模 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス
(記名なし、2015年11月4日06:01)
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/20477

[2] 沖縄県民を土人呼ばわりする大阪府警の機動隊員 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zm6NbNKIayk

[3] 「土人」発言は沖縄県外の機動隊員か 「県民見下している」と怒りの声 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス
(記名なし、2016年10月19日07:21)
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/67182

[4] 「黙れ、こら、シナ人」と発言する大阪府警の機動隊員 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tM_J-2FQzr8

[5] 「土人」発言 歴史に刻まれる暴言 警察は県民に謝罪を【記者の視点】 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス
(阿部岳、2016年10月19日07:10)
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/67183
 逆に警察がきちんと対処しない場合、それはこの暴言を組織として容認することを示す。若い機動隊員を現場に投入する前に、「相手は土人だ。何を言っても、やっても構わない」と指導しているのだろうか。

 〔...略...〕まず琉球処分以来、本土の人間に脈々と受け継がれる沖縄差別が露呈した。

 そしてもう一つ、この暴言は歴史の節目として長く記憶に刻まれるだろう。琉球処分時の軍隊、警察とほぼ同じ全国500人の機動隊を投入した事実を象徴するものとして。
[6] 警察庁訓令・通達公表基準の改正について(警察庁丙総発第21号)(kijun.pdf)
(警察庁長官官房長、平成19年6月5日)
http://www.npa.go.jp/pdc/notification/kanbou/soumu/kijun.pdf
(2) 警察庁の施策を示す通達
 警察庁の発出する通達のうち、警察庁の内部管理に関するもの、専ら技術的・補足的事項を定めるものその他国民生活に影響を及ぼさないものを除いたもの。
 「警察庁の施策を示す通達」に該当しない通達の例としては、以下のようなものが挙げられる。

 ①警察庁の内部管理(人事、会計、給与、福利厚生、施設、教養等)に関する通達
  (例)警察庁職員の勤務時間等に関するもの
     警察庁職員の給与支給の手続に関するもの
     警察庁における予算執行の手続に関するもの
  なお、内部管理事務について、全国的な基準を設定したり、その改善・充実を図るため都道府県警察に対して発せられる指示等は、「警察庁の施策を示す通達」に該当する。

 ②専ら技術的・補足的事項を定める通達
  (例)電算システムに関する技術的事項を定めるもの(コード表の制定、入力帳票の記入要領等)
     犯罪手口や統計の分類方法を定めるもの

 ③その他国民生活に影響を及ぼさない通達
  (例)業務に関する報告様式等報告要領を定めたもの

[7] 松井大阪知事「相手もむちゃくちゃ言っている」 「土人」発言の機動隊員を擁護 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス
(2016年10月20日12:53)
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/67411


2016(平成28)年10月22日追記

 テレビ朝日『報道ステーション』(21日21時54分~)で(#某番組を観てダラダラというパターンであるが)、大阪府警察による戒告が行われたと聞いた。インターネットで十分にデモへの参加者、支援者の来歴や逮捕を報じる新聞記事のみに接していれば、そのような処分で良いと考える者がいても不思議ではない。しかし、これらの記事は、もっぱら産経新聞に集中している。情報を偏りなく収集して対処を講じないと、より重大なイメージ操作が事実に基づき行われかねない状態にある。

 デモに係る日本国内の左右両面の情報に接しない者には、全世界の読者が含まれる。彼らは、わが国の警察に対する信頼が決定的に損なわれかねない情報も、わが国の警察に対する信頼を寄せることに役立つ情報も、両方とも収集していないであろうから、暴言を発した警察官のうち1名が極右団体に迎合する会話をしている様子に接すれば、警察官に対する処分が相応しくないものではないかとの思いを抱く危険があろう。極右団体が沖縄を訪問した際にアップした映像から、今回の不祥事を起こした警察官のうち1名は、すでに極左団体等のネット言論によって特定されている。暴言自体に係る英語記事は、『Japan Times』『Japan Today』(これら二紙は共同通信の記事を配信)、『朝日新聞英語版』などに見られるが、これらの報道上の新事実は、報道するだけの価値を見出されることになろう。

 暴言を報じる『Japan Today』の読者コメント欄は、総じて警察に批判的であり、わが国の右翼に見られそうな言説は、マイナス評価に傾きがちである。警察の公正中立性に疑いを抱かせる対応は、わが国を先進国としての健全な競争から転落させることにつながる。先進国ではない国に対しては、先進国は、同じ先進国として扱わないという対応を取ることに躊躇しないであろうから、ガラパゴスな日本国民の知らないところで、わが国は思わぬ形で国益を逸失することになるやも知れない。


Police officer dispatched from Osaka insults protesters in Okinawa | The Japan Times
(共同通信、2016年10月19日19:21+09:00)
http://www.japantimes.co.jp/news/2016/10/19/national/police-officer-dispatched-osaka-insults-protesters-okinawa/

Riot police officer dispatched from Osaka insults protesters in Okinawa ‹ Japan Today: Japan News and Discussion
(共同通信、2016年10月20日06:45JST)
https://www.japantoday.com/category/crime/view/riot-police-officer-dispatched-from-osaka-insults-protesters-in-okinawa

Okinawa outrage at police officers’ racist slurs used on protesters:The Asahi Shimbun
(Takufumi Yoshida and Go Katono,、2016年10月20日17:35JST)
http://www.asahi.com/ajw/articles/AJ201610200032.html


2016(平成28)年10月28日17時24分追記

 安富歩氏による機動隊員の暴言の波紋への評価[1]に対して、江川達也氏が非難したことがニュースとして取り上げられている[2]が、このニュースを読む限りでは、江川氏の理解に問題があると評することができる。暴力を古典的な定義に則り(ただし構築主義的に)検討しても、比較的近年のヨハン・ガルトゥングによる定義に則り検討しても、江川氏の指摘は的を外していると見られるからである。ただ、本件の評価にあたり、私は大の『フェイスブック』嫌いであるため、原文を読むことができていない。あくまでニュースの又聞きということで、この点には留意して欲しい。

 古典的な暴力の定義に則り、本件暴言を検討しよう。(国家)権力には、暴力が必然的に伴う。機動隊は、権力が有する強制力の象徴である。その運用こそが重要であり、その態様は、国民に対して、まるで異なる印象を与えうる。評価する個人の正義感に沿うものと見える場合には、機動隊は、許容される程度の有形力を行使する頼もしい存在であろう(=地域警察官のイメージの延長)。しかし、国民の意思を踏みにじるものと見える場合には、いざとなれば目に見える暴力を振るうことが確実であるために、暴力的存在として見做されることになろう。後者は、暴力団なりギャングなり犯罪者なりが、周囲の物品(=沖縄の自然など)を叩き壊しながら金品を脅し取ろうという様子を思い浮かべれば、何ら不自然なものではない。機動隊の存在は、現在の沖縄県民の多数にとっては、すでに国による暴力の象徴である。このとき、「土人」と罵りつつも俸給を県から得ている大阪県民は、目取真氏の撮影映像に見るように、政府公認のヤクザと呼ばれても仕方がない存在として、全世界の視聴者には映ることであろう。このような暴力の象徴と見做されないためにこそ、これらの二名には、節度と沈黙が必要とされていたのであるが、覆水盆に返らずである。

 機動隊の大義を保つために、本件は、一罰百戒が適当であった。本件を事実上放置したに等しいことは、沖縄の非暴力的抵抗が成功する度合いを高めたことになる。安富氏が「大成功」と評した所以である。単に基地に反対する県民にせよ、心の奥底に別の意図を隠し持つ思想犯にせよ、今後、この事態の推移を全面的に利用しない訳がなかろう。日本が一国のうちに平等な社会を築こうとしなければ、事態が大きく展開する可能性=危険性もあろう。(私の意見は、先に本記事に示したとおりであった。)

 ところで、現代における「暴力」の定義は、ヨハン・ガルトゥングによるものが定着しつつある。ガルトゥングによる「暴力」の定義は、「(その力による)制限がなければ、到達できたはずの未来を奪う力」[3]というものであり、「到達できたはずの状態」を示す「潜在的実現可能性(potential realizations)」とセットにして利用される。自己実現という規範的な状態に対して、現在の状態を対置するという発想の転換は、多くの研究分野に応用可能であった。ガルトゥングの「暴力」の定義は、アマルティア・センの「潜在能力アプローチ(capability approach)」などとも共鳴し、現在では、国際連合における「人間の安全保障(human security)」の重視へと至っていると理解することができる。なお、潜在的実現可能性を阻害する原因が、特定の主体に求められる場合を「直接的暴力」、特定の人物ではなく組織や社会の仕組みに求められる場合を「構造的暴力」という。

 以上のガルトゥングの定義をふまえれば、江川氏の主張は、暴力の語を古典的なものととらえていると推測できる。しかし、最初に検討したように、古典的な意味においても、沖縄県民の少なくとも一部から見れば(、そしてこの一部は多数派であるが)、沖縄における県外の機動隊は、存在自体が暴力的であり得る。江川氏はこの点を見過ごして、非暴力で暴力を喚起することは不当と述べているのである。ひとつの映像作品が世界を変えることは、江川氏ほどの伝達力のある人物であれば、体験的に理解していることであろう。

 警察が関係する写真・映像のうち、最も衝撃的なものの一つは、1968年2月1日の南ベトナム・サイゴンにおいて撮影された、NBCテレビによる映像、AP通信のフォトグラファーのエディ・アダムス(Eddie Adams)による、ベトコン市民兵の処刑であろう[4]。この処刑は、ジュネーブ陸戦条約に違反するものではなく、警察官の皆殺しを企図していたベトコンの指揮官を射殺するものであったから、当事者には当然のことであったであろう。しかしながら、この写真・映像は、ベトナム戦争への厭戦気分を決定的に流通させた。

 沖縄県における機動隊員の暴言は、警察に原因のない構造的暴力を、警察全体による直接的暴力という形で表出させるものとなった。目取真氏の目論見は、この点、成功したことになる。機動隊員の暴言映像が、先のベトナム戦争ほどの暴力を示すものではないことは、自明過ぎるほどであるが、他方で、タイミング・状況というものもある。米軍のプレゼンスに対する疑問が膨張している昨今、警察が矢面に立つことは、70年代安保闘争の再現となりかねない。そして、この映像がインターネットに流通するとき、事態がアンダー・コントロールとはならない虞も、十分に認められるのである。


[1] <機動隊 差別発言を問う>沖縄からアジェンダを 安冨歩さん(東大東洋文化研究所教授) - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
(記名なし、2016年10月26日 11:30)
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-383010.html

[2] 江川達也氏 沖縄基地反対派に安冨歩氏が提唱した戦略に「卑怯者の発想」 - ライブドアニュース
(トピックニュース、2016年10月27日18時05分)
http://news.livedoor.com/article/detail/12203373/?http://news.livedoor.com/article/detail/12203373/

[3] 中村都[編著], (2011). 『国際関係論へのファーストステップ』, 法律文化社. 横山正樹, 「環境と平和――環境平和学への誘い」(第24章, pp.211-218).
#本記事の定義は、上掲の横山氏の記述を参考にして、パラフレーズした。

[4] Saigon execution: Murder of a Vietcong by Saigon Police Chief, 1968
(RareHistoricalPhotos.com、2014年05月14日)
http://rarehistoricalphotos.com/saigon-execution-murder-vietcong-saigon-1968/
#引用した段落では、事実関係を上記ブログに負っている。


2016(平成28)年11月3日追記

 内藤朝雄氏が事件直後に次のツイートを発していたことを知った。内藤氏の指摘は的を射たものである。ただし、警察がこの指摘を生かすほどに柔軟な組織であったとすれば、事件直後の対応自体、異なったものになっていたであろう。今後、少なくともしばらくの間は、内藤氏の指摘が警察官教育に反映されることはないと予測できる。

 本件を「利用する」と言えば、戒告処分を受けた当の警察官らにも利用価値がない訳ではない。処分後の動向は、広く流通することはないはずである。本件を奇貨として、大阪府警察は一部の極右にも浸透を図る手がかりを得ることができたはずである。その機会は、最大限に活用されるべきである。この提案が実現するとすれば、私や内藤氏やリベラルを自覚する諸氏は、本件の実像を見誤っていることになる。

(メモ)実証主義とその批判、近年の動向にかかる超大雑把な私見

#本稿は、2013年2月4日の時点で書き殴ったメモに手を加えたものであるが、前稿(リンク)の前振りとして利用可能であるので公開した。追加した段落は、を頭に付す。本論は、間違いとなる危険を承知で単純化した議論であるから、学術上、これを転用しようと思う者は各自の用語を各自で確認すべきである。

古典的な意味での実証主義(positivism)は、自然科学と同様、社会の事象を客観的に表現可能であるとする考え方をいう。ここでの客観性とは、現時点の知識に基づくと、同一の観察対象を同一の方法で取り扱えば誰でも同一の結果を得られること(再現可能性、reproducibility)、観察結果から得た結論(法則、lawや理論、theory)を別の観察にも適用できること(一般化可能性、generalizability)の二種からなる。社会の事象を観察する場合には厳密な再現可能性は望めないから、ある程度近い時期に、別の対象を別の観察者が同じ方法で観察しても、同一の結果を得ることができる複製可能性(replicability)が重視されることになろう。

複製可能性も再現可能性と訳されることがあるなど、両者の概念は混同されているようでもあるが、自然科学研究において両概念を区別することは有用である。その例として、近年のSTAP細胞の検証作業を挙げることができる。他大学における異なる試料(細胞)による複製可能性の検証作業を通じて、再現可能性に対しても疑義が呈されるに至ったのである。社会科学研究では、これらの概念に係る統一的な見解が見られなかったようであるが[1]、研究者によるデータの公開は、両概念を弁別し、一般化可能性をより精密に検討する道を拓くものとなる。

 初期の実証主義は、「社会学」の語を創始したコントに端的に見られる考え方であった。その後、社会学における統計の扱い方を確立したデュルケムは、たとえば、一国内において統計を取った場合に表れる犯罪数などを、「その社会に実在する物であるかのように扱う」ことを強く主張した(『社会学的方法の規準』)。言い換えると、ベルギーという国の自殺者数とフランスという国の自殺者数とを、それぞれの社会(という実在するとみなせる物体)の特徴(を表す、実在するとみなせる物体)とみなすべきだと主張した(『自殺論』)。21世紀時点の知識から回顧すると、物体とみなすということは、事象を数学のツール群で扱えるように、分析者が物体へと読み替えていることを意味する。数学を初めとする自然科学の用語だけでいうと「定義している」、社会科学や心理学でいうと「操作的定義を加えている」。

 デュルケムが『社会学的方法の規準』を著した当時は、犯罪という行為の原因を、体型や身体に表れる異常性といった、誰にでも観察しやすい事象に求める風潮が強かった(イタリア・ロンブローゾ学派などと呼ばれる)が、他方で、フロイトに代表されるように、心理という、目に見えないけれども、観察者自身も有するがゆえに知覚されやすい存在に求める向きもあった。(もっとも、フロイトは、心理の中でも潜在的な部分の重要性に着目した。)いずれの見方も、犯罪者個人から分離されない属性のみにより、犯罪が行われると理解していた点では共通する。これに対して、デュルケムの理論(『社会分業論』)は、行為が社会そのものによる反作用であると理解する点において、斬新であったといえる。

 これらの比較的シンプルな見方に対して、20世紀初頭以来の社会学では、ヴェーバーの開始した(と見なされる)「実証主義批判」が起こる。人は「規範」「価値」「シンボル」といった道具を用いて社会を見ているのであり、自然科学のように正確な観察など、そもそも無理なものであると批判したのである。各人に内蔵されている規範や価値が異なるので、観察対象として読み込まれるシンボルも異なる、よって、計測者・観察者によって大きく測定結果が異なると考えたのである。この批判により、古典的な実証主義は、修正を迫られることになった。社会を観察により変化し得ない対象と考えるという意味での客観性は、存在しないものという理解が共有されるに至ったのである。(#量子力学の影響はあるはずで、誰かが言及しているはずであるが、行き当たっていない。)

 1950年代以降のアメリカ社会学では、しばらくの間、この流れもあり、小規模の社会集団に対する当てはまりの良い説明を積み上げるという動き(マートンによる「中範囲の理論」middle range theory)が進んだ。結果、初期の実証主義のような大上段から振りかぶった考え方は、誇大理論(grand theory)として退けられ、一時期、見られなくなった。誇大理論は、一般(的)理論(general theory)と対比される存在であり、個人に特有とみなせる理論は、ときに「物語」として表現・批判されることもある。この点、本稿も一種の物語とみなされるかも知れない。

1970年代までに、それまでの心理計測手法、教育効果の測定法や実験計画法研究の蓄積から、観察研究をより客観的に行うための概念が構築される。そこで示された「準実験計画」は、教育効果の測定法に直接の起源を持つ方法で、実験計画の行えない対象に対して分析するための枠組を示すものである。1990年代後半には、準実験計画法の考え方が犯罪学研究にも導入され、「根拠に基づく(evidence-based)」がバズワードとなる。「根拠に基づく」という用語で重要なのは、一定の基準を設けた研究を系統的な文献検索を通じて選定すること、その規準が実験計画法にいう無作為割付によるものであること、の二点である。犯罪学におけるこの流行は、医・薬学におけるコクラン共同計画を範に取ったキャンベル共同計画へと結実した。

 ところが近年、シミュレーション技術に係る分析規模と作業速度が指数関数的に進展した結果、社会が複雑系であるにしても、初期の実証主義のように、統計力学における伝統的な手法を準用して社会の諸機能を説明できるのではなかろうか、という期待が高まり、socio-physics(社会物理学)やsocio-dynamics(社会動態学)のような学問分野が興るに至った。初期の意味での実証主義を貫徹可能かも知れないという見込みは、シミュレーションの結果が複数の典型的な状態に落ち着きがちであることに根拠を置く。その理路をシミュレーション方法に基づいて説明できれば、初期状態から典型的な終局状態それぞれへの遷移を、原因から結果に至る確率的なモデルとして説明(アブダクション、abduction)可能であると考えることができる。複雑系研究は、社会という分析対象についても、物理学風の「仮説」に基づいて物理学風の「法則」を主張する道を拓いたのである。


[1] REPRODUCIBILITY, REPLICABILITY, AND GENERALIZATION IN THE SOCIAL, BEHAVIORAL, AND ECONOMIC SCIENCES - Bollen_Report_on_Replicability_SubcommitteeMay_2015.pdf
(K. Bollen, 2015年5月13日)
https://www.nsf.gov/sbe/SBE_Spring_2015_AC_Meeting_Presentations/Bollen_Report_on_Replicability_SubcommitteeMay_2015.pdf

2016年10月20日木曜日

(メモ)リアルマネートレード(RMT)はチートに直接効果を与えるか(私は知らない)

#本稿は、時機を逸した記事の棚卸しの一つである。先週の話にその端緒がある。

 リアル・マネー・トレード(Real Money Trade, RMT)とは、オンラインゲーム上の授受可能なアイテムやゲームアカウントそのものに係る売買契約を締結する、あるいは、ゲームアカウントに紐付けられたキャラクター等の育成を代理する、八百長を通じて白星を(ときには黒星を)与える請負契約を締結するなどの取引行為を指す。現実社会における経済的価値を伴うことが定義上重要である。もっとも、無償の行為であっても、ここに挙げた行為のいずれもがゲーム運営者によって禁止され得る内容である。これらの取引は、いずれもゲーム運営会社やサーバ運用者によって禁止されていることもあれば、アイテムの売買に限定して許可されていることもある。Valve社の『Steam』は、ゲーム購入・管理に係るオンライン・PCソフトウェアの代表格であるが、ゲームそのものに影響しないファン・アイテムなどの取引にも利用されるプラットフォームとなっている。


 RMTは、ゲームに随伴する行為のほとんどに関して、ユーザ同士の間でゼロを超える経済的利益を生じさせるものとして定義するのが適切であろうと考えられる。個人的体験として、1998年のうちには、先に示した行為のいずれをも、とあるRPGゲーム上で聞き及んだことがある。ただし、私自身は、具体的な決済に関与したことがないから、具体的なRMTの事例についてまでは、当事者として語ることができない。

 ただ、RMTがチート行為に直接転化するという話は聞いたことがなく、この点、『 毎日新聞』の記事には疑問がある。チートがオンラインゲーム体験を荒廃させることには、賛成できる。(以前の記事を参照)。記者の斎川瞳氏による伝聞は、(RMTの増加)→(チートの増加)を主張するが、ユーザから見た場合のこれら2つの潜在変数間の関係は本当に成立するのか。交絡はないか。因果は逆ではないか。そもそも無相関かも知れない。(RMTの増加)→(チートの増加)が成立しても、(RMTの減少)→(チートの減少)は成立するのか。するとすれば、(プレイ量(;単位は人・時間か)の減少)が交絡要因となっていそうである。共変関係における非線形性はないか。そもそも、増加・減少というものを構造方程式モデルでそのまま取扱うことは、ソフトウェア計算上、可能ではあるが、構造を探る上では危険そうである。(RMTの量)→(チートの量)が成立するのかを考察すべきである。(RMTの減少)が(チートの減少)に繋がるという命題は、(RMTの増加)と(RMTの量)とが同一概念ではないという状態を明らかにする。

 ここでの私のRMTの定義に従うと、ゲームのセーブファイルをクライアント側で保存するのか、サーバ側で保存するのかの別は、RMTがチートを目的として行われるというより、ゲーム内で「上を目指す」際に手段を問わないプレイヤーの合目的的な行為として行われるものであることを示すための良い材料になるように思われる。オンラインゲームとしては、『Ultima Online』『Second Life』『Minecraft』などの系譜に連なる、「ワールド改変系」のゲームのうち、オフラインでもプレイ可能な『Minecraft』に代表される系統のゲームは、特に顕著な参考事例となり得る。「ワールド改変系」の語は、造語であるが、キャラクター自身に対してだけではなく、ゲーム中の仮想世界の状態にも改変を加えることが可能なゲームを指す。『Minecraft』は、有志がオンラインサーバを独自に立てるか、ローカルでのプレイが前提となるが、ここでは、改変のためのMODも大半が無償である。オンラインサーバ上におけるRMTを聞くこともほとんどない。肌の合わないサーバには、参加しなければ良い。


 一般社団法人日本オンラインゲーム協会は、2009年の時点での業界団体としてRMTのあり方について述べている。スマホ増加と軌を一にするタイムリーな話であることは、評価されて良いことと考える。ただし、フォローアップがGoogle検索結果の上位に見られる訳ではないために、この結果こそが重要であるようにも思う。宣言すること自体、なかなか出来ることではないが、宣言を実践することは、なお困難であるためである。公開情報による調査は尽くしていないので、今後、機会を見つけて公開情報を確認したい。

 脅迫よりも刑の重い私電磁的記録不正作出・同供用ほう助で、チートに関係した人物たちが書類送検となったというニュースは、びっくりである。犯罪の内容は、報道が正しいとすれば、容疑のとおりであるが、一種の組織対象暴力である「手口をネットで公開する」という電子メールの送付が「サイバー攻撃」と見なされるというところに、多くの要因を窺うことができる。ゲーマーの警察官がいて義憤を感じる、というものも読み取ることができる。ネット社会の広がりを感じさせるテーマである。


[1] チート行為:ゲーム業界に危機感 利用者離れの恐れ - 毎日新聞
(斎川瞳、2016年10月13日12時55分、最終更新10月13日13時06分)
http://mainichi.jp/articles/20161013/k00/00e/040/241000c
「リアルマネートレード」と呼ばれる取引も確認され、チート行為につながると指摘されている。

[2] ゲーム不正:チート行為横行、摘発進む 少年ら書類送検 - 毎日新聞
(斎川瞳、2016年10月13日11時31分、最終更新10月13日14時26分)
http://mainichi.jp/articles/20161013/k00/00e/040/203000c
東京都調布市の会社員の男(27)を私電磁的記録不正作出・同供用ほう助容疑で書類送検した。
 他に、江東区の自営業の女(44)と、いずれも高校3年の福井県鯖江市の少年(18)▽岩手県奥州市の少年(18)▽山口市の少年(17)−−の4人が私電磁的記録不正作出・同供用容疑で同日書類送検された。〔...略...〕
 〔...略...〕
 同社は昨年11月ごろに不正に気づき、システムを修正するとともに、少年らの利用を停止。その後、少年の1人が「手口をネットで公開する」などとする電子メールを同社に送ったことから同社が警視庁に相談していた。

[3] 一般社団法人日本オンラインゲーム協会(2009年8月)『オンラインゲームガイドライン』(JOGAonlinegameguideline.pdf)
http://www.japanonlinegame.org/pdf/JOGAonlinegameguideline.pdf
【セキュリティ・犯罪予防】
 4.RMTについて
  RMTについて
RMTにはゲームやゲーム会社オンラインゲーム提供企業が一切関与していません。
オンラインゲーム提供企業は、プレイヤーのRMT利用を前提とした運用はいたしておりません。
(例外もあります。〔...略...〕〔p.16〕
〔...略...〕

  JOGA/会員企業の取り組み
JOGA会員企業(オンラインゲーム提供企業)では、RMTに関してのスタンスを各利用規約や運営ポリシーにて定め、それに従ってゲーム運用しております。また、プレイヤーからの情報を幅広く集めるよう努め、ゲーム内の秩序がRMTの影響を極力受けないよう運営いたしております。JOGAでは、「RMTワーキンググループ」を設置し、RMTに伴うトラブルの実態調査、ヒアリング、公的関係機関との情報交換会を開催しており、今後定期的にこれらを行なうことで、抜本的対策を検討してまいります。また、ワーキンググループでの活動の一環として、RMTを利用したことに附随するトラブルに巻き込まれることのないよう、人に迷惑をかけないゲームプレイヤーを育てる啓蒙活動をしてまいります。〔p.18〕
〔...略...〕

  保護者のかたへ
〔...略...〕毎日プレイできる範囲で少しずつ先に進めるなど健全なプレイを推奨してください。〔p.22〕

専門家による人格攻撃:「分かりやすい嘘」の応用法

#本稿は、豊洲市場に係る別記事(リンク)を別の言葉で言い換えたものである。あまりにもったいないので、記事数を増やすというやくたいもない目的のために、再利用することとした。URLの英文と和文タイトルは一致しないが、それぞれの言語環境の文脈に照らして使い分けることとした。

 陰謀論を報じるジャーナリズム等における「分かりやすい嘘」の効用には、真実と抱合せで「セット販売」することにより、権力者にとっての「都合の悪い真実」を公知のものとするというものがある。この方法は、諜報の世界の(表向きの)ルールである「言いたくないことは言わなくとも良いが、わざと誤りを述べてはいけない」という原則に逆らうものであるが、諜報の世界に属すると見ることのできるメディアにおいても、この規準(=プリンシプル)に反する事例を見出すことがある。他方で、このセット販売は、学問のルールには明確に抵触するものであるから、できる限り避けなければならない。これらの概念は、以前、2点の記事にまとめている(リンク1, リンク2)。

 専門分野について、分かりやすい嘘であっても意図的に嘘を吐いてはならない、また、相手を誤解させないように話すべきである、という「誠実性」は、専門家に求められる資質の一部である。わが国では、専門家の誠実性は、その道で地道に研鑽を積めば、自然と肌身感覚として養われるものと考えられていよう。専門の研修課程によって「型」の定着を促進することも可能であろうが、メンター(精神的な指導者)の存在に触れることが重要であるという理解は、近年、とみに有力である。

 ほかに、専門家としてのプリンシプルの一つには、批判を行う場合には、個人の人格攻撃を避けるというものも挙げられる。私は、大半の日本人の常識的感覚からすれば、明らかに「貧乏農場」組である。それでもなお、学者として尊敬に値する人物の作法に、相手の人格を貶める発言をしないというものが含まれること位は忘れていない。この言明を「嘘吐きのクレタ人」によるものと考えると、話がややこしくなるので、とりあえず、本記事のここまでの議論は、いったん信用してみて欲しい。ただ、専門分野に係る話題を取扱うときに、のっぴきならないほどの悪意に直面した場合、これに対していかに批判を返すのかは、時代と場所を超えた、人類普遍のテーマであろうと考えられる。この種のルール破りへの対応方法が難しいことは、ソクラテスの毒杯の故事に端的に表現されているように思う。

 専門家の社会的発言には、利益相反関係を有さないという規準もある。ただし、専門家が自身の家庭を維持できる程度に適正な労働の対価を受領することは、後世の検証材料として衆目に晒されることを前提に、許容されるべきことである。この基準を許容しないと、わが国では、ほとんどすべての社会活動に関与する専門家が欠格となる。大半の人物は、マスコミに無償で出演することも見合わせることになる。一見、気兼ねなく発言できるのは、年金暮らしの高齢者ばかりということになるが、これら高齢者もまた、世代という共通の利害から逃れることができず、元の職場等における人間関係等から生ずる利益相反関係から完全に自由ではない。(元の)職場において形成された友人関係・人間関係は、他者がある専門家の言動を批評する際、扱いに困る材料となろう。極端に言えば、人間は、生きたままでは、利益相反関係から自由になれる訳がないと見ることも可能である。

 とは言っても、直感を許すならば、「分かりやすい嘘を吐く」「相手を煙に巻く」「個人の人格を貶める」「論拠ではなく悪意を先行させる」ことが、いずれも専門家らしからぬ態度であることは、受け入れ易いことであろう。ここに示す規準のそれぞれは、いざ論証しようと思うと、なかなか難しいことであり、ギリシア古典哲学以来の哲学の課題であり続けてきたように思う。本稿で扱いきれる話題ではないから、私の理解は、別途、ゆるゆる積み上げてみることにしたい。最初の二つの命題は、それなりに表現が異なるものの、安富歩氏の『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』, (2012年1月, 東京:明石書店、NDL-OPAC)で説明されていたはずである。

 三番目に挙げた「個人への人格攻撃」は、ケネディ大統領暗殺事件に関連して作成され、後に公開されたCIAの文書によって、政府の工作活動の一環として行われうることが公知のものとなっている(リンク1)。政治的事件に係る真実を(学術的に)追究する個人に対しても人格攻撃が行われるという危険は、福島第一原発事故後のわが国においては常態であるが、歴史上も認められることである。白井聡氏の表現を借りれば、今日の日本社会が「本音モード」(『永続敗戦論』, 2013年3月, 太田書店, p.25)に入ってきたことの表れであるとも言える。なお、白井氏の論説については、稿を改めて検討したいが、後段で少しだけ批判することになる。

 ここまでに示した命題が正しければ、専門家による理由を伴わない人格攻撃は工作活動の一種である、という「定理」が導かれる。専門家とて一個の人格であるから、他人に対する好悪の情は当然に存在する、と仮定することに何の問題もない。しかし他方で、専門家が自身の分野を説明する際には、論理を先行させなければ好悪の情の理由を説明することすら適わない、という論理は、専門家の認知機能に深く刻み込まれているであろう。この論理が適用されていないかに見える専門家の言動は、真に専門家ではない人物によるものか、専門家による言動ではあるが別の理由に駆動されているか、のいずれかに該当しよう。専門家である・ないの区別と、何らかの特別な理由がある・ないの区別からなる4通りの組合せのうち、3通りによるという訳である。

 多数の専門家が論理を尽くして議論するためには、論敵に対する一定の節度が必要である。論者がどこまで腸を煮えくり返らせていてもである。自然犯という、被害(者)が基本的に存在する主題を取り扱う犯罪学においては、間違いなく、この自制は被害の当事者には困難な障害となる。この点、心の安定のために邪悪を避けるという選択肢が法学や犯罪学に端から存在しないことは、明白である。認知科学にも存在しないであろう。ある犯罪とラベルを貼られた行為に邪悪さがあるか否かは、考察者の言葉として外部に表出されるか否かは別として、常に検討される手続であろう。およそ、例外(状態)なる概念を考察する学問分野は、邪悪という例外を避けることは避けられないように思う。他者により犯罪被害を受けた当事者がこの節度を維持しながら論理を構築することには、心の強さが必要である。心の強さとは何かという考察には、あと30年くらいは必要そうなので、考察を省略し、とりあえず「心が強い」と表現するとして、心の強い当事者による告発は、他者の心を打つ可能性が高くなるものである。しかし、この命題を受け入れようとすると、このような論理の構築を心の弱い者が行うことは不可能であるのか、あるいは、このような不幸を経なければ同種の論理を構築することが妨げられるのか、という二種類の厄介な「言論者の資格」に係る疑問が生じることになる。

 少々脱線すると、被害者だけが当事者足り得るという極論の怪しさは、「司法実務に従事した人物だけがそれらの業務を評価できる」という条件の緩め方では明らかにはならないが、「大罪を犯した者だけが人生の悲惨を述べることができる」という方向に少しだけ条件を緩めた途端、露わなものとなる。これに対して、「犯罪学者は、(犯罪者の行動について理解する必要はあるが、)犯罪者となる必要はない」という命題は、今のところ、それほど明解な考察を経ることなく、妥当なものとして受け入れられている。ただ、この対偶となる「犯罪者は、犯罪を説明できる」という命題に接すると、これを否定する学識経験者の差別性が明らかになるのは興味深いところである。先の「嘘吐きのクレタ人」の比喩が表れるのである。「犯罪学者が自殺を論じるのに、自殺を企図する必要はない」という命題も、疑問なく許容されている。「失業と犯罪との関係を論じるのに、失業する必要はない」についても、名のある学者の多くが言及しないままに失業を論じているし、「平均的日本人」のうち(#私は、統計と構築主義については多少物を知っているつもりである)、考えてみたことのある者の割合も少ないであろう。他方、「企業労働者と犯罪との関係を論じるのに、企業の就業経験は必要ない」という命題は、多くの日本人には、耳に逆らう高慢さに受け取れられるであろう。「教師には社会経験がない」という表現は、この種の反発を端的に示すものである。以上の脱線部分に係る議論は、私の中では、想像力こそ基本という、独善的なものに置き換えられている。ただし、ここで言論に携わる者の要件の免罪符として、想像力を導入したり、(犠牲となった)仲間(対する贖罪)意識といったものを導入したりすると、臆病者が「戦後」に発言することを認めることにもなる。ハンナ・アレントの考察は、ここでの考察に役に立ちそうな気がするが、だからと言って、これを全面的に認めると、これまた勝者総取りのルールとなる。私には、タイムリミットが来るまでに、答えが出そうにはなさそうである。

 ただ、このような多様な背景と個性を持つ論者からなる多人数の集団から有益な議論が引き出されるためには、一定の秩序が必要となる。その秩序は、匿名・顕名の入り乱れる中の刹那的な応酬から立ち現れるものと、顕名で長期的に議論を行う中で築き上げられるものとでは、内容が異なるものになるであろう。本記事で私が念頭に置く議論とは、後者、つまり、専門家が公益を議論する場合である。自分の食い扶持だけが賭けられた場合と、一国の興廃が懸かる場合とを比較すると、本来、これらのモードには、異なる議論の雰囲気があって然るべきである。発した言葉が影響する範囲の広さが異なるのである。

 現今の日本社会のポピュリズムが悪いとすれば、それは(特に社会的に身分のある)個人が言行に責任を取らないからであり、輿論の取扱いを通じて私益を図る者が多数であるためである。この論点は、真の意味でのエリート主義、ノブレス・オブリージュにつながるので、現行スタイルのポピュリズムが蔓延した社会において、「右」と呼ばれる者に避けられがちである。他方で、この論点は、「勇ましいことを言う者から戦争に行け」「安全だという者から率先して食え」という意見に代表されるように、「左」とされる者からはしばしば提示される議論である。私は、戦争と福島第一原発事故についての上掲の意見に賛成するが、それは、わが国の1%が99%を犠牲にして、戦争と福島第一原発事故の双方ともから利益を得ている現状を前提にするからである。わが国の1%の全員が我が身を擲って、99%に降りかかる個人別のリスクの分量を遙かに超える個人のリスクの分量を引き受け、戦争の予防と福島第一原発事故の収束に協力を呼びかけるのであれば、私はその呼びかけに賛成する。なお、1%は既得権益層であるが、従来の既得権益層と呼ばれる99%の中には、たとえば、農林漁業者が含まれる。連合は99%のふりをしているが、ここ20年の労使交渉が先進諸国との給与所得水準に実質的に倍程度の差を与えるものとなった事実を踏まえると、1%に含まれる。この違いは、区別する必要がある。民主党時代まで遡る必要があるが、円高の時期に海外を旅行した者であれば、一回の食事代に日本における同ランクの食事の倍程度の金額を要したことに気が付いているはずである。家賃については、一見評価が難しいように見えるが、わが国に広く見られるスプロールと通勤時の混雑という外部不経済を加味すれば、やはり割高である。

 「差異ある共通の責任」を国内環境にも導入し、1%の引き受けるべき責任が追及されていない事実を前にすると、専門家が嘘を吐いてまで「お上」の政策に批判的な庶民を人格攻撃する理由は、言論のプラットフォームを破壊するという悪意によるものと看破することができる。現今の福島第一原発事故に係る御用学者の発言は、(満州事変に始まる)アジア・太平洋戦争の敗戦直近における、証拠隠滅作業の一環に対比できる行為であり、故意によるものである。彼ら1%の行動は、白井氏の言う「否認の構造」には、決して当たらない。福島第一原発事故に対し責任を有するという自覚があるからこそ、後世において自国民から断罪される虞のないように、各種の言論工作に奔走するのである。東大話法は、話者の私益を追求し、庶民の1%への非難を煙に巻くためのツールである。確かに、大江健三郎氏が発言した内容を白井氏が引用するように、99%は侮辱の中に生きているであろう。しかし他方で、わが国の1%の大半は、自らの生存という大目的、そのための利益を確保するという中目的に基づき、もっぱら当座を凌ぐという小目的の達成のために、人格攻撃すら厭わなくなっているのである。


2016年10月19日水曜日

豊洲市場は周辺水域が100m超の幅を持つし最近接の文教施設等から十分に遠い

本稿は、9月24日以降の記事に引き続き、豊洲市場カジノ転用説に係る話題を個別に検討する。このうち、教育施設や病院等の施設(以下、文教施設等)からの最低距離を概観するための地図を用意した点に新規性があるやも知れない。この結果、文教施設等が周辺に存在するために風俗営業には不適であるという木曽崇氏の主張[5]が否定される。今までの豊洲市場関係の記事は、

  1. カジノ転用説を知るに至った経緯と大まかな流れ(9月24日
  2. 建築物取得費、改装費、地価(9月29日
  3. 落ち穂拾い(主にターレの性能)(10月1日
  4. 地区計画に記載された用途地域変更の整合性(10月9日
についてのものであるが、2番目と4番目の記事は、ほとんど論点として挙げられたことのないものであると思われるため、『アサヒ芸能』や『日刊ゲンダイ』の読者にとっても有用であろう。


カジノ転用を示唆する8月以前の記事

櫻井春彦氏の『櫻井ジャーナル』は、2016年08月22日の記事[1]において、カジノとお台場とタックスヘイブンという名称を組み合わせて使用している。これらの組合せは、カジノが資金洗浄の社会的装置となり得ることを前提知識がゼロの読者に明解に伝えるものではないが、それでもなお、事情を知る関係者には十分に不正の構図を再構成できるだけの材料を与えるものである。諜報のルールに則る読者ならば、櫻井氏の文章構成を高く評価するであろう。

櫻井氏のヒントは、勘の良い読者が豊洲市場カジノ転用説に気付くためには十分なものである。事実、あるブログ主[2]は、これらの材料から8月中に結論に到達している。また、suzukikenzou氏も正確な着想の元が判断できないものの、都知事選の経緯を踏まえて類似の結論に到達している[3]。これらの組み立ては、構造計算に詳しい「ペコちゃんdēmagōgos」氏(@a_la_clef)のツイッタールートに触発されたものより決定的に遅いものではなく、しかも独立した情報経路であると考えることができる。これらの事実から、ペコちゃん氏のツイートがなかろうが、豊洲市場カジノ転用説というネタバレは、「劇場」のクライマックスの前に週刊誌ジャーナリズムを含め、十分な数の国民の知るところとなっていたものと予想される。

構造計算の問題についても、複数の建築関係者が疑問を有するに至っている。8月29日の時点で、あるブログ主は、第二の構造計算偽装事件であると評している[4]。仲盛昭二氏は、少なくとも9月20日[5]と10月18日[6]に構造上の疑問があることを指摘している。構造計算の問題は、指摘を封じることの困難な話題である。これに対して、環境汚染基準の問題は、法律上はともかく、技術上の解決は相対的に容易なものであろう。モニタリングに加え、舗装等による封じ込めか、集気及び清浄により対応可能な、設備の問題として見ることができるためである。構造上の問題や基本設計の出来具合は、環境汚染対策とは程度の異なる、大規模改修を必要とする深刻な問題に発展する可能性を孕む。このバランス感覚は、建築分野に従事するエンジニアには身に付いているであろうが、「物言えば唇寒し」の現今、あえて本件に言及する必要もないと考えて「見の姿勢」を取る者が多いのではと予想される。


『日刊ゲンダイ』の転用説、都市計画への不言及

『日刊ゲンダイ』[7]は、豊洲市場の転用が可能であるという事実を9月27日に報道しているが、この転用が実在の建築物として転用に耐え得るものであるのか、それとも周辺環境まで含めて現実的な案であるという解釈を行っているものかは、記事だけでは決定できない。あえていずれかを問えば、現物を見ての判断ということであろうと推測する。この点、カジノに最適な用途地域へと変更される予定があることは、以前に述べたとおり(10月9日)である。『ゲンダイ』の記者の真意は測りかねるが、ともかく、用途地域の変更については、明記されていない。(無論、転用説そのものの先取性を主張する気は毛頭ないが、用途地域については可能なれば主張しておきたいという気持ちが残っている。)

用途地域という建築条件に対する検討が欠落していることは、意外である。建築屋さんも不動産屋さんも計画屋さんもコンサルさんも、総じてお喋り好きが多い、にもかかわらずである。豊洲市場についてウェブ上で精力的に発言している建築関係者のうち、構造計算に問題を認める人物では、ペコちゃん氏と森山高至氏が二大巨頭ということになろうが、ペコちゃん氏は用途地域について言及しておらず、森山氏は2015年1月に豊洲周辺が工業系から住居系へと用途が変化しつつあることを述べる[8]に留まる。

豊洲市場の地区計画[9]において、なぜ用途地域の変更がわざわざ組み込まれたのかという理由は、用途地域の変更に係る外部条件が簡単なものであるだけに、疑問が残るものである。わが国の都市計画の限界の一つは、現状追認になりがちなことであると理解されているが、その背景には、不動産に係る多数の権利関係者の調整を図ることが大変に困難であるという現状を認めることができる。築地市場からの移転プロジェクトそのものは、利害関係者の能動的な参画を経て、対立をあらかじめ調整し、不都合に対応する、という現在のまちづくりの王道そのものであり、難事業である。このプロジェクト全体の困難さに対して、用途地域の指定(変更)に伴う実務上の障害は、ほとんどないものと考えて良いものであった。大地主から有償で譲渡された広大な敷地に対して用途地域の素案を定める作業は、土壌汚染という前提条件があるとはいえ、比較的容易な作業である。都市計画という観点からみた場合の市場移転プロジェクトの最難関は、市場関係者の了解を得て、円滑に事業継続しながら移転を達成することにあったと見ることができる。そのほかの作業は、いかなビッグプロジェクトとはいえ、建築の不備がなければ、ここまで拗れることがないはずの作業であったと思われる。この建築の不備に係る一連の報道、用途地域の変更にまで私が目を向けた原因ではあるが、この点も疑問であるにもかかわらず、また、都市計画関係者であれば、誰もが気付く種類のものであるはずにもかかわらず、話題として凪いでいるのは何故であろうか。

豊洲市場に係る都市計画の策定過程の後半部分は、市民を巻き込まないという意味では、19世紀的なトップダウン的なアプローチで十分である。いったん更地とした用地の上に東京都が複合建築の基本要件を決定し、建築後の良好な状態を維持するために都市計画が後付けされるという形式である。豊洲市場は東京都の施設であるため、東京都都市計画審議会が2011年7月29日付で都市計画決定したという記事が『都政新報』[10]の見出しに見られる。ただ、現時点においては、ウェブ上の用途地域指定は工業地域のままである。豊洲市場の建設計画は、古典的な大規模建築計画の設計手順によるものと認められるものであり、一部の建築用途を除けば、工業地域の指定のままであっても構わないと思われるものである。特例で対応できそうなためである。また、江東区都市計画マスタープラン[11]は、地域の核を豊洲駅周辺に設けており、図上では豊洲市場に特段の位置付けを与えていないが、この点は「千客万来施設」などと整合しない。

都市計画のあり方は、現状を前提として、いかに望ましい状態へと空間を作り上げていくのか、市民と協働して計画を練り上げるというボトムアップアプローチが主流となってから、かなりの時間が経過している。用途地域の変更についても、市民を巻き込んだ入念な決定が行われる(、というのが少なくとも建前である)。東京都特別区という空間については、都市計画マスタープランは、基本的には特別区が中心となって策定する。関係組織との調整と了解が取り付けられ、素案が縦覧に供された後、発効することになる。この基本的な都市計画思潮の変遷を前提とすれば、ここに見られる都市計画決定(用途地域の変更)がいかなる意味を持つものであったのかという疑問は、探求すべき対象となる。用途地域の変更がいかなる経緯を辿り現在の状況にあるのかという点の確認は、現場に直接問合せする必要が認められ、私は未確認である(し、今後、本点を詰めるまでの作業は、現時点では考えていない)。

エンジニアの自律的な批評の必要性と不在

「水産市場のシステム化」や「千客万来施設」なる要素は、建築・土木工事や都市計画に従事する者にとって、外部条件に過ぎないから、これらに対して建築・土木・都市計画関係者が積極的に口出しすることは、本来、エンジニアには出過ぎた真似となる。要件同士の整合性をどうしてもハコモノとして表現できない場合に、発注者に対して投げ返すというのが筋である。実際には、本件についても、設計者と発注者との間に、密な要件をめぐる交渉が存在するはずである。ただ、敷地購入を巡る東京都中央卸売市場と東京ガスのやり取りに係る情報公開を伝える加藤順子氏の記事[12]を読む限り、この詳細を把握することは、設置された市場問題プロジェクトチーム[13]であっても、一波乱を含むものに見えてしまう。

エンジニアが軽々に他分野に口出ししないようにとの戒めは、今野浩氏が自伝的エッセイで軽妙なタッチで伝えている[14]が、そうは言っても、現代の建築・土木技術の複雑さは、人生の若年期における20年程度の修養を必要とするほどに発達しており、「翻訳者」が必要となっている。わが国の社会は、建築や土木の論理をできる限り正確かつ分かりやすく伝える人物を必要としている。ところが、わが国では、施主や社会への説明責任を果たす作業は、近年まで、当事者であるエンジニア自身や技術系の上役の仕事であるとみなされてきた。トラブルの後、当事者に対する信用が失われているときに、利害関係の少ない第三者が仲介する形で、客観的に状況を把握して評価し、施主や社会にその結果を説明することは、社会にあって然るべき機能である。にもかかわらず、この仕事は、現時点においても、さほど重要視されていない。この理由の背景には、マスメディアの企画・制作者のキュレーション能力が著しく低下している一方で、建築・土木に携わる人の社会的欲求が、将来に残るモノを作ってナンボであるという階級性を暗に含むためであろう。

建築批評の構造的な問題点はこれくらいに留めるとして、豊洲市場のように、ビッグプロジェクト一般が暗礁に乗り上げたとき、問題の所在を探る作業には、評価するだけの能力を有する第三者による、公的な意見交換の場が必要となるが、残念ながら、現在の日本語環境は、その作業に適したものとはなっていない。多くのエンジニアが自らの専門領域について、自らの思うところを自律的に指摘できる状態は、社会にとって明らかに利益のあるものである。本来なら、顕名を基本とするSNSを中心とするウェブ社会は、わが国においても、独立した人格を有する技術者同士がお互いを尊重しつつ自由に意見交換するプラットフォームになり得た。ところが、現在の日本語コミュニケーションは、個人で捌くことの難しいほど多量の匿名の批評と、顕名であっても他者の人格を貶めるかのような批判によって、多くが占められる状態に至っている。その原因を探る作業は、ここ数年のネットワーク研究などによって進められていることとは予想するが、この検討も省略する。ただ、この背景には、企業社会・組織社会が個人に対して制約条件になることが認められる。この制約条件は、およそ100%の現役の技術者をして、利害関係がゼロではないと見ることが可能なほどに茫漠たる広がりを有するものとなっている。この関係性が専門家の社会的責務を妨げるという構図は、弁護士会への懲戒請求制度がときに悪用されることにも通じるところがある。エンジニアによる社会的発言が、組織対象暴力を企図する側にとって、因縁を付けるための糸口となっている、と読み替えることもできる。この組織対象暴力とSNS等を通じた社会的発言との関係性を追究することは、日本社会における言論の質を、犯罪学が底上げすることにもつながり得る。

豊洲市場の外部要件に対してであれ、基本設計・構造設計に対してであれ、エンジニアが疑問を口にすること自体は、表現の自由の範囲内に収まる行為である。具体的に市場移転プロジェクトに間接的であれ、影響を与える利益関係が生じていれば、または、生じる見込みが具体的なものとなったときには、利害関係の所在に言及すべきである。また、国立大学法人化後の大学は、企業社会との距離が近くなっているために、論文執筆だけでなく、社会的発言一般に際して、率先して利害関係を開示すべき必要に迫られているであろう。研究者の「利害」は、単に金銭的利害に留まらない。名誉とみなされる内容や、研究教育制度のオプションを活用して企業を受け入れることは、利害関係の一種になることにも注意が必要である。私の豊洲市場に係る一連の記事執筆については、一都民であるということを除けば、東京都やそのほかの利害関係者との利害関係を有していないし、関係者に対してコンタクトすら図ってもいない。もっぱら、インターネット等に公表された情報や、あるいは刊行された情報にのみ依存している。


豊洲市場の立地は文教施設等からの距離が十分である【必読】

下図は、 国土地理院の『基盤地図情報』[15]を用いて、豊洲市場周辺を表示したものである※1。赤線のグリッドは、100mおきに引いたものである※2。この図のポイントは、周辺の土地から6・7街区への距離が十分な状態を示すことにある。具体的な空間に係る距離の計算方法には、いくつかの方法が存在するが、風適法(後述)における最低距離の計算には、二つの図形の最短距離が利用される。距離の計算は、街区ごとに見ていくことになる。6・7街区に道路等を挟み隣接する街区は、4・5・8街区だけであり、ほかの街区は100m以上確実に離れている。5街区であっても、周辺の環状第2号線(東京都市計画道路幹線街路)が敷地の東北方向を縦断するために、建築物を一体とみなさないという条件が付されるであろうとはいえ、敷地のかなりの部分が周辺の建築物から100m離れていると解釈することができる。5街区の用途は、具体的な計画に基づいて転用可能性の検証を進める必要があるとはいえるので、ここでは、6・7街区のみについて検討を進める。実のところ、以前の建築物取得費用について検証した際、6・7街区のみを検討したのは(9月29日)、この事情をふまえてのことである。

豊洲市場周辺図(100mグリッド付き)
図:豊洲市場周辺図(100mグリッド付き、データ出典:国土地理院基盤地図情報、2016年07月01日)

※1 平面直交座標系、新測地系2011年版、第9系による。グリッドの原点は、第9系の原点である。図面の解像度が粗いのは、出典の表示だけによって掲載を可能とするための処置である。

木曽崇氏によるブログ記事[16]は、「豊洲市場を囲んで」「沢山の子供向けの文教施設」が存在しているので、豊洲市場はカジノ用地として不適である、と断定するが、この図は、木曽氏の主張を、同氏の主張が仮定する条件の下に反駁するものとなる。法制度を根拠とする建築物の用途制限には、さまざまな種類のものがあり、個別の土地に即して検討しないと思いもよらない制限がかけられていることを見逃すことになる。6・7街区でカジノ営業への転用が可能か否かを確実に検証するには、現地を所轄する建築担当部署を通じて、全ての規制を所管する組織に問合せしていくほかない。ただ、カジノをぱちんこ店かゲームセンターかのいずれかの風俗営業施設と同等のものと仮定すれば、木曽氏の主張を検討する作業は、比較的容易なものとなる。

カジノをぱちんこ店かゲームセンターかのいずれかの風俗営業施設と同等のものと仮定すれば、検討すべきは、用途地域、東京都文教地区建築条例[17]の指定、風適法ならびに関連都条例、のそれぞれとなる。もちろん、カジノというギャンブルの形態が何らかの形で国内において認められることは、大前提である。このうち、用途地域については、地区計画を確認した際に確認済み(10月9日)であるから、この記事に説明を譲る。文教地区の指定は、現地で確認する必要があるとはいえ、4街区に文教施設が含まれなければ、指定される見込みがなく、4街区にわざわざ用途に制限を加える施設を組み込む必然性は薄いから、検討を省略して、影響しないと結論付けて構わない。蛇足になるが、もっぱらマスコミで話題の土壌汚染については、土壌汚染対策法[18]に基づき、土地の形質の変更や土壌の搬出が規制されるとはいえ、建築物の用途にカジノを想定する限りにおいて直接影響しないが、大規模改修工事は、土地にも何らかの改良を加える可能性があるために、視野に含めておく必要はある。

確認すべき残りの検討事項は、風適法ならびに都条例となる。東京都下でぱちんこ店かゲームセンターかのいずれかに相当する風俗営業施設の立地を検討する場合には、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風適法)[19]と同法の関連法規に加え、東京都の風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例[20]と同条例の施行に関する規則[21]を検討すれば良い。厳密には、これら施設の立地は、風適法第4条第2項第2号の委任を受けた都条例第3条により規定されており、都条例第3条は、都条例規則第1条及び第2条により補足される。その法的構造はともかく、文教施設等から100m離れている商業地域・準工業地域であれば、これら風俗営業施設の営業は許可されるという点が重要である。なお、ぱちんこ店は現行の風適法にいう4号施設に相当し、古物商が付随するのが常であるが、その設置の態様は都道府県条例により異なる。東京都においては、この店舗を設置するための別のハコモノも必要となる。ただ、今後、カジノ法制成立後には、東京都下でも、換金施設が何らかの方法で同一建築物内に設置されることが認められる可能性もあり得る。ただ、ここでは、ぱちんこ店本体のみが風適法ならびに都条例によって、6・7街区における営業を規制されないことを確認できれば十分である。ゲームセンターであると仮定するならば、風適法では5号施設に相当するが、本件で想定する際には、市場施設を最初にホテルやショッピングセンターとして営業を開始し、その付属施設として営業許可を申請するという方法が実際的に見える。

いずれにしても、6・7街区は、周辺の住宅系街区から100mを超えて離れていることだけは確かである。建築計画自体、かなり余裕を持って緑地を配するものであるために、文教施設等からの距離に基づく制限は、到底、適用されそうにない。なお、木曽氏の主張には、文教施設だけが挙げられているものの、病院や図書館も考慮する必要はある。病院は、街区北東の昭和大学江東豊洲病院のようである。江東区立図書館は、江東区のサイトにリストがあるが[22]、どれも影響しない。敷地内の緑地だけで、豊洲市場は、周辺から区画されているものの、これだけ緑地が多く配置された理由については、多数の法律が関連しうるために調べかねている。距離制限を解決する役割を果たしていることだけは確かである。


人格攻撃とも取れる批判は批判者の専門性に跳ね返る

以上の検討によって、木曽氏の指摘[16]が失当であることは十分に示されたものと考えるが、これに加えて、一つ苦言を呈したい。木曽氏の記事が明白な誤りであるにもかかわらず、その記事の文末部分には、森山氏の「過去の誤り」と人格とを関連させた表現を読み取ることができる。現時点の森山氏は公人と見なされようが、森山氏の指摘の主旨は、本ブログで都市計画観点から検討した結果からも認められるように、明白な誤りであると断定できるものではない。お互いに気兼ねのない批判は必要であるが、文末のような表現は不要であるどころか、読者に懸念と疑惑を抱かせる。

木曽氏と同様に過剰な分量の人格攻撃は、山本一郎氏の記事[23]にも認められる。山本氏の指摘にあるような利益相反関係の明示は、必須ではある。しかし、山本氏が否定する構造計算上の問題は、後日の都知事の記者会見[24]においても、市場問題プロジェクトチームの配布資料[25]においても、その会合を報じる報道[26]においても、指摘されたことが認められる。山本氏の芸風が一貫して当該の記事にあるようなノリであることは広く知られていようから、その分を割り引く必要があるとはいえ、割り引かないのも読者の自由である。山本氏の論述のスタイルは、同氏の主張の真正性を低めるものであり、専門家や学識経験者としてのキャリア形成に寄与するものではなく、同氏自身の専門性に反動を与えるものとなる。

豊洲市場は、建築設計の専門組織が手がけた建築物であるにしては、著しい不具合の認められる状態にある。投入された税金の桁、関与した都職員の多さ、直接の利害関係者である市場関係者への影響の多大さゆえに、多くの推測がなされ、正当な批判を受けることがプロセスとして必要とされてもいる。この背景をふまえ、私は、専門家の一変種として、一定の論拠とともに、カジノ転用への道があらかじめ開かれていた可能性・都民にとっては長短両面のある将来性・国民全般にとってはカジノという金融政策上の弱点を生起しうる危険性、を述べたつもりである。

昭和風の言葉で表現すると、豊洲市場をめぐる現況は、一大疑獄と化している。


[1] 4年後に五輪開催予定の東京では有害物質に汚染された場所で魚を取り引きし、カジノ建設も目論む | 《櫻井ジャーナル》 - 楽天ブログ
(櫻井春彦、2016年08月22日)
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608220000/

カジノはタックス・ヘイブンと関係が深い。

[2] 政治・経済・医療、日本は問題だらけ: 2016年8月
(2016年08月29日)
http://coconut-oil.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/index.html
#8月29日の記事中で豊洲市場をカジノに転用する可能性があることを示唆している。

[3] 豊洲新市場問題のカラクリ: suzukikenzouのブログ
("rc:date"タグは、2016年09月14日08:53:42+09:00)
http://gcnqf306.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-6804.html

◎風評被害などで開業できない場合には、自民党の進める統合型リゾート構想(IR構想)に転用して東京豊洲カジノにしてしまう。自民党が急に色めきIR推進とぶち上げてます。〔...略...〕が、豊洲を二足三文で買い叩きメデタシ、メデタシ。〔...略...〕都知事選の応援も意味のあるものだった。さて、どうなるか。何となくウヤムヤになりそうな予感がします。

[4] 豊洲新市場の建築で決定的な問題が発覚した。今週小池都知事が開場の延期を決定か?: ミーチャンハーチャン Miicyan Haacyan
(2016年8月29日)
http://yoiotoko.way-nifty.com/blog/2016/08/post-d235.html

[5] 豊洲新市場構造についての素朴な疑義(前)|データ・マックス NETIB-NEWS
(仲盛昭二、2016年09月20日11:21)
http://www.data-max.co.jp/280920_nm01/

[6] 豊洲新市場の構造計算に【耐震偽装】の疑いあり!(1)~水産仲卸売場棟|データ・マックス NETIB-NEWS
(仲盛昭二、2016年10月18日10:23)
http://www.data-max.co.jp/281018_nm01/

[7] 専門家は転用可能と指摘 豊洲市場に浮上し始めた売却情報 | 日刊ゲンダイDIGITAL
(2016年9月28日、HTMLファイルの"datePublished"タグは2016年09月27日11:57:00+09:00)
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/190581

東京都に売却してしまったが、もともと豊洲で工場を稼働させていた東京ガスは、跡地にホテルを建設する計画を立てていたという。敷地面積約40ヘクタールを誇る豊洲は、土壌汚染問題はあるものの、東京ガスがホテル建設を考えたように、それなりに利用価値があるようだ。

「ホテルはもちろんですが、カジノや大型商業施設、運動場などに利用できるとの話が以前から出ていました」(都政事情通)

[8] オリンピックをイーストトウキョウへ 1|建築エコノミスト 森山のブログ
(2015年01月04日20:13)
http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-11968129720.html

豊洲は工業系の用途から住居系の用途に土地利用がかわり、

[9] 東京都都市計画地区計画の変更(東京都決定)豊洲地区地区計画(再16 豊洲地区.pdf)
http://www2.wagamachi-guide.com/tokyo_tokeizu/pdf/chikusai/%E5%86%8D16%E3%80%80%E8%B1%8A%E6%B4%B2%E5%9C%B0%E5%8C%BA.pdf

[10] 都計審/豊洲新市場を都市計画決定/江東区長「総合的な交通対策を」/民主党「直近の意見集約すべき」(都政新報)
(2011年08月02日)
http://www.toseishimpo.co.jp/modules/news_detail/index.php?id=612

[11] トップページ/区政情報/計画等/都市計画マスタープラン/江東区都市計画マスタープラン
https://www.city.koto.lg.jp/kusei/keikaku/52792/7709.html

[12] 豊洲購入の原点文書「真っ黒」 都が開示した東京ガスとの交渉記録(追記あり)(加藤順子) - 個人 - Yahoo!ニュース
(加藤順子、2016年9月23日08時06分)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/katoyoriko/20160923-00061982/

[13] 東京都専門委員の選任及び市場問題PTの設置について|東京都
(東京都総務局、2016年9月16日)
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/hodohappyo/press/2016/09/16/05.html

[14] 今野浩, (2011). 『工学部ヒラノ教授』, 東京:新潮社.(NDL-OPAC)

[15] 基盤地図情報サイト|国土地理院
http://www.gsi.go.jp/kiban/index.html

[16] カジノ合法化に関する100の質問 : 「ガセネタ乱舞」でお馴染みの森山高至さんが「豊洲をカジノに」などと適当な論をブッこいてる件
(木曽崇、2016年10月07日18:23)
http://blog.livedoor.jp/takashikiso_casino/archives/9378595.html

この地域には豊洲市場を囲んで以下のように沢山の子供向けの文教施設が存在しています。〔図〕こういう地域というのは、そもそもカジノを初めとする賭博施設の開発には向かない立地なのであって、そういう常識的な感覚を持たずに〔...略...〕

[17] 東京都文教地区建築条例http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/g1011298001.html

[18] 土壌汚染対策法
(平成14年5月29日法律第53号、最終改正 平成26年6月4日法律第51号)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H14/H14HO053.html

[19] 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律
(昭和23年7月10日法律第122号、最終改正 平成27年6月24日法律第45号)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO122.html

[20] 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例
(昭和59年12月20日条例第128号、最終改正 平成28年03月10日条例第2号)
http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/ag10122141.html

[21] 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例の施行に関する規則
(昭和60年02月01日公安委員会規則第1号、最終改正 平成28年03月10日公安委員会規則第2号)
http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/ag10122151.html

[22] トップページ/施設案内/教育関連施設/図書館
https://www.city.koto.lg.jp/sisetsu/13399/13466.html

[23] 盛大にガセネタを乱舞させていた森山高至さんが東京都専門委員に就任のお知らせ(追記あり)(山本一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
(山本一郎、2016年9月17日)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20160917-00062281/

[24] 小池知事「知事の部屋」 / 記者会見(平成28年8月26日)|東京都
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/governor/governor/kishakaiken/2016/08/26.html

【記者】〔略; フジテレビ〕定められた耐震基準に達していないのではないかという疑惑があります。仲卸売り場棟の4階の床のコンクリートの厚さが、耐震性能を計算するための構造計算書と実際の設計図と違いがありまして、構造計算書は1センチメートルになっているのですが、設計図の方では15倍の15センチメートルになっています。もし耐震基準を満たしていないなら、これは大きな問題になるかもしれませんが、知事はどのように対処なさいますでしょうか。

【知事】まさしくここが、これからの情報公開を含みます都政の改革本部でも扱われるマターになろうかと思います。〔...略...〕耐震基準についても同様でございまして、〔...略...〕

[25] 第1回市場問題プロジェクトチーム配布資料 | 東京都
(2016年10月5日版)
http://www.toseikaikaku.metro.tokyo.jp/shijyoupt-kaigisiryou01.html
#「第1回経過説明スライド+次回の論点(PDF:827KB)」の中に床のコンクリート厚の設定が誤りではないかという指摘が見られる。

[26] 豊洲問題PTが初会合=座長「全部解決し移転を」-東京都:時事ドットコム
(記名なし、2016年09月29日18:05)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016092900776&g=pol

小島座長は、水産仲卸売場棟の4階の床に150ミリのコンクリートが敷かれているにもかかわらず、構造計算書には「10ミリ」と記載されていたことを挙げ「都のチェックは万全ではない」と指摘。改めてデータを確認し、設計した日建設計(千代田区)からも話を聞く考えを示した。




2018年02月01日変更

レイアウトをbrタグからpタグ中心に変更した。また、自己リンクにnofollow属性を付与し、外部リンクのアンカー位置を変更した。変更は、レイアウトとリンクタグに限定されており、文章はそのままとしてある。

2016年10月18日火曜日

米露核戦争はないであろうが、わが国は戦争屋の退避先になろう

はじめに(必読)

今回は、超大雑把に、仮定に仮定を重ね、世界を俯瞰してみた。2016年10月現在の一陰謀論者の混迷を知るという点では有用な材料とはなろう。段落読み自体は可能であるが、整理はされていない。

要旨(必読)

TPPの受入れ準備は、核戦争の勃発とは両立しないから、核戦争はないと思う。カジノは今のままでは、わが国における資金洗浄の最大の窓口(脆弱性)になる。

本文(任意)

最近のシリア情勢を巡る米露の緊張を受けて、『新ベンチャー革命』のH.Y.氏[1]や『櫻井ジャーナル』の櫻井春彦氏[2]までもが第三次世界大戦への恐れを公言するようになっている。『新ベンチャー革命』は日本語のオシント(公開情報による情報機関などによる情報収集)によるブログであり、独特の用語により適時に明快な主張を提起している(参考)。『櫻井ジャーナル』は、日本語では他に見ない国際関係情報を発信する日本語商用サイトである。両サイトとも、感情を露わにする陰謀論者のサイトが多い中、陰謀論と呼ばれ得る内容を抑制された表現で分析している点で共通する。

 これらの良識派(と勝手に呼ばせていただく)までもが第三次世界大戦に対する懸念を表明している現在、戦争を抑止する上で日本人に可能なことは、いち庶民であれば、戦争屋の宣伝に無闇に乗せられず、走狗とならないことである。国内における戦争屋勢力の「企む」悪事を知り、それに協力しないことである。積極的に妨害することは、誰にでも可能なことではない。他方、権力を有している者であれば、相当程度のことが可能であるが、公人が庶民の目に見える形で戦争屋を排除すべく積極的に活動している形跡は、さほど多くない。現時点における権力者とそれら部下の不作為や作為のすべては、将来において、当時の責任を追求する材料とされよう。

 脱線する。「企む」といえば、17日『スーパーJチャンネル』では、豊洲市場の盛土関係の委員会の傍聴席から、築地の関係者と思しき方が「"食"の字は"人"に"良い"と書く。ところが都職員は"人"を"止める"、"企てている"に過ぎない」と批判していた様子が報道されていた。ちょっと良い話である。「犯罪企図者」の語は、私も良く使う。「企図」が行政用語でもあることをよくご存じなのであろう。築地の関係者が大挙して会議を傍聴することは、当然に予想される状態であったから、この騒然たる様子自体は、情報産業関係者の仕込みにはよらないと見ることができよう。

 第三次世界大戦の抑止には、いち庶民である日本人が直接の役に立つことなど、ほとんどないに等しい一方で、うかうかしていると、それを企図する戦争屋勢力の延命に知らずして協力することになる。その一例が豊洲市場カジノ転用プランである。もっとも、カジノ転用プランは、カジノにおける勝ち金の上限額を全日本国民の生産年齢人口の月収の中央値$\bar{x}$(この定義が重要)に定めれば、あるいは現状ベースで30万円程度(ぱちんこでもレース系のギャンブルでもなかなかないであろう)とすることができれば、有効に金融犯罪を抑止することができよう。なお、まず間違いなく、$\bar{x} < 0.3 \times 10^6$であり、一晩30万円上限であっても、それなりに大勝ちできるのであれば、庶民としては万々歳となろうが、その計算と答え合わせは、別の機会としたい。

 第三次世界大戦の恐怖を検討する際には、「国際秘密力集団」による「人口削減」の位置付けを検討する作業が不可欠である。人口削減は、陰謀論における根本概念の一つとされており、「ジョージア・ガイドストーン」に5億人に人口を抑制すべしとの言が明記されているという。5億人は、全世界の人口を将来人口の20分の1程度に抑えるものとなり、集住・再配置を前提とする。しかしながら、自然環境と調和しつつ、戦争やそのほかの手段によらないで、安定的な人口上限(110億人)に達することは、近年の研究により可能と見なされている。ただし、人口抑制を強要せずにこの課題を達成するためには、(議論の詳細は、とうてい一人の研究者で論証可能なものとはならないため、直感に頼らざるを得ないが、)第一に、公平な経済活動とライフプラン教育が全世界で徹底される必要がある。第二に、空間計画を現在以上に厳格に運用し、人間活動に伴う環境への負荷を相当緻密に管理する必要が生じよう。人口の再配置(コンパクトシティの推進)は、現在の技術と熱力学の第二法則を前提にすると、やむを得ないであろう。砂漠地帯の効率的な緑化方法が実現すれば、その種の半強制的な空間計画は、不要となるかも知れない。

 人口削減が不要な手続であると判明しているにもかかわらず、この旧態依然のテーゼに基づいて第三次世界大戦を引き起こそうとすることは、2016年時点の戦争屋にとっては、誤った選択となる。なぜならば、大々的な核戦争という結果は、「西側」諸国の繁栄を壊滅させ、結局は戦争屋を含む国際秘密力集団全体の豊かな生活を犠牲にし、生存の余地を大きく狭めることになるためである。個人の退避する「Vault」(『Fallout』シリーズ参照)が安全であるという保証はない。国際秘密力集団は、民族というよりカルト教団と呼ぶべき存在であるが、集団としての生存はともかく、個人が生き残りを図る場合、戦争屋なり国際秘密力集団なりの個人が全面核戦争を積極的な最終目標とする必然性はない。彼らなりの大義のために「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と考える戦争屋という存在は、ごく最近の多くのイベントの出来具合を見るにつけ、「木に拠りて魚を求む」類いである。むしろ、任侠を暴力団と呼びディスる際のロジックと同様、カネ(により可能となる酒池肉林)が目標であると考えた方がしっくりくる。つまり、国際秘密力集団の論理は、組織犯罪を社会構築主義的に分析する際のベースに乗る。

 全面核戦争は国際秘密力集団にとっても得にならないという大前提をふまえ、冷戦が演出された危機であるという仮定を導入すれば、最も儲かるスタイルは、対立の演出と局地紛争にあるものと看破することができる。この考察を進める上で役に立つ報道の一つは、スティムソン・センターが8月中に公表した、トルコにおけるB61搭載の核爆弾50発がテロリスト勢力により盗難される危険性があるとともに盗難の事実に係る明言がないとする指摘[3]に係るものである。この指摘は、CNNが先に複数の専門家の言などを引用して報じた内容[4]とは整合しないものである。盗難事実の有無にかかわらず、また、発信者の意図にかかわらず、スティムソン・センターの指摘は、危機を演出するという機能を有する。この報告書に対しては、『ニューズウィーク』[5]などの米国マスコミがいくつか直ちに追随したが、この盗難リスクの指摘とマスコミ相乗りは、事実としての重大性に比べれば、扱いがきわめて小さなものであった。 映画ならば『ブロークン・アロー』に見るように、最大級の危機である、にもかかわらずである。現時点で、核兵器盗難リスクの続報と思われる報道をGoogleにより検索すると、トルコのクーデター未遂に対して批判的であるBrian Stewart氏の論説[6]がトップに近い位置に挙げられる程度である。同氏の記事には、現在の核弾頭の所在に係る関係者の話はまったく出てこない。

 そもそも、核兵器の盗難リスクを指摘することは、どの国の軍人に対してであれ、軍人の絶対多数を占める誠実な個人を侮辱する話になる。理由は、簡単である。核兵器の横流しにせよ、盗難にせよ、複数を巻き込まなければならない話であり、結果も大きすぎることが見えているからである。たとえば、組織の不正として端的なものには、不正会計処理があるが、これは、荷担する各人の良心に対する負荷が比較的小さいであろうから、どのような組織においても蔓延しうる割に、組織犯罪としては隠蔽される確率が高い(#分かり易さを優先して断定的に表現しておく)。これに比べて、これも良くある話として、重大交通事故のもみ消しを挙げることができるが、この事件は、人命が関わるものであるから、外部からの指摘も大きくなり、より表沙汰になりやすい。翻って、核兵器を盗まれることは、組織全員の責任を生じさせるほどの失態である。何十万人単位の人命を奪うためである。また、軍隊における核兵器の盗難という前例は、他国にとって、またとない交渉の契機となる。盗難された国は、国としての存続が危ぶまれる事態に落とし込まれることになる。他方、「盗難」が仮に事実なら、その形式は、まず間違いなく、上司からの命令に基づく輸送活動であろうから、「戦争屋」の関与が決定的なものとなる。この過程で、まず間違いなく、部下の離反を生じることになり、この大がかりな不正は、足が付くことになる。

 リスクを指摘した研究者の意図が奈辺にあるのかはともかく、このリスクの指摘は、「テロリスト」と戦争屋がツーカーの仲であることを前提とする。NATO基地からの反撃に対応可能な兵力で、自称イスラム国兵士がトルコ領内に侵入し、基地から1発の長さ3.56m、重量320kg[7]の核爆弾を50発も無事に搬出することは、重量だけでも4トントラック3台以上となるため、戦争屋と呼ばれうる高位の人物の手引きなくして不可能な作業であると結論付けられる。台車を含めた運搬のしやすさを考えると、5台以上の車列を安全に護衛して移動することになる。どれだけの人数の裏切り者が必要で、どれだけの人数の抵抗する軍人を排除しなければならないのかを空想すると、ほとんどハリウッドの世界である。(航空機で搬出することは、余計にハリウッドB級のノリである。)

 対立の演出と局地紛争だけが「儲かるモデル」であるとするもう一つの傍証は、2013年5月5日[8]のシリアにおける大爆発である。これに対しては、バンカーバスター(地下壕を破壊する者という名称の)ミサイルに核兵器を搭載したものが使用されたという噂までが指摘されている。爆発が生じ、大きな振動が生じていた[7]こと、地下における爆発であったことまでは信用できそうであるが、そのほかの可能性を論じる日本語情報の真偽は、私には検証できる範囲にはない(。ヒュミントの領域である)。ただ、この爆発がピンポイント爆撃ではなく地中の核爆発によるという指摘は、B61が地下施設の破壊を目的に開発されたなどの事情を考慮し、Wikipedia日本語版のマグニチュードTNT換算が便利であるのでこれを利用すると、B61ではM4後半以上を起こすことが可能であるという計算になるので、この点は何ら矛盾しない。周辺の建築物が軒並みすべて地震で倒壊するということにはなっていないから、直下型地震で被害が出るM6に対して、10分の1未満という数値であることとも整合する。

 小型であっても都市に対して核爆弾を投下することは、十分過ぎる悪であるが、それでも、都市を丸ごと一つ破壊し尽くすような形で核兵器を使用することは、戦争屋によっても避けられることであろう。いくら戦争屋が一国を自身に有利なように私していたとしても、都市を丸ごと一つ破壊し尽くした後では、独裁国家でない限り、また、独裁国家であったとしても、彼らは命を狙われることになろう。戦争屋による大型の核兵器の使用は、同国人によっても、国対国の話としては理解されず、戦争屋全員の生命を賭ける決断として扱われることになるから、実際的ではない。

 このような重大事態が推移する折、最近のケーブルテレビで放映された、ブルース・ウィリスが引退した凄腕CIA職員を演じる『RED2』(2013)では、1980年代?に開発された大きめの道具箱(W600mmD400mmH400mmくらいか?)程度の超小型核爆弾が登場する。北朝鮮が開発に成功したとしているものよりもはるかに小型で、片手で持ち運べるものである。アンソニー・ホプキンスが例によってマッド・サイエンティストを演じているのはお約束である。このサイズと重量は、流石に無理筋な設定であるし、爆発の色彩が低温過ぎるようにも見える。とは言いながらも、「平和な」日本人にはそれと気付かれないような形で、脅迫行為として、小型の兵器が実際に使用されるということは、戦争屋の跋扈してきた現代では、十分にあり得ることである。しかし、重ねて指摘することになるが、今、現時点において、世界の全員の目に見える形で核兵器が使用されたとき、その使用を決断した戦争屋に対しては、同国人からの合法的な、あるいは合目的的な制裁が待ち受けることになろう。さもなければ、同国人の全員が制裁の対象となるためである。核兵器使用の責任者をピンポイントで排除する試みは、全世界からの支援を受けることになるであろうから、この状態に陥りかねない種類の決定は、相当に目先の展開が読めない戦争屋でなければ、行うことはないであろう。

 わが国の政府関係者が該当する訳ではないところがポイントになるであろうが、以上長々と日本語で説明した内容は、現時点の世界の指導者たちに、まず間違いなく、ここに示したより遙かに精密な知識に基づき、このほかの展開まで含めて、正確に理解・予測されていることであろう。紛争の極大化は、戦争屋自身の身の安全という制約条件の下にある。この点を現時点の世界の指導者層が見通していることは、戦争屋にとって、アメリカや日本の大衆に知られてならない「不都合な真実」である。すでにアメリカは戦争屋にとって安全な国と言えなくなりつつある。また、戦争屋は、今般の選挙戦における民主党の内部告発者たちを極端な方法で口封じすることにより、ますます安全とは言えない環境を自ら作り出しつつある。ヒラリー・クリントン氏などのオバマ政権の「君側の奸」でもある戦争屋は、何としても今回の大統領選を乗り切らなければならないと考えていよう。しかしながら、第三のプラン(参考)に切り替えるにしても、最後にオバマ大統領にちゃぶ台返しされるという危険性を排除しなければならなくなる。このとき、ラスト・リゾートである日本という選択肢まで失うことは、戦争屋にとって完全降伏するほかない窮地に立たされることになる。

 人口削減という荒唐無稽な計画を主導してきた戦争屋勢力が危機に瀕していること、国際関係において大多数のプレイヤーがこれまでの経緯を把握しているであろうこと、マスコミが無理筋な憶測を喧伝しては潰える様子を繰返していることを並べ合わせると、戦争屋たちは、できることなら危機を煽るだけで済ませ、利益と態勢を立て直す余裕を得たいと考えているのではないか、と予想することができる。脅すだけで利益を得ることができるのであれば、人を傷付けることまではしないと考えることは、犯罪者であろうが誰であろうが、メジャーな論理であろう。アフリカ諸国における、たとえば、シエラレオネにおける内戦は、人間本性の例外に属すると見るべきである。シリアにおける紛争(を巡る露米対立)において、「西側」のマスメディアを読むだけでも、戦闘の大きな流れは、シリア政府の側にあると見ることができる。それは、単に兵力の差というよりも、子ブッシュ政権による悪行、クリントン国務長官時のオバマ政権の一部勢力の非行(#この語は色が付いているが、まあ当たらずとも遠からずであろう)が世界的に共有されてしまっていることに原因がある。核兵器という奇手を主張しようにも、手品の種が割れた状態であると形容することができよう。

 ドナルド・トランプ氏へのマスメディア報道は、斉一的なものであるがゆえに、かえって、マスメディアの「飼い主」が危機にあることを窺わせる。トランプ氏に対する攻撃の中には、真実の申立てもあろうから、それらは、現今の危機が過ぎた後に、慎重に検証されるべきではあろう。しかしながら、フックとして利用された舞台裏の下世話なやり取りは、トランプ氏の政界進出をあらかじめ妨害するために別の人物が焚き付け、トランプ氏が期待される役割通りにペルソナとして振る舞ったものであるという線も認められる。それに、ヒラリー氏の当選後には、トランプ氏に比べれば、前科者のビル・クリントン氏がおまけで付いてくることになる。キリスト教の新訳聖書の精神は、思想・発言を戒めるものであるから、ピューリタンの伝統を有するアメリカ社会では当然反発もあろうが、もとより政治は宗教で解決し難い調停を行うための手段である。

 現今、戦争屋が当てにできる頼もしいパートナーは、日本国政府だけである。以上の背景と理由ゆえに、わが国政府は、TPPを一国だけで推進しようとしている。後世には無能と評されよう官僚たちに、そのための露払いを行わせている。米国の署名抜きにはTPPが発効しないにもかかわらず、である。ところで、TPPのISDS条項は、例外とする法律と条文を挙げなければ、あとはすべて投資家が提訴するときの根拠とできるというものである。警察の生活安全行政に係る分野としては、銃器、風俗、薬物、賭博がISDS条項の影響を受けるものであるという考えは、本ブログで度々言及したとおりである。この虞は、次の点を考察すれば、まったく空想でも何でもない。

 戦争屋の住みやすい国にするためには、実効的なマネーロンダリングの手段が必要である。不正な手段により獲得した資金を合法的に貯蓄できる資産に転換する作業が求められる。カジノというギャンブルは、戦争屋が自身の不正蓄財を洗浄するためにも利用可能である。以前に指摘した方法においては、収賄側・贈賄側はお互いに異なる人格であったが、今回指摘する方法は、収賄側・贈賄側が同一人格である。従来のギャンブルは、相手を巻き込む必要が生じる。馬主になるにしても、ほかのスポーツのパトロンになるにしても、最初の資金がクリーンでなければ、そこから足が付く。このとき、各回の勝負の履歴が明らかにされる虞がない種類のギャンブルを上手く利用すれば、(男爵の例え話でも、それを応用した統計的手法でも、PCの起動方法でも、いずれでも良いが)ブートストラップ的に、どこからどこまでがクリーンな資金でどこからがダーティな資金であるのか、監査側には見分けが付かなくなる。この仕組みが言外であれ考慮されていない、ギャンブルにおける不正防止の研究は、およそ研究とは言えない。ギャンブルが合法であり、ほかに不法な資金獲得手段が存在する場合、金持ちがギャンブルにハマるという構造には、別の理由があり得るということである。もちろん、ここにいうギャンブルの中には、証券取引というギャンブルの最たるものが含まれる。



[1] 次期米国政権をなんとしても奪還したい米国戦争勢力は、結局、選挙不正でヒラリーを強引に勝たせるかもしれない:我ら日本国民は第三次世界大戦を覚悟するしかない ( その他国際情勢 ) - 新ベンチャー革命 - Yahoo!ブログ
(H.Y.、2016年10月13日10:59)
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/36275616.html

[2] モスル奪還で米政権はヒラリーを支援、戦闘員は戦況が悪化しているシリアへ移動させる動き | 《櫻井ジャーナル》 - 楽天ブログ
(櫻井春彦、2016年10月14日)
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201610140000/
アメリカ支配層は苦境から脱するため、軍事的な緊張を高め、相手が恐れをなして降りるのを待っているのだが、相手(ロシアや中国)は降りない。核戦争の脅しを始めているが、それも効果がなさそうだ。途中、アメリカが降りるチャンスを相手は与えていたのだが、富の独り占めを妄想して降りず、もう引き返せな所までアメリカは来てしまった。ヒラリー・クリントンは核戦争に向かって突き進もうとしている。

[3] US Nuclear Weapons in Turkey at Risk of Seizure by Terrorists, Hostile Forces | Stimson Center
(2016年8月15日)
http://www.stimson.org/content/us-nuclear-weapons-turkey-risk-seizure-terrorists-hostile-forces

[4] U.S. Turkey Airbase Nukes At Risk of Seizure From 'Terrorists': Report
(Jack Moore、2016年8月15日12:29-04:00)
http://www.newsweek.com/us-nukes-turkey-airbase-risk-falling-hands-terrorists-report-490358

[5] CNN.co.jp : トルコに米軍の核爆弾50発、安全上の懸念浮上 - (1/3)
(記名なし、2016月07年21日14:32JST)
http://www.cnn.co.jp/world/35086205.html
インジルリク空軍基地に核兵器50発を保有していると推定する。同基地にあるのは冷戦時代の核爆弾「B61」とされ、米国とトルコの関係に詳しいジャーマン・マーシャル・ファンドのジョシュア・ウォーカー氏は、同基地の核兵器の存在は「公然の秘密」と言い切る。

〔...略...〕

 米国防総省は同基地の核兵器の存在について公式には確認していない。しかし複数の米当局者は、トルコにある米国の兵器はすべて米国が安全を確保していると説明する。〔以上、p.1〕

〔...略...〕

 しかし、ジャーマン・マーシャル・ファンドのウォーカー氏は、核兵器の安全性に関する懸念は「大げさ」との見方を示し、兵器を使える状態にするためにはワシントンから起動する必要があると指摘した。〔p.3〕

[6] Turkey's purged post-coup military has NATO allies nervous: Brian Stewart - World - CBC News
(Brian Stewart, 2016年10月3日05:00ET、更新2016年10月3日06:08ET)
http://www.cbc.ca/news/world/turkey-coup-crackdown-military-1.3786844


[7] B61 nuclear bomb - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/B61_nuclear_bomb


[8] Israel launches second Syria airstrike in two days - reports — RT News
(2013年05月05日00:02)
https://www.rt.com/news/damascus-syria-explosions-sunday-831/

#下記は、2013年8月1日の被害に係る報道を受けてのものであるが、引用される文脈は、必ずしも8月1日の被害によるものではなく、5月5日の爆発に係る情報まで含まれる。
シリアで大規模な爆発 キノコ雲が発生 → 放射脳「これは核爆発だ!」 - Togetterまとめ
(@ree_fa、2013年8月5日)
http://togetter.com/li/544564

[9] 4年後に五輪開催予定の東京では有害物質に汚染された場所で魚を取り引きし、カジノ建設も目論む | 《櫻井ジャーナル》 - 楽天ブログ
(櫻井春彦、2016年08月22日)
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608220000/
カジノはタックス・ヘイブンと関係が深い。