2017年9月6日水曜日

(メモ)『LA 92』にも暴動を悪化させた「X」ロゴの野球帽の男たちが映り込んでいる

カネで雇われた工作員が平和的なデモを暴動へと激化させるという筋書きは、近年の「カラー革命」に良く見るパターンであるが、ナショナル・ジオグラフィック日本語版で最近放送された『LA 92』[1](日本における初回放送は、2017年8月29日22時、次回放送は、9月10日19時~[2])にも、そのような走狗と思しき人物たちが映り込んでいる。ロスの中心部に係るテレビ中継を再編集した「Parker Center: Downtown Los Angeles」の章では、徐々にエスカレートする抗議の様子が映されるが、その中で、黒地に白字の「X」のロゴが入った野球帽を被った人物たちは、警官への挑発を最前列で行い(録画開始時間から01:04:28、途中、1分40秒分のCM含む)、騒ぎの中心に陣取り※(01:04:39)、星条旗を燃やし(01:04:44)、公園の守衛所に殺到する人々の最前列に身を置き※(01:04:52)、ゴミ箱を守衛所に投げつけ※(01:04:59)、裁判所?に火の付いた紙の束を投げ込んで(01:06:39)いる。※印は、同一人物のようにも認められる。例外的に、立木に放火した肌の浅黒い男(ネイティヴ・アメリカン?)は、単独でカメラに写り、率先して犯罪を犯しながら、この野球帽を被ってはいない(01:05:11~)。撮影クルーは、極端な行動に興味を持つであろうから、極端な行動を取る者ほど、カメラに撮られることになる。撮影クルーの一部に、彼らと知り合いであったりグルであるという人物は含まれるかも知れないが、全員がそういう訳ではなかろう。Xロゴの野球帽を被った人物たちは、総勢100名を超える一般人が映像に示される中、極端な行動を取る一方、このキャップを被った人物たちが後ろの方で佇んでいたり、ほかの抗議者と同程度の(口だけの)抗議を行うことはない。彼ら「Xメン」に触発された人々が過激な行動に走るようになると、映画の流れの中では、彼ら「Xメン」は掻き消えてしまう。「X」ロゴは、マルコムX氏の暴力による抵抗を想起させるが、彼らが何者であったのかは、2022年以降に調べるなどしなければ、分からないのではと予想する。

パーカー・センター地区の中継映像に映し出された民衆が、「X」帽子を着用していたか否かと、他者を犯罪へと誘導するように犯罪を率先して実行したか否かは、次表のとおりにまとめられる。合計人数が100人というのは適当ではあるが、100人以上が合計で映されているように判断できるので、合計100人と仮定しても、主張の根拠は揺るがない。もとより、同一人物であるか否かを同定するのも困難な(暗所で撮影された)映像群であるから、顔認証などによる人物同定を試みるということは(、現時点ではできないし、)しない。一つだけ言えることは、明確に目的意識を持って犯罪を行おうとして同所に集合した人物というものは、それほどいないということである。


〔表頭〕犯罪を率先→
〔表側〕「X」帽子の着用↓
率先あり率先なし
帽子あり40
帽子なし1$\geq$95

日和見的な犯罪者たちは、結果として、この作品の中、至るところに映し出されているが、彼らを焚き付ける者がいなかったとすれば、必ずしも大暴動が生じなかった可能性も認められる。印象深いのは、韓国系の中年女性が「ここはアメリカだ」と叫び、素手で店舗の窓に立ちはだかるところ、あえて中に押し入ろうとした人物は、その場にいたうちの二人だけ(特に一人だけ)であったというシーンである。そのほかの暴徒は、押し入るか否かを躊躇しかねていたようにも見えたのである。58名の死者、2383名の負傷者が生じたという結果は、厳然たるものではある。ただ、個別の状況がいかに変化したのかは、なお、その場のなりゆきによるものとも思われるのである。

このキュレーションは、もちろん、監督のダン・リンゼイ氏とT・J・マーティン氏の観察眼によるものである。この「人工芝運動」を確定的に提示して見せた先取権は、簡単にググってみた限りでは、彼らのものである。(本当のところは、深掘りしてみないと確定できないが。)視聴者である我々の側にも「見る目」があれば、この理解に至ることは容易である。本作は、わが国の探偵ドラマよりも、はるかに物事の真相を見抜くことができるという点で、ミステリ映像であると言えよう。本作が2017年の現時点で放映されることには、当然、シャーロッツヴィルで同様の計画が進んでいたことを暴くという意味があろう。

『LA 92』では、終盤の映像を通じて、非暴力の重要性が訴えられる。戦争屋の計略に乗せられないために、非暴力は有用であるが、非暴力は無抵抗を意味しない。この点、わが国には、非暴力を阻害するような構造的暴力=組織性が非常に強固に存在しており、なおかつ、『LA 92』にも見たような、ある種の計略の存在については、これを組織的に否定する数々の勢力が認められる(。原発ムラは、その端的な事例である。「トンデモ」ウオッチャーに係る前稿2017年9月3日の解説も参照されたい)。わが国から単に目に見える暴力を排除するだけでは、なかなか、非暴力を貫くことは困難と見える。私が色々と先回りして予測しておくと、日本国民は、一時代において、大抵が百姓だったのだから、逃散という方法論を深く学び、応用すべきであろう。

『ナショナル ジオグラフィック』は、以前にも言及した(2017年11月6日)ように、放送局の中では、良心的?に放送する組織である。読者が適切に解釈すれば、風見鶏代わりになるとも言えよう。解読を必要とするところは、一般人向けとは言えないかも知れない。ナショジオも、『LA 92』のような番組を放送するからには、天網恢々という考え方を信じている節があるようにも思えてしまう。劇中では、パパ・ブッシュが何もしなかったという批判が示される一方、ビル・クリントン氏も登場し、アメリカの多様性が力とも分断ともなると訴えている。



[1] LA 92|番組紹介|ナショナル ジオグラフィック (TV)
(2017年9月6日確認)
http://natgeotv.jp/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/2285

[2] 日本語版PDF(ナショナル ジオグラフィック(TV)番組表 2017年9月)
http://natgeotv.jp/files/pdf/timetable/tv/201709/ngtv_201709_mnt_jp.pdf

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