#気が付いては忘れる、の繰り返しなので、大部分が過去の記事と重複するのだが、忘れないうちに記しておきたかった。
古歩道ベンジャミン氏の文章の良いところは、段落読み(paragraph reading)できるところにもある。古歩道氏の報じる内容は、もちろん、(日本語においても、英語においても、)他のジャーナリストと内容が重複しない一次情報提供者による「ニュース」であることにもセールスポイントがあるのだが、いち研究者(落第)から見て、古歩道氏の「売り」は、それだけではない、ということである。このほか、日本語における文筆業×陰謀論という組合せの人物としては、田中宇氏くらいが、段落に一主題という条件を満たしつつ段落読みに近い読みを許す文章を問うておられるので、貴重な存在であることが際立つのである。念のため、段落読みできる文章とは、(1)一段落一主題で記述され、(2)段落の最初に段落の内容を説明する主文(トピック文)を置き、(3)同じことは繰り返さないで構成された文章を指す。段落の主文だけをつなげて読むことにより、大略を掴めるようになっているのである※。
※ もっとも、このルールの整備について、私はまともに論文等に当たったことがない。経験だけに頼って記すと、明らかに20世紀初頭の研究論文は、きわめて冗長であるので、徐々に整備されたのかな...というくらいにしか理解していない。このペースでは、死ぬまでに「学術における基本とは何ぞや」と言える人になりたいという理想を叶えることは、まず無理そうである。
ある分野の研究論文や著作が段落読みできるかどうかは、その分野の成熟度を測るバロメータとなる、と私は考えてきた。研究者の記述した文章であっても、段落読み/書きの訓練を受けていないものは多く見られる分野に身を置いてきたがゆえである。訳本の水準も、訳者が段落読みを知っているかどうかで随分と変わる。私が研究者としての成果を出せないのは、そうして他の研究分野に素人ばりに目移りしまくっているからだが、日本史の研究者が総じて段落読みできる文章を記述しているところを見ると、面白いものだと感心する。陰謀論者が、このように国際的水準に達している文章を記す研究者に、この基本を知らずに中身に噛み付くからである。研究の作法を知らないという点で不用意であると同時に、研究の中身に容易に達する点で、素人の突き付ける刃の鋭さか、とも感心する。この点、陰謀論の文筆家は、今後、古歩道氏(の文章作法)を見習うべきであろう。
1月19日の件は、掲示板『阿修羅』に漏れ聞こえてくるのだが、日本語でも知りたいな...と思ったりもする。
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