一昨日(2015年5月28日) 、志布志事件の元被告らによる損害賠償請求事件について、県と国は、賠償を命じる地裁判決を控訴しない方針を示した。(Yahoo! JAPANでは、毎日新聞が5月29日10時台の最新。)
私は、15日時点の記事に、「できるだけ早い時期に、本件について謝罪することは、公共の組織としての警察の体面を傷付けるものではないと思う」と記したが、この指摘を再度繰り返しておきたい。私は、まったくの部外者であり、報道記事といくつかのウェブサイトから、間接的に情勢を知るに過ぎない。たとえば、志布志警察署長がお忍びで謝罪に行脚することは、可能性としてあり得るし、また、その様子を報道機関が報道しないことに了解している可能性も十分に考えることができる。しかし、国民一般が謝罪の事実を知る必要はないが、依然として、同事件で疑いをかけられた方々に対する謝罪が必要であることは、揺るぎない事実である。
一般人にとって、警察という組織は縁遠い。だからこそ、警察と関わったときの体験が警察に対する信頼を左右する。私自身が持つ印象は、職業上の体験には色々あるが、個人として接したときのものは、その多くが好印象である。しかし、冤罪の被害者となった方々の心情を和らげる努力をせずに、本事件の始末を付けたとすることは、あまりに無情であるものと思う。
読者の中には、なぜ謝罪が必要なのかを私がより論理的に説明すべきと思う方もおられようが、その説明は、本ブログ上では行わない。その理由を知りたい方には、個別に対応させていただきたい。なお、ここで、「読者」は、本記事執筆時点では基本的にいないはずだが、仮にいたとしての話である。
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