2016年1月11日月曜日

仮説:官僚の無知が「食べて応援」を具現化し被害を拡大した(メモ)

 「食べて応援」という内部被曝を促進する史上最大の愚策が具現化した原因のひとつに、政策形成過程に関与した人物らつまり官僚の無知も作用しているのではないか、と私は考えており、これを肯定する理由に、二点を挙げる。第一点目の理由は、学習の機会がなかったこと、第二点目の理由は、放射能の危険性を学習する行為が政治性を帯びたことである。第一点目の理由と第二点目の理由は、相互に補強する関係にあり、推移を追って理解する必要がある。その推移とは、政治性を帯びたために社会集団間で知識の偏在が生じ、その知識の非対称性が対立を激化させ、対立の激化が「食べて応援」しても大丈夫という政策判断を継続する消極的な理由となった、というものである。なお、本記事は、思いつきの域を出ないものであり、おそらく以前に読んだ吉岡斉氏の『原子力の社会史』などに書かれていたことを自分のものであるかのように錯覚している可能性が高い。仮に、この仮説がオリジナルのものであることが判明したとしても、その後に険しい道程があることが見えているため、本記事の中身の更新は、おそらく塩漬けになるだろう。

 私の見たところ、その経緯についての「物語」は、次の箇条書きのとおりである。被害者である読者に強調したいことは、私も、首都圏3千万人の居住者も、重篤とは言えないかもしれないが、福島第一原発事故の被害者と言いうることである。あらかじめ批判を封じるために述べておくと、以下に挙げる原爆被害の事例を取り上げることから、私が原爆被害者を悪魔化しているといった非難は、まったく的外れである。当時の政権こそ、正当な被害の補償から逃げ続けてきた責任主体であり、救済の時機を逸してきたのである。公害の被害者も、同様の政府の不作為に苦しむ時期が長かったと言える。
  1. 原爆による健康被害は、自民党政権により積極的な救済がなされなかった。
  2. いきおい、原爆被害者は、左派政党による支援をも頼ることになった。
  3. 左派政党による支援は、票田の獲得や冷戦下での共産主義国の擁護という政治的目的を併せ呑んで実施されたものであった※1
  4. このような動きが生じた後では、自民党政権にとって健康被害の積極的な救済に取り組むことは、金脈である原子力企業の足を引っ張ることになる上、左派政党を利することにもつながる。
  5. それゆえ、自民党政権にとって、原爆被害者の救済を可能な限り矮小化することは、正当性されることとなる。核爆弾や原発事故の被害のうち、直接被害は隠しようがないが、後発性のものは、極力認めない方が色々な面で都合が良い。
    • 誰の目にも見える形で健康障害が広範に生じるならば、患者は、政権に対して補償を要求するだろう。原因が分からないうちに医療を自由化すれば、カネになる。逆に、誰もが原因を知っているときに医療を自由化すれば、「一揆」が起きるだろう。TPPにおける医療の自由化という主題は、ここにも顔を出す。
    • 直接被害だけを強調することは、北朝鮮の核実験をはじめ、核の兵器利用だけを批判する余地を生むことにもなる。日本がクリーンハンドであるという外見を作り出すことにも貢献する※2
  6. 以上の経緯を通じて、核爆弾による晩発性の健康障害という課題は、政治性を帯びたために、少なくとも学習指導要領を所掌する側から見れば、公害と同様の程度の水準で、予防措置原則に立った学習課程に導入することが躊躇される要因になった※3
  7. 西側諸国の地上核実験に対する反対運動は、西側の核実験への反対運動が当時のソビエト連邦による核実験への非難を躊躇したことに端的に示されるように、学術的なものとはいえなかった。言い重ねると、紛れもなく政治的であった。
  8. 核実験への反対運動が左右の対立という政治性と分かち難いものとなったために、核汚染の危険性に対する研究へのインセンティブは損なわれた。放射線防護研究は、その性格上、秘密研究の側面を有する。研究材料へのアクセスも制限される危険性もあるため、原子力産業の利益を損なう結論を世に問う動きに着手することは、研究者に忌避されることとなった。
  9. 原子力(の平和利用)という分野が元から政治と密接な関係を有しており、それに反対する運動も政治的であったことは、無党派層への放射能(対策)についての知識の普及も妨害した。高木仁三郎氏のように、独力で原子力発電の危険性についての研究に取り組み、その成果を世に問う人物もいたが、それらの成果は、自己を確立した(人にどう思われようと信念を貫ける(立場にある))人々を除けば、福島第一原発事故以前は、波及しなかった。放射能の危険性に対して関心を抱くことは、左派であるというレッテル貼りに直結したからである。もちろん、核実験反対運動への反動として、原子力産業界~広告代理店~「右派」メディア~「保守」政治家といった関係者による安易なラベリング(=工作)自体が公益を損なったことも間違いない。
  10. その結果、社会集団間で知識の偏在が生じた。「意識が高い」が実証的とはいえない「左派」、その知識を「アカによるデマ」として反発する「右派庶民層」、実証研究を秘匿する「右派研究者」、知識のない「無党派層=ノンポリ」と戯画化できるだろう※4
以上にみたような、原爆による健康被害の認定に始まる政治的な動きが後世の知識の偏在を招くという帰結は、昭和30年代(まで)の公害※5においても、福島第一原発事故においても、共通の構図の下に生じたものである。日本の「政体」は、利益維持を目的として、正確な情報の流通を率先せず、ときに誤情報を流す。このため、これを是正しようとする野党や「反対勢力」側の(手下であると「政体」にみなされる)組織は、その状況を利用すべく動き始める。それら野党側の動きが与党に連なる者の感情的な反発を招く。結果として、国民の各層における知識の偏在が生じる。この構造は、不幸の連鎖と呼ばざるを得ない※5

 以上の構造を補完する要因として、次の項目を挙げることができる。
1. 原子力産業によるロビー活動に対抗する活動の(相対的な)不在
原子力産業は、学校教育コンテンツを多く作成するという方向でロビー活動を進めた。他方、放射性核種についての多面的な観点からの教育(、典型的なものが放射線防護という分野であろう)は、系統的な教育が存在したとしても、専門領域に留まるものとなった。チェルノブイリ原発事故を受けて、EU諸国が中等以下の教育課程や社会人教育までを更新したこととは対照的である。それ以前においても、核戦争への準備に係る市民教育の差に表れていたように、日本では、政府サイドによる放射線防護の市民教育は、決定的に欠落していた。また、日本型の寄付の風習は、必ずしも「市民サイドの公益団体」にとって好ましい状況ではなく、豊富な資金力を誇る原子力ロビーに対し、経済面で苦しい状況に立たされ続けてきたと見て良い。
2. ジェネラリスト重用型の行政
日本の労働環境においては、ジェネラリストが高い地位を占める慣習がある。この慣習は、担当分野において新任者が無知であることが前提となったり、肯定されたりすることがあるという、教育に本来期待される機能を軽視する要因ともなりうる。頻繁な異動は、新任者である→失敗する→異動する→「前任者のやったこと」であるとして失敗を糊塗する→繰り返し、という機能を果たしうる。この結果、「新規施策」は、転任が視野に入る時期に、副次的に行われることになる。極めて高い能力のジェネラリストから構成されているのであれば、このような異動制度は、大所高所からの社会の最適化を果たす機能を発揮したかもしれない※6
3. 政治における献金主としての企業
わが国の政界がアメリカと異なる点は、企業(の経営者)が専らの献金主として機能していることである。これは、良くも悪くも、政策形成における方向付けが固定されやすいという機能を有する。
4. 高等教育及び研究業界における慣習
科学教育における研究者の社会活動は、3.11のごく直前に一般化しつつあった程度に遅い歩みであった。過去の相対的に立ち後れた状態は、3.11直後、当該分野への研究資金配分の増加により、金銭面では対応されたが、他方で資金主への配慮(正確にいえば、忖度)を生み出した。
第一の理由、学習の機会がなかったことの事実関係を、研究者らしからぬ手抜きぶりで確認する。平成21年の学習指導要領理数編(リンク)において、中学校で放射線を学習することになったが、逆に言えば、それまでの間は、原子爆弾やチェルノブイリ原発事故が単に恐ろしいものという形でのみ、学習する機会があり得たということである。しかも、チェルノブイリ原発事故は1985年のことであるため、せいぜい40代までが学習の機会を享受できた世代である。この状態は、政策形成過程において、課長級が第I種国家公務員であった場合、中等教育課程までの間にチェルノブイリ原発事故の影響を学習したと認められるにもかかわらず、(無知である)上司の意向を忖度して、この段階で「食べて応援」という筋を決定したであろう。これに対して、制度上は考えにくいものの、状況が状況であるので、ノンキャリアの国家公務員が課長級ポストにあてがわれた場合も考慮すると、この場合には、内部被曝の影響について、十分な学習の機会のないままに大学生となっていた可能性が認められる。後者の場合、(積極的に)学習しなかったという点については、日本の大学生は、大学紛争以後、遊ぶことが通例になったのであるから、本人の過失の割合が小さくなるであろう。前者と後者の場合では、やはり前者であった場合の方が本人の過失の程度が大きくなるように思われる。

 「食べて応援」が官僚の無知によるものでもあるという私の仮説は、実は、日本語で記されている現時点の段階では、有用性が低い。なぜなら、この仮説は、たとえ正しいとしても、事故後の対応の拙劣さの原因を説明するものに過ぎず、日本語を公用語とする国が失われようとしている現在、失敗の教訓を他国に伝えるほかに有用性を発揮しないためである。この点、私の仮説は、たとえ成果を上げたとしても、その公表にあたっては、別言語に翻訳する作業が必要であり、これまた一段とハードルが高いことである。また仮に、私の説が誤っていたとしても、知識が活用されなかったことは、いわゆる平成25(2013)年4月に第二次安倍晋三内閣の下、復興庁が示した「原子力災害による風評被害を含む影響への対策パッケージ」(リンク)に明白に表れている。私の仮説が外れていたとしても、それはそれで有用な結果をもたらす。官僚の能力が期待されるよりも低度であったという可能性をつぶすことになるからであり、「それだけ賢いはずの官僚が、なぜみすみす稀代の大虐殺に荷担したのか」という考察へと思考を導くからである。いずれにしても、無知により「食べて応援」が推進されたという仮説は、当たるにせよ、外れるにせよ、仮説としてはリッチなものになる。

 ところで、「食べて応援」を含む「原子力災害による風評被害を含む影響への対策パッケージ」は、民主党政権の採用した対応を現政権が踏襲したものである。政権交代時に、大半の国民のための対策へと政策が転換されなかったという点は、「食べて応援」という政策における官僚組織(全体)の体面という要素の存在を暗示するものである。注意しなければならないのは、民主党政権自体が途中から変質していることである。農家に対する戸別所得補償制度は、仮に実現していれば、「食べて応援」に代わる政策として機能しうるはずであった案であった。正確には、民主党政権は、鳩山内閣から菅内閣へと移行したとき、また、菅内閣が脱原発を打ち出した後に野田内閣へと移行したときの2度にわたり変質したと言いうる。変質したときの各関係者の動きは、誰が日本国民のために行動しようとして、どのように失敗したのかを、遠い将来において確定するための材料となるであろう。現状では、まだ、このような動きを評価する環境が整うのか否か、趨勢を見通すことは難しい。

 最後になるが、内部被曝がなぜ外部被曝に比べて深刻であるのかという説明が(今さら?)必要かも知れない。空間上の位置関係は、被曝量に対する大きな差を生じる。同量の線源であれば、外部に存在していれば、密着して(体表面に付着して)いたとしても、被曝量は、線源から生じる全線量の2分の1で済む。線源から離れれば、生体の大きさにもよるが、急激に外部被曝量は減少する。線源からみた天球上における人体の形状の変化が無視できるくらいの距離に線源が存在するとき、ある距離における線源からの線量が分かっていれば、その距離を変化させた場合、距離の二乗に反比例して、人体の受ける線量は増減する。線源が人体に吸入されないように固定されていれば、除染の範囲が小さくとも被曝量を一定以下に維持できるかもしれないものの、現実はそうではない。他方、内部被曝であれば、排出されるまでの間、線源から生じる100%の線量を浴びることとなる。これに加えて、核種の崩壊に伴い生成された物質自体が毒性を有することもある。鉛が良い例である。


#まるで全方位攻撃のように見えるが、私の批判の対象は、あくまで「1%」である。官僚や与党の政治家は、当分の間、安定性を保証されているのであるから、聞くべきところは聞き入れ、日本のために横綱相撲すれば済むところ、姑息な真似がデフォルト状態だから、野党に足元をすくわれるように感じるのだろう、というだけの話である。

※1 善意や正義感も共存していたであろうが、それらだけによって支援が行われたとは言えないだろう。逆に、それだけのリアリズムが当時の左派に存在していなかったとすれば、それはそれで驚くべきことである。もっとも、中東諸国への自衛隊の戦闘行為を目的とした派遣が現実のものとなろうとした現在になって初めて、野党連合の構想が具現化し始めたことをふまえれば、その可能性がないともいえないだろう。

※2 北朝鮮の水爆実験の成功は、現実の可能性が高い。この成功に対して、(北朝鮮との人脈を現実に有する者を除き、)日本国民に出る幕などはなく、現在の日本国が関与できる余地もないが、日本国にとっては、憂慮すべき事態が一つ増えたことになる。日本の地位は、米朝関係に左右されることになろう。念のため記しておくが、私は、決して北朝鮮の成功を望んではいない。蛇足だが、日本語界隈においては、多様な命題に対して、特定の意見の組を強要し、そこから外れる意見の組をすべて、自らが属すると信ずるカテゴリに対置されるカテゴリへと短絡させるという言論の様式が普遍的に見られる。このような思考様式は、改められるべきである。

※3 ただし、往事の教育現場は、日教組の影響力を受けて、これらの話題を取り上げることがあり得ただろう。私個人は、原爆症について、現在得た知識以上に、十分な学校教育を受けたという記憶がない。公害に対する市民運動も、原爆被害に対する市民運動も、それぞれに苦難があったものと思う。ただ、現時点において、公害対策が現時点の放射能対策と異なり、一定の実効性を確立するに至った原因の一つには、環境に配慮した産業が競争力を有することが広く(経営者層にも)認められるようになった(=「環境立国」)という点も大きい、と私は考えている。つまり、カネになるかどうかがすべての分かれ目という、まことに寂しい原則の上に、わが国は形成されてきたのである。とすれば、カネの切れ目が国の切れ目となるであろう。

※4 なお、分かりやすさと社会集団における自己認識を尊重してあえて「左右」の語を利用しているが、ここでの「右派研究者」は「御用学者」であるが、実は、その本質は、企業に所属するのであれば企業共同体のみを共同体とみなす、また大学等研究機関に所属するのであれば、「科学」を信奉する、グローバリスト=左派インターナショナリストであると考えた方が、理解は正確になるであろう。

※5 水俣病における有機アミン説を想起すれば十分な例証になろう。

※6 現今のインターネットは分節化されており(イーライ・パリサー『閉じこもるインターネット』)、また、たとえ特定の情報が反対側の勢力に引用されようとも、断片的なものとなり、否定的なコメントとともに同様の思想様式を持つ読者に提供されるため、見解が固定化される度合いはむしろ高まっていると言えるかも知れない。

※7 低い能力のジェネラリストが一定数含まれれば、それらの低い能力のジェネラリストのレベルにまで、全員の能力の発揮される度合いが制限される。これは、行列の漸化式を用いて極限を求めれば、示すことができよう。ただし、2016年1月10日よりも以前の時点で、間違いなく、数理社会学の研究者がこのような研究を世に問うたものと推測するので、ここでは証明を省略する。



 なお、私の仮説についての先達がいるかどうかを確認するため、「"食べて応援" "中学" "教育課程" 因」という用語の組と「"食べて応援" "学習" "課程" 因」という組により、Google検索を行った。全文検索できる論文であれば、これでカバーされるはずである。検索結果の数は少なく、ほとんどが「食べて応援」を肯定する内容であり、中学校で「食べて応援」を実施したものも含まれた。

 唯一の、最も近い検索結果は、『NHK特報首都圏』の番組に寄せられた意見であり、次のようなものである。
『放射性核種の崩壊の性質は義務教育課程で学んでゆくべきだと思います』
(...略...)冷静に、正しく状況を見極めるには、これらのシステムや、反応原理、放出放射線の性質に強度・半減期等を学んでいるべきなのではと、今更ですが考えています。 私自身は理系(医学系)大学の出身で、(...略...)実験経験もあるので、それなりに分かって静観することができます。 でも、一般の大多数の方々はそうではないのが、今回の大きな不安の主原因ではないでしょうか。今からでも、専門家にじっくり講義してもらう番組をNHKでは作製して、ヘビーローテションで流してはどうでしょうか?(...略...)科学的に解説が根拠を飛び越したものになりがちで、不安を払しょくする助けになっていない気がします。(...略...)今後の話ですが、原発を知る上で放射性核種の崩壊の性質は義務教育課程で学んでゆくべきだと思います。(...略...) (36歳・女性・千葉)



参考1:巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8430266/www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a165256.htm

参考2:衆議院議員吉井英勝君提出巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問に対する答弁書
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1364680/www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b165256.htm
御指摘の「長期にわたって見逃してきた」の意味するところが必ずしも明らかではないことから、お答えすることは困難である
#この答弁を制作した人物の頭の構造を知りたい。「厳正に対処しており、問題を見つけ次第、改善している」というのが大多数の国民に奉仕するための筋だろうに。

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