2016年7月30日土曜日

福島第一原発事故に係るアメリカ2016年大統領候補の対照性

 ついに、ドナルド・トランプ氏の大統領候補受諾演説がTPPについて述べた内容を分析した記事(リンク)によって、キャッシュ登録すらされない状況が生じたようである。一週間、キャッシュ登録遅れというのは、私にとっては、大変、興味深い話である。私の記事の興味が多方面にわたるようになったので、それに伴う何らかの理由でベルトコンベアが止まるようになった、と考えることも可能ではある。一点については、誤解があるようにも考えることはできる。そこで、本稿を掲載することによって、TPPだけに係らない、私の意図を明確にしておきたい。なお、本稿では、クリントン氏と単に記す場合、ヒラリー・クリントン氏を専ら意味する。

 ドナルド・トランプ氏に係る前記事(リンク)の中で、アメリカという国家の行く先について触れた理由は、同氏が大統領となることが、福島第一原発事故という世界最大の企業犯罪の終息につながる狭き門に至る(かも知れない)ためである。逆に、「戦争屋」の強い影響力の元にあるクリントン氏が大統領となることは、現在の形の日本国の滅亡へと至る広き道である。バラク・オバマ大統領は、必ずしも「戦争屋」の言いなりにあるとまでは言えないが、たとえば、核廃絶や、アフガニスタン派兵を完了させることのできるほどには、権力の行使を貫徹できてはいない。同時に、オバマ政権は、わが国における福島第一原発事故に対しても、有効と言えるだけの介入を果たせていない。この状態は、わが国が建前では独立国であるということと、わが国の多数の官僚が靡く先が必ずしもオバマ氏ではなく、アメリカ国内に並存する「戦争屋」人脈であることの二点によるものである。

 トランプ氏が大統領となった場合、わが国に対する風当たりは、傍目に強いものとはなろう。しかし、その内実は、国際政治上の基本的なルールに従うものであり、アメリカの国益を長期的に損ねることになるような、卑怯な方法は、かえって取りにくいものとなろう。それゆえ、従来のルールに則ることを基本とすれば、むしろ、アメリカと他国との関係は、分かりやすいルールに則るものとなろう。この原則に立ち戻るという方針は、ゲームのプレイヤーには分かりやすいものであり、国の仕事を進めやすくするはずのものである。しかしながら、私益の確保に明け暮れてきたわが国の高級官僚は、今までのルールと大幅に異なる状況から出発することになるので、振れ幅の大きさに、容易に馴染むことができないであろう。

 翻って、クリントン氏を傀儡とするアメリカは、わが国の売国的な高級官僚には都合が良いであろうが、日本の99%の国民は、子ブッシュ政権時のように、正当な理由のない派兵を行おうとするアメリカに従わされることになる。クリントン政権下の従米政権下においては、日本国民の大多数は、福島第一原発事故と大本営発表の双方の影響下に置かれることになる。国民の大多数、特に若年層は、貧困と病苦にあえぎながら、大学に進学するために、中東に死地を求めるという前例のない苦渋の生活を強いられることになるであろう。クリントン氏という選択肢は、日米(米日)両国の99%の国民にとって、回り回って不幸なものとなるであろうが、本稿では、その話には深入りしない。(人の不幸に係る話題を商売にする私であっても、希望の持てる話に注力したいのである。)

 仮に、トランプ政権下の日米関係が、日本国民から一方的に富を収奪するようなものに見えるとしても、その関係が福島第一原発事故を終息させるためのアメリカからの圧力を高めるものであるとすれば、日本国民は、この関係を歓迎しなければならないであろう。それほどまでに、福島第一原発事故は、国を傾かせる可能性のある規模である。特に、事故後の対応は、従来の原子力政策の原則である封込めとは真逆のものであり、西日本在住の国民までも不必要な健康上の危険に晒すこととなっている。放射性物質の拡散と希釈に代表されるような、原則に悖る施策は、主としてわが国官僚の目先の利益と不見識から出たものであるが、同時に、「戦争屋」の嗜虐的な性向に一部由来するものとも解釈できる。

 トランプ氏とクリントン氏との違いは、わが国が偏西風に乗せて絶賛放出中である、放射性物質に対するアメリカの対処方法の違いともなる。トランプ政権下では、クリントン政権下とは異なり、日本が福島第一原発事故を放置しているという西海岸の環境団体の訴えは、ワシントンまで到達するであろう。この予想は、一般のアメリカ国民の抱くイメージとは異なるものではあろう。しかし、この予想は、単に、アメリカが本件を国益増進のために利用するであろうという予測の同語反復である。他方、2012年中までには、西海岸に汚染が到達したことが複数回報告されているものの、クリントン氏は、国務長官在任時、実効的な働きかけをわが国に対して行ってはこなかった。

 アメリカ国民の利益が第一という主張は、必ずしも、アメリカ企業の利益にならないわけではない。アメリカ国内の原子力産業だけを上手に切り取れば、原子力産業でさえ、福島第一原発事故に対する損害賠償を免れ、日本発祥の企業に対して負担を押しつけるという形で、利益を見込むことができるかも知れない。実際、当初の仕様を超える地震動や津波高の虞のある地域に製品を導入・設置し、放置したのは、日本の関係者・企業単独のムラ独特の決定様式によるものであって、原子力産業全体が原因ではないためである、と主張して、日本側関係者にのみ責任を転嫁することが可能であるためである。わが国の「文書・メモ・統計を隠す、廃棄する」という姿勢は、本件のように建設後40年となる施設の設計過程に係る経緯を明らかにすることはできないであろう。この場合、外部の者からみて妥当に見えれば、存命の責任者の首を取るという姿勢は、自然なものである。近代以前には、本人が生きていなければ、子孫に代わって責任が問われたという事情も、今回に限っては、視野に入れておいた方が良いかも知れない。

 アメリカ企業が福島第一原発事故についてさえ利益を上げることのできる論理が成立することに気が付いた場合、国益第一とするアメリカは、この論理を活用しないわけがないであろう。これに対して、わが国の志ある公務員は、わが国の責任の範囲を限定化することだけが国家の生存に資する道となるものと自然に理解できるであろう。このとき、必要であれば米日両国に根を張りつつも、米日両国の国益を毀損してきた無国籍主義者、端的には「戦争屋」を道連れにすることも厭わなければ、アメリカは、いくら国益第一と言えども、自らを律する外交によって、自らの正当性を確保せざるを得ないであろう。オバマ政権時、クリントン国務長官下の対日外交は、覚悟のある日本側関係者によって、「貴国は、前政権時、自国民を危険に曝しながらわが国に圧力をかける形で1%の利益を保全しようとした。これは不公正であり、貴国は貴国内で事故に対して責任のある人物や組織から賠償を得るべきである」という批判を受け止めざるを得なくなる。もちろん、この結果、クリントン氏は、福島第一原発事故の惨状を知りながらも国益の増進に努めなかったという責任を問われることになる。

 公文書を国益に資するように保管し活用する制度を充実させてきたアメリカという国に対して、わが国がわが国の公文書を用いて適切に反駁することは、基本的に無理であろう。これから、国家としての機能が衰亡するにつれ、われわれ日本人は、日本国の死んだ政治家がいかに売国的な密約を場当たり的に受け入れてきたのか、英語が読めるのであれば、大いに知ることとなろう。これらの政治家は、ときにクリーンとみなされ、ときに改革派とみなされてきた存在である。もっとも、日本国内の大手メディアだけに触れる情報弱者を騙し続けることは、不可能ではないかもしれないが、そうするには、限りなく生活実感と異なる虚報に頼らざるを得なくなるであろう。

 わが国の側で、売国政策に従事してきた人物らが講じることのできる策は、それほど多くはない。「戦争屋」による政治家への脅しが実質的に本人の生命に及ぶものであり、それらの密約がやむを得ないものであったことを説明するだけでは、到底不足する。イラクへの自衛隊派遣前までであれば、その論理は、まだ通用したかもしれない。しかし、福島第一原発事故は、人口の推移だけを外形的に見る方法によるならば、数千万人に達する日本人の(健康)寿命を大きく損ない、アメリカ・カナダ・メキシコ国民の健康寿命に対しても、統計上であれば顕在的な被害を生じさせることが明白な犯罪である。福島第一原発事故による一般人の被害者数は、桁違いであり、到底、「戦争屋」の圧力に屈して売国的な政策決定に関与した人物の生命だけでは、償い切ることができないと見なされるであろう。

 この影響は、「国際的な専門機関」に対しても波及しよう。IAEAならびにICRPは、そろそろ、2011年の報告書をアップデートして、予防線を張る準備を始めた方が良い。日本の「有識者」は、「国際機関」の「お墨付き」を主張の根拠として多々利用してきた。ここで「われわれは、結果として生じた日本の惨状に対しては、何らの責任を有しておりません」という態度を表明するために、原則的な態度に立ち戻らなければ、これらの国際機関は、日本国政府が2012年以降も事故当年に係る推奨事項を採用し続けたことの原因を作ったとして、汚名を着せられることとなろう。少なくとも、これらの専門機関に関与する海外の研究者は、第二次世界大戦のような緊急時においては、わが国の統計に係る伝統が、先進国として褒められたレベルに達しないことを考慮しておくべきであろう。

 研究者は、特に自然科学や工学に従事する者であれば、元々、無国籍的な(=左翼的つまり理性を重んじ、=科学的態度という共通する規準を有する)側面を有するものではあるが、それゆえに、民族の恨みという、彼らの実感しにくいものを軽視しがちである。素人は、「とまでは言えない」という態度を煮え切らないものとして受け止める。もっと言えば、「チェルノブイリの初期の経験では、こうであった」という説明が、最近の研究によって「実はこうであった」と覆されたことについて、後からアップデートされた情報をタイムリーに流通させなければ、「最近の研究について教えてくれなかった」ことをもって、恨まれることになる。研究者にとって、このすれ違いに起因する恨みは、筋違いとも見える。とは言え、情報伝達に係る責任を、情報流通過程の中でより下流に位置する存在にぶん投げておくことは、国際機関の事故に対する見解の正当性を保証するとともに、今後の組織存続に向けての正統性を主張する材料ともなるであろう。逆に、チェルノブイリ後のソビエト連邦に続いて日本がフクシマ後に瓦解するという状況は、「冷戦の終了の原因が民主主義の勝利を示す」という通俗的な理解を覆す材料となり、「原発事故が国を滅ぼす」という関係を示すものとして理解されることになる。日本の崩壊という結果は、もちろん、これらの国際機関の「助言」が役に立たなかったという証拠を満天下に示すことにもなり、組織の存続に係る正統性にミソを付けることとなろう。日本の崩壊は、たとえばロシア国民に対して、「日本国民め、それ見たことか、われわれの言うことを信用せず、国際機関を信用した報いだ」というように受け止められることとなろう。この種の否定的な感情を交えた国際機関に対する理解は、基本的には、原発事故について真実を知るに至った被害国同士の関係を最後には強化することとなり、回り回って国際機関の関係者の子孫に報いることになろう。

 以上、長々と見てきたが、トランプ氏(陣営)が「国益第一」という原則的なルールを指摘したことは、いかなる影響を日米(米日)関係に与えることになるのであろうか。

 私に言わせれば、トランプ氏の訴えは、国民国家という装置において、「それぞれの持ち場を任された個人が原則に基づいて職務を遂行したのか」という問いを暗に含むものである。また、各人が立場に相応しい仕事をすれば、世界はうまく回るものであり、皆から相応の尊敬を受けることができる、という信念を表明するものでもあろう。あまりにもデュープロセスを無視するTPPという「条約」は、国家の利益を保全するという観点からみた場合、最低の仕事ぶりである。国にダメージを与える仕事をする人を国政のトップに据えるのはいかがなものか、というトランプ氏のクリントン氏に対する批判は、人種差別的であるとマスメディアに非難されるトランプ氏の口から出る言葉としては、逆説的に聞こえるが、どの国民国家についても通用する原則である。

 公共に奉仕する仕事においては、「公正」と「正義」が原則であろう。それぞれの組織には、それぞれの立ち位置に起因する原則があるであろうが、大抵、原則というものは、ほかの立場の者にも理解可能な内容となっている。私の原則は、研究という水準については、随分と揺らいできているが、それでも、一応のところは、本ブログに示した言明のとおり、研究を通じて、正確な事実を伝達することにある。自身に課した要求を一段下げたとしても、事実を事実と指摘すること、という規準は、なお基本線上にある。研究と認められる水準を達成する上で問題であるのは、ある程度の基準を満たす近年の文献によることが本分野については、きわめて困難であるためである。

 なお、今回の大統領選挙は、両建て戦術が有効に機能しないという、近年に見ない波乱の選挙でもある。もちろん、報道機関は、二名の候補を対照的に示すことによって、こちらの選択肢しかない、という誘導を必死に図っているようにも見える。従来であれば、二大候補の対立軸の設定は、ある種の予定調和の元で行われてきた。オバマ氏が候補であった過去2回の大統領選挙についてさえ、同様の両建て戦術が存在した。今回の対立は、必ずしも両建て戦術の元に構成された絵図によらないものであり、いわば、久々のガチンコだと言えよう。わが国の行く末についても、ガチンコな余波をもたらすものである。アメリカの公共空間に対する思想からすれば、正道対邪道の対決ということになる。

 私の見立てを、狂歌として二首示して、まとめよう。
 オバマつき トランプこねし 天下餅 座して喰らうは アメリカンなり
 オバマつき ヒラリー食らいし 天下餅 後に残るは 瓦礫なりけり
 お粗末。以上の記事を通じて示した私の原則に係る考え方は、前記事(リンク)にも共通するものである。

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