2017年6月10日土曜日

2017年前半期に本格化したわが国の権力闘争の行方を愚考する

最近、日本の権力構造において、警察と自衛隊の指導者層が従来以上に重要な役割を果たしていることが明らかとなってきた。2017年2月以降に噴出した、安倍政権に係る複数の疑獄と、それに対する理不尽な対応は、実力組織の活動を図らずも庶民に見せつけることになった。彼ら武官エリートは、旧ジャパン・ハンドラーズとは、もはや、トランプ政権誕生以前のような支配=従属関係にはない。彼ら武官組織の指導者たちが旧ハンドラーズと真のパートナーシップを構築する可能性は、残されたままではある。しかし、最早、戦後からオバマ政権までの間のように、旧ハンドラーズが支配し、日米合同委員会における指示を通じて、嫌でもその支配に服すという状況にはない※1

現今の勢力争いに実際に寄与している勢力をすべて洗い出すと、現政権側のステークホルダー(考慮すべき利害関係者)には、政治勢力としては自民党の現主流派、行政組織としては警察・検察・自衛隊等、実力行使の可能な組織が含まれる一方、その対抗勢力は、旧ジャパン・ハンドラーズを黒幕とする戦争屋連合である。現時点の旧ハンドラーズのステークホルダーには、マスコミの大部分、松下政経塾系の民進党・小池新党・維新の会などが含まれ、少なくとも都議会については、公明党が含まれる。民進党の都議会議員の多くが小池新党へと合流し、公明党がこの新興勢力と協力関係を構築したという事実をふまえれば、民進党の松下政経塾系統の人物や、公明党の立ち位置は、本人が自覚的であるか否かはともかく、戦争屋に与するものであることが明らかである。米コロンビア大学辺りに留学して、多くの日本人に「知米派」であるかのように認識されている政治家には、注意した方が良い。彼(女)と直接の対抗関係にある人物は、今のところ、日本人の99%にとって、応援すべき人物である。


#本稿で示す話は、決して、ヒュミントによるものではない。私の経験と偏見に基づき、公開情報を味付けしたものに過ぎない。ただし、私自身は、本稿を大真面目で示している。本ブログで散々主張してきたが、研究者・学者の役割は、正しい知識を産出して提示することである。本稿の見立ての正しさも、私自身の言論の正しさを賭金にしたものである。なお、本記事も無意味に長いので、段落読み(頭の文だけを読む方法)されると良いかも知れない。


7日に橋下徹氏がツイッターアカウントのエイリアスを変更したという報道[1]は、前稿(2017年6月6日)に示唆した政界再編の意図が存在することを示す明確な兆候である。なお、橋下氏が「t_ishin」から「hashimoto_lo」にエイリアスを変更した後、以前のエイリアスを直ちに正体不明の人物が埋めている(9日7時確認)。しかも、その人物は、エイリアス取得後、全くツイートしていない。この結果、このエイリアス名義での過去ログの全てが、第三者の運営するサーバによって追跡できなくなっている。この背景に、何らかの意図があるものと第三者に疑われることは、仕方ないものであろう。現実に一部のツイートが欠落したなど、後世における検証に不都合な事態が生じているとすれば、その事態は、ツイッター社を巻き込んだ、なかなかの大仕掛けということになる※2

今後、3月末のCSIS講演[2]をテコにした形で、橋下氏についての何らかの宣伝が進められるものとみることは、この講演の聞き手からすれば、当然に予測される展開である。そこで、この橋下氏の講演を多少詳しく検討し、それがどのように今後の政治勢力の再編を促すのかを指摘しておくことは、ムダにはならないであろう。ただ、録画映像は、不快な雑音のために、重要論点に聞き取りにくい個所が2カ所あり、『YouTube』の自動翻訳機能も付与されていない。かなり作為的な印象を受ける映像の造りとなっていることを前もって指摘しておく。

橋下氏のCSIS講演映像における雑音は、現場か事後かにわざと混入され、橋下氏が米国で日本国民にとって都合の悪い発言をなしたことを、日本国民に聞き取れなくしたものではないかとの疑問も湧くものである。かろうじて聞き取れるだけの音声からは、おおむね、次のような内容を聞き取ることができる。意訳・要約であることに留意されたい。角括弧は、その発言のおよその開始時刻である。

〔24:45#以後雑音酷い〕しかし、普通の日本人第三世代は、本当に米国がそうするのか〔尖閣諸島のために日米安保条約第5条に基づき血を流すのか〕については疑問を有している。〔...まるで聞こえない...〕THAADが中国・ロシア・北朝鮮への抑止に役立つというのは分かるが、〔第三世代は、〕協力体制〔#ここまで〕を静かに見ている。

〔26:00〕米国が本当に日本のために核戦争を実行するのかと訝しんでいる。〔26:10#以後雑音酷し〕小さな尖閣諸島のためにアメリカ人が本当に血を流すのかと日本人は考えている〔#ここまで〕。

聞き取りにくい話には、講演後の質疑応答における尖閣諸島に係るやり取りが重複する。そこでは、マイケル・グリーン氏の言葉を借りて、西太平洋の日本国領土の周辺地域を日本国に防衛させる〔50:10~50:32〕というアジェンダが明言される。この難しい部分を明らかに日本国民ではないであろうグリーン氏が代弁することには、橋下氏を慎重に育て上げようとするグリーン氏らの魂胆が透けて見える。もちろん、講演会場における音声状況の悪さを私は把握していない。ネットにアップされた内容だけから判断すれば、そのように疑ることも可能である、というだけのことではあるが、われわれは、この低レベルの手妻を経験し過ぎており、偶然を偶然とは思わない方が良いことを学んでいる。

前掲の音声が大変聞き取りにくい箇所に、橋下氏とその周辺のアジェンダは集約されているが、橋下氏のCSIS講演の全体を一通り検討し、その内容が政治勢力の再編を企図するものであることを指摘しておこう。ただ、橋下氏が必ずしもCSIS関係者のアジェンダに丸乗りしている訳でもなさそうに見えるところは、特記しておいた方が良いであろう。国際秘密力集団のアジェンダを乗りこなすのは、後述するように、世界のリーダー層における、一種の流行と化している。蛇足ながら、フランスだけがその波に逆らう選択をしたのは、原子力・金融・保険・EU内農業・化学・医薬・観光といった同国の主要産業構造を考えれば、面白い現象であるように思う。

冒頭、橋下氏は、最近の政治上の変化をメディアがポピュリズムと表現することを、普通の人々の感情から隔絶していると批判する〔5:15〕。メディア自身の見解に反する動きを取る者を批判するときにポピュリズムという言葉が使用される〔6:40〕、と橋下氏は批判するのである。氏自身の来歴を述べたあと、政策の勉強不足であることを認めながらも〔15:10〕、日本の草の根の感情の根底にあるものについてはよく分かっている〔15:30〕、と橋下氏は主張する。橋下氏は、メディア批判のスタンスを取り、同時に、普通の人々の感情を語る〔9:25〕というスタイルを取ることにより、ポピュリストであることをむしろセールスポイントにしようとしているかのようである。メディア批判は、従来の与党支持層を取り込む準備のためと認められる。この下拵えは、先述したような尖閣諸島に対する日米安保条約に係る庶民の理解〔24:45、26:00〕を通じて、「橋下さんは、尖閣問題を良く理解しているじゃないか、彼の言うとおり、日本人が自身で尖閣を防衛しなければならないのだ」という右側からの世論を喚起する土壌となる。

この講演において、橋下氏は、日本国民を三世代にキャラ付けし、第二次世界大戦後の孫世代である第三世代を糾合しようとする。橋下氏は、日本の大衆の認識を理解するのに、日本の世代を三つに区別すると良い〔16:50〕と述べ、第二次世界大戦の恐怖の記憶がある第一世代、冷戦下の印象の強い第二世代、その孫の第三世代を措定する。橋下氏は、これからの日米同盟は、第三世代の認識の上に構築しなければならない〔22:50〕と述べるが、その主役である第三世代は、合理的な判断を冷静に下す存在として描かれる。合理的であれば、戦前・戦後の伝統に区別は付けず〔20:50〕、第三世代は、第二次世界大戦を歴史として受け止め〔19:50〕、戦争責任を認める一方〔20:05〕、大戦中に恐ろしいことをしたという事実を感情的には受け止めない〔20:15〕とする。成熟した民主主義と自由を享受してきた〔20:30〕というのである。この区別が一定の有用性を持ち、受容者層を形成することは確かである。ただ、ローマクラブ関係者にせよ、啓蒙的な知識人グループにせよ、支配する側の論理を体得した人物らは、三世代による表現が大好きである。このため、このアイデアにいかなる背景があるにせよ、この表出には一応の注意が必要であると言える。この概念を通じて、橋下氏陣営は、第三世代そのものに狙いを定め、勢力を結集しようとしているものと認められる。同時に、この若年世代に力を与え、その無党派性を自らの下に統合しようとしている。この世代論は、既成政党のうち、現時点では、共産党だけが成功した方法論であり、共産党に対立的感情を覚える層に対してアピールする。しかも、現時点において、共産党に対置される若年者(主体)の強硬派グループは、在特会と、統一協会によるUNITEしか見られない。共産党の活動も、大学生なら民青に接して納得することであろうが、部外者には宗教的情熱に基づくものとして認識される。宗教色のない緩やかな認識の層を形成しようとする点において、橋下氏周辺の囲い込み戦術は、巧妙である。

橋下氏は、日米安保条約について、日米双方の国民と、米国のエスタブリッシュメントに誤解があると指摘し、両者の感情を仲介する役割を申し出るかのようである。橋下氏は、第5条に基づき、米国が尖閣諸島の紛争で血を流すのかという日本の第三世代の疑問〔24:45〕を「代弁」する。第三世代の疑問は、自身の受けた憲法9条の教育に原因があり〔30:20〕、自衛戦力さえも否定する向きもある〔31:15〕と橋下氏は指摘する。自衛隊は軍隊とは呼ばれず〔32:00〕、第三世代にとって、ほかの国を守ると言う考え方は思いも寄らないものである〔32:20〕と、橋下氏は述べる。他方で、安倍首相の憲法解釈変更を評価しつつ、一連の安保法制の改正が日米の相互防衛を達成するものではないが、米国のエスタブリッシュメントがこれを誤解している〔27:50〕と、橋下氏は指摘する。同様の誤解は米国民にも見られ、日米安保条約が片務的な性格であることを知らない〔33:00〕と橋下氏は体験を語る。これら日米双方の、庶民の日米安保条約に係る誤解は、尖閣諸島で一朝事あるとき、心情のすれ違いを生むであろうと橋下氏は指摘しているのである。この感情面での軋轢の虞自体は、大変に示唆的ではある。生命に対してカネで十分なのか、という疑問提起は、保守層にとって、もっともなものに響くものである。しかし、このポイントは、橋下氏の講演と類似した環境下で実施された、保守を気取る石原慎太郎氏のヘリテージ財団における尖閣諸島購入発言が、尖閣諸島をめぐる状況を進展させ、そこでの紛争の可能性の度合いを一段と高めたことにある。この組合せは、戦争屋によるマッチポンプ行為における、石原氏の放火行為に対応する一種のポンプのようにも見える。このポンプが撒くものが、消化剤であるのか、さらなる燃料であるのかは、確定的とはいえない。つまり、橋下発言に乗ったために生じた事態の推移が、さらなる混乱を日中関係にもたらすのか、それとも一種の「ディール」を経て事態の沈静化をもたらすのかという辺り、両極端な結果となることが予測されるのである。しかしながら、そのような推移そのものの不安定性を考慮しなければ、橋下氏は、尖閣諸島を巡る日米安保条約の優位性を確定させ、日米国民双方の認識を架橋するための止揚役としてCSISに登壇したと見ることができよう。

橋下氏は、現在の日本が米国の友人である〔39:45〕ことを講演において強調している。第二次世界大戦の日本の位置付けと現在の北朝鮮の位置付けが、日本国民の認識、特に戦後の第二世代の中では、同様のものである〔35:50〕と指摘する。ニクソン氏の訪中時、キッシンジャー氏は、周恩来氏に米軍基地の存在が日本の再武装を防ぐと語った逸話を紹介する〔37:00〕も、われわれは現代の日本を大戦期のように、現在の北朝鮮のようなものではないと思っている〔37:45〕とも述べる。北朝鮮のミサイルの脅威があると感じてはいるが〔38:40〕、森友学園疑惑が議会を賑わせているのは日本が健全な証拠である〔38:55〕と指摘する。自由を楽しむ〔39:30〕日本人が米国の友人であるという主張は、現在の中国について橋下氏自身が基本的に何も語らないことにより、彼の考えが一貫して親米であることを主張するだけに留まるという効果を有している。現在の中国の意図を忖度するのは、質疑応答におけるグリーン氏の役割である。ここで、橋下氏は、米中の二項対立から生じる軋轢を当面のところ回避し、親米のみを強調することにより、来るべき政界再編における親米派の「大政翼賛」の中心となろうとしているかのようである。橋下氏は、極右と認知されてしまっている日本維新の会という小政党のトップではなく、親米派、中道右派(民進党・松下政経塾系ならびに旧民社党、自民党の一部)を糾合した一大勢力を構成すべく、自身の主張を軌道修正しているのではないかと認められるのである。

橋下氏の自衛隊に対する理解は、「普通の国の防衛型の軍隊」であり、この点においても、自民党の支持層を惹き付ける余地のあるものである。日本は(名のとおりの)自衛隊を有しているが、〔橋下氏〕自身は進化させる必要がある〔40:15〕と橋下氏は持論を述べる。日本人は米国を守ることに貢献できる、つまり血を流すことができるようにする必要があると考える〔40:35〕と述べ、互いに血を流せる相補的な関係でなければ、同盟とは言えない〔40:50〕ともいう。日本の人々の現状認識を考えれば〔41:10〕、憲法9条の解釈を変更して、条文の許す限り、自衛・相互防衛を強化する必要がある〔41:25〕とするのである。

いくつかの報道に見られた「外圧」発言は、自衛隊を進化させるべきという持論の上になされたものである。トランプ氏の米軍駐留負担発言を引きながら、新しいアプローチが必要、外圧でなければ日本は変わらない〔43:30〕と橋下氏は指摘する。「血には血を」という互恵的な同盟関係は、庶民に理解し易いものであり、多くの消極的賛同を得るであろう。説得力のある代替案が誰でも知るほどのものではないことは、確かである。国連憲章の敵国条項なかりせば、問題視することも難しい論点であろう。

橋下氏は、黒船と同様、TPPも外圧の一種である〔44:20〕としてTPPを肯定的に捉えているが、ここにも、権力の多数派を抱き込もうとする意図が透けて見える。多人数の、この論点では真の保守と呼べる論客に指摘されてきたように、TPPが無国籍大企業の利益を専ら図るものであることは、良く知られたことである。しかし、橋下氏は、この点を含め、経済的な論点には、この講演中でまったく触れていない。このスタイルは、橋下氏が(安全保障に係るものであっても)経済的な論争を回避し、経済面での主力敵を作らないものである。また、同時に、この逃げは、橋下氏が真の保守とは言えないことを明らかにする証拠である。私の指摘を否定するのであれば、TPPに言及しなければ良かったのである。外圧を武力として表現するだけに留める方が、ナンボか正直であり、主題に忠実である。他面、このようにTPPに対するリップサービスを提供しておけば、日本を拠点とする(準)国際秘密力集団も、橋下氏に対する警戒を解き、その権力掌握に協力するようになる。このくらいの話は、当然、部外者にも見越されるものである。

橋下氏は、日本の大衆の心の準備が必要であり、そのために外圧が有用であるとして話を締めている。日米同盟における日本の寄与を深め、日米両国への攻撃への抑止にも役立たせるためには、心の変化が必要という〔47:35〕。片務的であるために米国(民)が日米同盟から手を引くという可能性を、日本の公衆に理解させる必要がある〔48:00〕とするのである。橋下氏により解説された日米両国の国民感情は、橋下氏の体験から発されるものであり、この点、リチャード・アーミテージ氏と同じく、三分の一を三分の二と誤解してしまうくらいのユルいもの(2016年7月25日)である。つまり、このように考える国民がいないこともないが、それが大多数であるとは限らない、という程度のものである。影響力を考慮すれば、私のように論理と公開情報だけで積み上げた話と論拠の確かさが変わらない話を、確定的に語る橋下氏の姿勢は、私人とは言えども批判されてもやむを得ない内容である。しかも、未だに戦争屋のお先棒をマスゴミが担いでいる以上は、このような「国民感情」が醸成されない可能性がないとは言えない。


以上のCSIS講演は、橋下氏が連中の傀儡として選出されたという事実を明快に示すものである一方、橋下氏の内心そのものを推量する材料とはなっていない。プーチン氏の登場は、ロシアを劇的に立て直したが、エリツィン氏に後継指名された後に、国際秘密力集団の期待を裏切り、真に国益を守る方向に舵を切ったものであったことを想起すべきである。習近平氏、トランプ氏も同様である。現に、シリア・北朝鮮について、あれだけ騒いで戦争を煽った日米マスコミは、事態が沈静化した後、しょぼくれた報道リソースしか消費せず、専ら、国内の権力闘争を一方的に描くことにリソースを集中させている。また、何となれば、この突然の集中攻撃は、安倍晋三氏の周辺にさえ、この種の変節があり得ることを示唆する材料なのである。昨年の今頃には予想だにしなかったこととも言えようし、私自身は安倍氏周辺が善政を敷くものとは期待していないが、この変化は、(良い意味でも)利に敏い橋下氏に気が付かれていないはずはないのである。CSISの招待に乗りながら、そのビッグウェーブを乗りこなそうという野心が橋下氏にあったとしても、おかしくはない。大阪都構想も、国際秘密力集団のアジェンダの一環であることは、言うまでもないのである。

今回の政界再編において、無党派層の支持を取り付けるには、日本維新の会というカラーは、不都合極まりない。日本維新の会は、「良識派」には「極右」として認識されており、その主張は、常に一定の支持層を得ることができるであろうが、決して万人受けするものではない。橋下氏は、尖閣諸島に係る対応は世論に基づくべきであるとCSIS講演で明言したことになるが、この意見は、ポピュリズムであるものの、穏当なものとして選挙民に受け入れられる可能性が高いものであろう。

時が来れば、アジテーターとしての橋下氏の才能が発揮されることは間違いなく、その成行きは、十分に注意を払われるべきである。具体的な方法論は、若い世代にまず語りかけ、それをテコに高齢者への浸透を図るものと考えることができる。これからの世代の意見に耳を傾けよ、という論調が取られるものと考えられるのである。もっとも、これらのロジックは、あくまで表向きの話である。「体裁さえ整っていれば、後は何とでもなる」と不正を実行する黒幕が考えているとしても、おかしくはない。


以上のように、橋下氏が国際社会へ名乗りを上げ、来る時期への準備を怠らないように見える一方、現時点の野党で、現政権に対峙してきた陣営は、本来ならば情報公開されるべき機密情報に基づいて、政権を正当な論理で批判しているが、にもかかわらず、権力争いの土俵に上ることができていない。これらの野党勢力は、旧ハンドラーズからの一方的な情報提供を通じて、戦争屋と「タマを握り合う」関係に至っている可能性が認められる。共産党の一部は、ロッキード事件で漏洩情報を活用したし、旧民主党のいわゆる「永田メール事件」も、その可能性が同様のものとして指摘されている。実務の最前線にいる人々に言わせれば、世の中、綺麗事だけでは上手くいかないのは当然であろうが、この協力関係の複雑さは、それぞれのプレイヤーが他者を明快に批判することを困難な状態に置いている※3

官僚組織は、この権力争いの場において、法の支配という理念そのものも含めて、混沌とした状態にある。自民党の中にも、旧ハンドラーズと微妙に近しい人物がおり、それらの人物には得意な行政分野がある。このため、所属官庁、中央・地方の別、地方の場合には国会議員の立ち位置やその地方の伝統などにより、官僚の意見も大きく異なろう。マスコミに取り上げられている官僚の発言は、現政権の方向性との整合性を注意深く検証すれば、その真意が見えるやも知れない。たとえば、加計学園疑惑では、特区制度そのものに係る批判は、後景に退いている。特区制度そのものに係る批判を加えない野党陣営も見られるところが、彼らのスタンスを図らずも暴露している。


このような情勢において、現政権を支える武官組織に所属する人物や、それらの組織のOBらの活動は、トランプ政権の誕生によりもたらされた極東アジア地域における権力の空白の一部を埋めたものと見ることができる。これは、性悪説を基調とする地政学※4などにいう「勢力均衡論(balance of power)」の帰結である。トランプ政権により生じた空白は、わが国では、政党政治家と士業公務員との勢力拡大にお墨付きを与えるだけに終わってはいる。しかも、これら権力掌握の度合いを高めた勢力は、3.11以前にも、原発の過酷事故対策をケチりサボったという前歴を有している。現今の混乱を乗り越えたとき、彼らがいかに身を処すのかは、わが国が開発独裁国家であったのか、それとも緊急事態国家体制にあったのか、のいずれであったのかを後世に明らかにする材料である。(私の見立てでは、残念ながら前者ということになる。)

強化された権力の状態そのものは、マスコミにより、「警察国家」と的確に表現されてはいる。しかし、大半のマスコミは、その実態がいかなるものになるのかを説明しようとはしない。権力争いの当事者でもあるマスコミは、旧ハンドラーズの望む方向に政権を転覆したいという悪意を潜ませたままでは、この帰結を報道できないであろう。なぜなら、その「警察国家」とは、比喩的に言えば「99%の中の1%にしか影響しない」、つまり大半の「一般市民」にとっては「今までとさほど変わらない」という結果しか生み出さないからである。

「ごく一部の人々を除き、自分たちの境遇は、今までとさほど変わらない」という結果を知った日本国民の多くは、マスコミへの弾圧を、他人事としてとらえたり、自業自得であると合理化するだけであろう。この心性は、日本国民の数百年にわたる伝統であるから、今後、世代交代しても継承されるであろう。第二次世界大戦を経ても維持された心性であり、根が深いものである。この心性の当否はともかくとして、市民の共感や良心を当てにできないというマスコミ側の悲観的な予想は、彼らマスコミ人が世論喚起のために嘘を多用せざるを得ない状況へと彼ら自身を追い込んでいる。


現在の権力闘争において、少なくとも、権力を実質的に所有する人物たち(内閣の中心人物・武官組織・マスコミ・与党・野党のうち戦争屋と親密な関係にある者)は、わが国の国民益を第一に考慮しておらず、真の国益を目的に置いてもいない。権力闘争の渦中にあるこれらの人物の自己イメージの中では、彼ら全員は、それぞれが、彼らの考えるところの「国益にも資する活動」に従事しているのであろう。問題は、その「国益」が、国民全員の同意に基づき形成されたものではない、つまり、日本人が学校教育を通じて学習してきたような民主主義の理念の上に構築されたものではない、という点にある。「国益」を実現するために彼らが採用している現在の方法は、よりマシな統治機構(アーキテクチュア)のあり方を真剣に模索し、その上で、自らの責任を全うする(法治主義に殉じる)という覚悟の上に選び取られたものではない。これらの人物の活動履歴のうち、「国士」のものを、生き残りのための方便として許容するのか、民主主義に対する冒涜とみなすのかは、読者次第である。私は、この構造を私自身の知識に基づき暴露したという時点で、後者に属することを決定したとみなされても仕方がないものと心得ている。「戦争屋」に連なる連中の活動は、私には許容できないものである。

現状に至るまでに、わが国の(不正選挙を含む)構造的不正が果たした役割は大きなものがあるが、その副産物として創出された「警察国家」という「空気」は、わが国が紛れもなく独裁開発国家であることを国内外に如実に示している。デ・メスキータとスミスは、『独裁者のためのハンドブック』において、独裁国家における、盟友集団・影響力のある者・名目的有権者からなる三層構造モデルを提示した。本ブログが別途指摘してきたように、わが国では「不正選挙」というツールが定着していることを受け入れれば、スミスとデ・メスキータのモデルは、現在のわが国にピッタリ当てはまる。ただし、自衛隊と警察は、わが国においては、むしろ「盟友集団」に含まれるアクターである。本ブログの以前の記事(2015年11月11日)で、私は、デ・メスキータとスミスのモデルによるだけでは、現在の国際環境下における独裁国家を説明することが難しいとは指摘したが、わが国は、デ・メスキータとスミスのモデルに、自ら接近しつつある。

それでもなお、警察や自衛隊によるわが国の統制のあり方は、「本当の一般市民」を実力行使により統制するという、一段上となる迫害段階には到達しないであろう。なぜなら、一般市民をも迫害するという虞ではなく、その実績こそが、わが国が法治国家であることの根拠を決定的に棄損し、「戦前と同一である」という一部マスコミの告発を信憑性のあるものにしかねないからである。最近の一連の法改正に対して、一部メディアが「一般人もこのような被害に遭うことになる」という虞を主張し続けているのは、この虞が具現化して、その「絵」を撮ることができる状態にまで持ち込まなければ、わが国の人権迫害に対する実際の対応行動を喚起できないことを、メディアと戦争屋自身が理解しているからである。もちろん、現今の政治スキャンダルに検察が介入していないことは、この組織に本来課せられるはずのプリンシプルの根幹をなす政治的中立性に明らかに反するものである。その上、国民主権の理念を蔑ろにするものでもあるが、棄損されているものが理念である限り、これらの実力組織は、知らんぷりを決め込むであろう。

一般人に対する現実の迫害は、わが国における国民の人権に対する「Thin Red Line」である。人権とは、誰にでも適用されるから人権なのではあるが、「一般人」が不当に弾圧・迫害されたという事実こそが、戦争屋に使嗾されたメディアが熱望する事態である。もちろん、現権力(政体)側も、この事態は避けるべきと心得ているはずではある。このために、沖縄における弾圧は、本土では、何だかんだで報道されないのである。例外的に、直接危害を加えられる虞があるのは、第一に、反骨の政治家と官僚であり、次いで著名な学者・ジャーナリスト・NGO関係者である。他方、近代のわが国においては、宗教家も迫害されたが、現今においては、よほどのことがない限り、イスラム教を除き、宗教家がターゲットとされることはない。現政体に対し、ブーメラン現象を惹起したり、思わぬ形で海外からの援軍を敵方にもたらしたりするためである。また、一般の無明なブロガーやツイート主あたりを、著作権法違反により逮捕・拘禁したり、ぶん殴るなどの形で身体に直接的な暴力を加えたり、刑務所に入れない限りは無理矢理「食べて応援」させたり、ということもないであろう。これら紋切り型の批判を行う一人のインターネットユーザを迫害することは、現政体の側に利益以上の不利益をもたらす。マスコミの「正論」は、顔出しOKの「ベビーフェイス」に語らせることにより、いかんなく発揮される。無名の敵には無名のまま死んでもらう方が、権力者には都合が良いのである。それに、国連憲章の「敵国条項」は現在でも有効である。大日本帝国を想起させる種類の虐待は、現政体にとって、避けなければならない現実的な理由が存在するのである。

ただ、今後、誰が・どのように迫害されたのかについては、迫害に対する救済を図る上でも、精密に検証されなければならない。迫害されるであろう有名人の中には、戦争屋と裏で手を握る者も多く含まれているであろうから、この点を含まなければならない。その上で、国民一人一人が良識に基づいて、彼らが受けている迫害に対して、各々の評価を下す必要があろう。たとえば、現今の国連関係者によるわが国の法制度に対する懸念は、これらの関係者に情報提供した組織の金脈が精査された上で、正当に評価される必要がある、と私は考える。たとえ、ある批判者の指摘が正しいものであるとしても、「人権侵害の虞」を指摘することが、却って、わが国を戦争屋による人権蹂躙へと陥れるということになりかねないとすれば、私自身は、彼らNGOも批判しようと思う。日中戦争に至る道筋においては、日本国民の大陸における権益への執着がマスメディアによって喚起され、その結果、反米感情が昂進され、引き際を誤り、最後には重大な国益の破壊をもたらした。戦争屋は「両建て戦術」の継承者であるから、彼らが企画・主導した歴史には、この種のジレンマが必ず仕込まれている。彼らの仕掛けた罠にかからないためには、切り立った山々の尾根を行くがごときの、細心の注意が必要となる。

他方、誰でも過ちを犯しうるにもかかわらず、その過ちをネトウヨらが殊更騒ぎ立てることは、却って世論を戦争屋に靡かせる虞がある。これは、前川喜平氏の「出会い系バーへの出入り」が殊更に取り上げられたことを念頭に置いている。前川氏に係る「下半身報道」は、結局デマであって、政権にとってブーメランと化したかの展開を迎えている(とされている)。しかしながら、性交渉があろうがなかろうが、警察に対して密かに反感を抱いているようなスケベオヤジたちの多くは、「警察が見逃しているソープランドとは、いったい何だ?」と思ったに違いあるまい。しかし、このような内心の反感を吐露すれば、ネトウヨとのトラブルに伴う社会的不利益が待ち受けていることは明らかである。このため、オトナならば、このような不満は、内心に留め置くであろう。大抵の日本人の成人は、実社会ではオトナである。しかし、投票用紙読取分類機の不正手段が戦争屋の手元にあるものとすれば、この反感は、後付けで選挙における大差を説明する上で、利用可能な材料と化すのである。卑劣な人格攻撃を躊躇しない集団から距離を置こうとするのは、人間の自然な心性である。勇気のない純情な人々は、いじめを止められない無力感を味わい、自身の無力を悔しく思うであろう。しかし、これらの人々は、勇気あるベビーフェイスが来たるべき選挙に立候補したとき、一転、その「ベビーフェイス」に投票して自身の心情を合理化し、往時の臆病さを償おうとするかも知れない。「正義が勝つ」がごときの舞台を、戦争屋のために、わざわざ準備してはならない。

決して、前川氏が戦争屋の手先だという訳ではないことに注意せよ。しかし、戦争屋は、前川氏を抱き込もうとするであろうし、前川氏が戦争屋の手先から応援を要請されたとき、断れない状況というものもあろう。環境を整えることにより、このような不幸な状態は、回避することができるはずである。それに、ここまでこの分裂気味の文章を確認された諸賢なら、誰と誰が野合して大勢力になるのか、もう十分に読めてきたはずであるから、ここらで、締めに入るとしよう。


現政権を支える実力組織は、今後の選挙においても自民党を勝たせるべく、あらゆる手段を尽くすであろう。彼らは決して、まともな弱小政党を政権に担ぎ上げて、現今の困難を乗り越えるという方針を採用しないであろう。これが、彼らの器の大きさの限界であり、彼らの一部が特定の宗教的信条や原発利権から無縁ではない状況をも示す証拠となる。これと同根の理由から、公明党が選挙違反で潰されることもない。ましてや、共産党をパートナーに選択することもない。

今夏の都議選において、大勝する陣営が自民党か小池新党かのいずれであるかにより、わが国の大勢が旧来の戦争屋の敵となるのか(=自民大勝)、味方となるのか(=小池大勝)、その区別が明らかとなろうし、不正選挙というツールが戦争屋の手にあったものか否かも明らかとなろう。先の知事選を引き継ぐ形で、無節操にも民進党から鞍替えした「小池チルドレン」たちが、なぜか大勝して議会を占めたとすれば、わが国の裏社会が戦争屋の味方であり続けることを選択したといえるし、(私に先取権はないが、)不正選挙について私の採用した見解が正しいものであったことが証明される。このとき、現政体の主要エンジンである警察と自衛隊は、その大勝に対して、何らかのアクションを大規模に起こすであろう。逆に、自民党が大勝すれば、私自身の不正選挙に係る見立てのうち、主導権がいずれにあったのかの見解は正反対であったことが示唆され、私の愚かしさが満天下に晒されたことになるが、警察と自衛隊は、この不自然な大勝に対して、当然ながら、見の姿勢を決め込むであろう※5。どちらが外道であるかを競い合うような闘争の中から、庶民は、判断材料もないまま、もっともマシな人材に投票するという難しい選択を迫られている。戦争屋か安倍政権か。日本国民にとっては、「究極の選択」である。か細い第三の選択肢に乗れるように、われわれは、最善を尽くすしかなかろう。それに、究極の二択から選択せざるを得ない場合であっても、世界的に見れば、旧ハンドラーズを追い落とす方が各国国民の効用を増進することになることは、明白である。

ただ、選挙結果に対する警察や検察の介入には、自ずから限度というものがある。周囲の批判を物ともせず、これらの司法組織が実力に訴えることは、十分にあり得ることであるし、多数の実例も現実に存在はする。それでもなお、その無茶振りは、たとえば、当選者を公職選挙法違反により当選無効へと追い込むとするというような、あくまで法の体裁を整えた上での無理筋に限定される。また、全くの無名の新人を仕込みなしで勝たせる手段などは存在しないし、明らかに当選見込みのある人物の票をすべてライバルへと移し替えるということも、無理筋である。不正の余地は、あくまで「彼らが考える限りにおいて、不自然ではない」という程度に限定されるのである。


自称・民主主義国家である日本国では、私を含めた東京都民の圧倒的大多数が、たとえ正当に選挙権を行使したとしても、スミスとデ・メスキータのモデルにいう「名目的有権者」の地位に留まる可能性がきわめて高い。というのも、仮に、完全に不正を排除した選挙が行われたとしても、その場合には、マスゴミ情報を鵜呑みにした都民の投票行動によって、小池大勝という結末を迎えるであろうし、この蒙昧さ自体、非民主的な構造の産物であるとすることが可能なためである。戦争屋のビジネススタイルによらないという意味での第三極が第一党を占めるということは、全くあり得ないことであるが、万が一、第三極に都政を運営させようとするような都民の「覚醒」現象が見られた場合であっても、現政体を支える武官たちは、この動きに介入し、その実現を抑止するであろう。平成21年の民主党政権誕生直後における経験を踏まえれば、この見立ては全く揺るがないものである※6

現在、日本の政界が経験している戦争屋との「代理・情報戦争」は、日本の戦後政治上、大きな変化と見ることもできようが、政治的中立性や民主主義という理想的観点からいえば、いずれも大差なく、場外乱闘の類いである。マスコミの偏向報道も、公的機関の恣意性も、私の批判の対象である。戦争屋に対する牽制は必要悪であるが、日本における真の民主的な活動に対しても、現政体に阿り積極介入するという点で、彼ら「警察国家の守護者」たちは、悪(=利己的)と呼ぶに相応しい。まず間違いなく、この「悪」は、当事者によって自覚されているとともに、合理化されているであろうという点において、始末が悪いものである。

マスコミが相対的に無効化されていることは、橋下氏旗下の勢力の台頭を抑止することになり、これは、第三の道を目指す勢力にとっても、好都合ではある。これは、旧来の自民党清和会系の権力の成果にタダ乗りするものである。ただ、これらの権力が勝手にお互いをつぶし合ってくれたとしても、後に残るのは焼け野原ばかりということになる。必要なことは、「第三のガンマン」の戦術を思い起こすことであろう。私にできることは、その仕掛けを解読してみせることである。本稿は、一応のところ、戦争屋の所在を知り、近い将来の動向を明らかにしたから、戦争屋に対峙する勢力に対しては、十分な責務を果たしたものと言えよう。

旧来の権力は、全力を以てマスコミに対峙してきたが、その究極的な目的は、私益である。この批判は、マスコミが暴露した各種の疑獄の好き放題振りを見れば、当事者が否定できるものではない。ただ、日銀をテコにした株価の不正な吊り上げこそが、彼らの金脈の最たるものであるから、これらの疑獄は、彼らの権力の源泉ではない。本来、この動きは、権力犯罪・経済犯罪・組織犯罪にもなりかねないものであるが、国策として片付けられ、経済学からの批判を除けば、研究上、ほとんど興味を持たれていないように見える。この点によっても、マスコミの影に隠れる戦争屋の錬金術は、日本の現政体の錬金術と同一の方法論に基づくものであると気付くことが可能ではある。同キャラ対決であるから、お互いの手をバラしあって金欠になることだけは避けなければならないのである。この事情を公に暴くのは、それだけでは権力に正当性が(正統性も)なく、旧来の権力に欠けているものが庶民を養うというノブレス・オブリージュであることを思い起こさせるためである。



※1 ただし、これらの士業公務員の中にも、旧ハンドラーズと同様の主張を提起してきた複数の人物がいる。それらの論者が自分自身の考えに基づいて偶然に共同歩調を取ったのか、それとも旧ハンドラーズの積極的な「犬」であることを目的としていたのかは、注意深く批評されるべきである。

※2 重要人物のツイートを定期的に保存するというところまでは、私も手が回っていないことを申し添えておく。自分を擁護する気もないが、個人の働きには限界があるものである。

※3 多くの日本語話者は、野党やマスコミにより「公開・暴露された」情報の恩恵を受けて思考を進めているが、これらの「特ダネ」は、ジレンマの産物である。戦争屋を排除した後、わが国で完全なる言論の自由が速やかに実現され、それを担保するための情報公開が厳格に実施されるのであれば、戦争屋の提供する「極秘情報」に乗ることは、「日本人の生命と財産を重視する」という観点からすれば、ルール違反にもなろう。しかし、その見込みは、今のところ、全くないように見える。現時点で表現の萎縮効果を内心感じている日本人の圧倒的大多数は、まず間違いなく、言論弾圧が将来解除されるという期待など、抱いていないであろう。これらの日本人であれ、デスパレートな日本語話者であれ、日本国政府による弾圧を肌に感じる者たちが、悪魔との契約のようなものであろうが、戦争屋のタレコミに乗ることには、十分な理由がある。他方、戦争屋の振付けに直乗りしておらずに、戦争屋と同調的に動いている日本人を政府が見分けられずに弾圧することは、ある意味、友軍誤射の一種であり、政府の「敵」を増やすだけに終わる。情報の自前主義は、このようなところにも影響があると言えよう。

※4 国際政治学の亜流、もっと口汚く表現すれば、官僚流の「野生の思考」によるところである、ということも可能であろう。でなければ、これほど現今の言論状態が、下世話なものになることはない。性悪説が形而上学的な偏見であろうが、地政学がキマイラのような思考体系であろうが、それらの信念で頭の中身が構成されている人物の思考を相手にするときには、そのように頭の中身ができているものと措定するのが、(私のような)観察者(もどき)の仮定としては自然であり、利便性が高い。

※5 愛知県警の情報漏洩事件や、神戸山口組組長の逮捕劇は、ここでの見立てに影響するものであることは承知している。

※6 このときの政権交代自体が不正選挙によるものであるという考え方は、十分に成立しうる余地がある。ただし、私自身がこの論証に優先的に手を付けるつもりはない(し、何よりも、その準備作業が一向に進んでいない)。


[1] 橋下氏、ツイッター名から「ishin」削除 (読売新聞) - Yahoo!ニュース
(2017年06月08日07時44分)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170608-00050008-yom-pol

橋下徹・前大阪市長は7日、ツイッターのアカウント(登録名)から「ishin(維新)」の文字を削除した。日本維新の会の政策顧問を5月末で退任したのに続き、政治的中立を徹底する狙いという。

[2] Japan Chair Forum: Toru Hashimoto - YouTube
(2017年03月27日ライブ配信、Center for Strategic & International Studies)
https://www.youtube.com/watch?v=AB52uyrL3Lc




おまけ(備忘録)

とりあえず別の機会に言及するかもしれない話をメモしておく。

  • 福島第一原発事故を機に、警察は、警察国家を目指す度合いを従来以上に明らかにした。
  • わが国のジャーナリストには、どうやら一軍と二軍の両建て戦術が適用されているのではと思えて仕方がない。
  • 以上は、すべてフィクションであり、現実の組織や個人等に関係しない、と明記したら、私も大小説家ということになるのであろうか。

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