調査設計の重要性と選択バイアス
サンプリングの不味さから生じる選択バイアスは、予測を大きく外すことになる主要な原因である。選挙予測に係る選択バイアスの有名な事例は、リテラリー・ダイジェスト社による、1936年アメリカ大統領選挙の予測が挙げられる。この失敗とは対照的に、ルーズヴェルト大統領の当選予測により、ギャラップ社は躍進した※1(と日本語では見做されている)。この教訓が世に知られているはずの今でも、多くの選挙予測(めいたもの)が選択バイアスを軽視していることは、前稿(2016年9月30日)で触れたとおりである。調査に先立ち問題の構造化が大切であるという理解は、決定的に重要である。別記事で紹介した(2016年10月14日)林知己夫氏の『調査の科学 社会調査の考え方と方法』(1984年)や『計量行動学序説』(1993年)、丹後俊郎氏の『統計学のセンス』(1998年)は、この作業の大切さを指摘している。イアン・ハッキング氏は、統計学的手法を利用する場面の全体を、「モデリング」とこれに引き続く「データ分析」に二分して、前者の重要性を指摘している。ハッキング氏の理解は、林知己夫氏による非標本誤差の説明を加味することにより
- モデリングの段階では、非標本誤差をデータ分析に乗る状態に留めること
- 後のデータ分析の過程では、非標本誤差は前提条件となるので、これをふまえた考察を行うこと
非標本誤差の存在は、統計学を多少は理解しつつも、主題とする専門分野に詳しい研究者の必要性を明らかにする。同時に、統計学者もまた、それらの専門分野に存在するはずの非標本誤差を良く理解して、専門的な見地から非統計学者の統計学の誤用を気兼ねなく検討すべきである。つまり、自由に物を言える環境が必要である。このとき、非統計学者が統計学的手法を誤るにしても、古典的な方法を使い続けているなどの統計学上の誤りを犯す方が、非標本誤差を無視することに比べれば、統計学者から見れば、許容されるべき誤りかも知れない。その反面、非標本誤差の見落としは、その専門領域に即してとらえなければならない分※3、厄介であろう。
選挙関連調査に係る非標本誤差と選挙報道の責任
選挙の事前に行われる情勢調査は、読者の投票行動を通じて、選挙結果にも影響するため、その結果を分析するにあたっては、この影響まで見据えた慎重な表現が必要とされる。本番前の選挙予測に対しては、多くの現象が発見・命名されており、選挙報道に対する批判にも、それら研究由来の概念が利用されている。この成果を利用すれば、悪事すら企図できよう。例えば、勝ちそうな候補に便乗するというバンドワゴン効果は、勝たせたい候補が多く含まれるように調査を行うことにより、勝たせたい候補に有利な結果を示すという形で利用できる(2016年9月30日)。もちろん、調査方法まで確認する慎重な読者ならば、調査主体による誤魔化しを一目で見抜くことができるが、ここまで調べるマスメディアの読者は、それほど多くはない。これは、選択バイアス、つまり、調査設計に不備があるために生じた系統誤差(非標本誤差の一種)を悪用した方法である。出口調査は、当該の選挙に対して何らかの動きを与える訳ではないが、それでも、注意深く分析される必要がある。選挙予測と同様、調査方法をふまえて解釈されない限り、次回や将来に向けての禍根を残す結論を導く虞がある(2016年7月11日)ためである。また、ある政党の支持候補がその政党の支持者によって指示されなかったと報じることは、その政党内部に対立をもたらし得る。2016年8月1日の読売新聞の出口調査は、共産党や公明党といった「熱心な」政党の支持者までもが小池氏に投票したことを伝えたが、この報道は、「犯人探し」をこれらの組織票を抱える政党に対してけしかけるものである。これらの理由から、出口調査もまた、非標本誤差やその他の影響について、注意深い検討を加えられる必要がある。
そもそも、マスメディアの読者は、当該分野を十分に知る多数のプロフェッショナルによって、的確に要約された情報を期待して、マスメディア情報を購買していると考えられる。これに対して、非標本誤差を考慮せずにマスメディアが選挙報道を垂れ流すことは、ほとんど企業犯罪・権力犯罪である。例としては、CNNの杜撰な調査を日本語マスコミが出典を省略して引用したことが挙げられる(2016年9月30日)。読者は、原典に当たらなければ、クリントン氏が大優勢と誤認したであろう。
マスコミが非標本誤差を悪用して生じさせた誤解を詳しく分析することは、統計学を利用する個別の研究分野である犯罪学の知見に、一つの事例を積み上げることになろう。新古典派の犯罪学の根幹をなす日常行動理論(routine activity theory)から見ると、犯罪企図者であるマスメディアによる虚報や誤報は、潜在的な被害の対象となる読者・視聴者のリテラシーや、そのリテラシーを左右する学識経験者等により、軽減可能である。学識経験者等、マスコミに関わりの薄い人物の解説は、日常行動理論にいう「有能な保護者(capable guardians)」となり得る。この最後の要因は、読者からの信頼を必要とするものであり、これらの人物による介入は、総じて、新聞やテレビという虚報を流す当のメディアには掲載されないか、されたとしても陰謀論として根拠なしにラベルを張られるという構造が認められる。このため、マスコミによる誤報の被害の予防には、被害者たり得る読者・視聴者のリテラシーが第一に重要となる。日常行動理論の構図こそ当てはまるものの、その予防・抑止は、わが国のように、マスコミが寡占状態にある中では、なかなか難しいというのが実情である。
選挙結果そのものの公正性への疑問
選挙結果そのものに対しても、選挙開票・読取機器を通じた不正の虞を見出すことが可能である。本点は、犯罪の予防という観点から見ると、一民間企業が外部の検証を入れずに旧来の技術を利用し続けており、ほかの方法による副次的な検証も見られないことから、十分に疑惑を持たれる状態にある。また、立会人の映像撮影が不許可であったり、開票所の一般人の立会い場所からの映像が結果全体と明らかに異なる傾向を示すという実例もある。複数の調査と投票結果との不整合は、本ブログで示してきたとおりである。
公職選挙は、効率性ではなく、公正性を追求すべき公務である。投票箱の南京錠の交換費や人件費を含め、公職選挙に係る資機材に対しては、より正当な費用が支弁されるべきである。また、選挙開票・読取機器を抜き打ち検査する第三者機関が存在して然るべきであるし、開票作業に係るトランザクションは、すべて後世の検証に耐えられるように整備されていて当然である。しかし、これらの規範的観点に基づく技術上の指摘は、さしたる理由によらずに陰謀論と誹謗されることさえある。
不正選挙という概念は、2016年アメリカ大統領選においても大きな話題となっているが、この話題に対するとらえ方は様々である。先に紹介した選挙予測の老舗となったギャラップ社は、近年の選挙に対する18歳以上のアメリカ居住者に対する電話調査を実施しており、およそ6割が開票結果を信頼していると回答したことを報告している[1]。選挙の内実はどうあれ、脆弱性がある限り犯罪の虞があると考えることは、犯罪予防政策の基本である。それゆえ、この脆弱性が悪用される可能性を追求し、既存の選挙に対してもその危険性をゼロではないと認めることは、民主主義の根幹を保護するために必要な作業である。
ところで、本記事の執筆にあたり、賛否両論ある話題について資料を収集し提示する『ProCon.org』において、電子投票機器に対する賛否がまとめられている[2]ことに、遅まきながら気が付いた。相当な人数の論者の論点がまとめられている。私も述べたが「プロプライエタリな機器を信頼することはナンセンス」という話は、(私自身は新規性を主張していなかったとはいえ)Nathaniel Polish博士の言(『Forbes』2012年11月6日号)として紹介されている※4。なお、同サイトにおいて、私の意見は、星一つで評価されることになると申し添えておく。
実は、本ブログでは、『WikiLeaks』ならびにそこに示される流出書類は、扱いきれないものと考え、このサイトにはメタにしか言及してこなかった。公開の方法・時期に、手続き上のリソースや労力を超える程度の作為が認められると判断したためである。分かりやすい最近の事例でいえば、最初がパナマで、次は英連邦の一員であるバハマというところに、あまり感心できないものを感じてきた。現在のシリアにおける戦争やアメリカにおける政争はやるかやられるかという状態にあり、戦争屋が相当のルール違反をしていることも周知の事実である。ヒラリー・クリントン氏の陣営に対抗する側が合目的的に振る舞うことは、許容されて然るべきであろう。ただ、このとき、『WikiLeaks』に公開された米国公電を大々的に利用して、日本人である私が何らかの知識を日本語で産出することは、善と呼べることであろうか、という問題意識からどうしても脱却できないのである。
『thegatewaypundit.com』というサイトに掲載された記事[4]は、『WikiLeaks』に掲載されていた元の公電[5]を都合良く解釈するものであり、誤報と呼べるレベルのものであるが、この一方で、公電は良く整理されていて、この件についての知識の宝庫と呼べる。しかし、この電子投票機器に係る総合的な知識は、元々、人類の共有財産と呼べるものであろうか。無法な戦争屋が相手といえども、この知識の利用は、2031年まで待つべきではなかったか、と思えて仕方がないのである。他面、JFK暗殺の事実が通常のルールを超えて2030年にしか開示されないことに、私は大いに疑義を呈する。オバマ大統領がこの経緯や9.11に係る経緯を全面的に開示するのであれば、最後の大仕事となろう。もし実現されるとすれば、賛辞を送りたい。とにかく、『WikiLeaks』については、当面、メタにしか触れないようにしたいと考えている。
※1 この事例自体については、別記事において述べた悪意ある構図(2016年08月19日)とまでは言えないが、留意すべき事項が存在する。
※2 過去に、この部分に係る批評で、ハッキング氏の分類に対しての異議申立てを読んだ記憶がある。『偶然を飼いならす』以後のハッキング氏の訳書についての書評であると思うが、それ以上の材料が残っていない。
※3 「犯罪の件数」を論じる際に最も注意すべき非標本誤差は、犯罪認知件数が警察の認知した件数を指し、暗数を含まないこと、というものである。この理解を無視した研究は、いくら上等な手法を用いていても、大目に見ることができないものである。
※4 同サイトにおいて利用されている理論的専門性ランキング(Theoretical Expertise Rankings、星1~5つによる評価)[3]は、8割合っていれば良いという観点で作成されたシステムであるとのことだが、単に論者をいくつかのカテゴリに分類すれば良かったのではないかとも考える。(カテゴライズする利便性は認められても、序数化する必然性がない。)電子投票機器に対する同一の非検証性は、Voters UniteやVerified Voting Foundationといった団体(advocates)によっても指摘されているが、『ProCon.org』は、これらの団体に星一つを付している。同サイトの運営法人もNPOである以上、星一つなのではという疑問もあるが、それは措こう。有用なサイトであることは間違いなさそうであるためである。
専門性が犠牲にされても私益が優先される社会においては、専門性は意見の評価に役に立たない。また、意見の部分的な引用は、コンテクスト全体の見通しを悪くする(これは上掲サイトに評価方法の瑕疵として取り上げられていた)。発言状況は、多少補足されているが、各人の専門分野・利害関係が併せて提示されていない。提示された意見を評価するには、同サイトを入口として、本人の言動をもう少し把握する必要があると言えよう。
[1] About Six in 10 Confident in Accuracy of U.S. Vote Count | Gallup
(Justin McCarthy、2016年9月9日)
(http://www.gallup.com/poll/195371/six-confident-accuracy-vote-count.aspx)
[2] Do Electronic Voting Machines Improve the Voting Process? - Voting Machines - ProCon.org
(2013年2月8日11:24 PST)
http://votingmachines.procon.org/view.answers.php?questionID=1290
[3] Theoretical Expertise - Voting Machines - ProCon.org
http://votingmachines.procon.org/credibility-ranking.php
[4] Wikileaks: Soros-Linked Voting Machines Now Used in 16 States Rigged 2004 Venezuela Elections
(Jim Hoft、2016年10月22日08:43)
http://www.thegatewaypundit.com/2016/10/wikileaks-soros-linked-voting-machines-now-used-16-states-rigged-2004-venezuela-elections/
[5] Cable: 06CARACAS2063_a
(2006年07月10日)
https://wikileaks.org/plusd/cables/06CARACAS2063_a.html
以下、リンクはいずれもNDL-OPACへのもの。
林知己夫, (1984). 『調査の科学 社会調査の考え方と方法』(講談社ブルーバックス), 東京:講談社.
林知己夫, (1993). 『行動計量学序説』(行動計量学シリーズ1), 東京:朝倉書店.
丹後俊郎, (1998).『統計学のセンス デザインする視点・データを見る目』, 東京:朝倉書店.
イアン・ハッキング氏の論文は、次のもの。
Haking, I., (1984). Historical Models for Justice: What is Probably the Best Jury System?, Epistemologia VII, pp.191-212.
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