2017年4月26日水曜日

東北で良かったとする今村雅弘氏の失言は二重に愚かである

3.11のとき、読者はどうしておられたであろうか。当時、私は、千代田区内の雑居ビルの2階で勤務中であったが、ビルが座屈しそうな形状であったので、上司を連れて安全そうな隣のマンション・業務・コンビニ複合用途ビルの搬入口の手前で揺れが収まるのを待った。ヤバかったら、当然搬入口に入って落下する窓ガラスを避けるつもりだった。パジャマ姿の外国人カップルが、近くのビジネスホテルから駆け出してきて、丸ノ内線の上部に当たる幹線道路の真ん中で抱き合って震えていたのが不謹慎ながら面白かった。ほかにもまあまあ色々興味深い出来事に遭遇したが、帰宅困難者の靴擦れを除き、人的被害と呼べる場面に直接遭遇せずに済んだことは、幸いであったと言える。

東日本大震災が、首都圏により大きな影響を与えるように生じていたとすれば、私も無事ではなかったと思われるし、本ブログを通じて生き恥を晒すこともなかったかも知れない。P波(先に到達する縦揺れ)を感じたときに、私は、反射的にPCを閉じて安全そうな階段の方に自分だけで一旦逃げた。このケツのまくり方は、私のキャラを色々と説明するであろう。「逃げましょう!」と叫びながら逃げたことだけは、言い訳として付言したい。震度6強であれば、ビルは半壊していたであろうし、震度7であれば、レイアウトからすれば、上司は助からなかった可能性もある。人の不幸を考察する商売に従事してきた割に、重大事件の進行中の現場に遭遇することはなかったから、自分の行動によって自分だけが助かったとすれば、それはそれでトラウマが大きかったであろうと、今になって思うところである。人生、何があるのか、なかなか分からないものである。

もちろん、この「私語り」は、今村雅弘氏の失言を想起してのものであり、同氏の発言が二重に愚かであることを批判したいがために用意したものである。今村氏が発言したこと自体、自身の考えを表明することの帰結を予測できていないという点で愚かであるが、それ以上に、この発言の内容が誤りであることが、愚かさの証拠である。前者については、TPOをわきまえた社会人なら理解できることであるから、これ以上は言及しないが、後者について、以下で説明しておきたい。

福島第一原発事故による健康影響が数千万人単位であり、今後の数百世代に影響しうる話であること、経済的損害が数十京円単位(兆円ではない、念のため。)に上ることを考えれば、東日本大震災は、全体としては、関東直撃よりも最悪のケースが実現した災害である。女川原発も、福島第二原発も、盛大に「お漏らし」しなかったのは、僥倖としか言いようがない。たとえ、当時の地震が首都圏に近いものであったとしても、津波被害が小さく、大平洋沿いの原子力発電所に被害がなかった方が、目に見える死傷者はたとえ多いとしても、これほどまで復興が捻れたものとなり、将来の見通しを立てられなくなるものとはならなかった。いわゆる安全厨であっても、東日本大震災による地震・津波被害だけであれば復興が不可能ではなかったところ、福島第一原発事故が復興を不可能なものとしたことは、薄々ではあっても、理解しているであろう。彼らの感情的な反応は、この事実を自身の責任として受け止めることが困難であることや、この事実が彼らに責任を負わせる動きへと転化することの虞から生じていよう。

もちろん、2011年3月11日の地震が関東を直撃するものであったとしても、将来にわたり、東日本大震災のような地震や津波が原発を襲わない保証はなかったから、遅かれ早かれ、地震が原発を襲うというシナリオは、避けられなかったであろう。仮定の話ではあるが、3.11が首都圏広域地震であった場合にも、原発の安全性が向上していたとは期待できないから、悲劇が先送りされていただけであったろう。ただ、当然、この理屈は、川内・伊方・高浜原発(参考:電気事業連合会[2])にも、また停止中の他の原発にも該当する。首都圏の混乱に乗じて他国が云々という話も考えられたであろうが、原発再稼働後の現時点であるからこそ、これらの三原発には、一層警戒しなければならないのである。この危険を考えた場合、一回の事故で原発ムラが変われなかった以上、一回でも悲劇を先送りにできたのであれば、その分、日本国民のサバイバル期間が伸張していたと言えよう。

他方で、仮想的な首都圏広域地震は(、東海村という考察に厄介な存在があるにせよ)、高齢多死社会と原発事故の健康影響の影響を同時に生じさせなかったという点で、現実に進行しつつあるハードクラッシュシナリオを書き換える余地があり得た。3.11当時においても東京への一極集中は進行していたから、首都圏広域地震は、官僚集団に本格的な首都機能移転を実施させる契機を生じさせ得た。あくまで、仮定の話であるが、霞ヶ関関係者の多数の自宅が半壊・全壊してこそ、首都機能移転は、本格化し得たであろう。(東日本大震災は、東北にルーツを持つ首都圏の人々に大きな動機を与えているが、その広がりは、相対的に見て限定的である。)現状、首都圏の郊外住宅地は、外周部ほど、打つべき手がないまま、東京オリンピックバブルの崩壊を待つばかりのようにも思える。首都圏広域地震こそは、鉄道路線を中心としたコンパクトシティ化なり、郊外住宅地の田園郊外化なりを実現する機会であり得たかも知れないのである。官僚という権力集団が、目に見える被害だけしか認めずに、結果として組織的に無能力・受動的であり続けてきた状態は、東日本大震災という未曾有の被害を経た現在も、基本的に変化していない。この結果的な怠慢を目の前にしたとき、現実の3.11以上に、霞ヶ関や永田町(だけ)において目に見えるだけの大きな被害が生じていたことに期待することは、果たして不健全なことと断定できるのであろうか(。東京都区部の死者が千代田区内で生じたという事実に注意せよ。為政者が目配りできていれば、物事は動くものである)。

#ここでの私の考察が不健全と考える読者に向けて、念のため申し添えておくが、私は、木造密集市街地の中でも、震災による危険度が非常に高いとされる地区に居住している。

最後に、ハードクラッシュシナリオとは何かを、(最近までに蓄えた情報を元に、)改めて明示しておいた方が良いであろう。それは、団塊の世代が多死を迎える時期が、福島第一原発事故後の「食べて応援」キャンペーンを通じた内部被曝による発病時期・死亡時期と重なる状態である。放射性物質は、高齢者の健康にも影響を与える。このため、各世代の死亡率は、もうそろそろ、厳しい登り坂を登り始めているところであろう。80代以上の死亡率は増加傾向にあるが、それだけでは済んでいないことが明らかになったとき(、現実のわれわれは、仮にそのような事態が進行していたとしても、なかなか公式のルートからの情報だけでこの事態を把握することは叶わないが)、ようやく、原発事故の影響を軽視してきた「有識者」たちの一部が騒ぎ出すかも知れない。しかし、そのときには、既に、日本国民の多くが、知合いなり親戚なりの訃報や大病を通じて、状況を体験的に理解しているのであろう。


[1] 震災巡り失言、今村復興相を更迭…後任に吉野氏 (読売新聞) - Yahoo!ニュース
(記名なし、2017年04月25日20時25分)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170425-00050092-yom-pol

今村氏は25日夜、東京都内のホテルで開かれた自民党二階派のパーティーで講演し、東日本大震災について「(発生が)まだ東北の方だったから、よかったが、首都圏に近かったら甚大な被害があった」などと述べた。

[2] 国内の原子力発電所の再稼動に向けた対応状況 | 電気事業連合会
(電気事業連合会、2017年4月26日閲覧)
http://www.fepc.or.jp/theme/re-operation/




2017(平成29)年4月26日23時追記

今村氏の発言は、現政権が福島第一原発事故の解決に当たり、不適切な人材を登用していたことを示す。福島第一原発事故の解決こそが政権の試金石となると述べてきた私にとって、今村氏の更迭は、遅きに失した対応であると指摘せざるを得ない。これが、私が現政権を信用し損ねている理由である。飯山一郎氏が本件(更迭)をネオコンの仕込みであると述べる理由は、何であろうか。安倍氏が今村氏を修正させる格好になったことは確かではあるが、今回のケースは、ネオコン(というと、範囲が広すぎるので、戦争屋としておこう)の仕掛けがあるとまでは考えにくい。強いて言うなら、戦争屋との政争中に、誰もが許すことのできない発言を不用意になした今村氏の自業自得である。私には、擁護する論理を思いつけない。

[1] ★ 掲示板:『放知技(ほうちぎ)』 ★彡
(飯山一郎、2017年04月26日16時09分)
http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16090538

とにかく,今村復興相を辞任に追い込んだ陣営は,ネオコンです!
だから…
今回の今村復興相辞任は,ネオコンに負けた!という政治事件なのです.




2017(平成29)年5月17日追記

小田嶋隆氏(@tako_ashi)の下記ツイートがあることをKatabiragawa Atsushi氏(@katabiragawaC)のリツイート経由で今更知った。小田嶋氏のツイートに示された見方は、前提となる被災像については疑問を抱かないという典型的な事例である。小田嶋氏のツイートを引用したのは、たまたま目に付いただけ、というものである。小田嶋氏の誤解がわが国の知識人に標準的なものである、と例示する以外の意図はない。福島第一原発事故は、土壌の回復にとてつもなく長い期間を要するという点、リスク計算が直感によっては把握しにくい事例である。(とは言っても、単に24万年とか掛ければ良いだけであるから、その一手間を惜しまなければ、事故の影響を推し量ることは、さほど難しくないはずである。)

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