2016年2月15日月曜日

「正月に帰ってきた財務官僚」という2ちゃんねるの書込みへの反響は、核心を衝くものである

Abstract

  An anonymous at 2ch.net says that a bureaucrat working at Ministry of Finance has told in this new year holidays: people dying of radioactive pollution are, from an eugenics perspective, not so useful since they are idiots; we bureaucrats are glad to sacrifice those people to keep the nation alive, or to protect national interests, since it is our duty to do so; this time is an emergency, and we have gathered all assistance from politicians, business people, and show business people.

http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1453374888/966

  The post above sounds as if true, though the Japanese government has done almost nothing against countless incidents of leakage of radioactive plume since the explosion of FDNPP. The reason it got retweeted so fast since the message posted, 2011 Feb. 11th, the National Foundation Day of Japan, is the insight that it indicates, which Japanese government would not help its citizens.  Japan has small chance of terminating the accident by its own, and this incompetence can be a trigger of application of the United Nation Charter Article 53-2 to the nation, if the situation continues and international relations stay stable.


本文 (in Japanese)

わが国の建国記念日以来、次の「2ちゃん原発情報」(@2ch_NPP_info)氏のツイートが流通を始めているようである。1日で300ツイート以上リツイートされ、伸びは止まらぬ勢いのようである。おそらく原典であろうスレッド(以下、同スレ)の存在を『2ちゃんねる』本家において確認した※1が、それ以降、随分な勢いで転載されたり※2しているので、「2ちゃん原発情報」氏がどのスレを引用したかまでは確認していない。ほかの人たちにもボチボチ転載され始めている※3ので、この書込みの内容が事実でなければ、一種の流言であるということにはなるのであろう。実際、これに類する真偽不明のツイートには、ある程度の前例が認められる※a

 しかし、この真偽不明の2ちゃんねるの書込みをいったん受け入れて、「件の財務官僚の考える国体・国益・国難とは、いったい何を意味するのか」という考察を巡らせてみると、現在の日本社会の混乱状況とその原因を見通せるような気になってくる。それだけの含蓄のある気配が察せられるからこそ、この書込みは、多くの反響を即座に得たのであろう。実際、この書込みは、事実か創作かの別によらず、思考の幅を広げる有用性を持つ。財務官僚氏の言動は、ツッコミどころ満載なのである。

 本稿では、この書込みにある財務官僚の主張が、なぜ的を外したものであるのかについて、私自身の考察を加えてみたい。ここでの財務官僚の主張に対する批判として考えられるものの多くは、すでに同スレの住人により提出されているので、同スレか、文末の要点を参照されたい。私の加える指摘は、次のとおりである。日本人の1%は、99%の国民を踏み台にしても、結局のところ、日本国の運命と共依存的な存在である。この官僚は、99%の国民と国土こそが「国体」を支える主要素であり、他国に逃げても没落を避けられないことを、理解できていないのである。

 まず、件の財務官僚の考える「国体」の中身が「彼(女)の身の周りの1%」に過ぎないことを指摘しよう。彼(女)の発言からは、「国体」の中身が「政界・財界・芸能界」という「国体」のごく一部の構成要素を指すに過ぎないことが良く分かる。彼(女)の「国体」とは、同スレの997氏や998氏の指摘のとおり、通常の日本人が思い描く国体※bではなく、霞が関官僚ならびにその手足となる第二次安倍晋三内閣という「官」「政」から構成される「政体」である。「国益」とは、現在の「政体」から当の官僚自身に生じることが見込まれる「私益」であり、その「私益」を主張する上で十分に確保しておく必要のある「省益」を指すのであろう。件の官僚にとって、「国益」は、決して「日本国」を構成する「領土」や「99%の国民」に帰属する利益を指すものではないのである。

 直接の知人で利益を提供する財界(の一部)や報道関係者(の一部)くらいまでは、「私益」や「省益」を生じさせるために必要な存在であるために、件の官僚にとっては「国体」に含まれうる存在であるかも知れないが、その境界線は、せいぜいがカレル・ヴァン・ウォルフレン氏の言う「鉄の四角形(政官財報)」をかろうじて範囲に収めるものである。植草一秀氏の言う「悪徳ペンタゴン(政官財報米)」や本多勝一氏が原発ムラについて言う「鉄の五角形(政官財報学)」を意味するものではないであろう。ここに、ポイントがあるとすれば、件の官僚の言う「国体」は、決して、皇室を含めるものではない、という点である。この「政体」グループに所属すると意識する人物の共通点は、事実を軽視し、情報操作によって国民全体を誘導可能であると信じている点である。

 彼(女)の「国体」及び「国益」を以上のように解釈すると、「国難」の正体は、件の官僚のいう「国体」及び「国益」に決定的な影響を与えるイベントであることになる。「国民全体」に多大な影響を与えている現在進行中の健康被害は、「国難」ではないのである。ここまでの指摘は、2ちゃんねるへの書込主の理解が的確であるという仮定の上に※c、書込みの内容に自然な仮定を置いた上で、引き継いだものであるために、それほど論駁の余地はない。ただ、当の財務官僚が現実に「国難」を明確に定義したり、その帰結を見通していたりするかどうかまでは、他人には関知できないことである。ここで示された「財務官僚」の理解は、霞ヶ関官僚すべてに該当するとまでは言えないであろうが、自分に明白な脅威が差し迫らない限りは、自己保身を第一とし、国益を保持する作業を怠る、典型的な官僚像を描き出していると言えよう。

 99%の国民の利益を含む国益を毀損してまで自身の利益を確保しようとすることは、日本国における選良を自認するならば、やめておいた方が良い。第一に、外国籍を取得しなければ、日本国において選良として生きてきたという実績があったとしても、彼(女)は、外国生活において自身の財産と安全を維持することは叶わないであろうし、第二に、外国籍を取得したとしても、その子孫は、売国奴の子孫というレッテルを貼られてマイナスの立場から生きることを迫られるためである。第二点目は、成るようにしかならないであろうし、どの外国で生きるのか、その国における卑怯者に対する理解がいかなるものであるのか、という二点が問われることになるので、予想が多岐にわたることになる。ここでは、第一点目に絞って考察を進めるが、その準備は、すでに、当の日本人や、利に聡い外国人によって、着々と進められつつある。

 社会に対する発信力があり、反原発派とみなされる人物が、世界に向けて、福島第一原発事故に対する日本人全体の責任を訴えることは、必要ではある。その事例として、村上春樹氏のスペインにおける演説※4、※5や、小出裕章氏の国内における多くの講演※6、※7,※8を挙げることができる。両氏の主張は、国民個人の有する力に対する理解こそ異なるものであるが、日本の原子力ムラに対する不断のチェックを怠った個々の責任を自覚すべきであると日本国民全員に説くものである点においては、共通している。また、作家や原子力の専門家が自ら正しいと考えることを述べることは、彼らの正当な仕事である。これらの主張に対しては、即座に多くの反発が寄せられたが、この行動の中止を働きかけることは、かえって色々な不都合を生じさせることになるであろう。

注:蛍光ペンの部分は、2016年3月23日に文意が通るように修正した。

 しかし、村上春樹氏や小出裕章氏の指摘は、日本国民と日本国政府との関係を動かし、事故直後のような原子力行政に対する国民の厳しい対応反応を再現できるものにはならないであろう。その理由の一つは、原子力ムラに代表されるような利益共同体の力が国民の良識を上回る程度に力を持ってしまった後であることに求められる。運営が回り始めるまでの間であればともかく、数十万人を直接雇用でき、数兆円以上の産業となった原子力ムラは、甘利明氏の取得したとされる賄賂を考慮すれば、政治家一人あたりにそれ以上のキックバックを提供しうる、類例のない規模に達している。この状態に加え、金銭上の利益共同体を基本とする投票行動の原理は、容易に崩せるものではないであろう。加えて、デュープロセスを通じて、開票時に不正な方法が存在し得る余地を注意深く除外するだけの知恵が市民の利益を代表する側で活用されてこなかったことは、件の官僚のような優生学的態度からすると、お人好しで軽蔑に値する、となるのであろう。

注:蛍光ペンの部分は、2016年8月25日に文意が通るように修正した。

 それどころか、日本人全員に原発事故の自覚を促す議論に対しては、本来、責任を取るべき主体に責任を帰することができなくなるという反論が、反原発派の中からも提起されている※9。原発を推進して利益を享受してきた電力企業や政治家こそ、責任を取るべきであるという反論は、尤に聞こえるものである。しかし現実には、五年を迎えようとする時期に、わずかに、避難の遅れた44名の入院患者に対する過失致死障害罪について、強制起訴による裁判が始まろうとするばかりである。この事件は、事故から生じることが見込まれる健康被害の規模からいえば、影響の100万分の1を問うものに過ぎない。日本国内では、このように検察が機能しない状態は、まったくの平常運転である。三権のうちの司法にも期待できないために、世界に正義を訴えるという次善の手段が執られているのであるが、この戦術が、かえって味方からも非難を浴びるという構図を生じさせているのである。この分裂は、もちろん、原子力ムラにとって利用すべき機会でもある。

 福島第一原発事故に対する司法の機能不全と、リベラルな論者が代替策として世界に正義を訴えるという戦術との組合せは、予想外の結末をもたらす可能性もある。日本国の主権が事故の終息に直接乗り出すことなく、東電へと対応を丸投げし、東電は、無策のまま下請け・孫請けへと弥縫策を丸投げするという状態は、五年間継続している。現時点では、事故の長期的な健康影響が広範囲に顕在化したとは言えないが、今冬から二年後にかけて、首都圏、関東平野から岩手県南部に至るまでの広範な地域において、多くの人々が呼吸器に何らかの障害を抱えることになることになるであろう。他方、世界各国の知性ある人々は、現在の状態から、近い将来を的確に予測している。日本の一般庶民からみて五年間も継続した、現在のマンネリズムは、一体どのような構造から生じているのであろうか。

 今後の予想がある程度付くにもかかわらず、長期的には影響を受けるはずの北半球・太平洋の各国が静観しているかに見えるのには、二つの理由がある。理由の一つは、アメリカ合衆国にとって、わが国が占領政策の随一の成功例であるためである。もう一つの理由は、アメリカ合衆国をも搾取の対象と見なす一部利益集団、いわゆる戦争屋(以前の記事)が、日本国における主要な権力構造への影響力を保持し続けているという状態を通じて、未だに、アメリカ合衆国の軍隊を動かしうる力を完全に失っていないことによる。後者の理由は、前者の理由と強固な相補的な関係を構成する。

 わが国は、傍目には、アメリカ合衆国の占領政策が顕著な成功を収めた事例である。アメリカは、わが国においてのみならず、世界中で長らく顕著な影響力を維持してきた。しかし、子ブッシュ政権によるイラクへの侵攻は、アメリカの国際的な評判を決定的に毀損した。現在では、9.11を理由とするアフガニスタン侵攻に対しても、国内からも疑問を呈されている。こうした中、第二次世界大戦後のわが国への占領政策は、占領後のわが国の経済的成功を導いた理由であるとされ、アフガニスタン及びイラクに対するアメリカの占領政策を正当化する理由とされてきた。私自身は、日本の再武装を抑制したことが昭和後期における日本の経済的成功に至る理由の一つであると考えているために、占領政策を正当化する言説にも理由がないわけではないと考える。

 アメリカ合衆国においても、同国の国益ではなく私益を優先する一部の権力集団が存在する。今回は、この権力集団を戦争屋と呼んでもよかろう。彼ら戦争屋は、利益関係で結託し、学閥や閨閥で強化されているという点において、わが国における権力集団と同様の構造を有する。わが国の官僚集団の少なくとも一部は、戦争屋の指示を忖度することを通じて※e、戦争屋と官僚自身とを利益共同体とみなす行動規範を内面化してきた。

 戦後の官僚集団は、売国を厭わない勢力を含みながらも、朝鮮戦争やベトナム戦争を通じて、わが国の企業系列を中心とした産業社会を育成・誘導することに成功してきた。この過程を通じて、戦前の財閥は、「系列」として、産業上の国際的な競争力を有するまで回復した。原子力ムラは、電力事業という国策産業を打ち出の小槌として、主要財閥の重工業企業や建設企業がその分配に与るという構図を通じて、形成された。「系列」は、金融業なら旧大蔵省、重工業企業なら旧通産省、建設企業なら旧建設省や旧運輸省といった監督官庁の行政指導の下、それぞれが護送船団形式と呼ばれる業務分担・利益分配の構造を形成した。

 これら護送船団形式を監督する官僚集団の大勢が、いつ、どのように、変質し、多数の場面において、アメリカを私する一部の権力集団の意向を忖度するだけの集団へと成り下がったのか、という問題の追究は、一大研究となるので、これ以上取り扱うことはしない。ただ、一つ目のターニングポイントは、昭和60(1985)年のプラザ合意であり、二つ目のターニングポイントは、冷戦終了後のアメリカによる対日政策の変化にあると思われる。いずれにしても、慎重な判断を経た上での話ではなく、惰性に基づく対米追従は、今世紀以降のわが国の官僚機構の習い性となっている※f

 惰性に基づく対米追従は、米国の全体を益するのではなく、米国の1%の一部である戦争屋を利している。わが国の原子力発電所の再稼働は、その好例である。わが国の原子力ムラも、東京電力からの分を除けば、このまま現状が推移すれば、再稼働によって、事故以前の水準の利益を得ることが見込まれる。このため、日本語コミュニティでは、国内の原子力ムラが潤うことに多くの注目が集まりがちであるが、再稼働の理由は、国内の事情によるものだけではない。わが国の原子力発電所は、核兵器級の核物質を維持する国際的なサイクルの一部を構成することが指摘されている(リンク)。この説明は、わが国の原発の再稼働が電力事業の効率性や安全性とは関係なく進められる理由を説明するものとして、説得力を有するものである。北朝鮮の「水爆」実験及び「ロケット」=「ミサイル」実験の前に再稼働が進められたことも、北朝鮮の軍事的脅威を増大させる結果を引き起こしたことになる。日本と北朝鮮のいずれの動きも、結果から見れば、軍事的緊張を煽る戦争屋の利益に貢献している。日本側の官僚主導の政策は、結局、アメリカの国外から、アメリカ合衆国を主な牙城としてきた戦争屋勢力に協力してきたものと見て良い訳である※g

 原発の再稼働が国際的な背景を理由に進められたにせよ、福島第一原発事故への対応自体は、現在のところ、国内問題である。しかしながら、福島第一原発事故の影響は、2011年末には、アメリカ西海岸へと波及している。漏出する放射性物質は、2016年の現時点においても、わが国だけでなく、偏西風に乗り、アメリカ中西部にまで到達している。事故への対処が進まない状態は、先進国としての要件を満たしていないと、諸外国に密かに侮られる要因となっている。諸外国は、日本国政府に対して、それとなく警告や忠告を発してきた。しかし、民主党の菅・野田両政権にせよ、安倍第二次政権にせよ、日本国政府は、現在に至るまで、結果的に、それらの忠告やシグナルを無視してきたことになる。平成28年2月13日現在、この結果に対する責めを日本国民全体に負わせることは、そろそろ機が熟してきてはいるものの、諸外国にとっては、依然として、時期尚早である。日本社会、特に首都圏が明らかに機能不全を迎えるときこそが、日本国民に対する「政体」の裏切りを、わが国のマスコミを通じて非難する好機である。その機会が到来する時期を、諸外国は、ほかの国の動向もふまえながら、見計らっているのである。

 北朝鮮の「水爆」実験と「ロケット」=「ミサイル」実験は、他国が日本国を非難すると同時に日本の「国体」から富を収奪するための準備の一つではあるが、これらの実験は、いずれも、北朝鮮単独の動きとして見た場合には、わが国を揺るがす事態にはならない※h。なぜなら、日本国民が(現時点の)他国民から決定的に富を収奪される事態が生じる条件には、複数が必要とされており、そのうちの最も重要な要件である首都圏の機能不全は、現在のところ、国内問題に留まるためである。他方、日本国政府や日本国民にとって、北朝鮮の対応を変更できるだけの現実的な手段は、制裁を緩めるという方向以外に存在しない。そして、制裁を緩めるという選択肢は、現在のわが国では、取ること自体を考えることが売国と見なされかねないことである。今後の数年の間に、北朝鮮の「ミサイル」=「ロケット」がわが国の領土の主要な部分に着弾するという事態の生じる可能性は、ゼロではなく、その事件が何らかのスイッチとして機能することも否定はできない。しかし、その後の影響が大きなものになることが確実であるだけに、ある種の合理性を感じさせる北朝鮮の独裁体制が、この種の愚策を何の理由もなく実行することは、考えにくいことである。それよりも、重要免震棟の建設もせずに再稼働が申請された原子力発電所のいずれかを、直下型の地震が襲うというシナリオの方が、よほど現実味がある。

 他方、福島第一原発事故は、国内問題に留まる間であれば、国内問題として処理や操作が可能な対象である。国を当面の間維持するためには、福島第一原発事故の解決に全力を用いるべく、政策を切り替えることが一番の近道であった。それにもかかわらず、事故後の日本国政府は、民主党にせよ、自由民主党にせよ、事故の解決よりも、事故の影響の隠蔽に力を注いできた。この影響は、放射性物質のプルーム(粉塵、フォールアウト)が降り注いだ地域だけでなく、放射性物質を付着させた瓦礫を焼却した地域など、より広範な地域において立ち現れることになるであろう。放射性物質を封じ込めるのではなく、国内に拡散させた結果、わが国は、国内の対照群だけで疫学的な検討を実施することが極めて困難な状況を作り上げてしまっている。どのような事件や事象がきっかけとなるにせよ、わが国における福島第一原発事故という危機※hは、わが国の政府が時間を浪費したために、今後、影響が誰にでも分かる程度に顕在化したときには、手遅れであることも同時に判明するのである。

 今年から数年後までの間に、誰の目にも分かる程に福島第一原発事故の健康影響が顕在化したとき、現在の双方向情報化社会において、世界の中でもブログやSNSで発信することを好む日本人※iは、一斉に、反省の弁を口にすることになるのであろう。この兆候は、すでに認められるものである。また、そのとき、村上春樹氏や小出裕章氏の言が再度引用され、われわれは反省の好機を失ったという主張が繰り返されることになろう。これらの反省の弁は、日本国に対してそのときに多大な影響力を有する国が利用することになるのであろう。いわば、先の大戦後、日本人は、総反省することになったわけであるが、その繰返しである。これが、先に言及した「予想外の結末」の第一段階である。第二段階こそ、私の考察したかった内容であるので、筆を進めることにしよう。

 ところで、選良である財務官僚が現在の時点で暴言を吐くのは、彼(女)がそうしたとしても、福島第一原発事故の後処理に対する不作為について、責任を問われることがあるまいし、従来通りに天下りできるものと高をくくっていることに、主な理由が存在すると思われる。そのような油断が、高級官僚の生命や健康、財産の方が一般の国民のものに比べて優先される価値があるかのような彼(女)の発言として表れたのであろう。しかし、この考えは、想像力の欠如からくる油断を表すものであり、願望に過ぎない。件の財務官僚氏の考え方の卑怯さは、韓国のフェリー船のセウォル号の沈没事件と関連付けて考察してみると、明瞭に描き出すことができる。この対比は、陰謀論で有名な掲示板『阿修羅』の有名人である「知る大切さ」氏の書込みを参照したものである※10。2014年4月16日のこの沈没事件において、船長のイ・ジュンソク氏は、乗客を装い先に退避した。わが国を含む諸外国からの船長に対する非難は、当然の帰結である。船長の姿勢が世界中で批判されたのは、セウォル号の沈没に際して救命ボートに乗り移ろうとした下着姿の船長という、乗客との関係が実体化されやすい「映像」が存在したためである。他方、乗客である遭難者たちとセウォル号(の運航企業や船長)との間に締結された、当日の運航便という契約関係を考えてみる。すると、乗客にとっては、一度限りの契約関係が重大な結果を生んだわけであるが、船長らにとっては、それまでに多数締結してきた契約のうちの一つに過ぎないわけである。船長にしてみれば、マンネリ気味の日常業務の中、突然生じた危機の責任を取ることは、いざというときに、人柱としての機能を期待されていると言えども、覚悟を決めることができなかったということになるのであろう。しかし、裁判の経過はともかく、通常人の感覚からすれば、このような怯懦を理由に、イ氏を許すということはしないであろう。イ氏と企業が生じさせた結果が重大であることは、誰の目にも明白であるためである。

 ところが、防衛省職員を除くと、福島第一原発事故の責任を取ることになるであろう国家公務員の人数と健康影響を受けうる人数との比は、セウォル号の船長1名に対する「死者295人、行方不明者9人、捜索作業員の死者8人(Wikipediaの孫引き)」という比に匹敵する人数となり得るのである。国家公務員は大体37万人であるが、福島第一原発事故において外部被曝により影響を受けうると見なされるγ線空間線量率地図が作成された地域には、大ざっぱに4000万人が居住する。現在、首都圏への若年層の社会移動は、なお流入傾向にあるものの、これを勘案せず、毎年30万人が首都圏や東日本の太平洋沿岸部で出生すると仮定すれば、5000万人程度が福島第一原発事故によって、影響を被るものと予想できる。この人数は、セシウム137やストロンチウム90の半減期を前提としたものであるので、後世代への影響がここでの予測以上に達する可能性も十分に存在する。また、内部被曝を促進する「食べて応援」も考えると、影響を受ける人数は、最大で3倍程度、つまり全国民と同程度まで達しうる。よって、現在の国家公務員のマンネリズムと政治家の無策は、セウォル号船長とおおむね同じ人数比での責任を彼らに生じさせるのである。

 繰り返しになるが、現代の国際社会においては、国内の問題は、国が主権をもって対応することになっている。よって、問題が国内に留まる限り、この日本国政府の拙劣な対応は、放置されることになる。しかし、日本国が、国内における多病と多死を、国民と諸外国の目から隠しおおせなくなった頃には、影響を受けた外国においても、原発事故による後発性の健康障害が明らかになり始めるであろう。そのとき、日本国は、各国からも福島第一原発への対応を非難され、各国で生じた健康被害の賠償を求められることになる。そのとき、日本国として有効な手を打つことができなければ、その責任は、国際的な組織や国家連合による、内政干渉という形で償われることになるであろう。この事態は、独裁国家と同様に、また隣国における最大級の海難事故と同程度の責任を国家公務員が負うことが予測されているにもかかわらず、わが国が人命を軽視してきたことの当然の帰結ではある。

 福島第一原発事故に対して、諸外国がその国民に生じた健康被害をもって日本国への内政干渉の口実とするとき、原発の再稼働は、再武装の意志ありとする諸外国の理由付けに用いられかねない動きとなる。兵器級の核物質の生成のネットワークに組み込まれているという事情があるためである。原発の再稼働をもって再武装の意志とみなすことは、日本国民の大多数にとって、無理筋も良いところであるが、ここで私が示した理屈が屁理屈であるかのようにみなされるのは、わが国がアメリカの占領政策の随一の成功例であるがゆえ、親ブッシュ・子ブッシュ政権時に中東諸国に引き起こした混乱と占領政策の正当性を、アメリカが国際社会に対して訴える際に役立つうちのことである。

 中東諸国の混乱が収められたとき、アメリカが従来主張してきた形の民主化に対しては、「日本や韓国という極東諸国であったからこそ成功したのではないか」という、疑問が付されることになる。中東諸国には、現在、大きなパワーシフトが生じている。変化の兆候は、一つには、石油取引の元決済に表れている。もう一つの兆候は、原油価格の安値である。原油価格の抑制は、ロシアにも影響を与えつつも、シェールガス産業により深刻な打撃を与えている。シリア情勢の行く末は、中東地域におけるサウジアラビアやイランの地位に、不可逆の変化をもたらす可能性が高い。

 中東諸国の混乱が収められたとき、日本の国情に何もなければ、アメリカの占領政策の成功は、単に「極東アジア特殊論」という話で終わることになり、わが国は、依然としてアメリカを第一とする政策を継続することになるであろう。この場合は、空母ロナルド・レーガン乗組員のトモダチ作戦における被曝被害への損害賠償請求裁判の行方が、日本国に対する米国民の輿論を決定付けるであろう。この裁判の行方は、国際情勢がある程度現状に即して進んだ場合、わが国に最も影響を与えうる裁判となるはずである。にもかかわらず、日本語マスコミは、この問題を最大のニュースとして取り上げるところがないように見える。

 しかし、日本の国情に何も変化がないということはあり得ない。東日本で出生数が大きく落ち込もうとも、しばらくの間であれば、かつ、死者数が徐々に増加するに留まり、病人が捌ききれる程度に増加する間であれば、わが国は、何とか持ちこたえているように見せかけることができるであろう。この「現状維持」の状態は、件の財務官僚の言う「国益」の具体的イメージでもあろう。しかし、日本国内でも病人が激増しているというニュースが海外で報道されたり、(統計ではなく)個人の生活において、知人に多数の死者が認められるようになったとき、特に労働年齢人口から死者が多発するようになったとき、日本国の1%は、いかに否定しようとも、また統計を操作しようとも、これらの現象を隠しおおせなくなるであろう※k。もちろん、そうなったときに、天下りなどという制度が維持できる保証など、どこにもない。

 国際情勢に決定的な変化の見られない場合、今年のアメリカ大統領選挙は、アメリカがわが国に福島第一原発事故の収束を命令する契機として作用するであろう。今年中に選出されるアメリカの新大統領は、現在までの投票行動を見るにつけ、いずれの政党の候補者であるにせよ、また、従来型のワシントンの政治家が選出されるにせよ、99%の国民の意向を踏まえた舵取りを迫られることになろう。この見立てが正しいならば、「日本人が米国人を被曝させている」という意見が既に存在している以上※j、この意見が「旧敵国人が無為を装い米国人をダーティボムで攻撃している」という解釈へと変質する可能性は、見込まれる事態である。この推移は、あり得るシナリオのうち、覚悟しておくべきものの一つである。このシナリオが現実のものとなったとき、死文化したと専門家にはみなされている、国連憲章の敵国条項が適用されることになるであろう。

 無能力ゆえに国民と諸外国を放射性物質の危険に晒す日本国政府は、悪役の存在を欲する外国政府にとって、またとない悪のイメージとなる。そのイメージを具現化するためには、日本国民の健康被害についての具体的な「絵」が必要である。もちろん、このイメージだけでは、日本国から利益を搾取することはできない。このとき、わが国が、すでに多くの利益を海外の戦争屋に提供し続けてきたという事実が、外国の別の勢力にとって、利用価値を帯びるものとなる。ここ2週間の日経平均株価の大下げは、戦争屋への利益供与の最終段階と見ることのできるものでもある。これらの事実を組み合わせれば、日本国政府の売国的勢力と戦争屋がタッグを組んで、悪巧みをしてきており、日本国民がその犠牲になったという図柄が出来上がるのである。

 後は、一国民にとっては、なるようにしかならないのであるが、要は、時が至れば、多くの現象の組合せが日本国政府の無為の責任を問うためにあえて放置されていたということが明確な輪郭を伴い、誰にも見えるようになるのである。わが国が、この状態から脱出するためには、今までの無作為を反省し、その対応を世界に宣言することから始めなければならないであろう。福島第一原発事故への対応について、公に誤りを認めた上で、国際的な救援を真摯に求めたときに、初めて、守勢からの一手を打つことができたことになるのである。もちろん、このような変革は、現政権に期待すべくもないことではある。蛇足になるが、日本国政府のような、非競争的な環境に置かれた日本文化の悪しき点は、マンネリズムであり、前例踏襲ゆえに改善という概念を有さないことである。このようなとき、前例のない、未曾有の大事故に対して、財務官僚氏が国民切り捨てを平然と言ってのけることは、公害問題にせよ、敗戦にせよ、十分に予測されることであった。

 日本国民は、国際社会またはアメリカの介入の後、従来の生活に大きな変更を余儀なくされるであろう。そのとき、競争力の源泉たるノウハウを有する製造業は、ノウハウを有する人材とともに、海外に雄飛することになるかもしれない。または、西日本や北海道など、比較的汚染の少ない地域に集住することになるかも知れない。アメリカの介入後、日本人が日本に多数残るということになれば、件の財務官僚も、吸血者としての余生を全うできるかも知れない。しかし、物事はより深刻に推移し、おそらく、多くの企業が従業員に多くの病人を抱えることになり、日本の全産業が重大な打撃を受けることになろう。金の卵を産まなくなった鵞鳥を、飼主がいかに扱うのかは、当の飼主に聞いてみなければ分からない。しかし、新しい飼主が、戦争屋を排除したアメリカであるならば、以前から人権外交を掲げ、健康被害を生じた自国民を抱え、懲罰的制裁金を司法制度に有しているアメリカであるならば、責任者である官僚組織全体を連座させて落とし前を付けさせない訳がないことは、自明過ぎる話である。

 官僚組織にとっての悲劇的な結末を避けるためには、1%の何%かが事故直後にそうしたように、海外に逃亡することが唯一の選択肢になる。その際は、後世の日本人による資産返還請求を避けるために、外国籍を取得する必要が認められよう。そうしたとき、一世代前以上に外国に移住した日系の当国人は、元高級官僚の売国奴とは一緒にはされたくないであろうから、「元高級官僚の売国奴」に対し、相続税の強化なり国籍取得要件なりを事後立法であっても政府に要求するであろう。無論のこと、金持ちの日本人を無償で優遇する理由はないので、当国の政府は、「元高級官僚の売国奴」からは、気兼ねなく、事後法によって、あるいは日本国政府から売国奴当人への賠償請求を通じて、可能な限りの金銭を徴収するであろう。日本国に残された国民が売国奴当人からの賠償金を取得することは、まったく期待できないが、その代わり、売国奴当人に現地における健康で文化的な最低限度の生活を保障しつつ、それを上回る資産を当国の政府に没収させるという取引は、必ずや成功するであろう。その国が拝金主義的ならば、なおさら、この目論見が成功する確率は高まるであろう。このような取引を成立させる知恵こそは、「優生学的」に強者である証なのである。

 ここまで読み進める者がいるとは思えないが、(いたとすれば、大変申し訳なく思う。)ここまでの説明によって、件の財務官僚氏がダークサイドに堕ち、手足をもがれる前に打てる手は、かなり限定されていることが明白である。第一に、福島第一原発事故の影響を、現状可能な限り、完全に封じ込めることである。第二に、従来の不作為が不作為ではないと主張できるだけのアリバイを作ることである。ここに至り、ようやく、村上春樹氏や小出裕章氏の指摘が巻き起こす第二段階の予想外の結末を示すことができる。

 件の財務官僚がいかに自身の責任を否定しようとも、海外の識者は、ノーベル文学賞候補の常連と化している村上春樹氏の言葉に耳を傾けるであろう。中東情勢の変化も、その傾向に拍車をかけることになるであろう。小出裕章氏による原子力産業についての証言もまた、海外識者の包囲網を強化するであろう。産官学財報が一体となって原子力産業を推進してきたという理解が海外で共有されたとき、件の財務官僚に言い訳は許されなくなる。現在の時点で財務官僚を務めていては、すでに責任を免れることが叶わないのであるが、先に述べたように、逃げてもどん詰まりであることにも変わりがない。

 海外の識者、司法関係者が「日本国民全員の、応分の責任」に共感したとき、日本国民の間で、責任の押し付け合いが始まるであろう。そうしたとき、一体、日本国民のどれだけが、「政治家の指揮命令に唯々諾々と従う官僚」という説明に納得するであろうか。わが国の官僚組織は、良くも悪くも政治家のように振る舞ってきたのである。官僚の分を過ぎた振舞いは、マックス・ヴェーバー氏が政治家について喝破したように、結果責任という形をとって跳ね返ることになるであろう。ましてや、天下りなぞしていた日には、到底、責任を逃れることなど叶わないであろう。それに何より、すでにウェブで多く指摘されたように、官僚であるからといって健康被害を受けない謂われは、どこにもないのである。



※1 著名人の病気や体調不良・訃報報告★63©2ch.net
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1453374888/966
#966番の書込みである。一応、系統的な方法により確認済みである。
批判は、おおむね次のようにまとめられる。
  • (#放射能は)肩書きで相手を選ばない(967氏)
  • 放射能に強いやつ以外はいらんってか(968氏)
  • 自分が倒れる直前まで俺は大丈夫と根拠なく信じている(971氏)
  • 生物 地学で東大入学の場合 放射能とか(#分からない)(972氏)
  • 財務官僚では、事態の深刻さが分かってない(992氏)
  • 官僚も使い捨てされるだろうが、国体の護持を言うのならまず陛下も(#防護が必要)(997氏)
  • 国体の護持って言い換えると利権の維持(998氏)

※2 一般人の病気や体調不良など★44 [無断転載禁止]©2ch.net
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1455192487/

※3 被曝回避しない人、できない人は優生学的に劣っている!!: ずくなしの冷や水
http://inventsolitude.sblo.jp/article/173895967.html
役人の本音がちらほらと聞こえてくるようになった。上のツイートは、信憑性ありだと思う。

※4 村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上) - 毎日jp(毎日新聞)
(Internet Archive: Wayback Machineによる2011年6月23日のキャッシュ)
https://web.archive.org/web/20110623223036/http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html

※5 村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下) - 毎日jp(毎日新聞)
(Internet Archive: Wayback Machineによる2011年6月22日のキャッシュ)
https://web.archive.org/web/20110622131106/http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040019000c.html

※6 長野)「原発事故、一人ひとりに責任」小出裕章さん講演:朝日新聞デジタル
(関口佳代子 2015年11月30日03時00分)
http://digital.asahi.com/articles/ASHCY5T8PHCYUOOB008.html
 「事故を起こさせた責任を一人ひとりが問われている。だまされた(側にも)責任がある」

※7 特集ワイド:続報真相 大人は福島原発事故の責任を取れ 京大原子炉実験所助教・小出裕章さん最終講義 - 毎日新聞
(毎日新聞 2015年3月6日 東京夕刊)
http://mainichi.jp/articles/20150306/dde/012/040/002000c
 「子どもは、細胞分裂を繰り返してどんどん成長するので、放射線被ばくに大変敏感です。子どもには全く責任がない。大人は自分が被ばくしてでも子どもを守らなければならない。放射能汚染はなくならないので除染ではなく、実際は“移染”ですが、人が住んでいる現状では移染もしなければなりません」
 そして、大人の責任に関連して、70年前までの軍国主義の時代と今との共通点を指摘した。「国民は戦争に協力し、神の国だから負けないと信じ込まされ、戦争を止めなかった。ごく普通の人々が、戦争に反対する人を非国民と責めた。戦後、多くの人は政府にだまされたと言い訳した。原発では、推進派が決して事故なんて起こさないと言った。いま、国民が推進派にだまされたとも言う。今後、原子力に対してどう向き合うか、私たちは未来の子どもたちから必ず問われる」

※8 ぼちぼちいこか。。。 : 9月13日 【文字起こしUP】小出裕章氏と語る、続・原発『安全神話』溶融【その⑤】
http://bochibochi-ikoka.doorblog.jp/archives/3034125.html
#これは、
小出裕章氏と語る、続・原発『安全神話』溶融 - 2011/09/13 18:30Start - Niconico Live
http://live.nicovideo.jp/watch/lv62917682
の書き起こしという。

※9 阿修羅で小出裕章批判圧勝 : 脱原発運動に敵対する小出裕章氏を批判する
http://blog.livedoor.jp/pph2tm-ikenobu/archives/54722238.html
各人の責任は、他の人から指摘されるべきではなく、推進派との闘争の過程で各人が自問すべきである。

※10 「財務官僚曰く、「優生学的に被曝被害で死ぬ奴はたいした役にたたんでしょ」 魑魅魍魎男」中のコメント

http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/832.html#c17
でもさー、それってセオール号の船長や船員に近い発想だね。
同胞の他人様の高校生見殺しだったね。
その考えだと何処まで進んでも(焼肉定食)弱肉強食なんだな。

※a たとえば、次のツイートは、「PM」の表記が「PN」であったり、3回の伝言ゲーム(元政府関係者→妻→友人→私)を経ていたり、PM2.5の計測手法の発展を踏まえていなかったりする。しかし、PM2.5の生成メカニズムが判明していること、また中国の地上核実験による汚染物質が黄砂とともに飛来していることと勘違いしている可能性も認められる。そのために、このツイートを無批判にリツイートすることは問題であるが、同時に、赤の他人が「うるま」氏のツイートのどこが誤りであるのかを同定することは困難である。このツイートを事情を知らない他人が全否定するということは、追加の情報がない限り、困難である。このツイートを肯定してリツイートすることは誤りであろうが、むきになって否定することもまた誤りである。この機微を理解することなしに、物事の真偽を正確に判定するという作業は、行えないものと考える。

うるまさんはTwitterを使っています: "@devenir21 私の友達がNZで出会った元政府関係者の妻が言っていたそうですが日本は深刻な汚染状況でこれを国民に知らせたらパニックになるので情報操作を決断したそうです。 PN2.5も数十年前から到来していましたが放射能問題を打ち消す為にあえて今になって煽っているそうです。"
https://twitter.com/wiz676/status/459638074125742080

※b 「国体」の定義を過不足なく取扱うことは、私の手に余ることである。ただし、それでも一応は、ここに出てくる財務官僚を批判する上では、定義めいたものを記しておく必要があるようにも思われる。一般的にイメージされる「国体」とは、複数の構成要素からなるが、その一つは、天皇陛下と皇室ご一家の存在、ならびに皇統の継続であろう。また、国家の三要件が維持される結果、国民の生命・健康と財産が保護されることがあり、さらには、その結果として、日本語及び(西洋文化に対置される、東洋文化の一系統としての)日本文化が維持されることであるといえよう。ここに挙げた要素の順位や軽重には、人によって変動があり得よう。ただし、本稿では、皇室と日本国民の大多数が財務官僚氏のいうところの「国体」から事実上欠落していることが重要である。この点さえ正しければ、私の議論における「国体」を定義することは、実際のところ、不要である。

※c 書込み主の相手の主張を理解する能力は、文面から察する限り、相当に高度なもののように思われる。

※d 北朝鮮の実験が、裏で通じている日本の存在によって実現できたものである、という見方(陰謀論)が存在することは、承知している。

※e 日米合同委員会によって、直接の指示を受けているかの主張が一部の論者から提起されている。矢部宏治, (2014). 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』, 集英社インターナショナル.が端的な事例である。私は、日本国の官僚の対米隷従的な行動が外形的に米国の指示に従うものとなっていることについては、その通りであると認める一方、直接の指示を受けているとする矢部氏の主張については、証拠不充分であると考える。対米隷従官僚の行動は、追従する場合としない場合とを比較衡量することから生じる合理的な判断に基づくものであり、酷い場合にあっても、官僚自身の忖度によるものであろう。仮に、日米合同委員会という場において、米国側の出席者が明確な指示を与え、指示への服従を要求し、日本側の出席者がその命令に服したという事実があったとしても、その事実は、日本側の出席者に証拠として残されることはないであろう。この点、日米合同委員会において共同謀議が行われているとする矢部氏の主張は、筆を滑らせたものであり、誤解を与えるものであると考える。ただし、日米合同委員会において、政策上の打合せが政治家よりも早いタイミングで行われている可能性は、極めて高い。その端的な事例として、第189回参議院, 平成27年9月2日, 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会, 15号, pp.27-28.において取り上げられた河野克俊統合幕僚長の平成26年中の訪米に係る日本共産党の仁比聡平氏の質問が挙げられる。平成27年9月10日、河野氏自身により、文書の存在そのものは認められたが、それ以上の政府からの説明は、公に対しては示されていない。仮に、この見通しがまったくの個人的なものとして発せられたのであれば、問題とはならなかったであろう。問題がある箇所を指摘するとすれば、それは、米国側担当者による質問を公的な回答への圧力があるものとしてとらえ、同時に、回答自体をいわば米国への組織としての公約として内面化した過程にあるものと思われる。

米軍幹部との会談資料、「同じ題名の文書は存在」=自衛隊統幕長 | ワールド | ニュース速報 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
http://www.newsweekjapan.jp/headlines/world/2015/09/156683.php

※f 少なくとも、バブル期から20年程度が経過した鳩山由紀夫内閣時には、政治上の決断を実現しようと尽力しないばかりか、真逆の方向に活躍した官僚が複数存在した。この事実は、アメリカ側の資料が図らずも公知のものとなったために、判明したものである。鳩山政権に対する反逆行為に及んだ官僚の一人は、第二次安倍政権において、順当な異動を果たし、わが国の紛争解決に係る意思決定を左右する地位を占めている。この事実は、日本国における主要な権力構造が国外の戦争屋の影響下にある、という先の私の主張を十分に裏付ける材料である。また、3.11後の菅政権における「脱原発」路線を民主党政権のうちになし崩しにしたこと、安保法案の高級官僚の少なくとも一部が、わが国の政治を軽視し、わが国の民意以外の何かと共同歩調を取ることを習性としていることを示す証拠である。

※g ほかにも例証は色々あるようであるが、タイミング良くまとめる作業が私の手に余るので、またの機会とする。

※h 原子力緊急事態宣言は、福島第一原発(事故)については、平成28(2016)年2月14日現在も、『原子力災害対策マニュアル』にある通りの「原子力緊急事態解除宣言」が発令されていないために、継続中である。福島第二原発に係る原子力緊急事態解除宣言は、平成23(2011)年12月26日に内閣総理大臣の野田佳彦氏によって発令されている。

原子力災害対策マニュアル(taisaku_manual.pdf)
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/genshiryoku_bousai/pdf/taisaku_manual.pdf

国立国会図書館デジタルコレクション - 東京電力株式会社福島第二原子力発電所に係る原子力緊急事態解除宣言について
http://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6011739?tocOpened=1
 
※i Usage Statistics of Content Languages for Websites, February 2016
http://w3techs.com/technologies/overview/content_language/all

 この統計は、 Alexaにより評価されたトップ1000万サイトにおいて利用されている「技術」の言語から言語を判別したという。2016年2月15日の閲覧時には、次のとおり。フランス語やスペイン語に比べれば、日本語ドメインが多く存在することが分かる。なお、この方法論では、実際に用いられている言語の割合をうまく調査できないとの有力な批判が存在しているようであるが、日記好きの国民性は、まだまだ有力であると考えておいても、それほど問題ではないであろう。

languageshare
English53.7%
Russian6.3%
German5.7%
Japanese5.0%
Spanish4.9%
French4.1%

 なお、Ethan Zuckerman氏の報告によれば、アラビア語圏においては、従来ブロガーが英語で世界に向けて発信してきたところ、アラビア語で発信する動きが始まっているという。主に日本語で記述している私が書くことではないのであるが、母国語での発信は、国民の閉鎖的な情報環境へと囲い込むことにつながりうる一方で、輿論を形成することにもなりうる。アラビア語による情報発信・交換がどのようにアラビア語圏諸国の対米外交へと影響するのか、興味が持たれるところである。実際、日本語の閉鎖的環境はかなりのものであり、圧倒的に裕福であり英語教育を受けた者が多いはずであるのに、私がアラビア語圏のことを知りたいときに、英語ブログを参照できる一方で、おそらく、アラビア語話者が日本のことを知りたいとき、英語ブログを参照したとしても、それほど有用な情報が日本人によって英語で発信されているとは思えない。福島第一原発事故のことを参照すればするほど、そのように思ってしまう。主に、日本語に堪能な日本語以外を母国語とする人物によって、福島第一原発事故は海外に発信されているのである。

※ English is no longer the language of the web - Quartz (Ethan Zuckerman, June 20, 2013)
http://qz.com/96054/english-is-no-longer-the-language-of-the-web/

 なお、Miniwatts Marketing Group(リンク)は、2015年11月のNielsen Onlineなどのユーザデータから、先のザッカーマン氏の指摘に適う言語別のユーザ数を推計している。

languagesInternet Users % of World Total (Participation)
English25.9%
Chinese20.9%
Spanish7.6%
Arabic5.0%
Portuguese 3.9%
Japanese3.4%
Russian3.1%

※ Top Ten Internet Languages - World Internet Statistics
http://www.internetworldstats.com/stats7.htm

※j 探してみたら辛い気持ちになること請け合いなので、その作業はお任せしたい。私は、放射性物質の漏出が継続しているというニュースに際して、アメリカの若者が検閲語を繰り返す映像を見て、そりゃそうなるよな、と暗澹たる気持ちになって探すことを止めた経緯がある。日本の官僚や電通を始めとする広告代理店は、日本国民を騙すことができても、全世界に影響力を及ぼすことなどできない、非力な存在なのである。

※k 第一、オープンソースにおける統計やデータベースの使用状況に係る報道によって、不正選挙の尻尾を掴まれる程度の官僚しかいないのであれば、現在の情報化社会においては、戦う前から戦に負けていると言える。ヒューミントを駆使されれば、ひとたまりもないと言える。(使いこなせているとは言えないかも知れないが、)オシントしか使わない私でさえ、それなりに世界が見えている(かのように錯覚している)のに、優秀で忠実な職員が複数がかりで情報を収集する組織が私より的確に状況を把握していない訳がないのである。

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