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2018年5月4日金曜日

(メモ)鹿児島相互信用金庫における事件について

以前(2015年10月23日)、振り込め詐欺が詐欺システムの一環であるという意見に反論したことがあるが、この記事に対し、昨夜、匿名のコメント主のお叱り・励ましを受けたことから、鹿児島相互信用金庫において、金融機関に対する人々の見方を変えるレベルの事件が生じていたことを、新たに記事を立てて指摘しておきたい。今年4月の『朝日新聞』も小さめに報道している[1]が、多数の職員がグルになって、多数の顧客の預金を横領したり、あるいは就業規則に違反する行為に及んでいたという事件である。昨年12月、同信金は、この不祥事(の一部)を報道発表しており[2]、同年8月、告発を受けた金融当局からの問合せによって知ったとしている。4月20日の朝日の記事は、弁護士2名・公認会計士1名からなる第三者委員会が報告書を提出したことを受けて、同信金が報告書(の概要)を公表したことを受けたものである。第三者委員会は、38事案を調査したと報告している(要約版)[3]

勤め人を経験した人なら、少なくとも一例以上は、犯罪となり得る行為を見聞きしたことがあろうが、鹿児島相互信用金庫の(業務本体に係る)事件の多さは、670名という正規職員の人数からすれば、群を抜いている。経営陣の責任の取り方も公表された[4]が、この企業を立ち直らせることは、この処分結果を見る限り、至難であろう。無能な経営陣による甘い自己評価は、ますます顧客を離れさせるであろう。企業犯罪や権力犯罪が研究主題となりにくいことは、一応、指摘した(2017年9月22日拙稿の最終段落)ことがあるが、ここまでとなると、犯罪学者のいずれかが手を付けてみたくなるほどに、深刻な組織風土であろう。行員、ほとんど全員悪人、ってノリである(。個人的には、臆病や無知も、利己的に作用するという観点から見て、悪である。これと同じく、組織犯罪を分析すると角が立つと思う犯罪学者も、忖度が効き過ぎていて、悪である)。

同僚や部下や上司の悪事を知った職員の沈黙は、組織を壊滅に追いやる。悪事(の方法)に対して無知であることも、場合によっては、組織の衰亡につながる。ここでの記述は、一部、体験的事実に係るものでもある(。心当たりのある者は、私にコンタクトを取った方が良いかも知れない)。このために、私の主張は、一応のところ、ケーススタディの域ではあるものの、十分に事実を下敷きとしている。鹿児島相互信用金庫も、他山の石を活用すべきである(が、経営陣の責任の取り方を公表した時点で、自ら詰んだと評価して良かろう。経営陣の全報酬を、初任給(の19万円)まで下げれば、何とかなったかも知れない)。


なお、先述のコメント主に対して;念のため、私も、現在の先進諸国における金融システムの基本的な仕組みが庶民にとって詐欺的であるという意見を共有している。CSRについて調べなさいということであれば、長い道程になるであろうが、いずれは着手したいとは思う。ただ、どの金融機関についても、その犯罪性・不公平性は、システムに起因する以上、程度の差こそあれども類似したものである(から、ここで鹿児島相互信用金庫の事例を紹介したことによって、当面の時間稼ぎを行ったつもりである)。それに、金融商品の利率(の理論値・実績値)は、経済成長率よりも高い。このため、金融システムが現在の形で回り続ける限り、このシステムの創生期からひと財産を保有してきた連中は、一般人に比べて極めて有利な立ち位置を確保し続けることができる。彼らは、ルールを逸脱して儲けた金を混ぜ込んで、資産全体をわざわざ危険に晒す真似をする必要もなかろう(から、振り込め詐欺まで利用するという必要もなかろう)。


[1] 鹿児島の信金、17年間で不正1600件 計5億円超:朝日新聞デジタル
(2018年04月20日、加藤美帆)
https://www.asahi.com/articles/ASL4P3D03L4PTLTB006.html

[2] 不祥事件の発覚について
(鹿児島相互信用金庫理事長 稲葉直寿、2017年12月15日)
http://www.kasosin.com/news/news20171215-1.pdf

[3] 不祥事件に関する第三者委員会調査報告書(要約版)
(2018年03月14日)
https://www.kasosin.com/news/news20180420-5.pdf

[4] 健全かつ適切な業務運営を確保するための業務改善命令について
(鹿児島相互信用金庫理事長 稲葉直寿、2018年04月20日)
http://www.kasosin.com/news/news20180420-1.pdf

2018年2月2日金曜日

(一言)コインチェック社の補償が日本円によるのは

約26万人分の顧客口座を使用せず、社の自己勘定口座によって、約26万人分の顧客口座に係る取引を実行していたからではないかとの疑いが、山本一郎氏[1]や苫米地英人氏[2]によって指摘されているが、この疑惑自体は、十分に信憑性のあることとは思う。ただ、両名の記事の論点の正確性は、皆が興味を持っている内にという時間制限を設けるとすれば、事情が刻々と判明するという制限もあり、私には確認しきれないことである。両名の記事の正確性については、読者各位に判断を委ねたい。


#以下、ほとんど雑文であり、整理できていないが、読者の利便のために、公開することとした。


山本一郎氏については、氏の言動を判断するための材料として、いくつかを指摘しておきたい。山本氏による原野商法への比喩※1は、取り立てて指摘する必要もない誤りである。NEM財団の公式ブログ[3]が山本氏の記事を取り上げたことは、山本氏を国際的なコミュニティにおいて持ち上げることになるから、将来の災いの種となるような気がして仕方がない。本ブログでは、山本氏の言動について意味のない人格攻撃を行う上、事実認識に誤りがあると言及したことがある(2016年10月19日)。また、氏の表現が当時の公的身分上のルールに抵触していた虞についても確認している(12月25日)。これらの拙稿は、先の懸念を裏付ける材料である。

また、苫米地英人氏についても、人々が知っておくべきことが(山本氏に比べて)いくつもある。先に紹介した記事[2]の趣旨を勝手に解読※2すると「26万の顧客口座が実働していたとすれば、盗まれるのに要した時間が短すぎるのではないか」という論旨は、大体、合っているように思う。ただし、二つの段落「これは、私自身がNakamoto2009…」と「ところで、この問題を解決する技術は私自身は開発済みであり…」のうち、特に後者は、私には真偽を判定しかねるものである。氏のこの記述[2]は、コンサル商売の糸口とするための撒き餌でもあると解釈できよう。苫米地氏の28日記事[4]において示された「顧客のNEM口座に流出前と同数のXEMを返還せよ」という指摘は、正しいと思う。前稿(2018年1月29日)の追記・修正は、苫米地氏のこの指摘に基づくものである。確かに、国税庁[5]は、仮想通貨の売却時に差額が所得金額として確定され、原則として雑所得となるという見解を示している。苫米地氏のビジネスは、『サイゾー』やその下部サイト『リテラ』『トカナ』など、広範にわたるものであるから、税務にも敏感ということなのであろう。また、氏は、色々な称号を保持しているが、それらは、氏のブログを参照された上で、各自で氏の主張を判定する材料とされたい(。JavaScriptがオフだと表示されない)。

苫米地氏について、特に、読者が押さえるべきことは、『やや日刊カルト新聞』において、氏についての記事がいくつか見られることであろう。代表的なものを挙げておく[6]。これらの指摘が本当であるとすれば、氏が自身で度々言及してきた「ロックフェラーの茶飲み友達」の怪人ぶりは、一層際立つものとして感じられよう。なお、山本氏は、苫米地氏に自由報道協会会長就任についてインタビューしており、両氏は以前からの知合いでもある[7]


#これくらいで十分であろう。以後、私は、両名について言及し、彼らの意見が正しいと裏書きすることを、従来以上に避けることとしたい。


※1 原野商法と呼ばれる種類の詐欺には、原野に係る権利を不当な高値で売り付けるマシなケースと、権利を持たない原野を紹介して顧客から資金を騙し取る悪質なケースがあり、山本氏の譬えに基づくと、コインチェック社のケースは、後者に該当することになる。

※2 私自身が不勉強であることもあり、二つ目の段落の記述にある$\log N$という関数は単調の中でも望ましい性質を持つ種類のものではないん?と思ったりもしたし、$\log_2 N$でもないん?とも思ったりもしたり、そもそも、このような式の記述の仕方で証明になるん?とか思ったりもしたが、私は、持ち前の自分自身の適当さに基づき、スルーすることとした。厳密にNEMの仕組みに則っても、結論は、大して変わらなそうであるとも判断した。


[1] コインチェック社「持ってないコインを消費者に売る」商法と顛末(山本一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
(2018年01月30日00:37)
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamamotoichiro/20180130-00081027/

[2] ドクター苫米地ブログ - Dr. Hideto Tomabechi Official Weblog : ブロックチェーン技術による一送金あたり計算量の複雑性からコインチェックがホンモノか判断。また仮想通貨業界全体への改善提案 - ライブドアブログ
(2018年01月31日09:39)
http://www.tomabechi.jp/archives/51560563.html

[3] Coincheck Hack: "The Biggest Theft in the History of the World" - NEM News Website
(Julian、2018年01月28日)
https://nemflash.io/coincheck-hackthe-biggest-theft-history-world/

[4] ドクター苫米地ブログ - Dr. Hideto Tomabechi Official Weblog : コインチェックの460億円返済は、憲法違反のレベルの誤りである - ライブドアブログ
(2018年01月28日09:40)
http://www.tomabechi.jp/archives/51560371.html

正しくは、コインチェックが自ら保有するXEMもしくは市場から購入してXEMを保有数正確に戻すことだ。これ以外あってはいけない。

[5] 国税庁個人課税課, (2017年12月01日). 「仮想通貨に関する所得の計算方法等について(情報)」『個人課税課情報』, 第4号.
https://www.nta.go.jp/shiraberu/zeiho-kaishaku/joho-zeikaishaku/shotoku/shinkoku/171127/01.pdf

[6] やや日刊カルト新聞: エロかアートか? “傳法大阿闍梨”のSM動画
(藤倉善郎、2010年11月15日)
http://dailycult.blogspot.jp/2010/11/sm.html

[7] 上杉隆に乞われ、自由報道協会「会長」に就任した苫米地英人さんに事実関係を伺ってきたでござるの巻(山本一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
(2015年08月11日06:30)
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamamotoichiro/20150811-00048365/

2017年9月13日水曜日

命の危険を感じる人物が嘘を吐くのは仕方がない(のか)(1)

「エクストリーム自殺」における「遺書」の信憑性は、生前の意向に左右される

殺すぞと脅されながら書かれた文章に、果たして真意が込められているかどうか。甚だ難しい問題である。エクストリーム自殺した人物の懐に「自殺するのはやむを得ない」と書かれた遺書があったとしても、読者は、その「遺書」を信用するであろうか。その文書の「作成者」に直接問いかけることは、もはや適わないのである(。蛇足であるが、死者から応答の不在というテーマは、自殺そのものについての研究にも付随することは、2015年10月28日の拙稿で指摘した)。

わが国では、政治家なり有名人が疑問を感じさせるような形で「自殺」して、自殺として片付けられてしまうことは、結構な割合で存在する。「自殺」した政治家に殺される可能性が少しでも認められるにもかかわらず、自殺と断定してしまうことは、真の犯人に対して、刑事司法機関が敗北を最初から認めたようなものである。そうでなければ、完全な現場保全の後、世界の環境が変化した直後、その仇を速やかに討てるように、怠りなく準備を進めておくべきであろう。そのような話は、2017年9月現在、世人には、全く分かるように聞こえてきてはいないのであるが。

「自殺」における「遺書」の信憑性は、死者の普段の言動のブレ・揺れが少なければ、著しく高まるか低められるかの両極端な方向性を取る。平素から自殺念慮を強く訴える人々を、周りの人々は、放置してはいけない。本当に自殺してしまうからである。逆に、そのような素振りを見せない人が実は悩んでいたというケースは、良く言われることがあるが、偽情報だと思った方が良い(。「自殺の前に、本人からの訴えがない」というのは、自殺にまつわる誤解の一つである)。「自殺」者が「実は悩んでいた」という言明が周囲からなされるとき、何らかの不都合な真実が潜んでいるものと考えた方が、色々と据わりが良い。

わが国では、殺人事件に対する捜査のハードルが相対的に高い。ほかの事件に比べて、極端に多くの人的リソースを用いる。捜査が失敗したときの責任問題など、組織上の影響も大きい。犯人が見つからないという結果に対して、国民の側が極端に不安に駆られるという構造も認められる。これらの事情は、犯人を発見できる見込みが立たないエクストリーム自殺について、警察が捜査に踏み切れない障害となる。マスメディアの視聴者も、「へぇ~自殺だって」と大本営発表を鵜呑みにするのではなく、「また殺人か?何やってんだ警察は?」と思うべきである。警察も、このようなプレッシャーが厳然として存在してこそ、犯人を発見できる見込みの薄い捜査にも取り組めるようになる。社会防衛主義がファシズムに対抗するような活動を作り出しうることも、論理的には認められるのである。また、「陰謀論」を信じる庶民の心性は、健全に発揮されれば、政治犯罪に対して、謂われのない自殺を予防するという信じられないような効能を発揮しうるのである。

最終的に死のリスクを覚悟すべき人たちが突然「自殺」したとき、その死によって「利益を得る」者がいる場合、この「自殺」が殺人であったという可能性は、当然高まることになる。この「利益を得る者」が普段から死(に直結する物質で、犯行がバレにくいもの)を扱う者である場合、なおさら、自殺ではなく、殺人が疑われるべきである。人は習慣の生物でもあり、大抵の物事には慣れるようにできている。「エクストリーム自殺」がドアノブにタオルを掛けての首吊りというパターンは、このような手口に習熟した殺人集団が跋扈してきたことを窺わせる証拠である。米国において、この種の首吊りが非常に少ないことは、銃社会であることの長短が表れていると解釈もできる。足の付かない銃で殺すのが楽であるという事情もあれば、首吊りに見せかけて殺そうとする前に、警戒しているターゲットから反撃を受ける可能性も高いという訳である。


政党政治が機能してこそ「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もありや」も成立する

「政治家なり有名人なりが、自分の信念なり仕事なりを後続に託すことが期待できているとき、未練を持たずに身を捨てる」という行為は、わが国においては、比較的良く見られるものである。ここでの最大の要因は、武士道と家制度の組合せであると言えよう。このようなことを記しながら、私が己を犠牲にできるかと問われると、様々な理由から甚だ怪しいが(、それに、本ブログでは、己を犠牲にするような方法論をまったく採用していないが)、それは置いておこう。とにかく、出処進退に対する相場観は、勝俣恒久氏などの原発ムラに係る現在進行形の事例を除けば、わが国では、統一されているものと思われる。それにしても、インラック氏とタクシン氏の兄妹と言い、ドバイは、国外逃亡者に優しい都市である。バビロン?ねえバビロンなの?とか思ってしまうのである。

わが国には沢山のタブーがあるから、政治家は、結構な割合で、身の危険に晒されていよう。このとき、大抵の政党政治家は、自らが身を退きながら、その危険を訴えるということがない。この理由は、与野党の別、政党の警察との距離、脅す者、の三種の組合せによる場合分けを行えば、まあまあ論理的に説明できる。ただ、本稿で興味があるのは、国際秘密力集団による政治上の脅迫のみであるから、それ以外は省略しよう。

わが国の与党政治家に対する国際秘密力集団の脅迫は、従来であれば、アメリカ合衆国に権力の源泉を有していた旧・ジャパン・ハンドラーズによるものが典型的であった。というより、基本的には、わが国の政治家全般に対する脅迫において、旧・ハンドラーズが関与しなかったものは、なかったものと考えて良い。この事実を踏まえれば、皮肉とも言えようが、旧・ハンドラーズによる一連の攻撃を除けば、公安事件について、わが国の警察が優秀であり続けてきたという実績を認めることができよう。1960年10月12日の日本社会党委員長の浅沼稲次郎氏の刺殺事件も、国際秘密力集団の指示に基づき、各種右翼団体に資金提供がなされた結果、生じたものと解釈できる。実に、活動的なアホほど、カネで釣られるものである。わが国の職業右翼の大多数は、カネを基本原理として動き、言論には言論で対抗するなどの基本的な社会のルールを知らない。

わが国の政治家にとって、旧・ハンドラーズによる自身への脅迫は、結局、しぶしぶ受け入れるか、文字通り「身命を賭す」事態に至るまで撥ね除けるかしか、対処の方法がなかった。というのも、旧・ハンドラーズの飼主が強欲であるがゆえに、交渉(ディール)・妥協の余地は、大抵存在しなかったからである。与党政治家(ほとんど自民党)の場合には、自分が身を退いても、派閥の力関係のために、席を他派閥に譲らなければならなかったであろうから、派閥内からの突き上げを食らうことにもなる。警察もいざというときには動けない(ように、治外法権が使われたと指摘されている。「横田からアラスカ行、パンツ一丁」というやつである)。野党政治家の場合には、端から警察を当てにできないし、警察を頼ったこと自体、公安警察に対して弱味を見せたことになる(と解釈されていよう)。何より、大抵の政治家は、わが国の法律に抵触せずには生きていけないから、いずれは、東京地検特捜部が待ち受けている。公職選挙に係る連座制は、政治家本人への危険を著しく高めてもいる。裁判の公正さに期待しても、裁判官の中にも出世などに目が眩む人物が必ずいようから、彼ら「イヌ」が使われて、ベルトコンベアで一丁上がりである。命令を受け入れることができない(勇敢な)政治家たちは、疑獄で失脚するか、突然死するか、エクストリーム自殺するか、あからさまな場合には暗殺されるという結果となっているのである。もっとも、国際秘密力集団の本拠である米国においても、政府紙幣の発行を企画した大統領は、実現の前に暗殺されている。事情は、どの国でも同様であるのかも知れない。

「陰謀論」を信じない民主主義体制において、大抵の政治家は、「背負うもの」が大きく、かつ、選挙民の「身命を賭した」忠誠を当てにできないために、国際秘密力集団の「命令」を聞かざるを得ない。政治は、家族総掛かりの商売であり、世襲の商売でもあるから、ハンドラーズの要求を断るには、家族(の最年少者まで)が(いずれは)経緯を了承でき(るものと見込め)なければならないであろう。要求を撥ねつければ、一家は、揃って路頭に迷うことになりかねない。選挙民の一部は、事情を知れば、国際秘密力集団の要求を拒否した政治家に投票し続けるであろうが、四六時中、彼らがボランティアで護衛するという訳にはいかないであろう。それに、「活動的な」連中にこそ、二心持つ者が混じりがちであるのは、職業右翼の大多数によって、良く証明されていることである。

また、家族意識により、きわめて強く結ばれた支持母体がなければ、政治家は、国際秘密力集団からの脅迫を、何とかやり過ごすのが安牌ということになる。国際秘密力集団から脅迫を受けるとき、政治家は、彼らが暴力を必要に応じて段階的に振るうことを知ることになる。ターゲットとなった政治家は、いずれは家族も被害を受けるのでは、と心配せずにはいられないであろう。家族を手にかけると脅すことは、将来において、お互い様となるがゆえに、わが国の戦国時代においてさえも、最後の手段であった。社会の「記憶」と「手」が長ければ、国際秘密力集団は、脅迫相手の子孫を手にかける前に、犯人たちの子孫に対する追及を正当化することになるものと覚悟しなければならない。ただ、これには、例外がない訳ではない。太平洋を横断したチャールズ・リンドバーグの息子の誘拐殺人事件は、彼に対する脅迫の一環であったと一部に指摘されてはいる(が、私には、十分に肯定するだけの材料がない)。わが国における類似の話は、田中角栄氏と眞紀子氏の親子関係に見出すことができる。田中角栄氏は、娘の田中眞紀子氏にまで至るほどの地元の熱烈な支持を得ていたが、国際秘密力集団に対抗した結果、立花隆氏からの「筆誅」を始めとする、手厳しい制裁を受けることになった。また、田中眞紀子氏への小泉純一郎氏のアプローチと裏切りを見れば、国際秘密力集団の振付方法は、少なくとも、当人が政治家として活動する場合には、子孫の代までも「祟る」ように作られるものである。

本来ならば、政党とは、志を同じくする人々が結成する組織である。一人が倒れても、仲間に意志を継いでもらえるという期待があってこそ、政党は、十分に機能し、内部の結束は高まるものである。ただし、現代社会は十分複雑であるから、大義を一つとしていても、個々の議題に対して複数の方略を採りうることがある。このとき、「セット思考」(2016年7月26日)の弊害に陥ることを避けるため、政党内部では、個々の議題について意思統一を図るための擦合せ作業が行われるべきであり、明確な党議拘束がなくとも、決められたことには党員が従うことは、当然でもある。わが国では、個々の議題について意思統一を図るための擦合せ作業は、野党や小政党でしか機能していない。政党政治の本来の機能は、公明党を除けば、わが国では、与党サイドにおいては、全く混沌の内にある。与党の成員は、権力の維持を目的とするために、元々、変節しやすい性質を有する。それに加えて、国際秘密力集団の関与があるために、公約違反や造反が度々生じるのである。

昨秋までのドナルド・J・トランプ氏の選挙戦は、結束の固いファミリー意識を有する有権者層と、「陰謀論」とのレッテルに対する健全な懐疑精神という、二つの要件を満たすものでもあった。この双方の条件が揃って初めて、国際秘密力集団(=1%)に対する異議申立てが可能となったのである。もっとも、陰謀論そのものを信じる心性は、健全な民主主義には不要である。必要なのは、国民の健全な懐疑心であり、候補者・政治家周辺の強力な警護体制である。これらの条件は、犯罪組織の付け入る隙を与えないという形で、民主主義が健全に機能する上で、必須の(、ただし消極的な)条件である。


次回予定(#本ブログの例に漏れず、予定は未定)

「分かりやすい嘘」については、本ブログで何度か述べてきたが、「死の危険」まで取り上げることにより、ようやく、わが国特有の「左側」からの「皇室批判」という「陰謀論」の存在に対して、批判する準備ができたように思う。その事例として、鬼塚英昭氏が挙げられる(拙稿2015年10月25日2016年10月31日)。この「皇室批判」を論駁するためには、ここまでに見たように、政治家を例に取り、「役職に代わりがいること」の価値を述べた上で、次いで、「生き残るために必要なこと」を考察するという段取りが必要であった。この段取りは、「エア御用」的でもあるが、この種の「忖度」が「国体の守り方」のデフォルト状態であるのは、戦前の天皇機関説と天皇主権説を巡る議論や、現今の皇室制度に対する議論の外形を思えば、同形であるから、何ら恥に思うこともなかろう。

2017年7月3日月曜日

(妄想)東京都島部だけが民意を正当に反映しているのではないか

2017年7月2日22時37分頃、NHKの「東京都議会議員選挙 開票速報」(2017年7月2日午後10:30~午後11:30、武田真一・鈴木奈穂子・桑子真帆)において、女性アナウンサー(のいずれか)は、7つの一人区のうち、島部のみ自民候補が当選確実を獲得したと伝えていた。選挙の不正に詳しい読者なら、島部では、投票用紙読取分類機が導入されていないために、投票者の意思が比較的ストレートに反映されていることをご存じであろう。

コトリだかチュウトリだかの会のために、日本国の国政は随分とおかしなことになっており、今回の都議選においても、その影響が都心一区で発揮されたものと推認される。この状態は、都民・国民のためにも、早急に是正される必要がある。順天堂病院辺りでコールドスリープしているとされる御仁を召還すべきときが来ているように思う。ま、本記事は、(少なくとも本段落に限っては、)妄想の一種である。ただ、毎度のことではあるが、今回も、NHKの開票速報の中で関係者に問題発言が認められたから、自民党なり他の政党なりは、この発言を最大限活用して、その支持母体の「天の声」に直にふれたいと持ちかけるべきではないか。

公明党が自党と共産党にマイナスになるようなツイートを発したにもかかわらず(2017年6月22日)、今回の結果がある。公明党は、全候補が当選、いわば「満額回答」である。国政において、自民党と与党を組み、今回の国政における「暴走」をお膳立てしたと、国民に思われても仕方がないにもかかわらずである。都民ファーストの会と協力しながらとはいうが、自民党とは対極的な、この結果がいかにして可能になったのか、大いに興味が湧くものである。

今回の都民ファーストの会の大勝も、前回の都知事選と同様、情勢調査を受けて、不正選挙による票の水増し分が多めに発注された結果であるものと推測される。具体的な数字の検証は、別の機会にとっておく。ただ、その必要もないほど、各紙の情勢調査から乖離した形の大差であり、この大差は、昨年の都知事選と同様である。選挙区の多くが中選挙区であるにもかかわらず、自民党候補が軒並み敗北する形の差が付いている。あえて断定しておくと、今回も、不正の依頼側の予想よりも浮動票が積み上がったため、大勝が実現したのであろう。「情勢調査の結果」+「勝てると思えるだけの水増し票」+「浮動票」=「公表された得票数」という計算だけで、今回の大勝が説明できる。今回も、票の水増し分の見積作業は、高度な方法によらないものであろう。情勢調査を元にした、リチャード・コシミズ氏のいう「エクセル不正選挙」であろう。つまり、エクセルだけを用いて見積できるような選挙の不正である。(念のため、このソフトウェアの名誉のために付け加えておくと、不正を実行するユーザがその程度の技術しかない、という意味である。)

ただ、今回、票が移し替えられているとすれば、それは、主に自民党候補から抜かれたものであると考えられる。この見立ても、数字を精査しないままに述べたものではある。ただ、この推測は、一種の仮説であって、仮に間違えていたとしても、単に仮説を棄却するだけで済むレベルの話である。今回、不正な方法がまったく使用されていなかったとすれば、私の見立ては、全くの誤りであり、私も耄碌したということになる。そして、今回についても、不正が行われていなかったという見解を表明するには、不正が行われていたという見解を表明するよりも、相当に難易度の高い作業が求められよう。論理上、複数の中選挙区制であるから、一区でも不正の匂いがする選挙区が認められれば、それで私の見解の正しさが認められる、という訳で、私自身は、今回の自分の見立ての正しさに、一種の気楽さを覚えている。

ほかの選挙における不正も同様であるが、今回の不正も、その詳細は、刑事事件化した上での捜査によらなければ、決して判明することがないであろうし、捜査が入ったとしても、全容の解明は、相当に難航するであろう。都民ファーストの会の候補者が直接不正に関与したとは、私には、決して主張できることではない。あくまで私は、不正という可能性を導入すれば、各種のデータの整合性が簡潔に説明できる、と主張しているだけである。

「WannaCry」なり「Petya」なりの『Vault 7』由来かも知れないマルウェアを使用できる立場にあった戦争屋連中にとって、都民ファーストの会を今回の都議選において応援することは(、たとえ、都民ファーストの会がその活動に気が付いていて、しかも、拒否していたにしても)、戦争屋自身の利益になることであった。このため、投票用紙開票読取器のネットワークに対して、戦争屋連中が独力で不正アクセスを試みるなどして、票の改竄を行い、安倍政権を脅迫する材料に利用したという危険は、十分に現実味のあるものである。それが証拠に、大勢が判明しつつある中、ロイター通信[1]は、海外に向けて大々的に自民党の敗北を報じ、海外からの圧力という外形を早々と成立させている。いずれにしても、不正が何ら行われなかったとするよりも、何らかの不正が行われたために、今回の結果が生じたと考えた方が、通りが良い。知らぬは大多数の日本国民ばかりなりという危険を警告するのは、一応、本ブログの初志である。東京都民の意思が正当に反映されないことは、明らかに、わが国の民主主義の根幹を掘り崩すことであり、実務的にも是正すべきことであり、また、この可能性を考慮しないで議論される政治学や犯罪学ほど、有害なものはない。


[1] Japan PM's party suffers historic defeat in Tokyo poll, popular governor wins big | Reuters
(Linda Sieg、2017年07月02日15時00分BST)
http://uk.reuters.com/article/uk-japan-politics-idUKKBN19N00P


2017年7月5日追記

念のため申し添えておくと、不正の方法は、上記で明記した『Vault 7』由来のクラックツールだけではない。期日前投票の高さは、同一人物が別人名義で二回以上投票するなどの方法が多用された結果かも知れない。不正選挙に係る指摘には、しばしば選管がグルであるというものも含まれるが、私が本記事で指摘した方法は、いずれも、選管(の一部の人物)が不正に荷担することを必要としない。ただし、本記事に示した方法は、選管が選挙に関連する犯罪への対策を講じていた場合には、防げたはずのものばかりである。

あと、コールドスリープについては、順天堂だけでなく、慶應大学病院という話もあるが、とにかく、非信者が信用できるだけの形で公の場に姿を現していないということが重要である。

2016年10月19日水曜日

豊洲市場は周辺水域が100m超の幅を持つし最近接の文教施設等から十分に遠い

本稿は、9月24日以降の記事に引き続き、豊洲市場カジノ転用説に係る話題を個別に検討する。このうち、教育施設や病院等の施設(以下、文教施設等)からの最低距離を概観するための地図を用意した点に新規性があるやも知れない。この結果、文教施設等が周辺に存在するために風俗営業には不適であるという木曽崇氏の主張[5]が否定される。今までの豊洲市場関係の記事は、

  1. カジノ転用説を知るに至った経緯と大まかな流れ(9月24日
  2. 建築物取得費、改装費、地価(9月29日
  3. 落ち穂拾い(主にターレの性能)(10月1日
  4. 地区計画に記載された用途地域変更の整合性(10月9日
についてのものであるが、2番目と4番目の記事は、ほとんど論点として挙げられたことのないものであると思われるため、『アサヒ芸能』や『日刊ゲンダイ』の読者にとっても有用であろう。


カジノ転用を示唆する8月以前の記事

櫻井春彦氏の『櫻井ジャーナル』は、2016年08月22日の記事[1]において、カジノとお台場とタックスヘイブンという名称を組み合わせて使用している。これらの組合せは、カジノが資金洗浄の社会的装置となり得ることを前提知識がゼロの読者に明解に伝えるものではないが、それでもなお、事情を知る関係者には十分に不正の構図を再構成できるだけの材料を与えるものである。諜報のルールに則る読者ならば、櫻井氏の文章構成を高く評価するであろう。

櫻井氏のヒントは、勘の良い読者が豊洲市場カジノ転用説に気付くためには十分なものである。事実、あるブログ主[2]は、これらの材料から8月中に結論に到達している。また、suzukikenzou氏も正確な着想の元が判断できないものの、都知事選の経緯を踏まえて類似の結論に到達している[3]。これらの組み立ては、構造計算に詳しい「ペコちゃんdēmagōgos」氏(@a_la_clef)のツイッタールートに触発されたものより決定的に遅いものではなく、しかも独立した情報経路であると考えることができる。これらの事実から、ペコちゃん氏のツイートがなかろうが、豊洲市場カジノ転用説というネタバレは、「劇場」のクライマックスの前に週刊誌ジャーナリズムを含め、十分な数の国民の知るところとなっていたものと予想される。

構造計算の問題についても、複数の建築関係者が疑問を有するに至っている。8月29日の時点で、あるブログ主は、第二の構造計算偽装事件であると評している[4]。仲盛昭二氏は、少なくとも9月20日[5]と10月18日[6]に構造上の疑問があることを指摘している。構造計算の問題は、指摘を封じることの困難な話題である。これに対して、環境汚染基準の問題は、法律上はともかく、技術上の解決は相対的に容易なものであろう。モニタリングに加え、舗装等による封じ込めか、集気及び清浄により対応可能な、設備の問題として見ることができるためである。構造上の問題や基本設計の出来具合は、環境汚染対策とは程度の異なる、大規模改修を必要とする深刻な問題に発展する可能性を孕む。このバランス感覚は、建築分野に従事するエンジニアには身に付いているであろうが、「物言えば唇寒し」の現今、あえて本件に言及する必要もないと考えて「見の姿勢」を取る者が多いのではと予想される。


『日刊ゲンダイ』の転用説、都市計画への不言及

『日刊ゲンダイ』[7]は、豊洲市場の転用が可能であるという事実を9月27日に報道しているが、この転用が実在の建築物として転用に耐え得るものであるのか、それとも周辺環境まで含めて現実的な案であるという解釈を行っているものかは、記事だけでは決定できない。あえていずれかを問えば、現物を見ての判断ということであろうと推測する。この点、カジノに最適な用途地域へと変更される予定があることは、以前に述べたとおり(10月9日)である。『ゲンダイ』の記者の真意は測りかねるが、ともかく、用途地域の変更については、明記されていない。(無論、転用説そのものの先取性を主張する気は毛頭ないが、用途地域については可能なれば主張しておきたいという気持ちが残っている。)

用途地域という建築条件に対する検討が欠落していることは、意外である。建築屋さんも不動産屋さんも計画屋さんもコンサルさんも、総じてお喋り好きが多い、にもかかわらずである。豊洲市場についてウェブ上で精力的に発言している建築関係者のうち、構造計算に問題を認める人物では、ペコちゃん氏と森山高至氏が二大巨頭ということになろうが、ペコちゃん氏は用途地域について言及しておらず、森山氏は2015年1月に豊洲周辺が工業系から住居系へと用途が変化しつつあることを述べる[8]に留まる。

豊洲市場の地区計画[9]において、なぜ用途地域の変更がわざわざ組み込まれたのかという理由は、用途地域の変更に係る外部条件が簡単なものであるだけに、疑問が残るものである。わが国の都市計画の限界の一つは、現状追認になりがちなことであると理解されているが、その背景には、不動産に係る多数の権利関係者の調整を図ることが大変に困難であるという現状を認めることができる。築地市場からの移転プロジェクトそのものは、利害関係者の能動的な参画を経て、対立をあらかじめ調整し、不都合に対応する、という現在のまちづくりの王道そのものであり、難事業である。このプロジェクト全体の困難さに対して、用途地域の指定(変更)に伴う実務上の障害は、ほとんどないものと考えて良いものであった。大地主から有償で譲渡された広大な敷地に対して用途地域の素案を定める作業は、土壌汚染という前提条件があるとはいえ、比較的容易な作業である。都市計画という観点からみた場合の市場移転プロジェクトの最難関は、市場関係者の了解を得て、円滑に事業継続しながら移転を達成することにあったと見ることができる。そのほかの作業は、いかなビッグプロジェクトとはいえ、建築の不備がなければ、ここまで拗れることがないはずの作業であったと思われる。この建築の不備に係る一連の報道、用途地域の変更にまで私が目を向けた原因ではあるが、この点も疑問であるにもかかわらず、また、都市計画関係者であれば、誰もが気付く種類のものであるはずにもかかわらず、話題として凪いでいるのは何故であろうか。

豊洲市場に係る都市計画の策定過程の後半部分は、市民を巻き込まないという意味では、19世紀的なトップダウン的なアプローチで十分である。いったん更地とした用地の上に東京都が複合建築の基本要件を決定し、建築後の良好な状態を維持するために都市計画が後付けされるという形式である。豊洲市場は東京都の施設であるため、東京都都市計画審議会が2011年7月29日付で都市計画決定したという記事が『都政新報』[10]の見出しに見られる。ただ、現時点においては、ウェブ上の用途地域指定は工業地域のままである。豊洲市場の建設計画は、古典的な大規模建築計画の設計手順によるものと認められるものであり、一部の建築用途を除けば、工業地域の指定のままであっても構わないと思われるものである。特例で対応できそうなためである。また、江東区都市計画マスタープラン[11]は、地域の核を豊洲駅周辺に設けており、図上では豊洲市場に特段の位置付けを与えていないが、この点は「千客万来施設」などと整合しない。

都市計画のあり方は、現状を前提として、いかに望ましい状態へと空間を作り上げていくのか、市民と協働して計画を練り上げるというボトムアップアプローチが主流となってから、かなりの時間が経過している。用途地域の変更についても、市民を巻き込んだ入念な決定が行われる(、というのが少なくとも建前である)。東京都特別区という空間については、都市計画マスタープランは、基本的には特別区が中心となって策定する。関係組織との調整と了解が取り付けられ、素案が縦覧に供された後、発効することになる。この基本的な都市計画思潮の変遷を前提とすれば、ここに見られる都市計画決定(用途地域の変更)がいかなる意味を持つものであったのかという疑問は、探求すべき対象となる。用途地域の変更がいかなる経緯を辿り現在の状況にあるのかという点の確認は、現場に直接問合せする必要が認められ、私は未確認である(し、今後、本点を詰めるまでの作業は、現時点では考えていない)。

エンジニアの自律的な批評の必要性と不在

「水産市場のシステム化」や「千客万来施設」なる要素は、建築・土木工事や都市計画に従事する者にとって、外部条件に過ぎないから、これらに対して建築・土木・都市計画関係者が積極的に口出しすることは、本来、エンジニアには出過ぎた真似となる。要件同士の整合性をどうしてもハコモノとして表現できない場合に、発注者に対して投げ返すというのが筋である。実際には、本件についても、設計者と発注者との間に、密な要件をめぐる交渉が存在するはずである。ただ、敷地購入を巡る東京都中央卸売市場と東京ガスのやり取りに係る情報公開を伝える加藤順子氏の記事[12]を読む限り、この詳細を把握することは、設置された市場問題プロジェクトチーム[13]であっても、一波乱を含むものに見えてしまう。

エンジニアが軽々に他分野に口出ししないようにとの戒めは、今野浩氏が自伝的エッセイで軽妙なタッチで伝えている[14]が、そうは言っても、現代の建築・土木技術の複雑さは、人生の若年期における20年程度の修養を必要とするほどに発達しており、「翻訳者」が必要となっている。わが国の社会は、建築や土木の論理をできる限り正確かつ分かりやすく伝える人物を必要としている。ところが、わが国では、施主や社会への説明責任を果たす作業は、近年まで、当事者であるエンジニア自身や技術系の上役の仕事であるとみなされてきた。トラブルの後、当事者に対する信用が失われているときに、利害関係の少ない第三者が仲介する形で、客観的に状況を把握して評価し、施主や社会にその結果を説明することは、社会にあって然るべき機能である。にもかかわらず、この仕事は、現時点においても、さほど重要視されていない。この理由の背景には、マスメディアの企画・制作者のキュレーション能力が著しく低下している一方で、建築・土木に携わる人の社会的欲求が、将来に残るモノを作ってナンボであるという階級性を暗に含むためであろう。

建築批評の構造的な問題点はこれくらいに留めるとして、豊洲市場のように、ビッグプロジェクト一般が暗礁に乗り上げたとき、問題の所在を探る作業には、評価するだけの能力を有する第三者による、公的な意見交換の場が必要となるが、残念ながら、現在の日本語環境は、その作業に適したものとはなっていない。多くのエンジニアが自らの専門領域について、自らの思うところを自律的に指摘できる状態は、社会にとって明らかに利益のあるものである。本来なら、顕名を基本とするSNSを中心とするウェブ社会は、わが国においても、独立した人格を有する技術者同士がお互いを尊重しつつ自由に意見交換するプラットフォームになり得た。ところが、現在の日本語コミュニケーションは、個人で捌くことの難しいほど多量の匿名の批評と、顕名であっても他者の人格を貶めるかのような批判によって、多くが占められる状態に至っている。その原因を探る作業は、ここ数年のネットワーク研究などによって進められていることとは予想するが、この検討も省略する。ただ、この背景には、企業社会・組織社会が個人に対して制約条件になることが認められる。この制約条件は、およそ100%の現役の技術者をして、利害関係がゼロではないと見ることが可能なほどに茫漠たる広がりを有するものとなっている。この関係性が専門家の社会的責務を妨げるという構図は、弁護士会への懲戒請求制度がときに悪用されることにも通じるところがある。エンジニアによる社会的発言が、組織対象暴力を企図する側にとって、因縁を付けるための糸口となっている、と読み替えることもできる。この組織対象暴力とSNS等を通じた社会的発言との関係性を追究することは、日本社会における言論の質を、犯罪学が底上げすることにもつながり得る。

豊洲市場の外部要件に対してであれ、基本設計・構造設計に対してであれ、エンジニアが疑問を口にすること自体は、表現の自由の範囲内に収まる行為である。具体的に市場移転プロジェクトに間接的であれ、影響を与える利益関係が生じていれば、または、生じる見込みが具体的なものとなったときには、利害関係の所在に言及すべきである。また、国立大学法人化後の大学は、企業社会との距離が近くなっているために、論文執筆だけでなく、社会的発言一般に際して、率先して利害関係を開示すべき必要に迫られているであろう。研究者の「利害」は、単に金銭的利害に留まらない。名誉とみなされる内容や、研究教育制度のオプションを活用して企業を受け入れることは、利害関係の一種になることにも注意が必要である。私の豊洲市場に係る一連の記事執筆については、一都民であるということを除けば、東京都やそのほかの利害関係者との利害関係を有していないし、関係者に対してコンタクトすら図ってもいない。もっぱら、インターネット等に公表された情報や、あるいは刊行された情報にのみ依存している。


豊洲市場の立地は文教施設等からの距離が十分である【必読】

下図は、 国土地理院の『基盤地図情報』[15]を用いて、豊洲市場周辺を表示したものである※1。赤線のグリッドは、100mおきに引いたものである※2。この図のポイントは、周辺の土地から6・7街区への距離が十分な状態を示すことにある。具体的な空間に係る距離の計算方法には、いくつかの方法が存在するが、風適法(後述)における最低距離の計算には、二つの図形の最短距離が利用される。距離の計算は、街区ごとに見ていくことになる。6・7街区に道路等を挟み隣接する街区は、4・5・8街区だけであり、ほかの街区は100m以上確実に離れている。5街区であっても、周辺の環状第2号線(東京都市計画道路幹線街路)が敷地の東北方向を縦断するために、建築物を一体とみなさないという条件が付されるであろうとはいえ、敷地のかなりの部分が周辺の建築物から100m離れていると解釈することができる。5街区の用途は、具体的な計画に基づいて転用可能性の検証を進める必要があるとはいえるので、ここでは、6・7街区のみについて検討を進める。実のところ、以前の建築物取得費用について検証した際、6・7街区のみを検討したのは(9月29日)、この事情をふまえてのことである。

豊洲市場周辺図(100mグリッド付き)
図:豊洲市場周辺図(100mグリッド付き、データ出典:国土地理院基盤地図情報、2016年07月01日)

※1 平面直交座標系、新測地系2011年版、第9系による。グリッドの原点は、第9系の原点である。図面の解像度が粗いのは、出典の表示だけによって掲載を可能とするための処置である。

木曽崇氏によるブログ記事[16]は、「豊洲市場を囲んで」「沢山の子供向けの文教施設」が存在しているので、豊洲市場はカジノ用地として不適である、と断定するが、この図は、木曽氏の主張を、同氏の主張が仮定する条件の下に反駁するものとなる。法制度を根拠とする建築物の用途制限には、さまざまな種類のものがあり、個別の土地に即して検討しないと思いもよらない制限がかけられていることを見逃すことになる。6・7街区でカジノ営業への転用が可能か否かを確実に検証するには、現地を所轄する建築担当部署を通じて、全ての規制を所管する組織に問合せしていくほかない。ただ、カジノをぱちんこ店かゲームセンターかのいずれかの風俗営業施設と同等のものと仮定すれば、木曽氏の主張を検討する作業は、比較的容易なものとなる。

カジノをぱちんこ店かゲームセンターかのいずれかの風俗営業施設と同等のものと仮定すれば、検討すべきは、用途地域、東京都文教地区建築条例[17]の指定、風適法ならびに関連都条例、のそれぞれとなる。もちろん、カジノというギャンブルの形態が何らかの形で国内において認められることは、大前提である。このうち、用途地域については、地区計画を確認した際に確認済み(10月9日)であるから、この記事に説明を譲る。文教地区の指定は、現地で確認する必要があるとはいえ、4街区に文教施設が含まれなければ、指定される見込みがなく、4街区にわざわざ用途に制限を加える施設を組み込む必然性は薄いから、検討を省略して、影響しないと結論付けて構わない。蛇足になるが、もっぱらマスコミで話題の土壌汚染については、土壌汚染対策法[18]に基づき、土地の形質の変更や土壌の搬出が規制されるとはいえ、建築物の用途にカジノを想定する限りにおいて直接影響しないが、大規模改修工事は、土地にも何らかの改良を加える可能性があるために、視野に含めておく必要はある。

確認すべき残りの検討事項は、風適法ならびに都条例となる。東京都下でぱちんこ店かゲームセンターかのいずれかに相当する風俗営業施設の立地を検討する場合には、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風適法)[19]と同法の関連法規に加え、東京都の風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例[20]と同条例の施行に関する規則[21]を検討すれば良い。厳密には、これら施設の立地は、風適法第4条第2項第2号の委任を受けた都条例第3条により規定されており、都条例第3条は、都条例規則第1条及び第2条により補足される。その法的構造はともかく、文教施設等から100m離れている商業地域・準工業地域であれば、これら風俗営業施設の営業は許可されるという点が重要である。なお、ぱちんこ店は現行の風適法にいう4号施設に相当し、古物商が付随するのが常であるが、その設置の態様は都道府県条例により異なる。東京都においては、この店舗を設置するための別のハコモノも必要となる。ただ、今後、カジノ法制成立後には、東京都下でも、換金施設が何らかの方法で同一建築物内に設置されることが認められる可能性もあり得る。ただ、ここでは、ぱちんこ店本体のみが風適法ならびに都条例によって、6・7街区における営業を規制されないことを確認できれば十分である。ゲームセンターであると仮定するならば、風適法では5号施設に相当するが、本件で想定する際には、市場施設を最初にホテルやショッピングセンターとして営業を開始し、その付属施設として営業許可を申請するという方法が実際的に見える。

いずれにしても、6・7街区は、周辺の住宅系街区から100mを超えて離れていることだけは確かである。建築計画自体、かなり余裕を持って緑地を配するものであるために、文教施設等からの距離に基づく制限は、到底、適用されそうにない。なお、木曽氏の主張には、文教施設だけが挙げられているものの、病院や図書館も考慮する必要はある。病院は、街区北東の昭和大学江東豊洲病院のようである。江東区立図書館は、江東区のサイトにリストがあるが[22]、どれも影響しない。敷地内の緑地だけで、豊洲市場は、周辺から区画されているものの、これだけ緑地が多く配置された理由については、多数の法律が関連しうるために調べかねている。距離制限を解決する役割を果たしていることだけは確かである。


人格攻撃とも取れる批判は批判者の専門性に跳ね返る

以上の検討によって、木曽氏の指摘[16]が失当であることは十分に示されたものと考えるが、これに加えて、一つ苦言を呈したい。木曽氏の記事が明白な誤りであるにもかかわらず、その記事の文末部分には、森山氏の「過去の誤り」と人格とを関連させた表現を読み取ることができる。現時点の森山氏は公人と見なされようが、森山氏の指摘の主旨は、本ブログで都市計画観点から検討した結果からも認められるように、明白な誤りであると断定できるものではない。お互いに気兼ねのない批判は必要であるが、文末のような表現は不要であるどころか、読者に懸念と疑惑を抱かせる。

木曽氏と同様に過剰な分量の人格攻撃は、山本一郎氏の記事[23]にも認められる。山本氏の指摘にあるような利益相反関係の明示は、必須ではある。しかし、山本氏が否定する構造計算上の問題は、後日の都知事の記者会見[24]においても、市場問題プロジェクトチームの配布資料[25]においても、その会合を報じる報道[26]においても、指摘されたことが認められる。山本氏の芸風が一貫して当該の記事にあるようなノリであることは広く知られていようから、その分を割り引く必要があるとはいえ、割り引かないのも読者の自由である。山本氏の論述のスタイルは、同氏の主張の真正性を低めるものであり、専門家や学識経験者としてのキャリア形成に寄与するものではなく、同氏自身の専門性に反動を与えるものとなる。

豊洲市場は、建築設計の専門組織が手がけた建築物であるにしては、著しい不具合の認められる状態にある。投入された税金の桁、関与した都職員の多さ、直接の利害関係者である市場関係者への影響の多大さゆえに、多くの推測がなされ、正当な批判を受けることがプロセスとして必要とされてもいる。この背景をふまえ、私は、専門家の一変種として、一定の論拠とともに、カジノ転用への道があらかじめ開かれていた可能性・都民にとっては長短両面のある将来性・国民全般にとってはカジノという金融政策上の弱点を生起しうる危険性、を述べたつもりである。

昭和風の言葉で表現すると、豊洲市場をめぐる現況は、一大疑獄と化している。


[1] 4年後に五輪開催予定の東京では有害物質に汚染された場所で魚を取り引きし、カジノ建設も目論む | 《櫻井ジャーナル》 - 楽天ブログ
(櫻井春彦、2016年08月22日)
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608220000/

カジノはタックス・ヘイブンと関係が深い。

[2] 政治・経済・医療、日本は問題だらけ: 2016年8月
(2016年08月29日)
http://coconut-oil.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/index.html
#8月29日の記事中で豊洲市場をカジノに転用する可能性があることを示唆している。

[3] 豊洲新市場問題のカラクリ: suzukikenzouのブログ
("rc:date"タグは、2016年09月14日08:53:42+09:00)
http://gcnqf306.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-6804.html

◎風評被害などで開業できない場合には、自民党の進める統合型リゾート構想(IR構想)に転用して東京豊洲カジノにしてしまう。自民党が急に色めきIR推進とぶち上げてます。〔...略...〕が、豊洲を二足三文で買い叩きメデタシ、メデタシ。〔...略...〕都知事選の応援も意味のあるものだった。さて、どうなるか。何となくウヤムヤになりそうな予感がします。

[4] 豊洲新市場の建築で決定的な問題が発覚した。今週小池都知事が開場の延期を決定か?: ミーチャンハーチャン Miicyan Haacyan
(2016年8月29日)
http://yoiotoko.way-nifty.com/blog/2016/08/post-d235.html

[5] 豊洲新市場構造についての素朴な疑義(前)|データ・マックス NETIB-NEWS
(仲盛昭二、2016年09月20日11:21)
http://www.data-max.co.jp/280920_nm01/

[6] 豊洲新市場の構造計算に【耐震偽装】の疑いあり!(1)~水産仲卸売場棟|データ・マックス NETIB-NEWS
(仲盛昭二、2016年10月18日10:23)
http://www.data-max.co.jp/281018_nm01/

[7] 専門家は転用可能と指摘 豊洲市場に浮上し始めた売却情報 | 日刊ゲンダイDIGITAL
(2016年9月28日、HTMLファイルの"datePublished"タグは2016年09月27日11:57:00+09:00)
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/190581

東京都に売却してしまったが、もともと豊洲で工場を稼働させていた東京ガスは、跡地にホテルを建設する計画を立てていたという。敷地面積約40ヘクタールを誇る豊洲は、土壌汚染問題はあるものの、東京ガスがホテル建設を考えたように、それなりに利用価値があるようだ。

「ホテルはもちろんですが、カジノや大型商業施設、運動場などに利用できるとの話が以前から出ていました」(都政事情通)

[8] オリンピックをイーストトウキョウへ 1|建築エコノミスト 森山のブログ
(2015年01月04日20:13)
http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-11968129720.html

豊洲は工業系の用途から住居系の用途に土地利用がかわり、

[9] 東京都都市計画地区計画の変更(東京都決定)豊洲地区地区計画(再16 豊洲地区.pdf)
http://www2.wagamachi-guide.com/tokyo_tokeizu/pdf/chikusai/%E5%86%8D16%E3%80%80%E8%B1%8A%E6%B4%B2%E5%9C%B0%E5%8C%BA.pdf

[10] 都計審/豊洲新市場を都市計画決定/江東区長「総合的な交通対策を」/民主党「直近の意見集約すべき」(都政新報)
(2011年08月02日)
http://www.toseishimpo.co.jp/modules/news_detail/index.php?id=612

[11] トップページ/区政情報/計画等/都市計画マスタープラン/江東区都市計画マスタープラン
https://www.city.koto.lg.jp/kusei/keikaku/52792/7709.html

[12] 豊洲購入の原点文書「真っ黒」 都が開示した東京ガスとの交渉記録(追記あり)(加藤順子) - 個人 - Yahoo!ニュース
(加藤順子、2016年9月23日08時06分)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/katoyoriko/20160923-00061982/

[13] 東京都専門委員の選任及び市場問題PTの設置について|東京都
(東京都総務局、2016年9月16日)
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/hodohappyo/press/2016/09/16/05.html

[14] 今野浩, (2011). 『工学部ヒラノ教授』, 東京:新潮社.(NDL-OPAC)

[15] 基盤地図情報サイト|国土地理院
http://www.gsi.go.jp/kiban/index.html

[16] カジノ合法化に関する100の質問 : 「ガセネタ乱舞」でお馴染みの森山高至さんが「豊洲をカジノに」などと適当な論をブッこいてる件
(木曽崇、2016年10月07日18:23)
http://blog.livedoor.jp/takashikiso_casino/archives/9378595.html

この地域には豊洲市場を囲んで以下のように沢山の子供向けの文教施設が存在しています。〔図〕こういう地域というのは、そもそもカジノを初めとする賭博施設の開発には向かない立地なのであって、そういう常識的な感覚を持たずに〔...略...〕

[17] 東京都文教地区建築条例http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/g1011298001.html

[18] 土壌汚染対策法
(平成14年5月29日法律第53号、最終改正 平成26年6月4日法律第51号)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H14/H14HO053.html

[19] 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律
(昭和23年7月10日法律第122号、最終改正 平成27年6月24日法律第45号)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO122.html

[20] 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例
(昭和59年12月20日条例第128号、最終改正 平成28年03月10日条例第2号)
http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/ag10122141.html

[21] 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例の施行に関する規則
(昭和60年02月01日公安委員会規則第1号、最終改正 平成28年03月10日公安委員会規則第2号)
http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/ag10122151.html

[22] トップページ/施設案内/教育関連施設/図書館
https://www.city.koto.lg.jp/sisetsu/13399/13466.html

[23] 盛大にガセネタを乱舞させていた森山高至さんが東京都専門委員に就任のお知らせ(追記あり)(山本一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
(山本一郎、2016年9月17日)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20160917-00062281/

[24] 小池知事「知事の部屋」 / 記者会見(平成28年8月26日)|東京都
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/governor/governor/kishakaiken/2016/08/26.html

【記者】〔略; フジテレビ〕定められた耐震基準に達していないのではないかという疑惑があります。仲卸売り場棟の4階の床のコンクリートの厚さが、耐震性能を計算するための構造計算書と実際の設計図と違いがありまして、構造計算書は1センチメートルになっているのですが、設計図の方では15倍の15センチメートルになっています。もし耐震基準を満たしていないなら、これは大きな問題になるかもしれませんが、知事はどのように対処なさいますでしょうか。

【知事】まさしくここが、これからの情報公開を含みます都政の改革本部でも扱われるマターになろうかと思います。〔...略...〕耐震基準についても同様でございまして、〔...略...〕

[25] 第1回市場問題プロジェクトチーム配布資料 | 東京都
(2016年10月5日版)
http://www.toseikaikaku.metro.tokyo.jp/shijyoupt-kaigisiryou01.html
#「第1回経過説明スライド+次回の論点(PDF:827KB)」の中に床のコンクリート厚の設定が誤りではないかという指摘が見られる。

[26] 豊洲問題PTが初会合=座長「全部解決し移転を」-東京都:時事ドットコム
(記名なし、2016年09月29日18:05)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016092900776&g=pol

小島座長は、水産仲卸売場棟の4階の床に150ミリのコンクリートが敷かれているにもかかわらず、構造計算書には「10ミリ」と記載されていたことを挙げ「都のチェックは万全ではない」と指摘。改めてデータを確認し、設計した日建設計(千代田区)からも話を聞く考えを示した。




2018年02月01日変更

レイアウトをbrタグからpタグ中心に変更した。また、自己リンクにnofollow属性を付与し、外部リンクのアンカー位置を変更した。変更は、レイアウトとリンクタグに限定されており、文章はそのままとしてある。

2016年9月7日水曜日

日米における不正選挙の追究の成功は福島第一原発事故の収束につながりうる

#本稿は、題名がすべてであり、先日の米国における不正選挙追及に係る記事(2016年9月3日)と随分重複するところがある。いずれまとめ直すことがあるかも知れないが、そのときは、構成を大きく変え、出典を充実させる予定である。見出しを付けたのは、途中、大きく論旨が方向転換するためである。


不正選挙の学術的な追究には工夫が必要である

今までの記事から受けるであろう印象に反するかもしれないが、7月31日開票の東京都知事選についての私の関心は、選挙の開票作業における不正にある。明確な犯罪である開票時の不正の可能性を追究することは、一応、私の本業(であったことと他人には見なされうること)の範疇である。現状に至るまでの主要な選挙の過程が国民の意思決定を正当に反映したものであれば、人命を軽視するわが国の現状を受け入れることもやむを得ない。しかし、投票用紙読取分類機への不正な介入は、明白に犯罪であり、この犯罪によって、開票結果が真の民意と全く異なるものと化していたとすれば、日本国民の全員が現状に対して責任を負う必要はない。この犯罪を予防・抑止し得なかったとして国民からの責めを負うべきは、無邪気な選管や、不作為という政治的な振舞いを続ける検察、怠惰な学識経験者であろう。

不正選挙に対する一般の指摘は、不正が行われたとするもの、不正の余地があるとするものの二種類がある。両者の指摘は、個別に是非を検討されることが肝要である。一回限りの不正について着目すると、論理上、前者は後者の十分条件であり、後者は前者の必要条件となる。両者は、もちろん、同一の話者によって指摘されうる。これらの機微が分からない者は、議論に参加する資格がないが、現実には、不正選挙の否定側と肯定側の双方にわたり、無知からか、または、作為的にか、両者を混同した議論が見られる。

本ブログの今までの記事は、不正が行われたとするものの範疇に含められる。不正の余地の存在を、投票用紙読取分類機の非開示性、投票用紙読取分類機にネットワーク接続機能※1とバックドア※1、※3とが存在するという告発、一票○万円という内部告発※4に求めている。この点、先達の業績に重要部分をタダ乗りしている。これらの考究の方が、研究としてはむしろメカニズムを追究しているものであるだけに、一般への訴求力もあるはずである。

※1 大阪における「不正選挙」疑惑追及者Aさんインタビューダイジェスト版(聞き手:IWJ記者) | IWJ Independent Web Journal

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/315772

上記※1は、書き起こしがネットで流通しており、便利である※2

※2 <不正選挙疑惑1>「開票途中に4台中4台、全ての計数機が交換された」AさんインタビューIWJ(文字起こし) - みんな楽しくHappy♡がいい♪

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4671.html

※3 弁財天: 差し替えたのは投票箱ではなくデータベースだな。(Tomcat7のハングアップ) update20

http://benzaiten.dyndns.org/roller/ugya/entry/tomcat7-hangup

※4 自民党関係者からの超ド級の爆弾情報① 〜1票⚪︎万円で票の差し替え…「ドン」に完全支配された不正選挙〜 - シャンティ・フーラの時事ブログ

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=115059

本ブログの記事は、いずれも、外形的に、簡素なシミュレーションによって、確率としては非常に起こりにくい結果が生じていることを述べているだけではある。とはいえ、これらの作業にも、類似の先行事例が見られることから、わが国の投票用紙読取分類機を用いた開票結果について、同様の結果が生じうることを示すことは、不正選挙に係る一般性を拡張する事例研究とはなる。ミラー[編著](2008=2014)『不正選挙』, 亜紀書房は、包括的に不正を指摘する書籍であるが、本ブログ中の宜野湾市長選挙についての一連の検討(1:2016年1月28日2:2月1日3:2月3日4:2月8日)は、同書の一部を参考に、これをシミュレーションによって図示する方法に変えてみたものである。

本ブログで実施してきた作業は、研究として世に問うには、不充分と見なされるものであり、研究に仕上げるためには、工夫が必要となる。本ブログの情報は、誰もが入手可能な材料と追試可能な方法により、不正の蓋然性を推論しているという点によって、公開するに値する情報となっているはずである。しかし、問題を漏れなくダブりなく簡潔にカバーしている訳ではないので、ノンフィクションとするにはより多くの作業が必要である。他方、ここでの内容を、研究として十分な状態に高める上で必要とされる査読者は、この内容については、出現を期待することはできないであろう。この状態は、「帯に短し襷に長し」である。また、本ブログでの考察が実務に与える意味こそ大きいものの、論拠としては、不正が行われたことを示唆するという程度に留まるものである。確実な不正の証拠として法廷で利用できるものとまでは言えない。本記事は、不正の余地があり、現に不正以外の原因によって認められにくい大差が生じている、という事実をもっぱら二次情報(情報の発信者によって産出され、すでに加工された情報)によって指摘するものに過ぎない。

わが国の社会環境、研究環境の下では、前途のある職業研究者が不正選挙の存在を追究することは、ほとんど困難である。先が見えており、後進に迷惑をかけることなく、バカな真似をできる大御所ならば、不正選挙を思う存分追究できたのかも知れない。しかし、周辺にまったく影響を与えることなく、この種の作業を実施可能な人物は、わが国における組織人にはいないのではなかろうかとも考えられる。

#問題は、わが国の社会で、不正に荷担する側が「五人組」を良しとする根性を発揮することにあると言える。この「五人組根性」は、「第二の敗戦」時に恣意的な権力の利用を「戦勝国」側にも許す根拠となる、いわば諸刃の剣である。ただ、この心性は、加害者の家族や落ち度のある被害者を迂闊にも公の場で非難する者が後を絶たないことに示されるように、国民に広く行き渡ったいじめる側の感性であり、これを前提としない訳にはいかない。また、商業主義に毒された物書きが多いことによっても、この吊し上げの心性は、加速されている。

不正選挙の追究は、職業研究者には、二点の相互に影響する学術活動上の理由によって敬遠される。一点目は、陰謀論者によるものとはいえ、すでに世間一般で指摘されていることを追認しても、新規性が認められないというものである。二点目は、わが国のように政治的に振舞う研究者・報道関係者・官僚が多い中では、不正選挙の追究が政治的動機に基づくものと曲解されることにある。いずれの理由も、誤解に基づくものであるが、不正選挙の研究は、ここに挙げた理由のいずれによっても、「触らぬ神に祟りなし」というものになる。


不正選挙を指摘する者へのラベリングが学術的な追究を阻害している

不正選挙の存在を指摘する声は、世間でもそれなりに認知されており、職業研究者の中にも、その声を知る者はいよう。リサーチ・クエスチョンの立て方次第で、不正選挙の追究は、研究としての要件を満たすと予想される。しかしながら、不正選挙の存在を検証するという目標だけでは、およそ、優れたリサーチ・クエスチョンからは程遠い状態にある。すでに「不正選挙が存在する」という、かなりの確実さを持つ申立てが一般に見られる以上、新規性が認められないからである。いかにして自動開票読取機による不正選挙が成立するのかを考察する作業に新規性を認めるためには、一捻りが必要である。

新規性を確保するための追加的な作業は、「現場との円滑な関係を大切にするように」との指導を受けてきた社会科学系の研究者にとって、ジャーナリストと同様の危険を要求するものであるように映るであろう。一般の人々や海外の研究者から見れば、この「ラポール」は、馴れ合いの象徴であるように映るかも知れない。しかし現に、行政機能の行く末を決定するような勉強会・研究会・審議会等に学識経験者としてのお呼びがかかるような研究者にとって、この種の「ラポール」は、自身の主張を社会に適切に反映させるために必要であり、行政組織内の会合は、自身の主張を実装するための社会的装置としても機能している。そうである以上、この「飴」を自ら放棄することになる不正選挙の追究作業は、わが国のマスコミの国際関係の報道が一般人にとって表面上穏やかな印象を与える(ように工夫されている)ものである現在、それほど賢明な行為とは思われないであろう。

不正選挙への疑いが、過去の事実を問うものであれ、不正の余地を問うものであれ、すでにトンデモ扱いされかねない形の批判を浴びていることは、研究者に対して、この話題への関与を躊躇させる最大の要因として機能する。本来、研究とは、研究題材そのものよりも、研究手法(への誠実さ)によって批判されるものである。研究対象そのものよりも、研究上の手続が、ほかの研究者によって検証されるのである。そうでなければ、超常現象や宗教を研究する余地など、成立しないことになる。ただ、この基本に加えて、社会科学系の研究者は、研究対象である社会に対して自らの研究が影響を及ぼしうること、またその結果、社会から反作用を受けるという点について、自覚が求められることになる(橋爪大三郎氏と島田裕巳氏に対する批判(2016年1月27日)を参照)。ところが、不正選挙は、2016年の現時点においては、議論の作法に無知な、大多数の利害関係の薄い話者や、不正選挙の虞を検証されないことによって直接の利益を得るという意味での利害関係者の関心をただちに喚起する話題と化している。特に、利害関係者の存在が重要であり、彼らの存在は、不正選挙に対する疑惑を冷静に検証する上での現実的な障害として機能している。


社会制度の不正の余地の追究は研究として成立する

不正選挙が成立する余地を問うこと自体は、研究行為となる。このことは、選挙という社会的活動が間接民主主義国家であるわが国の根幹を形成することにも起因する。不正選挙という過去の事実の帰責を問うことは、明らかに政治的行為ではある。しかし同時に、不正選挙に係る指摘を元にして、社会制度基盤(アーキテクチャ)の機能不全を問うことは、結果的に政治的影響を生じるにせよ、調査・研究の一種である。複数のアクターを仮設してゲーム理論に基づく利得を探索するという研究も成立するであろう。ここまでに用いてきた論述方法は、構築主義(ラベリング理論)を下敷きにして、規範的観点を据えて展開してきたものであるが、この方法は、不正選挙に係る全般を分析する上で見通しの明るいものであると思われる。

しかしながら、選挙において不正の余地があることを指摘するという研究は、本来、不正の余地がある点を指摘されたために追加の検証コストを要することになる「利害関係者」にとっても、「痛くない腹を探られない」ために必要な営為である。現に重大な申立てがなされ、外形的に不審な結果が見られる現時点において、「利害関係者」自身がシステムの完全性を主張したり、システムの安全性の検証作業を放置することは、性悪説に立つ外部者から見れば、疑惑を深めるだけのことでしかない。間接民主主義を採用する国家では、選挙のすべての過程において、どの国民から見ても成立するような透明性が確保されている必要がある。この透明性こそは、間接民主主義において少数派が納得するための正統性に必要とされる要件である。

一国の社会制度が健全に機能しているか否かを研究を通じて確認していくことは、国や地方公共団体から俸給を支給されている研究者の共同の責務である。一国における職業研究者は、正確な知識の産出を社会的な目的として付与されているが、この知識の対象は、当然、その国の社会制度を含むものである。職業研究者の全員が社会制度基盤の良好な維持を目的とした研究業務に従事する必要はないとはいえ、全員のうちの誰かがこの課題に取り組む必要があり、また、この誰かの研究業務が不当な政治的圧力に阻害されることのないよう、全員が研究活動の健全性を維持する責務を有する。このようにして成立しているはずの国公立の研究コミュニティの中から、まったく不正選挙を検証しようとする者が現れず、また、この検証を行おうとする者に対して支援を与えることがなかったとすれば、この状態は、研究者たちが自らの存立基盤を蚕食して顧みなかった「共有地の悲劇」と呼びうるものである。


米国の不正選挙の追究は福島第一原発事故の収束につながりうる

ただ、全世界中の不正選挙の最たるものは、わが国における選挙ではなく、米国大統領選挙における投票機の不正である。米軍の駐留という現実によって、身動きの取れない状態にある国は、わが国を含めてかなりの多数に上る。今までの歴史をふまえ、なお、米国が今後も同様の枠組による国益の確保を目指そうとするのであれば、民主主義国家を標榜する上で必要な機能を確保することは、決して米国の利益に逆らうことにならないであろう。わが国における不正選挙の根絶は、米国の今後の動向次第ということになるが、それでもなお、追及される必要はあろう。

2000年及び2004年のアメリカ大統領選挙における数々の不正は、アメリカ合衆国という国の威信を大きく低下させ、米国に追従することへの疑問を、影響下の国々の国民に抱かせることとなった。2004年の選挙は、2001年の9.11以降における外国での米軍の活動のターニングポイントとなり得た。しかし、開発に従事したエンジニアが不正を告発した証言があるにもかかわらず、プロプライエタリな電子投票機が同年の選挙では利用され、世界の大多数の国民に嫌悪された子ブッシュが再選されるという結果を得ることとなった。この結果は、アメリカ国民に対して、諸外国の国民から多大な悪感情が寄せられるという負債を課すものとなった。国民の恨みが100年以上にわたる悪影響を生じさせることをふまえれば、不正選挙という犯罪の対価は、一国にとって高価なものとなる。

2008年、2012年、2016年の大統領選挙活動においても、不正選挙の存在が指摘され、批判された。(現在進行系の出来事についても指摘するのは、研究生活上、愚かなことではあるが、)WikiLeaksという怪しい手段により日の目を見ることになったにせよ、ヒラリー・クリントン氏は、ベンガジ事件への関与が指摘されている。これを隠蔽しようとして、司法関係者があり得ない動きを見せたことまでが判明しており、批判されている。これらの事実と日常生活において用いられる意味での因果関係が認められるが、五名の予備選に係る民主党関係者が謎の死を遂げている。今回のアメリカ大統領選挙活動を不利なものとするであろうが、ヒラリー・クリントン氏の不正得票疑惑に対する民主党員の検証は、アメリカという国の威信に関わることになろう。

米国、次いで日本における不正選挙の根絶は、福島第一原発事故の正当かつ合法な収束の前提条件として機能するゆえに、重要である。福島第一原発事故に関与する、わが国の非常に広範な分野で禄を食んできた多数の人物たちは、結果として事故を収束できていない。これは、組織内の個人が個々に頑張ったとしても、何にもならないという見通しを有していることにも起因する、典型的なモラルハザード状態である。この停滞状態を変化させるために、誰にとっても合法的かつ正当と思うことのできる解決方法のうち、選後の歴史から見て、最も有効なものは、わが国では、米国からの政治的圧力を通じた斉一的なパッケージの採択しかあり得ない。それゆえに、米国の不正選挙の根絶がわが国の不正選挙の根絶に先立ち、必要となるのである。(#大変に情けない話であるが、天皇陛下のお言葉を、特別立法によって取り繕おうとする「政体」である。)

ところで、政策パッケージという考え方自体は、道具でしかなく、その中身の取合せこそが問題である。プラザ合意以降のわが国の米国との交渉は、わが国における規制・慣行を緩和・打破するという基調で行われてきたものであり、政策のパッケージ化は、ゲームの一種のルールであり続けてきた。単に、日本側のカウンターパートの知的レベルが大きく低下したために、TPPのような、両国民の大多数にとって論外な中身のパッケージが提示されるようになっただけである。米国の国益を確保・向上しようとするグループによる正当な圧力によって、両国民にwin-winの関係をもたらし、今まで超法規的・脱法的な利益を上げてきた無国籍大企業群から不当な利潤を取り戻すパッケージであれば良いのである。なお、丸山和也氏の「51番目の州」発言(2016年2月18日)は、政策パッケージとして、最大の奇策という位置付けになる。

不正選挙の根絶によらない福島第一原発事故の解決に至る道筋として、中国やロシアによる介入が考えられる。これは、世界中の関心ある層に向けて発信されている情報を総合すれば、現実にその動きが認められるものであり、かつ、短期間のうちに、チェルノブイリ事故と同程度の封込めを期待できるものである。中露による介入のほか、米中露による協調的な介入というものも考えられることは、当然である。この主張は、個人の生命を等しく価値のあるものとして合理的に思考する人物によって、十分にあり得ることと認められるものである。

ただし、不正選挙の根絶を経ずに行われる、他国によるわが国への内政干渉は、社会防衛主義的な様相を帯びる可能性が十分にある。この社会防衛主義的傾向は、全体主義的に振舞うわが国の特定の社会集団にとって、受け入れ難い理由として利用可能なものである。この結果、わが国の特定の社会集団は、世界からみれば、日本国内における抵抗勢力として機能している。領土に福島第一原発事故由来の放射性物質が到達している米中露の三か国にとって、現「政体」は、扱いの難しい存在となっているのである。


#一応、ここまでの議論によって、わが国における不正選挙と福島第一原発事故という二大犯罪の関係性が、本ブログで取り扱われることの説明を果たせたように思う。また、最終節の議論によって、矢部宏治氏のTPPと原発がセットになっているという議論が、必ずしも成立する訳ではないことが示唆される。物事の解決には、色々なルートがあり得るということである。




2017年6月9日修正

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