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2016年8月2日火曜日

朝日新聞2016年7月31日の相模原事件に係る記事は良記事である

植松容疑者警戒、防犯カメラ16台設置 常時監視はせず:朝日新聞デジタル
http://digital.asahi.com/articles/ASJ7Y4HRGJ7YULOB00M.html

 上掲リンクは、朝日新聞の紙面では、平成28年7月31日日曜日の朝刊39面に掲載されていたものである。同記事には、日本防犯設備協会の担当者の話が次のように記者の古田氏によってまとめられている。
「事件を防ぐには、刑務所のような高い壁で建物を囲むしかないが、非現実的だ」と広報担当者は話す。

 防犯対策としては窓ガラスの破損に反応する警報装置などもあるという。「今回の場合、施設や警察がどのような犯罪を想定していたかが、検証のポイントになるだろう」と語る。(古田寛也)

 前段については疑問もあるが、後段に対しては、まったくその通りであると考える。助言を行った警察まで含めて、担当者の話として記しているところは、読む側が心配してしまうところがあるほど、組織としては踏み込んだ内容であろう。古田氏と広報担当者との間のコミュニケーションのあり方については、想像するほかないが、現時点で、まったく利益相反関係やコンタクトのない私からみて、この記事がこの形で公刊されたことは、公共の利益が最大限尊重された結果であり、社会的に賞賛を浴びて良い話であると考える。(このために、本記事を執筆した。)

 本事件のように、徹底的な検証が必要であると同時に、なおかつ、対策が焼け太りにつながる蓋然性が認められる事件があるとき、責任を果たすべき主体とその責任の範囲をあまさず列挙しておくことは、公益に資する言論の第一歩である。本記事では、文面が「今回の場合、施設や警察がどのような犯罪を想定していたかが、」ではなく、「今回の場合、どのような犯罪が想定されていたかが、」という受動態で記されてもおかしくはなかった。朝日新聞社側が「施設や警察が」という主語を根拠なしに挿入したという可能性は、今回については、ないものと考えて良いであろう。本記事の執筆にあたり、記者の古田氏は、必要な発言を引き出して、上手く利用した、と考えて良いであろう。では、警察庁の所管となる公益団体である日本防犯設備協会の担当者は、迂闊であったと言えようか。決して、そうではなく、むしろ、「三方よし」の観点から業界を回り回って益する形の発言を提供したのではないか、と私は考える。

 本事件に係る業界では、横並び風潮が根強く残るから、どの企業が施設を運営・警備していたとしても、本事件は、容疑者が勤務していた限り、同様に生じた可能性が高かったであろう。同時に、どのポジションであっても、たとえば、津久井署の生活安全担当者が誰であっても、同様に事件が生じたであろう。私も不適切な防犯上の助言をなしたであろうことは、戒めとして、本ブログに残したとおりである。誰が担当者であっても同じ結果を生じさせたであろうならば、事件の再発防止に係る責任は、個々の人物に求められるものではなく、組織の構造に求められるべきであろう。本事件は、組織の習慣や役割、組織間の縦割り状態によって生じたものであって、関係する組織で普通に仕事をしてきた人たちに対して、責任を求めることは、無理の過ぎることであろう。

 他方で、今回の事件は、事件の関係組織すべてに対して、組織の責務の範囲を、組織として明確にして、その責任を十分に果たしたのかを問うものとなっている。組織が期待される役割を果たすことに失敗したときに、改善すべき点をタブー抜きで検証し、その欠点を改善できたとすれば、その組織は、今後に向けての健全性を示したことになろう※。逆に、健全でない組織とは、改善すべき点を改善できない組織である。朝日新聞の記事は、今回の事件を教訓として、警察も従来の業務のあり方を再検討すべきであるという指摘を提起することに成功した。この点、今回の朝日新聞は、報道機関として好評価を受けるだけの記事を世に問うたことになろう。また、日本防犯設備協会は、警察庁の所管する公益団体であるが、客観的な知識を提供するという社会的役割も期待されている。検証の結果、防犯設備が不足しており、その不足を埋めるという今後の作業を通じて、業界全体が利益を得るという話の流れは、当然あり得る。しかし、この業界拡大の流れは、警察も検証の対象とすべきであるという指摘とは、関係なく成立するものである。この点に留意すれば、(警察関係者としては警戒する相手であり得る)朝日新聞の取材に対しても、日本防犯設備協会の担当者は、誠実に客観的な解答を寄せたということが明らかとなる。

 このような状況を鑑みたとき、朝日新聞も、日本防犯設備協会も、批判を受ける形となった施設と警察も、それぞれ譲歩するような形を取りながらも、結果として、自らの評判を高める機会を享受している。厳密には、施設と警察は、これからの検証のあり方を通じて評価を受けることになる。その際のヒントは、本稿にも、また、以前の記事にも示している(12)。2番目の記事は、陰謀論という、いかがわしい分野に分け入りつつも、そこから教訓が得られるであろうと見込める限りは検討しようとする、という謙抑的な態度で示したものである。

 ※ 行政組織が検証の対象となっている場合には、海外の同種の組織がどの程度まで、どのような社会環境下で、どのようなリソースを利用して、業務を実施しているのかが問われることになろう。

2016年7月30日土曜日

相模原市の障がい者施設の大量殺人事件に係る陰謀論の大半は誤りであろう

 今月26日未明の相模原市の障がい者施設における大量殺人事件について、陰謀論界隈の一部は、たとえばサンディ・フックに係る陰謀論のように、容疑者単独による犯行という内容に留まるものではない、という憶測を提示しているが、私は、これらの意見に全く与しない。本稿では、この点について補足する。1997年の神戸市須磨区における連続児童殺傷事件についても、類似の陰謀論が存在する。また、その一部は、武田徹氏『暴力的風景論』, 新潮新書(2014)などに取り上げられていたりもする。

 自由な社会において、人が憶測や推理や意見を述べること自体は自由であるが、その自由には責任と結果が伴う。私の言論についても、この命題は、普遍的に該当する。本稿において、現在進行中の事件について、ガセネタも多い陰謀論界隈に係る話題を述べることは、後世から見た場合に誤りである指摘をしてしまう、という危険の高い作業である。しかし、本事件については、衆議院議長宛にしたためた容疑者の手紙の中に、陰謀論に係る話題が含まれているために、この話題に触発され、あるいはこの話題を誤解した者が誤解をさらに流布するという危険を認めることができる。陰謀論について、一般の日本人よりも10年以上の長を有するであろう私が、あえて、本事件に係る一部の陰謀論を否定することは、本事件について穏当かつ真摯な議論を保全することにつながるであろう。

 本記事では、本事件に係る言説から、誤解を見分け、冷静な議論に繋げるための材料を提供するという目的が達成されることを期待する。その過程において、施設側の運営実態をタブー抜きで検証することは、今後の被害軽減の役に立つことになるであろうし、現政権に与する者が自らをナチス・ドイツではないことを証明していくための試金石ともなろう。また、デバンキング作家による不用意な権力のエア擁護に対しても、あらかじめの警告として機能することとなろう。

 本稿では、いくつかの(結論を先取りすれば失当な)見解を取り上げ、それらに対して、反証となり得る材料について、言及することとする。なお、証言や証拠といった、裁判においても使用される用語が登場するが、ここでは、一般的な意味を有する用語として取り上げるものであって、具体的な裁判の場を念頭に記すものではない。
  1. 事件不存在説
事件そのものの被害者が存在していないという見解が存在する。これに対しては、救急出動の広域性を考慮して、出動した組織・受入先の病院の双方の記録を検討した場合、事件そのものの不在を組み立てることが不可能であろう、という予測を提起することができる。事件そのものの不存在を指摘する者は、自身の言論に係る社会的責任を重く見るのであれば、これらのデータを情報公開請求した上で、情報公開請求が不当に拒否されたり、または、公開の範囲が不当に制限されたという経緯を説明することによって、疑惑を指摘すべきなのである。

 今回、すべての映像を見ている訳ではないが、私の知る限りでは、東京消防庁(八王子市であろう)、綾瀬市(旧津久井町との往復経路については、何度か体験しているが、結構時間がかかることを指摘しておく。)など、相当の広域から救急車両が到着している。救急搬送記録は、少なくとも三年間以上、データベースの形で保管されているであろう。これらの消防組織に所属する救急隊員は、各自治体または消防組合に雇用されている地方公務員であって、職務内容に対しては守秘義務が課せられている。しかし、彼らは、本事件への対応を検証するという過程において、ヒアリングという形で、社会一般に対しては間接的になるが、事件の実際について解説することになろう。この社会的慣行をふまえれば、事件不存在を指摘する者は、これらの業務に従事した公務員へのインタビューの許可を各消防本部等に求めるという手続を通じて、その疑惑を証明することができるはずである。しかし、この手続のないままに、事件不存在を指摘し、かつその状態を放置することは、事件が現実であることを示す事実が積み上げられるにつれ、デマをわざと流通させたと見なされることになるであろう。

 緊急対応活動に参加した公務員の存在と証言というものを考える上で、陰謀論で取り扱われる題材のうち、9.11は、参照すべき事例である。9.11について、ツインタワーならびにWTC7の崩壊という出来事が存在しないとする有力な陰謀説は、存在しない。その上で、これらの建築物内で救出活動に従事した人物が多数存在することについて、否定するような論者も存在しない。さらに、証言そのものの存在を否定する向きは、自称デバンク側にも存在しない。論点は、現場にいた人物らの証言をいかに解釈するのかという、証言の聞き手の側の受け止め方に集中している。公式報告書を作成した組織がこれらの証言を無視したという批判は、この組織からの回答が要領を得ないものであるがゆえに、有力なものである。この(主に陰謀の存在を否定しない側からの)批判は、議論の形式上、適切なものである。つまり、学術的な観点からの批判であると見なしても、何ら差し支えのないものである。この9.11における公務員の証言の効力を鑑みたとき、本事件の事件不在説は、これら公務員の証言という要素をはなから無視したものとなっている。

 安楽椅子探偵のように作業するだけで、より明確に後追い可能な、公的な職業人の証言も存在する。事件の被害者は、多くが北里大学病院に搬送されたというが、同病院の救急救命医が会見において、次のように回答している。

 「ショックを受けるというか、一瞬止まってしまうような状況はあった」(現場に駆けつけた医師)
 現場で救命活動を行った医師は当時の状況について、こう話しました。

“戦後最悪”19人刺殺、防犯カメラが捉えた容疑者の姿 News i - TBSの動画ニュースサイト
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2830126.htm

北里大学病院 救命救急・災害医療センター
http://www.khp.kitasato-u.ac.jp/kyukyu/

 この記者会見に回答した男性は、「北里大学病院 救命救急・災害医療センター」のウェブサイトから実名まで確認できる(が、リンクはトップページに留めた)。事件不存在を主張する者は、この医師の証言に対して、明確に否定する証拠を提示しなければならない。

 9.11に係る経緯を念頭に置くと、おおよそ、事件への対応に従事した実在の公務員による証言は、信用に足るものであると見なされていることが分かる。仮に、陰謀が存在するとしても、共通の隠れた要因を持つなどの共謀を示唆する要因を有さない、複数の実在の公務員が後追い可能な形で証言している場合には、事件そのものの不存在は、彼らの証言によって、否定されると考えて差し支えないであろう。実のところ、この事実は、クライシス・アクターが用意される理由ともなっていると推測できるが、この点については、後述しよう。複数の公務員の証言がある場合、陰謀の中身は、おおむね、黒幕の存在の有無を含め、犯人が他の人物であるというもの、実際の手口が異なること、の二種に限定されるようになる。つまり、「Where」「What」「When」は確定でき、主に「Who」と「How」に係る要素が陰謀の対象となる、という訳である。

 クライシス・アクターという存在については、注意が必要である。実在の被害者がいながら、実在の被害者がインタビューに応じ(られ)ない、実在の被害者が都合の悪いことを話す虞があるなどの理由があるために、クライシス・アクターも同時に準備しておき、迫真の演技によって世論を喚起する、という方法もあり得るためである。この方法は、いわば、「Whom」、被害者側に係るものである。実際の被害とクライシス・アクターを並存させるという手段は、陰謀を用意する側にとっては、大きな負担なく、目的を達成するための有用な方法となりうる。クライシス・アクターは、一種のバックアップ計画として機能する。この方法論は、湾岸戦争の端緒に用いられたような広告代理店的手法の応用である。つまり、古い伝統を持つものと言える。より分かりやすい古代の事例としては、トロイア戦争の原因(結末も、類似したアイデアによる)が挙げられるように思われるが、過去に同様の手がかりを現代の視点から求めることができるか否かの検討は、別の機会としよう。

#ここまでの淡赤色の部分は、2016年9月7日に文章の分かりやすさのために訂正した。

  1. 組織関与説
事件には、複数の実行犯が関与したと見る説も、ポピュラーなものと化しつつあるが、これもまた、誤りであると見るべきである。前稿に示したとおり、「ぐっすり寝ていることが保証されている」ことを容疑者が知っていたのであれば、この予備知識は、抵抗を予想せずに加害に専念できる材料になっていたはずである。また、犯行を示唆する手紙の中で、職員を結束すると宣言しつつ、入居者にはこの種の拘束が必要である旨、容疑者が言及していなかったことは、容疑者が入居者の状態をある程度の確信をもって事前に予測していたことを示唆する。

 組織関与説のうち、複数の実行犯が関与したという見解は否定されるが、しかしなお、背後にいわゆる黒幕(教唆犯)がいる可能性を否定することは、困難である。教唆は、あったかもしれないし、なかったかもしれないが、ともかく、私の知る範囲に材料はない。しかしながら、教唆(犯)の存在は、司法の場において、その都度修正され、作り上げられていく種類の話でもある。何者か(何物か)が教唆した結果、犯罪と呼べる行為に着手した、という筋書きは、心神喪失・耗弱を目的とする司法上のレトリックとして、多用されるものである。しかし、この種のレトリックが一般の感性から大きくかけ離れているものであること、この種の主張が担当弁護士により吹き込まれたものであるという疑いは、国民一般に共通する理解となりつつあると思われる。本事件についても、本点に係る弁護士の関与について、合理的な疑いが存在する。手紙に「ヒトラーの霊が降りてきた」という主張が示されていないにもかかわらず、現時点での容疑者の話として、そのような主張がなされるに至っている、という二つの報道を比較することは、われわれでも可能な作業である。この作業によって、「担当弁護士の入れ知恵」という交絡要因が存在する蓋然性を認めることができる。他方、仮に、刑事や検事が「ヒトラー」という語を用いたとしたら、少し不用意であったかも知れない。【2016年7月31日23時30分追記】容疑者は、措置入院中にヒトラーの思想に言及していると報道されているようであるが、出典を確認していない。私が当該の事実を指摘する記事を見逃したためであろう。訂正して陳謝する。

 単独犯であっても矛盾しない、という考察を深めなかったために、複数実行犯説を採用した陰謀論者は、短絡的な考え方にさらに陥りやすくなる。組織関与説のうち、実行犯が複数であると誤解した場合、殺人の訓練を受けた組織=軍の関与、何なら特殊部隊の関与、という具合に誤解を広げる、というものは、典型的パターンである。この典型例は、完全に的を外している。旧津久井町のような救急指定機関から遠く離れた場所(Google Map)において生じた事件で、重傷者も多く残るという結果は、いくらDMATが活躍したとはいえ、軍人の手によるものとしては下手過ぎるものである。軍人は、障害となる人物を迅速・確実かつ静寂のうちに無力化できる訓練を受けているのではないか。複数人による犯行であることが発覚する虞もあるのに、わざわざ、何人かを傷付けるだけで放置するということがあり得るであろうか。「複数の実行犯を指揮する黒幕」にとっては、16台の防犯カメラも邪魔になる。組織側の人物として、事件を企画する黒幕の立場を想像すれば、軍の関与という見立ては、完全に破綻するものとなる。複数実行犯を単独の容疑者に押しつける、という筋書きを目的とする場合には、黒幕は、防犯カメラ撮影を停止させるという目的を組み込むであろうし、たとえば人相を職員に確認されないようにするなど、実行犯が複数人とは見られないような方法を探るはずである。

 たとえ黒幕がおり、「偽旗テロ」を目的としていた場合であっても、今回は、単に、容疑者を放置するだけで目的を達成することが可能であった。この点を理解していれば、万事に陰謀を見出しがちな者といえども、本事件については、不作為という手法が組織を批判から守ることになるという論理構造に気が付いたであろう。逆に、本事件について、特定の組織を十分な検討抜きに批判する者は、批判するという目的ありきで立論している可能性があるとされることにもなりかねない。「その情報が流通することは、誰の利益になるのか、なぜ利益になるのか」という陰謀論を検討する際の基本則は、本事件に係る「黒幕説」を提起する側に対しても、成立するのである。

 以上の論理を追えば、特定の組織が積極的に本事件に関与したという見立ては、完全に破綻していることが理解できるはずであるが、「戦争屋」の関与の有無は、この理解に至ることができた上で、ようやく検討可能な命題となる。結論を先取りしておけば、「戦争屋」の関与の可能性は、ゼロにはならない。しかし、ゼロではなかったとしても、その関与のあり方は、おそらく、積極的なものではなかったであろう。複数実行犯として手下が参画した訳でもなければ、犯行の方法を詳細に容疑者と協議した訳でもなかろう。せいぜい、SNSで容疑者を焚きつけるとともに、容疑者をテロ行為に係る要監視者のリストから除外した、あるいは登載しなかった、という程度の消極的なものに過ぎないであろう。

 執筆の勢いが落ちてきたので、理由の掲載は、未整理状態の箇条書きとする。尻切れトンボだが、本記事は、この箇条書きで締めくくりたい。私であっても、この程度は、事項を個別に検討する、という例を示す意図もある。
  • 手紙の受領と主張の把握
    • 開封するという決断。「炭疽菌テロ」の前例を想起すれば、当然の措置であって、通常通りの仕事を通常通りに実施したということになろう。
    • 中身を読むという決断。開封と中身を読むこととは、まったくの別物。しかし結果として危険人物の同定に役立った。結果はGJだが、通信の秘密という観点からは、完全に違反。秘書の開封作業に立ち会ったということか。そうであるなら、むしろ秘書を不要な危険にさらすことになる。ここら辺の(法律論ではなく)社会的方法論は、憲法学者等によって整備されているのか。封書を取り扱う秘書という仕事の重要性と危険性。秘書という職務には、封書の内容を理解することは、当然含まれる。基本的には、封書の内容を把握したことによって職務上の責任が発生することはない。しかし「秘書がやりました」は、政治家の不正のテンプレ。伝統的な分野であるから、先行研究も多いだろう。
    • 中身に係る情報共有の程度、どの部署の誰まで読んだのか。津久井署には誰に何が伝えられたのか。警察庁には連絡があったか。そもそも衆議院議長には。内部で決裁はあったのか。麹町署の課長は知っていたであろう。麹町署の課長は、場所が場所だけに重要ポスト。階級とキャリアで明らかにできる。
    • 容疑者が重大な結果をもたらすことは、前兆行動を知った「戦争屋」ならば、期待できたはずである。「マッチポンプ上等」の「戦争屋」ではなくとも、セキュリティ産業の焼け太りという目的だけを有する国内の「天下り上等」官僚でも同様である。両者の心性は類似するが、直接手を下す判断を行うか否か、閨閥の系列はいずれか、の二点で一応の分別が可能である。「戦争屋」は、犠牲を歓迎する。天下り官僚は、目的本位。犠牲者の発生回避が合理的である限り、余分な犠牲を要求することまではしないであろう。薬害の例を見れば、不作為までは当然の行為ではある。
    • 部署内で、誰が何をどこまで知ったのか? 部下の側の立証責任は、常に大変である。「俺聞いてないよ」症候群が問題である。部下の証言だけで上司に挙証責任を問える社会的方法を用意すべき。ノブレス・オブリージュや「監督責任」には、上司の挙証責任を代替するという社会的機能もある。
  • 緊急措置入院の経緯と退院に係る判断
    • 警察から相模原市に至る通知は、津久井署から相模原市で確定か。
    • 精神科医は、何をどこまで誰から知らされていたのか。情報が複数ルートとなる場合、かなりの場合分けが必要となるが、おそらく、直接の窓口は、相模原市のみであろう。
    • 父親と住むという申告の真偽の確認は、本当に義務ではないのか。
    • 危険性の判断はいかにして行われたのか。そもそも、たったの二週間で危険性は除去できるのか。洗脳のプロセスであれば完了すると思われるが、回復の過程を必要としないか。患者が精神科医を欺くことに成功する可能性は、わが国では、定量的研究の題材になっていないように思う(が、要確認)。
  • 退院後の経過
    • 報道では、情報錯綜気味。というより、そもそもタイムラインに興味がないのか。おおよそ、4ヶ月間。2月の退職→緊急措置入院で確実なのか。これにより、失業手当のない期間も変わる。預貯金額とも関係するが、なぜ7月まで準備に時間を要したのか。神奈川県民だから都知事選のニュースに触れないという訳でもない。
    • 接触した社会的な組織の種類。職場も含めて。人は孤独だから犯罪を行うのではなく、暇だから犯罪を行う余裕がある、という方が正しい。非社会性(非社会的)と反社会性(反社会)の違いは、専門家を自称するなら理解しているべき基本。
    • (ここでは誤った)陰謀論者の言うとおりに、ある組織から積極的な関与があったとしたら、積極的なコミュニケーションが存在して然るべき。消極的な関与、つまり放置であっても、黒幕的な組織とすれば、監視は必要。論理上は、単なるヒッピーとして、世界を放浪し出すという選択肢もあり得たから。旅の途上で、容疑者なりのT4作戦の是非を改めて判断しようと考えた、というケースは、あってもおかしくない。
    • 濃厚な可能性として、施設の油断を待っていたというもの。この予想のとおりであれば相当に狡猾。正門の警備員の状態(増員状態が減ったか、など)が確認材料となった可能性すら存在する。
    • 彫り物が終わるまで待ったというのは、大穴だが完全には否定できない。なぜ般若?般若の面とサンスクリット語との関係は薄いとのWikipedia。格好良いからにしても、般若にした理由は?所長が女性だから?【平成28年8月1日追記】「天下御免」との掛詞で「天下五面」とのこと。しかしながら、面散らしという図柄の面は、取合せがある程度自由であるらしい(Yahoo!知恵袋)。私が自身の無知を暴露した形となっており、恥ずかしいということはさておき、なぜ般若?という疑問を抱くことは、それほど問題ではなさそうである。

平成28年8月28日追記

遅ればせながら、犯人が帰化した在日朝鮮人の二世であるというデマが流通していたようであることを知った。発信源のアカウントは、あからさまな釣りツイートを仕掛けていることを別途ツイートしている。(現物が残っていないようでもあるし、アーカイブでは18禁内容も含まれているので、リンクは張らない。)身元不明の発信者は、ヘイトスピーチへのカウンターのつもりで罠を仕掛けたようであるが、社会に不要な混乱を生じさせたという点で、社会的に批判を浴びて良いであろう。(私は、彼(女)を批判するし、現時点でも、弁護士と検事の双方、マスコミに対する偽計業務妨害罪が成立する余地があると考える。)目的は、手段を正当化しない。


2016年7月26日火曜日

相模原市緑区の障がい者入居施設の大量殺人事件について


 2016年7月26日のテレビ各局は、相模原市緑区千木良476の障がい者入居施設「津久井やまゆり園」の元職員(26)が今日未明に19名の入居者を殺害し、26名を負傷させた事件を大きく報道している。国内の事件としては、秋葉原連続殺傷事件以上の大量殺人事件であるので、テレビ朝日の『ワイドスクランブル』は、小川泰平氏や水谷修氏などの4名のコメンテーターを招待して事件を報道している。

 被害者、ご遺族、入居者の方々にお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げる。

 コメンテーターの元心理職の某氏がリスクとコストについて言及し、(窃盗犯や暴力犯罪、詐欺といった)犯罪の加害者と被害者の関係がともに弱者に偏りがちであることを指摘したことは、テレビというメディアにおいては、比較的目新しい印象を受けるものである。これらの指摘は、犯罪学では基本的なものではある。他方で、企業犯罪や社会的に高い地位にあると見なされる人物の犯罪は、法執行機関に認知されにくい。このような指摘が存在していることも、併せて記憶しておくべきであろう。

 罪種によって、被害者・加害者間の関係が異なりうること、面識の程度が異なると見られていることにも注意が必要である。本殺人傷害事件は、施設の元職員による犯行であることがほぼ確定的であり、かつ、一連の犯行が30分以内に行われたと見込まれること、職員が1名負傷したことが番組内で報道されていた。これらの報道を踏まえれば、本事件は、容疑者が被害者一人一人を選択したというよりも、施設入居者全体を狙った犯行であり、巡回中の職員に発見されるまで入居者を襲ったという解釈の方が適切であろう。入居者という属性が狙われたのである。元の勤務先を狙うことまでは容疑者の中で意識化されていたであろうが、具体的な人物を念頭に置いた訳ではないのかも知れない。

 今回の事件では、容疑者には計画性があることが認められる。容疑者は、事件直後に出頭している。本日深夜から未明にかけての相模原市緑区の三時間天気が降水量ゼロmmである一方で、コンビニの雨合羽を運転席に残している。旧津久井町の中心地には、何度か行ったことがあるが、基本的には、自動車がなければなんともならない場所である。よって、犯行時に雨合羽を着用したということも考えられる。おそらく、容疑者の責任能力の有無は争点とはならないであろう。

 現時点で動機に係るコメントとして、コメンテーターが4名いながら、疑問を呈されなかった点がある。それは、なぜ2月中に解雇されたのに、容疑者について適用されるであろう通常の給付期間である90日を大きく超えた後、7月末の犯行に至ったのかという点についての推理である。コメンテーターが弱者について指摘しながら、社会的弱者の一類型である無職について無知であるのは、皮肉の効いたことである。教員免許の一次試験の結果通知は、ひとつの契機になり得るのではないか、と予想することも可能ではある。

 容疑者の責任能力が問題にならないという雰囲気があり、報道材料が多く存在するという状況は、今後の報道を過熱させる原因となろう。本事件は、まず間違いなく、最近の政局と何ら関係なく起こされたものであろうが、他方で、報道機関は、本事件を利用するであろう。その結果、本事件は、まるで、東京都知事選挙の争点隠しに用いられたかのような印象を一部の有権者に与えるものになろう。その理由は、報道機関が今週の日曜から月曜にかけて公表した情勢調査に求めることができる。


平成28年7月27日追記

昨日夕刊の読売新聞1面では、今年2月に容疑者が衆院議長公邸を二度訪問し、手紙を警備の警察官に委託したこと、緊急措置入院となり、3月2日に退院したことを伝える記事※1があった。手紙の内容は、障がい者がいなくなればよいとするものであったという。緊急措置入院に係る経緯は、相模原市による執行であるようである※2が、具体的な内容は、それ以上明らかにはされていない。

 この報道(のみ)で、「なぜ今?」というタイムライン上の疑問が一部解決されるように思われる。容疑者が3年間にわたり勤務したことから、病欠や有給の消化などによって実際の退職時期を3月末とするなど、温情的な措置となったのかも知れない。ただし、本日中のテレビ番組(『Nスタ』)では、依然として2月に退職したことになっているようである。やはり、犯行が7月中にずれ込んだ背景には、容疑者個人に起因する何らかの理由があると考える余地がある。

 施設の建物内部における職員や鍵の運用方法自体は、専門的な見地からは、必ずしも批難の対象にはならないであろう。犯行当日、容疑者は、1階の入居者の居室の窓ガラスを割って侵入し、ホーム出入口のオートロックを複数抜けて移動した※3。ホーム出入口のオートロックは、施設管理の簡便さから、1種類の鍵で開錠できるものであったという※3。本事件容疑者のような意志の固い攻撃者に対して、施設内の防御性能を被害ゼロとなるまで向上させることは、前兆行動が把握されていたとはいえ、半年間という期間内では無理であったろう。なぜなら、基本設計に係る哲学がこの種の攻撃とは相容れないものであるためである。その哲学とは、建前を重んじれば、「コミュニティ内外の交流を促進する」というものであり、あからさまに述べれば、「施設が刑務所や精神病院のように、内外のアクセスを制限する印象を与えない」というものである。

 この点、読売新聞の記事※3は、これらの運用方法自体を大々的に取上げ、詳しく説明し、容疑者の退職後も運用上のルーティンが変更されなかったことを記すことにより、暗に施設の運営に問題があったかのような表現を取るものである。この情報提供がどのように記事に至ったのかについては、後世の厳しい検討を受けて良いことである。本事件から関係機関が教訓とすべきことは、大変多い。しかし、読売新聞が施設単体に責任を求めるかのような記事を掲載し続けるならば、真に改善が必要な組織のルーティンが放置されることになりかねない。

 強いて指摘するならば、施設が旧津久井町の町外れにあり、自動車がなければアクセスしにくい場所に存在しているという事実は、施設の防御性能を向上させる材料として利用できたはずである。つまり、施設に乗り入れる自動車の監視を適切に実施していなかったという点は、後に批判的に検討されるべきであろう。さらに、容疑者の自動車運転免許の扱いは、国政の場で、批判的な検討を受けるべきである。認知症患者については、特定時期・内容の違反を根拠として、臨時適性検査を受診し、結果次第で免許停止または取消し処分を受けるという制度が用意されている。

 容疑者の退院が通知されていたとしても、その深刻さを施設関係者だけで評価することは、施設としての責務や能力を超えることである。その上、仮に、職員の一人一人が個人として容疑者を重大な脅威と捉えることができたとしても、それに対応可能な作業というものは、個人の職務上の責任を超えることでもある。

 私の推理を斜め上で行く前兆行動が示されていたことは、わが国の極右に対する監視と統制が不充分であることを示す強い(学術上の)証拠である。今回の容疑者は、障がい者について、ナチス・ドイツと同一の主張をなしていたという。とすれば、全世界の(わが国を除く)先進諸国においては、彼は、教員の息子であり、大麻を常用していたとしても、極左ではなく、極右として位置付けられる存在である。本事件の容疑者には、背後に組織の存在が認められたことを示す報道が存在しないことから、全世界の標準的な理解からは、「極右の一匹狼」となる。

 わが国の極左に対する捜査の熱心さをわが国の極右にも同様に向ければ、わが国の極右は、ネット右翼を含めて、遠からずゼロになるであろう。今後の社会不安を喚起する存在として、ネット右翼が問題になるという指摘は、すでに指摘済みである(リンク)。

※1 読売新聞2016年7月26日夕刊4版1面「衆院議長宛てに手紙/退職直前 大量殺害を示唆」
※2 読売新聞2016年7月27日夕刊4版13面「職員、近隣住民 動揺広がる」
※3 読売新聞2016年7月27日夕刊4版13面「施設熟知 犯行に悪用/相模原19人刺殺/鍵は8エリア共通/植松容疑者 侵入後に入手か」


平成28年7月28日13時追記

省庁連携が存在してこなかったことは、確かに反省材料ではあり、今後に役立てられるべき話である。であるならば、なぜ厚生労働省が委員会を立ち上げるのであろうか。従来の「病院の防犯」と同様、打ち上げ花火になるまいか。制度上、入居者と措置入院制度については、厚生労働省の所管ではあるが、本件は、もう少し枠を広げる必要がなかろうか。読売新聞は、社会面の小さな記事で、塩崎恭久厚生労働大臣が園を視察し、早急に対策を練ることに言及したことを述べている※4ほか、措置入院制度※5や園による防犯カメラ導入(後述)について言及する中で、省庁連携を示唆している。朝日新聞は、1面において、厚生労働省が有識者会議を設置して「警察との連携などの調査」を進めることに言及している※6。日本経済新聞は、社会面で神奈川県知事の黒岩祐治氏の「関係機関との情報共有に課題がある」という発言を引用する形で課題があることを指摘している※7。本件は、藤本哲也氏が読売新聞に述べたように※8、ヘイトクライムの一つとして捉えられる。ヘイトクライムであるならば、法務省マターであっても良いはずである。今回、最も被害を抑止し得た立場にある警察庁警備局において、検討がなされても良いはずである。

※4 読売新聞(署名なし)2016年7月28日朝刊14版39面「厚労相「早急に対策」」
※5 読売新聞(社会部 久保拓)2016年7月28日朝刊14版3面「措置入院 退院後 甘い日本/カナダ 地域で見守り/英 継続通院義務付け」
 【...略...】
 元慶応大教授の加藤久雄弁護士(医事刑法)は、措置入院が精神保健福祉法で定められた行政処分であるのに対し、ドイツでは同様の措置が刑法に基づく処分であることを指摘。「日本では患者の取り扱いが、行政と警察で縦割りになってしまう。日本でも、措置入院に関する仕組みは、刑法や別の法律で定めるべきだ」と話している。

※6 朝日新聞(久永隆一)2016年7月28日朝刊14版1面「措置入院 あり方検討 厚労省」
※7 日本経済新聞(署名なし)2016年7月28日朝刊14版39面「措置入院から退院 把握遅れ/警察と行政 対応検証へ」
※8 読売新聞(社会部 田中洋一郎)2016年7月28日朝刊13版11面「相模原視察 識者の見方 緊急論点スペシャル/司法と行政 連携強化を 中央大名誉教授 藤本哲也氏」

 衆議院議長名を間違いなく記述して、公邸に直接押しかけ、手紙を託すという目的を達成できた人物は、明らかに行動力があり、危険度が高い。当時のやり取りを知る由もないし、おそらく開示もされないであろうから、場合分けを通じて推測するほかないが、衆議院議長公邸に現れた容疑者にどのように対応したのか、容疑者がどのように反応したのかは、容疑者の犯行達成能力と責任能力を測る材料となろう。仮に、衆議院議長公邸の警備の場において、陳情や請願という方法があることを容疑者に指導できるだけの対応力のある警察官がおり、そのように指導したとしよう。この場合、容疑者が手紙を託すという目的を達成したことは、学習指導要領に示された内容を自らの血肉としている警察官の対応能力を超えて、目的を実施するだけのコミュニケーション能力と判断能力があったということになる。請願や陳情という手段によっては、自身の主張を伝達できないと容疑者が認識していた可能性が高くなるためである。このような精妙なやり取りがなく、単に警察官が根負けした場合であっても、(そして、私は、この場合が本命であるとは考えるが、)迅速に麹町署から津久井署に連絡があった(読売新聞※3)ことをふまえれば、麹町署としての責務は、果たされていたものと言えよう。ただし、その連絡業務において、容疑者の手紙がFAXやメールの添付ファイルなどで伝達されたか否かは、この前兆行動の重大さを伝達できたか否かの分岐点となっていたであろう。なお、警察庁への伝達があったか否か、リスク算定が迅速に行われた否かは、不明であるが、結果をふまえる限りは、容疑者個人の危険性についての判定に、結果として、警察は失敗したという結論を採用せざるを得ないであろう。

 容疑者が大麻や飲酒を嗜みながらも、車を運転でき、凶器を用意し、職員を5名拘束し、職員1名を避難させる※9も、これだけの被害を生じさせたという結果についての報道は、犯人の行動力と危険性が高いものであったという印象を読者に与えるものとなっている。避難したという1名の職員に係る情報は、読売新聞1面トップ記事のリード文にしか見られない情報であり※8、期せずして世に出てしまったことも考えられるが、この職員は、携帯電話もなく、また私がよくやるように、いざというときに電池切れであったかも知れないが、通報できないほど畏怖しているなどの状況に追い込まれていたのであろうと推測できる。突き放して検討すれば、職員の能力は不十分であったと言いうるが、元職員がこれだけの転身を果たして襲ってきたという事態は、十分にスプラッター映画の世界である。事前に適切な形で情報を与えられ、覚悟が据わっていればともかく、公式には何も知らされていなかったとすれば、園の職員にいざ冷静な対応を求めることは、かなりの無理がある。こうしたとき、たとえば、園の上層部が、夜間だけでも警備業者との契約を実施するという対応を実施していたとすれば、夜間勤務の職員も緊張感を新たにして、異なる結果を得た可能性もあり得たであろう。

※9 読売新聞(社会部 田中洋一郎)2016年7月28日朝刊14版1面「相模原視察 容疑者言動 2月に急変/職員5人縛り犯行」

 評価の高低はともかくとして、本事件に係るやまゆり福祉会、神奈川県、麹町署、警察庁、津久井署、相模原市、措置入院先の病院、厚生労働省の対応は、いずれも典型的なものであったと見ることが可能ではある。しかし、本事件の結果と、手紙を渡すという行為までに把握された前兆行動との間には、飛躍があり、事件が防ぎ得るものではなかったと言えるのであろうか。

 本事件において、どの部署が本格的に対応すべきであったか、また、最も実現可能な対策から遠のいていたか、ということを鑑みると、津久井署の公安担当部署と神奈川県警察の警備部(公安担当)を指名せざるを得ないであろう。津久井は良い具合の田舎である。神奈川県の小学生の遠足の目的地として、まことに良い雰囲気のある山間部にある。県央部の水瓶である相模湖がある、心穏やかに暮らせる場所である。であるからこそ、園の立地場所ともなったと推測できる。このような田舎町において、極右の危険性を真に看取できる公安警察が存在したのではないかと期待することは、酷なのであろうか。諸沢英道氏は、容疑者の手紙について、以下のように解説している※10

 【...略...】今回の手紙には犯行動機や犯行予定などが具体的に記されており、警察や行政機関が適切に対応しなければならない内容だといえる。実在する施設名を標的にあげ、容疑者が自の実名や自宅住所なども記しており、単なるいたずらや嫌がらせではないのは明白だ。
 一方、【...略...】非現実的な記述も多い。このため、警察や行政機関は精神疾患者による手紙だとして軽んじた部分はなかったか。犯罪を想定して迅速に動いたかなどは今後、検証すべきだろう。
※10 読売新聞(署名なし)2016年7月28日朝刊12版10面「検証。相模原19人刺殺事件/不可解な手紙 どう読み解く/非常に極端で孤独 諸沢英道氏常盤大学元学長(犯罪学、被害者学)」


 ネットで流通している衆議院議長宛の手紙は、内容のアンバランスさをうかがわせるものであるが、なお、危険性の高い内容であることが理解できるものである。我々は、すでに、昨年来の複数の事件を通じて、極左的な政治的背景色の薄い公安事犯が存在することを、公知の事実として共有しているのではなかったか。これらの特徴的な公安事件の犯人は、いずれも、事件を完遂しうるだけの実行能力を有し、SNS等を通じて犯行を行う旨の宣言を外部に向けて発信しており、現に敢行した者たちである。彼らを十分に現実の脅威として認識することは、妥当である。

 なお、ネットで流通する容疑者の手紙の書き起こしは、テレビ番組の画面キャプチャを元にしており、読売新聞の抜粋※10よりも自主検閲の程度が低いようであるが、なお、重大なフレーズが白塗りとされているために、書き起こされた内容だけでは、容疑者がいわゆる陰謀論を本当に信じ切っていたのか、信じた内容とソースは何か、隠れた動機はないか、などの重要部分を理解する上では役に立たない。容疑者がある公益法人に言及したことがネットで騒がれているが、つまり、この部分は、読売新聞の記事が抜粋という名目で自主検閲した部分であるが、白塗り部分が明らかにされないことには理解が真逆となる虞もあるために、犯人がどのような理解を当該の法人に対して有していたのかについては、分からないものと考えるべきであろう。当該法人に対する記述があったとて、容疑者の考え方に言及するには、材料不足に過ぎるというべきである。また、当該法人の広報する思想が容疑者の犯行に直接の思想上の示唆を与えたのか、という点については、明らかに容疑者に事実誤認がある、と考えて良い。これらの事実誤認と見なしうる部分を除けば、手紙の内容は、十分に犯行宣言として認められ、かつ、元インサイダーであるだけに成功の可能性がきわめて高いと見なされるものである。


 読売新聞、日本経済新聞、朝日新聞の各朝刊は、防犯カメラ16台を津久井署の助言を得て設置したことを報じている※11、※12、※13が、防犯カメラが直前の抑止に役立つのは、機会犯に対してのみである、ということは犯罪学の「常識」である。読売新聞だけは、園が代表電話番号を特定通報番号に登録したことを記している※11。この対応は、適切であるが、周知されていたのであろうか。また、代表電話番号は、詰所から発信できたのであろうか。私は、前日の追記において、防犯カメラ単体よりも、「ナンバープレート自動読取りシステム」が導入されるべきではなかったか、という指摘を念頭に置いて記述した。私のブログでは、私自身が後になって分かりにくいと思う文面を一部修正することがあるが、本点については、記述を修正していない。色々と慮り過ぎて、なかなか伝わらなかったことを反省している。ゆえに、本日の記述は、要らぬ注目を受ける程度に踏み込んだ記述となっている。防犯カメラ単独では、監視人員が充当されない限り、少なくとも予防・抑止効果はない。これは、諸方面に差し障りがあるので具体的な指摘は避けるが、警察官の中でも常識であろうし、誰もが容易に思い至ることのできる「常識」である。防犯カメラの導入が単独では抑止に役立たなかったという結論は、今回、採用せざるを得ないものである。ここでの失敗の敗因は、防犯カメラを推奨した側に、基本的な理解、つまり、防犯カメラは一次予防において役立ち、日和見的な犯罪、機会犯罪には役立つかもしれないが、二次予防、つまり直前の抑止には役立たず、決心の固い(determined)犯罪者には役立たないという、ごく当たり前の知識が存在しなかったことと、容疑者に対する軽侮の念が存在したことであろうことにある。


※11 読売新聞(社会部 田中洋一郎)2016年7月28日朝刊13版11面「相模原刺殺 識者の見方 緊急論点スペシャル/司法と行政 連携強化を 中央大名誉教授 藤本哲也氏」
※12 朝日新聞(久永隆一)2016年7月28日朝刊14版1面「措置入院 あり方検討 厚労省」
※13 日本経済新聞(署名なし)2016年7月28日朝刊14版39面「措置入院から退院 把握遅れ/警察と行政 対応検証へ」

 「常識」という用語を用いた理由は、「誰もが思いつけることは、誰かによって実行される可能性が常にある」という「消費者目線」、転じて「犯人としてありうる目線」の重要性を示すためでもある。衆議院議長公邸において、警備の警察官が手紙を受領し、その事実が津久井署にまで伝達され、緊急措置入院となったところまでは、適切な対応が進められたと言いうるかも知れない。しかし、その後の対応は、十分であっただろうか。容疑者の退院後、各組織の担当者は、今回の事件に悔いのないように、誠意を尽くして業務に従事していたと言えるのか。日本のあちこちで、組織のしがらみにとらわれることのない自由な心証に基づく指摘が必要とされている。改革は必要ないかも知れないが、改善を進めていくことは、必須であり、改善しようとする姿勢には、何らの疚しいことはないのである。


平成28年7月28日18時追記

朝日新聞夕刊は、1面において、容疑者が100mほど離れた民家の前に駐車していたことを報じている※14。この内容は、犯人が陰謀論に係る話題に言及した理由が自身の心神喪失状態を主張するためであるとみる材料となるとともに、ナンバープレート自動読取りシステムだけでは抑止が困難であったことを示すものとなる。防犯設備に係る私自身の主張の強さは、不充分であった。記して我が身の教訓とするとともに、関係者にも反省を求めることとしたい。

 防犯カメラシステムは、RBSS制度を離れて指摘すれば、基本、保護された有線を標準として、やむを得ない場合には指向性の無線を採用すべきである。しかし、有線は、設置箇所が広くなればなるほど、ケーブル敷設に係る工事費が高く付くために、設置面積の二乗根に比例したーブル敷設費用を要するという課題を有する。しかし、駐車場所にも注意を払うほどに容疑者が常習的犯罪者に近い合理性を有しているため、敷地境界を十分に監視可能で、かつ、動体検出が可能なように、それなりの密度をもって設置する必要があったと言えよう。

 朝日新聞は、結束された職員の一人から非番の同僚に向けて『LINE』のメッセージが発信され、これを受けた職員が午前2時38分に110番通報したことを伝えている。代表電話の特別通報登録は、結局、役立てられなかったと言える。この事実は、すべての対策がヒットするわけではなく、どのようなセキュリティ対策においても、多重防護が必要なことを示唆するものである。仮に、緊急通報アプリが存在し、ボタンを2度押すだけで動くものであったとすれば、被害の程度が抑えられた可能性も認められる。

 朝日新聞は、同じ夕刊の別記事において、大麻に係る陽性反応についての情報が共有されていなかったことについて、報じている※15。ここで重要な情報は、むしろ、情報の共有がなされなかったということよりも、容疑者が覚醒剤及び麻薬の任意検査については同意しており、大麻については拒否したという経緯である。この判別能力こそは、情報共有されるべき内容ではなかったか。この情報が提供されていれば、少なくとも、精神科医は、コイツは嘘吐きだな、という先入観を以て容疑者を観察できたはずである。この経緯を記事からうかがい知ることは難しいが、記者本人も本点を意識的に示した可能性が残る表現ではある。それに、容疑者の手紙の中には、大麻礼賛とも取れる表現が見られる。相模原市への当てこすりは、警察内部における情報の非共有を明らかとしてしまう危険性がある。

 最後になるが、本記事は、以前に記したトランプ氏に係る記事以降の記事すべてを含め、3日間、キャッシュへの登録すら保留されている状態にある。密かに変更しても、本記事を密かに覗く者以外には、何ら影響を与えないものであるが、そうすると、私自身がブログを開設し、本年度に至るまでに設定している自分ルールに悖るために、恥を忍んで明記しておくことにする。この機微は、世の中にはプリンシプルが必要である、という信念から生じたものである。私には(、robots.txtがデフォルトである場合には)、キャッシュに乗せるところまでは、プリンシプルの範疇ではないの?という疑問があるのである。


※14 朝日新聞(署名なし)2016年7月28日朝刊4版1面「施設侵入「裏口から」/相模原殺傷容疑者 防犯体制熟知か」
※15 朝日新聞(署名なし)2016年7月28日朝刊4版11面「大麻陽性 県警に伝えず/措置入院時 相模原市「義務ない」」



平成28年7月29日00時追記

デジタルの仕組みについては、私よりも詳しいであろうブログ『弁財天』の運営者氏は、果たして、1分余りで被害者1名となるスピードランが可能であったのかと、サンディ・フックに係る陰謀論にも準じた疑問を呈している(リンク)。容疑者や施設運営上層部以外に係る実名報道がないことは、その可能性を残すものではある。しかし、『弁財天』氏は、一点の可能性を見逃している。この可能性自体、わが国では責任を問う声が上がる可能性があるために、私が真に自身の将来のみを懸念するのであれば、沈黙することが望ましい可能性である。しかし、もうすでに、私は、ある方面から見れば、ルビコンを渡河中であろう。よって、可能性を明示して、今後の教訓として考えられる可能性を述べておこう。

 これだけの凶行が、殺人初心者の個人に可能となった背景として、施設が重度障がい者向けのものであるために、夕食に対して「夜ぐっすり寝られる成分」が混入されていたというものが考えられる。「無理矢理大人しくさせる」種類の薬であれば、関係者でも躊躇したかもしれないが、また、わざと商品をディスるわけではないのであるが、「夜ぐっすり寝られる五大栄養素」的な物質が多く発見されて製品化されている事実は、われわれもマスメディアに囲まれて体感しているところであるから、この考えに職員が至ることは、さほど無理筋ではないし、背徳感のある話でもない。何と言っても、栄養補助食品等は、薬物ではなく、食品に過ぎないのであるから。夜間に問題を起こす入居者がいるという虞がないからこそ、職員らは、仮眠を十分に取れていた、という事情も考えられる。この(薬効)成分の無自覚的な摂取は、被害の低減を考察する上では、避けて通れない内容である。何なら、職員も同じ食事を取ることにより、入居者から信頼を得ていた事情すら認められる。仮眠を十分に取ることによって、職員は、食品の影響を低減できていたであろう。本点可能性に当たっては、事故調査委員会のような仕組みが必要であろう。厚生労働省の委員会の委員が、この可能性に気付くことがあろうか。結構見物である。

 おそらく、前段落の指摘によって、私が御用学者として厚生労働省に呼ばれる余地は、ゼロになったであろう。しかしながら、格好良いことを深夜にほざくのは、人の習性である。朝になったらブログを読み返し、その後に公開するように、という助言を行う記事がウェブ上にあったように記憶する。同感である。黒歴史感を覚えないうちに、とりあえず本追記部分を終えて自分に知らんぷりをすることにしよう。


平成28年7月29日12時追記

前追記部分は、やはり黒歴史感を拭えないが、読みやすさと正確さのために、ある程度の内容を追記して、残すことにする。食品等を工夫して夜間の入居者を沈静化させていたという可能性は、通常であれば、人が考えていないものであるように見えるためである。障がい者施設の実際については、私も門外漢である。しかし、一般人であるブロガーの多くが気付いていないのであれば、また、職員が現場で外部の人物に見せられないことをしているという自覚があるのであれば、実務経験等を通じて現場を具体的に知る御用学者でもなければ、この可能性に気付くことはないであろう。よって、この可能性は、文章として残しておく価値があるというわけである。

 しかしそれよりも、容疑者が知的にだけではなく身体能力にも障がいのある人たちを優先して狙ったという可能性も高いであろう。ただし、この可能性は、先に示した職員側のルーティンと並立しうる内容である。どちらかが成立すると、片方が否定されるという内容ではない。むしろ、両方の条件が揃ったからこそ、被害が大きくなったという可能性が認められる。

 なお、近隣住民により撮影・提供された防犯カメラ映像※16によれば、大量殺人のわりに返り血が少ない、という指摘がネット上に見られるものの、犯人は雨合羽を用意しているし、おそらく、事件現場において、シーツや(この時期であるから)タオルケットなどの寝具をカバーとして利用したのであろう。犯行における容疑者の合理性は極めて高い。行為無価値説からも今回の事件は否定される内容であろうが、この事件で犯人が心神喪失や耗弱ということは、あり得ないであろう。近隣住民が深夜まで起床していたことにも驚かされるが、防犯カメラを設置していた経緯も気になるところではある。

※16 “戦後最悪”19人刺殺、防犯カメラが捉えた容疑者の姿 News i - TBSの動画ニュースサイト
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2830126.htm



平成28年8月6日01時追記

相模原障害者殺傷事件、犯行直前の「貧」と「困」|生活保護のリアル~私たちの明日は? みわよしこ|ダイヤモンド・オンライン
http://diamond.jp/articles/-/97962

 上掲リンクで、みわよしこ氏は、容疑者が生活保護を短期間受給していたが、7月には食事にも困る貧困状態ではなかったかと推測している。7月まで事件がずれこんだ理由の候補として、私にも納得できるものである。みわ氏は、同時に、本事件がヘイトクライムである旨を強調しており、沖縄タイムスの指摘を賞賛している。本事件がヘイトクライムの一種であると見ることも可能ではある。しかし、本事件に対しては、「容疑者の主張が手紙等を通じて広く流布され、障がい者のコミュニティが恐怖を覚え、これに社会が上手に対応できていない」という状況を鑑みるに、私は、あえて、本事件をテロ事件として理解し、対策を実施すべきであると主張したい。

 私が本事件をテロ事件であると主張する理由は、犯罪予防研究という観点から本事件の再発防止を図る場合(私にとって、都合が良いように、「犯罪学」と述べていないことに注意)、本事件をテロ事件と見た方が色々と捗るからである。ヘイトクライム対策に比して、現状、テロ対策のリソースは、大変に豊富である。わが国の縦割りの現状に対して注意深くある人物ならば、本事件は、断然、テロ事件と言うべきである。ヘイトクライム対策に問題を押し込める形になると、実質的に、国民の生命、健康及び財産が保護されなくなってしまうであろう。

 なお、本事件をテロ事件と見て、本事件に類似する事件を抑止し続けられるだけの構想を実現するとなると、別記事(リンク)でも述べたが、エース級の若手警察官が一県(都道府県)で1ダース以上は必要となり、それにつれ、相当のバックアップ態勢が必要となろう。この態勢を維持するためには、追加の手当や制度も必要となろう。他方で、その手当が真に必要であるか否かを検討するためには、裁判におけるインカメラ審理のような方法論が必要となる。このバランスをいかに取るべきかについては、私には構想がない。また、この態勢は、国内の犯罪を防ぐ上で有効になるであろうが、わが国の情報環境を考えると、国際関係の事案にも転用可能であるとは言い難い。この点、融通が利かないと考える向きもいるかも知れない。本点は、問題の所在を述べるだけで、筆を置くことにしたい。


平成28(2016)年9月21日修正

誤記を訂正し、リンクの張り忘れを訂正し、段落に入っている余分な改行記号の<br />タグを削除した。