Google+1において、地理情報システムに係る前日の読売新聞記事(2016年1月31日朝刊1面)を紹介した(私は、デジタルでなく紙面で読んだ)が、地理情報システム(GIS)ソフトウェアの選定において、ヒューマンウェアの重要性、プロプライエタリ/オープンソースという二つの観点が抜け落ちている可能性があることを、追加して指摘しておきたい。この欠落は、記者の理解に起因することも十分に考えられる。
現在、消費者市場に流通する主要な地理情報システムは、ほとんどが海外発祥のものである。米陸軍の『GRASS』のように、きわめて充実した機能で先行する実例が見られるとき、前例主義のわが国の行政人が同様に地理情報システムを整備する道を辿ろうとするのは、理解できないことではない。
最初に、関係者を責めるつもりは決してないことを断っておくが、客観的にみて、わが国が単独で邦人救出を行えるようになるとは、私にはとても思えない。アメリカやロシアのような外交・軍事大国であれば、単独で情報を保全・整備して、外国の領土において秘密裏に作戦を実施することも可能であろうが、わが国はそのような能力を有さないし、有する方向に向かうべきではないであろう。この方向性は、非効率の極みである。それよりも現在のソフトパワーを有効に生かすことがわが国には求められよう。わが国は「長い耳の兎」で行くほかないという伊藤寛氏の指摘(『サイバー・インテリジェンス』, 2015, 祥伝社新書.)には、同意する。
とすれば、邦人事件への対応に利用される地理情報システムでは、種々雑多な情報を効率的に収集して整理できる性能を重視すべきであろう。ベースとなる衛星情報にしても、わが国は、稼働中の人工衛星数で見れば、米499、中165、露147に次いで69基を擁する(CelesTrak、2016年1月31日)が、これらが世界各国で生じうる邦人誘拐事件等に利用できるだけ十分に密に配置されたものであるとまでは言えない。アジア各国の事情を観察する上で使える衛星は多いかも知れないが、南米までを単独でカバーすることは、とてもではないが非効率的である。すると、この種の場面で利用されるGISソフトウェアは、外国政府や民間から提供される情報をいかに簡便に加工し整理できるか、という性能を基本に選定されることになろう。10分で(あるいは逐次的に)あらゆるデータを取り込めなくてはならないのである。2016年2月3日追記:海外の情報提供者が簡単に情報を追加できるという条件を想定すると、現状で普及しているGUIは、かなり有力な選択肢となることであろう。
規範的な価値、実証的な価値からの是非は置いておくが、アメリカの情報機関の優れたところは、戦略的かつ系統的にSNS情報を入手する手立てを総合的な観点から構築しており、その整備に官民挙げて取り組んできたことである。データやソフトウェア、それを動かすためのハードだけでなく、分析する人材も重要である。分析者・意志決定者が情報の波に溺れたという批判が一部にあるものの、情報を統合的に入手する手段がなければ、情報に溺れることすら適わないのである。実際、前年1月の自称イスラム国による邦人人質事件では、わが国の情報担当者が情報を得られない様子がありありと映像に反映されていた。幸い、GISデータを自前運用できるだけの基礎的な要件には、ビッグデータの取扱に係る技術が自前で用意できる、というものがあるが、この点については、わが国の研究業界は、対応できている。しかし、そのほかの工程において、どのような情報を入手していかなる情報を産出するのか、に係るヒューマンウェアについての構想は、決定的に不足しているように見受けられる。
雑多な情報を的確に解釈するには、高校教育課程まで、つまり中等教育を通じて学力を完全に身に付けた、エンリッチメント教育の申し子が分析担当機関に数百名規模で必要である。大学教養課程までの学力をバランス良く身に付けたという人は、わが国では、個人に対する報酬が望める業界(や海外)に進んでしまうので、むしろ、海外からの情報提供者として有用かもしれないが、今後のわが国において、情報を分析するという黒子的な役割とはミスマッチを生じる可能性があろう。このような人的体制を構築するには、早くとも四半世紀を要する。日本国の資源を無駄に利用してしまってきている不惑の私が偉そうに言うことではないが、読者が本ブログを読み、学術的と呼べる考え方の一つでも知らなかったと認めることがあれば、20代前半までの間に、これらを含むより広範な知識体系を効率よく吸収でき、かつ、愛国心を涵養できるだけの教育システムというものの実現の困難さを、読者は認めざるを得ない状況に直面したことになる。私のブログの内容の正否(間違いが含まれうることは、まったく否定しない)を根拠をもって判定できるだけの学識を備えた者、何なら私の誤りを手を動かして実証的に指摘できる能力を有する者こそが、責任をもって国民の生命と安全と財産を保護できるだけのジオインテリジェンスを産出することができよう。(たとえば)他者の日本語ブログを眺める限りでは、素晴らしい見識を有する日本語話者は多く存在するが、そういう人材が散在しているだけでは、インテリジェンスが日本語コミュニティに蓄積されているとは言えない。少なくとも、彼らの知恵を自由かつ随時かつ迅速に拝借できる態勢が整えられていることが重要なのである。また、優秀な分析者を若年層から調達できるか、その人材を適切に処遇できるか、その状況を維持し続けられるか、というところに、ヒューマンウェア養成システムなるものを作り上げ維持することの困難さが認められるのである。
ジオイントの産出に携わる人材には、技術上の勘所を押さえているという能力が求められるかもしれないが、超高度な専門技術というものが彼らに求められる場面は、さほどないであろう。むしろ、事情に応じて、あるデータを加工できるだけの企業等に超特急で業務を発注できるといった意味合いでの指揮能力、即応性が求められるであろう。日本社会がそのような企業を多数内包する状態を維持できることは、日本社会の安全性を担保する上で、重要な側面である。この点、行政担当者の発注能力のお粗末さの原因と構造の分析は、(責任追及のためではなく、)今後の改善のために、より真摯に追究されるべきことである。(たとえば、昨年10月に逮捕された、厚生労働省の課長補佐の収賄事件は、官僚の専門的能力の不足が悪い方に表れた事例と見ることができる。)
ところで、「インテリジェンスに友人なし」と、この方面の識者が異口同音に指摘しているとき、GISソフトウェアを導入する担当者は、情報の保全という要件をどのように解決するのであろうか。ここまでに指摘してきた、「情報は単独調達できない」、「他国との協力が不可欠である」という要件は、プロプライエタリソフトウェアとは非整合的なものとなりうる。一朝事あるときに、内密に機能を拡充するというサンドボックス的な作業を阻害するからである。ただし、プロプライエタリソフトウェアを提供する企業に弱みを握られながらも国民の安全と財産とを保護可能であるというのであれば、それはそれでひとつの政治的判断であろう。私の知る限り、プロプライエタリソフトウェアを提供する企業に全面的に依拠しながら、国民の生命一人分とて失わしめなかったという実績を有する主権国家は、一つもないようではあるが。官民の協働は、前提条件である。しかし、この協働という前提条件と、利潤の獲得をレーゾンデートルとするプロプライエタリソフトウェアの提供企業に全てを委ねるという決定との間には、大きな途絶がある。金銭的な有限責任だけを負うことにより発展を可能とした現代の企業は、組織の成員の無限責任から成立するはずの国家とは、役割により、明確に分かたれる(べき)存在なのである。
しかし他方で、柔軟性を求めるためにオープンソースソフトウェア(OSS)を採用するという選択肢を取るとしても、その場合には、考慮すべき特有の事情があることも事実である。OSS-GISの大半は、経験的に、わが国で流通してきた文字コードであるshift-jis形式と相性の悪い状況を引き起こしがちである。このために、仮にOSSを採用するのであれば、ソースコードを見ながら、スクラッチでソフトウェアを構築するという作業が必要になるかも知れない。系統的かつ統一的な作業が行える環境においては、文字コード変換に伴う問題は生じにくいが、多数の情報提供者が多数のソースからゴミ情報を含めて情報を寄せるとき、それらの情報を整備して理解しやすくするためには、なかなかややこしい工程を経る必要が生じる。自称イスラム国がエッチな映像に命令を潜ませて流通させているとされるというニュースは、ほぼすべての情報機関や「悪の組織」に認知されたものとなっているが、このように非言語情報から文字や音声等の言語情報を取り出すという作業においても、文字コードの問題は、些末であるが、うんざりするような問題を引き起こす。ユーザから見て、「地理情報」取扱上の問題は、大抵、「地理」にあるのではなく、「情報」の部分にあるのである。もちろん、座標系の問題は、地理情報につきものであるが、座標系を付されていない地理情報であっても、たとえば、人質の所在地をある国の奥地から探るという具体的な問題に即して考えるとき、問題の深刻さはそれほど大きなものではなくなる。平面座標系で原点がずれているとかいう困りもののパターンも生じそうではあるが、可能な組合せ数は少なく、問題となることは少ない。
今回はここまで。参考になりそうな以前の記事を、いずれリンクする予定である。
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