2016年10月21日金曜日

(メモ)実証主義とその批判、近年の動向にかかる超大雑把な私見

#本稿は、2013年2月4日の時点で書き殴ったメモに手を加えたものであるが、前稿(リンク)の前振りとして利用可能であるので公開した。追加した段落は、を頭に付す。本論は、間違いとなる危険を承知で単純化した議論であるから、学術上、これを転用しようと思う者は各自の用語を各自で確認すべきである。

古典的な意味での実証主義(positivism)は、自然科学と同様、社会の事象を客観的に表現可能であるとする考え方をいう。ここでの客観性とは、現時点の知識に基づくと、同一の観察対象を同一の方法で取り扱えば誰でも同一の結果を得られること(再現可能性、reproducibility)、観察結果から得た結論(法則、lawや理論、theory)を別の観察にも適用できること(一般化可能性、generalizability)の二種からなる。社会の事象を観察する場合には厳密な再現可能性は望めないから、ある程度近い時期に、別の対象を別の観察者が同じ方法で観察しても、同一の結果を得ることができる複製可能性(replicability)が重視されることになろう。

複製可能性も再現可能性と訳されることがあるなど、両者の概念は混同されているようでもあるが、自然科学研究において両概念を区別することは有用である。その例として、近年のSTAP細胞の検証作業を挙げることができる。他大学における異なる試料(細胞)による複製可能性の検証作業を通じて、再現可能性に対しても疑義が呈されるに至ったのである。社会科学研究では、これらの概念に係る統一的な見解が見られなかったようであるが[1]、研究者によるデータの公開は、両概念を弁別し、一般化可能性をより精密に検討する道を拓くものとなる。

 初期の実証主義は、「社会学」の語を創始したコントに端的に見られる考え方であった。その後、社会学における統計の扱い方を確立したデュルケムは、たとえば、一国内において統計を取った場合に表れる犯罪数などを、「その社会に実在する物であるかのように扱う」ことを強く主張した(『社会学的方法の規準』)。言い換えると、ベルギーという国の自殺者数とフランスという国の自殺者数とを、それぞれの社会(という実在するとみなせる物体)の特徴(を表す、実在するとみなせる物体)とみなすべきだと主張した(『自殺論』)。21世紀時点の知識から回顧すると、物体とみなすということは、事象を数学のツール群で扱えるように、分析者が物体へと読み替えていることを意味する。数学を初めとする自然科学の用語だけでいうと「定義している」、社会科学や心理学でいうと「操作的定義を加えている」。

 デュルケムが『社会学的方法の規準』を著した当時は、犯罪という行為の原因を、体型や身体に表れる異常性といった、誰にでも観察しやすい事象に求める風潮が強かった(イタリア・ロンブローゾ学派などと呼ばれる)が、他方で、フロイトに代表されるように、心理という、目に見えないけれども、観察者自身も有するがゆえに知覚されやすい存在に求める向きもあった。(もっとも、フロイトは、心理の中でも潜在的な部分の重要性に着目した。)いずれの見方も、犯罪者個人から分離されない属性のみにより、犯罪が行われると理解していた点では共通する。これに対して、デュルケムの理論(『社会分業論』)は、行為が社会そのものによる反作用であると理解する点において、斬新であったといえる。

 これらの比較的シンプルな見方に対して、20世紀初頭以来の社会学では、ヴェーバーの開始した(と見なされる)「実証主義批判」が起こる。人は「規範」「価値」「シンボル」といった道具を用いて社会を見ているのであり、自然科学のように正確な観察など、そもそも無理なものであると批判したのである。各人に内蔵されている規範や価値が異なるので、観察対象として読み込まれるシンボルも異なる、よって、計測者・観察者によって大きく測定結果が異なると考えたのである。この批判により、古典的な実証主義は、修正を迫られることになった。社会を観察により変化し得ない対象と考えるという意味での客観性は、存在しないものという理解が共有されるに至ったのである。(#量子力学の影響はあるはずで、誰かが言及しているはずであるが、行き当たっていない。)

 1950年代以降のアメリカ社会学では、しばらくの間、この流れもあり、小規模の社会集団に対する当てはまりの良い説明を積み上げるという動き(マートンによる「中範囲の理論」middle range theory)が進んだ。結果、初期の実証主義のような大上段から振りかぶった考え方は、誇大理論(grand theory)として退けられ、一時期、見られなくなった。誇大理論は、一般(的)理論(general theory)と対比される存在であり、個人に特有とみなせる理論は、ときに「物語」として表現・批判されることもある。この点、本稿も一種の物語とみなされるかも知れない。

1970年代までに、それまでの心理計測手法、教育効果の測定法や実験計画法研究の蓄積から、観察研究をより客観的に行うための概念が構築される。そこで示された「準実験計画」は、教育効果の測定法に直接の起源を持つ方法で、実験計画の行えない対象に対して分析するための枠組を示すものである。1990年代後半には、準実験計画法の考え方が犯罪学研究にも導入され、「根拠に基づく(evidence-based)」がバズワードとなる。「根拠に基づく」という用語で重要なのは、一定の基準を設けた研究を系統的な文献検索を通じて選定すること、その規準が実験計画法にいう無作為割付によるものであること、の二点である。犯罪学におけるこの流行は、医・薬学におけるコクラン共同計画を範に取ったキャンベル共同計画へと結実した。

 ところが近年、シミュレーション技術に係る分析規模と作業速度が指数関数的に進展した結果、社会が複雑系であるにしても、初期の実証主義のように、統計力学における伝統的な手法を準用して社会の諸機能を説明できるのではなかろうか、という期待が高まり、socio-physics(社会物理学)やsocio-dynamics(社会動態学)のような学問分野が興るに至った。初期の意味での実証主義を貫徹可能かも知れないという見込みは、シミュレーションの結果が複数の典型的な状態に落ち着きがちであることに根拠を置く。その理路をシミュレーション方法に基づいて説明できれば、初期状態から典型的な終局状態それぞれへの遷移を、原因から結果に至る確率的なモデルとして説明(アブダクション、abduction)可能であると考えることができる。複雑系研究は、社会という分析対象についても、物理学風の「仮説」に基づいて物理学風の「法則」を主張する道を拓いたのである。


[1] REPRODUCIBILITY, REPLICABILITY, AND GENERALIZATION IN THE SOCIAL, BEHAVIORAL, AND ECONOMIC SCIENCES - Bollen_Report_on_Replicability_SubcommitteeMay_2015.pdf
(K. Bollen, 2015年5月13日)
https://www.nsf.gov/sbe/SBE_Spring_2015_AC_Meeting_Presentations/Bollen_Report_on_Replicability_SubcommitteeMay_2015.pdf

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