2017年4月11日19時~のTBS系『ぶっこみジャパニーズ』は、ドッキリものの構成を取り、海外の「トンデモ」日本文化に携わる人々に、その道の達人が「正しい」あり方を教えるというものであったが、その結果は、むしろジャパン・ディスカウントに与するものとなっている。すしについては、ロシアがターゲットとなっていたが、そもそも、なぜ、食を通じた友好の番組にしなかったのか。もっと言えば、なぜ、国際すし知識認証協会の風戸正義氏の活動のうち、冒頭に紹介していたような研修制度を軸とした放送としなかったのか。風戸氏の表情にも、何度か、やや困った様子を見て取ることができたのは、私の誤りか。冒頭、風戸氏が赤の広場を歩かされている場面は、法隆寺の前で、ロシア人がロシア帽を被らされ、歩かされるようなものである。
この内容の番組をゴールデンタイムに放送することは、日本国民の海外に対する誤解を増進させることにつながる上、海外からの批判を招きうる。この番組が日本人の自国文化に対する矜恃を驕慢へと変え得るか否かは、ここでは問題としないでおこう。それに、日本語話者が日本国民への影響を問題視するという論法は、普遍的に見られるから、私が指摘するまでもなかろう。問題は、このような構成の番組がゴールデンタイムに放送されているということを、海外の(ここではロシアの)有識者層が知ったときである。日本通のロシア人にとっては、今さらのことではあろうが、日本の視聴者は、随分と程度が低いものだと思われるであろう。番組中、ロシア国内でも風戸氏の実演が放送されたことが指摘されたが、その内容は、まず間違いなく、本番組の構成とは異なっていたであろう。TBSらしい、二枚舌のはずである。問題は、この二枚舌がバレたときである。
そもそも、ドッキリには、双方の了解が必要なはずである。そうでなくとも、食の変容という話題を取扱う番組は、二つの社会の双方に思わぬ影響を与えうる。番組の企画・制作担当者は、国際的な話題を扱う上での慎重さを有してはいない。なぜなら、本番組は、ロシア側から見る者にとっては、文化圧政主義とも、あるいはパターナリズムとも受け取られる余地を持つものであるためである。この指摘は、ジョン・ロールズ氏の「無知のヴェール」によって、十分に成立することが説明できる。つまり、わが国における他国籍の料理の変質を見れば、直ちに理解できる。
(風戸氏の言説に対してではなく、)本番組の「正しいすしを教える」との主張に違和感が拭えないのは、食事が文化を超えるときに材料や味付けが変わることを無視し、(極東アジア人から見て、)おかしな点だけを誇張しているからである。このおかしさを理解する上では、わが国において他国料理が変質した事例を挙げれば、十分に理解できよう。私は、スパゲティナポリタンが(大)嫌いであるが、たらこスパや和風きのこスパは好きである。食事として出されたら、どれも残さず頂くけれども、「ナポリタン」との名を冠した料理は、スパゲッティに対して失礼な味であるとも断じている。これらの料理のいずれも、指摘が誰によるものかに関係なく、イタリアンではないと言われたら、それはそうだろうとも思う一方で、たらこスパ辺りは、料理として成立していると評価して欲しいとも思う。大体、日本の洋食の多くに、グルタミン酸系の隠し味が使われているが、それは、日本人の好みに合わせたものである。
TBSには、このような構成を了解した理由について、説明責任が生じている。国際問題化したとき、TBSには責任を取ることはできないが、どのように「腹を切る」つもりか。海外の「誤った」業態に関与してきた人々に恥をかかせたという思いには至らないのか。このようなドッキリものの構成によって、自国の文化を見せびらかすことは、むしろ、日本国民の多数にとって、恥ずかしいことではなかったか。もちろん、放送局がTBSであるから、制作会社やプロデューサー辺りに内心何らかの「怨」の気持ちがあり、むしろ、本番組を通じてジャパン・ディスカウントを狙ったのではないかとも考えられる。
もっとも、本番組は、『ここが変だよ日本人』の成功を受けて、企画・制作されたという側面が大きいものと考えられる。この番組も、相当に悪目立ちする人物を使っていたが、結果的には成功したように見える。この成功に味を占め、昨今の「日本って凄い」と自賛したい日本国民の心持ちに迎合するよう、内容を過激化させた結果、このような逆効果となる構成が実現したのではないか。本番組は、雰囲気で突っ走るテレビ屋の悪い癖が出た結果であり、噴飯物である。
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