以下、本書の評価に併せて材料を提示していこう。
本書は、終戦間際、14~15日の陸軍クーデター未遂事件が三笠宮崇仁親王の主導された「偽装クーデター」であり〔主張1〕、昭和天皇の御裁可により遂行され〔主張2〕、三笠宮が流血に直接関与し〔主張3〕、昭和天皇の身の安全を専らの目的としたもの〔主張4〕である、という非難を提起するものである。この見解は、クーデターが戦争継続派によるものという一般の解釈とは、まるで異なるものである。この非難は、半藤一利の『昭和のいちばん長い日(改訂版)』における「某中佐」の記述から説き起こされ、デイヴィッド・バーガミニの『天皇の陰謀』を導き手として追求される。「某中佐」が三笠宮であるという根拠は、もっぱらバーガミニの推測に乗るものである。
〔以下は、バーガミニの又引きとなる〕
ゴシップの多い日本では、天皇の血族の成員の私的な行為に無名性を与える天皇タブーだけが、日本歴史上のかかる危機的瞬間にかかる氏名の不詳の人物が内宮の構内にいたことを、説明しうる。推測では、某中佐とは天皇の末弟である三笠宮中佐であったというのが強い。三笠宮は、その夜クーデターに参加した若手将校たちの級友であった〔p.157〕。
しかし、クーデター未遂に伴う流血劇の犯人とされる人物たちの行為が、もっぱら鬼塚の推測のみに依拠して説明されることは、注意深い読み手には直ちに了解できることである。「殺害」の現場に居合わせた人々の名前から、「某中佐」の存在を認めるところまでは、推理として許容されよう。しかし、複数の資料を対置してみせた後、鬼塚は、「某中佐」が現場を主導したに違いないと断定する。登場人物の心中は、鬼塚の「暗殺史観」(後述)により、無前提に確定されてしまうのである。この作法は、同書に繰り返し用いられており、上に又引きしたように、鬼塚が道標とするバーガミニの著書にも共通するものである。共通の話題を扱う複数の資料を並置するところまでは、通常の論証の形式であると言える。しかし、本書の問題点は、その後の考察の過程にある。提示された資料から構成できるはずの別の見解を対置することなく、鬼塚は、自身に都合の良い見解を採用するという飛躍を度々行うのである。
鬼塚の論理の飛躍は、第三章において、「殺人」の「被害者」である森赳近衛師団長の14日朝の行動を説明するとき、端的に表れる。鬼塚は、クーデター未遂における森の死が自殺であるという可能性をあっさり捨象し、また、森が同意殺人の犠牲者である可能性に迫りながらも、その可能性をほとんど無視する。鬼塚は、有末誠三の『終戦秘史 有末機関長の手記』を引用〔pp.233-235〕し、14日の朝に、森が同期である有末と宮崎周一作戦部長を訪ねて「死ね」と言い帰ったことを記す。鬼塚は、有末の記述に基づき、次のように自らの見解をまとめる。
十四日の朝までは確かに森赳は生きていた。そして監禁もされていない。しかし、それから十五日午前二時に殺害されるまでの森の姿は、近衛兵が疑問に思うほどにはっきりしない。
十四日の朝、森は阿南〔惟幾・陸軍大臣〕と大城戸〔三治・憲兵司令官〕に会う。ここで、大城戸はあることを伝える。それは、彼の上司である内大臣もしくは某中佐経由のものであろう。その前日の十三日の午後、三笠宮は有末に「実は今朝、陛下から直々に『おたのみ』のお言葉があった」と語っている。
森の反対にかかわらず、近衛兵は、古賀〔秀正・近衛師団〕参謀(中佐)の指揮のもと続々と皇居内に入っている。森は大城戸にこの中止を申し入れたにちがいない。そして逆に大城戸を介して、上位のある者からの通告を受けた。大城戸は内大臣または某中佐に報告するために宮中に消えた。森は自分の運命を即座に知ったにちがいない。それで最後の別れの言葉を言おうと、参謀本部に行き、有末中将と宮崎中将に会いに行く。彼ら三人は同期の桜だ。そして、二人に、「貴様は死〔以上、p.235〕ね」と言う。この森の最後の言葉は激しい。しかし、深い愛情にあふれる言葉ではないのか。有末も宮崎も口には出さないが森の立場を理解している。二人は三笠宮の下で終戦工作をする立場にある。
「憚りながら禁闕守衛については指一本指させぬから、その点は心配するな」
この捨てセリフほど悲しいものはない。もう禁闕守衛の命令一本、森は出せない立場にいたのである〔以上、p.236〕。
鬼塚は無視しているが、この記述からは、クーデターを防ぎ得ずに惨殺されるという無能者の汚名を、森が自ら進んで引き受けたという可能性を認めることができる。自らの死によって、陸軍関係者の意思を昭和天皇の御心に沿うように変革・統一しようとした、という可能性は、モーリス・パンゲによる『自死の日本史』(1986年, 和書2011年, 講談社学術文庫)を参照し、わが国の伝統である現世主義を認めれば、「自死」を決意表明の機会とするわが国の伝統にも沿うものとなる。現世を重視するがために、現世利益の最大の要件である生命を捨てるという転倒は、日常生活においては恐ろしいものととらえられるが、戦争犯罪者として近未来に断罪され処刑されるという展開を予見できたはずの人物が、仮に、祖国に殉ずる機会を与えられたとすれば、この機会を活用することが救いに至る道であると考えたとしても、不思議ではない。鬼塚の著書では、「偽装クーデター」の可能性は論じられたが、「偽装クーデター」のために必要とされた「殺人偽装」の可能性は、登場人物全員の心中を推量する作業を省略することにより、完全に無視されるのである。
鬼塚が森の心中を軽視した結果は、第二章の記述との非整合性という形で表れる。まずは引用しよう。
では、森はどうして畑中からピストルで撃たれたのか。某中佐が偽装クーデターにリアリティを求めたからである、と私〔鬼塚〕は思っている。森の義弟の白石通教中佐(第二総軍参謀)は偶然にそこにいたのではない、と思うのである。確証はない。しかし、偶然はおかしい。彼は森の切腹を助ける介添人として登場した人物と思う。しかし、リアリティの前に、彼も惨殺されたのである。私は五・一五事件と二・二六事件の延長線上にこの第三次が起きたことのみ記しておく。〔p.196〕
鬼塚は、いったんは森の義弟である白石の登場を、介錯人として想定する。しかし、もっぱら二次資料(文学作品等)に依拠して、これをすべて流血の惨事として描くことに同意してしまうのである。
ここでの鬼塚の安易な解釈に対しては、ほかの読みを並存させることが可能である。私が小説家なら、森が「私の首を手土産にしないとクーデターの体裁が付かないであろう?」と諭し、若手将校の前で自決して果てたという場面を描くこともできる。想像を逞しくすると、この森と白石の自決は、若手将校には当初に想定されなかったものである。想像を続けよう;二人の遺体を目の前に、何らかの協議が行われ、若手将校たちは「われわれが殺害したことにする」という森と白石の「遺言」を受け入れる。このように、鬼塚の著書に挙げられた材料を元に、異なる想像力を働かせるだけで、クーデター未遂における森と白石の死亡に係る異説を提示することは、十分に可能なのであるが、この想像(妄想かもしれないが)は、鬼塚には最後まで検討されないままに終わるのである。
異なる見方が成立するにもかかわらず、現場に居合わせた者の証言すら十分に一致しない状態で、犯人を特定し名指しすることは、各証言を等価とする限り、無理がある。推定無罪の原則が周知されている現代において、鬼塚の記述は、「故意に、いかがわしい視点に立って歴史の真実を曲解する〔p.165〕」ものであると、読者に誤解されることにもなろう。もっとも、クーデター中に森の「殺人」が行われたとする理解は、繰り返しになるが、半藤の『日本のいちばん長い日』など、ほぼすべての著書に共通する記述である。その上で、もっぱら、犯人が単独であるか複数であるかが争われている。
同書では、事実と判定できる出来事と著者の意見とは、一応のところ、分別されている。このため、著者があらかじめ皇室を貶める目的で本書を作出した意図を疑いながら読めば、同書は、嘘が嘘であると見分けられるように記されているとは認めることができる。鬼塚は、このノンフィクション作品を、事実の摘示までは注意して事実に即するように記述しながら、本事件に係る意見と推測を、全て皇室の仕組んだ『真夏の夜の悪夢』〔p.66〕として振り向けることに全力投球している。この芸風は、著者に骨がらみのものであり、却って彼の背景が何であるのかへの目を向けさせるものであるが、出版物としての最低限のルールには依拠するものとも評価することができる。
本記事の冒頭に示した鬼塚の主張のうち、〔主張1〕と〔主張2〕は正しいように思われるが、〔主張3〕と〔主張4〕は、彼の先入観によるものか、故意によるものであろう。つまり、同書は、3と4への誤誘導を図るべく、1と2について記述した可能性も認められるのである。本日のところ、これら4点の主張を、以下の段落より詳しく論証することはしないが、今後、追記・改稿する予定はある(期日未定)。
私がなぜ、鬼塚の主張の1・2と3・4とを切り分け、後者を嘘と考えるのかという理由は、このように切り分けることが、鬼塚自身を含めた、それぞれの人物の生き方に最も整合するからである。鬼塚の著書の徹底した特徴は、(その評価は措くとして、)反皇室である。鬼塚はすでに故人であり、応答する声は期待できないから、私の一存と責任において、このように評価を確定しても良いであろう。他方、三笠宮の戦後は、徹底して平和志向であられた。クーデターにおける流血を率先することは、その意思の強さこそ共通するが、方向が真逆である。また、戦後の人生に汚名を被ることを潔しとした軍人たちが、敬慕すべき対象でもある友人が殺人犯となろうとする瞬間を、拱手して見逃すことがあろうか。さらには、殺害されたとされる高官たちは、自分たちの近未来を十分に理解していたであろうし、数ヶ月先の自らの死を今捧げることにより、お国のためとなることが容易に確信できるとき、同意殺人に進んで身を投じた可能性すら考えられるのである。(この考え方が、現代に通用するものであるか、倫理的に見ていかがか、などという考察は控えることとしたい。あくまで、私が彼らの心中を想像してみたところを述べたまでである。)
クーデターの成り行きが当初の予定とは異なるものになった可能性は、先に触れた森と白石の「殺害」のように、十分に認められる。しかしなお、クーデター未遂は、皇室が能動的に個人の身の安全を企図したのではなく、各個人の「立場主義」が貫徹された事例の一つであると解釈した方が、合理的に説明できるように思うのである。遅きに失したことは疑いようもないが、また、そもそも満州事変を始めるべきではなかったが、それでも、『日本のいちばん長い日』にかかるクーデター未遂劇は、登場人物の個人の「忖度」が歯車として噛み合ったレアケースではなかったか、と読むことも可能なのである。
鬼塚は、森の遺体の所在が不問に付されてきたことにも言及する〔p.3など〕。#後日、追記予定。
最後に、物覚えの良い本ブログの読者に向けて、田中光顕についての鬼塚の著作 『日本の本当の黒幕(上・下)』(2013年、成甲書房)に係る私の書評が、なぜ四つ星であったのかを説明しておこう(2015年10月25日)。それは、田中が暗殺者としては稀代の成功者であることを論証するところまでは、十分に成功しているように考えたためである。『…黒幕』の皇室批判は、比較的後景に退いているが、それでも牽強付会である点が否めないものである。ただし、本点は、同書の本筋に懸かるものではない。このため、過度の皇室批判を理由に星を減じることも、また主観的な判定となるものと思われたのである。
ところが本作『…醜い日』は、皇室批判を主目的としており、鬼塚独特の「暗殺史観」は『日本の本当の黒幕』のように暗殺者の論理を明快に説明するものとして機能しない。彼の「暗殺史観」(前稿では「鬼塚史観」)とは、大要、わが国における近現代史において、暗殺が重要な転機をなしてきた、というものである。鬼塚の「暗殺史観」は、近現代における「黒幕」を皇室とその周辺に見出すものである。この徹底ぶりは、陰謀論者としての一つの芸風と言い切れば、それまでである。しかし、本作『…醜い日』に限れば、彼固有の動機付けは、この大目的の客観的な論証を妨げるものとなっている。本書に見られるすべてのアブダクションには、「皇室は徹底してマキャベリスティックであり、アジア・太平洋戦争の流血の責任はすべて皇室にある」という前件(前提)が潜む。この命題を何としても論証しようという鬼塚の姿勢は、バーガミニおよびレスター・ブルークスの著書に対する、批判的検証の矛先を鈍らせるものと認められる。バーガミニとブルークスの間に見られる齟齬は、鬼塚によって詳しく検討されない。その理由は、鬼塚の目的がバーガミニの目的と同一のものであったためではないか、と予想できるのである。鬼塚は、バーガミニの少年期の強制収容所体験を、森山尚美とピーター・ウエッツラーの『ゆがめられた昭和天皇像』(2006、原書房)から引用する〔pp.160-161〕。鬼塚自身の体験がいかなるものであったのかは、ルポタージュ的な調査が必要となるであろうから、これ以上は追究しない。
いろいろと補足すべきこと・追加で調査すべきことはあるが、本書に係る批評の根拠は、以上で十分であろう。本稿における私の意見は、基本的に推測に基づくものであるが、それでも推測の整合性に自信を有している。ただ、今後、勉強を進めて、周辺事項を埋めていく予定であることも確かである。敬称等を省略したのは、表現の分裂を避けるためであり、一時的な措置である。
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