平成28年7月12日の読売、朝日、日経は、いずれも朝刊で、18・19歳投票率の高さについての記事を示している。各紙とも、総務省の調査に係る発表を受けて記事を制作したようであるが、総務省のウェブサイトの「報道資料」のフィードでは、当該資料は公表されていない※1。三紙のうち、日経の記事は、全年代の投票率が平均的な値を示した市区町村を全国から抽出して年代別の投票率を計算した旨を記載しており、唯一、この調査内容の正当性を検討する内容を含む。これに対して、読売の1面記事は、調査の概要について、次のように紹介するに留まる。
調査は、47都道府県それぞれから、おおむね4投票区を抽出し、18歳、19歳の投票率を調査した。抽出された18、19歳の有権者数は計1万1480人で、当日有権者数の0.01%。18歳より19歳の投票率が低い理由として、大学進学などで親元を離れながらも、住民票を移さず投票にも行かない人がいるとの指摘もある。
『読売新聞』(2016年7月12日東京朝刊)「18歳51%、19歳39%/参院選投票率 抽出調査」1面14版
問題は、読売新聞の3つの記事担当者(記者およびデスクとみなすことができる)の誤解に由来してか、いずれの記事にも、抽出調査であるために単純に比較できないという趣旨の文言が含まれていることである。読売は、独自に都道府県選管に問合せしたとされるものの、その作業は、両記事における記述の正確性に反映されていない。2面では、
【...略...】抽出調査のため、単純な比較はできないが、18歳、19歳とも全体の投票率よりは低かった。と地の文の冒頭の段落で述べており、38面の最後の段落では、
『読売新聞』(2016年7月12日東京朝刊)「主権者教育 一定効果/出前授業や模擬授業/18歳投票率」2面14版
各都道府県の調査はサンプル数が少なく、数字は必ずしも県全体の傾向を反映しているとは限らないが、市町村職員中央研修所客員教授の小島勇人さん(64)は「主権者教育の有効性が証明された。18歳選挙権がメディアで注目された上、各高校で選管による出前授業や模擬投票などが積極的に取り入れられ、関心が高まった」と分析。【...略...】と述べている。
『読売新聞』(2016年7月12日東京朝刊)「18歳投票率 際立つ高さ/19歳と比較/「教育で関心高まる」」38面14版
公平を期すためにも、私の解釈をここで明示しておく:日経の紹介した総務省の方法では、投票率の推定値は、全国の(真の)値についての不偏推定値とはならないものの、18歳・19歳に対する主権者教育の効果は、否定できない程度に表れたと見ることができると言える。文部科学省は、ほぼすべての高校で主権者教育を実施したことを報告※2しており、読売2面記事もこの報告を紹介している。近年の高校進学率は9割強に達する※3ために、睡眠学習にせよ、大多数の18歳が主権者教育の対象となったとして良いであろう。18歳と19歳で表れた10%の差や、20代との差は、19歳の主権者教育の受講率を把握せずとも、18歳に対する主権者教育の効果を主張して良い桁の差である。
読売記事は、抽出調査であるために単純な比較が行えないとしているが、この理解は誤りである。抽出方法が平均値に近い選挙区を4区選択したというものであるために、交絡要因を否定できない(積極的に肯定する材料もないが)のである。ここに見るような読売執筆陣の誤解は、複数名の関与したことが認められる記事に表れたものであり、当該部門で統計学の知識が必要とされることが明らかであるにもかかわらず、この品質で世に出されたものである。複数名によるチェック機能が働かないという事情を鑑みれば、読売執筆陣の無知は、おおむね、わが国の文系の大学卒業者のデフォルト状態であると見なすことができよう。体験的には、間違いなく、30代以上については該当する状態であると断言できるのであるが、これは個人的体験に留まるものである。他方、日経執筆陣には、少なくとも1名以上の社会調査に対する正確な理解を備える人物がいると考えて良い。体験的には、社会人の数名に一名程度は、日経の記事が良記事であり、読売の記事が誤解に基づくものであることを理解しているとみて良いであろう。決して多数派ではない、というところがポイントである。
今回の読売の記事は、吐かなくて良いウソを吐いて、記事のほかの内容にまで疑問を持たせるものであるが、昨日の意図的な「誤報」と共通の(職場)環境から 生じたものでもある。私の興味の焦点は、「読売の記事が低品質なものである」という事実そのものに対して向けられている訳ではなく、「読売の記事の水準が 許容され、この程度の理解が再生産・維持される社会構造」にあり、「読売の調査担当者の努力(ということは、都道府県選管の担当者の時間的リソース)が相 当消費されているにもかかわらず、そのリソースとは無関係に記述された内容によって、記事全体の印象が台無しにされているという状態」にあり、「この残念 な状態は、巡り巡ってわが国の国民益(「国益」すら)を毀損しているものの、社会的に(相対的に)僅少なリソースを投入するだけで、正確な知識の普及とい う観点からは、劇的な改善が望めるのではないかとの予想」にある。
以下、蛇足。読売記事の執筆には、人件費だけでも、ざっと数十万円がかけられていると見ることができる。にもかかわらず、統計学に係る誤解を招いたという観点からは、価値はむしろマイナスである。ウソかウソではないかという二択に限定すれば、ウソであるとできる情報を大規模に(公称1000万部)流通させたことになる。いったん大規模に流通した学問上のウソをデバンクするためには、多大な社会的コストを要する。しかも、このウソは、読売新聞の隠された意図を実現する上でも役立たないものであるどころか、私のような疑り深い読者に付け入る隙を与えるものでしかない。この点、今回の種類の情報に正確性という観点から適切な価値を発生させるためには、たとえば、「大学等の高等教育・研究機関におけるリエゾン/コンシェルジュ(実際の名前をど忘れしている)を普及させて利用させること」や、「大手紙ならば、社内で、この話題なら、この専門家に聞けと紹介できる資料室を設置すること」や、「統計の専門家がセクシーな職業であるということを紹介するだけでなく、新聞社として実現すること」を通じて、正確さが保証されている情報を普及させた上で、記事に反映できる仕組みが必要ということであろう。ただ、体験的には、社会におけるほかの情報整理機能として、日本の図書館のリファレンス機能は優秀だと考えるものの、紹介先の情報そのものの真偽を担保する仕組みが薄弱であるために、その優秀さが結実しないことが生じているようにも見受けられる。紹介された情報自体が役立たない理由として、あえて原因を列挙すれば、研究者や学識経験者が建前と本音を使い分けたり、金銭的な利益に左右されていたり、社会的な影響を忖度したり、あるいは低度の知的水準に留まるために※4、正確ではない知識が産出し発信しているというものが挙げられる。
正確な知識へとリダイレクトする「知のコンシェルジュ」の不在に対して、Google検索が発展しきった現在、ペーペーの記者が一人で興味のある話題を検索し、トップに返される「専門家」に対してコンタクトできる状態が生じている。知の平等という観点からは、この状態は、きわめて喜ばしく、私もその恩恵に深く与っている。しかし、この状態は、「情報が正しいこと」を判断基準に据えるなら、(「真善美」の「真」を重視する規範的観点からは、)適切に利用されていない。情報生産の正しさを担保するものは、Google検索そのものではなく、結局は、Google検索結果に示された情報の正しさを嗅ぎ分ける検索者のセンスである。低水準の記事を世に問うて憚らない現在の読売新聞が公称部数でトップであるという事実(公称部数がトップであるから無茶ができるという関係もある。)は、Google検索の基本をなすベイズ統計が「ウソも100回繰り返せば事実となる」というゲッペルス?的な情報爆発に対して、一定の脆弱さを有するという事実と整合的である。ただ、日本語のGoogle検索では、スパムがトップに出るなどの弊害を避けるためか、人為的な作業がそれなりに強烈に作用しているようである。すると、その作業に関与する人物の知的水準は、わが国の情報流通の場において、決定的な役割を果たしていることになる。
※1 念のため、Googleカスタム検索も実施したが、見つからなかった。霞ヶ関のマスコミ優遇は、デフォルトである。資料が見つからないことは、このデフォルト状態を示すものと推認しても構わないであろう。今日の午前中あたりに公表されるのではなかろうか。
※2 「主権者教育の推進に関する検討チーム」最終まとめ~主権者として求められる力を育むために~:文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/ikusei/1372381.htm
※3 高等学校教育の現状 - 1299178_01.pdf
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/09/27/1299178_01.pdf
※2 これら列挙した原因は、互いに無関係というものではない。
『朝日新聞』(2016年7月12日東京朝刊)「18歳51.17% 投票率 19歳39.66%/全体を下回る」4面14版
『日本経済新聞』(2016年7月12日東京朝刊)「初の18歳選挙権 課題残す/投票率、全体より10ポイント低い45.45%/18歳に限ると51.17%」4面14版
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