「両建て戦術=弁証法」は国際秘密力集団の得意技である
『国際秘密力研究』の菊池氏の指摘する「両建て構造」は、この説を受容すれば、様々な場面にその痕跡を見出すことができるようになる。この方法論に通じていない人々にとって、国際秘密力集団の存在と活動は、歴史の動きにおける「盲点」である。ただし、「両建て」は、証拠の種類としてはアブダクションであるから、因果関係を厳密にとらえようとする学究者にとっては、疑わしさが残るものではあろう。ただ、現代における多くの出来事であっても、現今の研究者の圧倒的大多数は、当事者に直接取材することなく、事実を確定している。このとき、マスコミの提示した見解によらずに、別の読み方が許されるとき、この別の読み方を試すことに、何の問題があろうか。これこそが、アブダクションを論理として採用するときの強みである(。2016年11月1日の記事の注4は、その強みが発揮された事例と自負している)。本ブログの記事の一つ一つは、国際秘密力集団の存在と活動を論証する上では、「屋根裏にグレムリンがいる」レベルの小さな確率の可能性を取扱うものかも知れないが、類似したプロットが何度も続くとき、そこに人為を見出すのは、危機管理を扱う学術分野であれば、当然の警戒心というものである。
ただし、「対比」という思考の技術は、「両建て」よりも、はるかに一般的であるために、ある論者によって「対比」が行われるとき、それが単に両者を比較しているのか、それとも、「両建て戦術」を秘めたものであるのか、見分けが付かないこともある。「両建て」と「単なる対比」との違いは、ヘーゲルの弁証法に言う「止揚」が用意されているか、あるいは、アンソニー・ギデンズ氏の用語を借りれば「第三の道」が用意されているか否かである。ここでの「第三の道」とは、単なる妥協や落とし所の産物ではなく、あらかじめ用意された、通常人には思いも寄らない代替案を指す。「第三の道」が実現したときには、警戒が必要である(と、1998年のブレア政権の実現を驚いて観ていた当時の自分に言ってやりたいものである)。
ヘーゲルの「正・反・合」の図式自体が、長らく秘密にされてきた「両建て構造」を哲学の世界に持ち込んだだけであるとも考えられよう。仮に、ヘーゲルが弁証法や歴史理解の図式を国際秘密力集団から剽窃したのだとすれば、彼の行動は、彼らにとって二重に許せない犯罪※1ということになろう。あるいは、ヘーゲルがこの方法論をまったく独自に考案したのであれば、国際秘密力集団の方法論を暴くためのヒントを、後世の人々に残したことになる。あるいは、このような概念を流布するメッセンジャーとして、国際秘密力集団がヘーゲルを育成した、という場合も想定することができる。何が真実であるにせよ、現在の私には、ヘーゲルに係る真実を追究するリソースなど全くない(、つまり、無知ながら駄文を書き連ねている)が、ヘーゲルの主張の来歴については、将来、誰かが事実を決定的に解明する日も来よう(。愚かにも、すでに到来したことを私が知らないだけなのかも知れない)。
一つだけ言えそうなことは、現時点で、ヘーゲルの弁証法を弄び、国際秘密力集団への言及抜きに、政治分野に対して適用しようとする人物は、警戒するに値するということである。日本語を操る「識者」の圧倒的大多数は、知ってか知らずしてか、「両建て構造」をスモークする役割を果たしてしまっている。彼らが愚鈍なふりをしているだけという場合も考えられるが、そうであるなら、それらの「識者」は、真に日本国民を裏切る者であるか、あるいはピースミール工学的な精神に基づき「死んだふり」や「知らんぷり」をしているか、いずれかということになろう。国際秘密力集団の存在に気が付いている「識者」の真意を量ることは困難であるが、彼らが自身の「罪」に自覚的であることだけは間違いなかろう。外部者は、個別の事例に即して、その「識者」の表出に係る正邪を判定するほかない。
「弁証法=両建て戦術」に留意すれば、現実社会における対立関係を把握しようとするとき、思いもよらない展開へと事態が展開する可能性や、対立する二者以外の第三者にも、意識が向くようになる。第三の存在のうち、二項対立の結果がどちらに転んでも利益を得たり、あるいは「止揚」によって利益を得ることになる者は、「両建て」の「黒幕」やその手下であるための条件を満たしている。この方法論は、ヘンリー・メイコウ氏の『イルミナティ 世界を強奪したカルト』において、二度の世界大戦を検証する際にも利用されている。メイコウ氏は、第二次世界大戦における陣営の多くが、国際秘密力集団※2によって支援され、その結果、対立が激化した様子を解説している。ただ、わが国の幕末の混乱期において、「公武合体論」が台頭したという事実と過程をふまえれば、「両建て構造からの止揚」という「どんでん返し」は、わが国の指導者層によっても、かなり以前から自覚的に使いこなされてきた方法論であるようにも思われる(。塾などにおいて教えられている幕末思想の分類方法が参考になる[1])。この逸話は、市井の人々には、十分にその凄さが知覚されていないようにも思えるが、多くの人が高校までの歴史の授業で学習したことではある。エラそうに記す私自身、本記事を執筆しながら、人文系の学問が対象とする出来事に係る先人の知恵の奥行きに、改めて感心しているところである。泰平の世であったとされる徳川の治世の間にも、これだけの知恵が伝承されていたとすれば、その理由は、皇室が徳川家というむきだしの権力に対抗する知恵を絶えず必要としていたからではないか、とも想像される。むろん、国際秘密力集団の関与があったものとも考えられなくはないが、豊臣秀吉のキリシタン禁令の経緯は、当時の社会においても前提となる共通知識であったろうから、日本列島に住む諸民族の奴隷化計画に対抗するため、公武合体論が採用されたと観ることは、自然な思考の流れである(。←この文章は、もちろん、二項対立的な考え方に基づき記されている)。
「両建て」の「落とし所」が見えていない第三者的な観察者から見れば、進行中の出来事が単なる二項対立であるのか、それとも「両建て戦術」であるのか、これを明確に切り分けていくことは難しい。相当に時間が経過した後であれば、その対立の真相を理解することは、比較的易しいように思われる。物事の結末がある程度明かされ、また、双方の陣営における不平不満の内容が出揃い、検討できるようになるからである。ある対立関係が本当に抜き差しならないものであるとすれば、それら2つの勢力の落とし所や妥協は、両陣営の誰にとっても目に見える形で折り合ったことが分かるものになるはずである。このとき、ある対立が妥協や全面戦争に終わることなく、思いも寄らない展開を迎えたとき、そこに弁証法を駆使する国際秘密力集団の仕込みを見出すことは、突飛な考え方ではない。ただ、国際秘密力集団の一部である戦争屋の目標は、全面戦争ならびにその結果としての人口削減、究極的には人類の支配であるから、妥協に終わらず、多数の死者を伴う結果に終わった対立関係を研究する場合には、十分な猜疑心を以てかかるべきである。
インサイダーではない観察者にとって、さらなる問題は、国際秘密力集団との関連があると見做される人物が突飛な構想を提示したとき、この概念をいかに解釈するのかであるが、この問題の難しさは、わが国の創作物を現実に対比させることによって、際立たせることができる。石ノ森章太郎氏の生み出したヒーローたちは、ダークに対するキカイダーや、ショッカーに対する仮面ライダーというように、悪の組織によって生み出されたが、何らかの理由でこれら悪の組織と対峙するに至っている。永井豪氏のデビルマンは、人への愛情ゆえに、人類に味方し、それまでの仲間から裏切ったとみなされた。周囲の人間は、彼らダークヒーローが悪の組織の手先から人間たちを守る様子を目の当たりにして、彼らを信頼するようになる。国際秘密力集団の方法論を暴露したものとして、ヘーゲルの弁証法を評価するのであれば、それと同様、「国際秘密力集団に対抗する、国際秘密力集団から生まれ出た英雄」という物語を広めることに成功した点について、石ノ森章太郎氏や永井豪氏らの創作物は、日本国民の貴重な財産であるとして、評価することができよう(。これは、小沢内閣待望論氏の慧眼である)。これに対して、現実は、もう少し複雑である。
現実において、物語よりも状況が錯綜した暗闘が存在するという事情を知らない人々は、人物や物事の見かけによって、容易に騙される。ごくごく最近の事例では、笹川陽平氏がブログで森喜朗・小泉純一郎・麻生太郎・安倍晋三の四氏と撮影した別荘での写真をアップしたことが挙げられよう[2]。同時に写真に収まっているほかの人々が誰であるのか、私には分からないし、この問題は、相当の広がりを背景に有しているので、ここでは、いずれ検討してみたいと述べるに留めておこう。ただ、国際秘密力集団があえて自分たちを批判する人材を用意することがあるというメイコウ氏のヒントは、この事例でも利用できそうである。このために、天木直人氏による笹川氏が軽率であるとする批判[3]は、笹川氏の意図や動機を余すところなく評価するものとはなっていないように思われる。
現実において、国際秘密力集団と暗闘していると認められる人物が何かを主張したとしても、人々がその主張を受け入れない例の一つとして、小沢一郎氏が仕掛けたとされる、3.11後の自民・民主の大連立を挙げることができる。この主張自体、読売新聞の関与ゆえに、マッチポンプの感が否めない。ただ、この報道の真実性自体は、小沢氏が国際秘密力集団から迫害を受けてきたこととは、無関係である。国際秘密力集団のやり方を理解している人物たちは、国際秘密力集団に攻撃されながらも、その仕掛けを逆用しているが、それは、彼らが「ダークヒーロー」であって、出自ゆえにゲームのルールに通暁しているからである。小沢氏は、『日本改造計画』を世に問うた時点において、国際秘密力集団との深い関係を有していたものと目される。しかし、小沢氏は、その後のマスコミからの事実無根とも呼べる中傷の数々を見れば、いつの頃からか、国際秘密力集団の子飼いであるマスコミの敵となったものと解される。「敵の敵は少なくとも共闘の余地がある」という点において、小沢氏は、庶民の味方である。現に、庶民の得になることの実績として、鳩山由起夫・小沢一郎体制において、初めて記者会見が開放された。この事実は、大マスコミから小沢氏や鳩山氏がストーキングされる理由のひとつとなっている。この制度変更がなければ、3.11に関しては、より深刻な情報隠しが行われたであろう。
ダークヒーローの外見が悪人を想起させる場合、現実においては、人は、その見かけに容易に惑わされてしまう。小沢氏がマスコミによって悪人であるかのような「画(え)」を撮られがちであるのは、偶然ではない。大マスコミは、どうしても彼らを悪人に見せかけたいのである。米国では、ドナルド・J・トランプ氏がこのようなマスコミの攻撃に晒されている最中である。スティーヴ・バノン氏やセヴァスチャン・ゴルカ氏[4]の辞任は、マスコミを始めとする国際秘密力集団の手下たちの溜飲を下げさせるという効果を有しているため、深く追及されることがない。それにしても、ジャレド・クシュナー氏への圧力がマスコミにおいて高まらないことは、国際秘密力集団にとって、都合が良過ぎることである。ここから、我々は、「イケメンにこそ気をつけよ」という普遍的な教訓を導くことができる。
#ここまでが話の枕であり、まだまだ古い話が続くが、ようやく最近の話題に入るための準備作業へと取りかかることができる。
「クリーンでイケメンな」政治家は国民を戦争へと導く
現在の日本人は、容姿端麗かつクリーンというイメージを有する政治家に、容易に騙されるようになっている。家族と職場以外で、様々な話題を聞かされる相手がマスコミだけであれば、そうなってしまうのも無理はない。今世紀だけの動きを見ても、日本国民は、マスコミに見事に踊らされている。松村謙三氏による中曽根康弘氏への「緋縅の鎧を着けた若武者」という表現は、この部類に入る。また、いわゆる抱合せ販売ではあるが、石原慎太郎氏は、裕次郎氏のイメージを存分に活用してきた。小泉純一郎氏も、イケメン枠のの好例である。あえて過去のイケメン評にこだわっているのは、現時点における回答が容易に導けることを示唆しながら、私自身のリスクを低減するためである。もっとも、ここまで詳しく「イケメンの騙しのテクニック」を示せば、誰がそうであるのかを類推することは、誰にでもできることであろう。
小泉純一郎氏は、佐高信氏によって「クリーンなタカ」と評された[5]が、この人物評は、図らずも、国際秘密力集団の「正・反・合」図式による戦争への道筋をうまく言い当てている。小泉氏は、マスコミによる演出ではイケメン枠であり、(族議員という)国民に気付かれていた種類の利権を持たず、対外的には強行的であるというスタイルで、権力の舞台に躍り出た。このスタイルは、マスコミの宣伝も功を奏したためか、総じて清廉なものと一般には受け止められた。小泉氏は、郵政(特に郵貯)を主張通りにぶっ壊し(、その過程を通じて構造改革という利権を実現させ)たが、郵政事業に係る数々の不祥事がダーティな印象をマスコミの聴衆に与えたことは、小泉氏の主張に大いに信憑性を持たせた。
佐高氏は、人々が「クリーンさ」を求めるあまり、「戦争上等」となることを警告したが、結果として、人々は、この忠告を受け入れなかった。イラクに自衛隊が派遣されたという結果は、紛れもなく、人々が「クリーンなタカ」を良く調べもせずに認証した結果である。小泉氏は、「タカ派」の安倍晋三氏を起用し、現在の第二次安倍政権への道をも拓いた。小泉氏が何でもありの金融市場をわが国においても実現したことは、将来においても評価の対象となることであろう。この実績ゆえに、小泉氏の脱原発は、彼なりの贖罪の範疇にあるものとも考えることができる。
人々が「イケメン」に騙されたのは、21世紀だけに限定しても、「小泉劇場」だけに収まらないし、自民党政権だけにも留まらない。民主党政権において、「イケメン」キャラの前原誠司氏が外務大臣の折に、尖閣諸島における中国漁船の海自艦艇への体当たり事件が生じたことは、決して偶然とは片付けられない。前原氏の外面的な強硬さは、仙谷由人氏のダーティな柔軟さと対比される形で、彼の外務大臣としての責任を相対的に軽減化した(。もっとも、私は、この事例において仙谷氏が善玉だとも考えない)。
現時点の安倍氏の評価は、現時点の「リベラル」側から見れば、とてつもなく「ダーティなタカ」であるが、少なくとも、旧民主党から政権を奪取した直後の安倍氏は、「保守系のマスコミ」によって、相対的にクリーンなイメージを付与されていた。2014年、御厨貴氏は、小沢一郎氏名義の『日本改造計画』の執筆作業に、自身や竹中平蔵氏が従事していたと述べた[6]が、この発言は、安倍氏を相対的にクリーンに見せかける効果を有するものである。御厨氏の暴露話は、竹中平蔵氏から小沢一郎氏を連想させるという効果を生じさせ、当時における竹中氏の暗躍振りへの批判を相対的に鈍らせるという効果を生じさせたと言えよう。ただ、御厨氏の発言自体は、事実を指摘したものであり、小沢氏も常に公人であり続けてきたから、御厨氏が学者としての本分を決定的に逸脱した訳ではない。他方、竹中平蔵氏は、小泉劇場や第二次・第三次安倍政権を通じて、汚名を引き受けつつ、国際秘密力集団のアジェンダを実務畑において達成しつつある。現時点においても、竹中氏が失脚しておらず、彼の関与の深い企業が隆盛を極める一方で、法の支配を脱却するかのごとき政策が進められていることは、現政権の究極の目的が公益ではないとの批判を許すものとなっている。
なお、竹中平蔵氏という悪人のイメージを『日本改造計画』を通じて小沢一郎氏に連関させ、小沢氏のイメージ悪化を図るという手管は、国際秘密力集団ならではのリサイクル法である。御厨氏が気が付いているか否かは、別としてであるが。また、このリサイクル法の直近の事例として、菅野完氏が女性に訴えられた民事訴訟裁判をマスコミが大々的に報じたこと、を挙げることもできる。裁判自体は、当事者の女性の権利を保護・被害を回復するために必要な活動である。しかし同時に、仮に、菅野氏が大マスコミ企業に勤務していたならば、本件は、放送されることがなかったであろう。この機序を思えば、本件に係る報道は、マスコミが菅野氏を使い捨て要員として最後まで活用し尽くしたことを示す好例ということになろう。末尾に出典とともに引用したが、佐高氏と城山三郎氏の対談には、フリーの言論者に対する官僚の敵意が述べられている。この「庶民」への敵意は、マスコミにも共通するものである。わが国では、マスコミ向けに「汚れ仕事」を引き受けて「悪名」を冠せられるのは、フリーランスであり、「官」とは言い難い部門に属する人物なのである。
二種類の対立する価値観の組合せは「止揚」への前振りかもしれない
平面上に二軸を置いて、四つの象限に特徴的な類型を当てはめるという方法自体は、社会学やマーケティングなどにも共通し、普遍的であるが、これらの方法のいくつかは、動的な構造(ダイナミクス)を仮定するものである。4種の類型への当てはめ作業は、必ずしも、分類対象が4種の類型の間を一定の法則に従って移動するといった仮定を置くものではない。動的な構造を念頭に置く分類手法は、むしろ例外であり、「両建て」に近い性質を有しているものと言えよう。マーケティング分野における有名な分類方法として、ボストン・コンサルティング・グループによるプロダクト・ポートフォリオ・マネジメント(PPM)があるが、この分類方法は、事業の市場成長率の高低と、自社事業のシェアの大小によって自社事業を分類(「花形」「金のなる木」「問題児」「負け犬」)し、将来への戦略を考案するというものであるから、動的な構造を前提としている。
政治評論においても、対立する二つの陣営が二種類の価値観について対極にあるという理解は、それなりに見受けられる。たとえば、「ノーラン・チャート」は、個人的自由の度合いと経済的自由の度合いの高低によって、個人の政治的信条を4種に分類するが、「保守」と「リベラル」の良いとこ取りとして、「リバタリアニズム」が対置される※3。最近の事例(のひとつ)として、加藤典洋氏は、永井陽之助氏の「日本の防衛論争の配置図」をベースに、「同盟・自立」×「軍事・福祉」の二軸を、現代の勢力にも拡張し、対立軸の設定方法を論じている[7])(が、そのさらなる検証を私が行うには、準備が必要である)。言うまでもないことであろうが、政治的姿勢を平面上へと布置した論者が、この状態を「両建て」と見抜いているか否かは、やはり、個別の検討を要する(が、ノーラン氏と加藤氏は、明らかにこれらのマッピングを動態的なものと見ているものと解釈できる)。「両建て」は、動的構造を必然的に伴う。他方、ダイナミクスを考慮していない評論は、参考になるものではない。静的なマッピングが国際秘密力集団の行為対象について適用される場合、何となれば、重要な観点をわざと欠落させた国際秘密力集団の仕込みであると疑っても良いし、そうでなくとも、その分類が無知の産物であるとして批判しても良かろう。
佐高信氏は、「クリーン・ダーティ」×「タカ・ハト」分類と併せて、「人々は、クリーンさを選ぶ」というメカニズムを指摘している。「ダーティなハト」よりも「クリーンなタカ」が「クリーンさ」ゆえに有利であると明確に主張した点で、佐高氏の解説は、二次元に各論者の立ち位置を描いたという平面的な図解ではなく、「正・反・合」のダイナミズムへと一歩近づいたものである。なお、政治的清廉さに係る二元的な対立構造が巧妙に利用されるという指摘のオリジナリティは、佐高氏に帰属させるべきであろうが、私の過去の記事(2016年7月26日、2017年4月26日)も、佐高氏への言及を失念したまま、「セット思考」と名付けた強制力に触れてはいる。2012年12月の衆院選における自民党支持者に係るTPPと原発に対する賛否への転換や、2017年5月のフランス大統領選挙に係る朝日新聞の解説は、ともに、この2軸上・4グループの対立関係を利用するものであった。
「クリーンさ」を求める庶民の心性は、「穢れ」思想の裏返しでもある。この理解は通俗的ではあるが、論証の必要はなかろう。大事なことは、この潔癖さが日本人に付け入るときのリソースとして利用可能であると、国際秘密力集団に気付かれていることである。この潔癖さへの志向性を悪用するかのように、「国際秘密力集団が進めようとするアジェンダに、表向き、反対してみせる」という役どころをこなす人材は、雇われて方々に配置されている。これは、人工芝運動の一種である。人工芝運動では、自分たちにとって都合の良い主張を行う団体だけが設立されるのではなく、都合の悪い主張を行う団体もリスクヘッジとして設立されるのである。このとき、潔癖さだけを重視していると、庶民は、味方を失いかねないことになる。先般、ノースカロライナ州シャーロットヴィルにおいて、左右の「デモ団体」の衝突があったとされるが、このとき、偶然にも、「デモ活動」を有償で請負う人材派遣会社の『Crowds on Demand』が、この地方でのアルバイトを時給25ドルで募集したという。この話については、和訳もある[8]。トランプ大統領の声明だけを批判して、この事情を全く報道しないマスコミは、信用に値しない。撤去に反対する「右翼」の側に、たった一人の不心得者(加害者)が含まれていたがゆえに、シャーロットヴィルの事件は大々的に報道されたが、挑発的な撤去作業を実行するために集められた「左翼」は、僅かなカネのためにここまで卑怯な真似をしながらも、大マスコミによって、そのさもしさを暴露されない。このとき、トランプ氏が双方の陣営を批判したが、その批判は、「両建て」の危険性を暴くという意味も含んでいたものと解することもできる。
現今の「小池新党」を通じた「野党再編」は「両建て戦術」である
「止揚」の別名でもある「第三の道」は、ときには、周囲からすれば「それはないだろよ」とツッコミを受けるほどに不自然であるが、現在のわが国における「小池新党」の立上げに係る「情報戦」は、その好例である。現今、わが国では野党の勢力再編が促進されつつあるが、若狭勝氏による新政党の立上げを含め、これらの活動は、「両建て」の一環ではなく、ガチの権力闘争から生じたものである。そうでなければ、マスコミが森友学園疑惑・加計学園疑惑を唐突に焚き付ける必要はなかったはずである。旧・ジャパン・ハンドラーズの言うことを聞く限り、「安倍一強」は、旧ハンドラーズにも都合が良かったはずである。このため、現今の権力闘争において、「両建て戦術」は、自民党の非主流派をいかに切り崩すか、また、穏健派の野党支持勢力をいかに旧ハンドラーズと提携させるか、という目的を達成すべく、仕込まれつつある。ガチの権力闘争を生き抜くために、バレバレの八百長を仕込むことは、戦術として破綻しているように思われるが、旧ハンドラーズにとって幸いなことに、この不自然さは、多くの人々には、まだ気付かれていないようである。
板垣英憲氏は、ぱっと見、小沢一郎氏を随分と推す「ジャーナリスト」であるように見えるが、現実には、その言説は、小沢支持者の期待を裏切るように機能している。というのも、私から見れば、その主張の多くは、にわかに信じ難いもので、実現したようにも見えず、何より、検証不可能なためである。ヒュミントによる具体的な裏取りは、私の手法ではないので、板垣氏の主張が各当事者への取材を通じた確実なものである可能性は、ゼロではない。つまり、私には、板垣氏が嘘を吐いているとまでは確定できない。しかしながら、多くの公知となったほかの情報と突合させてみると、板垣氏の主張は、整合性に乏しいものが圧倒的に多い。最近の事例を確認しよう。
板垣氏は、若狭勝氏に新党結成を指南しているのが小沢一郎氏である[8]と解説しているが、これは、周辺情報と突き合わせると、相当に疑わしい。先の都議選における各陣営の公式ウェブ上の公開情報は、小沢氏が先の都議選で支援したのが共産党や社民党の候補であったことを伝えている。小沢一郎氏は、世田谷区で社民党の桜井純子氏を[9]、杉並区で民進党の西村まさみ氏を(選挙公報上で)応援した。北区では、自由党の共同代表の山本太郎氏が共産党の曽根肇氏を応援演説した[10]。いずれも、都民ファーストの会とは競合する候補であった。これらの確定的な情報に対比すれば、板垣氏の主張は、小沢氏と若狭氏の双方に、著しい心変わりを要求するものである。その無理筋さは、演劇の手法にいう「機械仕掛けの神(Deus ex machina)」によって、両者が和解するものとも形容できるほどである。
若狭氏と小沢氏は、現在、両名ともに野党であるという点では共通するが、一般人から見たイメージは、「クリーンなタカ(若狭氏)」と「ダーティなハト(小沢氏)」という点において対極である。若狭氏に言わせれば、タカとハトの区別は、相対的なものに過ぎないが、都民ファーストの会に所属する面々の極東アジア諸国に対する姿勢は、小沢氏の(たとえば、日中友好に係る)実績とは正反対のものである。旧・民主党が「タカ」と「ハト」の寄り合い所帯でもあったことも確かである。しかし、小沢氏が旧民主党を割ったとき、党内の「タカ」派がこぞって歓迎したことも事実であった。加えて、若狭氏が東京地検特捜部に配置された経歴を、清廉さを連想させるセールスポイントとしている一方で、小沢氏は、この組織から執拗に狙われてきたという経歴を有する。小沢氏と若狭氏との直接の関係は、私には調べ切れていないが、双方が所属してきた組織同士の確執は、確実に存在する。小沢氏と若狭氏が「昨日の敵は今日の友」とするのであれば、それはそれで理屈は通るが、旧ハンドラーズとの円満な三角関係抜きに、都民ファーストの会系列の若狭氏と小沢氏が連携することは、不可能であろう。
板垣氏の主張の数々は、小沢氏を何についても「褒め殺し」する体裁により、小沢氏に対する一般の信頼を削ぎ、何となれば、旧ハンドラーズの軍門へと再び下らせることを目的としているものと疑うことも可能である。板垣氏によって示されたニュースのひとつでも実現されていたとすれば、社会は、現在の状況に比べて、相当に良い方向に変化していたであろう。「「嘘吐き」に支持される人」は、一般人にも支持されるのであろうか。これもまた、小沢氏に対して「ダーティさ」を連想させる国際秘密力集団の中傷戦術と考えられないか。「機械仕掛けの神」が唐突に登場する劇は、展開としては陳腐な印象を受けるが、劇作家か監督の意図ゆえに、このような展開を迎えることになる。せっかくカラクリを制作したのであるから、使い倒そうという訳である。この点、「機械仕掛けの神」の登場は、常にある人物の作為によるものであって、偶然に生起したものではない。
「クリーンなタカ」に加わるようにと唐突に働きかけられた「ダーティなハト」は、果たして「小池新党」に合流して、「(マスコミが表向き言うところの、実のところは、旧ハンドラーズ仕込みの)野党連合」という「止揚」を実現するのであろうか。私には、そのような展開が生じるものとは思えない。山本太郎氏は、旧ハンドラーズと安倍政権双方の手口を、明快に暴いている。その国会論議は、「山本劇場」と呼ばれるべき内容であるが、マスコミに取り上げられることがない。若狭氏の国会における発言は、取り調べ可視化に係るものに見るように、その経歴に根差すものであり、一部には穏当という印象を受けるものとはいえ、旧ハンドラーズの利権と意向の範囲を出るものではない(。司法という場におけるゲームのルールが変更され、旧ハンドラーズがより良く知る制度へと同一化されたとき、そのゲームのルールは、旧ハンドラーズにとって有利になる)。
※1 情報は、誰でも分け合えることができる(非競争性)し、消費するとなくなってしまうということもない(非排他性)し、現在では伝達も相当に容易である(再生産性)。情報のこれらの特別な性質のために、一旦広められた情報は、容易には消えることがない。わが国の著作権法は、この再生産性に係る大きなハードルである。調べ切れていないが、ある社会集団において、成員の大半が自在にインプット=アウトプットできる知識の分量は、言語化されている知識の分量に比べて、さほど多くはないはずである。
※2 メイコウ氏は、この集団がイルミナティの名を騙っているとも指摘している。従来から存在している同名の結社は、拠点であったドイツの地方名を冠して「バヴァーリアン(バーバリアン)・イルミナティ」とも呼ばれるが、この結社自身は、われこそが本家である旨を明言している。公式サイトとされるものが存在はする。ただ、メイコウ氏に対するこの結社からの批判が存在することも指摘されており、なかなか込み入っている。本記事では、イルミナティの名を僭称するとされる集団(=メイコウ氏の批判の対象となっている集団)、つまり、戦争屋に連なる国際的な権力集団を、『国際秘密力研究』の「菊池」氏の用法に倣い、国際秘密力集団と呼ぶ。ただし、この「国際秘密力」という用語は、第二次世界大戦期までの間、わが国では専らユダヤ人にのみ帰属するものと理解されてきたが、私は、この語が特定の宗教や民族に包含されるものとは思わない。この集団の意図に基づき、この集団の利益のために働く人物を、単に国際秘密力集団と呼ぶに過ぎず、それらの人物の肌の色や母語や信仰してきた宗教は、国際秘密力集団とは必ずしも関係しない。竹中平蔵氏は明らかに国際秘密力集団の(下部人員かも知れないが)一員であるが、竹中氏を例として「日本人は皆が国際秘密力集団の手先である」と一般化することは明らかに誤りである。
※3 たとえば、保守主義は個人的自由を認めない一方で経済的自由を重視するが、リベラルは個人的自由を重視する一方で経済的自由を制限する、といった具合である。ただ、概念の変遷があり、論者により、第3象限の命名がポピュリズム(populism)であったり共同体主義(communitarianism)であったりするので、深入りするのはやめておきたい。そもそも、ノーランは、個人的・経済的、双方の自由を重視するリバタリアニズム(libertarianism)を称揚するためにこの分類を導入した節があるので、第3象限は、ディスられる対象であったものとも考えられる。
[1] 攘夷派について - 歴史学 解決済 | 教えて!goo
(caesar-x、2005年07月21日00:08)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1527212.html
要するに当時の政治派閥は大別すると 開国派と攘夷派、尊皇派と佐幕派と公武派のミックスで6パターンあります。
[2] 「短い夏季休暇」―安倍首相と三人の元首相―-日本財団会長 笹川陽平ブログ
(2017年08月23日)
http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/5970
[3] 国民一揆がおきてもおかしくない一枚の写真 | 新党憲法9条
(天木直人、2017年08月27日)
http://kenpo9.com/archives/2166
[4] 米国:大統領副補佐官、ゴルカ氏辞任 解任のバノン氏寄り - 毎日新聞
(ワシントン=高本耕太、2017年8月26日、東京夕刊)
https://mainichi.jp/articles/20170826/dde/018/030/014000c
[5] (城山三郎氏と佐高信氏の対談)「小泉首相に出した手紙」『小泉純一郎の思想』(岩波ブックレット546)所収, 『週刊現代』二〇〇一年六月二日号初出.
佐高 〔...略...〕私は、小泉さんは実は一番厄介で、手強い存在だとも思います。というのも、私は政治家をダーティなタカとハト、クリーンなタカとハトの四つに分けて考えるのですが、小泉さんは「クリーンなタカ派」。クリーンだから人気はある。しかし、その政策は本質的にはゴリゴリのタカ派そのものです。高い支持率を背景に、ロクな議論を経ないまま、なし崩し的に憲法を改正する危険性があると懸念しています。
城山 小泉さんはクリーンなタカ派、ですか。なるほど……。僕の持つ小泉さんのイメージといえば、やはりお祖父さん(又次郎)のほうに近い。小泉又次郎は、きわめて進歩的な政権だった浜口内閣で大臣(逓信省)を務め、しかも浜口首相から絶大な信頼を寄せられていました。その又次郎の孫である淳一郎氏が新聞の報道などで「タカ派」といわれたり、小泉政権が「憲法改正も視野に入れる」と語ったりするのを聞くと、ちょっとびっくりしてしまいます。
佐高 しかし、小泉さんの政権成立までの歩みを見ると、タカ派色が濃いのは十分に納得はできます。〔...略...〕〔以上、p.56〕
p.59 個人情報保護法反対について、城山氏は、「官僚はいつもそうだ。行政簡素化と言いながら、自分の仕事を増やすことしか考えてない。結局、縄張りと天下り先を増やしたいということでしょう。公務員の数を減らそうという時期に、こんな無駄な法案を作ろうとするとはねえ……。役人が余っているということですね。〔...略...〕」
佐高 〔個人情報保護法への反対を議論する中で、〕鑑札などは要らないからこそ、城山さんも私もフリーで活動しているわけでしょう。われわれからすれば無位無官、ノンセクトであることは誇るべきことです。だが、役人はそうは見ない。作家もジャーナリストも含めて、フリーの人間はむしろ「いかがわしい」と考えているのではないでしょうか。
城山 そうか、僕たちは治安を乱す人間とみられているわけですか。これでは、まさに治安維持法ですよ。
佐高 官僚が管理できない人間というのは、不埒な国民なのでしょう。このような連中を野放しにしておくと治安が維持できないというのが、この法案を作ったそもそもの真意だと思います。〔以上、p.60〕
[6] 御厨貴・芹川洋一, (2014.4.8).『日本政治ひざ打ち問答』, 日経プレミアシリーズ, 日本経済新聞出版社, pp.88-93.
[7] 加藤典洋, (2015.10), 『戦後入門』(ちくま新書), 東京:筑摩書房, pp.564-586.
[8] シャーロッツビルの暴動の演技者には時給25ドル : 日本や世界や宇宙の動向
(2017年8月17日)
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52013066.html
[9] 【ご案内】8月26日(土)「板垣英憲『情報局』オフレコ懇談会」 - 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
(2017年08月22日03時29分16秒)
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/1177a8f84fcb199634eae2df4113b05a
[10]
小沢一郎・自由党代表からも、桜井純子(都議選・世田谷)への応援を頂戴しております。桜井純子、あと一歩。ご支援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。#都議選 #世田谷 #世田谷区 pic.twitter.com/ZgsRyXJUvP
— 社民ユース (@sdp_youth) 2017年6月30日
[11] 2017.06.30「そねはじめ街頭演説@十条駅西口」: 自由党・山本太郎 参議院議員【4/6】 - YouTube
(The River、2017年06月30日)
https://www.youtube.com/watch?v=VukwcBOfIoc
2017年8月29日訂正
タイトルの「現行」を「現在」に、また、本文のいくつかの表現を、文章の意図を変えないように訂正した。
2017年8月30日訂正
本文の一部を訂正し、因果関係を明確化した。「野党再編」は、八百長であるが、森友・加計問題は、ガチの権力闘争の一環であると考えられる。
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