昨日(平成28(2016)年7月23日土曜日)の読売新聞朝刊は、1面の「トランプ氏 TPP反対明言/共和指名受諾 クリントン氏を批判」という記事※1により、ドナルド・トランプ氏の1時間を超える共和党大会演説の概要を示している。読売新聞の1面記事は、トランプ氏がTPPへの反対を明言したことを事実として記載するのみである。1面記事では、事実についての切り取り方はともかく、読売新聞社としての明確な評価を下していない。6面の概要※2も、7面の解説※3にも、社としての評価は提示されておらず、アメリカ総局長の小川聡氏による記事※4が挙党態勢とは言えない旨を指摘するのみである。ただし、小川氏は、TPPには言及していない。
他方、日本経済新聞の1面記事※5は、リード文の末尾で、
【...略...】各国で批准の過程に入った環太平洋経済連携協定(TPP)に反対した。同氏の内向きな政策に産業界や投資家は不安を強めている。というトランプ氏への批判を明記し、本文では、
【...略...】TPPに反対するトランプ氏は共和党の従来の政策と一線を画する。18日に採択した党の政策綱領はTPPの早期批准に余地を残していた。
とTPPが共和党による主要政策であったと主張している。朝日新聞は、1面ではトランプ氏の演説を報道していないが、2面にメインとなる記事※6を載せ、別立ての「日本政府懸念」という見出しを掲げた記事などで、周辺の受け止め方を提示している※7、※8。朝日新聞は、日本政府の意向について、次のように伝えている※8。
日本政府はトランプ氏が反対する政策について、早めに道筋をつけることで、方針転換が図れないようにしたい考えだ。TPPは、秋の臨時国会で協定の発効に必要な国会承認に優先的に取り組む方針だ。首相官邸幹部は「トランプ氏は本当に強くTPPに反対しているのだろう」と語る。※1 読売新聞(2016年7月23日)「トランプ氏 TPP反対明言/共和指名受諾 クリントン氏を批判」朝刊1面14版.
トランプ氏が在日米軍駐留経費の負担増を求めていることにも危機感を募らせる【...略...】
※2 読売新聞(2016年7月23日)「貿易協定 強い不信/クリントン氏 操り人形/テロ関係国の移民 拒絶/受諾演説要旨」朝刊6面14版.
※3 読売新聞(2016年7月23日)「治安・同盟「米国第一」/トランプ氏受諾演説/民主の政策も盛り込む/米大統領選2016」朝刊7面14版.
※4 読売新聞 小川聡(アメリカ総局長)(2016年7月23日)「「トランプ党」の代表」朝刊7面14版.
※5 日本経済新聞(2016年7月23日)「トランプ氏、反TPP明言/共和党大会「米産業を壊滅」/大統領候補受諾 国益を優先」朝刊1面14版.
※6 朝日新聞(2016年7月23日)「トランプ氏「米国第一」/指名受諾 移民・貿易 不満を代弁」朝刊2面14版.
※7 朝日新聞(2016年7月23日)「クリントン氏へ「既得権益」矛先」朝刊2面14版.
※8 朝日新聞(2016年7月23日)「米軍駐留・TPP 日本政府懸念」朝刊2面14版.
ドナルド・トランプ氏は、大統領候補指名受諾演説※9において、TPP、環太平洋パートナーシップ協定をヒラリー・クリントン氏が支持したことを批判している。その前振りとして、ビル・クリントン氏が最悪の経済協定であるNAFTAを締結し、WTOへの中国の加盟を支持したこと、ヒラリー氏がこれらの中産階級を破壊する通商協定を事実上すべて支持してきたこと、韓国との通商協定(FTA)を支持したことを批判している。具体的には、以下のように述べてTPPを批判している。
TPPは、われわれの製造業を破壊するだけではなく、アメリカを外国政府の支配の対象とする。私は、われわれ(アメリカ人)労働者を傷付け、またはわれわれの自由と独立を縮小するような、いかなる通商条約にも署名しないことを誓う。その代わり、私は、個々の国とは、個別の取引を行う。※9 Full text: Donald Trump 2016 RNC draft speech transcript - POLITICO
われわれは、われわれの国からの(代表の)誰もが読んだり理解することすらできないような数千ページにも及ぶ、多数の国との、大量の交渉に入ることはしない。われわれは、不正を行ういかなる国に対しても、税金や関税の利用によるものを含め、すべての通商違反を取り締るであろう。
これには、中国による、憤激を覚えるような知財窃盗、それに伴う違法な製品の不当廉売、破壊的な通貨操作を止めさせることが含まれる。われわれは、中国や多数の他の国との酷い通商協定を、根底から再交渉する。これには、NAFTAについて再交渉し、アメリカにとってはるかに良い成果を得ることが含まれる。そして、われわれが望む結果が得られなかったときには、われわれは立ち去れば良い。われわれは、(われわれの望むように)物事を作り上げる作業を再び始めるであろう。
【以上は私訳である。原文リンク】※9
http://www.politico.com/story/2016/07/full-transcript-donald-trump-nomination-acceptance-speech-at-rnc-225974
トランプ氏からみて、TPPは、締結の経緯にかかわらず、他国により強いられようとした不正な協定である、とわれわれは理解することができる。正確には、TPPは不公正な交渉であって、法に違反した不正な交渉であるとまでは指摘していないが、引用部分を全体として読めば、この解釈については、何ら問題はないであろう。また、以上に引用したトランプ氏の演説に摘示された事実は、TPPについては真であると言える(反論があるなら、証拠とともに提示すべきである)。この事実から導かれるTPPに対する意見は、関係各国の国民の立場により異なりうるかもしれないが、少なくとも、共和党の大統領候補となったトランプ氏にとって、他国によるTPPの押しつけは、不正なものと認識される可能性がきわめて高いものであると見ることができる。
すると、朝日新聞によるとTPPの早期推進を働きかけるとするわが国は、名指しされずとも、「不正を行ういかなる国」の候補に自ら含まれようとしていることになる。トランプ氏が相手国との個別の交渉には応じると明言しているにもかかわらず、わざわざ、TPPを締結しようと推してくる国は、「不正な条約」を推す国である。わが国にとっての得策は、TPPを通じてではなく、従来型の国家同士の通商協定の枠組みの中で、国益の保全・向上を図るアメリカとの交渉に臨むこととなる。つまるところ、トランプ氏が大統領となった場合には、ネオコン台頭以前の規準が適用されると理解し、その状態に向けて覚悟を決めれば良いだけである。
TPPやNAFTAに対する批判に続いての中国への強硬策に係る部分も引用したが、私がこの部分を引用したのは、トランプ氏の強圧的な対外政策が日本に対して適用された場合の成り行きを想像するための材料に用いるためである。決して、中美関係または米中関係そのものについて言及したい訳ではない(し、私には、その分析能力もない)。ただ、「戦争屋」の影響を脱した米国は、再度、自身についての「正しさ」や「公平さ」を棚上げせざるを得ない場合であっても、「正しさ」や「公平さ」を外交の場で規準とする(利用する)であろうし、この語は、中国に対しても、日本に対しても、相手国を見ながら相手国の行為に使用されることになるであろう。中国と米国という、太平洋を巡る二大国の狭間でわが国が生き残りを図る際、国際的に見た場合の「正義」「公正」に悖ることは、米国からの批判の材料となる。「トランプ大統領」の米国との交渉の場では、社会科学分野にいう「実証的な証拠」が活用されることになるであろうし、たとえば調査捕鯨分野において展開されているような、自然科学の範疇に収まらないプラスアルファの動きも重要なものとなるということであろう。
TPPが立ち消えとなった後の日米交渉においては、「不正」という語だけではなく、「不公正」という表現が今後用いられる可能性がきわめて高い。この論拠を詰めることはしないが、共和党の予備選を通じたトランプ氏に対する、「考え方が旧来のものである」という趣旨の批判がグローバリストの側から多数提起されたことをふまえれば、この予想が的外れということはないであろう。わが国は、日米繊維交渉や、自動車や半導体分野における貿易摩擦の再現のような、タフな二国間交渉を米国から強いられる可能性が十分に認められるという訳である。(農業については、当時とは異なる条件がいくつか存在するため、その考察は、別の機会に取っておこう。)TPPに係る交渉において、わが国の国益を代弁するはずの人物は、誰も必要十分に把握していなかったに違いないが、TPP関係国の諸制度の中には、アメリカの現時点・近い将来の諸制度からみて、卑怯であると見なされる制度が多く存在しているであろう。この種の制度は、たとえ日米以外の第三国のものであったとしても、今後の二国間交渉の場において、TPP交渉時に日本側が黙認していたことを示すカードとして利用されるであろう。
TPPに係る交渉経緯は、今後、何らかの形でインターネット上に公開(あるいは放流)される可能性がそれなりに高いものと認められる。トランプ氏が大統領になった場合、公権力によるTPPに係る情報公開が進められる可能性も認められる。もちろん、「トランプ政権下」の開示作業は、直ちに公開されるにせよ、後世の公開となるにせよ、アメリカの国益に沿うように資料を精査してからのものとなるであろう。「トランプ大統領後」に、TPPに係る交渉の経緯が全く公開されないことを期待することは、とても不可能である。TPPの交渉経緯が暴露されることによって利益を得る存在には、大多数の国々と、米国を含む関係国のいわゆる99%が含まれるためである。また、いくつかの交渉資料は、実際、TPPに反対してきた組織等に流出している。流出の事実と、TPPの締結が困難となり締結に伴う秘密保持が期待できなくなったという事実の組合せは、流出させた人物が「国民国家側のアンダーカバー」であるのか「グローバリスト内の裏切り者」であるのか「愛国者」であるのか等の内実はともかくとして、TPP交渉に従事し、当該国の国益を代弁する上で含まれる必要のなかった人物に対するプレッシャーとして、現に機能しているはずである。「反トランプ」の動きに与する人物の中には、自らが国を売る作業に従事したことに自覚的である者が含まれる、と見なしても、さほど間違いではなかろう。その反面、国益(第一)という、奉仕に足るだけの使命を与えられたアメリカの(国家)公務員の士気は、ここ十数年の零落ぶりから立ち直るものと見て間違いない。同じ人物でも、パフォーマンスには大きな差が出ることとなろう。
TPPの締結自体がアメリカにおける状況の変化によって望み薄となりつつある現在、TPP交渉に関与した個々人は、保身の余り、『蜘蛛の糸』状態にあってもおかしくはないのであるが、土曜の朝刊における三紙の論調は、その混乱を反映したものとなっている。読売新聞は、
経団連の夏季フォーラムでは、多くの経営者から、欧米で自国産業の保護を過度に優先する「内向き志向の広がり」(飯島彰己・三井物産会長)が、世界的な自由貿易の推進を危うくするとの懸念が相次いだ。とも報じている※10が、ここに示された経団連の意見は、わが国においても、「自国民の保護を優先して何が悪いのか」との反駁を受けて、「ぐぬぬ...」となる性質のものである。同記事は、編集委員の山崎貴史氏による署名記事であり、山崎氏と、TPPに係る直接の評価を顕名の記事に負わせた読売新聞社との間に隙間風が吹いていることを見せつけるものである。タイミングの悪さを露呈しているのは、法政大学教授の森聡氏に対するインタビュー記事※11である。森氏は、安倍内閣に対する外交・安全保障政策の評価について問われ、
【...略...】背景には、TPPが「日本の成長戦略の柱」(榊原定征・経団連会長)であるとの期待がある。【...略...】
対米関係を良好に保っていることも、外交上の重要な成果だ。TPP(環太平洋経済連携協定)交渉を通じ、安全保障分野だけでなく、経済面でも共通の目標を追求する国だということを米国に見せてきた。【...略...】と解説している。森氏のいう「共通の目標」とは、まるで、日米の1%だけのものであるかのように読める可能性がある紙面構成となってしまっている。トランプ氏は、TPPが米国民の利益を代表しない条約であるとして、従来のワシントン既得権益層の梯子を外したことになるが、米国の1%からは、誰が率先して飛び降りることになる(飛び降りたことが明らかになる)のであろうか。また、わが国側では、誰がトランプ氏にいち早く靡くことになるのであろうか。なお、日本経済新聞の「にっけいは なかまを よんだ!」ぶりは面白過ぎるので、これは、後々のサブマリンネタとして取っておきたい。なお、日経の面白ぶりは、過去の記事(リンク)において言及した、週刊新潮の論調に近いものがある。
三紙の読み比べで私に分かったことは、わが国の関係者がいつまでもTPPにしがみついていると、大火傷となる危険が具体化したということである。ただ、日本の国益にならないことであっても、アメリカの国益になり、日本における市場の創出が見込めるTPP交渉分野は、今後のアメリカ側によって大いにプッシュされることになろう。ただ、そのあり方は、TPPのような一括パッケージから離れて構想されなければならないし、アメリカの勤労者層の利益を大いに考慮したものにならなければ、見向きもされない。日本側の利益も見込める産業分野が果たして存在するのか否か。何度か言及している(初出、2、3、4)が、生活安全警察行政関連パッケージ(薬物、銃器、風俗、賭博)については、日米二か国以外を売込先として、的確な制度設計と厳格な実装を行えば、日本側にも利益が出る可能性が拓けるようにも思われるのであるが、私の考えは、所詮、「畳の上の水練」である。危険性は指摘したので、本稿の記事の意義を果たした、として本稿を締めくくることとしたい。
※10 読売新聞 山崎貴史(編集委員)(2016年7月23日)「広がる「内向き志向」懸念」朝刊8面13版.
※11 読売新聞 比嘉清太(2016年7月23日)「海洋安保 主導的役割を/語る 1強継続(3) 法政大教授 森聡氏」朝刊4面13S版.
蛇足:過去記事の訂正
なお、以前、私は、「読売新聞の本日1面は、TPP推しの読売新聞らしく、」と表現したことがある(リンク)が、本日(平成28(2016)年7月23日)の読売新聞の構成による限りでは、読売新聞が方針を転換したわけではなく、当時の私の理解と記述を訂正しなければならない。当時の私は、読売新聞について、「どこまでもTPPを推す訳ではなく、とある社外の組織の意向に基づきTPPへの賛否を表明する新聞である」と理解しつつも、「読売新聞がTPPを推す」ことの理由をピンポイントで読者に伝達できるように記述するための検討を怠っていた。「読売新聞社を影響下に置く組織の転身」は、今回の私の記述の誤りを生じた原因であろう。私自身は、読売新聞社のプリンシプルを決して読み誤っていた訳ではない、と主張したいのであるが、今回の実績からすると、この弁明は、通用しないであろう。ここに記して、読者に誤解を与える表現を用いたことをお詫びする。読売新聞社の論調は、上記のプリンシプルを踏まえた上では参考になるものであり、今回、特に、日経の論調とのズレ(社を挙げて経団連に与しないかのような紙面構成)が見られたことは、わが国の国民益にとっても、米国民の利益にとっても、喜ばしいことであると見える。私の頭の中では、陰謀論的な観点からの利益集団は、日米両国について/1%対99%/1%については「戦争屋」と「その他の利益集団」という大雑把な括りの6種類から構成されている。現在の日米両国の権力構造を考察する上で、この6種類という見方は、それほど現実を捉える上で誤ることのないものであると考えている。以前に言及しようとしてみたカレル・ヴァン=ウォルフレン氏の「鉄の四角形」との違いは何かとか、細かいことは気にし始めないで欲しいが、階級史観と何が異なるのか、という疑問は尤もであろう。私の御用学者としてのレーゾンデートルにも関わる部分であるため、今のところの回答を提示しておきたい。旧来の共産主義における理解との違いは、一つには、分配されているものが資本ではなく権力であるという理解である。経済力は、権力の源泉とはなるが、権力のすべてではない。ここまで定義することが私に求められているとは、私自身が考えていないので、適当という印象を与えるかも知れないが、念のため。それに、社会をモデルとして見る場合、モデルによって現象を8割説明できれば優れて上等であるという諦念に基づき、モデル自体を突き放してみることこそが重要である。この機微は、科学と信念との区別にもつながる。
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