2017年4月20日木曜日

日本の言論状況に最も必要とされるのは自己検証サイクルである(2)

一応、前稿(2017年4月18日)の続きである。


本稿と過去の記事(2015年11月4日)との違いは、商業出版を念頭に記しているという点である。商業出版は、ビジネス上の利益を目的としながらも、一部の学術研究者の生計を補助し、その主張を一般の読者にも広く流通させるという効果を有するから、単独で利益を出しにくい分野の研究とは、区別して考察する必要がある。この点において、ブログという媒体は、商業出版と競合する存在でありながら、昨今の検索エンジンの特徴(人気投票)により、商業出版と共生的な関係を構築するに至っている。


本ブログの運営?にあたり、私は、一年に数回の頻度で、過去に塩漬けとなった下書き記事の棚卸しを試みて、大抵は、不勉強と怠惰ゆえに先送りを繰返すのだが、同時に、過去の記事に示された自説を検証してもいる。その過程で、北方四島の帰属の数え方に係る記事(2016年1月24日)のように、完全に訂正を必要とする種類の、恥ずべき種類の誤りを見つけることがある。現状の営業方針を転換し、しっかりした校閲を受けられる方法を採用してみたいと感じることもある。単なる誤植もかなり見つかるので、誤植を訂正してもランクを下げられない(はずの)ウェブページとすべきかとも考えたこともある。誤植には、絶対に訂正すべきものもあれば、読者に意図が通じるであろうから(ランクを下げられる危険性を冒して訂正するよりも)放置して(恥をかいて)も構わないと考えられる程度のものもある。

いずれにしても、私は、自説の(弛まぬとまでは言わないが)検証作業こそが、自説の価値を高めることになると考えている。元々の文章が「知の最前線」の成果を応用したものでなくとも、能動的な改善作業こそが重要であると考えるのである。この点、私も、一応は、エンジニア魂を持ち続けていることになる※1。ただし、この作業に果たして価値があるのかと問われると、現状では、私自身とごく少数の読者にしか具体的な利益がもたらされないものである。Bloggerのバックリンクという仕組みは、私の記事がある記事を参照したことを能動的に通知する仕組みではないから、本ブログ開設時の意図通りとはいえ、私自身による能動的な発信の契機が限定されるために、「私自身が重要であると考えた記事」に対して、的確な反応が社会から返ってくるのかを確認できる機会がない。

日本の現時点の言論・政治状況は、その詳細や経緯をブラックボックス化してみれば、英語圏に比べれば、自説を検証する機会を持たず、相互批判する作法を持たず、誤りを訂正しないという傾向にあると認められる。政策自体も、その政策に含意される情報・言説についてみれば、私の主張を補強する。たとえば、水道法・種子法の改悪は、『ナイ・アーミテージ報告』に固執する戦争屋により推進されたものである。法律自体は、更なる改正で回復可能であるが※2、種子法の改悪は、取り返しが付かないものであった※3

他方、TPP11という大穴(2016年1月9日の記事も参照)は、立ち上げようとした時期からしても、準備の拙劣さ・非公開性から見ても、また国際環境の複雑さを乗りこなせないという見込みからしても、一人の日本国民から見た場合には、失敗が待ち受けているものとしか思えない。にもかかわらず、4月15日の日本経済新聞朝刊は、1面4段抜きという目立つ形式でTPP11[1]を推進しようとしている。提灯持ちの筆頭であった日経がTPP11を推すのは、単に、自身が制裁を受けることを逃れるための悪足掻きである※4。真に受けない方が適切であるし、警察権を負託された諸賢におかれては、そろそろ真剣に国益とは何かを考慮し直した方が良いであろう。

日本語環境下では、ある主張の誤りは、有名人や大企業によるものほど悪影響を及ぼしながら、ほとんど訂正されることがない。この点、有名人批判は、批判者の意見が正当なものであっても、独創的なものであればあるほど、主張者が別の側面で良く知られた存在でなければ、ウェブの海に隠れてしまうことになる。件の有名人は、積極的かつ系統的に、自身の誤りを探索しない限り、誤りである言説を流布し続けることになる。この点、マスメディアや官僚集団による人選は、日本人の利益とは相反しがちなものとなる。マスコミは、自分たちの主張に合致する人物だけを重用し続ける。多少、意見を調整する余地はあるようであるが、それは、マスコミの私益の核心、つまり広告主の利益を侵害しない限りにおいてである。このため、マスメディアに露出し続けることのできる人物は、尖った主張を有し続けているか、その分野にモノを申せる(と視聴者が判定可能な)だけの経歴・資格を有しており、かつ、意見を採用する役割のマスコミ人から見て、利益共同体の利益に適うか、少なくとも侵害しないと判定されるような主張のみを提起する人物でなければならない。この点、メディアに応じて持論の位相を調整できる(すり合わせる)能力を有する佐藤優氏のような存在は、非常に重宝されるのである。

わが国の論壇=商業出版において、著者が誤りを認めることは、著者の同意の下に、著者と出版社という利益共同体の利益を減少させることになりかねないことであるから、当然、わが国の言論人が自説を撤回・修正することは、望み薄となる。この点、例外的な存在は、小林よしのり氏であり、彼は自説を自身の納得できる方向に修正していくことを厭わない存在である。というより、小林氏は、その軌道修正ぶりと漫画という伝達手段との掛合せをコアコンピタンスとしているものと解される。その時々の言説の正しさ自体はともかく、日本の言論人は皆、小林氏の柔軟なスタンスを一部なりとも見習うべきであるが、日本の言論人が小林氏に倣うことは、まず無理であろう。なぜなら、小林氏のメディアへの露出が往事に比べて減少していることを、当然、言論人たちも知っていようからである。小林氏の露出の減少は、マスメディアが彼を制御しかねており、小林氏の意見が忖度のないものであるかのように読める余地を造り出してもいる。

小林よしのり氏のビジネススタイルの一貫性と、その変遷を参照すれば、本来、自己検証・修正は、日本語論壇という共有地を適正な状態に維持する上での、言論人の道義的な責務であり、出版・マスコミ業の必要経費でもあったとも言える。論壇ならびにその派生ビジネスが決定的に立ちゆかなくなりつつある現状は、言論上の基礎的な間違い(ほとんど嘘とも呼べるもの)を放置してきたことの総合的な帰結(総合効果)でもある。最大の事例として、福島第一原発事故に対する原発ムラの工作は、知的退廃をもたらすという直接効果と、人間の知的活動を人口減少以上に縮小させて(=放射性物質が知性を減退させて)市場を縮小させるという間接効果との両方をもたらした。ブログ=ネット論壇の登場と、そこで扱われる話題の面白さ・幅広さも、従来の商業出版における言論人・知識人の地位の転落に一役買っている。ネット論壇の多くもまた、自己検証・自己修正を行わないが、言論人・知識人が同じ状態にある以上、ネット論壇の方が断然有利である。なぜなら、ネットメディアは、視聴者にとって多くが無料であり、(言論上も、またコンテンツ自体も)刺激的な内容を提供しており、しかも、言説のえげつなさにより失うものが少ないからである。それに、商業出版には、多くのプロの手が関与するから、当然、言説自体の仕上がりも、(書籍やソフトウェアの)パッケージの仕上がりも良くなるが、経費も多くなる。経費増は、結局、消費者が負担する。他方で、ネット論壇は、(スマホというプラットフォームを含め、)今や、ほとんどの家庭で定額制のプロバイダを利用していることを考えれば、流通に係るコストをゼロにもできるから、この点でも有利である(。ただし、本ブログが実例となっているが、検索メディアを使いこなせなければ、到達機会がほぼゼロに留まることも、また事実である)。なお、ネット論壇が取り上げる話題の幅広さは、従来の週刊誌がヌードなどの成人向けコンテンツを掲載してきたことと同形である。米国では、オルタナティブ・メディアという名称は、トランプ大統領の登場という実績によって、正当性をも確立したかに見える。他方、『New York Times』がトランプ氏の当選後に電子版の購読部数を伸ばしたという報道は、大メディアによって多くを発見することができるが、その真偽を確認した記事自体は、検索結果の上位に見出すことはできない。押し紙という不正は、常に新聞業界に対して囁かれてきた噂である。商業上のタブーへの言及を拒み、トランプ大統領の当選という事実に直面した「偽ニュース」メディアは、部数についても嘘を吐いている可能性が否定できない。このように思うことに、まったく不合理さは存在しない。論敵に認められてこその大メディアというものであるから、御用学者を連れてきて発行部数を検証させても、万人に納得されることはないであろう。米国やわが国のマスメディアは、誤報・(戦争屋の)妄説を放置して、共有地を自ら枯らしてしまったことになるが、今後も同じスタイルを継続するのであろうか。この共有地に、日本人のサバイバルに必要な「真の知恵」は、生まれ育つのであろうか(この一文は、予告編のつもりである)。

以上の状況がありながらも、わが国では、依然として、大メディアに対する国民の信頼度が相対的に高いために、商業出版上の言論人の誤りに共感してしまった人たちが、ネット上でその誤りを複製してしまうという状況が続いている。この格差の増大は、富む者がさらに富み、貧しい者がさらに貧しくなるという「マタイ効果」の一つである。このマタイ効果は、学術の世界においても、査読という言論の正しさを担保する相互批評制度(まさに保険制度)が十分に機能していないことから生じることがある(2015年11月4日)。

商業出版と相性の良い研究分野では、言論上の「勝者総取り」が顕著に生じるという傾向が認められる。学術的知見が低レベルに留まり、しかも、その「王様の裸」ぶりへの批判が、ビジネス上の利益を侵害するために、商業出版上でなかったことにされるという「知の低位均衡状態」の責任は、主として著者(学者)らに求めることができる。ただ、検索技術の問題だけに限定すれば、その商業出版を批判的に受容する能力が不足しているブロガーたちにも、原因の一部を求めることができる。著者(学者)の役割は、正確な知識を産出すると同時に、誤りを誤りとして指弾することにあるから、職業上の基本的な責任を免れることはない。それに、ビジネス上の利益を得ているのであるから、罪一等が加わることにもなる。他方、無責任なブロガーは、気軽にコピペして、著作権法を犯し、後世の正しい批判の順位を低位に留め置きながらも、自説を検証しないという消極的な形によって、検索空間の状態を悪化させている※5

この低位均衡状態を一段マシな状態へと押し上げるためには、本来、商業出版で売ろうとする著者は、全員が、従来以上に自己検証サイクルを回すべきである(正確には、あったというべきか)。つまり、自分の言説に向けられた批判を正当に汲み取り、自身の責任の下に批判者の意見を受容するなり、否定したことを告知し、さらなる批判に備えるのである。このサイクルの不存在こそが、批判の対象となるべきである。ある論者の主張が結果として誤りであったことは、その話題に限定する形で批判されるべきであり、その誤りが故意のものであったり、あまりにも低レベルのものでなければ、著者と関連付ける形で否定されるべきではない。明らかに誤りであることが分かった後になっても、修正されないことこそが、批判されるべきことであり、同時に、勿体ないことである。


※1 実際のモノを相手にするエンジニアは、モノには不具合が生じることから、自己改善の契機が内在的に備わるものである。ただ、原子力発電所のように、いざ破局が訪れるまで、関係者全員がなかなか本気になって改善に取り組むことのできない、巨大な一品モノも存在する。社会システムやら言論やらは、巨大な一品モノと同様、不断で能動的な検証を必要とするものである。それに、個人の目で把握しきれる対象でもないし、内部に生きる人々の一人一人の受け止め方が違うから、構築主義を理解することが、社会システムを取扱う際の大前提となる。

※2 真っ先に参入した戦争屋たちからは、内乱罪の適用をちらつかせながら安く買い叩けば良いだけの話である。なお、人口削減を必要と信じるカルトな戦争屋にとって、水道法改悪が必要である理由は、明らかに「美味しいお水セシウムさん」を提供するためであろう。

※3 農業の現場の人々が各自で種子を保存・育成していることを期待したい。国防に言及する人物には、是非、食に配慮した生活をして欲しいものである、と付け加えておきたい。なお、私は、一消費者として、その努力に報いることができるように消費行動を取っているつもりではあるが、その努力は、100%からは程遠いものである。

※4 この記事に明示された個人名は、世耕弘成氏(TPP11をASEAN閣僚に打診)、安倍晋三氏(米国抜きでは意味がない)、川崎研一・政策研究大学院大学特任教授(TPP11の実質GDP増は、TPP12の1.37%に比べ、1.11%であるが有効)、トランプ大統領(の1期目の任期は自民党総裁よりも短い)だけである。文字数の割に、関係者が顕名でコメントできないところを見ると、TPP11も基本的には無理筋であって、戦争屋一味が頓挫後には処罰を免れないために匿名で足掻いているものと考えられる。TPP11という愚策は、わが国における戦争屋の権勢を推量する上で有益な材料になろう。

日本は、たとえば、TPP11をなし崩しに頓挫させるという形で、良好な国際関係の構築に消極的に貢献できるものの、従来のままでは、今後、国際関係における主導権を握ることができないであろう。トランプ政権と中国との今後こそ、環太平洋地域の動向を決定する焦点である。北朝鮮は、日本国民の目に見える形で、能動的に国際関係に影響を及ぼそうとすることはないであろう。北朝鮮の支配層にとっても、米国の脅威が目に見える形で強調されながらも、実際に国力を削り合う戦争にまで発展しないことが利益となるからである。

※5 この検索エンジンの質を劣化させるという機能を通じて、無責任なブロガーたちは、研究者の労力を増加させてはいる。しかしながら、本ブログで私がツッコミを入れた内容は、ほぼすべてが、基礎的な知識の積上げによって、誰でも到達可能な内容である。このため、私の主張が先進的なものであるか否かはともかくとして、各専門分野における研究者が真に誠実に職務に取り組んでいたとすれば、本ブログの内容は、当然ながら無視する訳にもいかず、結局、私と同様の結論に到達するか、少なくとも実証的に反駁する作業が必要になったであろうから、コピペするブロガーの有無によらず、学者の主張が低劣であるのは、彼らの善管注意義務違反を表すことになろう。


(第3回(2017年4月24日)に続く)


[1] 『日本経済新聞』2017年4月15日朝刊1面14版「米抜きTPP 推進に舵/来月、11ヵ国で閣僚会議」(編集委員 藤井彰夫・八十島綾平・重田俊介)

TPP11を日本に主導してほしいという期待は少なくない。シンガポールの外交筋〔...略...〕米国でも議会の一部や有識者の間には〔期待が大きい〕〔...略...〕。日本、オーストラリアなどは前向きだが、難しいのはベトナム、マレーシアの説得だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントありがとうございます。お返事にはお時間いただくかもしれません。気長にお待ちいただけると幸いです。