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2018年2月5日月曜日

(一言)『ジャガーン』は国際秘密力集団の陰謀を乗りこなせそうである

『ビッグコミック・スピリッツ』に連載中の『ジャガーン』(原作・金城宗幸、漫画・にしだけんすけ)は、今のところ、主人公(たち)が国際秘密力集団の両建て構造を乗りこなせそうなセンスを発揮していると思う。今後の展開が読めない(というのが、良い(連載ものの)漫画の条件であろう)が、いち読者としては、伝統的なダークヒーローもののミームをこの漫画が運ぶとすれば、『ビッグコミック・スピリッツ』は、功罪相半ばするというところであろうとは思う。2018年1月25日の拙稿で『風都探偵』を批判しただけであり、これでは同誌に対して不公平であった。また、雑誌本体に言及したついでであるが、『忘却のサチコ』が連載を休んでいる?完結した?ようであるのは、わが国における#MeTooムーブメントと絡んでいるような気がして仕方ない今日この頃である。

2018年2月3日土曜日

犯罪者たちは「下手な鉄砲も数撃てば当たる」ビジネスモデルを良く理解している

#以下は手習いであり、刑法学などにおける蓄積を考慮・参照していないし、整理されてもいない。しかし、本記事は、本ブログを利用する際の注意点ともなることから、とり急ぎアップした。また、理論に係る新規性が認められないことは承知している(ので、法律家の卵の読者の方々には、大変申し訳ないが、典拠のないまま、既出の議論が展開されていることになり、読むのに苦労するかも知れない)が、切り口が法律家とは異なるであろうから、そのために、面白い観点が含まれているかも知れない。

#私がブログで取り上げる人物たちの中には、必ずしも完全に遵法的な人物たちだけが含まれる訳ではないが、彼らのすべての活動が違法という訳でもない(。それに、日本人は、咎められる機会に乏しいけれども、日常生活において微罪を犯しがちであるから、ネット上の行動が合法であるからと言って、現実社会における生活がいかなるものかまでは、保証の限りではない)。以上の説明と最近の記事を良く読めば、注意深い読者であれば、私が何を言わんとしているのかを、ご理解いただけるものと思う。


詐欺犯罪についても、ルーティン・アクティビティ理論は有用である

わが国における現在の詐欺犯を考察するにあたっても、「日常生活理論(routine activity theory、ルーティン・アクティビティ理論などとも)」は、利用可能である。この理論は、現在、「環境犯罪学(environmental criminology)」の根幹に据えられている。この理論は、犯罪を、①被害を抑止できる能力を持つ保護者がいない状態(the absence of capable guardians)、②被害対象としやすい個人・物品(suitable target)、③犯罪を今まさに行おうとしている犯罪企図者(motivated offenders)の三つの要素が同時に揃ったときに生じる「出来事(event)」であると考える。逆に、揃わないようにすることで、犯罪を防げるものと考える。以後、丸数字は、上記の説明に対応している。この理論は、フェルソンとコーエンにより1979年に提唱され、近年では、これら三要素に対応して責務を担う組織等の所掌(①にはManager、②にはGuardian、③にはHandler)が合わせて示されるようになり、「犯罪の三角形(The crime triangle)」と呼び習わされている[1](。ただし、順序については、スティーブン・ラブ『犯罪予防』に示された一次予防・二次予防・三次予防の考え方を元に変更している)。


一般の詐欺師によるビジネスモデルは、多数者に向けての情報発信・少数者からの搾取という二段構えである

現代的な詐欺のビジネスモデルは、詐欺師たち(③)が情報通信技術(①)を悪用して、大量の人々(②)を相手に情報発信し、情報不足である少数の被害者を獲得したら、重点的にその被害者を狙うというものであり、つまりは、「下手な鉄砲も数撃てば当たる」というスタイルを第一段階とする。現代の特殊詐欺($\supset$振り込め詐欺$\supseteq$オレオレ詐欺)は、この諺を地で行くものであるが、電話という「足の付きやすい」手段ゆえに、これらの犯罪においては、いかに警察の追跡をかわしながら被害者から金品をせしめるのかという点に、工夫が施されている。郵便・小荷物を悪用する方法が効果的に抑止されるようになった後は、直接の手渡しを試みたり、電話の発信拠点を外国に移したり(、インターネット通信を外国経由としたり)などと、通常の生活人が追跡・警戒する手段を超えるだけの(悪しき)努力が重ねられている。情報通信技術の悪用の仕方は、なかなかバラエティに富んでおり、それゆえに、受け手にはリテラシーが求められる。

加害者(③)・被害者(②)双方に備わる情報の非対称性は、詐欺という犯罪を考察する上で、キーポイントである。被害者になりうる人々は、詐欺師たちの手口を、さほど知らないままに生きている。他方、詐欺師たちにとっても、犯罪に手を染め始めた時点では、誰が騙されやすいのかを知らない。そこで、彼ら犯罪集団は、付け入ることのできそうな弱味を抱える人たちの名簿を入手したり、撒き餌を用意して、個人情報を獲得する。被害者候補の名簿と加害の実績は、複数の詐欺師集団に共有され、特定の被害者を重点的に狙うという結果を引き起こす。この方法は、悪徳販売については、次々販売と名付けられている[2]。昨今の仮想通貨ブームは、この点にも注意する必要がある。仮想通貨の顧客に限らず、あらゆる経済活動は、名簿化されている場合、詐欺に悪用される余地を有するとも考えられる(。多くの名簿が組み合わされて悪用されていることは、巷間、指摘されたことである)。

詐欺のビジネスモデルは、被害の対象となり得る人々(②)に注目すれば、次の被害を予防しにくい(①)ものとなっており、また、時には、最初の被害者が加害者となり、連鎖的に被害者を作り出すように設計されていることもある(②、③)。多くの人々は、これらの犯罪に遭遇した時点で、気が付き、巻き込まれないように行動できるが、通報したり、身内の連絡を密にしたり、友人をたしなめたりする以外、効果的に次の犯罪を予防するための行動を取りにくい。情報・通信環境の発展(①)は、犯罪者たちが一度に沢山の人々に対して連絡を取ることを可能としている。詐欺のビジネスモデルにおいては、詐欺師たちの活動の旺盛さに比べれば、ごく少数の人々が被害に遭う。しかし、その被害金額は、犯罪者たちにとって、身バレ・逮捕のリスクを冒しても割の合うものとして理解されているほどに、高額なものとなりがちである(。悪徳商法の被害は、被害者一人につき、数百万円・数千万円にも達する)。それだけでなく、当面の間、被害者たちが被害を受けた状態に満足したり、彼らが新たな被害者を紹介するようにインセンティブが設けられたりすることもある。無限連鎖講(ネズミ講)、無尽講で配当者に仕込みがあるもの、カルト宗教で高額商品の販売を信者に課すものなどは、この典型例である。ネズミ講においては、末端の被害者たちは、自分たちが満足した結果、あるいは、被害を受けたと内心感じているにもかかわらず、その被害を回復できるだけの見込みをシステムの元締め(や高位者)から与えられることによって、次なる被害者を探すように、加害者として動き始めてしまう。いわゆるマルチ商法(のうち、合法とは見做されているもの)も、末端の販売者が外部者の加入を促進しようとするという点において、共通した性質を備えている。無尽講で配当者に仕込みがあるものは、本ブログを隅々まで確認すれば、類似したシステムが現存することに、読者も気が付かれるはずである。また、一時期、統一協会が霊感商法によって大きな社会問題を引き起こしたことは、中年世代や高齢世代であれば、覚えておられることであろう。かなり多くの大学生活をカルト宗教が台無しにしていることは、大学関係者によって、真剣に憂慮されるべきことである(が、当のカルト宗教関係者が大学経営の実権を握る地位にいたりすることは、わが国において、戦争屋系の国際秘密力集団が暗躍していることの、またとない証拠である)。

被害者が新たな加害者になるという特徴を有する詐欺(的)システムは、しばしば、性愛の搾取をもたらす(③)。新たに女性を騙すために、被害者である女性が上位者により使役される(。同性による化粧品やサプリメントの販売は、安心感と共感を相手にもたらす)。被害の末端に位置する女性が、新規の被害者を開拓できないために、自身の性的魅力を利用して男性を誘惑することもあろう。ホストクラブ通いのために風俗産業に勤務する女性は、詐欺に引っ掛かっているとは言えないが、類似の構造に落とし込まれている(が、今のところ、いくら支払われる金額が多額であっても、ボッタクリという店舗の営業システムに係る行為でない限り、有効な規制は存在していない)。


賭博と詐欺との違いは、情報の取扱に対する公正さにもある

通信・広告手段(①)は、歴史的には大きく発展しているが、詐欺師集団、とりわけ、そのトップクラスに位置する国際秘密力集団(③)は、これらの手段を有効に利用する方法を、同時代の他者(②・③)を上回る形で身につけてきた。「情報を制する者が世界を制す」という訳である。「黄金の国・ジパング」というキャッチフレーズが西回り航路について使用された経緯は、当時に立ち返ってみれば、搾取できる大陸と人々を、結果的に「発見」したとはいえ、当初の目標である日本には到達できなかったのであるから、欺瞞的であると評することもできよう。チューリップ・バブルと南海泡沫事件といった古典的事件においても、人々を後から投資に走らせるように、宣伝と誇張が使用されている。故意に創出された市場の乱高下を通じて、たまたま儲かった被害者たち(の一部)は、むしろ、この構造を乗りこなそうと考えるようになり、しばしば、このような混乱を是認する経済制度の信奉者(advocate)ともなる。彼らは、国際秘密力集団の走狗ともなり、その栄光と没落さえもが「(スーパークラスについての)階級間の流動性が高い」(デヴィッド・ロスコフ, (2008=2009).『超・階級』, 光文社. p.163)ことの証拠として悪用されたりもする2018年1月28日

詐欺における被害者(②)・加害者(③)の関係性を考慮すれば、現代の市場経済システム(①)は、被害者・加害者双方の共認的な構造の上に成立している壮大な詐欺(的)システムである。現代の市場経済システムが現状を維持し続けていられるのは、加害者だけでなく、被害者である99%も、マスメディア報道と義務教育課程を通じて、その仕組みを認めたことになっているからである。被害者の大多数が、御用経済学者の言うことを理解せずに拝聴し、この社会システムが詐欺ではないと考え、日本経済新聞の一面記事の多くに見られる恣意性を見逃しているからこそ、この社会システムは、成立していられるのである(。大事なことであるので、ついつい、重複した内容を3回パラフレーズしてしまった)。

現代の資本主義システム(①)は、被害者たちの黙認・誤認(②)という不安定な思弁の上に成立している。このシステムへの信認は、リーマン・ショック以前の数々の大恐慌や、最近の仮想通貨に対する信認の乱高下に見るように、容易かつ決定的に変化する(。なお、現状の仮想通貨は、理論的には、同一主体が多数の口座を通じて多数の取引を実行することによって、値を動かし始めることができるようにも見える)。この不安定さゆえに、ジャーナリズムと高等教育(のうちの経済学)は、最も優秀な詐欺師集団である国際秘密力集団によって、積極的な操作の対象とされ続けてきている。この点、文字通りの国営放送は、国益を最大化するという目的によって駆動されている限り、詐欺師たちを明るみに出し、国民の利益をも増進する上で、計り知れない潜在力を有している。現在では、一国の利益が国際秘密力集団の利益と衝突しがちであるから、この潜在力は、従来以上に増大している。マスメディアに接する人々が彼らの内心を逐一疑うことは、この詐欺における主要な舞台装置を打破することにつながる(から、推奨されることである)。不買運動は、もちろん、一つの方法である。ただ、痩せた土地に生まれるあらたな言論統制環境が人々のためになるものか否かは、私の手に余る考察となるが、甚だ疑わしい。現在のシステムを利用して、流され続けている言論の内容を変質させる方が、よほど効果的かつ効率的であろう。

なお、ギャンブル(賭博)は、情報の特性を余すところなく活用した、一種のサンドボックス的システム(①)である;参加者(②・③)がいなければ成立しないが、そのシステムは、社会一般に比べて透明性が高く(①)、参加前の誰(②・③)にでも理解できる内容であり(①)、参加を検討する人物(②・③)が勝てる見込みを持てるように、寺銭が設定されている(①・③)。この仕組みは、イカサマ・チートさえなければという前提があるにせよ、契約を重んじる現代社会の特性から見れば、倫理的に何ら問題のないものである(「買わなければ、当たらない」)。現行の賭博が詐欺と究極的に異なる点は、競争の仕組みが合法であると社会に認められており、常に勝つことになる主催者が公的主体であるか否かにあるが、そこから派生して、競争の仕組みが比較的分かりやすく単純にできているという点にも、ギャンブルという経済活動の特徴があろう。違法とされている種類の賭博行為が摘発・処罰されることは、ままあることではあるが、参画する顧客たちからすれば、それらの違法なギャンブルも、公正な仕組みによって運営されているものと受け取られていよう。野球賭博について想起せよ。ハンデ師は、非合法な存在ではあるが、賭けを面白くする上で、なくてはならない職人的な存在であったと言われているではないか(。ぱちんこは、グレー扱いであるが、釘師も、同様の職人である)。違法・グレーなギャンブルにおける開帳者・参加者の間の了解は、合意の有無という点では、先に言及したマルチ商法における中間販売者に近いものがある(。違法なギャンブルは、罰の重さこそ違えど、開催者・参加者の双方を罰するのであるが)。

詐欺という一連の出来事を考察するときには、具体的な対人関係の発生時点における被害者・加害者の情報の非対称性と、両者の立場を逆転させたときの不公平感を考慮する必要がある。先に考察したが、公営ギャンブルについては、システムが法律により規定され、その仕組みが万人に向けて、必要十分な程度に開示されている(という建前である)。この担保ゆえに、公営賭博で身を持ち崩す個人(②)は、今でこそ治療の対象として見做されるようになったものの、従来であれば、自己責任と片付けられていた(③)。この自己責任という建前は、現在、金融取引のみならず、経済行為全般について、敷衍されている。他方で、論理をはしょるが、詐欺犯を非難すべき理由は、平たく言えば、「法律で許されている範囲を超えて騙しているから」である。法律で許されている方法に則っているのであれば、あるいは、法律の規制の対象となっていなければ、被害者は、たとえば、いくら多額の金融商品が暴落しようが、いくら土地のバブルが弾けようが、売主を詐欺師として責めることができない。特に、合法とされるシステムについては、「騙す」側に知恵も経験も技術も集中しているという非対称性は、法律において、相当に軽視されがちである。


脱線;需要者=黒幕は「下手な鉄砲も数撃てば当たる」システムから決定論的に一人以上の走狗を得ることができる

なお、参加費用が分かりにくく個人の人生を大きく左右しうる(②・③)点を除けば、知的なスポーツ(①、囲碁・将棋・チェス)も、参加者の同意が存在するという点、同一の枠に入れることもできる。最近、海外では、eスポーツも該当しよう※1。ただし、これを敷衍していくと、事前の合意の有無こそが問題となることにもなり、決闘や肉体的なスポーツ、あらゆる競争にも話が及んでしまうことになる。どこかで歯止めを掛けた考察が必要となろう。

ただ、合意に基づく参加者が存在するという点に注目しておくことは、詐欺(的)な「下手な鉄砲も数撃てば当たる」システムの「犯罪性」を考察する上で、重要である。わが身(=人生における時間という点では、労働と同価)を供給する参加者がいる限り、需要者である芸能界は、人材に事欠かない。同じ事は、走狗の人選にも言える。成功を夢見る・何でもする若者は、彼(女)の人生と良心を供給しており、この供物に対して、番頭としての権力とカネが支払われるのである。人材(走狗)供給システムが存在し、潤沢な買付資金があり、貧乏が広く存在する限り、黒幕=主人は、イヌに事欠くことがない。

「下手な鉄砲も数撃てば当たる」式の走狗供給システムは、人材供給だけに留まらない機能を有している。多数の走狗候補者は、互いに成功を求めて争うから、成功が「努力しても叶うものとは限らない」という「冷徹な現実」を提示し、その提示された事実を通じて、人々を余計に努力に駆り立てるという機能を発揮する。しかし他方で、このシステムを用意した黒幕たちは、決定論的に、言い換えれば努力抜きに、一名以上の走狗を得ることができる。さらに、この選考過程そのものからも、黒幕たちは、利益を絞り出すことができる。大企業のピラミッド型形状がある程度高いと、中間管理職がムダに思えるかも知れないが、走狗としての性向を強く有する(奴隷根性の)人物の割合が高い場合には、この階梯は、彼らの向上心を呼び起こすことになる。なお、走狗供給システムにおける非対称性は、(供給側に多数の労働者がおり、需要側に黒幕集団がいるという)供給過多の労働市場から生まれるものであるこの状態を脱する上で、大事なことは、このようなシステムを用意する人物たちが余程のバカでなければ、供給過多を続けようと努力することに、使われる側の圧倒的大多数が、気が付くことである(。いわゆる「マトリックス」の存在に、気が付くことである)

これらの機能を考慮したとき、現在の経済システムへと「望んで参加した訳ではない」多数の参加者に対する現在の経済システムの詐欺師ぶりは、詐欺における加害者・被害者の非対称性と非常に近い様相を見せるものとなる。現代型の詐欺は、突然、被害者に対して、不意打ち的に仕掛けられる。しかも、その際、不意打ちを仕掛ける側の方が、被害者よりも、状況に対する経験と対応力を有している。状況を制御する力に乏しく、相手の方が上手になりがちであるという点で、現今の資本主義システムと詐欺師は、類似した力関係を、相手に対して振るっているのである(。この点、ナンパも、藤沢数希氏が小説で「モテ=ヒットレシオ×試行回数」[3]と語り、宮台真司氏も同種の話を方々で語っているが、経験と実績を表す「モテ」が試行回数に比例するというモデルに基づくようである。つまり、(彼らの主張が正しければ、)ナンパにも、非対称的システムの側面がある)。

このとき、ベーシック・インカム(収入保証制度)は、イヌ候補である個人の内面において、同一貨幣単位の限界効用を低減させるという効果を有するものとして機能する。他人も等しく、しかも気楽に生活できる様子を見せつけられていたら、よほどの餌で釣らないと、あるいはよほどの嗜虐趣味の人物でなければ、非道を嬉々として実行しなくなるというものである。このように考えると、ベーシック・インカムを提唱していたエーリッヒ・フロム氏が、ナチス・ドイツの心性をサド・マゾ関係で説明していたことは、偶然とは思えないのである(。このように書かれていた訳ではないが、貧乏を防ぐことが平和を達成する上で役に立つことは、指摘していたような。いずれにしても、この効果まで見越した上で、ベーシック・インカムを提言していたのではないかとも思えてしまう)。


現代社会における知識の増大は、詐欺全般の機会を増大させている

詐欺のビジネスモデルの全体(event)と詐欺師の機転(③)は、それこそ、15世紀から大きく変化していないが、この一方で、日常生活を維持する科学・技術の発展が著しく、法律や行政制度が大量でありながらも詐欺の予防に全力を傾けていないために、被害者になりうる人々の一般的な知識が追いついておらず(①)、人々の騙される機会が増加している。この構図に係る説明は、極論である。しかし、極論である方が、程度問題という詐欺の本質を理解する上で分かりやすいので、極論を続けよう。仮に、全てのマスコミが、つまらないニュースと娯楽番組(記事)を、全て、詐欺の類型と予防に係る広報に振り向けていたとすれば、いかな視聴者(読者)と言えども、相当の耐性を身につけることとなっていたであろう。同時に、この結果、たとえば、日本経済新聞の一面記事は、現行で掲載されているような記事の多くが掲載の余地を失うこととなっていたであろうし、読者は、その結果に接し、同紙に対して常に警戒を以て接するようになったであろう(。現代社会においては、記事の発表のタイミングが1日ずれれば、インサイダーの危険が常に生じる)。究極的には、あらゆるメディア=情報の流通業者は、詐欺の片棒を担ぎかねない危険を抱えながら、日々の業務を続けている(。むろん、本ブログもその危険を免れてはいない)。

現在のマスメディア(③)、SNSまたはインターネット(①・②・③)、双方の環境において、詐欺師と呼ばれている人物の異同を比較すると、面白い結果が得られる。ネットにおいて詐欺師と指摘されたことのある人物が、マスメディアにおける露出の機会を有しており、または、職務上の継続的な関係をマスコミ関係者と結んでいるために、結果としては、マスメディアから排除されていないという事例を、相当に見かけることができる。詐欺と呼べるだけの実績を(裁判官ではなく)一般人から見た場合に認めることができる人物たちであってもである。この異同は、現時点では、マスコミ関係者に気が付かれていないようにも見える。ただ、元・受刑者であっても、従来名が売れていた芸能人であれば、非・芸能人枠でマスコミに露出する機会の職業に比べて、マスコミへの復帰が比較的容易であるようにも見える点は、この辺の機微を反映しているようにも見える(。元・受刑者の発信する情報の種類が、演技であったり、演芸であったり、音楽であったりすれば、言論に比べ、不問に付されやすいという構造があろう)。言論を本業とする人物が詐欺師と認定された場合とは、扱いが異なるのは当然ではあろう(。言論人が嘘を吐くと、自己言及のパラドクスが生じてしまう)。しかし、そこに例外が見られるとすれば、それは、いかなる理由に基づくものであろうか。芸能事務所の存在は、要因として認められるであろう(が、今回、これに立ち入る暇は、ほとんどない)。

現代の詐欺師たちは、被害に引っ掛かることのない多数の人たちに犯行を重ねていることを気付かれ、指摘を受けながらも、逃げおおせることができる手段と理屈を用意した上で、ごく少数の騙されがちな人たちから、多量の金品(や性愛上のリソース)をせしめることを目的に、日々、積極的に活動している。新手の手口であっても、早晩、警察や消費生活センターに認知され、警告が始まることになる。騙されやすい人々の数も限定されているから、彼らをとことん搾取するにせよ、未開拓の顧客を絶えず獲得する必要がある。このために、詐欺という犯罪は、「よほど確立された状態」にシステムを持って行かなければ、結果としては、自転車操業的な業態、焼き畑農業的な業態に陥りやすいものとなる。マルチ商法という業態は、「よほど確立された状態」に至る過程までの道半ばにあると言えようし、一部のカルト宗教は、「よほど確立された状態」を確立している。多くの国に係る中央銀行制度は、「よほど確立された状態」の究極形にある。私には、仮想通貨もこの究極状態を維持・強化するためのツールの一つとして、アングラ界から引き上げられたものである、と見えてしまっている(。一般の社会からすれば、私の見方がおかしいことは、重々承知している)。


詐欺への有効な対策は、言論と経済活動との関係を追究することから始まる

詐欺に対する焼き畑農業という比喩は、詐欺の究極的な予防について、一つの示唆を与える;つまり、全員が詐欺師の手法に通暁していれば、詐欺を働くことは難しい(。読者諸賢からは、どうすれば良いのかを早く教えろ、とツッコまれそうであるが、例によって、「知は力なり」を繰り返すほか、私には有効な策がない)。市場原理がネット言論およびネット広告に浸透していなければ、「質問に答えてくれるスピーカー」が参照するデータベースを整備しておくという手が考えられる。「この人誰?」と聞いたときの答えを用意しておくのである(。「御用学者の一覧」は、同様の効果を有するが、原子力ムラが総力を挙げて潰してしまった)。しかしながら、警察や消費生活センターが注意喚起する種類の詐欺については、対象となりやすい人々の多くが、メディアリテラシーも経済的余裕もとっさの判断力も、持ち合わせていないであろうから、これについては、事後的に契約を無効とするような昨今の方策しか、有効には機能しないであろう。中央銀行制度に基本を置く現在の詐欺的資本主義システムをマシな方向に持って行くためには、トマ・ピケティ氏の指摘を、小学生のときから徹底的に教え込むしかなかろう(。ただし、だからといって、金融教育を拡充する従来の方向性は、基本的に間違いである。全生徒に数学IIおよび数学B修得させることが先であり、これらの科目が分かれば、金融屋の狡さが基本的に分かることになろう)。

唐突であるが、コインチェック社の顧客口座の運用形態に係る外野の指摘について、これが六本木・青山という繁華街で遊んでいる種類の人々の口から出てきたことは、覚えておくべきかも知れない(。この話は、一応、本項に係る話の前振りである)。仮想通貨に対する信用毀損の程度を軽減しようという目的があるやも知れず、そこには、外部者との協力関係が存在する可能性も認められる(。ジャーナリストは、取材源を秘匿できるが、取材源が存在するときには、本来、その存在自体は公表しなければならない)。仮に、指摘した人物らが仮想通貨の取引に従事していたとすれば、それは、金融関係の法律には違反していなくとも、相場に何らかの影響を与える行為である(。この点、金融関係の法律が、そもそも、カネの論理に押しまくられている)。彼らが研究者を名乗り、研究として指摘をするにしても、その行為は、立派な利益相反行為である。まあ、せせこましい世の中であると言えば、それまでであるが、カネも(言論を通じた)名誉も欲しいという欲張りな姿勢自体が、贅沢である、というのが、私の基本的な意見である。言論活動と経済活動との間に明解な一線を引くことが、現在の経済界には求められていると思うのである。

言論活動と経済活動との間に一線を引くという考え方は、実行されれば、有効に機能する。構造的でない詐欺を防ぐ上で、情報を流通させる条件・主体に制限を設けることは、マッチポンプを抑制することになるから、有効な歯止めを作ることにつながる。広告業においては、いわゆるステルス・マーケティング(ステマ)は、一切禁止され、刑事罰の対象とされるべきであろう。文筆家については、具体的な金銭の授受を伴う利益相反関係があることが証明され、平均的な国民所得を明らかに上回る効率のものであったときには、数倍返しというのも考えられよう。ウェブ広告収入に係る最高金額の規定は、アフィリエイトなどの個人の広告収入にダメージを与えないために必要であろうし、同時に、まとめサイトなどの中で問題のあるものを効果的に制限する役割も果たすことができよう。広告収入アップを狙うあまりに敢行される反社会的行為も、有効に抑止されるであろう。表現の自由は、この制限によって、全然、損なわれる訳ではない。反社会的行為をテコとする広告収入が激減するだけであり、(収入減によるため申立されるであろう)生存権も、ここでは当たらない。SNSは、マスメディアに対する登竜門として機能させれば良いし、同時に、マスメディアを現在のあり方から大きく変えれば良い(。フェイク・ニュースは、Aチーム用であれ、Bチーム用であれ、大きく変える必要がある)。

#色々とアイデアはあるものの、基本的な考え方は、広告・宣伝のスタイルを各メディア黎明期の原則的なものに戻す、というものである。これに対しては、大きな反発が予想されよう。


※1 一般社団法人日本eスポーツ連合(JeSU)が2月1日に発足したという。ゲームを対象とするプロライセンスを発効する[4]とのことであるが、そのメインイベントであると認められる『闘会議』[5]の大会種目では、非日本ネィティブのゲームは、『レインボーシックス シージ』くらいであり、ライセンス対象の中では、『コール オブ デューティ ワールドウォーII』だけであると見受けられる。もっとも、ほかのタイトルの海外における展開は、目覚ましいものがあるので、それで良いのであろうと思うのであるが、同団体は、他団体のライセンスの代理業務などを実施したり、ライセンス対象を拡充したりするのであろうか。囲碁・将棋・チェス・麻雀・MtGなどの対戦型カードゲームと比較すると興味深いように思うが、彼らプロeゲーマーがどうやって老眼を克服するのかは、考慮すべき要素であろう。勝手な意見であるが、できるだけシンプルで、プレイヤーの地位の対称性が高く、技量によって序列を明確にできる手番を有しており、偶然性が排除されていることが(、後者2点は重複気味であるが)、良いプロを育てるゲームプラットフォームの条件であるように思う。PCワードであることを祈るが、「インディアンポーカー」などのより単純な複数人によるカードゲームは、凝縮された心理戦を展開できるので、面白いのではないかと思ったりもする。


[1] A Theory of Crime Problems
(2018年02月02日閲覧)
http://www.popcenter.org/learning/pam/help/theory.cfm

[2] 高齢者への次々販売(各種相談の件数や傾向)_国民生活センター
(2018年02月02日閲覧)
http://www.kokusen.go.jp/soudan_topics/data/old.html

[3] 藤沢数希, (2015.6). 『ぼくは愛を証明しようと思う』, 幻冬舎, p.52.(リンクはNDL-OPAC)
http://id.ndl.go.jp/bib/026449984

[4] ライセンス制度 | 一般社団法人日本eスポーツ連合オフィシャルサイト
(2018年02月03日閲覧)
https://jesu.or.jp/contents/license_system/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%8D%E5%AE%9A%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB

[5] 闘会議 ~ゲームファンとゲーム大会の祭典~
(2018年02月03日閲覧)
http://tokaigi.jp/




おまけ;人々を駆動する原理に係る適当な見解

カネと酒と異性は、人々を(時と場合によっては違法に)籠絡するための手段と良く言われる。ただ、カネで酒を合法的に買うことができる時空間は多いから、カネと異性を目的としているというべきかも知れない。あるいは、現代社会においては、違法薬物・薬物乱用が、酒の代わりというべきかも知れない。この話は、戦争屋などによって悪用されていることが明白である以上、少なくとも、彼ら犯罪傾向の高い人物たちに成り代わり、車輪を二度以上発明していることを意味するが、例によって、怠惰に基づき、指摘するに留め、調査は行わないでおく。もちろん、この原理を指摘したことによって、国際秘密力集団(の少なくとも一部)は、おかんむりかも知れない(が、同時に、痛痒を感じることも少なかろう)。なお、以上の誘因は、いわゆる両建て構造においては、Aチームに対して用意されるものであろう。

他方で、性愛関係のない、あらゆる好意・執着・愛着は、現代社会において、経済上の誘因・リソースとなり得るが、それらに対する規制は存在せず、むしろ、現代社会を成立させる上では、不可侵の情念と見做されている。知への愛(=哲学)、「人気商売」における人気、ある宗教における至高の存在に対する崇拝などは、ほとんどが一方向の愛着と言えようが、一組の男女における愛情と同様、「自由・平等・博愛」という理念に基づき形成された社会を望ましいとする態度などは、循環的・相補的な関係を生じさせ、当人の対象への愛着を強化する機能を有している。この関係性に伴う執着心は、違法なもの(たとえば不倫関係)などであればもちろん、そうでないものも、国際秘密力集団によって使役される弱味になり得る。性(交渉を通じた)愛(情)はもちろん、好意・友情・民主主義的信念などといった、通常は好ましいと見做される心の動きも、場合によっては、悪用されることになる。以上の誘因は、いわゆる両建て構造においては、(Aチームよりは見劣りするカネとともに、)Bチームに用意されるものであろう。


#以上の見解は、『国際秘密力研究』の菊池氏の考察の存在にも気が付きながら、自身の知識に基づいて記してみたものである。他者の意見をほとんど直接参照せず、自分の考え方を記してみたものであるから、劣化コピーであるかも知れないが、パラフレーズされた知識としては、役に立つものであろう。AチームとBチームを駆動させるものの違いは、氏も触れていたが、こんな感じではなかったような。とにかく、建前のきれいさがBチームを成立させるために必要とされることは、特筆されて良かろう。




2018(平成30)年02月03日22時10分訂正・追記

本文の分かりにくく思われる記述を訂正した。一般社団法人日本eスポーツ連合の発足について、追記した。




2018(平成30)年02月04日追記

一部、拙稿へのリンクを追記した。

創価学会は、今でこそAチームと見做される現政権の第一の補完勢力として機能しているが、昭和中期、信者を多数獲得するに至った求心力は、Bチーム向けの駆動力によるものであった。1980年代までの公明党は、明らかにBチーム型であった。連立政権内における公明党の役割は、常にBチーム向けである。この役割は、連立政権内におけるキャスティングボードを握るという目的を内包しており、55年体制時の自民党内の多様性の代替的機能を果たしてもいる(。分割統治の一類型でもある)。

公明党および創価学会に係る以上の考察からは、国なり民族集団なりの生存のためには、おおよそ、世代に合わせた地域・文化考察が必要とされるという教訓が得られるように思う。橋下徹氏の三世代論も想起せよ(2017年6月10日)。言い換えると、この種の考察は、四半世紀ごとにはアップデートされていなければ、具体的な事例が現実に即したものとならないことを意味する。考察に使用する方法論は、現代においても、国際秘密力集団の方法論がモダンなものではないから、モダンやポストモダンではなく、近代的なものでも構わないように思われる。

2018年1月29日月曜日

コインチェック社からのXEM流出は、コンピュータ犯罪の観点ではなく権力・組織犯罪の観点で理解すべきである

本ブログの読者であれば、仮想通貨の危うさと信用の源については、よくよくご理解いただいていたはずである。このため、コインチェック社において、26日にNEMについて異常が検知され[1]、総額580億円相当の仮想通貨が流出した[2]が、この問題についてはもちろん、それ以前のビットコインの恐ろしい乱高下についても、万が一にも、難を逃れた本ブログの読者がおられるかも知れない。

ただ、『John Wick』中の金貨について言及した拙稿(2017年12月10日)は、本ブログが、偶々、世間の荒波とシンクロした一例である。まったくの偶然であり、私自身も、偶然ゆえに驚愕している。誰からも示唆や指示を受けた訳でもなく、誰にも具体的な示唆や指示を与えたつもりもなく、そもそも、誰にも話さずに、録画した番組を視聴した結果について、自分の興味の赴くまま、それのみに基づいて、作成した記事である。このために、拙稿には「毒にも薬にもならない内容」と記したのである。とはいえ、念のため、本ブログは、極力、庶民の生活に荒波を立てないよう、しかしながら、一般的事実(、見方を変えれば、応用の利く知識)の伝達を目的に、手抜きや誤誘導を試みる「学識経験者」のケツを蹴り飛ばすべく、作成されている(というユルユルな方針を持っている)。

『日本経済新聞』が「仮想通貨がマネーロンダリングに使われる虞がある」と社説で偽情報を流布する力に比べれば[3]、現実に『Tor』を利用した『Silk Road』においてビットコインが取引通貨として使用されてきたことを指摘する私のブログなど、まったくゼロに等しい影響力である。実体験の範囲については、口座名としてビットコインが示された取引を持ちかける書込みを目にしたということに過ぎないといえば、それまでである。ビットコインの脆弱性、『Tor』が論理的に通信を傍受される可能性については、公知の事実と呼べるものになっている(、いずれも、数は力なりという信念がヒントになるところ、現代社会の特徴を良く反映しているものと言えよう)。囮捜査の権限のない一般人としては、十分な調査に基づく指摘を行ったというべきであろう。仮に、他の研究者が、参与観察を大学などから許可を受けて公的組織として実施するとしても、せいぜい、問合せメールを送るくらいで打止めであろう。それ以上は、優れたジャーナリストの領域である。

このとき、私が見ていた27日(土曜日)19時のNHKのニュースで、岩下直行氏が、犯罪者にも魅力的になったために狙われるようになったという旨を述べていた。因果の向きが違うやろ~、魅力的になるようにワシが育てたんよと犯罪者たちが言うんちゃうんか~、と私はツッコミを思わず入れてしまったのであるが、世の中、どれくらいの人々が同じ気持ちを抱いたことであろうか。おそらく、NHKを見ていた裏社会の人々は、全員がシンクロ率100%でツッコんだに違いない。その発言の厳密な書き起こしは、遠い将来において実行されない可能性がない訳でもないが、この恥となる(ものと私には思われる)岩下氏の発言は、NHKのウェブサイトには掲載されていなかった[4]。これは、もしかすると、その文言の不適切さに岩下氏が気が付いたか、NHK職員が自発的に気が付いたかによって、訂正されたためかも知れない。


ここからが本題;香港映画は、わが国に一足先駆けて、裏社会が警察に子飼いのクリーンな青年を送り込むという映画を複数世に問うてきた(が、正確な話は、遠い後日にしっかり調べるかも知れない)が、最近のわが国の裏社会も、その種の不正の方法を実行してきたという記事を、いずれかで目にしたが、これもまた、遠い後日に調査予定)。

これと同じ囲い込み戦法は、システムにも応用されるという点において、国際秘密力集団の得意技である。①彼らにとってのみ利益が上がるように、かつ、②確率的に粗相をする企業が表れるように(=企業を対象とする保険数理的に)、かつ、③粗相をしでかした企業のみが責任を負うように、システムを整備し、然る後、④そのシステムの脆弱性をエクスプロイトすることに、血道を上げるという方法論である。公認されたバックドアを仕掛けられるだけの大義名分があるとすれば、それはまた、悪用の余地を拡げることもあるやも知れない。しかし、先の①~④であれば、④のみが犯罪と呼べる行為となりうる可能性を有しているのであるし、①~③は、あくまで、システムに欠陥があるに過ぎず、それは、社会の通常営業に過ぎないという訳である。④も、システムがやられることを見越して、システムがやられたときに空売りできるよう、準備しておくこと自体は、国際社会から認められた種類の作法である。皆が努力を重ねる中、悪いのは、対策をサボったために不幸な生贄となった企業のみである。脆弱性がゼロデイから相当に遅れたとか、推奨される対策を実行してこなかったとかは、いわば、重過失の類いである。ここには、社会システムの設計者の側には、何ら落ち度がない。このようなことに、社会システムがなっているのである。悪意を有する人物や組織は、ほとんど決定論的に、おいしそうなところに、牙を研ぎながら待ち構えている。新規ビジネスに乗り出す若人には、それを重々承知して欲しいものである(。私のようなオッサンの戯言を真に受けなかった人たちの損害であるために、今回の話には、同情する余地が少ない)。もっとも、今回の流出事件は、仮想通貨に対して注ぎ込まれたカネの量からいえば微々たる金額であろうから、私は、今回の話を、一罰百戒を目的とした見せしめ・警告であった可能性があるものとも想定している。仮想通貨を育てようという人たちにとっては、現実認識を改めるという意義があったことになるからである。当事者たちには、何とも取返しの付かないことではあるが。


[1] Coincheckサービスにおける一部機能の停止について | コインチェック株式会社
(2018年01月26日)
http://corporate.coincheck.com/2018/01/26/29.html

[2] 不正に送金された仮想通貨NEMの保有者に対する補償方針について | コインチェック株式会社
(2018年01月28日)
http://corporate.coincheck.com/2018/01/28/30.html

[3] 仮想通貨の健全な発展に国際協調を  :日本経済新聞
(2018年01月21日付社説・記名なし)
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO25953630Q8A120C1EA1000/

各国で同じ規制を一斉に入れる必要はないが、仮想通貨の普及とその影響、健全な発展に必要な規制について当局間で情報交換を進める必要がある。仮想通貨はマネーロンダリング(資金洗浄)に使われる恐れもあり、その対策には国際協力が不可欠だ。

[4] コインチェックから仮想通貨流出|NHK 首都圏のニュース
(記名なし、2018年01月27日19時16分)
http://www3.nhk.or.jp/lnews/shutoken/20180127/1000007134.html

これについて、仮想通貨に詳しい京都大学公共政策大学院の岩下直行教授は「NEMは、主要な仮想通貨に比べると取り引き量が少ないこともあり、対策が後回しになったのではないか」として、セキュリティー対策が不十分だったことが流出につながった可能性を指摘しています。




2018(平成30)年1月29日・30日修正

事実関係に係る記述を変えたつもりはないが、細かい表現を修正した。

昨日までの間に、コインチェック社は、仮想通貨の価格下落を受けて、損害見積額を460億円に切り下げたようであるが、よくよく、社会システムに係るセンスのない決定である。同社の粗相ゆえに仮想通貨の価格が下落したのであるから、損害賠償請求裁判においても、被害直前までの値動きを参照すべきであるという意見が認容されることであろう。落ち度があり、それをCEOが記者会見の場で認めたことが大きく報道されてしまった以上、この被害者寄りの意見の認定は、確定的と考えて良いであろう。これでは、コインチェック社が社会に対して公表した方針は、同社が損切りを意図していたとすれば、その効果が真逆のものとなる。ひいては、同社に対する将来の新規顧客を大きく減少させるだけでなく、業界全体にも影響が波及しうる。定性的には、以上の傾向が認められるであろう。




2018(平成30)年2月2日訂正

仮想通貨プラットフォームNEM上の通貨単位がXEMである[1]ことから、題名を「NEM」から「XEM」へと変更した。実質的な理解を妨げるものではなかろうが、誤りは誤りであろうから、お詫び申し上げる。また、NEMの相場変動によって、賠償見積額の算定が580億円を超えていたとすれば、いかなる賠償額を支払う必要があったのかという問題についても、拙論の考え方は、甘かったものと思う。詳しくは別稿(2018年02月02日)に譲る。なお、コインチェック社の補償については、以下のとおりである[2]


[1] NEM (暗号通貨) - Wikipedia
(2018年02月01日閲覧)
https://ja.wikipedia.org/wiki/NEM_(%E6%9A%97%E5%8F%B7%E9%80%9A%E8%B2%A8)

[2] 不正に送金された仮想通貨NEMの保有者に対する補償方針について | コインチェック株式会社
(2018年01月28日付)
http://corporate.coincheck.com/2018/01/28/30.html

1月26日に不正送金されたNEMの補償について
総額 : 5億2300万XEM
保有者数 : 約26万人
補償方法 : NEMの保有者全員に、日本円でコインチェックウォレットに返金いたします。
算出方法 : NEMの取扱高が国内外含め最も多いテックビューロ株式会社の運営する仮想通貨取引所ZaifのXEM/JPY (NEM/JPY)を参考にし、出来高の加重平均を使って価格を算出いたします。算出期間は、CoincheckにおけるNEMの売買停止時から本リリース時までの加重平均の価格で、JPYにて返金いたします。
算出期間  : 売買停止時(2018/01/26 12:09 日本時間)〜本リリース配信時(2018/01/27 23:00 日本時間)
補償金額  : 88.549円×保有数
補償時期等 : 補償時期や手続きの方法に関しましては、現在検討中です。なお、返金原資については自己資金より実施させていただきます。

2018年1月28日日曜日

(メモ・書評)トランプ氏はダボス初登壇であった

とは、BBCワールドの『デイトライン・ロンドン』(2018年1月27日23:30~00:00)の特派員ヘンリー・某氏(東洋系の男性)のお話であり、America Firstではあるが孤立主義ではないとも解説していた。トランプ氏の登壇は、ビル・クリントン氏以来、アメリカ大統領として、18年ぶりであるともいう。トランプ氏は、世界で最も富の集積する都市の不動産王の一人であり、父親の代からの不動産業を大きくした二代目実業家である。この経歴を考え合わせれば、ダボス会議のアウトサイダーから見れば、トランプ氏がダボス会議と関係を有してこなかったこと自体、希有なことであると言えるように思う。この点、オバマ大統領もまた、上手く逃げを打ってきたのかも(2017年2月3日)知れない(。今年はどうなのだろうかという疑問に分かりやすく答えてくれているマスメディアは、予想通り、ぱっと見、見当たらない)。子ブッシュ?あまりにも戦争屋のイヌっぷりが甚だしいので、ダボス会議の参加者全員の印象を悪くするという判断があったのでは、と考えることができる。平和のために開催されているというダボス会議の建前もあろうけれども、現実に日本語を喋る戦争屋がたっぷり参加している以上、この建前は、全然通用していない。

ダボス会議については、現在では一応と呼べる程度に低レベルであり、最早メッキが剥げて久しいが、良好なイメージが維持されるように、各種のイメージ操作が行われている。その証拠の一つを引用しながら解説してみよう。ダボス会議の偽善性はバレバレであるから、そのような証拠を挙げる必要自体がないのでは?と思う向きもあるかも知れない。しかし、脱構築という作業は、社会科学において発明された永久機関のようなもの(、果てしなくネタを生産可能な方法論)であり、単に文章を引いて「こいつは庶民の敵だと思うのだけれども、皆、どう思う?」とだけ記すことがわが国の著作権法によって許されない昨今、どうしても、必要な作業でもある(。事実をメモして、同時に、自分の意見をたるものとして提示するという作業が不可能な点で、著作権法は、真に具合が悪い。なお、脱構築という用語自体を陰謀論者としてネタ気味に利用していることも、否定はしないが、ロスコフ氏の記述を欺瞞溢れるものとして誤読してみせる作業は、脱構築の亜種ではあろうとも思うところである)。


クリントン政権の商務省・国際貿易担当副次官からキッシンジャー・アソシエイツの取締役へと転身し、多数のグローバル・エリートとの交流経験から『超・階級』(2008=2009、光文社)を著したデヴィッド・ロスコフ(David Rothkopf)氏は、序章において、ダボス会議の様子と役割を叙述するが、それら(の記述)は、きわめて誘導的・欺瞞的である。まず最初に、ロスコフ氏は、その出席者たちについて、元アメリカ政府高官の言葉を借りて、

「おそらく仲間としての一体感が生じているのだろう。彼らは自国民への忠誠心よりも、ダボス会議とそこに参加する同族達への忠誠心のほうが強いのだ」〔p.44、序章、ページ数は訳書〕
とは記す。しかし、私は、この記述を、ロスコフ氏が自身の客観性を高めるべく用意した、一種の藁人形(論法、自分たちが打ち倒せるレベルの仮想敵を用意して、それを打ち倒してみせる論法)であると理解する。同時に、私は、この記述から、批判者を明記した場合に批判者に対して、ダボス会議の主催者連中から加えられる報復(の大きさ)までを、読み取ることができるように考える。批判者が、物理的に口封じされたり、今後の彼(女)のビジネスへの影響が生じることをロスコフ氏が恐れたために、匿名とせざるを得なかったと考えられるのである。この点、図らずも、ロスコフ氏自身、この内輪の批判者を仲間として認知していることも暴露してしまっている。仲間ではないから損害を与えて報復されたくないという意見もあり得るが、ま、ダボス会議の部外者(である私)が判定して記述したことが、書籍の読まれ方の出力としては、全てである(という具合に話の流れを切断できるのが、構築主義の便利なところである、と私は勝手に思っている)。

ロスコフ氏は、ダボスに批判的な外部の人々へと直接接触した話を示さずに、他方で、その参加者については、一方的に人間味溢れる人物として描き出す。ロスコフ氏は、ウゴ・チャベス、エボ・モラレス、ウラジーミル・プーチン、マフムード・アフマディネジャド、イェルク・ハイダー、ジャンマリ・ルペン、ルー・ドブス、パット・ブキャナンの各氏の名を挙げ、彼らが

富と権力を持つ者たちがグローバルな陰謀組織を形成して、祖国との関係を断ち、私利私欲のためだけに行動することによって、世界に脅威をもたらしている、というような話をしょっちゅう持ち出す。〔…略…〕これらの人々にとって、ダボス会議はたんなる経済会議ではなく、敵の本拠地であり、グローバル化を指揮する将軍たちが世界征服を企んでいる場所なのだ。〔p.47〕
と、被害妄想気味の扇動者であるかのように彼ら批判者を描く。もっとも、自らを含むダボス会議の参加者たちをうまく戯画化できているという点では、(このように、あえて自分たちを悪く描写するとともに、批判者の攻撃性を際立たせることによって、あくまで批判者の内部のみで批判に示された負のイメージが共有されているかの印象を読者に与え、読者を自分たちの側に引きつけることが期待できるという意味で、)再帰性を良く理解している。さすが、キッシンジャーの弟子、(投資分野において、再帰性の語を主唱してきた)ハゲタカ・ファンドの首領である(あった?)ジョージ・ソロス氏に連なる一味の広報官である(。タイ・バーツの通貨危機におけるソロス氏の動きを、ハゲタカと呼べない訳はあるまい)。この一方で、「霊感に満ちた作品で知られる〔p.60〕」パウロ・コエーリョ氏の口を借りて、その参加者を

「ここにみんなが集まっているのは、ケーキを等分して、その分け前をもらうためだという、ダボスについての古典的な神話がありますが、私はそうは思いません。

この十年、毎年参加しているからでしょうが、ダボス会議には二つのレベルの人々が来ているということを、これまでになく強く感じるようになりました。一つはビジネス・レベルの人々です。彼らについて私はよく理解できていませんが、〔…略…〕。しかし、もういっぽうには第二のレベルの人々、すなわち人間レベルの参加者がいて、その役割は年々大きくなっています。彼らは会議の参加者に一種の建設的な自覚を促すのです。〔p.57〕

〔…略…〕

〔…略…〕たしかにこれはエリートの集まる会議です。しかし、みんながこうして集まっているのは世界を統制するためではなく、じかに会って相互理解を深めるためなのです」

ミルズやウェーバーのような社会学者なら、まさにそのような人間的な対話こそが集団の結束を強め、まとまりのない同輩たちの集まりをそれ以上のものに変化させるのだと主張するだろう。〔…略…〕その点について問いただしたとき、コエーリョはちょっと困ったような顔をした。彼が口ごもったのはおそらく、ダボス会議ではいくつかの分科会や委員会のメンバーになっているからで、反グローバリストや陰謀論者からの批判を和らげたいという考えがあるのだろう。正規の一員として、ダボス会議は秘密組織などではなく、ただ個人のつながりがあるだけだと言いたいのだ。〔p.58〕

と擁護する。私からすれば、コエーリョ氏は、自身を金持ちたちの「弾よけ」であることを自身が認識していないかのように説明できるという点で、立派に国際秘密力集団の走狗の役割を果たしている(。人ごとのように話すという、「東大話法」の規則8が該当する。私もこの方法を意識的に利用しているが、この方法に意識的であることを示すことこそ、社会的事実に係る観察可能性を維持する上での極意であるとも思っている。私のように考えれば、私のように考えることができる、と言うのは、トートロジーであるが、これが構築主義というものの極意である。「オマエの中ではそうなんだろう」というアレを打ち立ててみせるのが、構築主義の悪用の究極形態であろう)。アンジェリーナ・ジョリー氏もコエーリョ氏と同様の役割を果たしてきたが、芸能人は、ダボス会議において、寄付金の流れを自分たちの善意および正義感の適う方向に振り向けさせることで自己満足感を高めると同時に、ダボス会議が社会に貢献しているということを金持ちたちの代わりに主張する、という役割を与えられている。このことは、個々の事情や意見を捨象して、外形的にとらえれば、否定しようのない事実である。これこそが、コエーリョ氏が信じたいとする従来の「システム〔p.61〕」を、アウトサイダーから見たときの評価である。また、対外的にダボス会議の立場・建前を説明すること自体によって、彼ら芸能人は、自分たち自身の後ろめたさをも解消する機会と、自分たちの名高める機会の双方を得ることができる。諺で言えば、虎の威を借る狐であり、スネ夫症候群ということになろうが、これ自体が売名・つまりはビジネスチャンスにもなるという点で、真にいかがわしいサイクルが形成されている。このようなシステムにおける意志決定においては、インターネット社会、いや、SNS社会を迎えた現在においても、彼ら芸能人が多くを搾取する顧客でもある「民主主義」各国における選挙民の意志は、何ら反映されていない。コエーリョ氏やジョリー氏を選挙民が大変に嫌っているとしても、彼ら選挙民は、経済システム内部において広告業者が自分たちの取り分を差っ引いていくことを通じて、彼ら芸能人の上がりを負担させられている。この「搾取される側」の意志決定過程からの排除こそが、ナショナリストによって汲み上げられる不満の中心にある。にもかかわらず、ロスコフ氏は、また、コエーリョ氏のインタビューは、この論点について触れようとはしない。「オマエらが勝手に世界の形を決めるな」という各国の「忘れられた階層」の平等意識と不満は、厳然として存在する。まさか、2018年現在、マスゴミのいうこの事実を、当のダボス会議の参加者たちが認めない訳にもいくまい。ロスコフ氏は、自身の記述から、この庶民の不満を完全に欠落させながら、ニュージャージ出の自分自身を、パンピーの側にいるかのごとく描こうとする。わが国の国民で、竹中平蔵氏を庶民の代表と考える人々が、どれだけいるのか。竹中氏が国会議員として獲得した票は、庶民の代表としての期待に基づくものでは決してなかろう(し、もちろん、私は、それ以上の不正があるものと疑っている)。一般人の意思決定過程への参画の欠如に係る記述「世界を支配する」連中の側にいるロスコフ氏の記述から抜けていることは、そのまま、「世界を支配しようとする目論見からわれわれが排除されている」とナショナリズム支持者が感じることの、確固とした根拠である(。それに、学者の役割は、事態を過不足なく理解できるように説明することであるから、ロスコフ氏は、ダボス会議の役割を説明することに、学者・専門家としては失敗したことになる。2018年1月27日記事・補論)。

また、ロマン・アブラモヴィッチ氏について、次のように記すあたりは、先のプーチン氏への言及と対比させれば、よくよく、ロスコフ氏の立ち位置が「ヤツら」と「我ら」のいずれに近いものかを明らかにしている。

〔p.80〕

公平性と拡大する不均衡の問題はさておいて――のちほど述べる――どの分野においても、ごく一部のやり手たちが、群を抜く巨額の報酬を受けとっているという、同様の結果が生じていることは明らかだ。

しかしながら、私は本書の目的に則して、特定の事業分野における富や業績よりも、国際的な影響力の面でこうした状況が典型的に見られる人々に焦点を当てたい。ロマン・アブラモヴィッチ――ロシアの新興財閥オリガルヒの一人で、シベリア地方の知事も務め、イギリスのサッカー・チーム〈チェルシー〉のオーナーでもある――は、そうしたエリートの一人である。

〔…略…〕

〔p.81〕

どの人物も百万人に一人の逸材である。〔…略…〕

地球の全人口六十億人のうち、六千人ほどがそうした人々で、人間の行う事業のあらゆる分野に見ることができる。〔…略…〕〔p.82〕

これらの個人の決定的な特徴は力だ。〔…略…〕

彼らはその才能、業績、財産、または、これら三要素のなんらかの相乗効果によって、ひじょうに大きな影響力を手にした数少ない人々である。〔…略…〕影響力は人格ではなく、人格の欠陥から生じることもある。たとえば冷酷さ、一つの考えへの偏執狂的なまでの個室、強欲といったものだ。

現時点までにおいて、アブラモヴィッチ氏は、複数の疑獄への関与が指摘され、(先に見たように、ダボス会議を批判する当の)プーチン政権との裏取引が匂わされてきた(。これが、「先進諸国」の「マスメディア」の「中立的」な記述に基づいて「客観性」を担保されたとされる『Wikipedia』の英語版の記事(リンク)から受ける印象である)。このとき、アブラモヴィッチ氏を「逸材」という語を用いてロスコフ氏が形容したことは、訳書の記述であるとはいえども、事実である(。訳者の責任であるというつもりは、微塵もない。職業的作家が商業出版システムと上手に付き合い、訳書の品質をコントロールすることの重要性は、村上春樹氏が『職業としての小説家』(2015、スイッチ・パブリッシング)で述べている。人物について「逸材」の語が利用されるとき、これが好ましからざる性質を有する意味で用いられることは、皮肉以外の場合を除けば、まずない)。ロスコフ氏は、好ましくない人格(、これを、「人格の欠落」といった形で表現することは、よくよく覇道一神教的な精神によって、ロスコフ氏が駆動されていることを示す証拠である。)が突出した力の源泉となった可能性について、言及してはいる。しかし、全体を通じてみれば、ロスコフ氏の記述は、人格者であるために成功した高潔な人物たちがダボス会議に集合し、毎年の交友関係を暖めているという印象へと、読者を誘導しているのである。以上、ロスコフ氏は、世界の99%から見れば、エリートの観察者・研究者というよりも、立派にエリートの代弁者である。


なお、同書は、段落書きされている。国際秘密力集団の代理人に対抗する側も、効率性を上げるために、ぜひ、学ぶべきところは学ぶべきと思う。西部邁氏の論説が段落書きされていなかった、言い換えると、同時代的な学問水準に到達していなかったことは、その影響力と相俟って、「保守論壇」の健全かつ迅速な発展を阻害したものと言える(2017年6月11日)。

「スーパークラス」の定義が「流動性の高い〔p.163〕」走狗を含む(例:トニー・ブレア氏、ミハイル・ゴルバチョフ氏)時点で、同書は、これまた誘導的である。ブレア氏とゴルバチョフ氏は、政界を引退した結果、スーパークラスからも引退したという形で、閨閥ネットワークの存在を糊塗する材料として、利用されている。「権力から身を引いた結果、慎ましやか、かつ、穏やかに暮らすことのできる元・スーパークラスがいる」といった案配で、説明材料として提示するための枠である。細川護煕氏は、この枠に入れることができるやも知れない。細川氏の場合には、メトロポリタン美術館(The Met;ロンドン警視庁も同様の愛称に作品を展示してもらえるというおまけ付きである。もちろん、このネットワークは、複層的に権力集団の関係を強化することに寄与している。これらの「引退した人々」は、その生き方自体が、一面的には安全、かつ、名声を博せるものとなっているという点で、国際秘密力集団によって「リサイクル」された事例となっている。ロスコフ氏が自身を走狗という地位にあると認識しているとすれば、ロスコフ氏の「スーパークラス」の定義自体が、自身の走狗ぶりを際立たせる理解の枠組であると評価できよう。

隣接分野に対比してみると、ロスコフ氏のエリート論に対する役割は、疑似科学(のうち、国益に影響を与えると見做された意見)に対する「と学会」の役割と同等である。

#今後、引用と記述をやす可能性はあるが、これで十分な評価材料が貯まったように思うので、本稿はおしまい。


2018年1月28日・31日訂正

明らかな事実関係の誤りと文面の一部を訂正した。メトロポリタン美術館と著作権法の主従に係る二点の誤りについては、お詫びする。