2016年8月2日火曜日

朝日新聞2016年7月31日の相模原事件に係る記事は良記事である

植松容疑者警戒、防犯カメラ16台設置 常時監視はせず:朝日新聞デジタル
http://digital.asahi.com/articles/ASJ7Y4HRGJ7YULOB00M.html

 上掲リンクは、朝日新聞の紙面では、平成28年7月31日日曜日の朝刊39面に掲載されていたものである。同記事には、日本防犯設備協会の担当者の話が次のように記者の古田氏によってまとめられている。
「事件を防ぐには、刑務所のような高い壁で建物を囲むしかないが、非現実的だ」と広報担当者は話す。

 防犯対策としては窓ガラスの破損に反応する警報装置などもあるという。「今回の場合、施設や警察がどのような犯罪を想定していたかが、検証のポイントになるだろう」と語る。(古田寛也)

 前段については疑問もあるが、後段に対しては、まったくその通りであると考える。助言を行った警察まで含めて、担当者の話として記しているところは、読む側が心配してしまうところがあるほど、組織としては踏み込んだ内容であろう。古田氏と広報担当者との間のコミュニケーションのあり方については、想像するほかないが、現時点で、まったく利益相反関係やコンタクトのない私からみて、この記事がこの形で公刊されたことは、公共の利益が最大限尊重された結果であり、社会的に賞賛を浴びて良い話であると考える。(このために、本記事を執筆した。)

 本事件のように、徹底的な検証が必要であると同時に、なおかつ、対策が焼け太りにつながる蓋然性が認められる事件があるとき、責任を果たすべき主体とその責任の範囲をあまさず列挙しておくことは、公益に資する言論の第一歩である。本記事では、文面が「今回の場合、施設や警察がどのような犯罪を想定していたかが、」ではなく、「今回の場合、どのような犯罪が想定されていたかが、」という受動態で記されてもおかしくはなかった。朝日新聞社側が「施設や警察が」という主語を根拠なしに挿入したという可能性は、今回については、ないものと考えて良いであろう。本記事の執筆にあたり、記者の古田氏は、必要な発言を引き出して、上手く利用した、と考えて良いであろう。では、警察庁の所管となる公益団体である日本防犯設備協会の担当者は、迂闊であったと言えようか。決して、そうではなく、むしろ、「三方よし」の観点から業界を回り回って益する形の発言を提供したのではないか、と私は考える。

 本事件に係る業界では、横並び風潮が根強く残るから、どの企業が施設を運営・警備していたとしても、本事件は、容疑者が勤務していた限り、同様に生じた可能性が高かったであろう。同時に、どのポジションであっても、たとえば、津久井署の生活安全担当者が誰であっても、同様に事件が生じたであろう。私も不適切な防犯上の助言をなしたであろうことは、戒めとして、本ブログに残したとおりである。誰が担当者であっても同じ結果を生じさせたであろうならば、事件の再発防止に係る責任は、個々の人物に求められるものではなく、組織の構造に求められるべきであろう。本事件は、組織の習慣や役割、組織間の縦割り状態によって生じたものであって、関係する組織で普通に仕事をしてきた人たちに対して、責任を求めることは、無理の過ぎることであろう。

 他方で、今回の事件は、事件の関係組織すべてに対して、組織の責務の範囲を、組織として明確にして、その責任を十分に果たしたのかを問うものとなっている。組織が期待される役割を果たすことに失敗したときに、改善すべき点をタブー抜きで検証し、その欠点を改善できたとすれば、その組織は、今後に向けての健全性を示したことになろう※。逆に、健全でない組織とは、改善すべき点を改善できない組織である。朝日新聞の記事は、今回の事件を教訓として、警察も従来の業務のあり方を再検討すべきであるという指摘を提起することに成功した。この点、今回の朝日新聞は、報道機関として好評価を受けるだけの記事を世に問うたことになろう。また、日本防犯設備協会は、警察庁の所管する公益団体であるが、客観的な知識を提供するという社会的役割も期待されている。検証の結果、防犯設備が不足しており、その不足を埋めるという今後の作業を通じて、業界全体が利益を得るという話の流れは、当然あり得る。しかし、この業界拡大の流れは、警察も検証の対象とすべきであるという指摘とは、関係なく成立するものである。この点に留意すれば、(警察関係者としては警戒する相手であり得る)朝日新聞の取材に対しても、日本防犯設備協会の担当者は、誠実に客観的な解答を寄せたということが明らかとなる。

 このような状況を鑑みたとき、朝日新聞も、日本防犯設備協会も、批判を受ける形となった施設と警察も、それぞれ譲歩するような形を取りながらも、結果として、自らの評判を高める機会を享受している。厳密には、施設と警察は、これからの検証のあり方を通じて評価を受けることになる。その際のヒントは、本稿にも、また、以前の記事にも示している(12)。2番目の記事は、陰謀論という、いかがわしい分野に分け入りつつも、そこから教訓が得られるであろうと見込める限りは検討しようとする、という謙抑的な態度で示したものである。

 ※ 行政組織が検証の対象となっている場合には、海外の同種の組織がどの程度まで、どのような社会環境下で、どのようなリソースを利用して、業務を実施しているのかが問われることになろう。

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