基本的人権の制限、テロ対策に必要? 宮家邦彦氏ら議論【東京オリンピック】
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/17/fundamental-human-rights_n_11036744.html
7月17日に放送されたフジテレビ系列番組「新報道2001」で、2020年の東京オリンピックのためのテロ対策として、基本的人権の制限が必要がどうかが議論された。出演したキヤノングローバル戦略研究所の宮家邦彦研究主幹が「今までのやり方では絶対に不可能。そこは考えなきゃいけないと思います」と述べ、議論が必要だと強調した。
とある。わが国は、すでに先進国と呼べる状態にはないのであるが、テロ対策においても、先進国であるための規範的な要件であるはずの基本的人権の保護を犠牲にして、開発独裁国家としてのオリンピック成功を企図するようである。宮家氏は、2001年の同時テロ事件に際して、子ブッシュ政権が採用した政策体系を念頭に置いているのかも知れない。しかし宮家氏は、15年後の現在、大統領候補のドナルド・トランプ氏が9.11の再調査を行うことを提案し、これに反発しているブッシュ一家が共和党大会を欠席することを、まさか知らないわけではあるまい。たったの15年で、基本的人権の大幅な制約を狙った戦争屋の目論見は、ひっくり返されたことが衆目に明らかにされているのである。
のっけから脱線するが、トランプ氏が9.11についての調査を進めることを、個人的には大変楽しみにしている。9.11の再調査は、アメリカが超大国たり得なくとも、まともな先進国として生き残るためには大事な過程である。子ブッシュ兄の方を少なくとも同事件について罪に問うことができるか否かは、今後の世界を左右する重大事である。子ブッシュ弟も同事件に至る過程についてクリーンというわけではなく、2000年の大統領選挙について、フロリダ州における選挙上の不正に関与している疑いが指摘されている。もちろん、自称デバンキング作家等、わが国における戦争屋の追従者に、「ねえねえどんな気持ち?」のアスキーアートを貼ってあげたい気分でもある。
本稿の焦点に戻ると、先進国を先進国たらしめているのは、基本的人権の保護・充足状態であり、この点を自覚しつつ基本的人権が実現されている状態を高い水準で維持しようとする国民ひとりひとりの(再帰的な)意思である。(陰謀論業界周辺ではいろいろと反発はあるが)国連(=連合国)の『アジェンダ21』(でさえ)も、(ここで念頭に置かれている人権とは種類が異なるものと目されるが)司法に係る人権を一項目に含めているほどである。
宮家氏は外務省OBであり、少なくともわが国では所轄省庁OBとなるので、国連(=連合国)の論理(=建前)に通暁していない訳があるまい。であるのに、「国際的に先進国であることを示す」場であるはずのオリンピックにおいて、基本的人権を制約する、という本末転倒な提案を行うからには、宮家氏は、よほど何かの確証を掴んでいるのであろうか。仮に、そうであるとすれば、宮家氏こそ、率先して交友関係やら金銭関係やらを開示し、国民に範を示さなければならないであろう。
ロンドン五輪に際しては、基本的人権を軽視した事件によって、英国社会の構造的な課題が露わにされた形となった。ロンドンなどの都市で2011年8月に生じた暴動は、五輪事業で万人が等しく恩恵を受けた=包摂された訳ではない、という文脈で捉える必要があるものでもある。直接の契機は、警察による銃器事件捜査における、アフリカ系英国人容疑者の射殺であった。(記憶に頼る限りでは、その後の調査により明らかにされた事件の詳細は、また調査そのものは、権力に阿るものであるようには思われなかったが、)ロンドンのアフリカ系低所得者層居住区であるハックニーでは、大々的な暴動に発展し、わが国でも報道された。英国社会は、伝統的に階層社会であったが、五輪事業前にすでに移民社会ともなっており、五輪景気に乗るための社会競争も厳しいものであったことが暴動の要因の一つと見なされているようである。
権力側の人間によって基本的人権が蹂躙されることが、基本的事件を制約する必要を謳うかのような事件の原因となるとすれば、先に原因の芽となる権力側の非違を摘むことが大事である。これが、ロンドン五輪前の(私の中ではハックニー)暴動の教訓である。この論理は、別に私のオリジナルという訳ではなく、モンボイス[著]渡部正郎[訳], (1969). 『市民と警察』, 立花書房.からの演繹である。翻って、宮家氏の主張は、わざわざ権力の側から基本的人権を抑圧することを明言したのであるから、議論の前から、先進国の権力を付託された側の人間として、負けたことになっていないか。
今後のわが国の下降線の行き着く先は、なかなか読み切れないのであるが、わが国に生き残りの芽があるとすれば、その方法は、諸国民の公正と信義に頼るほかない。福島第一原発事故について、嘘を吐き続けてきた政権を担いできた日本国民ではあるが、日本の政体の嘘がバレ尽くして、国際的に彼らの進退が窮まったとき、全員が全員、開き直って「ヌッ○○してみろや!」という訳にはいかない。国際的には、そのくらいの被害を、ダダ漏れの5年を通じて生じさせてきたのであるが。(北半球+環太平洋で、60年代くらいの死亡率の上昇だと見ると、大体、予想される被害が日本人全員の人口規模に達する。)
いずれにせよ、今後のわが国が何とか国際社会の一角に地位を占め続けるためには、基本的人権の墨守こそが生命線となる。2020年の新東京五輪の開催があるにせよ、その制約は、「基本的人権をまったく制約しない」という条件の下での代案を(真摯にかつ包摂的に)出し尽くした後でなければ認められないのである。元々、安倍晋三氏の嘘、「アンダー・コントロール」で獲得した新東京五輪である。根本に誤解がある以上、新東京五輪の開催は、基本的人権を制約する必要があれば、取りやめて構わないであろう。基本的人権の擁護は、わが国の生き残りに必要であるが、東京五輪の開催は、わが国の生き残りには不要なのである。
2016(平成28)年10月21日追記
読み間違いをなくすために、追記して淡赤色で示した。
2017(平成29)年11月11日訂正
誤字を淡橙色で訂正し、タグをpタグ中心とした。
なお、私は、今も安倍晋三氏の「アンダー・コントロール発言」を国民を欺くものであると考えている。
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