2016年1月13日水曜日

的確な資源配分における情報の重要性

 最近、ほかの人(リンク)や私の自宅周り(リンク)でのサイレン音の回数について記してきた。サイレン音の回数から救急搬送件数(率)をフェルミ推定することを考えるような陰謀論者がいるとは思えないので、これこそニッチと思って記している。これが何の役に立つかといえば、知的訓練くらいにしかならないと思われるだろうか。そんなことはなく、ここでの推定方法は、情報(化)社会以前の時代には、かなりの威力を発揮する考え方である。

 いつの時代でも、資源を的確に配分するためには(、あるいは資源を他者から搾取するためにも)、情報が鍵となってきた。過去の戦場において高所が重要であった理由に思いを馳せてみると、高所の方が視界が開けるから、という答えに簡単に辿り着くことができる。弓矢や投石器などが位置エネルギーを着弾時に運動エネルギーに転換できて(飛距離や威力が伸びるので)有利だから、というのも随分と正しい答えであるが、戦況の把握の方がより重要だと、私は勝手に思っている。クセノフォン『キュロスの教育』を読んでいると、ランチェスターの第二法則(損害比は戦力比の二乗に比例)に気付いているかのような表現にも行き当たる※1ので、情報に基づいて軍勢を集中することは、おそらく、相当の昔から経験的に理解されてきたことのようにも思われる。情報という点に注目すれば、高所の方が「自分たち(の軍勢)が自身を(丘などの向こうに)隠しつつ、相手を観察することが可能になる」という理由もある。

 情報がない中で状況を把握するという作業は、隠されがちな事象である「犯罪」を考察する上で、必要なものである。ミシェル・フーコーが指摘した「人の生命を管理する政治」=生・権力の基盤が統計にあることは、日本語の研究でも多く指摘されてきたことである。ゆえに、先進諸国であることを示す徴表として、統計の整備状況を挙げることができる。実際、犯罪統計のうち一般市民の興味を引くものは、「被害の認知」であろうが、非先進国では、犯人の検挙及び収監に係る統計だけが整備されていることが多い。開発が進めば、通常ならば、この状況は改善される。この状況は、外形的に見れば、市民の側の要請にも一定の配慮がなされたものと言える※2

 福島第一原発事故による今後の数年間の影響を見通すためには、ある程度の信頼がおける情報が必要である。金融市場で儲けを出すには、いつ、というタイミングが重要なのだという※3。私にGoogle様がこのようなウェブ広告をヘビーローテーションで割り振ってくるのだが、広告の指摘は、まあ正しいように思う。いつ、というタイミングを知る上での情報が必要なのは、事故の影響を見通す上で必要なことである。

 現場が統計を取れなくなるという事態は、早晩生じるだろう。しかし、わが国が先進国として実際的に機能しなくなったにもかかわらず、現場が統計を捏造しつつ、実務を頑張り続けるという事態は、特に、太平洋戦争時の南方戦線を参照する限りでは、絶対に生じる事態であると断言できる。山本七平の指摘した「員数主義」の再現である。現場(兵隊)が優秀過ぎるのも、全滅を避ける上では重要なことである。

 日本人の多くの(私や「1%」はそうではないが)職業に対する責任感の強さをふまえれば、ギブアップすべきタイミングを計り、悪い知らせを海外に報じることは、現在進行形で必要な作業である。ただ、私がギブアップサインを出しても、ま~たお前かとなるという問題も存在するように、誰がそのような話を伝えるのかは、政体のトップが平気で嘘を吐くことが許容されるわが国では、非常に大事な話である。ただ、綻びが至る所に見られるようになると、いかな統制の効いた状態のマスコミであろうと、上手の手から水が漏るということは十分にあり得ることである。マスコミの報じたニュースが思わぬ形で、ギブアップするきっかけを生じるかもしれない。

※1 第二巻、松本仁助訳, 京都大学学術出版会, 2004.だと、p.69。

※2 わが国は、市民革命を経ていないと良く指摘されるが、統計の作成においても、ディテールには、その指摘が良く適合する特徴が良く表れている。市民が自律的に規律訓練するためのツールとして統計が参照されている、という趣旨のことをイアン・ハッキング氏は述べている。他方、日本では、自分たちがより良く統治されるために統計を利用して社会を把握するという哲学は、さほど一般化されたものとはなっていない。このようなユーザ意識の成熟抜きに多種の統計が整備された事情については、ある程度の先行研究が学術横断的に散在しているようだということだけ、おぼろげながら知っている。この話は、機会があれば、まとめることに挑戦したい。

※3 しかしながら、私は、テクニカル分析を有用性のある方法だと思いつつも、邪道だと思っている。ファンダメンタルで儲けるのが筋だろうに、と思っている。というのも、テクニカル分析には、株式市場を賭博場としか見ていない無思想性が透けて見えるからだ。これは、もちろん、私の主観に過ぎない。

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