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2017年11月11日土曜日

(メモ)大袈裟太郎氏の逮捕は、それだけに留めるべきである

(むき出しの・生まの)暴力が現に猛威を振るうとき、庶民がいかに抵抗できるのか、実のところ、私には、最善の方法が分からない。この問いに対して、エラそうなことを本ブログで散々書き連ねてきておいて、実は、私は、自分用の(小乗仏教的で卑小な)対策しか用意できていない。その対策とは、「非暴力無抵抗を理想とする」というものであるが、実際には、「殴られたら、殴った相手に応じて、合理的に判断する」ということになるであろう。とは言っても、自分が知情意を制御できない種類の弱い意志の生物であることは、十分に理解しているつもりであるので、基本、目に見える危険には近付かないというのが、ひよわな私の対策となっている。もっとも、言論だけに限定すれば、十分な数の敵を作ったし、本ブログを通じて、己の職分を果たせてきているようにも考えている。

ソクラテスの毒杯の故事・20世紀型の非暴力的抵抗、いずれが望ましいのかという問いも、自分以外の人々については、私には答えを分かりかねる。ただし、積極的に暴力を拡散させるという姿勢だけは、これが戦争屋の手口と轡を並べることになるために、拒否したいと考えている。沖縄における基地反対運動は、抵抗する市民の側から積極的な暴力を肯定するようになったとき、完全な失敗と抑圧か、あるいは流血を伴う本格的な独立運動へと、質を転化させることになろう。いずれの将来シナリオも、第一義的には、政体と警察の失敗であるが、副次的には、沖縄からの米軍基地撤退を願う人々の失敗ということにもなる。ただし、沖縄の基地問題の解決を平和的に願う人々に、この悪い結末の責任はない。沖縄の人々が今回の選挙戦において、民意を示してきたからである。彼らは、結果として、圧政の下に置かれ続けるに過ぎないし、私を含めた本土の日本人の大多数もまた、意図はともかく、結果としては無作為であった。ただし、われわれは、沖縄の人々の負担を本土の人間が負わないことを享受するよう認めたことになっているのであるから、それに伴う帰結をも引き受けるべきであろう。

日本では、多数派を自認する人々が自ら悔い改める機会が少ないために、巡り巡って、「一億総懺悔」が強制されることになりがちである。皆が細かな改善を繰り返していれば、破局を経験せずに済んだのに、というケースは、どのような職業人でも、誰しも、自分の職掌について思い当たるのではないか。沖縄の米軍基地負担の軽減や、福島第一原発事故の避難者に対する生活保障の打切り(や自主避難者の当初からの切捨て)は、いずれも、この典型的な「共有地の悲劇」である。多数派の安逸・怠惰は、総懺悔のときにあっても、多数派として、総懺悔への圧力を招く。3.11後の自粛ムードが端的な事例である

戦争屋は、彼らが利益を得ようとする国において、少数派を独立させようとする運動に関与することがある。分割統治と抑圧、流血と混乱は、それぞれが、戦争屋にとって、利益を上げることのできる両極である。彼らは、それなりに狡猾であり、人々の欲望を嗅ぎ当ててきたからこそ、現在の地位を確保し(、その方法論によって、失おうとし)ているのである。2017年に話題となった民族独立運動には、クルド民族、スコットランド、カタロニア、沖縄などがある。(私から見れば、日本はそうではないが、)イラク・クルド以外、先進諸国と呼べる地域で独立が志向されている点は、戦争屋の動きが先進諸国を対象としたビジネスを変化させつつあることを、良く示している。なお、報道が重点的になされているということは、そこでの画策がなかなか上手く行っていないという証拠でもある。便りがないのは、戦争屋にとって、良い便りであるという点を警戒すべきである。

地方分権制度の推進は、戦争屋が付け入る隙を与えることにもなりかねない、諸刃の剣でもある(。本ブログでは、何度か繰り返した)。戦争屋のイヌが権力に潜り込む余地を拡げるからである。ただ、本段落に示した「理論」を知っていれば、戦争屋の介入に対する警戒が必要なこと自体は、直ちに理解できよう。それに、幸か不幸か、わが国の地方公務員は、ここに示した戦争屋の方法論をいなすだけの潜在的能力と、その能力を存分に発揮すべき程度に高額な給与、の双方に恵まれている(。本題に入る前になるが、大袈裟太郎氏がツイッターで沖縄県警察の警察官の対応を評価していることは、その現れである。(擬似的なものではあろうが、)この信頼関係が生まれたことを、前もって、評価しておきたい)。


これで自論を展開する準備ができたので、本題に入ろう;大袈裟太郎氏が2017年11月9日に逮捕されていたことをようやく知ったのであるが、石原岳氏のツイート[1], [2]は、彼が矢部宏治氏と須田慎太郎氏を案内したところに大袈裟氏を引き合わせようとしたその日に、逮捕が行われたと明らかにしている。このタイミングは、石原氏の指摘するとおり、ある意味伝説となってしまうであろう。『産経ニュース』によれば、その罪状は、威力業務妨害罪および窃盗罪[3]である。威力業務妨害は当然であろうし、窃盗も構成要件を満たしてはいるが、何とも「転び公防」風の屁理屈である。大袈裟氏自身は、現行犯逮捕を免れようとしたようではあるが、その様子は、どちらかと言えば、彼自身の怯えが表れたというよりも、展開の唐突さに驚いたからではないかと見える。機動隊員が十分に配備された場所で、彼(ら)の所有物を占有したと言えるのか?という疑問も湧く。

『産経ニュース』の記事の後半部分[4]では、地元住民として、依田啓示氏のコメントが引用されるが、暴力を避けるという点から見て、依田氏は、地元住民として挙げるには不適当である。依田氏は、ツイッター上でも、強い調子で大袈裟氏に非難を加える[5]。他方、同じ『産経ニュース』によって、依田氏は、2016年9月17日に起こした傷害事件によって、今年7月31日付で沖縄地検に起訴されたことが報道されている[6]。ただし、この記事において、『産経ニュース』は、依田氏を「依田代表」と呼称しており、その理由を逮捕や拘置がなかったことに求めている。『産経ニュース』は、このような事例に該当する事件について、「被告」の呼び名を当人に冠していないのかと気になる。

依田氏の起訴された事件については、依田氏[7]と被害者[8]との主張に大きな差がある。しかし、依田氏が被害者の携帯電話を投げ捨てた点については、書類送検という結果となっている。また、被害者が携帯電話を道路外に投げ捨てられたことを指摘している。これらの両点をふまえれば、視聴者は、相当の有形力を依田氏が行使したものと考えることになろう。つまりは、被害者の言い分を全面的に受け入れることができるように思われる。なお、被害者のインタビュー[8]は、『Osprey Fuan Club うようよ対策課』の記事[9]を端緒として知った。

市民の「検問」活動は、依田氏による傷害事件の契機となったが、この活動を山城博治氏が主導し、殴られた被害者が当日初めて参加したことは、一抹の謀略の臭いを感じさせる。一般の国民が検問を張ることは、少なくとも道路交通法違反になることである。山城博治氏が体を張るタイプの歴戦の活動家であることは、広く知られている。他面、「両建て戦術」は、陰謀論に深く親しむ人ならば、良く知る方法論であるが、山城氏のことを表面的にしか知らない人の過半数は、この戦術を知らないのではなかろうか。一人の暗殺者が双方の陣営に銃撃を加えることによって、大流血の事態が起きるという話は、本ブログでも示したことがある(例:2016年9月1日)。依田氏の事件の結果は、比較的穏当ではあるが、真に平和を願う人ならば、両建てが企図されていたという可能性を検討しなければならない。依田氏よりもカッとしやすい人物が停止させられようとして、人身事故となる危険も、ゼロではなかったろう。起訴事実の段階ではあるが、依田氏自身にも、車を停止させるのではなく、アクセルを踏む危険な心が内包されていなかったとは、依田氏以外の誰が信じ切れようか。

山城氏の検問活動は、米軍基地の負担集中という既成事実を踏まえたとしても、マスコミなら山城氏自身と対極に配置するであろう人々の心情と通底するものがあり、この点、批判する側も肯定する側も、立ち止まって考える必要がある。というのも、山城氏のこの活動自体、自主防犯パトロールに従事する人々の心性と相似したものを認めることができるためである。しかし、それだけでなく、山城氏は、自主防犯パトロールに比べ、他者に対して、身体を賭けることを過剰に強いてはいまいか。高齢者ほど、交通戦争と呼ばれた時期を通じて、「車は凶器になり得る」という事実を知っているはずではないのか。ボランティア保険は加入できないであろうが、防犯を目的とするNPOのふりをするというブラックユーモアは、山城氏からは出てこないのではなかろうか。(この指摘は、このような両建てを本件に見込む私自身にも該当するが、)他人を故意に傷つけたり、(犯罪者として)陥れようとする人物たちを、人は信用するものであろうか。ただでさえ、人は、容易に間違えるし、失敗する。人身交通事故がなかったというのが不思議な程である。この点、依田氏の起訴事実がたとえ間違いないとしても、情状酌量の余地があると言えないであろうか。

この相似形を考慮した場合、警察は、大袈裟氏を抵抗のアイコンへと仕立て上げることのないよう、より過激な闘争への途を選び取らせることのないよう、全力を尽くさなければならない。それが、大袈裟氏の逮捕を実行した人物らのマッチポンプのケツを拭く上での、警察の責任である。その処方箋として、私が考えられるものは、題名に示したとおりのものしかない。「保守」は、丸山眞男氏を本富士署で失ったと言えるが、丸山氏は、その文章に(改めて)接すれば、両建て構造に気付いていた節が認められる※1。われわれは、トランプ氏のアジア歴訪を経て、われわれ自身のために、ますます、狡猾でなくてはならない時期を迎えつつある。


※1 ただし、その気付きが正式なトレーニングによるものか、独学によるものか、(こう表現すると不遜ではあるが、)一種の野性の思考に留まるのかは、私には、まったく分からない。なお、東京女子大学に寄贈された丸山氏の資料群の中には、シュペングラーの名が、全集の一部として見られる程度である。国際政経学会筋は認められないし、ゾンバルトもない。全くないというのは、却って、生前に処分されたという場合も考えられなくもない。が、その経緯を詳しく調べもしていない。


[1] (石原岳、2017年11月9日23:55)

[2] (石原岳、2017年11月9日23:56)

[3] 辺野古で逮捕された「大袈裟太郎」容疑者 基地容認派も知る“有名人”だった(1/2ページ) - 産経ニュース
(高木桂一、2017年11月10日14:38)
http://www.sankei.com/affairs/news/171110/afr1711100055-n1.html

[4] 辺野古で逮捕された「大袈裟太郎」容疑者 基地容認派も知る“有名人”だった(2/2ページ) - 産経ニュース
(高木桂一、2017年11月10日14:38)
http://www.sankei.com/affairs/news/171110/afr1711100055-n2.html

しかし法を逸脱して傍若無人に振る舞う左翼・反基地活動家にあって、わけても「大袈裟太郎」容疑者の評判は基地容認派の間で散々だった。

〔...略...〕

〔...略...〕

「相手が無抵抗だと罵声を吐いて挑発し揚げ足をとり、いざ検挙となると急に縮み上がって主張を引っ込める小心者。こんな輩が社会を荒らしている」

同容疑者の行状をよく知る農場経営の依田啓示さん(44)=東村=は自身のフェイスブックにこう投稿した。

[5] (依田啓示、2017年11月10日07:24)

[5] 那覇地検が依田啓示代表を傷害罪で起訴 基地移設反対派の男女を殴り、けがさせた罪状で 依田氏「とことん闘います」(1/2ページ) - 産経ニュース
(WEB編集チーム、2017年8月6日12:00)
http://www.sankei.com/premium/news/170806/prm1708060028-n1.html

〔...略...〕傷害の罪で沖縄県東村平良、カナンファームの依田啓示代表(43)を在宅起訴した。起訴は7月31日付。

〔...略...〕

依田代表は起訴事実を否定している。傷害容疑とともに送致されていた器物損壊容疑は起訴猶予、窃盗容疑は嫌疑不十分で不起訴。

[6] 那覇地検が依田啓示代表を傷害罪で起訴 基地移設反対派の男女を殴り、けがさせた罪状で 依田氏「とことん闘います」(2/2ページ) - 産経ニュース
(WEB編集チーム、2017年8月6日12:00)
http://www.sankei.com/premium/news/170806/prm1708060028-n2.html

依田代表は被告だが、那覇地検の処分は在宅起訴で、逮捕や拘置をされていないため、他の例にならって、肩書き呼称とした。

[7] 20170321 NO HATE TV第12回「ニュース女子検証第5弾 沖縄裏取り旅行その2〜基地反対運動現場のナマの声」 - YouTube
(のりこえねっとTube、2017年3月21日)
https://www.youtube.com/watch?v=ANHXem6hpx0

[8] 正す会第1回定例会 衝撃的事実発覚!依田啓示さんが起訴される!?東京記者会見報告 - YouTube
(我那覇真子、2017年03月20日)
https://www.youtube.com/watch?v=k9Vwz-nqo0s&t=44m17s

[9] デマと嘘の流れる地から、また依田氏のトンデモなウソップ ① 依田氏の高江暴力事件 - Osprey Fuan Club うようよ対策課
(truthaboutokinawa、2017年3月26日)
http://uyouyomuseum.hatenadiary.jp/entry/2017/03/26/093137

2017年4月18日火曜日

日本の言論状況に最も必要とされるのは自己検証サイクルである(1)

#本稿は、内容が随分と薄いが、2015年中の記事の後継でもある。が、例によって尻切れトンボとなる可能性も高い。期待しないでほしい。

危機においては対応力が重要である

以前の記事(2017年4月15日)よりも先に、『ハフィントンポスト』日本語版に熊代亨氏の「「みんなの知恵を集めたら」「ネットの知恵が薄まった」」が転載されていたことを、脱稿後に確認した。前稿に述べておいたように、私は先取権を主張していないが、熊代氏が現今のウェブを説明する上で使用したキーワードが類似しているために、インスピレーションを受けたか、パクリかと読者に誤解されることは、致し方ないことである。他方、拙稿が「犯罪を企図する側からの視線」「脆弱性をクラックする側の視点」を元に、ウェブ上のBtoCプラットフォームを舞台に繰り広げられる個人主義(反社会的行為)・拝金主義を素描し、その対策(の難しさ)を指摘しようとしたことを、読者にご理解いただけるのであれば、それ以上に幸いなことはない。

15日の記事は、「ぱよぱよち~ん」事件に言及した2件の拙稿(2015年11月4日2016年1月23日)の自己検証という意図も有している。アフターフォローの結果、私が北朝鮮のミサイル発射に絡めて揶揄した中央線自転車投入れ事件の犯人逮捕(2016年2月4日)を見逃していたことが明らかにされた訳でもある。ただ、中央線事件に係る私の指摘の要諦は、「JR東日本は、テロ対策が困難であるとして現状を放置するな」というものと「警察は早く犯人を逮捕しろ、テロ対策上、重要地区ではないのか」というものであったから、3カ月遅れの犯人逮捕の報によって、主張の本筋の正しさが失われた訳ではない。また、別稿(2017年4月13日の注1)で、本ブログの記事は、普段から網羅的に資料収集した上で執筆しているものではないことをわざわざ断った直後のことでもある。資料収集の網羅性の難しさについては、(エビデンスという用語の悪用と、この用語に対する誤解とに絡め、)別途言及する予定がある。

#網羅的に資料収集するなら、事業化が必要である。ゴミには、自腹を切りたくない。本当は、経費にするのも勿体ない。それに、本ブログでは、有料コンテンツによらずとも再現可能という制約条件を置いている(つもりである。良く逸脱するが)。その上、この理由が最大の不確実性であるが、事業化するのであれば、営業活動もしなければならない。それでは困る向きもあろう。

危機(失敗が顕在化したとき)において、修正力が必要とは良く言われることである。およそ、あらゆるスポーツで修正力・対応力が必要であろう。この意見は、羽生善治氏の『決断力』(角川書店, 2005)に丸乗りしたつもりであるが、パラフレーズの仕方が誤っているかもしれない。あからさまな実力差がなければ、多くの勝負事では、いずれの対応力が上であるかが、勝敗を決定付ける主要な要素であろう。この傾向は、終盤に至っても、一発逆転となる経路が多めに用意されている、e-スポーツにおいて顕著である。もっとも、この傾向が顕著なゲームは、ちょっとした気の緩みで、先手を打ってから状況をコントロールしようとする、つまり先行逃げ切り型の戦法を採るプレイヤーが不利になるから、ときに「運ゲー」と評されてゲーム自体が敬遠されてしまいがちである。他方で、この傾向が少なければ、「初心者殺し」となりがちであるから、やはりゲーム自体が寂れてしまいがちとなる。このバランス調整の難しさは、ゲームの話であるから、現実社会において適用可能ではない。ただ、このゲームにおける特徴を考慮しながら現実社会の歴史を見ると、黄金期を迎えている社会を後追いする社会の方が有利であるように見える。とすれば、先行する社会の優位を維持することの難しさは、国民(なり権力者なり)の高い能力を必要とするものであるから、評価されて良いことであろう。特に現代において覇権を維持することは、覇権国に高い能力を要求するのではないか。

この点、18世紀からの世界の覇者であった英国(スペイン無敵艦隊撃破後とすれば、16世紀でも良いが、そこら辺はユルユルで行かせて欲しい)は、技術の進展が著しい近現代においてなお、相当の難局を乗り切り、現在の地位を維持している外交巧者である※1から、われわれ日本人が英国の得意技に学ぶ価値は、大いにあろう。たとえ、外国における基本技が、分断統治(divide and rule, 分断して征服せよ(divide and conquer)とも、分割統治とも。原語が英語だし、定訳にこだわることもなかろう)という、えげつない方法であるとしてもである。第二次世界大戦に至る極東情勢は、ある意味、大日本帝国の軍部が、この分断統治の術中にまんまと填まるまでの過程でもある。(現在の日本人より、往事の日本人の方が、アートとしての政治の能力が高かったようにも思えるが、それでも、欧米列強に良いようにやられたものと、私は理解している。国際上の競争相手が上手だったとも言えるが、とにかく、相対的な集合的知性において、劣っていたという形となる。)

分断統治という「密教的に・敵に対して用いられる・悪の手法」は、英国の内政において重要性が強調される多機関連携(partnership)という「顕教的に・味方を結束させる・善の手法」と対をなす概念でもあり※2、英国の内政は、この重要性に対して、完全に意識的である(外交については、不勉強も良いところなので、結論しかねる)。勉強不足のまま、知ったかぶりするのもアレだが、分断統治という概念には、おそらく、「内線作戦(interior lines of operations)」を採るナポレオンにしてやられたときの教訓も生かされているのであろう。ナポレオンは、機動力を生かし、局所的に数の優位を作り出し、孤立した敵を個別に撃破していくという内線作戦を展開した。この話は、軍事学の基本に属するものであるが、(国際主義系の)マルクス主義から省庁縦割りまで、連関する概念に事欠かないものでもある。

(次稿(2017年4月20日)に続く)


※1 ただし、(特に福島第一原発事故について、)英国だけの利益になるように動いてしまう日本人が実在することと、英国が外交巧者であるということとは、切り離して考えるべきである。ある国が「犬」になって動いてくれる外国人を多数抱えているからと言って、その国の政府が道義に悖ることをしていることにはならない。フランスにせよアメリカにせよ、他国民が羨む文化を成熟させることにより、その国の「ファン」に(勝手に)なる個人を外国に増やしているのである。

※2恥ずかしながら、この文章を書いていて、私の中で、分断統治と多機関連携の両者が、初めて対になって理解できた次第である。『国際秘密力研究』の菊池氏の「両建て」を深く考えてみなければ、この考えに到達することはなかったであろう。これだけでも、陰謀論とされる分野を勉強しつつある甲斐があったというものである。菊池氏自身の警告「欧州派」すなわち「憑依系の思考に取り込まれる危険)を無視している形となるが、私は、危険を承知で「両建て思考」を意識的に利用して、学術研究における既存の概念を再解釈していることになる。




2017(平成29)年4月20日17時15分追記

"divide and conquer"の訳語に「分割統治」を加え、菊池氏の警告に係るリンクを加えた。過去の記事(2016年9月1日2016年8月20日2015年11月16日)との連関も高まったものと思う。なお、「両建て思考」に通じているであろう人が、西側由来の思考法によりながらも、菊池氏も志向するであろう平和な国際社会の構築に貢献するという事例は、いくつも存在する。最近の顕著な(平和に貢献しうる)事例は、シリアにおける化学兵器攻撃疑惑に対しては、英国の元在シリア大使であるピーター・フォード氏(Peter Ford ex-UK ambassador to Syria)がアサド政権によるものとは合理的に考えられないことを指摘した事例が挙げられる。(日本由来の「脱両建て思考」のように「良い」)思想も大衆に使われなければ意味が無いという辺りの話は、吉本隆明氏の思考の中心にあったことと思うが、菊池氏と吉本氏の思想に係るこの表現は、ガバガバな私のパラフレーズなので、両方とも、各自が直接原典に当たり考察すべき事柄であろう。

As it happened: Global reaction to Trump missile strikes - BBC News
(Today Programme, BBC Radio 4、2017年04月07日16時46分)
http://www.bbc.com/news/live/world-us-canada-39521332
#このフィード中、かなり下の方の「Ex-UK ambassador to Syria: 'No proof' of chemical attack」を参照。

Ex-UK Ambassador To Syria Questions Chemical Attack; "It Doesn't Make Sense, Assad Is Not Mad" | Zero Hedge
(Tyler Durden、2017年04月07日15時58分)
http://www.zerohedge.com/news/2017-04-07/ex-uk-ambassador-syria-questions-chemical-attack-it-doesnt-make-sense-assad-not-mad
#(2017年4月23日)このサイト(zerohedge)に挙げられたインタビューがいかなる経緯で掲載されているのかは未確認。




2017(平成29)年5月24日追記・訂正

"divide and rule"ならびに"divide and conquer"の訳語を訂正し、薄いオレンジ色で修正箇所を示した。『ブリタニカ国際大辞典(2004年版)』はルイ11世の言葉であるとしている。英語版『Wikipedia』[1]を参考にすると、出所の確認可能な書籍には、トライアーノ・ボッカリーニ(Traiano Boccalini, 1556~1613)の『La bilancia politica』[2]があるようである。概念そのものについて紀元前に遡ることができることは、衆目の一致するところであると言えよう。この手の起源を探索するという作業の骨折りは、専門家にお任せしたいが、「普遍的に気付かれているものの密教扱いされており、また、分割統治の危険ゆえに、仲間内の結束が意識的に強化されている」という本文の指摘そのものについては、さほど的を外していないと考える。なお、「それでは、パートナーシップの起源は何なのだ?」とか問われると、答えに窮する癖に、直ちに調べようともしていない程、私の知力がポンコツであることは、公然の秘密というやつである。

[1] Divide and rule - Wikipedia
(2017年05月24日確認)
https://en.wikipedia.org/wiki/Divide_and_rule

[2] La bilancia politica di tutte le opere di Traiano Boccalini (Traiano Boccalini) : Traiano Boccalini : Free Download & Streaming : Internet Archive
(Traiano Boccalini, 1678)
https://archive.org/details/imgGI273MiscellaneaOpal
#当該の記述の「divide & impera」は、§136及び§225(§は段落数)