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2018年7月15日日曜日

(メモ)日銀ETF購入額

金子勝氏は、日銀のETFの大量買いを批判していた[1]が、7月に入り、日銀の「その他株式」の買いのペースは、6月最終週の毎日ペースから週1ペースとなり、落ち着いたものと見える(図と文末の表を参照)。これらの図と表は、日銀が随時公開しているデータ[2]を再加工したものである(。そうしておいた方が、私自身の考察に役立つというだけの理由である。2018年7月16日:役に立つか分からないが、XLSX形式ファイルをアップした)。

7月の第1週は、円安なのに日経平均安という、市場メディア関係者を惑わせるような傾向が見られた。この不可思議さは、それまでの日銀ETFの買支えがなくなったことによるものかも知れない。2018年6月最終週の毎日ペースが突出してはいるが、均してみた場合には、2017年以降のペースと、さほど変わらないもののように見える。タイミングが良ければ、他者の資金を市場に呼び込み、購入額以上に株価を変えることが(可能性としては)あり得るだけに、金額そのもので判断する訳にもいかないのであろうが。


図 日銀ETF等購入額(週別合計:2016年1月第1週~2018年7月第2週)
図 日銀ETF購入額(週別合計:2016年1月第1週~2018年7月第2週)

同時に、現在の値動きについては、海外勢が売り傾向であったという側面にも着目すべきかとは思うが、そこはそれ、無償の機械可読性の高いデータの存否の確認も含めて、いずれ行うかも知れない程度に、約束を止めておきたい。


[1] 国債が売れず…ついに売買不成立が今年6回目の異常事態|日刊ゲンダイDIGITAL
(2018年07月11日)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/233028/1

一方、日銀によるETF(指数連動型上場投信)買いもすさまじい勢いだ。6月の中旬以降、ほぼ連日買っている。1回当たり703億円買っているので、2週間で7000億円も株を買い上げている計算だ。そして、年金、共済、ゆうちょから国債を買って株を買わせる。安倍内閣の支持率を下げないためだろう。

[2] 指数連動型上場投資信託受益権(ETF)および不動産投資法人投資口(J-REIT)の買入結果
(更新日不定;2018年7月13日確認)
https://www3.boj.or.jp/market/jp/menu_etf.htm


表 日銀(人材・設備投資)ETF購入額(週別合計:2016年1月第1週~2018年7月第2週)


日曜
その他
株式
人材設備
投資ETF
J-REIT
2016/12/270 0
2016/01/031073 48
2016/01/10704 24
2016/01/171056 24
2016/01/24352 12
2016/01/31990 36
2016/02/071320 36
2016/02/14330  
2016/02/21   
2016/02/28  12
2016/03/06672  
2016/03/13   
2016/03/20  12
2016/03/27336 12
2016/04/036666024
2016/04/106666024
2016/04/1733360 
2016/04/249994824
2016/05/016812424
2016/05/086966024
2016/05/15 6048
2016/05/226966036
2016/05/296986012
2016/06/0514006036
2016/06/1210506012
2016/06/197006024
2016/06/2635060 
2016/07/0313446024
2016/07/10 60 
2016/07/176724812
2016/07/246726012
2016/07/3114016048
2016/08/0770748 
2016/08/14 6012
2016/08/21141460 
2016/08/28 6012
2016/09/04146660 
2016/09/1129326036
2016/09/1873336 
2016/09/25293260 
2016/10/02 6036
2016/10/0970748 
2016/10/16 60 
2016/10/2314146036
2016/10/3028264838
2016/11/067066026
2016/11/13 6026
2016/11/20 4813
2016/11/27144860 
2016/12/0474260 
2016/12/1114846013
2016/12/1822264826
2016/12/2522266013
2017/01/017033613
2017/01/087034812
2017/01/1521096012
2017/01/2270360 
2017/01/2921096024
2017/02/057046012
2017/02/1214086012
2017/02/19140860 
2017/02/267046048
2017/03/057246024
2017/03/1221726012
2017/03/1914484812
2017/03/267246036
2017/04/0214506036
2017/04/0929006024
2017/04/167256012
2017/04/23 6024
2017/04/30 24 
2017/05/0772760 
2017/05/1421816024
2017/05/21 6024
2017/05/287276012
2017/06/04145660 
2017/06/1172860 
2017/06/187286048
2017/06/257286048
2017/07/027076024
2017/07/097076036
2017/07/1614144812
2017/07/23141460 
2017/07/30146660 
2017/08/0621994824
2017/08/1314666024
2017/08/207336024
2017/08/277336012
2017/09/0322176036
2017/09/10 6024
2017/09/1773948 
2017/09/2414786048
2017/10/01 6012
2017/10/08 4813
2017/10/15 6039
2017/10/22 6052
2017/10/2914184813
2017/11/05143460 
2017/11/12215160 
2017/11/19143448 
2017/11/26143460 
2017/12/03141660 
2017/12/10212460 
2017/12/177086036
2017/12/2470860 
2017/12/31 24 
2018/01/07147048 
2018/01/147356012
2018/01/2114706012
2018/01/2814666036
2018/02/0421936036
2018/02/117314824
2018/02/18146260 
2018/02/2521976048
2018/03/047356024
2018/03/11147060 
2018/03/1829404824
2018/03/2514706012
2018/04/0114286012
2018/04/08 6012
2018/04/15 60 
2018/04/2271460 
2018/04/29 24 
2018/05/06144060 
2018/05/13 6024
2018/05/2021606036
2018/05/2721606036
2018/06/03 60 
2018/06/1070360 
2018/06/17281260 
2018/06/2435156024
2018/07/017056012
2018/07/0870560 

2017年3月31日金曜日

自動車事故で後部座席が危険と断定する前に層別が必要である

#本稿は、読者にとって重箱の隅をつつくような話、と思われるかも知れない。しかし、この話は、社会統計を分析する者として、理解できていないと恥ずかしい種類の話であり、分析者の能力の試金石にもなる。それが、本稿を示す理由である。もちろん、私の批評が誤りであり、自身の分析能力の低さを満天下に晒すという危険もある。

『読売新聞』2017年3月29日夕刊1面に、交通事故の座席別の致死率が運転席の致死率よりも高いという警察庁の発表を紹介する記事[1]が掲載された。つまりは、運転手や同乗者が死亡するような自動車事故が起きたとき、運転者よりも後部座席の同乗者の方が「危ない」という訳である。致死率とは、この記事を引用すると、「交通事故の死者数を、負傷者も加えた死傷者数で割って100をかけた数値」である。

結論を先取りしておくと、この記事の指摘は、この材料だけで肯定する訳にはいかない。本件は、「シンプソンのパラドックス」に陥っている可能性が認められる、典型的な場合である。以下の段落で、理由を整理していこう。なお、本件を具体的な数値に基づいて追究するには、公益財団法人交通事故総合分析センターに受託統計を注文[2]しなければならない※1。本稿では、その作業は行わない。

なお、本稿の趣旨からは脱線することになるが、重要であるので本文中に示すことにすると、読売新聞の記事や警察や本稿のいう自動車事故とは、自動車が関与し、警察に認知された交通事故を指す。犯罪学では、警察の認知が重要な論点になる。本稿は、警察の認知という前提に対しては、特に疑いを差し挟むものではない。交通事故に関しては、車両の所有者が保険を受け取るためには、警察への報告が基本的に必要となることから、報告漏れが少ないものと考えられるためである。

読売新聞の分析を肯定できない理由は、致死率という指標の定義と計算方法にある。記事は明記しないが、致死率は、集計済みの統計値から求めた指標であると推認される。言い換えると、分析者は、同乗者の有無や人数や乗車位置に応じて、一件一件の事故を場合分けせずに、死者と負傷者を一括して集計し、それらの集計値を致死率の計算に利用した、と推定される。このように推測するのは、読売新聞の記事に掲載された乗車位置別の致死率が一種類しか掲載されていないからである。この定義と計算方法は、三点ほどの方法論上の問題を生じさせる。

致死率という指標が含む一点目の問題は、「負傷者」の定義中に「負傷しなかった運転者や同乗者」を含むか否かが曖昧なことである。大阪府警察がウェブ公開している交通事故の統計処理方法(交通事故統計取扱要綱[2])を参照すると、原理的には、統計システムを自由に扱える権限があれば、負傷なしの場合を含め、「座席別の全当事者数」を求めることは、簡単である。この「座席別の全当事者数」こそが致死率の分母となるべき統計値である。ただ、現実の統計システムが使いにくいために、負傷していない当事者数を簡単に求めることができないという、お粗末な状態にある可能性も認められる。この場合、「自動車の関与する交通事故における全当事者数」から「自動車に乗車していなかった当事者数」を除くという方法によって、「自動車に乗車していた全当事者数」を求めることができる。この「自動車に乗車していた全当事者」を座席別に区分して集計することが可能であれば、致死率を正確に算出するための分母を求められる、という訳である。このように、工夫すれば何とか計算できそうな目途があるところ、なぜ、「負傷者数」と「死者数」を合計した人数を分母としたのか。おそらく、交通事故の報告(本票)と、その報告に紐付けられた(1名以上の)当事者に係る報告(補充票)から、事故の態様を再現するという(手間のかかる)作業を行わなかったためであろう。以上が、「乗車しており負傷しなかった当事者」を含むか否かが曖昧である、と指摘した理由である。

二点目の問題は、致死率の分母が「全交通行動における座席別乗車人数」であるべき、とする「そもそも論」である。また、この指摘は、致死率を「座席別延べ移動距離」で計算すべきであるという尤もな意見をも惹起する。後者の意見は、航空機と自動車のいずれが安全かという議論では、常に考慮されるものである。専門的な表現を取ると、自動車事故は、日本国内における自動車による日々の交通行動というユニバース※2から生じている。自動車交通行動において、同乗者を含むものは、比較的少数の割合に留まるものと見られる。具体的な算出は、各地方で実施されているパーソントリップ調査によることになる。致死率の母集団となる(=分母に来る)「座席別乗車延べ人数」や「座席別乗車総距離」は、まず間違いなく、読売新聞の示した致死率の定義の分母とは異なる数値になる。私の指摘した統計値を用いた場合には、運転者に係る致死率は、基本的には、ますます小さな値に傾くであろうが、実際のところは、計算してみないことには分からない。他方、記事の趣旨が「事故時の死亡を防止するためには、シートベルト着用が必要である」というものである以上、事故時の全乗車人数を分母に置けば良いという考え方も、高い説得力を有する。しかし、家族が鉄道駅等まで送迎するという「キス&ライド(kiss-and-ride)」を念頭に置けば分かりやすいが、同乗者のために運転する場合であっても、同乗者なしで運転者が運転する距離は、大抵の場合、同乗者よりも多くなる。この点を考慮すれば、分母に係る検討は、面倒臭かったのかも知れないが※3、より慎重に行うべきであったろう。

三点目の問題は、同乗者がいた交通事故と同乗者がいなかった交通事故などに層別した後で、運転手の致死率を計算していないという手続から発生している。つまり、「同乗者がいる事故」の運転手の致死率は、少なくとも「同乗者がいない事故」の運転手の致死率とは区別して、分析すべきであった※4。この指摘は、「シンプソンのパラドックス」と呼ばれる現象を理解していれば、直ちに了解可能である。統計学に多少なりとも親しんだ研究者が企画段階から(←ここ重要)関与していれば、この誤りを満天下に知らしめる事態は、予防できたはずである。

本件分析は、同一の同乗者タイプ{運転者のみ, 運転者+助手席, 運転者+後部, 運転者+助手席+後部}に自動車事故を場合分けした上で、それぞれの座席における致死率を計算し、それらを、同一の同乗者タイプにおいてのみ、あるいは、同一の座席タイプについてのみ比較する、という形式で行われるべきであった。考察を進めれば、ほかにも比較可能な致死率の組合せがあり得るかもしれないが、その検討は、正確な説明を追加するときに合わせて行いたい。いずれにしても、大切な人を乗せて運転するときと、一人で家路を急ぐときに、運転の作法や注意力が異なることは、常識の範囲で理解できることである。比較の基本は、条件を揃えて比較するというものである。(繰り返しになるが、近年では、もう少し条件が緩められつつある。)

なお、本件では、後部座席における致死率(だけ)を、シートベルトありとなしの場合に区別して比較しただけ※5であれば、文句のつけようはなかったと思われる。おそらく、報道にあたり、耳目を引くような内容を前面に押し出したかったのであろう。そのスケベ心は、誰の心にも存在するものであろうし、私にも良く理解できる。(見方を変えれば、本稿も、一種のスケベ心である。)ただ、分析に対する無知が、今回の残念な結果を招いたのである。


※1 「出されたものは美味しく頂くが、そうでないものは求めない」「日本国民なら誰でも再現可能である状態を確保する」という本ブログの隠れた方針とは、相容れない行為である。それに、有料の統計を購入してわざわざ分析することまで含めると、マネタイズを検討しなくてはならない。面倒臭いし、世知辛いことである。それに、有料のコンテンツまで利用してブログ公開を検討するとなると、話題の選定段階で、飛躍的に対象が広がってしまう。私の現在の影響力の範囲からすれば、その検討は難しい判断を強いられるものになる。

※2 理想的な調査対象集団。この語については、別稿(2016年10月14日)を参照。

※3 二点目の問題は、一点目の問題と類似してはいるが、計算に必要な統計を手持ちのデータから集めることができないという点で、セクショナリズムの問題を斟酌すべきものでもある。「現場の担当者だけでは面倒臭い」という理由が誤った結果をもたらすという悪循環は、わが国では、普遍的に見られる状態である。このような、誰にとっても得にはならない状態を打破するために、セクショナリズムが排され、研究者やコンサルタント・シンクタンクが活用されるべきである、というのが、研究機関等に籍を置くことができていたときの私の主張の根幹であったが、その結果は、言うまでもないことである。

※4 その影響はきわめて限定的とは見込まれるものの、厳密には、同一事故に含まれる二台の自動車の運転手を区別せずに致死率を計算するという作業の是非に対して、何らかの論理立てが必要とされる。

※5 現に、記事に見られる以下の記述は、ほかの座席における致死率とは比較していないために、シートベルトの着用が有効であることを主張する上で、文句の付けようのない分析結果を示すものである。ただ、普段の交通行動におけるシートベルトの着用状況を観察することが可能であるなら、その状況を加味した方が良い。仮に、同乗者のシートベルト着用状態が80%程度であれば、装着の有用性が発揮されていないという見解が成立してしまうことになるが、着用状態が半々程度であれば、4倍も致死率が異なることになる。ペニシリンの発見ほどにはいかないが、シートベルトが相当に有用であることを示す証拠として提示できる。事故時の着用率が着用状態をそのまま表すものとみなしても、シートベルト着用が安全性を高めるという結果を得ることができる。

後部座席では、シートベルト非着用の致死率は0.64%と高かったが、着用の場合は約4分の1の0.17%だった。


[1] 『読売新聞』2017年3月29日夕刊4版1面「車事故 危ない後部座席/致死率 席別トップ/「安全」思いこみ ベルト着用36%/昨年 警察庁調査」

[2] 交通事故統計表データ - 交通事故総合分析センター
http://www.itarda.or.jp/materials/statistical.php?s=71&t=%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88#contents_list

[3] 大阪府警察 | 交通事故統計取扱要綱の制定について
https://www.police.pref.osaka.jp/01sogo/law/kotsu/html/62kotsu_1230_1.html




2017(平成29)年4月1日追記

本文中の注5(※5)を追記し、本文を部分的に整えた。

なお、[同乗者の存在]のモデル中での扱い方は、本稿の主張の正当性に大きく影響する。プレーンテキストによるために、記法が適当であるが、[同乗者の存在]->[生死]、[シートベルト着用]->[生死]、[同乗者の存在]<->[シートベルト着用]とでもモデル化した場合には、[同乗者の存在]は、典型的な交絡因子のひとつとなる。ただ、モデルの立て方は、もちろん、これだけによらない。交通事故という現象を分析できるだけの道具立て(知識)を有する分析者が、慎重に影響しそうな要因を列挙し、論理的に考えられる因果関係を提示した後で、その因果関係が成立するのかを判定するという手続きが必要である。

2016年11月1日火曜日

「2016米大統領選における男女の分断」という分析はクリントン氏有利に働き得る

#少し鮮度の落ちた話になるが、米大統領選挙前であるので、時機を逸したことにはならないであろうから、公開することにした。わが国に思考の本拠を置く陰謀論者にとって、本年10月は混迷の極みにあった。昨日のFBIによるクリントン氏への捜査は、アメリカに良心ある組織人がいることの証拠ということであろうか。


候補者の資質は性別によるものではないが、性別は土俵の設定に悪用され得る

日経は、男性票だけではトランプ氏有利であるが、女性票を加えるとクリントン氏有利という、ネイト・シルバー氏の予測を掲載している[1, 2]。自社グループから出版した『シグナル&ノイズ』のつながりによるものと思われる。この分析は、十分に後追い可能なデータが(日経の紙面上で)提示されないから、何ら面白みのないものである。しかし、この分析の怪しさを定性的に指摘することは可能であるし、その過程で、本件分析がクリントン氏への鞍替えを促すことを狙ったものであることを示せるので、今回、この点を考察しておきたい。今後、集団的自衛権等に基づき海外派兵するという展開をわが国が迎えた場合、現時点の米国大統領選挙と同様の構図が生じないとも限らないためである。

シルバー氏の指摘には、性別上の対立を煽るという一次的な効果があるが、この一次的効果は、[(投票者に影響を与える)周囲の人物(の性別)]と[投票者自身の性別]という二種類の属性の組合せから、投票行動を変更させる効果がある。[周囲の人物]は、友人でも家族でも良い。態度を決めかねている独身者で、同性とつるむことの多い人物は、自身の性別と共通の候補に投票するかも知れない。他方で、妻を持つ男性の場合、妻を慮り、トランプ氏への投票意向を翻意することもあろう。逆に、夫がトランプ氏支持であるかを問わず、この記事に接するだけで、女性がトランプ氏に鞍替えするという効果は考えにくい。この分析だけを提示された場合、トランプ氏からクリントン氏へ乗り換えようとする投票者が出てきても不思議ではないが、逆に、クリントン氏からトランプ氏へ乗り換える投票者は、相対的に少数となろう。

女性がトランプ氏に鞍替えする可能性が高くなるのは、青年期の息子と母親という組合せのように、男性が兵役に就く可能性の高い家庭であり、かつ、女性がクリントン氏の好戦性に気が付いている場合である。ヒラリー・クリントン政権は、必ずや米国を海外派兵に導くであろう。この点を知る女性投票者は、よりマシな人物を選択することを迫られることになる。結局、候補者の政策こそが重要である。にもかかわらず、シルバー氏は、この点をすっ飛ばして、候補者の下半身に話を収斂させるかのように、候補者の性別のみを問題とするのである。

女性という生物学的性のみを強調するという方針は、大メディアによる作為であると認められる。『報道ステーション』10月21日に登場したオーストラリア人女性のマルチタレントにしても、現都知事の「活躍」にしても、わが国の女性閣僚3名にしても、ヒラリー・クリントン氏を女性として持ち上げる効果を有する。もっとも、最後の点については、むしろ個人の資質を問う声を報じる報道もあり、政治分野における野心的な女性一般の資質に対して疑問符を抱かせるものにもなり得る。ここでも、政治家としての適性は生物学的な性別やジェンダーにもよらず、個人に帰属することを繰り返して指摘する必要がある。

このシルバー氏の分析は、選挙に影響を与えうるという意味で問題を含むものである。


単回帰直線を2名の候補の得票数に当てはめるという「土俵」に乗る必要はなかった

シルバー氏のブログには、2009年イラン大統領選挙についても、専門家にふさわしくない検討を行う記事が見られる。以下では、シルバー氏の記事がなぜ専門家としてふさわしくない内容であるのかを検討する。その際、同氏の記事で用いられている回帰分析とはいかなる分析方法であるのかを、改めて確認しておく必要がある。回帰分析の意味が理解されずに、Excelに実装された機能が誤用されている節が認められるためである。

回帰分析(regression analysis)は、変数XとYからなるデータがあるとき、Xによって、Yを定量的に説明するための、回帰方程式と呼ばれる式を求める方法である。Xを独立変数(independent variables)や説明変数(explanatory variables)、Yを従属変数(dependent variables)や被説明変数という※1。回帰分析は、XとYとの間に関係があるか否かを分析の目的とする相関分析とは異なる。また、分析者は、XによってYを説明するという因果関係を暗黙裏に設定していることになる。なお、回帰分析で求められた回帰方程式は、将来の類似したデータに対する予測にも用いることができる。

シルバー氏[3]は、ムハンマド・サヒミ氏(Muhammad Sahimi)による2009年6月のイラン大統領選挙の回帰分析[4]を取り上げ、不正の証拠であるとするサヒミ氏の見方を否定している。サヒミ氏は、説明変数をアフマディネジャド氏の得票数、被説明変数を対立候補のムサビ氏の得票数とする単回帰直線※2を作成し、決定係数(R-Squred)※3が0.998という高い数値となったことを挙げる。これに対して、シルバー氏は、2008年のオバマ氏対マケイン氏の2008年米大統領選挙の得票経過を同様の方法で分析してみせて、決定係数が0.9959となったが、米大統領選挙に不正があったとは言わないであろう、と指摘した。私から見れば、不正選挙の虞は得票数の並び方と必ずしも関係しないし、サヒミ氏の方法は回帰分析の誤用である。このため、専門家であるシルバー氏が同じ土俵に乗ったこと自体に違和感を覚える。

サヒミ氏と同様の方法は、「不正があるから、斉一的な得票数の伸びとなった」というサヒミ氏の命題を否定する論拠とはならない。シルバー氏の指摘は、せいぜい、「斉一的な得票数の伸びを見せる正当な選挙結果もある」という命題が並立するという根拠を示すものに過ぎないからである。両氏の論証の形式は、ともにアブダクション[5]であり、一つの結果(斉一的)に対して複数の原因(不正がある・ないの両方)を許すものである※4。事の真偽を確認するためには、われわれは、シルバー氏の意見の当否についてはともかく、サヒミ氏の意見の当否そのものを検討しなければならない。

つまり、シルバー氏は「不正な選挙なら、得票数の伸びが斉一的になる」という命題に対して、「公正な選挙でも、開票以外のプロセスに不正があったとしても、理想的な開票作業においては、得票数の伸びが斉一的な方向に向かう」ことを反論し、方法の不適切さを真正面から否定すべきであった。シルバー氏の論理は、2009年イラン大統領選挙の真偽こそ断定しないものの、2008年米大統領選挙が不正なものであるという可能性を認めるものにもなりかねない。「2008年米大統領選挙について、不正が行われなかった証拠を挙げよ」という反論に対して、シルバー氏の論法は、有効な防御の難しいものである。


理想的な開票作業の下では、得票数の伸びは二項分布に従う

理想的な開票作業が行われている限り※5選挙の開票が進むにつれ、各候補の得票数は、斉一的な伸びを見せる他方で、開票の途中から、主要候補の得票数の伸びが大きく変化する候補については、選挙管理委員会による何らかの作業が影響していることが考えられる。それは、単にその候補者に対する検票作業が入念に行われているだけかも知れない※6。全国選挙である場合には、都市部の有権者数の人数が多数であるため開票作業に遅れが生じ、都市部住民の意向が相対的に遅れて反映されているのかも知れない。もちろん、途中から、実際に不正な票の水増しや廃棄が行われているかも知れない※7

得票数の伸びの斉一性を説明するモデルとして最も基礎的なものは、二項分布をそのまま用いたモデルである※8。このモデルの下では、$n$名の候補者がいる選挙において、時刻$t (0 \leq t \leq s)$における特定候補$i$の開票済み票数$x_{it}$は、その候補者の得票率$p_{is}$と開票済み票の総数$x_t = \sum_{i = 0}^{n} x_{it}$を母数とする二項分布に従う。$i = 0$は、無効票・白票などとしておこう。このモデルを措定したとき、任意の候補者の予想得票数$x_{it}$を実現値$X_{it}$と組にして散布図を作成すると、何も不正がなければ、両者の形状はおおよそ1:1で推移するはずである。他方で、実際の得票数(実現値である$X_{it}$同士を比較することには、それほど意味がない。意味があるのは、予測値との関係を考慮するときだけであろう。つまり、予測値の組が散らばるであろう範囲の内部に、実現値の組も常に収まるという傾向を確認するときである。多数の候補者が一つのポストを争う場合、ある候補者についてだけ、実際の得票数が予測値から外れる傾向が見られる場合、その候補者について、何らかの作為が進められたものと考えることは、無理筋ではない。もっとも、候補者が二名だけの場合や、候補者間で票の移し替えが行われた場合などは、それに応じたモデルを立てるのが筋である。

時刻$t$の時点では、候補$i$の最終得票率$p_{is}$と、その時点の全投票数$\sum_{i = 0}^{n} X_{it}$から、候補$i$の得票数$\hat{x_{it}}$を予測できる。この予測得票数$\hat{x_{it}}$を、候補$i$の実際の得票数$X_{it}$と比較して初めて、モデル化の威力が発揮される。国政選挙では、各候補が数十万人単位の票を獲得することが大半であろうから、二項分布を仮定したモデルは、条件が厳格過ぎて、実測値が予測ベースに乗らないことも多いかもしれない。それでもなお、この理想的なモデルに対して実現値が乖離しているとき、この理想からの乖離の程度、ならびにその変化を検討することは、現実の開票作業の適切さを検討する上で、意味のある分析となりうる※9

2009年イラン大統領選挙の開票経過は二項分布に乗らない

モデルから現実を説明しようと考えてみると、「当選候補の得票数$X_{1t}$によって、対立候補の得票数$X_{2t}$を説明する」という説明が不適切であると分かる。$X_{1t}$と$X_{2t}$という実現値は、因果関係の上では、両方とも結果の側に属する数値である。$X_{1t}$と$X_{2t}$は、両方とも、共通の原因である[開票済みの票]から生じた「子」である。二項分布を仮定したモデルを原因、実現値を結果と仮定して分析することは、後の検証が必要とはいえ、論理上はおかしいものではない。

そこで、サヒミ氏により提示された2009年イラン大統領選挙の開票経過を、Wikipedia英語版に掲載されていた最終得票数[6]から求められた二項分布※10により説明するというモデルを用意した。このモデルに開票経過が乗るようであれば、サヒミ氏の指摘するような不正は認めがたいことになる。計算の過程は、.Rファイルに示した(Googleドライブ、「w20161101_IranianElection2009.R」)。ただし、このRファイルの説明は未整備であり、表も整備していない。

表1の右から2・3列目は、各開票経過時点において、アフマディネジャド氏の得票数がこの中に収まると期待される範囲を示す。アフマディネジャド氏の得票数の伸びは、予期される範囲内に一度も収まっていない。つまり、何らかの理由で、最大得票者であるアフマディネジャド氏の得票数は、最終的な得票数を前提にすれば、優先的に開票されていたという結論を得ることができる。この理由の探求は、シルバー氏の指摘するとおり、現地の選挙制度に詳しい(少なくとも現地事情を知る)人物が行うべきであろう。


表1:2009年イラン総選挙におけるアフマディネジャド氏の得票数の伸びと信頼区間

tAhmadinejad
($X_{1t}$)
Moussavi
($X_{2t}$)
$Bi_{\alpha=0.025/6} (X_{1t}+X_{2t}, p_1)$ $Bi_{\alpha=1-(0.025/6)} (X_{1t}+X_{2t}, p_1)$ $\hat{X_{1t}}$
170279192955131648340964913626487386
2102304784628912965137596610789656227
3140116646575844133728771338429813378588
4159132567526117152257501523793615231844
5169743828124690163040771631668716310383
6183029248929232176899781770311317696546

どの程度の乖離があるかは、表1の列2(アフマディネジャド氏の得票数)と列6(二項分布の期待値)の比によって説明することができる。表2は、その比を計算したものである。徐々に比が小さくなっていることが分かり、最初の開票経過発表時点よりも前の時点において、開票が多くなされていたものと推測することができる。逆に、ムサビ氏の開票は、表3に示すように、総じて遅れており、アフマディネジャド氏の得票比と対照的な関係にある。


表2:アフマディネジャド氏の開票経過とモデルによる開票予測との比

tratio(c2 / c6)
11.083
21.059
31.047
41.045
51.041
61.034

表3:ムサビ氏の開票経過とモデルによる開票予測との比

tratio (Moussavi)
10.845
20.890
30.912
40.917
50.924
60.936

※1 『統計学入門』(東京大学教養学部統計学教室編, 東京大学出版会, 1991年)では、Xを内生変数、Yを外生変数とも表現しているが、構造方程式モデリングの花盛りである現在では、これらの語を単なる回帰分析に対して利用しない方が無難であろう。

※2 単回帰分析とは、説明変数Xと被説明変数Yがともに1種類ずつの回帰分析をいう。単回帰直線は、単回帰分析により得られる、誤差を伴う一次関数(直線)である。直線には、傾きと切片の2種類のパラメータがあるが、単回帰直線には、これに誤差項が付く。単回帰分析は、XとYを1組の属性として持つ、複数のサンプルからなるデータから求められる。たとえば、日本人成人男子の身長から体重を説明・予測するという場合が考えられる。

※3 決定係数$\eta^2$とは、回帰分析で設定したモデルの当てはまりの良さを示す指標であり、次式で求められる。$Y_i$は$i$番目のデータの被説明変数の値、$\bar{Y}$は被説明変数の(標本)平均値、$\hat{Y}$は回帰直線から求められた被説明変数の推定値(回帰値)である。

\begin{equation*}\eta^2 \equiv 1-\dfrac{\sum {\hat{e}_i}^2}{\sum(Y_i - \bar{Y})^2}=\dfrac{\sum(\hat{Y}_i - \bar{Y})^2}{\sum(Y_i - \bar{Y})^2}\end{equation*}

なお、最後の等号は、次の関係に基づく。

\begin{equation*}\sum(Y_i-\bar{Y})^2=\sum(\hat{Y}-\bar{Y})^2+\sum{e_i}^2\end{equation*}

$\eta^2$は、0から1までの間を取り、$X_i$が$Y_i$を完全に説明しているとき、1となり、完全に無関係である場合には、0となる。

※4 アブダクションは、「後件肯定の演繹法と呼ばれる非妥当な推論形式 」[5]である。本件について、サヒミ氏とシルバー氏の推論を定式化すると、次のとおりとなる。
$A$: 斉一的な得票数の伸びを得た
$P \leftarrow A$: 不正があると、斉一的な得票数の伸びを得る
$P$: 不正がある
$A$: 斉一的な得票数の伸びを得た
$\lnot P \leftarrow A$: 不正がないと、斉一的な得票数の伸びを得る
$\lnot P$: 不正がない

※5 理想的な条件とは、①地域ごとの候補者の得票率が一定で、かつ、投票箱の中身が良くかき混ぜられている場合、または、②わが国におけるように、集計作業に従事する人物が(たとえば500票ずつに)集計された票の束をランダムに受け取り全選挙区にわたる集計システムに登録している場合である。

※6 今年7月の三宅洋平氏の得票の伸びについては、この可能性が認められた。もちろん、ほかの可能性は、この原因と並存しうる。

※7 犯罪企図者になったつもりで選挙を検討すれば、不正が敢行されようとすることがないという意見が誤りであることは、自明である。不正を予防する手続きが執られていれば、犯罪企図者が犯行を諦めるという構図はあろう。

※8 もっぱら二項分布に頼るのは、オッカムの剃刀(モデルは、できるだけ単純な方が良い)を考慮している。ただ、注意すべきことは、ここで示した二項分布というモデルを仮設することが適切か否かは、適正な反論によってのみ検証され得ることである。なお、私がこれしか使えないのでは?という疑いは、公然の秘密かもしれない。

※9 その例は、今年の宜野湾市長の得票数の伸びに示されるとおりである(2016年1月28日)。真に理想的な開票が行われているとすれば、現実の得票数の伸びは、モデルから予測される信頼区間の範囲内に収まり続けることとなる。

※10 なお、得票経過は、二名の候補についてのみ記されていることから、二名の最終得票数だけから元に得票率を求めている。このため、表1および表2の上側・下側$0.025/6$パーセント点は、本来よりも幅が小さなものとなる。

[1] トランプ氏、男性から根強い支持  :日本経済新聞
(ワシントン=川合智之、2016年10月25日朝刊東京14版7面国際)
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO08748740V21C16A0FF8000/

米大統領選は〔...略...、男性票に〕女性票を加えれば〔トランプ氏が〕劣勢になり、ここにも米国社会の分断が表れている。

予測をまとめたのは選挙予想の的中率の高さで有名なネイト・シルバー氏。〔...略..〕

[2] ワシントン=吉野直也, 「2016米大統領選/投票まで2週間/クリントン氏 リード拡大/一部世論調査で12ポイント差/討論会「3連勝」/女性蔑視」, 『日本経済新聞』, 2016年10月25日朝刊東京14版7面国際.

[3] Statistical Report Purporting to Show Rigged Iranian Election Is Flawed | FiveThirtyEight
(Nate Silver、2009年06月13日20:13)
http://53eig.ht/1peMpEp

[4] Faulty Election Data – tehranbureau
(MUHAMMAD SAHIMI、2009年06月13日)
https://web.archive.org/web/20090615154847/http://tehranbureau.com/2009/06/13/faulty-election-data/

説明変数従属変数
figuresexplanatory variablesdependent variables
Sahimi M., 2009 Jun 13AhmadinejadMoussavi
Silver N., 2009 Jun 13ObamaMcCain

[5] untitled - 115-130.pdf
赤川元昭, (2011). 「アブダクションの論理」『流通科学大学論集―流通・経営編―』24(1),115-130.
http://www.umds.ac.jp/kiyou/r/R24-1/115-130.pdf

[6] Iranian presidential election, 2009 - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Iranian_presidential_election,_2009




おまけ:共和党有力者の賛否

下記の調査報道で、デイヴィッド・A・グラハム氏は、共和党の有力者158名に対する調査を行い、下記のような意向を得ている[7](2016年10月20日閲覧)。「反対」と「やや反対」を合計した値を調査対象者数で割った値をトランプ氏への反対率とみなすと、約43%となる。そこで、この値を用いて、158名のうちの50名に聞いてみましたという形で、10万回のシミュレーションを『R』によって実施した。作業の結果、次の図を得た。どう足掻いても、反対率6割はごく少数の場合にしか表れないところがポイントである(2016年7月25日)。

A Simulation on Proportions against  Mr. Donald Trump among 50 Famous Republicans (n = 100000)
A Simulation on Proportions against  Mr. Donald Trump among 50 Famous Republicans (n = 100000)

作業は、.Rファイルにまとめた(Googleドライブ、「w20161101_GrahamDA_20161027_RepublicansAgainstTrump_TheAtlantic.R」)。


[7] Which Republicans Are Against Donald Trump? A Cheat Sheet - The Atlantic
(David A. Graham、2016年10月27日、閲覧20日)
http://www.theatlantic.com/politics/archive/2016/10/where-republicans-stand-on-donald-trump-a-cheat-sheet/481449/

YeaSoft YeaSoft NayNayAbstainUndecided
賛成やや賛成やや反対反対棄権する未定
713563511



2017年10月27日訂正

pタグにより文章のレイアウトを変更し、表現を改めた。表現の変更箇所は、淡赤色で示した。




2021(令和3)年7月28日修正

グーグル・ドライブのファイルにセキュリティアップデートとやらが適用され、リンクにアクセス不能となる可能性があるとの通知を受け、当該リンクを修正した。内容は変更していない。

2016年10月24日月曜日

続・不正選挙に係る落ち穂拾い

調査設計の重要性と選択バイアス

サンプリングの不味さから生じる選択バイアスは、予測を大きく外すことになる主要な原因である。選挙予測に係る選択バイアスの有名な事例は、リテラリー・ダイジェスト社による、1936年アメリカ大統領選挙の予測が挙げられる。この失敗とは対照的に、ルーズヴェルト大統領の当選予測により、ギャラップ社は躍進した※1(と日本語では見做されている)。この教訓が世に知られているはずの今でも、多くの選挙予測(めいたもの)が選択バイアスを軽視していることは、前稿(2016年9月30日)で触れたとおりである。

 調査に先立ち問題の構造化が大切であるという理解は、決定的に重要である。別記事で紹介した(2016年10月14日)林知己夫氏の『調査の科学 社会調査の考え方と方法』(1984年)や『計量行動学序説』(1993年)、丹後俊郎氏の『統計学のセンス』(1998年)は、この作業の大切さを指摘している。イアン・ハッキング氏は、統計学的手法を利用する場面の全体を、「モデリング」とこれに引き続く「データ分析」に二分して、前者の重要性を指摘している。ハッキング氏の理解は、林知己夫氏による非標本誤差の説明を加味することにより
  1. モデリングの段階では、非標本誤差をデータ分析に乗る状態に留めること
  2. 後のデータ分析の過程では、非標本誤差は前提条件となるので、これをふまえた考察を行うこと
と理解できるようになる※2

 非標本誤差の存在は、統計学を多少は理解しつつも、主題とする専門分野に詳しい研究者の必要性を明らかにする。同時に、統計学者もまた、それらの専門分野に存在するはずの非標本誤差を良く理解して、専門的な見地から非統計学者の統計学の誤用を気兼ねなく検討すべきである。つまり、自由に物を言える環境が必要である。このとき、非統計学者が統計学的手法を誤るにしても、古典的な方法を使い続けているなどの統計学上の誤りを犯す方が、非標本誤差を無視することに比べれば、統計学者から見れば、許容されるべき誤りかも知れない。その反面、非標本誤差の見落としは、その専門領域に即してとらえなければならない分※3、厄介であろう。

選挙関連調査に係る非標本誤差と選挙報道の責任

選挙の事前に行われる情勢調査は、読者の投票行動を通じて、選挙結果にも影響するため、その結果を分析するにあたっては、この影響まで見据えた慎重な表現が必要とされる。本番前の選挙予測に対しては、多くの現象が発見・命名されており、選挙報道に対する批判にも、それら研究由来の概念が利用されている。この成果を利用すれば、悪事すら企図できよう。例えば、勝ちそうな候補に便乗するというバンドワゴン効果は、勝たせたい候補が多く含まれるように調査を行うことにより、勝たせたい候補に有利な結果を示すという形で利用できる(2016年9月30日)。もちろん、調査方法まで確認する慎重な読者ならば、調査主体による誤魔化しを一目で見抜くことができるが、ここまで調べるマスメディアの読者は、それほど多くはない。これは、選択バイアス、つまり、調査設計に不備があるために生じた系統誤差(非標本誤差の一種)を悪用した方法である。

 出口調査は、当該の選挙に対して何らかの動きを与える訳ではないが、それでも、注意深く分析される必要がある。選挙予測と同様、調査方法をふまえて解釈されない限り、次回や将来に向けての禍根を残す結論を導く虞がある(2016年7月11日)ためである。また、ある政党の支持候補がその政党の支持者によって指示されなかったと報じることは、その政党内部に対立をもたらし得る。2016年8月1日の読売新聞の出口調査は、共産党や公明党といった「熱心な」政党の支持者までもが小池氏に投票したことを伝えたが、この報道は、「犯人探し」をこれらの組織票を抱える政党に対してけしかけるものである。これらの理由から、出口調査もまた、非標本誤差やその他の影響について、注意深い検討を加えられる必要がある。

 そもそも、マスメディアの読者は、当該分野を十分に知る多数のプロフェッショナルによって、的確に要約された情報を期待して、マスメディア情報を購買していると考えられる。これに対して、非標本誤差を考慮せずにマスメディアが選挙報道を垂れ流すことは、ほとんど企業犯罪・権力犯罪である。例としては、CNNの杜撰な調査を日本語マスコミが出典を省略して引用したことが挙げられる(2016年9月30日)。読者は、原典に当たらなければ、クリントン氏が大優勢と誤認したであろう。

 マスコミが非標本誤差を悪用して生じさせた誤解を詳しく分析することは、統計学を利用する個別の研究分野である犯罪学の知見に、一つの事例を積み上げることになろう。新古典派の犯罪学の根幹をなす日常行動理論(routine activity theory)から見ると、犯罪企図者であるマスメディアによる虚報や誤報は、潜在的な被害の対象となる読者・視聴者のリテラシーや、そのリテラシーを左右する学識経験者等により、軽減可能である。学識経験者等、マスコミに関わりの薄い人物の解説は、日常行動理論にいう「有能な保護者(capable guardians)」となり得る。この最後の要因は、読者からの信頼を必要とするものであり、これらの人物による介入は、総じて、新聞やテレビという虚報を流す当のメディアには掲載されないか、されたとしても陰謀論として根拠なしにラベルを張られるという構造が認められる。このため、マスコミによる誤報の被害の予防には、被害者たり得る読者・視聴者のリテラシーが第一に重要となる。日常行動理論の構図こそ当てはまるものの、その予防・抑止は、わが国のように、マスコミが寡占状態にある中では、なかなか難しいというのが実情である。

選挙結果そのものの公正性への疑問


 選挙結果そのものに対しても、選挙開票・読取機器を通じた不正の虞を見出すことが可能である。本点は、犯罪の予防という観点から見ると、一民間企業が外部の検証を入れずに旧来の技術を利用し続けており、ほかの方法による副次的な検証も見られないことから、十分に疑惑を持たれる状態にある。また、立会人の映像撮影が不許可であったり、開票所の一般人の立会い場所からの映像が結果全体と明らかに異なる傾向を示すという実例もある。複数の調査と投票結果との不整合は、本ブログで示してきたとおりである。

 公職選挙は、効率性ではなく、公正性を追求すべき公務である。投票箱の南京錠の交換費や人件費を含め、公職選挙に係る資機材に対しては、より正当な費用が支弁されるべきである。また、選挙開票・読取機器を抜き打ち検査する第三者機関が存在して然るべきであるし、開票作業に係るトランザクションは、すべて後世の検証に耐えられるように整備されていて当然である。しかし、これらの規範的観点に基づく技術上の指摘は、さしたる理由によらずに陰謀論と誹謗されることさえある。

 不正選挙という概念は、2016年アメリカ大統領選においても大きな話題となっているが、この話題に対するとらえ方は様々である。先に紹介した選挙予測の老舗となったギャラップ社は、近年の選挙に対する18歳以上のアメリカ居住者に対する電話調査を実施しており、およそ6割が開票結果を信頼していると回答したことを報告している[1]。選挙の内実はどうあれ、脆弱性がある限り犯罪の虞があると考えることは、犯罪予防政策の基本である。それゆえ、この脆弱性が悪用される可能性を追求し、既存の選挙に対してもその危険性をゼロではないと認めることは、民主主義の根幹を保護するために必要な作業である。

 ところで、本記事の執筆にあたり、賛否両論ある話題について資料を収集し提示する『ProCon.org』において、電子投票機器に対する賛否がまとめられている[2]ことに、遅まきながら気が付いた。相当な人数の論者の論点がまとめられている。私も述べたが「プロプライエタリな機器を信頼することはナンセンス」という話は、(私自身は新規性を主張していなかったとはいえ)Nathaniel Polish博士の言(『Forbes』2012年11月6日号)として紹介されている※4。なお、同サイトにおいて、私の意見は、星一つで評価されることになると申し添えておく。

 実は、本ブログでは、『WikiLeaks』ならびにそこに示される流出書類は、扱いきれないものと考え、このサイトにはメタにしか言及してこなかった。公開の方法・時期に、手続き上のリソースや労力を超える程度の作為が認められると判断したためである。分かりやすい最近の事例でいえば、最初がパナマで、次は英連邦の一員であるバハマというところに、あまり感心できないものを感じてきた。現在のシリアにおける戦争やアメリカにおける政争はやるかやられるかという状態にあり、戦争屋が相当のルール違反をしていることも周知の事実である。ヒラリー・クリントン氏の陣営に対抗する側が合目的的に振る舞うことは、許容されて然るべきであろう。ただ、このとき、『WikiLeaks』に公開された米国公電を大々的に利用して、日本人である私が何らかの知識を日本語で産出することは、善と呼べることであろうか、という問題意識からどうしても脱却できないのである。

 『thegatewaypundit.com』というサイトに掲載された記事[4]は、『WikiLeaks』に掲載されていた元の公電[5]を都合良く解釈するものであり、誤報と呼べるレベルのものであるが、この一方で、公電は良く整理されていて、この件についての知識の宝庫と呼べる。しかし、この電子投票機器に係る総合的な知識は、元々、人類の共有財産と呼べるものであろうか。無法な戦争屋が相手といえども、この知識の利用は、2031年まで待つべきではなかったか、と思えて仕方がないのである。他面、JFK暗殺の事実が通常のルールを超えて2030年にしか開示されないことに、私は大いに疑義を呈する。オバマ大統領がこの経緯や9.11に係る経緯を全面的に開示するのであれば、最後の大仕事となろう。もし実現されるとすれば、賛辞を送りたい。とにかく、『WikiLeaks』については、当面、メタにしか触れないようにしたいと考えている。


※1 この事例自体については、別記事において述べた悪意ある構図(2016年08月19日)とまでは言えないが、留意すべき事項が存在する。

※2 過去に、この部分に係る批評で、ハッキング氏の分類に対しての異議申立てを読んだ記憶がある。『偶然を飼いならす』以後のハッキング氏の訳書についての書評であると思うが、それ以上の材料が残っていない。

※3 「犯罪の件数」を論じる際に最も注意すべき非標本誤差は、犯罪認知件数が警察の認知した件数を指し、暗数を含まないこと、というものである。この理解を無視した研究は、いくら上等な手法を用いていても、大目に見ることができないものである。

※4 同サイトにおいて利用されている理論的専門性ランキング(Theoretical Expertise Rankings、星1~5つによる評価)[3]は、8割合っていれば良いという観点で作成されたシステムであるとのことだが、単に論者をいくつかのカテゴリに分類すれば良かったのではないかとも考える。(カテゴライズする利便性は認められても、序数化する必然性がない。)電子投票機器に対する同一の非検証性は、Voters UniteやVerified Voting Foundationといった団体(advocates)によっても指摘されているが、『ProCon.org』は、これらの団体に星一つを付している。同サイトの運営法人もNPOである以上、星一つなのではという疑問もあるが、それは措こう。有用なサイトであることは間違いなさそうであるためである。

 専門性が犠牲にされても私益が優先される社会においては、専門性は意見の評価に役に立たない。また、意見の部分的な引用は、コンテクスト全体の見通しを悪くする(これは上掲サイトに評価方法の瑕疵として取り上げられていた)。発言状況は、多少補足されているが、各人の専門分野・利害関係が併せて提示されていない。提示された意見を評価するには、同サイトを入口として、本人の言動をもう少し把握する必要があると言えよう。


[1] About Six in 10 Confident in Accuracy of U.S. Vote Count | Gallup
(Justin McCarthy、2016年9月9日)
(http://www.gallup.com/poll/195371/six-confident-accuracy-vote-count.aspx)

[2] Do Electronic Voting Machines Improve the Voting Process? - Voting Machines - ProCon.org
(2013年2月8日11:24 PST)

http://votingmachines.procon.org/view.answers.php?questionID=1290

[3] Theoretical Expertise - Voting Machines - ProCon.org
http://votingmachines.procon.org/credibility-ranking.php


[4] Wikileaks: Soros-Linked Voting Machines Now Used in 16 States Rigged 2004 Venezuela Elections
(Jim Hoft、2016年10月22日08:43)
http://www.thegatewaypundit.com/2016/10/wikileaks-soros-linked-voting-machines-now-used-16-states-rigged-2004-venezuela-elections/

[5] Cable: 06CARACAS2063_a
(2006年07月10日)
https://wikileaks.org/plusd/cables/06CARACAS2063_a.html

以下、リンクはいずれもNDL-OPACへのもの。
 林知己夫, (1984). 『調査の科学 社会調査の考え方と方法』(講談社ブルーバックス), 東京:講談社.
 林知己夫, (1993). 『行動計量学序説』(行動計量学シリーズ1), 東京:朝倉書店.
 丹後俊郎, (1998).『統計学のセンス デザインする視点・データを見る目』, 東京:朝倉書店.

イアン・ハッキング氏の論文は、次のもの。
Haking, I., (1984). Historical Models for Justice: What is Probably the Best Jury System?, Epistemologia VII,  pp.191-212.

2016年10月21日金曜日

(メモ)実証主義とその批判、近年の動向にかかる超大雑把な私見

#本稿は、2013年2月4日の時点で書き殴ったメモに手を加えたものであるが、前稿(リンク)の前振りとして利用可能であるので公開した。追加した段落は、を頭に付す。本論は、間違いとなる危険を承知で単純化した議論であるから、学術上、これを転用しようと思う者は各自の用語を各自で確認すべきである。

古典的な意味での実証主義(positivism)は、自然科学と同様、社会の事象を客観的に表現可能であるとする考え方をいう。ここでの客観性とは、現時点の知識に基づくと、同一の観察対象を同一の方法で取り扱えば誰でも同一の結果を得られること(再現可能性、reproducibility)、観察結果から得た結論(法則、lawや理論、theory)を別の観察にも適用できること(一般化可能性、generalizability)の二種からなる。社会の事象を観察する場合には厳密な再現可能性は望めないから、ある程度近い時期に、別の対象を別の観察者が同じ方法で観察しても、同一の結果を得ることができる複製可能性(replicability)が重視されることになろう。

複製可能性も再現可能性と訳されることがあるなど、両者の概念は混同されているようでもあるが、自然科学研究において両概念を区別することは有用である。その例として、近年のSTAP細胞の検証作業を挙げることができる。他大学における異なる試料(細胞)による複製可能性の検証作業を通じて、再現可能性に対しても疑義が呈されるに至ったのである。社会科学研究では、これらの概念に係る統一的な見解が見られなかったようであるが[1]、研究者によるデータの公開は、両概念を弁別し、一般化可能性をより精密に検討する道を拓くものとなる。

 初期の実証主義は、「社会学」の語を創始したコントに端的に見られる考え方であった。その後、社会学における統計の扱い方を確立したデュルケムは、たとえば、一国内において統計を取った場合に表れる犯罪数などを、「その社会に実在する物であるかのように扱う」ことを強く主張した(『社会学的方法の規準』)。言い換えると、ベルギーという国の自殺者数とフランスという国の自殺者数とを、それぞれの社会(という実在するとみなせる物体)の特徴(を表す、実在するとみなせる物体)とみなすべきだと主張した(『自殺論』)。21世紀時点の知識から回顧すると、物体とみなすということは、事象を数学のツール群で扱えるように、分析者が物体へと読み替えていることを意味する。数学を初めとする自然科学の用語だけでいうと「定義している」、社会科学や心理学でいうと「操作的定義を加えている」。

 デュルケムが『社会学的方法の規準』を著した当時は、犯罪という行為の原因を、体型や身体に表れる異常性といった、誰にでも観察しやすい事象に求める風潮が強かった(イタリア・ロンブローゾ学派などと呼ばれる)が、他方で、フロイトに代表されるように、心理という、目に見えないけれども、観察者自身も有するがゆえに知覚されやすい存在に求める向きもあった。(もっとも、フロイトは、心理の中でも潜在的な部分の重要性に着目した。)いずれの見方も、犯罪者個人から分離されない属性のみにより、犯罪が行われると理解していた点では共通する。これに対して、デュルケムの理論(『社会分業論』)は、行為が社会そのものによる反作用であると理解する点において、斬新であったといえる。

 これらの比較的シンプルな見方に対して、20世紀初頭以来の社会学では、ヴェーバーの開始した(と見なされる)「実証主義批判」が起こる。人は「規範」「価値」「シンボル」といった道具を用いて社会を見ているのであり、自然科学のように正確な観察など、そもそも無理なものであると批判したのである。各人に内蔵されている規範や価値が異なるので、観察対象として読み込まれるシンボルも異なる、よって、計測者・観察者によって大きく測定結果が異なると考えたのである。この批判により、古典的な実証主義は、修正を迫られることになった。社会を観察により変化し得ない対象と考えるという意味での客観性は、存在しないものという理解が共有されるに至ったのである。(#量子力学の影響はあるはずで、誰かが言及しているはずであるが、行き当たっていない。)

 1950年代以降のアメリカ社会学では、しばらくの間、この流れもあり、小規模の社会集団に対する当てはまりの良い説明を積み上げるという動き(マートンによる「中範囲の理論」middle range theory)が進んだ。結果、初期の実証主義のような大上段から振りかぶった考え方は、誇大理論(grand theory)として退けられ、一時期、見られなくなった。誇大理論は、一般(的)理論(general theory)と対比される存在であり、個人に特有とみなせる理論は、ときに「物語」として表現・批判されることもある。この点、本稿も一種の物語とみなされるかも知れない。

1970年代までに、それまでの心理計測手法、教育効果の測定法や実験計画法研究の蓄積から、観察研究をより客観的に行うための概念が構築される。そこで示された「準実験計画」は、教育効果の測定法に直接の起源を持つ方法で、実験計画の行えない対象に対して分析するための枠組を示すものである。1990年代後半には、準実験計画法の考え方が犯罪学研究にも導入され、「根拠に基づく(evidence-based)」がバズワードとなる。「根拠に基づく」という用語で重要なのは、一定の基準を設けた研究を系統的な文献検索を通じて選定すること、その規準が実験計画法にいう無作為割付によるものであること、の二点である。犯罪学におけるこの流行は、医・薬学におけるコクラン共同計画を範に取ったキャンベル共同計画へと結実した。

 ところが近年、シミュレーション技術に係る分析規模と作業速度が指数関数的に進展した結果、社会が複雑系であるにしても、初期の実証主義のように、統計力学における伝統的な手法を準用して社会の諸機能を説明できるのではなかろうか、という期待が高まり、socio-physics(社会物理学)やsocio-dynamics(社会動態学)のような学問分野が興るに至った。初期の意味での実証主義を貫徹可能かも知れないという見込みは、シミュレーションの結果が複数の典型的な状態に落ち着きがちであることに根拠を置く。その理路をシミュレーション方法に基づいて説明できれば、初期状態から典型的な終局状態それぞれへの遷移を、原因から結果に至る確率的なモデルとして説明(アブダクション、abduction)可能であると考えることができる。複雑系研究は、社会という分析対象についても、物理学風の「仮説」に基づいて物理学風の「法則」を主張する道を拓いたのである。


[1] REPRODUCIBILITY, REPLICABILITY, AND GENERALIZATION IN THE SOCIAL, BEHAVIORAL, AND ECONOMIC SCIENCES - Bollen_Report_on_Replicability_SubcommitteeMay_2015.pdf
(K. Bollen, 2015年5月13日)
https://www.nsf.gov/sbe/SBE_Spring_2015_AC_Meeting_Presentations/Bollen_Report_on_Replicability_SubcommitteeMay_2015.pdf

2016年10月14日金曜日

ユニバース(調査対象集団)と母集団の違いと、それらの使いさばきの有用性を検討する

 ある記事(リンク)で統計学にいう「ユニバース」と「母集団」とを区別して記述したが、本稿は、その点を補足するために作成したものである。

 社会学・心理学における調査法の大家であった林知己夫氏は、1993年の『行動計量学序説』の第二章「調査対象集団・母集団・標本の認識の重要性」(pp.22-25)において、ユニバースと母集団との関係を、次のように示している。かなり長くなるが、必要なだけ引用しておく。原典では、数式は行中に収められているが、ブログのレイアウトの関係上、独立させて表記した。なお、第1章で、林氏は、フォン・ミーゼスによる確率論を紹介している。
2.1 確率と統計の結びつきという観点から
 〔...略...〕今日の推論においては、まず調査対象集団(ユニバース、universe)を明確にし、これに抽出確率を付与し抽出方法を規定して母集団(ポピュレーション、population)を構成し、これから標本(サンプル、sample)を抽出し、こうした標本のデータから母集団への推定(検定)を行う。つまり、これがユニバースへの情報となるようにする考え方である。〔...略...〕しかし、これは全体→個への問題を含んでいると見ることもできる。確率に基づく理論が、個にどういう意味をもつかである。つまり、行為決定――しかも有限回の、さらにただ1回きりの――に対して確率的情報がいかなる意味をもつかの問題である。〔...略...〕これは「無限を基礎においた情報」が「有限を基礎におく行為」にいかに寄与するかの問題ともいうことができる。これは、科学の根源にも関係するものであろう。
 〔...略...〕

2.2 調査対象集団・母集団・標本

1) 調査対象集団
 〔...略...〕調査対象集団(ユニバース)には、即物的なものと論理的なものとがある。即物的なものは、〔...略...〕たとえば、平成5年10月1日日本国土に常住する日本国籍を有するもの、〔...略...〕などはっきりとらえられるものである。一般に集団の要素(人とか企業とか)の数、つまり集団の大きさというのであるが、これは有限である。〔...略...〕
 一方論理的な場合は、確率論のところで述べたように、即物的にそこにあるものではなく、ある条件の下に試行すれば得られるような事象――たとえばサイコロを振る、コイン振りをするなどのこと――、ある条件の下で実験を行うような場合、その得られるであろう一つ一つのデータ――標識によってその結果が表現・記述されなければならない――の集まりというような場合がある。集団の大きさは有限とみなすより、この場合は可能性として無限と見た方がよいであろう。
 〔...略...〕実験を繰り返す場合を考えよう。$n$回実験し、その結果を記述したとすれば、これだけしかない。しかしこの分析結果は、この$n$回にとどまるものではなく、同じ条件の下に繰り返されるであろうところの無限回の実験結果たるユニバースに対するものでなくてはならない。得られたデータは、ユニバースを念頭において初めて科学としての意味をもつものである。

2) 母集団
 いま、大きさ$N$(有限でも無限とみなせる場合でもよい)の調査対象集団(ユニバース)の各要素に抽出確率\begin{equation*}P_1, P_2, \cdots,P_N; \sum_{i=1}^{N}P_i = 1\end{equation*}を与え、独立にあるいはある従属性をもって抽出を行うとしよう。このように抽出確率を与え、抽出の仕方を定めるとき、ユニバースは母集団といわれるものになる。ユニバースは一つでも、推論の目的に応じ、いくつも母集団を作成することができる。最も目的に適合した母集団が採用されればよい。統計的推論は母集団に対してなされるのであるから、前述のように、母集団に対する情報がユニバースに対して有効適切な情報となるように母集団を構成しなくてはならないのである。

3) 標本
 一般に、抽出確率はすべて等しく\begin{equation*}P_i = \dfrac{1}{N} (i = 1, 2, \cdots, N),  \end{equation*}抽出の仕方は独立とされることが多い。〔...略...〕このように母集団から指示された抽出確率・抽出方法で抜き出されるものが標本である。〔...略...〕製品の破壊検査による品質保証をした上での出荷などを考える場合は、〔...略...〕同じ条件の下で繰り返されたら「云々になる」という推定が行えて、初めて、科学としての価値をもつわけである。このように考えてくると、母集団→標本抽出→推論という考え方の重要性が理解されよう。

4) 母集団構成とランダマイゼーション
 数理統計学のきわめて大きな部分が、推定論、統計的検定論で占められている。このとき母集団とは何か、ユニバースとは何か、が熟考されねばならないのにもかかわらず、ほとんどそれに言及がない。行動計量学においては、こうした理論を用いてデータを解析するとすれば、まずここから反省してかからねばならない。我々はユニバースに対する知識が大事なのであるが、これを得るために母集団を介入させるわけである。この母集団構成が我々の目的に対して妥当なものかどうかを深く考えることである。
 なお、数理統計学における母集団構成でもう一つ注意すべきは、論理的母集団の一つであるランダマイゼーションに依拠する母集団構成である。いま一つのサンプルを得ているとしよう。これが、あるランダマイゼーションによる結果の一つと見られるかどうかを検討することになる。どのようなフィールドでランダマイゼーションを考えるかが重大な意味をもつのである。このランダマイゼーションが我々のデータ分析に対して妥当な意味をもつかを考えることが不可欠のことである。ランダマイゼーションは、ユニバース(この場合論理的に考えられるものである)の要素に対する等確率母集団構成である。ここの意識の明確化はきわめてデータ解析に対して重要な意味をもつのである。
ここで、標識は、以下のように説明されている。
〔...略...〕標識というのは、各試行結果を特色づけるところのレッテル(我々の欲する現象記述に適応して定められる)であり、試行結果を一義的に、明確に表現するものでなくてはならない。これは、ある目印、または一つの実数、あるいは$k$この実数の組、ないしは$k$次元空間の一点として表現される。すべての標識から作られる集合を標識集合と名づけることにする。コイン振りの例でいえば、$1, 0$はそれぞれ標識であり、$(1, 0)$なるものは標識集合である。〔p.14〕

 林氏の示した内容は、『統計データ科学事典』の鈴木義一郎氏による「31. 標本調査法:標本調査の基本的な考え方」(pp.662-663)に継承されている。ただし、鈴木氏の解説には、文中の「調査対象集団」の語に「ユニバース(universe)」の語が併記されていないため、「ユニバース」の語だけでは索引を拾えない。この点には、おそらく含みがある。というのも、わが国のみならず英語圏でも「ユニバース」と「母集団」の語は、林氏の著作に示された通りに使い分けられていないことが認められるためである。

 適当さを承知でより広義に言い換えてみると、(林知己夫氏流の)「ユニバース」とは「ある研究分野における興味の対象」であり、「母集団」とは「その現象を説明するため、定量的な分析方法にかけることを前提に作り出されたモデル」である。モデル形成(モデリング)という知的活動においては、「ユニバース」は「現象」に、「母集団」は「モデル」に対比できる。現象のモデル化は、科学的な活動の屋台骨である。多数の現象を単純なモデルに置き換えられるものと仮定し、そのモデルへの置換えが成功することを示せば、少数の法則だけでもより多くの現象を説明できるようになる。

 なお、モデリングという作業は、統計学に限定されず、多くの知的生産活動において実行されている※1。ここに見た林氏の主張は「行動計量学」の名において行われているが、統計学やデータ科学の方法を知り、応用することは、どの研究分野の研究者にも有用である。研究事例の数が少ない社会科学分野についても、統計学における考え方が有用であることを主張したのが、キング・コヘイン・ヴァーバの三氏による『社会科学のリサーチ・デザイン 定性的研究における科学的推論』である。ただし、同書は、人工知能における推論の研究から1990年代に発展した2000年代の因果推論研究を反映していない。

 林氏の定義するユニバースは、「統計モデルの作成」という行為をモデル化した「メタモデル」を想定したときに初めて、その存在を明確に定義する必要が出てくる概念である。メタモデルの「メタ」は、抽象化の度合いを一段上げたときの接頭詞である。モデリングという作業は、モデル化の対象そのものになりうる。モデリングは、理系のほぼすべての分野で行われている作業であると言って良いが、その巧拙は、分野や個人により、相当程度が異なるであろう。

 メタモデルという語を意識することは、モデルの背後にある現象が理論に基づき十分に説明されており、かつ、モデルが現象を非常に良く再現するまでに発達している、いわば成熟段階にある研究分野においては、それほど有用さを認められる心構えではなかろう。しかし、データの取扱いが未熟な研究分野においては、データ分析を行う研究を、データ駆動型(帰納)・理論駆動型(演繹)といったデータ分析研究の段階に基づき分類し、そこで利用されているデータの性質を吟味することは、それなりに有用である。というのも、研究分野の成立初期には、母集団が調査対象集団と整合しない研究が多く見られるであろうところ、この不整合性を周りの研究者集団までもが理解できないほどデータ分析に暗い、という場合も多々あるために、その批判を行う側が批判される側に通じる概念を根本から説明しなければならないことがあるためである。たとえば、エミール・デュルケムの『自殺論』は、間違いなく、計量犯罪学にとっても金字塔的な著作であるが、当時の統計学の限界に基づく限界も見受けられる。

 『自殺論』に見られる統計モデリング上の不備を説明する上で、メタモデルを念頭に置くことは有用である。たとえば、モルセッリの観察を受けてなされた気候・季節・時間帯と地域別の自殺率との関係を踏襲すること(第3章、和書ではpp.101-125.)は、現時点においてさえ当然のように行われる手続であるが、この方法には、一定の仮定が潜む。『自殺論』において、読者は、本来の調査対象集団を、人間のうちに存在する自殺傾向であると想定するであろう。デュルケム氏は、個人に先行して存在する(と彼が仮定する)社会の影響を重視するから、国による区別自体を重視していたであろう。しかしそれでも、現時点の科学から見れば、デュルケム氏が想定すべきであった本来の母集団は個人であり、国による区別は個人由来するはずである。より厳密には、各個人の性別や年齢や家族構成に起因するパーソナリティと、それに起因する社会からの影響の受けやすさ(vulnerability)は、いずれも個人の属性であったはずである。ところが、デュルケム氏の考察は、もっぱら、各国(地域)の自殺率に依拠している。自殺率は、私なりの言葉でデュルケム氏の考察を言い換えると、「集団のうちに表れる代表的な傾向」を示すものであり、社会集団を画定して初めて計算可能となる人工物(artifact)であり、指標(index)である。自殺者は、手作業で2万6千の原票から再集計された(和書pp.15-16)ようであるが、この作業を現時点の知識体系からみると、労力の割に、もったいない比較方法となる。現在において、同様の比較を行うのであれば、何らかの形のネステッド・モデル(=集団に個人が帰属することを前提とするモデル。)など、非集計モデルとしての含みを持たせたモデルを用いるのが適切ということになる※2。私なら、当時でも可能な記述統計的な表現方法として、地方庁舎などの緯度や平均気温を元に、地方を並び替えた後、自殺者数と地域住民数を相対累積度数分布のグラフで表したであろう。数表であれば、自殺者数と住民数の双方を記載していたであろう(このように、後世の使い勝手を考慮した再現可能性を、研究上のrecyclabilityと勝手に呼んでみたい)。デュルケム氏の方法論が1980年代までの間に参照されることには、まったく問題がないが、21世紀に入っても『自殺論』のデータ分析方法の限界がなかなか気付かれていないことは、問題のある状態である。データ分析に係る研究分野の比較的近年の(、習得の困難な)成果を踏まえないからである。なお、『自殺論』における統計概念は、イアン・ハッキング氏の『偶然を飼いならす』で相当の部分が説明されている※3。先に私が示した自殺率の表す内実は、ハッキング氏の見解を私なりにパラフレーズしたものでもある。さらに、和書の訳者である宮島喬氏の解説には、次のように、モデリングを意識した批判が明示されている。
 その社会学的論証の仕方にはたしかにいろいろと問題がある。たとえば自殺の社会的要因による説明を定式化するとき、また非社会的要因による説明を棄却するとき、かれは自殺そのものを問題にしていたのか、それとも自殺の社会率の変動要因を問題にしていたのか。また、二系列の統計的データ(たとえば県別の自殺率と家族の密度)をもとに論証にうつるさいに用いられる共変法は、方法的にはたして今日的な検討にえうるのか。〔p.556〕
宮島氏の批判は、当時の社会学から見て同時代的な水準の指摘であり、モデリングの拙さをピンポイントで射貫くものである。また、モデリングという観点から言えば、アンソニー・ギデンズ氏による、未遂者という暗数を考慮していないという批判を紹介している〔p.557〕。選択バイアス(selection bias)により「抗議、補償、贖罪、自己処罰」〔p.557〕や注意喚起※4という自殺未遂に特有の事情が欠落しているというギデンズ氏の指摘に対する宮島氏の理解は、現在でも否定されていない(、つまり現在でも有効な)批判となっている。これ以上の『自殺論』に対する批判は、ユニバースと母集団という概念と、その使い分けの有用性を指摘するものではなくなるので、別の機会としておこう。

 ユニバースと母集団とを同一と見なすという前記事(リンク)における仮定は、科学的な営みの一般的な水準から見れば、ズルく見えるかも知れない。ただし、前記事における目的は、ある事実を前提に、別の事実の原因として考えられるものを挙げるという、個別具体的なものであり、目的の達成には何ら支障のないものではあった、と私自身は考えているところである。それに所詮、前記事における論証の形式はアブダクションである。前記事において見込まれた原因である選択バイアスは、一般化された概念である。前記事は、個別事例の原因が選択バイアスによるものであるという可能性を検討したに過ぎないものである。

 ユニバースと母集団という用語を説明するのに、まあまあパラフレーズしたと思えるようになったので、本稿はここで打ち止めとしておく。著作権法上の規定もクリアできるだけの分量を記したと思われる(爆)。なお、心理学における統計の妥当性と信頼性に係る話題は、本稿におけるユニバースと母集団に係る話題にも一部重複するが、これら二種の話題の関係がどこまで整理されているか否かは、私には分かりかねることである。


※1 というより、モデルと現実との対比は自然科学の勃興期から存在していたものと言えよう。現時点から見れば、プラトンにもルーツを見出せるように、モデリングという概念そのものが文理の区別のないものであることは間違いないであろう。ただ、私の知識の底の浅さが(ますます)露わになるので、このルーツへの言及は、別の機会に取っておきたい。

※2 デュルケム氏の理解は、集計モデルであるが、現時点では、この種の分析を文句なく行うには、非集計モデルがふさわしいということになる。この区別が現時点でも難しいものであることは、多数の日本語文献に表出されているが、個人攻撃と受け取られかねないので、止めておく。ただ、わが国社会では、専門家集団(各種の学術会議等)の役割の内に、誤り訂正機能を含めることが(故意に)避けられてきたという見解は、ブログで述べるに相応しい内容であろう。

※3 ハッキング氏がデュルケム氏の統計概念をこのように表現したか否かは、確認し直してみないと分からない。十中八九、言及があるとは思う。

※4  三島由紀夫氏の自殺や以前紹介した(リンク)須原一秀氏の『自死という生き方』は、既遂ではあるが、明らかに注意喚起を目的とするものである。わが国に限らず、東洋文化には、この種の自殺が伝統である側面も見受けられる。2014年中の新宿ルミネの歩道橋上における焼身自殺未遂や、日比谷公園における焼身自殺もこの類例にあると言えよう。渋井哲也氏による2014年中の事件の解説記事は、ディテールを知る上で参考になろう。

 林知己夫, (1993). 『行動計量学序説』(行動計量学シリーズ1), 東京:朝倉書店. (NDL-OPAC
 G.キング, R.O.コヘイン, S.ヴァーバ[著], 真渕勝[監訳], (2004). 『社会科学のリサーチ・デザイン 定性的研究における科学的推論』, 東京:勁草書房.(NDL-OPAC
 エミール・デュルケム[著], 宮島喬[訳], (1985). 『自殺論』, 東京:中央公論社.(NDL-OPAC
 イアン・ハッキング[著], 石原英樹・重田園江[訳],  (1999). 『偶然を飼いならす―統計学と第二次科学革命』, 東京:木鐸社.(NDL-OPAC
 須原一秀, (2008).『自死という生き方 覚悟して逝った哲学者』, 東京:双葉社.(NDL-OPAC

日比谷公園での焼身自殺について考える | NewsCafe
(渋井哲也、2014年11月12日17時00分)
http://www.newscafe.ne.jp/article/2014/11/12/1544447.html
中国共産党の圧政に対するチベット人僧侶の焼身自殺が相次いでいますが、私には、このイメージが強く残っています。
 〔...略...〕いくら政策に反対だからといって、一人の行動によって変更されてしまうのなら、それもまた危険な政治文化を作り出してしまいます。




#歴史上の人物について、呼び捨てになっている箇所があるのは、ブログ表記のマイルールに反しているが、放置した。


平成28(2016)年10月15日追記・修正


 別記事に指摘しようとすることが抜けていたので、それらを追記し、正確ではない表現を改めた。

 ところで、ユニバースと母集団の使いさばきに揺れがあることを本文中で述べたが、その実例を確認しておく。統計ソフトウェアの『SIS』の製造販売社であるSIS International社の用語集[1]では、両者が英語圏で同一の意味で利用されることを指摘しつつも、「元の全集合体」という表現を用いており、林知己夫氏の説明を正しいとして比較しても間違いではないという印象を受ける。高木廣文氏の説明[2]では、ユニバースと母集団の両概念が真逆であるように認められる。坂田周一氏の説明[3]は、林氏の説明と同一である。

 社会情報サービス社(SSRI社)の説明は、ほかとは異なり、オブジェクト指向的な雰囲気がある。SSRI社によるユニバースの定義は調査対象集団をクラスと読み替えるものであり、母集団の定義は属性に格納された値として理解しているようである。妥当性の語(指標が測りたい対象を正確に測れているか)をメタに利用すれば、それもありかもとも思うが、私の頭のネジが緩いだけなのかも知れない。と思っていたら、栗原伸一氏の『入門統計学』(2011, オーム社)[5]の説明を読む限りでは、あながちこの理解も外れという訳ではなさそうである。用語が独特の概念に基づき発展を遂げることもあるし、わが国においてガラパゴス的な理解(誤解)が進むこともあり得るから、このような差異が生じた理由までは現時点で分かりかねるものの、とにかく、SSRI社の説明は、栗原伸一氏の説明に基づけば、福代和宏氏[6]のブログに見られるように、単に「違和感がある」として片付けられるものでもないと言える。(心理学におけるファセット理論との絡みもありそうである。)

 リハビリテーションに関わる情報サイト『Study channel』の説明[8]は、ざっくり単純化したものであるが、林氏式の理解からしても、栗原氏式の理解からしても、本質を外したものではない。つまり、この定義もアリだと思われる。Yutakakuwae氏の説明[9]もシンプルであるが問題ない。中恵一氏による説明[10]では、両者が同一になるが、英語圏(のテクスト)でも多数に見られる理解でもあるから、単に指摘するに留めよう。

 以上、後日追記する予定。

[1] 市場調査の用語集
(SIS International)
https://www.sisinternational.com/coverage/languages/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba/%e5%b8%82%e5%a0%b4%e8%aa%bf%e6%9f%bb%e3%81%ae%e7%94%a8%e8%aa%9e%e9%9b%86/
ユニバース
ユニバースとは、ポピュレーションとも呼ばれる母集団のことで、標本が抽出される元の全集合体を指します。
[2] 統計学の基本
(高木廣文, (1998). 「統計学の基本的な考え方」『超音波検査技術』23(4),329-334. 更新2006年12月31日)
http://halbau.world.coocan.jp/choonpa1.html#boshuudan
このような概念上の対象集団を,統計学では「母集団population」と呼んでいる。
 実際の調査対象となる集団もまた「母集団」と呼ばれるが,「ユニバースuniverse」と呼んで区別している。実際に調査を行う場合,ユニバースの構成員全員を対象とする「全数調査(悉皆調査)」を行うのは,国勢調査のような国の行政機関が行う場合を除けば,極めて希といえる。
[3] 第5節 標本抽出法
(坂田周一、2016年03月07日)
http://www.rikkyo.ne.jp/~ssakata/class/academy/materials/06.htm
たとえば,日本の老人の幸福感の調査では日本の老人全員が対象であるはずだが,果たして全員の名簿があるかとなると,名簿に載っていない人もあれば載ったまま死亡した人もある。現実に把握できるかどうかを別にした理想の対象集団をユニバースという。これに対して,時間と場所を特定したうえで実際にサンプリング可能な集団が母集団である。
[4] 統計WEB | コラム『統計備忘録』 | 2008年1月
(社会情報サービス統計調査研究室、2008年01月15日)
https://software.ssri.co.jp/statweb2/column/column0801.html
統計学上の population と universe の違いは、前者が、検定や推定の対象であるところの個体から観測される値(小学校6年生のお小遣い) の集まりであるのに対して、後者は個体(小学校6年生)の集まりという点です。

[5] 入門統計学検定から多変量解析・実験計画法まで - 栗原伸一 - Google ブックス(栗原伸一, (2011). 『入門統計学 検定から多変量解析・実験計画法まで』, 東京:オーム社.)
https://books.google.co.jp/books?id=r5JIE8QbPbAC&pg=PA44#v=onepage&q&f=false
標本の背景にあって対象となる要素(長さや気温などの項目)の集合体のこと、つまり本書で母集団といっていたものをpopulationと呼び、要素を含む対象自体の集合をuniverseと呼ぶのです。例えば、〔...略...〕全松戸市民の意識490 000個が母集団、〔...略...〕多くの要素からなっている490 000人の松戸市民自体がユニバースということになります。

[6] 林知己夫『調査の科学』を読む: 椅子は硬いほうがいい
(福代和宏、2013年10月7日)
http://fukunan-blog.cocolog-nifty.com/fukunanblog/2013/10/post-2b83.html

[7] ユニバースとは - DBM用語 Weblio辞書(株式会社ジェリコ・コンサルティング)
http://www.weblio.jp/content/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9
ある関心事についての母集団。マーケット・リサーチの目的のために、サンプルと呼ばれる小グループが調査のためにユニバースから抽出される。ユニバースが母、サンプルが子になる。
#DBMとは、Database Marketingの略語。

[8] 母集団と標本 - Study channel
(Study channel team、2015年6月)
http://www.study-channel.com/2015/06/sample-population.html

[9] ハヤベン: 予想以上に対象者を選ぶのは大変。このフローチャートで情報を整理しておいて。
(Yutakakuwae、2014年01月24日)
http://ptkuwae.blogspot.com/2014/01/blog-post_24.html
臨床研究では、自らの対象者の母集団(ポピュレーション)と調査対象集団(ユニバース)と言われる理想の集団との違いを検討すれば十分です。

[10] 統計的な問題についてのメモ(5~9) | A&T
(中恵一、日時不明)
http://www.aandt.co.jp/jpn/qc/toukeimemo2.htm


2016年10月22日追記


 林知己夫氏によるユニバースと母集団の説明は、『調査の科学 社会調査の考え方と方法』(1984年6月20日の第1版第1刷, 東京:講談社, 講談社ブルーバックスB-571)の時点で完成済みであることを確認した。上で紹介した福代和宏氏の説明は、文庫本の版によるものであるため、古い版で確認した。
〔#昭和59年5月1日現在、日本の領土内に常住し、日本国籍を持つ人、と日本人集団を定義したとき、〕住民登録の記録が手がかりになるであろうし、「二十歳以上の日本人」という定義が加わる場合は、有権者名簿が役立つ。このように定義がはっきりし、しかもその構成要素が具体的にとらえられるような調査対象集団を、統計学ではユニバース universe と呼んでいる。〔p.45〕



〔#ある銃の命中率を求める場合、〕限られた回数の試射の結果から数学的に(確率論的に)命中率を割り出し、それで真の命中率を代用させているわけである。したがって、この場合の本当のユニバースは"無限回撃った時の結果の積み重ね"ということになる。〔p.46〕



母集団(ポピュレーション population)〔...略...〕とはユニバースに確率的な概念を加えたものである。〔p.46〕



 ユニバースは一つであっても、母集団はいくつでも構成することができる。そしてその構成の仕方は、母集団から得られる情報の精度がもっとも高くなるように考えるのである。こうして、精度が高く、集計分析に扱いやすいいろいろの標本抽出計画が実際に生まれてくることになる。
 母集団から実際に選び出し、直接、調査の対象になるいくつかの要素が標本(サンプル sample くわしくは任意標本、ランダム・サンプルという)で、この標本を相手に実際にある問題に対する賛否を聞いたり、実験結果を調べる。日本人集団、より具体的には有権者名簿の母集団から三〇〇〇人を確率に従ってえらびだし、これらの人々に調査員をさし向けたりアンケートに記入してもらうとすると、この三〇〇〇人の有権者の集団が標本であり、命中率を調べるための一〇〇回の銃の試射が標本である。〔p.48〕



 このため全体の中から取りだした一部分の標本を調査して全体の性質を推定したいという願いから、ユニバース→母集団→標本抽出→標識付け→計算→母集団に対する推定→ユニバースに対する情報、という調査の基本的な考え方が生まれたのである。サイコロの目や科学的実験による調査は、元来、得られる結果がすべて抽出された標本と見なして考えを進めなくては、何をやったかわからなくなることは、先の銃の命中率の例からおわかりだろう。〔p.52〕
また、鈴木達三・高橋宏一, (1998). 『標本調査法』(シリーズ〈調査の科学〉2), 東京:朝倉書店.の124ページには、調査対象集団の語がユニバースと同意味で紹介されている。同時に、11ページには、母集団の語について、次のような説明がある。
注意1 母集団という言葉は、「母集団(上の意味)に属する各個体の目的項目の値の全体」の意味に使われることもある。その場合には、母集団は木や人の集まりではなく、一般に数値の集まりになっている。たとえば、ある集団の平均身長が問題のとき、母集団は$150, 154, 156, 162,  \cdots, 148$である、という言い方も使われることがある。〔p.11〕
鈴木氏・高橋氏による母集団の説明は、上述した栗原伸一氏の説明にあるpopulationと同義であると解釈できる。この系統によるpopulationの語も、それなりに流通していると言えそうである。



 最後に、林氏の著書に引き続き頼ることにすると、デュルケム氏の方法には、非標本誤差が付随しており、ギデンズ氏の批判は、この非標本誤差を考慮していないと指摘するものである、と言い換えることができそうである。
 精度という〔p.64〕場合、 標本抽出ばかりでなく、前にいった調査そのものにもとづく誤差――これを非標本誤差という――も含めて考えるのである。〔p.65〕



調査の分析で誤りに導くもっとも初歩的なものは、非標本誤差を無視して、統計的検定を行って有意の差があるという結論を出すことである。統計的検定論でいう「有意の差」は、実質的意味で差のあることではなく、数学的にたてた仮説が、標本抽出という観点からのみみて認められない、ということに過ぎない。〔...略...〕有意差を出そうとすれば、標本数を多くとれば必ず〔p.128〕出る。〔p.129〕

以上、いずれも『調査の科学 社会調査の考え方と方法』(1984年)
非標本誤差に対する知見は、統計学で学習することの中心に据えられるべきというよりも、各研究分野において、その分野に即して、独自に積み上げられるべき蓄積であるように見受けられる。この点、統計学を多少は理解しつつも、主題とする専門分野に詳しい研究者が必要になるし、統計学者もまた、それらの専門分野に存在するはずの非標本誤差を良く理解して、専門的な見地から非統計学者の統計学の誤用を気兼ねなく検討すべきであるし、そのような環境が整えられるべきと言える。仮に、非統計学者が統計学的手法を誤るにしても、古典的な方法を使い続けているなどの統計学上の誤りを犯す方が、非標本誤差を無視することに比べれば、大目に見てもらえることになるのであろうか。犯罪学において最も注意すべき非標本誤差とは、犯罪認知件数が警察の認知した件数を指し、暗数を含まないこと、というものであろう。

2016年9月11日日曜日

イテレーションを上手に和訳したいと思ったのだが(メモ)

 どうにも、「イテレーション iteration」の適訳が日本語ではまだ用意されていないらしい。単に私の調査不足である可能性が高いとはいえ、「イテレーション」で訳している事例が大半であるように見受けられる。カタカナの「イテレーション」が用いられるのは、もっぱら、アジャイル開発に言及する際のようである。ただ、「イテレーション」の語が使いさばかれている状況を把握するためだけに、共起関係まで調べる必要性はなかろう。

 「反復」の語義は、多分野で異なる意味を有しうるので、「反復的」と訳すと曖昧な感覚が残る。単なる繰返しではないので、「繰返し」と表記するのも割り切れない。ある処理にかけた結果を、再度同じ処理にかけるという点で、イテレーションは、反復的ではない。Wikipedia日本語版は、日本工業規格における「統計」の「レプリケーション replication」にも言及しているが、この「反復」は、「イテレーション」とは明確に意味が異なる。

 実は、国際連合の『一般化統計ビジネスプロセスモデル』(Generic Statistical Business Process Model, GSBPM, v. 5.0, 2013)に係る「イテレーション」の訳し方がここでの課題であった。このため、実験計画分野にいう「反復」だと、「サイクルを回す中で良いものに仕上げていく」という意味が含まれないことになってしまうのである。この訳だと、PDCAやスパイラルモデルの印象を押し出せないのである。これは瑣事ではあるが、わが国の行政組織が失敗から学習するという過程を有していないのは、統計を活用するというプロセスが軽視されているために生じたことではないか、という私の見立てを提示する上では、なかなか大事な部分なのである。

 作業を繰り返す中で良いモノが仕上がる、という過程は、試行錯誤を含むことはもちろんであるが、対立関係まで含みそうなので、ヘーゲルのいう総合に相当する、とこじつけてみたい。ビジネスモデルや設計プロセスにおいて、ヘーゲル哲学を導入するという考え方は、暗黙知の中でも、常識の部類のようであり、ソフトウェア開発手法の歴史自体がヘーゲル哲学で説明されている。このため、ウェブ上の日本語のページ内で、「イテレーション」と「ヘーゲル」が共起する事例が見られない訳ではない。が、アカデミックな公式発言として記録されているかといえば、そうでもなさそうである、おしゃべりの部類でそのように明言されている、隙間案件であるように見受けられる。

 ここまでに見た概念のつながりを学術的な品質に仕上げるのは、系統的な教養を有する専門家でなければ手に余るであろうし、私の手に負えるものではない。道の険しさだけ見えたので、これで脱落する気である。よって、本記事は、メモ扱いである。本当ならば、なぜ、統計の公表が戦争末期に行われなくなるのか、とか、そのときの責任はどこに求めれば良いのか、とか色々と考えておくべきことはあるのだが。




反復 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E5%BE%A9


 日本語環境下では、異なる工学分野の用語がひとまとまりに記載される機会を最も有すると見なしうる点で、Wikipediaさんは、頼りになる存在である。『JIS Z 8101-1』は、「統計―用語及び記号―第1部:一般統計用語及び確率で用いられる用語」である。日本工業規格は、ウェブ上で立読み可能であるが、直リンが消えてしまいがちなので、「部門別一覧」から辿ると便利かもしれない。

JSA Web Store - JIS Z 8101-1:2015 統計―用語及び記号―第1部:一般統計用語及び確率で用いられる用語
http://www.webstore.jsa.or.jp/webstore/Com/FlowControl.jsp?lang=jp&bunsyoId=JIS+Z+8101-1%3A2015&dantaiCd=JIS&status=1&pageNo=0

JSA Web Store-JIS部門別一覧
http://www.webstore.jsa.or.jp/webstore/JIS/html/jp/CartegoryList.htm



KPT - HaxeFlixel Wiki
http://haxeflixel.2dgames.jp/index.php?KPT

このまとめ主は、明確にKPTというイテレーティブな活動を、ヘーゲルと関連付けて記述している。言われてみれば当然の感覚と言えようが、言われてみないと、気付かないものであるかもしれない。

KPTとは、行ってきた仕事や活動を振り返る際に、
  • K:Keep=今後も続けること
  • P:Problem=問題なので、やめること
  • T:Try=今後、試してみたいこと
の3つの視点で整理するフレームワークのこと。
アジャイル開発や反復型開発ではイテレーション(繰り返しの単位)ごとに作業の振り返りが推奨される【...略...】


ヘーゲル「人間は歴史から何も学ばないということを、歴史から学んだ」



独立行政法人情報処理推進機構ソフトウェア・エンジニアリング・センター
平成23年3月31日(平成24年3月26日改訂)
非ウォーターフォール型開発WG活動報告書(000004613.pdf)
http://www.ipa.go.jp/files/000004613.pdf

ドイツの哲学者ヘーゲル(Hegel, G.W.F.)は、「真理とは、基本的に主観的なものであり、歴史を貫く思考の鎖、すなわちテーゼ(定立)、アンチテーゼ(反定立)、ジンテーゼ(総合)というトリオの連鎖の中にひそむ法則の認識である」と述べている。ソフトウェア現場が生き残るためには、定立、反定立の渦の中で、自己を見失うことなく、ソフトウェア・エンジニアリングの歴史的流れを弁証法的に分析し、洞察によって真理を主観的に見極め、それに導かれて事業を進めることが望ましい[1]。

ベーム(Barry Boehm)は、2007年のIEEE International Conference on Software Engineering において、弁証法的手法を使って、ソフトウェア・エンジニアリングの歴史を、図表5-1のとおりまとめている。ベームの見方によれば、定立(上辺)はいわゆる「計画駆動手法」であり、それに対する反定立(下辺)は、1960年代の現場の職人気質、および1990年代のアジャイル手法であるとしている[2]。

[1] [Matsumoto09] 松本吉弘編,「ソフトウェア現場力ハンドブック」,オーム社,2009
[2] [Boehm06] Boehm, B., A View of 20th and 21st Century Software Engineering, keynote address at ICSE 2006, May 25 (2006) 

 これは、完全にヘーゲリアンな見方ではあり、学術上の成果に明記されたものであるから、これを参照しておく価値は一応のところ、あろう。他方で、下記の釘本氏のメーリングリストアーカイブのように、学術的文章の一歩手前の状態において、ソフトウェア開発と総合とを関連付けた言及が数年前に見られる以上、明確な先取性を追究する作業は、面倒臭いこときわまりなさそうである。社会システム×ヘーゲル=マルクス主義だから、何かとヘーゲルを掛け合わせてみるという態度は、至るところに生じそうであるからである。およそ科学的社会主義の研究になるというオチが認められそうで、いやはや、私の好きな話ではない。その先、わが国の官僚機構という組織構造において、なぜこの話が致命的なまでに機能してこなかったか、という点に興味の中心があり、その手前で止まりたくはないからである。




Article 3764 at 03/10/14 23:13:07 From: ********@**.*****.**.** Subject: [oosquare-ml:03764] Re: 概念モデルに責務を書いても良いですか?
https://www.ogis-ri.co.jp/otc/hiroba/oosquare-ml/Archive/200310.month/3764.html


Hiroki Kugimoto氏から赤坂英彦氏への14 Oct 2003のメールの返事。

情報処理技術者試験対策の参考書で有名なITECの
「データベーススペシャリストのためのデータベース技術」ISBN4-87268-312-9
の一番初めに、データモデルに関しての色々なテキスト(方法論)での用語の対比があります。
今手元にある2002年版では、11ページに「図1-2 さまざまなデータモデルの考え方」として表が載っています。
この表でスッキリ整理がついた覚えがあります。

この表によると、
・多くの方法論では、
  企画:概念データモデル、
  要求定義&外部設計:論理データモデル、
  内部設計:物理データモデル
・ANSI/SPARCの3層スキーマアーキテクチャでは
  企画:外部モデル、
  要求定義&外部設計:概念モデル
  内部設計:内部モデル
となっています。

私は「3層スキーマ」と聞いても「ふーん、ヘーゲルね、アウフヘーベンね」としか考えてません。うわ突っ込まれそう。





阪井和男(明治大学)ほか,(2012/12/15). 創造技法としてのワークショップの作り方~交流制約法の理論と実践~, 第77回次世代大学教育研究会.
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~sakai/presen/ne77-ehime-ws-transactional-contraint-20121215.pdf

阪井和男氏の発表は、私の主張したいことに随分と被る分野のものであるが、イテレーションと止揚とを明確に関連付けたものになっている訳ではない。一つのファイル内に両語が並記されているが、相互に意味上の連関のある共起関係とは見なせない。また、スライド46にベルリン大学に係る記述として、大学長であったヘーゲルの名が示されているが、これが発表において用いられたか否かも分からない。連絡不可能な場合こそ、私の考察対象となっているので、ここはあえて伺わないことにして、勝手に解釈することとする。

【スライド4】
  • 理想
    • アジャイル授業・アジャイル講演の試み
      • 情報組織論(明治大学法学部)、阪井ゼミ「復興支援プロジェクト」

【スライド5】ソフトウェア開発ライフサイクルの進化
  • ウォーターフォール型(Waterfall)
  • イテレーション型(Iteration)(進化型・スパイラル型・RAD)
  • 適応型(Adaptation)
ジム・ハイスミス[著],山岸耕二・中山幹之・原幹・越智典子[訳],(2003).『適応型ソフトウエア開発(変化とスピードに挑むプロジェクトマネージメント)』,ウルシステムズ監訳,翔泳社,
原著:Highsmith, James A., "Adaptive Software Development: A Collaborative Approach to Managing Complex Systems", Dorset House, New York, 2000.

【スライド46】世界の大学モデル
1810年:ベルリン大学(ドイツ)
言語学者でプロイセンの政治家としても有名だったフンボルトがその骨格をつくった(フンボルト理念)
  • 業績
    • 国家からの学問の自由を志向し、研究を大学の重要な機能とした
    • 各国の大学モデルとなり、その産業形成を支えた
    • 初代の学長がフィヒテ、2代目はサヴィニー、1830年にはヘーゲルが後任
    • 日本からも森鴎外・北里柴三郎・寺田寅彦・肥沼信次・宮沢俊義らがベルリン大学に留学している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/大学(2008年12月27日アクセス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ベルリン大学(2008年12月27日アクセス)




経済学がどうにもうっとおしいので偏見を整理してみる - TuvianNavy’s port
http://d.hatena.ne.jp/TuvianNavy/touch/20101102/1288723212

TuvianNavy氏のメモは、何となくイテレーションがヘーゲル哲学的であることを感じさせる内容になっている。マルクス主義がヘーゲルに基礎を置くのは公知であるが、ヘーゲルの思考の枠組が経済学を貫いており、結構イテレーシブであるという考え方までは、あと一歩なのであろうか。この点を、本人が明確に指摘している訳ではない。ただ、産業連関表をイテレーションと説明しているのは、その通りであって、イテレーションを説明する際の事例として取り上げるに値しよう。

 イテレーションは、理系では普通に大学の学部生時代に習う概念である。現在では、高校生であっても、情報の時間に、用語こそ用いることがなくとも、学習はするであろう。ごく普通にカタカナ語で利用するがゆえに、あらゆる世代の日本語話者が理解できるように、という要請は、気付かれないままに終わるのかもしれない。

2016年9月10日土曜日

業務統計に現れる数値は従事する職員数に応じた上限を有する(メモ)

 趣旨は、題名のとおり。業務統計の対象となる統計のうち、手術数(厚生労働省、DPC導入の影響評価に関する調査)、救急搬送件数(総務消防庁、救急救助統計)、刑法犯認知件数(警察庁、犯罪統計)などの業務として計上される件数は、理論上、全職員数に1未満の定数を乗じた値に比例する上限を有するはずである。特に、業務一件当たりの処理に要する時間が長いほど、この上限はあからさまに統計に反映されるはずである。刑法犯認知件数は、ここに挙げた三種の業務の中では、比較的負担が少ないはずであるから、その数値は、職員数に応じた上限に達しにくいものであるはずである。

 この指摘は、あくまで原則的なものであり、業務統計を取扱おうとする分析者は、個別具体的な業務内容に即して、考察を進める必要がある。さもなければ、現実において捌ききれないほどの業務量が生じているにもかかわらず、統計に変化が見られないから、業務が安定的であると結論するなど、容易に誤った結論を提示することになるであろう。とりわけ、捌ききれないほどの業務量があったところ、職員一人あたりの生産性が減少したために、それにつれて対処した業務件数が減少するというメカニズムには、注意が必要であろう。先進国において、業務統計の対象となる業務の多くは、市民が各自で処理していた(、または、放置していた)問題が、専門分化によって対処できるようになり、同時に、専門的な対処が可能となったゆえに、統計を計上する必要も認められるようになったと見ることもできよう。

2016年9月7日水曜日

本澤二郎氏の不正選挙に係る8月27日記事は検証を必要とする

「ジャーナリスト同盟」通信:統計学者が指摘する不正選挙疑惑<本澤二郎の「日本の風景」(2463) - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52147857.html
<都知事選でも明らか>
 8月26日午前、先日初めて会ったばかりの青柳さんが、彼の友人の統計学者・井上雅之氏を、わが埴生の宿に案内してきた。初めて統計学者のデータを、棒グラフにした資料を見る機会となった。それは石原・猪瀬・舛添・小池の知事選の得票数をグラフにしたもので、なんと4人のそれが見事に、ほぼ一致しいた。ほとんどバラつきのない棒グラフが描かれていた。当選者の23区市町村の得票が、あらかじめ決まっていたのである。まぎれもなく、不正に操作された選挙を裏付けていた。

 政治ジャーナリストの本澤二郎氏は、自身のブログで上記のように伝えているが、この記述に対しては、二点の疑問がある。分かりやすいところからまず指摘すると、まず、「統計学者・井上雅之氏」という表現に疑問がある。次に、「当選者の23区市町村の得票が、あらかじめ決まっていた」という点に疑問がある。第二点目については、4名の当選候補の得票「数」が23区市町村で同一であるという、非常に強い表現であること、多重比較から得た結論であるのかが不明であること、の二点に違和感がある。

 第一点目であるが、researchmap.jp(リンク)、ci.nii.ac.jp(リンク)、scholar.google.co.jp(リンク)、google.co.jp(一応リンク)のいずれのサーバを見ても、最近10年程度については、三名以上の同姓同名の学術研究者が研究機関等に在籍したことがあることを確認できるが、論文の題名を見る限り、いずれの方々も専門が統計学ではないように見受けられる。専門が統計学を用いる研究分野である井上氏は複数いるが、統計学者と呼ばれることに問題のない井上雅之氏の実在は、私には確認できていないのである。学術研究者である井上雅之氏の中で私が確認した方々を統計学者と呼んで良いのであれば、おおよそ大多数の理系の研究者が統計学者であると言うことになる。「統計学者・井上雅之氏」という表現は、まずは、本澤氏による先走りであると見るのが正解であろう。

 第二点目であるが、本ブログでは、猪瀬氏の得票数から舛添氏の得票数を、また、桝添氏の得票数から小池氏の得票数を、二項分布を用いるだけでは再現できないことを確認済みである(123)※。本澤氏の記事には、第一点目の表現が誤りであるという可能性が認められる。このため、本澤氏が井上氏の説明を誤解するなどして記述を間違えたという場合も十分に考えられる。ただ、本澤氏の誤解ということにしておいて批判を控える方が、私が関与せずとも議論を呼び起こす火種となろうから、私にとっては好都合である。本格的な追究は、先に挙げた第二点目のうちの後者に少し触れるだけとして、次の機会に残しておくこととしよう。

 本澤氏の記事に欠けている指摘のうち、ここで言及しておくべきことは、291万票という得票数が必要とされた理由であろう(リンク)。この得票数の事前計算は、歴代の『Microsoft Excel』で十分可能である。わが国の陰謀論業界の有名人であるリチャード・コシミズ氏の「エクセル不正選挙」という表現(リンク)は、今回の大差を説明する上では、どんぴしゃりの表現ということになろう。陰謀論者の中で、同氏を批判する者も見られるが、批判には当たらない。不正の状況をリアルタイムで管理する必要のある「黒幕」が表計算ソフトウェアで目標管理していたとしても、それほど不自然ではないのである。『弁財天』氏は、ネットワーク共有モードのExcelファイルが集計作業に利用されていたこと指摘ると同時に、マシンを乗っ取ることのできる脆弱性がExcelで発見されていたことを報告している。(もちろん、アップデートを的確に行っていれば、この脆弱性はカバーされている、はずである。)


鳥越さん、得票率70%で大勝利だったが、エクセル不正選挙で妖怪婆さんを米国1%が勝たせました。 richardkoshimizu's blog/ウェブリブログ
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201608/article_1.html

リチャードコシミズさん「エクセル不正選挙」って何ですか?エクセルを使用して不正選挙する事ですか?不正プログラムには言及しないんですか? - 紙幣の不思議2
http://blog.goo.ne.jp/zabuyamato/e/db4df9173402bc7aee6077968a829698

弁財天: 沖縄県議選で落選だった翁県政不支持派の自民議員が当選確実になるw update3
http://benzaiten.dyndns.org/roller/ugya/entry/okinawa-2016

弁財天: エクセルとCSVファイルとXMLとJSONとHTML5と…そしてNode.js実装のOracleドライバーが登場 update2
http://benzaiten.dyndns.org/roller/ugya/entry/excel-csv-xml-json


 なお、井上氏の指摘で気になることの残りを少しだけ指摘しておくと、それは、井上氏が「比例説」を検証するときに、多重比較を考慮しなかったのではないかと思われることである。東京都下の市区町村を逐一検定するような作業が推測統計学としては不適であることは、いちいち検討してきたとおりである(123)。「23区市町村で同一」という本澤氏の表現は、その虞を端的に示すものである。いずれにしても、井上氏の分析の詳細も、些細な表現の揚げ足取りに陥ることなく、検証される必要があると言える。もちろん、私の作業についても、誰かが検証してくれると大変ありがたい。

平成28年9月7日18時ころ修正

本記事の文章が単独で整合していなかったので、淡赤色部分を修正しておいた。修正部分の元々の文章は、コメントアウトして残しておいた。ただ、全体の意図は修正されていない(はずである)。

2016年9月1日木曜日

シンドラー社製エレベータの事故確率を公開情報だけで見積ることは難しい(メモ)

 Google.co.jpのニュース検索から、シンドラー(Schindler)社のエレベータ事故を「Schindler elevator accident」というワードで検索してみたら、865件のページがあるとのご託宣を得た。ただし、Googleニュース検索が報道各社の記事を系統的に収集し、記事の所在だけでもすべてをアーカイブ化しているのか、私には分かりかねている点に注意すべきである。なぜなら、日本のほどんどの新聞社のように、ウェブにて公開する記事を削除してしまうという悪しき慣習を有している国の記事は、残らなくなってしまう可能性が認められるためである。ないよりも余程マシという程度で捉えておくと、誤解はないであろう。よって、日本における事故数が他国よりも多いのか、といった検討は、どだい無理ということにも注意されたい。

 少しだけ調べてみたのは、数日前、IT技術面に優れたブログ『弁財天』に、シンドラー社のエレベータのみが日本で重大事故を繰り返しているという指摘が見られたためである。同ブログは、第一種の過誤が多くなるような陰謀論的なスタンスを取るものであるが、現在のスタイルの方が読者にとって参照する価値があるように思うので、批判の意図はない。事故の実情をネットの公開情報だけで把握するのことが可能なのか、という思考実験のため、調べかけてみただけの話である。

 結論は、ネットの公開情報のみを私のリソース(実力+時間)で取り扱い、各国のエレベータの事故率を納得のいく程度に比較する方法は、存在しないというものである。

 以下、メモ代わりに、40の検索結果の中で、Googleのリード文のみで外国における事故であると判定できそうなものを拾った結果を示す。系統的に抽出し、判定する仕組みが必要そうである。まず最初に、私自身が一段分、レベルアップする必要がありそうである。



Maintenance worker killed in elevator accident at UAMS
http://www.arkansasonline.com/news/2016/feb/24/maintenance-worker-killed-elevator-accident-uams-m/

2016年2月24日水曜日にアーカンサス医科大学(UAMS)でメンテナンス中の従業員が死亡。シンドラー社製。



Multi-million dollar judgment issued in Superdome elevator accident case | New Orleans - WDSU Home
http://www.wdsu.com/news/local-news/new-orleans/multimillion-dollar-judgment-issued-in-superdome-elevator-accident-case/26979010

2007年のルイジアナ州のスーパードームにおけるエレベーター事故においては、シンドラー社は、保守業務に無関係との判断がなされ、被告の適格性が却下されている。



10 years after elevator accident, man still hasn't collected his millions | NJ.com
http://www.nj.com/morris/index.ssf/2015/08/10_years_after_accident_man_hasnt_collected_his_mi.html

 2005年、ニュージャージー州のモリスタウン(Morristown)のHeadquarters Plaza(Google Map)で障害を負った男性は勝訴したものの10年後の現在も賠償の支払いを受けていない。



Moving towards the connected elevator | IT-Online
http://it-online.co.za/2016/08/31/moving-towards-the-connected-elevator/

 技術報道。世界中で1500万台のエレベータ。上海市はエレベータの周縁監視システムの整備を求める法律を可決。ファーウエイ(Huawei、華為技術)はクラウドでエレベータの入口を管理。150万台がシンドラー社。ファーウエイと提携したと中国地域担当のCEO。



Israeli Man Fatally Crushed After Falling From Elevator in Brooklyn |
http://jpupdates.com/2015/10/02/israeli-man-fatally-crushed-after-falling-out-of-elevator-in-brooklyn/

2015年10月にブルックリンで利用者のイスラエル男性が死亡。




OSHA investigating deceased elevator worker's 7-story fall | NJ.com
http://www.nj.com/hudson/index.ssf/2016/02/osha_investigating_deceased_elevator_workers_7-sto.html

Guttenbergの3棟あるGalaxy towersのうちの1棟で、子会社のSlade Elevator Inc.の従業員がメンテナンス中に転落事故で死亡。



Fatal NRZ lift accident may be referred to court - Nehanda Radio
http://nehandaradio.com/2015/08/16/fatal-nrz-lift-accident-may-be-referred-to-court/

ジンバブエZimbabweの国立社会保障局National Social Security Authority (NSSA)、NSSA法に基づく行政法人は、ブラワヨBulawayoのジンバブエ国鉄NRZの建物内のエレベータ事故について、調査を完了する見込み、その後、法廷へ。2015年7月3日、職員女性と救出しようとしたシンドラー社の技師が死亡。

2016年8月20日土曜日

都知事選の主要三候補の得票率が斉一的であるという指摘は前提が怪しい(3・終)

 本記事では、小池氏の得票結果が291万票となったこと自体に対して、大半の「比例説」が疑問を抱いていないことを指摘するとともに、陰謀論を提起する場合には、「なぜ291万票という大量得票が必要となったのか」との問いの方が適切であることを主張する。「比例説」とは、おおむね、「○○氏の地域別の得票率は、前回(今回)の□□候補の得票率に一定の係数を乗じたものだ」とする陰謀説を指す。投票者の特性に二項分布を仮定した場合、つまり、字義通りに「比例説」の主張を最も単純なモデルに落とし込んだ場合、今回の選挙の結果があり得ないくらいに斉一的であるとする「比例説」は、否定される。この点は、前回までの記事(12)で検討した。

 プラスアルファの動的な因子がなければ、比例説は、その主張の鋭さによって、否定されてしまうことになる。なお、前回までの記事において示唆したことを誤解無きように言い換えるが、私は、比例説を修正した陰謀説※aであれば、今回の選挙を整合的に説明できるとも予想している※b。ただし、その疑いを提起し、具体的な追究を進める前に、検討すべきことがいくつか残されている。その検討すべきことを、本記事と次回において、説明するつもりである。

 なお、開票結果は、小池氏291万票、増田氏179万票、鳥越氏135万票、上杉隆氏18万票である。上杉氏を含む4位以下の合計は、49万票である。具体的な数値は、ファイルに用意した(リンク)ので、必要に応じて参照されたい。ファイルには、本稿に引用・掲載した票読みに係る比率も示している。

 「比例説」を信じる者の多くは、「なぜ、小池氏が291万票も獲得できたのか」という、政治関係者や一般人が辿るはずの基本的な思考手順を踏むことを怠っている。陰謀論と見なされることに言及した論者の中での例外は、「れんだいこ」氏で、党派別の得票数を議論している。鳥越氏の得票数についての記載に誤りが見られるものの、些細な誤りである。れんだいこ氏の議論については、党派から見込まれる票数を積み上げても今回の結果に届かない、という点を指摘していることが重要である。喩えとしては不適切かもしれないが、分かりやすさのためにパラフレーズすると、「比例説」は、現状では、株価を(稚拙に)テクニカル分析しただけでおかしいと騒いでいるだけであって、ファンダメンタルズ分析を怠っているのである。



 陰謀論者たる者には、「比例説」を信じるよりも前に、「大量得票に係る理由」を考えることが求められよう。というのも、いわゆる表舞台では、基本に則った票読みが行われてきたようであるが、小池氏の大量得票を正確に予測し公言した人がほとんどいなかったからである。陰謀論者は、例外なく、小池氏が大きく予想を超える票数を得たという結果を、不正選挙の証拠と考えるであろう。しかし、この結果の理由を問うこと(why)は、「比例説」という指摘(how)に先立つ前提条件となる一方で、「比例説」は、この結果が生じた理由の説明には必ずしもならない。「比例説」は、どのように選挙の不正が行われたのかを説明し得るものの、なぜ大量の得票差※cが生じたのかを説明できないからである。「比例説」は、「大量得票」を説明する上で、5W1Hにいう「How」に当たるが、「大量得票に係る理由」は、「Why」に当たる。「大量得票」について、通りの良い説明を求めるためには、物事が生じた順序に応じて、「How」と「Why」をバランス良くみていかなければならない。

 多くの「比例説」論者の指摘通り、集計行為を完全に操作可能であるならば、接戦を演出することは、何ら問題がないどころか、むしろ積極的に狙われたはずである。今回に限れば、接戦は、疑いを逸らすための煙幕として機能したはずである。今回の都知事選については、多くの陰謀論者が鳥越氏の得票数の伸び悩みを指摘しており、疑惑を深める理由となっているからである。半面、接戦が問題視された選挙には、2000年のアメリカ大統領選挙本戦時のフロリダ州を挙げることができるが、同選挙は、投票行動の実際や電子集計制度の有無が大きく異なるために、今回の都知事選の直接の参考にはならない。



 「比例説」と「大量得票の理由」は、切り分け可能な命題であるが、仮に陰謀があったとすれば、「大量得票の理由」は、「表向きの理由」および「真の理由」へと細分することができよう。陰謀など存在しないという世間一般風の理解によるならば、「表向きの理由」と「真の理由」は一致しよう。いずれの場合であっても、「比例説」は、大量得票の理由を説明するものではなく、大量得票という結果を前提として、その結果のみに注目するものである。「比例説」を検討するほどに疑い深いのであれば、「表向きの理由」と「真の理由」についても、注意が払われても良いであろう。

 「真の理由」は、大量得票の結果を説明する「表向きの理由」によって、注意深くその存在を隠されなければならない。選挙の開票結果に係る「真の理由」のうち、最も受容されているものは、今回の都知事選については、孫崎享氏が発した難ツイート(に対する誤読)である(同ツイートに係る私の解釈)。「表向きの理由」は、インターネットが発達して、ほとんどすべての想像力が解き放たれている現時点では、およそあらゆる「真の理由」に対置されて吟味されることになる。この状態下では、「表向きの理由」がナンセンスであるほど、また、開票結果が通常予想されるものから外れるほど、ネット上などで提示されている「真の理由」を受け入れる者が増えることになる。

 「表向きの理由」は、複数の経路によって互いに補強し合う形で提供される必要がある。さもなければ、リテラシーの高い受け手には受容されない。それどころか、作り込みの下手な「表向きの理由」は、かえって懐疑論者に疑いの目を向けられる契機ともなり得る。カバーストーリーは、たとえそれが大衆向けであったとしても、せめて、一つのメディア企業によるもの同士では自己矛盾を来さないようにするという程度に作り込む必要がある。

 特定候補の当選という、分かりやすい目的の下に進められる陰謀でさえ、より具体的で細分化された目標を提示することが必要となりがちな理由は、(1)組織を統率して事に当たることの困難さと、(2)外部の厳しい監視に晒されがちという陰謀の性質、の二点に求めることができよう。愚鈍な、または不実な成員を含みながらも、組織が陰謀上の目的を達成するためには、個々の成員に割り当てる業務を簡明で疑問の余地なく実行できるものとすると同時に、知るべきことを最小限に留めるという策が取られるであろう。この組織運営のあり方は、分割統治の応用であり、危機を前提とする組織における基本であろう。

 加えて、陰謀を企む側に属する任意の二名が、互いに整合性の取れたストーリーを即興で発信するためには、それら二名が容易に連携できるだけの目的を共有しているか、または、彼らが互いにコミュニケーションを取ることを通じて意思統一を図ることができている、という状態を必要とする。前者を実現するためには、任意の二名の少なくとも一名以上が相当の知性と機転を有しているべきであろう。後者は、安倍晋三氏の「寿司友」が食事会を持つことの理由でもある。

 外部に向けて整合的な説明を果たしながら、内部では背徳的・犯罪的な行為を推進するという両面作戦を完璧にやりおおせるためには、黒幕(mastermind)には、通常以上の経営能力が求められることであろう。なお、黒幕とは、不正を実行した者たちの中で、不正の全体を見通している者を指すが、このような人物は、いたとしても、ごくごく一部の人間になろう。不正行為は、もとよりハードルが高い作業であるから、どこかに抜け・落ちがあっても不思議ではない。黒幕が真のリーダーであり、最終目的に向けて邁進する天才であれば、われわれ一般人には刃向かう余地はないであろう。しかし現実には、リチャード・アーミテージ氏について見たように(リンク)、黒幕の実力は、多くの人々を左右する結果を生み出してきた割には、疑問を呈さざるを得ないものである。

 ただし、不正選挙というコンセプトを考察するときに注意すべきことは、仮に、不正選挙が行われたとしても、候補者たちでさえ、不正に荷担していなければ、不正の一端すら知る必要がない、ということである。不正に従事する者たちは、おおよそ、彼ら自身の職階や動機に基づいて配置されているようであるが、その立ち位置に必要十分な予備知識を与えられれば、それ以上のことを知る必要はないことも理解しているようである。現在、ウェブ上などで公知となっている情報を総合すれば、選挙管理委員会に悪意を有する一味を送り込むという予備作業すら、必要のない状況であるかも知れない。たとえば、投票用紙計数装置を製造・販売する企業が複数あったとしても、健全な競争状態が実現されていない状態の下では、選挙管理委員会の入札担当者は、指名競争入札を実施しても、社会全体からみれば、選択肢がないも同然である。彼(女)は、いわば、心理学にいう「フレーム効果」(framing effect)に落とし込まれているのである。この状態下では、彼(女)は、選挙の公正が保てないという理由から人の手による開票へと逆戻りすることを、社会の側が許さないとみなすであろう。黒幕は、念押しのために、自動開票機を導入しない自治体に対して、開票が他県よりも遅いというクレームを赤の他人(で分別のない者)に入れさせるであろう。



 ともあれ、「真の理由」が「表向きの理由」とは異なるものであったとすれば、その「真の理由」は、「表向きの理由」に先立つ、いわば前提条件となるはずである。「表向きの理由」が「真の理由」の親に位置するということは、因果関係上、あり得ないことである。オモテにできない「真の理由」があるからこそ、「表向きの理由」が必要になるのである。また、このとき、「真の理由」が要請する目標は、何らかの手段によって、「表向きの理由」との整合性に留意しつつ、達成が図られることになる。繰り返しになるが、「比例説」は、このときに取られた手段から生じた結果である。

 今回の都知事選に不正があったことを仮定して、その制約条件・因果関係をゆるくまとめると、[真の理由]→[(大量得票に係る)表向きの理由]、[真の理由]→[不正の手段]→[比例するように見える得票率という結果]という2つの系統にまとめられよう。[表向きの理由]と[比例的な様相という結果]という子孫(派生的な条件)同士の関係に、ある程度の整合性を確保することができれば、あとは色々な工夫の余地があることになる。ただし、その整合性は、先述したように、組織として陰謀を進めるという制約のために、あらかじめ、強固で具体的な目的を設定した上で、陰謀論に関与する成員への業務を割り振るといった形で確保されることになろう。

 これまでの議論から、大がかりな不正が都知事選にあったとしても、その仕込みが事前に余裕をもって行われる必要があったということは、自然に推測できることである。不正選挙では、少なくとも、東京都選挙管理委員会における大量のデータ処理に割り込むことが必要となる。同時に、その不正アクセスが容易に発覚しないよう、開票・集計作業に従事する基礎的自治体の側に置かれる機器のうち、不正を行う予定のあるものについては、あらかじめ、監督者を張り付けておく必要があろう。出口調査の情報をテレビなどから得て、何らかの手段でクラッカーや現場監督者などに指令を出す役割の人物も複数必要となろう。



 「なぜ、ここまでの大量得票を必要としたのか」という陰謀論者の問いは、「なぜ、ここまで大量得票できたのか」という世間一般の問いからみて、論理の飛躍を必要とするものであるが、ここまでの説明を経れば、「余裕を持った目標値を、時間的な余裕のある時期までに、陰謀に荷担する人物のうち、知るべき者の間で、共有する必要があったためである」という答えへと、自然に辿り着けるものとなる。何らかの陰謀論を加味しなければ、世間一般の興味から「大量得票を必要とする理由」に至るような疑問は生じないであろう。しかし、陰謀が行われたという仮定を置き、これだけの陰謀を行うにはどのような条件が必要であろうかという基礎的な検討から、つまりはフェルミ推定から出発すれば、不正選挙が一人では到底不足するような時空間上のリソースを必要とするという確定的な事実へと、容易に到達できるのである。

 陰謀とは、複数の人物が社会に知られないように一定の目的を達成すべく進められる活動である。この定義から今回の選挙に不正を見出そうとするならば、得票数や開票結果が目的と連動していると思いつくことは、さほど難しい話ではない。分かりやすい目的がなければ、不正を行う人物たちと言えども、思うように動くことが難しいのである。

 大量得票という結果を、当選という目的に起因すると見立てる推理は、不正選挙を企業犯罪や組織活動と見る理解から派生するものでもある。不正に関与する人物が多くなれば、不正を行うにしても、事前の了解や、目的の共有、人員の管理が必要となる。このとき、大目的である特定候補の当選という目的すら、隠蔽されたとしても、うまく分割統治されている限り、被使用者に物事の全体を掴むことは、なかなか困難であろう。



#ようやく、陰謀論者から見た場合の、大量得票となった理由を説明できる論理の筋道を形成できたと思う。

 今回の都知事選において、不正選挙が行われたという意見を有する者から見た場合、なぜこのような大量得票となったのか、という理由は、事前に目標値を設定する必要があったため、となる。この事前の目標値の必要性は、不正選挙をビジネスと見た場合、まったく不自然なものではなくなる。請負契約書に、業務項目を書き入れるタイミングは、業界によってさまざまであろう。しかし、不正選挙が『シャンティ・フーラ』という宗教色の強い陰謀論を扱うサイトに寄せられたグレーな情報※1のとおり、一票○万円というビジネスであった場合、口頭であれ、事前に「何票分を実現する」という形での契約がなされないことは、まったく考えにくいことである。

 関東の同業者から聞いた話を元にしたとして※2、RAM氏は、得票比率を「小池6:増田4:鳥越2:その他全部の合計1以下」※3と予測している。小池氏の得票数を6とすると、実際の開票結果は、3.7対2.8対1.0である。「小池氏の大勝」を表現するという点において、非常に良い予測である。平成28年7月参議院比例区は、6413952票であるので、この値を利用すると、296万票、197万票、99万票、49万票となる。小池氏の大勝を予測するという観点からすれば、驚くべき正確度である。増田氏と鳥越氏の票読み結果を合算すれば、開票結果と同程度ともなる。RAM氏の話に出てくる同業者は、畏るべき票読み能力を有しているようである。(前稿参照。)

 この正体を自ら明かしてはいない(たしか)兵庫の選挙参謀のRAM氏に対して、衆議院議員で民主党所属の木内孝胤氏のツイートには、名指しこそしないものの、200万票、150万票、110万票、40万票を示唆するものがある※4。6対4.5対3.3対1.2である。関西にいるRAM氏の予測に対して、東京を地盤とする現職の木内氏の予測は、かなり外したものとなっている。木内氏の得た情報は、民主党経由であり、一定の偏りを見込むものである。しかし、東京都を地盤とする与党の国会議員や与党の都議会議員に確執の生じた選挙において、野党の現職が自党候補に対する票読みを大きく外すということは、なかなか考えにくいことであろう。木内氏も偏りがあることをふまえた推測を行ったであろうからである。

 木内氏の予測の合計が500万票であり、実際の投票者数が参議院選挙を上回る6620407票であることは、木内氏が不明票を読まなかったにせよ、説明の難しい票差である。これに対して、「比例説」を論ずるサイトの管理人とコメント投稿者とのやり取り※5は、木内氏の票読みに一定の係数を乗じれば、現実の予測に近い結果が得られると議論し、お互いに納得している。



 ようやく、本稿によって、「比例説」の前提がおかしいという指摘を締めくくることができそうであるため、最後にまとめておきたい。

  1. 「比例説」は、最もシンプルな形の統計モデルで検討すると、投票結果がばらつき過ぎることになる。このため、「比例する」という表現自体が尖り過ぎていて、誤りとなる。
  2. 「比例説」が可能となるような不正は、完全な不正であり過ぎる。今回のような大勝によって怪しまれるような結果とはしないであろう。
  3. 「比例説」は、陰謀を大前提とするが、今回の都知事選挙のような活動における陰謀は、事前の時間的余裕や当日までの人員配置を必須のものとする。ならば、「比例説」を検討する前に、今回の大勝を詳しく検討すべきである。
  4. 「比例説」は、結果から陰謀の存在を推定する主張であり、市場分析における「結果から原因を見る」テクニカル分析のようなものである。「原因から結果を見る」ファンダメンタルズ分析が必要である。「原因」に着目すると、今回の大勝は、不正選挙がビジネスであるという告発と整合的である。




※1 自民党関係者からの超ド級の爆弾情報① 〜1票⚪︎万円で票の差し替え…「ドン」に完全支配された不正選挙〜 - シャンティ・フーラの時事ブログ
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=115059

※2 RAM氏のツイート(2016年8月1日 11:25)https://twitter.com/PLAPAPA/status/759937972313559041

※3 同上(2016年7月30日 21:59)
https://twitter.com/PLAPAPA/status/759372740167999489

※4 木内孝胤氏のツイート(2016年7月30日 19:58)
https://twitter.com/takatanekiuchi/status/759342445507190784?lang=ja

※5 すでに決まっている東京都知事「次はユリコね」米国情報関係者 - 逝きし世の面影
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/886895f91087227f40423e740521f072

※a 陰謀説を前提とした場合、開票作業における集計ソフトウェアへの不正アクセスまたは集計ソフトウェアの不正によるものと考えるのが適当であろう。ただし、計上作業が完全な管理下にあった訳ではなく、ある程度の状況の見込みが立つまで、基礎的自治体によって異なる程度に制御されていたと考えるべきでもあろう。

※b それでも、この説明は、アブダクションである。この結果を成り立たせることができる説明のひとつであって、ほかにも同様の結果を成り立たせることができる説明は、存在しうる。

※c 得票率の差でも良いし、得票数の比でも良いし、得票率の比でも良い。



平成28(2016)年9月3日追記

都知事選についての論評等を主にツイッターで見ていると、小池氏のトップ当選を予想する声が見つかることは見つかる。以下に紹介する2名のツイート主が291万対179万(増田氏)といった大差による勝利を予想していたか否かは分からない。「常に初陣」氏は、本職が政治関係者ではなさそうな印象を受けるが、「うしくん」氏の政治関係へのツイート数の偏り方は半端ないものがある。その割には、同氏のツイートのうち、最初に示したものに見られるように、事情を知る者から見て背景事情をそれほど把握していない印象を受けるところがアンバランスさを感じさせる。「うしくん」氏の本業は、政治関係に近い何かということであろうと推測する。