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2018年10月15日月曜日

(メモ)ソフトバンク株の急落(2018年10月15日)

ブルームバーグ[1]やロイター[2]は、アドナン・カショーギ氏のであるジャーナリストのジャマル・カショーギ(Jamal Khashoggi)氏が在トルコ共和国サウジアラビア王国総領事館内で殺害されたとされる事件を受けて、ソフトバンク株が急落していると伝えている。2018年10月15日(月)の日経平均株価は、ソフトバンク(9983)やファーストリテイリング(9984)が、午前の寄付直後から大きく売り込まれ、これら値嵩株の影響を被り、下落した※1。これら2銘柄は、本日、とりわけ念入りに売り込まれ、指数プレイの出汁にされたといえるのではないか。

「サウジアラビア王国関係者が犯人だ」と言わんかのような殺人劇を通じて、サウジアラビア王国に対して汚名を被せ、トルコ共和国との過剰な緊張関係を生じさせ、その影響の名の下に、アメリカへの投資も宣言しているソフトバンク株を急落させることによって、誰が得をするのであろうか。ソフトバンクの株価そのものは、とんだとばっちりである。悪影響は、それのみに留まらない。同社株が、日本の株式証券市場を代表する銘柄であるためである。

サウジアラビア王国において、権力闘争があることは事実であろうが、これらの事件をあたかも同国を専らの犯人であるかのように報道することは、日本経済全体に対する重大な挑戦と了解することも可能である。ソフトバンク株の下落を受けて、値嵩株である日経平均株価が連動して下落すると、日経平均株価に連動するETFを通じて、日経平均採用銘柄全体の株価も低下する。サウジの権力闘争の実際を正確に知らせもせずに、ソフトバンクに対する不安感を煽るだけでは、単一銘柄の株価の不正操縦に留まらない波及効果が生み出されることになる。サウジアラビア王国に見られるようなネポティズムに係る報道は、誰と誰が組んでおり、権力を掌握しているのかの分析と、事件の真犯人と下手人が誰であるのかの追及までが併せられなければ、いたずらに投資家の不安を煽るだけに終わる。わが国でも、真のジャーナリズム魂を有した人物は、相応の危険に晒されている(が、申し訳ない表現ではあるが、株価に影響を与え、一国の経済を傾かせるまでのことはなかろう)。カショーギ氏の「保険」は、サウジ関係者の躊躇を生まなかったのか。他国の介入は、単に通信傍受のみなのか。これらの疑問が追求されてもいないという事実を鑑みれば、マスゴミの影響力は、総じて、悪い方向にしか機能しておらず、命を張る(ごく少数の)同業者や彼らの安全を軽んじているとしか言いようがない。


※1 『株探』のウェブサイト[3]から、日経平均の当日引け後の当該の寄与度上位5銘柄を下に示した。

コード銘柄寄与度
9983ファストリ -93.73
9984ソフトバンク -80.56
6367ダイキン -17.78
4543テルモ -16.3
4911資生堂 -10.11

[1] ソフトバンク株が急落、サウジ記者の行方不明問題への懸念増大 - Bloomberg
(古川有希・中村友治・Peter Elstrom、2018年10月15日14:42JST、更新日時 2018年10月15日19:47JST )
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-10-15/PGMIEH6S972801

今後のビジョン・ファンドに潜在的なリスク-アナリスト
孫氏、シリコンバレーで冷遇される可能性も-キングストン教授

[2] ソフトバンクG株が反落、サウジ記者不明問題で売り圧力
(記名なし、2018年10月15日09:44)
https://jp.reuters.com/article/softbank-stock-idJPKCN1MP014

「(記者の行方不明問題について)サウジ政府の関与の疑惑が出ており、株価もネガティブに反応している」(国内証券)との声

[3] 株探 | 株価注意報 - 日経平均の寄与度ランキング
(2018年10月15日16:00)
https://kabutan.jp/warning/?mode=8_1

2018年9月8日土曜日

(メモ)正義を自認する者にどこまでの嘘は許されるのか

#手抜きも良いところであるが、とりあえず公開する。【】は、段落を構成する要素として、成立しているであろうが、文としては、放置したままのものである。


一国の国民の安全を預かる者からすれば、単なる平和主義者は楽な立場だと、プーチン大統領は、オリバー・ストーン監督に語っている(。『オリバー・ストーン・オン・プーチン』〔pp.168-169〕、ここでは「親ロシア」という用語で説明されている)。平和主義者の国民の側に、「権力者とは、何をしてでも一国の安全を維持するという任務を背負うものであり、結果で判定されざるを得ない存在である」という認識があれば、平和主義者の国民と権力者との間には、権力者がプラトンのいう「哲人王」を目指す限りにおいて、共通の了解も生まれるのかも知れないとは思う。殺されることに甘んじて耐えるということは、普通の人間には可能なことではない。私からすれば、筋金入りの平和主義者の国民もまた、その領分に留ま(り、殺されることを覚悟す)る限りにおいて、(場合によっては、権力者よりも)偉大になり得る存在であるとは思うのであるが、この考えは、下々のものであって、甘いものなのだろうか。

話の枕としては、あまり適当な事例ではなかったが、私の考察の対象は、NHK『NHKスペシャル選 未解決事件File07』「警察庁長官狙撃事件」(2018年9月2日21時、8日(本日)16時~)において紹介された、青木五郎・警視庁公安部長によるオウム真理教を犯人として名指ししたことの理由である。この発言は、警察行政に対してかねてから批判的であった言論人や組織からの反発を大きく招くものとなった。これらの批判(を無料の本ブログで収集して取り上げる努力はしないが、それら)は、至極、妥当なものである。青木氏の発言は、推定無罪の原則などの刑事司法の基礎的な考え方を知る者なら誰でも、直ちに違和感を覚えることができるほどに踏み込んだものである。結局、東京都は、オウム真理教の後継団体であるアレフに裁判を起こされて、損害賠償まで支払うことになった

【概要の説明;警察庁長官の國松孝次氏が1995年に狙撃された事件。オウム真理教関係者が教団への捜査を攪乱するために起こしたものと見立てられた。ところが、中村泰という警察官殺害事件の犯人でもあるローン・ウルフ型の犯罪者が、刑務所で誰?に向かって告白した。これを受けて、警視庁公安部・刑事部は、捜査に着手するも、中村の自供に基づく拳銃を発見することはできなかった。大島行きフェリーから海中に投棄したとするため。青色のティップを持つホローポイント弾は、LAの貸倉庫に保管していたものの、借用期限がきたために処分され、銃砲店に売却された。中村は、接触を図ってきた弁護士に対して、決定的な何かを埋めた地点に係る資料を提供、撮影班は宝探し中とのこと。】

落ち着いて状況を考えてみても、青木氏の発言は、明らかに異常さが際立つものである。【常識から外れているのは二点。刑事司法の理念である推定無罪の原則に違背していること。時効にあたってとはいえ、注意喚起としてのタイミングがあまりに遅く、不合理なこと。】

この異常な状況ゆえに、合理的な精神を持つ批判者は、なぜ、青木氏がここまで発言したのか、という疑問にも至ることができる。【さすがに、キャリアの青木氏がここまで法律の常識を知らないとは言えまい。なぜ、オウム真理教にすべての責を負わせなければならなかったのか。】青木氏自身の「テロ事件の危険性を喚起し続けるため」という趣旨の発言は、彼の意図の全部を説明するものではないが、彼の意図すべてを把握しようと努力する際のヒントとして利用可能ではある。

青木発言の意図が、警察庁長官狙撃事件ほどの重大事件を一個の個人が起こせるだけの脆弱性がわが国に存在し続けてきているという事実から日本人の聞き手の注意を逸らすために仕組まれたものだと考えてみると、このお粗末過ぎる発言の理由にも、それなりの合理性を認めることができるようになる。青木氏は、あえて、近代社会の法理念に悖る迂闊さを全面的に押し出すことによって、日本の安全を維持するための汚れ役を一身に引き受けようとしたのではないか、とも考えることができる。しかし、青木氏の発言にもかかわらず、日本社会の安全性にぽっかりと開いた深淵は、残念ながらそのままである。たとえば、着の身着のまま、今年8月12日夜に(、この表現は、正確ではないかも知れないが)脱走した樋田淳也を、大阪府警察は、今に至るまで確保できていない。中村泰にせよ、樋田にせよ、これらの個人犯罪者たちは、彼ら犯罪者個人の目的に照らせば、今も警察を出し抜いたままである。また、彼らから発せられているメッセージは、およそ30万人を擁し、自賛するのも理解できなくはない水準の治安を実現しているはずのわが国の警察組織に対して、重大な疑義を突き付けるものとなってしまっている。

犯罪者の声明・犯行に対する警察のコメント、すなわち広報活動は、単に警察の体面を維持するという問題に留まらず対テロ戦争の一環でもある。重大事件を起こした犯罪者個人の目的が売名行為にあるとすれば、彼らの意図は、犯行を通じた一種のテロ活動と言える。これら犯罪者たちの目的は、汚名とマスメディアの(真実を世に広めるという建前の下での、実際のところは経済的な利潤を目的とする)下世話趣味とをテコとした「不死の名誉」とも言い換えられる。この機能を考慮すると、犯罪者なりの「名誉」と、それらを毀損するための行政府・司法機関の組織的活動と、それらの事件から教訓を引き出すという正当な犯罪予防活動との間には、緊張関係がある(犯罪者の実名報道(の是非)は、この緊張関係に含まれる、より一般の意識が向いている話題である)。この売名行為に対して不用意に共感的な言説を寄せることは、テロへの協力にもなりかねないし、非難に値することもあろう。この危険に対する私個人の研究者としてのかつての答えは、「大文字の物語」を構成しかねない(日本国民に大きな心的影響を与えうる)重大事件についての言及をわざと欠落させ、犯罪対策と個別の事件とを分離するというものであった(。「体感治安」は、この種の言説をまぜこぜにしてしまうという点で、諸刃の剣であった。この点、一般人でしかない今の私には、この種の縛りはない)。


なお、樋田淳也の逃走に関して指摘しておけば、全防犯カメラのネットワーク化およびその映像を利用した自動人物同定システムは、技術的な問題解決を必要とすることなく、十分に実装可能である。少なくとも、十分に多数の防犯カメラをネットワーク化し、自動認識システムに対して、常時、映像なり(容貌または歩容の)特徴量を送信すべき時が来ているという意見に対して、(光学、電気・機械・情報工学に含まれる種類の)技術は、十分に対応できる程度に成熟しきっている。問題は、社会実装に(のみ)ある。この主張を補強するため、憲法上の懸念を解決する上での最も有力な(私の考えた)方法論を提示しておく;それは、防犯カメラ単体の性能を向上させ、その製品の内部で、個体に係る特徴量までを計算し、その特徴量のみを送信するというものである。ワンチップといった「一体化していて製品から分離できない」部品によって、個人の容貌を(このように呼んでしまうことにするが)ハッシュ化してしまうことにより、カメラ本体内部で、データから個人への紐付けを防ぐ作業を完結できる。複数のデータ源から収集された同一個人に係るハッシュの同一性は、常に問題となるが、時空間上で近接するという基本を考慮すれば、十分な数の画像が複数のカメラから取得できている場合、大して問題にならない。社会的な課題は、このハッシュ計算を標準化する際に、利権が生じうることである。




2018(平成30)年9月8日22時30分追記

再現ドラマにおいて、小日向文世氏が演じる警視総監は、國村隼氏の演じる刑事に対して、「オウムを叩くことと真実を追求することのどちらが大事か」という趣旨の言葉を投げ掛ける。この台詞は、どちらかと言えば、当局の意向を汲んで、脚本家が採用したものと理解して良かろう。社会安全をタブー抜きで追究している(つもりの)人物からすれば、この台詞は、問題を矮小化してしまうという点で、社会に与える影響を限定化しているために、物足りなく感じてしまう。ただし、この台詞は、底が抜けていない分、これを真に受けてしまう愚かな同業者が出てくるのではないかとも危惧してしまう程度には、良く出来てもいる。あと、嘘と真実との割合について受刑中の中村が語る台詞は、実際の発言を下敷きにしたものであろうが、統計的な考察に欠ける。




2018(平成30)年9月9日1時43分訂正

一部の表現を改めた。




2018(平成30)年9月11日8時23分追記・訂正

一部の表現を改めて、淡い橙色で示したが、意図は変えていないつもりである。

なお、単なる疑問だが、時効成立当時の報道発表において、青木五郎氏は、沈黙を保つよう試みるという方法も取り得たのではなかろうか。しかしながら、記者は、当然、中村泰の話を聞こうとしたであろうし、現時点の私には確認する術がないが、聞いていたであろう。これらの記者の質問は、職務上期待される役割から当然に生じるものであるから、それ自体を止めることはできない。中村について聞かれたらノーコメントを貫くという方法は、取り得なかったのであろうか。こればかりは、複数人が知恵を出し合わないことには、何とも言えなさそうである。今の私は、私事ゆえに想像力が減退しており、マスコミの視聴者・読者に対して、中村が本ボシであったという印象を与えてしまったのではないか、としか結論できないが、この見解が正しいなら、青木氏の選び取った言葉は、一種のノリツッコミを心に秘めて発せられたものかも知れない。

2018年7月18日水曜日

(私事)庶民の両建て戦術はマイナス収支となる

はじめに

見出しの主張は、現代の日本社会における庶民の生活に係る黄金則である。少なくとも、私は、そう信じている。「庶民の私生活における両建て戦術」とは、「私生活において、庶民が何か一つの目的を達成しようとするとき、対立的な複数の手段を自らに許すこと」を指す。具体的には、目先のカネのために兼業したり、異性と交遊したいためだけに複数の異性に対して同時に粉を掛けたり、他人様に言えない活動をしながら市民として生活しようとしてみたり、といった内容を念頭に置いている。このような行動は、「選択と集中」という成功則とは真逆に、ブレーキとアクセルを同時に踏むような効果を引き起こし、結局は、個人が何事かを成し遂げる上での妨げになろう。このような無理な生き方に対しては、自らの専門性を高め、正業に邁進するという生き方を対置できるであろう。後者の生き方は、今でも、道が随分と細くなりはしたが、成功への最も分かりやすいコンパスである。要するに、庶民にとっては、「一石二鳥」よりも「二兎を追う者は一兎をも得ず」の方が真実に近いのである。

最近では、何でもお金になることを引き受けるという「百姓」がもてはやされたりもするが、はっきり言えば、この生き方は、「追い込まれたがゆえに採らざるを得ない」、いわば、「貧乏農場」組の受動的な生き方である。ここ15年ほどの私の経歴も、この「個人の両建て戦術」とも言える生き方に含まれるものである。私は、シングルタスクをようやくこなせる程度(せいぜい2ビット・2軸の両建て)の能力しか持たないために、この生き方のデメリットに十分苦しめられてきた。持たざる者・機会に恵まれぬ者ほど、そうでない者に比べて、特段の努力を求められることになるが、何にでも低い報酬で手を出すという方法が次善の策でしかないことは、さほど、理解されていないものと見える

今回は、私の思い人に対して自分の考えを訴えるという私事を目的としながらも※1、このデメリットを、とりとめなく考察してみよう。


兼業という「両建て」的働き方のデメリット

生計手段について、同じ所得の専業者と兼業者を比較すると、兼業者に同額の所得機会がそもそも用意されているかどうかはさておき、専業者の方が楽できるし、ワーク・ライフ・バランスの実現も容易であるが、このことは、投資という副業ひとつ取ってみても明らかになることである。基本的に、個人にとって、あらゆる投資は、全く甘くない※2。株式取引の収支は、朝の寄付(8:00~9:00)と午後の寄付(12:10~12:30)までの時間を十全なネット取引環境の前で過ごすことができなければ、個人のお小遣いがマイナスへと転化する程度には悪化するであろう。このとき、非正規よりも正規労働者は、時間の調整が総じて簡単であり、結果としてお小遣い稼ぎし易い(。少なくとも体験的には正しいし、就業時間内に株や先物やFXにのめりすぎて懲戒処分を受けている公務員は、大体が正規職員のようである)。日足チャートで稼ぐ方法は、複数の著者が考案・提示しているし、テクニカルな方法の中では真っ当な稼ぎ方で、誰でも真似できそうだとも評価できるが、それでも、安定した正業=専業があってこそ、この方法を採用する気になれるというものであろう。それに何より、正社員の方が重要な仕事を任される分、インサイダーになり得る機会も多かろう。

この経済的な本業は、従来の日本株式会社の従業員たち、特に男性たちに対して、個人のアイデンティティを付与する主要な柱ともなってきた。この一方で、結婚することで専業主婦となった女性たちは、パートナーの影とはされた。しかしながら、彼女たちが主婦という安定的なアイデンティティを獲得し、その属性を受け入れて、(料理や芸事に係る)多彩な文化・社会的活動を展開してきたことも、否定できない事実である。他面、これらのレールから外れてしまった人たちに対して、わが国の社会は、消えた年金問題に代表されるように、昔から冷たい扱いをなしてきたし、この差別的な扱いを放置してきた。家族制度に対する通念は、家族の問題は家族で処理するようにとの社会的同調圧力を通じて、この差別を肯定し、強化してきた。

複数の職場に勤務した経験のある社会人なら、事務手続にハウスルールがあり、それらを覚えて間違いなくこなすことが、職場の人間関係をやり過ごす上で非常に重要な儀式となることを、必ずや学んでいるであろう。派遣社員の方々に対しては、この点、本当に尊敬の念を覚えるばかりである。正社員と同等以上の感情労働に従事させられる上、給与は少なく、しかも派遣先が変わる度に覚えたハウスルールが無駄になってしまうのであるから。私は、なぜハウスルールがこうなのかと考えてしまい、前の職場とも比較してしまったりもして、結局、宮仕えが難しいものと自分で自分を査定してしまっている(。大学なら大学で、完全に手続を標準化できるはずだし、そうすべきであると考えているのは、私だけなのであろうか。旅費システム・経理システムも、全国的に整備できて当然である)。

基本的に、今現在の日本社会においても、個人は、働き方が専業的であれば、本業により良く集中でき、より多くの成果を生み出し、それに見合う高い報酬を得ることができる。このレールが本格的に脱線経路だらけになってしまったのが、90年代後半からの、就職氷河期である。中高年の首切りが慣行化したために、若年者であっても、一旦レールを外れると、個人は、以前よりも相当に高い代価を払うように求められるようになった。この割を大きく食っているのが、私を含む世代であり、近い将来、社会不安を呼び起こすことになるものと予想できる。


独身者という弱者を襲うジレンマ

皮肉なことであるが、個人の力ではどうにもならない環境に置かれた時、他人よりもやる気に優れ、頑張ることに価値を見出し、他人の努力と自身の努力との間に優劣を見てしまう人ほど、無駄に、かつ、悪い方向に努力してしまうという落とし穴に陥りがちである。特に、何らかの理由に駆動されて働かざるを得ないと思い詰めたとき、その個人は、自身の能力の許す限り、何にでも手を染めてしまうものである。犯罪であれ、合法的だが個人の尊厳を損なう行為であれ、である。いったんこの悪循環に陥ると、当初こそ合法的であれども、やがては犯罪者・元犯罪者が一丁出来上がることになる。

しかし、その個人が周囲の人たちを頼るという選択肢を顧みないことは、1足す1が2を超えるというケミストリーの力を信じないもので、いかにも勿体ないことである。人は、思いやる相手がいてこそ、自身を律することができるし、高いパフォーマンスを叩き出せるようになり、その状態を維持できる。性犯罪者にこそ該当しない話のようであ(り、わが国では、私のような境遇では利用できないデータには、検証可能そうなものが含まれるようであ)るが、妻帯者は、基本的に、社会的プロファイリングにおいて、犯罪傾向が小さなものと扱われがちのようである。この定性的な偏見は、たとえば職務質問を行うか否かに当たっての警察官の判断を通じて、社会的な相互作用として形成・強化されるものである。

しかし、社会には、このような二人の関係を作りにくい状況に陥った人たちも、厳然として存在する。彼らへの手当は、ほかの個人全人的な関わりを通じて助けにくいものである以上、社会全体の課題である。例えば、シングルマザーは、私のような、寂しい中年独身男性から見ても選びにくいという点で、周囲に助けを求めることの難しい存在の典型例である。彼女らと子どもたちを喜んで助けるような男性は、なかなか求めても得られにくい存在であろう。しかしながら、ここでの私の記述は、私事ゆえに、彼女らを直接のターゲットにはしていない(はずである)ので、これで言及を止めることにする。それに、老親と同居する独身中年たちも、この範疇に含められようが、経済的には回っていると見做されちなゆえに、社会的には、低い優先順位でしか対応されていない。

付言しておくと、わが国に広範に存在する独身者の問題は、実のところ、社会関係の全般的な交流の機会が少ないために生じているのではないか。昨今流行の形式であれば、私には、婚活は無理である。婚活は、何より、双方の両親と当事者たちとの問題を直接には解決しない。パラサイト・シングルの結婚問題は、本来、分かりやすく、しかも、経済的には解決が可能そうなものである。体験的な見聞を元にすれば、彼らの問題点は、寄宿先である親と経済的に共依存的で、かつ、他の家庭との親密なコミュニケーションを取らない関係にあるがゆえに、同じ地区内に多数の類似した境遇の独身者がいるにもかかわらず、カップリングに成功しにくいという点にあるものと認められる。双方の両親とも介助者を必要としており、立派な住宅が二軒あるのに、それらの社会的資源は、もったいない使われ方をしているのである。この問題がなければ、パラサイト・シングルの問題は、伝統的な嫁姑問題に帰結する(。ただし、現時点では、舅婿問題の方が相対的に問題化しているかも知れない。嫁姑問題は、姑が開明的になり、嫁が働きに出なければならないので、多少は、軽減されているのではないか。他方で、親世代が正社員幻想に囚われている限り、婿の不安定な社会的身分は、かなりのトラブルの元になる)。

私は、今の身分となってから、独身中年男性・女性たちが両親たちと同居しながら独立を望めない収入で暮らしていることを、時折、耳にするようになった。同じような傷がなければ、日本の家庭は、その弱みを他者と分かち合うことができないものと思い込んでいるようである。繰り返すが、これは、いかにも勿体ないことである。リサイクルの仕方次第では、私のようなポンコツも、もう少し、他人様の役に立つような努力へと、リソースを振り向けることができそうに思えるからである。もっとも、私が次を考えるのは、今を何とか生き延びてからのことである。


脱線;キルケゴールにみる絶望の三形態

ところで、現時点の私の絶望は、私の思い人を今の状況から連れ出すことのできない無力な自分に向き合いたくない、という心情から生じたものであるが、この心境は、ゾンビものを貫くテーマに良く合致する。私が自身をゾンビに模すのは、私の思い人を私同様の心の弱った状態に引き摺り下ろした上で、私の理解に感染させてしまいたいと願っているからである。この心情は、自分の状態にまで相手を貶めたいと願う点で、ニーチェのいうルサンチマンであり、この見方は、ゾンビ研究の共通理解となっているようである。しかし、一旦、一人きりでは限界があるという弱さを受け入れれば、われわれ人間は、逆に、一人でいたときよりも強く生きることが可能となる。ゾンビは、常に、大群(hoards)を作る傾向を有するが、この特性は、数は力なりという主張を含む点で、人権という理念に基づき平等・公正を求める人間というモチーフを潜ませたものでもある。ゾンビという表象を扱う表現者は、ニーチェの言うことを受け入れた上で、しばしば、ゾンビであることにも一定の救いがあることを示唆するものである。これに対して、ゾンビものにおけるサバイバーたちは、しばしば絶望し、仲間割れし、結局はつまらない死を迎えていたりする。ゾンビものにおけるサバイバーたちは、いかに死ぬかを張り合ってみせるという点で、本来の仲間内で、競争的存在・修羅(道に墜ちた亡者)としていがみ合うのである。

私の絶望は、自分自身ではどうしようもない現実を認識しつつも、自分にできる努力を放棄したという点において、低レベルのものである。キルケゴール『死に至る病』は、絶望の中身を3段階に分けている。1「自分が自己を持っていることを自覚していないままに、絶望している状態」、2「自分が自己を持つことを自覚しつつ、絶望のあまり、自分自身であろうと欲さない状態」、3「絶望しながら、自分自身を保とうとする状態」として、3番目を(神への)反抗であると述べる。当時の男尊女卑の風潮を反映して、キルケゴールは、1番目を婦女子の絶望、2番目を男性の絶望と定義しているが、私に言わせれば、私が好きになってしまう人たちは、女性であろうが、3番目の「反抗」反逆を生きているように見えるのである(参考文献[1]に、該当部分を引用した)。

私は、私の思い人の自助努力が、その人自身にとって悪しき結末をもたらすとともに、私の言葉が呪いとなってかの人を苦しめるものと予測する。かの人の長所は、常人では耐えられないような両面的な生活を、取り続けてきたことにもある。この一方で、その人並み外れた努力の結果、かの人に報いる人がいなくなるという逆説的な状態が存在し得ること、その努力の成果が遠い将来に不当な形で奪い去られる可能性があることを、私は危惧する。もっと言えば、私は、かの人の心に呪いを刻むことになることを、重々承知の上で、この不吉な予言を発している。私が側にいようがいるまいが、かの人は、私の悪しき祝福とともに、そのときが来るまで、将来を歩まねばならないのである。ただ同時に、私は、思い人に対して、社会的には死んだかのような小さき私も使い方次第で活かしようがあることを、何度も訴えてきたつもりである。この私の指摘は、かの人に対してダブルバインドとして機能するが、両建ての方法を悪用した以上、私自身への刻印ともなるものである。


クリエイティブな仕事における集中の必要性

一人の作家・クリエーターが、複数のアイデアを同時並行的に実現・創作できているとすれば、彼ないし彼女は、同業他者に比べても、突出した才能の持ち主であろう。現に、あれだけ競争が激しい少年漫画週刊誌において、このような偉業を達成している人は、ほとんど見られないではないか。やはり、何か軸となるもの(コアコンテンツ)があって初めて、創作物の世界も、消費者の賞賛を受けられる程度に深まるものであろう。

他面、卑近な事例となるが、私は、同時並行的に研究を進めるという無茶振りを受けて、努力はしたことがある。結果は、誰かに聞かれれば述べるに留めたいレベルの黒歴史感で一杯であるし、何より、それらは、公開資料を調べれば分かる話である。凡人は、自身がアイデアを産出すべき研究・創作物を、複数抱え込むべきではなかろうし、マネージャーたる者は、そのような無理を他人に負わせるべきではなかろう。創作や研究という、個人ないし少人数の才能が要求される作業においては、やはり、選択と集中が必須である。その選択を手助けする方法として、異業種・異分野交流が必要なだけではないか。


二重生活という「両建て戦術」の帰結

経済の話よりも突飛になるが、私生活において、庶民がパートナーを両建てするようなことは、大抵の場合、とんでもない結果を引き起こすことになろう。上級国民なら、複数の家庭を持ちながらも、それぞれを同時に幸福にする程度の資産と権力に恵まれているのかも知れないが、私がすぐに思い出せる限り、そのような成功を収めた人々は、工藤美代子氏によって描かれたような笹川良一氏くらい(『悪名の棺』幻冬舎, 2010年10月)であり、少なくとも、そのレベルの名士でなければ、この種の欲望を満たすことが難しいということなのであろう。鈴木智彦氏かの本のいずれかに、7号さんまでいる暴力団(、あるいはヤクザの)組長がいるみたいな話があった覚えもなくもないが、まあ、例外的ケースであろう。元東京地検特捜部長の石川達紘弁護士(当時78歳)の引き起こした今年2月18日の死亡交通事故は、図らずも、私の主張を強烈に肯定してしまうケースである(が、このことは、例によって、『朝日新聞』では報じられず[2]、週刊誌メディア[3][4]が明らかにしているところである)。

二重(多重)生活のために嘘を吐き続けることは、基本的には、無理である。いずれは、他者にバレることになる小嘘を吐き続けることになり、自身への嫌悪感を高めるという副作用まで引き起こす。小嘘を吐く理由が不倫であろうが、ほかの理由であろうが、案外、周りの人々は、小嘘を吐く人の話のどこが嘘であるのか、場合によっては、隠したい秘密が何であるのかまでを、まあまあ正しく、勘付いているものである。結局、自身の生活の平穏を他者にも尊重してもらうためには、正直が一番ということになる。両建て生活というものは、基本的に、庶民には、無理なことなのである。

(ここに記すことが適当かどうか、一応悩んだが、)私の思い人が自炊していると述べたことは、事実の半分を述べたものであろう。本当のところは、休みのときに、という程度ではないか。外食続きは、体調を崩す要因となり得るし、一時間半の余裕では、外食しか選択肢がなかろう。このことを問い質し、私の推測の正確性を確認してもみたいが、これもまた、叶わぬことなのであろう。

複数の異性を同時に愛してしまうというシチュエーションは、古今東西の名作に限らず、時代が変わろうとも、人類にとって、定番の題材であり続けるであろう。今は、メンタル面で申し分のないイケメンが、モテを堪能する作品が人気を有するようである。これに対して、『源氏物語』は、モテ男が悲しい性を持て余す様子までを描き切る点で、読み継がれるに値する完成度を誇ると言えよう(。オッサンであっても、高校生までの勉強は、まだまだ必要なものである)。この一方で、心にハンデを負っている非モテは、基本、一人の異性を求めるのが常道であって、それ以上を求めるべきではなかろう。


人間としてのコア・コンピタンスへの投資こそが将来を拓く

独自性や創造性が必要となる分野において、選択と集中が必須であるとすれば、将来、個人に何より必要となる作業は、競争相手となる他者に負けることなく、当の他者と協力可能な人間的魅力と、人間性から分離できない種類の才能を向上させること、の二本立てになろう。今後、第一次産業・第二次産業のほぼ全ては、人間とロボットの共同作業となり、かなりの部分で自動化が達成されよう。このとき、人間としてのコア・コンピタンスに対して、集中的に投資することこそが重要である。「ロボットを使いこなすこと」は大事であろうが、「ロボットでもできること」「誰でもできること」に何らかの専門的なリソースを割くことは、逆ザヤにもなろう。今後の技能実習制度は、農作業ロボットの使いこなし方を指導し、応用に係るノウハウを伝授するというものになろう。漫然と安価で使い捨て可能な労働力を求めてきた現今の制度のあり方は、使用者の側に、根本的な変革を強いるものになろう。第二次産業における技能実習制度の実態は、すでにそうなっているものと予想するが、日本人と同じ働きを海外工場でこなせる人材を育成するという性格を、ますます強めることになるであろう。つまり、全産業の自動化は、本来の理想へと近いあり方へと、技能実習制度の実際を変容させることになろう。

人間を相手にする感情労働の場も、自動化によって、あり方が変容することもあろう。例えば、現在、私たちは、企業のカスタマーサービスに電話するとき、冒頭の自動音声応答そのものに対して腹を立てることはしない。一部の不心得者を除けば、電話口で録音しているとの通知も、問題視しないであろう。これは、私たちの大半がこの制度を、セキュリティの名の下に、感情的にも受容しているからである。他方で、現在の販売現場では、過剰な感情労働が要求されている。デパートで気分を害されるようなつっけんどんな対応をされれば、私たちは、違和感を覚えるであろう。しかし他方で、過当競争のためにフランチャイジーのオーナーという中間的存在がこのようにせざるを得ない状況を強化しているにしても、コンビニですべての店員さんたちに私たちが笑顔を要求することは、適切な振舞いなのであろうか。レジ・決済代行機能や、万引き防止・警備システムが使いやすい形で全自動化され、コンビニ店員さんたちに配慮する必要がなくなったとき、私たちは、案外、全自動化されたコンビニの方を気楽なものだと思ってしまわないだろうか。とりわけ、それが正月・お盆や深夜など、私たちが少しばかり申し訳ないと思いながらも利用するような時間帯であれば、尚更である。これもまた、性的な搾取やセクハラにもなりかねない話であるが、例えば、成人向け書籍や避妊具を購入する際、オッサンたちなら、店員の人となりに応じて、購入を決断しているのではなかろうか。

これらの現実を考慮するとき、究極の感情労働である性風俗産業の一部がセクソロイドによって代替されることもまた必然であるし、社会防衛主義者なら、希少な社会的資源である女性や若者たちを徹底活用する方策を、間違いなく模索するであろう。このとき、必要悪として容認されてきた性風俗産業のあり方もまた、「最小限度の業界規模」という理念に限りなく接近するように要求されよう。前稿(2018年6月30日)でも前振りしたが、理念的には、性風俗産業は、商売相手の固定制という究極のディストピア的な理念を導入すれば、限りなく最適化することもできる。戦闘的=破壊的=国際秘密力集団的な自称フェミニスト(、内実は利己主義者・新自由主義者)が指弾するように、結婚という制度が限りなく固定化された売春制度であるとするならば、なぜ、売春制度が限りなく固定化されてはいけないのか。性感染症の問題も限定的となり、常に両者の要求が満たされることを期待できるのに?私の指摘で見過ごされていると反論されるであろうことは、売春側の経済的要求であるが、これは、経済的要求である以上、個人破産の要件を限りなく緩和化すれば十分であり、この問題こそが問題の根にある。この点、宇都宮健児氏の業績を、私は、非常に尊敬しているとも付け加えておく。なぜ、私がわざわざこのように言及するのかと言えば、政治的立場と経済的立場は、本来、自由な組合せがあり得ることを、指摘したいがためである。つまり、健全な性風俗環境の形成(=性風俗営業の撲滅)は、党派を超えて協調可能なアジェンダともなり得る一方で、常に、リベラルの側にも、獅子身中の虫がいることを指摘したいがためである

なお、私が生業としてきた犯罪予防という研究分野は、今後を生き抜く上で必要とされる才能の裏返しと呼べるもので(しかなく)、慎重な運用が必要とされるもの(の割に、わが国では、追究することが報われないもの)である。犯罪予防の要諦は、人の嫌がることを、その人の身になって考えることに尽きる※4。人の嫌がることを突き詰めていくと、ニーチェが警告したように「深淵を覗き込む」ことになる。深淵を真直ぐに覗き込んだ挙げ句に戻って来られなくなることは、サイコパスの精神鑑定に立ち会うことなどせずとも、十分に可能なことである。そうでなければ、精神鑑定の必要な人物が重大犯罪を敢行した後に初めて精神科医のお世話になるというサイクルは、どうして成立し得るのであろうか。人が死ななければ理解しようともしないわが国の社会は、かくして、私の本業であったような、成果が目に見えにくい働きを、不釣り合いなまでに軽視するのである。同業者である研究者までもが、このような態度を日常化しており、挙げ句に、研究者を管轄する省の局長が裏口入学を堂々と要求できるのであるから、まあ、おめでたいことである(。なお、本件は、現在進行中の権力闘争の一環であるから、文科省を入口としながら、政体の中枢へと触手を伸ばす種類の動きを見せることになろう)。


私の思い人は、私には、個人的な「両建て戦術」を良しとして過剰な努力を費やしてきたと見えるが、この助言を受け入れ、私をも受け入れることのメリットを理解し、行動してくれるのであろうか。理解してくれることまでは、私も信じているのであるが。ただ、かの人は、誰にも相手をされない卑小な私がお願いしているにせよ、話をして欲しいという私の願いを無視し続けてきた。私の思い人は、薄々であるかも知れないが、無視するという決定自体、かの人にとってのリスクとなることを理解してもいよう。ただ、私を無視する実績を重ね続けたとき、かの人は、将来、自分を誇りにできるのであろうか。かの人は、私の期待だけではなく、かの人を大切に思う周囲の人の期待を裏切り続けていることにもなるが、その事実に耐えながら生きることは、案外と辛いものであろう。私自身、20代を相当に無駄と言える形で過ごしてきたことを、常に後悔しながら生きてきている


おわりに

本稿では、良く言えばオムニバス式に、庶民に相応しい振舞いが、両建てによらないものであることを確認した。言い換えれば、一つの得意分野に集中し、一人の愛する人を求めよ、というものである。てんでバラバラな内容であるし、実力不足のままに記したものであるが、仕方ない。これをまとめれば、およそ包括的な生活上の哲学が出来上がるであろうし、私の人生経験は、そのような作業に挑戦する上で、年齢の割には、全く不足気味である。私には、到底、このような作業を一人ではこなせそうにない。だから、かの人にどうか振り向いて欲しいというのが、本稿のオチである。


※1 もちろん、「私事」と銘打ちながらも、公開のブログで本点を考察するのは、それなりの意図がある。私には、公開の場でしか、話を伝えられない人がいるからである。本稿も、オリジナルな内容であり、一応、陰謀論とされる分野の考え方に基づき、何らかの教訓・事実を一般化するという作業をこなしてはいる。しかしそれでも、本記事の目的は、私事の範疇を出ないものである。

私自身の煩悶は、たかが無職に毛が生えた位のオッサンの贅沢な悩みの一つに過ぎない。それでも、記録され続ける世界において、私自身による感情の記録は、わが国のロスジェネの一例として、何らかの爪痕になるものと期待している。この時代の人間には、何事かを成し遂げたい、幸せになりたいという要求が、絶えずメディアを通して注入され続けている。私も、この現代人の例に漏れないが、同時に、二人でいることにより幸せを感じ、一人だけでは望み得ない実力を発揮できることをも主張したいのである。つまり、成功と幸せを同時に獲得する方法として、まずパートナーを得ることのメリットを強く訴えたいと願うあまり、本稿を記そうと思い立ったのである。

※2 その傍証として、ホットな話題であるが、投資信託のパフォーマンスが個人資産の5割でマイナスだとする金融庁の調査を挙げる[5]ことができる。この調査は、金融庁の発表の次週、日経平均がおかしな値動きをしていた最中に、日経[6]が取り上げたことで、業界を震撼させ、ニッセイ基礎研による「そんなことないよ」との波及的な記事も産むに至っている[7]。それに、重み付き平均値ではどうなのかとか、大口個人投資家に対する優遇はどうなのかとか、色々と疑問を指摘することはできよう。これとは別に、この記事をさらに流通させているのが、株式市場でかなりのボラティリティを誇り、デイトレ銘柄として言及されるZUUであったりする[8]ところは、何というやけっぱちな個人投資家への誘いであろうとも思ってしまうところでもある。

私も、その例に漏れないが、金融市場に参加する個人が火傷しない保証はなく、ファンダメンタルズでは日足を説明することは相当に難しいから、本来、このような鉄火場に参入する人物は、名のある金融企業に勤務し、その業界の鉄則を身に付けた上で、コネを活かして立ち回るべきなのであろう。しかし、このようなしっかりした準備の機会のないまま、退職後にこの道に直行する人も多かったのであろう。それが、現今の個人投資家の取引額の低迷につながっているのであろう。日興アセットマネジメントの2016年11月のブログ記事[9]は、日銀ETFが市場を歪めてないことを示すものであるが、中ほどのグラフ「日銀ETF買付開始以降の累積主体別株式売買動向(2010年12月から2016年8月)」では、個人の売買高だけが、マイナス19兆円となっている。この結果は、個人投資家たちが負けて退場したためと見ることも可能である)。

※3 キルケゴールの『死に至る病』[1]の「死んだように生きる」という表現のニュアンスは、訳注に示されている〔pp.255-257〕が、ここでのゾンビの比喩とは、全く異なるものである。キルケゴールの意図は、「死ぬ間際の者のように生きる」「神に迎え入れられんとする者のように生きる」の意味であり、類似概念を探せば、メメント・モリ、『葉隠』の「死ぬ事と見つけたり」になろう。

※4 私は、犯罪予防を一応の専門としてきた。そこではまず、犯罪企図者が考えるであろうことを考える。犯罪企図者は、一般人の嫌うことを考えており、私は、その考えをトレースする。私はまた、犯罪企図者の考え方に基づき、彼らがやられたら嫌なことを考える。その作業を繰り返してきたのである。つまり、私は、人の嫌がることだけを真剣に、かつ、実践しないように、実践できないように、と考え続けてきたのである。


[1] 死にいたる病 (ちくま学芸文庫) | セーレン キルケゴール, Soren Kierkegaard, 桝田 啓三郎 |本 | 通販 | Amazon
(セーレン・キルケゴール桝田啓三郎〔訳〕, (1849=1996).『死にいたる病』(ちくま学芸文庫), 東京: 筑摩書房.)
https://www.amazon.co.jp/dp/4480082581/
#何故か、国会図書館に所蔵されていないかの検索結果が帰ってきたので、アフィリエイトがないことが分かる形で、アマゾンへのリンクを張っておいた。

〔p.138〕

〔…略…〕悪魔的な絶望は、絶望して自己自身であろうと欲する、という絶望のうちでもっともその度を強めた形態のものである。この絶望は、ストア哲学者流に自分自身に惚れ込んだり、自己を神格化したりして、自己自身であろうと欲するのでもない。〔…略…〕そうではなくて、この絶望は、人世を憎悪しつつ自己自身であろうと欲するのであり、自分の惨めさのままに自己自身であろうと欲するのである。この絶望は、〔…略…〕反抗のために自己自身であろうと欲するのである。それは自分の自己を、それを措定した力から反抗して引き離そうと欲するのでもない、それは反抗のためにその力に迫り、そ力に挑戦し、悪意をもってその力にしがみついていようと欲するのである――いうまでもないことだが、悪意ある抗議というものは、なによりもまず、その抗議の向けられる相手をしっかりつかまえておくことに留意しなければならぬのである。この絶望は、全人世に対して反逆しながら、全人世に対する反証を、全人世の善意に反対する反証を、握っているつもりでいる。絶望者は自分自身がその反証であると思っており、かつ、彼はそうありたいと欲しているのである。それだから、彼は自己自身であろうと欲し、自分の苦悩をひっさげて全人世に抗議〔p.139〕するために、苦悩に苦しむ自己自身であろうと欲するのである。〔…略…〕

[2] 元東京地検特捜部長が運転する車にはねられ、男性死亡:朝日新聞デジタル
(記名なし、2018年2月18日14時56分)
https://www.asahi.com/articles/ASL2L4Q47L2LUTIL012.html

[3] 20代女性と早朝ゴルフで「暴走ひき殺し」超有名弁護士・78歳の転落(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
(2018年03月15日)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54650

[4] 速報・新型レクサスで通行人を轢き殺す――かつてロッキード事件で名を馳せた元鬼検事といた「謎の女性」
(中山桃子、2018年02月21日)
http://tablo.jp/case/news002906.html

銀座に足繁く店に通い、高級クラブをハシゴする悠々自適な生活を送っていたというのだ。前出の社会部記者によると、交通事故を引き起こしたのは早朝7時だが、その日は〝深い仲〟のホステスとゴルフ場に向かう予定だったという。

「現在、石川弁護士は奥さんとは熟年離婚に向けて話し合いをしている最中と聞きましたが...」(前出・社会部記者)

〝老いらくの恋〟に落ちた鬼検事は今後、どのような身の振り方をするのか。

[5] 投資信託の販売会社における比較可能な共通KPIについて
(金融庁総務企画局市場課、2018年06月29日)
https://www.fsa.go.jp/news/30/sonota/20180629-3/20180629-3.html

[6] 投信で損失、個人の半数 金融庁調査  :日本経済新聞
(記名なし、2018年07月04日22:00、日本経済新聞 電子版 )
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32607510U8A700C1EE9000/

[7] 投信購入者の半数が損失!!~銀行での投信販売について:基礎研レター
(ニッセイ基礎研究所、2018年07月13日11時02分JST)
https://www.huffingtonpost.jp/nissei-kisokenkyujyo/investigation-bank_a_23479206/

[8] 投信購入者の半数が損失!!~銀行での投信販売について~- 記事詳細|Infoseekニュース
(ZUU online、2018年7月9日19時50分)
https://news.infoseek.co.jp/article/zuuonline_186946/

[9] No.41 日銀のETF買付から学ぶ株式市場とETF投資(1) ~市場の歪みの検証からわかったこと | コラム もっと知りたいETF | ETF(上場投資信託)|日興アセットマネジメント
(今井幸英、2016年11月17日)
https://www.nikkoam.com/products/etf/column/column41




2018(平成30)年7月19日訂正・追記

適当であるが、内容を追記した。私事に係らない部分の話は、まだまだ、追究しがいがあることなので、別稿を立てるなどしたい気持ちがある。




2018(平成30)年7月21日7時40分訂正・追記

なるべく文の意味を変えないように、文言を訂正・追記した。

2018年3月28日水曜日

(感想文)トランプ大統領は北朝鮮向けの「悪い警官」役を欲したのではないか

でないと、トランプ氏は、北朝鮮から手を引くための「良い警官」役を務められない

これが、2018年4月9日に予定されたマクマスター大統領補佐官(国家安保担当)の退任(3月22日トランプ大統領のツイート[1])、同3月13日のティラーソン国務長官の解任の両件に係る私の解釈である。私事都合のために情報収集をサボっているので、私は、自身の見立てを確実なものとは考えない。(誤りを重ねる危険を冒して)本件に言及した理由は、二点ある。一点目は、本件が、従来の私の見解(2017年5月12日記事)を訂正する根拠となる可能性を指摘することである。二点目は、この拙稿に示した主張の真偽にかかわらず、トランプ氏・マクマスター氏・ティラーソン氏の各人がアメリカに対して忠誠を誓う人物であると見立てたことの正当性を主張するためである。ジョン・ボルトン氏については、良く分からないと述べておく(。これは、単に、私が納得行くまで調べていないだけであるが、巷間の懐疑論者によれば、ボルトン氏は、大抵、クロ扱いされている)。

先に、本件とは直接関係のない話にはなるが、河野太郎外相が昨年11月にトランプ大統領について「良い警官と悪い警官のタッグ(Good cop/bad cop)」の比喩を用いた[2]ことを紹介しておく必要があろう。このバディ(buddy)システムの効用は、最早、誰もが知るところであろうから、説明を省略する。また、米国の大統領制が副大統領との組合せによって同様の効果を生じさせてきたことや、ロシアのプーチン大統領・メドベージェフ首相の体制が類似の構造を有していることは、広く指摘され支持されている社会的事実であろう。先の全人代(全国人民代表大会)において、中国政府も、習近平・王岐山の両氏による体制を明らかとした。例によって、典拠の検索と提示はサボるが、河野氏自身、官邸外交との相乗効果について指摘していたはずであり、この相乗効果が存在するという主張は、間違いなく正しかろう。ただ、この構造について河野氏自身が言及すべきではないことは、冷泉彰彦氏によって指摘されており、この点も、その通りであろう。河野氏は、日本語マスメディアに身を置く人物の中から、自身の信念に協力可能な人物を見出して、彼(女)の口を借りるべきであった。ただ、日本語メディアは、通信社を含めて、一個の企業だけで米国大統領府と世界の動きを理解するための必要十分な情報源とはなってこなかったから、河野氏の発言(あるいは失言)にも理由がない訳ではない。

トランプ氏が部下に自身の本音と異なる見解を押し立てさせながら、その事実を北朝鮮との交渉において利用するという手管は、米国内向けの方法として、有効かつ必要である。金正恩氏とトランプ氏の両者とも、武力行使があり得ないことを理解している。主要関係国のうち、ロシアと中国と北朝鮮の各国については、その関係は、安定的に推移するであろう(と、当事者たちが主張しているかのような、平穏な当局の報道ぶりである)。韓国は、米朝会談への足掛かりを構築した功績を認められてか、北朝鮮との交渉のためか、鉄鋼・アルミニウムともに関税の発動を免除された(が、この優遇措置は、日本との対比においてこそ、日韓両国内の世論を有効に喚起する)。日本は、従来の六カ国協議において、蚊帳の外であり、どの国に対しても、自身の望む影響力を発揮することができていない。以上の雑駁な状況理解を前提とすれば、北朝鮮「問題」の「解決」を左右する要素のうち、多くは、アメリカの国内政治「問題」に所在する。より踏み込んで解釈すれば、北朝鮮の「核配備」を「解決」するための主要課題は、「北朝鮮の現状を追認するようになるまで、アメリカ国内の政治論議・世論を沈静化させること」となる。このプロセスは、アメリカが単独覇権から降りるための儀式とも観ることができる。トランプ氏の腹積もりは、「狂犬」役に吠えさせながら、手綱を引きつつ後退するというものであろう。

以上のように考えると、あれこれ考え過ぎて「狂犬」役に徹しきれない(ようなキャラを故意に演じてきた)穏健派のサイドキック(=脇役的な相棒)であるマクマスター氏やティラーソン氏を、トランプ氏が「クビ」にせざるを得ないことは、アメリカ国内の事情に限定して配慮すれば、当然と言えよう。クビになった人々は、基本的には、皆がその処遇に納得していることであろう(。今後もクビになる人たちは出続けるであろうが、当人たちが戦争屋の走狗ではない限り、同様に納得ずくのことであろう。その割に、ティラーソン氏は沈痛な面持ちであった。が、これが諒解の上であるとすれば、役者として、ティラーソン氏はマスゴミの上手を行く)。クビは、トランプ氏の政治ショーを演出する上で、必要な「犠牲」である。この「犠牲」は、汚名を伴うが、人命が必要とされていない点、ヒューマニズムの極致であるということもできる(。この見立てが正解であるとすれば、両建て構造は、乗りこなされていることになる)。

トランプ氏の相棒は、北朝鮮に対しては強硬派として振る舞いながらも一線を超えず、同時に、国内世論に対しては米国に対する北朝鮮のリスクを冷静に説明しなければならない。上司であるトランプ氏がトリックスターとしてのキャラを確立してしまっている以上、部下である彼(女)たちは、そのキャラに見合うように、ボケとツッコミの役割を目まぐるしく、柔軟に切替えなければならない。昨年冬辺りから台頭した日本のお笑い芸人の若手たちは、ボケとツッコミが目まぐるしく変わる高度な漫才を披露しているが、彼らレベルの技芸がホワイトハウス高官に要求されている。これは、相当に難易度が高いことであり、それがムリなら「クビ」という手がある、となる。なお、河野太郎氏の「トランプ氏=悪い警官」説と私の見解は、真逆のように見えるのであるが、河野氏の発言の根拠がアメリカ国内の情報源から得られたものであり、アメリカ国民向けには部下が「良い警官」として振る舞わなければならないと考えれば、そうそう矛盾するものではない。

トランプ氏の「お前はクビだ(You're fired!)」は、両建てを乗りこなすための手段である。北朝鮮とのチキンレースから降りることは、自分からハンドルを切った弱虫(chicken)であると国民から見られる危険がある。他方、対北強硬派とされる人物に部下のクビを挿げ替えていくことは、なぜか、トランプ氏も強硬派であるような見かけを大衆に与えるという効果を生じさせる(。もっとも、マクマスター氏に対する日本語マスコミの解説は、極めて好戦的というものであったが、この違和感は、私の従来からの主張にとって、有利に作用する)。この結果、なぜか、トランプ氏には、国内向けに切ることのできるカードが増えることになる。本稿に示した逆説は、シリアにおける昨年のトランプ氏の巡航ミサイル攻撃命令と同型である。北朝鮮に対しては、一方的な攻撃を加えることが不可能である。このため、アメリカとしては、国内問題において強行策(に見せかけた方針)を取ることが代替案となる。加えて、北朝鮮との交渉については、アメリカの理念の一つである「他者への寛容」を米国民向けの切り札に使う、という隘路を観取することもできる。「今まで我々アメリカ国民は、北朝鮮政府に騙されてきたが、今一度、恩赦を与えよう」というノリである。

頻繁な更迭劇は、トランプ氏に対しても、クビになった各氏に対しても、黒歴史感・ダーティな印象を与える。しかし、真に国益・国民益のためであることを各人が理解していれば、マスゴミに囲まれたホワイトハウスであるから、純情な陰謀論者の失望を買ったとしても、マスゴミを騙しながら、各人が職分を果たすべきというプリンシプルは、十分に共有されているであろう。この目的の共有という仮定は、高官における「アメリカ・ファースト」のスローガンの有効性によって、オシント使いにも検証可能である。シリアにおけるアメリカ軍の空爆は、このスローガンに対する背信行為であるように見える(が、このようなイレギュラーな事態は、軍の統制が取れていないか、戦争屋による偽旗作戦のために生じたと観ることも可能である)が、それ以外については、相撲で言えば、俵一枚というところであろう。彼ら真のエリートは、戦争屋との政争ゆえに、俵一枚のふりを続けるほかないのであろう。しかし、われわれ下々の者は、「ポスト米英時代」氏の言うとおり、スリルを楽しみながら、カウチポテトでマスゴミの狂騒ぶりを見ていれば良(。日本国内の事情も同様である。日本は、全体としては、TPP11を考慮すれば、強固な国際秘密力集団のフロント兼生贄として機能しつつある。しかし、わが国の与党政治家たちについてはともかく、表に出ない権力者たちは、どこに居を構えるのであろうか。というのも、彼らは、わが国の実力組織とは、本来的には対立関係にあることが十分に認められるからである。この対立関係は、現在の内閣と財務省の対立にも反映されており、実力組織を所掌する省庁は、内閣の側にある)。


ボルトン氏の登用は、国内向けのブラフである、が...。

ジョン・ボルトン(John Robert Bolton)氏の登用は、トランプ政権にとって、北朝鮮に向けて強硬姿勢を示すためのシグナルとして機能するとともに、ボルトン氏本人に対してメディアの矛先を向けさせるという効用を有する。ボルトン氏は、共和党がトランプ氏を大統領選候補に指名して以来、外交政策を指南してきたとされる[3]。ボルトン氏は、イラク戦争へと子ブッシュ政権を主導した一人と強く批判されており、金正日氏に対する暴言でも知られる。当人は元来から「保守」主義者であると言うが、「ネオコン」と表現されることがしばしばである。米国単独行動主義と対になる形の国連不要論で知られ、2005年、国連大使に指名されたが、民主党の議事妨害等により指名を辞退している(が、辞任と表現されている)。

ボルトン氏の就任は、大量破壊兵器の拡散防止の観点において、わが国に影響を与える可能性があり、その場合、福島第一原発事故の真相を考察する手掛かりをもたらすかも知れない。ボルトン氏は、子ブッシュ政権の『拡散に対する安全保障構想』(PSI)成立に尽力したとされる。その実効性や、イラクに対する判定の誤りについてはともかく、である。同時に、ボルトン氏の思想は、主に批判者によって、親イスラエル・ロビーであるとされてきた。このとき、ボルトン氏の指揮下における対日安全保障政策のあり方は、「ボルトン氏の立ち位置」・「福島第一原発事故の真相」・「トランプ政権の戦争屋との力関係」の三要素について、特定の組合せのみが整合的となるという結果を与える、と考えることができる。いかなる意味合いかを、生煮えであるが、提示しておこう。

福島第一原発「事故」後、大量の使用済み核燃料棒の所在は、「陰謀論」者によって、常に疑問視され続けてきたが、この好奇心は、ボルトン氏にも共有される可能性がある。ボルトン氏の登用は、このような日本向けの布石としての意味をも兼ね備えている。3号機の使用済燃料プールは、陰謀論者たちから、早く見せろとツッコまれてきた。3号機の使用済燃料プールの写真(とされるもの)は、偽装のために福島第二原発において撮影されたとも疑われてきた。現実の使用済み核燃料が地下深くに落ち込んでしまっているにせよ、どこか遠い外国に所在して利活用されているにせよ、ここらの機微がボルトン氏のチームによって、利用される可能性は、十分に認められる。わが国の現政権の核武装への意志に対して、ボルトン氏がストップをかける可能性は、マクマスター氏の就任時よりも上昇したと見て良かろう。わが国政府が先方の望む回答を提示することができなければ、イラク戦争は、わが国に対して再現されるやも知れない。この疑いに連座することになる外国政府がほかに存在するのか、という点は、かなり多くの世界の情報機関にとって、かなりの興味を持たれていよう。実際、このような興味を日本人に対して喚起するために、いくつかの国の情報機関は、日本語で情報を提供しているものと考えることもできる。本ブログは、一応、「福島第一原発事故の真相と影響と対策を提出するために、タブー抜きで考究する」という目的を有している。このため、本段落には、「福島第一原発事故の真相」についてだけ、勝手な妄想を付記した次第であるが、この妄想は、ボルトン氏の就任に先立ち形成されたものであるが、氏の就任によって、一層強化されたものでもある


日経は、相変わらず日本国民を偏向させんとするかのようである

なお、アメリカが単独覇権を降りようとする様子に対して、日本経済新聞の古川英治氏は、今月(2018年3月)20日の解説記事[4]において、ロビン・ニブレット(Robin Niblett)氏の言を借りて、暴力が支配する「ポリセントリック世界」が到来したと表現していた。ニブレット氏は、英王立国際問題研究所(The Royal Institute of International Affairs、いわゆるChatham House)所長である。記者が繊細な概念を自身の主張の良いように曲解することは、研究者なら体験したこともあろう※1が、古川氏は、この残念なカテゴリーに含まれる可能性が高い。というのも、この「多元(=多極)的世界」の語は、少なくとも「多元化」そのものは、ニブレット氏自身の名を冠した資料では、多元的チャンネルや国際的組織(=連合国=国際連合)を通じて外交力が発揮されるという肯定的な文脈によっても[5]、使用されているからである(。念のため、他者のいくつかの文書を確認もしてはいるが、そこはそれ、適当である)。古川氏は、2015年にウクライナ内戦とロシアのクリミア半島併合について、ニブレット氏の言によるとしながら、「多元化」を、前述の日経解説記事と同様、悲観的な意味で使用している[6]

この一方で、田中宇氏は、2004年当初[7]こそ、「多極化」の語を悲観的なニュアンスを含む用語として、そのまま使用しているが、古川氏の論説に先立つ時期に、この語のニュアンスを中立的なものに徐々に変更してきた。当初、田中氏は、(これまた、チャタム・ハウスの)ニオール・ファーガソン(Niall Ferguson)氏に倣い、国連などを中心とする「国際協調主義(multilateralism)」に対置する概念として、「多極化(multipolarizm)」の語を使用した[7]が、現時点では、その限りではない(というようにしか読めない)。オバマ大統領からトランプ大統領にかけての時期においては、田中氏は、「多極化」の語に込められた不安定性を認めながらも、その先行きに対して、悲観的なニュアンスだけを込めるということはしていない。この点、田中氏は、使用の時期・ニュアンスともに、古川氏よりも、読者に対して、正確な理解を提供している。

古川氏の「多極化」の「誤用」は、古川氏自身またはニブレット氏が、各自の業務に係る過失または故意を犯したことを示す。ニブレット氏の研究者としての怠慢または能力不足は、言うまでもない(。日本人向けに、「多極化」の語に込められた意味合いを詳しく説明させるよう、古川氏を訓導すべきであった)。しかし、ニブレット氏と日本語読者との間に、古川氏がいる以上、ニブレット氏がいかなる心情を有しても、今回の「誤用」は、避けられなかったであろう。英国民の利益を考慮すれば、ニブレット氏の説明は、日本国民に対しても、複数のルートから提供されるべきであったろう(。日本人の弟子は、いないのか?というのは、皮肉のつもりである。日本語という辺境の地で編まれた「尖った」思索が、英語帝国の心臓部において気付かれないことは、ままあることではある)。田中氏の主張に先取権があることは、ネット上の無料のオープンソースだけによれば、揺るがすことのできない事実である。古川氏は、「日本でもこういう指摘がありますよ」とタレ込むべきであったろう。いずれにせよ、古川氏は、「ジャーナリスト」であるから、最悪、好き(で費用対効果を考慮してアクセス可能)な情報源(だけ)に依拠していれば良いのであるが、その場合、公正中立を建前とする「日本のメディア」の社是とは、相容れない行為に及んだことになる。良く言っても、古川氏の論説記事は、田中氏の「多極化」に背乗りした格好になっている。


※1 個人的体験によれば、7分の5、これは確率としてはゼロではないと主張するには厳しい数値であるが、他者からの見聞を合わせれば、ベイジアン的には確定的な事実であると主張して良かろう。ここでの言明は、「記者の中に、研究者の話を曲解する者が含まれる」というだけであって、「記者の皆が研究者の話を曲解する」訳ではない。念のため。


[1]

[2] 河野太郎外相「普通は親分が良い警官をやるのだが…」 米国は大統領が机をたたき、国務長官がカツ丼を出す-と比喩 - 産経ニュース
(記名なし、2017年11月10日18:28)
http://www.sankei.com/politics/news/171110/plt1711100030-n1.html

[3] 日刊ベリタ : 記事 : トランプの次期国務長官?  ジョン・ボルトン元米国連大使  平田伊都子
(平田伊都子、2016年11月16日15時04分)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201611161504103

[4] 共振する国家主義 中ロ、強権支配固める 民主政・自由経済に試練 :日本経済新聞
(モスクワ支局長=古川英治、2018年3月20日)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO28320640Z10C18A3MM8000/

英王立国際問題研究所のロビン・ニブレット所長は多元的を意味する「ポリセントリック世界」の到来を指摘する。超大国・米国の指導力が薄れ、各国が国益次第でときにぶつかり、ときに場当たり的に合従連衡する。自国の利益優先がはびこり、イデオロギーで二分された冷戦時代よりも世界は複雑さを増した。

[5] 20151019BritainEuropeWorldNiblettFinal.pdf
(Robin Niblett, 2015年10月20日, Britain, Europe and the World: Rethinking the UK's Circles of Influence)
https://www.chathamhouse.org/sites/files/chathamhouse/20151019BritainEuropeWorldNiblettFinal.pdf

[6] One year on: Ukraine crisis reveals changing global order- Nikkei Asian Review
(Eiji FURUKAWA、2015年2月23日03:33JST)
https://asia.nikkei.com/Politics-Economy/International-Relations/Ukraine-crisis-reveals-changing-global-order

The director of U.K. think tank Chatham House, Robin Niblett, points out that the world is entering a polycentric era, where countries act not on ideals or values, but shift their allegiance based on immediate national interests. The U.S. is losing its dominance on the global stage, and the Ukraine crisis is the embodiment of a new, chaotic system that is beginning to emerge.

[7] 岐路に立つアメリカの世界戦略
(田中宇、2004年10月27日)
http://tanakanews.com/e1027america.htm




平成30(2018)年3月28日10時20分頃修正

文言を多少修正したが、内容に大きな変更はないつもりである。

2018年2月3日土曜日

(一言)物凄い大ニュースが続いている

のに、わが国のフェイク・メディアは、独自性に乏しく、よほどの大ニュースを報道していない。「#ReleaseTheMemo」のツイッターのハッシュタグは、文字通りの大ニュースである。茂木俊充氏が秘書の物品配布を承知していた話(2月2日朝日夕刊)は、国内で問題になるというよりも、TPPを所掌する大臣が賄賂に関与していたという形式で、海外において報道されることのインパクトが大きくなるものと予測される(。無論、その意図で、本件報道に関与した良心あるジャーナリストがいるということであろう。ただ、彼(女)たちの究極的な目的が単に現政権の打倒にあるものか、あるいは、真に国民益の増進を目指しているものかは、分かりかねる。まあ、途中まで道が同じであるから、呉越同舟で良いのであろう)。

山本太郎氏の籠池夫妻に係る国会発言もまた、一部のネット上のみで話題となっている。真に国民を思う政権であれば、国益とのバランスを考えて、勾留せざるを得なかった(という理屈自体もおかしいが、)籠池夫妻の居住環境は、他者を大幅に超える厚遇としているはずである(が、このような話は、一応のところ、考えにくいし、この考えにくい話がたとえ成立しているとしても、箝口令が厳重に引かれることになろう)。暖房なしの室内で上着を着て執筆しながら、以上のように、私は考えたところである。




2018年02月03日06時15分修正

修正中にアクセスがあったようであるが、今回の修正結果が、当座の結論である。




2018年02月03日07時45分追記

茂木氏の話は、本文だけでは誤解を招くので、追記したい;違法性を国内で認められようが認められまいが、茂木氏の秘書の事件は、国際的に利用される方向にある;この報道をなした記者は、TPP11を潰そうという意図の有無に限定すれば、潰そうという意図を有しているし、その点では、人間としての良心を有している。もちろん、それ以上の意図は、私には分からない(し、ここに示した彼(女・たち)の意図は、私が勝手に推測したものである)。

2018年1月27日土曜日

トランプ氏のダボス発言は本心を隠したものに見える

現在、世界は多極化しつつも全体として良い方向に進みつつあるが、主な理由の一つは、ドナルド・トランプ氏の情報発信スタイルに求められよう。トランプ氏の過激な表現は、現実には「名」を「実」に近付けるように機能している。それだけでなく、その実力行使のスタイルも、戦争屋ならびにマスゴミの常識の斜め上を行くものである。「何をするのか分からない」というスタイルによって、相手を劣位に追いやり、事態をノーマライズする。まるでプロレスの乱戦のような発話方法が、トランプ氏の流儀であると言えよう(。これは、「小沢内閣待望論」=「ポスト米英時代」氏の慧眼を勝手に拝借した表現である)。

マスコミは、トランプ氏の言葉には嘘や物議を醸す表現が多く含まれると批判するが、何なれば、これらの不適切な内容は、意図的に発信されている。自らの真の意図を隠し切り、重要ではない誤りに批判を集中させるための弁法であろう。真実の所在を判定する技術を持たない人々にとっては、「フェイク・ニュース」※1というトランプ氏の批判と、それに対するマスコミの反論は、「オマエは嘘吐きだ」「いや、オマエこそ嘘吐きだ」と言い合う子供の喧嘩と同程度にしか見えないものである。しかし、マスコミの欺瞞を暴くという点では、この論戦には意味があった。この結果、現在、大多数の人々は、大マスコミが金主の核心的な利益を保護するために、重要な話をしなかったり、嘘を吐いたりしてきたことを、当然の事実として受け止めている。ただ同時に、残念なことではあるが、このメディアの欺瞞性は、大多数の人々にとって、一般的な事実としてのみ受け取られている。具体的なマスコミのウソを自分たちで暴こうとする人たちは、まだまだ一部に限られていよう(。これはこれで、世界の流れを決めてしまうことになるだけに、一抹の不安を覚えかねないことではある)。大多数の人々が「メディア・リテラシーの勧め」のような話をまともに実践しないのは、多忙であったり、ウソを見抜くためだけに相当の労力と金銭をかけることを厭うからであろう。このことを考慮すれば、本来であれば、NHKや主要新聞、特に「皆様のNHK」がウソを吐かずに、ダボス会議のスポンサー名ならびに出席者名、彼らと彼らが所属あるいは所有する企業の資産額および関係性を、正確かつ粛々と掲載するのが、最も効率的かつ劇的に、わが国の世界に対する理解を改善する方法である(。カネの集め方は、ノブレス・オブリージュを産む)。

ともあれ、「トランプ氏がマスコミの話さない真実を語ることにより当選した」という認識が普及しきったという現実を直視して、自らを正さないことには、マスコミに勝ち目はない。選挙期間以降のトランプ氏の攻撃によって、彼ら主流マスコミの評判は、不可逆的に低下している。マスコミには、(アメリカの事例に限定するが、)ケネディ大統領暗殺、アポロ有人月面着陸計画、同時多発テロ事件の不可解な点の数々、イラク戦争の開始の端緒とその始末、ワシントン政界の児童虐待疑惑、ウォール街、連邦準備制度理事会といった、数々の正確に説明できない事項、いわばタブーが存在する。これらの疑惑に切り込めないままでは、読者・視聴者からみて、マスコミは、弱味を抱えた存在と見做される。トランプ氏は、これらのタブーに切り込む政策を公然と口にすることによって、マスコミを直接・間接に攻撃してきた。マスコミがこれらのタブーに自ら切り込まなければ、マスコミは、トランプ氏を取り扱おうとする時点で、トランプ氏よりも劣位に置かれることを余儀なくされる。陰謀論が、トランプ氏を有利にするテコの役割を果たしているのである。もちろん、この構図は、マスコミの中でも、多少目端の利く人物には共有されてはいよう。彼ら報道人に勇気がないことは、この状況を打開し、世界の権力構造をもう少し(だけ)マシにする上での、ボトルネックの一つである。裏切る人数が少なければ、マスコミの金主に粛正されることになろうから、イヌの地位から抜け出せないのも、理由がない訳ではないのであろうが。


以上の事情をふまえると、トランプ氏がダボス会議という「蛇の巣」において発言した内容を真に受ける人たちは、以下で述べる二点の理由から、余程、ナイーヴである。理由は、前段までの説明から自然に導けるが、改めて、二つに整理すると分かりやすい。一つは、ダボス会議における暗殺の危険、もう一つは、マスコミ自身がトランプ氏の発言の信憑性を低いものとして扱った結果、トランプ氏自身が、その状況を逆用できるようになってしまっていることである。後者は、「自己言及のパラドクス(嘘吐きのクレタ人、オオカミ少年)」と呼ばれる逆説に係る下地を、トランプ氏が作り出し、マスコミが追認したことによるものである。

まず、アメリカ大統領と言えども、常に暗殺の危険があり、これを避ける必要がある。このことは、子供でも知る話であるが、大事な話であるから、何度でも繰り返しておくべきであろう。死の危険があるとき(、あくまで現実の危険が存在しているときに限られようが)、人が方便としてウソを吐くことは、許されることであろう(2017年9月13日)。トランプ氏の発言や政策の根幹は、従来の権力集団からアメリカ国民に利益を還元しようとするものであるから、確実に、死の危険を伴うものである。ダボス会議は、戦争屋を含む国際秘密力集団の例会である。彼ら主催者と対立する人物が、そのような場で発言したとしても、その内容に対しては、死の危険がある以上、何らの責任も存在しない。なお、ケネディ大統領のときと同様、副大統領がいるではないかという指摘は、野暮であり、発言者の立ち位置を明確にするものである。

次に、マスコミは、A:トランプ大統領を常々嘘を吐くと批判しながら、B:ダボス会議におけるTPP発言を大々的に報道したことになるが、このマスコミの言論AとBは、マスコミ自身によって、支離滅裂なものとなってしまっている。というのも、マスコミがトランプ氏を普段からウソ吐き呼ばわりしてきた以上、ダボス会議における発言は、マスコミによれば、守られるか否か分からないことになる。こうなると、このダボス発言は、マスコミの解釈を加えた場合には、人々の役に立つ内容を伝えたことにならないことになる(。守られる・守られないという二値的な確率に従うと考えてみると、マスコミのお墨付きが、かえって、エントロピーを高めることになる)。しかも、主流マスコミは(、たとえば、田中宇氏のように、隠れ多極主義であるといった)、トランプ氏の内心がどこにあるのかを聞き手が落着できるような、役に立つ洞察を加えた実績もない。今更、マスコミ自身が形成した「ウソ吐きトランプ氏」というイメージを撤回するにしても、放置するにしても、「フェイク・ニュース」であるマスコミ自身が、「トランプ氏のダボス発言は、真実である」と言う訳にはいかないのである。少なくとも、読者なり視聴者にとっては、マスコミの言うことの真偽を判定することは、今では不可能である。

「トランプ氏がウソ吐き」「TPPというマスゴミの金主にとって有利な条約への加盟を示唆」という矛盾する関係にある情報を、同一の法人格が発出することだけでも、随分と不審なことであるが、このような自己矛盾的な報道をマスコミ各社が一斉に取ることは、マスコミ全員こそがウソ吐きでありそうだという印象を高める結果となっている。この印象を高める材料として、建前としての報道の独立性がある。つまり、マスコミ各社が、各自の自由な心証に基づいて、この決断を個別に下したことになっている。この建前によって、マスコミは、期せずして、「「ウソ吐きがTPP再交渉詐欺を言い出しました」というニュースを、ウソ吐き集団が揃って報じた」という、「陰謀論なる内容を説いているがためにウソ吐きと呼ばれているであろう私」でもビックリしてしまうような状況を作り出したのである。成員一人一人の内心は知らない(し、「こんな人たち」の人格を慮る必要もないように思える)が、外形的に見れば、複数のマスコミが、集団的かつ一斉に、かつ、独自の判断に基づいて、このような愚行に至る論調を用意したことになる※2。マスコミの言うことを真に受けてみると、以上の理由から、ダボス会議の結果は、マスコミの意図にかかわらず、またもや、マスコミがトランプ氏をディスったという実績だけが積み上がったことになる。

強いて付け加えるならば、一般人にとっては、トランプ氏の権力がダボス会議にも完全に及ぶほどに正常化されてはいないというのが、唯一の、そして残念な情報であろう。ただ、その力関係は、ほかの材料から、十分に窺い知ることのできるものである。たとえば、1月22日のアメリカ連邦政府の一部閉鎖は、これと同内容の勢力分布を示唆するニュースである。われわれ一般人ができることは、世界情勢が良くなることを念じつつ、気長に待つことであろう。

それに、トランプ氏の発言に再交渉という条件が付された以上、非常に面白い展開が予想できる。旧TPPこそは、ISDSを含め、無国籍大企業群の意向が十全に反映された、各国の国民を裏切る契約であった。しかし、再交渉ということになれば、交渉に関与した全員のリストを渡せ、誰が何を策定したのか、誰が何を主張したのかを知らせよ、といったトランプ大統領の要望に、応える必要も出てこよう。その際、米国の連邦議会議員でさえも交渉過程を知ることができなかった、という基本的な事実を思い出す必要がある。「再交渉」という「毒素条項」によって、当事者各国の裏切り者のリストは、世界最高クラスの暴力を指揮できる権力者の手に一挙に渡ることになりうる(。NSAやCIAの良心ある職員の出番である)。わが国であっても、夜も眠れない売国奴たちを高見の見物としゃれ込める機会は、ゼロではない。このような毒素条項ありきでは、再交渉は、潰れる運命にあろう。『WikiLeaks』を通じたタックス・ヘイブンに係る漏洩事件は、この前準備でもあったのであろう。英国のメイ首相がトランプ氏を直接ディスったという日本語報道が目立って見られないことは、ここでの私の推測の補強材料である。日本人のTPP条文作成者の確定的リストが出てくるようなことがあれば、それはそれで、今回、トランプ大統領の仕掛けた罠に、戦争屋(の一部)がまんまと引っ掛かったということを意味しよう。


※1 「フェイク・ニュース」という表現の流行は、マスコミの信用が実際にはどの程度であったのかを良く示している。さらには、「フェイク・ニュース」という誹謗を通じて、口にすることも憚られた種類の「タブー」も、公然と語られることが許されるようになっている。実績を考慮すれば、「フェイク・ニュース」という表現は、現在のマスコミの「真の名」として、世界流行語大賞に相応しいものである。なお、本注記における形容は、私なりのアーシュラ・K・ル=グウィン氏への追悼のつもりである(2018年1月22日没)。とはいえ、本稿で取り扱った話は、大変に捻れたものであるから、ご当人がいかにトランプ氏の治世を評価していたかは、また別に調べる必要がある。

※2 一部のテレビ報道には、この発言を疑問視していたものがあるようにも思うが、半分寝ていたので、どのチャンネルであったのかを含めて、詳細は分からない。昨日の夕刊三紙(読売・朝日・日経)については、トランプ氏に対する不信を前面に押し出した見出しの記憶はないが、本日では、この種の疑問を含む論調が見られるようになっている。たとえば、『日本経済新聞』の河浪武史氏の本日朝刊3面記事の見出し[1]は、「変心か乱心か」である。これは、河浪武史氏の主流マスコミの論調に対する忠誠ぶりを良く表していると言えよう。「乱心」という文言は、およそ、日常生活において、上司や勤務先のトップを茶化すときくらいにしか見られるものではなく、他者を褒めるものではない。もちろん、トランプ氏の「再交渉」という文言は、トランプ氏の主張が後世において正しかったことを担保する役割を果たしており、現時点でマスコミがトランプ氏を誹謗したことは、将来において、マスコミがゲス野郎であったことを示すまたとない証拠として機能するのである。マスコミの連中は、どうやら、当人たちがダブルバインドを仕掛けられたことに、気が付いていないようである。田原総一朗氏に(2017年10月24日記事)弟子入りしなおしたらどうか。


[1] ダボス(スイス東部)=河浪武史, 「変心か乱心か/トランプ氏、突如「TPP再検討」/産業界から見直し圧力/日本、再交渉に否定的」, 『日本経済新聞』, 2018年1月27日朝刊3面14版(総合2).




補論:情報を扱う職業に課せられた情報発信のルール

一般的に、機微に触れる情報を取り扱う人物には、嘘を吐かないという第一のルールと、都合の悪いことは言わなくて良いという第二のルールが、暗黙裏に課せられている(2016年10月20日)。もっとも、このルールは、情報機関ならびにジャーナリズムの実務についてのみ厳密に該当する、と考えるべきであろう。そうしないと、研究者・教育者は、(個人情報などの)いくら機微に触れる情報を扱うことがあるとはいえ、真実を過不足なく伝達するという社会的機能を果たせなくなるし、政治家は、先に見たように、ウソを吐くことを通じて、国益・国民益を守ることができなくなる。本段落の話は、本ブログの過去の記事と重複するし、読者にとっては釈迦に説法であろう(。なお、臨床研究における患者の個人情報や質問紙調査の回答者名などは例外的に秘匿できるが、それでも、研究の再現に必要な条件などは、他の研究者が後追いできる程度に公表する必要がある。あまり細かい話をしても、本稿の論旨に影響せず、意味がない)。

二元配置を利用して、以上のルールについて、要素を{本当のこと, ウソ}と{話す, 話さない}という二軸にまとめてみると、もう少し、情報のルールというものが分かりやすくなる。2×2=4通りについて、{許されている、許されていない}という二値が成立する。二元配置は、コンサルタントや広告商売などで、良く使われる方法である。無論、これが「二軸の両建て」という「セット思考」が仕組まれがちな理由の最たるものであろう、と私は見立てている(2017年10月24日)。

研究者は、公に向けて、専門分野について{本当のことを話す}{ウソは話さない}というルールを課せられている。{本当のことを話さない}という態度は許されていない。池上彰氏が学者としてダメなのは、この点である(2018年1月25日記事・26日追記)。もちろん、{ウソを話す}ということは、許されていない(。福島第一原発事故については、大変に多くの「学者」がこのルールを逸脱したが、社会的制裁は、ごく小さなものであった)。特殊な場合に、「分からないことは、分からないと話す」というものがある。専門分野について、彼(女)に分からないことがあってはならない(←これは言い過ぎかもしれないが、大体、本人も恥ずかしいであろう)が、専門外の事柄については、「その道の専門家は知っているのかも知れないが、私には分からない」ということも、まあ、許されることであろう。私は、このような事態に度々遭遇するが、その度に仮定を重ねて、手抜きをしている。私の態度は、怠惰きわまりないが、それでも、知ったかぶりだけは、ここに挙げたルールに違背する可能性が高いために、本ブログでは、一応、避けている。

なお、「分かりやすい嘘」(2016年1月16日)という手段を有効に利用すると(2016年7月26日)、一部の権力集団に問題視される種類の情報を一般に流通させることが可能となる※3。本稿に見たトランプ大統領の発言スタイルは、この方法を、意識的に使いこなした結果であるとも言える。他方、わが国の政界については、何とも言えない。というのは、トランプ氏ほどに、安倍晋三氏のうつけぶりが上手であるとは、私には思えない(、つまり、素で読み間違いしていたりすると見える)からである。しかし他面で、結果として、現時点の安倍政権が戦争屋との情報戦争に勝つために、うつけ者のふりを許容しているという可能性自体は、否定できるものではない(。ただし、繰り返しで残念なことになるが、強調しておけば、その情報戦争の結果、現政体が勝利したとしても、日本国民の貧困層を救うことになるとは思えない。2017年06月10日記事)。


※3 この方法は、「マジ卍」という流行語が『気まぐれコンセプト』でも(1月6日発売号かで)取り上げられ意図的な操作の対象となっていることからも窺えるように、最近のわが国の広告業界においても、意識されているものと認められる。ただ、「マジ卍」自体に係る意図は、私には明確ではない。昨年末、『5ちゃんねる』に、鏡に映すと逆さ卍となることが投稿されている[2]。これは、『ダ・ヴィンチ・コード』の冒頭で、卍を反転させる様子を見逃した者によるものであろうが、ナチス礼賛だという誤解に基づく批判が生じたことを想起すれば、前例のない話ではない。「マジ卍」の流行の目的は、若年者を誤解させ、卍を誤用させた上で、仏教者と地図作成者による反駁を惹起させるという教育的な回路を作動させるというものであろうが、その原動力が「連合国vs枢軸国」という第二次世界大戦型の両建て構造を狙ってのものなのか、これを戯画化して脱構築するという反・両建て勢力によるものか、あるいは双方の勢力が相乗りしているのか、が読みにくいのである。ホイチョイ・プロダクション(ズ)は、今年に入り、朝日新聞のインタビューを受けている(1月4日あたり?要確認)くらいであるから、まあ、国際系走狗であると判定して構わない。しかし、たとえば、和久井健氏の『東京卍リベンジャーズ』の題名にも見るように、卍という用語の流行が、暴走族文化辺りからも発しているように見える点、なかなかその根を追いにくいように思うのである。和久井氏は『新宿スワン』のリアルさで名を上げた訳であるから、どちらかといえば、半グレに造詣が深いものと考えて良いであろう。半(はん)グレ=六本木=ヒルズ族~麻布署~テレビ朝日~米大使館とか、箱コネでいえば、やはり国際系であろうか。これは、定性的に連想できるものを並べただけであり、確定する必要がある。私がその種のヒュミントを使用しない(し、元から不得手である)と宣言していることは、繰り返すまでもなかろう。そうそう、溝口敦氏がわが国最高レベルのジャーナリストであることは、半グレという名に掛詞を入れたことにも表れている。掛詞が氏自身による公的な説明だけに留まらないのでは?というのは、私の偏見である。話が脱線しそうになったが、以上の材料に加え、本件『5ちゃんねる』なり『おーぷん2ちゃんねる』なりの投稿は、投稿日(2017年12月)、元のツイート主の開始日(2017年5月)とプロフの「闇属性」と撮影日(2017年9月)、広告代理店系漫画家(であるホイチョイ自身)に係る提灯記事、「マジ卍」がよく分からないと辞典編集者が解説する毎日新聞記事[3]との関係から判断すれば、本件は、炎上覚悟のアイドル商売であると同時に、その商売自体が政治的な意図を含んでいると結論できよう。また、このような穿ち読みは、余人にとっては、間違いではあるまい。


[2] JK「まじ卐Tシャツ着てみたよ~」自撮りパシャッ
(2017年12月24日・元ツイートの表示時刻は2017年09月04日か)
http://hawk.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1514122104/

[3] ネットウオッチ:女子高生御用達「マジ卍」 起源不明の新語、意味は 頭抱える辞書編集者/「すごく」の強調? - 毎日新聞
(大村健一、2018年1月10日 毎日新聞東京朝刊)
https://mainichi.jp/articles/20180110/ddm/012/040/045000c

2017年9月30日土曜日

今回の総選挙の争点は、核武装を認めるか否か、原発を認めるか否かの二軸で分類できる(2)

本稿は、前稿(2017年9月30日)の続きのつもりである。


希望の党は自民党との連立にあたり「原発ゼロ」の放棄を通じて「アウフヘーベン」を果たす

三浦瑠麗氏のブログ記事[1]を関西弁風に直してみたというブログ記事[2]は、三浦氏の記事よりも秀逸である。三浦氏は、「消費増税先送り、原発ゼロ、憲法改正」という希望の党の政策の組合せを、「どこまでも乾いたプラグマティズム(=現実主義)」と評価している。これを、keigo氏は、「これな、組み合わせがなんかイヤらしい感じするわ。」と関西弁に訳している。この訳は、三浦氏の見解にない意図を付加しているようにも受け取れるが、希望の党の個別の政策同士に対する違和感を的確に表現している点で、三浦氏の評価よりも優秀である。

希望の党の「原発ゼロ」と「憲法改正」という組合せは、「北朝鮮の核の脅威」という「情況倫理」の下では、後者が(TPPよりも)前者を無効化する虞が高いという点において、相容れない組合せである。リベラルや安倍氏の政策に比較して、小池氏一派の政策は、いずれも、真剣に検討する必要性を感じない。選挙で主導権を握り、選挙後の連立に向けての取引材料とするという方針で説明できるからである。これを空疎な表現で言い換えると、「どこまでも乾いたプラグマティズム」となる(。プラグマティズムの用法が間違っているのは、公然の秘密というやつであろう)。この点、一応、三浦氏の解説は間違ってはいないが、表現の無駄な装飾はさておくとしても、小池氏の「止揚」に係る解説まで加えておかなければ、「この人、何も分かっていないのを小難しい言葉で誤魔化しているんではないか」と疑われても仕方がなかろう。

小池氏が今回の選挙について「アウフヘーベン(止揚または揚棄。sublation, aufheben)」の語を利用するのは、「原発ゼロ」と「憲法改正」という組合せに係る非整合性を何とかして接合する試みを指すものと解釈できる。複数の人々によってすでに指摘されているが、「止揚」の内実は、選挙後に自民党と希望の党とが連立を組む過程で、「原発ゼロ」が取引材料にされるというものであろう。逆に、連立の条件として原発ゼロを自民党が飲むとすれば、これこそは、「大どんでん返し」である。ただ、「政界渡り鳥」との異名を取った小池氏の評判を思えば、希望の党が「原発ゼロ」を放棄するというケースの方が、より現実的である。いずれにしても、「憲法改正」ではなく、なぜか、「原発ゼロ」を巡る対立軸が調整の中心に据えられるという方向性こそが「アウフヘーベン」の中身を指すものだと考えて良い。豊洲市場を巡るドタバタが良き前例となろう(。なお、本件選挙を通じて、豊洲市場カジノ転用説も実現したとすれば、それは国益上悲しいことであるが、私の悲観的な見立てがまたもや実現したことになり、痛し痒しである)。


次回に続く


[1] 虚無感の内実ー衆院選を前にした日本政治の激動 - 山猫日記
(2017年09月28日)
https://lullymiura.hatenadiary.jp/entry/2017/09/28/105854

[2] 三浦瑠麗の小池百合子を応援できない理由を関西風にアレンジ〜自民党、希望の党、民進党、誰でもいいから保育園作って!〜
(keigo、2017年9月29日、更新2017年9月30日)
https://kosodate-mens.com/2017/09/29/post-514/


おまけ

三浦瑠麗氏のブログ記事は、段落読みできない。手抜きということであろうか、それとも、文章作法を知らないということであろうか(棒)。三浦氏は、私と同世代であるだけに、後者である可能性が高そうである。人間は、他者と比較してしまう存在である。本稿の文章作法が三浦氏のものよりも学術的であるというメタなネタを織り交ぜておいて、本稿を締めておきたい。




2017年9月30日19時修正

表現に不足があったところを追加し、淡赤色で示した。




2017年10月1日14時22分修正

次稿へのリンクを追記した。




2024年6月3日修正

HTTPリンクをHTTPSに修正した。

2017年8月31日木曜日

北朝鮮のミサイルの弾道は、やはりハワイを狙いから外している

2017年8月29日の記事において、北朝鮮のミサイルの弾道は、ハワイに直接向けたのではなく、南米に向けたのだと解説したが、その点を文句が出ないように詰めたので、報告する。政府発表(先の記事を参照せよ)と朝日新聞の記事[1]を参考に、平壌市・順安地区の最北端あたりの地点X(北緯39度16時32分85秒、東経125度42時53分39秒、WGS84)から2700kmの円と、襟裳岬(北緯41度55時29分77秒、東経143度14時55分73秒、WGS84)から1180kmの円を描画して、起点をXとする2本の線を引いてみた。2本の線の終点は、目視で二つの円が離れているとPC上で認識できる交点となるように設定した(。起点は、手作業であっても、スナップ機能があるために精度良く設定できるが、終点は、機械的に作成しなければ、精度良く作成できないのである)。

ハワイからの排他的経済水域(EEZ、200海里)に懸かるよう、故意に線を引いたのは、「2ちゃんねる」のスレ[2]の91番による、知ったかぶりの書込みに対する情けである。この書込みに見られる誤りは、デマと呼ばれる程度に深刻である。銃口を味方に向けることよりも深刻さは落ちるかも知れないが、それでも、関係者がこのような書込みをなした場合、少なくとも大目玉ものである。千葉大学だかの学生が、3.11のとき、皇居から福島第一原発の方向にスカイツリーがあり、龍脈でも断ち切ったかのように大騒ぎしていたのであるが、これも、正距方位図法を用いれば、たちどころにデマと分かるレベルの話であった。なお、北朝鮮の朝鮮中央テレビも同じ種類の間違いをやらかしたということは、finalvent氏が指摘している[3]。いずれも、教訓として、後世に語り継ぐべきレベルの知ったかぶりである。


図 平壌・順安地区から2700kmと襟裳岬から1180kmのバッファによるミサイルの航路の推定
図 平壌・順安地区から2700kmと襟裳岬から
1180kmのバッファによるミサイルの航路の推定

[1] 日本・グアムへの攻撃能力を誇示か 北朝鮮ミサイル発射:朝日新聞デジタル
(ソウル=牧野愛博、2017年8月30日00時51分)
http://www.asahi.com/articles/ASK8Y76MRK8YUHBI02K.html

中距離弾道ミサイル「火星(ファソン)12」〔は、...略...〕約2700キロ飛行し、〔...略...〕北朝鮮は日本列島を通過する最短コースを取った可能性がある。さらに北海道・東北地方は首都圏に比べてミサイル防衛能力が十分ではなく、迎撃を避ける狙いがあったとみられる。

[2] 【悲報】ミサイルが落ちた場所、日本とまったく関係がなかったと判明
(2017年08月29日07:36:50~、同日22時15分確認)
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1503959810/

[3] 北朝鮮が最大級の軍事機密を公開した: 極東ブログ
(finalvent、2013年04月01日)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2013/04/post-ed9c.html

2017年6月14日水曜日

クライシス・アクターだけで事件を捏造するのは難事である

複数のテロ事件について、被害者であるとして、SNSで流通する同一男性の写真がある。『France 24』の特集「The Observer」[1]によると、この被写体は、メキシコ在住であるが、詐欺師であると中傷されており、彼に対する嫌がらせの一環として、テロ事件の度に被害者としてアップされているのだという。この話は、ウェブ・マガジンの『ギズモード・ジャパン』[2]が同紙英語版を翻訳しており、日本語で読むことができる。この話そのものは、多くのテロ事件と無関係であるように判断できる。懐疑論者は、この種の「引っ掛け問題」にもなりかねない種類の現象もあることを承知しておくべきであろう。

クライシス・アクターの存在自体は、否定することが困難ではあるが、その特性ゆえに、多くの誤解を派生させる結果になりがちである。先のメキシコ在住男性の話は、メキシコ(スペイン語)界隈で多く引用されているようであり、わが国ではさほど流通していないようではある。わが国では、有名な癌患者を仮病であるとして、クライシス・アクター扱いする意見が見られる(。たとえば、「福田元昭」氏[3]。ただし、クライシス・アクターなる表現自体を誤解している可能性もある)。しかしながら、報道の仕方や広告収入のあり方を問題視することさえも、批判の方法次第では法律に抵触し得るところ、詐病であると断言するには、なお一層、そのように信ずるに至った根拠を明示しなければならない。クライシス・アクターの存在を批判するためには、個々の事件や症例に即して、他人が信用すると期待できるだけの根拠を提示する必要があろう。この点、今年5月のマンチェスターのテロ事件に係る「ザウルス」氏の推測は、正しいものとは認められない(2017年6月4日の記事参照)ものの、本人がそう信ずるに至っただけの根拠を述べたものではある。

ところで、「ある事件が現実に不存在であり、クライシス・アクターだけで演じられたものである」として、これを隠しおおせるためには、少なくとも三種の条件が必要である。第一に、企画者は、少なくとも本事件について、「恐怖は蔓延させたいが、人を殺傷してはいけない」という存在でなければならない。第二に、事件の真相を積極的に追求(・追究)しようとするジャーナリスト(や研究者)に上手に対応しなければならない。第三に、事件後にも多くの現象に対処しなければならない。たとえば、「報道で事件を知った有名人」が被害者を見舞うという行動[4], [5]をも織り込まなければならない。私が思いつけた条件は、おおよそこれらの三種であるが、このうち、第一の条件は、第二の条件についての非常に難易度の高い制約条件として機能する。なぜなら、事件そのものに関しては、人命を尊重しながら、第二の条件においては、第三者の調査をうまくいなさなければならないからである。真相を追求するジャーナリストやブロガーらだけを迫害するのは、どうにもご都合主義である。しかも、このように事件に興味を抱く第三者は、将来、どれだけ生じるものか、分かったものではない。クライシス・アクターを活用する組織が「余計な殺しはしない」というと恰好良く聞こえるし、これだと、事件を捏造するという姿勢と整合的ではある。だが、すべてを捏造して乗り切ることは、並大抵の企画力では無理であろう。

ただし、ある事件が現実に生じた直後に、クライシス・アクターが利用されるという可能性は、あったとしてもおかしくない。具体的な被害の様相を、テロリスト集団に対して見せないことは、彼らの意欲を削ぐことにつながり得る。また、政府当局が用意した演者が巧妙な芝居を打つことで、大衆の、テロリストを憎悪し被害者に同情する気持ちを喚起することは、政府の権力の正当性を維持する上でも、求められる作業である。「大衆を騙す」ことは、常に「諸刃の剣」であるが、試みられない理由がない訳ではないのである。


[1] 世界のテロ事件で何度も死んでいる謎の男|ギズモード・ジャパン
(George Dvorsky、リョウコ〔訳〕、2016年07月11日12:50)
http://www.gizmodo.jp/2016/07/77ryok.html

[2] Who is this man who seems to die in every terrorist attack?
(Chloé Lauvergnier (@clauvergnier) and Alexandre Capron (@alexcapron)、2016年07月05日)
http://observers.france24.com/en/20160705-mexican-man-dies-every-terrorist-attack-mystery?aef_campaign_date=2016-07-05&aef_campaign_ref=partage_aef

[3] 600.医療マフィア利権に挑戦した安保徹先生は医療マフィア<医療殺人鬼>どもに殺害されたのか? - 未分類
(福田元昭、2016年12月10日00時28分)
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-823.html

[4] The Queen Visits Manchester Terror Attack Victims In Hospital
(Amy Guard、2017年05月25日13:33:07+01:00)
https://www.unilad.co.uk/news/the-queen-visits-manchester-terror-attack-victims-in-hospital/

[5] Lucy Fallon and Shayne Ward among Coronation Street stars visiting young Manchester terror attack victims - Mirror Online
(Katie Fitzpatrick and Lara Martin、2017年06月13日11時30分、更新12時26分GMT)
http://www.mirror.co.uk/3am/celebrity-news/lucy-fallon-shayne-ward-among-10614228

2017年6月10日土曜日

(感想文)トランプ大統領は選良が嘘を吐くときのルールを変えた

本記事も題名でほとんど意を尽くしており、後は、私が好き放題に持論を記しているだけであり、中身はないが、いわゆる「コミー・メモ」流出の件が喧しいので、とりあえずマスコミ批判のために立ち上げた記事である。前FBI長官のジェイムズ・コミー氏(James Brien "Jim" Comey, Jr.)は、最近の主要紙のアメリカ関係の海外面の主役である※1。コミー氏は、自身がいわゆる「コミー・メモ」を事前にメディアに流出させた「ディープ・スロート」であったことを議会で証言し、良心に基づいて、友人のジャーナリストと大学教授にメモを託したという。コミー氏は、ヒラリー・クリントン氏による選対長のジョン・ポデスタ氏への情報漏洩事件の捜査を見送っている[1]。コミー氏の「良心」は、かくも、一方向にしか機能しないものである。コミー氏の論理を採用するとすれば、米議会は、コミー氏のFBI長官としての不適格性を利用して大統領を弾劾するという、非常に捻れた法治主義を実行することになる。クリントン氏の捜査を行うとともにトランプ氏の弾劾を検討するか、両方とも見送るか。このいずれかであれば、自己矛盾しない態度ということになる。

日米のマスコミがトランプ氏のみを批判できる理由があるとすれば、それは、トランプ氏の示した事実認識に誤りが見られる頻度が相対的にコミー氏よりも高い、ということに尽きるが、この論拠に基づくトランプ氏への批判は、決定的に米国の国民益を損なうものである。決定機において職務を少なくとも二回裏切ったのはコミー氏であって、トランプ氏ではない。一回目であるが、コミー氏は、再三の世論の要請にもかかわらず、クリントン氏のメール問題を捜査しないという不作為を通じて、米国民の核心的な利益を棄損する意思を明らかにした。トランプ旋風がコミー氏自身の身を危うくすることを理解したコミー氏は、途中で翻意したが、クリントン陣営の圧力に再び屈して捜査を結局見送った。米マスコミの恣意的な報道に見られた不審点を元に、いち日本人パンピーの私が選挙情勢を予想できるくらいであるから(2016年9月30日)、FBI長官というインテリジェンスの世界的要職の座にあったコミー氏が、トランプ旋風の真の行方を逐一最上のインテリジェンスによって把握できていなかったはずがない。この過程において、彼の心中がいかなる変遷を辿ったにせよ、すでに二度以上、コミー氏は職務に対して不誠実であったことになる。言い換えると、二度以上、自身の良心に対して嘘を吐いたことになるのである。その結果が、現在に至るまでの迷走の原因となったことは、言うまでもない。結局、ジェイムズ・コミー氏なる人物は、世界を牽引する大国のインテリジェンスを掌握する人物の器にはなかったのであり、現在、ほかの大人物の足を引っ張るだけの「ゾンビ」と化している※2。ヒラリー・クリントン氏という稀代の大悪人の圧力に屈し、良心的な職員の頑張りを大いにムダにしたと見做されるべきである。このように国益を大損壊した人物が、今更、トランプ氏を前に権力に対峙すると主張されても、それを真に受ける真人間はいない(。今や誰もが知るところであろうが、私自身は(真)人間ではない)。コミー氏が権力闘争に用いられる駒に過ぎないことは、誰の目にも明らかである。このような小人物(駒は小人物である)が、要職の座に長く留まり、アメリカ市民の手にあるべきであった権力を(戦争屋などエスタブリッシュメントの手から)アメリカ市民の手に取り戻す(就任演説)と誓ったトランプ氏の足を引っ張るような真似をしでかすのは、全世界の市民側からみたとき、アメリカの国益にとっても、間違いなくマイナスの行為である。そもそも、ヒラリー・クリントン氏の圧力に屈したコミー氏の迷走がなければ、ロシアと殊更に接近する必要は、トランプ陣営にもなかったはずである。さらに、原則的に、ロシアと程良い関係を保つこと自体は、アメリカにとってもプラスのはずである。ロシアとの過剰な緊張状態、あるいは局地紛争や代理戦争から利益を得るビジネスモデルのクリントン氏を排除することは、世界の圧倒的大多数(割合としては、いわゆる6シグマにもなろう)の人類にとって、利益のある話であった。わが国風に言えば、世界の「関ヶ原」で大砲を撃ちかけられても動かなかったコミー氏が、今更、善玉のふりをして後ろから噛み付こうとするのは、茶番としか言いようがない。良識あるアメリカ国民は、この小人物のクリントン氏に対する不作為こそを、遡及して非難すべきである。法の下の平等を是正するのであれば、クリントン氏の処分を完全に終えてから、トランプ氏の行為の是非を問うのが筋である。

トランプ氏は、細かい嘘を吐くかのように批判されることがあり、事実認識に誤りがあることも事実ではあるが、それでも、アメリカ大統領としてのプリンシプルからは逸脱していない。むしろ、トランプ氏は、政治家としてのプリンシプルに準拠し続けており、周りや政敵による妨害が激しいだけであると判定できよう。その状態が「分かる者には分かる」ように判明しつつある現在、コミー氏を利用した政変が本格化したかのように見える。つまり、戦争屋は、トランプ政権を、シリア問題と北朝鮮問題の双方に本格的に関与させて武力介入するようけしかけた。しかし、この企みは、あえなく潰えている。その途端、国内問題として「ロシア・ゲート」が本格的に立ち上げられるに至ったのである。国の一大事に係るこのような「偶然」は、偶然とは呼べない。

コミー氏は、FBI長官としてのプリンシプルには準拠していない。アメリカ国民の定めた法の理念には、恣意的にしか従ってこなかった。この点で、コミー氏は既に失格しているのであって、それ以後の働きは、逐一が恣意的であると解釈されざるを得ないものである。コミー氏は、クリントン氏を捜査できないと考えた時点で「私には捜査することができません」と宣言し、その時点で潔く辞任すれば良かったのである。クリントン氏の疑惑が持ち上がった時点で、コミー氏が捜査を実施することが最良であったが、これを見送ったとしても、その時点で自身が辞職し、クリントン氏の理非を問うていれば、おそらく、マイケル・フリン氏の捜査は必要なく、必要があったとしても、後任が筋目を通すことが期待できた。なお、私自身が法律の専門家でも何でもないのに、無謀にも一言付け加えておくと、法律に従うこと自体がプリンシプルであるとするのは、(それがギリシア以来の伝統であることは理解しているものの、)法の理念が曲解されている可能性がある。(所詮は人の定めた法である。その法の陋守(ろうしゅ)自体が目的とされてはならない。プラトンの到達した賢人政治という結論は、師ソクラテスの不当な死によるところが大きい。これは、現代においても結論が付いていないはずの問題である。)後任に法の精神の体現をを期待できなかったことが、コミー氏の過ちの始まりであった。

以上の理由から、「コミー・ゲート」と呼ばれる戦争屋の弾劾運動は、法の平等などという法(哲)学上の問題などでは断じてなく、単なる権力闘争であると結論付けられる。とすれば、政治闘争として、結果責任が問われるのみである。この解釈が関係者全員に正しく共有されているのであれば、多少の緊張状態が世界中のどこかで昂進し、それに対してトランプ氏がシリアへの攻撃のような威嚇攻撃を再度行う必要に迫られるという可能性は、それなりに認められる。弾薬や使い切りの兵器の消費は、戦争屋にとって喫緊の課題であるから、このようなガス抜きが進められる可能性は、ゼロではない。ただ、それが依然として、人々の恐れるような終末的戦争へと至ることはないし、戦争へと至る程度に深刻な脅迫行為に対しては、別方面からの牽制もあろう。戦争屋の茶番に、彼らの存在をロックオンしている良識人は飽き飽きしているが、戦争屋の金力に平伏す「犬」が出現し続ける限り、彼らを根絶することは難しいことも承知しているであろう。

このように「嫌儲」風に世界を解釈するとき、トランプ大統領の嘘に対する奔放さは、メディア自体のフェイクぶりを際立たせることに成功し、世の中の少なからぬ人々の理解を増進することに貢献した、と好意的に解釈することができる。2016年の米大統領選挙は、嘘が嘘を呼び、何が嘘で何がそうではないかを見分けさせる必要を生じさせたが、その情報分別の過程で、選挙民に、何が自分たちにとって本当に大事な利益であるのかを考えさせるきっかけとなった。マスメディアは、自分たちにとって本当に大事なものを奪い取ろうとする「敵」ではないのか。このような大衆の疑念をかき立てることに、トランプ氏は成功したのである。これは、オルト・メディアの功績でもあり、そのオルト・メディアの援護射撃があって当選したトランプ氏の功績でもある。「フェイク・メディア」という概念の流通は、人間の「精神的環境」を取り巻く「言説の力」を再認識させる契機となった。この力は、マスメディアが徒党を組んで独占的に濫用してきたものであったが、オルト・メディアは、この言論の独占状態を、かなりの程度まで平等化し、マスメディアの「神通力」を無効化したのである。

まとめれば、トランプ氏は、大衆の核心的な利益を守るという前提においてのみ、嘘を吐くことが許されるという政治上のルールを確立したのである。


※1 朝日[2]と日経[3]は昨日(2017年6月9日)の夕刊で、読売は本日(2017年6月10日)の朝刊[4]で、コミー氏が自身を流出元であると認めたことに触れてはいる。毎日は、10日朝刊で掲載しているとのことである[5]が、現物を確認していない。産経もウェブ上に記事がある[6]が、本紙の現物までは確認できていない。また、別記事[7]でFBIの独立性を疑わせる結果に終わったことを報じている。明らかに産経の論調が本記事より先行しているが、独立機関としてのプリンシプルに準拠すれば、漏洩自体についても、自ずから導き出せる答えであるから、大勢が同様の答えに到達していたことであろう。

※2 ここでのゾンビとは、ルサンチマンから「超人」を自身のレベルにまで貶めようとする平等主義者という意味合いを有する表現である。本格的に記す余裕がないので、ここであえてディスっておくと、岡本健, (2017.4). 『ゾンビ学』, 京都: 人文書院.は、「世界で初の総合的ゾンビ研究」のようなことを帯で謳いながら、2017年現在においてゾンビというモチーフから直ちに連想されるべきルサンチマンという主要概念に全く言及していなかった点、読後に非常に不満が残った。藤田直哉, (2017.3). 『新世紀ゾンビ論』, 筑摩書房.にはたしか言及があったので、この点については納得している次第である。後進畏るべしとはいえ、彼らの誰もが、ゾンビという象徴が、国際秘密力集団の象徴伝達手段でもあるという話を、ドレズナー本そのものが体現しているという入れ子構造を理解していない(=分かった上であえて記していないのではない)点も、Valveの『Left 4 Dead (L4D)』シリーズにおける騒動が記述されていない点も(、同社の資金関係と嫌儲と『L4D2』後の『L4D』のサポート体制に着目せよ。この点は、『カレイドスコープ』のダンディ・ハリマオ氏の方が、よほど核心を衝いている。この点については、調査ジャーナリストのウェイン・マドセン氏の記事が和訳でも読める(『マスコミに載らない海外記事』[8])。『L4D2』騒ぎのときに、対立の構図は確立されていて、それがボイコットを促進したという経緯が認められる)、かなりモヤモヤしっぱなしである。ここらの話に触れた上で、正常と異常との境目を逝くがごときの理解を示さなければ、プレッパー魂つまりレジスタンス魂と、ゲーマー魂の成分の半分ほどは理解できていないことになり、「ゾンビ流行」の舞台裏を全く理解できていないことになるのだから、是非とも改訂新版で、ここらの話を投入して欲しいものである。(ここでの記述は、私なりのサービス精神の発露のつもりであるし、本記事自体が入れ子構造のつもりでもあるという厄介な感じに仕上げてみたつもりである。)


[1] コラム:クリントン氏のメール問題、FBIが語らなかったこと | ロイター
(Peter Van Buren、2016年07月12日09:47JST)
http://jp.reuters.com/article/clinton-fbi-email-column-idJPKCN0ZS023

[2] 「コミー・メモ」自ら流出と証言 トランプ氏側は批判:朝日新聞デジタル
(ワシントン=杉山正、2017年6月9日12時58分)
http://www.asahi.com/articles/ASK693302K69UHBI00X.html
#本紙記事は、夕刊2面(総合2)4版「コミー・メモ 自ら流出/大統領会話記録 FBI前長官が証言」。

[3] トランプ氏の弁護士、コミー氏証言を否定 「情報漏洩者」と批判 (写真=ロイター) :日本経済新聞
(ワシントン=川合智之、2017年06月09日04時31分)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGN08H36_Y7A600C1000000/
本紙記事は、「捜査中止「指示ない」/トランプ氏側否定/ロシアゲート/「コミー氏は情報漏洩者」」夕刊4版総合3面。

[4] 『読売新聞』2017年6月10日朝刊14版7面国際「トランプ氏 徹底抗戦/「情報を漏らした」非難/前FBI長官証言」
#内容が一致する形で確認できそうな無料のウェブ記事はない。

[5] 米大統領選:露介入疑惑 「捜査中止、トランプ氏指示」コミー前FBI長官、公聴会証言 解明長期化も - 毎日新聞
(ワシントン=高本耕太・福岡静哉、2017年6月10日東京朝刊)
https://mainichi.jp/articles/20170610/ddm/007/030/176000c

[6] 【トランプ政権】コミー前FBI長官が会話内容を米紙に暴露 大統領に強い不信感 トランプ氏弁護士は捜査中止圧力を否定(1/2ページ) - 産経ニュース
(ワシントン=加納宏幸、2017年06月09日10時01分)
http://www.sankei.com/world/news/170609/wor1706090039-n1.html

[7] 【ロシアゲート疑惑】トランプ氏ひとまず逃げ切り? 「圧力」証言のコミー氏、動機に疑問(1/2ページ) - 産経ニュース
(ワシントン=加納宏幸、2017年06月09日19時22分)
http://www.sankei.com/world/news/170609/wor1706090056-n1.html

逆に、トランプ氏との会話記録をメディアにリーク(情報漏洩)したことをコミー氏が明らかにしたことは、自らが標榜してきたFBIの「独立性」や、トランプ氏追及の動機を疑わせることになった。




2017(平成29)年6月12日修正

元の文意を変えないよう、意味の通らない文章を訂正した。




2017(平成29)年7月28日修正

本文の注記(と私の記憶)に誤りがあったため、訂正した。ヤニス・バルファキス氏(Yanis Varoufakis)がValveに経済的助言を与える立場にいたことと、『L4D』への不十分なサポート体制への批判は、タイムライン上、直接関係しないことであるが、同氏がギリシアの経済状態を悲惨な状態に落とし込むこととなったことは、事実である。奉仕すべきコミュニティを不幸にするという点で、方向性が偶然に一致することについては、より裏話があり得るかも知れないが、それは、私よりも適任者が海外にいるであろう。

[8] 新ギリシャ政権内のソロス“トロイの木馬”?: マスコミに載らない海外記事
(Wayne MADSEN、2015年1月29日=2015年1月31日)
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-7acd.html

2017年5月17日水曜日

嘘と過ちとは、事後の訂正の有無によっても弁別される(3)

#本稿は、本日(2017年5月17日)中に後半部分を追記したものである。

ジャーナリストのまさのあつこ氏は、今年(2017年)5月3日の時点で、浪江町の森林火災によりモニタリングポストの計測値が上昇したことを指摘する[1]とともに、降雨との関係を9日の記事[2]中で考察している。拙稿においても、羽田空港のモニタリングポストの計測値を確認した(2017年5月10日)。これらの材料をふまえれば、当該の山火事によって放射性物質の拡散が起こらなかったと断定することは、極めて困難となっている。

また、本ブログでは、『スプートニク日本』の掲載したイメージ写真が何らかの意図を有していたことまでを想定に入れた考察を提示した(2017年5月12日)。3.11当時、公務員ならば、「直ちに影響はない」という枝野幸男氏の言葉から、事の深刻さを十分に理解できたであろうが、この歴史に残るフレーズ以降、わが国では、何事も、考え過ぎるに越したことはない。この見立てが正しければ、福島第一原発事故に言及する表現者は、「情報戦」に参加しているものと心得ておいた方が無難である。とりわけ、マスコミ関係者の動向に対しては、周囲の厳しい目があるものと考えた方が良いであろう。

このような折、元・毎日新聞社従業員の『BuzzFeed Japan』の石戸諭氏は、まだ、下記引用のように報じた内容を訂正していない。『BuzzFeed』は、新興メディアの中では、ヒラリー・クリントン氏を応援する姿勢を鮮明にしており、また、日本語版で森友疑惑を批判的なスタンスで取り上げてきた辺り、ソロス一派と歩調を合わせている。福島第一原発事故についても問題がないかのように示唆する辺りは、ソロス一派と益々同調的であると言うことができよう。『BuzzFeed Japan』の権力批判とは、お金をくれそうな相手に応じて、フラグが立ったり立たなかったりするものと見える。そっとでも良いから、福島第一原発事故の影響がないかのように読める文面は、修正しておいた方が良かろう。

『BuzzFeed Japan』の言論の恣意性は、トランプ大統領に対する批判にも表れている。昨年(2016年)11月の米大統領選挙直後のことになるが、籏智広太氏によるトランプ氏のツイートへの批判[4]は、トランプ氏(陣営)による当該のツイート[5]の真偽そのものを吟味するものではなく、そのツイートに対する他のユーザらの反応に終始するものである。トランプ氏のツイートの和訳は、「プロ市民」となっている。しかし、この語では、トランプ氏が念頭に置いたと認められる「デモ活動の対価として金銭を受領している」という「プロフェッショナル」の意味合いが減じられたものとなってしまう。なぜなら、「プロ市民」という日本語は、手弁当による政治的活動という意味合いを残したものとして、曖昧に利用されているからである。トランプ氏の批判の主たる対象は、ジョージ・ソロス氏らの一派によると目されていた、金銭により動員された「人工芝運動」であった。籏智氏は、金銭的な対価を得て批判するプロであるところ、このニュアンスを意図的に抹消したと認められるのである。この籏智氏の記事がソロス一派の意に適うものであることを考慮すれば、全員が共通の利益を享受する存在であると考察することまでは、ほんの一歩である。無論、偶然の一致というものはあり得ようが、記事が一貫してトランプ氏の政敵であるソロス氏を利するように紡がれることと、そこに金銭的利益の可能性を指摘することとの間には、十分な理由があるものと考えて良い。

『BuzzFeed Japan』の主題の取り上げ方のタイミングは、マスメディアに準ずるものとはいえ、森友学園疑惑についても、恣意的である。同紙の森友学園疑惑の取り上げ方は、本日(2017年5月17日)の『朝日新聞』朝刊1面における「加計学園疑惑」の取り上げ方と同じく、タイムライン上に十分な違和感があるものである(2017年3月30日の記事参照)。森友学園疑惑のマスメディア報道の主要論調に乗る形で、この話題を継続的に取り上げるに至ったということ自体、同紙(BuzzFeed)のリソースまで加味すれば、低い確率で生起する事象であるとみなしても良いであろう。トランプ氏への反対、森友学園疑惑、福島第一原発事故という、3種の事象の大枠に対する賛否だけを問うても、8分の1未満の確率でしか、『BuzzFeed Japan』とソロス一派の態度とは、一致しないのである。『BuzzFeed Japan』がソロス一味と同一視され続けないためには、個別の論点を是々非々で厳しく問い、ソロス一味の金銭上の利益と対立するような、金融寡頭制批判を厳しく展開する必要があろう。


[1] 帰宅困難区域の山火事は何を物語るか(まさのあつこ) - 個人 - Yahoo!ニュース
(まさのあつこ、2017年05月03日13:40)
https://news.yahoo.co.jp/byline/masanoatsuko/20170509-00070783/

[2] 消火活動続行中:帰宅困難区域の山火事を教訓に国が行うべきこと(まさのあつこ) - 個人 - Yahoo!ニュース
(まさのあつこ、2017年05月09日19:53)
https://news.yahoo.co.jp/byline/masanoatsuko/20170503-00070575/

[3] 福島県・浪江町の山火事とデマ 「放射性物質が飛散」と報じた地方紙が謝罪
(2017年05月07日07:01 GMT、石戸諭)
https://www.buzzfeed.com/satoruishido/fukushima-yamakaji

危険論が広がったが、福島県内でも放射線量の数値が上がっていないのが事実だ。全国の状況は原子力規制庁のホームページで確認できる。

[4] トランプ“大統領“「プロ市民がデモをしている」とつぶやき炎上中 (BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース
(BuzzFeed Japan/籏智広太、2016年11月11日14:29)
https://web.archive.org/web/20161219133147/https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161111-00010005-bfj-int

"公正に開かれた大統領選挙が、大成功に終わった。いま、プロ市民たちが、メディアに扇動されてデモをしている!アンフェアだ!"
〔トランプ氏の〕発言はさっそく炎上中だ。つぶやきから3時間でリツイートは3万5千回近くにまで伸び、多くの批判が集まっている。
〔...略...〕
ちなみに2012年、前回の大統領選挙のとき、トランプ氏はこうつぶやき、デモを「扇動」した過去がある。

[5]




2017年5月18日修正

文言を分かりやすく改めた。

報道機関は、常に権力を批判していれば、誰にも恣意性を批判されない。このプリンシプルに違背しているために、最近の『BuzzFeed Japan』は批判されるのである。