2016年7月30日土曜日

相模原市の障がい者施設の大量殺人事件に係る陰謀論の大半は誤りであろう

 今月26日未明の相模原市の障がい者施設における大量殺人事件について、陰謀論界隈の一部は、たとえばサンディ・フックに係る陰謀論のように、容疑者単独による犯行という内容に留まるものではない、という憶測を提示しているが、私は、これらの意見に全く与しない。本稿では、この点について補足する。1997年の神戸市須磨区における連続児童殺傷事件についても、類似の陰謀論が存在する。また、その一部は、武田徹氏『暴力的風景論』, 新潮新書(2014)などに取り上げられていたりもする。

 自由な社会において、人が憶測や推理や意見を述べること自体は自由であるが、その自由には責任と結果が伴う。私の言論についても、この命題は、普遍的に該当する。本稿において、現在進行中の事件について、ガセネタも多い陰謀論界隈に係る話題を述べることは、後世から見た場合に誤りである指摘をしてしまう、という危険の高い作業である。しかし、本事件については、衆議院議長宛にしたためた容疑者の手紙の中に、陰謀論に係る話題が含まれているために、この話題に触発され、あるいはこの話題を誤解した者が誤解をさらに流布するという危険を認めることができる。陰謀論について、一般の日本人よりも10年以上の長を有するであろう私が、あえて、本事件に係る一部の陰謀論を否定することは、本事件について穏当かつ真摯な議論を保全することにつながるであろう。

 本記事では、本事件に係る言説から、誤解を見分け、冷静な議論に繋げるための材料を提供するという目的が達成されることを期待する。その過程において、施設側の運営実態をタブー抜きで検証することは、今後の被害軽減の役に立つことになるであろうし、現政権に与する者が自らをナチス・ドイツではないことを証明していくための試金石ともなろう。また、デバンキング作家による不用意な権力のエア擁護に対しても、あらかじめの警告として機能することとなろう。

 本稿では、いくつかの(結論を先取りすれば失当な)見解を取り上げ、それらに対して、反証となり得る材料について、言及することとする。なお、証言や証拠といった、裁判においても使用される用語が登場するが、ここでは、一般的な意味を有する用語として取り上げるものであって、具体的な裁判の場を念頭に記すものではない。
  1. 事件不存在説
事件そのものの被害者が存在していないという見解が存在する。これに対しては、救急出動の広域性を考慮して、出動した組織・受入先の病院の双方の記録を検討した場合、事件そのものの不在を組み立てることが不可能であろう、という予測を提起することができる。事件そのものの不存在を指摘する者は、自身の言論に係る社会的責任を重く見るのであれば、これらのデータを情報公開請求した上で、情報公開請求が不当に拒否されたり、または、公開の範囲が不当に制限されたという経緯を説明することによって、疑惑を指摘すべきなのである。

 今回、すべての映像を見ている訳ではないが、私の知る限りでは、東京消防庁(八王子市であろう)、綾瀬市(旧津久井町との往復経路については、何度か体験しているが、結構時間がかかることを指摘しておく。)など、相当の広域から救急車両が到着している。救急搬送記録は、少なくとも三年間以上、データベースの形で保管されているであろう。これらの消防組織に所属する救急隊員は、各自治体または消防組合に雇用されている地方公務員であって、職務内容に対しては守秘義務が課せられている。しかし、彼らは、本事件への対応を検証するという過程において、ヒアリングという形で、社会一般に対しては間接的になるが、事件の実際について解説することになろう。この社会的慣行をふまえれば、事件不存在を指摘する者は、これらの業務に従事した公務員へのインタビューの許可を各消防本部等に求めるという手続を通じて、その疑惑を証明することができるはずである。しかし、この手続のないままに、事件不存在を指摘し、かつその状態を放置することは、事件が現実であることを示す事実が積み上げられるにつれ、デマをわざと流通させたと見なされることになるであろう。

 緊急対応活動に参加した公務員の存在と証言というものを考える上で、陰謀論で取り扱われる題材のうち、9.11は、参照すべき事例である。9.11について、ツインタワーならびにWTC7の崩壊という出来事が存在しないとする有力な陰謀説は、存在しない。その上で、これらの建築物内で救出活動に従事した人物が多数存在することについて、否定するような論者も存在しない。さらに、証言そのものの存在を否定する向きは、自称デバンク側にも存在しない。論点は、現場にいた人物らの証言をいかに解釈するのかという、証言の聞き手の側の受け止め方に集中している。公式報告書を作成した組織がこれらの証言を無視したという批判は、この組織からの回答が要領を得ないものであるがゆえに、有力なものである。この(主に陰謀の存在を否定しない側からの)批判は、議論の形式上、適切なものである。つまり、学術的な観点からの批判であると見なしても、何ら差し支えのないものである。この9.11における公務員の証言の効力を鑑みたとき、本事件の事件不在説は、これら公務員の証言という要素をはなから無視したものとなっている。

 安楽椅子探偵のように作業するだけで、より明確に後追い可能な、公的な職業人の証言も存在する。事件の被害者は、多くが北里大学病院に搬送されたというが、同病院の救急救命医が会見において、次のように回答している。

 「ショックを受けるというか、一瞬止まってしまうような状況はあった」(現場に駆けつけた医師)
 現場で救命活動を行った医師は当時の状況について、こう話しました。

“戦後最悪”19人刺殺、防犯カメラが捉えた容疑者の姿 News i - TBSの動画ニュースサイト
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2830126.htm

北里大学病院 救命救急・災害医療センター
http://www.khp.kitasato-u.ac.jp/kyukyu/

 この記者会見に回答した男性は、「北里大学病院 救命救急・災害医療センター」のウェブサイトから実名まで確認できる(が、リンクはトップページに留めた)。事件不存在を主張する者は、この医師の証言に対して、明確に否定する証拠を提示しなければならない。

 9.11に係る経緯を念頭に置くと、おおよそ、事件への対応に従事した実在の公務員による証言は、信用に足るものであると見なされていることが分かる。仮に、陰謀が存在するとしても、共通の隠れた要因を持つなどの共謀を示唆する要因を有さない、複数の実在の公務員が後追い可能な形で証言している場合には、事件そのものの不存在は、彼らの証言によって、否定されると考えて差し支えないであろう。実のところ、この事実は、クライシス・アクターが用意される理由ともなっていると推測できるが、この点については、後述しよう。複数の公務員の証言がある場合、陰謀の中身は、おおむね、黒幕の存在の有無を含め、犯人が他の人物であるというもの、実際の手口が異なること、の二種に限定されるようになる。つまり、「Where」「What」「When」は確定でき、主に「Who」と「How」に係る要素が陰謀の対象となる、という訳である。

 クライシス・アクターという存在については、注意が必要である。実在の被害者がいながら、実在の被害者がインタビューに応じ(られ)ない、実在の被害者が都合の悪いことを話す虞があるなどの理由があるために、クライシス・アクターも同時に準備しておき、迫真の演技によって世論を喚起する、という方法もあり得るためである。この方法は、いわば、「Whom」、被害者側に係るものである。実際の被害とクライシス・アクターを並存させるという手段は、陰謀を用意する側にとっては、大きな負担なく、目的を達成するための有用な方法となりうる。クライシス・アクターは、一種のバックアップ計画として機能する。この方法論は、湾岸戦争の端緒に用いられたような広告代理店的手法の応用である。つまり、古い伝統を持つものと言える。より分かりやすい古代の事例としては、トロイア戦争の原因(結末も、類似したアイデアによる)が挙げられるように思われるが、過去に同様の手がかりを現代の視点から求めることができるか否かの検討は、別の機会としよう。

#ここまでの淡赤色の部分は、2016年9月7日に文章の分かりやすさのために訂正した。

  1. 組織関与説
事件には、複数の実行犯が関与したと見る説も、ポピュラーなものと化しつつあるが、これもまた、誤りであると見るべきである。前稿に示したとおり、「ぐっすり寝ていることが保証されている」ことを容疑者が知っていたのであれば、この予備知識は、抵抗を予想せずに加害に専念できる材料になっていたはずである。また、犯行を示唆する手紙の中で、職員を結束すると宣言しつつ、入居者にはこの種の拘束が必要である旨、容疑者が言及していなかったことは、容疑者が入居者の状態をある程度の確信をもって事前に予測していたことを示唆する。

 組織関与説のうち、複数の実行犯が関与したという見解は否定されるが、しかしなお、背後にいわゆる黒幕(教唆犯)がいる可能性を否定することは、困難である。教唆は、あったかもしれないし、なかったかもしれないが、ともかく、私の知る範囲に材料はない。しかしながら、教唆(犯)の存在は、司法の場において、その都度修正され、作り上げられていく種類の話でもある。何者か(何物か)が教唆した結果、犯罪と呼べる行為に着手した、という筋書きは、心神喪失・耗弱を目的とする司法上のレトリックとして、多用されるものである。しかし、この種のレトリックが一般の感性から大きくかけ離れているものであること、この種の主張が担当弁護士により吹き込まれたものであるという疑いは、国民一般に共通する理解となりつつあると思われる。本事件についても、本点に係る弁護士の関与について、合理的な疑いが存在する。手紙に「ヒトラーの霊が降りてきた」という主張が示されていないにもかかわらず、現時点での容疑者の話として、そのような主張がなされるに至っている、という二つの報道を比較することは、われわれでも可能な作業である。この作業によって、「担当弁護士の入れ知恵」という交絡要因が存在する蓋然性を認めることができる。他方、仮に、刑事や検事が「ヒトラー」という語を用いたとしたら、少し不用意であったかも知れない。【2016年7月31日23時30分追記】容疑者は、措置入院中にヒトラーの思想に言及していると報道されているようであるが、出典を確認していない。私が当該の事実を指摘する記事を見逃したためであろう。訂正して陳謝する。

 単独犯であっても矛盾しない、という考察を深めなかったために、複数実行犯説を採用した陰謀論者は、短絡的な考え方にさらに陥りやすくなる。組織関与説のうち、実行犯が複数であると誤解した場合、殺人の訓練を受けた組織=軍の関与、何なら特殊部隊の関与、という具合に誤解を広げる、というものは、典型的パターンである。この典型例は、完全に的を外している。旧津久井町のような救急指定機関から遠く離れた場所(Google Map)において生じた事件で、重傷者も多く残るという結果は、いくらDMATが活躍したとはいえ、軍人の手によるものとしては下手過ぎるものである。軍人は、障害となる人物を迅速・確実かつ静寂のうちに無力化できる訓練を受けているのではないか。複数人による犯行であることが発覚する虞もあるのに、わざわざ、何人かを傷付けるだけで放置するということがあり得るであろうか。「複数の実行犯を指揮する黒幕」にとっては、16台の防犯カメラも邪魔になる。組織側の人物として、事件を企画する黒幕の立場を想像すれば、軍の関与という見立ては、完全に破綻するものとなる。複数実行犯を単独の容疑者に押しつける、という筋書きを目的とする場合には、黒幕は、防犯カメラ撮影を停止させるという目的を組み込むであろうし、たとえば人相を職員に確認されないようにするなど、実行犯が複数人とは見られないような方法を探るはずである。

 たとえ黒幕がおり、「偽旗テロ」を目的としていた場合であっても、今回は、単に、容疑者を放置するだけで目的を達成することが可能であった。この点を理解していれば、万事に陰謀を見出しがちな者といえども、本事件については、不作為という手法が組織を批判から守ることになるという論理構造に気が付いたであろう。逆に、本事件について、特定の組織を十分な検討抜きに批判する者は、批判するという目的ありきで立論している可能性があるとされることにもなりかねない。「その情報が流通することは、誰の利益になるのか、なぜ利益になるのか」という陰謀論を検討する際の基本則は、本事件に係る「黒幕説」を提起する側に対しても、成立するのである。

 以上の論理を追えば、特定の組織が積極的に本事件に関与したという見立ては、完全に破綻していることが理解できるはずであるが、「戦争屋」の関与の有無は、この理解に至ることができた上で、ようやく検討可能な命題となる。結論を先取りしておけば、「戦争屋」の関与の可能性は、ゼロにはならない。しかし、ゼロではなかったとしても、その関与のあり方は、おそらく、積極的なものではなかったであろう。複数実行犯として手下が参画した訳でもなければ、犯行の方法を詳細に容疑者と協議した訳でもなかろう。せいぜい、SNSで容疑者を焚きつけるとともに、容疑者をテロ行為に係る要監視者のリストから除外した、あるいは登載しなかった、という程度の消極的なものに過ぎないであろう。

 執筆の勢いが落ちてきたので、理由の掲載は、未整理状態の箇条書きとする。尻切れトンボだが、本記事は、この箇条書きで締めくくりたい。私であっても、この程度は、事項を個別に検討する、という例を示す意図もある。
  • 手紙の受領と主張の把握
    • 開封するという決断。「炭疽菌テロ」の前例を想起すれば、当然の措置であって、通常通りの仕事を通常通りに実施したということになろう。
    • 中身を読むという決断。開封と中身を読むこととは、まったくの別物。しかし結果として危険人物の同定に役立った。結果はGJだが、通信の秘密という観点からは、完全に違反。秘書の開封作業に立ち会ったということか。そうであるなら、むしろ秘書を不要な危険にさらすことになる。ここら辺の(法律論ではなく)社会的方法論は、憲法学者等によって整備されているのか。封書を取り扱う秘書という仕事の重要性と危険性。秘書という職務には、封書の内容を理解することは、当然含まれる。基本的には、封書の内容を把握したことによって職務上の責任が発生することはない。しかし「秘書がやりました」は、政治家の不正のテンプレ。伝統的な分野であるから、先行研究も多いだろう。
    • 中身に係る情報共有の程度、どの部署の誰まで読んだのか。津久井署には誰に何が伝えられたのか。警察庁には連絡があったか。そもそも衆議院議長には。内部で決裁はあったのか。麹町署の課長は知っていたであろう。麹町署の課長は、場所が場所だけに重要ポスト。階級とキャリアで明らかにできる。
    • 容疑者が重大な結果をもたらすことは、前兆行動を知った「戦争屋」ならば、期待できたはずである。「マッチポンプ上等」の「戦争屋」ではなくとも、セキュリティ産業の焼け太りという目的だけを有する国内の「天下り上等」官僚でも同様である。両者の心性は類似するが、直接手を下す判断を行うか否か、閨閥の系列はいずれか、の二点で一応の分別が可能である。「戦争屋」は、犠牲を歓迎する。天下り官僚は、目的本位。犠牲者の発生回避が合理的である限り、余分な犠牲を要求することまではしないであろう。薬害の例を見れば、不作為までは当然の行為ではある。
    • 部署内で、誰が何をどこまで知ったのか? 部下の側の立証責任は、常に大変である。「俺聞いてないよ」症候群が問題である。部下の証言だけで上司に挙証責任を問える社会的方法を用意すべき。ノブレス・オブリージュや「監督責任」には、上司の挙証責任を代替するという社会的機能もある。
  • 緊急措置入院の経緯と退院に係る判断
    • 警察から相模原市に至る通知は、津久井署から相模原市で確定か。
    • 精神科医は、何をどこまで誰から知らされていたのか。情報が複数ルートとなる場合、かなりの場合分けが必要となるが、おそらく、直接の窓口は、相模原市のみであろう。
    • 父親と住むという申告の真偽の確認は、本当に義務ではないのか。
    • 危険性の判断はいかにして行われたのか。そもそも、たったの二週間で危険性は除去できるのか。洗脳のプロセスであれば完了すると思われるが、回復の過程を必要としないか。患者が精神科医を欺くことに成功する可能性は、わが国では、定量的研究の題材になっていないように思う(が、要確認)。
  • 退院後の経過
    • 報道では、情報錯綜気味。というより、そもそもタイムラインに興味がないのか。おおよそ、4ヶ月間。2月の退職→緊急措置入院で確実なのか。これにより、失業手当のない期間も変わる。預貯金額とも関係するが、なぜ7月まで準備に時間を要したのか。神奈川県民だから都知事選のニュースに触れないという訳でもない。
    • 接触した社会的な組織の種類。職場も含めて。人は孤独だから犯罪を行うのではなく、暇だから犯罪を行う余裕がある、という方が正しい。非社会性(非社会的)と反社会性(反社会)の違いは、専門家を自称するなら理解しているべき基本。
    • (ここでは誤った)陰謀論者の言うとおりに、ある組織から積極的な関与があったとしたら、積極的なコミュニケーションが存在して然るべき。消極的な関与、つまり放置であっても、黒幕的な組織とすれば、監視は必要。論理上は、単なるヒッピーとして、世界を放浪し出すという選択肢もあり得たから。旅の途上で、容疑者なりのT4作戦の是非を改めて判断しようと考えた、というケースは、あってもおかしくない。
    • 濃厚な可能性として、施設の油断を待っていたというもの。この予想のとおりであれば相当に狡猾。正門の警備員の状態(増員状態が減ったか、など)が確認材料となった可能性すら存在する。
    • 彫り物が終わるまで待ったというのは、大穴だが完全には否定できない。なぜ般若?般若の面とサンスクリット語との関係は薄いとのWikipedia。格好良いからにしても、般若にした理由は?所長が女性だから?【平成28年8月1日追記】「天下御免」との掛詞で「天下五面」とのこと。しかしながら、面散らしという図柄の面は、取合せがある程度自由であるらしい(Yahoo!知恵袋)。私が自身の無知を暴露した形となっており、恥ずかしいということはさておき、なぜ般若?という疑問を抱くことは、それほど問題ではなさそうである。

平成28年8月28日追記

遅ればせながら、犯人が帰化した在日朝鮮人の二世であるというデマが流通していたようであることを知った。発信源のアカウントは、あからさまな釣りツイートを仕掛けていることを別途ツイートしている。(現物が残っていないようでもあるし、アーカイブでは18禁内容も含まれているので、リンクは張らない。)身元不明の発信者は、ヘイトスピーチへのカウンターのつもりで罠を仕掛けたようであるが、社会に不要な混乱を生じさせたという点で、社会的に批判を浴びて良いであろう。(私は、彼(女)を批判するし、現時点でも、弁護士と検事の双方、マスコミに対する偽計業務妨害罪が成立する余地があると考える。)目的は、手段を正当化しない。


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