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2018年9月8日土曜日

(メモ)正義を自認する者にどこまでの嘘は許されるのか

#手抜きも良いところであるが、とりあえず公開する。【】は、段落を構成する要素として、成立しているであろうが、文としては、放置したままのものである。


一国の国民の安全を預かる者からすれば、単なる平和主義者は楽な立場だと、プーチン大統領は、オリバー・ストーン監督に語っている(。『オリバー・ストーン・オン・プーチン』〔pp.168-169〕、ここでは「親ロシア」という用語で説明されている)。平和主義者の国民の側に、「権力者とは、何をしてでも一国の安全を維持するという任務を背負うものであり、結果で判定されざるを得ない存在である」という認識があれば、平和主義者の国民と権力者との間には、権力者がプラトンのいう「哲人王」を目指す限りにおいて、共通の了解も生まれるのかも知れないとは思う。殺されることに甘んじて耐えるということは、普通の人間には可能なことではない。私からすれば、筋金入りの平和主義者の国民もまた、その領分に留ま(り、殺されることを覚悟す)る限りにおいて、(場合によっては、権力者よりも)偉大になり得る存在であるとは思うのであるが、この考えは、下々のものであって、甘いものなのだろうか。

話の枕としては、あまり適当な事例ではなかったが、私の考察の対象は、NHK『NHKスペシャル選 未解決事件File07』「警察庁長官狙撃事件」(2018年9月2日21時、8日(本日)16時~)において紹介された、青木五郎・警視庁公安部長によるオウム真理教を犯人として名指ししたことの理由である。この発言は、警察行政に対してかねてから批判的であった言論人や組織からの反発を大きく招くものとなった。これらの批判(を無料の本ブログで収集して取り上げる努力はしないが、それら)は、至極、妥当なものである。青木氏の発言は、推定無罪の原則などの刑事司法の基礎的な考え方を知る者なら誰でも、直ちに違和感を覚えることができるほどに踏み込んだものである。結局、東京都は、オウム真理教の後継団体であるアレフに裁判を起こされて、損害賠償まで支払うことになった

【概要の説明;警察庁長官の國松孝次氏が1995年に狙撃された事件。オウム真理教関係者が教団への捜査を攪乱するために起こしたものと見立てられた。ところが、中村泰という警察官殺害事件の犯人でもあるローン・ウルフ型の犯罪者が、刑務所で誰?に向かって告白した。これを受けて、警視庁公安部・刑事部は、捜査に着手するも、中村の自供に基づく拳銃を発見することはできなかった。大島行きフェリーから海中に投棄したとするため。青色のティップを持つホローポイント弾は、LAの貸倉庫に保管していたものの、借用期限がきたために処分され、銃砲店に売却された。中村は、接触を図ってきた弁護士に対して、決定的な何かを埋めた地点に係る資料を提供、撮影班は宝探し中とのこと。】

落ち着いて状況を考えてみても、青木氏の発言は、明らかに異常さが際立つものである。【常識から外れているのは二点。刑事司法の理念である推定無罪の原則に違背していること。時効にあたってとはいえ、注意喚起としてのタイミングがあまりに遅く、不合理なこと。】

この異常な状況ゆえに、合理的な精神を持つ批判者は、なぜ、青木氏がここまで発言したのか、という疑問にも至ることができる。【さすがに、キャリアの青木氏がここまで法律の常識を知らないとは言えまい。なぜ、オウム真理教にすべての責を負わせなければならなかったのか。】青木氏自身の「テロ事件の危険性を喚起し続けるため」という趣旨の発言は、彼の意図の全部を説明するものではないが、彼の意図すべてを把握しようと努力する際のヒントとして利用可能ではある。

青木発言の意図が、警察庁長官狙撃事件ほどの重大事件を一個の個人が起こせるだけの脆弱性がわが国に存在し続けてきているという事実から日本人の聞き手の注意を逸らすために仕組まれたものだと考えてみると、このお粗末過ぎる発言の理由にも、それなりの合理性を認めることができるようになる。青木氏は、あえて、近代社会の法理念に悖る迂闊さを全面的に押し出すことによって、日本の安全を維持するための汚れ役を一身に引き受けようとしたのではないか、とも考えることができる。しかし、青木氏の発言にもかかわらず、日本社会の安全性にぽっかりと開いた深淵は、残念ながらそのままである。たとえば、着の身着のまま、今年8月12日夜に(、この表現は、正確ではないかも知れないが)脱走した樋田淳也を、大阪府警察は、今に至るまで確保できていない。中村泰にせよ、樋田にせよ、これらの個人犯罪者たちは、彼ら犯罪者個人の目的に照らせば、今も警察を出し抜いたままである。また、彼らから発せられているメッセージは、およそ30万人を擁し、自賛するのも理解できなくはない水準の治安を実現しているはずのわが国の警察組織に対して、重大な疑義を突き付けるものとなってしまっている。

犯罪者の声明・犯行に対する警察のコメント、すなわち広報活動は、単に警察の体面を維持するという問題に留まらず対テロ戦争の一環でもある。重大事件を起こした犯罪者個人の目的が売名行為にあるとすれば、彼らの意図は、犯行を通じた一種のテロ活動と言える。これら犯罪者たちの目的は、汚名とマスメディアの(真実を世に広めるという建前の下での、実際のところは経済的な利潤を目的とする)下世話趣味とをテコとした「不死の名誉」とも言い換えられる。この機能を考慮すると、犯罪者なりの「名誉」と、それらを毀損するための行政府・司法機関の組織的活動と、それらの事件から教訓を引き出すという正当な犯罪予防活動との間には、緊張関係がある(犯罪者の実名報道(の是非)は、この緊張関係に含まれる、より一般の意識が向いている話題である)。この売名行為に対して不用意に共感的な言説を寄せることは、テロへの協力にもなりかねないし、非難に値することもあろう。この危険に対する私個人の研究者としてのかつての答えは、「大文字の物語」を構成しかねない(日本国民に大きな心的影響を与えうる)重大事件についての言及をわざと欠落させ、犯罪対策と個別の事件とを分離するというものであった(。「体感治安」は、この種の言説をまぜこぜにしてしまうという点で、諸刃の剣であった。この点、一般人でしかない今の私には、この種の縛りはない)。


なお、樋田淳也の逃走に関して指摘しておけば、全防犯カメラのネットワーク化およびその映像を利用した自動人物同定システムは、技術的な問題解決を必要とすることなく、十分に実装可能である。少なくとも、十分に多数の防犯カメラをネットワーク化し、自動認識システムに対して、常時、映像なり(容貌または歩容の)特徴量を送信すべき時が来ているという意見に対して、(光学、電気・機械・情報工学に含まれる種類の)技術は、十分に対応できる程度に成熟しきっている。問題は、社会実装に(のみ)ある。この主張を補強するため、憲法上の懸念を解決する上での最も有力な(私の考えた)方法論を提示しておく;それは、防犯カメラ単体の性能を向上させ、その製品の内部で、個体に係る特徴量までを計算し、その特徴量のみを送信するというものである。ワンチップといった「一体化していて製品から分離できない」部品によって、個人の容貌を(このように呼んでしまうことにするが)ハッシュ化してしまうことにより、カメラ本体内部で、データから個人への紐付けを防ぐ作業を完結できる。複数のデータ源から収集された同一個人に係るハッシュの同一性は、常に問題となるが、時空間上で近接するという基本を考慮すれば、十分な数の画像が複数のカメラから取得できている場合、大して問題にならない。社会的な課題は、このハッシュ計算を標準化する際に、利権が生じうることである。




2018(平成30)年9月8日22時30分追記

再現ドラマにおいて、小日向文世氏が演じる警視総監は、國村隼氏の演じる刑事に対して、「オウムを叩くことと真実を追求することのどちらが大事か」という趣旨の言葉を投げ掛ける。この台詞は、どちらかと言えば、当局の意向を汲んで、脚本家が採用したものと理解して良かろう。社会安全をタブー抜きで追究している(つもりの)人物からすれば、この台詞は、問題を矮小化してしまうという点で、社会に与える影響を限定化しているために、物足りなく感じてしまう。ただし、この台詞は、底が抜けていない分、これを真に受けてしまう愚かな同業者が出てくるのではないかとも危惧してしまう程度には、良く出来てもいる。あと、嘘と真実との割合について受刑中の中村が語る台詞は、実際の発言を下敷きにしたものであろうが、統計的な考察に欠ける。




2018(平成30)年9月9日1時43分訂正

一部の表現を改めた。




2018(平成30)年9月11日8時23分追記・訂正

一部の表現を改めて、淡い橙色で示したが、意図は変えていないつもりである。

なお、単なる疑問だが、時効成立当時の報道発表において、青木五郎氏は、沈黙を保つよう試みるという方法も取り得たのではなかろうか。しかしながら、記者は、当然、中村泰の話を聞こうとしたであろうし、現時点の私には確認する術がないが、聞いていたであろう。これらの記者の質問は、職務上期待される役割から当然に生じるものであるから、それ自体を止めることはできない。中村について聞かれたらノーコメントを貫くという方法は、取り得なかったのであろうか。こればかりは、複数人が知恵を出し合わないことには、何とも言えなさそうである。今の私は、私事ゆえに想像力が減退しており、マスコミの視聴者・読者に対して、中村が本ボシであったという印象を与えてしまったのではないか、としか結論できないが、この見解が正しいなら、青木氏の選び取った言葉は、一種のノリツッコミを心に秘めて発せられたものかも知れない。

2016年10月6日木曜日

(メモ)PanasonicとIBMのスマートハウス機能に係る提携を報じる日経記事には違和感がある

 日本経済新聞は、パナソニックがIBMと提携し、人工知能を利用して、住宅に設置された防犯カメラに映り込む人物の分別作業をはじめとする住宅サービス事業に取り組む方向であることを、2016年10月6日の朝刊1面で報じている。
 両社は共同で新サービスの開発に取り組む。まずドイツのベルリン南東部で2017年に着工、18年末に完成する「スマートタウン」にAIの導入を目指す。
 〔...略...〕
 まず防犯カメラの性能を引き上げる。撮影した映像をIBMのコンピューターにクラウド 経由で送信し、同社のAIシステム「ワトソン」が処理。住民や知人の顔を「学習」し、それ以外に近寄る者を不審者と認識する。敷地に近づくと警察に通報したり、近隣住民に知らせたりする。
「 「AI住宅」世界展開/パナソニック 家電制御 自ら学習/米IBMと」『日本経済新聞』2016年10月6日朝刊1面14版.

 この報道に対しては、「ドイツでOKなら世界でOKということになるから、ドイツで始めようという方向は分からなくもないが、現行法体系の下では、データ保護及び情報の自由コミッショナーによってサービスの開始が認められないのでは?」という疑問が湧く。これだけ短い記事であるにも関わらず、記事には、複数のツッコミ所が見受けられる。

 データ保護という観点からツッコむと、どのように被写体の同意を取るのか、という点が挙げられる。この記事における「敷地外」が公道である場合には、連邦データ保護法の6b条(公衆の立入りが可能な空間における光学・電気的なモニタリング)の三要件を満たす必要がある。この要件を満たしていても、同法は、個人に係るデータを収集される客体に対して、データ収集に対する明示的な同意(オプト・イン、4a条)を求めている。このとき、被写体は、データの収集に明示的に同意するには、何をすべきなのであろうかと想像してみると、少し面白い。両手を挙げて二回以上回るとか、公道で行うにはかなり恥ずかしい感じの行動を必要とするのであろうか。たとえば、ドイツポスト(郵便配達)の職員は分かりやすい制服を着ているが、彼らのうちの何人かが容貌の撮影を拒否したいとき、いかに拒否することができるのであろうか。そもそも、このような行動を取ることのできない人たちや、拒否するためのポーズを拒否する人たちには、いかなる代替策が許されているのであろうか。声も個人情報である。人工知能による監視は、私有地ならそれなりに実現できそうであるが、公共とのすり合わせは、なかなかできそうにはないのかも知れない。

(参考)Federal Data Protection Act
http://www.gesetze-im-internet.de/englisch_bdsg/


 データ保護が実現されてから後の段階の話についても、一点、ツッコんでおくと、「敷地に近づくと警察に通報」するという記述は極端である。日本国内においても、少々、行き過ぎの表現である。わが国における家庭向けの警備サービスの現状を考えてみれば、この指摘の正しさは、十分に理解されよう。敷地に近付くだけで警察に通報するのは、わが国では、公務執行妨害になるとも考えられる。それとも、敷地に近付く歩き方をすると、『ワトソン』が事前に警告を発するのであろうか。道路交通法に違反しない限り、歩き方を指南されるのも、「オイ、コラ」と言われている感がある。

 以上の二例に見たように、日経には、業界の内情を知る者から見れば、かなりの違和感を持つような記事が掲載され、不当な表現がごく自然であるかのように使用されることがある。同意の取得と通報機能について揶揄したのは、日経の記事の表現が不当であることを示すためである。データ保護法制がわが国よりも十分に厳格なドイツにおいて、このようなサービスを実施するとして、常識に違背する表現が多用されている。この整合性のない状態は、日経の記者とデスクが何らかの意図の下に本記事を世に問うたという気配を感じさせるものである。

2016年8月2日火曜日

朝日新聞2016年7月31日の相模原事件に係る記事は良記事である

植松容疑者警戒、防犯カメラ16台設置 常時監視はせず:朝日新聞デジタル
http://digital.asahi.com/articles/ASJ7Y4HRGJ7YULOB00M.html

 上掲リンクは、朝日新聞の紙面では、平成28年7月31日日曜日の朝刊39面に掲載されていたものである。同記事には、日本防犯設備協会の担当者の話が次のように記者の古田氏によってまとめられている。
「事件を防ぐには、刑務所のような高い壁で建物を囲むしかないが、非現実的だ」と広報担当者は話す。

 防犯対策としては窓ガラスの破損に反応する警報装置などもあるという。「今回の場合、施設や警察がどのような犯罪を想定していたかが、検証のポイントになるだろう」と語る。(古田寛也)

 前段については疑問もあるが、後段に対しては、まったくその通りであると考える。助言を行った警察まで含めて、担当者の話として記しているところは、読む側が心配してしまうところがあるほど、組織としては踏み込んだ内容であろう。古田氏と広報担当者との間のコミュニケーションのあり方については、想像するほかないが、現時点で、まったく利益相反関係やコンタクトのない私からみて、この記事がこの形で公刊されたことは、公共の利益が最大限尊重された結果であり、社会的に賞賛を浴びて良い話であると考える。(このために、本記事を執筆した。)

 本事件のように、徹底的な検証が必要であると同時に、なおかつ、対策が焼け太りにつながる蓋然性が認められる事件があるとき、責任を果たすべき主体とその責任の範囲をあまさず列挙しておくことは、公益に資する言論の第一歩である。本記事では、文面が「今回の場合、施設や警察がどのような犯罪を想定していたかが、」ではなく、「今回の場合、どのような犯罪が想定されていたかが、」という受動態で記されてもおかしくはなかった。朝日新聞社側が「施設や警察が」という主語を根拠なしに挿入したという可能性は、今回については、ないものと考えて良いであろう。本記事の執筆にあたり、記者の古田氏は、必要な発言を引き出して、上手く利用した、と考えて良いであろう。では、警察庁の所管となる公益団体である日本防犯設備協会の担当者は、迂闊であったと言えようか。決して、そうではなく、むしろ、「三方よし」の観点から業界を回り回って益する形の発言を提供したのではないか、と私は考える。

 本事件に係る業界では、横並び風潮が根強く残るから、どの企業が施設を運営・警備していたとしても、本事件は、容疑者が勤務していた限り、同様に生じた可能性が高かったであろう。同時に、どのポジションであっても、たとえば、津久井署の生活安全担当者が誰であっても、同様に事件が生じたであろう。私も不適切な防犯上の助言をなしたであろうことは、戒めとして、本ブログに残したとおりである。誰が担当者であっても同じ結果を生じさせたであろうならば、事件の再発防止に係る責任は、個々の人物に求められるものではなく、組織の構造に求められるべきであろう。本事件は、組織の習慣や役割、組織間の縦割り状態によって生じたものであって、関係する組織で普通に仕事をしてきた人たちに対して、責任を求めることは、無理の過ぎることであろう。

 他方で、今回の事件は、事件の関係組織すべてに対して、組織の責務の範囲を、組織として明確にして、その責任を十分に果たしたのかを問うものとなっている。組織が期待される役割を果たすことに失敗したときに、改善すべき点をタブー抜きで検証し、その欠点を改善できたとすれば、その組織は、今後に向けての健全性を示したことになろう※。逆に、健全でない組織とは、改善すべき点を改善できない組織である。朝日新聞の記事は、今回の事件を教訓として、警察も従来の業務のあり方を再検討すべきであるという指摘を提起することに成功した。この点、今回の朝日新聞は、報道機関として好評価を受けるだけの記事を世に問うたことになろう。また、日本防犯設備協会は、警察庁の所管する公益団体であるが、客観的な知識を提供するという社会的役割も期待されている。検証の結果、防犯設備が不足しており、その不足を埋めるという今後の作業を通じて、業界全体が利益を得るという話の流れは、当然あり得る。しかし、この業界拡大の流れは、警察も検証の対象とすべきであるという指摘とは、関係なく成立するものである。この点に留意すれば、(警察関係者としては警戒する相手であり得る)朝日新聞の取材に対しても、日本防犯設備協会の担当者は、誠実に客観的な解答を寄せたということが明らかとなる。

 このような状況を鑑みたとき、朝日新聞も、日本防犯設備協会も、批判を受ける形となった施設と警察も、それぞれ譲歩するような形を取りながらも、結果として、自らの評判を高める機会を享受している。厳密には、施設と警察は、これからの検証のあり方を通じて評価を受けることになる。その際のヒントは、本稿にも、また、以前の記事にも示している(12)。2番目の記事は、陰謀論という、いかがわしい分野に分け入りつつも、そこから教訓が得られるであろうと見込める限りは検討しようとする、という謙抑的な態度で示したものである。

 ※ 行政組織が検証の対象となっている場合には、海外の同種の組織がどの程度まで、どのような社会環境下で、どのようなリソースを利用して、業務を実施しているのかが問われることになろう。

2016年1月30日土曜日

ウェブカメラの脆弱性はウェブセキュリティの標準に近づけることで対処すべきである

 先週の週末×(2014年1月23日~)○(初出は、2016年1月21日のNHKの報道)にかけて、ウェブ上の(防犯)カメラ映像が誰でも見られる状況になっているというニュースが数局で報道されたと記憶している。今回の報道は、明らかに、設置時のサービスレベルが低いことを示唆するものであり、製品そのものに起因する問題ではないことを示唆していた。ただし、ウェブ上では、日本企業(とみなされる企業)のカメラが名指しで覗き見できる機種として取り上げられている。BBCでは、過去、脆弱性を有するカメラの製造企業の担当者が出演して脆弱性に対する説明を加えている。この点は、見習われるべきであろう。

Breached webcam and baby monitor site flagged by watchdogs - BBC News
http://www.bbc.com/news/technology-30121159

 本件脆弱性への基本的な視座については、過去、『JUSRIリポートNo.45』(2010)において、それなりに言及したつもりである。その考え方とは、ウェブカメラのセキュリティは、ウェブセキュリティの標準に収斂させていくほかないというものである。実のところ、私は、同報告書において、このような覗き見に対する防御策の一つとして、暗号鍵が有効に機能しうる点を取り上げ、群馬大学グループの「e-自警」が暗号鍵を実装している点を評価した。今回、問題となったウェブカメラには、そのような機能が搭載されていないようである。当時から現在に至るまでの技術の根幹は、さほど変化していないので、本記事において、同報告書に格別に付け加えることはない。

 ここ10年の防犯カメラ界隈の構図は、業界団体が存在し、一定以上の品質のカメラを推奨しているものの、「安かろう悪かろう」でアフターサービスなしのウェブカメラに押されているというものである。本来、製品の機能は、サービスまで含めて評価されるべきであるし、顧客もそこまで評価できるだけの才覚を備えるべきである。ウェブカメラを防犯目的で購入する者は、ウェブカメラが室内の状況を外部に流出させ、犯罪機会となり得る、というリスクに対する認識を持つべきである。ユーザビリティに係る業界の標準的認識は、サービス業者まで含めた総合的な体験を評価の対象に含める。警備業界の大手企業では、従業員がサービスの主要部分を担う以上、総合的にサービスを評価するという視点を備えているように見受けられるが、カメラ製造企業を単独で見れば、向上の余地があるということであろう。

 本来ならば、公的組織が低質なサービスを排除できて然るべきであるし、その作業に資するだけの冷静な議論が学術界にも存在して然るべきであるが、いわゆる左派の研究者も「にわか」の研究者も防犯カメラをオワコンとみなしている気配がある以上、こうした脆弱性が表れてはそのままとなるという話は、日本社会が今後もこのまま続くのであれば、今後も継続する宿命にあるものと思われる。焼き畑農業は、わが国のマスコミだけでなく、わが国の研究業界にも存在する風潮である。この刹那的傾向は、国民一般のリスクへの認識力をかえって弱める働きを有してはいないか。専門外のリスクを新たに研究しようとする学術関係者は、各種のリスクを横断的に衡量した上で、自身の行動を正当化できるか否か、検証する必要があろう。(興味を持ったからというのは理由としてありだが、謙虚に先行研究を収集すべきであろう。)

 かくして、低廉なウェブカメラの脆弱性を手当てする体制は、防犯カメラ業界の側から供給されることはない。とすれば、IoTなどという話題の範疇、つまりウェブセキュリティ標準の中で対処してもらうほかない、というのが私の結論である。そのときは、必ずカメラのID(個体識別性)が問題に含まれることになるので、自然と解決が図られることになるであろう。問題は、そこに映り込む人物の肖像権であり、その人物の撮影に対する了解の度合いとなろう。


#ちなみに私は、研究業務に参入してから、犯罪予防を常にターゲットとしている。本ブログで福島第一原発事故に対する言及が多いのは、史上最大規模の企業犯罪であり、組織犯罪であり、潜在的被害者数も史上最大クラス、おそらくスターリンや毛沢東の指揮した虐殺を上回る規模となることが懸念されるためである。

平成28(2016)年2月23日追記

遅まきながら、本件は、最近ありがちの国際関係に起因する報道でもあることに気が付いた。報道記事が専ら参照していたサイトは、他サイトを挙げて、「パスワードのかかっていないサイトを登録している」旨を主張している。他サイトのドメインは、.io(イギリス領インド洋地域)であり、登録申請者はフランス在住である。他サイトについて触れる日本語のマスメディアは、私の見た限りでは存在しなかった。今回の報道は、サイバー○○の流行に棹さしたものであると見るのが妥当であるので、そのノリの都合上、特定国に対する色眼鏡をかけさせようとする動きが存在することは、わが国の報道機関の特性上、致し方ないことではある。ただし、今回の脆弱性の責任は、純粋に国内問題である点に注意すべきである。

 今回の話題沸騰は、NHKの報道が契機となったようである。NHKは、報道機関らしくなく、ウェブ記事のアーカイブを公開しないため、後追いで確認することが難しい。そこで、リンクをGoogle検索したところ、溝口誠一郎氏のプレゼンテーションという御託宣が下された。これでめでたく、今回の流行発信者がNHKの報道であることが確認できた(ということにしておく)。

溝口誠一郎(KDDI研究所), (2016/Feb/8). IoT時代のセキュリティについて考える
http://kiai.gr.jp/jigyou/h27/PDF/0128p1.pdf

News Up ネットで丸見え?防犯カメラ(1月21日18時57分)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160121/k10010380631000.html

監視カメラ覗き見? パスワード未設定が原因か : 科学 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/science/goshinjyutsu/20160122-OYT8T50085.html

 ITジャーナリストの三上洋氏は、次のように解説している。
この監視カメラサイトは以前から2ちゃんねるなどの掲示板で取り上げられていたが、2016年1月になってニュースサイトが取り上げたことから、新聞やテレビでも報道されている。
(...略...)
一部のメディアはこのサイトについて「初期パスワードのままで使っている監視カメラを覗き見しているようだ」と書いているが、そうではなく、最初からパスワード無しの筒抜け状態になっている監視カメラが多いと筆者は考えている(すべてをチェックしたわけではないので断言はできないが)。
  報道からおおむね一ヶ月を経過したので、後追いしてみたが、3000件程度にまで減少している。依然としてトップの方にも、公開されることを前提としていないカメラが6割程度、上がってくる状況ではある。6089(おーぷん2ちゃんねる)→3242(筆者調べ)なので、公開を前提としたカメラを除き、過半のカメラは、閉鎖されたということであろう。この点、報道に一定の価値があったと言うことは可能であろう。

2015年5月16日土曜日

防犯カメラのタイムスタンプ機能

日本防犯設備協会のRBSS(防犯優良機器認定制度)は、その名称のとおり、性能の高い防犯設備を認定する制度である。平成27年5月現在、防犯カメラ・デジタルレコーダー・LED防犯灯の性能要件を定めている。

公益社団法人 日本防犯設備協会 --優良防犯機器認定制度--
(10) 日時修正
被測定機器の日時が基準精度を確保できること。[±30秒以内、NTPサーバ等との連携可]
ところで、読売新聞は、昨日(2015年5月15日)の朝刊で、防犯カメラがますます活用されるようになってきたことを紹介した上で、次のように述べていた。

防犯カメラ捜査に活躍…「決めつけ」誤認逮捕も : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

(...略)捜査員はカメラの内蔵時計と実際の時刻がずれていることに気付かず、給油機に記録された時間帯にカメラに映っていた男性を犯人と決めつけていた。(略...)
工業製品などの規格には、製品の性能を保証するだけではなく、それら製品を利用するユーザの手続きを減らすという社会的機能もある。特定時刻に撮影されたことが保証されている映像であれば、今後逐一時刻を確認するという作業をせずに済む。映像を利用する警察のミスが減少し、ここで指摘されているような懸念も低減され、警察業務の効率化にもつながる。警察の運用する街頭防犯カメラは、例外なくRBSS制度の保証する以上の性能が確保されているものと考えるが、民間企業や個人がバラバラな品質の製品を導入した場合と、一定以上の品質の製品を導入した場合とでは、社会全体が得る結果は、かなり異なるように思われる。

防犯カメラの性能規定化が社会にもたらす帰結は、シミュレーションしてみないと分からないだろう。単なる思いつきだが、この分析は、農産品の関税についての経済的分析を消費者や生産者の(健康)寿命までスコープに含めて分析することに似ているように思われる。

#事実だけを述べれば、私は、日本防犯設備協会の方と一緒に活動したことはありますが、同協会の主宰する活動には、一切関与していません。記事の執筆時には、その見込みもありません。そのような運びになったときには、当ブログで告知します。上記の文章は、形式上、RBSS制度を推奨するように見えますので、 この点を明確にしておきたいと思います。この点の表明は、私なりの節度です。

2015年5月15日金曜日

指宿信氏のGPS追跡捜査の適法性を巡る論考は乗り越えられるべきである

GPS追跡捜査の適法性の可否自体は、刑事訴訟法の専門家にお任せするのだが、技術側の人間として、指宿氏の技術動向に対する認識のいびつさが気になる。辛辣な形になってしまったが、拙速を尊び、まずは四点を指摘しておきたい。

[2015年5月16日訂正] 現時点では誰も見ていないようであるし(爆)、二点目に係る私自身の誤解を一部訂正することにした。この訂正によって、論旨を変えることはしていない。

一点目。たしかNature誌で、ある個人のGPS記録の識別性は、非常に高いことが示されていたはずである。数日データを収集すれば、あとは大規模データベースに照合して、当該の個人を再度特定できることになるという虞を示すものであったように記憶する。この点について、指宿氏の言及がないことは、技術に必ずしも明るくないのではないか、という懸念を抱かせる。

二点目。スノーデン事件などを通じて、わが国でスマホのトップシェアのiPhoneのiOSは、米国政府機関に情報提供することが可能な機能を有することが広く知られるに至っている。事実として、このような機能を備えた機器が国内トップシェアであることを抜きにして、わが国の捜査機関の適法性の可否だけを問うことは、妥当ではない。他国製のスマホも、その国に設置されたサーバにしっかりデータを送信する。スマホという機器自体に備えられたこのような機能に対して、大勢の意見を聞いてみないことには、萎縮機能が実際に機能しているとまでは指摘できない。参考まで、ガラケー型のOSとしてAndroidが採用されたことに対して、不満を持つ2ちゃんねるの書き込みがあることにも注意した方が良い。(つまり、Tron OSなら買うかもしれないという意見表明だと理解すれば良い)

参考:Slides from my HOPE/X Talk | Zdziarski's Blog of Things

三点目。 スノーデン事件について、アメリカ国民の意見は、おおむね二分され、国による国民監視プログラムをやむを得ないものと考える意見が過半であった。この事実は、国民の意思を尊重する意見を形成する上で、見過ごせないものである。その上、外国人を監視することは、むしろ当然であるという理解もあることにも、注意が必要である。

四点目。GPS監視の対象としたい犯罪者は、よく勉強していて、上掲の二点目及び三点目を十分理解した上で、名義を偽ったスマホを次々に買い換えるなどして、スマホを活用している。監視対象となる犯罪者が一般市民に入手可能な範囲の最高度の知識を有し、手段を駆使していることを理解した上で、そのような犯罪者を有効に取り締まるために、どのようにGPS監視プログラムを許可すべきかを構想することこそが専門家の責務である。

これだけスマホに公知の抜け穴があるところ、捜査現場が使いにくい形の規制が施行されると、現在懸念されるようなものよりも、よほど許されない方法で、GPS監視プログラムが隠れて運用されることになるため、犯罪者以外の皆にとって有害な結果をもたらす。(何より、指宿氏自身、ブログで、警察がそのような非合法な活動を行うと指摘し、なかなか一般の目に触れにくい資料を写真で提示しているではないか。)様々な法益を比較して、捜査現場が萎縮せずに使える道具立てを用意することこそが法律家の役目である。単に反対するだけの人の声が大きいことは、国民の実質的な移動及び通信の自由を保護することにつながらず、結果、わが国の安全と法規範の双方にとって、好ましいことにならない。わが国の捜査機関のみを指弾する時期は、もはや過去のものであり、外国やスマホの機能の現状も併せ呑む必要が生じている。人権侵害は、国だけでなく、企業によっても行われるものであり、TPPは、そのような懸念が拭えない契約である。犯罪組織に所属する人々を含め、意識高い系の人々は、技術の現状を前提に必要な手を打ちつつ技術を活用しているので、うかつな規制は、悪事を企む者以外の皆が泣き、肝心の成果がゼロということになりかねない。

技術と法律との関連を議論する分野は、思索の跛行性が高い。 両方ともバランス良く、しかも技術については最先端の情報を反映し続けないと(あるいは未来を適切に見通さないと)、関係者全員に受け容れられる意見を提出することは難しい。そして、指宿氏の意見は、私には満足できない程度に技術に暗いものとなっている。この意見が(東浩紀氏により紹介された形の)サイバーリバタリアニズムに感化されたかのものであることは承知しているものの、実際のところ、政策形成に必要な専門性が不足しているように見えるのだから仕方ない。

蛇足ながら、防犯カメラの是非を見据えた、花水木法律事務所の弁護士の小林正啓氏の自動認識についての論考は、ここで批判の対象とした指宿氏のGPS監視についての論考より、よほど多くの点に目配りできている。ドローン運用に対しても、応用可能な内容でもある。私は、防犯カメラの運用を(勝手に)擁護するという仕事をしたことがあるが(都市防犯研究センター『JUSRIリポート』No.45の2~3章)、小林氏の論考は、論点が適切に整理されていたために、当方の意見の形成に大変役立った。この点、指宿氏の意見は、社会がスノーデン事件を知らなかった時期のものであれば通用したであろうが、アメリカ政府のプログラムなどが広く知られるところとなった現時点では、思索の錬磨に不適である。指宿氏の論点のみが大きく取り上げられるようなアリーナからは、真に国民の法益を保護するような意見が錬成されないのではないかと、危惧する次第である。