#本稿は、内容が随分と薄いが、2015年中の記事の後継でもある。が、例によって尻切れトンボとなる可能性も高い。期待しないでほしい。
危機においては対応力が重要である
以前の記事(2017年4月15日)よりも先に、『ハフィントンポスト』日本語版に熊代亨氏の「「みんなの知恵を集めたら」「ネットの知恵が薄まった」」が転載されていたことを、脱稿後に確認した。前稿に述べておいたように、私は先取権を主張していないが、熊代氏が現今のウェブを説明する上で使用したキーワードが類似しているために、インスピレーションを受けたか、パクリかと読者に誤解されることは、致し方ないことである。他方、拙稿が「犯罪を企図する側からの視線」「脆弱性をクラックする側の視点」を元に、ウェブ上のBtoCプラットフォームを舞台に繰り広げられる個人主義(反社会的行為)・拝金主義を素描し、その対策(の難しさ)を指摘しようとしたことを、読者にご理解いただけるのであれば、それ以上に幸いなことはない。
15日の記事は、「ぱよぱよち~ん」事件に言及した2件の拙稿(2015年11月4日、2016年1月23日)の自己検証という意図も有している。アフターフォローの結果、私が北朝鮮のミサイル発射に絡めて揶揄した中央線自転車投入れ事件の犯人逮捕(2016年2月4日)を見逃していたことが明らかにされた訳でもある。ただ、中央線事件に係る私の指摘の要諦は、「JR東日本は、テロ対策が困難であるとして現状を放置するな」というものと「警察は早く犯人を逮捕しろ、テロ対策上、重要地区ではないのか」というものであったから、3カ月遅れの犯人逮捕の報によって、主張の本筋の正しさが失われた訳ではない。また、別稿(2017年4月13日の注1)で、本ブログの記事は、普段から網羅的に資料収集した上で執筆しているものではないことをわざわざ断った直後のことでもある。資料収集の網羅性の難しさについては、(エビデンスという用語の悪用と、この用語に対する誤解とに絡め、)別途言及する予定がある。
#網羅的に資料収集するなら、事業化が必要である。ゴミには、自腹を切りたくない。本当は、経費にするのも勿体ない。それに、本ブログでは、有料コンテンツによらずとも再現可能という制約条件を置いている(つもりである。良く逸脱するが)。その上、この理由が最大の不確実性であるが、事業化するのであれば、営業活動もしなければならない。それでは困る向きもあろう。
危機(失敗が顕在化したとき)において、修正力が必要とは良く言われることである。およそ、あらゆるスポーツで修正力・対応力が必要であろう。この意見は、羽生善治氏の『決断力』(角川書店, 2005)に丸乗りしたつもりであるが、パラフレーズの仕方が誤っているかもしれない。あからさまな実力差がなければ、多くの勝負事では、いずれの対応力が上であるかが、勝敗を決定付ける主要な要素であろう。この傾向は、終盤に至っても、一発逆転となる経路が多めに用意されている、e-スポーツにおいて顕著である。もっとも、この傾向が顕著なゲームは、ちょっとした気の緩みで、先手を打ってから状況をコントロールしようとする、つまり先行逃げ切り型の戦法を採るプレイヤーが不利になるから、ときに「運ゲー」と評されてゲーム自体が敬遠されてしまいがちである。他方で、この傾向が少なければ、「初心者殺し」となりがちであるから、やはりゲーム自体が寂れてしまいがちとなる。このバランス調整の難しさは、ゲームの話であるから、現実社会において適用可能ではない。ただ、このゲームにおける特徴を考慮しながら現実社会の歴史を見ると、黄金期を迎えている社会を後追いする社会の方が有利であるように見える。とすれば、先行する社会の優位を維持することの難しさは、国民(なり権力者なり)の高い能力を必要とするものであるから、評価されて良いことであろう。特に現代において覇権を維持することは、覇権国に高い能力を要求するのではないか。
この点、18世紀からの世界の覇者であった英国(スペイン無敵艦隊撃破後とすれば、16世紀でも良いが、そこら辺はユルユルで行かせて欲しい)は、技術の進展が著しい近現代においてなお、相当の難局を乗り切り、現在の地位を維持している外交巧者である※1から、われわれ日本人が英国の得意技に学ぶ価値は、大いにあろう。たとえ、外国における基本技が、分断統治(divide and rule, 分断して征服せよ(divide and conquer)とも、分割統治とも。原語が英語だし、定訳にこだわることもなかろう)という、えげつない方法であるとしてもである。第二次世界大戦に至る極東情勢は、ある意味、大日本帝国の軍部が、この分断統治の術中にまんまと填まるまでの過程でもある。(現在の日本人より、往事の日本人の方が、アートとしての政治の能力が高かったようにも思えるが、それでも、欧米列強に良いようにやられたものと、私は理解している。国際上の競争相手が上手だったとも言えるが、とにかく、相対的な集合的知性において、劣っていたという形となる。)
分断統治という「密教的に・敵に対して用いられる・悪の手法」は、英国の内政において重要性が強調される多機関連携(partnership)という「顕教的に・味方を結束させる・善の手法」と対をなす概念でもあり※2、英国の内政は、この重要性に対して、完全に意識的である(外交については、不勉強も良いところなので、結論しかねる)。勉強不足のまま、知ったかぶりするのもアレだが、分断統治という概念には、おそらく、「内線作戦(interior lines of operations)」を採るナポレオンにしてやられたときの教訓も生かされているのであろう。ナポレオンは、機動力を生かし、局所的に数の優位を作り出し、孤立した敵を個別に撃破していくという内線作戦を展開した。この話は、軍事学の基本に属するものであるが、(国際主義系の)マルクス主義から省庁縦割りまで、連関する概念に事欠かないものでもある。
(次稿(2017年4月20日)に続く)
※1 ただし、(特に福島第一原発事故について、)英国だけの利益になるように動いてしまう日本人が実在することと、英国が外交巧者であるということとは、切り離して考えるべきである。ある国が「犬」になって動いてくれる外国人を多数抱えているからと言って、その国の政府が道義に悖ることをしていることにはならない。フランスにせよアメリカにせよ、他国民が羨む文化を成熟させることにより、その国の「ファン」に(勝手に)なる個人を外国に増やしているのである。
※2恥ずかしながら、この文章を書いていて、私の中で、分断統治と多機関連携の両者が、初めて対になって理解できた次第である。『国際秘密力研究』の菊池氏の「両建て」を深く考えてみなければ、この考えに到達することはなかったであろう。これだけでも、陰謀論とされる分野を勉強しつつある甲斐があったというものである。菊池氏自身の警告(「欧州派」すなわち「憑依系」の思考に取り込まれる危険)を無視している形となるが、私は、危険を承知で「両建て思考」を意識的に利用して、学術研究における既存の概念を再解釈していることになる。
2017(平成29)年4月20日17時15分追記
"divide and conquer"の訳語に「分割統治」を加え、菊池氏の警告に係るリンクを加えた。過去の記事(2016年9月1日、2016年8月20日、2015年11月16日)との連関も高まったものと思う。なお、「両建て思考」に通じているであろう人が、西側由来の思考法によりながらも、菊池氏も志向するであろう平和な国際社会の構築に貢献するという事例は、いくつも存在する。最近の顕著な(平和に貢献しうる)事例は、シリアにおける化学兵器攻撃疑惑に対しては、英国の元在シリア大使であるピーター・フォード氏(Peter Ford ex-UK ambassador to Syria)がアサド政権によるものとは合理的に考えられないことを指摘した事例が挙げられる。(日本由来の「脱両建て思考」のように「良い」)思想も大衆に使われなければ意味が無いという辺りの話は、吉本隆明氏の思考の中心にあったことと思うが、菊池氏と吉本氏の思想に係るこの表現は、ガバガバな私のパラフレーズなので、両方とも、各自が直接原典に当たり考察すべき事柄であろう。
As it happened: Global reaction to Trump missile strikes - BBC News
(Today Programme, BBC Radio 4、2017年04月07日16時46分)
http://www.bbc.com/news/live/world-us-canada-39521332
#このフィード中、かなり下の方の「Ex-UK ambassador to Syria: 'No proof' of chemical attack」を参照。
Ex-UK Ambassador To Syria Questions Chemical Attack; "It Doesn't Make Sense, Assad Is Not Mad" | Zero Hedge
(Tyler Durden、2017年04月07日15時58分)
http://www.zerohedge.com/news/2017-04-07/ex-uk-ambassador-syria-questions-chemical-attack-it-doesnt-make-sense-assad-not-mad
#(2017年4月23日)このサイト(zerohedge)に挙げられたインタビューがいかなる経緯で掲載されているのかは未確認。
2017(平成29)年5月24日追記・訂正
"divide and rule"ならびに"divide and conquer"の訳語を訂正し、薄いオレンジ色で修正箇所を示した。『ブリタニカ国際大辞典(2004年版)』はルイ11世の言葉であるとしている。英語版『Wikipedia』[1]を参考にすると、出所の確認可能な書籍には、トライアーノ・ボッカリーニ(Traiano Boccalini, 1556~1613)の『La bilancia politica』[2]があるようである。概念そのものについて紀元前に遡ることができることは、衆目の一致するところであると言えよう。この手の起源を探索するという作業の骨折りは、専門家にお任せしたいが、「普遍的に気付かれているものの密教扱いされており、また、分割統治の危険ゆえに、仲間内の結束が意識的に強化されている」という本文の指摘そのものについては、さほど的を外していないと考える。なお、「それでは、パートナーシップの起源は何なのだ?」とか問われると、答えに窮する癖に、直ちに調べようともしていない程、私の知力がポンコツであることは、公然の秘密というやつである。
[1] Divide and rule - Wikipedia
(2017年05月24日確認)
https://en.wikipedia.org/wiki/Divide_and_rule
[2] La bilancia politica di tutte le opere di Traiano Boccalini (Traiano Boccalini) : Traiano Boccalini : Free Download & Streaming : Internet Archive
(Traiano Boccalini, 1678)
https://archive.org/details/imgGI273MiscellaneaOpal
#当該の記述の「divide & impera」は、§136及び§225(§は段落数)
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