2016年9月10日土曜日

『新ベンチャー革命』の「戦争屋」の定義について(メモ)

米オバマ大統領が安倍首相の5月連休中の訪露を止めるように要請したという電話会談内容がなぜ、リークしたのか:露プーチンは常にジャッカルに狙われているはず ( その他国際情勢 ) - 新ベンチャー革命 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/35704564.html

多くの「陰謀論」的な見方をするブログ主の中で、今までに紹介する機会を逸してきたが、参照に値する著述家として、『新ベンチャー革命』の「H.Y.」氏(『ベンチャー革命』の山本尚利氏であろう)を挙げることができる。同氏は、もっぱらマスコミを情報源とした、オシントをとりまとめる際の見本のような記事を継続的にアップし続けている。日米関係を中心とする国際関係について継続的に言及するブログとして、参照に足るものである。ただ、「H.Y.」氏の公開情報の捌き方が適時かつ的確なものである一方で、ほぼすべての参照先が日本語のマスコミ情報に限定されているという点については、違和感がある(、と指摘する程度に止めたい)。ともあれ、『新ベンチャー革命』は、日本語情報を参照していても、基礎的な理解がしっかりしていれば、的確に情報を読み取ることができるという範を示すブログであると言えよう。

 ところで、戦争屋についての私の定義(リンク、再度後述)は、「H.Y.」氏のものも参考にしていたはずであるが、文章作成の際、系統的なメモに依拠していなかったため、言及し損ねている。今回、まだまだ準備が不十分であるが、意識に上っているうちに。今まで「H.Y.」氏の定義を直接参照してこなかった理由は、私が閨閥についての知識を十分に蓄えることなく、同氏の定義について言及することによって、結果として大きな誤解を提示しうる虞があったためである。具体的な定義は、上掲リンクを参照されたい。私が「H.Y.」氏の定義に言及していなかった理由は、広瀬隆氏の『赤い楯』(上・下, 1991, 集英社)を「H.Y.」氏のブログよりも先に参照しており、この広瀬氏の作業に対して「H.Y.」氏や古歩道氏の定義が軽率に過ぎるように見えたためである。

 一人の人間によるひとまとまりの行動は、その人物による行動である一方で、必ずしも、一連の目的に即して実施された行為である必要はない。われわれは、相当に高度化した現代小説や、多数の隠喩が散りばめられたハリウッド映画に親しみ過ぎるようになったために、ある実在の人物による一連の行為が、その人物の成熟期において円環を成すことを期待し過ぎるきらいがある。他方で、私は自身の症状について自覚的であるが、世の中では、ブートストラップ的(、あるいは場当たり的)な思考しかできない種類の人々の方が圧倒的多数であろう。人生において、何事かを成すことを目的に、子どもの頃から一貫した行動を執り続けてきた人たち(の一部)が成功者として有名になっていることは確かであるが、人類の人数から見れば、例外に属すると言えよう。これらの成功者の行動には、連関性が認められるかも知れないが、二世・三世と揶揄されるような人物らは、多くの人間と同様に、場当たり的で快楽主義であるからこそ、先代の名に相応しくない行動を取ることができていると見ることができる。

 広瀬隆氏が『Who's Who』を基本に提示した閨閥の広がりは、およそあらゆる業界のトップ人脈を網羅するものとなっている。この現代における事実は、戦国大名や西洋の貴族たちが婚姻を通じて安全保障体制を構築したという過去の史実によっても肯定される。広瀬氏の提示した方法論は、現代でも有用である。とはいえ、今現在の社会動向を理解するためには、(新書版はあるが、)25年後の現在へと情報を更新する必要があると同時に、IT人脈という後追いしにくい人脈にも切り込み、BRICs時代をふまえた国際的な広がりを見る必要があろう。現在の中東問題を理解するためには、中東と東欧の人脈についても把握する必要があろう。

 インターネットとSNSの普及によって、誰もが、『Who's Who』編集者に近い水準の作業に取り組むことができるようになってはいる。他方で、この種の編纂作業のマネタイズが困難になり、一定の信頼できる情報源が失われつつあるという、皮肉な状況が生じつつある。この空隙を埋めるものとして、多数のボランティアによって、ある事件についての芸能界人脈図などが『2ちゃんねる』などを通じて作成されてもいる。しかし、その後追い作業は、真犯人の介入の余地が認められるだけに、慎重に行う必要があろう。タレント年鑑などを参考に、一から相関図を作り上げる場合よりも、誤誘導に惑わされたために、正確な理解に至るまでに余分な時間を要する場合もあり得よう。

 ところで、親戚関係にある二人の関係が必ずしも良好である必然性はないし、閨閥以外の社会的紐帯の方が強い場合もあり得よう。衆道により強化された結社への参加は、その一例として考えることができよう。このとき、特定の民間人をその言動に拠らずに名指しして、特定の結社の頭領であるかのように定義することは、なかなかに困難な飛躍である。「H.Y.」氏による「戦争屋」の定義は、結果としてかなりの正確な考察を生んでいるにせよ、やはり、飛躍があるとは言えるのである。とりわけ、ベンチャー革命流の「戦争屋」を代表する一族の中に確執があることを「H.Y.」氏が伝えている以上、この確執から生じる「戦争屋」に含まれうる人物らの行為は、その一々を検証する必要が存在するのである。

米国戦争屋ボスの研究(その6):もてる資産を人心掌握に活用する ( アメリカ情勢 ) - 新ベンチャー革命 - Yahoo!ブログ
(新ベンチャー革命2010年12月24日 No.254)
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/21510521.html

いよいよ米国戦争屋の覇権交代が実現するのか ( アメリカ情勢 ) - 新ベンチャー革命 - Yahoo!ブログ
(新ベンチャー革命2010年3月6日 No.84)
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/10034656.html


 この観点から見ると、「戦争屋」についての過去の私の定義は、更新する必要がある。閨閥や組織内の対立をふまえた上で、一部の人物に責任を限定するものとなっていないからである。ある人物の責任を、人類の発展にとって妨げになる行為に限定して問うものともなっていない。それに、定義が冗長である。
【...略...】「戦争屋」とは、軍隊や軍事産業に所属する人物のうち、無用な戦争や戦争への準備を通じて、過剰な私益を積極的に追求する目的を共有する人物らの深い交友関係・家族関係を指すと同時に、この関係に含まれる人物らを指す。従来の「軍産複合体」が退役軍人などの「弱い紐帯」による産業の裾野までも含むように、広義に用いられることとは、異なる概念である。国民の不幸を防ぐために、警察や軍隊は必要である。しかし「戦争屋」は、士業に要求される倫理を無視する連中であり、国民の差別意識を助長することにより無用な対立を画策し、低質な装備を高値で両方の陣営に供給し、不当な利益を独占的に享受することを目的として積極的に活動する。「戦争屋」の具体的な例として、経済団体連合会に所属する企業を挙げることができ、彼らの政治献金は、このような文脈でとらえられ、批判的に検証される必要がある。「戦争屋」とそのほかの軍事産業関係者を峻別する基準として、マッチポンプを図ったことがあるか、というものを挙げることができる。【...略...】
以上をふまえて、「戦争屋」の定義を再度行い、本稿を終える。

 「戦争屋」(warmonger)とは、政治家、官僚組織、軍隊、軍事産業、金融業に所属する高位の人物や、それらの人物と家族関係や深い交友関係を有する人物のうち、無用な戦争の遂行や戦争への過剰な準備を通じて、私益の追求を計画し、あるいは活動に従事、協力したことのある人物たちを指す。戦争屋であるか否かの判定基準は、選良や士業に要求される倫理を無視して人命を損なう決定を下したことがあるか、というものである。この判定基準に抵触する戦争屋の具体的な手段には、マッチポンプとなる事件を企画・実行する、国民の差別意識を助長することにより無用な対立を画策する、低質な装備を高値で両陣営に供給する、不当な利益を独占的に享受することを目的として政治的活動に従事する、というものが挙げられる。

安全保障業界を巡る言説環境の不全性を超駆け足で考察する

#9.11の前に、駆け足で骨格だけを示しておく。

セキュリティ産業には節度が必要である。仲の悪い者同士であろうがなかろうが、鞘から刀を抜く前後で相手の対応が異なるのは、当然のことである。ゆえに、自国民を犠牲とする自作自演劇(inside job)によって、自国民を海外に派兵しようとすることは、国民国家本位の国際社会へと回帰しつつある現代においては、基本的には論外の所行である。例外状態として、為政者には、犠牲者数を大きく上回る国民を今後の被害から救いうるという確信がある場合に、少数の自国民の犠牲を容認するという態度もあり得るかも知れない。しかし、この場合であっても、インサイド・ジョブは、後世に厳しく批判されるであろう。

#国民に予想される犠牲者数の比をもって、国家の自作自演劇を擁護することは、マイケル・サンデル氏の講義によって有名になった話に直結する。カール・シュミット流の政治算術における過半数の無条件的な肯定、その裏返しとしての「3分の2」批判にもつながる。「戦争未亡人」対「臆病者夫婦」という構図で「3分の2」批判はあっという間に論駁できるという直感はあるが、これを理論化することは、なかなか骨が折れそうだという見込みがある。本稿では深入りしない。

国家の行動の是非を一つ一つ論じることには、私の能力の限界もあるために、様々な例外も認められるのかも知れないが、しかしなお、ごく一部の閨閥が自らの所有するセキュリティ企業への利益を図るため(だけ)に、数万単位の家庭に不幸を及ぼすことがあってはならないのは、当然であるとは指摘できよう。9.11は、その真相が国家の不作為により生じた事件と位置付けられるかもしれないが、最初の攻撃によって、数千単位の家庭に不幸をもたらした。国内世論を味方に付けた後の海外派兵は、アメリカ国内に数万以上、国外に数百万の単位で死者を生じさせた。身内に不幸を経験した人々は、数千万人に及び、経済的被害は、十数億人の生活に及ぶであろう。この世界中を巻き込んだ不正は、福島第一原発後のわが国が「戦争屋」の最後の砦と化すに至る直接の原因の一つとなった。9.11とそれに続く連邦政府の対応は、アメリカ合衆国という当時の超大国の財政をデフォルト状態にまで悪化させ、国家に対する同国民の信頼を毀損し、その建国の理念に大いに反する外交によって外国人に見限られる契機となったのである。

#9.11に係る経済的被害の算定は、アメリカ本国に対するものが多数である。これからの作業ということになるのであろうか。海外の被害には、崩壊した国が多く含まれるため、当然、統計も不十分であろう。「戦争屋」に対する制裁を考究する作業は、それぞれの被害国の出身者によっても本格的に進められていることとは思うが、いかんせん、私の能力不足ゆえに、それらの情報へのストレートなアクセスが適わない状態にある。

9.11は、古くはヘイ・マーケット事件などのフレームアップ事件としても見ることが可能な事件であるし、ベトナム戦争以来のショック・ドクトリンが自国民に適用された事例であると見ることが可能な事件ある。冷戦も壮大な仕込みと見ることも可能という話もある。いずれにしても、9.11は、策謀の類型としては、旧来から見られた種類のものである。それでも、ニューヨーク市のランドマークでもあったWTCのツインタワーが崩壊するという絵面の突飛さによって、世界中の一般聴衆は、一時、大いに幻惑された。マスコミ報道によるイメージ操作の強力さは、アフガニスタンへの攻撃のみならず、イラクへの攻撃をも国際社会に容認させかねないほどであった、と言うことができよう。

#その割に、WTC7の崩壊は、多くの人々に認知されておらず、一本の柱の不具合(failure)倒壊が連鎖的かつ非常に速い速度の倒壊に繋がったとする不可解な説明が時の政府側の説明として流通するだけである。

他方、9.11は、PCに弱い人々もインターネットに十分馴染んだ後に行われた、初めての自作自演劇でもある。9.11がいわゆる自作自演であるという見立ては、誰によって流布されたのかはともかくとして、主にインターネットを通じて周知のものとなったと言える。PCを趣味としない人々でも、自宅のPCからインターネット経由で動画を視聴・交換できるようになったことは、9.11に係る非主流派の意見を一部のマニアに留めないという結果を生じさせた。陰謀論を語る側も、それを否定(デバンク)する側も、従来なら、文筆業である、カルトに属するなどのそれなりの動機を有する人物であるとともに、相当の労力をPCに割いていた。この状態に対して、1995年以降に始まるインターネット利用人口の爆発的な増大は、真のアマチュアリズムの余地を創出したのである。

ただし、9.11に係る裾野の広がりは、情報インフラの拡大によるだけではなく、諜報機関の情報活動が作用したためとも考えることができる。15年後の後知恵から見れば、複数の国の諜報機関が、9.11に係る「陰謀論」に関連した情報を流通させたり否定したりという活動に従事したことは、まず間違いないことである。それらの情報活動は、国益を保全または増進するための本来業務である。もちろん、ある組織にとって「見の姿勢」は、常に選択肢の一つとなるが、このことは、必要な情報収集の停止を意味するものではない。そして、この事件についての情報収集作業は、古くはカーニボー、現在はエドワード・スノーデン氏が暴露した(とされる)6つのシステムなどによって、ファイブ・アイズの情報機関に一定の反応を喚起する作業でもある。いずれの作業も、諜報機関の正当な仕事の範疇であって、相互作用を生じるものである。

他方、民間人の側にも、諜報機関のレベルにまでは達しないかもしれないが、自らの行動の帰結を予測しながら陰謀論を取り扱うという、(宮台真司氏風の)再帰的な行動が生じうることは、十分に認められることである。この主張は、わが国でも、3.11後に「エア御用」という用語が流通し始めたようになったことをふまえれば、十分に成立するものである。つまり、(諜報機関や政府の外部にいるという意味での)民間人が将来の私益のために、陰謀論を流布したりデバンクを試みることは、十分にあり得る話である。この民間人は、有する目的次第では、誰にでも後追い可能で動かしようのない事実についてのみ明確な誤りを指摘したり、宇宙人や爬虫人類や地底人類などの荒唐無稽な話を持ち出した上で真実を語ろうとしたり(2016年1月16日)するであろう。テニュアの研究者が嘘を吐くこと、また、その嘘がバレたときに開き直ることは、特に、その嘘がその研究者の国籍にかかる国(民)益とならない場合、民間人としての私益を図るものとみなすことが可能である。

民間人が陰謀論を扱うとき、それ自体を論じるという目的よりも、マネタイズの手段となっている側面を認めることができる。多くの陰謀論を唱えるブロガーのサイトでは、言語を問わず、生計を補助するための手段として、さまざまな商品が紹介され、アフィリエイトまたは通信販売業から利益を得るシステムが構築されていることが、きわめて普遍的に認められる。この状態も、「セット思考」(2016年7月26日)に陥らないための要素還元主義と同じく、陰謀論として言及される話題の中身と、紹介・販売される商品とを切りわけて、個別に評価を行うことが必要である。商品の中身がほかのEコマースサイトに比べて遜色なければ、その点では商売人をけなすべきではないし、商品の中身がほかの販売者の商品よりも劣る場合には、陰謀論に係る指摘がいくら正しいものに見えようとも、この商品の中身については、批判を受けて然るべきであろう。

この状態が広く認められる現状をふまえると、民間人である(かに装う、何らかの背景を有する)人物が陰謀論に言及するとき、自らの客観性に疑問を持たれるということは、半ば必然とも言える。さらに言えば、特定の陰謀論に対して特定の見解を提示することは、言説を注視する情報機関によって、本人が格付けされることにもつながりうる。この現状は、陰謀論を正当に研究しようとする研究者に対して、通常の社会科学研究以上にプリンシプルに依拠することを要求する。このプリンシプルへの依拠は、扱われる話題によっては、本人のほかの言行によっても評価されることになると思われる。つまり、人物同定は、往々にして、「セット思考」が適用されがちなのである。

私益のみを追求しがちな実学である安全保障業界の状態を、第三者から見て客観性を維持しながら、正当な思考に基づき批判することは、公益を実現する上で必要な活動であるが、一国の社会がその活動を保護し、健全な状態に維持することは、相応に困難である。この種の議論に関わる民間人のマネタイズ手法の乏しさと取扱品目の多さと市場規模の狭小さは、この困難さの現れでもある。公的な組織に所属する研究者が知識の産出をカバーすれば良いのであるが、陰謀論に公然と言及する学術研究者は、専門分野が異なるにもかかわらず、ほとんどが特定の「セット思考」を採用しているがゆえに、毒饅頭を食らったものと推認することが可能な者ばかりである。

われわれには、9.11のように、検討すべき事項が大部にわたる事件を扱う場合、知り得なかったり、十分に理解できていないことに対しては沈黙するか、「分からない」と明言することが許されている。9.11は、事前の経緯や、それぞれの旅客機が生じさせた(とされる)被害について、論点が整理されており、非政府側の論者によって、疑問点に係る内容の専門性が高度化されたまま、十分な再説明が政府によって果たされていないという状態にある未解決事件である。この状態まで情報を更新しないまま、現時点においても、子ブッシュ政権下の「セット思考」を適用する人物がわが国ではマスコミや論壇に登場し続けるという状況を鑑みるとき、この状況に対して情報操作の可能性を検討しないことは、相当に知的に怠惰な態度である。これらの学識経験者等に対する毒饅頭の送り主は、複数いるものと認められる。わが国におけるこれらの学識経験者等の存在は、陰謀論として一括りにされたことのある被害について、真相を探るための試みに対する牽制として機能する。わが国のマスコミがあからさまな利益誘導を図る現在では、15年が経過したとはいえ、(また、言語の壁を考えれば、オウム真理教事件こそわが国の陰謀論者に究明が求められる事件であるとはいえ、)9.11の原因と推移に係る考察を進めることは、わが国社会単独では、なかなか難しいことと言えよう。この事件がわが国の国益・国民益に与えうる潜在的なインパクトは、大きいにもかかわらず、である。

被害者学的観点からの考究は、原因に係る真相そのものに触れることなく、巨大な事件による被害者の救済に資するほぼ唯一のアプローチとなり得るが、同種の犯罪の予防に必ずしも役立つとは言えない。わが国においても、被害者学を活かして寄り添うという学問的なスタイルは、東日本大震災に至るまでの間に、ほぼ確立している。とは言え、東京電力を始めとする国際的な原子力業界の無限責任にまで踏み込み、真に被害者に必要十分なだけの回復のリソースを社会から取得する(あるいは、犯人たちから徴収する)という経済的な観点からの検討は、取り返しの付かない程度に立ち後れたものとなっている。これは、現行のスタイルによる被害者学の限界であって、社会構造の問題であるから、個々の研究者を責めるには及ばない。ただ、これだけ大規模の犯罪に対しては、背景の一つとして認められる刑事司法機関と電力業界との関わりを論じない訳にはいかないところ、この課題は、従来の被害者学のアプローチによっては達成できない主題なのである。

わが国における従来型の被害者学的アプローチは、9.11のように、時の政府によりアル・カイダという犯人が名指しされた後の事件を取り扱おうとするときには、犯罪予防上の自由な思索を妨害する批判を提起するものとなり得る。15年経過した現在、9.11については、サウジアラビアの関与も開示情報を通じて明らかとなっている。このような新情報の公開は、従来までの犯人を名指しすることと同様、被害者遺族に対して何らかの影響を与えかねない政治的な行為である。ひるがえって、サウジアラビアの関与を始めとする、アル・カイダ以外の主体の関与を認める考察は、被害者遺族に対して不道徳であるとの批判がなされてきている。犯罪予防を目的とする研究者であれば、結果として考察を誤る前に、センチメンタルな非難を浴びせられることを躊躇せず、自由な心証に基づき、学問に対して忠実に考察を進める方が、結果として被害者に対して誠実であったと後世に評されることになろう。被害者学のアプローチは、この指摘を理解しつつも、それでもなお、被害の様相を掘り起こすことが被害者の利益になるものであるのか、という実存的な問いを投げかけるものになり得るのである。この問い自体は、正当なものである。

犯罪学上の追究から逃れようとする真犯人にとって、現代の被害者学のアプローチは、犯人の追及を躱すために悪用できる余地を有するものである。自身の職務に対して誠実であろうとする関係者は、9.11という事件から、為政者がもっぱら私欲のために一国の行動を決定することがあるという教訓を得ているはずである。当初の一方的な外国侵攻の理由は、数千人の単位の犠牲者であったが、最終的には他国の一億人を超す外国人に同様の悲惨を強いたことになる。わが国では、自称デバンキング作家やそれに連なる一部の学識経験者らは、この見方を根拠なしに否定する。もちろん、私は、ツイン・タワーにミサイルが突入したなどの、後追い作業によって否定側の見解を再現可能な意見に与するつもりはない。しかし、たとえば、テルミット反応によると思しき球体状の金属が大量に発見されているという事実などについて、より整合性の高い反証が行われない限り、自称デバンク側の意見をまるまる採用することは、「ツイン・タワーにミサイル」説を採用することと同様に誤りであとなる。これらの意見の中に、「被害者をそっとしておけ」という指摘を紛れ込ませることにより、自称デバンク側は、事件全体の真実に係る追求を妨害してきた。この構図は、もちろん、東日本大震災にも応用可能である。

福島第一原発事故のように、9.11以上に社会による事後検証が困難な事件において、その検証の困難さが責任者によって悪用されることは、当然のことである。9.11のすべてが人為的な犯罪であるとみることは、自称デバンク側によっても認められている。他方、東日本大震災における地震と津波という災害は、多くの人の知識や考え方に基づけば、自然現象である。人為と自然とが複合的に関与すると見える福島第一原発事故において、本来なら事件の責めを負うべき人脈が、原因を切り分け、人の営みに係る責任を追及し、今後の予防を図ろうとするとする試みを妨害・誘導しようとすることは、当然の行為である。福島第一原発事故については、地震動によって、すでに配管系統が短時間で復旧不能な状態に陥ってしまっていたことを指摘する声もある。これに対して、東電幹部らは、「想定外の津波」にすべての原因を帰そうとしている。また、わが国の従来の原発政策の杜撰さを、死者に帰そうとする試みも、一部に見られる。

#これらの明らかに人為に係る争点に加えて、わが国では公然と語られることはないが、東日本大震災の地震動が人工的なものであるという指摘も、現時点で安易に否定しきることはできないであろう。ただし、その実現方法には、複数の可能性があり得る。このために、われわれがこれらを比較して、実際の記録と整合的な方法を選定するという試みは、秘密研究の成果が明らかにされることがなければ、相当の期間を置いた後のことになろう。また、仮にではあるが、東日本大震災と阪神・淡路大震災がともに人工のものであったとした場合、その解析に係る取っ掛かりの作業は、後者の方が圧倒的に簡単であろう。掘削場所の候補を、後からの文献調査によって確定しやすいためである。

#日本経済新聞平成28(2016)年9月9日夕刊1面4版のトップ記事の見出しは、「北朝鮮が核実験/人工地震、最大の規模/安保理緊急会合へ調整」である。核爆弾によって人工地震が起こることまでは、わが国マスコミの自主検閲の歴史があるとしても、現時点では、誰しも認めざるを得ない、公知の知識である。核実験による人工地震動は、その規模によって、技術の進展状況を把握できる材料となるがゆえに、公式の記録から外されることもあろう。問題の焦点は、人工的に地震を引き起こすことが可能にせよ、地震波の計測網が大規模に整備されている現在、人工的に発生させた地震動を自然のものに偽装することが可能であるか否か、可能であるとすれば、それを他国が判別することが可能か否か、にある。この機微に触れずに人工地震をすべて否定する議論は、背景を疑われて然るべきであろう。

犯人が事件における自身の関与を隠蔽しようとすることは、ほとんど必然的な行為であるが、一部研究者の安易な(または二心ある)研究や言及が、陰謀論の追究のハードルを上げ、犯人を利することは、良くある展開ではある。そのハードルは、研究分野そのものにおけるハードルというよりも、研究に取り掛かることを困難にするという研究環境に係る、メタな観点からのものである。言い換えると、このハードルは、研究活動を一種の社会的活動と見た場合のハードルであり、STS研究の研究対象となり得るものである。このとき、研究者らが責任を分け合うか否かは、研究者としてのプリンシプルに違背していたか否かにろう。つまり、陰謀論を誠実に追究する論考に実際に触れて、これを批判的に検証し、反証を加えたか否か、という実際の行為が評価の対象となる。「汗をかいているか」否かが自称デバンク側の良心を判定する基準となるのである。

しかるところ、わが国では、二心ある研究者が多いためか、実学分野において、カネにならないことを対策として推奨すると、業界から白眼視され、要らぬ背景を詮索されるという伝統も存在する。ムラにカネを運んでこそナンボという風潮と、各ムラにおける大局観の欠如は、福島第一原発事故という破局レベルの犯罪を招来した二大要因と見ることができる。ムラの住民がカネを重視し、大局観を欠如させた判断を下すという実例は、同事故に複数を見ることができる。現時点で最も重視すべき事例は、電源喪失時の原発の安全性に対する疑問が平成18(2006)年12月の時点で共産党衆議院議員の吉井英勝氏により指摘されていたにもかかわらず、当時の総理大臣であった安倍晋三氏が「御指摘の(津波等の発生時の全電源喪失の)ような事態が生じないように安全の確保に万全を期しているところである。」と答弁するに留まり、実質的な対策が施されなかったという経緯を挙げることができる(衆議院サイトInternet Archive)。この答弁書自体、衆議院サイトの「更新」に伴い一時閲覧不能となったことは、当質問書に疚しいところがあるためであろうという陰謀論的な憶測を呼ぶ原因となった2014年04月10日の『のんきに介護』。非常電源の二重系統化は、せいぜいが数千億円で済んだことであろうから、おそらく今後数百年にわたり総計で現在価値にして数京円に及ぶであろう国民への経済的被害に比べれば、微々たる金額であったのだが、改善されずに、現在に見るような事故に至ったのである。この影響の大きさを考えれば、李下に冠を正さずの諺のとおりに振る舞うことがエリート層には求められていたはずであり、この点、陰謀論的な憶測は、むしろ、正当なものであったと評価できよう。

#以上は、いわば公式のストーリーによるものであるが、地震動によってすでに配管系統が現場で対応できないほどに破断していたという指摘もある。

福島第一原発事故は、単に原子力業界という実学分野のみにより招来されたものではない。私の知る範囲で示せば、広義のセキュリティ業界、正確には核安全保障に係るセキュリティ業界の関与も認められるほか、土木・建築業界も、原子力発電所の建設という大規模プロジェクトから多大な恩恵を享受してきた。両業界の関与は、電力企業に天下りする関係省庁の高級官僚の人数からも、深いことが容易に推測できるものである。この明白に権益と認められる状態が放置され、他方で表現の自由レベルに留まる見解に圧力が掛けられることは、随分と偏りのある不公正な状態である。

このとき、ムラの実益になる思索以外を否定することは、実のところ、すべてが金目であるというムラの本音を吐露する傍証になる。この傍証も積み重なれば、かなりの確定的な事実となる。悪を為す者の立場から想像すると、ムラ全体が守銭奴として白眼視されないためにこそ、ムラに奉仕する御用学者は、本来なら、本業に邁進し、核心的な部分についてのみ嘘を吐くといった工夫をしなければならなかった、と言えるであろう。わが国では幸運なことに、この点に係る「セット思考」の重要性を理解するムラの御用学者という存在を、ほとんど見かけることがない。すぐに否定される嘘を重ねる御用学者が普遍的に見られるという、わが国における知的に怠惰な状況は、国益の確保を真に志す各国の人物にとって、仕事のしやすい状況である。

9.11を主導したと見なされる「戦争屋」も、決してこの知的怠慢の例外ではない。本ブログにおいても、いくつか、リチャード・アーミテージ氏の票読みセンスについて(2016年7月25日)など、ほかには見られない種類の批判を提起してきた。わが国において、この批判が注意深い観察の下に置かれてきたことは、十分に確認可能な事実である。また、この事実をゲームのルールとして当てにすれば、私の仕事の大半は、現状にも増して、知識の流通ではなく、ちょっと捻った形での知識の産出を進めることにある。本ブログに溜められた新規性のある知識は、ほとんど十分であると言えよう。コップ満タンの水に、あと一滴がいつ加わるのかは分かりかねるが、私は、そのときが来るまでの間、自らの見立てが正しいか否かを後世に検証可能なように残す作業を進めることとしよう。




平成28(2016)年9月21日修正

文意を変えずに、文章を一部修正した。




平成29(2017)年4月22日追記

本文中にリンクを追記し、段落のbrタグをpタグに変更した。

安倍晋三が「全電源崩壊は起こりえない」という答弁を削除、改ざんか。 - のんきに介護
(忠犬(@gyokkirinn)、2014年04月10日07時25分)
http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/89f42f2cab6dbbd5e37a5dbb49175caf
#筆名の変更あり




平成29(2017)年10月18日訂正

本文中の説明の「不具合」を訂正し、薄橙色で示した。




平成29(2017)年11月03日訂正

自己リンクとなるリンクにnofollow属性を付した。

2016年9月7日水曜日

本澤二郎氏の不正選挙に係る8月27日記事は検証を必要とする

「ジャーナリスト同盟」通信:統計学者が指摘する不正選挙疑惑<本澤二郎の「日本の風景」(2463) - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52147857.html
<都知事選でも明らか>
 8月26日午前、先日初めて会ったばかりの青柳さんが、彼の友人の統計学者・井上雅之氏を、わが埴生の宿に案内してきた。初めて統計学者のデータを、棒グラフにした資料を見る機会となった。それは石原・猪瀬・舛添・小池の知事選の得票数をグラフにしたもので、なんと4人のそれが見事に、ほぼ一致しいた。ほとんどバラつきのない棒グラフが描かれていた。当選者の23区市町村の得票が、あらかじめ決まっていたのである。まぎれもなく、不正に操作された選挙を裏付けていた。

 政治ジャーナリストの本澤二郎氏は、自身のブログで上記のように伝えているが、この記述に対しては、二点の疑問がある。分かりやすいところからまず指摘すると、まず、「統計学者・井上雅之氏」という表現に疑問がある。次に、「当選者の23区市町村の得票が、あらかじめ決まっていた」という点に疑問がある。第二点目については、4名の当選候補の得票「数」が23区市町村で同一であるという、非常に強い表現であること、多重比較から得た結論であるのかが不明であること、の二点に違和感がある。

 第一点目であるが、researchmap.jp(リンク)、ci.nii.ac.jp(リンク)、scholar.google.co.jp(リンク)、google.co.jp(一応リンク)のいずれのサーバを見ても、最近10年程度については、三名以上の同姓同名の学術研究者が研究機関等に在籍したことがあることを確認できるが、論文の題名を見る限り、いずれの方々も専門が統計学ではないように見受けられる。専門が統計学を用いる研究分野である井上氏は複数いるが、統計学者と呼ばれることに問題のない井上雅之氏の実在は、私には確認できていないのである。学術研究者である井上雅之氏の中で私が確認した方々を統計学者と呼んで良いのであれば、おおよそ大多数の理系の研究者が統計学者であると言うことになる。「統計学者・井上雅之氏」という表現は、まずは、本澤氏による先走りであると見るのが正解であろう。

 第二点目であるが、本ブログでは、猪瀬氏の得票数から舛添氏の得票数を、また、桝添氏の得票数から小池氏の得票数を、二項分布を用いるだけでは再現できないことを確認済みである(123)※。本澤氏の記事には、第一点目の表現が誤りであるという可能性が認められる。このため、本澤氏が井上氏の説明を誤解するなどして記述を間違えたという場合も十分に考えられる。ただ、本澤氏の誤解ということにしておいて批判を控える方が、私が関与せずとも議論を呼び起こす火種となろうから、私にとっては好都合である。本格的な追究は、先に挙げた第二点目のうちの後者に少し触れるだけとして、次の機会に残しておくこととしよう。

 本澤氏の記事に欠けている指摘のうち、ここで言及しておくべきことは、291万票という得票数が必要とされた理由であろう(リンク)。この得票数の事前計算は、歴代の『Microsoft Excel』で十分可能である。わが国の陰謀論業界の有名人であるリチャード・コシミズ氏の「エクセル不正選挙」という表現(リンク)は、今回の大差を説明する上では、どんぴしゃりの表現ということになろう。陰謀論者の中で、同氏を批判する者も見られるが、批判には当たらない。不正の状況をリアルタイムで管理する必要のある「黒幕」が表計算ソフトウェアで目標管理していたとしても、それほど不自然ではないのである。『弁財天』氏は、ネットワーク共有モードのExcelファイルが集計作業に利用されていたこと指摘ると同時に、マシンを乗っ取ることのできる脆弱性がExcelで発見されていたことを報告している。(もちろん、アップデートを的確に行っていれば、この脆弱性はカバーされている、はずである。)


鳥越さん、得票率70%で大勝利だったが、エクセル不正選挙で妖怪婆さんを米国1%が勝たせました。 richardkoshimizu's blog/ウェブリブログ
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201608/article_1.html

リチャードコシミズさん「エクセル不正選挙」って何ですか?エクセルを使用して不正選挙する事ですか?不正プログラムには言及しないんですか? - 紙幣の不思議2
http://blog.goo.ne.jp/zabuyamato/e/db4df9173402bc7aee6077968a829698

弁財天: 沖縄県議選で落選だった翁県政不支持派の自民議員が当選確実になるw update3
http://benzaiten.dyndns.org/roller/ugya/entry/okinawa-2016

弁財天: エクセルとCSVファイルとXMLとJSONとHTML5と…そしてNode.js実装のOracleドライバーが登場 update2
http://benzaiten.dyndns.org/roller/ugya/entry/excel-csv-xml-json


 なお、井上氏の指摘で気になることの残りを少しだけ指摘しておくと、それは、井上氏が「比例説」を検証するときに、多重比較を考慮しなかったのではないかと思われることである。東京都下の市区町村を逐一検定するような作業が推測統計学としては不適であることは、いちいち検討してきたとおりである(123)。「23区市町村で同一」という本澤氏の表現は、その虞を端的に示すものである。いずれにしても、井上氏の分析の詳細も、些細な表現の揚げ足取りに陥ることなく、検証される必要があると言える。もちろん、私の作業についても、誰かが検証してくれると大変ありがたい。

平成28年9月7日18時ころ修正

本記事の文章が単独で整合していなかったので、淡赤色部分を修正しておいた。修正部分の元々の文章は、コメントアウトして残しておいた。ただ、全体の意図は修正されていない(はずである)。

日米における不正選挙の追究の成功は福島第一原発事故の収束につながりうる

#本稿は、題名がすべてであり、先日の米国における不正選挙追及に係る記事(2016年9月3日)と随分重複するところがある。いずれまとめ直すことがあるかも知れないが、そのときは、構成を大きく変え、出典を充実させる予定である。見出しを付けたのは、途中、大きく論旨が方向転換するためである。


不正選挙の学術的な追究には工夫が必要である

今までの記事から受けるであろう印象に反するかもしれないが、7月31日開票の東京都知事選についての私の関心は、選挙の開票作業における不正にある。明確な犯罪である開票時の不正の可能性を追究することは、一応、私の本業(であったことと他人には見なされうること)の範疇である。現状に至るまでの主要な選挙の過程が国民の意思決定を正当に反映したものであれば、人命を軽視するわが国の現状を受け入れることもやむを得ない。しかし、投票用紙読取分類機への不正な介入は、明白に犯罪であり、この犯罪によって、開票結果が真の民意と全く異なるものと化していたとすれば、日本国民の全員が現状に対して責任を負う必要はない。この犯罪を予防・抑止し得なかったとして国民からの責めを負うべきは、無邪気な選管や、不作為という政治的な振舞いを続ける検察、怠惰な学識経験者であろう。

不正選挙に対する一般の指摘は、不正が行われたとするもの、不正の余地があるとするものの二種類がある。両者の指摘は、個別に是非を検討されることが肝要である。一回限りの不正について着目すると、論理上、前者は後者の十分条件であり、後者は前者の必要条件となる。両者は、もちろん、同一の話者によって指摘されうる。これらの機微が分からない者は、議論に参加する資格がないが、現実には、不正選挙の否定側と肯定側の双方にわたり、無知からか、または、作為的にか、両者を混同した議論が見られる。

本ブログの今までの記事は、不正が行われたとするものの範疇に含められる。不正の余地の存在を、投票用紙読取分類機の非開示性、投票用紙読取分類機にネットワーク接続機能※1とバックドア※1、※3とが存在するという告発、一票○万円という内部告発※4に求めている。この点、先達の業績に重要部分をタダ乗りしている。これらの考究の方が、研究としてはむしろメカニズムを追究しているものであるだけに、一般への訴求力もあるはずである。

※1 大阪における「不正選挙」疑惑追及者Aさんインタビューダイジェスト版(聞き手:IWJ記者) | IWJ Independent Web Journal

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/315772

上記※1は、書き起こしがネットで流通しており、便利である※2

※2 <不正選挙疑惑1>「開票途中に4台中4台、全ての計数機が交換された」AさんインタビューIWJ(文字起こし) - みんな楽しくHappy♡がいい♪

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4671.html

※3 弁財天: 差し替えたのは投票箱ではなくデータベースだな。(Tomcat7のハングアップ) update20

http://benzaiten.dyndns.org/roller/ugya/entry/tomcat7-hangup

※4 自民党関係者からの超ド級の爆弾情報① 〜1票⚪︎万円で票の差し替え…「ドン」に完全支配された不正選挙〜 - シャンティ・フーラの時事ブログ

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=115059

本ブログの記事は、いずれも、外形的に、簡素なシミュレーションによって、確率としては非常に起こりにくい結果が生じていることを述べているだけではある。とはいえ、これらの作業にも、類似の先行事例が見られることから、わが国の投票用紙読取分類機を用いた開票結果について、同様の結果が生じうることを示すことは、不正選挙に係る一般性を拡張する事例研究とはなる。ミラー[編著](2008=2014)『不正選挙』, 亜紀書房は、包括的に不正を指摘する書籍であるが、本ブログ中の宜野湾市長選挙についての一連の検討(1:2016年1月28日2:2月1日3:2月3日4:2月8日)は、同書の一部を参考に、これをシミュレーションによって図示する方法に変えてみたものである。

本ブログで実施してきた作業は、研究として世に問うには、不充分と見なされるものであり、研究に仕上げるためには、工夫が必要となる。本ブログの情報は、誰もが入手可能な材料と追試可能な方法により、不正の蓋然性を推論しているという点によって、公開するに値する情報となっているはずである。しかし、問題を漏れなくダブりなく簡潔にカバーしている訳ではないので、ノンフィクションとするにはより多くの作業が必要である。他方、ここでの内容を、研究として十分な状態に高める上で必要とされる査読者は、この内容については、出現を期待することはできないであろう。この状態は、「帯に短し襷に長し」である。また、本ブログでの考察が実務に与える意味こそ大きいものの、論拠としては、不正が行われたことを示唆するという程度に留まるものである。確実な不正の証拠として法廷で利用できるものとまでは言えない。本記事は、不正の余地があり、現に不正以外の原因によって認められにくい大差が生じている、という事実をもっぱら二次情報(情報の発信者によって産出され、すでに加工された情報)によって指摘するものに過ぎない。

わが国の社会環境、研究環境の下では、前途のある職業研究者が不正選挙の存在を追究することは、ほとんど困難である。先が見えており、後進に迷惑をかけることなく、バカな真似をできる大御所ならば、不正選挙を思う存分追究できたのかも知れない。しかし、周辺にまったく影響を与えることなく、この種の作業を実施可能な人物は、わが国における組織人にはいないのではなかろうかとも考えられる。

#問題は、わが国の社会で、不正に荷担する側が「五人組」を良しとする根性を発揮することにあると言える。この「五人組根性」は、「第二の敗戦」時に恣意的な権力の利用を「戦勝国」側にも許す根拠となる、いわば諸刃の剣である。ただ、この心性は、加害者の家族や落ち度のある被害者を迂闊にも公の場で非難する者が後を絶たないことに示されるように、国民に広く行き渡ったいじめる側の感性であり、これを前提としない訳にはいかない。また、商業主義に毒された物書きが多いことによっても、この吊し上げの心性は、加速されている。

不正選挙の追究は、職業研究者には、二点の相互に影響する学術活動上の理由によって敬遠される。一点目は、陰謀論者によるものとはいえ、すでに世間一般で指摘されていることを追認しても、新規性が認められないというものである。二点目は、わが国のように政治的に振舞う研究者・報道関係者・官僚が多い中では、不正選挙の追究が政治的動機に基づくものと曲解されることにある。いずれの理由も、誤解に基づくものであるが、不正選挙の研究は、ここに挙げた理由のいずれによっても、「触らぬ神に祟りなし」というものになる。


不正選挙を指摘する者へのラベリングが学術的な追究を阻害している

不正選挙の存在を指摘する声は、世間でもそれなりに認知されており、職業研究者の中にも、その声を知る者はいよう。リサーチ・クエスチョンの立て方次第で、不正選挙の追究は、研究としての要件を満たすと予想される。しかしながら、不正選挙の存在を検証するという目標だけでは、およそ、優れたリサーチ・クエスチョンからは程遠い状態にある。すでに「不正選挙が存在する」という、かなりの確実さを持つ申立てが一般に見られる以上、新規性が認められないからである。いかにして自動開票読取機による不正選挙が成立するのかを考察する作業に新規性を認めるためには、一捻りが必要である。

新規性を確保するための追加的な作業は、「現場との円滑な関係を大切にするように」との指導を受けてきた社会科学系の研究者にとって、ジャーナリストと同様の危険を要求するものであるように映るであろう。一般の人々や海外の研究者から見れば、この「ラポール」は、馴れ合いの象徴であるように映るかも知れない。しかし現に、行政機能の行く末を決定するような勉強会・研究会・審議会等に学識経験者としてのお呼びがかかるような研究者にとって、この種の「ラポール」は、自身の主張を社会に適切に反映させるために必要であり、行政組織内の会合は、自身の主張を実装するための社会的装置としても機能している。そうである以上、この「飴」を自ら放棄することになる不正選挙の追究作業は、わが国のマスコミの国際関係の報道が一般人にとって表面上穏やかな印象を与える(ように工夫されている)ものである現在、それほど賢明な行為とは思われないであろう。

不正選挙への疑いが、過去の事実を問うものであれ、不正の余地を問うものであれ、すでにトンデモ扱いされかねない形の批判を浴びていることは、研究者に対して、この話題への関与を躊躇させる最大の要因として機能する。本来、研究とは、研究題材そのものよりも、研究手法(への誠実さ)によって批判されるものである。研究対象そのものよりも、研究上の手続が、ほかの研究者によって検証されるのである。そうでなければ、超常現象や宗教を研究する余地など、成立しないことになる。ただ、この基本に加えて、社会科学系の研究者は、研究対象である社会に対して自らの研究が影響を及ぼしうること、またその結果、社会から反作用を受けるという点について、自覚が求められることになる(橋爪大三郎氏と島田裕巳氏に対する批判(2016年1月27日)を参照)。ところが、不正選挙は、2016年の現時点においては、議論の作法に無知な、大多数の利害関係の薄い話者や、不正選挙の虞を検証されないことによって直接の利益を得るという意味での利害関係者の関心をただちに喚起する話題と化している。特に、利害関係者の存在が重要であり、彼らの存在は、不正選挙に対する疑惑を冷静に検証する上での現実的な障害として機能している。


社会制度の不正の余地の追究は研究として成立する

不正選挙が成立する余地を問うこと自体は、研究行為となる。このことは、選挙という社会的活動が間接民主主義国家であるわが国の根幹を形成することにも起因する。不正選挙という過去の事実の帰責を問うことは、明らかに政治的行為ではある。しかし同時に、不正選挙に係る指摘を元にして、社会制度基盤(アーキテクチャ)の機能不全を問うことは、結果的に政治的影響を生じるにせよ、調査・研究の一種である。複数のアクターを仮設してゲーム理論に基づく利得を探索するという研究も成立するであろう。ここまでに用いてきた論述方法は、構築主義(ラベリング理論)を下敷きにして、規範的観点を据えて展開してきたものであるが、この方法は、不正選挙に係る全般を分析する上で見通しの明るいものであると思われる。

しかしながら、選挙において不正の余地があることを指摘するという研究は、本来、不正の余地がある点を指摘されたために追加の検証コストを要することになる「利害関係者」にとっても、「痛くない腹を探られない」ために必要な営為である。現に重大な申立てがなされ、外形的に不審な結果が見られる現時点において、「利害関係者」自身がシステムの完全性を主張したり、システムの安全性の検証作業を放置することは、性悪説に立つ外部者から見れば、疑惑を深めるだけのことでしかない。間接民主主義を採用する国家では、選挙のすべての過程において、どの国民から見ても成立するような透明性が確保されている必要がある。この透明性こそは、間接民主主義において少数派が納得するための正統性に必要とされる要件である。

一国の社会制度が健全に機能しているか否かを研究を通じて確認していくことは、国や地方公共団体から俸給を支給されている研究者の共同の責務である。一国における職業研究者は、正確な知識の産出を社会的な目的として付与されているが、この知識の対象は、当然、その国の社会制度を含むものである。職業研究者の全員が社会制度基盤の良好な維持を目的とした研究業務に従事する必要はないとはいえ、全員のうちの誰かがこの課題に取り組む必要があり、また、この誰かの研究業務が不当な政治的圧力に阻害されることのないよう、全員が研究活動の健全性を維持する責務を有する。このようにして成立しているはずの国公立の研究コミュニティの中から、まったく不正選挙を検証しようとする者が現れず、また、この検証を行おうとする者に対して支援を与えることがなかったとすれば、この状態は、研究者たちが自らの存立基盤を蚕食して顧みなかった「共有地の悲劇」と呼びうるものである。


米国の不正選挙の追究は福島第一原発事故の収束につながりうる

ただ、全世界中の不正選挙の最たるものは、わが国における選挙ではなく、米国大統領選挙における投票機の不正である。米軍の駐留という現実によって、身動きの取れない状態にある国は、わが国を含めてかなりの多数に上る。今までの歴史をふまえ、なお、米国が今後も同様の枠組による国益の確保を目指そうとするのであれば、民主主義国家を標榜する上で必要な機能を確保することは、決して米国の利益に逆らうことにならないであろう。わが国における不正選挙の根絶は、米国の今後の動向次第ということになるが、それでもなお、追及される必要はあろう。

2000年及び2004年のアメリカ大統領選挙における数々の不正は、アメリカ合衆国という国の威信を大きく低下させ、米国に追従することへの疑問を、影響下の国々の国民に抱かせることとなった。2004年の選挙は、2001年の9.11以降における外国での米軍の活動のターニングポイントとなり得た。しかし、開発に従事したエンジニアが不正を告発した証言があるにもかかわらず、プロプライエタリな電子投票機が同年の選挙では利用され、世界の大多数の国民に嫌悪された子ブッシュが再選されるという結果を得ることとなった。この結果は、アメリカ国民に対して、諸外国の国民から多大な悪感情が寄せられるという負債を課すものとなった。国民の恨みが100年以上にわたる悪影響を生じさせることをふまえれば、不正選挙という犯罪の対価は、一国にとって高価なものとなる。

2008年、2012年、2016年の大統領選挙活動においても、不正選挙の存在が指摘され、批判された。(現在進行系の出来事についても指摘するのは、研究生活上、愚かなことではあるが、)WikiLeaksという怪しい手段により日の目を見ることになったにせよ、ヒラリー・クリントン氏は、ベンガジ事件への関与が指摘されている。これを隠蔽しようとして、司法関係者があり得ない動きを見せたことまでが判明しており、批判されている。これらの事実と日常生活において用いられる意味での因果関係が認められるが、五名の予備選に係る民主党関係者が謎の死を遂げている。今回のアメリカ大統領選挙活動を不利なものとするであろうが、ヒラリー・クリントン氏の不正得票疑惑に対する民主党員の検証は、アメリカという国の威信に関わることになろう。

米国、次いで日本における不正選挙の根絶は、福島第一原発事故の正当かつ合法な収束の前提条件として機能するゆえに、重要である。福島第一原発事故に関与する、わが国の非常に広範な分野で禄を食んできた多数の人物たちは、結果として事故を収束できていない。これは、組織内の個人が個々に頑張ったとしても、何にもならないという見通しを有していることにも起因する、典型的なモラルハザード状態である。この停滞状態を変化させるために、誰にとっても合法的かつ正当と思うことのできる解決方法のうち、選後の歴史から見て、最も有効なものは、わが国では、米国からの政治的圧力を通じた斉一的なパッケージの採択しかあり得ない。それゆえに、米国の不正選挙の根絶がわが国の不正選挙の根絶に先立ち、必要となるのである。(#大変に情けない話であるが、天皇陛下のお言葉を、特別立法によって取り繕おうとする「政体」である。)

ところで、政策パッケージという考え方自体は、道具でしかなく、その中身の取合せこそが問題である。プラザ合意以降のわが国の米国との交渉は、わが国における規制・慣行を緩和・打破するという基調で行われてきたものであり、政策のパッケージ化は、ゲームの一種のルールであり続けてきた。単に、日本側のカウンターパートの知的レベルが大きく低下したために、TPPのような、両国民の大多数にとって論外な中身のパッケージが提示されるようになっただけである。米国の国益を確保・向上しようとするグループによる正当な圧力によって、両国民にwin-winの関係をもたらし、今まで超法規的・脱法的な利益を上げてきた無国籍大企業群から不当な利潤を取り戻すパッケージであれば良いのである。なお、丸山和也氏の「51番目の州」発言(2016年2月18日)は、政策パッケージとして、最大の奇策という位置付けになる。

不正選挙の根絶によらない福島第一原発事故の解決に至る道筋として、中国やロシアによる介入が考えられる。これは、世界中の関心ある層に向けて発信されている情報を総合すれば、現実にその動きが認められるものであり、かつ、短期間のうちに、チェルノブイリ事故と同程度の封込めを期待できるものである。中露による介入のほか、米中露による協調的な介入というものも考えられることは、当然である。この主張は、個人の生命を等しく価値のあるものとして合理的に思考する人物によって、十分にあり得ることと認められるものである。

ただし、不正選挙の根絶を経ずに行われる、他国によるわが国への内政干渉は、社会防衛主義的な様相を帯びる可能性が十分にある。この社会防衛主義的傾向は、全体主義的に振舞うわが国の特定の社会集団にとって、受け入れ難い理由として利用可能なものである。この結果、わが国の特定の社会集団は、世界からみれば、日本国内における抵抗勢力として機能している。領土に福島第一原発事故由来の放射性物質が到達している米中露の三か国にとって、現「政体」は、扱いの難しい存在となっているのである。


#一応、ここまでの議論によって、わが国における不正選挙と福島第一原発事故という二大犯罪の関係性が、本ブログで取り扱われることの説明を果たせたように思う。また、最終節の議論によって、矢部宏治氏のTPPと原発がセットになっているという議論が、必ずしも成立する訳ではないことが示唆される。物事の解決には、色々なルートがあり得るということである。




2017年6月9日修正

タグをpタグに変更するとともに、内部リンクのタグを修正した。

2016年9月6日火曜日

国際的なゲームのルールは変わりつつある(感想)

 ここ一週間ほどの日本国内の報道を見る限り、国際関係が奇妙なほどに平常運転であるように見える。原発再稼働は、子飼いであるはずのNHKから牽制が出され※1、にもかかわらず、G20の経済協調の成果※2を含め、国際関係が平穏そのもののように報道される。佐藤優氏は、「二島先行論」になりつつあることを匂わせつつ※3、安倍晋三氏を「歴史に残る」とラジオで評している※4。北朝鮮のミサイル発射は、わが国の排他的経済水域に着弾したにもかかわらず、ニュースの扱いは非常に冷静な印象を受ける※5

 ということは、わが国の指導者層に係るゲームのルールは、変わりつつあるのかも知れない。ここのところのわが国の報道のモードは、かなりマンネリ気味である。要所要所で、変わりましたよ~という気配をしれっと見せつつ、従来ならば重大であるとしてヘビロテに乗せられていた種類の脅威が、メディアごとに一回限りかのように、控えめに報道されている。大きな被害を生じない形で、わが国に対する権力の移行がなされることは、日本国民にとって、当然に望ましいことである。縦割り組織の中で、神輿だけは軽くしておきながら、候補者の中では最も優秀と見なされるであろう人たちが、次世代において重要な役割を担うため、脅威に対応する経験を積んでいる最中であるというのであれば、国民に対してこのことを知らしめておらず、拠らしめている点、完全に公平であったと後世において評することまではできないであろうが、次善の状態を取ったと評される余地はあると言えよう。

 現時点の指導者層は、同等に扱われている訳ではなく、明らかに、報道によって選別される存在である。ということは、便りがないのは良い便り、という場合が多かろう。

 それにしても、現在は、「ニュースが完全に報道されないモード」になりつつあるのであろうか。私のポンコツ知能では、ネットやテレビだけで9月に入ってからのわが国の動きを読むことは、ほとんどできていない。分かることは、「何だか良く分からなくなってきた」ということだけである。悔し紛れであるが、後世にこの状況を検証する手段が残されていることは、ゲームのルールが先進国並であったことを示す要件となろう、と指摘して本稿を締めておく。

#私の現時点の個人的な愉悦は、状況を理解できること、推測したことが当たったことを確認できることであるが、両方とも、なかなか果たされていない感覚がある。


※1 NHK『解説スタジアム』「どこに向かう 日本の原子力政策」(平成28年8月26日午後11時55分~午前0時49分、リンクは番組サイトトップ)
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu/stadium/index.html

※2 保護主義に反対、課税逃れ防止…G20首脳宣言 : 経済 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
(2016年09月05日 22時57分)
http://www.yomiuri.co.jp/economy/20160905-OYT1T50084.html
 【杭州(中国・浙江省)=山内竜介】中国・杭州で開かれていた主要20か国・地域(G20)首脳会議は5日、貿易と投資を巡るあらゆる保護主義に反対することや、課税逃れを防ぐ税制の構築、構造改革の推進などを盛り込んだ首脳宣言を採択し、閉幕した。
※3 北方領土に本気で取り組み—安倍首相 | nippon.com
http://www.nippon.com/ja/currents/d00241/
日本側からすれば、平和条約が締結されれば歯舞群島、色丹島の2島は日本に返還されるのだから、

※4 文化放送『くにまるジャパン』2016年9月2日放送分

※5 北ミサイル3発、ほぼ同地点に落下…能力向上か : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
(2016年09月05日 20時32分)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20160905-OYT1T50053.html

同日(2016年9月6日)11時22分追記

テレビ朝日『ワイド!スクランブル』に出演していた辺真一氏は、大変興奮しているかのような口調であった。スタジオの聞き手が引いている様子がありありと映し出されていた。辺氏の緊張を煽るかの言動は、彼にとっては国際関係の緊張こそが食い扶持になるという事実を示すものであることが分かる。対立から利益を得る者がいる、という事実は、現在の日本においては、黄金則に近いものがある。

「フクシマ」は国際的な関心と圧力を背景に匂わせる表現である(メモ)

 菊池誠氏は、福島第一原発事故を「フクシマ」と片仮名表記することが、福島に住み続けようという意思を持つ人たちの気持ちを考えたものではないという(リンク)が、この指摘は、同氏にしては、珍しい事例である。疑似科学界隈において随分と配慮に欠いた指摘を行ってきた同氏が、構築主義的観点を取り込んだ「理系式」の「野生の理解」を垣間見せるものであるためである。実は、この点をふまえて、私も「野生の理解」ばりに福島第一原発事故の片仮名表記を使い分けている。福島第一原発事故の片仮名表記は、「海外の国民の懸念や心配を背景として、国際問題として構成・実体化された福島第一原発事故」という意味で、用いているのである。

 現地の被害者やわれわれ日本人一般の意思に関わりなく、事故は、国際問題化している。事故に対する国民としての責任の程度がいかなるものであれ、われわれは、事故後という新たなステージに上らされている。この状態は、わが国の国(民)益を維持しようとする「政体」の力が、他国のカウンターパートに比較して脆弱なためである。菊池誠氏のように、国際的に構築された、この間主観的事実を否定しようとすることは、昭和前期の日本における選良の一つの身の処し方であったかも知れないが、21世紀も良いところの現今において、国際的に通用する礼節または教養となり得るかは、相手が判断することである。

 われわれ一般の日本人のうち、かなりの者は、自らの健康・生命や財産が否応なしに現在の「政体」の無力によって、かなり危険な賭けに載せられていることに対して、危機感を明確に表現してはいないが、頭の片隅では、それなりに感じているところもあるのではないかと考える次第である。



 蛇足であるが、インターネットは「野生の思考」を加速する存在である。私は、その泥沼に足を取られている。ただ、従来の学問に乗らないベースの実用的な思考を相当に加速させており、たとえば、掲示板『阿修羅』のカルト板において、一日三回の漫談投稿を行う「ポスト米英待望論」氏のように、ほぼリアルタイムに「ちゃかし系陰謀論」の思考を結実させる偉業(?)が達成される上で必須のインフラとなっている。そこには、恐るべきスピードで去来する情報の存在を認めることができる。私には、この情報を学術的に十分な範囲と程度で消化して血肉としながら、オリジナル感のある新情報を提示することは、できそうにない。

 さらに蛇足。個人的には、『国際秘密力研究』の「菊池」氏の正体を知らないが、なぜ、こちらの菊池氏が大阪大学の教授ではないのかを訝しむ次第である。万が一の場合、二人の「菊池」氏が同一人物であったとするならば、根本から同氏に対する見方を転回する必要に迫られそうである。というか、そうであったとすれば、とても興味深いことである。

2016年9月3日土曜日

わが国の言論・学術界が不正選挙を考究しないことの帰結を予測する(準備をしよう)

#本稿では、いちいち断るのが面倒くさいため、不正選挙は、基本、存在するものとして読んでいただいて構わない。存在すると考える理由は、過去の記事を参照されたい。不正選挙は、私を含む一般人には、具体的に誰が企画・実行したのかを同定することは不可能ではあろう。しかし、一部の選挙では、出口調査に調査設計上の失敗があるにしても、シンプルな推測統計学上の知識を活用すれば、起こり得ない程度の得票数の増加が見られるなどといった、不可解な状況があることも事実である。不正選挙の存在を否定したい者は、好きなようにすれば良いが、本稿は、一般人ではない者が徒に否定することを戒め、その道行きを予測する(ための準備を行う)ものであることに注意されたい。




 アメリカ政府で経済政策担当の財務次官補を務めたことのあるポール・クレイグ・ロバーツ氏は、今年の米大統領選挙に係る不正選挙の虞について、
アメリカ人が、責任を負わない権力の勃興を許してしまった事実から、我々が知るべきなのは、国民による職務怠慢のかどで、アメリカ合州国民が有罪だということだ。アメリカ人は、責任を負う政府を必要とする民主主義を維持しそこねたのだ。 ※1
と述べている※2(訳はリンクによる)。不正選挙を含む不正の蔓延は民主主義を健全に機能させようとする国民の努力が不足していたからである、とロバーツ氏は理解しているのである。この指摘は、アメリカ国民にとって、結果責任を問う、厳しいものである。とはいえ、賭けられているものが「核戦争の実現」とすれば、リベラルな米国民は、本来、身につまされるものがあるのではないか。

 他方、わが国では、不正選挙とその害は、大部分の国民に認識すらされていない。仮に、ロバーツ氏の檄が功を奏して、戦争屋の残党がアメリカから敗走したとすると、彼らが目指す先は、わが国くらいしか残されていないことになろう。ただし、その撤退は、単に時間稼ぎにしかならないであろう。これらの経緯から生じる結末として考えられるものには、わが国が「戦争屋」用のゴキブリホイホイとなるというものがある。本稿では、今までの記事とやや重複するが、この点を再度検討しておくことにしよう。

 以前の記事(リンク)で軍産複合体と戦争屋とを区別した理由は、広義のセキュリティ産業を構成しうる多数の人物たちの内で、同国人に対して真に邪悪と呼ばれうる行為に手を染めた者の割合がそこまで高くはないであろうことが予想され、責任の軽重に応じて、これらの人物たちを区別する必要が認められたからである。真に邪悪と呼ばれうる例は、たとえばインテリジェンス業界のルールを破り部下を売り渡した高官であり、予備選に係る疑惑を内部告発しようとしていた一般人を問答無用で射殺した暗殺者である。学術的な知見を幾度も歪曲して多数の国民を苦しめる政策を支持する意見へと誘導した学術研究者であり、いかがわしい政府高官向け接待施設を擁する企業の会長でもあるという存在も、この者が日本人であるとすれば、われわれにとって邪悪であると呼べるであろう。戦争屋の具体的な数字は、現在のトルコのように、今後の世界情勢に応じて詰められていくであろうが、アメリカにおいては、数千万人のセキュリティ関係者のうちの数万人程度となるのではなかろうか。(#淡赤色部分は2016年9月6日追記)

 邪悪という表現は、誤解のないように指摘しておくと、私自身が相手をそのように理解していることを否定するものではないが、それよりも、国民一般の邪悪なものに対する嫌悪感が社会を変化させるであろうことを重視するものである。ある事象や人物を邪悪とみなす人々の感情は、大きく世界を動かす原動力となる。おおよそ、「西洋的」なマスコミが好意的に報道した各国の「カラー革命」は、精密に制御されていない多数の人々の感情により加速したものであるが、おおむね、負の結果しかもたらすことしかなかったようにも見える。それでも、ここ数年の間に、世の中は、「カラー革命」の失敗を経て、大きく変わり始めてきたように見える。その原動力は、やはり、人々の好悪という感情であろう。

 エリートとみなされる地位にある者は、現代の民主主義国家における要請である「国民の生命・健康・財産の保護」という本来のプリンシプルに違背した決断を下した場合、結果の出目を問わず、後世の一般国民には邪悪な決定を行ったと見なされるであろう。権力者にとってのプリンシプルが「権力の維持」となりがちであるということは、時代と地域を問わずに、一般庶民に気付かれていることである。この点の困難さについての理解があるがゆえかは不明ではあるが、トルコのエルドアン大統領の対米・対露関係と国内政治における変節に対して、日本のマスコミは見解を決めかねているように見える。しかしながら、多少なりともマキャベリスティックな見方に立てば、彼個人への制裁が単に順序の問題に過ぎないことは、ほとんど自明である。曲がりなりにも機能する独裁政権の下で、(どこの手の者かは分かりかねるが)自称イスラム国に繋がりかねない手下の責任がまず問われるであろうが、最後には、自称イスラム国の石油輸送キャラバンと深い関係を持つとされる息子や、トルコにおける混乱の最終責任者であるエルドアン氏自身が、合法的あるいは国際政治上許容されている手段ですげ替えられるという段取りが予定されているのであろう。なお、知識人のプリンシプルは、自身が正確と思える知識を産出して皆に提示することであるが、必要に応じて現実にも介入する必要があろう。

 戦争屋は、容易に国境を超えて不正に蓄財し、いざとなれば海外に逃亡できる存在であるという点において、その手下と見なされうる大多数の「軍産複合体の兵士」とは異なる存在である。わが国の大企業において、不正に従事した人物たちには、自分自身では気乗りしないものの、仕事だからという理由で平時における悪事に手を染めたという者も多いであろう。アフガニスタンからリビアまでの広範な地域における軍産複合体の戦争犯罪も、同様の事情を含むであろう。軍産複合体は、(1)利得を独占するごく少数の戦争屋と、(2)これらの戦争屋に指示・脅迫・懐柔されるか、あるいはその存在すら知らずに流れに棹さし、仕事がある・食っていけるなどの消極的な形式での利得に与ることができた大多数の成員からなるものとみなすことが適当であろう。イラク侵攻等における民間軍事企業の悪行の数々も、そもそも子ブッシュ政権のあからさまに誤りであった決断がなければ、生じなかったことに注意する必要がある※b

 アメリカの戦争屋エリートは、イラク戦争以降の邪悪な決定の数々によって、アメリカを危険に追いやったのであるから、早晩、アメリカから逃亡する必要に迫られるであろうが、その先は、おそらく日本となるであろう。いわゆるファイブ・アイズのほかの国は、英語圏という言語・法的環境のために、第一の選択肢となりうるが、戦争屋の敗北時にはアメリカ本国と同調するであろうから、逃亡先として明らかに不適格である。ほかの候補には、たとえばスイスなどが挙げられようが、EU諸国に囲まれ、銀行も顧客の秘密を固守することがなくなって久しいため、人命を徒に奪うことを良しとしてきた戦争屋にとっては、隠れ家として不充分な印象が拭えない。ウクライナや東欧諸国では、ロシアの実質的な影響力から逃れることができない。小さな国は、基本的に安全ではない。大国同士の相互抑止を期待できなくなる上に、一国のヒュミントが小さくなる。他のより大きな国にヒュミントを求めることができる位であれば、そちらの国を頼るであろうからである。

 現在の日本では、高機能な空調施設を有する邸宅と直営農場を札束で調達でき、一般の日本国民が望み得ないような安全な生活を送ることができる。日本国内の対中好戦派を上手く制御できれば、突発的かつ決定的な戦争状態に陥ることなく緊張状態を維持し、日本国民が本来必要としていた程度を大きく上回る軍事負担を日本国政府に押しつけることにより、当座の生き残りを図ることができる。先進国であり、国内の複数地域において上質のサービスを享受できるという条件を付せば、今のところ、日本は筆頭候補となる※c。海外からの刺客は、特に極東アジア系の外見のものでなければ、警察がかなりの程度ブロックしてくれるであろう。何より、当座のところは、在日米軍の存在という現実と独立国である日本という建前との兼ね合いが戦争屋を逮捕する際の日米当局の話合いを難しくしてくれる。もっとも、この点については、日米当局の関係者が各自の役目の本道に立ち戻り、粛々と仕事をすれば、かつての仲間たちからは裏切り者扱いされるかもしれないが、戦争屋たちは簡単に処理されてしまうという図式(が、戦争屋にとっては虞)がある。

 ただし、戦争屋が逃げてきたとしても、わが国が第二次世界大戦の敗戦国であるという事実は、わが国が戦争屋の安住の地になり得ない最大の要因となり得る。カイロ宣言、ポツダム宣言及びサンフランシスコ平和条約によって形作られるはずの現在の大多数の日本国民の領土に対する理解と、同じ材料から組み立てられたはずの戦勝国の理解との齟齬は、日本の再占領という、日本国政府及び日本国民にとっての危険を招来しうる余地を残すものである。現在までの間、同盟国でもある戦勝国アメリカの影響力が行き及んでいたからこそ、わが国と中国とがそれぞれに指摘する領土問題は、比較的局所的なものに限定化されていたと見ることも可能である。この状況下において、戦争屋が逃げ込み、その影響力を政府に対して行使し続ける日本国という新たな局面が生じたとき、これに対して、米・中・露の三か国が共同して圧力をかけるなどということはあり得ないと考えることは、世界が帝国主義的な様相を強める昨今、かなり楽天的な姿勢であると言わざるを得ないであろう。歴史修正主義者が批判するごとく、東京裁判が公正とは程遠いものであったとするならば、何らかのイベントを契機として日本が再占領され、戦争屋とわが国の歴史修正主義者たちがまとめて始末されるというシナリオは、歴史修正主義者を含めた日本国民全員にとって、現実に生じうる脅威である、ということになる。

 加えて、わが国における「第二の敗戦」の進展するペースは、おそらく、戦争屋の予想を超える速いものとなっている。先週末のNHKの番組『解説スタジアム』(トップリンク)では、原発の経済的価値がNHK内の「寿司友」の解説委員によっても否定された※dという。この話は、戦争屋の米櫃に砂が撒かれたようなものであるが、おそらくは、アメリカ国内の動きの余波でしかない。NHKの解説委員ら全員が自らの良心とプリンシプルに拠って能動的に立ち上がったということではなく、アメリカの国益を追求するアメリカの愛国者に指示されて、今回の放送が成立しただけであろう※e。しかし、NHKの解説委員らの言動は、毒を以て毒を制するものに過ぎないにせよ、日本国内の勢力だけでは、日本国内における戦争屋のプロパガンダが機能しなくなる虞を戦争屋に対して明示したものと言いうる。

 ここで、「第二の敗戦」という事態をあらためて定義しておくと、「日本人の多くが考えていたよりも、日本社会が遙かに悪い状態であったことが露わになること」というものになる。「第二の敗戦」は、日本と他国の具体的な戦争により日本が負けることから生じるものに限らない。日本国内における社会活動がいったん停止状態に陥ることなどを通じて、または、より穏当な方法を通じて、日本人の大半が状況を知ることが、「第二の敗戦」の基本的な要件である。「第二の敗戦」は、事実※fというより、事実などをきっかけとして日本人の現状認識が変わるか否かの問題である。

 「第二の敗戦」が現実化したとき、国際社会は、少なくとも日本国からは正当な賠償を要求するであろうが、日本国民一人一人に対してもいかほどの責任を求めるのかは、不正選挙に対する日米両国民のそれまでの反応に大きく左右されるであろう。この見通しは、かなり多様なシナリオの結末に共通するものであると考えられたものである。シナリオの根幹は、以下の二点の箇条書きに集約されるため、箇条書きのまま示すこととしよう※g
  • アメリカ大統領選挙の結果により、アメリカの対日政策が決定される
    • トランプ氏の共和党なら「第二の敗戦」加速(ただし、敗戦時の衝撃小)
      • 福島第一原発事故の解決への圧力増加
      • 在日米軍の再編成(トモダチ作戦訴訟の対日利用)
      • 日本国内の不正選挙に対する影響あり
    • クリントン氏の民主党なら「第二の敗戦」減速(ただし、敗戦時の衝撃大)
      • 福島第一原発事故の解決への圧力変化なし
      • 在日米軍に変化がないように政策管理
      • 日本国内の不正選挙への影響なし
    • 第三のケース?何それ美味しいの?
      • 第三のケースでは、アメリカは国際社会で尊敬される地位を回復できる見込みがなくなる。アメリカのセキュリティ関係者は、これを全力で阻止するはず(であると期待したい)。
  • 日本国内のメディアがアメリカの対日政策に追従し、忖度することにより政策を加速させる
    • トランプ氏の共和党なら報道統制を解除する方向へ
      • 福島第一原発事故の正確な現状が報道される
      • 米国では不正選挙に係る調査報道が正統的な地位を得る
    • クリントン氏の民主党なら報道統制の維持
      • 日本の対中・対露関係を悪化させる報道が企図される
      • 不正選挙に係る話は米国のものといえども日本ではトンデモ扱いが続く

 SNSにより選挙の候補者が直接聴衆に訴えかけることが可能となった現在、不正選挙という話題は、主要メディアだけでなく、SNSによる主要候補の動向にも左右される状態となっている。アメリカでは、共和党候補であるトランプ氏が不正選挙に言及し、これをヒラリー・クリントン氏が否定している。日米両国のマスメディアは、従来、不正選挙を陰謀論に過ぎないかのように扱ってきた。これに対して、トランプ氏は主要メディアこそがアメリカの民主主義に対する敵であると公言しており、このことは、主要メディア自身にも認識されている。これに対して、わが国では、先の参議院選挙の東京都選出候補の中では三宅洋平氏が、都知事選では犬丸勝子氏が、公然とSNSにおいて不正選挙に言及しているが、わが国のマスメディアからは黙殺された状態にある。

 アメリカにおける不正選挙についての指摘は、大統領という大きな権益とも相俟って、やや捻れた構図を生み出しているが、少なくとも、多数のアメリカ国民に電子投票機に対する警戒心を抱かせたものと思われる。というのも、マーク・クリスピン・ミラー[編著](2008=2014). 『不正選挙』, 亜紀書房.の邦訳版は、共和党寄りの電子投票機器メーカによって、一貫して民主党への票が共和党へとすり替えられたことを主張しているためである。しかし、同書の指摘とトランプ氏の主張は、本ブログではおなじみの概念となった『国際秘密力研究』の「菊池」氏の指摘する「両建て戦術」をふまえれば、ともに正しいものであることを容易に認めることができるものである。つまり、クリントン氏が今回のアメリカ大統領選挙において「不正選挙」を用いる集団の代理人であるという考え方は、トランプ氏とミラー氏らの主張をともに両立させるものとなるのである。なお、ミラー氏は、民主党の予備選においてバーニー・サンダース氏の票が盗まれた可能性を指摘する記事を自身のサイトに掲載させている。サンダース氏の票が盗まれたという指摘は、トランプ氏の主張と何ら矛盾するものではない※h


 なお、『不正選挙』には、その方法として、選挙人登録における不正や機会の不公平さ、投票所の設置や投票機の設置台数に係る選挙管理委員会の恣意的な変更、選挙活動における経費の高額化、選挙運営の民間委託などが挙げられているが、何よりも、連邦投票支援法に規定された電子投票機こそが、最大の問題であると見ることができよう。わが国においても、ほかの点に問題がない訳ではないことを示す証拠があるものの(リンク)、電子投票機と民間委託との組合せこそが最大の要点であると言えよう。

 トランプ氏やロバーツ氏やミラー氏のような、アメリカの異なる党派に属しつつも、マスメディアによらずに生きてゆける有力者が、ともに不正選挙の可能性と危険性を論拠とともに提示している一方で、マスメディアの力によらなければ生きてゆけない報道人が不正選挙などないと一蹴している。これは、明らかに捻れた状態である。多数の報道人の過去の意見は、十把一絡げにGoogle検索で得られるので、これらの意見は省略することとしよう。こうした折に、ブルームバーグは、アンドレ・ターター氏によるトランプ氏のツイッターを分析した結果を掲載しているが、ターター氏によれば、FOXはトランプ氏の軍門に降ったかのようであるという※3。FOXは、共和党エスタブリッシュメントを支援するために設立された報道企業であり、マスコミの中では新参者であったが、トランプ氏に批判され、このたび、飼い馴らされたということになろうか。いずれにしても、マスメディアのオーナーが誰であるのか、という点に立ち入ることのない考察は、賢明ではない。情報を分析するとき、「何の利益があるのか」※4を問うことは、基本であろう。

 不正選挙という概念が一般に浸透していないという事実は、我々が自身の見解を形成する際に、いかに周辺情報が、つまりはマスコミや学識経験者の影響力が大きいかを示唆する材料となっている。「権力者」にとっての目的が権力の維持になりがちであるという指摘は、単独で国民に提示されれば、そのとおりであるということになろう。話者がマスコミであろうが、ブロガーであろうが、教師であろうが、ジョン・アクトン卿の「権力は腐敗する。」※5という言葉は、単独で提示されれば、無理なく受容されるであろう。この命題から「次の選挙に勝つために、不正な方法を含めて、権力者はできるだけの策を講じる」と言われることに対しても、情報が単独であるならば、人は同意できるであろう。しかしながら、マスコミやら不正選挙が表になると困る人たちによって、自国の選挙システムについての瑕疵などあるはずもないという言説が大量に提示されていると、不正選挙の存在を論理的に示す言説を前にしても、人は、不正選挙が存在しうるという説を、自分で考えた上で自身のものとして採用することに踏み切れないであろう。人は、好きこのんで少数派の意見を採用したくはないのである。とりわけ、少数派の意見がエア御用学者などによって否定されているとき、専門家でもない人々が少数派であろうと正しいと思われる意見を採用することには、かなりの難しさが認められよう。

 仮に、わが国においても社会的分業が望ましい形で発揮されていたとすれば、不正選挙の蓋然性は、志ある学識経験者によって説得的な論拠とともに提示され、その説がほかの学識経験者を含む知性ある国民によって検証された後、大多数の国民に受容されて有効に監視されるという経路を経て、ほとんど存在し得ないものとなっていたであろう。この点、学識経験者やマスコミの沈黙や誤誘導の罪は、一等重いものとなる。政治学者を始めとする社会科学系の研究者が不正選挙の存在について沈黙し、マスコミも不正選挙の可能性を追及しなかったことは、近い将来において、彼らの存在意義が問われることの原因にもなろう。ただし、彼らの中で不正選挙の存在を解明し提示した者がいたとしても、その内容を精査して肯定できるだけの読者層を期待できなかったという弁明には、聞くべきところもあろう。要は、今までであれば、猫の首に鈴を付けるのが誰であったのか、というイソップの寓話と同様の構図が成り立ち得た訳である。

 この点、トランプ氏の指摘は、不正選挙の危険性に脚光を浴びせる上で画期的な役割を果たしたものと言うことができる。トランプ氏の資金力と発信力が、不正選挙という重大かつマイナーな話題を第一線のヘッドラインに載せることを可能にしたと言えよう。ロバーツ氏の経歴はむしろ共和党寄りであり、ミラー氏は民主党寄りと言えようが、両党の知識層から不正選挙についての情報発信がなされるようになったことは、二大政党の対立の影に隠れて利益を享受してきた存在を明るみに出すことに役立つであろう。また、彼らの指摘が情報の受け手に真剣に検討されることは、アメリカの学識経験者の層の厚さ(または薄さ)を明確に示すことにつながるであろう。

 不正選挙の危険についてアメリカ大統領候補が言及した後の現時点において、観察対象である政治が不正選挙という犯罪によって明白な機能不全に陥っているとき、学識経験者で安定的な身分を有する者が沈黙を保つことは、社会の暗黙の期待を裏切ることになろう。人は、自身に馴染みのない複数の物事を相互に結びつけて考えるということがなかなかできない存在である。しかし同時に、人は、その道の先達によって、それなりの解説をしてもらえれば、相当に高度な内容をかなり容易に理解することができる。これが、教育の効果であり、人がここまで高度な文明を築いてきた理由でもある。わが国では、不正選挙を示す材料は、相当に多くが認められるが、これらを説明のつくように並べてみせる人の中に、本来なら、社会の中でその役割が期待されるはずの人々が見られないのである。

 アメリカでは、民主主義を機能させるための戦いが天王山を迎えようとしているが、日本では、負けが見えている「戦争屋」のツールである不正選挙について、ごく一部の市井の人々が言及するだけである。この状態は、臆病な知識人・マスコミ、勇気ある変わり者、無知な一般人、戦争屋とその手下、という類型化によって、戯画化されよう。このキャラクターたちは、いかにして、今後の「第二の敗戦」において、断罪されるのであろうか。このように考えてみると、おおよその道行きは見えるのではなかろうか。なお、「第二の敗戦」を考察する際、冷戦が現実の危機をはらみつつも壮大なフィクションであったという理解は、補助線として機能することになろう。



 オチをひとつ。9月2日は降伏文書調印の日であったが、NHKの『歴史秘話ヒストリア』は、再現ドラマが中国国内で作成されたと思われる、始皇帝についての特集であった。また、その直前には、安倍首相がウラジオストックでプーチン大統領と会談したことが報道されるとともに、11月のペルー会談、12月15日の山口訪問が速報テロップで示されていた。日付との一致が何を意味するのかは私にも分かりかねるが、一体どれほどの日本人視聴者がこの一致に気付いたのかは、本稿の趣旨とも関連する話である。


※1 トランプ 対 ヒラリー: 最終弁論: マスコミに載らない海外記事
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-9a55.html

※2 Trump vs. Hillary: A Summation -- Paul Craig Roberts - PaulCraigRoberts.org
http://www.paulcraigroberts.org/2016/08/25/trump-vs-hillary-a-summation-paul-craig-roberts/

※3 Donald Trump’s Twitter War on the Media, by the Numbers - Bloomberg Politics (Andre Tartar, 2016 Aug 19)
http://www.bloomberg.com/politics/articles/2016-08-19/donald-trump-s-twitter-war-on-the-media-by-the-numbers

※4 cui bonoの意味 - goo辞書 英和和英
http://dictionary.goo.ne.jp/ej/20908/meaning/m0u/


※5 「権力は腐敗する。絶対権力は絶対腐敗する」というような格言の発言者はアクトンと聞いているが正しいか。... | レファレンス協同データベース
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000167282


※a 原文は次のとおり。私が指摘するのはむしろ僭越だとは思うが、構文上、正しい訳である。ただし、「合衆国」を「合州国」と訳すことにはひとつ捻られた事態が存在することを理解しているつもりである。一種の歴史修正主義の臭いがこれらの語の使用に係る議論には認められるのである。
That Americans permitted the rise of unaccountable power tells us all we need to know about the dereliction of duty of which United States citizens are guilty. The American people failed democracy, which requires accountable government.


※b 戦争屋エリートと下っ端との間には、自然に、悪行の種類に大きな分裂が見られることになる。殺人・強姦・放火・強盗は、いずれも、子ブッシュ政権以降の民間軍事企業によって行われていたことが認められるが、これらがわが国の平時では凶悪犯であることは、指摘するまでもなかろう。末端が戦争下において行う犯罪は、戦争屋エリートが自らの利益のために強行した犯罪により可能となった。この点で、戦争屋エリートの罪は、前線の兵士よりも数段重い。

※c このように戦争屋エリートたちが考えることは、合理的な思考の範囲内である。このため、このケースが実現してもしなくとも、犯罪学における「上流階級ならこのように犯罪を行う」という思考実験として、ここでの想像は、無駄ではないと言えよう。

※d 原発ゼロを目指すという政策自体は、世界中の人類の利益になることであるために、日本国民としても賛同の余地がある。ただし同時に、この政策変更は、放射性廃棄物の最終処分場の日本国内における建設にも直結するがゆえに、日本国民は、慎重に状況を見極める必要がある。

※e 今まで良心的に職務に従事してきた報道関係者に可能な手段は、重要なことを訴えた直後に、沈黙を強いられるか、エクストリーム自殺するかであった。今後の「第二の敗戦」時、報道関係者は、「戦時」の報道姿勢に対して、この選択肢をふまえた判定を下されることになるであろう。

※f 日本人の大半が認識を改めるだけの事実の種類としては、ほかの例として、首都直下地震等により首都圏一帯が機能不全に陥るというものが考えられる。他国かわが国の経済状況が決定的に悪化した結果、世界的な経済活動の不全が生じるというものも考えられる。いずれの場合も、決して荒唐無稽というレベルではなく、それなりには具体的な危険として対処が必要なレベルに達しているところがポイントである。これらの危険を顕在化させないためには、国民の(知的水準ではなく)知識内容の多くを現代社会に即して更新し、日本社会の弱点であった公的部門の社会活動の水準を大幅に向上させる必要があったのであるが、これを今更求めることは、木に縁りて魚を求むというものであろう。

※g クリントン氏当選というシナリオや第三のケースというシナリオから、「第二の敗戦」がいかに実現するのかという筋道は、私が語ることではない。硬直 的なわが国の法律がある限り、いくら無謀なことを記しているように見えても、私にも書けないことがある。書くとすれば、私自身に適用されている一種のゲームのルールが変更された(、あるいは、私がルールを変更した)ときである。

※h 一人の日本人として指摘しておくと、アメリカという国が申し分なく輝いて見えるためには、2016年大統領選挙については、サンダース対トランプという構図が成立する必要があった。少なくとも、サンダース氏の得票が正確なものであったことを検証すべきであったとは言いうる。しかし、この指摘は、頭の上の蠅を追ってから言うべきことであろう。