2017年9月9日土曜日

(メモ)角本ゆり氏による三宅洋平氏周辺の大麻使用に対する公衆への告発は真実と認められる

角本ゆり氏による告発[1]は、私が「大袈裟太郎氏のゆうちょ銀行口座凍結は国際的な大ブーメランになり得る」と題する記事(2017年6月12日11時)をアップした後に、『Facebook』に投稿されたものである。非会員に向けて公開された時期は、私には確認できていない。告発が騒がれ出したのは、今月(2017年9月)の5日頃である。角本氏による「告白(以下、法律用語には当たらない意図で使用する。)」は、

大袈裟太郎氏のように、昨年の夏からジャーナリズム活動を始めた(本名と思しき氏名等でもググってみても逮捕歴を報じるニュースの見られない)人物を犠牲者として、しかも、それが外国メディアからはレイシストと見做されかねない人物のグレーゾーンな活動によって惹起されたものであるとすれば、弾圧の方法としては、相当の下策である。
と私が記したことの前段部分(特にカッコ書きの部分)に対して、決定的な反証として機能する。角本氏の指摘が事実であるとすれば、単に有罪に持ち込めるだけの条件が整わなかったが、三宅洋平氏やほかの人物は、少なくとも一度は、テロ等準備罪の適用対象となる犯罪に手を染めたことになる。しかしながら、私の指摘も、執筆当時であれば、妥当であったことには変わりがない。事情を知った現在は、三宅氏と仲間たちも、渡邉哲也氏と仲間たちも、いずれも、それぞれの行為に対して、批判すべきであると考える。

大袈裟氏は、角本氏の指摘が当たらないと否定しているようではある。しかしながら、両者のコミュニケーションは、ツイッターにおけるブロック合戦のような様相を呈しているようであり、その詳細を私が詳らかに検討することは適わない。素朴に考えれば、大袈裟氏と角本氏のいずれかが、公に対して嘘を吐いていると考えることになる。この話題の真偽について、最終的な判断を下すには、私にも、世間一般の人々も、なお時間を必要とするであろう。また、大袈裟氏に対する私自身の前記事は、凍結して、本記事と併せて、読者からの評価を待つほかなかろう。

角本氏の告白は、私には、真実であると思われる。角本氏の告白が一種の讒訴であるとすれば、顕名で提起される必要性はない。虚偽であるとすれば、よほどの理由があるに違いない。(その告白が虚偽である場合の)よほどの理由としては、たとえば、顕名で脱原発活動に従事しているために家族を抱えるという脆弱性を狙われたというもの、三宅氏を最適なタイミングで裏切るために近付いたというもの、の二通りを考えることができる。ただし、後者の場合は、相当に強固な後ろ盾を必要とする。いくら「左」側が相手であり、生活に余裕があろうと、幼い子供たちを抱えながら、社会に多大な影響を与える種類の嘘を吐くことは、まったくもって、非整合的である。

角本氏のツイッターにおける言論のスタイルは、総じて、是々非々である。(リツイートではない)角本氏自身の言葉によるツイートを遡及して、今年6月27日分まで遡及した結果、そのように判定した。是々非々というスタイルは、「両建て」を見抜き真実を追うという目的に対して、三宅氏周辺に見られるニューエイジ思想(信仰)という「セット思考(2016年7月26日)」に比べ、遙かに有効である。「集団内の力学」に左右される大袈裟氏や三宅氏の主張より、角本氏の言論は、信用できるという印象を与えるものである。仮に、角本氏が嘘を吐いているとすれば、その計略は、近年のわが国のツイッター界隈では見たことがない程、高度に作り込まれたものである。

角本氏の指摘は、一見、三宅洋平氏による不正選挙に係る主張を無効化するもののように見えるが、実際には、「両建て」構造の暴露を通じて、わが国の宿痾を相対的に可視化する方向に作用する。不正選挙の虞が三宅氏によって指摘されてきたことは、本ブログでも言及したことである。ゆえに、私にとって、角本氏の指摘を採用することは、私の言説の全体までが無効化されかねない危険性を有することになる。にもかかわらず、私には、角本氏の指摘は、それだけを見れば整合的に思える。というのは、私も触発された大袈裟氏の口座凍結騒ぎによって、角本氏が告に踏み切ったものと解釈できるからである。角本氏は、私とは異なる観点から、つまり、三宅氏や大袈裟氏を信用するなという意図だけに基づいて、記事を執筆したのであろう。しかし、角本氏の指摘は、たとえ、片務的な意図に発したものであったとしても、角本氏とごく一部の人物たちしか知らなかった事実を公にした結果、お互いに「臑に傷を持つ」人物たちの「両建て」を暴露するという、予期せぬ結果をもたらしたのである。私にとって都合良く角本氏の告を解釈すると、そういうことになる。

不正選挙や大麻解禁(2016年1月19日)は、いずれも、(国際秘密力集団の)ビジネス(チャンス)である。「誰が利益を得るのか」という原則は、ここでも適用可能である。角本氏の指摘は、真実であった場合、「左」側にとっては思わぬ打撃となるが、日本社会を正常化する過程においては、必要なものであったということになろう。ニューエイジ思想は、「大麻やLSDなどの違法薬物に対する信仰」と「抱き合わせ販売」されることで、いざとなれば、「薬物の違法使用」を成員の「臑の傷」として利用できるよう、社会工学風に言えば、「設計」されている。かくして、ニューエイジ思想は、「両建て」の一翼としての「人工芝運動」として駆動し始めるのである。

角本氏よりも、私の方が「運動」全般に対して、過度に臆病であるが、組織的運動というものに対する私の不信は、大学新入生時代、田舎出のぼっちのためにオウム真理教の学生信者から勧誘を受けたという、私の経験に骨絡みのものである。私が大学生の頃には、カルト宗教の勧誘競争が喧しかったものである。ロスジェネの世代体験は、オウム真理教事件という相当に悪い形で顕在化した結果、角本氏の世代における一部カルト宗教に対する経験の欠如につながるべく、大学行政に反映された。角本氏と思しきブログには、自身が役に立つか否かを悩む文章が見られるが、役に立たないものなどないのである。それが超越的存在というものの摂理である(棒)。

角本氏の顕名での告発は、三宅氏周辺の大麻の違法?な使用に対する事実の摘示を「裏切り者」に対する不信感抜きに成功させたものとして、テロ対策上、高く評価できる。「組織の中に警察のスパイがいる」という不信感(と、実際にスパイがいたとされる事実と)は、内ゲバ(集団リンチ)を通じて、連合赤軍をわが国史上最大の極左テロリスト集団へと変貌せしめた。角本氏は、自身のSNS上の言論(とそこから窺うことのできる現実の活動)を通じて、(明らかに生活レベルは「上」のものであるように思われるが、)一人の母親としての議論を誠実に編んできたように見える。その言論は、少なくとも、言論だけで判定する限り、自身の安穏とした生活をリスクに晒してでも、社会的に訴えるべきことを訴えたように、私には思われる。「この人が言うなら、三宅氏周辺には、そのような疑いがあるのであろう」という印象を与えたのである。この指摘は、三宅氏周辺グループを孤立させ、極端な方向へと走らせる懸念こそ残るものの、三宅氏の仲間たちが極度の不信感を相互に抱きながら、「裏切り者」を探すという作業を不要なものとした。それゆえ、三宅氏らがきっぱりと大麻の使用を中止し、合法化を訴えるに留まるように変わるのであれば、関係者全員が結局は利益を得るという「結末」を迎える可能性を残すものとなっているのである。実に、理に適った告発の方法である。仮に、角本氏の告発が、一種の(警察の不作為をテコとした)工作活動であり、ここに示した「結末」へと至った場合、私が行政警察活動(生活安全警察活動とも呼ばれている)として考える理想型の一つを実現したものと言えよう。現実に刑事司法機関を動かすことなく、あるべき安定的状態へと、関係者全員を軟着陸させたことになるからである。

もっとも、角本氏の告は、彼女なりの熟慮に基づき、なされたものと主張されているとはいえ、その帰結に対する考察は、主観の域を出なかった可能性が認められる。たとえば、山尾志桜里氏に対する角本氏の評価は、角本氏自身の環境と主観に根差したものである。この角本氏の評価は、前稿において、たとえば、私が

現時点の日本文化が不倫に対して不寛容なこと自体が問題の核心ではない。日本国民が己を知らないがために、『週刊文春』ごときに良いように振り回されていることが問題なのである。
と評価した(2017年9月7日)ほどには、周辺の環境を考慮したものではないものとも認められる。もっとも、自身への好印象がそれぞれの言説から形成されることを見越した上で、今回の告発・山尾氏への評価を、現在見られる形に調整した可能性も十分に残る。[山尾氏の不倫(への非難)]を[三宅氏への告発(への信憑性)]につなげ、同時に、[三宅氏への告発(への信頼性)]を[山尾氏の不倫(に対する批判への同意)]につなげる、という「双方向」の印象強化である。(私は、考え過ぎだと思うものの、)この可能性が妥当するとすれば、角本氏は、読者を完全に手玉に取るレベルの政治巧者ということになる。『たびレジ』に登録するくらいの御仁であるからには、この可能性は、ない訳ではなかろう。ぱっと見、夫君の職業も分からないし。


[1] Kakumoto Yuri - よくよく考えたんですが、やっぱり書きます。... | Facebook
(Kakumoto Yuri、2017年06月13日12時40分 JST)
https://www.facebook.com/yuri.sakuma.39/posts/1403045166453493




2017年9月11日・14日修正

当初の意図を変えないよう、文面を変更した。

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