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2017年10月12日木曜日

(メモ)コンピュータゲーム内における凶悪犯罪の規制は不可解なまでにバランスを欠く

注意

本稿は、犯罪学の見地からコンピュータゲームについて若干のメモを記すものであるが、「ゲームにおける18禁ネタの扱われ方」を取扱うものであるから、念のため、注意されたい。必要な限りにおいて細かい説明を加えるが、本稿の論旨に必要な限りにおいてである。Bloggerでの規約違反にはかからない内容とは考えられる。でなければ、たとえば、男女が一晩をともに過ごすシーンや、殺人事件を含む映画や書籍に言及するブログは、すべて、規約違反となってしまう。


本題

「コンピュータゲーム内においてプレイヤーが実行可能な犯罪」について、私は、三点の疑問を放置したままにいる。第一は、なぜ、R18指定(わが国ではCERO-Z)となるゲームにおいて、プレイヤーに許されている凶悪犯罪の種類から、端からエッチなことが分かっているゲームを除けば、強制性交等罪(本稿では、3ヶ月経過しても、『e-Gov法令検索』で条文を参照できる状態ではないので、強姦と表記しておく)が除外されているのか、というものである。第二に、なぜ、ゲーム内の窃盗は、殺人や強盗よりも多大なリソースを必要とするようになっているのか、というものである。第三は、これらのゲームにおける悪の種類は、果たして、現実社会へのフィードバックを真剣に考察した上で、許容・除外されているのであろうか、というものである。学術研究者としては生ける屍である私には、これらの疑問を効率的に解くだけのリソースが存在しないので、もしかしたら解答が与えられているかも知れないことまでを知らずに、とりあえず、これらの疑問を並べてみた次第である。

まず最初に、コンピュータゲームというグローバルな競争が実現している産業において、洋の東西を問わず、許される「悪」のジャンルが棲み分けられていることに、注意を払うべきである。前述の疑問のうち、最初の二点は、この一般化された状態から生じた具体的な疑問ということになる。エッチなゲーム(ブヒゲーなどとも形容され、英語ではHentaiと表現されることまである)には、すべての凶悪犯罪を実行できうるものが含まれるが、この一方で、暴力を前面に押し出すコンシューマゲームでは、わが国の凶悪犯にいう殺人・強盗・放火が可能であっても、強姦が可能となっていない場合が基本路線である。エッチなゲームの業界と、そうでないゲームの業界は、奇妙なほどにコードが並行的に推移しているのである。

コンシューマゲームである『Witcher』シリーズは、おおむね健全な性交渉のシーンを含むが、性犯罪以外の犯罪を描写するシーンを大量に含むRPG(ロール・プレイング・ゲーム)である。このシリーズの主人公は、ゲラルド・オブ・リヴィアという「Witcher(魔法を使う剣士で、超自然的な怪物を狩るハンター)」であり、生物学的には、元・男性と見做せよう(。ここら辺は、ゲームのネタバレになるので、ぼやかしておきたい)。彼は、基本的に紳士キャラという設定ではあるが、プレイヤーの選択次第で、プレイボーイにも一途なキャラにもなれる。『Witcher』シリーズで主人公が口説ける相手は、基本的には、魔女という設定であり、無理矢理になどと考えることが難しいほど、強力な魔術を操る存在である。これらの複合的な理由によって、このシリーズにおいては、両者の合意から「大人の時間」が始まる。社会的通念に照らして、『Witcher』シリーズにおける性交渉のシーンは、何ら問題のない内容であると判定できる。

ところが、『Witcher』シリーズの「売り」のもう一つは、ド派手で残虐な殺陣回りである。ゲラルドが斬り殺す相手は、獣や超自然的存在だけではなく、当然、盗賊・海賊や悪徳役人・背徳の騎士といった、多彩で大量の人間どもが含まれる。その残酷さと多彩さは、ひと頃の東映の時代劇映画を、いとも簡単に凌駕するものである。たとえば、斬首で決着を付けるシーンは、複数が用意されている。なお、「フィニッシュ技」の多彩さと言えば、対戦・協力ゲーム版の『13日の金曜日』も想起される。これらは、いずれも、止めを刺すシーンを堪能するという目的を、セールスポイントとしているものと解される。

コンシューマゲームにおける性犯罪に対する忌避と過剰なまでの暴力は、一体なぜ、どのように、並存する状態に至ったのであろうか。私は、このアンバランスさを、むしろ不健全の現れと見てしまう。この状態そのものは、とんと理解できないものであるが、それでも、この原因については、二つの仮説を思いつくことはできる。一つの仮説は、性犯罪が表現上の取引材料とされたというものである。もう一つは、戦争経済に円滑に協力可能な子どもたちを育成するためというものである。

この状態が実現する上では、真の意味での消費者、つまり、ゲーマー自身の視点に立脚した上での検討・理解・提言が、相対的に欠如してきたことは、間違いなかろう(。決して、全く存在しなかったとは、主張してはいない)。実際、「誰得?」と思われる事例として、『Left 4 Dead』のパッケージの修正(指の欠損を訂正)や、『Fallout 3』における特定シナリオの欠如を挙げることができよう。これらは、誰が問題視する種類の話題なの?という話である。とりわけ、前者については、大いに疑問が残る。ゾンビゲームは、ゾンビ(=病人)の頭を吹っ飛ばすのが目的なのに?という具合である。なお、2016年現在でも、同シリーズは、日本国内ではまったり系協力プレイが可能な良作であった(。最近は、さすがに自重しているので、いかなる状況にあるのかは、分かりかねる)。つまり、このような些末な修正が公的に強いられたにもかかわらず、ゲームコミュニティは、比較的健全な状態を長らく維持してきたのである。本来、声の大きな者に左右されることなく、ゲームコミュニティの状況を見極めた上で、健全な業界を形成するという指向性が追求されて然るべきであろう。

女性の権利向上に係る国際的活動は、彼(女)ら自身にとっては大事な活動と認識されているのかもしれないが、表現規制という面に対しては、外部者・運動者(advocates)としての押しつけの感を拭えない。国際的な権利向上活動は、コンピュータゲーム(、ならびに、その源流としてのテーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム)については、「家父長」主義・権威主義的なカルト宗教による圧力という側面を払拭できないように、私には思われて仕方がないのである。ゾーニングを自主的に遵守させるという方法は、この方面に対しては、さほど機能していない。分野は異なるが、『週刊少年ジャンプ』連載の『ゆらぎ荘の幽奈さん』(ミウラタダヒロ氏)に対する直近の「不買運動」めいた反発は、端的な事例として挙げることができよう。

実際、声の大きな団体・人物の圧力にかかわらず、コンシューマゲームにおける性犯罪と暴力犯罪とのアンバランスな現状は、各種のユーザの側からの「MOD」(修正プログラム・コンテンツ)が流通する状態を通じて、性犯罪に対する興味を満たすように、解消されている。有名どころ(で私がすぐに思い出せる種類のもの)では、上掲『Fallout』シリーズや、同一企業からリリースされている『The Elder Scrolls』シリーズ(のうち、オフライン版)に係る「ヌード化MOD」が有名である。文字通り「身ぐるみ」剥いだときに、CGモデルを裸にするだけのものから、それ以上を可能とするものもある(が、詳しい紹介には立ち入らない)。これらのコンテンツの制作者が、ゲームの開発・供給組織と、どのような関係を有しているのかは、注意深い検討を受ける必要もあろう(が、それにも立ち入らない)。

#ここまでの指摘によって、本稿で扱った話題についても、一部の特定団体によって、不健全さが立ち現れたことは、それなりに示唆できたように思うので、本稿はこれでおしまい。

2017年3月27日月曜日

「善・悪」と「秩序・混沌」の二元配置は人間観の理解に便利である

私が身代を滅ぼす程度のゲーム中毒でもあることは、読者にはバレているところであろうが、今回は、その話である。とはいえ、本ブログの意図する内容と無関係の話ではない。安倍晋三氏が利己的な存在であることを、私がいかにキャラ付けしているかの説明である。飯山一郎氏が主張するように、利己的な存在が政治家であると仮定するならば、彼らの行動原理をとことん利己的なものとして解釈した方が、現在の森友疑惑の背景にある闘争を理解できるし、その行く末を期待を持たずに見守ることができようというものである。今回の話は、あくまで、より良い理解のための補助線である。

『ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)』というテーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム(略称TRPG)は、会話とルールブックとサイコロを道具立てとする、幻想世界を主な舞台とするゲームであり、RPGの嚆矢である。1960年代以降の心理学の発展を受けて、ロール・プレイがセラピーの一手法として確立したことをも受け、1974年に登場した。現在の(選択肢を有する)サウンドノベルの源流にあたるゲーム・ブックとともに、現在までに至るコンピュータRPGの原型を創造した。軍事学や防災訓練における図上演習は、実のところ、この辺の話とも関係を有する(が、この点に触れる防災研究者は、ほぼいない)。

#脱線。陰謀論マニアには、Steve Jackson Gamesの『Illuminati』のカードデッキは良く知られた存在であるが、Steve Jackson氏は、ゲーム・ブックの創生期に活躍した一人でもある。なお、『D&D』等のTRPGに対しては、登場以後、アメリカ国内では「悪魔のゲーム」という宗教的な批判も存在しており、これらの批判への対応のために理論化が図られたという、わが国とは異なる事情を作家・翻訳者の安田均氏が解説していた(はずである)。

本題。優れたゲームは、現実の理解にも役立てられるような方略を提供することがある。囲碁や将棋の例を見れば、優れたゲームが世界を現実に変えており、日中韓という問題含みの国際関係における友好関係にも役立っていることは、十分に理解できる。また、囲碁や将棋は、諺や慣用句といった形で文化上の大きな要素となっていることも言うまでもなかろう。私自身は、囲碁や将棋を嗜んではいないが、本段落のここまでの指摘は、そう外れたものではないだろう。今回の指摘は、『D&D』のルールに示されるキャラクターの性格設定も、現実の理解に役立つというものである。

『D&D』のキャラクターの性格設定である「アラインメント」(alignment)は、「秩序・中立・混沌」(lawful, neutral, chaotic)と「善・中立・悪」(good, neutral, evil)との2軸からなる9種類である。基本的には、この設定は変更されておらず、ゲームにおいて、プレイヤーがキャラクターを演じる際の指針(プリンシプル)をなしている。解釈には多少の差が見られるが、おおよそ「秩序~混沌」の軸は、法や既存の秩序に沿うか否かを意味しており、「善~悪」の軸は、キャラクターが利他的であるか自己本位であるかを指す。『Star Wars』エピソード4~6の帝国皇帝は、Lawful-Evilであるという説明をどこかで読んだ遠い記憶がある。ハン・ソロは、登場時はともかく、行動の全体を通じてみれば、Chaotic-Goodと説明されることになる。

実のところ、この二元配置モデルは、わが国の官僚の多数がLawful-Evilであることを説明する上で重宝する。外国の映画に見るような汚職警官も同じ枠に収めることができるし、映画的テンプレ上のナチス・ドイツや大日本帝国も同様である。場合によっては、彼らの一部は、自身に課せられたルールをも都合良く逸脱するので、Neutral-Evilであると説明できるかも知れない。いずれにしても、Lawful-Neutral-Chaoticの軸上の配置によって、看による捕虜の虐待の頻度(つまり組織内における逸脱行為の確率)などを表現することができるのである。Chaoticなら好き放題に虐待するであろうし、Lawfulなら自制が効くであろう。Neutralなら、状況次第であり、都合良く通達や要綱の解釈を曲げることもするであろう。近年の右派犯罪学等においては、日和見または機会主義(oppotunistic)という語が重要な地位を占めているが、日和見的なキャラクターは、Neutralに相当すると解釈しても良いであろう。

この二軸の組は、法匪という語を的確に位置付ける上でも役立つが、それだけではなく、日本人の組織人の大半が善を積極的に志向せず、他人にも強要しない一方で、秩序を志向する傾向がある(つまり、Lawfulではある)ということを表現する上で、非常に役立つ。また、「チームのため」を強要する人物が必ずしも善ではないことも示唆する。日本人の組織人には、かなりの割合でLawful-Neutralが含まれるのであり、Lawful-GoodやLawful-Evilは比較的少数派ではないか、という可能性が見込まれる。杓子定規とは、Lawful-Neutralか、Lawful-Evilを指す形容であり、ここに日本ならではの失敗に至る陥穽が潜んでいるようにも思うのである。組織内で語られる「個人としては良い人」という表現は、この二軸から生じるジレンマを部分的に表現するものである。郷原信郎氏の指摘であるが、「合法でありさえすれば何でもあり」症候群である。吉本隆明氏の思想も、この点を曲解されて、ビートたけし氏の「赤信号みんなで渡れば怖くない」の表現のように悪用される余地があったという点で、脆弱であり得ると評しうる。

わが国では、この二元配置のうち、Chaotic-Goodは個人の生き方として評価されない一方で、Lawful-Evilは「抜け目ない」などと評価される。この対立関係は、上掲したように『Star Wars』シリーズ(Ep.4~6)の世界観でもあるし、大資本が投じられた近年の多くのPCゲームの世界観でもある。この対立を煽る思想は、もちろん、「国際秘密力集団」の両建て構造に由来しよう。しかし、わが国では、『アノニマス』が渋谷でゴミ拾いするという行動に変質したことを鑑みれば、この対立関係は、幼少期以降に社会規範が内面化される過程において、すでに決着が付けられるよう、何らかの諸力が作用していると見て良いのであろう。3月22日のロンドンにおける自動車暴走事件は、テロ集団ネットワークの関与したテロ事件であると報じられており、その点自体については報道が嘘を吐いているということはないが、わが国においてより高い頻度で生じている故意の暴走事件は、いずれも犯人個人に由来する、自己本位のものである。

少々脱線する。赤木智彦氏は「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」で、生活に由来する個人の閉塞感を、戦争への期待感へと転嫁する心性を説明していたが、この心性も、故意の暴走事件と同様、利己的な欲求に根差して全体の便益を減少させる点で、Evilである。赤木氏は、「けっきょく、『自己責任』 ですか」と題した批判への応答の中で、わが国では革命が成功しないという趣旨を述べているが、利己に駆動された革命が、利己思想の蔓延した社会で成功しないことは、当然である。功利主義的側面から赤木氏の提起した課題に対して誰かが回答しているのかは分かりかねるが、功利主義からみれば、赤木氏の提起した問題は非常に簡素なモデルで提示可能ということになる。いずれも後知恵であるが。

#さらに脱線。現状と比べると興味深いことであるが、Neutral-Neutralは、生き方の理想の一つとして確立されている。老荘思想と仏教における中庸思想、無常観に影響を受けているものと思われるが、『徒然草』から『雨ニモ負ケズ』まで、「なるようになるさ」「自然のままに生きる」志向は、日本人の人生観の中枢を占めるようにも思われる。リチャード・ターガート・マーフィー氏の『日本 呪縛の構図』は、窓際族・引きこもりなどの現象に触れてはいるが、この状態を成立させる上での重大要因である無常観・諦観への言及が欠落しており、日本人の問題発生時において行動を駆動させる原理の主要部分を見落としたものともなっている。逆を言えば、この伝統的で強固な社会観に着目した優れた研究が存在していないか、マーフィー氏が見落としたことになる。もちろん、この種の諦観は、研究を「机の抽斗効果」(desk-drawer effect)に向かわせる諸力と親和的である。「登載されるか放逐されるか」(publish or perish)なんて考え方は、肉食系過ぎて、草食系の考え方である無常観とは、対極にある。

官僚の多数がEvilであることは、彼らの提起する政策が、基本的には狭いコミュニティを利するものでしかないという点から証明することができる。福島第一原発事故は、この構造・傾向をより顕著にしている。たとえば、「食べて応援」という施策は、受益者が汚染地域の生産者・買い叩く流通業者・汚染地域での生産を制限することにより批判を受けることがない政策立案者・政治家である一方で、負担者は国民一般である。東京電力という企業の救済も同様である。いずれも、最終的には、立案に関与した官僚らの個人責任を回避し、天下りを可能にするという点で自己の利益を維持・増進するものであると言える。なお、利己的であるという特徴=プリンシプルは、容易に囚人のジレンマに陥るものである。つまり、便益全体の最大化を図ることが苦手あるいは不可能という結果に至るものである。

善悪の定義を功利主義ふうに解釈する(=利他・利己に区別する)という『D&D』のアラインメントというルールは、何だか世界をも説明できた気になるため、特に学術上の根拠がないものとはいえ、ついつい濫用してしまう。濫用の例を挙げれば、安倍晋三氏は、私の中では、Neutral-Evilである。何だったらカオティックである。悪(Evil)が自己本位というところがミソであろう。自分勝手という語は、Lawful-Evilという性格を的確に連想させる表現ではない。また、「他者の便益の増進を図る」という功利主義的な表現は、人情味のないものに聞こえるが、これが善(Good)ということになる。

人間の行動に係る人間の理解(この分野を扱う学問は、行動科学に限られない。たとえば、宗教学や文学や美術や哲学も。)は、何だかんだ言って発展しているので、その影響をゲームが受けないわけでもない。逆に、ゲームの多くは、現実を抽象化=モデル化したものであるから、そのモデル化が成功したものであるとき、現実へのフィードバックが生じるのも当然である。現実を説明する、つまりモデル化する上でもゲームは有用という訳である。もうそろそろ半世紀を迎えようとしている(その根はパルプ・フィクションにあるので、根源自体は一世紀を迎えるということになるのかも知れないが)古典的ゲームが、これだけ類似のゲームが氾濫する中でも残り続けているのには、理由がないわけではない。もっと明け透けに言えば、ユングやフロイトよりも、よほど人間の行動原理を縮約して説明できている点、優秀であると主張することもできよう。イドとかエゴって何よ?モデルとしては全然エレガントじゃねえよ、という訳である。

最後であるが、森友疑惑の構図について。『D&D』のゲームをベースとする小説『ドラゴンランス戦記』シリーズ(英語だと3部作)の末尾には、「悪は、お互いに食い合う」のような表現が出てきたはずである(。正確に覚えていられないのが、私のクオリティであるし、ネタバレは申し訳ない)。現状の森友疑惑が噴出した後の関係者の行動には、自己保存行動という語が最も当てはまる。とすれば、ジャパン・ハンドラーズと仲違いした今後、国民益の増進という崇高な理念に根差した行動を安倍氏が取ると期待するよりも、感情に基づく闘争が単に継続すると見た方が妥当であろう。ただ、この感情のもつれから生じた混乱に乗じて、福島第一原発事故を終息させる対策に安倍氏自身が本腰を入れるとすれば、マッチポンプとも批判されるかもしれないが、安倍氏は、本当に歴史に残ることとなろう。飯山氏のごく最近の安倍氏ヨイショはこの大転換を狙ったものであると、飯山氏の主張を私は好意的に解釈している。きわめて分の悪い賭けだとは考えるが。

2016年10月20日木曜日

(メモ)リアルマネートレード(RMT)はチートに直接効果を与えるか(私は知らない)

#本稿は、時機を逸した記事の棚卸しの一つである。先週の話にその端緒がある。

 リアル・マネー・トレード(Real Money Trade, RMT)とは、オンラインゲーム上の授受可能なアイテムやゲームアカウントそのものに係る売買契約を締結する、あるいは、ゲームアカウントに紐付けられたキャラクター等の育成を代理する、八百長を通じて白星を(ときには黒星を)与える請負契約を締結するなどの取引行為を指す。現実社会における経済的価値を伴うことが定義上重要である。もっとも、無償の行為であっても、ここに挙げた行為のいずれもがゲーム運営者によって禁止され得る内容である。これらの取引は、いずれもゲーム運営会社やサーバ運用者によって禁止されていることもあれば、アイテムの売買に限定して許可されていることもある。Valve社の『Steam』は、ゲーム購入・管理に係るオンライン・PCソフトウェアの代表格であるが、ゲームそのものに影響しないファン・アイテムなどの取引にも利用されるプラットフォームとなっている。


 RMTは、ゲームに随伴する行為のほとんどに関して、ユーザ同士の間でゼロを超える経済的利益を生じさせるものとして定義するのが適切であろうと考えられる。個人的体験として、1998年のうちには、先に示した行為のいずれをも、とあるRPGゲーム上で聞き及んだことがある。ただし、私自身は、具体的な決済に関与したことがないから、具体的なRMTの事例についてまでは、当事者として語ることができない。

 ただ、RMTがチート行為に直接転化するという話は聞いたことがなく、この点、『 毎日新聞』の記事には疑問がある。チートがオンラインゲーム体験を荒廃させることには、賛成できる。(以前の記事を参照)。記者の斎川瞳氏による伝聞は、(RMTの増加)→(チートの増加)を主張するが、ユーザから見た場合のこれら2つの潜在変数間の関係は本当に成立するのか。交絡はないか。因果は逆ではないか。そもそも無相関かも知れない。(RMTの増加)→(チートの増加)が成立しても、(RMTの減少)→(チートの減少)は成立するのか。するとすれば、(プレイ量(;単位は人・時間か)の減少)が交絡要因となっていそうである。共変関係における非線形性はないか。そもそも、増加・減少というものを構造方程式モデルでそのまま取扱うことは、ソフトウェア計算上、可能ではあるが、構造を探る上では危険そうである。(RMTの量)→(チートの量)が成立するのかを考察すべきである。(RMTの減少)が(チートの減少)に繋がるという命題は、(RMTの増加)と(RMTの量)とが同一概念ではないという状態を明らかにする。

 ここでの私のRMTの定義に従うと、ゲームのセーブファイルをクライアント側で保存するのか、サーバ側で保存するのかの別は、RMTがチートを目的として行われるというより、ゲーム内で「上を目指す」際に手段を問わないプレイヤーの合目的的な行為として行われるものであることを示すための良い材料になるように思われる。オンラインゲームとしては、『Ultima Online』『Second Life』『Minecraft』などの系譜に連なる、「ワールド改変系」のゲームのうち、オフラインでもプレイ可能な『Minecraft』に代表される系統のゲームは、特に顕著な参考事例となり得る。「ワールド改変系」の語は、造語であるが、キャラクター自身に対してだけではなく、ゲーム中の仮想世界の状態にも改変を加えることが可能なゲームを指す。『Minecraft』は、有志がオンラインサーバを独自に立てるか、ローカルでのプレイが前提となるが、ここでは、改変のためのMODも大半が無償である。オンラインサーバ上におけるRMTを聞くこともほとんどない。肌の合わないサーバには、参加しなければ良い。


 一般社団法人日本オンラインゲーム協会は、2009年の時点での業界団体としてRMTのあり方について述べている。スマホ増加と軌を一にするタイムリーな話であることは、評価されて良いことと考える。ただし、フォローアップがGoogle検索結果の上位に見られる訳ではないために、この結果こそが重要であるようにも思う。宣言すること自体、なかなか出来ることではないが、宣言を実践することは、なお困難であるためである。公開情報による調査は尽くしていないので、今後、機会を見つけて公開情報を確認したい。

 脅迫よりも刑の重い私電磁的記録不正作出・同供用ほう助で、チートに関係した人物たちが書類送検となったというニュースは、びっくりである。犯罪の内容は、報道が正しいとすれば、容疑のとおりであるが、一種の組織対象暴力である「手口をネットで公開する」という電子メールの送付が「サイバー攻撃」と見なされるというところに、多くの要因を窺うことができる。ゲーマーの警察官がいて義憤を感じる、というものも読み取ることができる。ネット社会の広がりを感じさせるテーマである。


[1] チート行為:ゲーム業界に危機感 利用者離れの恐れ - 毎日新聞
(斎川瞳、2016年10月13日12時55分、最終更新10月13日13時06分)
http://mainichi.jp/articles/20161013/k00/00e/040/241000c
「リアルマネートレード」と呼ばれる取引も確認され、チート行為につながると指摘されている。

[2] ゲーム不正:チート行為横行、摘発進む 少年ら書類送検 - 毎日新聞
(斎川瞳、2016年10月13日11時31分、最終更新10月13日14時26分)
http://mainichi.jp/articles/20161013/k00/00e/040/203000c
東京都調布市の会社員の男(27)を私電磁的記録不正作出・同供用ほう助容疑で書類送検した。
 他に、江東区の自営業の女(44)と、いずれも高校3年の福井県鯖江市の少年(18)▽岩手県奥州市の少年(18)▽山口市の少年(17)−−の4人が私電磁的記録不正作出・同供用容疑で同日書類送検された。〔...略...〕
 〔...略...〕
 同社は昨年11月ごろに不正に気づき、システムを修正するとともに、少年らの利用を停止。その後、少年の1人が「手口をネットで公開する」などとする電子メールを同社に送ったことから同社が警視庁に相談していた。

[3] 一般社団法人日本オンラインゲーム協会(2009年8月)『オンラインゲームガイドライン』(JOGAonlinegameguideline.pdf)
http://www.japanonlinegame.org/pdf/JOGAonlinegameguideline.pdf
【セキュリティ・犯罪予防】
 4.RMTについて
  RMTについて
RMTにはゲームやゲーム会社オンラインゲーム提供企業が一切関与していません。
オンラインゲーム提供企業は、プレイヤーのRMT利用を前提とした運用はいたしておりません。
(例外もあります。〔...略...〕〔p.16〕
〔...略...〕

  JOGA/会員企業の取り組み
JOGA会員企業(オンラインゲーム提供企業)では、RMTに関してのスタンスを各利用規約や運営ポリシーにて定め、それに従ってゲーム運用しております。また、プレイヤーからの情報を幅広く集めるよう努め、ゲーム内の秩序がRMTの影響を極力受けないよう運営いたしております。JOGAでは、「RMTワーキンググループ」を設置し、RMTに伴うトラブルの実態調査、ヒアリング、公的関係機関との情報交換会を開催しており、今後定期的にこれらを行なうことで、抜本的対策を検討してまいります。また、ワーキンググループでの活動の一環として、RMTを利用したことに附随するトラブルに巻き込まれることのないよう、人に迷惑をかけないゲームプレイヤーを育てる啓蒙活動をしてまいります。〔p.18〕
〔...略...〕

  保護者のかたへ
〔...略...〕毎日プレイできる範囲で少しずつ先に進めるなど健全なプレイを推奨してください。〔p.22〕

2016年8月27日土曜日

リオ五輪の閉会式に係る象徴とそれらに対する陰謀論について(メモ)


 現時点で、私は、2016年リオ五輪の閉会式(現地時間で2016年8月21日)に係る演出を、ごく最近になって後付けする形で用意されたものとみなしている。このため、陰謀論者の一部に見出されるようなマリオ=マリオネット(marionette)説などを深掘りするのは、価値あることとは考えていない。つまり、マリオという造型すら1980年代に「国際秘密力集団」によって最初から用意されたものであるなどという、長期的な視点を織り込む必要はないものと考える。マリオという名は、イタリア語起源でMariusだとされる一方、マリオネットの語の起源は、「小さなマリア(様)」、つまり、教会における講話のための聖母マリアの人形から取られたと解釈するのが良さそうである。ラテン語での語源が異なるところに落ち着きそうなのであるから、マリオとマリオネットの語を端から同一視するのは、少々ハードルが高そうである。もちろん、調べていけば、この私の見立ては、ひっくり返されるかも知れない。しかしそれでも、マリオ=マリオネット説は、牽強付会の感を拭えないものである。呪術として見た場合、悪魔的なシンボルが入念に準備されてきたという事実を知った大衆に与える恐怖感の強度は、低いものになろう。

Mario (given name) - Wikipedia, the free encyclopedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Mario_(given_name)

marionette - definition of marionette in English from the Oxford dictionary
http://www.oxforddictionaries.com/definition/english/marionette

Wordwizard • View topic - marionette
http://www.wordwizard.com/phpbb3/viewtopic.php?t=19540

 今回の演出は、多数の既存のシンボルから、利用しやすいものを利用したと考えるのが妥当であろう。BuzzFeedによるインタビュー記事には、この考えを補強する東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の公式見解が示されている。同じ集英社『週刊少年ジャンプ』の漫画由来のアニメであっても、『ドラゴンボール』の方が『キャプテン翼』よりも知名度及び人気が高いようには思う。しかし前者は、ハリウッド映画との絡みもあるであろう。こう勝手に思い、納得しているところである。

【リオ五輪・閉会式】「安倍マリオ」が話題 でも、ポケモンが登場しなかったのはなぜ? -リオオリンピック特集 - Yahoo! JAPAN
http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160822-00010001-bfj-spo

 『ドラゴンボール』"dragon ball"は、Google検索では、29,000,000件。『キャプテン翼』は、各国で異なる名前で放送されているようであるが、フランス語、スペイン語でも50万件に満たない。『ドラゴンボール』のプレステージは、文字通り、桁違いである。マリオだけでソニックが出てこないのはおかしいという指摘にも、かなりの正統性がある。両者ともが出演するオリンピックを題材にしたゲームがある以上、ソニックが出演することは、当然に期待されたはずである。

Google Trendsによる"dragon ball"と"captain tsubasa"の比較
図1:Google Trendsによる"dragon ball"と"captain tsubasa"の比較

"dragon ball", "captain tsubasa" - 調べる - Google トレンド
https://www.google.co.jp/trends/explore?date=all&q=%22dragon%20ball%22,%22captain%20tsubasa%22

 好意的に解釈すれば、試行錯誤と決断を通じて、今回の演出が組まれていったものと見ることも可能ではあるが、現実には、もう少し生臭い話も見込んでおいた方が良いであろう。その話とは、企画時、海外調査の費用と手間を惜しんだというものである。販売本数によってマリオを採用したという経緯については、海外における知名度調査のための費用を支弁せず、取得しやすい統計を用いて、推論を省略したというのが、私の率直な見立てである。ゲーム業界では、海賊版が最も大きな課題であり続けてきたはずである。このため、知名度・人気度の代理指標として販売本数を利用すること自体、的を大きく外した話となりうる。販売本数ではマリオシリーズの方が上とはいえ、あくまでいちゲームプレイヤーとして世界に接した経験としては、ポケモンの方がマリオよりも遙かに人気がある。もっとも、マリオが(特に旧作ほど)基本的にシングルプレイヤーゲームであるという事情は、私の経験に影響しているかもしれない。マリオシリーズは、やり込み要素が高いために、e-スポーツ界隈でカルト的な人気を誇るという印象を受ける。この印象は、Google Trendsによっても(私の予想を超えて良く)裏付けられている。ほとんど常に、マリオよりもポケモンの語が検索されているのである。同時に、ポケモンGOは、爆発的なブームと言って良いであろう。

Google Trendsによる"super mario"とpokemonの比較
図2:Google Trendsによる"super mario"とpokemonの比較

"super mario", pokemon - 調べる - Google トレンド
https://www.google.co.jp/trends/explore?date=all&q=%22super%20mario%22,pokemon


 ただ、多数のキャラクターや役者や音楽家などについて、将来的にシンボルとしての利用価値を見込めそうな若手の目星を付けておくという作業は、広告企業において、日常業務の一環として進められていると考えて良かろう。そのシンボルがどのようなものであるかは、また別の問題である。陰謀論を本件に見出そうとする人物には、具体的な事例に則した判定作業が求められよう。どのような基準でシンボルの操作が行われたのかについては、たとえば、椎名林檎氏の選曲に限れば、下記の両氏のような見解もあることであるし、ほかの人たちの検証を待つことにしたい。ただ、第二次世界大戦後の画壇における戦争協力者の復権状況を見る限り、今後の「戦後処理」につながる批判こそが有用であることを付け加えておきたい。

こわれたおもちゃをだきあげて 攻めている演出(2016年8月22日)
http://takashin110show.blog119.fc2.com/blog-entry-2674.html

リオ閉会式で椎名林檎が五輪批判の舞台音楽を使用! 野田作品は東京五輪を戦争の装置として描いていたのに|LITERA/リテラ(2016年8月23日、水井多賀子)
http://lite-ra.com/2016/08/post-2517.html

 ただ、宮武嶺氏の指摘にもあるように、今回の演出は、紛れもなく、オリンピックの政治利用である。特に、今回の演出は、モスクワ五輪のボイコットなど著名な事例との対比も有用かも知れないが、まずは、1936年ベルリン五輪や1940年東京五輪と同列にみなすべきであろう。今回のケースは、オリンピックの政治利用の中でも、登場する必要のない政治家が華々しく登場したケースに相当するためである。なお、分析者が陰謀論を多少なりとも知っているならば、東西冷戦が一種のアングルであったことをも視野に含めた検討が可能になるはずである。

NHK「オリンピックの第一の目標は国威発揚」⇔オリンピック憲章「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会」 - Everyone says I love you !(宮武嶺氏のサイト、2016年8月24日)
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/dade80dd1b3653332b12ba5e4892a229


 マリオは、『ドンキーコング』(1981年)が初出である。当初予定されていたポパイの代わりに宮本茂氏がデザインしたキャラクターである。スティーブ・ジャクソン・ゲームズの『Illuminati』には、ぱっと見、緑の土管とマリオやドラえもんを暗示させるデザインは見られない。池上通信機が基盤を開発し、プログラムは任天堂によるという。『bit』1997年4月号「ドンキーコング奮闘記」と滝田誠一郎 『ゲーム大国日本 神々の興亡』 青春出版社、2000年.は、(私にとっても)要確認である。

 任天堂も池上通信機も、会社の歴史という観点から見れば、同一の時期に一部上場を果たしている。二部上場以後、両社とも、一部上場までにしばらく時間を要している。ただし、両企業とも、この時期から現在の業態に至るまでの間に必要とした技術は、半導体技術である。両社とも、半導体を応用した産業に属する企業の例として見る必要がある。ほかの種類の偶然を見出すという必要は、ほぼないであろう。陰謀論者が調査することに、無駄はないのかも知れないが、その結果は、単に80年代に半導体技術を応用して成長した企業の興隆史を追うということになろう。

 一部の陰謀論者(リンクは文末)は、マリオの赤・青のカラーリングに対して悪魔教の一類型を「発見」しているが、これは、枯れ尾花に幽霊を見ているようなものであろう。万が一、この種の仕込みが1980年代からのものであり、宮本茂氏がこのようなカラーリングをオカルト業界から仕入れていたとすれば、それはそれで相当に長大な伝説となりうる。たしか、スプライトに利用可能な色が限定されていたという事情もあり、ドット絵でも分かりやすく表現するために、あのデザインになったとの宮本氏の話をどこかで読んだ記憶がある。おそらく、当時の事情は、それ以上でもそれ以下でもないのであるが、他方で、現時点でマリオが主役に抜擢された事情は、異なりうるかも知れない。カラーリングが適していたか否かの話は、私の与り知らぬところである。

 球をパスしていくという構図は、コマーシャルではそれなりに定番の方法であるような気もする。非常にたくさんの人がボールを投げ/画面が切り替わり/受け取るというパターンである。ただ、いざ動画をネットで探そうとしても、なかなか出会わないものである。例としては、ライバル会社である博報堂の制作になるが、ACジャパン(公共広告機構)の2008年7月のCMがある。

 この話の脈絡は、それほどないのであるが、本記事は、メモであるから、この程度で十分であろう。とりあえず、Wikipediaさんを取っ掛かりに始めるのも、それほど悪いものではないという見本にもなろう。オチらしきものがなければ、プロとは言えなさそうなので、オチらしきものを述べておくと、ゾンビもののFPS『Dying Light』(以前の私の記事)には、スーパーマリオへのオマージュがイースターエッグとして用意されている。


ドンキーコング - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B0

宮本茂 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E8%8C%82

会社情報:会社の沿革
https://www.nintendo.co.jp/corporate/history/index.html
1962年 (昭和37年):大阪証券取引所市場第二部および京都証券取引所に株式を上場。
1963年 (昭和38年):任天堂株式会社(現商号)に社名変更。
1970年 (昭和45年):大阪証券取引所市場第一部に指定。
1978年 (昭和53年):業務用テレビゲーム機を開発、販売開始。
1980年 (昭和55年):携帯型ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」発売。アメリカ、ニューヨーク州に現地法人Nintendo of America Inc.を設立。
1981年 (昭和56年):業務用テレビゲーム機「ドンキーコング」を開発、販売開始。
1982年 (昭和57年):アメリカ、ワシントン州に新たに現地法人Nintendo of America Inc.を設立し、既存のニューヨーク州法人を吸収合併。
1983年 (昭和58年):東京証券取引所市場第一部に株式を上場。家庭用テレビゲーム機「ファミリーコンピュータ」を発売。
高野雅晴 (2008年10月2日). 「【任天堂「ファミコン」はこうして生まれた】第6回:業務用ゲーム機の挫折をバネにファミコンの実現に挑む」『日経BP(日経トレンディネット)』
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/special/20081001/1019315/?P=2
(※記事は「日経エレクトロニクス」1994年9月12日号の「ファミコン開発物語」を再掲載したもの)
 【...略...】1981年に当時の技術をたっぷり盛り込んだ業務用ゲーム機、「レーダースコープ」が完成する(図1)。スペース・フィーパーの開発から付き合いのあった池上通信機と共同で開発した。要求仕様を任天堂が出して、回路設計を池上通信機が担当した。
 【...略...】
 技術競争に目を奪われていたと上村(#上村雅之氏。)は当時を振り返る。【...略...】

社内公募のゲームが救う

上村は、社長の山内溥から「もう池上通信機には行くな」と釘を刺されてしまう。【...略...】善後策として、残ったメンバでレーダースコープの基板を改造して新しいゲーム機に仕立てることになった。
 社内公募で全社的にゲームのアイデアを募った。四つの案が集まり、その一つを実現することになった。それが初めて「マリオ」というキャラクタが登場した「ドンキーコング」である(図2)。
 アイデアを提供したのは工業デザインを担当していた宮本茂である。後に「スーパーマリオ」を生み出すことになるゲーム・クリエータの処女作だった。


Milestone | Company Profile / IKEGAMI TSUSHINKI CO.,LTD.
http://www.ikegami.co.jp/en/company/history.html

池上通信機 - Wikipedia(日本語版)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E4%B8%8A%E9%80%9A%E4%BF%A1%E6%A9%9F
1961年(昭和36年)6月:東京証券取引所店頭市場に株式公開
1961年(昭和36年)10月:東京証券取引所市場第二部に株式上場
1981年(昭和36年):エミー賞(HK-312, HK-357A)
1983年(昭和36年):エミー賞(EC-35)
1984年(昭和59年)2月:東京証券取引所市場第一部に株式を指定替え上場
#大株主を調査するには、国会図書館がもっとも簡単そうである。

有価証券報告書 | 調べ方案内 | 国立国会図書館
https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-102080.php

エコライバルになろう(第2回日韓共同キャンペーン・日本制作)|広告作品アーカイブ|ACジャパン
https://www.ad-c.or.jp/campaign/search/index.php?id=509

教学!!RIOオリンピック閉会式で安倍首相の演じたマリオの真実!!|しらくもの健康を取り戻そう
http://ameblo.jp/kazukttk/entry-12193406044.html


平成28年8月28日・29日修正

分かりやすさのため、原文の意図を変えずに表現を修正し、淡赤色で示した。

平成28年9月7日追記

#内容は、本文と随分と重複している。

 イタリア語では、マリオとマリアは明らかに男性名詞と女性名詞の対であるかのように見ることができるが、しかしなお、この事実をもって、両者を同一の存在であるとして、オリンピック閉会式が「悪魔の儀式」として悪用されたと主張することは、無理筋であると思われる。イタリア語におけるこれらの語感に対する指摘は、もっともなものではある。ただ、ラテン語を最も良く保存しているという言語がいずれであるかといった研究は、おそらく、分類技術の発展によって、最近の研究成果が従来の研究成果を置き換えつつあるであろうから、専門家でない私があれこれ言うのは、控えるべきであろう。それに、「悪魔の儀式」が完成された場所は、現在の中東地域に求められるはずであって、ラテン語よりは、ヘブライ語が良く情報を保存しているはずである。

 なお、マリオ=マリオネットという語呂合わせが日本語上で企画者側によって用意されたものと仮定することは、二通りの見解を生み出す。一点目の見方は、企画者側もこれらの語の由来を同一のものとして理解していたというものであるが、この見方を取ると、企画者側は、式を通じて、かえって無知をさらけ出すことになる。わが国のサブカルチャーの伝統に則してみれば、このケースは否定できないものである。しかし他方で、情報の受け手である陰謀論者の側で、マリオ=マリオネットという連想に係る誤解が勝手に形成されることを「知っていて狙った」と見ることもできる。この二つ目の見方は、今回の企画が、陰謀論者に対する高度な印象操作であったことを示すものとなる。

 閉会式の企画・実施という作業工程全体から見て、マリオ=マリオネットを検討するという作業は、最上流に位置し、リードタイムにそのまま効いたものと思われる。この作業の遅れは、工程全体に直接影響する。ポケモン>マリオという世界の人々の認知度(と読み替えた検索回数)は、「販売本数を統計として利用する」という事実と併せれば、「使いやすいキャラクターを利用した」という本記事の推測を強化する証拠となる。マリオ=マリオネットという連想を用意する作業は、たかが陰謀論者の推理を喚起する材料に過ぎないとはいえ、検討にかける時間の分だけ、プロジェクト全体を遅らせる要因となるのである。

2016年8月18日木曜日

高須克弥氏はポケモンGOを遊ぶ場所を選んだ方が良いのではないか

 高須クリニックの高須克弥氏が、昨日(8月17日 19:18)付で次のツイート※1を発信している。ナイジェリア連邦共和国の五輪サッカー代表への寄付※2に関係してのことであると推測される。これに対する私の意見は、題名のとおり、遊ぶ場所を選んだ方が良い、というものである。ポケモンGOは、大使館の外で遊ぼうね!が基本である(リンク)ためである。


※1 高須克弥さんのツイート: "ナイジェリア大使館でポケモン。病みつきになりそうだぜい https://t.co/9o6QGCr1TO"
https://twitter.com/katsuyatakasu/status/765855221851369476

※2 高須院長、ナイジェリア代表に2000万円寄付へ。現地リオでの直接手渡しを決断【リオ五輪サッカー】 | フットボールチャンネル | サッカー情報満載!
http://www.footballchannel.jp/2016/08/17/post169756/


2016年8月10日水曜日

平成28年7月31日執行東京都知事選挙の期日前投票数の増加について

要約

本稿では、先月(2016年7月)の都知事選に係る期日前投票結果を考察するために必要な材料を提示する。最初に、制度の開始時期とおおよその規模について確認する。次いで、先月の参議院選挙と都知事選の期日前投票の割合が異なることを確認する。最後に、この差が生じた要因として検討すべき内容を思いつくままに挙げてみる。本稿では、あくまで謙抑的に考察を進める予定であり、一部の向きが私に対して予期するような「ちゃぶ台返し」は、別稿にて行う予定である。

#つまり、本稿に示す内容は、あくまで客観的に検証することの可能な内容であり、肯定も反論も、的確に行うことが可能なはずのものである。

本文

期日前投票制度は、従来の不在者投票制度の一部を代替する形で、2003年12月1日から施行された制度※1である。平成28年の時点では、地域や選挙の種類にもよるが、有権者数の1割から3割程度に相当する票がこの制度を利用して投じられたものとなっている。平成28年7月31日の都知事選挙において、期日前投票数は、都全体の全選挙人名簿登録者数に対して15%を、町村部に限定すれば19%を占めている※2。期日前投票数は、現時点では、選挙結果を大きく逆転させうるほどの規模に達していると言うことができよう。

 これに対して、従来の不在者投票は、期日前投票制度の導入直前には、多くとも、当日有権者数全体の1割程度を占める程度であった。たとえば、期日前投票制度の施行直前の2003年11月の衆議院選挙については、東京都の不在者投票数は、63万票近く、全投票数の約6%であった※3。全島避難となっていた三宅村については、有権者数の3割に達している※3が、これは、例外であろう。不在者投票では封書して署名する必要があるため、この作業の不要な期日前投票が気軽さから投票へのハードルを下げたという側面があることは、否定できないであろう。

 東京都における期日前投票の動向は、選挙日が一年のどの時点にあるかによって、多少の変動を受けるであろう。人間が習慣や季節に影響される社会的生物であり、わが国の四季がかなりの変化を有するものである以上、選挙日に対して何らかの仮説を措くことは、無駄ではなかろう。ただし、仮定を措かないことも、否定されるべきことではない。投票者をモデル化するにあたり季節や社会的属性(特に出稼ぎ者や学生等)を考慮することは、推定の確度を向上させる上で必要なことと考えられる一方で、現時点の私のように、当局の公表する集計データだけを利用する分析者が個人的属性に影響されるであろう内容までを考慮することは、作業として過大となりうるためである。

 しかしながら、先月の参議院選挙よりも東京都都知事選挙における期日前投票数が147718票も増加しているという統計上の事実は、この票数が都知事選挙の当日有権者数から見れば1.33%あまりに過ぎないものである一方、誤差と言い切るには微妙さの残るものでもある。この1.33%という差は、いわゆる非集計モデルを仮定した場合に、何かの要因を取り込み損ねたのでなければ生じない程度に大きな誤差である。モデル適用先となる東京都内の有権者数が1108万人にも達するからである。この事実を、最もシンプルな形のシミュレーションを通じて確認しよう。

 各選挙における当日有権者数を試行回数とする、各選挙における期日前投票数を当日有権者数で割った値を確率とみなす二項分布を想定し、これらに従う実現値を10000回分得る。その分布を下図に示す。実現値を真値とみなせば、期日前投票率がふたつの投票間で異なる、という命題は、成立するのである。本来、シミュレーションの手続としては、ふたつの投票に係る期日前投票率に何らかの分布を仮定して、その分布を個人に当てはめるという手順が正統である。しかし、ここでの主張は、単に、ふたつの投票における期日前投票率が基本的に異なるものである、というものに過ぎないから、下図で十分に示すことができようし、また、そのような知的負荷の高い作業手順を遵守することは、私のような行き当たりばったりな思考形態の生物には無理である。

図:平成28年7月執行参議院選挙と都知事選挙における期日前投票率について
二項分布を仮定した場合のシミュレーション結果(10000回、赤:参議院選挙、青:都知事選挙)

 ともあれ、どのような方法であっても、おおよそ、非集計モデルによる限り、都知事選の期日前投票率が高い、という結果になりそうであることは、上図によって示せたものと思う。なお、上図では、x軸方向を300個に分割し、ヒストグラムを描画させている。具体的な方法は、このRファイルに示した。シミュレーションには、『R』を利用し、描画には『ggplot2』ライブラリを利用した。

 都知事選と参院選に係る東京都全体の当日有権者数と期日前投票数については、このRファイルに示したとおりであるので、再度の掲示は省略するが、わずか3週間で、当日有権者数が74685名減少するというのは、社会移動があると仮定しなければ、理解に苦しむ人口差である。当日有権者数であるから、まず、東京都民全員ではない。17歳以下の人口や、選挙権を停止されている都民が除外された人口である。夏場は、通常、死者が少ない。このため、52/3を乗じた、-1294540という数値は、年間に換算した東京都民の人口減少数と見ることも可能となってしまう。人口減社会であるにしても、にわかに受け入れがたい、驚くべき数値である。社会移動が生じた理由は、今後、追究の対象となって良いことであろう。

 ところで、ふたつの選挙における期日前投票率にこれだけの差が生じた理由には、ほかにどのような理由が考えられるのであろうか。私にはそれほど見えていないのであるが、天候や気温、祝日や休日の配置といったものは、説明として受け入れやすいものであるので、とりあえず、大まかなところを確認しよう。本年7月10日は夏休み前の日曜日であり、7月31日は夏休み真っ盛りであるが、10日の東京都(本島)では降水がなく(羽田八王子、7月10日)比較的過ごしやすい気温であった一方で、31日は天候が大荒れであると予報されており、区部の一部では、昼に大雨が降り(羽田八王子、7月31日)、その後、大変に暑くなった。

 小中学生以下の子どもや孫を持つ成人が、夏休みや22日配信(『モバイルナビゲーター』、リンク)の『ポケモンGO』に振り回され、期日前投票したと仮定することは、それほど無理筋ではない。ただし、この仮定は、普段から投票してきた成人に適用されるものと考えなければならない。でなければ、なぜわざわざ、当日投票ではなく、期日前投票することになったのか?というさらなる疑問を呼び起こすからである。当日であっても、投票所の前にポケモンが現れることが確認できていたとすれば、期日前投票する必然性も薄れるからである。夫婦の片方だけがポケモンを探しがてら、期日前投票したことになるというケースも想定はできる。このような夫婦や家族の存在は否定できないが、実証が必要そうである。三世代家族であれば、祖父母のいずれかが期日前投票に孫を連れて行く、というケースが十分ありそうにも思われる。10万世帯(程度)がこのような行動を強いられた、というわけである。


※1 総務省|期日前投票制度の創設について
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/touhyou/kijitsumae/
期日前投票制度の創設等を内容とする公職選挙法の一部を改正する法律が第156回国会で成立し、平成15年6月11日に公布、平成15年12月1日から施行されました。

※2 衆議院議員選挙(小選挙区選出)不在者投票の最終結果について(確定)(Internet Archive Wayback Machine)
(平成15年11月11日 東京都選挙管理委員会)
https://web.archive.org/web/20040603053848/http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/data/h15shu_fuzai.html

※3 平成15年11月9日執行衆議院議員選挙(小選挙区選出)不在者投票の中間状況について(選挙期日7日前まで)
(ファイル名:43 衆院選・不在者投票中間状況報告(1回目)資料.xls - fuzai_jokyo.pdf、平成15年11月3日 東京都選挙管理委員会)
https://web.archive.org/web/20061229134748/http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/shugiin/fuzai_jokyo.pdf

2016年8月4日木曜日

「ポケモンGOはお家やお外で遊ぼうね!」が正しい啓蒙法である

#題名と内容の多くが微妙にすれ違っているが、最後に一応、題名に内容がたどり着く構成である。

スパイならポケモンGOをどう使うか  編集委員 高坂哲郎 :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO05508520R00C16A8000000/

 上掲記事は、本日(平成28年8月4日)の日経朝刊に電子版を紹介する形で掲載されている。


 高坂氏の記事に示された懸念のうち、「スマホを持ち込むべきでないところに持ち込まない」という点については、その通りである。しかし、技術上の仮定があり得ないものとなっている。このため、本記事は、かえって民心を惑わす内容となっている。本記事では、高坂氏の誤りを指定しておくことにする。私のポケモンGOについての理解は、以前に示したとおりである(リンク)。

 高坂氏の想定するクラック手法は、およそ次の4段階であるが、そのいずれにも無理があると考えることができる。まず、不正アクセスによって、サーバをクラックする。次に、クラックされた状態を継続し、ユーザの位置情報から、ユーザを選定する。選定されたユーザを釣るために、重要施設内にレアアイテムなりポケモンなりを発生させる。最後に、ターゲットとしたユーザが重要施設内を撮影するよう誘導する。

 第一段階は、もとより難しそうであるが、コンピュータセキュリティは、私の本業ではないので、詳しい検討は私では行えない。しかし、サーバに対する不正アクセスは、サイバー攻撃と見なされ、戦争の端緒にすらなりうることを指摘できる。戦争してまでクラックするに足る内容ではない、ということは、「スパイの身になって考え」てみれば、直ちに了解可能なことである。私は、この記述から、高坂氏のセンスを疑うに至った。(つまり、仮定の第一段階からおかしいのである。)

 第二段階についてであるが、ユーザの位置情報が個人識別可能なように保存されていると積極的に考える理由は、ない。個人識別可能でユーザの位置情報を記録していくことは、価値がないわけではない。しかし、大抵の分析は、時間単位ごとのセル内のユーザ数のように、集計データで十分であるし、その際、個々の端末の移動状況を再現可能なように記録する必要もない。ゲームのおもしろさを増す要素として、移動距離の長短(前回ログイン時からの経度緯度の差)や移動した国の数(IP)も考えられるものの、これらのデータを個人識別可能なように保存する必要も、特にない。特定位置に周期的に存在する端末を抽出する必要性がサーバの側になければ、このようなデータが保存される可能性もない。仮に、特定端末について、位置情報(緯度・経度・高さ・時刻)がテーブルになっているとしても、このデータは、長大な一つの表になっている必要がない。データベースがあまりにも大きくなりすぎ、しかも、それが完全である必要がないときには、不正アクセスしたユーザが捕捉したいユーザを含むテーブルを取得できるとは限らないであろう。(それが最近のビッグデータの使い方のようである。)あるかどうか分からないデータを取得するために不正アクセスするのは、合理的ではない。

 第三段階であるが、レアアイテムやレアポケモンを勝手に作成して、サーバに登録し、運用するという作業は、必ずや運営者に気付かれるであろう行為である。もとより高いレア度のポケモンは、慎重に運用されているであろうから、レア度の高いポケモンが非常に近い位置に三体集まっていたら、しかも、それがユーザ数のきわめて少ない場所であったならば、いくら何でも運営者だけでなく、ユーザすら気が付き、騒ぎ出すであろう。不正なアイテムについても、同様である。ユーザからの不正報告などによって、想定しないルートから不正が発覚するのは、侵入者が身バレしたことを自覚できないために、危険である。

 第四段階は、きわめて難しい。クラッカー側が重要施設内部を見たいという目的を有していたとしても、位置情報の精度やアンテナへの接続状況によっては、目的を達成することが困難であろう。

 以上にみた私の批判をふまえれば、高坂氏の考えた方法は、きわめて実現可能性の低いものであり、ポケモンGOそのものを批判する材料としては、完全に的を外したものである。合法的な契約を締結した以上、その契約に則る形で運営が維持されている限り、責任はユーザの側にある。高坂氏の考える方法があまりにも可能性の低いものであるので、代わりに、ありえそうな危険を考えてみると、その方法は、スマホ本体を乗っ取るというものになるであろう。つまり、サーバサイドではなく、クライアント(端末)サイドがクラックされ、悪用される虞の方が、遙かに高いのである。

 重要施設の付近に位置するクライアントが個別に狙われて乗っ取られる、という虞は、十分に認められるが、これは、ポケモンGOに限らず、ほぼすべてのアプリに共通する危険性である。重要施設は、わが国では、わが国の急峻な地形という条件があるために、ほとんどの経路が限定された状態にある。途中に無線LANのアクセスポイントを設けて、いろいろと引っかかるのを待つという方法は、ポケモンGOサーバをクラックするよりも、圧倒的に楽で、問題として対処すべきものである。そのニセのアクセスポイントを通じて、ニセのポケモンGOクライアントやパッチをダウンロードさせ、本来の正規サーバに接続すると同時に、ニセサーバへも同報させて、情報を抜き取るために用いるということは、それなりに考えられる危険である。ただし、この場合には、どのように正規サーバによるクライアントの真正性チェックから免れるのか、が最大の課題になりそうである。

 ポケモンGOがセキュリティ上問題となるケースは、いろいろと考えられるが、ほぼ間違いなく、高坂氏の懸念するような形では、情報流出のような問題が起こることはないであろう。基本的には、情報が流出したとしても、ユーザの責任となる構図となっているのである。どのような経緯で情報流出するにせよ、ターゲットの端末に何かを仕込まれるところまでの過程では、地理的プロファイリングを提唱したキム・ロスモ氏の言うところの罠師(trapper)に近い方法が取られるであろう。その後、ターゲットから情報を抜き取る機会は、流し網漁師(troller)のような形で得られよう。つまり、監視中のターゲットのカメラが偶然映し込んだ情報を必要に応じて保存するというわけである。このように得られる情報は、「いつか利用できる」類いのものであって、クラック側の知りたいことをピンポイント・リアルタイムで教えてくれるものではないであろう。

 むしろ、ポケモンGOの流行に伴うセキュリティ対策として基本とすべきは、「ポケモンGOはお家やお外で遊ぼうね!」という、スマホゲーム全般についての啓蒙である。「職場で遊ばないのは当たり前!」ということを周知・啓蒙するのは、やや大人気ない話であるが、職場側が考えるべき話である。スマホゲームの単独のタイトルに処置を求めることは、やや過剰に過ぎよう。それに、機密保持が必要である場所に情報端末を持ち込ませないのは、企業や職場であれば、普通ではないだろうか。高坂氏の論法によって、ポケモンGOだけがスマホゲームとして槍玉に挙げられるのは、どうも納得がいかないのである。




 韓国がポケモンGOから外れているのは、(ネットワーク?)地図データが提供されていないためであるという。地球地図には一定のデータが提供されているので、1km程度の誤差のあるデータであれば、世界中でプレイ可能であるということになる。ポケモンGOは、その精度よりも2桁以上の低い誤差しか許容しないゲームであろう。

 Ingressにしても、ポケモンGOにしても、なぜ平行四辺形状のセルになっているのであろうか。少しばかり気になる話である。私が最初に考えたことは、ある衛星軌道から見た場合に何らかの意味を有しているのであろうか、ということである。非オルソ画像を用いていても、衛星画像からイベント発生箇所を抽出・選定しやすくなるからとか?と考えてみたのである。

「ポケモンGO」なぜか韓国でゲットだぜ! 北朝鮮との境界近くに押し寄せる人々
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/14/pokemon-go-korea_n_10983510.html

2016年8月3日水曜日

『SAW』シリーズの「ゲーム」はテストであってゲームではない

 疑問が氷解するきっかけがあったので、忘れないうちに記しておくことにする。

 『SAW』シリーズ、18禁映画を話題にしたい。こう見えて、快楽主義者な私は、このシリーズを嫌悪するとともに、非常な違和感を感じてきた。初作を観たとき、かなりの初期に、犯人が分かってしまい、めっちゃ萎えた、という経験も影響している。それよりも何よりも、このシリーズ中で用いられる「ゲーム」という言葉に引っかかってきた。バレバレだが、私は、普通の人よりは、ゲーマーである。

 同シリーズの主人公、ジグソウの(初作なら二人が目覚めた後の)決め台詞は、I want to play a gameであるが、私からすれば、奴の意味する「ゲーム」は、どう見ても、生きるに値するか否かの「試験」であって、英語で正確に意味する用語を探せば、私に言わせれば、testである。もちろん、私は、奴が「ゲーム」の語を「生の価値を体感するために、痛みに耐える」という作業内容を指して用いていることを、理解しているつもりである。また、一応、ジグソウは、奴なりの基準によって、ゲームとテストという語を相手によって使い分けているようではある。

 しかし、『SAW』シリーズにおける「ゲーム」という語が意味する、「痛みが用意されており、我慢する必要があって、報酬は自分の生命である反面、失敗はほぼ例外なく死」という状態は、明らかに、ゲーム数千年の歴史が想定する「ゲーム=遊戯」の伝統的な意味に反したものとなっている。通常の意味でのゲームは、大抵の人にとって、成功報酬は低いかも知れないが、失敗による不利益もほとんどないものである。なお、賭博とゲームが深い関係を有しながら発展してきたことは、これまた共通の理解であろう。賭博に起因するゲーム上の失敗・敗戦には、不利益が付随しがちではある。しかし、それは、あくまで、賭博という行為に係る話である。それゆえ、ゲーム自体が不利益を生じさせるということではないはずである。

 このように、「ゲーム」に対する基本的な誤解が向こう側に認められるため、私は、『SAW』シリーズを受け付けないのである。『死亡遊戯』なら良く分かるし、楽しんで観たというのは、落ちていないであろうが、オチのつもりである。

2016年7月31日日曜日

ポケモンGOから地図情報が作成されるという主張には疑問がある

 ポケモンGOについて、『サイゾー』系列の陰謀論担当サイト『トカナ』※1が本年7月20日の時点で、海外の陰謀論サイトの記事※2を引用する形で、プライバシーに係るデータを収集する虞があるという記事を掲載している。記者は、仲田しんじ氏である。この指摘の根拠は、プライバシーポリシーが寛大に過ぎること、制作企業のルーツが国家の情報機関と関連していること、であるという。元記事に分かりやすい形の日付はないが、2016年7月13日の発行のようである。

※1 「ポケモンGO」は“全人類奴隷化”に向けての監視装置である可能性が浮上! すべての情報はCIAに送られている!?
http://tocana.jp/2016/07/post_10388_entry.html

※2 Don't Play Pokémon Go! It Is The Latest Government Surveillance Psyop
http://www.disclose.tv/news/dont_play_pokmon_go_it_is_the_latest_government_surveillance_psyop/133115

 結論から言えば、仲田氏が主張する形によっては、データが送られるという虞はないであろう。その理由は、私が以前の記事で示唆しているので、そちらを参照されたい。この主張が誤ったものとなった理由として考えられるものは、単に元記事に忠実であるだけ、というものであろう。仲田氏の記事には、地図情報についても正確ではない理解が見られる。実のところ、本記事は、この不正確さを難に思うので、作成したものである。
またすでにGoogleマップとストリートビューは超大な情報量を誇っているが、例えばこの『ポケモンGO』のプレイヤーからは場合によっては私有地や建物の中の画像情報も自動的に集まってくることになる。“ビッグブラザー”側は放っておいてもこれまでにない詳細な地図情報が刻々と集積されていくことになるのだ。
この段落には、「放っておいても」「これまでにない詳細な」「地図情報」という3点の不正確な記述が含まれている。第一に、「放っておいても」地図制作に必要なデータがすべて収集される訳ではなかろう。第二に、スマホカメラの映像撮影時の性能が完全に満足できるものではないために、「これまでにない精度」とまではいえない余地があろう。第三に、集積されるのは、映像であって地図情報ではない。

  第一点目の誤解であるが、ある空間に集まっているポケモンGOユーザの映像をすべて取得したとしても、特定の時空間についての映像がモザイク状に得られることが期待できるだけであろう。特に、空間の使用方法が限定されている場合には、ユーザの移動範囲が限定されることになるために、そこから走査可能な空間のみが得られるという結果に偏るであろう。ユーザからの予想される反発というリスクを冒してまで、しかもネットワークやスマホに多大な負荷をかけてまで、すべての映像データを収集するよりは、軍艦島を撮影したときに用いられたようなリュックサック式撮影装置※3を用いた方が、よほど正確な空間画像を取得できるであろうし、良い意味での話題作りにも利用できるであろう。何なら、この機械が近くにいるときだけ、特別なイベントを発生させても良いのである。正確な空間画像が取得できることは、地図製作の一歩となる。精度が低いと、加工作業だけでも大変になる。目的が映像そのものではなく、地図情報である限り、仲田氏により予想された方法は、スマートさとは程遠い。

※3 Google Japan Blog: "軍艦島”をストリートビューで歩いてみよう
https://japan.googleblog.com/2013/06/blog-post_28.html

 第二点目の「これまでにない詳細」さについては、時空間上、時間軸については、そのとおりであろう。しかし、空間上、つまり、画像の解像度を評価の指標とした場合には、まず間違いなく、そうではないと言えよう。スマホカメラでは、何らかのフィルタを用いたり、魚眼レンズ風写真のためのオプションを用いるなどしない限り、ストリートビューのように、ある地点から見た場合の天球を再現できるほどの使いやすい画像が得られる訳ではない。また、映像として取得している時点で、ブレやら何やらについても、処理が必要となる。スマホ側に処理をさせて映像データを送るという作業もは、過大な負荷を強いるように見える。

 第三点目であるが、単なる映像と地図情報とでは、位置情報に係る精度を保証するという点において、大きな違いがある。完全に映像が得られたとしても、これらの映像は、再現しようとする時空間に対して、(美術品にいう)モザイクを制作するときのように、精度を保ちながら当てはめていくという作業が必要である。この作業においては、人工知能が限定的に活躍する余地がある。このために、この作業は、ある程度までは自動化可能であると予測できる。しかしそれでも、「放っておいても」「地図情報」が自ずから形成される訳ではない。そこには、GISエンジニアの人知れぬ苦労が横たわっているはずである。

 物事に陰謀論を見出すことは可能であるが、その陰謀論が批判となりうる場合、一部についてであっても、根拠が児戯に等しいレベルであることは、主張の全体について、信頼を失うことになる。ただ、陰謀論に係る言論の世界では、一部の議論の質をわざと落とす、という作業が施されることがある、ということにも注意しなければならない。その理由として考えられるものには、たとえば、論法が敵味方を弁別するための手がかりであったり、あるいは、重要な内容を伝えるためのバーター材料であったり、というものがあり得よう。翻って、元記事は、また、『トカナ』の記事は、いかなる理由で、質の低い議論を行うに至ったのであろうか。興味が尽きないところである。